カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 17日間に亘った、2022北京冬季オリンピックが終了しました。
独裁国家による人権弾圧か、国家覇権主義か、はたまた新たな東西冷戦とコロナ禍を嘲笑う神の裁定か、更には金権腐敗の商業主義に陥ったIOCへの警告か・・・?
背景や原因(直接的ではない遠因として)は分かりませんが、今回北京冬季オリンピックに関し、それぞれは因果関係なく全く無関係に引き起こされた事象の数々も、しかし時に意図的に、或いは作為的に、時に無意識に、また偶然に、しかし時には必然に・・・・と思わざるを得ない、まさに“呪われた”としか形容できない、スポーツの持つ純粋且つ高貴なパフォーマンスとは余りに無縁でオドロオドロしく醜い事象の連続でしかなかった、歴史に汚点を残した冬季オリンピックだった様に思います。

 やはり、この時期に、この国で冬季オリンピックなど行われるべきではなかった。それは国家威信にかけるアホな開催国のみならず、それを利用しようとした主催団体以下、マスコミなどその恩恵に預かろうとした全ての利害関係者が猛省すべきことのように思います。
本来雪などそれ程降らずに冬季競技が開けない場所で、「夏冬の両方を開催するのは北京だけ」という国威発揚的な妙な自慢で、ミサイルを発射してまで会場に人工雪を降らせるという、自然界の神をも恐れぬ所業に始まったこの大会。それが人工雪は硬過ぎるという欠陥会場で、直前の公式練習で転倒し固いバーン故に脊椎損傷で参加辞退を余儀なくされたスノボー選手に始まり、ジャンプスーツの規定違反、男子500mの地元審判員による有力選手が登場する最終二組への不可解なフライング判定、結果自国選手を勝たせたショートトラックの違反裁定、そして見ていた世界の誰もが異を唱えたスノボージャッジと、次から次へと問題が発生し、最後のとどめは女子フィギアのドーピング疑惑。人権問題や人種差別は無いと云いながら、片やメダルを取った選手は英雄と称賛し、転倒したフィギア選手は米国のスパイかとまで罵倒された、どちらも今回の自国開催のために中国籍を選んだ米国生まれ米国育ちの中国系選手たち。
開会式での民族衣装の少数民族も、ウイグル族弾圧批判を封じるための少数民族への敬意を表すどころか、むしろ中国皇帝に平伏す嘗ての朝献外交の様な“中華思想”の再現にしか見えませんでした。正に不祥事続きで、欺瞞に満ちて呪われた2022オリンピック北京冬季大会。
ウイグル族への人権問題や外交ボイコットなどでの世界からの批判に対し、「オリンピックに政治を持ち込むな!」と批判した中国共産党政権が、国内統治強化のためにオリンピックを最も政治的に利用した大会でした。

 そんなヒドイ大会でも、4年に一度に掛けた選手たちの一生懸命で真摯な態度には、今回もまた一服の清涼剤の様にホッコリと胸を打たれ、また感動の涙を流すシーンがありました。

 メダルを期待された女子モーグルの17歳川村あんり選手。メダルの期待に応えられなかったことを謝りながら、氷点下20度近い極寒の開場に集まった報道陣を気遣い、「寒い中、ありがとうございました」という彼女に、「なんて子や!」と、こんな娘さんを育てられた親御さんを思います。
また、怒りで燃えたという3回目の完璧なパフォーマンスで見事金メダルを取った平野歩夢選手の弟さんである海祝選手。兄を称えるコメントで何度も「兄ちゃん」を繰り返し、父親のことになると「父さん」と言い換えた二十歳の青年の純朴さ・・・。
 「素直でイイ兄弟だなぁ・・・」
ドーピング疑惑の影響とはいえ、華麗なスケーティングで見事銅メダル獲得の坂本花織選手。団体銅メダルの後のインタビューでは天真爛漫さ全開の正に“浪速の元気印”。インタビュアーからヤラセっぽく関西弁での心境をと尋ねられると、そこは関西のオバちゃんのノリで、
 「やったったんでー!」
サスガです。アッパレでした。

