カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
孫たちが「バァバとジィジのおうちにまた行きたい!」(最近何かで「じぃじが 建てた家でも ばぁばんち」という様な川柳を見た気がしますが、我が家も順番はこの通りだそうです)とのことで、11月の最後の三連休に一家全員で、松本に二泊三日で来てくれました。
二泊三日といっても、初日は横浜からの移動で、三日目は松本から横浜へ帰るので、フルに自由なのは中一日だけ。
当初は、我々が事前に予行演習もしながら、婿殿が仕事の都合でお盆に行けなかった白馬岩岳マウンテンリゾートに行って、「マウンテンハーバー」で眼前に拡がる白馬三山の絶景(上手くいけば三段紅葉)を見たいという希望だったのですが、チェックしたところ岩岳の(グリーンシーズンの)営業は11月中旬で終了(期間を置いて12月からスキーシーズンの営業開始)とのこと。確かに考えてみれば、早ければ10月末。遅くも11月に入れば上高地やこの北アでは三段紅葉が見られる時期ですし、11月末の三連休には信州は里の紅葉でさえもう見頃を過ぎているかもしれません。
そこで紅葉は諦めて、孫たちを連れて行った先は、昨年の3月にも行った駒ヶ根に在る養命酒の運営する「くらすわの森」でした。
養命酒の工場に隣接する森の中に作られた「くらすわの森」のベストシーズンは、おそらくせせらぎに沿って遊歩道を歩きながらの森林浴が楽しめる夏だと思うのですが、この晩秋、初冬の時期に他に孫たちを連れて行ける様な施設や場所は、この信州では残念ながら他に思い当たりませんでした。

この日は三連休の中日ということもありますが結構混んでいて、平日だった前回は停められた第一駐車場は既に満車で、結局第三駐車場に駐車しました。しかも中京方面を中心に県外車も多く、結構な集客力だと感心しきり。
婿殿は初めてなので、先ずは雑木林の中のフォレストリングをぐるっと一周回ってみることにしました。


11時を過ぎていたので、先にランチを食べることにしましたが、前回のビュッフェのレストランはパスし、個人的にはランチプレートのあるカフェでと思ったのですが、今回娘たちが選んだのはミートデリのイートインでした。


こちらは養命酒の手掛ける自社ブランドの信州十四豚(これでジューシーポークと読ませるのだとか)の自家製ソーセージやハムを販売し、その場でも食べられる場所。長~いソーセージを自家製のバンズで挟んだホットドッグセットなどを注文。少し塩味を効かせたソーセージはプリプリ、皮もパリパリでとても美味しかったです(ただ、男性陣にはチト“おしょうびん”だったので、ミートデリの戸外のキッチンカーでのグリルドソーセージも、味見を兼ねて追加で注文しました。因みに外のテラス席ではワンコもOKです)。


その後、養命酒の工場に隣接する敷地13万㎡という広大な森の中の遊歩道を歩いて、前回3月に来た時は降雪の翌日だったためぬかるんでいるからと諦めた滑り台「丘の上のスライダー」と、遊歩道の先に在る「森のライブラリー」へも行ってみました。





そして最後にインフォメーションの建物の屋上が展望台になっているので、上ってみました。
背後の駒ヶ岳(木曽駒。伊那谷では単に駒ヶ岳か、東の甲斐駒に対し西駒とも呼んでいます)と、そして正面に拡がる“南アルプスの女王”仙丈を始めとする南アルプス(標高第2位の北岳、奥穂と並んで3位の間ノ岳も)の絶景を眺めてから帰ることにしました。


