カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

  “師走の都大路を走る”。
12月24日に京都で行われた、恒例の全国高校駅伝。男子は佐久長聖高校、女子は鹿児島の神村学園が優勝しました。
佐久長聖は、1997年兵庫の西脇工業以来26年ぶりとなる、留学生の居ない日本人選手だけのチームで大会記録を更新しての優勝。女子の神村学園は最終区1分20秒という大差を最後のゴール直前で“差し切り”、1秒差での劇的な逆転優勝でした。
特に女子は、1分以上の大差を付けながら、僅か1秒差で逆転を許した仙台育英のアンカー選手がゴール後泣き崩れ、立ち上がることも出来ない程のショックで残酷な程打ちひしがれていたのが印象的でした。
しかし乍ら想うに、では仮に総合成績(タイム)が変わらなかったとして、仙台育英も2区を走った留学生選手の区間賞で首位に立ちましたが、もしお互いこの同一区間にケニア人留学生を使い、そこで神村学園優勝の立役者となったカリバ選手が独走し、その後最終区までに仙台育英が徐々に追い上げても最後追い切れず、結果ゴール前1秒差で負けて同じ2位だったとしたら、果たして仙台育英の受ける印象はどうだったのでしょうか?アンカーの女子選手は勝てなかった悔しさは勿論あるでしょうが、或る程度追い上げたという達成感を果たしてゴール後に感じられたのでしょうか???

 高校駅伝大会に初めてケニア人留学生選手を出場させたのは、誰あろうその仙台育英自身でした。
仙台育英高校が大会史上初めてケニア人留学生を2名ずつ出場させて、男女初優勝を飾ったのが1992年。以降、留学生選手の起用に関して後追いでの規制ルールが生まれ、1995年にはチーム1名のみとなり、最初から留学生が独走して圧倒的な差が付いてレースそのものの興味が無くなるとして、2008年からは最長区間である1区での留学生起用が禁止され、更に2024年の大会からは最短の3㎞区間のみでの留学生起用となるとのこと。

 考えてみると、今年の神村学園も、仙台育英も、そして最近の倉敷や嘗ての名門で復活した世羅も、そして少し前の豊川も、全て留学生頼みで勝ってきた(もし関係者に異論があるとすれば、少なくとも留学生起用で“強くなってきた”)高校です。
因みに過去10年での日本人選手だけでの優勝は、男子では佐久長聖の2回だけ。女子は昨年の長野東まで4回です(仙台育英は2021年に一度だけ留学生を使わずに優勝しています)。因みに、長野東は県立高校で且つ全員が県内出身者というのも、いくら“駅伝長野”(但し、どちらかというと都道府県対抗で最多優勝を誇る男子で云われる言葉ですが)とはいえ、本当に凄い快挙だと思います。
因みに、その“駅伝長野”の長野県男子チームは昨年末の佐久長聖の“都大路”優勝の勢いに乗って、今年の2024都道府県対抗駅伝でも二度目となる三連覇を達成し、ぶっちぎりで通算10回目(2位は兵庫県の5回)の全国優勝を飾りました。

 さて、高校駅伝男子で過去最多11回の優勝を誇る嘗ての名門広島世羅は、長い低迷から復活した2006年以降の優勝6回は全て留学生を擁し、同様に8回優勝の仙台育英も全て留学生、最近の倉敷も3回全て留学生がチームの圧倒的切り札として活躍しています。また女子でも優勝5回の仙台育英は4回、また最近はあまり名前を聞きませんが、過去4回優勝の豊川も全てケニア人留学生を擁していました。
その愛知県の豊川高校では、2009年だったか優勝に貢献した留学生選手が失踪し行方不明になったケースなど、中には留学生選手を優勝するための単なる道具としか見ていないと感じられる様な事例さえ散見されたのも事実です。ただ、今年の神村学園はその留学生のカリバ選手がキャプテンで、精神的にも自らチームを引っ張っていましたし、監督始め選手も学校も彼女を“助っ人”としてではなく、ちゃんとチームの“仲間”としてサポートしているのが感じられ、優勝インタビューを見ながら少しは安堵したのを覚えています。

