職人のひとり言
2011/06/02 18:20

『おひさまとそば屋』

NHKテレビ小説「おひさま」





4月から始まったテレビ小説「おひさま」・・・

私も毎朝楽しみにしております。


ドラマの舞台は、豊かな自然の安曇野、松本です!







長野県のほぼ中央に位置し、雄大な北アルプスと川に抱かれた安曇野、松本!

そして、日本でも有数の産地と知られる信州そばは、

古くから貴重な食べ物として人々の生活を支えてきました。

私たちの大好きな日本食、そばが人々をつないでいきます。


ヒロイン・陽子が「太陽のようにいつも笑って世界を照らす」という

亡き母との約束を胸に、戦前、戦中、戦後を生きていくさわやかな一代記。



愛する母との別れがあった少女時代・明るく青春時代を駆け抜けた女学校時代、

小学校が国民学校となった昭和16年、念願の教師となる、つらい生活を強いられれる

戦時下で子ども達の笑顔を守ろうと奮闘するヒロイン陽子・・・


そして、陽子は松本の老舗そば屋にお見合いにより嫁ぎ、戦地へ赴いた夫のいない

婚家で、教師を続けながら義父母との生活を始めます。


「家の中では笑って暮らしましょう」と、たくましい姑とのかかわり合いに、

陽子は忘れかけていた生きる喜びを思い出します。


姑が大切にする家族や近所の人達とのつながり、そして・・・そば。

守るもののある心強さを陽子は受け継いでいきます。






私の両親は、ちょうど陽子と同世代で、三年半前に亡くなった母は、安曇野のとなりの

梓川村(現在、松本市梓川)から、本郷村の浅間温泉(現在、松本市浅間温泉)の

そば屋(当店)に戦後すぐに嫁いできました。


母は大正14年4月29日生まれ、春に生まれたので名前は春子、

戦時中は愛知県の航空機製作所に挺身隊として赴き、

戦時中は空襲により多くの人々が命を落とし、命からがら故郷に戻り結婚しました。



父は満州の戦地に出征し、終戦後シベリアに2年半抑留し帰還致しました。

もちろん戦地では多くの戦友を亡くし、抑留でも厳しい環境の中で、多くの方が

命を落とされたと最近になって聞かされました。


私が子どものころ、父は戦争の事を、あまり話をすることがありませんでした。

今思うと、口では簡単に言い表せない重たいものがあったのだと思います。


その父も今年90才になります。(大正10年生まれです)「陽子さんは11年生まれ」


ヒロイン陽子の人生と、私の両親の人生がドラマを見ていると

オーバーラップしてつい見入ってしまいます。


いずれにしても大変な時代を生き抜いて来たきたんだと思うと同時に,

その苦労の多い時代を生き抜いた来てくれたおかげで、


今の私自身と今年で創業百十八年になる当店が存在するんだと、

あらためて考えさせられます。


                   べん

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プロフィール
手打ちそば あるぷす 四代目店主 齊川 洋です。
このブログでは、『そば』について、私が日々感じることを書いていこうと思います。

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