カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 リビングルームの大画面TVは、Sonyの有機ELブラビアです。
早めの終活と断捨離で、2年前に一戸建てからこちらのマンションに引っ越した際に、あらゆるものを断捨離の一環でダウンサイズしたのですが、その中で反対に唯一大きく、或いはグレードアップしたのが冷蔵庫とTVでした。
(そう云えば、コロナ禍で東京から戻り松本でリモートワークをしていた長女のリクエストで、洗濯機も乾燥機能付きのドラム式にグレードアップしていました・・・ん?これって、昔で云うところの“三種の神器”⁇)

 子供たちが巣立って以降は母を含めて年寄り3人だけだからと、10年ちょっと前に買い替えた冷蔵庫は、それまでより小さめの480リットルにしたのですが、これが失敗でした。食料品の買い出しは週一のまとめ買いでしたし、冷凍可能なモノは一度に多目に作って冷凍保存するので、冷凍庫が小さいとすぐに一杯になってしまうのです。
そこで引っ越しにあたって冷蔵庫だけは550リットルと今までより大きめのサイズにして、また家内のリクエストで、野菜室は冷凍室よりも開ける頻度が高いので、野菜室が一番下ではなく取り出し易い真ん中にあるタイプにしたのですが、これが大正解でした(因みに、選んだ冷蔵庫には一番下の大きな冷凍庫とは別に、独立した別の小さな冷凍室と製氷室が野菜室の上に並んでいるので、夏に使う氷や使う頻度が高い冷凍モノはこちらに収納可能です)。

 さて今回の主題であるリビングルームのTV。画面の大きさそのものは55インチで以前と同じですが(65インチだと、狭いマンションでは視聴距離が十分に取れず、むしろ部屋のサイズに比べ大き過ぎます)、昔のモデルに比べれば勿論液晶TVも4K液晶など画素数増に伴い映像表現は随分進化していますし、また画面も遥かに薄くなっています。しかしTV売場で実物を見比べると(各社とも売り場では目立つように、実際家庭で見るよりもかなり明るさを強調した家電売り場用の映像表現に変えているので注意が必要ですが)、例えば同じブランド内での有機ELと4K液晶との比較であれば(同じ宣伝用の映像を使っていることが多いので比較し易い)、やはり同じ4Kでもバックライトの液晶と自発光の有機ELではその映像表現の差(但し、その差が分かる高画質の映像作品であればですが)は歴然でしたので、結局4K液晶ではなく最新の有機ELにしました。
中でも購当時Sonyのそれは、TV画面自体が振動するサラウンドの平面スピーカーが用いられていて、その臨場感が特徴。しかも前後左右に加え、高さ方向の音表現も可能にする最新の立体音響技術Dolby Atmos(ドルビーアトモス)にも対応。従来、立体音響を楽しむにはリアスピーカーなどを設置するか、またDolby Atmosなどの最新の立体音響技術が盛り込まれたサウンドバーを追加する必要がありますが、このブラビアでは、「Sony独自の最新の音声処理システムにより、テレビ本体のスピーカーだけで立体音響が体感出来る」というのが謳い文句でしたので、今流行りのサウンドバーを追加しなくても、TVだけで30Wあり音量的にも十分と感じた次第。
因みに、マンションの様な集合住宅では階下への低音の影響を危惧し、床置きのサブウーファーの使用は諦めたというケースが多いのです。従って、流行りのサウンドバーもサブウーファーが独立していない、オールインワンタイプのサウンドバーを選ばざるを得ません。
片や、既にご紹介した様に、寝室のパナソニックのビエラは、各社の4K液晶モデルの中では当時最小サイズだった42インチの液晶TV(現在4Kの最小モデルは43インチで、42インチは生産終了予定の古いこのモデルだけだった)ですが、購入した時からTV側の音響は今一つということは分かっていたので、入門機にも拘らず最新のサラウンド技術Dolby Atmosを搭載し、本体内にデュアルサブウーファーを内蔵しているので低音も豊かで音質的にも高評価の(当時から現在でもベストバイモデルの)DENON のサウンドバー DHT‐217を追加して、音響的にも満足いく環境で視聴しています。
そこで、リビングルームでは2年近くブラビア本体の平面スピーカーだけで視聴して来たのですが、一般のドラマやスポーツ中継などの映像は全く問題無いものの、YouTubeなどで音楽プログラムを視聴するとなると、やはり低音不足が気になってきました。
 「うーん、もうちょっと低音を効かせたいなぁ・・・」