オープンして間もない話題の施設ということで、県外車も含め観光客の車がひっきり無しに訪れます。係員が2名いて誘導しているのですが、たまたま我々は運良く駐車出来ましたが、駐車台数はそう多くは無いので常に満車状態。偶然駐車スペースが空いたタイミングでなければ、せっかく来ても駐車出来ずに諦める車が殆どでした。
我々もせっかくなので中に入ったのですが、ショップとカフェがあって、屋上部分には展望テラスと諏訪湖らしく足湯もあるのですが、如何せん狭過ぎ。展望テラスも足湯もせいぜい10人も集まれば一杯で、座る余地もありません。岩岳マウンテンリゾートなどの白馬エリアや志賀高原の横手山や竜王など、各地にこうした展望テラスがオープンして人気を集めていますが、そうした最近人気の施設と比べると規模が小さ過ぎて、ここは観光施設としては微妙・・・。作ったのが“町のお菓子屋”さんでは資金力の問題か、いずれにしてもショボ過ぎます(どうせなら共同展開する地元の仲間を集めて倍位の規模にした方が、現在のお菓子とカフェだけの店舗より集客的にも選択肢が増えて効果的だったのでは?)。些か前宣伝がオーバーだったのか、評判倒れの感は否めません。少なくともまた来たいという気には残念乍らなれませんでした。むしろ諏訪湖を眺めるのなら、道を挟んだ諏訪湖畔へ行った方がよっぽどゆったりと湖畔の景観を楽しむことが出来るでしょう(その前に良く考えてみれば、高速をわざわざ降りずとも、諏訪湖SAの方が高台からの展望も良いので遥かにマシでした)。

それにしてもここのスマートICは、諏訪湖SAが高台にあるため止むを得ないのでしょうが、湖畔までの標高差数十メートルを下るのに山をくり抜いたトンネルが新設されるなど、大工事。
確かにこのスマートICの開通により、岡谷側からの諏訪湖畔へのアクセス(岡谷ICからだと岡谷の市街地を抜ける必要があり、諏訪湖へは遠い)と、諏訪湖の西側に在る観光施設(諏訪ガラスの里や原田泰治美術館など)へのアクセスは格段に便利になりますので、宿泊施設などが林立する東側に比べ、観光開発という意味においては(嘗て地元でも“半日村”などと揶揄されて)遅れている湖畔西側(通称“西街道”)の開発には(もし新たに開発する意欲があるのであれば)効果があるかもしれません。しかし、茅野市側の蓼科高原や白樺湖、霧ヶ峰へのビーナスラインへは現行の諏訪ICからの方が早いので、あまり効果は期待出来ません。大混雑する年一回(新作花火を入れれば二回)の諏訪湖の花火大会の時は、諏訪湖の西側から高速へ乗るのには確かに便利になるかもしれません。しかし、これまでの事業費は総額97億円だそうですが、ここまでして地元自治体も負担してスマートICを設ける必要があったのでしょうか(まぁ、合併効果という意味でその結果の是非は別として、「平成の大合併」では各自治体が自己主張ばかりで、県内で唯一合併が無かった諏訪広域ですので、今回のスマートICで岡谷市と諏訪市が連携したのであれば決して悪いことではありませんが・・・)。
そうであれば、もう諦めにも近いJR中央線の上諏訪~下諏訪エリアの複線化と、諏訪湖側にも改札口を設けるなどしての、このエリアで一番みすぼらしく感じる上諏訪駅の改築と駅周辺の活性化に資金を投じた方が良いのではないかと、諏訪に本社がある会社にお世話になり且つ数年間とはいえ諏訪の社宅にも暮らした身からすると、生粋の“諏訪人”からすれば要らぬお節介と言われるかもしれませんが、個人的には真剣にそう思うのです。
ましてや、例えそれが“棚ぼた”であれ、二年後の朝ドラ「巡るスワン」の舞台として願っても無いチャンスが“降って来た”のですから、だからこそ余計それを諏訪の地域活性化への起爆剤にして、少なくとも一過性に終わらぬ様にと・・・。
長野県の伊那谷、箕輪町にある“もみじ湖”が、最近紅葉スポットとして秋の紅葉シーズンになると県内外から観光客が殺到し、最盛期にはマイカー規制をする程の人気ぶりという報道がされ、以前から知ってはいたのですが、そんな混雑の中行くのもどうかと思い、今までは一度も行ったこともありませんでした。
この“もみじ湖”というのは、諏訪湖から伊那谷を流れ下る天竜川水系の沢川に建設された、箕輪ダムのダム湖の別名です。
なぜ“もみじ湖”と呼ばれる様になったのかについて、その経緯をまとめた紹介記事があったので抜粋します。
『平成4年(1992年)、箕輪ダムは一級河川・天竜川水系沢川に建設された。それまで、沢川は何度となく水害をもたらしていたこと、また、当時高速道路ができたことによって大きく発展すると見込まれたことから、防災への備えと水を安定して供給できるように造られた。
けれども箕輪ダムの建設にあたって、その地域に住んでいた人々は移住をしなければならなかった。自分たちの故郷が湖底に沈むことになったとき、この地域で苗木屋を行っていた人が「これから何年も先に人が訪れる名所となるように」という思いを込めて10800本のもみじを町に寄付したという。もみじは町内の人たちが10年かけて植林。その後も世話を続けることによって、30年以上も経った今、全国的にもみじの名所として知られるようになったのである。』
そして、国内旅行情報サイト「じゃらんnet」の「全国のおすすめ紅葉スポットランキング 」で、2020年に全国1位に選ばれて全国的に注目を集め、以来2024年まで5年連続第1位に選ばれ、その間の2023年には5万人近くの人が紅葉を見に訪れるなど、30年前に「これから何年も先に人が訪れる名所となるように」との住民の方が願いを込めて植えられた約1万本のもみじが、実際に30年を経て日本の紅葉を代表する名所になったのです。

