カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 9月末、奥さまのリクエストにお応えして、今年も新栗のモンブランを食べに秋の小布施に行ってみることにしました。
行先は小布施の栗菓子店の一番の老舗、桜井甘精堂の洋菓子産門である「栗の木テラス」です。
 栗で知られる小布施。
室町時代に始まると云われる小布施の栗の歴史は、当時この地方の領主だった荻野常倫が、故郷の丹波から栗を取り寄せて植えたのが始まりと伝えられています。小布施の土壌が栗の栽培に適していたため、江戸時代には既に栗林が拡がっていて、小布施栗は品質が良く美味という評判を取り、毎年秋に将軍家への献上品となってその名を天下に広めたといわれています。そのため、俳人小林一茶が「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と詠んだ様に、秋に将軍家へ献上されるまでは、庶民は落ちている栗を拾うことさえ許されなかったのだとか・・・。

 そして、この栗を用いて初めて菓子を作ったのが桜井甘精堂の初祖、桜井幾右衛門。桜井甘精堂のH/Pからお借りすると、
『栗を粉にひいて作りあげたのが「栗落雁」。文化5年(1808)のことでした。画期的な「栗落雁」の創製によって、二百年にわたる伝統を誇る栗菓子づくりがスタートしたのです。
江戸で名声を得た小林一茶が、故郷・信州に帰り、小布施で盛んに句会を開き始めた文化五年。この地の桜井幾右衛門は、その年、初めて栗菓子「栗落雁」を創った。これが弊堂の始まりであり、小布施栗菓子の始まりでした。
そして北斎が名画「富嶽三十六景」を世に出し、江戸で活躍していた文政二年(1819年)に、弊堂の初祖・幾右衛門の弟・桜井武右衛門は、他に類を見ない栗だけの「純 栗ようかん」を創製した。
また島崎藤村が小諸で教鞭を取り、小説家としても「千曲川のスケッチ」を書き始めた明治二十五年(1892年)には、五代桜井佐七は、栗と栗あんだけの「純 栗かの子」を創製した。』
この様に、小布施の栗菓子の歴史は桜井甘精堂の歴史と言っても過言ではないでしょう。そして、その桜井甘精堂の洋菓子部門が「栗の木テラス」なのです。

 私たちが初めて小布施を訪れたのが2013年で、その時は話題の小布施堂の新栗の和点心「朱雀」を食べるためでした。その後この「朱雀」は更に人気が沸騰し(値段も沸騰して、当時一個千円が今では2千円)、今では一ヶ月間の期間限定で事前予約でしか食べられなくなりました。
私たちは、この「朱雀」は凭れてしまい(一人一個は多過ぎて、多分二人で一個でも充分でした)、それ以降は桜井甘精堂の小振りのモンブランに変更。
さすがにコロナ禍は無理でしたが、ほぼ毎年の様に新栗の時期になると秋の小布施への小旅行を楽しむのがささやかな私たちの恒例となりました。

 10月3日オープンの「イオンモール須坂」が長野東須坂ICのすぐ横に出来上がっていて、隣にはルートインホテルも建っていました。この「イオンモール須坂」は松本店の1.3倍の広さで、県内最大級とのこと。これまでイオンモール松本でも結構目立っていた長野ナンバーの車がこちらに来るようになれば、松本店は今までよりも多少は空くのでしょうか。そうなれば地元民としては有難いことです。
この日は未だオープン前でIC付近に渋滞は無く、ナビの指示はここで高速を降りて須坂市内を走るルートだったので、途中須坂の産直に寄って果物と野菜を購入してから小布施に向かいました。
 桜井甘精堂「栗の木テラス」の駐車場に車を停め、バニラエッセンスの香りが漂う洋菓子工場の脇の小路を通って店舗へ。到着時刻は10時15分で開店時間の10時を既に過ぎていたので、奥さまが順番取りに先に行っていたのですが、店内は10卓くらいですので40席程でしょうか。栗の木テラスは予約が出来ないので、この新栗の季節は平日でも開店前から順番待ちの行列の筈。
ですので一巡目は無理かと思ったのですが、先に来て店舗の前で待っている筈の家内が居ません。すると店の中から出て来て、ナント待たずに座れたとのことでビックリ。それぞれ新栗のモンブラン(600円)と、家内はアールグレイの紅茶(650円)と私はトラジャのコーヒー(700円)をオーダー。こちらの紅茶とコーヒーもそれぞれポットで供され、ちゃんと冷めぬ様にポットカバーも掛けられていて、量も優に3杯分近くあるので非常に良心的。また必ず入店した順番で注文を取り、その順番でサーブしてくれます。
その後次々にお客さんが来られて、すぐに5組程が順番待ちになりましたので、たまたまこの日の我々は単にグッドタイミングだった様で、新栗モンブランの人気も相変わらずの様です。
モンブランは濃厚な栗ペーストがたっぷりと載せられ、タルト生地の上に固めのカスタードクリームを包んだ生クリームが隠れています。
決して大きくはないケーキですが、寄る年波か或いは辛党故か、全部食べ切れず(無理すれば食べられますが、そこまでして食べる気になれず)、半分食べたところで奥さまへ。すると、食べ終わった奥さま曰く、
 「もうお腹一杯だから昼食は要らない!今日のランチは抜くからネ!!」
 「えっ、ウソ!?」
お昼には小布施でお蕎麦でも食べて帰ろうと思っていたのですが、自ら墓穴を掘ったとはいえ、当てが外れてしまいました。
桜井甘精堂の駐車場は、2千円以上で2時間無料。今回は順番待ちで並ぶことも無かったため、食べ終わってもまだ1時間半近く余裕があったことから、せっかく来たので小布施の街を少し散策してみることにしました。
小布施は、江戸時代に豪商髙井鴻山が庇護した晩年の葛飾北斎が小布施に滞在していたこともあって、栗と北斎での町おこしで人気の観光地。
また、長野県内で一番面積の小さな自治体(逆に人口密度は一番高い)ということもあり、街も小さくて歩いて回れるコンパクトさもあってか、取り分け女性グループに人気です。
個人的には、小布施では中島千波館が気に入っているのですが、今回の企画展には余り興味が湧かずパス。北斎館も岩松院も見たことがあるので、特に他に行く所も無し。そこでオープンガーデンを見ながら、栗の小径を少し歩いてから帰ることにしました。
朱雀の小布施堂は相変わらずの大混雑。北斎館に相対する「傘風楼」は小布施堂のイタリアンとカフェで、ここにも朱雀風のモンブランがあります。どちらも枡一市村酒造が手掛けていて、他にも酒蔵を活かした和食店や日本酒のカウンターバー、更には宿泊施設もあるなど、なかなかの商売上手。因みに、髙井鴻山は市村家の12代当主(因みに高井姓はその善行に依り代官から賜ったという、今も上高井郡と下高井郡と名を残す、この一帯の地域名)。
この「傘風楼」の辺りから、栗の木の端材をレンガの様に敷き詰めた「栗の小径」が始まり、途中解放されている民家やお店の手入れが行き届いたオープンガーデン見させていただきながら、最後蒸米を作るための赤レンガの煙突がある酒蔵「松葉屋本店」の中を通り抜けて駐車場に戻りました。コンパクト故、この街歩きも僅か30分足らず。秋の風情を感じながらの栗の小径の小布施の楽しい街歩きでした。
 帰路、“田毎の月”で知られる姨捨SAに立ち寄り、小布施で食べ損ねた蕎麦の代わりにレストランでキツネそばを食べ(一応二八の由)、棚田越しの千曲川が流れる善光寺平を眺めてから、コユキとクルミが待つ松本へ戻りました。

