カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 6月末に一泊で上京する用事があり、その時に娘たちと行った東京六本木のディナーと二子玉ランチなどのグルメ情報です。

 先ずは、行った日の夕食。
長女が「久しぶりに焼き鳥を食べよう!」とのこと。奥さまはあまり気が進まないご様子でしたが、「もし二人が食べたいなら・・・」と渋々同意。
娘が本来我々を連れて行きたかった焼き鳥店は、六本木ヒルズに在る“超”有名店らしく、当日での(しかもこの日は日曜日でしたので)予約はさすがに無理・・・。その後彼女が何軒かに電話をして、漸く別の一軒に予約が出来た由。
夕刻、三人で歩いて向かったのは、麻布台から外苑東通りを進み、六本木の閻魔坂の路地に入った雑居ビルの2階。「えっ、こんな処・・・?」と思う様な場所でした。
というのも、周囲は「閻魔坂」というナントモおどろおどろしい名前の地名と、しかも“谷底”の様な窪地に広い墓地まであるのです。後で調べて分かったのは、昔崇厳寺というお寺があって、そのお寺さんの閻魔堂に因んだ坂の名前らしく、崇厳寺自体は戦災で焼失し復興されなかったため、共同墓地として拡張して現在の「六本木墓地」となっているのだとか。そうした歴史的な地名なのかもしれませんが、“都会”を代表する六本木の歓楽街のど真ん中で、一歩路地に入って薄暗い夕刻にいきなり閻魔坂という名前と広大な墓地に遭遇すると、驚くことは必定・・・。
しかも、周囲はゴミが散らかっていて(コロナ禍明けの最近の日本は、何だか昔に比べて路上にゴミが落ちていて、昔の“ゴミも落ちていない清潔な日本”と外国人観光客が賛美したイメージとはかけ離れてしまった様に感じるのは私だけでしょうか・・・?)、決してお世辞にも好印象な場所ではありません(実際は、入る路地を間違えて墓地沿いにぐるっと一周した感じ。本来なら大通りから入ってすぐ・・・でした)。

 そんな“薄汚れた都会”六本木の歓楽街の路地に在る雑居ビルの二階に上がると、イメージが一変!・・・します。
ドアを開けて入った中は、シックな黒い色調で内装をまとめた「とりや幸」という焼き鳥店。しかも、2年連続ミシュランガイド掲載という店の六本木店で、その本店の銀座店は昭和30年創業でミシュランのビグブルマンに2年連続選出されているのだとか。
娘が名前を言って通されたのは、カウンター席では無く、壁とカーテンで仕切られて、落ち着いた印象の半個室のテーブル席でした。
メニューから娘が選んでくれたのは、この店のウリである比内地鶏などの焼鳥の基本コースの「おまかせ串コース」3900円(税込)。
他にも比内地鶏の焼き鳥と京鴨の炙り焼きなど、前菜や食事、甘味までついた6500円のコースなどもある様ですが、そこまで食べられるか分からないし、しかも奥さまが寿司の光り物同様に、鳥皮など食べられないモノもあるかもしれないので、もし最後に足りなければ〆など一品で後で注文すればイイからと、基本コースで先ずはトライすることにしました。家内は焼き鳥でのレバーは昔から大好きなのですが、些か“食わず嫌い”が多いのです。光り物なんてホント美味しいのに・・・・。娘たちも、長女は私似で、次女は光り物とかは苦手なので母親似なのかもしれません(でも、焼き鳥は好きで、学生時代に住んでいた神楽坂の美味しい焼き鳥屋さんに連れて行ってくれましたっけ・・・)。
 さて、「とりや幸」の「おまかせ串コース」は、先ずは艶野菜5種盛りに始まり、比内地鶏・大山鶏・はかた地鶏などの焼鳥串5本と特製つくねが1本に、旬の野菜串1本という構成。
最初に「艶野菜5種盛り」は“温野菜”と聞き間違えたのですが、生野菜で、特にトウモロコシのゴールドラッシュ(糖度が高く近年人気の品種で、生でも食べられます)が、甘くて美味でした。
焼き鳥は、比内地鶏のムネから。皮がパリパリ、それにしてもキレイに切れるものだと感心します。一緒に、小鉢に入った鬼おろしがウズラの黄身を添えられて、箸休めとのこと。
続いて、鳥取県の銘柄地鶏である大山どりのササミ。ワサビを載せて。しっとり。この二串は塩ですが、絶妙の塩梅。

