カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 マンションに移って、二度目の開花となる今年のシンビジウム。
家内の実家のお義母さんが喜寿の時に貰ってお裾分けされたシンビジウムで、後に分結して分けた二鉢と、義母が世話を出来なくなったミルキーウェイという名前の別品種の合計三鉢を、家内が丹精込めて世話しています。
お義母さんの喜寿ですので、もう15年以上にもなりますが、世話の甲斐もあって毎年咲いてくれています。
二鉢のシンビジウムは毎年花を咲かせてくれるのですが、ただミルキーウェイは隔年か、3年に一度か・・・。一昨年は花が咲いたので、昨年は花芽が出なかったのですが、今年は5本も花芽を付けてくれました。

       (12月22日に一輪、29日に7輪開花)   
       (ミルキーウェイは1月6日に一輪、12日に8輪が開花)
 例年、冬になって12月前頃から花芽が出始めます。あまり寒いと花芽は寒さにやられてしまうので、以前は氷点下になる頃には玄関の中に入れていました。
一方、狭いマンションの玄関にはそんなスペースも無いので、いつもはベランダにおいてあり、花芽が出ると3鉢とも冬の間はリビングルームへ避難。
従来だと年が明けると徐々に先始め、4月くらいまでの3~4ヶ月間もの長い間目を楽しませてくれましたが、前の家の玄関よりマンションのリビングルームの方が遥かに暖かいので、花の期間は短いかもしれません。
確かに二鉢のシンビジウムは4月には花が終わってしまいましたが、ミルキーウェイはその後も花が茶色に変色することも無くピンクのまま咲き続け、5月の連休明けに東京に行っていて2週間の不在から戻っても、まだ咲いてくれていました。
そして、漸く5月20日に残った花を全部切って、今年の花は終了。そして、その花も花瓶に投げ活けて、6月初旬まで実に半年近くも楽しむことが出来ました。
            (2月22日、それぞれが満開を迎えました)
 以前、国内最大規模という「世界らん展」のTVでの紹介の中で、毎年ブースを出展するという華道家の假屋崎省吾氏が、「一般的に蘭は高価というイメージがあるが、咲いている期間がとても長いので、その期間の日数で割れば、花が楽しめる一日当たりのコストで考えると、むしろ他の花よりも安くなる位コスパが良い!」と仰っておられたのですが、まさにその通り!
しかも、例えば水の吸い上げが難しいバラなどに比べれば、ほっといてもイイくらいに手が掛かりません。我が家では全て家内が世話をしていますが、花芽が出て花茎が伸びてきたら、支柱で支えタイで何箇所か止めるくらい。あとは定期的な肥料と水やりでしょうか。
          (3月2日、蘭が満開の中で迎えた“桃の節句”)
 我が家のシンビジウムが初めて開花したのが、昨年の12月22日。二年ぶりに花芽が出てくれたミルキーウェイの最初の一輪が1月6日。そして、1月の中旬には何本かの花茎が満開になり始め、1月末にはどの鉢も見頃を迎えました。それから二鉢は4月まで。そして二年ぶりに花が咲いたミルキーウェイは6月10日頃まで実に5ヶ月間、本当に長い間、毎日の様に私たちの目を楽しませてくれました。
 (5月13日、最後のミルキーウェイとベランダで満開のクリスマスローズです)
 お疲れ様、また来年!ここは中国語の方が相応しく、投げ掛ける言葉は「再見!」でしょうか・・・。

 5月中旬に次女夫婦が松本に来て、美ヶ原温泉の“鄙の宿”「金宇館」に一泊しました。
我が家ではこちらの料理に感動して、昔から亡き父の法事の時も含めて何度か会食で利用させていただいていたのですが、「次の百年に向けて」という三年前の改装後は会食のみでの利用が出来なくなったことから、金宇館も懐石料理を目的に何度か宿泊でも利用させていただいている、地元松本では我が家イチオシの料理旅館です。
長女も「金宇館」のファンで、東京の友人の方と松本への女子旅などで使っています。因みに、その友人もとても気に入ったらしく、その後独りでも何度か泊まりに来ているそうです。
同様に次女夫婦も金宇館を大変気に入っていて、前回はお正月にNYに居る長女の婿殿がコロナ禍明けで久しぶりに来日し、正月休みに帰省してくれた次女夫婦も加わって、我が家の“新年会”を兼ねて全員集合で金宇館に泊まったのですが、この5月の中旬に婿殿の病院勤めの慰労と次女の育児疲れの骨休みに金宇館に泊まりたいとのこと(松本へ来れば、子供をジジババに見てもらえるという計算もありましょうが、“エエどこじゃない”とジジババの望むところ)。
客室が僅か9部屋しか無い金宇館では、小さな子が泊まれる部屋はその内の一部屋だけなので、家内が苦労して予約。何とかその部屋を確保出来たのですが、彼らと夕食を共にするためには泊まるしかないので、併せて我々も一緒に金宇館に宿泊することにしました。

