カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 源智の井戸の清掃ボランティア「源智の井戸を守り隊」の事務局をしていただいている、松本市の第二地区地域づくりセンターの課長さんや職員の皆さんが企画した「井戸巡り講座」が開かれ、参加人員に余裕があるとのことからお誘い頂き、「源智の井戸を守り隊」のメンバーの中で希望された皆さんと一緒に参加しました。
講座は女鳥羽川の南側と北側の湧水を巡るコースの2回に分けて行われました。講師は街づくりを始め松本の街の歴史にも詳しい、地元松本出身の都市計画家倉沢聡さんです。

 一回目は女鳥羽川の南側に在る湧水や井戸を巡るコースで、中町の蔵シック会館の前にある「蔵の井戸」、そして藤森病院の「亀の泉」、続いて江戸時代の農民一揆「加助騒動」の農民救済に奔走した松本藩士鈴木伊織に因む「伊織霊水」、そして日の出町の「薬祖水」と「日の出の井戸」、それから松本の上水道の水源の一つでもある「源池水源地」と巡って、最後に我々の「源智の井戸」というルートです。
 最初は、中町の昔の酒蔵を移築した建物「蔵シック会館」の前に在る「蔵の井戸」(硬度85。以下松本市が発表したH28 データより)で、市の「水めぐりの井戸整備事業」で平成19(2007)年度事業で設置されました。昔懐かしい青い手押しポンプも併設されていて、隣のカフェではこの水を使ってコーヒーを淹れています。
続いて藤森病院の裏手、飯田町に在る「亀の泉」(民間の井戸のため硬度データ無し)。新病院建設にあたり、深井戸を掘る許可を得て採掘された病院の井戸ですが、毎分750ℓという豊富な湧水量で、「地域貢献」も考慮して市民にも開放されています。井戸の名前は藤森病院の初代院長・藤森亀太郎氏に因んでとのこと。因みに、こちらも市の「水巡りの井戸整備事業による助成金」で整備された井戸で、中町の人気ラーメン店「 麵州竹中」のスープは、この「亀の泉」の湧水で野菜などを煮出しているとか。
そして以前もご紹介した様に、この井戸の横を流れる蛇川では、病院施設のフェンスで囲まれているため安全と分かるのか、水草の中を何匹もの大きなニジマスが悠々と泳いでいるのを見ることが出来ます。
続いて、江戸時代の「嘉助騒動」と呼ばれる農民一揆の農民たちの助命救済に奔走した、松本藩士鈴木伊織の墓所に隣接する「伊織霊水」(硬度104)。
そしてイオンモールへ至る日の出町の二つの井戸、信州薬祖神社の境内にある「薬祖水」の井戸(民間の井戸採掘業者のデータで硬度83)と勤福会館の敷地内に在る「日の出の井戸」(硬度77)。「薬祖水」は近年になって一度枯れてしまったのを掘り直し、自噴する“薬の神様”の井戸がまた復活したと地元紙で報じられました。
そして、江戸時代から現在まで利用されている松本市の上水道の水源の一つである「源地の水源地」(硬度131)。平成21年の市の「水めぐりの井戸整備事業」で井戸が整備されて、毎分150リットルが湧出されています。因みに講師に依ると流れているこの水は湧水ではなく、殺菌濾過済みの水道水のため水路に藻が繁殖しないのだとか。知りませんでした。そして、最後が我々の「源智の井戸」(H28 データでは硬度142)です。
源池の地名にもなっている「源池の水源地」から、ここを水源とする榛の木川や民家からの湧水を集めて流れる蛇川の流れを辿る様に「源智の井戸」まで歩いて行ったのですが、印象的だったのは、途中あちこちに湧水や井戸が在って、中には空き地にも湧水が自然に湧き出していて湿地の様になっている場所もあったり、駐車場内にも自噴している井戸があったりと、この辺り一帯は本当に湧水が豊富であることが分かりました。
 二回目の井戸巡りは、今度は女鳥羽川の北側の湧水を巡ります。前話で紹介した様に、藪崎先生の分析された「涵養域」の説明に依ると、前回歩いた女鳥羽川の南側の湧水は筑摩山地の比較的標高が低いエリアに降った雨水で、今回の目千葉側の北側エリアの湧水は比較的標高が高いエリアに降った雨水が滞留しています。
今回の最初は辰巳の御庭の井戸からスタートし、そして今や松本の市街地に残る一の造り酒屋となった、善哉酒造の女鳥羽の泉。続いて槻井泉神社の湧水から鯛萬の井戸、最後に東門の井戸というコースです。