 駅伝に限らず、バスケット、ラグビーやサッカーなどでも勝つために海外から留学生を招聘している高校が多くあります。
中でも、圧倒的走力のケニア人留学生が出場する駅伝や、2mを超えるセネガル人留学生選手がリバウンドを拾いまくるなど、長身選手が圧倒的に有利なバスケットボールではとりわけそれが顕著(嘗ての名門、秋田の県立前能代工業は残念ながらそうしたチームに押され低迷を余儀なくされています)ですし、チーム強化の“即効性”になります(しいては高校の知名度アップによる、最終的に特に私立高校は学園経営というビジネスとしての生徒確保に繋がるのでしょう)。
勿論、ラグビーやバスケットの様に、卒業後も日本に定着し日本代表として活躍する選手もいますし、国際化の流れの中で日本で生まれ育った外国人の親を持つ子供たちが、その身体的能力を活かして日本代表としても活躍するケースが陸上やサッカー、バスケットなど色んな競技で出て来ています。
また留学生の中には、持って生まれた能力を活かし、競技を続けるためには貧しい母国を離れ恵まれた環境を求めて来日する選手もいるでしょうし、そうした力のある留学生選手と競うことで、日本人選手も力を付けるという相乗効果の面も無いことはないでしょう。

 社会全体が、もはや“国際化”などという言葉自体が不自然な程ボーダレスな世界になっていますし、例え極東の島国であっても、あらゆる分野においてそうした状況がますます加速していくのは間違いないでしょう・・・。
(先日行われた今年のミスインターナショナルで、ミス日本にウクライナ人女性が選ばれたことに賛否両論がある様ですが、コンクールが「大和民族」であるミス“日本人”を選ぶのではなく、ミス“日本”選出であり、5歳から日本で暮らして日本国籍がある彼女が、周囲も心配したという、出場することで批判されるだろうことを重々承知の上で「日本で育った自分の“日本人”としてのアイデンティティーを確認したかった」という彼女を応援したくなりましたし、こうした“日本人”が間違い無くこれまで以上に“極自然”に増えて行くと思います。)
しかし、そうであれば、迎える側も単なる“助っ人”としてではなく、チームの“仲間”として授業中もほったらかしにせず(何か問題が起きたら即退学処分で帰国させるのではなく)、ちゃんと日本の生活に馴染める様に日本語を含めしっかりとサポートしてあげることが必要でしょう。
そうすれば、中には日本の生活に馴染んで(帰化するかどうか別にして)卒業後も日本に定住する選手ももっと出て来るかもしれません。そうした意味での国際化が、“スポーツにおける真の国際化”に繋がるのではないでしょうか。

 都道府県対抗となるスポーツ大会の中で長野県選抜や代表校がトップ争いを出来る競技は、ウィンタースポーツを除けば残念ながらそう多くはありません。勿論、個人競技では時々世界のトップクラスの選手が誕生するのはどの県でもあり得ることですが、ことチームスポーツになるとそうはいきません。そこには競技環境であったり、指導者であったり、歴史や伝統といった色々な要素が必要になります。
長野県において、そんな数少ない競技の一つが駅伝です。元々、地区対抗の実に71回を数える長野県縦断駅伝が戦後間もない1952年から戦後復興のため「若者たちの体力と精神力を養う」ことを目的に開催されていて、今では信州における晩秋の風物詩。過去そうした中からマラソンでのオリンピック選手(伊藤国光、中山竹通)も誕生しています。今では中学生からの男女混合で、近隣市町村同士のチームが編成されています。
そうした土壌があったにせよ、駅伝の強豪県として対抗出来るようになったのは、やはり男子チームの佐久長聖高校の存在が大きいと思います。

