カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
日本列島が猛暑続きとなった、今年の盛夏。
この間、少し長期で東京に滞在する必要があり、その滞在中に食べて印象に残ったグルメを幾つか紹介したいと思います。
但し我々は年金生活者ですので、決してセレブ御用達といった様な高級店ではなく、飽くまで庶民的で美味しいと評判の人気店や料理が中心です。
先ずは、東京ミッドタウン六本木のカジュアルなレストランやショップが集結する、地下一階の飲食店街「ガレリア」から。
各店舗との間の仕切りはありますが、半オープンなレストランが通路を挟んで両サイドに軒を連ねます。通路からは店内が丸見えの店が多いので、中にはテイクアウトがメインなのか、人が歩いている通路のすぐ横にイートイン・スペース用のテーブルがあって、一応通路との擦りガラスの間仕切りがあるものの、見ようとしなくても食事中の人が視界に入ってしまう様な小さな店もありますので、もしかすると気になる人もいるかもしれません。その場合は、上階の「ガーデンテラス」に行けば高級店(?)が並んでいます。
このB1のレストラン街の中で、唯一(?多分)開店前から行列を作っているのが、日本橋「つじ半」です。そのH/Pに依れば、
『日本橋で大行列の一杯で二度三度おいしい「ぜいたく丼」をもっと多くの人に召し上がって頂きたい!!どうぞつじ半のぜいたく丼を存分にお楽しみください。店名の「つじ半」とは、「つじ田」創業者でラーメン業界のつけ麺風雲児、辻田雄大と「日本橋 金子半之助」創業者の金子真也が力を合わせ作り上げた丼から辻田の「つじ」と半之助の「半」を取り、この名を名付けた。北海道最大手水産大卸会社キョクイチと組んで実現した究極の海鮮丼専門店』の由。
こちらの飲食店街は11時開店とのことで、勿論他にも幾つか人気店はあるのですが、12時前に着いた時に二三の店を除くと他の店は未だそれ程混んではいなかったのですが、この「つじ半」だけはもう結構長い行列が出来ていました。この日は平日でオフィス勤めの方々のランチタイムはまだですので、並んでおられるのは、我々の様なシニアのカップルを除けば殆どは港区女子と思しきマダムの方々。これが田舎だと、もし人がたくさん並んでいたら「じゃあまた今度にして、今日は他に行こうか!?」となるのですが、都会の方々は我慢強いのか、或いは“むしろ並ぶこと自体が好きで楽しんでいる”のではないか?・・・とさえ勘ぐってしまいます。
さて、並ぶこと20分以上(・・・と、ずっと並んでいてくれたのは奥さまで、私メはその間を使って“お上りさん”宜しくこのフロアを探索してきました)で、漸く我々の順番になりました。
どうやら仕切られた奥に厨房がある様ですが、狭い店内は丼の盛り付けなどの対応をするキッチンを囲んで、僅か10席足らずのL字型カウンター席のみ。
こちらの店のランチメニューは、「ぜいたく丼」と名付けられた海鮮丼一本。トッピングするネタの種類によって、松・竹・梅、更に特上とグレードが4つに分かれていて、更にそこにお好みでトッピングを追加することが出来ます。
メニューの記載によると、スタンダードの「梅」が、まぐろ、中落ち、いか、数の子、つぶ貝、ミル貝、海老、いくら、きゅうり、ネギがざっくりと混ぜ合わされていて、グレードによって、その基本の梅に、いくら、かに、ウニが増量されます。更にどの丼にも鯛の刺身が4切れ別皿で提供され、その内の2枚は残しておいて、最後の出汁茶漬け用に使うべしとのこと。“一杯で二度楽しむ・・・云々”とは、そのことを指しています。
我々のオーダーは、二人共いくらが好きではないので、基本の「梅」(1250円)にカニの剥き身をトッピングで増量(+400円)しました。