 最初は、「辰巳の御庭の井戸」(硬度87)です。ここは松本藩二十二代藩主戸田光庸(みつつね)の隠居所であったと云われる「辰巳御殿」の跡地で、ここも市の「街なみ環境整備事業」の平成6(1994)年度事業で、井戸と湧水が水路を流れる小さな公園として整備されました。
ここから、マサムラ本店方面へ東に向かう道は勾配が緩やかに上って行く坂になっているのですが、これは松本城の総掘りを埋め立てて土を盛った地形の跡で、土を盛ったことから「上土」(あげつち)という町名の由来になったのだとか。
続いて松本の市街地に唯一残る酒蔵「善哉酒造」の前に在る「女鳥羽の泉」(前話の藪崎先生が2024に発表された論文中のデータで、硬度87)です。造り酒屋の仕込み水として自社で掘られたこの井戸で、この「女鳥羽の泉」で作る「善哉酒造」の地酒と甘酒はとても美味しいと評判の酒蔵で、お店には試飲をされる観光客の方々がおられ、我々にも評判の甘酒を全員にふるまって戴きました。女将さんのお話では、最近の息子さんへの代替わりで、地産地消として酒米、糀、水など酒造りの全てを地元産に拘って造ることになったのだとか。松本の街中に残る唯一の酒蔵として是非頑張って欲しいと思いますし、応援したいと思いました。しかも今回初めて巡った井戸の中で、個人的に一番美味しく“甘く”感じたのもこの女鳥羽の泉であり、これまで居酒屋などで信州の酒蔵の地酒で選んでいたのは専ら松本島立の「大信州」ばかりでしたが、その点からもこの女鳥羽の泉を仕込み水に使う善哉酒造のお酒(自分はどんな銘柄であっても、吟醸酒ではなく純米酒が好みですが)を今度は飲んでみたくなりました。
続いて向かったのは、市の文化財指定を受けている槻井泉神社と「槻井泉神社の湧水」(硬度99)です。こちらは松本の湧水群の中で「源智の井戸」と共に二つだけ、市の文化財課の管轄となっている井戸です。この湧水も古代以来のもので、この辺りの地域の地名でもある「清水」もこの湧水に由来します。そのため江戸時代のこの地域には、この豊富な湧水を利用した染色や製紙の生業も起こったとのこと。また今は廃業してしまったのですが、老舗の豆腐屋さんも嘗てこの近くで店を構えていました。また、この槻井泉神社の境内には、そんな地域の歴史を見て来たであろう、市の天然記念物に指定されている樹齢300年とも云われる大ケヤキがありました。
続いて既に紹介させていただいた「鯛萬の井戸」(硬度76)から、最後に回ったのが、こちらも市の「水めぐりの井戸整備事業」で掘られた「東門の井戸」(硬度79)。東門というのは、お城の東の馬出しがあった場所に当たります。
今回二度に亘り市内の湧水や井戸を巡ってみて、松本がブラタモリでも紹介された松本城のお堀の水に始まって、築城の頃からこれらの湧水を活かした城下町作りがされ、その町をあちこち巡ってきた何本もの湧水の水路が、榛の木川や蛇川だけではなく、最後全て女鳥羽川にそれぞれ注いでいることが分かりました。
 そして今回一番印象深かったのが、上土の辺りから女鳥羽の泉近くまで、女鳥羽川の川縁に降りて、その河川敷をずっと歩いて行ったこと。途中、湧水が湧き出していたり、湧水が注ぎ込んでいたりする水場には、野生のクレソンや場所によってはミントなどのハーブが群生していました。それこそ湧水があるからこそなのだろうと感じた次第です(但し、場所によっては必ずしも決して清潔とは言えない様な、流れずに水溜まりの様な淀んだ箇所も中にはありましたので、肝炎ウィルスのリスクもあることから、一般的にはいくら清流に生えるクレソンとはいえ、決して摘んだりして食べない方が良いとのことでした)。
松本の街中を流れる女鳥羽川では、一般的に清流に生息するウグイやカジカガエルの生息も確認されていて、夏になるとホタルが飛び交うのも見られます。但し、残念ながら場所によっては町会の対応がままならないのか、アレチウリなどの外来植物やススキ類が蔓延っていて、川縁を歩けない箇所も見受けられました。
しかし人口20万規模の都市の市街地で、こうした清流が流れている都市はそうそう無いだろうと思うのです。ですので、出来れば京都の鴨川の様に河岸を整備して、市民が憩い観光客が散策出来るようになれば、“水清き湧水の街”松本の象徴にもなり得るだろうと感じた次第です。

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