 都道府県対抗駅伝は1983年に京都で始まった女子駅伝に比べ男子の歴史は新しく、1996年から広島で開催されていますが、長野県チームが初優勝したのは2004年です。この年は佐久長聖のエース上野裕一郎選手が活躍。以降、長野県は3連覇を含め、全国でダントツの9回の優勝を誇ります。続くのは兵庫の5回。これは何を意味しているか?広島は第1回大会優勝のみ。宮城、岡山に至ってはゼロ。何を言いたいのか・・・?
この都道府県対抗駅伝は、日本国籍の無い留学生選手は出場出来ません。従って、日本人選手のみでの実力勝負。しかも全7区中3人を占める高校生区間(残りは中学生2名、大学・社会人2名)が最重要になるため、高校駅伝の“都大路”での強豪校がある都道府県が優勝候補になるのですが、それが留学生に頼った優勝校だと都道府県対抗では全く効力が発揮できないのです。先述の嘗て“神の領域”云々と自画自賛した高校のある県が全く優勝していないのはそうした背景です。一方で兵庫県が強いのは、留学生ランナーが登場した以降様相は一変しましたが、それまでは西脇工業VS報徳学園の熾烈な県代表争いで“兵庫を制する者は全国を制す”とまで言われていたからです。
片や長野が強いのは、確かにゼロから佐久長聖を強豪校に育て上げた両角前監督(茅野市出身。東海大三高卒で現東海大駅伝部監督)と、その指導を引き継いだ教え子の高見澤現監督(木曽郡大桑村出身)の力が大きいのですが、各地の指導者が連携して小学生の頃から素質のある子供たちの発掘や強化に取り組み、そんな子供たちを佐久長聖に送り込んで来たからです。実業団チームの無い長野県ですので、地元の高校出身の大学生や“ふるさと選手”枠の社会人選手しか選べません。勢い、地元選手を育てるしかないのです。
そうした長野県の状況は女子も同様ですが、私立校である佐久長聖の男子に比べ女子は長い間活躍出来ずにいました。それが、公立高校でありながら県立長野東が長野県の高校教員だった玉城前監督(現日体大男子駅伝部監督)の長年に亘る一貫した指導(長野東の前任校である諏訪実も県内の実力校に育てました)で力をつけ、これまた県内から有望な子供たちが公立校ながら長野東に集まるようになり、やがてその卒業生が大学や社会人で活躍するようになって全体としても力が付いて来ました。玉城前監督の後は、長野東が県立高校故に県教員である信州大学OB(大学時代に選手として全国大学駅伝に出場経験があるそうです)の横打監督がその土壌を引き継ぎ、そして遂に昨年暮の都大路で念願の初優勝。長野東は県立の公立高校で選手全員が地元長野県出身の子供たちで、勿論留学生もいません。そんな高校が、全国から有望選手を集め更に留学生もいる私立高に勝っての全国優勝!これを快挙と言わずして何と言えば良いのでしょうか、まさにアッパレ!の一言でした。

 そして年が明け、コロナ禍で3年ぶりの開催となった都道府県対抗駅伝。先ずは15日に都大路で行われた女子駅伝です。
男子の佐久長聖同様にオール長野東で臨む女子(中学生も高校は長野東に進学するでしょうから)は、直前になって1区にエントリーしていた長野東OGで初のオリンピアン萩谷選手(エディオン所属。佐久市出身)が体調不良でか走れず、高校駅伝で最後逆転のゴールテープを切ったエース村岡選手(松本市出身)に交代。しかし、プレッシャーか或いは気負い過ぎか、途中まで先頭グループで頑張っていたのですが、最後は失速。その後もなかなか挽回出来ず、名城大から日本郵政に進んで今回アンカーを任された和田選手(長野市出身)まで選手は皆頑張ったのですが、結局初の表彰台には届かずに11位に終わりました。でもOGが社会人でも活躍するようになったので、女子チームもいずれは優勝争いをする時が来るだろうと確信しています。
 男子は22日に広島での開催。長野県は全国最多の8回の優勝を誇り、前回3年前にも優勝しているので連覇が掛かります。
正月の実業団のニューイヤー駅伝や箱根駅伝から僅か3週間なので、エントリーはしても結局疾走を見合わせる主力選手も多く、結局選手層の厚さがモノを言います。長野は佐久長聖の高校生と、大学生はOBの木村選手(専修大。松本市出身)と伊藤選手(早大。駒ケ根市出身)、社会人でナント立教大の上野監督(佐久市出身)がエントリー。結局木村選手は箱根同様故障で走れず、箱根を走った伊藤選手が3区、“日本一早い駅伝監督”の上野監督がアンカーの布陣。些か不安を感じましたが、伊藤選手もトップとの差を詰め、佐久長聖の3選手が区間新連発の見事な走り。更に6区中学生もガッツ溢れる走りで最終7区までに50秒近い貯金。後は抜かれなくても良いだけなので、最後2位埼玉の選手には詰められたものの、想定内で上野選手も無理をせずに盤石の走り。
最後のゴール2㎞位手前だったでしょうか、先頭を走るアンカーの上野選手に沿道から大きな声で「後ろとは35秒差、気を抜くな!!」と声を掛けたのは、間違いなく東海大の両角速監督でした。言わずもがな、上野選手の佐久長聖時代の恩師で、その後東海大監督に就任するまでは長野県チームの監督を務めていました。今は東海大監督の立場で、各県チームに選ばれて走る自校の選手の応援や高校生のスカウティングも含め、他大学の監督同様に今回のレースを観戦するという事前報道がありましたが、当日現場にいるので沿道での長野県チームの伝令役を引き受けたのか或いは自主的な声掛けだったのかは分かりませんが、現在の立場上長野県チームには直接関わらずとも“オールナガノ”で支えている感じがして何だか胸が熱くなりました。また、ゴールには当時富士通所属で“駅伝長野”初優勝時のアンカーを務めた現上田西の帯刀監督もチームスタッフとして参加されていました。
上野“監督”も最後まで危な気なく、自チームの持つ大会記録を“1秒”更新しての新記録で9回目の優勝。これまたアッパレ!な“駅伝王国長野”の今シーズンの掉尾を飾る見事な優勝でした。