たまたま、先日家内がお義母さんを原村の日帰り温泉に連れて行った時に居合わせた方が松本在住で、朝6時半に松本から“もみじ湖”の紅葉を見に行った帰りに足を延ばして温泉に立ち寄ったとかで、もみじ湖は混んではいたがまだ十分車が停められたことと、色付きが例年より1週間から10日程遅れているそうですが、評判通り紅葉が見事だったことを聞かされて、どうしても「見に行きたい!!」という、奥さまの強い要望にお応えすることにしました。

行ったのは11月7日金曜日の平日。先にワンコたちの散歩と食事を済ませ、6時半には間に合わず結局7時に家を出ました。箕輪ダムへの道は、途中すれ違いがやっとな位の狭い個所もあるそうなので、軽のハスラーで行くことにしました。
松本から箕輪へのルートは、通常は中央道を伊北ICまで行くのですが、事前のグーグル検索でも、またナビも中央道の岡谷JCTがリニューアル工事で渋滞することから、渋滞を避けるべく手前の塩尻ICで長野道を降り、国道153号線で善知鳥峠(分水嶺です)を越えて行くルートになりました。上伊那郡の辰野町から県道諏訪箕輪線で箕輪ダムへ向かいます。途中、道の狭い個所では係員の方が居て交通量を見ながら通行規制を行ったり、道路工事に良くある臨時の信号機が何ヶ所かに置かれていて、1分半間隔で一方通行にして車両規制を行ったりしていて、道が狭くすれ違い出来ずに車同士がスタックするのを避けていました。
箕輪ダムのダム湖を過ぎると、竹の尾広場と末広下広場に数十台ずつの普通車と末広下には大型の観光バスも停められる駐車場があって、係員の方が3名ずつおられて交通整理をされていて、車をまだ上に行くように指示されていました。その末広下駐車場から町道に入って、“もみじのトンネル”を抜けて更に坂を登った所に末広広場の駐車場があって、こちらは200台駐車可能とのことで車を誘導して順に停めさせていて、我々が到着した8時10分頃はまだまだ余裕がありました。松本からはナビ通りの1時間10分で到着。岡谷JCTの工事が終われば、1時間掛からずに行けるかもしれません。それにしても、この日は平日ですが次々に車がやって来て、驚いたことにその半分以上が県外車です。
駐車場で戴いた「2025年もみじ湖紅葉祭り」パンフに沿って、末広駐車場から先ず散策コースを歩き、下って県道に合流して、マルシェが開催される竹の尾広場と親水公園辺りまで行ってからまた県道を戻り、末広下駐車場まで来て、そこから末広駐車場への町道に入り、最後に「もみじのトンネル」を登って末広駐車場に戻ることにしました。
以下、当日撮った写真をそのルートの順番でご覧ください。少々枚数が多いですが、出来るだけ雰囲気が分かる様に、写真を縮小せずにそのまま掲載することにします。

