カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 11月中旬に量販店で注文し、その時点で2ヶ月待ちの納品は1月末と言われていたのがその後2月になり、更に場合によっては4月末との量販店からの連絡。「キャンセルするかどうか」とまでの確認があり、今更他を当たってもメーカー側の責任故同じでしょうし、予算枠での機能等幾つかの機種を色々比較検討して決めたモデルでもあったので、そのまま待つことにしていたのですが、それが突然量販店から連絡があり、3月上旬に届いたので一週間以内に取りに来るようにとのこと
なぜ4月末が最初の納品予定から一ヶ月遅れでの2月末に近い段階で急に届いたのかの説明も無く、11月の注文から3ヶ月間の今まで散々待たせておいて、商品の取り置きは僅か一週間以内という量販店の訳の分からぬ設定期限内である3月上旬に受け取りに行ってきました。
カウンターで理由を聞こうにも、オーディオ関係は無知であろうパートのオバサンでは聞いても無意味と何も聞かずに受け取って来ましたが、一体どうなっているのやら・・・?

 早速、楽しみながらゆっくりと数日間掛けてセッティングをしました。
先ずは、CDを視聴し、FMを受信し、そしてM‐CR612の最大の特徴であるネットワークオーディオ機能を活かして、Wi- Fiでインターネットに接続してインターネットラジオを受信、そして最後にフォノイコライザーを経由して10数年振りにLPレコードも視聴。そのレコードは、大好きだったスウィトナー指揮ドレスデン・シュターツカペレでモーツアルトの「リンツ」と昔良く聴いていたアール・クルーのアコースティック・ギター。
そして、このネットワークレシーバーはストリーミングも受信可能ですが、年金生活者にとって有料サービスは些か辛いので、ネットワークレシーバーとしてはインターネットラジオで無料サービスを楽しもうと思います。
 また、このレシーバーをプリメインアンプとして考えた時に、ハード的な今回の一番の期待は、通常接続したスピーカーを4チャンネル駆動出来る「パラレルBTL」という機能です。説明曰く、
『パラレルBTLドライブでは接続はシングルワイヤのまま、4組のアンプ全てを用いてスピーカーを駆動することが可能になりました。その結果、アンプのスピーカー駆動力の指標となるダンピングファクターは通常のBTLドライブに比べ約2倍に向上。中低域の量感と締まりを両立した低音再生を実現しました。』
とのこと。
M‐CR612はバイアンプという機能もあるのですが、我が家のメインスピーカーは、既にご紹介した通り、自作した長岡式スワンを泣く泣く手放し、KEFトールボーイはサブシステム用に使用するので、KENWOODの前身であるトリオのLS-202という40年以上も前の古い3Way バスレフのスピーカーです。従って最新式のバイアンプには対応出来ませんので、新しい“アンプ”としてのスペック的な期待がこのパラレルBLTでした。
最初にCDを通常(普通)のシングルワイヤ接続でスピーカーを鳴らします。それまでの所謂ミニコンのKENWOODのレシーバーとは値段は7倍近く違うのです(筈)が、私メの耳ではその金額差程の音の違いは感じられません。そして次に、マニュアルに沿ってパラレルBLT接続に変更します。すると・・・激変!!
音の輪郭がきりっと締まり、音が一つひとつ粒だって聞こえてきました。
 「あぁ、こんなに違うんだ!」
と感激。これなら金額差、イヤ、その価格差以上の音に納得で大いに満足出来ました。

 以前ご紹介した様に、狭いマンションへの転居に伴い処分せざるを得なかった私メのオーディオ機器。その中で、僅かながら生き長らえて一緒に持って来られたのが、トリオのスピーカーとデンオンのレコードプレーヤー。そして、新居でのミニ書斎向けのサブシステムとして、それまで2階の書斎で同じようにサブシステムとして使っていたKENWOODのシステムコンポ用のCDレシーバーとKEFのトールボーイスピーカーでした。

 従って、メイン用のプリメインアンプは代わりの機種を買う必要があり、与えられた予算の範囲内で色々候補を上げて検討したのが、マランツのネットワークレシーバーNR1200と同じくマランツのネットワークCDレシーバーM-CR612という機種。
前者は別に新たなCDプレーヤーが必要になりますし、後者はCDプレーヤーは一体型ですが、そのままではレコードプレーヤーが接続出来ないので、レコードプレーヤーを接続するためには別にフォノイコライザーを買う必要があります。

