2008/06/14 17:47

6月23日。
1974年10月に条例により、沖縄県はこの日を沖縄独自の祭日に制定しました。
沖縄戦が年ごとに忘れ去られていることの反省と、世界平和への望み、戦没者の霊を慰めることを目的として制定されました。

なぜ、6月23日が慰霊の日になったかというと、
1945年6月23日に、糸満市摩文仁で第32軍司令官 牛島 満中将と同参謀長 長 勇中将が自決し、日本軍の組織的戦闘が終わった日だからです。
沖縄県はこの日に毎年、戦没者追悼式を行っています。

最高司令官が自決したことにより、日本軍は解体、事実上の組織戦は終了しました。
しかし、悲劇はまだ終わりではありませんでした。むしろここからが悲惨を極めました。
守ってもらえるはずの軍はなく、戦場に放り出された状態の住民たちは、逃げ場もなく、投降し捕虜になることもできず、(鬼畜米英と教え込まれ、捕虜になったら何をされるか分からないと言われていたため、捕虜になることを恐れた)支給された手榴弾で家族親戚で集団自決をしたり、支給された毒薬を飲み自殺を図ったり、また崖から飛び降り自殺をして、多くの人々がその命を絶ちました。

沖縄戦で亡くなった総数のうち、6月23日以降に亡くなった人は、かなりの数にのぼるときいたことがあります。
事実上の組織戦はこの日で終わりましたが、住民にとっての終戦はまだ先でした。

戦争が終わって60年近くたちます。

カリユシでは23日が月曜日で定休日のため、
24日(火)に改めまして追悼の意を込めて

ユイマール 

 550円⇒250円とさせていただきます。

ユイマールという沖縄方言には、助け合いという意味があります。





沖縄と言えば楽しい、明るいイメージを持ちますが、
この悲惨な歴史も沖縄の一部です。