三役ブログの火曜日担当、堀川です。


3年前の6月、その頃私はモンゴルの地にいました。

草木の無くなってしまった広大な草原に植樹を行う事業に参加したからです。この日本では考えられないその広い草原に、日本の北信越地区から参加したこの組織のメンバーと共に、数百本にものぼる苗木を植え、数年後にはその成長した木々を上空から眺めると「OMOIYARI」という字を描くという、国境を越えた夢のある事業でした。






この事業を企画した当時のメンバーの企画力、そしてその情熱とそれをまとめ上げて行くリーダーシップ等を当時の自分は参加者として眺めていましたが、それぞれの背中から伝わる「男気!」は、自分に大きな影響を与えてくれたことを覚えています。




その植樹事業のもう一つの目的。それは北信越の福井、新潟、長野から計4人の高校生を選抜し、共に日本を飛び出し、モンゴルでの植樹を通して、地球規模で何かを感じてもらうことでした。その立役者はなんといっても、夜回り先生こと水谷修さん。



この事業に共感するとともに、先生にとっても一番大切な全ての子ども達にチャンスを届けたいと、北陸信越地区で連日の講演キャラバンを実施してくださり、各地の会場で多くの観客の方々に向けて、この植樹事業への募金を呼びかけました。県ごとの各会場では、その地のメンバーが声を枯らし、募金活動を行いました。会場出口に整列する仲間達、声をあげて呼びかけ、それに呼応する観客の皆様。





その想いの形は、高校生のモンゴルへの夢切符となり、その4人の人生の更なる扉の一つとなりました。

その高校生それぞれが、どのような事情の中、どのような経緯で選ばれたのかは知りません。ただ日本の空港を度立つ時と、帰国した時の“瞳”の輝きの違いが、モンゴルを何度も往復し、相当な苦労をしたであろう企画メンバー全員に充実感を与えてくれました。




時は流れ、3年と2ヶ月―。 

8月21日、新潟県上越市。当時高校生だった4名と、その引率担当のメンバーとの“モンゴル同窓会”が開かれました。企画してくれたのは、
高校生からお姉さんと慕われた 小林さん。連絡、お店予約等を全てこなして下さり、 「再会」の場を用意してくれました。


私も車に飛び乗り、一路上越へ。 みんなどんな成長をしているか楽しみで、高速道路のスピードも上がりがちでしたが、諸事情により車のメーターが120kmを超えることはありませんでした。(6月1日ブログ参照。笑)


午後4時から始まったその同窓会。大学生になった天谷君は東京から、革作家になった小倉君は福井から、綺麗なお姉さんになった有里ちゃんは長岡から、そして松本市からは、立派な社会人となった石原君が駆けつけてくれました。当時高校生の4人は、立派にそれぞれの道を歩んでました。再会したみんな、いい顔してたなー。
モンゴルでのウーロン茶での乾杯が、3年後にはジョッキになっていることが驚きです。。。



楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、終電の時間。一人、そして一人とそれぞれがギリギリの時間まで残りながら、再会を名残惜しく帰っていきました。




後日、メンバーの有里ちゃんから思いがけず、宅急便が届きました。中には新潟のお酒2本と手紙が入ってました。モンゴルでもそして日本でも会った時にはいつもお酒を飲みまくっている私の姿が、若い有里ちゃんには印象的だったことでしょう。笑 そして添えられた手紙にはこう書いてありました。


<抜粋>
私はモンゴルに行った3年前、正直人付き合いを自ら避け、人を疑うことしかできずにいました。だけどあの1週間モンゴルの現状を知り、現地の可愛い可愛い子ども達に出会い触れ合う内に今の自分がどれだけ甘くてどれだけちっぽけな事で悩んでいるのか、思い知らされました。


【モンゴルの児童養護施設の子ども達】

【子ども達の現状を知って・・】

みんなで過ごせた1週間、私自身、言葉では表すことができない大きくて暖かい“何か”を手に入れる事ができまいた。あの出会いがなければ、、私は本当に全てにおいてダメダメなままでした。
そして21日。3年と2ヶ月経って、再びああやって大好きなメンバーで集まることができたことを本当に幸せに思います。

           ★モンゴルチーム★ 有里





今、モンゴルの木々はどうなっただろうか。
3年たって、木々が枯れてしまっていたらそれでもいい。当時、それぞれの環境で悩みもがいていた少年少女に、この事業が未来への扉となったようだから。 

当時、本当に苦労してくれたメンバーに感謝しつつ、更なる人々へのきっかけづくりに邁進したいと感じる今日この頃です

10/08/30

朝の乗鞍で

お久しぶりです。月曜日担当の中田です。ブログを担当して頂いています広報国際アイデンティティ委員会の皆さん、そして三役ブログ担当の牛越副理事長始めとします三役の皆さん、ブログを長い間アップせず、ご迷惑をお掛けしておりました。

早速ですが、昨日「Cool Matsumoto!」創造委員会の安藤委員長とメンバーの山本君と乗鞍へ取材の為に行ってきました。朝の5:30に乗鞍の観光センターに行かなければならないということで、家を出発したのが朝の4:30当然起きるのはその前ですから大体4時前でした。久しぶりにJCで朝早く起き、何となくワクワクしてた自分がいて、またそれを客観的に見て若干引いていた自分もいて、ちょっと不思議な感じもしました。

