カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
以前ご紹介した様に、新居への引っ越しを機に、狭いが故に置くスペースの無いオーディオ機器も整理し、家を建てた時に購入した私にとっての“第三世代”を、実に25年振りに一新しました。
とは言うものの、スピーカーは狭いマンションにはスペースが無いため、シンガポールで自作した長岡式名器“スワン”は泣く泣く手放しましたが(第1704話参照)、社会人になった年に購入した40年も経つTORIOのLS‐202は、その音を気に入っているのでそのままメインスピーカーとして継続。
一方、家新築時にセットで購入したプリメインアンプやMD、CD、カセットディスクプレーヤーは全て処分して、今回唯一新しくオールインワンタイプのMarantzのネットワークCDレシーバーM-CR612に変更しました。
しかも、その時にご紹介した通り、スピーカー接続を従来の一般的なシングルワイヤからこのM-CR612(最新モデル故にバイアンプ接続も可能ですが、LS‐202は古いので対応不可)のもう一つのウリであるスピーカー駆動方式のパラレルBTLドライブに変更した途端、余りの音の激変ぶりに驚き、その音に感激した次第です(第1721話を参照ください)。
なお、M-CR612にはFONO INの端子が無く、また同じDENONですが、今回処分した25年前の他の機器とその時一緒に購入したレコードプレーヤーにもフォノイコライザーが無いので、150枚近くあるLPレコードをこれからも聴くために、今回フォノイコライザーも購入しました。


長女や家内はAmazon MusicやYouTubeミュージックの音楽をこのM-CR612にBluetoothで飛ばして聴いていますが、私メは年金生活者故、これまで愛聴していたのは、せいぜい無料のクラシックマネージャーだけ。むしろこのM-CR612で大いに重宝しているのは、インターネットラジオです。というのも新居のマンションの構造体のせいか、或いは住んでいる場所のせいなのか、以前の一戸建ての時は快適に受信出来ていたFM放送が、このマンションでは聞きものにならぬ程の(特にリビングでは)劣悪な受信状態なので、FM視聴を諦めざるを得ず、その代替としてのインターネットラジオなのです。
Jazz では、Jazz Radio Bcn Jazz 90.1 WGMC (スペイン)、 ABC Jazz(豪) 、 Best Smooth Jazz、 Smooth Jazz Florida(米) など、全部で12局です。
今後も、もし気に入った局が見つかればお気に入りに追加登録をして更に登録局が増えていくかもしれませんが、お気に入り登録が200局まで登録出来るとは言っても、さすがにそこまでは必要無いでしょう。
このSmooth Jazz はBGM的にJazzを聴くのであれば最適です。やはり米国の局がおススメで、イチオシはSmooth Jazz Florida で、次にBest Smooth Jazzでしょうか。
インターネットラジオ局「TuneIn」には、8万局が登録されていると云いますので、他ジャンルも含め、他にも色々興味深いインターネットラジオ局が見つかるかもしれません。探す場合は、パソコンで、ジャンル別におススメのインターネットラジオ局とその特徴を紹介している記事がありますので、そうした記事をご希望のラジオ局検索の手助けにすると良いと思います。ただ記事に依っては情報が古く、中には停止してしまっていたり、現在は有料になっている局もありますので注意が必要です。また、残念ながら日本はそうした局が海外に比べ少ないので、そういう意味でもITの世界では残念ながら日本は随分遅れている気がします。
12月23日、クリスマスイブの前日。松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール松本。地元での略称は“音文”で現キッセイ文化ホールが県立故に“県文”)で鈴木雅人指揮バッハコレギウムジャパン(BCJ)のヘンデルのオラトリオ「Messiah(救世主)」の全曲演奏会が開催されました。