 そして、残念ながら今回はあまり成績の振るわなかった長野県勢。
今度こそと、過去2大会連続の個人銀メダルで、今回は金メダルを公言し初戦で惨敗した白馬村出身の渡部暁斗選手。しかし、最後に1位と僅か0・6秒差での3大会連続での銅メダル獲得にほっとしました。そして複合団体での28年振りというメダル獲得は、もっともっと騒がれても良い快挙だと思います。嘗ての様にジャンプでリードしてでの金メダルではなく、ルール改正で日本勢に不利となるジャンプの得点を下げられた現行ルール下で、しかもジャンプ1位ではなくメダル圏外の4位から距離で順位を上げての銅メダルなのですから、正にアッパレ!
一方、連覇が期待されながら惨敗した茅野市出身の小平奈緒選手。その十分過ぎる程のこれまでの努力と頑張りに、そして何より彼女の人柄に、地元民として労いと感謝の気持ちで一杯です。
「お疲れさま!本当にありがとうございました。」

 最後に、金メダルへのゴール直前に転倒し、スポーツの残酷さを思い知らされた女子パシュート決勝。
その彼女たちを大会まで一年半追ったという共同通信カメラマン(大沼廉氏)の現地取材記事から。
涙にくれる彼女たちを撮影していいのかと迷いながら声掛けし、撮影した際に、涙でファインダーをなかなか覗けずにいたのだそうです。
『(前略)私はセレモニーの間、とても悩んでいた。終了後に各選手をその国や地域のカメラマンが呼び止め、個別に撮影させてもらえる時間があるが、今回は呼び止めるべきなのだろうか。それ以前に個別撮影するべきなのだろうか。その場にいた日本人カメラマンは私一人だけだ。
(中略)どうしよう。頭の中でぐるぐる悩んでいるうちにセレモニーは終わった。メダリストたちが各国のカメラマンの方へ歩み寄ってくる。悩んだ末、「いいですか」と静かに声をかけた。3人は「いいですよ」と応じてくれた。目を真っ赤にして肩を組み、ポーズを取る姿を見て、私はレンズを向けたまま、不覚にもぼろぼろと泣いてしまった。
(中略)すると「いや、そっちが泣くのかー!力が抜けるわ」と目に涙をためていた3人は、涙顔のまま大笑い。私もむせびながら、どう撮ったか記憶が定かではないが、後でカメラを見ると満面の笑みが記録されていた。名前は知らないまでも、いつも撮影に来ているカメラマンと分かってくれていたようだ。
 撮影後、別の競技会場へ移動する車中でカメラマンの先輩がこう声を掛けてくれた。
 「あの時、おまえが声を掛けて写真を撮らなかったら、このレースで残るのは転倒の瞬間や涙に暮れる菜那選手など、悲しい写真ばかりだった。ここまで努力して、最後まで懸命に闘った選手たちもそれはつらいはず。ほんの少しだったけれど、彼女たちが心から笑顔になれる瞬間を残せた」
情けない姿を見せてしまったが、そのせいで彼女たちの心が少しでも和らいでくれるのなら、と願わずにはいられなかった。生涯忘れられないひとときとなった。』
メダルを取った選手よりも、メダルを期待されながら敗れ去る選手たちの姿の方が胸に刻まれたていく中で、本来無断コピーして掲載してはいけないかもしれませんが、本当に何だかほっと救われた気持ちがした記事でした(少しでも多くの人と共有できたらと思い、敢えて掲載させていただきます)。

 カメラマンでさえそうなのです。身内と言っても良いコーチならば尚更の筈。
個人でも銅メダルだった坂本花織選手。その結果を聞かれ、「運です」と言い切った“厳しいママさん”という中野コーチ。そして、その原因を「でも彼女は、それだけの努力を人一倍してきたからです」とキッパリ。
そんな母親の様なコーチもいれば、片や、競争相手を必ず諦めさせるという意味でつけられたという彼女の“絶望”というニックネームが、まるで今回はブラックジョークの様に彼女自身に向けられ、フリーでのズタズタでボロボロの演技を終えたワリエワ選手。彼女を迎え、演技途中で戦意喪失した原因を詰問し叱責したロシアの“鉄の女”エテリ・トゥトベリーゼコーチ。
同じ日、同じ時間帯に起きて世界中に配信された、正に真逆の光景でした。

 更に余談ながら、今回「真冬の大冒険」は聞かれませんでしたが、今大会でのベストフレーズは、スピードスケートを担当した日テレ上重アナウンサー(声から判断して、多分)の高木美帆選手1000m金メダルでの実況だったでしょうか。曰く、
「パシュートで流した銀色の涙が、この1000mのレースで金色の笑顔に変わりました!」
さすがは、自身PL学園と立教大でエースの元アスリート。お見事!