最初に黄身醤油と先述の鯛の刺身、それと漬物が目の前のカウンター出されますので、先ずは醤油(黄身と土佐醤油の合わせ醤油)に丼のワサビを溶いて海鮮の山に掛け、少しずつ崩しながら食べ進めます。
確かにネタがどれも新鮮で美味しい。これで十分なのですが、丼のご飯が1/3くらいになった所で、板前さんに頼んで出汁をお願いして、残しておいた鯛の刺身を丼に載せて熱い出汁を掛け、出汁茶漬けにしていただきます。私メは海鮮丼が美味しくて最初から追加するつもりでかなり食べてあったので、ご飯の追加をお願いしました。
濃厚豚骨魚介つけ麺がウリの「つじ田」とのコラボとのことなので、当然なのかもしれませんが、結構濃い目の出汁。個人的には、むしろ成田空港と新宿駅のルミネの「えん」で食べた、もう少しあっさりした鯛茶漬けの方が好みですが、奥さまは出汁茶漬けも絶賛していましたので「そりゃ何より!」。
蛇足ながら、食べ終わってみての感想です。
次女の様にいくらが好きな方は、他のネタと二つ併せてトッピングで追加するよりも「竹」の方がお得ですが、そうでない方は別に見栄を張らずに、基本の「梅」で十分だと思いました。
この東京ミッドタウンそのものですが、周辺がオフィス街ということもあり、どの店もランチ用のテイクアウトにも力を入れていて、この「つじ半」も同様に店の一角にコーナーを設けていて、テイクアウトメニューもいくつかもあり(海鮮丼も蓋付きのカップで茶漬け用の出汁も別に用意されていて、テイクアウトが出来るようです)、その中でもギンダラの煮付け弁当とギンダラの西京焼き弁当がとても美味しそうでした。今度機会があったらぜひ買ってみたいと思います。
ところで気になったのは、ランチタイムはテイクアウトの人たちも常時10人以上が順番待ちで、会計はレジが一つしか無く、食べ終わった飲食の客はテイクアウトの順番待ちの行列の一番後ろに並ぶ様に指示されます。狭いショップスペースなので止むを得ないのでしょうが、食べるのに行列して、更に食べた後の支払いでまた並ぶ・・・。食べた後の満足感が何だか少し削がれてしまう気がして・・・。
我が酒飲みの師にして高校の先輩でもある“居酒屋評論家”太田和彦センセの云うところの、良い居酒屋の条件“いい人、いい酒、いい肴”的に云えば、外食での満足感もその料理だけでは決して無い筈。
(年寄りは?/田舎の人間は?)せっかちと言われればそれまでですが、せっかくの料理でしたので、何か工夫出来ないのだろうか・・・と感じた次第。
ただ、もし「その分、値上げせにず頑張ってます」と言われたらそれまでですが・・・。とすれば、客側の防衛策としては、テイクアウトのお客さんが並ぶランチタイムを避けるしか無いのかもしれません・・・。
古いターンテーブルが復活し、最近久し振りに聴いた懐かしいLPレコード。
その中でも、特にチューリップのある意味第1期とも言える、デビューしてから5年間の全シングルレ12枚の曲を全て収めた2枚組のLP「チューリップ・ガーデン」(1977年)を、その後も暫く毎日の様に聴いていました。
また、このアルバムを聴いていて、初期のシングル曲の中で異色な感じがするのは「娘が嫁ぐ朝」です。これは76年発売のシングルなのですが、どう考えても財津さんはそんな年齢ではないので、実体験ではない・・・筈。
仮に心象風景だとしても、どうしてこんな詩が書けたのだろうか?。自分も娘二人が既に結婚した経験を持った今だからこそ、それも年老いた今になってから再び聞いたからこそ、余計自身の琴線に響いているのかもしれませんが・・・。でも、結果論であり自分勝手な見方かもしれませんが、チューリップの初期77年までのシングル12枚全24曲の中に収められたこの曲だけが何だか異色であり、その後のソロシンガーや作曲家として楽曲を提供する“メロディーメーカー財津和夫”の萌芽が見て取れると云ったら穿ち過ぎでしょうか。