 1歳半を過ぎた孫娘はとにかくじっとしていないので、特急電車での移動は周囲に気を使って却って疲れるだろうからと(家内が上京して東京で落ち合う時などは、混雑を避けるために娘は横浜から新幹線で東京に来て、しかも座席では周囲の迷惑になりそうなグズル時は、ずっとデッキで立って来ることもあるそうです。余談ながら、小さな子連れの若いママさんたちは皆さん大変な思いで子育てをしています)、横浜から八王子までの横浜線の移動は然程混まないので問題ないとのことなので、八王子からは気兼ね無く中央線の特急移動ではなくて車で移動すべくJR八王子駅へ車で送迎することにしました。
有難いことに孫娘が車の中でずっと寝てくれていたので、途中で起こさぬようにノンストップで運転し、チェックインタイムを見計らって3時過ぎに金宇館に到着することが出来ました。
私メは、コユキがマンションに居るので一旦家に戻り、コユキの夕飯を済ませてから再度6時頃に金宇館へ。先にお風呂に入ってから、少し遅らせて7時にお願いした夕食会場へ。前回我が家専用で使わせていただいた二階の個室ダイニングは、今回は残念ながら先約があり、他のお客さんと一緒に一階のメインダイニングで戴きました。

 この日の夕食は、季節柄、この時期の旬の食材である地物産の山菜尽くしで、大変繊細な味付けの懐石料理でした。この日も一品ずつしっかり説明してくれたのですが、今回もウラ覚えにつき、もし間違っていたらご容赦ください。
先ず最初に鰆子(魚卵)と山菜ウドブキ(信州では独活蕗と呼ぶのだそうですが、全国的にはイヌドウナという山菜)のお浸し、稚鮎の唐揚げ。
そして八寸風にタラの芽、こしあぶら、ワラビなど、それぞれ白和えや味噌和え、お浸しなどと味を変えた山菜尽くし。それと稚鮎の甘露煮、ネギを巻いた鴨肉、海老真薯(しんじょ)を挟んで揚げたソラマメ。
椀物はホンビノスかと見紛う程大きなハマグリのお吸い物(千切りの独活が添えられて)。
お造りはシナノユキマス(信濃雪鱒)。焼き物が鰆に新玉ネギの摺りおろしソース、更には揚げた白髪ネギを載せてひき肉を中に詰めて揚げたジャガイモ団子にこしあぶらの餡掛け、信州牛の炊き合わせ、〆に桜エビとこしあぶらの混ぜご飯にお味噌汁。香の物で白菜の浅漬け。デザートは生姜のアイスクリーム。お酒は松本のクラフトビールと大雪渓の純米生原酒。
皆で代わる代わる孫娘の世話をしながらで、なかなか同じタイミングで食べ切ることが難しい我々ですが、次の品のサーブも(当然調理も)どこかで見ているかの様に気を使いながら、一品毎完璧なタイミングで出していただきました。
孫を交替であやしながら、何とか良い子でいてくれて無事に食べ終わることが出来ました。でも、時にはキャッキャと声も出たので、食事が終わって席を立つ時に、まだ食後の談笑をされていた関西から来られたという他のお客さんの高齢者のグループに、娘が「お騒がせしてスイマセンでした」と挨拶をしているのを見て、いつもそうやって周囲に気を使っているんだろうと、彼女に限らず若いお母さん方の大変さを垣間見た思いがしました。