 二泊三日の軽井沢旅行最終日。
もうアウトレットで買うモノも無いという娘夫婦の話もあり、ゆっくりと昨夕ハルニレテラスの「沢村」で買ったパンで朝食を食べ、それから各々ホテルの温泉に入るなどしてチェックアウトまで時間を有効に使いながら過ごし、娘がこの日のランチに予約してあるという「ピレネー」という旧軽のレストランへ向かいました。

 ピレネーは軽井沢の名所でもある、紅葉の名所雲場池近くの六本辻の六差路交差点のラウンドアバウト(Roundabout)、所謂環状交差点に在るレストランだそうです。
因みに、シンガポールにもニュートンサーカスと呼ばれる環状交差点があって、赴任した当初は慣れずに戸惑ったものです。この“サーカス”という名称は、ピカデリー・サーカスに代表される英国風のラウンドアバウトの呼び方ですが、この「サーカス(circus)」というのはラテン語で「円(circle)」という意味から来ているのだとか。
ラウンドアバウトで最も有名なのは、パリの凱旋門を取り囲むエトワール広場でしょうか。12本もの道路が交差する環状交差点で、パリに来て間もない若手の赴任者が、出張者を迎えに行って凱旋門を抜けられず、段々中心に追い詰められて行ってしまったという謂わば伝説になっていました(作り話ではなく、実在のその当人は私よりも後輩で、出張者の送迎は若手赴任者の仕事でした)。
でも慣れれば或る意味単純で、(英国風に車が左走行時では)左折のみの一方通行なので、右から来る車が優先。次から次へと車が来る間は待つしかありませんが、信号で何差路を捌くよりも、結果は渋滞を避け、信号よりも遥かに短い時間で車の往来を制御可能な印象を持ちました。そして、この旧軽の六本辻のラウンドアバウトも、10年程前に渋滞緩和策の社会的実験として始まったのだそうです。
 さて、そのラウンドアバウトの六本辻の交差点に面した、林に囲まれた一軒家のビストロ「ピレネー」。
このピレネーの駐車場に入って行く道も六本辻のラウンドアバウトから直接入るので、実際には六差路ではなく七差路とも言えなくもないのですが、しかも結構狭くて、アルファードはギリギリです(こちらの道は侵入のみの一方通行で、駐車場からの出口は別にあります)。
さて人気ビストロだという「ピレネー」。店のH/Pから拝借すると、
『2004年4月、軽井沢・六本辻に誕生した一軒家のレストラン。
フランス南西部とスペイン東部を結ぶピレネー山脈では、素朴で心温まる料理が受け継がれてきました。軽井沢「ピレネー」のイメージの源はピレネー山脈を仰ぐ一軒家。店内に足を踏み入れると 存在感溢れるシュミネ(調理用暖炉)が出迎えます。
薪のおき火でじっくり炙られるのは、信州の千代幻豚や赤身肉の熟成牛、若鶏など その時期イチオシの厳選素材。焼き上がりを待つ至福の時間は、4000本以上が並ぶ自慢のワインセラーから運ばれるワインと、自家農園の無農薬野菜や日本海直送の魚介類が奏でる珠玉の前菜でお楽しみください。』とのこと。
 ホテルを既にチェックアウトして来たので、この日は当然ワンコたちも一緒。こちらのピレネーでは、屋根付きのテラス席とテラス席外の庭にもパラソル付きのテーブル席が設けられていて(雨の日の庭の席はちょっとキツイかもしれませんが)、ワンコと一緒に食べることが出来ます。なおランチは大丈夫ですが、ディナーでは子供は7歳以上とのことですので、ディナーには我が家は当分来れそうもありません。
室内には大きなシュミネと呼ばれる大きな調理用暖炉があり、薪の火でメインディッシュがじっくりと焼かれ、その暖炉の前に置かれた大皿に10種類近い前菜が盛られています(4枚目からの7枚目までのレストラン室内の写真は、H/P等から拝借しました)。
ランチは、暖炉で焼かれるメインディッシュを頼むと、このブッフェでの前菜と、ピレネーサラダとバゲットのパンがそれぞれ付いてきます。
予約で確保頂いていた席が4人掛けのテーブル席二つだったので、それぞれのテーブルに分かれて座ります。木々の茂った林の様な中庭に置かれたテーブルで、軽井沢の中心街である旧軽の六本辻交差点、六差路のすぐ横だというのに車の喧騒を全く感じないのが不思議で、木々の中にいると如何にも軽井沢の林の中に佇んでいる様な感じがします。
我々のオーダーは、娘と家内が半身の若鶏(4200円)、婿殿と私がアンガス牛のサーロンインステーキ(5500円)。どちらも暖炉の薪の火でじっくりとローストされています。
因みに、4歳以上10歳未満の子供用には、お子様用前菜ブッフェ(1200円)もある様です。孫たちは3歳以下のため、大人とブッフェを共有することで今回は不要。そのため、子供用には季節のポタージュスープ(400円)をそれぞれオーダーしました。
 先に、ブッフェの前菜を取りに行ったのですが、サラダやマリネ、スモークサーモン、手羽焼き、ポテトグラタンなどなど・・・。これがどれも美味しいのです。メインディッシュ無しで、これだけでも十分な気がする程です。ついぞ、二皿お代わりしてしまいました。更にバゲットも中がもっちりしていて、しっかり小麦の味がする・・・。
そして運ばれて来たメインディッシュ。若鶏とサーロンイン。フロアスタッフの方から、「にんにく醤油も美味しいので、お好みでどうぞ!」とのことですが、ステーキはシンプルに塩コショウだけで充分。薪でじっくりと炙られているので香ばしく、如何にも肉!といった美味しさでした。
若鶏も皮がパリパリで、肉はジューシーでローストされた旨味がたっぷり。しかも若鶏なので柔らかいことといったら・・・。こちらにはニンニク醤油を少し付けると、味変でまた違った美味しさが味わえます。それにしても、半身とはいえ若鶏の大きさといったら半端ありません。結局添えられているフレンチフライは食べ切れませんでした。最後スタッフの方にその旨謝ると、
 「いえ、大丈夫です!結構残されるお客さん、多いんですヨ!」
もしそうでしたら、女性向けには半身の半身、1/4身のクォーターサイズで十分。もしメニューに加えて頂ければ、きっと女性は喜ぶかも・・・。或いは、ご当地佐久地方の名物、若鶏の“むしり”風のモモでも良いかもしれません。
 なお、娘曰く、ここの大葉とニンニク風味のミートソースのピレネー風パスタ(3000円)が、ランチのメインディッシュとしても人気なのだとか。ブッフェの前菜は必須(だと思いました)なので、カップルなら肉類どれか一つとそのパスタで十分なのかもしれません。二人でシェアするならおススメは若鶏でしょうか。娘と家内は、若鶏ではなく信州千代幻豚のソーセージ(4200円)でも良かったと後悔していました。
 いやぁ、美味しかったし満腹になりました。そして何よりも、この如何にも軽井沢らしい美しい緑の林の中で、避暑地軽井沢でも連日30℃超えの戸外にいることを感じさせない涼しさで、むしろ爽やかさを感じながらのランチでした。
 「うーん、これぞ軽井沢!」
軽井沢の最後に、娘のチョイスで如何にも軽井沢らしい食事を楽しむことが出来ました。しかも娘たち夫婦が二週間のお礼にと、ご馳走してくれました(おかたじけ!)。