 大相撲初場所は、まるで初夢が正夢となった様な御嶽海の3度目の優勝で幕を閉じました。場所前の事前の報道で、29歳になった御嶽海が、
 「20代最後の場所なので、大関取り目指して頑張りたい」
という抱負を聞いて、一体今まで何度裏切られて来たのか!?と、どうせ今場所もと(そうは言っても毎場所期待半分ではありますが)それ程期待しなかったのですが、初日から見事8連勝で給金直し。
 「でも、どうせまた負けるよナ~・・・。負けると、またズルズル連敗するんだよナ~・・・」
2度も平幕優勝して、大関になっていない力士は過去にいません。ですので、以前も書いたのですが、
『二度の幕内優勝と三役在位が通算26場所と、その素質を高く評価される長野県木曽郡上松町出身(注)の関脇御嶽海。
これまで何度も大関昇進の可能性がありながらことごとく失敗し、同じフィリピンハーフの先輩力士の高安、学士力士の先輩正代、後輩貴景勝、隣県富山出身の朝乃山・・・と、後からチャンスを掴んだ力士が皆追い越して先に大関に昇進。気が付けば、もう28歳・・・。
(中略)こうしたことを考えると、歯痒いと、それこそ毎場所歯軋りをしているであろう北の富士(「何度も裏切られたが」と言われながら、今場所も優勝した新横綱照ノ富士の対抗馬に御嶽海を挙げられていたのですが)や舞の海といった解説者の方々のみならず、TV桟敷で何度も溜息をつく我々地元ファンなのであります。
(中略)だから、もう少し“多め”に場所前に稽古して、毎場所優勝争いをする様な地力が付いてから大関に昇進すればイイと思います(そうでなければ、今のままでイイ。カド番で毎日ヒヤヒヤするのは心臓に悪い!)。
でも、そんな日がいつか来ることを願って・・・、一応“ガンバレ御嶽海‼”』

 ところが、今場所は最後まで横綱との優勝争い。そのため、そうは言ってもと、せめて千秋楽の大一番だけはしっかり生で見て応援しようと思ってTVを着けたら、もう既に表彰式が始まっていて・・・、
 「えっ、御嶽海が勝ったんだ・・・」
前日の一番で、古傷を痛めたであろう横綱が、当たり負けし土俵際でも粘れずにあっけなく押し出されたのは痛々しかった・・・のですが、しかし、それにしても「長野県出身で雷電以来227年振りの大関」で、まさかTVの相撲中継で伝説の「雷電為衛門」まで出て来るとは・・・。
強すぎて横綱になれなかったという雷電は、小県(ちいさがた)郡大石村(その後、滋野村から東部町を経て現在の東御市)出身(注)ですが、それを言うなら江戸時代故「長野県では」ではなく「信濃国」か若しくは「信州」でしょうか・・・。
ただ、NHKのアナウンサー氏が雷電に続けて、数少ない長野県出身の最近の幕内力士として「大鷲」関の名前を挙げ、解説の北の富士さんもちゃんと覚えていてくれたのは、チョッピリ嬉しく感じました。そして、その北の富士さんもファンを公言しているという、お母さまのマルガリータさんも久し振りにTV画面に登場(インタビューで、御嶽海の「コロナ禍なので、もう少し静かにしていてもらいたいのにスイマセン」というコメントもなかなかウィットが効いていて良し!でしょうか。)

