カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 好きで時々視ている、土曜日の夕方6時からのTV朝日の「人生の楽園」。
8月17日に放送されたのは、長野県生坂村に移住して開業したというパン屋さんでした。その中で紹介されていたのが、生坂村の道の駅「いくさかの郷」で、その道の駅で販売されていたのが「灰焼きおやき」でした。

 今でこそ、全国的にも信州の郷土食として知られる様になった「おやき」ですが、元々は農家の「お小昼」などに食べられていた自家製の“軽食”です。「おやき」の解説で一番分かり易かった、農水省の全国の「郷土食」を紹介しているH/Pからそのまま引用させていただくと、
『「おやき」は、小麦粉と蕎麦粉を水または湯で溶いて練り、薄くのばした皮に餡や野菜など旬のものを包み焼いたもので、信州を代表する郷土料理。地域によっては「やきもち」とも呼ばれる。上水内郡西山地域が発祥といわれており、その歴史は古く、小川村の縄文遺跡からは雑穀の粉を練って焼いた跡が発見されている。山間部は急峻な地形が多く、寒冷な気候のため米の栽培に適さないところが多い。こうした山間地では小麦や蕎麦が多く栽培され、1日1回はその粉を使った食事をつくって食べたといわれ、米の代わりとして先人の食を支えた。一方、豪雪地帯である栄村は小麦の栽培が適さず、米粉を原料とした「あんぼ」というおやきがつくられている。
昔はどこの家にも囲炉裏があり、西山地域では「ほうろく」とよばれる鉄製の鍋で表面を焼いて囲炉裏の灰の中でおやきを蒸し焼きにして、周りに付いた灰を落として食べていた。このおやきを「灰焼きおやき」といい、以前は主流だった。それが里から町へと伝わり、「蒸す」「焼く」「焼いて蒸す」「蒸して焼く」など、様々な調理法が生まれた。包む具材は、なす、きのこ、かぼちゃ、切干大根などを味噌や醤油で味付けし、それを単体もしくは複数混ぜたものなど様々な種類がある。身近にあるものや季節の具材を入れて楽しんだ。』
そうした「おやき」の中で、その原型とも云える「灰焼きおやき」は、長野県の中でも、上記の様に北信の上水内郡西山地方や中信の北安曇地方に根付く伝統的なおやきでした。練った小麦粉生地に具を入れ、表面を焼いてから囲炉裏の灰の中で蒸し焼きにすることで、表面は焦げ目がついてパリパリに、中身はしっかりとした噛みごたえになるのが特徴です。そばと並んでお米があまり取れない信州ならではの郷土食で、栄養や薬にもなる(?)と云われて、そのまま灰を落とさずに食べるのが昔ながらのスタイルでした。
それが、蕎麦以外に食の目玉が乏しかった信州で、近年次第に観光資源としての価値が高まるにつれて、「おやき」を常食する食文化の無かった地域までも含めて長野県全域の名物として広まったのです。
 我が家でも、中学まで育った江戸時代から続く茅葺の家には大きな囲炉裏があって、そこで祖母が灰で焼いたお焼き「灰ころがし」を作ってくれて、これがお小昼の定番でした。周りに付いた灰をパンパンと手で叩いて落として食べるのですが、灰で焼くのでパリパリと焦げて香ばしく、炭と同様に「灰は薬だ」と云われて、幼心に気にもせずに食べていた気がします。
しかし、最近全国的にも有名になった信州の郷土食「おやき」ですが、本来はその名の通り「お焼き」なのに、最近では蒸したモノの方が主流で、長野市の善光寺界隈や松本の街中で売っている「おやき」も具は野沢菜やナス味噌など昔ながらですが、これでは「お焼き」ではなく“お蒸し“で、云わば「蒸かし饅頭」です。我が家でも“お小昼”には蒸かしたお饅頭もありましたが、その蒸かしたお饅頭の具は自家製の小豆を煮て作った餡子や砂糖味噌で、春を過ぎて酸っぱくなった野沢菜を甘辛く炒めたり、これまた定番のナスの味噌炒めは専らお焼きの方の具材でした。
