万年体調不良の副理事長の奥村です。
9月第一例会は、例会の後など、ご意見頂き本当にありがとうございました。公益社団法人になっても、従来の青年会議所活動が変わらない。この一言につきると思いました。
話は変わりますが、普段は前向きなことをブログしますが、今回は私の家族の輪が崩壊をしそうなこともあり、ほかのことをブログ書ける状態で無いので、今回はかなりブラックなことでお許しください。
子供ネタですが、この数日悩んでいる事があります。実は自慢の長女ですが、皆さん金管バンドは知っていますか、そこで起きている差別など本来ある、「楽しい」「憧れ」などで始めた、音楽活動が担当の先生の行動や言動で悩んでいます。
かなり前から悩んでいたようです。
我子だけなら言いのですが、これがまた少なくても数人いるようです。
只今調査中ですが、調査をすればするほど、つぎつぎと安打製造機のように出てきて、腹の立つことばかりで、ビックリすることばかりです。
また、解ったことですが、先生のエゴと自己満足を達成するために、子供が道具になっているようです。
本当に笑顔が無くなり、この数日、話し合いをしています。
今日も夜遅くまで、話をして久しぶりの娘の安堵の笑顔を見ました。
PTA会長をした先輩にも相談をしましたが、親として社会人として真剣に盾になり、娘の力になろうと思います。
これが、小さな社会に起こっている問題ですが、似たようなことで悩み、苦しんでいる人たちがいると気がつきました。
子供の夢を見えなくしている教育現場に、戦いと思いました。
PS:こんな事と思いますが、子供は人生で最大の悩みと打ち明けてくれました。
ここまで、気がつかないで「ごめんね」と思いました。
副理事長 奥 村 重 雄
三役ブログの火曜日担当、堀川です。
若干、人とは違う景色を見ているといわれがちな私ですが、ちょっと違った視点とか意見、アイデアが好きです。 仕事が製造業ということもありますが、固定観念から離れ、生まれたヒット商品等にはつくづく感心させられてしまいます。
そういった商品アイデア以外でも、お店のサービスとかで、自分の想像を超えるちょっとしたサプライズなどを味わうと、ワクワクしてしまいますね。
先が見えない時代とはいわれますが、人は感動によって行動する生き物であり、それは決していつの時代でも変わらないのでしょう。だから、気遣いの上手なお店にちょっとしたサプライズを受け、感動した時などは、
「こういう店はお客が途切れないんだろうなぁ」と実感しますし、案の定、隠れた人気店だったりしますよね。
ということは、人が喜ぶサプライズを簡単に思い浮かべ、それをすぐ行動できる人は景気などに大きく左右される事はないだろうし、その人達の行動こそが、現状の脱出を願う人達にとってのお手本なのかも知れません。
ここ数日、私が味わったサプライズを2つ。
一つは、思いがけないお見送り、お出迎えです。
先週末、北海道に行ってきたのですが、朝の空港にある方達がお見送りにきてくれてました。
これにはびっくり。 全く聞かされてもなかったし、想像もしていませんでした。 その見送りだけのために、早朝から空港まで来てくれたと思うと、とても感動しました。 神経の図太い私ですが、結構こう見えても繊細な部分がありまして、このようなサプライズに弱いです。
北海道からの帰宅時には、飛行機が1時間以上も遅れていたにも関わらず、ゲートには私服の水野谷理事長の姿が。。
ありがたい事ですね。 こういったサプライズからは色々な事が学べ、また日常や仕事上に対しても、大きな影響を与えるだろうなと感じました。。
二つ目は、仕事の忙しい友人からの言葉でした。
ある装置をつくろうとアイデアを2人で話していたのが数日前。 さらなるアイデアを盛り込もうと、電話してみると、
「あー あれね。もうできてるよ 笑」
。。。。。とてもびっくり。。 自分の期待と想像を超えた動きを見せつけられると言葉がでないですよね。 議論よりも事実を用意し、それに対して次の議論ができるわけだから、本当にありがたいなと思いました。 しっかし、あれだけ忙しいのに、ひそかにすでに行動していた友人の姿からは、またまたいろんな事が吸収できると思うと、ワクワクしてしまいます。