 サッカーのワールドカップは大詰めの熱戦が続いています。
今回のワールドカップでは、ご他聞に漏れず、私メも俄か“サッカーフリーク”として日本代表のサムラブルーを応援し、真夜中、深夜、早朝であってもTV前で応援していた典型的な日本人でした。

その組み合わせから “死の組”と言われた一次リーグを突破し、目標達成ならなかった決勝トーナメントの中で、一喜一憂しながら感じたことを、殴り書き的にその時点時点で感じたことを書き連ねてみようと思います。

 先ず、結果の頑張りは勿論評価しているのですが、その過程での番狂わせや、予想外の敗戦、そして日本のサポーターやスタッフの皆さんの至極当然としての行動は、前回大会やラグビーのワールドカップなどでも既に繰り返されて来たのと同じですが、今回全世界に配信された “立つ鳥跡を濁さず”でのスタンドのゴミ拾いとロッカールームの清掃と感謝のメッセージ。
    
(JFA提供無料写真素材から)
また、例え“ビッグマウス”と言われようが、敢えて自分にプレッシャーを掛けてでも有言実行する頼もしい若者と、結果、失敗の責任を感じて一目も憚らず号泣する純な若者たち。
日本代表チームは確かに成長しているし、強くなっている。でもまだ何かが日本人には足りない。最初誰も手を揚げなかったというPK戦。何が足りないのか、彼等を育てて来た日本社会の何が“世界基準”に比して間違っているのか???
俺が俺がでは無い謙虚さ?消極性?目立たぬことが美徳?優劣を決めない小学校のかけっこ競争?皆平等?公平性が大事?出る杭を打つ日本社会?目立つと仲間外れ?同調性が大事?・・・???
もしかすると、“出る杭を潰す教育”を何十年としてきた日本の教育制度により生み出された、当然の帰結ではなかったか???
極力競争をさせず、平等、公平性と言う安易な“ぬるま湯”に浸かってきた結果にすぎないのではないか!?
その上で、その日本全体のシステムの氷山の一角であり、瞬間的事象に過ぎなかったサッカーのワールドカップの日本代表そのものを最終的に批判した上で、その原因と情報分析、自己反省、改善を強いるのはナンセンス。
昔から協調性のみが重要視された村社会、異質を否定し、潰しながら同質性を貴んで来た“島国根性”、日本という国全体のシステム障害、制度疲労。
これからの日本に必要なのは、組織力やチームワーク、真面目さを超越した個の力か・・・???

以上が、クロアチア戦でのPK戦での敗退後に、眠れずに「ナゼだろう!?」という感情のまま、殴り書き的に記した文章です。

 さて、今回のワールドカップで、個人的に一番新鮮だったのは、森保監督が敗戦後のピッチ上で深々とサポーターへの感謝を示したお礼のお辞儀でした。その情景は全世界に配信され、多くの共感を呼びました。曰く・・・、
先ずは、FIFAの公式インスタグラムが試合後に掲載した4枚の写真の一つに森保監督がお辞儀する場面をピックアップし、『日本代表とファンに対して胸が張り裂けるような思いです。W杯に足跡を残してくれてありがとうございました』
また、「ESPN」のサッカー専門ツイッターは、『日本のハジメ・モリヤスがカタールへ応援に駆けつけたファンへ感謝のお辞儀。リスペクト!」と紹介し、ファンからも『「素晴らしい国民と文化だ」、「間違いなく今大会最高の監督とファンだった」の声が上がった』。更に、「ESPN」は英国版公式ツイッターでも『勝利も敗北も名誉あるものと評価した』。
そして、いつもは隣国に辛辣な韓国も「インサイト」は『韓国より先にベスト16敗退の日本……監督の「最後の姿」が切ない』、「ハンギョレ」も『溢れる応援のファンに6秒間、90度で挨拶・・・・・・』。