一応お伺いを立てたところ、家内と娘からは前者は大き過ぎると却下。確かに色々検討してみたのですが、リビングで置ける場所は無く、密かに当初考えていた家具(シンガポール購入した頑丈そうなリビングボードの中)は家内に占領されてしまい、オーディオが置けるのは唯一そのリビングボードの上の部分のみ。そこにレコードプレーヤーを置くと、残りのスペースは30㎝四方しかなく、フルサイズのプリメインアンプの同じ大きさのNR1200は無理で、結局必然的にM-CR612になってしまいます。NR1200はTVもAVプレーヤーとして接続可能ですが、その場合スピーカーは狭い新居ではTVの両脇に置くことは出来ず、TV用には使えずに宝の持ち腐れにもなるので、ま、イイかということで結局M-CR612に落ち着きました。
従って、それまでの間はサブシステムのケンウッドのCDレシーバーを代用し、リビングでトリオのスピーカーを鳴らすことにしました。
 引っ越し後の11月末、M-CR612を電気店で注文し、メーカーからの取り寄せ(今殆どの家電量販は在庫を持たっていません)で、納品予定は1月末とのことでした。

 コロナ禍による世界的な人工不足での半導体不足と、更にそれに輪を掛けたのが旭化成の延岡工場の火災によるオーディオ用などのLSI供給遅延で、最初から納品待ちは覚悟の上でした。
世間では、例えば給湯器も半導体不足により半年間もの納品待ちで、それまで故障した給湯器が交換出来ずにいたというような日常生活に直結した影響も報道されていますので、それに比べれば日常生活に影響が出る程深刻な問題ではありません。
ところが、購入した量販店からの連絡で、先ずは1月末の納品予定が2月末に延び、終いには4月末になるかもしれないとのこと。
そのまま待つか、それとも注文をキャンセルするかどうかと聞かれましたが、量販店側の問題ではなく(量販毎の購買力による力関係での差は多少あるかもしれませんが)製造元であるメーカー側の問題なので、もし他の量販に今から予約し直したとしても状況は変わりませんので、止む無くそのまま待つことにしました。
しかし、それにしても半導体メーカーからすればオーディオ用LSIは車載やTV、冷蔵庫などの大型家電よりも位置付けは低いのかもしれませんが、“ウッドショック”に伴う家具もそうでしたが、コロナ禍の影響が色々身近なジャンルに影響していることを実感、認識せざるを得ませんでした。

 今まで使っていた家具類を持って行けるスペースが無いことは前に書いた通りですが、一方私メは持って行くつもりだったのに家内と娘から「No!」というキツイ駄目出しをされてしまったのが、私メのオーディオ類でした。