初めて“もみじ湖”を訪れた感想としては、我々が行った翌日から、週末のみ駐車場を有料の事前予約制にして、「紅葉祭り」週末のマイカー規制が行われるのですが、紅葉前の青モミジもあって、まだ少し紅葉のピークには早かった感じでした。でも「もみじのトンネル」では、真っ赤に紅葉したモミジと黄色く黄葉したモミジ、そして緑の青モミジがグラデーションの様に混ざり合い、それはそれで見応えがありました。
ただ、“日本一”というイメージに些か期待感が強過ぎたのか、もっと凄いのかと想像していました。個人的には、京都の東福寺や永観堂などの東山界隈や、叡電のモミジのトンネルなどの方が見応えがある気がします(但し、この“もみじ湖”は未だ知られていないのか、幸いインバウンドらしき騒々しい一団は皆無でしたので、紅葉を愛でながらゆっくり散策出来ましたが・・・)。
でも、ダムで沈んだ人たちが、自分たちの住んでいた集落を未来の紅葉の名所になるように1万本のモミジを植えたという逸話を知ると、目の前のモミジの紅葉がより一層感慨深く感じられる気がします。そして、こんなに観光客が訪れるのであれば、平日の今日でさえ10人程の係員の方々が交通整理されていて、その人件費は箕輪町が(或いは町の観光協会が)負担しているのでしょうから、駐車場も含め入場無料なのは何とも勿体無い!!!
少なくとも交通整理する係員の人件費と“もみじ湖”の維持管理費用分を賄う位、ダムで沈んだ人たちのこのモミジに託した想いを知れば、訪れた人たちから平日も入場料か駐車料金を徴収しても決して“バチは当たらない”と感じた次第です。
9月末、奥さまのリクエストにお応えして、今年も新栗のモンブランを食べに秋の小布施に行ってみることにしました。
行先は小布施の栗菓子店の一番の老舗、桜井甘精堂の洋菓子産門である「栗の木テラス」です。
栗で知られる小布施。
室町時代に始まると云われる小布施の栗の歴史は、当時この地方の領主だった荻野常倫が、故郷の丹波から栗を取り寄せて植えたのが始まりと伝えられています。小布施の土壌が栗の栽培に適していたため、江戸時代には既に栗林が拡がっていて、小布施栗は品質が良く美味という評判を取り、毎年秋に将軍家への献上品となってその名を天下に広めたといわれています。そのため、俳人小林一茶が「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と詠んだ様に、秋に将軍家へ献上されるまでは、庶民は落ちている栗を拾うことさえ許されなかったのだとか・・・。
そして、この栗を用いて初めて菓子を作ったのが桜井甘精堂の初祖、桜井幾右衛門。桜井甘精堂のH/Pからお借りすると、
『栗を粉にひいて作りあげたのが「栗落雁」。文化5年(1808)のことでした。画期的な「栗落雁」の創製によって、二百年にわたる伝統を誇る栗菓子づくりがスタートしたのです。
江戸で名声を得た小林一茶が、故郷・信州に帰り、小布施で盛んに句会を開き始めた文化五年。この地の桜井幾右衛門は、その年、初めて栗菓子「栗落雁」を創った。これが弊堂の始まりであり、小布施栗菓子の始まりでした。
そして北斎が名画「富嶽三十六景」を世に出し、江戸で活躍していた文政二年(1819年)に、弊堂の初祖・幾右衛門の弟・桜井武右衛門は、他に類を見ない栗だけの「純 栗ようかん」を創製した。
また島崎藤村が小諸で教鞭を取り、小説家としても「千曲川のスケッチ」を書き始めた明治二十五年(1892年)には、五代桜井佐七は、栗と栗あんだけの「純 栗かの子」を創製した。』
この様に、小布施の栗菓子の歴史は桜井甘精堂の歴史と言っても過言ではないでしょう。そして、その桜井甘精堂の洋菓子部門が「栗の木テラス」なのです。

