職人のひとり事
2018/03/26 18:00

先月末に、総合的な学習の一環として訪問された

浜松市の中学生7名の皆さんから感想文が届いた。




































最近は、寄る年波のせいか

少し気弱になっていた自分がいましたが…


若い皆さんからパワーをいただき

まだまだ頑張らなくてはいけないな~っと

心に力が湧いてきました。









そば打ち見学の後は、そばを味わっていただき…感謝!




2018/02/08 18:06

今年1月に、私も齢・66を重ねて…

当店の将来をどのように考えたら良いかと

思いを巡らせる今日この頃・・・








先週は、お休みを頂きまして…

瀬戸内へ一人旅に行ってまいりました!



休業の間、お客様にはご迷惑をお掛け致しました。









私は、そば職人として40年余り

この仕事に向き合ってきましたが

後、何年やり続けて行けるか??



勿論、自分としては気力・体力が続く限り

そば作りに励んで参りたいと思っていますが…

さて・・どうなりますか!




おかげさまで…年々、お客様も少しづつ増えてきて

店も、今のところは何とか継続をしていける状態です。



しかし、将来もこのままの状態で

同じようにやっていける保証はありません。



若い若いと思っていたマリ店長も

当店に来て、来年で20年になります・・・



これから、5年・10年先の当店を考えた時

店長の次の時代を任せることが出来る人材を

今から、育てていかなければと思っています。




そこで、当店の将来の後継者として

やってみたいと思う、明るくて健康的な方…

(20才位~30才位の方)募集します!


興味のある方は下記までご連絡ください。










手打そばあるぷす 齊川洋

TEL・FAX 0263-46-1471

メールアドレス alps@kza.biglobe.ne.jp
































2017/02/18 20:31

5日間のお休みを頂き、ベトナムへの旅に行って来ました。










2月に入ったとはいえ、朝夕はまだ-5度になる松本から

日中は30度を超えるホーチミン・フーコック島への旅!















美しい・朝焼けや夕景に目を奪われ・・・










夕日が海に沈み、人の姿もまばらになった海岸を散歩・・










そして、フーコック島から小舟で30分ほどの所にある

アントイ諸島にある、一家族だけが住んでいる小さな島で









目を奪われるような綺麗な浜辺で、ただ打ち寄せる波の音に・・

時のたつのも忘れて、命の洗濯をさせて頂きました。















今回の旅は、今から15年ほど前に、当店でアルバイトをしていた

信大に留学生として来ていたユイ君が、現在ホーチミン市で

日本企業のベトナムへの進出をサポートする会社の

社長さんとして活躍されているんですが・・・











今回は、共通の友人宮下さんとの旅ということで

忙しい中、空港へのお迎えから・お見送りまで・・

3日間案内して頂いたユイ君には、心から感謝しております。









お客様には、5日間お休みを頂きまして

ご迷惑をおかけ致しました事を

お詫び申し上げます。






2017/01/24 14:42



私も、今月・65才の誕生日を迎えました。

そば職人として、40年余り毎日のように

そば作りに励んで参りましたが・・いつの間にか

年金をいただく年齢となってしましました。


私が、40才の時に、縁あってサンフランシスコで

そば打ちパホーマンスの旅を経験させて頂いた時から

人生の折り返し点として、誕生日が来るたびに

ひとつづつ、年齢を減らして来て・・

今年で15才となりました。


そろそろ・そば職人としての、人生の最終章・・

あと、何年そばを打ち続けられるか分かりませんが

これからも、一日一日・一年一年・若返って行って

子供の頃の純粋な気持ちで・・・

そば作りに励んで参りたいと存じます。


「ホップ・ステップ・ジャンプ」 

あと15年・そろそろジャンプしましょうか!



2015/01/09 18:47


昨年末に、三人の若者たちがやって来ました・・









食後に、蕎麦のことを知りたいので教えてほしい、というので・・









丁度、そばを打つ時だったので、見学と少しだけ体験をしてもらいました。









新年になって、そば粉を売ってほしいという連絡があり・・










今日、仲間たちとそば粉を買いに来ました。













まずは、そば粉を使ったガレットを作り勉強したいということで・・

二週間後に、学校で試食会を行いたいということで、

私にも、是非来てほしいと招待を受けました。



将来的には手打そばにも挑戦したいという話しでした。


また、この浅間温泉の歴史や風土、地元の食べ物・・

そして、松本山雅FCの練習場がこの近くに出来ることによって、

日本一の山雅のサポーターや・・県外から訪れる

多くの皆さんとの交流も行っていきたいと言っておりました。

(一部 先生のお話)


将来を担う、若い人たちが地域や蕎麦のことに興味を

持ってくれることは本当に嬉しく思います。

                    BEN



2014/11/21 15:11

蕎麦とそばつゆの関係は切っても切れないものですが・・・












蕎麦以上に、そばつゆは人それぞれに好みが分かれるところです・・・












冷たいもりつゆは、私が取って(作って)おりますが・・・


温かいかけつゆは、この頃は店長の万里ちゃんに任せております。



毎年のことですが、秋も深まって寒さを増して来ますと・・・


もりつゆを取る回数よりも

かけつゆを取る万里ちゃんのほうが

忙しくなってきます・・・


BEN



2014/11/13 22:19


水回し









練り









菊モミ









へそ出し









伸し


















切り














生舟(箱)に入れて・・茹でて召し上がれ・・・







これまで40年、おそらく5万回以上は打って来たかな~

不思議と何回やっても飽きることはない・・・

ひょっとしたら、今の方が楽しくなってきているかも


いつまでできるか分からないが、体力・気力の続く限り

日々、そば打ちに励んで生きたいと思っています。


BEN


2014/08/21 19:12


久しぶりのお休み,毎月一度のカイロプラテイックへ・・・



そばを打ち続けて、ガチガチになった体をほぐしてもらう。











ここには、17年間毎月お世話になっていますが



こうして、この年まで元気にそば打ちに励めるのも



Aさんの力添えがあったればこそと感謝しております。






そのあとは、枇杷の湯さんで露天風呂に入って・・・











草創庵で大名御膳をいただき・・・









おっと、その前に風呂上がりのビールを一本・・・









丁度、さるすべりの花もきれいに咲いていました。









つかの間の安らぎのひと時でした。






                         BEN



















2014/07/03 17:45



引き出しを整理していたら、大切にしまってあった文集が出て来ました。


これは、以前そばの作り方を教えてあげた時に、


子供たちがお礼に書いてくれた文集です・・・










以前、地元の小学校の子供たちが、グループの研究発表のために

当店に、8名程で手打そばの勉強に来たことがありました。



石臼で代わる代わるそばを挽いたり・・・

手打そばの作り方を見学して行きました。









しばらくして、担任の先生から話があり・・・


クラスで何班かに分かれて、自分たちで決めた店などに

見学に行って研究発表を行ったんですが、当店に来た子供達の

グループが他のグループより充実した研究発表をしたとのことで




クラス全員でもう一度見学をさせてほしいと話がありまして

後日、皆で見学に来ることになりました。











その後、しばらくして子供達が手書きの招待状を持ってきてくれました。



「今度の土曜日に学校の家庭科教室で、皆で手打そばを作りますので

是非、私に見に来てほしい」という内容の手紙でした。












子供達に言われた日時に見学に行くと、皆本当に楽しそうに

そば作りに励んでおりました。中には練ったそば生地で

星型にしたり・ハート型だったり、思い思いに粘土細工のように

嬉々として遊んでいる子もおりました。










そんな楽しそうな、自由な心を持った子供達の姿に触れ・・


自分がそば職人として生きて行く上で、何が大切かということを

教えてもらったような気がしました・・・



「 すな遊び ・ どろ遊び ・ ねんど遊び 」



そんな心でそばを打って生きたいな・・・と思って過ごしていると

毎日のそば作りも、年を重ねるごとに楽しくなってきました。


私の方が子供達にお礼を言わなくては・・・


本当にありがとう !