ところで、乗鞍で何があったのかと言うと、「第25回全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」という自転車の競技が開催されたのですが、これはJCA(JCIじゃありません)-日本サイクリング協会-が主催する2010JCA全日本ヒルクライムシリーズの第3戦、第1戦が6月に行われたツールド美ヶ原、第2戦が7月に行われた秋田県の矢島CUP Mt.鳥海バイシクルクラシック、その次の競技がこの自転車競技大会というものです。

写真をアップしようと思いましたが、当委員会に10月に行われる例会で写真が出てくると思いますので、写真はそこまでお待ちください。結構びっくりします。参加人数は4,000人。開催前の集合場所が乗鞍観光センターのある駐車場なのですが、そこが満杯となる状態です。そこへ行ったことがある人なら分かると思いますが、かなりの広さなんですが、そこが自転車と人で一杯。自分は初めて見る光景でしたので、結構びっくりしました。(ちなみに去年より1,000人程参加者が増えており、かなりの人気の競技大会だということです)

また競技される参加者の皆さんはみんなアスリート。恐らくみんな毎日何かしらのトレーニングを行っているのでしょう。少しでも「もしかして、自分も自転車を始めれば、同じ姿になるかも」と思ってしまった自分がバカでした。その集合地点から乗鞍の頂上付近が見えるのですが、誰かが後ろで「最後の一番苦しい所が見えるな~、あそこはきついんだよな~」と言っているのが聞こえ、大会概要を全く把握せずに会場にいた自分としては、まさかゴールがあの遠く彼方に見える頂上とは思っていませんでしたから、さっき自転車をやれば痩せるかもといった軽い気持ちが、こんな自転車は自分には出来ないなと思わされました。

そして7:00に開会式。主催者の構成団体の一つに松本市も入っており、開会の挨拶には菅谷市長がご挨拶され、7:30のスタートのスターターにも市長が立たれていました。そしてスタート、久々に味わう緊張感でした。その緊張感が何とも言えない。市長のスターターと同時に選手の皆さんが一斉にスタートを切って走り出します。ぎっしりと混みあった中で全員が渾身の力でペダルを踏み込んんでいて、そこらじゅうからガシガシとペダルを踏み込む音がし、ぶつかるんじゃないかと思うくらいでしたが、誰もぶつかることなく、颯爽と自分の目の前を通り過ぎて行きました。そんなスタートが10個ぐらいのグループに分かれて8時過ぎまでそのスタートが繰り返されて行きました。さすがに4,000人なので、マラソンのように一斉にスタートとはいかないようでした。

そんな模様が今度の10月例会の場で発表されます。もちろん取材の趣旨はこのブログの内容とは違います。是非ご期待をされて例会にお越しいただければと思います。

副理事長 中田忠章

10/08/28

刺青

皆さん、こんばんは。
スーツ+Yシャツという機会も多くなり、今週末はアイシティ21のYシャツフェアで、クールな「青シャツ」に負けない「MAKE IMPACT」なシャツを仕立てようと考えている大蔵俊介です。
今日は、父と交わした会話に感じた「想い」について記そうと思います。

明日、大学時代の仲間との集まりに出掛ける父が言いました。
「お世話になった教授の夏季ゼミの課題が忘れられない。」と。
通常、建築科の課題といえば、ある敷地に建物を計画し、平面図や立面図、断面図などの図書図面一式を描いて提出・・・・・・というのが普通でしょう。
実際、僕の大学時代の課題もそうでした。

父がお世話になった教授は、学生たちにある土地を見せ、こう言ったそうです。

「この土地に自分が建築する建物について、口頭で5分間で説明しなさい。」

学生たちは「口で説明して図面を描かなくていいなんて、楽な課題だな。」と大喜びだったようですが、実際教授にプレゼンする時、その難しさと教授の狙いを思い知ったようです。

それがどんな建物で、何のためにあって、自分がどんな「想い」でその建物をそこに建てようとしているか・・・・・・。
図面ではなく、限られた時間の中で相手に口で説明し、理解してもらう難しさを。
自分の「想い」を相手に上手く伝えることが出来ず、受け入れられなければ、どんなに手を
掛けて描いた図面も価値がないということを。

この話を通じて、きっと父が僕に訴えたかったメッセージ。
仕事でもJCでも一緒。
限られた時間と資料で、自分の「想い」を込めて相手を納得させる力を「修練」しなさい、と。
強い「想い」を持って、「JC運営」ではなく、「JC運動」を興しなさい、と。

「先輩」が体と心に「JC」の刺青を刻んでいると言うのは、やはりダテではないようです。
普段JCのことなど話しませんが、今日はなぜか素直に聞くことが出来ました。
これも「日本ランク50位の準会員」のお蔭かなぁ(笑)


「(株)井○・営業事務局長」
大蔵 俊介

皆さん、お久しぶり(一週間ぶり)です。

今日は久しぶりにエコトーク❤してみたくなった専務井上です。 

最近、長野ブロックでNPO法人(内閣府認証)エコキャップ推進協会が絡んだエコ事業を行う、とのことで若干気になったので前回の会員会議所会議の会議中に内職していろいろ“エコキャップ”について調べてしまいました。