チューリップは、“昭和歌謡”にも繋がるような日本的でシンプルなメロディアスな歌と、ビートルズ風なアコースティックなサウンド展開が本当に衝撃的だったバンドでした。
今改めて聴いてみると、メロディーメーカーとしての財津さんの曲も勿論なのですが、リードギターとドラムスが当時衝撃を受ける程新鮮に感じられたチューリップサウンドの核だった様に思います。しかし、エレキギターを掻き鳴らすガチャガチャした感じのGSとも違う、音楽的にも洗練されたオシャレなイントロなどの編曲や親しみやすいメロディーラインなどは、それまでの日本のポップス界には無かった感じがしたように思います。
彼等が「すべて君たちのせいさ」と心酔し、その結果として“日本のリバプール”と形容する程だった街、福岡が生んだバンド、チューリップ。
しかし、なぜ福岡にはチューリップだけでなく、他にも数多くのバンドが生まれたのか。
京都や大阪が東京に対抗して、中央に対抗する“反権力的”な音楽を生み出したことは或る意味必然でもあり、“関西フォーク”全盛期の後だったとはいえ、まだそんな雰囲気が残っていた京都で多感な学生時代を実際に過ごした人間としては、些かの感傷も交えてふり返えさせて貰えるのならば、それは十二分に理解出来るのですが、片やどうして福岡にそうしたマグマの様なエネルギー溜まりがあったのか・・・。
それにしても、当時の福岡は本当に凄かったんですね・・・。
大規模な工事が進む、森ビルの「麻布台ヒルズ」。
6月末にメインの森JPタワーの竣工式があり、300mのあべのハルカスを抜いて330mと、暫くは日本一高い高層ビルが完成とのこと(注)。ただ330m丁度にしたのは、何となくすぐ近くの東京タワーに敬意を表して、わざと3m遠慮したのかもしれないなどと勘ぐってしまいますが・・・。
工事は、その後低層階の植栽や敷地内の外装や道路、そしてビル内の内装工事が行われていて、以前来た時と比べると、当時の建設作業員の人たちから現在は内装工事や植栽担当の皆さんへと、朝夕の現場への出勤風景も何となく変わってきました。
森ビルの最近のヒルズに共通する高層ビルの外観はともかく、麻布台ヒルズではむしろ低層階の “未来都市”の様なユニークなデザインが非常に目を引きます。これは、ロンドンオリンピックの聖火台を手掛けた英国のトーマス・ヘザウィック氏の設計なのだとか。
麻布台ヒルズは「立体緑園都市(ヴァーティカル・ガーデンシティ)」をコンセプトとして、街の中心に約6,000㎡の広さを誇る緑豊かな中央広場を配置。その周りに麻布台ヒルズ森JPタワー、2棟の麻布台ヒルズレジデンスといった3棟の超高層タワーを建設。メインタワーの横には約700人の生徒が在籍するという、都心最大規模のインターナショナルスクール「ブリティッシュ・スクール・イン東京」も併設されます。
このブリティッシュスクールの新キャンパスもヘザウィック氏のデザインで、地上7階、地下1階(屋上庭園を含む)からなる建物に、室内プールや体育館、校庭などが設けられているのだそうです
因みに、我が家の娘たちも、長女が2歳、次女は3ヶ月でシンガポールに赴任。当時は日本式の幼稚園が無かったので、ブリティッシュスクールと同じ、英国式のインターナショナルスクールであるドーバーコートに入学し(外国人は公立の幼稚園や学校には入れません)、本人たちも凄く馴染んだため、そのまま帰国するまで日本人学校には通わず(そうした日本人の子供たちのために、在外日本人学校では教科書の無償供与と夏休みなどの長期休暇中の短期通学をしてくれていて子供たちも利用させてもらいました)、そのまま(日本人学校を超える費用は全て自腹でしたが)帰国まで在学していました(娘たちの友達は殆どが外国人で、例えばホームパーティーなどで発音が聞き取りにくいインド人の友達の英語は、子供たちに通訳してもらいました)。そのため、彼女たちは(高校時代の米国へのホームステイも手伝い)英語はネイティブ並みで、その後も社会人になって仕事にも役立ちましたので、彼女たちにとっては結果として良かったかもしれません。
