カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
都道府県対抗となるスポーツ大会の中で長野県選抜や代表校がトップ争いを出来る競技は、ウィンタースポーツを除けば残念ながらそう多くはありません。勿論、個人競技では時々世界のトップクラスの選手が誕生するのはどの県でもあり得ることですが、ことチームスポーツになるとそうはいきません。そこには競技環境であったり、指導者であったり、歴史や伝統といった色々な要素が必要になります。
長野県において、そんな数少ない競技の一つが駅伝です。元々、地区対抗の実に71回を数える長野県縦断駅伝が戦後間もない1952年から戦後復興のため「若者たちの体力と精神力を養う」ことを目的に開催されていて、今では信州における晩秋の風物詩。過去そうした中からマラソンでのオリンピック選手(伊藤国光、中山竹通)も誕生しています。今では中学生からの男女混合で、近隣市町村同士のチームが編成されています。
そうした土壌があったにせよ、駅伝の強豪県として対抗出来るようになったのは、やはり男子チームの佐久長聖高校の存在が大きいと思います。
都道府県対抗駅伝は1983年に京都で始まった女子駅伝に比べ男子の歴史は新しく、1996年から広島で開催されていますが、長野県チームが初優勝したのは2004年です。この年は佐久長聖のエース上野裕一郎選手が活躍。以降、長野県は3連覇を含め、全国でダントツの9回の優勝を誇ります。続くのは兵庫の5回。これは何を意味しているか?広島は第1回大会優勝のみ。宮城、岡山に至ってはゼロ。何を言いたいのか・・・?
この都道府県対抗駅伝は、日本国籍の無い留学生選手は出場出来ません。従って、日本人選手のみでの実力勝負。しかも全7区中3人を占める高校生区間(残りは中学生2名、大学・社会人2名)が最重要になるため、高校駅伝の“都大路”での強豪校がある都道府県が優勝候補になるのですが、それが留学生に頼った優勝校だと都道府県対抗では全く効力が発揮できないのです。先述の嘗て“神の領域”云々と自画自賛した高校のある県が全く優勝していないのはそうした背景です。一方で兵庫県が強いのは、留学生ランナーが登場した以降様相は一変しましたが、それまでは西脇工業VS報徳学園の熾烈な県代表争いで“兵庫を制する者は全国を制す”とまで言われていたからです。
片や長野が強いのは、確かにゼロから佐久長聖を強豪校に育て上げた両角前監督(茅野市出身。東海大三高卒で現東海大駅伝部監督)と、その指導を引き継いだ教え子の高見澤現監督(木曽郡大桑村出身)の力が大きいのですが、各地の指導者が連携して小学生の頃から素質のある子供たちの発掘や強化に取り組み、そんな子供たちを佐久長聖に送り込んで来たからです。実業団チームの無い長野県ですので、地元の高校出身の大学生や“ふるさと選手”枠の社会人選手しか選べません。勢い、地元選手を育てるしかないのです。
そうした長野県の状況は女子も同様ですが、私立校である佐久長聖の男子に比べ女子は長い間活躍出来ずにいました。それが、公立高校でありながら県立長野東が長野県の高校教員だった玉城前監督(現日体大男子駅伝部監督)の長年に亘る一貫した指導(長野東の前任校である諏訪実も県内の実力校に育てました)で力をつけ、これまた県内から有望な子供たちが公立校ながら長野東に集まるようになり、やがてその卒業生が大学や社会人で活躍するようになって全体としても力が付いて来ました。玉城前監督の後は、長野東が県立高校故に県教員である信州大学OB(大学時代に選手として全国大学駅伝に出場経験があるそうです)の横打監督がその土壌を引き継ぎ、そして遂に昨年暮の都大路で念願の初優勝。長野東は県立の公立高校で選手全員が地元長野県出身の子供たちで、勿論留学生もいません。そんな高校が、全国から有望選手を集め更に留学生もいる私立高に勝っての全国優勝!これを快挙と言わずして何と言えば良いのでしょうか、まさにアッパレ!の一言でした。
