25日は、早朝弘前を出発し、東日本大震災の被災地の1つである塩釜市を目指しました。
マスコミの報道を通じて感じる景色だけでなく、自分がその目で見て感じることの重要性を再認識。

実は約15年前、仙台を訪問した際に、塩釜市と松島を観光したことがありました。そんな思い出も胸に、塩釜市へ。

駅を降りて徒歩でぶらぶらと海に向かいました。
商店街の建物はまだ閉店されたままのところも目につき、道路と建物の間の亀裂は修復されていないところも多々見られました。


観光遊覧船の発着場所となっているマリンゲートの駐車場も御覧の通り。15年前もこの場所から遊覧船に乗り、カモメに餌をやったことを思い出し、切なくなりました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、二度と大津波が発生しないように海に向かって手を合わせてきました。

地元の方と話をするべく「佐藤鮮魚店」の親父さんとしばらく話をしました。駅前で営業していた店はつぶされ、今はマリンゲート駐車場の仮設店舗で営業しているとのこと。塩釜市も3mの津波が押し寄せ、港に停泊中のボートが、津波で近くのショッピングセンターまで流されていたそうです。
この後、親父さんに聞いた地元でお勧めの寿司屋に行きました。(なんと息子さんが車で連れて行ってくれました!!)
ご紹介いただいた「仁王寿司」で昼食。

塩釜港は三陸でも大きな港で、生マグロの水揚げ高は日本一だとか。なかでもこれからの時期に水揚げされる通称「ひがしもの」と呼ばれるメバチマグロはとても高級品なんだそうです。今は震災の影響で漁場が荒れてしまい、自慢の近海ものがあまり水揚げされていないようですが、それでもおいしくお寿司をいただきました。
寿司屋の親父さんともあれこれと話をしましたが、仁王寿司も津波の被害を受け、一時期営業ができなかったようです。なかなか地元の大工さんにお願いすることもできず困っていたところ、昔からのお得意さんだった松本市の大工さんが、店舗の修理をしてくれたそうです。遠く東北の地で偶然訪れた寿司屋で「松本」という縁でつながり、とても感激しました。

まだまだ本格的な復興には程遠い塩釜。比較的ほかの都市に比べて被害は軽かったようですが、それでも震災の爪痕ははっきりと残っています。しかし、出会った人々の顔には悲壮感はありませんでした。改めて日本人の強さを感じるとともに、今後の復興について考えさせられる機会となりました。

最後に、弘前青年会議所の記念品として「缶詰」をいただきました。

津波で被害を受けた水産加工会社のものだそうです。家族で思いを噛みしめながら頂戴します。
このようなことに気配りができる、弘前青年会議所の素晴らしさ、被災地の人々の強さに触れ、松本に戻りました。
またいつか東北に、次こそ家族で訪問したいと思います。