                       べん










2014/05/08 15:11







松本市で唯一残っていた鍛冶屋さん、中沢刃物製作所が

この春惜しまれながら店を閉めることになった。









この黒打のそば包丁は22年前に、私がサンフランシスコに

そば打ちパフォーマンスに行った時期に中沢さんから買ったものです。












その頃は、何回か中沢さんの仕事場でお話を伺う機会がありました。

仕事を拝見しながら聞く、鍛冶職人さんのお話はとても楽しかった・・・


中沢さんがもう何か月かすると良い鋼が輸入できなくなるので、

今のうちに買っておいた方がいいよ・・・と、勧められて購入したものでした。





そうはいっても、この黒打のそば包丁は1,100gもあり、未熟者の私には

簡単に使いこなせる訳もなく、アメリカへ持っていくのは諦めました。


結局、この黒打包丁に慣れるのに二カ月ほどかかった記憶があります。















この包丁は四十年近く使っているもので、やはり中沢さんが作ったものです。

これは、昨年亡くなった私の親父さんが特注で中沢さんに作ってもらったものです。

中沢さんから聞いた話では、重量を軽くするため刃を薄くしたと言っていました。

ちなみに、重さは・・・760gです。二本同じものを作ってもらい、

もちろん今でも現役で活躍しております。



アメリカ・ニュージーランド・台湾等、海外でそば打ちをする時には、

いつも、この包丁にお世話になっています。

















このそば包丁は、秩父のそば打ち名人島岡さんが関市にご自分の

そば包丁を買いに行かれた時に、私にも一本買ってきていただいたものです。

ちなみに重さは、670gです。






それぞれ特徴も重さも違いますが、できる限り一日一回は

使うようにしております。







来月で創業百二十年を迎えることになった当店には・・・

創業当時のそば包丁が残っております。












実は、このそば包丁二十年ほど前に私が押入れを整理していた時に

一番奥から錆だらけで出て来たものなのです、確か昭和五十年の  

新聞紙にくるまれていたのを私が錆を落として、今は店に展示してあります。



このそば包丁は相当長い年月使われていたのではないかと思われます。

ひょっとすると、七十年~八十年位・・・このシワが何ともいえませんね~











そば包丁一つとっても、それぞれの歴史や特徴がありますが

道具はできるだけ毎日使うこと、それが出来ないときは

触れるだけでもするように心がけております。




良いものを作るには、「材料・道具・職人」の信頼関係がないと出来ないと思います。













昨日は、ラジオ・新聞等で中沢さんがお店を閉められるというお話を伺い・・・










中沢さんに作って頂いたそば包丁をもって、ご自宅にお邪魔して

懐かしい、いろいろなお話をさせて頂きました。









職人の大先輩として、そんな思いを教えてくれた「中沢玉樹さん」

体調を壊されこの度、八十才を機に店を閉められることになりましたが

お身体にご自愛され、これからも奥様と共に長生きをされることをお祈りしております。

中沢さんの作ったそば包丁は、これからも私共の手元で生き続けていきます。



長い間、本当にお疲れさまでした。










このそば包丁のキーホルダーは、十七年前店を改築した時に

友人の木彫り職人、手仕事屋きち兵衛さんに中沢さんのそば包丁をもとに

作って頂いたものです。 今では手元に残る貴重な一つになりました。

                          べん


2014/04/05 20:34

先月、三月二十二日から台湾の台南市へ松本観光コンベンション協会の

観光キャラバンの一環としてそば打ちパフオーマンスをやってまいりました。









二十四日は、観光セミナーで台湾の旅行会社の方々を招き

信州松本の魅力を映像等も使ってプレゼンテーションをしたり

松本市長の挨拶等もあったりした中で、信州の手打そばのパフオーマンスを

見ていただき、そして味わってもらいましょうということで私も参加したわけです。










しかし、会場となるホテルは300室以上もある、台南でも

指折りの大きなホテルで、私が調理場に入って手打そば

の茹で方を指導したくても、なかなかOKが下りないのです。










(実は前日の話ではOKということで、日本のそばに興味あるという

料理人が二人、事前にそば打ちを見学に来たいという話でしたが・・・)










結局、本番1時間前にホテルの副料理長に手打そばのゆで方を通訳の方を

通じて口頭で伝えて茹でるのを副料理長にお任せすることになりました。

たまたま、宴会場の副マネージャーの女性が日本の学校に留学をした事があって

日本のそばの文化を知っていたので、伝えるのに非常に助かりました。









一緒に行った皆さんのお力をお借りしながら・・・









何とか100人以上のお客様に召し上がっていただくことが出来ました。









いずれにしても、文化の違う国で、そばを打って食べて頂く事が出来たのも

多くの方々のお力添えがあったればこそと感謝しております。








特に、私共が台南滞在中に最高のおもてなしで迎えてくれた

台南JC 女子部の皆さんには心より感謝申し上げます。








観光セミナーも当初の予定より多くのお客様に来て頂き、コンベンション協会の

井上会長が今回のキャラバンは大きな手ごたえを感じていると言っておりました。

私も、松本のために何かしらお役に立てたのであれば嬉しく思います。





また、私自身にとってもいろいろな経験をすることが出来

「感謝する気持ちと感動する心」 の大切さを改めて認識しました。


今回は打ち台やねり鉢。受け台など大きなものは1カ月前から準備してきて

船便で送ったり、材料もAプラン・Bプラン・Cプランとあらゆる状況に

対応出来るようにシュミレーションをして来ました。


まあ・・・考えていたBプランくらいはなんとかできたかな~ と思っています。




その場になったら      「熱意 と 誠意」


そして  「早々とあきらめるな ・ いつまでもしがみつくな」


という思いさえ持っていれば、なんとかなるものですね。




これからは、今回の経験や、今まで40年余りやってきたそば職人の

経験を生かし、日本中また海外にも日本の手打そばの文化を

広めていく生き方をして行きたいと思っております。





幸い、店長はじめ若い人たちも育ってきていますので、店の方は

若い人たちにまかせて、私は日本のそばの素晴らしさを

より多くの人々に知って頂けるように頑張って行きたいと思っております。




いわば 「さすらいのそば職人 べん」 とでも言いますか・・・




もし、私でお役に立てることがありましたらご連絡ください。






                          べん



2014/01/27 13:52



今月、私は62歳の誕生日を迎えた・・・









友人から頂いた、とっても長~いロールケーキ・・・62㎝?









皆で美味しく頂戴しました、ありがとうございました!







話は変わりますが・・・


11月に地元のケーブルテレビ 「テレビ松本」で1か月

浅間温泉を紹介する番組に私共の店も放映されました。

その中で私がインタビューを受ける場面がありまして・・・


「40才の時アメリカのサンフランシスコで、そば打ちパホーマンスを

する機会があり、その時の経験が人生の転機になった・・・

というような話をした時、私の口から出て来た言葉が・・・

40才からい1年経つごとに、一才若返って行くつもりでいますので

1月には、気持ちは18才になったつもりで頑張ります!」


というような話をいたしました。  実はそのような話は何年も

忘れていた事だったので、自分でテレビを見て、その当時

の気持ちをあらためて思い出しました。




後日、高校時代の同級生が店に来て・・・

「なんか、テレビでおかしなことを話していてが、お前、

頭の方は大丈夫か・・・と冗談半分に言われて・・・     まいった!」





でも、テレビで話をしている自分の何気ない言葉であらためて、

気持ちは18才という思いで何事にもチャレンジして生きたい!

と、思いました。










これからは店の外へ出て、機会があれば日本中そして世界中に

日本の食文化としての手打そばを広めて生きたいと・・・



  
身の引き締まる寒さの中、常念岳の素晴らしい朝焼けに誓う !


