2008/01/30 8:43

昨年、新そばの収穫の頃、北海道を旅する機会がありました。北海道は国内で、そばの生産量が日本一です。自社でも北海道産のそば粉を使っていることもあり行ってみたい所だったので、旅行の何日も前から大変楽しみにしておりました。

 そんな私を見て、友人が「旭川に行くなら、是非行っておいで」と一軒の居酒屋を紹介してくれました。その名は「独酌 三四郎」旭川の繁華街を少し抜け、一つ通りを入ったところに、その店はありました。年代を感じさせる古めかしい民家調の建物で障子戸を開けると、中はまさに北国の居酒屋といった風情です。煙でいぶされた天井、壁は長い年月を経てどっしりと重厚な色をしています。日焼けしていて、ごま塩頭の漁師のような親父さんと和服の似合う女将さん。少し遠慮して、カウンターの一番端に座りました。カウンターの中では使い込まれた小さい丸椅子に親父さんがちょこんと座り火の番をしています。女将さんが焼いている魚の土釜。その土釜は真っ黒に黒光りして、それはそれは懐かしい昔ながらの土釜です。私は子供の頃、お袋の実家にあった土釜を思い出しました。『いまだに使っているんだ』子供の頃の懐かしい記憶が、よみがえるような不思議な気持ちでした。そんな私に気づいたのでしょう。親父さんが、「ここに店を出してから五十年も使っているんだよ・・・」と、ボソッと話しかけてくれました。

 私は、その土釜にすっかり心を奪われて、いっぺんでこの店が大好きになりました。ようやく気持ちが落ち着き、手もとにあるお通しを見ると煮大豆が数粒。一つ食べてみて、私は驚きました。存在感のある大豆の味が口いっぱいに広がり、「これぞ素材の味だ!!」と唸りました。 これなのです、私が大切にしていることは!

 そば打ち職人を続けて30年。振り返れば長い年月ですが、毎日、本当に毎日、素材に生かされている。どんなに腕があっても素材の力がなければ、うまいものはできないと考えています。だから私は素材を生かし、また同時に私も生かされていると信じています。毎回、そばに向き合うたびに無心になり、そばの声を聞く。そこからお互いに、うまいものを作っていこうじゃないか!と始まるわけです。

 この大豆。薄味なのにしっかりと主張があって、私は参りました。親父さんの友人が作っているそうです。手作り豆腐もあるとのことで、それもいただきましたが、何せおなかはいっぱい。(北海道だからと夕食は寿司フルコース。食べ終えるのももどかしく、三四郎目指して飛び出してきたからです)女将さんが「半分にしましょうか?」と、やさしく声をかけてくださり半分の豆腐をいただきました。今でも、全部食べたかったなぁと悔やまれます。 土釜、お通し、豆腐で幸せいっぱいになり、次回は女将さんのお任せコースで一杯やりたいなぁと後ろ髪を引かれる思いで宿に帰りました。帰り際、記念にと思って頂いてきた箸袋。宿に着いて、楽しかった時間を思い出しながら、改めて見ると、そこには、大きく大きく 「原点」 と店主の筆字で書いてありました。

 原点・・・胸を突かれました。
 私の…私の原点とは何か?箸袋を見つめたまま私は動けず、深く考えさせられました。
 人は各々自分の原点を持っています。物を作るという仕事は、自分の作ったものに己のすべてが映し出されることだと思っています。なぜなら、そば一打ち、一打ちに誠にはっきりと自分の心の状態が現れることがあるからです。

「平常心」 常に平穏な心を持ち続けることは職人として第一条件だと思っています。だから、三四郎の「原点」という文字に『ああ、この人も私と同じ考えを持っているのだ』とはっとしたのです。原点とは、そこを出発して、長い人生を歩み、最後に必ず還って来る処です。自分の原点をさがす、もう一つの旅に出てしまった私です。

 原作 べん( 大将) 脚色 万里ちゃん 構成(信大生)内田、太田(友人) 大竹