 「ピレネー」。予約が必須の軽井沢の人気店の様ですが、また是非来たいと思います。

 婿殿が軽井沢に来た日の夕食です。
当初の二泊三日の予定が、急な病院での都合もあって一泊二日になってしまったのですが、唯一の信州での夕飯ですので、ここは満を持して婿殿が好きな「信州そば」にしました。

 彼のスケジュールが直前まで確定出来ずに二転三転したため、次女も文句を言いたげでしたが、それは親が口出すことではないので夫婦間に任せ、こちらは孫たちとケセラセラ・・・。
しかし蕎麦屋さんは軽井沢もご多分に漏れず、信濃追分エリアにも「きこり」や「ささくら」といった人気店があるのですが、昼間のみの営業という店が多いのです。
そうした中で、娘が幾つも検索したり直接電話して確認したりした結果、夕食で予約出来たのが、旧軽に本店を構えるこちらも人気店の「川上庵」でした。
娘たちは東京にも展開している「川上庵」の麻布店で食べたことがあるそうですが、蕎麦好きな婿殿は余り感心しなかった由。しかし他に夕食で食べられそうな蕎麦店も無く、且つ「川上庵」は有難いことに予約が可能なので、今回は旧軽の本店ではなく、中軽の「ハルニレテラス」にある「川上庵 せきれい橋店」を予約してありました。