私です・・・


                          べん









2014/01/20 20:56







信州の冬は厳しい寒さが続きますが・・・








この季節だからこそ見られる風景があります









枯れ木に雪の花が美しい・・・









奈川度ダム湖の神秘的ですらある静寂さ・・・









松本は、この厳しい冬があるからこそ春の訪れの喜びや、

高い山々に守られて大きな台風の被害もなく、山に降る雪

のおかげで水不足になることもないのです。




確かに冬季は、そば屋(当店)に来るお客様は少ないけれど

そばの味はこの時期が一番美味しいんじゃないかと思います。


この素晴らしいふるさと松本で生かさせていただていることに・・・感謝。


                              べん


2013/12/08 19:57

先日、嵐がやって来ました・・・と言いましても

季節はずれの台風がやってきたわけではありません。



実は、嵐のリーダーOさんが食事に来てくれたのです。

なかなか感じのいい好青年でした。



やまびこセットを召し上がって頂きました。













先月にはあの「クリスマス・イブ」の歌で有名なYさんがいらしゃいました。

あまりサインをしているのを見たことが無いというYさんですが

サインをしてくれて、しかもその日付の字が旨く書けなかったからと、


わざわざ、翌日のコンサート当日に新しいサインを届けてくれました。






本当に誠実な方で・・・誠に恐縮です。

やはり、やまびこセットを召し上がって頂きました。




翌日には、あの「渡る世間・・・」で幸楽の親父さん役でおなじみの

Kさんが文学座の皆さんと久しぶりで来店されました、

今回はやまびこセットを召し上がりました。いつも有難うございます。



文学座の皆さんがお帰りになる時は以前もそうだったのですが

今回も、当店の前のバス停から350円の小銭を持って最終のバスで、

帰って行くのを見送るのが、とても素敵な一時に感じられます。







このサインは以前、いらしゃた時に頂いたものです・・・



                             べん









 

2013/09/19 21:19

 「世界遺産 平泉の中尊寺から鳴子温泉に泊り

        翌日、最上川の船下りを楽しんできました」





国宝 中尊寺の金色堂


建物の中は写真が撮れないので外観だけ・・・・

               中はさすがに素晴らしかった!







途中に松尾芭蕉の像が・・・










こけしで有名な鳴子温泉で一泊・・・

          湯量豊富なお肌すべすべなお湯 最高!

  



翌日、峠を越えて山形県の最上川へ・・・



途中、山中に咲く真っ白な蕎麦の花!




「蕎麦はまだ  花でもてなす  山路かな」  芭蕉

(この句は芭蕉がこの場所で詠んだわけではないようです)





(すみません、素晴らしいそば畑の風景でしたが写真を撮ることができませんでした。

ということで、この写真は当店に飾ってある信州のそば畑です。)



さあ、最上川の船下り・・・



「五月雨(さみだれ)を あつめて 早し 最上川」  芭蕉









「ヨーイサノマカシヨ エーンコラマーカセ~」


船頭さんの名調子で最上川舟歌を聞きながら、


獲れたての天然の鮎に舌つづみ・・・も~最高!









途中、今年新しくドラマ「おしん」の撮影があった岸辺・・・

ちなみにこの地方では「おすん」と言うそうです。







船下りの途中いくつもの滝が・・・








芭蕉の奥の細道をほんの少し旅をしただけですが


東北地方の素晴らしさを実感した旅でした。


また、いつの日か訪れたいところです!




                         べん




2013/09/03 21:17

信州小諸懐古園の近くにある藤村ゆかりの宿「中棚荘」







百年余り前、藤村が「千曲川スケッチ」を書き上げた部屋









昔懐かしい大正ロマンあふれる緑あふれる部屋で、すっかりリフレッシュさせていただきました。









親切な宿のご主人と女将さん・・・









ヤギさんも、なついてお見送り・・・










近くには高峰高原があり,行った時(7月末)はちょうど綺麗なニッコウキツゲが満開でした








また、隣町の東御市には落ち着いた雰囲気の「海野宿」もあり・・・









信州の素晴らしさを再認識・・・・



「中棚荘」 是非、また訪れたい宿でした。


                      べん










2013/08/19 20:36

 

お盆休みで帰省中の「琴宇留賀さん」が挨拶に見えました。







知人の息子さんで、昨年高校を卒業後、お相撲さんになりたくて

自らの意思で入門したそうです。私も初めてお会いしましたが

なかなかの好青年です。










姉や店長の万里ちゃんと並ぶとやはり大きいですね!








ご両親が番付表を持ってきてくれるので店内に貼ってありますが・・・









まだ、入門したばかりなので名前の文字が小さいです。星印のところ・・・

早く番付表の文字が大きくなるように頑張ってください!期待しております。



                              べん
















2013/07/01 18:23

 今年も山岳自転車レース「ツールド美ヶ原2013」が6月30日に開催されました。




 毎年のことですが梅雨時のこの時期に開催されるため

天気が心配されましたが無事に開催することが出来ました。







今年も店の前では店長や姉、その他多くの人々が声をからして精一杯の応援・・・







店長手作りの看板が今年も登場・・・









どこかで見覚えのある後姿が・・・









                 当店の店長でした!



                               べん

2013/05/20 12:21









「北アルプスの常念岳の空を夕日が染めると

本当にこの地に生きている幸せを実感します」










「この美しい風景が永遠に続くことを心から祈っています」



                            べん








2013/05/09 19:43

「おかげさまで今年のゴールデンウイークも多くのお客様に

お越しいただき誠に有難うございました。5月4日には開店以来最高

の人数・売上を記録しました。誠に有難うございました。」





「従業員にも大入袋で気持ちばかりのおすそ分け・・・」











「皆で仕事を終えてお疲れ様でした・・・カメラでパチリ!」



                            べん

2013/02/03 20:09

去る、1月28日午後2時21分、自宅療養中でした父が91歳の生涯を終えました。


ケアマネージャーさん・訪問看護さん・ヘルパーさん・お医者さん・デイサービスの皆さん


など多くの方々に支えられ、最後は家族に見守られ、眠るように息を引き取りました。





去る、1月31日の葬儀では大勢の方々にご参列いただき心より御礼申し上げます。


また、心に残る葬儀をやっていただいた神宮寺の住職はじめ

関係者の皆さんに感謝申し上げます。





三代目は91歳の天寿を全う致しました。四代目の私はこれからも

身体の動くかぎりは、そばを打ち続けて生きたいと思っております。


おかげさまで私の後を引き継いでくれる、五代目も育ってきております。


これからも末長く当店(手打そばあるぷす)を宜しくお願い申し上げます。










2012/12/27 17:58

「今、当店には二つの暖簾がある・・・」

一つは北アルプスの常念岳をイメージしたもの






もう一つはシンプルなもの・・・季節によって変えています。



この暖簾を織ってくれたのは、私の職人としての人生を

開いてくれた師匠の「手仕事屋きち兵衛」さんの奥さんの恵さんです。




これからも一生、この暖簾を大切にしていきたいと思っています。



暖簾といえば当店も今年で創業118年になりますが、

そのうち、私がここで生きて来たのは半分の60年になります。

「暖簾を守る」・・・ 私には、そんなに重圧と感じた事はあまりなかったけれど、

ここまで店を継続してくるのには、山あり谷あり本当にいろいろな事がありました。

今、振り返ればなんとか今日まで店を続けられたな~というのが実感です。




若い時は趣味のスポーツに熱中し、あまりこの仕事に熱心とは言えませんでした。

いろいろんな道草を食いながら、ここまでなんとかやってこられたのも

いままで出会ったたくさんの素晴らしい人々のおかげと感謝しております。





今思うと、朝から晩まで長い時間仕事ばかりの日々で、定休日も仕込みなど

何かと雑用に追われ、なかなか休みを取ることができませんでした。


これも若い時遊びすぎたつけか・・・と思ったりしながら仕事に追われる毎日でした。




しかし、今になって思うと家族(特に子供たちに対して)