本来であれば、“聖夜のメサイア”として毎年24日のクリスマスイブにサントリーホールで演奏され、その前日は例年軽井沢の大賀ホールで演奏される名物コンサートです。それが今年、松本で23日に演奏会があり、翌日は松本と同じ顔触れで“聖夜のメサイア”でのサントリーホールとのこと。調べてみたら、今年の軽井沢は既に12月11日にご子息の鈴木優人指揮でソリストも異なるメンバーで実施されていました。謂わば23日の演奏会を今年は軽井沢から松本が奪い取った感じです。
今まで、BCJのメサイアを一度は聞きたいと思いながら、12月23日だと雪の三才山峠越えになることにビビッて、今まで軽井沢には聴きに行けてはいませんでした。と言うのも、定年前の4年間は上田の子会社に車で毎日通勤したのですが、冬は降雪でトラックが立ち往生するなどして、大渋滞や何時間もの通行止めになったことがありましたから。それが、今年はナント峠越えせずにこの松本での開催と知り、ハーモニーメイトに再登録をして勇んでチケットを購入した次第です。
コロナ禍の前から、松本の音文(ザ・ハーモニーホール)もディレクターが定年で交代してから、聴きたいと思える企画(派手さはなくとも、渋くて味がある様な。或いはいずれ世界的になるだろう期待の新鋭を先取りする様なコンサート)が無くなり、それまで長年ずっと継続してきた会員(ハーモニーメイト)を企画へのささやかな抗議の気持ちもあって辞め、更にその後のコロナ禍が輪を掛けてコンサートそのものが開催されなくなったことも手伝い、東京どころか地元の松本でさえも生の演奏を聴きに行くことが無くなっていました。
この日は大雪の日本海側の影響で北アルプスを雪雲が越えて来たのか、朝一面の銀世界でしたが、積雪の量は大したことは無く1㎝程。でもXmasのメサイアに相応しく、松本はホワイトクリスマスになりました。
演奏によっては2時間半近くにもなるオラトリオ・メサイア。全体は三部構成で、二部の最後が有名なハレルヤ・コーラスで、全体の最後はアーメンコーラスで締め括くられます。
私が持っている二枚組のCDはシンガポール赴任中に現地のCDショップで購入したものですが、G・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団・合唱団で、ソリストにソプラノのキリ・テ・カナワなど、当時の超一流演奏者ではあるのですが、録音された当時はどのメサイアも著名な交響楽団に依る大編成での演奏が主流でした。しかし、その後の音楽史的研究で、作曲されたバロック時代にはそんな大編成のオーケストラも、その後様々な改良が施される近代楽器(モダン楽器)も存在していないので、その時代の実際の演奏は、今回のBCJの様な当時のバロック様式での小編成の楽団で、且つ使われている楽器も古楽器(ピリオド楽器と呼ばれる当時のオリジナル楽器:例えば現在の様な金管楽器ではなく、木製のフルートやナチュラルトランペットやナチュラルホルンと呼ばれるシンプルな楽器、他にバロック特有のリコーダーやリュートと呼ばれるマンドリンに似た弦楽器など)だった筈・・・という研究成果を踏まえた演奏や録音が多くなりました。
開演が夕刻6時半で開場は5時半。その時間をちょっと過ぎて会場のザ・ハーモニーホール松本( 音文)に着いたのですが、既に駐車場には多くの車が停まっていました。
コロナ禍で、音文でのコンサートも3年振り。教会の様な大きな三角屋根と周りを取り囲む旧鐘紡時代からの大きなヒマラヤスギが、クリスマスシーズンのメサイアに相応しい気がします。しかもホールの内部も正面に県内唯一のパイプオルガンもあって、こちらも教会の様な雰囲気。そんな会場の環境も手伝って、「やっぱり、年末には第九よりもメサイアでしょ!」と一人得心。
ただ、残念ながら先日のサントリーホールとは異なり、この日のカーテンコールでの写真撮影OKという張り紙もアナウンスも無し。地方はまだ都会のそうした趨勢に付いていけていない様で残念です。
遠来のBCJメンバーの入場を拍手で迎えます。楽団、合唱団共に20人程。ソリストはソプラノがプラハ出身の女性で、アルトを英国出身男のカウンターテナーの男性が担当。テナーとバスは日本人。このソリストが翌日のサントリーホールも出演します。