因みに「さかた」は蒸した後、鉄板で焼いていますが、これも昔ながらのお焼きではありません。また長野市に隣接する上水内郡小川村の「縄文お焼き」は蒸した後に囲炉裏で焼いてはいるのですが、灰の中に“くべる”のではなく、囲炉裏に掛けた鉄鍋で焼いているので、こちらも残念ながら“灰ころがし”ではありません。
背景には近代化で囲炉裏そのものが無くなったことが大きいのですが、どうしてもあの昔懐かしいお祖母ちゃんの“灰ころがし”が無性に食べくなるのですが、本来の昔懐かしい「灰ころがし」のお焼きを作っている店は殆どありませんでした。そうした中で、生坂村にお祖母ちゃんが昔ながらの“灰ころがし”のお焼きを「灰焼きお焼き」として売っている店があると聞いていたのですが、高齢故か、不定期でいつやっているか(勿論HPなどネット発信も無く)分からず、ずっと行くのを躊躇っていました。
それが冒頭にご紹介したTVの全国放送の中で、主人公で長野県の東筑摩郡生坂村に移住して開業したパン屋さんが製品を並べて貰っている生坂村の道の駅「いくさかの郷」が出て来て、その中でちらっと紹介されたていたのが併設の食堂で販売されている昔懐かしい“灰ころがし”の「灰焼きおやき」だったのです。
 そこで先日、安曇野市の旧明科町の北に位置する、生坂村の道の駅「いくさかの郷」へ行ってきました。明科を過ぎて、犀川沿いに国道19号線を長野方面へ北上して、松本からは30分程で到着。
因みにこの生坂村は松本から北に流れて行く犀川の川幅が狭くなって山清路と呼ばれる渓谷となって両側が山に囲まれている場所で、“昔々”母の犀(龍)の背に乗って体当たりして山を崩し、昔大きな湖だった安曇の水を流して肥沃な平を生み出したという、龍の子太郎のモチーフの一つとされる「泉小太郎伝説」の地でもあります。
数年前から生坂の道の駅「いくさかの郷」に併設された地元のオバサンたちが営む食堂の一角に設けられた直売所で「灰焼きおやき」が毎日製造販売されています。
それが「かあさん家」という食堂(こちらはソバではなく、「灰焼きお焼き」と同じ、地粉で打ったうどんが名物の由)を兼ねた直売所で、一日250個限定で「灰焼きおやき」が地元の農家のオバサンたちの手作りで、実際高温の灰の中に“くべて”焼かれて製造販売されていました。
この日は日曜日だったので、整理券を配っていて一人3個限定。10時の販売開始前に1時間分の100個近くが売り切れていました。1時間ごとに焼き上げて販売している様ですが、早い時は一日250個が昼頃には売り切れとか。
他のお焼きの3倍近くありそうな、ソフトボール程の大きさで320円。焼いたので焦げて固いところもあり、またサカタよりも皮が厚いので(少なくとも記憶上では、我が家のお祖母ちゃんの作った灰ころがしの方が皮が薄くてパリッと焼けて香ばしくて遥かに美味しかった様な・・・)、むしろサカタの方が食べ易い感じですが、家内は美味しいと満足していました(大きいので一つでお腹一杯になります)。
でも客観的なそんな印象よりも、何だか子供の頃の思い出が一緒に蘇って来るような懐かしい味。初めての方も、本来の昔ながらの“灰ころがし”の「お焼き」ですので、“一見の価値”ならぬ“一食の価値”は大いにあるかもしれません。