そして年が明け、コロナ禍で3年ぶりの開催となった都道府県対抗駅伝。先ずは15日に都大路で行われた女子駅伝です。
男子の佐久長聖同様にオール長野東で臨む女子(中学生も高校は長野東に進学するでしょうから)は、直前になって1区にエントリーしていた長野東OGで初のオリンピアン萩谷選手(エディオン所属。佐久市出身)が体調不良でか走れず、高校駅伝で最後逆転のゴールテープを切ったエース村岡選手(松本市出身)に交代。しかし、プレッシャーか或いは気負い過ぎか、途中まで先頭グループで頑張っていたのですが、最後は失速。その後もなかなか挽回出来ず、名城大から日本郵政に進んで今回アンカーを任された和田選手(長野市出身)まで選手は皆頑張ったのですが、結局初の表彰台には届かずに11位に終わりました。でもOGが社会人でも活躍するようになったので、女子チームもいずれは優勝争いをする時が来るだろうと確信しています。
男子は22日に広島での開催。長野県は全国最多の8回の優勝を誇り、前回3年前にも優勝しているので連覇が掛かります。
正月の実業団のニューイヤー駅伝や箱根駅伝から僅か3週間なので、エントリーはしても結局疾走を見合わせる主力選手も多く、結局選手層の厚さがモノを言います。長野は佐久長聖の高校生と、大学生はOBの木村選手(専修大。松本市出身)と伊藤選手(早大。駒ケ根市出身)、社会人でナント立教大の上野監督(佐久市出身)がエントリー。結局木村選手は箱根同様故障で走れず、箱根を走った伊藤選手が3区、“日本一早い駅伝監督”の上野監督がアンカーの布陣。些か不安を感じましたが、伊藤選手もトップとの差を詰め、佐久長聖の3選手が区間新連発の見事な走り。更に6区中学生もガッツ溢れる走りで最終7区までに50秒近い貯金。後は抜かれなくても良いだけなので、最後2位埼玉の選手には詰められたものの、想定内で上野選手も無理をせずに盤石の走り。
最後のゴール2㎞位手前だったでしょうか、先頭を走るアンカーの上野選手に沿道から大きな声で「後ろとは35秒差、気を抜くな!!」と声を掛けたのは、間違いなく東海大の両角速監督でした。言わずもがな、上野選手の佐久長聖時代の恩師で、その後東海大監督に就任するまでは長野県チームの監督を務めていました。今は東海大監督の立場で、各県チームに選ばれて走る自校の選手の応援や高校生のスカウティングも含め、他大学の監督同様に今回のレースを観戦するという事前報道がありましたが、当日現場にいるので沿道での長野県チームの伝令役を引き受けたのか或いは自主的な声掛けだったのかは分かりませんが、現在の立場上長野県チームには直接関わらずとも“オールナガノ”で支えている感じがして何だか胸が熱くなりました。また、ゴールには当時富士通所属で“駅伝長野”初優勝時のアンカーを務めた現上田西の帯刀監督もチームスタッフとして参加されていました。
上野“監督”も最後まで危な気なく、自チームの持つ大会記録を“1秒”更新しての新記録で9回目の優勝。これまたアッパレ!な“駅伝王国長野”の今シーズンの掉尾を飾る見事な優勝でした。
せっかくの全国旅行支援なので・・・ということで、11月末に、大混雑の京都を避けて“国のまほろば”奈良へ行くという長女に付いて行ってきました。そして、これまた「せっかくなので・・・」というお義母さんの希望で、12月に入ってから家内が一緒に二泊予定で松本の旅館「翔峰」へ。
