カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 2024年2月22日。世間ではニャンニャンニャンで“猫の日”とか・・・。
(ん?犬の日っていつだ?1月11日にはそんなニュースは無かったけど・・・)
そんな猫の日とは全く関係無く、この日はN響の松本公演がキッセイ文化ホール(以下県文)で行われ、勇んで聴きに行ってきました。

 クラシック音楽に興味を持った子供時代、生のオーケストラを聴くことなど地方では有り得なかった時代。それらに触れるのは、専らNHKで放送されるN響の演奏位だったでしょうか。ですので、何も根拠の無い勝手な個人的解釈ですが、地方のクラシック好き程“N響”への親近感や憧れは強いと思うのです。
そのN響が、何十年ぶりか分かりませんが、この松本で演奏をすると知り、勇んでチケットを購入した次第です。個人的にN響を生で聴くのは、2015年、パーヴォ・ヤルヴィが首席指揮者正式就任前に“マライチ”を振った熱狂的な定演でした。

 N響にとって今回のこの公演がどういう位置付けかは分かりませんが、団員の皆さんは、例えば名曲コンサートのスーツにネクタイとは違って、定期演奏会同様の燕尾服に蝶ネクタイの正装でした。そして、この日のプログラムは、

  ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第1番 ハ長調 作品46-1
  ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
  シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」
   指揮:沼尻竜典
   チェロ:カミーユ・トマ
 N響のH/Pから分かったのは、このプログラムは、松本公演の前日、2月21日に東京都の「都民芸術フェスティバル」の中で、N響が登場して演奏した演目とか。そして、全く同じ顔触れで松本で演奏し、更にその二日後に新潟公演でも披露されるとのこと。
松本は、その数日前は春の様な陽気になったのですが、また冬に逆戻り。そして当日の松本は雪予報でしたが冷たい雨が降り、しかも珍しい「雨氷」で木々や架線に降った雨が凍り付くという現象が見られ、架線凍結等で上高地線や大糸線などが運転中止になるなど寒い一日でした。
ですので、プログラムのトリにシューマンの「春」が取り上げられていて、正に雪国信州や豪雪の越後にN響が一足早く“春”を運んで来てくれるような、そんなワクワク感で、期待して会場に向かいました。
しかも2月上旬に小澤征爾氏死去が報じられ、松本では“巨星落つ”後のSKFからOMFとなった音楽祭の今後を危ぶむ中で、SKOではありませんが、国内オケのトップN響の生音に触れて安堵したい気持ちも松本市民にはあるのではないかと、勝手にそんな想像もしていました。

 余談ではありますが、マエストロオザワに関して言えば、米国Big 5 のBSOの音楽監督を30有余年も務めたということは、例えるならば、MLBの、しかもヤンキースやレッドソックスなど名門球団の監督を、メジャーでの選手経験も無い3Aの若手コーチだった日本人がいきなり抜擢されて長年務めた様な、ある意味有り得ない偉業(しかも東海岸で)であって、偉大で勿論日本人として非常に誇らしく感じます。但しその演奏に関していて云えば、個人的には必ずしもそんなに好きな指揮者ではなく(一番好きだったのは、オトマール・スイトナーでした)、学生時代には小澤征爾指揮のレコードは一枚も持っていませんでした。おびただしいBSOを中心とする音源の中で、NHK- FMで聴いても正直感動した演奏はありませんでした。彼の真骨頂は、そうした録音のレコード音源ではなく、むしろ空気感を含めたライブにこそ(しかも出来れば、同じ場所で聴覚視覚で共有することに)あるのだろうと思っていました。
また、松本市民ながら、これまでサイトウキネンばかりを有難がるミーハー的風潮が嫌いで、生来の捻くれ者としては「だったら、もっと日本のオケを聴きに行きなよ!」と、松本に来演してくれる国内オケはスケジュールが合えばこれまで殆どと言って良い程聴きに行っても、片やSKOは自分で買ってまで聞きに行ったことはこれまで一度もありませんでした(縁あってリハーサルなどのチケットを頂ければ勿論有難く聴かせていただきましたが・・・唯一自分でお金を出して買ったのは、大好きな十束さんが振ったSKF20周年特別演奏会と、どうしても聴きたかったミシェル・ベロフのオール・ドビュッシーでのピアノリサイタルだけでした)。

 奇しくもN響松本公演の2月22日のこの日、今年度のOMFのプログラムが発表されました。マエストロ亡き後、音楽祭をもし終わりにせずに引き継いでいけるとすれば、一音楽ファンとして思うに、SKO設立当時の趣旨からすると本来は秋山和慶さんであるべきだろうと思うのですが、これまでの経緯からは無理でしょうし、だとすると“斎藤秀雄の桐朋”からは離れるとしても、日本のクラシック音楽界の今後を考えれば、(以下、恐縮ですが敬称略で)同じブザンソンの佐渡裕は無理だろうから、今まで客演でSKOを振った中では世界の“ヤマカズ”か沖澤のどかしかいないと勝手に思っていました
すると、生前にマエストロからOMFの行く末をふまえ、指名があったようで、初めての“首席客演指揮者”という肩書が付けられて沖澤のどか女史が就任するとのこと。彼女もブザンソンコンクールの覇者でもありますので、OMFの後継者としても相応しいとも言えますし、また今回だけかどうか分かりませんが、マエストロオザワが30年近く率いたBSOの現音楽監督アンドリス・ネルソンス氏がメインの指揮をするのであれば、その縁で、これまで通り管楽器の世界の腕利きマイスター連も来てくれるかもしれません(・・・と、部外者乍ら少しほっとした次第)。