今回も満足の食事が終わり、一泊二食での宿泊料金を勿論払ってはいるのですが、私だけは金宇館には泊まらずに家内に送ってもらってマンションへ戻ります。
ナナが居ればですが、保護犬故に臆病なコユキだけを(車に乗るだけで、一体今度はどこに連れて行かれるのかと、暫くはブルブルと震えが止まらなくなります)暗い夜に独りで留守番させるのは忍びないので、コユキ的には家内の方が遥かに嬉しいのでしょうけれど、まぁ、そこは勘弁してもらって今夜は私メと一緒です。
 翌朝、散歩をしてからコユキにご飯をあげて、月一度の資源ゴミを出してから6時には金宇館へ戻り、せっかくですので食事前にゆっくりと朝風呂へ。
その後、同じ食事処での朝食。他のお客さんは8時からだそうですが、我々はゆっくりと8時半にお願いしました。
朝食は、いつも通りで、安曇野産コシヒカリが木製(木曽のさわらか桧)のお櫃に入れられて。そして、これまた各々個人毎にお膳に載ったオカズが六鉢。
左上から順番に、厚揚げと大根の煮物、身欠き鰊、山形村産の長芋のとろろ汁、ホウレンソウの生姜風味のお浸し、切り干し大根の煮物、香の物でキュウリとカブの糠漬け。お揚げとコゴミのお味噌汁。最後に温かな餡かけ湯葉と食後のデザートに、フルーツでイチゴとメロン。
自分の分は、イチゴが大好きな孫娘へ。すると、イチゴに目が無いという孫用に、ご主人が別にイチゴをサービスしてくださいました。
 他のお客さんは、松本や安曇野の観光に行かれるのか、皆さん10時前にはチェックアウトされましたが、金宇館は11時がチェックアウトタイムなので、あくせく観光せずにノンビリしたい人にもお薦めです。
朝食後、皆はお風呂に入るというので、私は独りチェックアウトまでのんびりと金宇館の“時間”を楽しみます。
この日も、城下工業製Sound Warriorの真空アンプと、天井に吊り下げられたSonihouseというメーカーの多面体の無指向性スピーカーSightからSmooth Jazzが流れるラウンジで、セルフサービスのコーヒーマシンで淹れた丸山珈琲を飲みながら、中庭を眺めつつ暫し休憩です。お風呂場へ向かう廊下に面した坪庭では、エゴノキがちょうど満開。
そして館内のあちこちに置かれた生け花と、ご主人がファンで集められたという沢田英男の小さな木彫りの像。
創業以来経過して来た百年を大事にしながら次の百年を目指して改装したという、金宇館のコンセプトは“時と泊まる”。
館内や客室の投げ活けや什器に至るまで、静かに、時に雄弁に、それぞれの“時”をさり気無く語り掛けてくれているかの様に感じます。
 10時半、ご主人と若女将に見送られて我々もチェックアウト。
お目当ての食事は勿論ですが、娘たちもノンビリ出来た様で、今回の金宇館も大満足でした。本当は連泊出来れば良いのですが、婿殿は仕事があるので止むを得ません。また来れば良いでしょう。
我々は特に予定も無かったのですが、この日は快晴で北アルプスもくっきりと見えていたので、娘夫婦の希望でアルプス公園をノンビリ孫と散策してから帰ることにしました。

 お陰さまで、地元の松本で孫と一緒にノンビリと“プチ旅行”気分を味わうことができました。

 東京滞在中のランチで、奥さまは近所に幾つか美味しいベーカリーがあるからと、有難いことに買って来たパンで済ませることが時々あり、そんな時に私メは(まさにシメシメと)独りでしか食べられないラーメンを食べに行くのです。
(前話の通りインド料理はまた一緒に食べられる様になったのですが、ラーメンだけは、上諏訪の「ハルピンラーメン」の松本店が昔松本駅の北隣にあって結婚前に一度食べに行ったのですが、油まみれのお世辞にもキレイとは言い難い狭いカウンターだけの店で、以降ラーメンデートは断固拒否!・・・ナンでかなぁ?美味しいのに・・・。
因みに、この「ハルピンラーメン」は当時上諏訪駅の近くの並木通りに在って、諏訪勤務時代に飲んだ後の〆の定番でした。しかし、その後経営者が替わり、郊外に移転してしまいました。その「ハルピンラーメン」松本店も、暖簾分けか姉妹店だったのか分かりませんが、すぐに閉店。そして10年程前に、実に30年ぶりに松本市並柳に松本店が復活しました。)

 ラーメンでのこの界隈での選択肢としては、10分ちょっと歩けば前回行った「新福菜館」が麻布十番に在るのですが、せっかくなので今回は神谷町界隈で別の店を探してみることにしました。
地下鉄神谷町駅のすぐ近くには、以前娘が「安くて美味しいヨ!」と教えてくれた「天雷軒」というラーメン屋さんが在って、ランチタイムは常に10人以上が行列している人気店です。こちらのラーメンは、どちらかというと女性が好みそうな今風でオシャレなラーメン(因みに、某有名ミュージシャンがプロデュースのラーメン屋さんらしい)で実際に女性客も多いので、娘と一緒ならともかくオッサン独りで並ぶ勇気がなく諦め。

 虎ノ門から神谷町界隈はオフィス街なので、平日の昼食時は所謂“サラメシ”を求める人たちでどこも混雑していて(そのため企業に合わせて土日休みの飲食店が多く、長女曰く、住んでいる人は逆に土日は“ランチ難民”となるので、場所を探すのに苦労するのだそうです)、このラーメン店だけでなく人気店はどこも行列で、しかも麻布台ヒルズの建設に従事しているたくさんの作業員の人たちも交代で昼食に出られるので、コスパの良い定食屋さんやラーメン店などは更に混雑に拍車をかけています。しかし都会で羨ましい(=有難い)のは、所謂“ピンキリ”で、高級ランチから立ち食いソバや牛丼チェーンまで実に選択肢が豊富なところではないでしょうか。