片や2000席に対し、音文は700席ちょっと。音響の良いこのホールならどこで聴いてもサントリーホールのS席と一緒。実に恵まれた環境です。

冒頭、初めての体験でしたが、最初にバスのソリストがステージ中央に進み出て、「偉大なる出来事を歌おう(MAJORA CANAMUS)」(ウェルギリウス「牧歌」第4巻)という朗々とした朗読があって、それから第一部の演奏が開始されました。
カウントの違いによりますが、三部構成からなる全50曲前後の器楽合奏、各レチタティーヴォとアリア、そして合唱。
テノールのアリア“Ev'ry valley”、続く合唱“And the glory of the Lord”など耳に馴染みのある曲が次から次へと演奏されていきます。
驚くべきは合唱の素晴らしさ。僅か19人、各パート5人足らずなのに取り分け分厚いバスの低音に支えられた見事なハーモニー。
そしてソリストも、ソプラノの有名なアリア“Rejoice greatly, O daughter of Zion”を始め、ハナ・ブラシコヴァさんの水晶にも喩えられるという程の透明感の素晴らしさ!ビブラートの無い、その澄み切った歌声はオペラには向かなくても、バロックなどの中世音楽にはまさにドンピシャ!またバスの大西宇宙さんも艶のある輝かしい響きは見事!でした。
これまで、フィリップ・ヘレヴェッへ指揮シャンゼリゼ管弦楽団とコレギウム・ヴォカーレの“モツレク”や松本バッハ祝祭管の「ロ短調ミサ」など幾つか生で聴いた合唱曲の中で、今回のBCJのメサイアが最高でした。
第一部が拍手に包まれて終了して休憩。通常は第二部と三部は通して演奏される筈ですが、この日はコロナ禍対応での換気のためか、第二部終曲のハレルヤ・コーラスでも休憩。そのため、通常では無い拍手をもって第二部も終わることが出来ました。ハレルヤもですが、第三部のバスのアリア“The trumpet shall sound”では勇壮なトランペットが鳴り響きます。バロック音楽ではトランペットが神を表すのだそうですが、バルブで音階を分ける近代のトランペットと違って、ナチュラルトランペットは唇の形だけで音階を作る(リッピング)という難しい楽器。それをマドゥフさんが名人芸で高らかに鳴らします。
そして終曲の合唱“Worthy is the Lamb”に続き最後のアーメン・コーラスへ。ハレルヤ同様にソリスト全員も合唱に加わり感動のフィナーレ。ハーモニーホールの教会の様な雰囲気と音響の良さも手伝って、見事なメサイア。
本当は禁止だったであろうブラボー!が幾つも掛かったのも「むべなるかな!」と思わせてくれる圧巻の演奏に、何度もカーテンコールが繰り返されます。しかし、何度繰り返しても飽き足らない程の感動でした。その何度も続くカーテンコールに、まさかあるとは思わなかったアンコールが・・・。
「えっ!?」と驚いている内に始まったのは、Xmasに相応しく『牧人羊を(The first noel)』を合唱団だけのアカペラで。ピアニシモのハミングから始まった、素敵なアレンジの透明感溢れたハーモニー。会場外に拡がる雪化粧した松本のXmasに相応しい、思い掛けない、とても素敵なクリスマスプレゼントでした。
紛れも無く、現代最高峰のバッハコレギウムジャパンの「オラトリオMESSIAH」。この松本で聴くことが出来た喜びと、毎年絶対に聴きたくなる様な中毒性の麻薬にも似た興奮と・・・。何とも幸せな満足感に包まれた最高のXmasでした。
【追記】
最高だったBCJのメサイア演奏会。惜しむらくは、開演時間の6時半が遅かったのではないか?・・・ということでしょうか。主催者側が、演奏終了後「コロナ禍故、指示されたブロック毎の退場を!」と呼び掛けても、それを無視した退場者多数!休憩やカーテンコールを含めれば、開演から3時間で夜の9時半近くなっていました。