ここで、名古屋コーチンの厚焼き玉子。うーん、肴としては日本酒が飲みたくなり、10種類くらいあったメニューの中から黒龍と悩みましたが、超辛口という紹介に惹かれ、山形の吟醸ばくれんをチョイスしました。
そして三本目の串が比内鶏のモモをこちらも塩で。弾力がありながらジューシーです。
そして食指を変えて、野菜串がこの日はヤングコーン。「甘いので、是非ヒゲまで食べてください!」とのこと。
次はレバーですが、タレでの豚ではなく鳥レバでした。臭みは全く無いのですが、小ぶりなのが残念。
店で人気というつくねを名古屋コーチンの黄身を絡めていただきます。
最後の串が、はかた地鶏という手羽先。これも塩ですが、皮がパリパリで旨味があり、今回の串の中では大ぶりで食べ応えがあったせいか、一番美味しく感じました。というのも、焼き具合から塩加減から、どれも唸る程でさすがに美味しかったのですが、また基本コースでも十分にお腹は満足しましたが、全体に串が小ぶりだったのが“食べ応え”という意味では、庶民としてはチト残念でした。
でも、奥さま曰く「今までの焼き鳥の概念が変わった!」とのこと。昔、諏訪や松本でも焼き鳥を食べに行ったことがありましたが、そりゃ失礼しました。確かに、連れて行ったのはこういう高級なイメージな焼き鳥屋さんではありませんでしたし、中でも、昔行った諏訪の某焼き鳥屋さんで、焼き鳥のササミがまるで鳥わさの様に生っぽくて気持ちが悪くて食べられないと言ってましたっけ(その店は評判店だったのですが、その後移転拡張した結果目が付き届かなくなったのか、やがて食中毒を発生させてしまいました)。
「焼き鳥って美味しいんだね!」と家内が気に入ったのは良しとしても、確かに唸らざるを得ない程に美味しかったのも事実ですが、個人的には焼き鳥はやっぱり庶民の味、庶民の味方であるべきだと思います。まぁ、確かに昔時の総理がアメリカの大統領を焼き鳥屋さんでもてなしたこともありましたし、仮に希望されても松本には東京の様なこんな高級店はありませんが・・・。でも、東京だって焼き鳥のイメージは個人的には新橋のガード下でイイ様な気がしますが・・・。
 翌日、出勤する長女が「一緒に朝食を食べてから行くから」と、我々と一緒に家を出て連れて行ってくれたのが、飯倉片町の外苑東通りに面した「VERVE COFFEE ROASTERS (ヴァーヴ・コーヒー・ロースターズ六本木)」という、カリフォルニア発のオシャレなカフェ。
娘がMBA時代にパロ・アルトで良く行っていた店の日本店なのだとか(「新宿NEWoMAN」にも支店があるそうですが、この六本木店の様な解放感は無く、もっと手狭な店舗だそうです)。
一面ガラス張りの店内は、二階まで吹き抜けで、外にはテラス席もあり、店内を含めワンコOKなのだとか。ヴィーガン向けのフードメニューもちゃんとあるそうです。そして六本木という場所柄か、半分以上は外国人のお客さんで、ノートPCで仕事をしながらの個人客もたくさん。娘もリモートの時は時々利用するそうですが、それにしてもオシャレ(その後、リモートワークで長居をするお客さんが多いためか、原則90分以内でそれ以上になる場合は追加のドリンクオーダーをお願いしますとなった由)。田舎では、というよりも、東京でもここ六本木だからこそ、すっと街並みに馴染んでいる気がします。“お上りさん”は、ただただ溜め息でした。
ここでコーヒー(他の倍以上もある大きなカップで780円)と朝食用に娘がオーダーしてくれたのが、PRESS SAND(各1200円)という名前のオリジナルホットサンド。二人はパストラミアボガド、私メにレッドホットツナ。独特なサクサクのホットサンドに、オニオンスライスとケッパーが挟まれていて、旨!また食べたい!・・・と、値段を気にしなければですが、でも本当に美味しかったです(写真はそれぞれ半分を食べた後の2種類のホットサンドです)。でも大きなカップのコーヒーは、独自ブレンドや厳選されたお薦めのシングルオリジンなど幾つかあって、それらを試飲して自分の好みを選ぶことも出来るので、大いにリーズナブルだと思いました。更にアメリカ発ということもあって、煎茶と玄米茶の日本茶も用意されています。
 長女と別れた後、午後までの空いた時間は二子玉川の高島屋まで買い物に来たいという次女と待ち合わせ。娘がゆっくりと買い物が出来る様にと、その買い物中は孫をジジババが面倒を見てあげることになっているとのこと。と言ってもその買い物も子供服で、子供服ブランドのミキハウスやファミリアのある本館5階の子供服売り場での買い物とか。その間、我々ジジババが本館屋上の屋上庭園で孫娘をあやしながら時間を潰します。しかしママッ子の孫は暫くすると飽きてしまい母親を探してぐずり出すので、止む無く子供服売り場の母親の元へ。一目見れば安心するので、今度はフロア内をベビーカーでジジと探検・・・です。