 6月3日、長野県民にとってちょっぴり嬉しいニュースがありました。
それは、その日の新聞に入っていた、『お待たせしました ビタミンちくわ 販売再開です!』と書かれたチラシです。
長野県民以外の方々はおそらくピンと来ないであろう「ビタミンちくわ」。
以前、本ブログでもスギヨの「ビタミンちくわ」のことを紹介していたので、その部分をそのまま引用します(第1303話)。



『(前略)昔からスーパーマーケットの練りモノ売り場に普通に並んでいる「スギヨのビタミンちくわ」。昔から「ちくわ」といえば「スギヨのビタミンちくわ」が定番で、全国ブランドとばかり思っていました。
株式会社スギヨは、能登半島の石川県七尾市に本社を置く水産加工の会社。しかも、「ビタミンちくわ」だけではなく、あの“カニカマ”を初めて開発したメーカーなのだそうです。
スギヨのH/Pからそのまま引用させていただくと、
「“ビタミンちくわ”は、昭和27年(1952年)に誕生しました。ビタミンを豊富に含む油ザメの肝油を配合したアイデア商品として、戦後の栄養不足に悩んでいた消費者から圧倒的な支持を受けました。以来、発売から66年のロングセラー商品として長くご愛顧いただいています。ビタミンちくわの売上の7割を占めるのが長野県。なぜスギヨ本社がある石川県ではなく長野県なのか。その理由は、大正時代にさかのぼります。古来、能登のブリは、越中(現・富山県)のブリ街道を通って、飛騨、信州へ送られていました。その歴史にヒントを得て、杉與商店(現・スギヨ)が大正時代、ちくわの穴に食塩を詰めて長野県へ発送したところ、海のない同県にとって、貴重なタンパク源と食塩がセットになった商品として飛ぶように売れ、「ちくわと言えば杉與(すぎよ)」と長野県に広く定着したのです。」とのこと。この冬も鍋物やおでんの時に、この「ビタミンちくわ」には大変お世話になりました。」』

 その石川県七尾市にあるスギヨの工場が、今年の元旦に能登半島を襲った大地震で、震度6強の揺れで工場の天井半分が落ち、機械も倒れ、断水して生産がストップし、半年近くも掛かってこの6月1日から漸く製造再開したとのこと。そして、出荷された製品が長野県内各地のスーパーマーケットに並んだとこの日ローカルTV等でも報道されたのです。
食べることが支援になるのなら・・・と、おでんのシーズンはもう終わりましたが、早速買って簡単にちくわキュウリでおつまみにしましたが、いつもの安定の味でした。

 頑張ってください!食べることで長野県から少しでも応援になれば・・・。

 会社時代の後輩から誘われて、実に8年ぶりに上諏訪の「雫石」へ呑みに行って来ました。会社員時代に一番世話になった諏訪在住のボスも誘い、既に皆リタイア組の後輩2名と計4人で久々の諏訪での飲み会です。
「雫石」は、諏訪に勤務していた頃、毎晩とは言いませんが、頻繁に飲みに行っていた馴染みの店でした。ほんわかした松本出身のご主人と、釜石出身の東北美人の女将さんが営む和風料理の店。釜石在住の妹さんが送ってくれるという新鮮な魚などの料理も勿論美味しいのですが、居心地が良くて雰囲気がとても素敵な店でした。

 そんな「雫石」は、“大人飲み”にも相応しい店です。
太田和彦流で言わせてもらえれば、「いい酒、いい人、いい肴」が全て揃っているような・・・。もし松本にあったら、例え年金生活者のチョイ飲みででも、週イチで通うんですが・・・。
 チェックしてみたら、9年前に伺った時(第973話)に、太田和彦氏の著書「自選ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)をプレゼントしていた様です。全く忘れていたのですが、
その時のブログにはこう書いていました。
『飲兵衛からの勝手な視点で、これからもずっと「いい酒、いい人、いい肴」を続けて欲しかったので、この日電車に乗る前に松本の丸善で買った太田和彦著「自選ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)を女将さんにプレゼント。前回「細かい文字が読み辛くなった」と言われていたので、三部作はちょっと負担かなと・・・。
因みに「自選」は松本編(三部作の第一巻「立志編」に掲載されている「松本の塩イカに望郷つのり」)からスタートし、東日本と重なる阪神大震災後に訪ねた神戸編「神戸、鯛のきずしに星がふる」(きっと女将さんの故郷釜石への震災後の想いにも繋がると思います)まで16編が収録されています。』
また、東日本大震災後に伺った時、釜石出身の女将さんが話してくれたのが、
『(前略)震災後、釜石の妹さんが「震災で、ずっと(生の)お魚を食べてないんだよぉ!」と嘆くのを聞いて、震災までは釜石のご実家から鮮魚を直送してもらっていた「雫石」の女将さんは、早速この諏訪では鮮度が良いと評判の鮮魚売り場でたくさん購入し、保冷便で釜石に送ったのだそうです。
そうしたら、届いた魚を見た妹さんたちは皆でビックリして、
 「久し振りに、みんなで大笑いしたんだよぉ!」
と電話をされてきたのだそうです。
何でも、送られてきた魚の、特に生のイカの鮮度の悪さに驚いたのだとか。
 「信州じゃあ、こんなイカを生で食べてるんだねー。姉ちゃんもすっかり“山のヒト”になっちゃたんだねーって、みんなで大笑いしたんだよぉ!」
(中略)
 「でもそのお陰で、(震災の後は笑うことも無かったのが)久し振りにみんなで笑えたって喜ばれちゃった・・・。」
(中略)
結局、せっかく女将さんが信州から送った“鮮魚”は、どれも生では食べてもらえずに、煮たり焼いたりされたのだそうです。』(第532話)