そうかといって、サラウンド音響で30Wのブラビアの平面スピーカーも捨てがたい。そこでブラビア自身の音響を活かして、そこに低音だけを追加し強化することにしました。
そのためにはサブウーファーをだけを追加しても良いのですが、TVから(アンプを介さないと)直接は接続出来ません。また幅1m近い様な大型のサウンドバーはTV台の置き場所もですが、視覚的にも邪魔。そこで2段になっているTV台の上の段に置ける様なコンパクトなタイプを選ぶことにしました。因みに上の段の幅は60㎝です(因みに、上述のDENONのサウンドバーDHT-217は長さ89㎝です)。
探してみると、サウンド的にも合格(≒満足出来そうなスペック)で且つサイズもそれに適合するコンパクトタイプのサウンドバーは僅か2モデル(聞いたことも無い無名ブランドの製品は除きます)で、YMAHAとJBL。長さがそれぞれ60cmと61.4cm。見た感じYMAHAは長さがピッタリなのですが、高さが1cm程厚くて、しかも全体が何だかボテっとした感じでデザイン的には私の好みではありません。但し、スピーカー2基だけのJBLに比べ、YMAHAはサブウーファー機能のスピーカーが追加されています。いずれにしても、どちらも日米の老舗の音響ブランドですのでサウンド的には安心です(というより、米国ハーマンのJBLは、嘗ての“怪物スピーカー”パラゴンに代表されるハイエンド・オーディオメーカーとしてオーディオマニア憧れのブランドでした)。
そのため選択肢としてはどちらでも構わなかったのですが、ところがたまたまAmazonのプライムデー期間中に、そのJBLのサラウンドバーが対象商品に含まれているのを発見!しかも、通常2万円弱が、11,000円ちょっとで購入可能とのこと。そこで奥さまに頼んで(≒懇願して)、最新のJBL「BAR 2.0 All-in-One MK2」を買ってもらいました。このJBLのサウンドバー2.0 はサブウーファーレスながらも、昔から定評あるJBLサウンドの豊かな低音というレビュー評価で、しかもDolby Atmosではありませんが、JBL独自のサラウンド音響技術を搭載してDolby Digitalに対応しています。因みにYMAHAの当該モデルもDolby Atmosではなく、独自のサラウンド技術とのこと。どちらも実売2万円以下のモデルですので、スペック的にそこまで要求するのは無理でしょう。(Dolby Atmosを搭載するには、開発した米国企業のドルビー研究所にライセンス料を支払わなくてはいけません)。
 数日後、Amazonから送られてきました(注記:梱包箱の写真を撮っていなかったので、H/Pから写真を拝借しましたが、MK2の前の初期モデルの箱です)。
ところが、到着後さっそく接続してみると、私が当然とあると思っていた機能がSonyブラビアには無かったのです。
最新のサウンドバーはTVとの接続はHDMIのARC接続(TV側のリモコンでTVとサウンドバー双方が連動してON-OFFやボリューム調整が可能)が殆どで、SonyもJBLも問題ありません。しかもJBLにはHDMIケーブルが付属されているので、新たに購入しなくてもサウンドバーが届けばすぐに接続可能です。
しかし、例えば寝室のパナのビエラと違って、(Sonyの他の機種は知りませんが、多分)ブラビアの平面スピーカーを搭載しているモデルはTVとサウンドバーを同時に使うことが出来ず、どちらか一方を選択しないといけません。つまり、サウンドバーを使う時はせっかくのサラウンド効果のあるTVの平面スピーカーは鳴らないのです。逆にTV側の平面スピーカーの音響を使用する時は、サウンドバーが接続されていてもサウンドバーから音を出すことが出来ないのです。
ただ後で分かったのは、ソニー自身のサウンドバーの指定機種との接続なら、センタースピーカーとしてテレビからも同時に音が出せて、「定位感が向上し、より臨場感のある体験が可能」と謳っているのです(それにしても、Sonyだけっていうのはちょっとヒドイよなぁ・・・!)。
最初何がいけないのか分からず(しかもSonyにはトリセツが付属しておらず、ネット上でダウンロードしないといけません)、トリセツを見ても(当方の見方が悪いのか)なぜ両方から音が出ないのかは直ぐには分からないのです(サウンドバーの接続方法などは記載されているのですが)。
そこで、Sonyの対象機種名と一緒に症状や使用上の要望(双方同時に鳴らしたい・・・云々)を入力検索して、漸くネット上でそれに該当する、既に同じ問題を体験済みの第三者の方のアドバイスと、それを手掛かりしてトリセツ上の記述も見つけることが出来ました。