仕事が忙しいからと、遊んでやったり相談にのってやったり、

かかわってこられなかった事や、言葉足らずや誤解を解くこともできずに、

大切なもの傷つけ失ってきたことの大きさに本当に申し訳なく思っています。



今更、反省してもどうなるものではありませんが・・・



命ある限り、これからもそば作りに励んで生きたいと思います。


                                べん






2012/11/27 18:16

 「先日、話題の東京スカイツリーに行ってきました」



隅田川の船の上から仰ぎ見ると・・・









スカイツリーの展望台から見下ろすと・・・











ライトアップされたスカイツリー・・・










ライトアップされた浅草寺・・・








浅草寺から見たスカイツリー・・・634m










ところで、当店の近くにある薬師堂は・・・654m










スカイツリーより高い所で暮らしているんだ・・・




                             べん














2012/11/05 19:00

 先日、高校時代の四十数年ぶりの同窓会があった・・・

第69回卒業生の還暦を記念しての同窓会、

百名以上の参加者があり、大変盛会でした。


 中にはいつも会っている友もいるが、久しぶりに会う人、

また、中にはすぐには名前も顔も思い出せない人などもいたりして

本当に長い年月を感じざるえませんでした。


 当時のある先生「カラス」(注・あだ名)が挨拶の中で、

『皆さんが在校生の頃、男子の長髪運動があって

それまで長い間丸坊主でしたが、当時の生徒会の

熱心な長髪運動で、我々の学年が卒業後に長髪になった。

それが良かったのかどうかは、それぞれ意見の分かれるところでしょうが、

今日、この同窓会で皆さんの頭を見渡すと、せっかく長髪にしたのに・・・

誠に、長髪にした甲斐が無い』 と挨拶で笑いをさそっていた。

なるほど、周りを見渡すと髪の毛が相当薄くなった人、

白髪が相当増えた人など、いろいろだ。


ちなみに、私は同輩に比べると少しは・・・






                      どうでしょうか? 


 



大変失礼しました!


                                           べん




2012/03/22 22:08

最近は外国からのバイトさんはいませんが・・・

数年前までは信大の留学生のアルバイトの皆さんが

何人か続く時期がありました。


 最初は中国の上海から来た陳君です。

留学生のバイトさんは初めてだったので少し心配でしたが、

何事にも真面目に取り組む仕事ぶりに、本当に感心しました。


 そのあとはベトナムから来たユイ君です。

明るくユーモアにあふれる彼は、

いつも皆の気持ちを和ませてくれました。


 モンゴルから来たウジャちゃんは将来は国に帰って

会社の社長になるんだと言って張り切っていました。


 マレーシアから来たのは、ウオンちゃんとタンくんです。

ウオンちゃんはおっとりとした中にもしっかりとした

考えを持っていました。

 
 先日、一年前に結婚したウオンちゃんが御主人と

お兄さん夫婦でマレーシアから訪ねてくれました。

すっかり大人になって綺麗になったウオンちゃんに

時の経つのを感じざる得なかった。

皆で記念写真をパチッリ・・・








 本当に楽しいひと時を過ごしました・・・



 タンくんも先日、大学院を卒業して、この春から

就職するとの事であいさつに訪ねてくれました。

 ずい分と体格が良くなって・・・

ちょっとダイエットしなくっちゃと言っていました。

 タンくんは、とても明るくて素直なとてもいい男です、

仕事でも頑張ってほしいです。


 陳くんも、ユイくんも皆、日本に来た折には店に寄ってくれます。

有難い事だと思います。

留学生の皆はそれぞれ自分の国に帰って、大いに

活躍してくれているようなので本当に嬉しく思います。


 また、お会いできる日の来ることを楽しみにしております。


                            ベン









 

2011/06/02 18:20

『おひさまとそば屋』

NHKテレビ小説「おひさま」





4月から始まったテレビ小説「おひさま」・・・

私も毎朝楽しみにしております。


ドラマの舞台は、豊かな自然の安曇野、松本です!







長野県のほぼ中央に位置し、雄大な北アルプスと川に抱かれた安曇野、松本!

そして、日本でも有数の産地と知られる信州そばは、

古くから貴重な食べ物として人々の生活を支えてきました。

私たちの大好きな日本食、そばが人々をつないでいきます。


ヒロイン・陽子が「太陽のようにいつも笑って世界を照らす」という

亡き母との約束を胸に、戦前、戦中、戦後を生きていくさわやかな一代記。



愛する母との別れがあった少女時代・明るく青春時代を駆け抜けた女学校時代、

小学校が国民学校となった昭和16年、念願の教師となる、つらい生活を強いられれる

戦時下で子ども達の笑顔を守ろうと奮闘するヒロイン陽子・・・


そして、陽子は松本の老舗そば屋にお見合いにより嫁ぎ、戦地へ赴いた夫のいない

婚家で、教師を続けながら義父母との生活を始めます。


「家の中では笑って暮らしましょう」と、たくましい姑とのかかわり合いに、

陽子は忘れかけていた生きる喜びを思い出します。


姑が大切にする家族や近所の人達とのつながり、そして・・・そば。

守るもののある心強さを陽子は受け継いでいきます。






私の両親は、ちょうど陽子と同世代で、三年半前に亡くなった母は、安曇野のとなりの

梓川村(現在、松本市梓川)から、本郷村の浅間温泉(現在、松本市浅間温泉)の

そば屋(当店)に戦後すぐに嫁いできました。


母は大正14年4月29日生まれ、春に生まれたので名前は春子、

戦時中は愛知県の航空機製作所に挺身隊として赴き、

戦時中は空襲により多くの人々が命を落とし、命からがら故郷に戻り結婚しました。



父は満州の戦地に出征し、終戦後シベリアに2年半抑留し帰還致しました。

もちろん戦地では多くの戦友を亡くし、抑留でも厳しい環境の中で、多くの方が

命を落とされたと最近になって聞かされました。


私が子どものころ、父は戦争の事を、あまり話をすることがありませんでした。

今思うと、口では簡単に言い表せない重たいものがあったのだと思います。


その父も今年90才になります。(大正10年生まれです)「陽子さんは11年生まれ」


ヒロイン陽子の人生と、私の両親の人生がドラマを見ていると

オーバーラップしてつい見入ってしまいます。


いずれにしても大変な時代を生き抜いて来たきたんだと思うと同時に,

その苦労の多い時代を生き抜いた来てくれたおかげで、


今の私自身と今年で創業百十八年になる当店が存在するんだと、

あらためて考えさせられます。


                   べん

2011/03/04 14:45

『前後裁断・私の蕎麦人生』



「早々とあきらめるな、いつまでもしがみつくな」

今から十二年前の丁度今頃の季節に、ニュージーランドへ旅行に行く機会があった。

先日、クライストチャーチで大きな地震があり、多くの人々が被災された、
日本人も何十人も被害に合われ、行方不明の方々もまだ沢山おられるとのこと。
本当に大変な被害になってしまいました。

私が行った時も多くの日本人が住んでいると聞きました。

町は緑豊かで、家々の庭には花々が咲き乱れ、きれいな川が町中を
ゆったりと流れていた。レンガ作りの古い教会など素敵な建物も多く、
飲み水もおいしくて、聞くところによると三十数万人の町の飲料水が
地下水でまかなわれているとのことです。

私は、蕎麦屋をもし外国でやれるとしたら、この町がいいな~と思いました。

実は、私はニュージーランドの旅の途中、クイーンズランドという町の
あるホテルで、アポなしでそばを打って食べてもらったことがありました。

以前、アメリカにそば打ちに行った事がありましたが、
今回はアポイント無しで、チャンスがあったら是非そば打ちをやってみたい、
一回そばが打てる分のそば粉と、トランクに入る長さに切った麺棒だけを持って・・

その時、心の中に「早々とあきらめるな・いつまでもしがみつくな」
という言葉を常に胸にきざんで行動しよう。迷惑をかけないように、
どこまでが諦めないで、どこからがしがみつかないのか・・・


クイーズランドのホテルでそば打ちができたのは、
自分のやりたいという思いの強さも当然ありますが、
運の良さと、何よりも協力してくれた出会った人々がいたからだと思う。