義母は足が弱くなってしまったので、遠出は無理。そこで近間の美ヶ原温泉にしたのですが、この「翔峰」はアルピコ(旧松本電鉄)系列の宿泊施設で、オランダ人女性が女将さんに抜擢されて、全国的にも話題にもなりました。一泊二食付きですので、昼食はついていません。そこで、お昼に旅行支援キャンパーンの一環で戴ける観光クーポンを使って、お蕎麦が食べたいとのこと。しかも、せっかくなので旅館内や里山辺(美ヶ原温泉)ではなく、どこか松本市内の蕎麦店でとの希望の由。
そのため、私メもお昼だけ一緒にお相伴に与(あずか)ることになりました。市内であれば義弟の営むお蕎麦屋さんがあるのですが、母や叔母がまさしくそうなのですが、麺類を除く小麦粉消費全国一という長野県の特に戦前生まれの信州人が希望する様に「蕎麦には必ず天婦羅が付かないとダメ!」なのです。長野県は山国で油分が摂り難かったことが背景の様ですが(第137話参照)、山国で魚介類は無くても、野菜でもキノコでも何でも天婦羅にさえすれば立派な“お御馳走”(信州弁では“おごっそ”と言います)なのです。従って、蕎麦には天麩羅がマストなので、天婦羅の無い義弟の店を始め、そうした蕎麦店は除外。そこで、ネット検索をして、メニューに天婦羅や天ざるがありそうな店を検出し、その中から選んだのは、市街地で近いということもあって、本町通の「そば切りみよ田」。前回、長野駅ビル内の「そば処みよた」(第1775話)は長野市に本社のある日穀製粉の直営店で、松本店も日穀製粉が南松本に工場があることから、以前は同じく直営店だったのですが、その後王滝グループが経営権を取得して名前はそのままで経営している店。パルコ近くに支店も出すなどして、今では観光客の方々に人気の行列店になり、昔より質を落とした(つなぎを増やした)長野の「みよた」より蕎麦の質は遥かに上だと思います。
お酒の肴向けの一品もあって、昼だけ営業の蕎麦屋が多い(昼だけで十分経営可能ということなのでしょう)中では貴重な店で、手打ちそばに加えて県外からの方々が喜びそうな馬刺しや塩イカ(本来とはちょっとレシピが違うのですが)といった郷土食もあります。更には、奈川名物のとうじそば(投汁蕎麦)も松本で食べられる数少ない蕎麦店でもあります。

20分ちょっと待って入店。我々は二巡目ということですが、蕎麦は他の食事に比べて回転が速いのが(特に熱くないザルなら一層)助かります。せっかちで気の短い江戸っ子に好まれたというのもむべなる哉・・・です。
注文は、お義母さんが案の定で天婦羅そば、家内が鴨つけそば、私メがさるの大盛り。天婦羅は冷たい天ざると温かい汁蕎麦(かけ)とお皿に別盛りの天婦羅の二種類がありました(別に汁蕎麦に載せた掻き揚げそばもあり)。
小木曽製粉を始め、自社で製粉工場を持つ王滝グループの蕎麦は、御岳の裾野の文字通り王滝村の開田高原を始めとする地元産の蕎麦粉の筈で、二八のそばは細打ちでコシがあり、結構私の好みでしたが、やはり新そばの香りは無く、また更科ではなく田舎風の蕎麦であっても、新そばの時期はやや緑がかって見える筈なのに、今年の新そばは何処で食べても香りもですが色も新そばらしい感じが全くありません。
もしかすると、自分の記憶違いか、或いは個人の(加齢に伴う?)味覚の衰えか、はたまたその年々の栽培環境の違いか、更には温暖化の影響か・・・理由、原因は定かではありませんが、今年の新そば巡りは残念ながらここで諦め、終了することにします。
前話でご報告した通り、昔からの信州の“そば処”である美麻新行地区。