 そんな神谷町界隈でネット検索して見つけたのが、飯倉交差点からすぐの「めん蔵」と云うラーメン屋さん。「めんぞう」ではなく「めんくら」だそうで、暖簾には店名の他に「西山ラーメン」と染め抜かられ、店の前には「西山製麺」の幟もありましたので、どうやら札幌ラーメンの店の様です。
初めて伺った時が1時半頃で昼時間を過ぎていたせいか、お客さんが一人だけ。店内は狭いコの字型のカウンターのみで10席程でしょうか。失礼ながら、些か古びていて、しかもカウンターには灰皿が置かれていて、今どき珍しく店内喫煙OKなので、入り辛いのか女性客はいません(多分・・・)。
基本のメニューは、味噌、塩、醤油に、鉄火と田舎というのもありました。札幌ラーメンなら基本は味噌かもしれませんが、自身の嗜好が醤油一択なので、ここは醤油ラーメン(700円)をオーダー。
「ハイヨ~、醤油ね~♪」という、何とも言えぬ飄々とした独特な雰囲気のマスターです。客が少ないこともあってか、調理が終わって暇な時間は厨房内で座って文庫本を読んでいました。何だか、ラーメン屋のオヤジさんには見えません(これでもし哲学書でも読んでいたら昔の“山男風”でむしろピッタリなのですが、そうでは無さそうでした)。
 カウンター越しに出された醤油ラーメンは、新福菜館の様な真っ黒なスープ。二枚の豚バラチャーシュー、半分の固ゆで卵、メンマに刻みネギ。
西山製麺の中太の縮れ麺に真っ黒なスープが良く絡みます。そのスープは豚バラを煮込んだタレに魚介ベースの様ですが、意外とアッサリでしょっぱくありません。ただ新福菜館のスープの方が旨味はあったように思います。何となく、長野市の“屋台ラーメン”「ふくや」のスープに似ている気がしました。というのも、最初の一口はイマイチに感じるのですが、飲むうちに段々美味しくなってクセになるような・・・、そんなスープなのです。
トッピングされた豚バラのチャーシューは「チャーシュー麺で食べたい!」と思わせる程に、ホロホロで絶品!タレが染みていて実に美味。
あっという間にスープも飲み干して、完食!何だか麺が少なく感じられる程で、これなら大盛りでも良かったかも・・・・。

 そこで東京最後の日。この日も奥さまは朝食を食べに行った欅坂のベーカリーカフェで昼食用に買ったパンがあるとのことで、私メは有難く独りで再度「めん蔵」へ行かせていただくことにしました。
今回はせっかくなので、醤油ラーメン(700円)を大盛りにして、更にチャーシューを追加でトッピング。
この「めん蔵」は、ナント大盛りが+100円、チャーシュー追加もたったの+100円。何だか申し訳ないくらいです。
そして、ランチタイムでしたが、東京の思い出に(理由は何でもイイのですが)生ビールも追加しちゃいました。グラスよりも大きめで、「中」よりは小さめのジョッキの生ビールで、こちらもナント200円!という安さ。
ただ大盛りにした麺の量も美味しさ故か、それ程とは感じません。この「めん蔵」の醤油ラーメン、その独特のスープもですが、何と言ってもホロホロのチャーシューが美味!イチオシです。しかも、それがたったの100円で追加出来るなんて、イヤ、もう拍手しかありません。
この日は既に1時を過ぎていたのですが、作業員の方々の交替でのランチか食べている間ずっと満席で、しかも次から次へと代わる代わる入店する混雑ぶり(失礼ながら、珍しく?女性のお客さんもお一人来られました)で、前回はマスター一人だけだったのが、今回マスターは調理に集中し、もう一人のスタッフが配膳から片付け、レジ対応を手伝っていました。
完食し、スープもほぼ飲み尽くして、満足満足でお腹も満腹!新しいお客さんがちょうど来られたので、すぐに立って席を空けました。
 「どうも、ごちそうさまでした!」

 麻布台界隈のラーメン。今度また来る機会があったら、一度は神谷町で人気の「天雷軒」を試してみたいと思いますが、今では行く機会の無くなった長野市の「ふくや」を彷彿させてくれる、この「めん蔵」も捨てがたい。でも、やっぱり今度は麻布十番の「新福菜館」の半チャンラーメンかなぁ・・・。うーん、(今度がいつになるか分かりませんので、暫くは考えるだけの)嬉しい悩みです。