朝食の時に初めて合ったのに、そば打ちをやりたいと無理を承知で言う
私に戸惑いながら、レストランマネージャーのアンドリューに話してくれた武田さん。
(彼は当日からワーキングホリデーでホテルに働き出したばかり)

私の思いを受け止めてコック長のロイドンさんに掛け合ってくれたアンドリューさん
自分の子供さんが日本語を習っていて、日本の食文化にも理解のあるロイドンさん、
私の少し強引な思いを通訳してくれた旅行社の安藤さん・・・その他etc

おかげ様で何とか実現できました、「涙ぐみながら美味しい」と喜んでくれた武田さん、
「私もよい英語の勉強になりました」と言ってくれた安藤さん、皆さん本当にありがとう。

なれない場所で調理台の高さが10㎝以上も高い、包丁は両刃で上手く切れない、
そばを茹でても掬うざるがない、など普段仕事をやっているのとだいぶ条件が違うとしても、そばが考えられない程短くなってしまったり、不揃いになってしまった。

それでも、ロイドンさんが大サービスで昼食を作ってくれたので、そのごちそうを
食べた後で、茹でて一時間以上経ってからそばを食べたけど、本当に旨かった。
やってみて思ったことは、やり遂げた喜びと共に、自分の未熟さを痛感させられました。


その後、オークランドのホテルのフロントに鈴木さんという女性がいらしゃって、
クイーンズランドのホテルでそば打ちをやってきたという話をしたところ、
「ここでも是非やってください、三十人位今日中に集めますから」と言われたが、

私は、「すみません、もうそば粉がなくなってしまってできません。残念ですが!」
と言うと、鈴木さんも大変残念がっていました。

行くまでは、ニュージーランドは農業国なので、食料品の持ち込みは厳しいよ、
とても、そば打ちなど無理だ!と多くの人から聞いて行ったけど、
「成せばなる」だよな~行ってみれば喜んでもらえたりする、
まあ、運が良かったってこともありますね。

                          べん

2011/01/08 19:58

「感謝する気持ちと感動する心」

 以前、アメリカのサンフランシスコへ蕎麦打ちのデモンストレーションに
行った時の話をブログで書いたことがありました。  今回は・・・

 十数年前のことになりますが、サンフランシスコの近くのバークレーという町にある
カリフォルニア大学での蕎麦打ちデモンストレーションの時の話・・・を

 カリフォルニア大学のスプリングフェステイバルに招かれ、
蕎麦打ちデモンストレーションをやることになりました。

 場所はインターナショナルハウスの2階にある教室で、中村さんと
いう女性が待っていてくれた。彼女が教室の中を和紙や蛇の目傘で日本の
風因気を演出してくれ、頼んでおいた道具も用意してくれてあった。

しかし、水道と流しは隣の部屋にあるのですが、小さなのが一つ、蛇口をひねると
ほんの少ししか水が出ません。その上排水が壊れているのか水が流れていきません。

 さあ、どうしようここは日本じゃないんだ・・・そばはなんとか打てるが、
打ったそばを、ゆでて冷やす水をなんとかしなければ・・・

 すると、「氷なら製氷機にたくさんあるから利用したら・・・」と
いうアドバイスをしてもらい、なんとか目途がたった。

 でこぼこの学習机を、いくつかつなぎ合わせ、蕎麦打ちを始めると、
何人かの人達からいろいろと質問があった、(もちろん中村さんが通訳してくれた)

 アメリカの人々は、健康に良い日本食に興味があるようだ、また私の
着ている作務衣やわらぞうりにも興味があるようで質問されました。

 中でも陶器のそば猪口に入れて飲む、そば湯のことを質問された時、
私は、「日本では古くから陶器の器を使い、そばを食べて残ったつゆにそばの
茹で汁を入れ、飲むのが習慣になっている。それは、そば湯には身体に大変良い
栄養が溶け込んでいることと、そばつゆの栄養と旨みを残さず頂くことです。」

 そして、もう一つ付け加えると「そば湯を入れて飲み干すことで、器もきれいに
なり、食器用の洗剤も少量で済み、環境にも優しいと思うのです。」などと話をした。

 多くの人々に来て頂き、 終わってから何人かの方から(デリーシャスなど)喜びの言葉もかけてもらい、「アメリカまで来て良かった」と、ホッと胸を撫で下ろした。

 後日、日本に帰って来てから、中村さんからの手紙で「齊川さんの蕎麦打ちの
デモンストレーションに大学の教授が感銘を受け、授業で話をしてますよ・・・」
と書いてあり、ビックリしました!本当に有難いことです。

 今回のアメリカのサンフランシスコ周辺での蕎麦打ち旅行は、たくさんの方々
との出会いや協力があって、成し遂げることができた。一人では何にもできない
という事がよく分かった。と同時に、蕎麦打ちという一つの日本の食文化が、
言葉がうまくしゃべれなくても、外国の方々と心が通じ合えることも分かった。


多くの皆さんとの出会いに、感謝する気持ちと
感動する心を与えていただきました。

 それにしても、大変お世話になった、ジェニーやエリースは、今どうしているかな~
                     べん

2010/11/03 20:38

 「幻の蕎麦」

 もう、ずいぶん前の話になりますが、私が中学生だった頃

今の天皇陛下が皇太子の頃、浅間温泉のある旅館に宿泊したことがありました。
その節、当店の蕎麦を出前で召し上がって頂いたことがありました。

 その時の蕎麦を私も味見させてもらいました、

舌の上でとろけてしまいそうな、上品でやさしい味・・・
いままでに食べたことのない、忘れられない味でした。

 最近になって、親父さんにその時の蕎麦の話を聞きますと、
「別に特別な蕎麦じゃない、普通の蕎麦だったと思う」と言う。

 しかし、今でも私はあの時の蕎麦の味は、

もう一度食べてみたい幻の味であり・・・

いつの日か作ってみたい幻の蕎麦である。



 「普通の蕎麦」

 まだ、私が蕎麦を打ち出して数年の頃だったと思います。

 その頃、当店の職人だったシゲちゃんが調理場から店内の一点を見ていた。
そこを通りがかった私は「シゲちゃんどうしたの・・・」と聞いたら、

 いやー「俺も何十年この仕事をしてきたが、あんなに見事に蕎麦を食べる
お客さんに出会ったのは初めてだ」と見入っていた。

 私も、そのお客さんの蕎麦を召し上がっている姿に目を奪われました。

「蕎麦を食べるリズムが一定で無駄がないんです、流れるように自然で、
美しいんです」私は思わず、お客さんに声をかけてしまいました。

 「お蕎麦はいかがでしたか?」

すると、う~ん、と首をひねって・・・

「そうだな~ここの蕎麦は、生まれて初めてここの蕎麦を食べて、

 そして、あちこちでいろいろな蕎麦を食べて・・・死ぬ前にもう一度

 ここの蕎麦を食べて死にたい!」そういう蕎麦だな~と 一言。

 「ごちそうさま!会計して下さい」 そして、二~三歩 玄関の方へ歩いたあと・・・

「あなたは真面目に仕事をしていますね! 私はこういう普通の蕎麦が
あってもいいと思う。頑張って、これからも蕎麦を作り続けてください」と言って・・・

 颯爽と玄関の戸を開けて去って行きました。


 私は、先程言われたお客さんの言葉に、ガーンと頭を殴られたようで
しばらくの間金縛り状態で、お客さんの名前を聞くことも考えられませんでした。

 私は、この時から「普通の蕎麦を作り続けていきたい」 と、心に刻みました。


                             べん

前後裁断

過去を悔むより
先を不安に思うより
今あることを考える

2010/10/29 18:44


(1) 『声が聞こえる・・・』

朝一番にそばを打つとき、木鉢にそば粉を入れ手を合わせる。

「今日一日よろしくおつき合いください」

このようにして一日が始まるのも二十数年になるだろうか。

私が若かった頃、「日本一のそば屋になりたい・・・」と
肩に力が入り、思いばかりが空回りしていた時期がありました。

 長女がまだ小学校に上がる前だった頃、娘にそばを食べさせた、
丁度その日、私の親父さんが年に数度しかそばを打たない、そばを打った、

 いい機会なので親父の打ったそばと、私の打ったそばを
娘に食べさせてみよう・・・

すると、娘が言うには・・・

 「お父さんの打ったそばもおいしいけど・・・

おじいちゃんの打ったそばのほうが、もっともっとおいしい。」

 子供は正直です・・・ね!