年間販売量(2008年度)は年間57万1千㌧で、回収率が77.9%と非常に高い回収率を誇るのがペットボトル(ちなみにリサイクル率84.9%とあるが、指定業者にPETボトルを渡した時点でカウントされるため実際に“リサイクル”されている率という意味ではない。)。

ペットボトル1本30gとして年間190億本を消費。
1本100円で買ったとして約1.9兆円の巨大なマーケットが存在しています。1億人が買ったとすれば、1人当たり190本/年(ひとり年間200本買っている。)

エコキャップの重さは1個2.5g。キャップだけを集めれば、1kg当たり15円で買い取ることが出来る程度の廃プラ。

エコキャップ400個で約1kg。(1人年間200本消費すると、400個は約2年分の消費量に相当。)

1年間で200個=500gのゴミ。(1年分の200個=500gのキャップを作るのに必要な石油は約1ℓ)

さて、ECOキャップ回収リサイクルとボランティア活動をしているエコキャップ推進協会によると、キャップ400個焼却処分すると3,150gのCO₂が発生されます。

そして、400個集めると10円のワクチン代ができるとのことです。(ポリオワクチン1人分で20円)

家庭からのCO₂排出量は、1人当たり年間で2,196kgのうち、200個=500gのキャップ(年間約1.6kg)をどうかしたところで環境負荷の改善への貢献度は微々たるもので、「環境の為にエコキャップ運動しています!」なんて口に出すのも恥ずかしいレベルです、正直。(違う表現を用いると、やらないよりはやったほうが良い、ということであれば他のことを考えたほうが良いレベル)

さて、費用面から見ると、キャップ6kgを送るのに輸送料420円(佐川急便)、段ボール1箱158円、合計678円です。これでワクチンの寄付金額が60円・・・効率はわずか8.8%ほど。

同協会のキャップ回収総数は累計で2,215,148,419個(2007年7月~2010年8月20日)。重さに換算すると5,537,871kg(ちなみに1kgあたり10円の寄付とすると、約5,500万円分)。6kg当たり678円の輸送費用ということは625,779,428円が輸送費用の合計ということになります。(年間約2億円) 

ほ、本当ですか~!!? 

もちろん、この費用負担はキャップを集めた人々です。

ワクチンの寄付報告を見ると、累計で33,603,902円寄付されているわけですが(集めたキャップの約6割が寄付されている)、この6億円の輸送費用をワクチンへの寄付に使ったほうが世界のもっと多くの子どもたちが助かると思います。

むろん、佐川さんはこのエコキャップ運動でずいぶん助かっていると思います。

正直、すごいビジネスモデルです、これは(笑)。

総じて言えることですが、「エコ」がつく事業(活動)は何かとお金が動き、コストがかかります。PETボトル然り、エコバッグ然り、エコポイント然り、キャンドル系然り、マイハシ然り・・・

「エコ」のことを捉えるとき、それは決して「環境」それ自体の“マター”ではなく“「ビジネス」マター”である、というのが悲しいかな、事実です。

PETボトルリサイクル推進協議会の資料でPETボトルの回収率の推移がグラフになったものをごランください。

図:PETボトルの回収率の推移

一目瞭然なのですが、回収率が上がっているとともにPETボトルの販売量も上がっています。

この事実が全てを物語っていると思います。

皆さんの周りの「エコ」、「エゴ」になっていませんか?






長い夏休みから復帰した万年体調不良の奥村副理事長の後を受けます、木曜ブログ担当の牛越です。
どうも今年は残暑というには度を過ぎた酷暑が続いておりまして、体調を崩されていらっしゃる方も少なくないとか、くれぐれもご自愛を頂いて、ますます元気に行く夏を満喫して頂きたいと、切に希望しておりますところです。
あ、そうそう、行く夏を惜しむといえば、目下花時計公園で開催されております「サマーフェスト松本2010」、連日大いに賑わっておりますようですので、どうぞお友達をお誘いの上、お出まし下さいませ。

さて、本日某銀行の待ち合いにて、手に取りましたのが「月刊まつもと(8月号)」という雑誌、フリーペーパーって言うのでしょうか、ローカルネタが満載の「第2の松本JCバイブル」になり得る可能性を秘めた、楽しい雑誌でございます。

祭りの若衆姿の素敵な女性の表紙に、「お肉」で「元気」なんて書いてありますと、冷たいビールを焼き肉で、なんて考え始めてしまうお昼時でございました。

もともと何か興味があって手に取った雑誌ではなかったのですが、受付嬢からお呼びがかかるまでの暇潰しにと手に取った雑誌に、おやおや、と驚くような人が写真入りで紹介されておりまして、ちょっとここで触れてみようかなと思ったわけでございます。

その人とは、2010年度(社)松本青年会議所 全城シン企画行動委員会の副委員長、北原誠君でございます。別段、北原副委員長の会社の宣伝をここでしようということではないので、御理解を頂ければと思いますが、北原副委員長はJC在籍年数も長く、また街作りにかける熱い情熱の持ち主であることでJC内外によく知られる人であることは、今更補足をするまでもないかと思います。