その結果の結論・・・HDMI接続ではTVとサウンドバー双方を同時に鳴らすことは出来ないが、別売りの光デジタルケーブルを接続すると両方から音を出すことが出来る。但し、その場合に(HDMIのARC接続の様に)TVのリモコン一つで双方を使えるかどうかは不明(=トリセツには記述されていない)。
余談ながら、他の製品も含めてなのですが、Sonyのお客様相談室機能は全く以て本当に不親切‼‼・・・。電話は平日の昼間に何時間待っても全く繋がらないし、ではメールで回答を得ようとすると、これも非常に複雑で使い辛い(すぐに送信出来ない)。しかもたまたま家電量販で(別製品ですが)同じ話題に触れた時に、量販のスタッフの方曰く、
 「いや、お客様だけでなく、ソニーさんは我々量販からのコンタクトでさえ非常にし辛いんですよ。殆ど繋がらないです・・・。」
もはや、Sonyはメーカーなどではなく、最早エンターテイメント制作のソフト会社なのでしょうか?(アフターサービスなぞ関係無しの、制作する映画や歌が一発当たればそれで良し・・・で、売りっぱなし、作りっぱなし・・・。実際のグループの利益も、ハードよりもソフトで稼いでいる筈ですので・・・)
 さて、光デジタルケーブルを量販店から買って来て接続した結果、漸くTVとサウンドバー双方から音が出て来ました(ある意味、無駄な出費なのですが・・・)。しかしSonyの平面スピーカーの音源上(スピーカーがTV画面上のどこにあるのか、サウンドバーとの距離で)、ドラマやニュースなどで、人が発声する場合、平面TVからの音声とサウンドバーからの音声が二重に重なって聞こえてしまうのです。そのため聴いていて何だか不自然で気持ちが悪いのです(例えば、ニュースを読んでいるアナウンサーが同時に二人いる感じ)。
これが寝室のパナのビエラだとTV側のスピーカーの性能が(せいぜいTV下部に配置された左右のステレオ単音源で)低いせいか、逆にサウンドバーと同時に使っても気にならない。むしろどちらか単体で鳴らすよりも、双方同時に鳴らした方が相乗効果で増幅して、より厚く立体的に聞こえるのです。
従って、Sonyの様にTV側のスピーカーの性能が高いと(??)、サウンドバーとの併用はむしろ逆効果で“痛し痒し”なのかもしれません。
でも技術的に、自社のサウンドバーで双方を活かす術(すべ)があるなら、Sonyのサウンドバー自体に何か特殊な独自技術が施されている訳では無い筈なので、他社のそれも活用できる筈。どう考えても、素人目には他社製品排除としか思えないのですが・・・(如何???)。
しかし、これが音楽の場合は、クラシックでもJazzでもポップスでも、オケや合奏でなくソロシンガーであっても、ミュージックシーンになるとこれが全く気にならない。むしろ追加されたサウンドバーの音響効果が増幅されて音に立体的な厚みが出ます。特にさすがはJBLで、両側に楕円形スピーカーが僅か2基だけの筈(サブウーファー無し)ですが、80W(40W×2)と十分なボリュームでしっかりと低音も出ていますし、独自というサラウンド効果(Dolby Atmosではありません)で確かに立体的に聞こえてきます。
そこで、音楽を聴く時だけ、従ってTVの番組よりも、むしろYouTubeやYouTubeミュージックの音楽プログラム、例えばライブ録画された国内外のクラシックコンサートやJazzやポップス、クラシックなどのプログラムなどを視聴する時は、サウンドバー側のリモコンでONしてサウンドバーとTVの双方から音を出して視聴しています。もし、OFF後に、また音楽番組を視聴する場合はそのままTV側のリモコンで消せば(JBLはスリープ機能があるので)、次にTVリモコンでONをする時もサウンドバーも同時にONになるので便利です。
そのため、好きな音楽番組をリビングで視聴する時は、JBLのサウンドバーも追加して、低音の厚みを増したサラウンド環境で音楽を楽しんでいます。 
 それにしても、当然と思っていた機能が、ブランドによっては使えない(というより他社製品排除)というのを今回知って、些か“天下の”Sonyブランドに幻滅を感じるのを正直禁じえませんでした。
 「こんなのは技術的であろう筈がなく、むしろマーケティング上の対応であるとしたら、エンジニアの盛田さんはともかく、あの井深さんは泣いているだろうに・・・」

 『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場』