 閑話休題・・・で、御嶽海は、押し出しや寄り切りで相手力士が土俵を割った際、決してダメを押すことをせずに、土俵下に落ちない様にすっと支える心優しき関取です。
大関になった以上は、怪我や一時の勢いだけで陥落したりカド番続きの大関ではなく、少なくとも毎場所優勝争いに絡むよう、今まで以上に稽古に精進し、綱を張らなくても良いので、嘗ての清国(些か古過ぎますかなぁ・・・)の様に、その品格で是非“令和の名大関”と謂われて欲しいと願っています。
 「ガンバレ、大関(イヨッ!)御嶽海‼!」
(それにしても、御嶽海を大関って呼べるなんてなぁ・・・実に感慨深いですね!新年早々、長野県民へのビッグなお年玉のプレゼントでした。アリガトウ御嶽海‼)

 正式な大関昇進を受けて、部屋の大先輩でもある北の富士さんが、一言。
 『今夜は私もお祝いに一杯やりたくなった。近くのホテルのバーにでも行って「マルガリータ」でも飲みますか。』
イヨッ、座布団一枚!
【注記】
平成の合併で、東部町と北御牧村が合併して出来た市。御牧は平安時代に置かれた朝廷直轄の勅旨牧に由来。東御(とうみ)市は、全国の市の中で読みが難解の地名なのだそうですが、御牧村なら分かっても東御では何のことやら・・・。他にも、例えば長野県内では大町市に合併した美麻村(みあさむら)など、平成の大合併でそうした歴史的由緒ある地名が次々と忘れられていきます。
因みに、東御市の旧東部町の出身であるその雷電は、江戸時代の松江藩のお抱え力士だったのですが、それは家康の孫で松江藩松平家の祖となった直正公(現存する国宝5城の内の二城の城主だったことになりますね)が松本から松江に移封された縁で、茶人大名でも知られる松平家7代目不昧公が雷電を松江藩のお抱え力士にしたのだと云います。

 秋のプロ野球ドラフト会議。毎年育成を含めれば優に100人を超える新人選手がプロ野球に指名される一方で、各球団支配下登録出来る人数が限られている以上(育成登録は別枠ですが)ほぼ同数が戦力外通告をされ退団を余儀無くされます。
勿論、中には選手寿命を全うし引退セレモニーをしてもらえる様な幸せな選手もいます。今年引退をした中で、感慨深いのは松坂大輔投手と亀井義行外野手でした。

 古巣西武ライオンズで引退した松坂大輔。何と言っても印象深いのは、夏の甲子園の準々決勝でPL学園と延長17回の死闘を演じ、最後決勝では前人未到のノーヒットノーランで優勝するという、漫画の様な(でもウソ過ぎて描けない)圧倒的な力量で優勝。まさに“平成の怪物”に相応しい幕切れ。
そうした実績に目が行きますが、個人的に一番印象的だったのは、何と言っても最後の最後まで貫き通した“ワインドアップ”でした。
今や殆どがノーワインドアップで投げるピッチャーが多い中で、振りかぶって投げる姿の絵になること!素人目にも「カッコイイなぁ~」とホレボレしたものでした。しかも、途中ピタッと止まる、静止する一瞬の間がある・・・。大昔で云えば、カネやんこと大投手金田正一投手に代表される様な、振りかぶってから投げるまで連続したモーションが多かった様に思うのですが(イメージ的にはV9巨人のエース堀内が松坂に近いフォームだった様な気がします)、松坂投手はそうではなく、その間が実に美しいのです。他では、前阪神の能見投手もキレイなワインドアップのフォームだと思います。
今では、プロに限らず、甲子園でもラジオ放送の野球中継で、
 「ピッチャー、振りかぶって・・・第一球を投げました!」
なんていうフレーズは、もう死語ですね、きっと・・・。
 その松坂が最大の目玉だったのが1998年のドラフト会議。“松坂世代”という言葉が生まれた様に、同世代に有能な人材が集まっていた高校生に限らず、この年のドラフトでは巨人に大学球界の上原と二岡というその後の投打の主力、中日は同様に社会人野球から福留と岩瀬をそれぞれ1位・2位指名。阪神は“火の球球児”藤川が1位。広島では1位が東出、そして新井貴浩が6位で指名されています。また地元球団との密約が噂された沖水高の新垣がオリックスの1位指名を拒否して九州共立大へ進学。担当した当時のスカウト部長(阪急時代から数々の逸材を発掘した名スカウトでした)の自殺という悲劇を生みました。