私たちは、この「朱雀」は凭れてしまい(一人一個は多過ぎて、多分二人で一個でも充分でした)、それ以降は桜井甘精堂の小振りのモンブランに変更。
さすがにコロナ禍は無理でしたが、ほぼ毎年の様に新栗の時期になると秋の小布施への小旅行を楽しむのがささやかな私たちの恒例となりました。
10月3日オープンの「イオンモール須坂」が長野東須坂ICのすぐ横に出来上がっていて、隣にはルートインホテルも建っていました。この「イオンモール須坂」は松本店の1.3倍の広さで、県内最大級とのこと。これまでイオンモール松本でも結構目立っていた長野ナンバーの車がこちらに来るようになれば、松本店は今までよりも多少は空くのでしょうか。そうなれば地元民としては有難いことです。
この日は未だオープン前でIC付近に渋滞は無く、ナビの指示はここで高速を降りて須坂市内を走るルートだったので、途中須坂の産直に寄って果物と野菜を購入してから小布施に向かいました。


ですので一巡目は無理かと思ったのですが、先に来て店舗の前で待っている筈の家内が居ません。すると店の中から出て来て、ナント待たずに座れたとのことでビックリ。それぞれ新栗のモンブラン(600円)と、家内はアールグレイの紅茶(650円)と私はトラジャのコーヒー(700円)をオーダー。こちらの紅茶とコーヒーもそれぞれポットで供され、ちゃんと冷めぬ様にポットカバーも掛けられていて、量も優に3杯分近くあるので非常に良心的。また必ず入店した順番で注文を取り、その順番でサーブしてくれます。
その後次々にお客さんが来られて、すぐに5組程が順番待ちになりましたので、たまたまこの日の我々は単にグッドタイミングだった様で、新栗モンブランの人気も相変わらずの様です。


決して大きくはないケーキですが、寄る年波か或いは辛党故か、全部食べ切れず(無理すれば食べられますが、そこまでして食べる気になれず)、半分食べたところで奥さまへ。すると、食べ終わった奥さま曰く、
「もうお腹一杯だから昼食は要らない!今日のランチは抜くからネ!!」
「えっ、ウソ!?」
お昼には小布施でお蕎麦でも食べて帰ろうと思っていたのですが、自ら墓穴を掘ったとはいえ、当てが外れてしまいました。
桜井甘精堂の駐車場は、2千円以上で2時間無料。今回は順番待ちで並ぶことも無かったため、食べ終わってもまだ1時間半近く余裕があったことから、せっかく来たので小布施の街を少し散策してみることにしました。
小布施は、江戸時代に豪商髙井鴻山が庇護した晩年の葛飾北斎が小布施に滞在していたこともあって、栗と北斎での町おこしで人気の観光地。
また、長野県内で一番面積の小さな自治体(逆に人口密度は一番高い)ということもあり、街も小さくて歩いて回れるコンパクトさもあってか、取り分け女性グループに人気です。
個人的には、小布施では中島千波館が気に入っているのですが、今回の企画展には余り興味が湧かずパス。北斎館も岩松院も見たことがあるので、特に他に行く所も無し。そこでオープンガーデンを見ながら、栗の小径を少し歩いてから帰ることにしました。
朱雀の小布施堂は相変わらずの大混雑。北斎館に相対する「傘風楼」は小布施堂のイタリアンとカフェで、ここにも朱雀風のモンブランがあります。どちらも枡一市村酒造が手掛けていて、他にも酒蔵を活かした和食店や日本酒のカウンターバー、更には宿泊施設もあるなど、なかなかの商売上手。因みに、髙井鴻山は市村家の12代当主(因みに高井姓はその善行に依り代官から賜ったという、今も上高井郡と下高井郡と名を残す、この一帯の地域名)。



二泊三日の軽井沢旅行最終日。
もうアウトレットで買うモノも無いという娘夫婦の話もあり、ゆっくりと昨夕ハルニレテラスの「沢村」で買ったパンで朝食を食べ、それから各々ホテルの温泉に入るなどしてチェックアウトまで時間を有効に使いながら過ごし、娘がこの日のランチに予約してあるという「ピレネー」という旧軽のレストランへ向かいました。