 大型のプリメインアンプは勿論、レコードプレーヤー、カセットデッキ、MDプレーヤー、CDプレーヤー、チューナーとスピーカーです。
家の新築時に買い替えたので、これも24年。しかも、スピーカーは社会人になった時に買った40年前の3ウェイと自作スピーカーの長岡式スワン。さらに、サブシステムとして使っていた、KEFのトールボーイの合計3組のスピーカー。
アンプ類はさすがに古いので、家電同様買い替えることにしましたが、スピーカーだけはどちらも気に入っている云わば“愛機”ですし、世の中が如何にデジタル化されようと、最後にはアナログ変換での音の出口であるスピーカーだけは、ユニットの特性だけではなく、剛性や内部の形状など箱の作りにも左右されますので、良い材料を使ってしっかりと仕上げてあれば、銘器と言われるバイオリンのように昔のスピーカーであっても良い音がする筈です。私メのLS-202もスワンもその意味で個人的には銘機だと思っています。従って、これからも壊れるまで聴き続けるつもりでいました。
しかし、どちらも底辺30㎝四方以上の大型スピーカーですし、ソファーや飾り棚などを置くリビングルームのスペースとの兼ね合いから、色々置き方を考えつつ何度測ってみても確かにスピーカー2台を置くスペースは生まれないのです。
 「ウーン、どうしよう・・・?」
 LS-202はKENWOODの前身であるTRIOが本格的にスピーカー制作に進出したLSシリーズのスピーカーで、25cmウーファーのフロア型の3 wayバスレフ・スピーカー。片やスワン(初代D-101)は、スピーカー自作派の“神様”故長岡鉄男氏が設計した点音源の傑作と云われるバックロードホーンスピーカーで、ユニットはフォステクス往年の銘機FE106∑を用いた僅か10cmのフルレンジ1発。面で鳴るか点で鳴っているかの違いと、スワンは点音源ですので、出来るだけ耳の高さに合わせた二等辺三角形の頂点で聴くのがベストなスピーカーです。
しかもスワンは1987年の赴任直後の慣れないシンガポールで、引越し荷物と一緒にカットされた板材キットを送って、家族がシンガポールに来るまでの3ヶ月間、休日や夜などやる事が無い時に、一人黙々と組立作業をし、サンドペーパーでしっかり磨いて、探し当てたDIYショップで購入したラッカーを三度塗りして仕上げた思い出のスピーカーです。その後、次女がヨチヨチ歩きの頃、音の出る所が不思議だったらしく、スプーンで叩いてコーンを凹ませてしまい、出張帰国の際に秋葉原で交換用にスピーカーユニットを再度購入し、併せて保護用にガードグリルも購入して取り付けてあります。
 そこで、今回新居に持って行くスピーカーを絞り込むに辺り、メイン・スピーカーのLS-202とスワンD-101を改めて聴き比べてみました。
3WayのLSの方が高音は勿論なのですが、バックロードホーンとは言えフルレンジ1発(しかもたったの10cm!)のスワンよりも、特にダブルベースなどの低音も音の粒が立ってくっきりしています。
一方のスワンはバックロード特有のクセとして、どうしても「ブン」ではなく「ボン」という感じになりがちです。しかも低音は音道を通って増幅されて背面から出て来るので、何となく遅れた感じがします。逆にLSが面で響いてくるのに対し、スワンは点音源の名の通りクリアに左右のピンポイントから抜群のステレオ感で響いてくる感じでしょうか。
二つを比べてみると、謂わばシャープなLSとマイルドなスワンという違いはありますが、ステレオ的な「音」としてのまとまりはスワンの方があるような気もします。最後は聴く人の好みでしかないのですが、でも想像以上にLS-202はクセの無い素直でイイ音作りでした。

 どう考えても二つは無理なので、どちらか一つに絞らざるを得ません。悩みに悩んだ結果、最終的にはバックロードのスワンに比べ音が透明でクセの無いLS-202を新居で使うことにしました。
そこで、スワンは家内に頼んでメルカリに出品することにしました。オーディオには全く興味のない家内の「こんなの、どうせ売れる訳無いわよ!」という冷たいお言葉に対し、ところが、あろうことか直ぐに買い手が現れたのです。家内も、「えっ、ウソッ!?」と絶句。
 そこで、売れたのは大変有難いのですが、次なる問題はどうやって送るかでした。
初代のスワン(D-101)は、首の部分(スロート)が(耳の高さに合わせるために)可動式で外れる設計になっています(二代目となる長岡式「スーパースワン」は固定です)ので、スロートを外してバックロードの折り曲げ部分である箱と二つに分け、傷付かぬ様にエアクッショで包み、それぞれ大きさに見合う段ボール箱に入れて発送しました。
すると到着後、すぐに買い手の方からメールが届きました。
『(略)やっとセッティングが終わり、お気に入りのモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いております。
高域が足りないとのお話でしたが、あまり気にならずむしろ抜群の音場感が素晴らしいです。今まで使っていた3ウェイスピーカーは何だったんだろうと感じました。やっと求めていた音に出会えたと感動いたしました。
梱包も大掛かりで大変だったと思います。その上ご主人から丁寧なお手紙まで頂き、本当に良いお取引できたと感謝しております。末永く大切にスワンを使っていきたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。』
 まるで愛する娘を嫁がせた親の様な気持ちで、泣く泣く手放したスワンでしたが、メールにある様に大切に使って頂ける新しいオーナー様に出会えて本当にホッとしました。文中に、モーツァルトのピアノコンチェルトを聴いているとありましたが、私も好きな20番、或いは21番の第2楽章でしょうか?
私メ同様に、スワンを聴くのに一番相応しいクラシック音楽好きなオーナー様のようで何よりです。しかも、「今まで使っていた3ウェイスピーカーは何だったんだろう?」という、スピーカー自作派にとってはこれ以上ない最高の誉め言葉まで頂くことが出来ました。
今も日本のどこかでモーツアルトを奏でているであろう、我が愛しのスワンに向かって、
 「良かったなぁ!新しいご主人さまに末永く可愛がって貰うんだぞ!」