 一方、巨人でファンから“カメさん”として親しまれ、また監督からは晩年「困った時にはカメちゃんがいる」として頼りにされた亀井義行選手。
プロ野球選手の平均寿命は約9年、平均引退年齢は約28歳。1億円プレーヤーになれるのはおよそ10人に1人と云われる狭き門。優勝のために毎年の様に補強されてやって来る助っ人やFA選手などと争いながら、走攻守揃った外野の名手として野球人生を全うした亀井選手は、4番を打つスター選手ではありませんでしたが、味のある名バイプレーヤーでした。
その意味で、歴代の4番が強力であったからこそ、昔から勝負のカギとなって来た巨人の5番バッター。そんな歴史の中で、その時代時代に“巨人軍史上最強の5番打者”と呼ばれて来たのは、自分の記憶に残る範囲ですが、古くは、国松、末次、マムシこと柳田、そしてコンコルド淡口、怪我さえなければと今でも悔やまれる“天才”吉村・・・。彼等に続く系譜が亀井選手だったのではないでしょうか。
そんな亀井選手がWBCに選ばれたのが2009年の第2回大会。球界を代表するトップエリートの集まりである代表チームの中で、イチローの控えに甘え、打席には立てずに最後の守備固めを任せられるのは彼しかいないと選抜された亀井選手に、世間からは「どうして実績で劣る亀井が選ばれたのか!?」との誹謗中傷が殺到したと云います。決めたのはWBCを率いた原監督でも、推薦したのは亀井の守備力を高く評価し、代表チームで守備を担当した高代コーチだったとも。そのレーザービームの外野守備は、名手イチローからも絶賛されたとか。
そんな亀井選手の引退セレモニー。
 「(吉川)尚輝、ポジティブに頑張れよ」
 「(松原)聖弥、あんたは天才だから、もうちょっと頭使っていけよ」
 「(坂本)勇人、あとは任せた!3000安打目指して頑張れ!」
皆に愛された亀井選手の、実に“らしさ”に溢れた挨拶でした。

 その亀井選手が指名されたのが2004年のドラフトでした。この年は大学社会人選手には自由指名枠が設定されていて、巨人の1位指名はその自由枠で社会人野球の野間口投手でした。即戦力評価の自由指名枠でも活躍出来ずに消えていった選手も勿論いますが、額面通りの活躍をした中では、阪神の2位能見、オリックスが長野県出身(生まれは新潟ですが小学生の時に移住)の金子を1位で指名していますし、自由枠の無い高校生では日ハムがダルビッシュを、西武が涌井をそれぞれ1位指名。また裏金問題で揺れた一場選手が自由枠で楽天から指名されていますが、確か記憶ではアマチュアで“150㎞投手”として騒がれた最初のピッチャーだったのでは無かったでしょぅか?それが今では150キロを投げる投手は、高校生でも決して珍しくないのですから・・・。
因みに亀井選手は下位の4位指名でしたし、またその後先発やセットアッパーとしても一時活躍した東野が最後の6位で指名されてしますので、昔からクジ運の無い巨人ですが、スカウト陣の目は決して節穴だった訳ではありません(その意味で・・・どうして山下航汰を退団させたかなぁ?説得してでも絶対手放しちゃダメでしょ!そりゃ、怪我は本人の責任だけど・・・期待出来るのに。全権監督なら、FAなんかで口説かずに、ここでこそ出番でしょうが!)。

 二度の幕内優勝と三役在位が通算26場所と、その素質を高く評価される長野県木曽郡上松町出身(注)の関脇御嶽海。
これまで何度も大関昇進の可能性がありながらことごとく失敗し、同じフィリピンハーフの先輩力士の高安、学士力士の先輩正代、後輩貴景勝・・・と、後からチャンスを掴んだ力士が皆追い越して先に大関に昇進。気が付けば、もう28歳・・・。