そうこうして娘も気に入った孫用の子供服が買えた様です。思えば、羽田空港時代の外資系航空会社のグランドスタッフのリーダーとして働いていた頃は、仕事のストレス発散は専ら自分の洋服買いだったのが、今は子供服しか買わないというのですから変われば変わるもの。“されど母は強し”なのでしょうか・・・。
私は二子玉に来たのは初めてですが、若い世帯に人気という土地柄なのか、小さい子供連れのファミリー層も確かに多くて、そのためもあってか、高島屋内の各フロアはじめレストランや屋上庭園などは子供連れやベビーカーにも優しいバリアフリー設計で、これなら確かにヤングファミリー層が多く集まるだろうと感心した次第です。日本全国、どこもこんな子育てに優しい街になればイイのになぁ・・・。少子化対策が大事と言うのなら、ただ現金をばら撒くだけではなく、こうした環境整備も少子化への大事な対策の一つだと思うのですが・・・。
 買い物も終わりランチへ。ベビーカーでの入店OKで且つお子様メニューもあるレストランの中から娘が候補に挙げたのが、南館6階のシーフードとグリルの洋食レストランとエスニックの中から同じく南館8階の「ニャー・ヴェトナム・プルミエ」というベトナム料理レストラン。
両方見たのですが、洋食は順番待ちでしたので、すぐに座れそうだったベトナムレストランにしました。
この店は、恵比寿、銀座など10店舗ほど展開しているチェーンだそうで、エビスの本店は、元々ベトナム大使館からの要請で始めたとのこと。二子玉のこの支店の店内は細長いフロアでそれ程広くはありませんが、平日の昼時故か行列こそ無かったものの、二子玉マダムの方々で結構混んでいました。
スタッフの方が、ベビーカーを畳んで隅っこに置きやすいテーブル席を選んでくれて、ベビーチェアを持って来てくれました。調理する人もですが、フロアスタッフも皆ベトナムの人たちで、スタッフは勿論日本語が堪能。女性スタッフはアオザイを着ています。
ランチメニューの中から、フォーと生春巻きのセットで、私が蒸し鶏のフォーのセット(1680円)、家内と娘は海老風味の辛口フォーのセット(1850円)をチョイス。
ラーメンでも鶏チャーシューは余り好きではないので、蒸し鶏自体は好みではありませんが、フォーの鶏スープは結構見た目より濃い目の味付けで、出汁が効いていて美味でした。片や、エビ風味は濃厚で辛味もあって美味しいのですが、個人的にはちょっと甘味が強く感じました。でも女性陣は美味しいとのこと。フォーには、薬味でカットレモン、パクチーのみじん切り、生の赤唐辛子の輪切りが付いているので、途中“味変”で、レモン果汁を絞ったり、赤唐辛子を入れてみました(パクチーは然程好きではないので、シンガポールで嵌まり、味噌汁にも刻んで入れていた程の“パクチー好き”の奥さまに差し上げました)。レモンを絞ると爽やかになり、生の唐辛子はただ辛いだけではなく、フルーツの様な甘みもあり、これぞ東南アジアの味!シンガポールを思い出しました。
勿論、松本にもベトナム料理はありますが、久し振りに食べた本場の味でした。シンガポールでは、住んでいたコンドミニアムの近くにあった「サイゴン」というベトナム料理店に、家族連れでも、或いは自腹で接待しないといけない時にも本当に良く食べに行きました。因みに接待の食事では、中華やフレンチなどのコース料理は高いので会社負担の時は良いのですが、自腹の時はお腹いっぱい食べても安い北インド料理かベトナム料理が定番でした。(タイ料理「コカ」のスチームボートも家族は大好きで良く行きましたが、ちょっと接待には不向き)。
ベトナム料理「サイゴン」で必ずオーダーしていたのは、生春巻き、サトウキビ巻いて焼いた魚のすり身、中華ではどのジャンルでも必ず火を通すので食べられない生野菜のサラダ、そして油をあまり使わないので日本のお吸い物の様なスープ。ベトナム料理は、中華では出て来ない生野菜(今ではお寿司などの日本食も人気の様ですが、彼等は加熱しないモノは本来食べません)も食べられますし、主菜の肉や魚料理も含め味付けが中華の様に油をたくさん使わずに味付けも濃くないので、どこか和食にも通ずるような繊細さもあって、アジアの料理の中で一番日本人向きだと思います。
 ベトナム料理「ニャー・ヴェトナム・プルミエ」。
日本で今まで食べたフォーの中で一番美味しく感じました。しかも、ベトナム人のスタッフの人たちの応対も丁寧で気持ちがイイ。
小さい子連れのママさんたちに優しい二子玉の印象と相俟って、久々に「イイなァ、都会は・・・」。
(アジサイの写真は玉川高島屋の本館と南館との連絡通路に飾られていた、最近の新品種らしき色鮮やかなハイドランジア「ディープパープル」と「マジカルノブレス」です。花までどこか“都会的”?)