ソニー創業者井深大氏が書いた東京通信工業の設立趣意書、そんな対応をしている(させられている?)今のSonyのエンジニアの人たちはもう一回読んでみればイイ・・・。
問うて曰く、江田島の“五省”で云う「至誠に悖るなかりしか・・・」。

 恒例の信州松本の夏の音楽祭、セイジ・オザワ松本フェスティバル、略称OMF(旧SKF、サイトウキネン音楽祭から名称変更。オーケストラの名称は、音楽祭の名称変更時に同様に検討されたのですが、メンバーの反対でSKOのサイトウキネン・オーケストラのまま)。

 今年のOMF2023は、映画「スター・ウォーズ」などの作曲で知られる映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズが自身の作曲した曲を振る「オーケストラコンサートB」がプログラム発表時から話題を集め、申し込みが殺到することが予想されたため当初からチケットは抽選で、結果実に14倍の倍率だったそうです。
ET、スパーマンといったハリウッドの映画音楽のみならず、1964東京大会のオリンピック・マーチと共に、個人的に過去のオリンピックの中で音楽作品として最も素晴らしいと思うロサンゼルス・オリンピックのテーマ曲もジョン・ウィリアムズの作品でした。そうした作曲の方が有名ですが、彼はオザワ・セイジが長らくボストン交響楽団(BSO)の音楽監督だった1980年に、BSOがオーケストラのシーズンオフとなる夏の間、ポピュラー音楽やファミリー向けコンサートを演奏する楽団であるボストン・ポップス・オーケストラの常任指揮者として小沢が招聘した人でもあり(95年から桂冠指揮者)、その縁もあって今回或る意味“盟友”であるマエストロ・オザワのために、SKOで自身の作品を振るために齢91歳の彼が実に30年ぶりに来日することになりました。因みに、この機を逃さず?か、ボストン・ポップスも10月に来日し、東京と大阪で公演を実施するとのこと(但し、指揮はジョン・ウィリアムズではなく、現首席指揮者であるキース・ロックハートとのこと)。
さて、ジョン・ウィリアムズは評判になった2020年のライブ盤が発売されているウィーンフィルも自身で指揮しており、またベルリンフィルも演奏会で彼の作品を取り上げるなど、最近は世界の主要オケでも彼の作品がオーケストラのコンサートでも演奏されるようになっています。そうした演奏をYouTubeでも現地での熱狂ぶりを含めて視ることが出来ますし、また彼の作品もスクリーン作品のポピュラー音楽としてだけではなく、クラシックのコンサートで演奏されるオーケストラ作品としても近年評価されてきていることが分かります。
 こうした背景もあってか、初めて“ポピュラー音楽”をサイトウキネン・オーケストラが今年のOMFで演奏することになり、しかもそれを実に30年ぶりに来日してジョン・ウィリアムズ自身が振るということもあって、大いに話題になりました。
そのため、9月2日のOMFだけではなく、創立125周年記念としてドイツグラムフォンのガラ・コンサートの日本公演としても、今回の松本と全く同じメンバー&プログラムで9月5日にサントリーホールでも演奏することになり、こちらもチケットは抽選になったそうです。
 そのOMFでの9月2日の大盛況だったというコンサートが、翌3日に地元向けにスクリーンコンサートとして、昼のまつもと市民芸術館と夜の松本城公園特設会場の二ヶ所で開催され、市民芸術館でのコンサートチケットを妹が運良く入手出来たからと誘ってくれて、一緒に聴きに行って来ました。
『オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム』と銘打って行われた前日のコンサートは、前半がジョン・ウィリアムズ90歳を祝うガラ・コンサートの指揮を任されるなど、氏の信頼も厚いステファン・ドゥネーヴ指揮による日本にゆかりのある2曲。当時の皇太子さまと雅子さまのご成婚を記念して作曲された「雅の鐘」と、盟友セイジとボストン交響楽団の4半世紀にわたる濃密な連携を祝して書かれたという「Tributes! (For Seiji)」で幕開けし、「遥かなる大地へ」組曲と「E.T.」から3曲。
そして、後半が御大ジョン・ウィリアムズ自らの指揮で自作の演奏。
「スーパーマン・マーチ」『ハリー・ポッター』より3曲、そしてこの日のコンマスを務めた豊嶋泰嗣氏のヴァイオリン・ソロでの『シンドラーのリスト』テーマ、そして『スター・ウォーズ』より3曲、そしてアンコールに「ヨーダのテーマ」「レイダース・マーチ」「帝国のマーチ」が演奏されました。