記事を読んでいて改めて「なるほどなぁ」と思いましたのが、店舗の設計はお店の繁盛を願って仕事をすることは当然として、それが街の活性化につながるような仕事になるように、という視点を常に忘れずに仕事に取り組まれている北原副委員長の姿勢です。
「街作りが直接自分の仕事に直結する」という人はあまりいないのが本当のところではないかなと思うのですが、こういう視点を持ち続けることって、一JAYCEEとしては大事にしたいな、と改めて考えさせられました。

と、抹香臭いことを書きましたけれど、一番言いたかったことは、一緒に活動している仲間が、こうしてメディアに取り上げられるというのは、素直にうれしいものだなぁ、って思いました、ということです。人はちゃんと、見るべきものは見ていてくれるものなんだなぁって、嬉しくもなりました。

実は私も、昨日お邪魔させて頂きましたお客様のところで、「そういえば牛越君、青年会議所の方も頑張っているようだね!」と声をかけて頂きました。このお客様とお取り引きが始まったのは、私が松本青年会議所に入会する前でしたので、「青年会議所のメンバーです」と自己紹介したことは一度もありません。でも、新聞やらテレビやらでご覧になってくださったのか、この日声をかけて下さったようです。

人もお天道様もちゃぁんと見ていて下さっている、良いことも、悪いことも・・・
そう思うと身の引き締まるような思いがいたしますが、まぁあんまり緊張しても却ってボロを出すだけですから、普段通りの自然体で、もう一暴れしたいところですね。

なかなかメディアに取り上げてもらうってのは大変なことですし、願って叶うものでもございませんので、先ずは私たちの活動を私たち自身の手で、大いに発信をしていきたいものです。

以上、とどのつまりにっちもさっちもでございますけれども、またの御目文字まで。

アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎

10/08/25

初心

皆さまこんにちは

長いお休みを頂いていました。ブログ活動を再開したいと思います。
もう少しで、9月になろうとしています。8月18日は会員拡大挑戦委員会の「拡大の日」に、多くのメンバーに集まっていただき、誠にありがとうございました。本年度中に30名の拡大を目指したいと思いますが、会員情報のお持ちの方は、ジャンジャン高木委員長か百瀬副委員長まで連絡下さい。

また、9月第一例会は私の担当します、総務組織委員会で公益社団法人の例会を行います。どっぷりと公益社団法人について、学んでもらいたいと思っています。本日も委員会で、例会準備を着々とドラ犬委員長が先頭に立って進めています。

さて、JCもまとめの時期になってきますが、今朝の新聞に私の大好きなサッカーの記事がありました。内容は「日本代表監督が決まらない」と言う記事でしたが、いろいろと考えさせられました。現状として、ワールドカップ・ベスト16なのに、北朝鮮と日本の2国のみ決まっていない状態です。あれだけ盛り上がった大会のあとに、この状態は、大変この先の日本サッカー界にとって不安を感じました。もっと早い時期から何か策があったと思います。
これって、私達の団体と重ねた時、もの凄く違和感なく感じたのは私だけでしょうか。目先の成功はもちろんですが、先の未来にも繋がる行動が、大切だと感じました。
残りの任期を2009年度の理事とし考えて行動しようと改めて思いました。

社団法人 松本青年会議所
副理事長 奥 村 重 雄

皆さん、こんばんは。
昨日の理事会後も、意見交換会~水野谷ナイトの上、今朝は早朝より長野市に行ってきたので、寝不足極まりない大蔵俊介です。
(しかも長野から帰れずにいる僕に、執拗な電話&メール攻撃を仕掛ける「クール三羽烏」のうちの二羽・・・・・・行けなくてごめんな、青&アリ。)

早朝から長野市に向かったのは、毎年この時期にビッグハットで開催される「信州環境フェア」に、長野県木青連として出展・参加するためです。
毎年木青連としては、木工工作教室をご家族で楽しんでいただいております。



ご覧のように、長野県産の杉材を使い、イスを1脚作りました。
基本的にご家族で作るのを補助するのが我々の役目なのですが、大抵のご家族は我々に「作って!」とお願いし、木青連会員は一心不乱に釘を打つ羽目に・・・・・・(笑)

いや~、打ちました打ちました、まさに「打ち込み」ました。
休憩を取る間もないほどの盛況もあり、恐らく一日数百本の釘を「打ち込み」ました。
子どもたちと色々な会話を楽しみながら、一生懸命「打ち込んだ」先にある達成感と「ありがとう!」の言葉。
久々にボランティアの基本であり、最も大切な部分に現場で直に触れた気がして清々しかったです。
子どもたちにとって、イスと共に夏休みのいい思い出となってくれたら幸いです・・・・・・が、みんな宿題はちゃんと終わらせるんだぞ!