 YouTubeに「落語協会」がアップした、寄席での鑑賞マナーを呼び掛ける動画。これ、ハッキリ言って傑作です!
定席の一つである池袋演芸場で撮影したのだそうですが、客席で寄席を鑑賞する際の迷惑行為の数々、例えば席に座るのは口演最中ではなく高座と高座の間だとか、口演中の無駄な私語、携帯電話、写真撮影や録音、口演中に食べる煎餅などの雑音、過度な飲酒(酔っ払い)などを実演して、そうした迷惑行為の禁止や防止を呼び掛ける内容で、客席に座っているお客さんが全員協会所属の噺家の皆さんなのです。しかも、その面子が凄い!

 先ず案内人として前振りが古今亭菊之丞(色気もある芸達者で先輩噺家のモノマネは絶品!)、そして迷惑行為の解説するのが柳家喬太郎(この人の「時そば」の枕での“コロッケそば”、そして“歌う”「井戸の茶わん」・・・天才です!でも古典もちゃんと師匠のさん喬譲り)、迷惑を被る隣席の客が春風亭一之輔(ご存知!でも笑点なんか出なくてもイイのになぁ・・・)、そして“主演”の迷惑客を演ずるのが落語協会の大看板柳家さん喬という各師匠の方々で、人気実力共に落語協会のオールスター級。そして脚本や演出など、制作や他の客を演じていたのが協会の若手二ツ目の皆さん。
俳優という意味では皆さん素人ですが、とりわけその迷惑客を演ずるさん喬師匠の演技の上手いことといったら、まさにアカデミー賞モノの演技なのです、これが!
しかも、さん喬師匠が喜んで?本当に楽しそうにやっているのが映像からも分かるんです。いや、笑えるワァ~。
これでもしサングラスを掛けてガラの悪いそうな迷惑客をさん喬師匠と一緒に、一見(いつもの高座の様にニコニコ笑わずに、もし睨みつければ・・・ですが、多分)プロレスラーの“組長” 藤原喜明に似ている(様な気がする)権太楼師匠が演じていたらきっと最高だったな、なんて・・・。

        (*「新宿末広亭」紹介記事からお借りした高座写真)
 考えてみれば、落語の世界では、ご隠居さんから与太郎の丁稚、そしておばあさんから若い町娘や花魁まで、全て一人芝居で演じ切っているのですから、噺家の皆さんが役者としても芸達者なのはむしろ当然なのかもしれません。
そしてこの動画には更にメイキング映像まであって、撮影している様子や制作側や出演もしている若手の噺家の皆さんの感想なども入っています。因みに、長野県大町市出身の二つ目桂花さんもおられます。

 落語好きの皆さん!YouTubeで「落語協会 寄席鑑賞マナー動画」と検索すれば見つかると思います。是非探して視てください。これ必見です!

 奥さまが封切りになった映画を見たいというので、イオンシネマへ。
リタイアしてから結構映画を視ています。勿論暇な年金生活者故ということもありますが、シルバー割引があるからというのも大いに助かりますし、しかも空いている平日に視られるというのも誠にありがたい。
途中、前回の朝のウォーキングで寄れなかった天神さま(深志神社)へお参りして行きたいというので、ウォーキングを兼ねて歩いて行くことにしました。多分、家からイオンモールまでは2.5㎞くらいでしょうか。この日事前に予約した上映が初回で終了時刻がちょうど昼時でしたので、イオンモールでランチを食べてから帰ることにしました。
選んだのは私のチョイスですが、珍しく家内がOKしてくれたインド料理の「フルバリ」です。
以前、次女が羽田空港勤務で糀谷に住んでいた時に何度か羽根つき餃子などを食べに蒲田には行ったのですが、JRの蒲田駅の南口から歩いてすぐの所に「フルバリ」の本店があったので、イオンモール松本に出店すると知って、いつか来てみたいと思っていました。
ただ家内が、昔松本に在ったインド料理店(既に閉店)で食べて油が当たったのか具合が悪くなったことがあり、それ以降インド料理には拒否反応だったのですが、松本の「Doon食堂 インド山」で食べてからは、その拒否反応も治まり、また食べられるようになりました。そのためGW前後の東京滞在中も神谷町のインド料理へも行ったのですが、今回も「フルバリ」でのランチにOKとのこと。