 この日、女将さんとご主人が仰るには、
『定年前に飲みに来てくれた時に、「もしかするとこれが最後になるかもしれないから、念のために挨拶しとくからね」って言って、本当にその後来てくれなくて、今日までなっちゃったけど、みんなの定年のお祝いをするために取って置いたんだよ!』
そう言って出してくれたのは、塩尻の醸造所に頼んで、「雫石」のラベルを貼って特別に作って貰ったという塩尻産カベルネ・ソーヴィニヨンの限定赤ワインンの最後の一本・・・でした。
有難く頂戴し、遅れ馳せながらとはいえ、皆で定年のお祝いの乾杯をさせていただきました。
この日の料理は、いつもの釜石から送られて来る新鮮な刺身は勿論ですが、旬の山菜の天ぷらと、これまた「しどけ」と現地で呼ばれる東北地方では定番という少し苦みがあって美味しい山菜のおひたしなどなど・・・。

 ボスの慰労も兼ねて、このメンバーで今後も定期的に「雫石」で集まることにして、次回は秋頃の再会を期して店を後にしました。
 「ご馳走さまでした!また来ます。」

 シーズン初となった、前回の4月11日箱根の金時山登山。昨夏から家内が二人目の孫が生まれた次女の所に毎月2週間近く家事手伝いに行っているため、以前に比べると二人共殆どウォーキングをしていなかったのですが、シーズン最初の金時山で、「思いの外ちゃんと歩けた!」と気を良くした家内が、次女の所に5月中旬から手伝いに行く前に「またどこかに登りたい!」との仰せ。
そこで、毎年の三城牧場から百曲がりコースでの美ヶ原登山はもう少し後(花の咲く頃)に取っておくことにして、その前に二度目となる塩尻の霧訪山(1305m)に登ることにしました。この霧訪山は長野県山岳総合センターが以前実施した“信州の里山選挙”で1位になったこともあるという、人気の山です。以前、会社の同僚から登るのを薦められた山でもありました。

 天気予報を見ながら晴れ予報の日を選んだ結果、GW明けは暫く曇りや雨マークの日があって余り良くないことから、GW中の5月4日に登ることにしました。人気の山故に多少混むかもしれませんが、頂上からの景色を優先に考えると止むを得ません。
2年前に初めて霧訪山へ登った時は、辰野町との境にある小野神社裏の一番短い北小野から登る「かっとりコース」だったのですが、これがいきなり257段の階段があるなど思った以上に急登の連続で、家内は美ヶ原の百曲がりよりもきつかったとのこと。その時に頂上に居合わせた方々から、「距離は長くなるけど、その分こっちの方が楽ですよ!」と教えて頂いた別ルートが、今回登ることにした、塩尻の下西条の「山ノ神自然園」を経由して登る「下西条本コース(山ノ神自然園コース)」です。
最も距離の短い北小野からの「かっとりコース」が1時間10分(山頂までの距離1.6㎞)だったのに対し、下西条からは1時間45分(距離2.6㎞)が標準タイムで、標高差はかっとりコースの430mに対し今回は515mとのこと。標高差はこちらの方がありますが、距離が長くなる分、かっとりコースよりも急登部分が少ないのだそうです。霧訪山は1305mという“山国信州”の中では低い里山ですが、標高差500mで結構な急登部分もあるので、手軽に登山気分が味わえますし、山頂からの360°の眺望が人気の山。