 こうした世界からの賛辞に対し、もう一方で感じた、どうしようもない程の強烈な違和感・・・。
それは、これまで日本の、或いは日本人の美徳とされて来たものが日本社会から失われつつあるのではないか!?ということでした。
つまり、“一流”大企業による長期に亘るデータ改ざんに依る不正申告、品質問題、考えられないような工場爆発や火災、死亡事故など相次ぐ労災事故・・・。
“Made in Japan”というだけで全世界から信頼性が得られた日本品質、そして出来上がった製品の前に、製造過程を含め企業全体が“安心安全”だった筈の日本。今やその“日本”そのものが劣化しているのではないか!?
慢心?勤続疲労?経年劣化?競争力低下?高齢化?・・・???

 ロシアに依るウクライナ侵攻という、思いもよらなかった世界情勢の変化で全世界に漂う不安感。燃料費の高騰や、日本経済の停滞と日米金利差に依り発生した円安での原材料の輸入価格高騰に伴う各種製品の値上げラッシュ。
こうした日本社会に漂う閉塞感を、今回見事に打ち破ってくれたサムライブルーの若者たち。
「良かった!」、「頑張った!」だけではなく、これを「諦めずにやれば出来る」という良いお手本にして、企業が、我々が、学校が、そして何より政府が中心となって、制度疲労を起こしている日本社会の歪を正すべく、先ずは身近の出来ることから諦めずに変えて行けば良いのではないか!?

 今回のワールドカップの日本代表チームの戦いぶりを見て、それにのめり込んでいた私たち日本人、日本社会全体が「また4年後にガンバレ!」として、今回の彼らの奮闘を一過性のお祭り騒ぎで決して終わらせずに、例え些細なことであっても「じゃあ、今度は自分たちが」に繋げていくことが一番重要ではないかと感じた次第です。

 最後に余談ですが、クロアチア戦にPKで負けはしましたが、先制点を挙げた前田大然選手。松本山雅の豊富な運動量でのサッカーで反町さんに鍛えられ、ピッチ上では今年で引退した田中隼麿選手に怒られながら、驚異的なスプリントで攻守に走り回っていた前田選手。得点は少なくとも、そうした攻守における献身性が評価されての、他有力選手を差し置いての代表FW選出だったと思うのですが、先発したW杯でも無駄だと思えるようなスプリントを繰り返し、GKやDFの持つボールを追い掛け続けた結果が、ドイツ戦での堂安選手のシュートに繋がったとも思います。そうした泥くさい献身を評価してくれたサッカーの神様が、最後にくれたご褒美での得点だったのではないか・・・そんな風に思えた前田大然選手のゴールでした。

そして、最後の最後に、Abema TVの英断にも感謝です!

 17日間に亘った、2022北京冬季オリンピックが終了しました。
独裁国家による人権弾圧か、国家覇権主義か、はたまた新たな東西冷戦とコロナ禍を嘲笑う神の裁定か、更には金権腐敗の商業主義に陥ったIOCへの警告か・・・?
背景や原因(直接的ではない遠因として)は分かりませんが、今回北京冬季オリンピックに関し、それぞれは因果関係なく全く無関係に引き起こされた事象の数々も、しかし時に意図的に、或いは作為的に、時に無意識に、また偶然に、しかし時には必然に・・・・と思わざるを得ない、まさに“呪われた”としか形容できない、スポーツの持つ純粋且つ高貴なパフォーマンスとは余りに無縁でオドロオドロしく醜い事象の連続でしかなかった、歴史に汚点を残した冬季オリンピックだった様に思います。