我々の様に車で僅か10分程で帰宅出来る地元客は全然構いませんが、長野ナンバーや諏訪ナンバーなど、県内各地からこのXmasの機会に開催されるBCJのメサイアを楽しみに遠路はるばる来られた方々や、中には県外からも来られた(群馬ナンバーや山梨ナンバーの車も見受けられました)方もおられる中で、これから2時間近く掛けて帰らなければならないお客さんは一秒でも早く出たい筈。そうしたことを事前に考えれば、もっと早い開演時間の設定が望ましいだろうことは十二分に予測出来たのではないでしょうか。

片や、新幹線でも移動可能な軽井沢と広く首都圏から集まるであろうサントリーホール。新宿からの移動だけでも3時間余りを有し、リハーサル時間の確保によっては、出演者が前後に泊まらざるを得ない松本との差はあるにせよ、アナウンスを無視してぞろぞろ帰られる方々を見ながら、主催者側はもっと熟考すべき時間設定だったのではないかと、感じた次第です。
サントリーホールでのベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)の来日公演。二日間で交響曲全曲を演奏するブラームス・チクルス。1&2番、3&4番の組み合わせで、最終日が3番と4番(ブラフォー)の演奏会。当初は音楽監督のダニエル・バレンボイムの予定だったのですが、体調不良により、クリスティアン・ティーレマンに変更。個人的には、むしろその方が楽しみが増しました。というのも、旧東ドイツ系のシュターツカペレ・ベルリンをベルリン生まれのティーレマンが振る方がよりドイツ的なブラームスが聴けると思ったからです。
ベルリン国立歌劇場管弦楽団と日本では呼ばれるシュターツカペレ・ベルリン。学生時代から大好きだったオトマール・スウィトナーがシュターツカペレ・ドレスデンと共にシュターツカペレ・ベルリンを振ったモーツアルトが大好きでした。或る意味、今ではユニバーサルな“世界の”ベルリン・フィルよりも、旧東ドイツ系の二つのシュターツカペレであるドレスデンとベルリンは、共にきっと今でもよりドイツらしい音を伝統的に残しているオーケストラだと思っています。

しかし、日経の文化欄に依れば、急激な円安で海外オーケストラの招聘コストが(円ベースで)高騰してしまい、また中国がゼロ・コロナで演奏会などは開催不能だったこともあって、アジアツアーとして数ヶ国で分担することが出来なくなっているため、日本単独での来日公演開催は困難とのこと。サントリーホールは楽友協会と友好協定を結んでいることで、毎年“ジャパンウィーク”として来日してくれるウィーン・フィル以外は著名な海外オーケストラは今後生で聴けなくなるか、運よく聴けてもべらぼうなチケット料金にならざるを得ないのではないか・・・とのことでした。
そうした背景もあって、8年前のVPO同様、今回も長女のお陰で初めて生でシュターツカペレ・ベルリンとティーレマンを聴くことが出来て誠に有難い限りなのですが、今回の急激な円安により確かにこのコンサートも昔のイメージからするとどの席も1.5倍のチケット代という気がします。

マスクを着用し、検温、消毒の上で入場。Xmasシーズンに合わせた館内のデコレーションも“音楽会”前の華やいだ雰囲気を演出しています。
二階の真ん中やや左手側に着席。オケ団員入場に伴うWelcomeの拍手も久し振りで懐かしい気さえします。コンマス登場に一段と拍手が高まり、やがて指揮者のクリスティアン・ティーレマンが足早に登場。彼はベルリン出身の生粋のゲルマン人ですので、旧東ドイツの名門オケとの相性もバッチリでしょう。個人的には、オトマール・スウィトナーの後任である現音楽監督ダニエル・バレンボイムが体調不良により途中でティーレマンに指揮者変更というアナウンスがあって、今回のブラームス・チクルスへの期待感はむしろ高まりました。
今回のオケの配置は対抗式で、ステージに向かって第一ヴァイオリンの横にはチェロ、その横にヴィオラと並び、第二ヴァイオリンはステージに向って右手。

大柄なティーレマンの指揮は、思ったより体全体を使って振っていました。しかも、目の前にいるコンマスなど弦への指示なのか、胸ではなく体の下半身の辺りでの振りが印象的。
映画音楽としても使われた、美しい旋律の第三楽章。コンサートの後で、娘はこの楽章にウットリして、この3番の方が良かったそうですが、
「三楽章の途中で、ちょっと寝てたでしょ!?」