こうした英国式のインターナショナルスクールは世界各国に在って、この「ブリティッシュ・スクール・イン東京」もその一つです。でも、都会では珍しくはないのかもしれませんが、広い校庭も無い(いくらビルの中にプールも体育館や校庭が確保されていても)、緑も無いビルの学校ってどうなのだろうって思ってしまいます(日本ではセレブの子弟が通うのでしょうから、高級マンションが立ち並ぶ都会のど真ん中の方が通学には良いのかもしれませんが・・・)。
また、この麻布台には飯倉交差点からの外苑東通り沿いにロシア大使館があり、街宣車等が来ると飯倉交差点と飯倉片町交差点などが封鎖され、その間通行止めとなって交通が遮断されるため、麻布台ヒルズを囲む国道1号線の桜田通りと外苑東通りの交通の便の悪さが指摘されており、そのため、麻布台ヒルズの建設に合わせ、ヒルズの中を横切って桜田通り(国道1号)と麻布台の外苑東通りの間を結ぶ道路「桜麻通り」(さくらあさどおり)などが作られ、飯倉交差点を通らずに両者の間が結ばれました。その道路が秋の麻布台ヒルズオープンに先行して7月24日に開通し、車が通行出来るようになりました。
その開通日の7月24日。午前11時に開通とのことで、信州からの“お上りさん”たちは、物見遊山宜しく早速行ってみました。
高層ビルやタワーマンションなどは森ビル系のヒルズが他にもあるので別に珍しくはないのかもしれませんが、この麻布台ヒルズの特徴は何と言ってもヘザウィック氏のデザインに依る、「 立体緑園都市(ヴァーティカル・ガーデンシティ)」という約6,000㎡の広さを誇る緑豊かな中央広場でしょう。その曲線が特徴的な低層のABCDの四つのプラザが配置され、数々の木々などの緑に覆われた、まさにガーデンシティーと呼ぶに相応しいエリアが誕生しつつあります。田舎からすれば、イメージ的にはちょっとした街を創る、或いは都市を創ると言った方が良いのかもしれません。
また、この麻布台ヒルズに限らず、“自然豊かな”信州から来て思うのは、むしろ東京の方が街中に緑が多いこと。特に芝公園や日比谷公園など広大な緑のスペースの多いエリアを歩いていると、東京そのものが“公園都市”といった趣で羨ましくなる程です。以前橋下徹氏が何かのTV番組で、「嘗て大阪市長時代に、東京に緑が多いことがとても羨ましくて、大阪も緑を増やすべく街を改造したかったが、反対が多くて実現出来なかった。」と発言されていましたが、東京は本当にそう思います。一番顕著に感じたのは、信州に戻ってからですが、芝公園や日比谷公園の方が遥かにセミの鳴き声が多かったこと。以前住んでいた郊外の沢村と違い、マンションが市街地の中にあるせいかもしれませんが、家の周辺では殆どセミの鳴き声が聞こえない。東京の方が(勿論23区内全部では無いにしても)信州よりも自然が豊かだと錯覚してしまう程でした。
開通した新しい道路を歩きながら、麻布台ヒルズの工事現場の中を飯倉片町の方へ坂を上って行きながら、街路樹を始め植えられたたくさんの木々や草花がやがて緑豊かに生い茂って行くだろう景色を想像しながら、麻布台周辺もやがてそう感じる様になるのかもしれない・・・と、そんな思いにとらわれていました。それにしても凄い!
しかし、昔は“第30何番ビル”といった「ただの四角の黒っぽいビルを幾つも所有する不動産会社」という地味なイメージでしかなかった森ビルが、今ではアークヒルズを始め幾つものヒルズを作り上げているのですが、一体いつからこんなに変わったのだろう・・・?