 閑話休題。
さて、この日のN響松本公演の“ドヴォコン”ソリストは、2017年に名門ドイツ・グラモフォンと専属契約を結んだというパリジェンヌの美人チェリスト、カミーユ・トマ嬢。
元々長身なのに、更にピンヒールのハイヒールを履き、しかも異様に長いピンのチェロ(日本財団から貸与されているというストラディバリウスとか)なので、何だかチェロが小さめに見えてしまう程です。
ドヴォコンはこれまで生で聴いたことはありませんが、名曲故CD(シンガポールで購入した、ノイマン指揮チェコフィルでチェロはウェーバー)も持っていますし、これまでもFM放送など色んな音源でも聴いていて耳慣れた曲です。
でも久し振り故、今回事前に予習のために聴いたのが、YouTubeに挙げられていたマエストロオザワとロストロポーヴィッチの“伝説のライブ”。
それは団員によるリハのボイコットを受け、N響とケンカ別れした若きマエストロが、実に30年振りにN響を振った1995年の演奏会の録画です。
これを聴いてしまったせいか、巨匠ロストロポーヴィッチが“盟友セイジのために”と駆け付けた、白熱のライブでの骨太の男性的な“ドヴォコン”が頭から離れず(今は亡きN響のチェロ首席だった徳永兼一朗氏が一音たりとも見逃すまい、聴き逃すまいと、食い入る様にロストロポーヴィッチのソロを見つめていたのが印象的でした)、それと比較すると、どうしても音の線が細くひ弱に感じてしまいますし、炎の如き気迫で駆け抜けた同じ女性チェリストである、これまた伝説のデュプレとも異なります。
第1楽章冒頭、クラリネットがお馴染みの哀愁に満ちた第一主題を奏でます。チェロソロは、第一楽章のカデンツァ風超絶技巧のソロパートでは勇み足か、或いは私メの耳が悪いのか、高速でのパッセージで音が飛び、リズムが乱れた様に聞こえたのですが・・・?
一方、アダージョの第二楽章でのゆったりしたパッセージでは、感情豊かで何とも言えない柔らかな響きが美しく、情感に溢れ本当に素晴らしい。
ですので、出来ればもっと小さなホールで室内楽やソロで大好きなバッハの無伴奏とか聴いてみたい、彼女のチェロにはそんな印象を受けました。
 休憩後の後半は、シューマン作曲 交響曲第1番「春」。
シューマンと言えば、ピアノ曲や歌曲が有名で、同じロマン派のベートーヴェンや、シューベルト程、交響曲は有名ではないかもしれませんが、個人的には彼の交響曲も好きで、学生時代にサヴァリッシュ指揮シュターツカペレ・ドレスデンとクーベリック指揮BPOで全4曲を揃えました。その中では第3番「ライン」が一番有名でしょうか。新婚旅行で行ったドイツで見たラインの流れが蘇ります。
しかし、シューマンの交響曲はベートーヴェンやブラームスなどと比べると演奏機会は少ないので、これまで生で聴いたことはありませんでした。
しかし、今回、季節としては相応しくとも、地方公演で取り上げるメインのシンフォニーとしては珍しいこの「春」が、しかもN響で演奏されると知り、勇んでチケットを購入した次第です。
この日のコンマスは、ソロでも活躍している郷古健。松本出身で第2ヴァイオリン首席だった大林さんが定年でN響から引退されたのは残念ですが、同じ松本出身の降幡さんも第2ヴァイオリンの第1プルトに顔が見えます。
冒頭のトランペットのファンファーレで演奏が始まります。それにしても生で聴くN響の木管も金管も本当に上手い。とりわけ、神田さんのフルートには惚れ惚れしますし、ホルンも実に安定しています。
沼尻さんの指揮ぶりは、ゆったりしたテンポで極めてオーソドックスでした。N響の“音”の歴史の中では転機となったであろうデュトワ就任以前は、伝説のローゼンストックを始めドイツ系の世界的マエストロ達に鍛え上げられ、“ドイツのオケ以上にドイツらしい音がする”とまで評されたN響らしい、且つ充実の管楽器群もあっての極めて“安全運転”で安定したシューマンでした。
 この日、ドヴォコンでソロを務めたチェリスト、カミーユ・トマ嬢がカーテンコールだけで特にアンコールを弾かなかったためか、N響がシューマンの後、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第10番ホ短調をアンコールで演奏してくれました。
嬉しかったのは、この日のコンサートではカーテンコール中のフラッシュ無しでの撮影が認められていたこと。一昨年の年末、娘が連れて行ってくれたサントリーホールでのティーレマン指揮シュターツカペレ・ベルリンのブラームス・チクルスでもそうでしたが、コロナ禍以降、聴衆に依るSNSなどでの情報発信で今後の集客に繋がればという理由で、都会でのコンサートではカーテンコールでの撮影を認めることが多くなったそうですが、地元での演奏会では初めての経験でした。とても良いことだと思いますので、地方の演奏会でも拡がると良いと思います。

 久しぶりにオーケストラの生音をN響で、しかもこの松本で聴くことが出来て、まだまだ冬の寒い日ではありましたが、聴いたばかりのシューマン「春」の第一楽章の主旋律を想い浮かべながら、ここ信州も“春遠からじ”という、ちょっぴり幸せな気分で県文を後にしました。