との仰せに、「えっ、ばれた!?」。どうやら、3時間も寄席の畳敷きの桟敷席に薄い座布団で座っていて、最後苦痛で何度も足を延ばしたり腰をもんだりしたのですが、どうやらそのせいで疲れてしまい、心地良い音楽に一瞬うとうとしたらしく、生まれて初めてコンサートで寝落ちしてしまいました。
ベルリンの壁崩壊に伴い、ドイツ統一により“西欧化”が進んだ旧東ドイツなのでしょうが、オケも2階席から見る範囲で、ゲルマン人だけではなく結構アジア系(日本人?或いは韓国人か中国人?)の団員も多いように見受けられましたが、そこは伝統のなせる業?音色はちゃんと昔懐かしき東ドイツの重厚な響き・・・の様な気がしました。
後半の4番“ブラフォー”。私の大好きな交響曲の一つで、学生になって2枚目に買ったLPです(因みに、初めて買ったLPは“チャイゴ”)。哀愁のあるメランコリックな第一楽章が何とも言えませんが、この曲で、サガンではありませんがブラームスが大好きになりました。良く云われる様に、とりわけ落ち葉舞う晩秋になると何故かブラームスが聴きたくなります。個人的に一番秋に相応しいと思うのは、弦楽六重奏曲第一番の第二楽章でしょうか。ブラームスの曲はどれも弦の響きが特徴的で、弦楽アンサンブルを聴くとすぐに彼の曲であることが分かります。
そして、シュターツカペレ・ベルリンの深い憂いを湛えた様な、渋く陰影あるサウンドはブラームスに実に良く合っている気がします。何となくこの音色を聴いていると、新婚旅行(40年以上前ですが・・・)で行った11月末のロマンチック街道や出張で何度か行った秋のヨーロッパの暗い雲に覆われた陰鬱な雰囲気の空を思い出します。だからこそ、春の陽光がより輝いて待ち遠しくなるのでしょう。と同様に、短調の暗い曲調の中で出会う長調の明るいメロディーや和音にほっとするのでしょうか。

この交響曲第4番、ブラームス自身の指揮での初演時の評判はイマイチだったそうですが、一週間後にハンス・フォン・ビューローの指揮でも演奏。当時彼の助手をしていた若きリヒャルト・シュトラウスは、父親に宛てた手紙に「まさに天才的」と記していて、因みにこの演奏の中でシュトラウスはトライアングルを担当していたのだそうです。
息苦しくなるような緊迫感が漂う第四楽章。次第に高揚し劇的で圧倒的なフィナーレ。ティーレマンの振り上げたまま静止した手が静かに下ろされて、漸くこちらもフゥ~っと小さく息を吐きながら緊張感を解き、そして場内割れんばかりの万雷の拍手!コロナ禍故、W杯サッカーのピッチ上の様にブラボーの声は掛けられませんが、もしOKなら間違いなく会場のあちこちからブラボーの声が掛かっていたのは間違いありません。
会場内の張り紙や事前の場内アナウンスで、カーテンコール時の写真撮影がOKとのことで、会場あちこちで聴衆の拍手に応えるティーレマンや楽団員を撮影するスマホが見られました(フラッシュ撮影は係の人が注意をしていた様です)。
余談ですが、後日の日経文化欄に依れば、コロナ禍でクラシックの演奏会への集客に苦しむホールもある中、SNS等による拡散での人気アップにつなげるべく、また演奏会後のサイン会や出待ちを我慢してもらうためもあって、その代わりにポップスのコンサートの様にクラシックの演奏会でもカーテンコール時だけは写真撮影を認めるホールが増えたのだとか。個人的には有難い限りで大歓迎!松本も含め日本中に拡がれば良いと思いました。
何度もカーテンコールが掛かりましたが、3番と4番の二つの大曲の後では、例えばハンガリー舞曲など軽過ぎて相応しくないでしょうし、4番の余韻を壊さぬためにもアンコール演奏は不要。その代わり、何度もカーテンに応え、これもビンヤード型のサントリーホールのステージ背後におられるお客さんたちへも彼等の写真撮影に応えるためか、ティーレマンの指示で珍しく全員で回れ右をして後ろの聴衆へもお辞儀をしていました。
最後、団員が下がった後も鳴り止まぬ拍手に応えてティーレマンが登場し、この日のコンサートはお開きになりました。

長女のおかげで、夢の様なティーレマン指揮シュターツカペレ・ベルリンのブラームスを楽しむことが出来ました。本当におかたじけ!