 天気の関係でGW中となったため、駐車場確保が心配なことから早目に出掛けることにして、7時半に自宅を出発。塩尻ICで降りて、ナビを頼りに「山ノ神自然園」へ、下西条の集落の中の狭い生活道路を通過してリンゴや桃などの果樹園エリアを通り8時に到着しました。すると、確かに既に10数台の車が停まっていましたが、入口には2ヶ所、白線で駐車スペースがしっかり区画された合計30台近い駐車場がありました。これならGW中でも大丈夫そうです。駐車している中には川崎や山梨ナンバーの県外車もあって、その人気ぶりが伺えます。
すると駐車場には自然園を管理されている地元の方も係でおられ、「霧訪山に登るだかい?」と、マップも載った立派なガイドブックをいただきました。事前に塩尻市の観光協会のH/Pからプリントアウトして持って行ったモノと全く一緒。イラストでの登山ルートが描かれたオリジナルのガイドを有難く頂戴し、コースやこの時期に見られる花についても教えていただき、お礼に心ばかりですが登山道整備の協力金をお納めさせていただきました。

入口には二つ無料のトイレもあり、登山準備をして8:20に出発。矢沢川の沢沿いに林道を歩いて、「たまらずの池」近くに在るという登山口を目指します。途中、自然園の名前「山の神」の由来か、「雄床山神社」と書かれた石の鳥居があり、数十段の石段の上に小さな祠が在って、その背後には“神が宿る”磐座(いわくら)の大きな岩が立っていました。確かに岩を神に見立てる様な、神聖な雰囲気が感じられます。 
すると、神社のすぐ近くに何とカモシカが身動きせずにじっとこっちを見ているではありませんか!それ程大きくないので、まだ子供のカモシカなのかもしれません。
カモシカを見るのはこれが三度目です。一度はシンガポールから帰国して、山を知らない子供たちに山の景色を見せてあげようと、上高地のコテージに一泊して小梨平まで歩いた時に、梓川沿いの遊歩道横の崖の上からじっと我々を見下ろしていました。そして二度目は三才山峠。定年前の上田の子会社への通勤時、トンネル手前の旧道脇に佇んでいました。そして今回・・・。
逃げる様子もなくじっとこちらを見つめています。まるで“山の神”の化身の様な孤高の佇まい・・・。魅入られる様に、こちらも5分間程じっとカモシカを見つめていました。
そんなサプライズもあって、普通なら15分くらいだと思いますが、ここまで20分掛かって「たまらずの池」の先の登山口に到着。8:40に登山開始です。
 自然園入口の係の方が、コースの1/3くらいに在る鉄塔までは急な登りが続くと教えて下さった通り、「12曲がり」と登山口に書かれていた九十九折りの急登の狭い登山道が続きます。
 「え~っ!?もう12回以上曲がったんだけど・・・」
 「今日は数えてない。美ヶ原の百曲がりは確か四十八だったけど・・・」