 婿殿が病院当直の日、次女が孫を連れて横浜から東京へ来てくれました。
この日も新幹線で横浜から東京に来て、そこから予約してくれていた“母の日のお祝い”でのランチ会場の麻布十番へタクシーで。聞けば、横浜から東京は10数分とはいえ、ぐずり始めたので、席は確保していたものの結局座らずにデッキであやしていたのだとか。
今回の会場が高級店なので「母の日と父の日を纏めてで、お願い!」という前提で、次女が予約してくれてあったのは“ミシュラン一つ星獲得”という中華料理の名店(後で長女が言うには、コンサル時代でも接待でしか使ったことの無い超有名店だそうです)、麻布十番「中国飯店 富麗華」。
しかも孫が居るので、食事中に騒いでも良い様にわざわざ個室を予約済みとのこと(お陰で、孫娘が飽きて時々走り回っても、皆で代わる代わる相手をしながら安心して食べることが出来ました。また、部屋から眺める外の植え込みスペースに御影石をくり抜いた水槽が置いてあって、孫娘が窓越しに中で泳いでいた金魚を眺めて喜んでいて、お陰で飽きずに過ごすことが出来ました)。

個人的には、次女が羽田勤務で糀谷に住んでいた時に、何度か食べに行った羽根つき餃子で有名な蒲田の中華の美味しかったレバニラが忘れられないので、所謂“町中華”でも十分なのですが・・・、本当にオカタジケです。
 「中國飯店 富麗華」、こちらはお店の説明曰く、「伝統の上海料理と洗練された広東料理の融合」した、ミシュラン獲得の中華料理店とのこと。
もしかすると嫌味に聞こえてしまうかもしれませんが決して自慢では無く、我が家はシンガポールで本当に美味しい中華料理(実際は「中華料理」というジャンルは現地にはなく、広東料理、四川料理と呼ぶ様に、上海、北京を加えた中国四大料理、更には日本ではあまり見掛けませんが、東南アジアへ多く移民した中国人の故郷の福建料理や潮州料理、他にも台湾料理と、それぞれが確立された個別の料理ジャンルです)を食べて来ているので、他にも現地で家族で良く食べたタイやベトナムのアジア料理と中華料理、そして私メの好きな北インド料理に関しては、或る意味不幸なこと(例えば、昔テレ東のグルメ選手権番組で優勝したという松本の評判の良い中華店も現地の味とは比べ物にならず、二度と行きません)に、かなり舌が肥えてしまっています。特に幼少期に本場でそれらを食べて来た娘たちは、それまでそんな料理を食べたことも無かった私たちよりも、その影響は更に顕著かもしれません。
そうかと言って、現地で高級店ばかりで食べていた訳では全くありません。例えば中華では、住んでいたコンドミニアムの近くのニュートン・サーカスに在ったホーカーセンター(屋台街)から蟹、肉、野菜の炒めモノとチャーハンなど毎回4~5品をテイクアウトして来て、家で食べることが多かったのですが、その屋台の店は本当にどれも美味しくてホテルの一流レストランにも決して負けない味でした。
余談ですが、因みにその屋台は40代くらいの中国人男性が一人で切り盛りしていましたが、ちゃんと英語でも注文OK。
しかし、「観光客相手のニュートンのホーカーは二重価格だから気をつけろ!」という噂だったので、初めて買いに行った時に中国語のメニューも見たいと言ったら、「大丈夫、値段は一緒だよ!」と笑いながら見せてくれましたっけ・・・。記憶不確かながら、「〇東記」という風な店名だった様な・・・。あれだけの味でしたので、もしかするとシンガポールのどこかで自身の独立店を構えて、有名レストランになっているかもしれません。
 さて、「富麗華」のランチのコース料理は6千円台から4万円台まである様ですが、個室利用の場合はランチでの一人当たりの最低額が飲み物代を含まず一人1200円と決まっていて、もしそれ以下だった場合は差額がチャージされるとのこと。従って、その金額を超える様に頼んだ方が得策です。
そこで我々のチョイスは、コース料理ではなく食べたいものだけを一品料理のメニューの中から選ぶことにしました。
先ずは、前菜代わりにシンガポールでも定番だったカンコン(空心菜)、トウミャオ(豆菜)のそれぞれオイスターソース炒めとガーリック炒め。そしてランチなので、点心で海老蒸し餃子と店の名物という小籠包に懐かしいチャーシュー包も。
スープは(さすがに現地の様な姿煮は無理ですが)フカヒレと衣笠茸のスープ。更にメインディッシュ風に、「富麗華」の名物(どのコース料理にも必ず入っていました)という北京ダック(半身+1/4身)、それとシンガポールで住んでいたコンドミニアムの近くに在ったニュートン・ホーカーセンターの屋台からチリクラブなどと一緒にテイクアウトして良く食べていたビーフの黒コショウ炒め。そして最後の〆として、ネギの汁蕎麦。デザートには、これまた懐かしいゴマ団子とマンゴプディング・・・という選択です。