 因みに、前半のドゥネーヴもですが、後半もジョン・ウィリアムズが曲の合間にコメントし、その通訳を務めたのが桐朋出身で現在ニューヨーク・フィルのチェロ奏者の工藤すみれ嬢。前半は事前から予定されていた様で、原稿を介しての通訳でしたが、後半は突然の指名だった様で、氏が途中で遮れずに長く喋ってしまって端折って訳したのはご愛敬。でも事前に分かっていたなら、女史には演奏に専念させてあげるべく事務局から通訳を出せばイイのに・・・と思ってしまったのは私だけでしょうか。
微笑ましくはありましたが、後半はチェロの第2プルトでしたので、そこから指揮台横までいちいち出入りされるのが見ていて気の毒でした。
 さて、演奏は後半、ジョン・ウィリアムズが登場しただけで開場の雰囲気もオーケストラの演奏までもがガラッと変わってしまったのが驚きでした。
しかも、ジョン・ウィリアムズ自身のタクトは前半のドゥネーヴ氏の大振りなタクトに比べ、振るのが楽しくて堪らないとでもいう感じで、そのにこやかな表情と共にホンの少し棒先を動かすだけなのですが、それなのにオケの音色が、演奏の熱気が、全く違って聞こえたのが不思議でした。氏のオーラと言ってしまえばそれまでですが、30年ぶりという映画音楽のカリスマ来日での期待が熱気となって会場全体に満ちて、それが演奏自体を盛り上げたのかもしれません。カリスマのカリスマ足る所以でしょうか。
 演奏終了後ジョン・ウィリアムズの「セイジ!」という呼びかけに応え、マエストロ・オザワも車椅子でステージに登場し、その後も更にアンコールの演奏もあって、会場はスタンディングオベーションで大盛り上がり。
そんな昨日の会場の熱さが、タイムトンネルを越えてまるで同時中継で行われているかの様に、こちらの会場まで前日の熱気が伝わって来たのでした。

 リビングルームや寝室のTVだけではなく、物置兼ミニ書斎“男の隠れ家”のPCでもYouTubeを楽しんでいます。

TVでは「孤独のグルメ」や「美味しんぼ」などの過去の放送分。音楽では、例えばコロナ禍の間に配信された、今や“世界のヤマカズ”が指揮をする東京混声合唱団(内外のオーケストラのみならず、東混の音楽監督としても活動されています)とか、N響のコンサート(服部百音さんのヴァイオリンに感動したのも、コロナ禍で海外アーティストが招聘出来なかったためか、パーヴォ・ヤルヴィ指揮の定期でのチャイコン演奏に圧倒されたのがきっかけでした)や読響のマチネシリーズとかもYouTubeで聴くことが出来ます。そしてクラシック関係で今嵌まっているのは、“The Three Conductors”。日本のクラシック界を背負って立つ若きマエストロたちの会話だけなのですが、これが実に面白い。興味ある方は是非どうぞ!
少し変わったところでは、羽田空港ベースのANAの従業員の皆さん(パイロット、CA、グランドスタッフ、整備士、事務スタッフなど)が、3.11を機に「自分たちにも何か出来ることを」と、南三陸町など被災地でのイベントに参加して音楽を届けるために結成されたというアマチュアバンド「ANAチーム羽田オーケストラ」(これがかなり上手いんです!しかも皆さんが本当に楽しそうに演奏しているのが実にイイ!)。
そして落語では、過去の音源から名人圓生や志ん朝。そして現役では柳家一門の大看板さん喬師匠から若手真打の柳亭小痴楽師匠まで。更には古今亭菊之丞師匠の「でじたる独演会」の様なコロナ禍で増えた配信も含め、「寄席落語」なども気に入って聞いて(視て)います。
他にもジャズやボサノバ、また昔で云うとことのイージーリスニング。グレンミラーなどのビッグバンドや、季節毎に、例えば夏ならビリー・ヴォーンやパーシー・フェイスなどなど・・・。

また、コロナ禍での自宅でのリモートワークが世界中で増えたせいか、“作業用BGM”的なクラシック音楽やJazzなどが長時間番組として(映像は動画では無く、背景が風景写真で曲毎に変わるイメージですが)結構たくさん(世界中から)登録されていますし、しかも中には高音質の音源もあるのが有難い。
そして今夏が猛暑だったためか、或いは私自身が信州とはいえビル構造の街中の鉄筋コンクリートのマンションに暮らすせいか、はたまた自然に囲まれた里山の田舎育ち故かもしれませんが、YouTubeには清流のせせらぎの音や雨音などの自然界の癒しの音も(CDでも何枚か持っているのですが)幾つもアップされているので、これまた“書斎”で今夏はBGM的に流して楽しんでいました(せせらぎや雨の音だけでも、何だか涼しく感じます。変わったところでは、就寝時に寝室で聴くためのブラック画面の雨音などもあります)。