 やはり、この時期に、この国で冬季オリンピックなど行われるべきではなかった。それは国家威信にかけるアホな開催国のみならず、それを利用しようとした主催団体以下、マスコミなどその恩恵に預かろうとした全ての利害関係者が猛省すべきことのように思います。
本来雪などそれ程降らずに冬季競技が開けない場所で、「夏冬の両方を開催するのは北京だけ」という国威発揚的な妙な自慢で、ミサイルを発射してまで会場に人工雪を降らせるという、自然界の神をも恐れぬ所業に始まったこの大会。それが人工雪は硬過ぎるという欠陥会場で、直前の公式練習で転倒し固いバーン故に脊椎損傷で参加辞退を余儀なくされたスノボー選手に始まり、ジャンプスーツの規定違反、男子500mの地元審判員による有力選手が登場する最終二組への不可解なフライング判定、結果自国選手を勝たせたショートトラックの違反裁定、そして見ていた世界の誰もが異を唱えたスノボージャッジと、次から次へと問題が発生し、最後のとどめは女子フィギアのドーピング疑惑。人権問題や人種差別は無いと云いながら、片やメダルを取った選手は英雄と称賛し、転倒したフィギア選手は米国のスパイかとまで罵倒された、どちらも今回の自国開催のために中国籍を選んだ米国生まれ米国育ちの中国系選手たち。
開会式での民族衣装の少数民族も、ウイグル族弾圧批判を封じるための少数民族への敬意を表すどころか、むしろ中国皇帝に平伏す嘗ての朝献外交の様な“中華思想”の再現にしか見えませんでした。正に不祥事続きで、欺瞞に満ちて呪われた2022オリンピック北京冬季大会。
ウイグル族への人権問題や外交ボイコットなどでの世界からの批判に対し、「オリンピックに政治を持ち込むな!」と批判した中国共産党政権が、国内統治強化のためにオリンピックを最も政治的に利用した大会でした。

 そんなヒドイ大会でも、4年に一度に掛けた選手たちの一生懸命で真摯な態度には、今回もまた一服の清涼剤の様にホッコリと胸を打たれ、また感動の涙を流すシーンがありました。

 メダルを期待された女子モーグルの17歳川村あんり選手。メダルの期待に応えられなかったことを謝りながら、氷点下20度近い極寒の開場に集まった報道陣を気遣い、「寒い中、ありがとうございました」という彼女に、「なんて子や!」と、こんな娘さんを育てられた親御さんを思います。
また、怒りで燃えたという3回目の完璧なパフォーマンスで見事金メダルを取った平野歩夢選手の弟さんである海祝選手。兄を称えるコメントで何度も「兄ちゃん」を繰り返し、父親のことになると「父さん」と言い換えた二十歳の青年の純朴さ・・・。
 「素直でイイ兄弟だなぁ・・・」
ドーピング疑惑の影響とはいえ、華麗なスケーティングで見事銅メダル獲得の坂本花織選手。団体銅メダルの後のインタビューでは天真爛漫さ全開の正に“浪速の元気印”。インタビュアーからヤラセっぽく関西弁での心境をと尋ねられると、そこは関西のオバちゃんのノリで、
 「やったったんでー!」
サスガです。アッパレでした。

 そして、残念ながら今回はあまり成績の振るわなかった長野県勢。
今度こそと、過去2大会連続の個人銀メダルで、今回は金メダルを公言し初戦で惨敗した白馬村出身の渡部暁斗選手。しかし、最後に1位と僅か0・6秒差での3大会連続での銅メダル獲得にほっとしました。そして複合団体での28年振りというメダル獲得は、もっともっと騒がれても良い快挙だと思います。嘗ての様にジャンプでリードしてでの金メダルではなく、ルール改正で日本勢に不利となるジャンプの得点を下げられた現行ルール下で、しかもジャンプ1位ではなくメダル圏外の4位から距離で順位を上げての銅メダルなのですから、正にアッパレ!
一方、連覇が期待されながら惨敗した茅野市出身の小平奈緒選手。その十分過ぎる程のこれまでの努力と頑張りに、そして何より彼女の人柄に、地元民として労いと感謝の気持ちで一杯です。
「お疲れさま!本当にありがとうございました。」