【注記】
三菱地所が東京駅前に建設する390m のTOKYOトーチタワーが、2027年に完成予定とのこと。
7月11日。久しぶりに新宿末広亭に7月中席の高座を聴きに行ってきました。
田舎の松本でも、地方落語としては歴史のある「松本落語会」の月例会や若手二ツ目が演じる四半期毎の「まつぶん寄席」などで生落語を聴くことは出来るのですが、昔ながらの定席の寄席で聴くのは、作秋の初寄席だった末広亭に続きこれで漸く二度目になります。
今回聴きに行くにあたり、上野や浅草など四つある東京の定席で、各7月中席の昼席での落語の出演者をそれぞれ見比べながら選んだのが、今回も同じこの新宿末広亭の中席(毎月11日~20日までの10日間)でした。
「さっき、昼のニュースで今日の東京は36度の猛暑なので、不要不急の外出は避ける様にって云ってましたが・・・。お客さん方、寄席なんかに来るのは、どう考えてもその不要不急の最たるモノ・・・じゃないですかネ!?」とは、まさに仰る通りなのですが、しかし昔ながらの寄席の雰囲気を今に伝える定席唯一の古い木造二階建ての末広亭ですが、館内は涼むにちょうど良い程に冷房がしっかり効いていて、お陰で快適に寄席を楽しむことが出来ました。
先に、末広通りで軽く昼食を済ませてから新宿末広亭へ。通常木戸銭3千円のところ、有難いことに65歳以上はシルバー割引でシニア料金2700円です。昼席は12時開始の16時過ぎの終演ですが、この日もそうでしたが夜席まで入れ替え無しで聴くことが出来る日の方が多いので、休憩を挟んで夜席終了の20時半まで“たったの”2700円で涼みながら過ごせるなら、こんなコスパの良いエンタメは他には無いのではないでしょうか!?(と思うのですが、平日のためか、それとも猛暑のせいか、この日の昼席は結構空きがありました・・・)
前回初めての寄席もこの末広亭で、せっかくの初寄席でしたので高座だけではなく寄席の雰囲気も楽しみたいと上手の畳の桟敷席で聴いたのですが、いくら座布団で胡坐をかいて座っていても、さすがに5時間近くも畳に座っているのは些か苦痛でしたので、今回はゆったりと椅子席で聴くことにしました。
昼の中席は12時開始ですが、既に開口一番の前座話も含め三組目が終わるところで、桂文雀師匠の出番から聴くことが出来ました。この日が初日となる中席昼の部の演目の中で、この日高座に掛けられた落語のネタのみを記します(クラシックコンサートで終演後にロビーに掲示されるアンコール曲の様に、寄席では掛けられたネタが後で発表されることはありませんので、もし違っていたらスイマセン)。
桂文雀 「真田小僧」
柳家三三 「お血脈」
桃月庵白酒 「笊屋(米揚げ笊)」
金原亭生駒 「替わり目」
柳家喬之助 「お花半七(宮戸川の前半)」
柳家権太楼 「無精床(不精床)」
(仲入り)
桃花楼桃花 「子ほめ」
春風亭正朝 「狸の札」
柳家小ゑん *創作落語(天文愛好家らしく七夕の織姫 彦星のネタ)
金原亭馬生 「尿瓶」
定席の落語では、主任を務めると最後のトリとして本寸法ネタを30分演ずることが出来ますが、それ以外だと当日の流れにより多少前後するものの通常15分が持ち時間となりますので、大ネタを掛けるのは無理。従って、本当に好きな噺家をじっくりと聞きたいのであれば、定席での主任を務める席か、或いは独演会に行く必要があるのですが、なかなかそれだけのために上京するのは難しい(イヤ本当に好きな人は、それだけのためであっても通われるのでしょうが・・・)。
(「新宿末広亭」紹介記事からお借りした高座写真)
今回の新宿末広亭の中席の昼の部に出演される噺家の中では、生で初めて聞く芸達者の柳家三三師匠、前回生で初めて聞いた人気の桃月庵白酒師匠、仲入り前に好きな噺家の一人である柳家権太楼師匠、そして人気の女性噺家桃花楼桃花師匠、ベテランの春風亭正朝師匠、そしてトリが十一代目金原亭馬生師匠という顔ぶれです。
この中席を選んだ決め手は、三三師匠、白酒師匠という脂の乗った実力派真打と、私の大好きな噺家である柳家さん喬師匠と一緒に松本落語へも来演されて生で何度か聴いている重鎮権太楼師匠が登場されるから。