本当はシンガポールでは広東料理のコースの定番だったガルーパ(ハタの一種)の「清蒸石班」もメニューにはあったのですが、値段が「時価」だったので怖くて諦めました。
(この魚料理は、ガルーパの淡白な白身も勿論美味なのですが、この汁を掛けて食べる“猫マンマ”がとにかく絶品!・・・でした)
 サーブ順をお願いした通り、先ずは野菜料理から。
こちらでは、シンガポールの様に大皿で運ばれて来てその場で取り分けるのではなく、最初から各人向けに小皿に盛られて出て来ます。そのため最初の分量が掴めないのが視覚的(目でも食べる)には少々残念でした。
特に北京ダックは、シンガポールだとその場でローストされたダックをスタッフがナイフで薄皮に削って大皿に盛って行き、その後、各人が自分で薄皮にダックの皮と細切りにされたネギとキュウリを載せて、そこに甘目のタレを付けてクルクル巻いて食べるのですが、こちらでは一応オーダーしたダックをお皿に載せて客人に見せてからまた厨房に持ち帰り、全て調理して食べるばかりにしてからサーブしてくれます。
味は変わらずとも目でも味わうという意味では、目の前で薄皮を削る(肉を付けて厚く削る方が楽ですが、パリパリする食感を楽しむために、皮だけを如何に薄く削るかもその店の腕の見せ処)パフォーマンスや、手慣れたスタッフの方に比べれば些か不格好ではあっても、自分で包むという楽しみ(面倒に感じる人もいるかもしれませんが)が感じられずに勿体無いなぁ・・・と感じた次第。勿論、味はさすが!ではありましたが・・・。因みに、シンガポールでは北京ダックの肉をどうするかを客に聞いてくれるので、焼きそばの具にしてもらってコースの締めに焼きそば(炒麺)で食べていました(勿論、お好みで炒飯にしてもらうことも可能でした)。そうでないと勿体無い!炒麺の場合、具は勿論北京ダックの身(肉)だけではなく、黄ニラと組み合わせる店が多かった様に記憶しています。
 さて、話は前後しますが、野菜はどれも優しい味付け(但し味付けは、現地に比べると日本人向けでしたが・・・)。海老蒸し餃子もプッリプリ!小籠包も皮が破れずスープもたっぷりで、次女は今まで食べた小籠包の中では最高!と絶賛していました。
フカヒレがたっぷり入ったスープも、決してスープの主張が尖らずに優しい味。懐かしいビーフの黒コショウ炒めも、さすがは和牛の柔らかさ。
ニュートン・ホーカーセンターの屋台からテイクアウト(最初の頃、一度ホーカーセンターでも食べたのですが、オープンエアの蚊に皆閉口し、以来屋台で食べるのは拒否されました)していたあの味を思い出しました。
〆のデザートまで含めて、シンガポールを思い出すようなどれも本格的な味でした(但し、当時のシンガポールの中華のレストランでは、広東料理の本場香港からシェフを招聘していることを自慢している店や、香港の有名店のシンガポール店もありましたので、その意味で確かに“食は広州に在り”なのかもしれません)。
 少なくとも信州の中華料理店では食べられない本格中華。と云うのも、地元松本にも、例えば嘗て池波正太郎が絶賛した中華料理店の味を引き継いだ人気店などもあるのですが、残念ながらどこも日本人向けにアレンジされた味付けになってしまっています。
ただ、嘗て自宅から近い深志高校裏(というバス停のすぐ近く)に在り、松本で唯一現地の味に近くて家族皆が大好きだった「チャイナ・スパイス」(香港へ赴任経験のある会社の同僚たちも、“同窓会”として現地の味を懐かしんで、わざわざ諏訪や塩尻からも食べに来ていました)という中国人のご夫婦が営む薬膳中華の店があったのですが、残念ながら閉店してしまいました(その後再開した店も再度移転して、現在は春巻きと中華おこわ二品だけでのテイクアウト専門店とのこと)。
ですので、コース風に本格的な中華料理を食べるのは、もしかするとシンガポール以来なのかもしれません。しかしそのシンガポールでは、さすがに点心(飲茶)だけは庶民的な大衆店もある香港とは異なり、当時はグッドウッドパークなどのホテルの一流レストランでないと食べられませんでしたが、中華のコース料理ではなく一品料理であれば、必ずしも当時一番人気だった広東料理のレイガーデンやシャンパレスの様な高級店でなくても、所謂“ピンキリ”での選択肢があって、さすがに干しアワビやフカヒレなどの高級食材の入るコース料理は無理でも、“この料理に限れば”・・・ですが、現地のホーカーの屋台でも食べることが出来た本場の味でした。
しかしそんな現地の味は、日本ではやはり値段次第でしか味わうことが出来ないのかもしれません。
次女曰く、「予算上、今年は“母の日+父の日=富麗華”でご勘弁」とのことですが、結果、支払い額は個室利用の最低限度額×人数分を軽く(遥かに)超えたらしいのです・・・。