 横綱輪島の出身の地でもあり、昔から相撲が盛んな土地柄の石川県(現役では遠藤)は別格として、他は相撲不毛の地だった甲信越・北信越出身力士たち。先ずは富山県出身の元大関朝乃山、新潟県出身の豊山、山梨県出身の竜電。そして歴史上何かある度に、江戸時代の無敵雷電まで遡る、それ以上に大相撲不毛の地だった長野県で現役唯一出身の御嶽海(昔平幕ですが、190㎝の長身を生かした吊り出しを武器に、前頭上位までいった大鷲という長野県出身の関取がいて、結構好きな力士でした。今は故郷の佐久に戻り、ちゃんこ屋さんを経営されています。全くの下戸で、現役時代に好きなコーヒーを飲みに “チャリンコでの喫茶店巡り”が趣味と新聞報道で見た記憶があります)。
まさかのうぬぼれか、コロナ禍での自業自得の不祥事で出場停止と降格(中には再起不能も?)の憂き目にあった、先述の一時輝いていた甲信越出身の力士たち。
本人が引退宣言するまで降格の無い横綱とは異なり、せっかく大関に昇進しても、常勝でなければ、一場所でも負け越せば翌場所はカド番を勤めねばならず、常に陥落するリスクのある大関。
せっかく努力して大関になったのに、昇進前の勢いは何処へやらの“クンロク大関”と世間的に責められるくらいだったら、そうした責任の無い平幕の方が余程イイ!とばかりの、片や“暖簾に腕押し”気味の我らが御嶽海。
アマチュア横綱を勤め、天才的と評される相撲勘をはじめ、誰もがその素質を認め期待するのに、怪我をしてもしょうがないとばかり、追い込む程の稽古をせずに、常に稽古不足と批判され続ける御嶽海(実際、以前の本場所の立ち合いのぶつかりで額を切り、翌日「当たると痛いから」と立ち合いでぶつかるのを避けて親方衆から批判を浴びました)。
「怪我をして欲しくない」と大相撲入りを反対し続けたという、本人より人気のお母さんと云われるフィリピン人の陽気なマリアさん。彼もバラエティー番組などにも呼ばれることもりますが、お母さんに似て、茶目っ気もあって憎めない、愛すべきキャラクター。
TV桟敷でいくら応援し、いくらその取り組みを批判してどんなに歯痒いと言われようが、相撲を取るのは本人。負け越しやケガで降格を(結果、物理的な実入りが減ることも含め)受け入れざるを得ないのも、飽くまで本人。

 こうしたことを考えると、歯痒いと、それこそ毎場所歯軋りをしているであろう北の富士(「何度も裏切られたが」と言われながら、今場所も優勝した新横綱照ノ富士の対抗馬に御嶽海を挙げられていたのですが)や舞の海といった解説者の方々のみならず、TV桟敷で何度も溜息をつく我々地元ファンなのであります。
 「あ~ぁ、だからやっぱり期待しちゃいけなかったんだ・・・」
但し、そうは言っても毎日それだと精神的に良くないので、最近は過度の期待をせず、一喜一憂する本割もTVでは生で視ず、結果だけを後で確認する様にしています。
だから、もう少し“多め”に場所前に稽古して、毎場所優勝争いをする様な地力が付いてから大関に昇進すればイイと思います(そうでなければ、今のままでイイ。カド番で毎日ヒヤヒヤするのは心臓に悪い!)。
でも、そんな日がいつか来ることを願って・・・、一応“ガンバレ御嶽海‼”
【注記】
昭和53年(1978年)の「やまびこ国体」で旧木曽福島町(現木曽町)
が相撲会場となって、今も使われている立派な相撲場が作られて以来、木曽は長野県内での相撲のメッカとなっています。
そして、御嶽海の母校である長野県の木曽町中学校相撲部が、今夏の全国中学校相撲選手権大会で見事団体での準優勝を果たしました。決勝進出は21年ぶりの快挙だそうです。目標にしていた日本一こそ逃しましたが、同校相撲部は、前身の福島中学校時代から全国大会の常連。ただ、決勝進出となると、2000年に全国制覇をして以来のことだったそうです。
長野県出身の二人目の現役関取となるような、御嶽海の後輩が育つのも間もなくかもしれません。