因みに、シンガポールにもニュートンサーカスと呼ばれる環状交差点があって、赴任した当初は慣れずに戸惑ったものです。この“サーカス”という名称は、ピカデリー・サーカスに代表される英国風のラウンドアバウトの呼び方ですが、この「サーカス(circus)」というのはラテン語で「円(circle)」という意味から来ているのだとか。
ラウンドアバウトで最も有名なのは、パリの凱旋門を取り囲むエトワール広場でしょうか。12本もの道路が交差する環状交差点で、パリに来て間もない若手の赴任者が、出張者を迎えに行って凱旋門を抜けられず、段々中心に追い詰められて行ってしまったという謂わば伝説になっていました(作り話ではなく、実在のその当人は私よりも後輩で、出張者の送迎は若手赴任者の仕事でした)。
でも慣れれば或る意味単純で、(英国風に車が左走行時では)左折のみの一方通行なので、右から来る車が優先。次から次へと車が来る間は待つしかありませんが、信号で何差路を捌くよりも、結果は渋滞を避け、信号よりも遥かに短い時間で車の往来を制御可能な印象を持ちました。そして、この旧軽の六本辻のラウンドアバウトも、10年程前に渋滞緩和策の社会的実験として始まったのだそうです。

このピレネーの駐車場に入って行く道も六本辻のラウンドアバウトから直接入るので、実際には六差路ではなく七差路とも言えなくもないのですが、しかも結構狭くて、アルファードはギリギリです(こちらの道は侵入のみの一方通行で、駐車場からの出口は別にあります)。

『2004年4月、軽井沢・六本辻に誕生した一軒家のレストラン。
フランス南西部とスペイン東部を結ぶピレネー山脈では、素朴で心温まる料理が受け継がれてきました。軽井沢「ピレネー」のイメージの源はピレネー山脈を仰ぐ一軒家。店内に足を踏み入れると 存在感溢れるシュミネ(調理用暖炉)が出迎えます。
薪のおき火でじっくり炙られるのは、信州の千代幻豚や赤身肉の熟成牛、若鶏など その時期イチオシの厳選素材。焼き上がりを待つ至福の時間は、4000本以上が並ぶ自慢のワインセラーから運ばれるワインと、自家農園の無農薬野菜や日本海直送の魚介類が奏でる珠玉の前菜でお楽しみください。』とのこと。


ランチは、暖炉で焼かれるメインディッシュを頼むと、このブッフェでの前菜と、ピレネーサラダとバゲットのパンがそれぞれ付いてきます。
予約で確保頂いていた席が4人掛けのテーブル席二つだったので、それぞれのテーブルに分かれて座ります。木々の茂った林の様な中庭に置かれたテーブルで、軽井沢の中心街である旧軽の六本辻交差点、六差路のすぐ横だというのに車の喧騒を全く感じないのが不思議で、木々の中にいると如何にも軽井沢の林の中に佇んでいる様な感じがします。
我々のオーダーは、娘と家内が半身の若鶏(4200円)、婿殿と私がアンガス牛のサーロンインステーキ(5500円)。どちらも暖炉の薪の火でじっくりとローストされています。
因みに、4歳以上10歳未満の子供用には、お子様用前菜ブッフェ(1200円)もある様です。孫たちは3歳以下のため、大人とブッフェを共有することで今回は不要。そのため、子供用には季節のポタージュスープ(400円)をそれぞれオーダーしました。


そして運ばれて来たメインディッシュ。若鶏とサーロンイン。フロアスタッフの方から、「にんにく醤油も美味しいので、お好みでどうぞ!」とのことですが、ステーキはシンプルに塩コショウだけで充分。薪でじっくりと炙られているので香ばしく、如何にも肉!といった美味しさでした。
若鶏も皮がパリパリで、肉はジューシーでローストされた旨味がたっぷり。しかも若鶏なので柔らかいことといったら・・・。こちらにはニンニク醤油を少し付けると、味変でまた違った美味しさが味わえます。それにしても、半身とはいえ若鶏の大きさといったら半端ありません。結局添えられているフレンチフライは食べ切れませんでした。最後スタッフの方にその旨謝ると、
「いえ、大丈夫です!結構残されるお客さん、多いんですヨ!」
もしそうでしたら、女性向けには半身の半身、1/4身のクォーターサイズで十分。もしメニューに加えて頂ければ、きっと女性は喜ぶかも・・・。或いは、ご当地佐久地方の名物、若鶏の“むしり”風のモモでも良いかもしれません。