 おかげで、三人して皆口々に、「こんな本格的で美味しい中華、本当にシンガポール以来だったね!」。
味は勿論ですが、スタッフの皆さん(主に我々を担当してくれたのは、若い中国人の笑顔が優しい男性スタッフでした)のサービス、接遇や応対も、入店した時から店を出るまで、さすがは“ミシュラン”獲得店でした。
いくら“母の日+父の日”とはいえ、本当にオカタジケで恐縮至極。ごちそうさまでした。

 前話のシンガポール料理もそうなのですが、せっかくの東京なので信州ではなかなか食べられないジャンルのAsian Foodを!・・・となると、それは北インド料理です。しかも信州でも割と多いネパールの人が作るインド料理ではなく、正真正銘のインド人のシェフが作るホンモノのインド料理・・・です。
因みに、日本人である我々はインドカレーと言いがちですが、インド料理は決してカレーだけではありません。
今や“国民食”とまで云われる日本のカレーは、洋風料理のシチューやクリームスープの様に、明治になってイギリスから伝わった「小麦粉を炒めてトロミを付ける“英国風カレー”」です。しかも英語のCurryという言葉は“大航海時代”にイギリスが名付けたモノで、語源はインド南部でソースや汁を表すタミール語のカリ(Kari)から転じたという説が有力なのだそうです。従って、インドには本来カレー(Curry)という言葉(料理)はありません。
(以上、後述する先輩がシンガポールに送ってくれた、日本のカレーの歴史を書いた本で知った知識です)
最近東京では南インド料理の店が人気で増えていますが、個人的にはお米が主食でカリー(カレーと書くと、どうしても日本の“国民食”であるハウスやSBのカレーをイメージしてしまうので、区別するために敢えて“カリー”とします)もスープ状の南インド料理ではなく、インド料理ではやはりマハラジャの宮廷料理で用いられるタンドール釜に代表される、カリー自体も南に比べてとろみのある北インド料理の方が断然好みです。