昔の記憶では、松本から旧美麻村に行くには、白馬方面へのスキーでいつも通る国道148号線の木崎湖畔の海ノ口から入って行く道しか知らなかったのですが、NAVIの指示に従って、長野冬季五輪でメイン会場の長野市とスキーとジャンプ会場となった白馬村とのアクセス改善のために改善整備された所謂“オリンピック道路”の一つ県道31号線を使って、大町市街地の山岳博物館近くを過ぎて北大町から県道にアクセスすればすぐでした。
「あっ、美麻ってこんなに近かったんだ・・・!」。
この道沿いに、NHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地の「中山高原」があります。春は黄色い菜の花、夏は真っ白な蕎麦の花が高原の丘陵一面に咲きドラマの中でも紹介されて有名になり、ロケで使われた水車小屋だったかのセットも残されていて、一躍人気の観光地となりました。
この中山高原は、元々旧大町スキー場だった場所なのだそうです。道理で朝ドラのロケで知るまで、「中山高原」という名前を聞いたことも無かった筈です。その大町スキー場は昭和初期には既にスキー場として開発されたそうで、戦後のスキーブームを受けてこの新行地区の農家はスキー客受け入れの民宿を営んでいて、その民宿のお客さんに提供していた食事が蕎麦だったのだとか。最盛期には実に18軒もの民宿があったそうで、夏は大学生の合宿などで賑わったのだとか。確かに、私も学生時代の合唱団の夏合宿は同じ大北地域である栂池高原の民宿でした。
しかし、スキーブームが去り、また温暖化に因る雪不足で大町スキー場は閉鎖。そのため、新行地区の民宿は廃業せざるを得ず、その内の4軒が宿泊客の食事で蕎麦を振舞っていたことから、蕎麦屋を始めたのだそうです。
元々新行地区は900mという標高の高い地域で、且つ火山灰土の痩せた土地だったために稲作には余り適さず、蕎麦の栽培に適していた土地。そのため、今では“そば処”として知られるこの新行や、同じ中信地域の奈川や唐沢集落などの地域は、どこも嫁入り修行の一つとして、蕎麦打ちは嫁いだお母さんたちの生活のための必須条件でした。そう云えば、松本の人気蕎麦店となった「野麦」。現在は二代目となって、観光客相手の行列店ですが、昔はお婆さんが一人ひっそりと蕎麦を打っていましたが、店名からしてご出身は旧奈川村だったのでしょうか。他にも松本の市街地に「野麦路」という蕎麦屋もあります。因みに、そうした“そば処”程ではありませんが、松本の岡田で生まれ育った私の祖母も、蕎麦は不揃いで短かったとはいえ、自分で黒い“田舎蕎麦”や“おざざ”と呼ぶうどんを打っていました。
因みに「科野」と呼ばれていた奈良時代、信濃の国は朝廷への税として麻が納められるなど、「信濃布」と呼ばれた麻の産地で、この美麻や麻績という地名はその名残でもあるのですが、会社員時代に美麻出身の部下が職場に居て、平成の合併で美麻村が大町市との合併を選んだ時に、
「地名だって文化財なんだから、美麻なんていう、それこそ文字通り美しくて歴史ある名前が消えちゃうのは何とも勿体無い!」
と、住む人たちの事情も知らずに憤慨して話したことがあったのですが、当時村会議員をされていたという彼のお父上のお話として、地元でも賛否両論あったのだと聞きました。
勿論、その地に住む方々の住民サービス向上は重要ですし、住民でもない赤の他人が「あぁでもない、こうでもない」と言う必要は全く無いのかもしれません。しかし、以前旧中山道の鳥居峠を歩いた時に、合併せずに自立を選んだ藪原(木祖村)と片や塩尻市と合併した奈良井(漆器の平沢とで旧楢川村)と、鳥居峠を挟んで、旧街道の道そのものだけではなく、標識や休憩所などの整備の余りの差に愕然としたこと(第1353話)を思い出すと、果たして住む人たちにとって一体どちらが良かったのか正直良く分からなくなります。