因みに、自然界の雨音やせせらぎの音、或いは岸辺に寄せる波の音などもそうですが、これらの音にはある程度一定のリズムがあるものの、決して規則的ではない独特の揺れがあり、これを「1/fゆらぎ」(F分の1ゆらぎ)と言って癒し効果があるとされています。またこれらの音には(作業中に眠ってはいけませんが)人間の耳には聞こえない高周波(ハイパーソニック)も含まれていて、これにより脳が快眠効果のあるα波を発するのでリラックス出来るのだそうです。
 こうしたYouTubeでドラマやアニメなどの番組を「視る」限りは、PCでも然程不満を感じないのですが、PCでYouTubeの音楽番組を「聴く」時は、どうしてもその音質(PCの内蔵スピーカーのスペック)に不満が生じてしまいます。
それは音質云々以前のレベルで、一応“音が出ている”という状態。音楽用のイヤフォンで聴いていればまだ良いのですが、大音量で外界と耳を遮断してしまうイヤフォンは不自然なので、個人的には好きではありません。
そこで、PCサイドにはそのイヤフォン・ジャックがあるので、そこから“書斎”のサブシステムのKENWOODのK-521(レシーバー本体もCDチューナー・アンプR-K521として単体で別売りされていましたので、一応ピュアオーディオとして、ドンシャリのミニコンポとは一線を画すレベル)側のAUX端子へアナログ接続して、サブシステムでYouTubeの音源を再生することにしました。
因みに、PCからの出力はアナログなので、入力側のR-K521も一応デジタルアンプですがDAC機能は搭載されていないので、もしポータブルのUSB-DACを購入して途中で咬ませればデジタル音源として聞くことも出来ますが、片やアナログ接続は安価なオーディオケーブル一本で済みます。
もし、これがメインシステムであるリビングルームのマランツM-CR612と接続するのであればポータブルのUSB-DACを購入しても良いと思いますが、飽くまでサブシステムのR-K521ではスペック的にもそこまでは不要です。
家にあるオーディオケーブルは皆ピンプラグ(両側が赤白の二本ずつ)ばかりだったので、アンプ側のAUX接続はピンプラグで良いのですが、PC側はイヤフォン・ジャックなので端子が一本のステレオ・ミニプラグが必要。
そこで、近くの家電量販店でそのオーディオ用の接続ケーブルを購入して来ました。長さにもよりますが、その量販店には1mと2mの2種類しかなかった(アマゾンとかだと、例えば1.2mとか、もっとサイズが細かく分かれています)ので、PCと背後のレシーバーとの距離をふまえ2mのケーブル(1180円)を購入しました。
 接続して、PCのYouTubeを立ち上げて試聴。
最近聞いているYouTubeの音源で気に入っているのが、夏だったからかもしれませんが昔懐かしいビリー・ヴォーン楽団のCD。それとLPでも聴いていたチューリップの「チューリップ・ガーデン」。そのLPに収録されている全24曲をYouTubeに載せてくれている人がいるので、それも聴いてみました。
アナログ接続ですし、アンプとしてのK-521の能力もあるので、音質的には満足とまでは言えませんが、“書斎”でのサブシステムとして使っているトールボーイスピーカーのKEF Coda9は、2.5cmのソフトドーム型ツイーターと、16.5cmの中低域対応のユニットを更に低域用にも追加してトールボーイのエンクロージャーに内蔵したユニットを含め2基搭載したUK製91dBの高能率3 wayですので、PCで“聴く”のとでは、まさに“雲泥の差”。ちゃんと“ピュアオーディオ的”に聴くことが出来て大満足でした(因みに、Coda9よりも遥かに古い、KENWOODの前身TRIOのLS-202 を気に入って、リビングのメインシステムとして使っています)。
例えば、ビリー・ヴォーンは高音質CDとのことなので、音質的にも素晴らしく、懐かしい「浪路はるかに」や「峠の幌馬車」、そして「真珠貝の唄」といった懐かしのビリー・ヴォーン・サウンドを良い音で楽しむことが出来ました。
音源側の状態に左右されますので音質が劣るソースも勿論ありますが、中にはビリー・ヴォーンの様な高音質の音源も結構あるので、オーディオ的にも十分聴くことが出来ますので、CDやDVD或いはサブスクといったネットソースを有料で購入しなくても、自分の好きなジャンルだけでも結構たくさんのソースを無料で楽しむことが可能です。特にJazz系のチャンネルに高音質のソースが多い様に感じます。しかも、“Summer Jazz”や“Autumn Jazz”など、季節の移ろいに合わせたソースが選べるのも嬉しいところです。