登山道の途中、道端のタチツボスミレや咲き始めたピンク色のミツバツツジ、そして初めて見た小さな尖った花弁が印象的なチゴユリ(多分)、まだつぼみの赤いヤマツツジなどが目を楽しませてくれました。
登り始めて35分、漸く鉄塔に到着。まだコースの1/3しか来ていません。少し水分補給をして早々に出発です。
なだらかな尾根道と、赤松やスギなどの根っこが地面を這う急登などを繰り返し、大芝山への分岐点となる「ブナの別れ」に到着(9:54)。ここまでの登山道はガイドにミツバツツジと書かれていますが、確かに両側にツツジの低木がたくさん見られます。まだ咲いている木は少なかったのですが、咲き揃うとさぞ見事なことでしょう。
暫く進むと目の前に直登の急坂が現れ、「男坂」と書かれています。一方、そこから右側には九十九折で迂回する「女坂」もあり、我々は女坂へ。登り易いということもありますが、それよりも女坂の周りはカタクリの群生地なのです。少し花の時期は過ぎたようですが、まだ所々に薄紫の可憐な花が咲いていました。満開の頃はさぞ見事だと思います。ガイドによると大芝山にもカタクリとニリンソウの群生地があるとのこと。
また男坂と合流した後、ツツジに囲まれた緩やかに上る登山道の先に人影が見え、そこが山頂です。10時15分、1305.4mと書かれた霧訪山の山頂に到着。
登山口からは1時間35分、自然園からは1時間55分。カモシカを見ていたり、途中登山道脇の花の写真を撮りながらだったこともありますが、ゆっくり歩いて来たので、標準の1時間45分のコースタイムよりも10分余計に掛かりました。
 天気予報を見て快晴の日を選んで来たこともあって、この日山頂からは360°の絶景が拡がっていました。北アルプスでは、何と言っても松本からは見ることが出来ない、目の前の雄大な穂高連峰が圧巻です。そして、穂高連峰の右に除く槍の先には、塩尻からだと余り見栄えのしない常念から更に白馬の後立山連峰までが見渡せます。
また、鉢盛山の左には白い御嶽が顔を出していて、目を更に左に転ずると南アルプスの仙丈、北岳、甲斐駒などの名峰が連なり、そしてその左には八ヶ岳。但し、富士山はここからは見ることは出来ないようです。
一昨日雨が降ったので、自宅のマンションからは昨日の方が北アルプスはくっきりと見えていましたが、この日は少し霞みが掛かっているものの、ここでしか味わえない360°の絶景です。
GWということもあって、この日狭い山頂には10人程の先着の登山者がおられ、更に次々に登って来られます。中にはGWの明日以降北アなどに向かうのか、先ずはその前の足慣らしと思しき方や、トレランの訓練という若い方もおられ、そういう登山者は直ぐに下山されて行かれます。すると10人程の若者のグループが登って来て、松工(松本工業高校)の登山部とのこと。引率の二人の先生と記念写真を撮ってから、足早に大芝山への周遊コースに向かって下りて行かれました。
我々は、ここで行動食を食べ、周囲の絶景とこの山頂に咲くオキナグサの写真を撮ったりしながら、30分程滞在して10時50分に下山開始。1時間15分で登山口まで下山して来ました。下りは今回は二人共ポールを使って下りてきましたが、家内もやはり楽だったとのこと。
そこから林道を歩いて自然園へ戻ります。すると、途中の雄床山神社の大岩「磐座」の上に、またカモシカがいるではありませんか。岩の上に凛々しく立つカモシカは神々しい程で、本当に“山の神”の化身なのかもしれません。感動モノでした。
 今回の二度目となる霧訪山登山。前回は北小野の「かっとりコース」、今回は「下西条本コース(山ノ神自然園コース)」。
個人的には、歩きながら登山道脇に咲く色々な花を見ながら登れる、今回の下西条の山ノ神自然園から登るコースの方が楽しく感じました。一方、登山としての足慣らしには、小野からの「かっとりコース」の方が急登の連続で良いかもしれません。家内はもう「かっとりコース」はイイそうですが・・・。
但し今回のコースも、「前回よりもナルイ」という私メの事前情報は間違いで、結構きつかった由。
とはいえ、天気にも恵まれたこともありますが、山頂からの期待通りの絶景と、そしてサプライズの“山の神”との遭遇もあったりと、二人共大いに楽しめて、下山後も心地良い疲労感に包まれた、そんな二度目の霧訪山登山でした。
それにしても、この霧訪山。前回のかっとりコースは両小野中学の子供たちが、そして山ノ神自然園は地元下西条の有志の方々が、それぞれ“おらが山”や地元の自然を愛してしっかりと整備し大切にされていることを実感し、感激しました。その恩恵に浸ることが出来て、本当に有難く感じました。
(余談ながら、そうした恩恵を実感すれば、インバウンドであれ、観光地でのゴミは捨てずに自身できちんと持ち帰れる筈なのに・・・)
そして、次回はカタクリの満開の頃、もしくはミツバツツジが咲き乱れる頃に、今回と同じ下西条コースでまた霧訪山に登ってみたいと思います。
地元の係の方はもう帰られた様で、駐車場には誰もおられませんでしたが、
 「ありがとうございました!」
お礼を言って、自然園を後にしました。