「うーん、これぞ軽井沢!」
軽井沢の最後に、娘のチョイスで如何にも軽井沢らしい食事を楽しむことが出来ました。しかも娘たち夫婦が二週間のお礼にと、ご馳走してくれました(おかたじけ!)。
「ピレネー」。予約が必須の軽井沢の人気店の様ですが、また是非来たいと思います。
婿殿が軽井沢に来た日の夕食です。
当初の二泊三日の予定が、急な病院での都合もあって一泊二日になってしまったのですが、唯一の信州での夕飯ですので、ここは満を持して婿殿が好きな「信州そば」にしました。
彼のスケジュールが直前まで確定出来ずに二転三転したため、次女も文句を言いたげでしたが、それは親が口出すことではないので夫婦間に任せ、こちらは孫たちとケセラセラ・・・。
しかし蕎麦屋さんは軽井沢もご多分に漏れず、信濃追分エリアにも「きこり」や「ささくら」といった人気店があるのですが、昼間のみの営業という店が多いのです。
そうした中で、娘が幾つも検索したり直接電話して確認したりした結果、夕食で予約出来たのが、旧軽に本店を構えるこちらも人気店の「川上庵」でした。
娘たちは東京にも展開している「川上庵」の麻布店で食べたことがあるそうですが、蕎麦好きな婿殿は余り感心しなかった由。しかし他に夕食で食べられそうな蕎麦店も無く、且つ「川上庵」は有難いことに予約が可能なので、今回は旧軽の本店ではなく、中軽の「ハルニレテラス」にある「川上庵 せきれい橋店」を予約してありました。

そのため早目に夕刻5時の予約としたのですが、駐車場が一番の心配でした。
「おもちゃ王国」の帰り、「白糸の滝」と旧軽の別荘地エリアを回って時間を使いながら、時間近くになって中軽の「ハルニレテラス」に向かうと、幸い一番近い駐車場に空きがあり、すんなりとアルファードも停められて先ずは一安心。
以前、ここの川上庵には多分娘と(多分その時は長女)ナナを連れて昼食に来たことがあり、ワンコ連れだったためにテラス席で蕎麦を頂いた記憶があります。座ると、すぐにワンコ用の水を持って来てくださり、「さすがはDog Friendlyの軽井沢!」と感心したことを覚えているのですが、一方で、私メの当時の記憶だと、東京での婿殿と同様、評判程には蕎麦自体を美味しく感じたという記憶は残念ながらありません。


ここは「星のや旅館」に始まる星野リゾート発祥の地であり、湯川の清流がすぐそばを流れ、都会から来れば本当に信州の高原らしさを感じられるエリアで、我々も何度も来ているのですが、観光客の人気を集めるのも納得です。
予定通り夕刻5時に店へ伺い、先ずは先に子供たち用に、揚げ出し豆腐、鶏もも肉の粗塩焼き、だし巻玉子を注文。我々はその上で、メインの蕎麦は家内が鴨せいろ、婿殿は天せいろ、娘がクルミだれせいろ、私メは普通のせいろを、娘たちと私メは大盛りで注文したのですが、大盛りは無く、通常の一段(せいろ一枚)を二段でとのことでしたが、二段重ねではなく一枚ずつ出してくださり、一枚目を食べ終わった都度のタイミングを見計らって、二枚目をサーブして頂ける由。
軽井沢を含めたこの上田佐久の東信地方も、昔私が地酒の美味しさに目覚めた「福無量」(沓掛酒造)をはじめ、江戸時代から続く様な歴史ある酒蔵や、クラフトビールを代表するよなよなエールのヤッホーブルーイング、そしてマンズワインやヴィラデストといった千曲川ワインバレーを構成するワイナリーなど、千曲川水系や霧ヶ峰からの美味しい水や、日当たりが良く水はけの良い土壌を活かした美味しいお酒に恵まれたエリアでもあります。ですので、本来蕎麦屋の流儀である“そば前”でビールや地酒を注文したいところ。しかし奥さまが(免許証もちゃんと持って来ているのですが)、「絶対にアルファードは運転したくない‼」との仰せ。そのため、止む無く私メはノンアルにして、婿殿には本場よなよなエールの「水曜日のネコ」を頼んで貰いました。
一品料理はどれも美味しかったのですが、石臼挽きの二八蕎麦は思いの外太目でゴワゴワしていて、二八本来ののど越しというよりも噛んで蕎麦そのものを味わうといった蕎麦でした。従って、人によって好みが分かれる蕎麦、でしょう。個人的に十割よりも二八を好む理由は、何と言っても二八蕎麦の(例えば、十割も九一でもなく、二八のみの「翁に代表される様な)やはり“のど越し”であって、その意味でここ川上庵の二八は私の好みとは言えませんでした。
因みに、日本三大蕎麦の一つにも数えられる戸隠蕎麦は、本来(蕎麦粉よりも小麦粉の方が当時の戸隠では贅沢品だったため、宿坊に泊まる参拝客へのもてなしとして小麦粉の分量を敢えて増やした)七三なのですが、小麦粉が3割以上になると、例えどんなにのど越しが良くても個人的にはどうしても蕎麦ではなくて、むしろうどんを感じてしまいます。