特に何か作業をしながら、例えばPCでこのブログ原稿を入力するのに、(動画は不要なので)YouTubeの「作業用BGMミュージック」を流しながら書いています。因みに、今は朝なので、「環境音+JAZZ やさしい森の喫茶店 鳥のさえずり 川のせせらぎ 自然の環境音 森の中 CAFE JAZZ - 作業用BGM」を流しながらのPC作業です。
 そして、更に時々聴きたい曲がある時は、YouTubeとは別にYouTubeミュージックを活用すれば、懐かしい日本の昭和歌謡からフォーク、そしてスタンダードからSmoothまでのJazz、更にはクラシック音楽と、色んなジャンルの曲が登録・配信されているので、聴きたい曲を検索して聴くことが出来ますし、またそうして検索した曲は自分自身のオーディオファイル化して保存することも可能なので、映像が不要で音だけをBGM的に楽しみたい時はYouTubeミュージックを無料のサブスクとして使うことが可能です。
ですので、決して最新のネットワークオーディオで無くてもPCを使うことで、“隠れ家”の些か古いサブシステムにおいても、ネットワーク上の“音の世界”を随分と拡げることが出来ました。
しかも今回はたった1000円ちょっとのケーブル一本だけで、“男の隠れ家”としては十分に満足出来る「音楽ソースとしてのYouTube」を追加することが出来ました。
 「ヤッタね!! 」(・・・と、大満足です)

 古いターンテーブルが復活し、最近久し振りに聴いた懐かしいLPレコード。
その中でも、特にチューリップのある意味第1期とも言える、デビューしてから5年間の全シングルレ12枚の曲を全て収めた2枚組のLP「チューリップ・ガーデン」(1977年)を、その後も暫く毎日の様に聴いていました。

 高校1年生の時に素人ながら、FMで聴いて衝撃を受けた彼らの実質的なデビュー曲の1972年のシングル「魔法の黄色い靴」。そして、3枚目にしてチューリップの初めてのヒット曲となった1973年「心の旅」のB面に収録されていた、大好きだった「夢中さ君に」。この2曲は、特に何度も何度も繰り返して・・・。
また、このアルバムを聴いていて、初期のシングル曲の中で異色な感じがするのは「娘が嫁ぐ朝」です。これは76年発売のシングルなのですが、どう考えても財津さんはそんな年齢ではないので、実体験ではない・・・筈。
仮に心象風景だとしても、どうしてこんな詩が書けたのだろうか?。自分も娘二人が既に結婚した経験を持った今だからこそ、それも年老いた今になってから再び聞いたからこそ、余計自身の琴線に響いているのかもしれませんが・・・。でも、結果論であり自分勝手な見方かもしれませんが、チューリップの初期77年までのシングル12枚全24曲の中に収められたこの曲だけが何だか異色であり、その後のソロシンガーや作曲家として楽曲を提供する“メロディーメーカー財津和夫”の萌芽が見て取れると云ったら穿ち過ぎでしょうか。
 チューリップは、“昭和歌謡”にも繋がるような日本的でシンプルなメロディアスな歌と、ビートルズ風なアコースティックなサウンド展開が本当に衝撃的だったバンドでした。
今改めて聴いてみると、メロディーメーカーとしての財津さんの曲も勿論なのですが、リードギターとドラムスが当時衝撃を受ける程新鮮に感じられたチューリップサウンドの核だった様に思います。しかし、エレキギターを掻き鳴らすガチャガチャした感じのGSとも違う、音楽的にも洗練されたオシャレなイントロなどの編曲や親しみやすいメロディーラインなどは、それまでの日本のポップス界には無かった感じがしたように思います。
 彼等が「すべて君たちのせいさ」と心酔し、その結果として“日本のリバプール”と形容する程だった街、福岡が生んだバンド、チューリップ。
しかし、なぜ福岡にはチューリップだけでなく、他にも数多くのバンドが生まれたのか。
京都や大阪が東京に対抗して、中央に対抗する“反権力的”な音楽を生み出したことは或る意味必然でもあり、“関西フォーク”全盛期の後だったとはいえ、まだそんな雰囲気が残っていた京都で多感な学生時代を実際に過ごした人間としては、些かの感傷も交えてふり返えさせて貰えるのならば、それは十二分に理解出来るのですが、片やどうして福岡にそうしたマグマの様なエネルギー溜まりがあったのか・・・。

 それにしても、当時の福岡は本当に凄かったんですね・・・。