柳家三三師匠は、私メが落語に嵌まるきっかけとなった噺家修行を描いたコミック、尾瀬あきら作「どうらく息子」の落語監修を担当された噺家さんです。人間国宝小三治師匠の弟子で、若手だった当時から正統派の古典落語を演ずる芸達者として評判も高く、ずっと生で聴きたいと思っていた噺家の一人でした。今回初めて生で聴いたのですが、しかも「お血脈」という善光寺も登場する初めて聴く泥棒ネタでしたが、イヤさすがに上手い。短めの枕から客席を沸かせます。そして、前回初めて聴いた桃月庵白酒師匠。今回のネタはこれまた初めて聴いた「笊屋(米揚げ笊)」。この噺家さんは声が大きくて張りがあって、それだけでも聴き応えがしますし実際に上手い。
仲入り前に柳家権太楼師匠の「無精床」。師匠が出て来られるだけで雰囲気があり、 “顔芸”ではありませんが、さすがは“爆笑王”と異名を取る権太楼師匠。顔を見ているだけで何だか笑ってしまいます。いつか同門のさん喬師匠と権太楼師匠お二人のそれぞれの滑稽噺と人情噺を二席ずつ、「二人会」で一度聴いてみたいものです。例えば、さん喬師匠の「棒鱈」と「文七元結」、笑い過ぎて、片やホロリとして、どっちも涙が出て来ます。
因みに、上野鈴本の8月下席での夜の部は、二人会ではありませんが、仲入り後に両師匠が交代でトリを務めるということで、そのネタも例えばお盆前の12日が権太楼師匠が「ちりとてちん」、さん喬師匠がトリで「文七元結」。そして18日も同じ順番で「短命」と「芝浜」と、10日間下席で掛けるネタが事前に特別に発表されています。イイなぁ!東京に居ればそうした機会に恵まれるのになぁ・・・(と、寄席に限りませんが、この時ばかりは地方との文化格差を否が応でも認識させられてしまいます)。
さて、仲入り後の中では春風亭正朝師匠。
春風亭一門の柳朝門下で、一朝、小朝と兄弟弟子の正朝師匠ですが、なかなか味がありました。こういう落語、好きだなぁ。また、落語ではありませんが、ロケット団の漫才も毒舌でのスキャンダルなどの風刺ネタを盛り込んで、大いに客席を沸かせていたことを付け加えておきます。
この日のトリは初めて聴くネタ、「尿瓶(しびん)」という古典落語でした。11代目の馬生師匠を聴くのは初めてでしたが、師匠となる10代目金原亭馬生はご存じ志ん生の長男であり、弟が当代随一の売れっ子だった志ん朝。ともすれば地味と言われた10代目の馬生師匠を、弟子であったこの11代目がその大名跡を継いだ理由が素人ながら何となく分かった気がしました。
端正というか、地味ながらも品があって、例えが相応しいかどうかは分かりませんが、昔の“江戸っ子”に通ずるかの様にピンと一本“筋”が通っている感じがします。確かに同じ江戸っ子でも、それは志ん朝の気風の良さでは無く、師匠10代目馬生の粋に通ず。いずれにせよ、馬生という歴史ある名跡を継ぐに相応しい、江戸落語の継承者といった雰囲気でした。
落語は「“見立て”の芸」と云われますが、この「尿瓶」というネタの中で、江戸詰めを終えて肥後に帰る武士が、江戸の土産にと道具屋で直前に古い花器と勘違いして買い求めてしまった尿瓶を、家に帰り試しに花器としてそこに菊の花を生ける時に、花鋏に見立てた扇子を少し開いてから勢い良く閉じて、パチンと音を立ててハサミで菊の茎を切る場面を演じたのですが、それが実に粋でナルホド!という所作・・・お見事でした。
「うーん、さすが!・・・伊達に11代目じゃないなぁ・・・。」
と(誠に失礼ながら・・・)、予定通り16時15分に閉幕。
前座さんたちの「ありがとうございましたぁー!」の声と共に追い出し太鼓が鳴り、幕が下りた後も暫し客席で独り唸っておりました。
7月2日、松本ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)でのマチネで、服部百音のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行ってきました。