「こんないい日は、某マンションの2部屋しかない最上階でBBQでもしたい」事務局長・大蔵俊介

皆さん、お元気ですか? 
最近ブログでちょっと手を抜き気味の専務井上です。手を抜くと顕著に出てしまうことが下記の2点です。
一つ目は、情報収集が適当になる。
二つ目は、暑さも手伝って気を使うのが億劫になり表現がだんだん過激になる。

というわけで、ちょっと反省して久々に松本JCのホームページアクセス数の統計を表にしてみました。

興味深いのは5月に入ってからアクセス数が増え、ベースアップしている点です。

5月アクセス数の詳細を見てみると5月第一例会以降アクセス数が増えていることがわかります。事業参加してくれた人が覘いてくれたのかどうかはわかりませんが、何にしてもホームページのアクセス数が増えることは良いことです。
ちなみに、5月で最もアクセス数の多かった日の三役ブログは管理人担当のものでした。
5月13日の三役ブログ(担当:牛越管理人 お題 平成中村座)

さて、皆さん「たかじんのそこまで言って委員会」というテレビ番組をご存知ですか? 松本地域ですと、日曜日の1時半に放送していますが、私がテレビメディアで唯一欠かさず観ている番組でございます。

以前は「たけしのTVタックル」を観ていましたが、議論のクオリティに物足りなさを感じるようになり(結論が透けて見える)、今では全く興味がありません。(この前たまたま安部元首相が出演された内容は見ごたえありましたが)

そこまで言って委員会のレギュラーに宮崎哲也氏が出演していますが、比較的冷静で客観的なコメントをするコメンテーターで、彼の物事に対する視点には大変参考になることが多いです。

そんな彼がお勧めした著書が「民主党政権で日本経済が危ない!本当の理由」でした。

この本を購買し、初めて三橋貴明という人物と出会いました。

前回の参議院選挙に出馬して残念ながら落選してしまいましたが、最近かなりの数の著書が出版されていますので是非購読することをお勧めいたします。

それよりも手軽に彼の考えに触れることが出来るのが彼のブログです。さすが2チャンネル出身の作家と言うだけあって毎日更新していますので、こちらも勝手にリンクしちゃいます。

いろいろと勉強になることが多いのですが、氏の姿勢から最も学んだことは、数値データに基づいた分析を行うことの重要性です。

正しいデータの分析こそが正しい行動を導く、といたってシンプルなことですが、JCはもとより普段の仕事でもなかなか出来ないのが現実です(涙)。

全てがデータや数字だとは思いませんが、こうした視点を常に忘れずにいたいものです。

それでは皆さん、また来週~




10/08/19

陽子線治療

お盆も明けたことですし、
月火水ブログの担当副理事長に矢の様なブログアップの催促を始めようかな
とこの頃思い始めております木曜ブログ担当の牛越です。
仏の顔もお盆まで、とか言っちゃったりなんかして(笑)。

18日でしたか、相澤病院さんで有効なガンの治療方法とされている陽子線治療を導入する、というニュースが流れておりました。職掌がら「ガン」→「ガン保険」→「商売直結」と、興味をそそられました次第です。
私は医療の専門家ではございませんので、詳しい説明はその道の専門家に譲るといたしますが、陽子線治療というのは放射線治療の一種で、従来の放射線治療よりも正常な細胞に与える影響が少ないとされているとか。つまり、患者さんの身体的な負担が少なくて済む、有り難い治療法と期待されているそうです。
ただ、身体的な負担は少なくて済むのですが、金銭的な負担は保険適用外のため、治療初期に280万円から300万円の費用が必要になるとか、まぁ、そこで「ガン保険」の出番があるわけでございます。

何だか商売っ気たっぷりなエゲツナイ話に傾いてきましたが、ここで申し上げたいことは「ガン保険に入りましょう!」、ということではもちろんありません。

菅谷松本市長さんは、「健康寿命延伸都市」を政策の一つの方向性として打ち出しておられます。ただ長生きすれば良いのではなく、元気にピンシャン長生きしようぜ!、ということなのだと思いますが、こうした健康寿命を実現するについては医療の果たすべき役割というものは決して少なくない、私はそう思います。
また、医療というと「その地域に根差した医療」という点に目が行きがちですけれど、実は先進医療に関してはもう少し地域的な広がりのある側面もあるようです。

例えば、陽子線治療や重粒子線治療といった、ガン治療に有効だとされる先進医療を実施できる施設は、実は日本国内にそう沢山は無いのが現実です。「ガン保険にしっかり入っていて金銭的な手当てに不安は無い」としても、何処に暮らしていても最先端の治療を受けられるものではないようですし、また必ずしも最先端の治療を受けられる機会に恵まれるともいえない、そういう現実もあるようなのです。

今回、相澤病院さんでこうした先進医療施設が導入される(稼働するのは2013年6月を予定)ことは、松本の御城下に心強い医療機関が誕生するということであると同時に、県内各地また近県各地の人々、ひいては日本全国の先進医療を求める人たち、場合によっては世界中の人々にとっても、心強い味方が誕生するということにもなると思います。
静岡県なんかでは、こうした充実した先進医療施設を集積・集約することで、がっちりとした地域作りの土台にしようなんていう取り組みもなされているとか。
街作りの切り口って、実は私たちが思う以上に様々な角度があるのではないか、ニュースを見ていてそんなことを思いましたところです。