 人気の観光スポットである星野リゾートの「ハルニレテラス」は、「おもちゃ王国」での行き帰りなどで横を通ることもあったのですが、この日の昼頃はどの駐車場も満車で停められず、駐車場探しに苦労している県外車を何台も見掛けました。
そのため早目に夕刻5時の予約としたのですが、駐車場が一番の心配でした。
「おもちゃ王国」の帰り、「白糸の滝」と旧軽の別荘地エリアを回って時間を使いながら、時間近くになって中軽の「ハルニレテラス」に向かうと、幸い一番近い駐車場に空きがあり、すんなりとアルファードも停められて先ずは一安心。
以前、ここの川上庵には多分娘と(多分その時は長女)ナナを連れて昼食に来たことがあり、ワンコ連れだったためにテラス席で蕎麦を頂いた記憶があります。座ると、すぐにワンコ用の水を持って来てくださり、「さすがはDog Friendlyの軽井沢!」と感心したことを覚えているのですが、一方で、私メの当時の記憶だと、東京での婿殿と同様、評判程には蕎麦自体を美味しく感じたという記憶は残念ながらありません。
 軽井沢の清流湯川沿いに自生していた100 本を超えるというハルニレ(春楡)の間を縫うように、湯川の流れに沿って連なる9棟の 建物をウッドデッキでつないだ「ハルニレテラス」。
ここは「星のや旅館」に始まる星野リゾート発祥の地であり、湯川の清流がすぐそばを流れ、都会から来れば本当に信州の高原らしさを感じられるエリアで、我々も何度も来ているのですが、観光客の人気を集めるのも納得です。
予定通り夕刻5時に店へ伺い、先ずは先に子供たち用に、揚げ出し豆腐、鶏もも肉の粗塩焼き、だし巻玉子を注文。
我々はその上で、メインの蕎麦は家内が鴨せいろ、婿殿は天せいろ、娘がクルミだれせいろ、私メは普通のせいろを、娘たちと私メは大盛りで注文したのですが、大盛りは無く、通常の一段(せいろ一枚)を二段でとのことでしたが、二段重ねではなく一枚ずつ出してくださり、一枚目を食べ終わった都度のタイミングを見計らって、二枚目をサーブして頂ける由。
軽井沢を含めたこの上田佐久の東信地方も、昔私が地酒の美味しさに目覚めた「福無量」(沓掛酒造)をはじめ、江戸時代から続く様な歴史ある酒蔵や、クラフトビールを代表するよなよなエールのヤッホーブルーイング、そしてマンズワインやヴィラデストといった千曲川ワインバレーを構成するワイナリーなど、千曲川水系や霧ヶ峰からの美味しい水や、日当たりが良く水はけの良い土壌を活かした美味しいお酒に恵まれたエリアでもあります。ですので、本来蕎麦屋の流儀である“そば前”でビールや地酒を注文したいところ。しかし奥さまが(免許証もちゃんと持って来ているのですが)、「絶対にアルファードは運転したくない‼」との仰せ。そのため、止む無く私メはノンアルにして、婿殿には本場よなよなエールの「水曜日のネコ」を頼んで貰いました。
一品料理はどれも美味しかったのですが、石臼挽きの二八蕎麦は思いの外太目でゴワゴワしていて、二八本来ののど越しというよりも噛んで蕎麦そのものを味わうといった蕎麦でした。従って、人によって好みが分かれる蕎麦、でしょう。個人的に十割よりも二八を好む理由は、何と言っても二八蕎麦の(例えば、十割も九一でもなく、二八のみの「翁に代表される様な)やはり“のど越し”であって、その意味でここ川上庵の二八は私の好みとは言えませんでした。
因みに、日本三大蕎麦の一つにも数えられる戸隠蕎麦は、本来(蕎麦粉よりも小麦粉の方が当時の戸隠では贅沢品だったため、宿坊に泊まる参拝客へのもてなしとして小麦粉の分量を敢えて増やした)七三なのですが、小麦粉が3割以上になると、例えどんなにのど越しが良くても個人的にはどうしても蕎麦ではなくて、むしろうどんを感じてしまいます。
 しかし、ではガッカリしたかというと、この「川上庵」の真骨頂はその蕎麦のみに非ず!
この店の一番の素晴らしさは、何と言ってもスタッフの質の高さ(=教育、指導の賜物)ではないかと思うのです。
席に着いて、手荷物一つ、またおしぼりのウェットティッシュと一緒に供された夏の冷茶然り。そして注文したオーダー品や、一段目を食べ終わっての大盛りの代わりの二段目の提供もまた然り。
例えば、注文の時に皆で相談しながら「くらかけ豆(鞍掛豆)のお浸しも頼もうか!?」と皆で話していたら、たまたま横を通り掛かった男性スタッフが耳にしたらしく、すぐさま、
  「申し訳ありません!くらかけ豆はもう終わってしまいました!」
また、手持ち品を入れてあった足元の籠を、「埃とかが掛かってはいけませんので」と言って、カバーの布を丁寧に全面にきちんと駆け直してくれました。
また冷茶にも目を配りながら、客への声掛けの上で、必要ならすぐに継ぎ足して注いでくれるのです。
ことほど左様に、スタッフの皆さんが「目配り、気配り、心配り」で、常に客に目を配らせている感じが見て取れるのです。しかも客と相対する雰囲気には決して押しつけがましさもわざとらしさもなく、極々自然でさりげない・・・。
客にとって居心地の良い店内の雰囲気は、落ち着いたインテリアや料理以上に、むしろこうしたスタッフの様子が醸し出しているのではないか・・・。そんな風にさえ感じられるのです。
  「うーん、さすがだなぁ・・・」
食べ物の印象以上に、“味わえた”店の雰囲気に個人的には大いに感心したのでした。
失礼を顧みずに勝手な想像で云わせていただくならば、もしかすると軽井沢のこうした老舗店は、私たちの様な一見の客ではなく、一家言を持ち、ある種“小姑”の様な厳しい別荘族に(例えば嘗ての華族が使用人を躾ける様に)長年育てられて来たからなのかもしれない・・・とさえ感じられたのです。
 食べ終わり、清算を済ませ、ジャムで有名な沢村がハルニレテラスにも「ベーカリー&レストラン沢村」を出店しているので、明日の朝食用にパンを購入しようと外に出ると、突然雷が鳴って急に土砂降りの雨になりました。そのため、止む無く出たばかりの「川上庵」の軒先を借りての雨宿りを余儀なくされてしまいました。
暫くすると、清算時に駐車料金の無料扱いの手続きをしていなかったことを思い出し、中のレジに戻って手続き(こちらの駐車場は駐車券が無く、入庫時にナンバーが記録されているので、店での購入額に依ってレジで4時間無料のQRコードを印刷してくれ、精算機に自分車のナンバーを入力して店の発行するQRコードをかざすと処理が終了します)をすると、すぐに対応してくれ、
  「気になさらずに、どうぞ雨が止むまでそちらで雨宿りしていただいて結構ですので・・・」
大変ありたかったのは勿論なのですが、ウーンさすが・・・と、ここでもスタッフの心配りに唸らされたのでした。
 突然の夕立での雨宿りは30分程だったのでしょうか、小降りになったので、家内の持っていた日傘で子供たちを保護しながら、皆でベーカリーの「沢村」に移動して明日用のパンを購入し、お陰さまで無事駐車場まで濡れずに行けて、ハルニレテラスを後にすることが出来ました。