ちょっとした2つのサプライズだったかもしれませんが、私にとっては 大きな気づきとなります。
閉塞感を打破するには、他人へのサプライズを普通に、さらっと実践するのみ。 いいかえればそれが【おもてなし】とも言えないでしょうか。
いやー 感動した日々が続いたなー。
月曜日担当の中田です。
先週の9月2日(木)は活動カレンダーでの報告にもありました通り、この日は松本JCの例会が開催され、この例会では公益社団法人をテーマにし、様々な発表が担当委員会である総務組織改革委員会からありました。
2006年に国会で法案成立した公益法人制度改革関連法案3法のもと、公益法人制度改革が行われるのですが、この制度改革では、現在の100年以上続いてきた公益法人制度を見直し、現在の公益法人である社団法人(財団法人もそうですが)がこの制度改革において公益社団法人となるか一般社団法人となるかそれとも一旦解散して任意団体となるかを2013年11月までに決めて申請しなければなりません(解散の場合は申請は必要ありません)。そこで松本JCは2009年の新年総会にて現在の社団法人格を、公益社団法人格へ移行するということを総会決議し、現在その移行手続を進めております。
そこでこの例会において公益社団法人格へ移行する松本JCとして今後どのように運動を行っていくか、もしくは変わっていくのかということが発表されたわけですが、基本的にはやることは変わらない。それよりもメンバー一人一人の「明るい豊かな社会の実現」に対する運動への意識を、より明確に打ち出し、それを実行する強い意識が必要なんだなと感じました。過去から現在まで続いている松本JCの活動自体、どれも公益な活動であり、その活動自体をこの法人格の移行により変わるものではないからです。
この後の臨時総会にて来年度の理事長ほか監事や理事が承認され、私がその来年度の理事長として承認頂いたわけですが、その思いをしっかり持って、来年度の理事メンバーを始め松本JCメンバー全員とJC運動を行っていくことを改めて胸に誓いました。
皆さん、こんにちは。
来週の土曜日ブログの日にちを見て、執筆代理人として最近巷を騒がせている蟻氏を指名しようと考えている大蔵俊介です。
昨夜、テレビで「全国高等学校クイズ選手権」が放映されていました。
実は僕も地方予選敗退ながらも、高校生の時にこの「高校生クイズ」に参加したことがあります。
当時、僕もまた水野谷理事長と同じく、「ニューヨークへ行きたいか!?」というクイズ番組に夢中になっていたのです。
高校生クイズの特徴は、やはり「三人一組」での知力勝負という点です。
地方予選では、まず「YES・NO問題」でかなりの数を絞る訳ですが、三人でこの二択の答えを出すというのが、一つの醍醐味でもあります。
二択とはいえ三人で相談し合って答えを出し、YESorハイル・・・いや失礼、YESorNOエリアに移動し、正解発表を待つ。
「正解はァ・・・正解はァ・・・これだァ~!!!」という司会者(ちなみに僕らの頃は福澤朗アナでした)の声と共に訪れる審判の時。
正解だった時のあの喜びと次につながるワクワク感。
不正解で敗退が決まった時の何とも言えない脱力感。
夏の暑さと共に、十数年経った今でもあの時の感覚ははっきり覚えています。
一緒に参加した仲間は、今どうしているだろう。
僕と同じ想いでテレビを観てくれていただろうか。
「三人寄れば文殊の知恵」
参加した者にしか分からない、文殊の知恵以上の友情と一体感、素敵な夏の思い出がそこにはありました。
それにしても、今の高校生クイズってあんなに難しいんですね!?
人間の脳の大きな可能性を感じました・・・・・・。
「自問党・選対事務局長」
大蔵 俊介
皆さん、お元気ですか?
民主党の代表選が話題になっています。正直カンかオザワか?って究極の選択ですよね。何だかなあ、て感じです。それよりも一刻も早く景気対策を実践してほしい、それが今最も国民が求めていることである、と思うのですが、皆さんもそう思いません?