さて、いくら最先端の治療施設ができたとしても、一番なのはそうした施設のお世話にならないで「ピンシャンジジイ」になることだと思います。
良く言われることですが、ガンにならないためには、ストレスを溜めるな・煙草は吸うな・酒は程々にせよ・焦げたものは食うな・色に狂うな、などなど、少数説も含めれば枚挙に暇の無い養生訓の数々が登場するのだろうと思います。
どれをとってみても、「JAYCEEにはまず無理!」というものばかり、やれやれ・・・でございます。

今回は珍しく、何となくにっちもさっちもまとまりそうな気配でございまして、蛇に足を描かない内に、またの御目文字まで。

アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎

10/08/14

安曇野花火

皆さん、こんばんは。
お盆休み、いかがお過ごしでしょうか?
つい先ほど「第4回安曇野花火」から帰ってきて、興味があった某局のTV番組を観たものの、内容がイマイチで、目直しにこれから「熱闘甲子園」を観ようかという大蔵俊介です。

見どころという点では安曇野花火、某局の問題提起系番組の数百倍はありました。
僕自身は、今年で3回目の観賞になりますが、毎年テーマに基づいてプログラムされているので、色々な楽しみ方が出来る花火大会です。




音楽と花火の競演、メッセージ花火など新たな面白い試みもされています。
後半は雨に降られましたが、荘厳なフィナーレまでしっかり楽しむことが出来ました。


・・・・・・という感想もさることながら、僕が一番書きたかったのは、毎年運営ボランティアの皆さんの応対が素晴らしいということです。
商工会や消防、商店街の皆さんなどで構成されているのだと思いますが、「来た人に楽しんで帰ってもらおう!自分たちもこんなに楽しいんだから!」という、楽しい雰囲気が溢れています。
楽しいばかりでなく、その連係や統率も見事なものです。

やはり「自分たちが楽しむ」ことも大切で、JCが忘れがちな部分なのかもしれないと感じました。
この花火は、観客も含めたいい一体感をいつも感じるんですよね。
もっともっと楽しもう!
今回チケットを手配してくれた、09同志「パパ」こと水谷トジロウくん、ありがとね♪


「北尾さん・・・・・・その宣言文は反則です。」
事務局長
大蔵 俊介

毎週金曜日。

専務井上の長いブログへようこそ。

暑い日が続く8月ですが、夏休みやお盆休みでウキウキな気分になる一方(個人的には夏休みがないので今一ピンときませんが)、歴史的にシミジミとした気分になるのがこの月です。

そういえばこの国の内閣総理大臣は彼の「在任中には靖国神社には参拝しない(!)」、と表明しています。(しかも、どの閣僚も参拝しないようです(涙)。)

明治天皇の思召しによって、安政の大獄以来国に準じた者を祀ってある靖国神社に首相が参拝しなくなったのは中曽根総理の時以来です。

そもそも靖国神社へのA級戦犯の合祀は1978年秋に行われたわけですが、85年の9月にお隣の国が靖国参拝に対して抗議をするまでの約6年半、我が国の総理大臣は参拝をし続け、彼の国は何ら問題にしてはいなかった、という事実があります。つまり中共にとってA級戦犯の問題は精神的な苦痛やら何やらの問題ではなく、日本の内政干渉の為の単なる道具に過ぎず、我が国の総理がわざわざ“A級戦犯”を不参拝の理由として取り上げた、ということがすでに彼の国の主張を認め、それに屈服しているわけで、そういう意味では現首相は著しく国益を損ねている、と申し上げて差し支えないと思います。
(ちなみに、日韓併合について「反省とお詫び」をしていたわけですが、このような謝罪外交は「百害あって一利なし」である、というのが言い過ぎであるならば、「日韓の友好に全く寄与しない」と申し上げておきます。)

いずれにしても、現在に至るまで我が国の首相が靖国参拝し辛くなってしまった状況を作り出した中曽根元首相の責任は大変重いと考えられます。国鉄民営化など大変な功績を残した彼ですが、そうした功績をチャラにしてしまうほどの判断ミスであった、と思います。

靖国について語るのはこの辺で終わりにしますが、8月15日終戦記念日を明後日に控え、このテーマに触れないのは私らしくないので取り上げてみました。

とにもかくにも8月15日は戦没者を追悼する機会となるわけで、なかなか靖国神社や千鳥ケ淵まで行けないのですが、祖国の為に亡くなった戦没者のご冥福をお祈りして本稿を閉じたいと思います。

※最後に、「靖国」に関する情報については櫻井よしこ氏のホームページで詳しく取り上げられているので興味のある方はご覧ください。



お盆休みムード漂うこの頃ではございますが、木曜ブログ担当の牛越です。一頃よりは暑さも幾分穏やかになりましたようですが、まだまだ暑い日が続きますので、皆さまどうぞご自愛くださいませ。

8月10日ですが、久しぶりに東京出張に行ってまいりました。どうも車の生活に慣れてしまうと、荷物を抱えて電車に乗るっていうのに抵抗がありまして、二酸化炭素をブカブカ発生させながら、車で行ってまいりました。
目的地は神田の淡路町だったのですが、ナビを頼りにポックリポックリ行きますと、何故か吸い寄せられるように靖国神社の前へ。
8月ですからねぇ、何かがそうさせるのでしょう。心の中で手を合わせて右折いたしました。