 最後に、金メダルへのゴール直前に転倒し、スポーツの残酷さを思い知らされた女子パシュート決勝。
その彼女たちを大会まで一年半追ったという共同通信カメラマン(大沼廉氏)の現地取材記事から。
涙にくれる彼女たちを撮影していいのかと迷いながら声掛けし、撮影した際に、涙でファインダーをなかなか覗けずにいたのだそうです。
『(前略)私はセレモニーの間、とても悩んでいた。終了後に各選手をその国や地域のカメラマンが呼び止め、個別に撮影させてもらえる時間があるが、今回は呼び止めるべきなのだろうか。それ以前に個別撮影するべきなのだろうか。その場にいた日本人カメラマンは私一人だけだ。
(中略)どうしよう。頭の中でぐるぐる悩んでいるうちにセレモニーは終わった。メダリストたちが各国のカメラマンの方へ歩み寄ってくる。悩んだ末、「いいですか」と静かに声をかけた。3人は「いいですよ」と応じてくれた。目を真っ赤にして肩を組み、ポーズを取る姿を見て、私はレンズを向けたまま、不覚にもぼろぼろと泣いてしまった。
(中略)すると「いや、そっちが泣くのかー!力が抜けるわ」と目に涙をためていた3人は、涙顔のまま大笑い。私もむせびながら、どう撮ったか記憶が定かではないが、後でカメラを見ると満面の笑みが記録されていた。名前は知らないまでも、いつも撮影に来ているカメラマンと分かってくれていたようだ。
 撮影後、別の競技会場へ移動する車中でカメラマンの先輩がこう声を掛けてくれた。
 「あの時、おまえが声を掛けて写真を撮らなかったら、このレースで残るのは転倒の瞬間や涙に暮れる菜那選手など、悲しい写真ばかりだった。ここまで努力して、最後まで懸命に闘った選手たちもそれはつらいはず。ほんの少しだったけれど、彼女たちが心から笑顔になれる瞬間を残せた」
情けない姿を見せてしまったが、そのせいで彼女たちの心が少しでも和らいでくれるのなら、と願わずにはいられなかった。生涯忘れられないひとときとなった。』
メダルを取った選手よりも、メダルを期待されながら敗れ去る選手たちの姿の方が胸に刻まれたていく中で、本来無断コピーして掲載してはいけないかもしれませんが、本当に何だかほっと救われた気持ちがした記事でした(少しでも多くの人と共有できたらと思い、敢えて掲載させていただきます)。

 カメラマンでさえそうなのです。身内と言っても良いコーチならば尚更の筈。
個人でも銅メダルだった坂本花織選手。その結果を聞かれ、「運です」と言い切った“厳しいママさん”という中野コーチ。そして、その原因を「でも彼女は、それだけの努力を人一倍してきたからです」とキッパリ。
そんな母親の様なコーチもいれば、片や、競争相手を必ず諦めさせるという意味でつけられたという彼女の“絶望”というニックネームが、まるで今回はブラックジョークの様に彼女自身に向けられ、フリーでのズタズタでボロボロの演技を終えたワリエワ選手。彼女を迎え、演技途中で戦意喪失した原因を詰問し叱責したロシアの“鉄の女”エテリ・トゥトベリーゼコーチ。
同じ日、同じ時間帯に起きて世界中に配信された、正に真逆の光景でした。

 更に余談ながら、今回「真冬の大冒険」は聞かれませんでしたが、今大会でのベストフレーズは、スピードスケートを担当した日テレ上重アナウンサー(声から判断して、多分)の高木美帆選手1000m金メダルでの実況だったでしょうか。曰く、
「パシュートで流した銀色の涙が、この1000mのレースで金色の笑顔に変わりました!」
さすがは、自身PL学園と立教大でエースの元アスリート。お見事!

 大相撲初場所は、まるで初夢が正夢となった様な御嶽海の3度目の優勝で幕を閉じました。場所前の事前の報道で、29歳になった御嶽海が、
 「20代最後の場所なので、大関取り目指して頑張りたい」
という抱負を聞いて、一体今まで何度裏切られて来たのか!?と、どうせ今場所もと(そうは言っても毎場所期待半分ではありますが)それ程期待しなかったのですが、初日から見事8連勝で給金直し。
 「でも、どうせまた負けるよナ~・・・。負けると、またズルズル連敗するんだよナ~・・・」
2度も平幕優勝して、大関になっていない力士は過去にいません。ですので、以前も書いたのですが、
『二度の幕内優勝と三役在位が通算26場所と、その素質を高く評価される長野県木曽郡上松町出身(注)の関脇御嶽海。
これまで何度も大関昇進の可能性がありながらことごとく失敗し、同じフィリピンハーフの先輩力士の高安、学士力士の先輩正代、後輩貴景勝、隣県富山出身の朝乃山・・・と、後からチャンスを掴んだ力士が皆追い越して先に大関に昇進。気が付けば、もう28歳・・・。
(中略)こうしたことを考えると、歯痒いと、それこそ毎場所歯軋りをしているであろう北の富士(「何度も裏切られたが」と言われながら、今場所も優勝した新横綱照ノ富士の対抗馬に御嶽海を挙げられていたのですが)や舞の海といった解説者の方々のみならず、TV桟敷で何度も溜息をつく我々地元ファンなのであります。
(中略)だから、もう少し“多め”に場所前に稽古して、毎場所優勝争いをする様な地力が付いてから大関に昇進すればイイと思います(そうでなければ、今のままでイイ。カド番で毎日ヒヤヒヤするのは心臓に悪い!)。
でも、そんな日がいつか来ることを願って・・・、一応“ガンバレ御嶽海‼”』