 何とも感心しきりの、この日の「川上庵」でした。

 今回の軽井沢滞在中に行った中で、個人的な“軽井沢グルメ”のご紹介です。
先ずは、これまで希望しながらも一度も来られなかった、念願の「御厨」の朝食を食べに皆で出掛けました。
「御厨」は『里山のふもとで、かまどの煙突から煙がもくもく「田舎のおばあちゃん家に帰って来た」と感じて頂けるお店を作っております。薪をくべてかまどでお米を炊き上げます。地元の食材と一緒においしい朝食や昼食を楽しめる』古民家を改装した農家レストランとのこと。
以前は朝から人気の行列店だったのですが、今年の4月より予約のみに変更されたとのことで、大分前に娘の希望を受けて、家内が週末を避けて平日のこの日の朝7:45に予約をしてありました。
婿殿の軽井沢滞在が予定より一日短くなり、この日の軽井沢入りが9時で予約時間に間には合わず、しかし予約変更も難しかったことからそのまま一名減で伺うことにしました。

 ドッグビラのある信濃追分から、「御厨」のある発地(その先に人気の「発地市庭」があります)までは30分弱でしょうか。
聞けばこの「御厨」は、東信地区を中心に松本店も含めて現在4店舗を展開するベーカリー「Cocorade(ココラデ)」を手掛ける、小諸市が本拠の「(株)あんでーくっく」という会社が運営する農家レストランで、この会社は元々は給食事業やお弁当からスタートしたのだそうです。
9年くらい前にスタートしたこの「御厨」は、かまど炊きのご飯の朝食がウリの観光客に人気の行列店で、これまでに何度か横を通る機会があったのですが、残念ながら今までこちらに来る機会はありませんでした。因みに“Dog Friendly”な軽井沢らしく、ワンコ連れもテラス席で食べられるとのこと。
予約時間の7:45分の少し前に着くと、7時15分からのスタートということで、既に駐車場は殆どが県外車で、数台分を残して一杯。何とか苦労してアルファードを停めて、案内されたのは土間の椅子席ではなく、靴を脱いで土間から上がる座敷のテーブル席。
子供用の小さな椅子も用意してくださり、子供は無料で、きっと一番出汁を取った後の鰹節を使ったであろう、自家製のカツオのふりかけとご飯とお味噌汁を用意いただけるとのことで、合わせて子供用にだし巻き玉子と男爵芋のコロッケもオーダー。
大人は、私と娘が玉子かけごはん(1620円)、奥さまはとろろ汁膳(1680円)を注文しました。
 女性の店員さんは、昔の田舎のオバサンを連想させる様な皆さん白い割烹着を着てキビキビと動いておられ、案内や精算を担当される男性も含め、親切丁寧で気持ちの良い接客ぶりです。
私たちより先でほぼ同時に入られた隣のテーブルの家族連れに対し、先にこちらに注文伺いに来られてから、「あっ、そちらの方がお先でしたかね」と言われて先に対応をされるなど、店としての応対もキチンとしています。
土間から上がる板の間の小上がりには囲炉裏がしつらえられていて、土間から続く勝手場には昔懐かしいかまどが何台か並んでいて、薪と鉄窯で盛んに御厨の目玉であるかまど炊きのご飯が炊かれています。
 最初に子供たちのご膳とだし巻玉子とコロッケを運んでいただきました。
大人用の朝食のかまどで炊いたご飯は、昔懐かしいおひつに入れられて食卓へ。農業も手掛けるという会社が、隣の田んぼ等で合鴨農法で育てたというお米をかまどで炊いたご飯。
当然期待していたのですが、ところが何だか変・・・。
というのも、粒立っていない・・・、ツヤツヤしていない・・・、べちゃっと米粒がくっ付いている・・・・。これって、何だかオカシイ・・・。
土間の続きのお勝手で、かまどで炊いているのは見ての通りで間違いない。実際に今もお釜二つがかまどに載せられていて、男性のスタッフが付きっきりで薪をくべたりして世話をしています(かまどの写真は「御厨」のPR記事から拝借しました)。
何年も専門でやっていれば、「始めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るな!」に代表される様な、それこそ昔のかまどの在る家庭では当たり前だった“かまどでの炊き方”には精通して熟知している筈で、間違える筈もありません。
少なくとも斯く言う私メも、生まれた江戸期からの茅葺の家で、それこそ亡きお婆ちゃんから「米一粒だって、お百姓が一年間丹精込めて育てなきゃ採れないだで、無駄にしちゃいけんゾ!」と言われて育ち、我が家の田んぼで採れた天日干しのお米で、後年薪で炊くのは大変なので電気釜に代わりましたが、それこそ幼少期には未だかまどで炊いたご飯が当たり前だったので(かと言って、必ずしも米の味には然程私自身はウルサク無いのですが)、イヤが応でも、子供の頃毎日食べたこの舌が間違える筈もありません。ですので、思うのです、これは一体何故なのか、と・・・???
 例えば、同じおひつご飯では、美ヶ原温泉の「金宇館」の朝食のご飯は安曇野産のコシヒカリですが、粒立ってツヤツヤと輝いていて食味も甘くて本当に美味しくて、いつも皆で一粒も残さずに全て食べてしまいますが、この「御厨」のかまど炊きご飯とは雲泥の差、全く違うのです。
一棟貸しで最大8名の4部屋ある別館の離れを含めても僅か9室限定のため、時間を掛けてゆったりと食事を楽しめる「金宇館」と、片や60席の「御厨」では根本的に運営における「おもてなし」の発想が違うのかもしれません。
人気店故に、「御厨」では15分毎に設定された予約時間で、テーブルに着いてから50分間という時間制限があり、次から次へと予約されたお客さんが訪れ、その途中に予約せずに飛び込みでのお客さんも来られます。
 「今なら、40分後にはお席が用意出来ますが・・・」
と言われて諦める人や、「じゃぁ・・・」と言って付近を散策しながら外で待つ人たちも・・・。
それこそ常に満席のお客さんの対応に、スタッフの皆さんはお膳を抱えて走り回っています。
ですので、もしかするとかまどの“炊き立て”のご飯が常に供されるのではなく、客を待たせること無くすぐにおひつを運ぶためには、数十分毎にかまどで炊き上がったご飯を冷めぬ様にジャーで保温して、客の回転を良くするべく、客を待たせずに時間を置かずにそこから次々とおひつにご飯をよそって、準備が出来たお膳のおかずと一緒に運んでいるのではないか・・・?
その結果、運良く炊き立てのご飯が運ばて来る客さんと、タイミングによっては最後に残った大分前に炊き上がったご飯が運悪く供される客もあるのではないか・・・???
だからこそ、こんなツヤの無い、粒立たず、ずっと保温をしていた様なべちゃっとしているご飯になってしまったのではないか・・・???
・・・としか考えられないのです。
例えば、“米料亭”という看板を掲げる京都祇園の「八代目儀兵衛」は、客の注文後に一釜ずつ炊き上げる土鍋ご飯で知られていますが、そのご飯は炊き上がりから10分以上経つと客には提供しないのだそうです。そこまでご飯にこだわりを持つ料理屋さんも、現に存在するのです。
では「八代目儀兵衛」が“高級料亭”かというと、昼のコース(朝食提供は無し)の中の、三種の焼き魚御膳と鰆の照り焼き御膳はどちらも1980円(税込)で、御厨の昼のコースとそう変わりません。
ご飯の他にも、「御厨」の今回の朝食の中で期待したTKGの卵も、確かに橙色は多少濃い目かもしれませんが、黄身だけを箸で摘んで持ち上げられる様な特別なタマゴではなく、個人的には地場のスーパーでも買える様な(味も)“極普通”のタマゴでした。
しかし、お膳の中の一品に付いてきた男爵イモのコロッケは衣がサクサクしていて、揚げたての中身はほっこりで大変美味しかったですし、そして出汁の良く効いた豚汁も具だくさんでとても美味しくて、出来ればお代わりしたいくらいでした。そして家内の頼んだとろろ汁膳の焼き鮭も、甘塩で大変おいしかったそうです。どの料理も、決して高価な食材ではありませんが、キチンと丁寧に調理されていることが分かります。だからこそ、一番の目玉である筈のかまど炊きご飯が一体どうして?・・・と思わざるを得ないのです。
 因みに、この日の朝食メニューは次の通りで、この日の小鉢は、優しい味のきんぴらごぼうでした。
 ・「朝のとろろ汁膳」・・・¥1,680
  とろろ汁(信州味噌仕立て)焼き鮭・湯豆腐・小鉢・豚汁・香の物
 ・「卵かけご飯セット」・・・¥1,620
  生卵・男爵芋のコロッケ・湯豆腐・小鉢・豚汁・香の物
 ・「朝の鯖味噌膳」・・・¥1,780
  鯖味噌煮・野沢の菜天ぷら・湯豆腐・小鉢・豚汁・香の物
 正直、期待が大きかっただけに、今回の“かまど炊きご飯”にはガッカリしました。最初思ったのは、ここ数年の思いがけない人気に“胡坐”をかいて、スタート時の謙虚な気持ちを忘れてしまったのでないか・・・ということでした。
しかし一方で、スタッフの皆さんの対応は実に気持ち良く、帰りがけ厨房の写真撮影の可否をお聞きしたところ、気持ち良くOK頂きました。
そうした実際に目にした割烹着のスタッフ(地元のご婦人風)の皆さんの応対ぶりや、ニコニコとした働きぶりや、そしてこれまでの口コミの評判や、更には建物や周囲の雰囲気も(特に都会から来られた方にとっては)素敵に感じただけに、そして地元の信州人である我々でさえ楽しみにしていただけに、今回は本当に裏切られた様な気持ちでとても残念でした。ですので、むしろ失礼を承知で、敢えて本ブログに書かせていただきたく思うのです。