私が学生時代から11年暮らしましたのは、世田谷区松原というところ。最寄りの駅でいうと京王線の下高井戸駅か、やはり京王線の明大前駅です。電車で出張だと新宿から特急に乗ってしまうので、この地に足を向ける機会なんてほとんど無いのですが、今回は車だったものですから、ちょっと足を延ばして今はどんな街になっているのか、ざっくり舐めてきました。

10年一昔ってのは良く言ったものですねぇ、道路は昔と同じように通っているのですが、大きなマンションができていたり、東海銀行の支店ビルは飲食チェーン店が入っていたり、すっかり趣が変わってしまっていました。
馴染みだったお店も4つほど残っていましたけど、面影だけが残る街に変わってしまっていました。
下高井戸駅のすぐ近くに「木八」というとんこつラーメンのお店がありまして、懐かしさと空腹とで10年ぶりに暖簾をくぐってみましたら、10年前と変わらないラーメンと、あの頃より少し老け込んだかなという若大将が、其処には健在でした。
暖簾をくぐった私をまじまじと眺めた若大将の第一声、「いやぁ随分久しぶりだねぇ、足は付いてるかい?」とか。そういえば、そういう季節ですものねぇ。

下高井戸商店街に限らず、街の姿はこれからもどんどん変わり続けて行くのでしょう。人もどんどん入れ替って行く。何も変わらないでいるのは俺くらいかなぁ・・・なんてぼやいている手前ぇの頭にも,
随分白いものが増えていたりして。
記憶だけが何時までも、あの頃の古き良き日々を忘れないでいてくれる。
こんなに変化の早い時代だからこそ、想い出というものは大事にしたいものですし、大事にしたいと思える想い出がだんだん増えて行くように、毎日を目一杯バタバタしながら生きてみたい、そんなことをつらつら思っておりますところです。
そういう季節ですから・・・。

さて、話はまるで関係の無いところに飛びますが、先頃の松本ぼんぼんの際、「折角だから一寸目立ってやれ!」と色気を出しまして、ちょっと仕掛けをしてみましたのが下の写真。


旧鶴林堂書店ビル1Fの「未来予想図創造室」を、控え目ではありますがライトアップしてみました。踊る阿呆と見る阿呆に何処までアピールできたかは定かではありませんが、きっと通りがかりの人の足元を照らすには宜しかったのではないかな、と思っておりますところです。

8月もお盆を過ぎれば、残りは釣瓶落としに過ぎて行きます。
2010松本青年会議所の発信力、この部分に注力しながら、後半戦もバタバタやってみたいと思っておりますところです。

以上、とどのつまりにっちもさっちもまとまりませんところで、またの御目文字まで。

アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎

皆さん、こんばんは。
深夜までの三役会(+水野谷ナイト)、松本ぼんぼん、早朝からのECOリンピックスで、寝不足続きながらも楽しい毎日を過ごしている大蔵「トシヒロ」俊介です。
特に事業として出場した松本ぼんぼん、楽しかったですね♪
最初は緊張もあり、皆さんお酒も足りなかったのか、静かな連でしたが、後半の盛り上がりは手が付けられないほど・・・・・・(汗)
ご家族で参加された方も多く、いい夏の思い出となりましたね。

さて、本来なら昨日ブログアップされていなくてはいけないのですが、日曜日になってしまい、更には県知事選挙の投票結果が速報で流れる時間となってしまいました。
阿部県政誕生。
候補者3名とも「無所属・新人」でありながら、支援・推薦の中で良くも悪くも「政党色」を感じ、事実上の「政党対決」とされた県知事選挙でしたね。
特に民主党は、参議院議員選挙の大敗後、初めての県知事選ということもあってか、選挙期間中現職大臣が何人も応援に訪れていました。
政権与党の思惑も垣間見え、「作為的に」政党対決の構図が作られたように見えました。

興味深いのは、8年前の田中知事、4年前の村井知事、そして今回の阿部知事と、全て当時の現職知事の言わば反対勢力が当選を果たしている点です。
常に「変革」を求める一方、色々なことが混迷を極める昨今の中で、県民そのものが混迷してしまっているのかもしれません。

いずれにしても、望む望まぬに関わらず、若い新しいリーダーの下、新しい県政が始まっていきます。
誰がリーダーであれ、行政に頼り過ぎず「自分たちの故郷は自分たちの手で良くしていく」という「気概」は、県民全員に求められているはずです。
今回一番残念だったのは、その「気概」を行動に移し、第一歩を踏み出した方が、有権者の「52.7%」しかいなかったことなのかもしれません。


事務局長
大蔵 俊介

昨夜は三役会、いやむしろその後は恒例のミズノヤナイトで相変わらずブログアップが金曜日を過ぎてしまいました。

8月6日、この日は広島「原爆の日」。
すでに翌日になっていますが、この場でご冥福をお祈り申し上げます。

暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 暑い日にはちょっとお出かけして山形村にあるショッピングセンターに涼みに来て下さい、と営業トークの専務井上です。

さて、広島では、65回目の平和記念式典が開かれ、アメリカのルース駐日大使と国連の潘事務総長が初めて参列した、とのことです。そこで、広島市秋葉市長が、アメリカの核の傘からの離脱など、日本政府に具体的な行動を求める平和宣言をしたとかしないとか・・・