コロナ禍のため、昨年はネット配信のみだったセイジ・オザワ松本フェスティバル。今年は観客を入れての開催となり、オーケストラ・コンサートは、昨年同様シャルル・デュトワが客演指揮者として登場。
昨年の「火の鳥」に続き、今年も同じくストラヴィンスキーの「春の祭典」がメイン。今年がSKFから数えて30周年ということで、初年度に演奏されたというSKOの委嘱作である武満徹「セレモニアル」、デュトワ得意のフランス物であるドビュッシーの「管弦楽のための《影像》」、そしてメインが「春の祭典」というオーケストラ・コンサートのプログラム。
特にドビュッシーの「映像」は念入りに何度も同じ個所を繰り返して練習をしていました。しかも英語でのデュトワの指示を受けて練習する毎にうねりが大きくなるなど、色彩感が変化していくのが実に興味深く感じられますし、すぐさま指揮者の指示に応えていくSKOもさすがです。
その意味では、正に105人という大編成でのメインの「春の祭典」は節度を伴った“美爆音”でしたが、個人的にはドビュッシーが如何にもフランス音楽といった感じで、デュトワらしい色彩感が出ていて、うっとりと幸せな気持ちで聴き惚れていました。
「あぁ、やっぱり生はイイなぁ・・・」
しかもそれが、世界の“マエストロ”シャルル・デュトワ指揮でのSKO。ナントモ贅沢な時間があっという間に過ぎて行きました。
【追記】
「そうか、コロナ禍でも世間は動いているんだ・・・」
因みに、彼女を初めて知ったのは、通勤途中で聴いた9年前のNHK-FM(第721話)。その時に、作曲者の曲に込めた想いを尊重するために、本番でも暗譜に頼らずに必ず楽譜を見るという彼女の真摯な演奏姿勢に感銘を受け、たまたま翌年の2014年に京都に行った時にリサイタルの日と偶然重なり、京都北山のコンサートホールに聴きに行きました(第914話)。その彼女が長野県で演奏会があるなら(以前、どこかのペンションに招かれて演奏会をしている筈なので、長野県初というのは間違いだと思います)絶対に聴きに行きたかったのですが残念でした。
以前、ハーモニーホールのプロデューサーの方に彼女の招聘を推薦したことがあったのですが、残念ながら採用されませんでした。いつか、松本での演奏を聴ける日が来ることを夢見て・・・。
8月6日。 “歌の早慶戦”と題し、早稲田大学グリークラブと慶應義塾大学ワグネルソサィエティー男声合唱団の合同演奏会として「松本特別公演会」が松本市の中央公民会(通称Mウィング)の6階ホールで、行われ、聴きに行ってきました。
市中にあるMウィング(中央公民館)の6階ホールは、何度か松本落語会で聞きに来ていますが、今回も階段状の席とパイプ椅子が並べられ、席数にして300席くらいでしょうか?
大学の男声合唱団と云えば、ネット検索に依れば『最初1899年には日本で関西学院グリークラブが誕生、続いて同志社大学にもグリークラブが誕生し,1902年に慶応義塾大学ワグネルソサエティが結成され,おもに大学合唱団が中心になっていた』とあるように、東京混声など歴史と伝統あるプロの合唱団もありますが、少なくとも私が学生の頃は、男声合唱では大学のグリークラブがトップ水準を誇っていて、100人近い団員を抱えた大学のグリークラブもあり、例えば当時発売されていた合唱曲の東芝EMIの「現代合唱曲シリーズ」のレコードでは、男声合唱曲は関学やワグネルなどのグリークラブが演奏を担当していました。そうした大学のグリークラブの出身のOBが、例えば早稲田からはボニージャックスが、そして慶應からはダークダックスが活躍するなどしたそんな全盛期も、今ではそうした老舗の大学グリークラブも、例えばこの早稲田もワグネルも団員が僅か20人足らずという現状で、往年の全盛期を知る人間としては見る影もない程の寂しさでした。
最近はTVの影響もあってか、“ハモネプ”に代表されるようなボイスパーカッションなどを取り入れたアカペラコーラスの方が大学では人気があるのか、ハモネプサークルの方が合唱団よりも団員が多い大学もあるのだとか・・・。グリークラブに限らず、昔ながらの同声合唱や混声合唱は嘗ての様な人気が無いのか団員数も減少の様で、老舗のグリークラブである早稲田も慶應もこの人数では往年の迫力ある分厚いハーモニーを望むべくもありませんが、それでも半世紀前と変わらずに必死に一生懸命に歌う若者の姿に清々しさを感じ、また若者から大いにエネルギーも貰って、何だかほのぼのした気分で会場を後にしました。
「イイなぁ~、若いって・・・。コロナなんかに負けずに、みんなガンバレ!」