 我々が訪れたこの日が、どうか“たまたま”の偶然だったことを願います。そして、どんなに人気店になったとしても、決して手間や時間を惜しまず、スタート当初の純粋な気持ちや方法を変えずに、これからも愚直に対応され続けられんことを願います。
そうでないと、当初はコスパも味も良かった松本の深志高校近くのイタリアンが評判を呼び、その後5店舗にまでに業態も含め拡大した結果、スタッフの応対も味も落ち、我々一家がもう二度と行かなくなってしまった店があるのですが、そんな店の二の舞になることは必定です。
ですので、どうか例えどんなに手間暇が掛かって大変であったとしても、是非頑張ってスタート時の本来の味を愚直に守って行って頂きたいと思うのです。

 蛇足ながら、正直「御厨」での朝食を今回とても楽しみにしてからこそのガッカリであり、もしかすると私たちのこのガッカリは、或る意味これ迄の期待が膨らみ過ぎて、その期待が余りに大きく成り過ぎていた結果だったのかもしれません。だから、「そうだったんだよネー!」くらいに“軽く”思いたい・・・。
しかし、そうした期待が大きかったが故に、仮に今回の我々がたまたま運の悪い、万が一の偶然のタイミングだったとしても、今後軽井沢に来ても、もう二度とこの「御厨」に来ることは無いだろうと思ったのも、残念ながら事実なのです。
しかし、これは決してへそ曲がりの私メだけではなく、食べた結果の我々夫婦と娘も共通した認識であり、それ程までに今回は本当に残念に感じたのでした。
ですので、我々はもう関係ありませんが、どうか県外からの今後のお客様に対して失望させることの無い様に改善を切に期待します。