 ところが、今場所は最後まで横綱との優勝争い。そのため、そうは言ってもと、せめて千秋楽の大一番だけはしっかり生で見て応援しようと思ってTVを着けたら、もう既に表彰式が始まっていて・・・、
 「えっ、御嶽海が勝ったんだ・・・」
前日の一番で、古傷を痛めたであろう横綱が、当たり負けし土俵際でも粘れずにあっけなく押し出されたのは痛々しかった・・・のですが、しかし、それにしても「長野県出身で雷電以来227年振りの大関」で、まさかTVの相撲中継で伝説の「雷電為衛門」まで出て来るとは・・・。
強すぎて横綱になれなかったという雷電は、小県(ちいさがた)郡大石村(その後、滋野村から東部町を経て現在の東御市)出身(注)ですが、それを言うなら江戸時代故「長野県では」ではなく「信濃国」か若しくは「信州」でしょうか・・・。
ただ、NHKのアナウンサー氏が雷電に続けて、数少ない長野県出身の最近の幕内力士として「大鷲」関の名前を挙げ、解説の北の富士さんもちゃんと覚えていてくれたのは、チョッピリ嬉しく感じました。そして、その北の富士さんもファンを公言しているという、お母さまのマルガリータさんも久し振りにTV画面に登場(インタビューで、御嶽海の「コロナ禍なので、もう少し静かにしていてもらいたいのにスイマセン」というコメントもなかなかウィットが効いていて良し!でしょうか。)

 閑話休題・・・で、御嶽海は、押し出しや寄り切りで相手力士が土俵を割った際、決してダメを押すことをせずに、土俵下に落ちない様にすっと支える心優しき関取です。
大関になった以上は、怪我や一時の勢いだけで陥落したりカド番続きの大関ではなく、少なくとも毎場所優勝争いに絡むよう、今まで以上に稽古に精進し、綱を張らなくても良いので、嘗ての清国(些か古過ぎますかなぁ・・・)の様に、その品格で是非“令和の名大関”と謂われて欲しいと願っています。
 「ガンバレ、大関(イヨッ!)御嶽海‼!」
(それにしても、御嶽海を大関って呼べるなんてなぁ・・・実に感慨深いですね!新年早々、長野県民へのビッグなお年玉のプレゼントでした。アリガトウ御嶽海‼)

 正式な大関昇進を受けて、部屋の大先輩でもある北の富士さんが、一言。
 『今夜は私もお祝いに一杯やりたくなった。近くのホテルのバーにでも行って「マルガリータ」でも飲みますか。』
イヨッ、座布団一枚!
【注記】
平成の合併で、東部町と北御牧村が合併して出来た市。御牧は平安時代に置かれた朝廷直轄の勅旨牧に由来。東御(とうみ)市は、全国の市の中で読みが難解の地名なのだそうですが、御牧村なら分かっても東御では何のことやら・・・。他にも、例えば長野県内では大町市に合併した美麻村(みあさむら)など、平成の大合併でそうした歴史的由緒ある地名が次々と忘れられていきます。
因みに、東御市の旧東部町の出身であるその雷電は、江戸時代の松江藩のお抱え力士だったのですが、それは家康の孫で松江藩松平家の祖となった直正公(現存する国宝5城の内の二城の城主だったことになりますね)が松本から松江に移封された縁で、茶人大名でも知られる松平家7代目不昧公が雷電を松江藩のお抱え力士にしたのだと云います。

| 1 / 18 | 次へ≫