 先日、城山公園の「憩いの森カフェ」で休憩した時に、頼んだカフェラテのカップが素敵で気に入った家内が、マスターにお聞きすると茅野市在住の陶芸家の作品とか。こちらのカフェではギャラリーも兼ねているのですが、その方の作品は無かったので、ネットで調べてみると茅野市の八ヶ岳の麓に陶芸作品などのギャラリーを兼ねた古民家カフェがあり、紹介記事の写真の中に似た様な器が写っていたので、行ってみることにしました。
家内は、次女の横浜に行っていない時は、ほぼ毎週お義母さんの世話に茅野の実家には行っているのですが、その時だとなかなか時間が取れないからと、その八ヶ岳山麓の古民家カフェでのランチと併せて、街に下って諏訪の角上魚類にも寄って買い物をして来ることを条件に、茅野まで一緒に出掛けることにしました。

 その古民家カフェは茅野市湖東(「こひがし」と読みますが、諏訪湖畔ではなく八ヶ岳山麓に拡がるエリアで、国宝土偶“仮面のヴィーナス”が出土した「中ッ原遺跡」も同地区内)にある「陶仙房」という店名。
昭和初期の趣ある農家を改装し、陶器やガラス、漆器、木工など、地元作家の作品を展示しているギャラリーカフェです。陶芸教室なども併設されていて、県外からも訪れるという人気のカフェだそうですが、カフェは金土日しか営業していないとのこと。
初めてなので、ナビに住所をセットして行ったのですが、大体のイメージでは尖石考古館の上の方という認識で、ナビを頼りに車を進めます。
四駆の軽のナビが検索しにくいので家内にナビゲーターを任せ、その案内で走って行くと、何だかだんだん一年前に亡くなった父方の叔父の家の方に近付いて行きます(住所は確かに湖東なのですが)。
曲がるべき道を通り越して、少し走ってUターンして引き返してきたのですが、その途中に間違いなく叔父の家・・・。
 「おいおい、ここ叔父の家だってば!」
すると家内曰く、
 「そう云えば、この前叔母さんが家のすぐ近くカフェがあって、最近凄く人気みたいだから、一度来てみたら!って言ってた・・・」
そうと知った“After”は、まるで“何ということでしょう!?”でした。