 会社員時代、最後の4年間上田の子会社への朝の通勤時間帯。7時15分から8時15分の一時間。
この時間帯の楽しみは、三才山峠の峠道の季節の移ろいを愛でながら、BGMで流れるNHK-FMのクラシックを聴くことでした。
そんな毎日の通勤で一番気に入っていたのは、月曜日朝の{きらくにクラシック}の再放送でした。MCはふかわりょうと有名チェリストの遠藤真理のお二人。本ブログでも何度も触れさせていただきました。
その中で、最初にご紹介した第645話から抜粋します。
『 そんな朝のFM放送でのお気に入りは、月曜日の朝のNHK‐FM『気楽にクラシック(略称きらクラ)』(本放送は日曜午後で、月曜朝はその再放送)。以前は『きままにクラシック(同きまクラ)』で、番組構成は大体同じ傾向ですが、確か4月に司会者が交代。以前の笑福亭笑瓶さんと声楽家(コロラトゥーラソプラノ)の幸田浩子さん(さすが、アナウンサー顔負けの美声でした。確か大晦日のジルベスターコンサートの司会もされていたような)のコンビから、タレントのふかわりょう、チェリストの遠藤真理(東京芸大在学中に2003年日本音楽コンクール第1位に輝き、芸大、その後のモーツァルテウム音楽院共に首席で卒業したという実力者)のご両人へ。
最初何気なく点けたところ、司会が誰か分からず、プロの音楽家と“育ちの良さそうなクラシック好きの知的な青年?”との会話がなかなか面白く、そのクラシックファンとしての知識の豊富さとセンスの良さに感心していたところ、「ふかわりょう」という名前を聞いて一瞬「・・・!?」。同一人物とは思えませんでしたが、考えてみればクイズ番組での回答ぶりを思うと、いつものイジラレ役とは違う、こうした一面を持っているのも不思議ではないのかもしれません。彼を起用した、局の担当の方の慧眼に敬服します。
生まれた頃から、父親の好きだったクラシック音楽が流れる家庭で育ち、ご自身ピアノも習っていたそうですが、若い頃の反抗期にはクラシック好きの父親への反発もあって、一時はジャズに夢中になり、そのアドリブの中にも主題・変奏というクラシックとの共通性(例えば提示・展開・再現のソナタ形式)を理解して、またクラシックを聞くようになったと言います。小品から大曲まで、結構聴き込んでいるのが分かります。
チェリストの遠藤さんもプロとしてのうん蓄のみならず、ふかわさんの自由奔放なコメントに誘発されてか、堅苦しいイメージのクラシック音楽家とは一味違ったお茶目な一面も垣間見え、なかなかの名コンビ。あっという間の小一時間です(放送そのものは約2時間)。』

 そして、『きらクラ』を聴いている中で、MCの遠藤真理さんは勿論なのですが、番組にゲストで登場された演奏家で、ピアニストのイリーナ・メジューエワ、小菅優を初めて知って感動し、その後、小菅優さんは茅野(演奏会終了後サインも頂きました)と松本で、イリーナ・メジューエワさんは彼女の拠点である京都に旅行で行った際、偶然彼女のリサイタルコンサートの日と重なり、それぞれ生で聴くことが出来ました。また番組でリスナーの方が紹介された現代作曲家であるアルヴォ・ペルトを知り、中世のグレゴリオ聖歌にも似た彼の作品に興味を持つことが出来たりと、この番組を通じてクラシックの中でも今まで知らなかった新しい世界に触れることもありました。番組に招かれた日本や世界の第一線で活躍するゲストの中で、とりわけその宇宙人的ユニークさに唖然としたのが、東フィルのビオラ首席奏者でもある須田祥子さん。ビオラの魅力を広めるためにビオラだけの演奏集団SDA48を主催したり、ジルベスターコンサートでカウントダウン演奏後に毎年必ず干支の被り物をしたりするのはその一端か・・・。シャベリも面白かったので、「きらクラ」の後番組のMCにも期待していたのですが・・・。