 私は毎日何度も一生懸命やっているのに、形も揃っていて腰もあるはずなのに、
親父さん年に数度しか打たないのに、そばを打つ時間も短いし、
そばも太いもの細いもの・・・不揃い! おかしいな~

私も親父さんのそばを食べてみました・・・

娘が言うように、私の打ったそばより、味わいがあるんです、
中身があるんです。そして何か、やさしい味がするんです。

 私の打ったそばは、形ばかりで中身がなかったのです・・・

娘や親父さんのおかげで、私は自分の未熟さを知りました。

 それから1~2年後、いつものようにラジオを聞きながらそばを打っていると、
ラジオから「これからはベストワンよりオンリーワン」の時代だよね・・・
という言葉が心に入って来ました。

 そうなんだ、ベストワンじゃなくてオンリーワンでいいんだ!
今まで、どこか「ベストワンになりたい」と、肩に力ばかり入っていて、
自分が主役になって、材料(そば粉)が脇役になっていたんじゃなかったのか・・・

 「ベストワンじゃなくていいんだ、オンリーワンでいいんだ」
と思った時から、肩の力が抜け楽な気持ちになった。

「主役はそば粉で私はお手伝いする人」なのだ・・・

 その時から、木鉢に入れたそば粉に自然と手を合わせるようになり、

そして、声が聞こえた・・・

そば粉が私に・・・

 『お前もようやく職人の入り口に来たな』・・・と

                               べん


前後裁断

過去を悔むより
先を不安に思うより
今あることを考える

2010/03/23 16:33

 もう三十年以上前になりますが・・・

先代の柳家小さん師匠がお越しになった時、

色紙にサインを頂きました。

一枚は、あるぷすそば店に、「たぬき」を・・・

これは、「他抜」と書いて縁起ものだそうです。

たぬきの傘の部分は醤油で色をつけてあります。






もう一枚は、私に・・・「色即是空」を、

これには少々いきさつがありまして・・・

「小さん師匠と一緒に来た、警視庁の刑事と

訳があって、私が喧嘩になってしまいました。

その時、小さん師匠が私に色紙を書いてくれ、

その場を収めてくれました。」

この色紙を頂いてからは、私は喧嘩を

することが無くなりました。









小さん師匠はこの時、もりそばを五枚

召し上がりました。おそばの食べっぷり

などは、本当にほれぼれするものでした。

その頃は私も二十代で若かった事もあり、

また、大変ご迷惑をお掛けしたこともあり、

私が年を重ねた今、是非、もう一度お越し

いただき、そばを召し上がって

ほしかったのですが・・・

その願いは、叶わぬものとなってしまいました。

師匠から頂いた色紙は常に店に飾らして

いただき、大切にしております。


師匠の、ご冥福をお祈りいたします。


               べん

2010/03/20 21:00

 

「ラストサムライ・IN・あるぷす」

先日、あのラストサムライのWさんがいらしゃいました。

あの映画には、私自身思い出がありまして・・・

「数年前のある日、高校生だった娘が友人と
ラストサムライを見てきてすごく良かったよ・・・
特にWさんが素晴らしかった、」と感激して話を
してくれました。その話を聞いて、「お父さんも
是非、見たいな~と言うと、じゃあ一緒に行こう」
と、言うことになって二人で映画館へ・・・
素晴らしい映画で感激しました。

 娘(次女)と二人で映画を見に行ったのは、後にも先にも
この時、一回だけだったのでとても印象に残っています。
忘れられない思い出となりました。

 おそばを召し上がって、帰り際に、Wさんに
そんな話をさせていただくと、わざわざ車まで筆ペンと
印鑑を取りに行ってくださってサインをしてくれました。




 おそばはお口に合いましたか・・・とお聞きしますと、
「そばは大好物なんです、美味しく頂きました」と、
颯爽とお帰りになりました。その後ろ姿はまさに
ラストサムライのような潔さを感じました。

 本当に有難うございました。


                 べん

2009/10/20 18:38

 私の思うところ、そばの一生(一年)と
女性の一生を重ね合わせてみると・・・

 新そばは、10代のモチモチとした弾力
のある肌合いの、色白な女性の感覚。
しかし、あっさりしすぎて味わいが足りないかも!

 味わいが出てくるのは、新そばが出だして
から2カ月程過ぎてから、「色・香り・味」
のバランスがとても良い!
そう、女性で言ったら20代・30代位か・・・?

 また、梅雨、暑い夏のそば粉にとって
厳しい季節を過ごしたそば粉は、女性に
例えたら経験豊かな熟年期、味わいの深い風味!

 そば作りには少々気を遣いますが
職人としては、1年のお礼の意味も込めて
そば作りにやりがいを感じる時期です。

 私は、「新そばを1日でも早く・・!」
という思いは、分からないでもありませんが、
ただ早ければいいとは思いません。

 実は、1年前の玄そばを少し取っておき、
新そばに少しブレンドさせることによって
新そばに足りない「味わい・深み」を
感じることができると思っております。

 これは、この時期にしか味わえない
楽しみでもあります。あと数日で終わります。
よろしかったら是非ご賞味ください。

 最後に、そばの香りでいえば一番
強く感じるときは、水回し・(そばを練る
時の最初の作業)でそば粉に水回った時に
一瞬、香り立つそばの香りは、
そば打ちの時だけの特権かも・・・?

               べん



 

2009/04/28 19:21

 まず最初に待っていたのは、ラジオの生出演と
新聞社での取材でした。日系のラジオ放送なので
日本語でよかったのですが、なにしろ初めての経験で、
ちょっと時差ボケもあって、とんちんかんな受け答えを
してしまい、恥ずかしい思いをしてしまいました。

 そば打ちパフォーマンスを行ったのは、ジャパンタウン
にあるJCCCNCという日系人の公民館のような所です。
日系人を中心に四十人ほどの方がいらっしゃって、
今回のそば打ちを楽しみにしていてくれたようです。
期待に応えられたのならよかったのですが?・・・
皆さん優しい方ばかりで喜んでくれたようです。
自分としては精一杯やらせていただきました。

 調理場で後かたずけをしていると、一人の男性がやって来て
、『私はサンフランシスコにきて二十年になるが、
日本人の心を忘れかけていた、
今日、齊川さんに会って日本人の心を
思い出すことができました。
是非、私の店でお寿司をごちそうしたいので
来て下さい。』と言われました。

 この方は、「WE-BI-SUSI」というお寿司屋さんを
サンフランシスコでやられている方でアンデイー殿塚
さんと言われます。あまり熱心に殿塚さんが誘って
くれたのでお言葉に甘えることにしました。

 殿塚さんの店はあまり日本人観光客の来る地域では
ないとのことで、店の中は外国の方ばかりでした。
殿塚さんが、サンフランシスコに来てから二十年、
アメリカの方のも合うように工夫してきた、という寿司
は、とてもやさしい味で美味しかった!
 