この店の一番の素晴らしさは、何と言ってもスタッフの質の高さ(=教育、指導の賜物)ではないかと思うのです。
席に着いて、手荷物一つ、またおしぼりのウェットティッシュと一緒に供された夏の冷茶然り。そして注文したオーダー品や、一段目を食べ終わっての大盛りの代わりの二段目の提供もまた然り。
例えば、注文の時に皆で相談しながら「くらかけ豆(鞍掛豆)のお浸しも頼もうか!?」と皆で話していたら、たまたま横を通り掛かった男性スタッフが耳にしたらしく、すぐさま、
「申し訳ありません!くらかけ豆はもう終わってしまいました!」
また、手持ち品を入れてあった足元の籠を、「埃とかが掛かってはいけませんので」と言って、カバーの布を丁寧に全面にきちんと駆け直してくれました。
また冷茶にも目を配りながら、客への声掛けの上で、必要ならすぐに継ぎ足して注いでくれるのです。
ことほど左様に、スタッフの皆さんが「目配り、気配り、心配り」で、常に客に目を配らせている感じが見て取れるのです。しかも客と相対する雰囲気には決して押しつけがましさもわざとらしさもなく、極々自然でさりげない・・・。
客にとって居心地の良い店内の雰囲気は、落ち着いたインテリアや料理以上に、むしろこうしたスタッフの様子が醸し出しているのではないか・・・。そんな風にさえ感じられるのです。
「うーん、さすがだなぁ・・・」
食べ物の印象以上に、“味わえた”店の雰囲気に個人的には大いに感心したのでした。
失礼を顧みずに勝手な想像で云わせていただくならば、もしかすると軽井沢のこうした老舗店は、私たちの様な一見の客ではなく、一家言を持ち、ある種“小姑”の様な厳しい別荘族に(例えば嘗ての華族が使用人を躾ける様に)長年育てられて来たからなのかもしれない・・・とさえ感じられたのです。

暫くすると、清算時に駐車料金の無料扱いの手続きをしていなかったことを思い出し、中のレジに戻って手続き(こちらの駐車場は駐車券が無く、入庫時にナンバーが記録されているので、店での購入額に依ってレジで4時間無料のQRコードを印刷してくれ、精算機に自分車のナンバーを入力して店の発行するQRコードをかざすと処理が終了します)をすると、すぐに対応してくれ、
「気になさらずに、どうぞ雨が止むまでそちらで雨宿りしていただいて結構ですので・・・」
大変ありたかったのは勿論なのですが、ウーンさすが・・・と、ここでもスタッフの心配りに唸らされたのでした。
突然の夕立での雨宿りは30分程だったのでしょうか、小降りになったので、家内の持っていた日傘で子供たちを保護しながら、皆でベーカリーの「沢村」に移動して明日用のパンを購入し、お陰さまで無事駐車場まで濡れずに行けて、ハルニレテラスを後にすることが出来ました。
何とも感心しきりの、この日の「川上庵」でした。