 定年退職後は、ワンコの散歩やウォーキングに行ったりするので、会社員時代の通勤時と同じ様に毎日ルーティーン的にFMを聴くことが無くなったのと、退職後も暫くは聞いていたのですが、正直『きらクラ』が常連さん中心のマニアックな内容になってしまった気がして、最近ここ一年程は聴いていませんでした。
そして、先日久し振りに聞こうと思ったら、8年間続いた『きらクラ』は昨年度一杯で終了し、今年度から『×(かける)クラシック』という新しい番組になっていました。少し聴いてみたのですが、何も無理矢理鉄オタとクラシックをくっ付けなくても良かろうに・・・と、MCのトークや内容が、正直「趣味じゃないなぁ、こりゃ」・・・でした。

 『きらクラ』での遠藤真理さんのチェリストとも思えぬ様な自然な“シャベリ”。とりわけ、“芸人”でシャベリのプロであるふかわさんとの掛け合いも楽しく、通勤時間に聴いていた時は、彼女のあの「ガハハ・・・」という大らかで豪快な笑い声に本当に癒されてもいたので、番組終了を知った時は、正直残念!で、
 「そうか、君はもういないのか・・・」
と(番組終了の)喪失感に暫し苛まれていました。東京に居れば、読響の定演にも行けるでしょうし、室内楽など彼女の出演する演奏会も結構あるのですが、田舎の松本ではいつでも会いに行けるという機会は残念ながらありません(これまでサイトウキネンにも参加されているので、他の地方都市よりも松本は彼女の演奏に触れられる可能性には恵まれているのかもしれませんが・・・)。番組では、2020年読響の指揮者に就任したマエストロ鈴木優人さん(お父上はBCJ率いる鈴木雅明氏。日本人でただ一人バッハメダルを授与されたバッハ演奏の第一人者)を高校時代からの友人とのことで「優人クン」と呼んだり、ザルツブルグだったか、ミュンヘンだったかに行くと、「いつも優チャンが車で迎えに来てくれるんだよね」と親友の小菅優と話していたのが、実に大らかな大物ぶりでナントモ微笑ましかったです。

 余談ですが、因みに今回の「そうか、君はもういないのか・・・」は、お気づきの方もおられると思いますが、そう城山三郎氏の名エッセイ『そうか、もう君はいないのか』をそのままパクッテ使わせていただきました。
ただ個人的には、川本三郎さんの同じく名エッセイである『いまも、君を想う』の方が心に切なく染みています。

 コロナ禍の中、中止されていたクラシックのコンサートや寄席も、客数を減らし席の間の距離を取るなどの工夫をしながら、都会では徐々に再開する動きが出てきていますが、出演者の長時間移動を余儀なくされる地方都市では残念ながらまだまだです。そのため、CDやYouTubeなどで好きな音源や動画を探して楽しむしかありません。そんな中での楽しみは、新しいイベントが開けないので、これまでの中から過去の名演などが改めて放送されたことでしょうか。
 クラシック好きの中には、同じ曲のレコードやCDを何枚、何十枚と収集して比較試聴しながら、「誰の演奏が良い」、「誰それのここの演奏は良くない」、しかも同じ奏者でも「〇〇年に録音された△〇盤がベストだ」などと論じ、悦に入っているファンがいます。私メは貧乏学生でしたから、同じ曲を集めるよりも、出来るだけたくさんの曲を知りたいと思いましたし、社会人になって多少趣味にお金を掛ける余裕が出来てからも同様でしたので、そうした趣味はありませんでした。しかし、学生の頃から、定期購読していた(しかもシンガポール赴任中も)週刊FM(廃刊後はFMファン)やレコード芸術で、音楽専門家による新盤の批評や名盤特集などを見て、自分に合う演奏を探して、そのレコードやCDを購入するようにしていましたので、同じ曲を何枚も集めるかどうかは金銭的余裕の有無だけの差であって、同じ曲でも比較試聴するという態度はクラシック好きとしては同じです。
リタイア後に時間が出来てからは、市の中央図書館のCDライブラリーやネットのクラシック音楽サイトで同じ曲の異なる録音(今はコロナ禍征服後のコンサート再開を願って専らマーラーの第2番「復活」)を聴いていますので、むしろ同じ穴のムジナなのかもしれません。ファンでない人からすれば、「同じ曲ばかり聴いてどこが面白いのか」と思われるに違いないのですが、同じ曲で同じ楽譜を用いていても、演奏者や識者の意図に拠って、演奏時間にしても、強弱や演奏方法にしても、結果として同じ演奏は無く全て違うのですから、その中で自分の嗜好に合う演奏を探す楽しさ、面白さということに帰結します。