 殿塚さんの店には、松本市出身の若い女性の店員
さんがいてビックリ!また、美奈さんという年配の女性
が私に『うちの親方がさっき帰ってきて、今日はいい人
に合った、と大変喜んでいました、齊川さんに会えたことが
よほど嬉しかったようです。』と言ってくれました。

 私も嬉しくなって、そば打ちの話や、信州松本の
花がいっせいに咲く今頃の季節の話などをしていると
美奈さんは、『私は今日まで長い間生きてきて、
五分間話をしただけで、こんなにさわやかな気持ち
になったのは齊川さんが初めて!』と
すこし濃いめの化粧の目から、黒い色をした泪が
頬を伝わりました。

 若い頃アメリカに渡り今日まで人に言えない
苦労をしてきたんだな~と思うと、私も涙が
知らずに頬を伝って来ました。

 あ~アメリカまで来て良かった!
『感謝する気持ちと感動する心』を
教えていただきました。
                       べん
 

2009/04/09 20:39


 いろいろとアクシデントがありましたが、
なんとか、サンフランシスコに着きました。
今回の企画の責任者のジェニーが
迎えに来てくれました。

 ジェニーの車で、あのゴールデンゲートブリッジを
渡り、サンフランシスコの対岸にある滞在先となる
テイブロンの町に着きました。

 その夜は、近くに住む芳子さんのお宅で、
打ち合わせを兼ねたパーテイーがありました。
ベランダから見える風景は、眼下にサンフランシスコ湾
が広がり白い帆を上げたヨットが点々と浮かび、
向こう岸にはサンフランシスコのビル群が立ち並び、
左の方角には、昔、監獄だったアルカトラズ島や
さらにその先にはベイブリッジも、かすかに見えます。

 しばらく、今まで見たこともない素晴らしい景色に
見入っていると、、長旅の疲れが一気に
吹き飛んでしまいました。
そして、遠くまでやってきたんだな~
さあ、明日から頑張るぞ~と、
勇気が湧いて来ました。

                      べん

2009/01/13 16:20

「今まで、生まれてから今日まで、この浅間温泉から
出たことがないので、書道で使う動かない・・・文鎮(ぶんちん)
というタイトルでブログを書いてまいりましたが、
今回からは海を渡ったことにより人生の転機となった
事などを書いてみたいと思います。」

続きを読む...

2008/10/25 21:09

文鎮 Ⅴ
『ベストワンよりオンリーワン』

三十代前半は、そば職人として目覚め、
毎日、一生懸命そば打ちに励んでおりました。
「日本一のそば職人になるんだ。」という思いが
心のどこかにありました。

 そんなある日、私の父(3代目)がそばを打ちました、
(父はその頃はもう、年に数回しかそばを打つことがありませんでした。)
父の打ったそばと、私の打ったそばを、
たまたまその場にいた、4~5歳になる私の娘に食べさせると、
「おとうさんの打ったそばもおいしいけど、おじいちゃんの
打ったそばのほうが、もっと、もっとおいしい」って言うんです。

 娘の言葉に私は絶句してしまいました。
私も食べ比べてみると、娘の言うとうり
父の打ったそばの方が、味があるというか、
やさしい味がするのです。私の打ったそばは、
形はきれいにそろっているし腰もあるように思うのですが、
味わいがないんです。

「俺は毎日、何回も必至にそばを打っているのにそんなはずは・・・
父は年に何回しか打たないのに、どうしてなんだろう?」


 それから、しばらくの期間(1~2年)悩みました。
そんなある日、朝一番でそばを打つ時、木鉢に入れたにそば粉に
心の中で「今日一日よろしくお付き合いください。」と
自然と手を合わせておりました。、

 ようやく私は気がついたのです、いままでは
自分が主役になろうとしていたんだ、と・・・
「主役は素材(そば)であって、自分は脇役(お手伝い)なんだ。」
その時、そば粉が私に声をかけてくれたんです。

 「ようやくお前も職人の入り口に来たな・・・」

本当に私には声が聞こえた気がしたんです。

そんな時ラジオからこんな言葉が聞こえて来ました。
(SBCラジオのつれづれ散歩道)
「これからはベストワンよりオンリーワンの時代だ」と・・・

そうなんだ、ベストワンじゃなくていいんだ、
それぞれが個性を持ったオンリーワンなんだ。

それから私は、肩の力が抜けて、少しはやさしい味のする、
そばが打てるそば職人になれたような気がします。

そば粉の声を聞いて以来、二十年余り、
毎朝そば粉に「今日一日よろしくお付き合いください」
と、手を合わせ、今日もまたそば打ちができることに感謝し、
そばを食べに来て頂いたお客様に感謝しております。
                       

                          べん

 


2008/07/04 14:09

『職人・・・もの作りの魅力』

 私が30才になる頃、近所に「手仕事屋きち兵衛」
さんが木彫の店を開きました。

 手仕事屋・・・少し変わった名前に興味をひかれ
店の中を覗いていると、モジャモジャ頭に
顔中ひげだらけのちょっと気難しそうな人が
小さなこたつの上で黙々とノミで木を彫っていました。

 「近くで見せていただいてよろしいですか。」
と聞くと「どうぞ・・」と応えてくれたので、
遠慮なくこたつにはいり込んで
見させていただきました。

 ノミが木を削っていくときの木肌の美しさに魅せられ、
暇を見ては毎日のようにお邪魔して、きち兵衛さんの
美しい仕事ぶりに見入っておりました。

 「俺もこんな美しい仕事のできる職人になりたいなあ!」
と思うようになりました。
今、思えば本気でそば職人になろうと思ったのは、
きち兵衛さんとの出会いがあったからだと思います。

 木彫とそばの違いはありますが
「手仕事屋きち兵衛さん」が私にとっての
師匠といえるかもしれません。

 その後、何年かしてきち兵衛さんが
弾き語りをしてCDを出し、コンサートを
やるようになるとはその時は
想像できませんでした。

                   べん

2008/05/22 9:10

 『写る』

            イカリソウ

 そば屋の跡を継ぐといっても、すぐにそばが
打てるようになるわけではなく、出前配達や掃除、
接客や会計、経理などをやっていた。

この仕事を始めるまで、恥ずかしながら、
りんごの皮もむくことができなかったのです。
仕事の空いた時間に毎日、野菜などの切れ端
を包丁で切って練習しました。
いつかそばを切る日が来ることを
思い描きながら・・・

2年程経った頃、親父さんが「手打ちうどん」
を作ってみないか!と言った。
(そばを打つのに役に立つから)
ということで4年程打ちました。
ねって、ねかせて、足でふんで、
生地を麺棒に巻きつけながら
麺台に叩きつけるようにして延ばしていきます。
結構、力のいる作業でした、
夏と冬では塩水濃度が違い、
冬は、うどん生地を足で踏むときなどは
足の底から冷たさが伝わってきました。

 私が初めてそばを打ったのは24才の時でした。
そばを打つということは私にとって
覚悟のいることでした。
いままで長い間、そば職人のしげちゃんがそばを
打ってきたので、私がそば打ち場に入るということは、
しげちゃんの仕事を奪うということになるからです。
その覚悟ができるまで6年かかりました。
実際、私がそばを打ちだしてしばらくすると、
私がしげちゃんにそば打ちをお願いしないかぎり
しげちゃんは打ち場に入ることはありませんでした。


初めて打ったそばを、
今は亡き、美鈴湖の昭平叔父さんが
丁度店に来たので食べて頂くと、
お世辞もあったと思いますが
「初めて打ったとは思えない、
親父の打ったそばにそっくりだ
血は争えないな・・・」といった言葉を思い出します。
(叔父さんは、美鈴湖で民宿をやっていて
手打ちそばも打っていました。)

 そういえば子供の頃、ランニングシャツ姿で
首に手拭をかけ、汗をかきながらそばを打っていた
親父の後姿に、骨格とか筋肉の動きが
目にやきついている。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」と言います。
やっぱり、写ったのかな?・・・



                       べん

2008/04/24 15:55

文鎮 Ⅱ

『かけそば一杯、 もりそば一枚のお客を大切に・・・』

私が20才の時、今の店を新築しました。
(跡を継ぐことを決めたということもあったかもしれません。)
その頃は、浅間温泉も賑わっておりました。
芸者さんがお座敷の行き帰りに、きれいな着物姿で
歩く姿は、華やかなものでした。
店にも毎晩のようにお客さんと二次会で来てくれて、
夜遅くまで三味線の音色が響いておりました。
(今では、遠い昔話となってしまいました。)