 お盆の帰省に合わせた、次女一家の2週間近い松本滞在。
横浜に帰るのにあずさよりも新幹線の方が早くて楽なことから、最後に二泊三日で、いつもの軽井沢のドッグビラに行くことにしました。
勿論事前に予約をしてあり、結果的に婿殿は直接横浜から新幹線で軽井沢合流となったのですが、皆で松本から車一台で移動出来る様にと、事前に松本のトヨタレンタカーで8人乗りの新型アルファードを3日間予約してありました。

 当日の朝、トヨタレンタカーの松本駅前店に行って手続きをして、乗る前にシートアレンジの遣り方を教えて貰ってから、マンションへ一旦乗って帰ります。アルファードは意外とショートノーズで、何よりもドライビングポジションがSUV並みに高いので見晴らしが良く、思った以上に運転がし易く感じます。ただ如何せん長い・・・。それもその筈で、アルファードは全長が4995mm(5メートル!)、全幅は1850mmで、コンパクトで運転がし易いからと家内が気に入った我が家のQ2の4200×1795に比べて、特に全長が80㎝も長い・・・。そこで慎重に慣らし運転を兼ねてマンションに戻ります。
その上でチャイルドシート2席、ベビーカー、ドッグカート各一台と、軽井沢から次女の家に宅配で送る段ボール箱とスーツケースなどの大量の荷物、更に大人三人とワンコ二匹・・・。どうやれば全部積めて人間が座れるのか???
あぁでもない、こうでもない・・・と色々シートアレンジを試しながら、何とか荷物を全部積み終わり、人間もしっかり座って、助手席の足元に敷いたペット用クーリングベットにワンコも載せて、いざ出発です。

 トヨタのナビには慣れていないので、行先案内もACCも未設定。乗ってから、ナビ担当の奥さまが助手席で使い方をネット検索しましたが、スマホと連動させているQ2のナビとは異なり、結果的に運転中は(停止中でないと)設定不能でした。
しかし目的地には何度も行っているので、道路案内が無くとも全く問題はありませんし、まだ近間の軽井沢だからイイのですが、オートクルーズが使えないのは些か足が疲れました。この日はカーブの続く三才山峠経由ではなく、高速道路の長野道から上信越道経由で軽井沢ICを目指します。
慣れない車なので安全運転に徹し、軽井沢ICを降りてからもいつものカーブの多い脇道は使わずに走りましたが、予定通りの1時間半で目的地のアウトレット(軽井沢プリンスショッピングプラザ)へ到着しました。お盆開けの平日とはいえ夏休み中ですし、更にインバウンドでかなり混んでいます。
我々はこうした混む時の軽井沢は避けて、これまでこの時期には来たことがありませんでしたが、孫たちの幼稚園の夏休みに合わせての今回の帰省ですので致し方ありません。