 7月2日、松本ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)でのマチネで、服部百音のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行ってきました。
服部百音嬢は曾祖父が服部良一、祖父が服部克久、お父上は服部隆之、お母様もヴァイオリニストという音楽一家に生まれ、幼少期から数々の国外コンクールでの受賞歴がある天才ヴァイオリニスト。しかし、お父上は彼女の留学費用を工面するために、今の様に売れっ子作曲家となる前はお給料の前借をして彼女を支えたと云います。決して、服部家という音楽一家の七光りだけで恵まれて育ったお嬢さまではありません。
彼女の演奏は、「題名のない音楽会」などで聴いたこともありましたが、本格的に聴いたのはYouTubeでパーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響公演のチャイコンのソリストとして登場したコンサートを聴いたのが初めてでしょうか。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、LPやCDの“音だけ”ならこれまでも名演と云われた色んな演奏を何度も聴いていますが、映像と音で聴いたチャイコンでこれ程までに圧倒された演奏は初めてでした。
彼女の凄まじい迄の気迫と超絶技巧。それがいくら天才少女とはいえ、演奏当時うら若きまだ21歳という、見るからにか弱い女性の細腕から奏でられているというのが、聴いていて(視ていて)信じられない程に圧倒されたのです。
その彼女が松本の音文でリサイタルをすると知り、ハーモニーメイトの先行販売でチケットを購入した次第。
 当日のプログラムは、前半に、C. A. de ベリオ「バレエの情景 Op. 100」、C. フランク「ヴァイオリン・ソナタ イ長調 FWV 8」、休憩を挟んで、後半に、M. de ファリャ「歌劇『はかなき人生』第2幕 より スペイン舞曲 第1番」、I. ストラヴィンスキー「バレエ音楽『妖精の口づけ』より ディヴェルティメント」、そして最後にM. ラヴェル「ツィガーヌ」という構成。
どちらかというと、管弦楽中心で、器楽演奏もピアノは小菅優さんやメジューエワさんが好きなので何度か生で聴いていますが、ヴァイオリンは音文でのヒラリー・ハーンとイザベル・ファウストのリサイタルを聴いたことがあるだけ。しかもその時はバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タ」がメインだったので、どちらもピアノ伴奏無し。今回は、これまでも何度も頼んでいるという三又瑛子女史がピアノ伴奏で、フランクの有名なソナタ(と言っても聞いたことがあるのは第4楽章のみですが)と管弦楽作品でもあるラヴェル「ツィガーヌ」以外は全く馴染みのない曲ばかり。
パンフレットに記載された彼女からのメッセージに由ると、
『今回の演目は、レッスンに来てくれた子供たちの年齢的に、“分かり易くて”楽しめるものとも考えましたが・・・(中略)そんな配慮は愚の骨頂と思い、正直に私の思う素晴らしく美しく魅力ある曲たちを演奏することに決めました。』
とのこと。とはいえ、前日、オーディションで選抜された子供たちとのマスタークラスが行われていて、この日の会場にも才能教育の本拠地らしく小さな子供たちがたくさん来ていましたので、そうしたこともこの日のプログラム選曲の背景に(潜在的には)あったのかもしれません。

 2021年のN響との定期での共演は、海外からのソリスト入国が難しかったコロナ禍だった3年前で、彼女の21歳の時。24歳になった今も、桐朋学園のディプロマ在学中という謂わばまだ大学院に在学している“女子大生”です。超絶技巧はそのままに、折れそうなくらい華奢な姿からは想像出来ない様な時に激しさもあり、また彼女のメイク故か、妖艶さすら漂わせての演奏は、例えばフランクのヴァイオリンソナタの有名なあの甘く美しいメロディーの第4楽章の旋律など、特別に貸与されているという名器グァルネリもあってか、とりわけ高音の透明感が実に印象的でした。
アンコールは、管弦楽作品としても有名なプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から行進曲。
カーテンコールも簡単に、この時ばかりは若い女性らしく最後舞台袖から顔だけ出して、お茶目にバイバイをしながら手を振られてこの日のコンサートを終えられました。

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