あと一つ、民主党の代表選ってサポーターも投票権あるみたいですが、民主党のサポーターって“在日外国人”もなれるんですよね。
実質我が国の総理を決める代表選で投票権のない外国人が投票できる、ってこれって憲法違反じゃないんですかあ、民主党さん!?(不思議とマスメディアは取り上げません。悲しすぎる)
実は真に私が興味を持ったニュースをもう一つ・・・先月末で行われた自問党の記者会見に於いて「公共事業復活」を謳ったことです。
自民党の記者会見(8月30日)
結構重要な方針転換、だと思いました、ハイ。
さて、「スズキ・メソード」についてです。
時折自らが指導者である妻と様々な話をし、自分なりの「スズキ・メソード」像が雑駁ながら出来上がってきましたので、ご紹介します。(リアルな関係者にとっては私の稚拙な理解によるスズキ評を寛容なお気持ちでご覧ください。)
「スズキ・メソード」とは何か?
ホームページを見ると“音楽教室”という冠がついているため、一見ヴァイオリンやピアノを教えるヤマハなどの音楽教室と同類と思われがちですが、実際はちょっと違うようです。
俗に「幼児教育」と呼ばれていますが、「音楽」を通して心を育む「情操教育」を60年以上も前から提唱している団体が、スズキ・メソード≒才能教育研究会であります。(たぶん)
つまり、ヴァイオリンやピアノを弾けるようになること(音楽家を育てること)が目的ではなく、そのプロセスを経て子どもを、そしてその人格を立派に育てる(人を育てる)ということがスズキの最終的な目的というわけです。(個人的には、“音楽教室”と冠を付けるのは誤解を招くと思うので辞めたほうが良いような気がします。←妻の意見ではありません。)
そういう意味では、スズキ・メソードを「教育方法((≒母国語教育法)として捉える側面だけではなく「教育哲学」として捉える側面もあると思います。
今は亡き鈴木鎮一氏が確立されたので教育方法論として論じられることはいささかの問題もないでしょうが、実際はその根底にある「教育哲学」こそがスズキ・メソードたらしめているのである、と考えます。
「どの子も育つ 育て方ひとつ
どの子も育つ 親次第
どの子も育つ 先生次第
どの子も育つ 自分次第」
というお言葉からも窺えるように氏が訴えているのは「人間の能力は生まれつきではない。生きようとする生命の力が働いて、おかれた環境に自分を適応させ、その能力をつけていくものだ。つまり、どの子も育て方次第でそのように育つのだ」(引用:「愛に生きる」講談社)というお考えです。
正に環境の優劣が能力の優劣に強く作用するわけで、スズキ・メソードを全く知らない人が、3~4歳の子どもたちが上手にヴァイオリンを弾いている姿を目の当たりにすると子ども達の“能力”に驚くのですが、それは決して生まれつきそのような“能力”を持っているわけではなく、彼らの“成長の結果”を目にしているにすぎないのです。
「スズキ・メソード」に限ったことではありませんが、確かに「どの子も、うまく育てれば、みんな高くよく育つ。その可能性を備えて生まれてきている」わけですが、うまく高く育つかどうかはそのような環境が与えられるか?ということが先ずは大事であると言えそうです。
幼児期に於いてはその環境を与えらるか否かは「親(又は先生)次第」になるわけです。
つまり、最終的には「どの子も育つ 自分次第」と謳われているように、上手に弾けるかそうでないかは“自分”がどれだけ正しい努力を積み重ねたか?に行き着くわけですが、本人にその自覚がない幼児期にこそしっかり教えて育てる環境を、親が、そして先生が提供してあげることが何よりも大事である、という考えこそが正にスズキ・メソードの活動の根本にあると思います。
専務理事方針に「愛深ければ為すこと多し」という文面を引用したのも妻がスズキの指導者であるという背景がそこにあったからであり、夫である私が「スズキ・メソード」の哲学をより深く理解し、妻の活動をサポートする事は当然である、とは思うのですが、スズキを理解するのはなかなか難しいなあ、というのが実のところです。
以前は、スズキ・メソードの運動がもっともっと広がっていけば良い、と単純に考えていましたが、これはなかなか一筋縄ではいかない気がしています。それは、「スズキ・メソード」があまりに哲学的で奥が深い、ということもその要因の一つであろうと思うからです。
まあ、せめて発祥の地である松本の人間は「スズキ・メソード」の教育哲学に触れ、より深い理解を持っていても損はないであろう、というのが今日の結論です。
それでは、皆さん最後までお付き合いいただきましてお疲れ様でしたm(_ _)m。
また来週。