集落の狭い道を少し上って行くと、看板があり到着。広い空き地の様な駐車場に車を停め、畑脇の木道の様なアプローチの小道を歩いて、古民家へ向かうと、「陶仙房」の看板が入口に在りました。
玄関を開けると、土間の様なスペースがギャラリーになっていて、陶器などが並べられていました。
店内は古材を活かしたウッディーな雰囲気。幾つか古いテーブルが置かれて、既に何組もお客さんがおられます。窓側の二人用の席に案内いただきました。
先に、お昼のランチメニューの中から「里山の四季のおにぎりプレート」と「陶仙房の石窯パンプレート」(各1100円)と飲み物(ランチと一緒だと、△50円引きとか)を注文して、待つ間、ギャラリーの展示品を見させていただきました。残念ながら、城山のカフェのカフェラテ用に使っていたカップはここに展示されている作品では無いようです。
 こちらのランチは、陶仙房の畑で採れた野菜や地元農家の安心安全な有機野菜、食材等が使われているそうで、両方試せばと思い頼んだ、家内のおにぎりプレートと私メのパンプレート。
サーブされた時に、スタッフの方が料理と食材の説明をしてくれました。
「陶仙房の石窯パンプレート 陶仙房の石窯パン2種とキッシュ、地野菜のプレート」は、石窯で焼いたという自家製パンと、そのパンに付けるのは何とほうずきジャム。そして野菜が入ったキッシュと蓼科千年豆腐という地元の豆腐の厚揚げに素揚げ野菜。汁物にポタージュスープ。そしてデザートにリンゴゼリーも付いています。
一方、「里山の四季のおにぎりプレート」は、地元産の米と黒米のおにぎりと季節の地野菜、千年豆腐の和のプレートで、梅漬けを混ぜた地元産のお米と古代米のおにぎり。玉子焼きにかぼちゃの煮物と小豆。千年豆腐の厚揚げと自家製の凍み大根の炊き合わせ。同じく素揚げ野菜、そして蕗、葉ワサビなど旬の野菜の煮物やおひたし。お味噌汁。同じくデザートにリンゴゼリー。
タマゴは使ってはいますが肉や魚類は一切使っておらず、ベジタリアン向けの料理とでも言えそうなヘルシーランチです。
家内から古代米のおにぎりを半分貰いましたが、上に載せられた蕗味噌が良いアクセントで美味しかったです。また、野菜のお浸しの中にあったのがカンゾウとのことで、最初に説明ただいた時に驚いて、思わず聞いてしまいました。
 「えっ、カンゾウって野山にあるヤブカンゾウですか?」
 「はい、庭のその辺りに出ています。新芽が食べられるんです。」
と、窓から見える庭や畑を指して教えてくれましたが、全く知りませんでした。ヤブカンゾウ(或いはノカンゾウ)は野山や畑や道路の脇など、それこそどこにでもある雑草で、夏頃、ユリに似たオレンジ色の花を咲かせます。お浸しは、何となく“匂いの無いニラ”とでも言えそうなシャキシャキした食感で、家内は美味しいと言っていました。それにしても、誰にも見向きもされないあの道端のヤブカンゾウとは・・・。一つ勉強になりました。
まぁ、ハーブが日本でブームになる前に、フランスで“春告げ草”として人気のハーブの種を取り寄せて植えたら、日本でもそこら中に生えている西洋タンポポだったという逸話を、ハーブ研究家の女性の方が書かれたエッセイで昔読んだことがありますが、うーん、そんなものかもしれませんね。
(「陶仙房」に向かうアプローチ脇のヤブカンゾウの群生。ここのを採ったのではないと思いますが、それこそそこら中に普通に生えています)
また、家内に寄れば、茅野市の凍み大根が以前TVで取り上げられていたそうですが、もしかしたらこの「陶仙房」だったのかもしれないとのこと。
昔はどこの農家でも厳冬期に春からの農作業での“お小昼”用に凍り餅を作っていましたが、この凍み大根は我が家では見たことがありませんでしたが、茅野では一般的だったようで、こちらも野菜が無い時の保存食なのでしょう。大根は凍らせることで細胞が破壊され、煮ると生よりも味が滲み易くなります。いずれも、茅野が全国的に知られる寒天の産地の様に、冬の寒さを活かして江戸の昔から伝えられてきた、云わば“フリーズドライ”食品です。凍み大根は、いずれも自家製というほうずきジャムなどと一緒に店内でも販売されていました。
「陶仙房」のランチプレートはどちらも見た目以上のボリュームで、結構お腹が一杯になりましたが、県外からの方々も含めどうやら「おにぎりプレート」の方が人気の様でした。
食後のドリンクに選んだのは、私が陶仙房石窯焙煎というオーガニック豆 の浅煎りコーヒー、家内がアッサムティー(ポット)で、暫しのんびりした時間を過ごすことが出来ました。

 それにしても、蓼科がいくら人気の別荘地とはいえ、街中からは結構離れたこんな田舎の集落の中に、県外からも訪れるという人気のカフェが在る、しかも叔父の家とは目と鼻の先だったなんて・・・大いに驚いた“発見”でした。
今度、叔父のお墓にお線香をあげがてら、また「陶仙房」に来ようと思います。

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