 オリンピックに続いて行われた、パラリンピックTOKYO2020。
障害の程度によりクラス分けが異なる様ですが、彼等も確かに“正真正銘”のアスリートだと思いました。
日本チーム金メダル第1号は男子100メートル自由形S4クラスの鈴木孝幸選手でしたが、彼は生まれた時から両足と右手がなく左手の指にも障害があるのですが、その左手一本で肘から先の無い右手を使い、クロールを見事なバランスで泳ぎ切ったのです。その様子を見ながら、彼の必死の頑張りに涙が溢れてたまりませんでした。他にも、殺人球技と呼ばれる車椅子ラグビーでは、試合中に腕がツル選手もいるのだとか。足は兎も角、腕がツルという経験は健常者では普通はあり得ない世界だと思うのです。健常者の様に足が使えないからこそ、唯一使える体の部位である腕をそこまで酷使しているという事実。例えば、両手が無く、口でラケットを加えて強烈なスマッシュを打つ卓球選手、そしてミリ単位での密着度を競うボッチャで、日本勢初の金メダリストとなった杉村選手の相手のボールに乗り上げるという神業・・・etc。
彼等に限らず、出場する選手の皆さんはそれぞれが持つハンディを、最終的には「ハンディではなく個性」と言い切れる程に血が滲む様な努力と鍛錬で克服し、各国内の競争を勝ち抜いて得たパラリンピック出場の晴れ舞台でありましょう。

 以下、批判を承知で敢えて問います。
しかし、それをオリンピックのメダルと同じ様に、例えば「世界記録」というようにマスコミが扱うのは少しおかしいのではないか、との思いを禁じ得ません。というのも、例えば、
『男子走り幅跳びの世界記録は、1991年にアメリカのマイク・パウエルが世界選手権でマークした8m95。以来破られていない記録は、9月1日(水)に行われる東京パラリンピックで更新されるかもしれない。
マルクス・レーム(ドイツ)は、パラ陸上競技で活躍する義足のジャンパーだ。2012年ロンドンパラリンピックに初出場して金メダルを獲得、2016年リオ大会でも2連覇を達成している。パラリンピックでの金メダル数以上に、レームを世界的なトップアスリートとして有名にしているのが、その記録だ。
2021年6月1日、レームは8m62の世界新をマークした。ポーランドで行われたパラ陸上のヨーロッパ選手権での記録だ。2018年8月に同じくヨーロッパ選手権で自身がマークした8m48を14cm更新する、大ジャンプだった。
5年前、リオオリンピックの男子走幅跳で優勝したジェフ・ヘンダーソン(アメリカ)の記録は、8m38。もし、現在のレームがリオオリンピックに出場していれば、金メダルを獲得していたかもしれない。レームの記録は、オリンピックのメダル級なのである』(結果として、9月1日に行われた今回の彼の優勝記録は、幸いそうした議論を巻き起こすことの無い8m18㎝でした)。
この選手は、パラリンピックだけではなくオリンピックへの出場も訴えて認められなかったのですが、それは違うと思うのです。
今回のオリンピックでLGBTの選手が女子重量挙げに(本人と自国のオリンピック委員会は当然その正統性を主張した上で)出場したことが賛否両論として議論を浴びました(結果として試技に失敗して記録無しに終わり、議論はそこで収束した)が、その延長線上で、もしAIが発達した近未来、人造人間が人間と同じ“心”を持ち、「私は人間だ」と訴えれば人間と同じ土俵に上れるのでしょうか。
ドイツオリンピック委員会からの彼の東京オリンピックの出場申し出に対し、IOCは『カーボン製競技用義足の優位性がないことを証明しなければ、オリンピック出場は認められない』として今回の出場を認めなかったそうですが、仮に優位性が無いとしても、やはり健常者と同じ土俵で扱うべきではないと思います。
というのは、補助装置の技術的革新、進歩はやがて人間の肉体を超えてしまうのではないか、その進歩に人間の肉体は果たして追いつけるのか?・・・という疑問。

 従って、批判を承知で敢えて問います。
その記録や努力は、別の土俵で大いに評価し、称賛すれば良い。しかし、土俵が違う以上、数値上の絶対値でその記録を比較し評価すべきではないのではないか!?・・・。

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