服部百音嬢は曾祖父が服部良一、祖父が服部克久、お父上は服部隆之、お母様もヴァイオリニストという音楽一家に生まれ、幼少期から数々の国外コンクールでの受賞歴がある天才ヴァイオリニスト。しかし、お父上は彼女の留学費用を工面するために、今の様に売れっ子作曲家となる前はお給料の前借をして彼女を支えたと云います。決して、服部家という音楽一家の七光りだけで恵まれて育ったお嬢さまではありません。
彼女の演奏は、「題名のない音楽会」などで聴いたこともありましたが、本格的に聴いたのはYouTubeでパーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響公演のチャイコンのソリストとして登場したコンサートを聴いたのが初めてでしょうか。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、LPやCDの“音だけ”ならこれまでも名演と云われた色んな演奏を何度も聴いていますが、映像と音で聴いたチャイコンでこれ程までに圧倒された演奏は初めてでした。
彼女の凄まじい迄の気迫と超絶技巧。それがいくら天才少女とはいえ、演奏当時うら若きまだ21歳という、見るからにか弱い女性の細腕から奏でられているというのが、聴いていて(視ていて)信じられない程に圧倒されたのです。
その彼女が松本の音文でリサイタルをすると知り、ハーモニーメイトの先行販売でチケットを購入した次第。
当日のプログラムは、前半に、C. A. de ベリオ「バレエの情景 Op. 100」、C. フランク「ヴァイオリン・ソナタ イ長調 FWV 8」、休憩を挟んで、後半に、M. de ファリャ「歌劇『はかなき人生』第2幕 より スペイン舞曲 第1番」、I. ストラヴィンスキー「バレエ音楽『妖精の口づけ』より ディヴェルティメント」、そして最後にM. ラヴェル「ツィガーヌ」という構成。
どちらかというと、管弦楽中心で、器楽演奏もピアノは小菅優さんやメジューエワさんが好きなので何度か生で聴いていますが、ヴァイオリンは音文でのヒラリー・ハーンとイザベル・ファウストのリサイタルを聴いたことがあるだけ。しかもその時はバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タ」がメインだったので、どちらもピアノ伴奏無し。今回は、これまでも何度も頼んでいるという三又瑛子女史がピアノ伴奏で、フランクの有名なソナタ(と言っても聞いたことがあるのは第4楽章のみですが)と管弦楽作品でもあるラヴェル「ツィガーヌ」以外は全く馴染みのない曲ばかり。
パンフレットに記載された彼女からのメッセージに由ると、
『今回の演目は、レッスンに来てくれた子供たちの年齢的に、“分かり易くて”楽しめるものとも考えましたが・・・(中略)そんな配慮は愚の骨頂と思い、正直に私の思う素晴らしく美しく魅力ある曲たちを演奏することに決めました。』
とのこと。とはいえ、前日、オーディションで選抜された子供たちとのマスタークラスが行われていて、この日の会場にも才能教育の本拠地らしく小さな子供たちがたくさん来ていましたので、そうしたこともこの日のプログラム選曲の背景に(潜在的には)あったのかもしれません。
2021年のN響との定期での共演は、海外からのソリスト入国が難しかったコロナ禍だった3年前で、彼女の21歳の時。24歳になった今も、桐朋学園のディプロマ在学中という謂わばまだ大学院に在学している“女子大生”です。超絶技巧はそのままに、折れそうなくらい華奢な姿からは想像出来ない様な時に激しさもあり、また彼女のメイク故か、妖艶さすら漂わせての演奏は、例えばフランクのヴァイオリンソナタの有名なあの甘く美しいメロディーの第4楽章の旋律など、特別に貸与されているという名器グァルネリもあってか、とりわけ高音の透明感が実に印象的でした。
アンコールは、管弦楽作品としても有名なプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から行進曲。
カーテンコールも簡単に、この時ばかりは若い女性らしく最後舞台袖から顔だけ出して、お茶目にバイバイをしながら手を振られてこの日のコンサートを終えられました。