 六本木や虎ノ門方面に歩いていると、「あっ、こんな所に」と思う程、小さなインド料理店が在ったりするのですが、神谷町界隈で調べてみると、評価が高かったインド料理店は二つありました。
一つは人気店でしたが、ランチタイムはバイキング形式なので我々年寄り夫婦はそれ程食べられないでしょうし、しかも専門はどうやら南インド料理の様なので、もう一つの店の方に行くことにしました。
その店は、メインの通りから一本奥に入った通りの、正則学園の対面に在る「ラージャ」というインド料理店。
店の外観から内装まで、インドらしい原色でカラーリングされていました。店内では“ボリウッド映画”がTVで放映されていて、12時前に入ったらお客さんは一組だけ。その後12時を過ぎると、インド人と思しき青年や会社員の方々など、満席にはなりませんでしたが結構込み合いました。
 お得なランチセットがあるようなので、その中からセットメニューのAとBをチョイス。Aセット(890円)はインドカリーが一種類、B(1050円)が二種類で、それぞれミニサラダとドリンクが付き、主食はライスかナンが選べて、どちらもお代わり自由の食べ放題とのこと。カリーは、二種類のBセットは小さめのボールで。一種類のAセットは大きめのお皿に入ってきます。
ランチタイムのカリーは6種類に限定されていて、あまり多くはありません。Aセットの家内は、ホウレンソウのカリー、Bの私はチキンと野菜をチョイス。辛さを聞かれるので、私は中辛でお願いしました。そしてタンドール釜があるので、単品メニューでタンドーリチキン(1個200円だったか?)も注文。他にも、メニューには骨なしのチキンティカやインドの揚げ餃子のサモサもありました。
 タンドーリチキンの味付けは本格派で、シンガポールで食べた味に近い感じです。松本の「DOON食堂インド山」も、この信州の田舎で食べられるのは本当に“奇跡”と思えるくらい本格的なインドの味(店主のインド人のアシシュさんの“お袋の味”で、実家のお母さんが調合したスパイスそのままで、変に日本人向けにアレンジしていない)なのですが、残念ながら“北インドの家庭料理”故に(一般家庭には)タンドール釜は無いので、ナンも勿論ですが、タンドーリチキンを食べるのは本当に久しぶりです。
因みに、奥さまは昔松本のインド料理店(既に閉店)で食べて胃をこわし、以来インド料理が苦手でしたが、「DOON食堂インド山」で食べてからはインド料理がまた食べられるようになりました(アシシュさんに以前その話をしたら、「インド料理で使うココナッツオイルやピーナッツオイルが、もし質が悪い物を使っていると日本人の胃には時々合わないことがある」と言われていました。
その後東京でも、長女が連れて行ってくれた虎ノ門ヒルズの南インド料理店「エリック・サウス」(後で知ったのですが、都内に数店舗を構える有名店でした)を家内が絶賛していましたので、改めて二人でインド料理が食べられるきっかけになった「インド山」には感謝!です)。
シンガポールで毎月一二度、北インド料理を(今は無き名店「モティ・マハール」へ)、同じインド料理好きだった赴任者の後輩と二人で食べに行くことが多かったのですが、食べる時は決まって先ず前菜的にタンドーリチキンと何種類かのサモサ(謂わばインドの揚げ餃子)を頼み、カリーにはライスではなく専らプレーンとガーリックのナン一辺倒で、チキン、マトン、プラウン、野菜は二種類といつも5種類程頼んだカリーをちぎったナンに付けて食べていました。
同じ食材一つでも色々な種類のカリー(但しメニューにCurryという表記はされていません)があるのですが、我々はメニューを見ても“〇〇マサラ”と言われても全く分からないのですが、さすがに我々も馴染みの常連客になっていましたので、チキンやプラウンなどと食べたい食材を伝えるだけで、後のチョイスと辛さはいつもマスターにお任せしていましたが、どれが出て来ても常に絶品でした。
しかし「モティ・マハール」は決して高級店では無く値段もリーズナブルで、或る意味安っぽく見える様な現地風の内装でした(特に昔の現地風のトイレは、日本からの出張者や旅行者には抵抗感があったかもしれません)ので、時々白人客はいても私たち以外の日本人客は見たことがありませんでした(一度出張者を自腹で接待するために連れて行ったら、「こんな店に連れて来て」と文句を言われましたっけ・・・。逆に味に感動して、帰国後に日本のカレーの歴史が掛かれた本を送ってくれた先輩もいました)。
因みに、今やシンガポールの名物料理の一つとなったフィッシュヘッドカレー(Fish Head Curry)がありますが、これは港で捨てられる大きな魚の頭が勿体無いと、インド人労働者が南インド風に調理したシンガポール独特の料理。現地では「バナナリーフ・アポロ」が有名店でしたが、純粋な北インド料理ではないので、私は一度も食べたことはありませんでした。
 こちら「ラージャ」のランチタイムのナンはプレーンですが、結構大きくて女性ならこれ一枚で十分。他のテーブルを見る限り、ライスはどうやらターメリックライスの様です。最初にミニサラダが出て来て、日本のどのインド料理店でも定番と思しき、人参ベースと思われる定番のオレンジ色のドレッシングが掛かっています。
途中でナンの追加をお願いすると、お店のスタッフからは半分の大きさじゃなくて大丈夫か(暗に、本当に全部食べ切れるのか?)と言われましたが、勿論普通の大きさのナンを追加でオーダーして、家内のホウレンソウ含めカリーは全てキレイに平らげました。ただ、今回もカリー自体はもう一つでした。
 帰任後にこれまで何度か北インド料理を食べた東京や、またインドのチェンナイからバンガロールを経てムンバイへも出張したこともあるのですが(ホテルでの朝食を除き、昼夜毎回“インド料理”。きっと現地のローカルスタッフが気を使って、その地の評判店へ連れて行ってくれた筈ですが)、シンガポールで食べた以上の北インド料理には残念ながら今まで出会えてはいません。
今となっては“幻”の、あのシンガポールの「モティ・マハール」に負けない北インド料理のレストラン、どこかに無いのかなぁ・・・?

 蛇足ながら弁解がましく言えば、店毎にスパイスの調合は異なり、むしろそれがその店の個性であってウリなのでしょうから、要するにその店のスパイス調合が自分の嗜好に合うかどうかなのかもしれません。
つまり自分にとっては、初めてインド料理の美味しさに目覚めさせてくれた、“あの”「モティ・マハール」の味の記憶がそれだけ鮮烈であって、その絶対的な記憶を自分の舌がどうしても忘れられないだけなのかもしれません。

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