 イオンモールには食堂街の他にフードコートもあり、そこにあって何度か食べに行ったリンガーハットが閉店。南松本のイオンに入っていた店舗も閉店した由・・・。残念ながら、松本で気軽に長崎ちゃんぽんが食べられる店が無くなってしまいました。
因みに、長野県の中南信を中心に展開している「テンホウ」にも、ちゃんぽん風の「テンホウ麺」があるのですが、クリーミーなスープではあるものの、長崎ちゃんぽんとは似て非なる味。一方で、テンホウの「皿うどん」は結構本場の味に近く、ちゃんとウスターソースも一緒に持って来てくれるので、リンガーハットで無くても皿うどんはテンホウで十分“許せる”のですが、長崎ちゃんぽんはちょっと違うなぁ・・・。但しテンホウ麺は、店側もあくまで“ちゃんぽん風”と説明していますので責めることは出来ませんが・・・。
・・・と、些か前置きが回りくどかったのですが、リンガーハットが無くなって長崎ちゃんぽんが食べられなくなってしまったので、今回はフードコートでは無く「フルバリでもイイよ!」となった次第です。
イオンモール松本が開店して既に5年以上経つ筈ですが、漸く「フルバリ」で食べることが出来ました。

 ランチメニューの中から、カレーが二種類選べるレディースセットとフルバリセットをオーダー。それぞれミニサラダとドリンクが付いていて、ナンかライス(但し日本米)を選べ、さらに後者はサイドメニューとしてチキンティカとシークカバブ(インドのソーセージ)が付いています。
カレーは、家内はバターチキンとサグチキン(ほうれん草とチキンのカレー)、私メはチキンとシーフードを選びました。
ナンは大きくて美味しい。チキンティカは神谷町の「ラージャ」で食べたタンドーリチキンのソースの方が好み。肝心のカレーはどれも砂糖甘い様に感じます。
 「うーん、これ甘過ぎる。ちょっと違うなぁ・・・。」
家内ではありませんが、これならスーパーに並んでいるS&Bの「噂の名店」シリーズのレトルトカレーの神田の北インド料理店「マンダラ」のバターチキン、また無印良品のレトルトカレーの中で、「プラウンマサラ」を始めとするインドカレーの幾つかの方がむしろ美味しい気がしました。
ですので、北インドの家庭料理であれば松本には「インド山」がありますが、カレーの種類も限られますし家庭料理にはタンドール釜は無いので、ナンやタンドーリチキンは諦めて、もし松本でインド料理を食べるのであれば、プラウンマサラ、バターチキンや他の種類のカレーや市販のナンも含めて、松本でも買えるレトルトカレーで十分だと感じた次第。

 大正期に誕生したとされる東京早稲田とか福井とか、ソースカツ丼発祥には幾つかの説(注)があるそうですが、今では他の地域にもソースカツ丼があって、長野県では伊那谷の駒ケ根がその本場。駒ケ根は「喜楽」という店が昭和3年にソースカツ丼の提供を始めたと云いますから、全国的に見ても相当古い歴史があります。
駒ケ根では平成に入り、“町おこし”的にそれまで提供していた各店が連携して団体を作り、ソースカツ丼を提供する際の統一規定を制定するなどして、“ご当地グルメ”としてソースカツ丼の普及やPRに努めた結果、今の様に地域に定着していったのだとか。
その駒ケ根の有名店の一つ「明治亭」が軽井沢にも出店していて、以前軽井沢で食べたのですが、残念ながら松本では卵とじのカツ丼の方が主流なので本格的なソースカツ丼を出す店が無く(蕎麦チェーンの小木曽や、餃子チェーンのテンホウのメニューにもソースカツ丼がある様ですが)、だったら自分で作ろうかと思った次第・・・。