 さて、些か“枕”が長くなりましたが、落語も同様なのではないでしょうか?むしろアドリブが命というジャズの方が落語的、という方もおられるかもしれませんが、ジャズはアレンジによってはまるで別の曲の様に聞こえる場合もあるので、どちらかと云えばクラシックかなぁ・・・と個人的には感ずる次第です。
 そんな落語で、例えば大好きなネタである、人情噺の傑作「芝浜」。
天秤棒で魚の行商をしている勝五郎が大好きな酒に溺れ、20日間も仕事をさぼった挙句、朝早く女房に起こされ、昨日約束したからと嫌々芝の浜に仕入れに行かされます。しかし、増上寺の鐘の音で、一時(いっとき)早く起こされたことを悟った勝五郎が、仕方なく浜に下り海水で顔を洗った時に、波の中に沈んでいた汚い革の財布を見つけ、拾って開けてみるとナント50両(師匠によっては42両)もの大金が入っていて、有頂天になって友達を呼んで来てのドンチャン騒ぎの末に酔って寝てしまった勝五郎。
拾ったお金を奉行所に届けずに使い込むのを心配した女房が、寝て起きた勝五郎に芝の浜で財布を拾ったのは夢だと信じ込ませた結果、改心し、酒を断ってまるで別人のように仕事に打ち込む勝五郎。そして、小さいながらも自分店を持つまでになった三年後の大晦日の夜に・・・というストーリー(そのため、寄席では師走恒例となっている大ネタ)。

 このネタは、「芝浜の三木助」と言われた程に三代目桂三木助の十八番だったそうです。図書館のCDに音源があったので聞いてみました。確かに明けてゆく芝の浜の情景描写は見事かもしれませんが、個人的にはもう一つで、余り感動せず。
また、「芝浜」でも評判が高い立川談志。確かに緊迫感と臨場感溢れた語り口で、テンポがイイ。上手いなぁとは思いますが、でも個人的には好みではない。聞いていて落ち着かないし、ほっこりしないのです。
同じく名演の誉れ高い古今亭志ん朝の「芝浜」。最初に腕の良かった勝五郎ではなく熊五郎(魚熊)が、酒のせいで質を落としお得意さんが徐々に離れていく様が描かれる。そして女房の説得で、漸く天秤棒を担いで家を出て行ったかと思うと、芝の浜の様子の説明は全く無くてすぐに息を切らせて家に帰ってくる。その上で、女房に芝の浜であったことを初めて説明するという仕立て。如何にも気っ風の良い江戸っ子らしいベランメェ口調で、スピード感に引き込まれます。
大好きな柳家さん喬師匠の「芝浜」は、改心して仕事に打ち込む勝五郎には子供が出来て、大晦日にその金坊をあやす場面が出てくるなど、如何にもさん喬師匠の人情噺らしい、実にほっこりする話しぶり。特に、お得意のお爺さんから勝五郎の魚で何日か寿命が延びたと感謝され、魚屋になったことを真に喜ぶ様が実にイイ。

 幹となるストーリーは変わらねど、各師匠のそれぞれの工夫が見えて、ストーリーは勿論、「芝浜」で云えば、「また夢になっちゃいけねぇ」という“下げ”は皆同じであっても、どの師匠の「芝浜」を聞いても楽しめて聞く度に新鮮に感じられるのだと思います。
 今年の年末は、果たして生の「芝浜」や「第九」は聞けるのでしょうか?
BCJの様に少人数での演奏可能なメサイアは可能でも、今年の第九は無理かもしれませんね。

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