私見ですが、原爆で亡くなった方々を偲び、世界平和を祈るあのような場で、市長として上記のような政治的意志を持った発言は控えるべきではないか、と正直思います。

市長は、当然市民を代表しているわけですが、日本国民を代表しているわけではありません。「核の傘からの離脱」云々については、明らかに外交問題です。

市長の立場で発言をしていても、国の代表者が臨席している公式の場で日本国政府の見解と異なる発言は当然慎むべきであると考えます。

ちなみに、どんなに内輪でもめていたとしても、こと外交に関しては国民は一枚岩であたらなければならない、というのが世界の常識です。残念ながら、日本にはその常識は通用しないようです。

仮に市長の言っていることが市民の民意を反映していると仮定して(実際の広島市民は核の傘についてどう思っているのだろう?)、それでも公の場でこうした外交問題について、一市長の分際で(おっと失礼)公式な立場でかような発言をして良いものかどうか?

いや、国政を預かる人間がなかなか言えないことを市長の立場で発信したことは逆に評価すべきか?

実は、そもそも日本国としてダブルスタンダード(本音と建前)を用いての外交手法なのか?

・・・世界の核廃絶による平和が訪れたらそんな素晴らしいことはない、と確かに思います。 

そうは思うのですが、現実的にはアメリカの「核の傘」≒日米安全保障条約があったからこそ、日本が軍を持たずとも他国から侵略されるようなリスクを避けることが出来、自国の経済成長を成し遂げ、今の我が国の生活水準をもたらしたことは、紛れもない事実です。

「核の傘」からの離脱という市長の個人的な希望(あくまでコンセンサスを得ていない、という意味において)が仮に多くの賛同を得ていたとしても、やはり不適切な発言であった、というのが私個人の見解です。

多くの尊い命を一瞬にして奪った大量破壊兵器である核兵器について、世界の中で最も発言権のあるのはもちろん最大の被爆国である日本であると思います。

であるならばこの件に関して、我が国こそもっともっと世界に対して訴えても良いのではないか、と思います。

ちなみに、私は日本が核兵器を保有することに関しては基本的には慎重ですが、核保有を議論することは外交上大いにすべきである、と思う人間の1人です。

こうした議論はなかなかデリケートであると思いますが、敢えて取り上げてみました。

皆さんはどう思いますか?

木曜ブログ担当の牛越です、と言いながら、書いているのは金曜日の朝という、実に何とも面目無い次第ではございますのですが、今日が木曜日だと真剣に思い込んでおりまして、ちとしでかしてしまいました、お赦しを願いたいと思います。

8月4日に開催いたしました8月第一例会、メンバーの皆様のご協力と、大勢のシニア会の先輩方にお出で頂きまして、盛会の内に無事終了いたしましたこと、この場を借りて御礼を申し上げます。本当に有り難うございました。

さて木曜ブログ。
この頃、「所在不明の高齢者」というのがメディアを賑わしているようです。
「所在不明の高齢者」、平たく言うと、年金の支給は受け取っているのだが、何処でどう暮らしているか判らない生死不分明な高齢者を指して言うようです。
ご存知の通り、日本は超高齢化社会を迎えておりまして、平均寿命も年々男女ともに長くなっている傾向にあるようです。そんな中にあって、「所在不明の高齢者」が思いの外にたくさんいるということのようでして、超高齢化社会の実態は果たしてどういうものになっているのか、興味のあるところです。

不謹慎な言い方ですけど、我が国においては人間好き勝手に死ねないといいますか、死んだら死んだで方々に届け出が必要だったり、許可が無ければ火葬にもできないわけでして、「死んだ」という報告が無い限りは「生きている」と推定されるのが建前なのでしょう。
したがって、「所在不明の高齢者」はきっとご存命であるに違いは無いのですが、何処でどう暮らしているのかその家族・親族も知らない、でも年金だけは誰かが受け取っている、何ともぞっとしない超高齢化社会ではございます。
いろいろくまなく調べてみたら平均寿命が少し短くなった、そんなことにならなければ良いけど・・・と、ちょっと心配しておりますところです。

「消えた年金」で散々叩かれた厚生労働省、「所在不明の高齢者」で反転攻勢が始まるものでしょうか、やれやれ・・・。

例によって例の如くにっちもさっちもまとまりませんけれど、木曜ブログ、こんなところでまたの御目文字まで。

アイデンティティー育成室
担当副理事長 牛越 愼太郎

追伸:木曜ブログとは言いながら8月6日金曜日寄稿です。65年前の今日は、広島に原子爆弾が投下された日です。無差別大量殺戮兵器の犠牲となった罪の無い一般市民の御霊・そして先の戦争で犠牲となられた多くの御霊に、哀悼の意を表します。
合掌

プロフィール







(社)松本青年会議所 2010年度
三役のブログです。

各曜日担当が思いを綴ります。

・月曜日-副理事長 中田
・火曜日-副理事長 堀川
・水曜日-副理事長 奥村
・木曜日-副理事長 牛越
・金曜日-専務理事 井上
・土曜日-事務局長 大蔵
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