 駒ケ根のソースカツ丼のスタイルは、必ずご飯の上に千切りキャベツを敷いて、その上にトンカツが載っていて、一番の肝となるのがそのソース。単純にトンカツソースやウスターソースを掛けたのではなく、各店秘伝のオリジナルソースが掛けられていて、記憶の中での「明治亭」(他で食べたことが無いので、それ以外を知りません)のソースは、普通のトンカツソースに比べて甘味の中にもフルーティーな酸味があり、色もトンカツソースの黒よりも茶色がかっている感じでした。その明治亭の“秘伝”のソースは瓶詰にされて店でも販売されていたので、それを買ってトンカツと千切りキャベツを用意すれば良いのですが、そう頻繁に(しかも自宅で)食べるメニューではないのでソースの瓶が邪魔になります(他の料理にも使えるかもしれませんが・・・)。
 「だったら、自分で作るしか無かっぺ!」
ということで、自分でソースを作ることにしました。

 家内が手伝いに娘たちの所に月一恒例で上京して不在。一人での食事なので、もし失敗しても大丈夫。揚げ物は下拵えの衣を付けるのが面倒臭いし自宅だと調理での油跳ねが大変なので、ここはスーパーから総菜のロースのトンカツを一枚買って来て、自宅では千切りキャベツを用意します。因みに他の地域のソースカツ丼は千切りキャベツがありませんが、信州は高原野菜の本場だからということでもないのでしょうが、普通のトンカツにもキャベツは付き物ですから、野菜を食べるというヘルシーな食事のバランスもふまえれば、他の地域のソースカツ丼に比べて駒ケ根のソースカツ丼が必ず千切りキャベツを添えるというのは、健康意識の高まった現代では更に理に適っていると思います。
肝となるソースに関しては、ネットで調べると中にはソースだけではなく醤油も使うものとか、幾つかレシピがあったのですが、その中からイメージ的に「これかな?」と気に入ったレシピで作ってみることにしました。
ポイントは先述の“フルーティーな甘味と茶色”です。味は、イメージ的にはカレーで云えば“リンゴと蜂蜜”風に、多少フルーツ系が加味された様な感じ・・・でしょうか。
その素となるのが、ソースは中濃とウスターソース、そして“フルーツ系”のポイントが多分ケチャップで、更にみりん(或いは料理酒と砂糖)を加え甘味を出します。場合によっては、好みでマーマレードなどを混ぜても良いかもしれませんが、まぁ自分独りなら取り敢えずそこまで拘らなくてもイイか・・・と。
我が家にはウスターソースが無いので、トンカツソースだけでケチャップとみりんと(水っぽくなり過ぎぬよう)砂糖も少し加えて甘味を調整します。そして、ソースとケチャップを混ぜ合わせると、あの茶色に近付きます。一度過熱して混ぜ合わせ(味見をして、うーん、まぁこんなモンかと)、冷まして味を馴染ませて出来上がり。