 P1~P6 まであるアウトレットの駐車場で、唯一まだ空いていたP3に駐車。そして、孫たちを二人乗りのベビーカーへ、ワンコたちをドッグカートに二匹載せて、先ずはランチを食べるために、次女一人で子供たちを見るのは大変ですし、私一人でワンコたちを見るのも無理なので、皆でフードコート外のテラスのビーチパラソルで日影が出来ている席で食べることにしました。テラス席も犬連れの皆さんで混んではいますが、ここは30卓近く100席程はあるので、何とか座ることが出来、先ずはワンコたちに給水とオヤツをあげて休憩です。
その間に、子供と女性陣がフードコートからランチを買って来て、最後に私がフードコートに買いに行きました。ここでは“美味しさ”を余り求めてはいけません。しかもこの猛暑の日本列島で、本来エアコンの無くとも凌げる筈の涼しい軽井沢も今年は連日30℃超えで、この日の最高気温は33℃予想とか・・・。別荘族の皆さんも呆れる程で、これではもはや避暑に来たとは言えせん(ただ、軽井沢はさすがに朝晩は20℃以下になりますので涼しく感じますし、都会から来ると信州は湿度が低く、カラッとしていると感じるそうです)。
それから我々がワンコと子供たちを見ている間に娘は行きたいお店を回りましたが、結局まだ決められないとのことで、そのため我々が孫たちとワンコを連れて先にドッグビラに行って先にチェックインをして、娘がアウトレットでの自身の買い物と、この日の夕飯は移動で疲れたので外食ではなくテイクアウトして部屋食で済ませることにして、我々は明治亭のお弁当を娘にリクエストして、私がその頃またアウトレットまで車で娘を迎えに来ることにしましたが、そのお陰で娘も自分たちの欲しいモノが買えた様でした。 
 翌朝9時、朝早く新幹線で横浜から東京経由でやってきた婿殿を軽井沢駅で出迎え、そのまま彼等の希望で北軽井沢(群馬県の嬬恋です)の「軽井沢おもちゃ王国」へ送ります。片道30分ちょっと、浅間山々麓を走ってのドライブです。途中は、昔家内と一度来たことがある「鬼押し出し園」の横を通る有料道路の「鬼押しハイウェイ」を走ります。ジジババは「おもちゃ王国」へ行ってもしょうがないので、我々はホテルに戻ってノンビリと休養です。
そして指定された午後3時半に迎えに行くと、昨秋に行った「白樺湖ファミリーランド」では怖がって、公園内を走る機関車トレイン以外何もアトラクションには乗らなかった上の子が、今度はしっかりとメリーゴーランドや観覧車など色んなアトラクションを楽しんで利用出来たのだとか。最低5つ以上乗らないと3300円(大人、2歳以上の子供は3100円)のフリーパスの元が取れないのだそうですが、今回は十分に元が取れたと娘たちは喜んでいました。そんな僅か半年での孫たちの成長ぶりに驚きます。帰りは浅間山がくっきりと全容を現し、その雄大さが感じながらまた「鬼押しハイウェイ」を走ります。
それにしても、途中浅間山の噴火に依って誕生した鬼押し出しという景勝地があるとはいえ、軽井沢から30分も離れ、途中有料道路(片道計650円!)に入るまでは九十九折の山道をずっと走らされて、軽井沢とは名ばかりの“北軽井沢”という山の中にあるというのに、ここだけは家族連れで結構な人気ぶり。
因みに「鬼押し出し園」も“北軽井沢”の開発やこの「おもちゃ王国」も、軽井沢の不動産開発も手掛けた嘗ての子会社「国土計画」に依る西武グループの運営であり、いくらその投下資本に依る設備の充実ぶりが違うとはいえ、「チロルの森」とのこの格差が一体どこから来るのか考えさせられた次第です。
 「おもちゃ王国」からの帰路、 「軽井沢の別荘地を見てみたい」という婿殿のリクエストにお応えして、長野県内に入った所の「峰の茶屋」から旧軽方面へ下る有料道路「白糸ハイランドウェイ」へ。
途中、その名の「白糸の滝」付近へ下って来ると、少し離れた駐車場にはまだ空きがあったので、娘夫婦はまだ見たことが無いということからそこに駐車。昔見たことがある我々がぐっすり寝ている子供たちと車で待っている間に、娘夫婦は歩いて「白糸の滝」を見に出掛けました。
有名な静岡の「白糸の滝」に比べれば半分ほどのスケールですが、幅70m、落差3mの軽井沢の「白糸の滝」はマイナスイオン一杯で涼しくて、“避暑地”軽井沢を実感出来たようです。
「白糸の滝」も軽井沢の観光スポットではあるのですが、下の駐車場は満車で人も一杯。夏の軽井沢はどこへ行っても混んでいます(写真は15年前に「白糸の滝」に初めて来た時と、同じく10年前に来た時のモノを使用しました)。
更に下って、次に重要文化財「旧三笠ホテル」横に停車。今秋の再オープンに向けて現在は改装工事で閉館中のため、外観だけを見学。確かに以前見学した時よりも塗り直されて外観がキレイになっていました。
10年前に「旧三笠ホテル」を見学した時は、念願だった信濃追分の「堀辰雄文学記念館」を見学した際に、記念館のスタッフの方から軽井沢のおススメ観光ルートとその際の有料駐車場ではない別の無料駐車場の案内と共に、町営施設の共通入場券を「二ヶ所見れば元が取れますから」と勧められ、アドバイス通りに無料駐車場に停めて雲場池を散策した後、この「旧三笠ホテル」にも二度目の訪問をしていました。
この「旧三笠ホテル」から旧軽のロータリーまで約2km続く道が「三笠通り」で、新日本街路樹百景にも選ばれたという、均等に並ぶカラマツの美しい並木道。しかもその両脇だけではなく、中央分離帯の様なセンターラインにもカラマツが立っていて、まさに避暑地軽井沢を象徴する風景です。高く伸びたカラマツがこの夏の強い日差しを遮り、真夏でも避暑地ならではの涼しさを感じさせてくれますし、落葉松と書けばイメージ通りに秋の黄金色に輝く様な黄葉もきっと見事なことでしょう。この辺りは、まさに明治時代からの“避暑地”軽井沢を代表する別荘エリアであり、婿殿も“本当の軽井沢”を目の当たりにして、この地の理解に繋がった様でした。
その後旧軽銀座を通り、この日の夕食を予約してある中軽の星野リゾートが運営する「ハルニレテラス」へ向かいました。
 期間中、レンタルしたアルファードのお陰で、軽井沢での移動も何とかなりました。因みに軽井沢滞在中、上の孫はアルファードのことを“タクシー”と呼んでいました。さしずめ、私メはタクシーの運転手さんでしょうか・・・。
最終日、旧軽のロータリー近くのレストランで如何にも軽井沢らしいランチを済ませてから、横浜に戻る次女夫婦一家を軽井沢駅に送ります。
当日、町内は交通規制されているとの道路案内が出ていましたが、軽井沢駅には私服含めた警察官や報道関係者などたくさんの方々がおられ、この日、軽井沢縁の上皇陛下ご夫妻が電車で恒例の軽井沢への静養に来られるとのこと。
改札前がお出迎えの一般の方々も含めて混雑する中、孫たちは何度も振り返っては手を振りながらホームへと消えて行きました。
 「ありがとネ!またおいでヨネ!!」

 その一時間後、きっと「お帰りなさい!」という、軽井沢の地元の皆さんから上皇ご夫妻への歓迎の声が駅舎の中に響いているであろう頃、そう言えば15年前、お二人の出会いの場となったテニスコート近くの喫茶店で、マスターの奥さま曰く、
 「お二人のテニスは、美智子さまの方がとっても攻撃的なのヨネ!」
と仰られていたのを懐かしく思い出しながら、我々は一足先に駅舎を離れてアルファードで松本へ向かいました。
途中上信越道の工事渋滞もあり、予定時刻をオーバーしてしまいましたが、最後の最後まで安全運転で無事松本へ到着し、最後に車を返却して、漸く今回の軽井沢行が終了しました。
因みに、新型アルファード8人乗りのレンタル料は、ガソリン代を除き3日間で8万6千円でした。そのコストが高いか安いかは別として、慣れない、しかも“借り物”という緊張感は常にありましたが、ワンコも含め家族全員が一台で移動出来ましたので、何ともゆったり感じられた軽井沢滞在でした。
 無事に我が家に戻って、緊張からの解放感と、ニ週間近く居てくれた孫たちが帰ってしまった虚脱感と、そして何よりも、ジジババにとってはニ週間に及んだ“夏の陣”の疲労感とがないまぜになって、家内と二人で、
 「フゥ~・・・、疲れたネ。」
 「ウン、・・・帰っちゃったネ。」

 それにしても、孫のためとはいえ随分と出費の嵩んだ、ジジババにとってのニ週間に及んだ“夏の陣”でした。
当面は、年寄り二人での耐乏生活が続きそうですが、今度また孫たちが来てくれる時までに、例え粗食に耐えてでも何とかまた予算を確保しておかねば・・。

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