23才の頃、私の祖母が亡くなりました。
仕事で忙しかった両親に代わり、子供の頃
何かと面倒をみてくれました。そういう意味では
私はおばあちゃん子だったかもしれません。
その祖母が死ぬ間際に、私ひとりを病室に呼んで、
『かけそば一杯、もりそば一枚のお客を大切にしろよ、
ねぎは良くさらせよ・・・』と言い残して
息をひきとりました。

 私は祖母の亡骸を背負って、病室から中庭を歩いて
玄関の霊柩車まで運んだ時、祖母の重さだけでは
ないものを、肩にそして背中にずっしりと感じ、
一生そばの道を歩んで行くんだ・・・と思いました。
 


店内から見た庭
    
                     べん

2008/03/08 20:34



 『道は開ける』

 人の気配で目を覚ました。まだ夜明け前、
外はまだ暗い。ふと振り向くと人影が、・・・
目を凝らすとそこには、
おやじとおふくろが座っていた。
そのとき初めて、両親から
『店を継いでくれ』と言われた。

 その朝始発の汽車で、私は
東京のある料理店に
修業に行くことになっていた。
いずれ時期が来たら店を
継がなくてはいけないかな・・・
とは思っていたが、
とにかく今は都会に出てみたい、
という思いだけで深く考えていなかった。

 その時私の頭の中に浮かんだことは・・・
そして口から出てきた言葉は
『車を買ってくれたら、店を継いでもいいよ』
その頃車の免許を取ったばっかりで
毎日車の本ばかり見ていた、
〔サターンエンジンでマフラーが
バリバリのGSハードトップ〕
そう、あの車がほしかったのです。

 私は店が終わると毎日その車でドライブ、
<マフラー バリバリ イワセナガラ・・・>
後で考えると、ずい分ご近所に
迷惑をかけたみたい!

 そんな生活を2年も続けていると、
さすがに自己嫌悪になってくる、
仕事は何も出来ないし、
床屋には2年も行っていないし、(学生時代は
ずっと丸坊主だった反動か?)
頭の毛はボサボサ・・・心はモヤモヤ。
『俺なんか生きていても意味無いんじゃないか』と思うこともあった。

 そんな折一冊の本に出会った、
『道は開ける』(D.カーネギー著)だ。
「あなたは今どん底にいる、今より底は無いんだ!
静かに目を閉じて、そこに座ってごらんなさい、
暗闇の中で心しずかに何も考えずに・・・
さあ、目を開けて上を見てごらんなさい、
小さな光が見えるでしょ!
足元を見てごらんなさい、
今、足元にあることをやればいいんです!
あとは、光を目指して
一歩一歩登って行けばいいんです。」と

 私の心のモヤモヤは
一冊の本によって晴れました。

 今、俺に出来ることはなんだろう・・・
次の日から一生懸命出前配達をやりました。
若かりし頃の思い出です。
しかし、これが文鎮の始まりになろうとは・・・。
                        べん                    
 

2008/01/30 8:43

昨年、新そばの収穫の頃、北海道を旅する機会がありました。北海道は国内で、そばの生産量が日本一です。自社でも北海道産のそば粉を使っていることもあり行ってみたい所だったので、旅行の何日も前から大変楽しみにしておりました。

 そんな私を見て、友人が「旭川に行くなら、是非行っておいで」と一軒の居酒屋を紹介してくれました。その名は「独酌 三四郎」旭川の繁華街を少し抜け、一つ通りを入ったところに、その店はありました。年代を感じさせる古めかしい民家調の建物で障子戸を開けると、中はまさに北国の居酒屋といった風情です。煙でいぶされた天井、壁は長い年月を経てどっしりと重厚な色をしています。日焼けしていて、ごま塩頭の漁師のような親父さんと和服の似合う女将さん。少し遠慮して、カウンターの一番端に座りました。カウンターの中では使い込まれた小さい丸椅子に親父さんがちょこんと座り火の番をしています。女将さんが焼いている魚の土釜。その土釜は真っ黒に黒光りして、それはそれは懐かしい昔ながらの土釜です。私は子供の頃、お袋の実家にあった土釜を思い出しました。『いまだに使っているんだ』子供の頃の懐かしい記憶が、よみがえるような不思議な気持ちでした。そんな私に気づいたのでしょう。親父さんが、「ここに店を出してから五十年も使っているんだよ・・・」と、ボソッと話しかけてくれました。

 私は、その土釜にすっかり心を奪われて、いっぺんでこの店が大好きになりました。ようやく気持ちが落ち着き、手もとにあるお通しを見ると煮大豆が数粒。一つ食べてみて、私は驚きました。存在感のある大豆の味が口いっぱいに広がり、「これぞ素材の味だ!!」と唸りました。 これなのです、私が大切にしていることは!

 そば打ち職人を続けて30年。振り返れば長い年月ですが、毎日、本当に毎日、素材に生かされている。どんなに腕があっても素材の力がなければ、うまいものはできないと考えています。だから私は素材を生かし、また同時に私も生かされていると信じています。毎回、そばに向き合うたびに無心になり、そばの声を聞く。そこからお互いに、うまいものを作っていこうじゃないか!と始まるわけです。

 この大豆。薄味なのにしっかりと主張があって、私は参りました。親父さんの友人が作っているそうです。手作り豆腐もあるとのことで、それもいただきましたが、何せおなかはいっぱい。(北海道だからと夕食は寿司フルコース。食べ終えるのももどかしく、三四郎目指して飛び出してきたからです)女将さんが「半分にしましょうか?」と、やさしく声をかけてくださり半分の豆腐をいただきました。今でも、全部食べたかったなぁと悔やまれます。 土釜、お通し、豆腐で幸せいっぱいになり、次回は女将さんのお任せコースで一杯やりたいなぁと後ろ髪を引かれる思いで宿に帰りました。帰り際、記念にと思って頂いてきた箸袋。宿に着いて、楽しかった時間を思い出しながら、改めて見ると、そこには、大きく大きく 「原点」 と店主の筆字で書いてありました。

 原点・・・胸を突かれました。
 私の…私の原点とは何か?箸袋を見つめたまま私は動けず、深く考えさせられました。
 人は各々自分の原点を持っています。物を作るという仕事は、自分の作ったものに己のすべてが映し出されることだと思っています。なぜなら、そば一打ち、一打ちに誠にはっきりと自分の心の状態が現れることがあるからです。

「平常心」 常に平穏な心を持ち続けることは職人として第一条件だと思っています。だから、三四郎の「原点」という文字に『ああ、この人も私と同じ考えを持っているのだ』とはっとしたのです。原点とは、そこを出発して、長い人生を歩み、最後に必ず還って来る処です。自分の原点をさがす、もう一つの旅に出てしまった私です。

 原作 べん( 大将) 脚色 万里ちゃん 構成(信大生)内田、太田(友人) 大竹
         

2008/01/29 8:00

私は生まれて今日に至るまで、この地を離れたことがありません。
「そば屋の四代目を、いつの日か継がなくてはならないのかなあ~」と、漠然と思っておりました。若い頃は、「自分には、もっと、違う道があるんじゃないか・・・もっと、可能性があるんじゃないか。」と、あがいておりました。でも。他に能もないので、結局後を継ぐ事になりました。

しかし、年を重ねて五十も半ばを迎え、今では、天職だったかな~と思えるようになりました。もちろん、長い年月の中では、自分の人生、間違っていたんじゃないか?と思うこともありました。
そんな中で出会ったり、お世話になった方から戴いた『シンプル イズ ベスト』『スモール イズ ビューティフル』『ベストワンよりオンリーワン』という、言葉が私の中で心に残り、仕事をしていく上でのキーワードになっております。
その上で、一番大切な『誠意』を忘れずに、毎日そばを作り続けて生きたいと思います。

この狭い店の中で、毎日同じ仕事をしているだけの自分ですが、「いつの日か空の高さ(深さ)を知る日が来ることを、夢に描きながら・・・。」

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プロフィール
手打ちそば あるぷす 四代目店主 齊川 洋です。
このブログでは、『そば』について、私が日々感じることを書いていこうと思います。

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