 ご飯を温めて丼に盛って、その上に用意した千切りのキャベツをたっぷりと敷いて、スーパーで買って来たトンカツをオーブンで温めて切って載せてソースをスプーンですくって上から掛ければ完成です。
因みに、個人的にはトンカツはヒレよりもロースの方が好みなので、今回もロースカツです。些かオーブンで焼き過ぎて、焦げて少々固くなった部分があったのは玉に瑕でした。また、ソースはもう少しフルーティーでも良いかもしれませんが、自家製のソースの味付けとしては十分合格ライン。カツも自家製の方が(良い肉を使うので)柔らかくて美味しいのでしょうが、手間暇を考えればスーパーのお惣菜でも十分です。反省点は、ソースをもっと多めに作って、うな丼や天丼の様にご飯にまでタレが少し染みるくらい掛けた方が良かったかなというところでしょうか。
 いずれにしても、お手軽に“駒ケ根風”のソースカツ丼を自宅で楽しめて、個人的には十分満足でした。
 「ごちそうさまでした!! 」
【注記】
ソースカツ丼文化発祥の地にはいくつかの説があるそうですが、福井県の情報ページに由ると、福井出身の人がドイツの日本人俱楽部で料理を学び、ドイツのシュニッツェルを真似てウスターソースを使用してご飯に載せ、日本へ帰国してから大正2年に東京の料理発表会で披露した後、早稲田に開いた『ヨーロッパ軒』で“ソースカツ丼”として売り出したのが最初とのこと。その後大正12年の関東大震災で店が被災倒壊したため地元福井に戻り、再び「ヨーロッパ軒」を開いたことによるものという説が濃厚だそうです。
ソースカツ丼の発祥説を調べてみると、他にも色々と興味深いことが分かります。
先ず大正初期の年までハッキリしているのですから、上記の東京早稲田と福井の「ヨーロッパ軒」に確定で良さそうに思われるのですが、他にも“我こそは!”と名乗る地もあるらしいのです・・・。
例えば、福島県会津も発祥の地とされる場所の一つで、昭和5年(1930年)に会津のソースカツ丼の元祖とされる「若松食堂」が創業し、洋食屋のコックがウナギのかば焼きからヒントを得て、とんかつを甘辛いソースにくぐらせてご飯に乗せたのが始まりとしているとのこと。
また、本文で紹介した長野県の駒々根も有力な候補地の一つとされるそうですが、こちらは昭和3年に開店した駒ヶ根にある飲食店「喜楽」がソースカツ丼の発祥で、初代の店主が当時の流行だった洋食をベースにして考案した料理がソースカツ丼で、ご飯の上に千切りキャベツを敷き、秘伝のたれにくぐらせたカツを乗せるのが特徴です。
そしてお隣の群馬県桐生もソースカツ丼の発祥地とされる地域で、別名“上州カツ丼”とも呼ばれる程地元では定着している由。元祖は昭和元年(1926年)創業の「志多美屋」という食堂店で、元々は鰻の卸商だったため、食堂として開業するにあたり、鰻丼を参考にして、ご飯の上にソースにくぐらせたカツのみというシンプルなカツ丼を提供したところ、それが人気となり、やがて他のメニューを止めてソースカツ丼の専門店になっていったとのこと。
他にもやや趣を異にして面白いのは、大正10年(1921年)に早稲田高等学院の学生が、下宿近くの軽食店で日々食事をしていて毎日同じメニューに飽きたため、店主に許しを得て自分で調理場に入り、切ったカツを丼ご飯の上にのせ、小麦粉でとろみをつけたウスターソースをかけて食べてみると美味しかったので、店主にかけ合って「カツ丼」という名前で新メニューにしたのが発祥という異説があるとのこと。ただ、この学生が“考案”する8年前に、既に早稲田の地で創業した「ヨーロッパ軒」がソースカツ丼のルーツというのはハッキリしているので、 “学生の街”早稲田として話を面白くするための些か“眉唾モノ”と感じられなくもありません。個人的には一番古い大正2年の発表、或いは翌年のヨーロッパ軒創業を以て、ソースカツ丼の発祥と断定して良いと思うのですが、他の地域はどうしてそこまで“我こそは!”に拘るのかが理解出来ません・・・(別に一番古いからと言って売れるとも限りませんので・・・。ただ煎餅やお餅でも、元祖や本家とか、酷い時には親戚筋で裁判で争ってでも一番を競うアホなケースもたくさんありますから、やはり商売上は何かそれなりの意味があるのかもしれませんが・・・??)。
なおソースカツ丼の発祥とは別に、個人的に面白いと感じたのは、ソースカツ丼のご当地の福井と長野は同じ北信越エリア、そして長野と群馬は隣県同士。更には群馬と福島も僅かとはいえ県境が接していることです。従って、もし岐阜県内にも何らかのご当地ソースカツ丼があれば、福井から福島まで一本で繋がることになり、謂わば“ソースカツ丼ベルト”が誕生することになります。
まぁ、それはともかくとして、日本列島の真ん中付近にソースカツ丼が集中しているのは、そのエリアの県民の味覚、性格、気候や地理など、何か特別な理由があるのかどうか・・・?偶然とはいえ、面白いと感じた次第・・・。

 2021年のNHK新人落語大賞で女性初の大賞を、これまた史上初の満点で受賞した上方の噺家、桂二葉。或る演芸評論家をして、「圧倒的な勝負強さ、透明感、集中力」と言わしめた、今注目の女流落語家です。
キノコの様なキレイなオカッパ頭。その“マッシュルームカット”に、ニコニコと愛嬌のある(≒可愛らしい)顔、そして自身で「落語界の白木みのる、て言われますぅ」と紹介する甲高い声(白木みのるって、お笑い時代の藤田まことと一緒に「てなもんや三度笠」に確か出ていた筈ですが、上方でもお年寄り以外で知っている人は今ではもう少ないと思うのですが・・・)。
色っぽいというよりも(本人曰く、「色っぽさの微塵も無い」)、子供っぽく見えるためか、その甲高い声も手伝って、実際にもそういう定評なのですが、丁稚や小僧さん、アホな与太郎などを演じさせると絶品で、本当に上手い!

 個人的にはコミックスの「どうらく落語」で落語に嵌まったのをきっかけに、品のある圓生、これぞ江戸っ子という気風の志ん朝、そして現役では粋なさん喬師匠に爆笑落語の権太楼師匠と、好きな噺家は江戸落語ばかりなので、上方落語も枝雀米朝と決して嫌いでは無いのですが、どちらかというと何となく苦手で余り上方落語は聞いていないのですが、「どうらく落語」にも出て来るNHKの新人落語大賞は毎回注目していて、その中で当時はまだ二ツ目だった若手の実力派小痴楽師匠を知り、6年前の“500回突破記念”でのさん喬師匠と権太楼師匠始め、小痴楽師匠も二ツ目時代と真打ちになってからの二度来演された「松本落語会」で生落語を聴かせてもらいました。
NHKの新人落語大賞は二ツ目の若手落語家の登竜門でもあることから、そうした二ツ目の噺家が毎回登場する「まつぶん寄席」も興味を持って、スケジュールさえ合えば毎回の様に聴かせてもらっています(しかもありがたいことに、シルバー料金は500円というワンコインなんです!)。
 そのNHK新人落語大賞で二葉さんを聞いて、どちらかと云えば上方落語は苦手なのに、
 「あっ、この人ホンモノだ・・・面白い!」。
と個人的にも大いに感心したので、権太楼師匠を初めとする審査員全員の満点評価にはビックリしましたが、結果の大賞受賞は“我が意も得たり”で大いに納得出来ました。
そして後日、大賞受賞後の囲み取材で感想を聞かれ、今や“名言”でもある「ジジイども見たかぁ!!」と啖呵を切ったと知り、これまた大いに印象深く感じた次第です。イイじゃないですか、「その言やヨシ!」(*写真はオフィシャルサイトからお借りしました)。
しかも後で知ったのは、決して前年に審査員の権太楼師匠にボロクソ貶された(と本人は感じたらしいのですが)からではなく、前座からの修業時代に「女に落語は出来ないから座布団返しだけやっとけ!」とか「女に古典は無理や、新作だけやっとけばエエんや!」、と散々批判され続けて来たのが皆年寄りのオッサンばかりからで、云われる度に「今に見とれ!」という、そんな大阪の東住吉出身という“こてこて”の難波オンナの“ジジイども”への反骨芯から口に出た言葉だったとか。
彼女ばかりではありませんが、男社会だった落語家の世界でやって行くには、むしろそのくらいの気概が無いとやってはいけないでしょうから、大いに「その意気やヨシ!」ではないでしょうか。

 YouTubeで見ることが出来る、大賞受賞をきっかけに開催された、大阪朝日放送のABCラジオ主催の「桂二葉しごきの会」。この「しごきの会」は、若手が一度に3席ネタおろしするという、大変なもの。そして、しごき役として彼女の師匠である桂米二と同じ米朝一門の桂吉弥の両師匠で、ネタ出しは次の通りで、前座話でもある「味噌豆丁稚」、「幽霊の辻」、そして大ネタ「らくだ」。その本番の高座が始まって、
 「気ぃですよ!気ぃですけど、しごけるもんなら、しごいてみろ!」
と開口一番。そして、最初の一席目の「味噌豆」で、丁稚の定吉と旦那さんの演者のセリフを取り違えて途中を飛ばしてしまい、本人もすぐに気が付いて、少し間をおいて
 「あっ、・・・これ間違うてますネェ~。えらいこっちゃ!」。
そして戻した後で取り違えた本来の箇所に来て、ちゃんと喋ってから一言、
 「此処やがな!ホンマに・・・」
と、独り言のように呟いて、トチリさえ笑いに変えて大いに客席を沸かせます。ご本人もTwitterで書いていましたが、
 「一席目の途中で間違いに気ぃついた時は、ほんま心臓止まるかと思た!」
でも、それでちゃんと笑いを取る所が上方の噺家らしくて実にイイ!

 大賞受賞をきっかけに、関西のみならず東京のキー局でのレギュラー出演もしている今や超売れっ子ですが、YouTubeで幾つかその後?の高座を聞くと(限られたYouTubeでしか聞く機会がありませんので、聴くことが出来るネタは限られますし、以前に収録された高座が多いので、もしかすると取り越し苦労で実際は違うのかもしれませんが)、枕が毎回ほぼ同じ(近所の“悪ガキ”の男の子との無邪気なやりとり)なのが少々気になりました。
バラエティー番組のレギュラー出演も全国的な人気取りには大切なのかもしれませんが、“大きなお世話”ながら、むしろちゃんと落語の修業を積んで、権太楼師匠が言われた通りもっと持ちネタを増やして、“女流”という修飾語など一切関係無い上方落語の実力派の噺家になって欲しいと、他人事ながら心配し、また大いに「 期待してまーす!! 」
(そして願わくば、大阪はちょっと無理なので東京の定席で、いつか一度は生で聴いてみたいと思っています。)

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