そこで、人間ダメと言われれば余計食べたくなるのが道理で、(奥さまの強い決意もあって)リベンジで翌週また行くことにしました。
恐らく週末は前回以上に混むでしょうから、行ったのは平日で今回は火曜日。「山品」の開店時間の11時に合わせて行くことにしました。
準備に多少手間取り出発するのが少し遅くなってしまい、到着したのは11時20分。既に車は何台も駐車していて、この日も地元ナンバーよりも県外車などの方が多かったのですが、今回は順番待ちの行列も無くすぐに座敷に通されました。
昔はお婆さん一人で切り盛りされていた筈ですが、地元民だけではなく、最近では観光客がわんさか訪れる人気店になったためか、そば打ちは息子さんに任せ、お婆さんだけではなく地元のお母さん方が何人もで接客に当たられていました。注文を取りに来られたお母さんに、
「先週の水曜日に来たら、受付終了で食べれなかったんです。今日、漸くいただけます!」
と言うと、
「あぁ、その日私はお休みを貰ってたんですけど、何だかお客さんが凄かったみたいですね。でも今日は空いてますから、全然大丈夫ですよ!」
「山品」は個人経営のお蕎麦屋さんですが、地元のお母さん方が対応されているのが、何となく富士見町乙事の「おっこと亭」を思い出しました。


冷たいざるそばだけでなく、暖かい汁蕎麦も、山菜やキノコに月見、はたまたニシンまで何種類もあり、蕎麦以外にも季節柄でキノコやそばがき、そして信州らしいイナゴや蜂の子などの一品もあるようです。
我々は、地粉というもり(蕎麦)の竹で編んだざるでの大盛り(1000円)と家内はせいろの(普通)盛り(800円)、それに一方の名物と言う蕎麦粉の薄焼き(800円)も注文。
湯呑茶碗と小鉢の漬物が運ばれてきて、蕎麦茶は座敷のサーバーからセルフサービスで「ご自由にどうぞ」とのこと。
自家製の漬物は、家内は有明に比べてこちらの方が美味しいとのことでしたが、私は有明の方が好みでしょうか。野沢菜漬けといえば、昔母も連れて行った唐沢集落で、大皿で出してくれたべっこう色の野沢菜漬けは本当に美味でした。


うす焼きは、それこそガレットの様なイメージかと思いきや、決して薄くはなく結構な厚み。刻みネギを混ぜた砂糖味噌が、それこそお祖母ちゃんの味で、素朴ではありますが何とも昔懐かしい田舎の味なのです。そこで、二人共思わず、
「美味しいネ!」
「うん、旨いなぁ!」
と、念願だった蕎麦よりもむしろこの薄焼きに感激したのでした。そばがきもメニューにはありましたが、蕎麦と共にどうやらこのうす焼きがここ「山品」の名物というのも納得の美味しさでした。

そばは二八のみでしたが、帰りにお婆さんにお聞きすると。12月に入ったら十割も始めるとのこと。
「新そばの時期は二八でも十分美味しいでね。雪が降ったらお客さんも空くで、二八の他に十割も始めるで・・・。雪が降ったら、また来てください。」
池田町から北は北安曇郡です。真冬にスキーに行くと、明科や穂高の南安曇郡から松川や池田の北安曇に入ると、本当に一気に雪の量が多くなります。更に青木湖を過ぎて佐野坂を超えると、まさに雪国になります。
白馬から後立山連峰は既に真っ白。この美麻新行にも雪が舞い降りるとは、きっと間もなくなのでしょう。
「ごちそうさまでした。十割とうす焼きを食べにまた来ます!」
信州の秋と云えば“新そば”の季節でもあります。
残念ながら、全国有数な規模で期間中16万人もの人が集まるという人気の「信州・松本そば祭り」は、コロナ禍で今年も中止になりました。
(「松本そば祭り」は、どちらかというと各地の有名店ではなく、全国各地の蕎麦俱楽部といった蕎麦打ちの愛好家の皆さんの出店が殆どなので、我々はこれまで一度も行ったことはありません)
思うに、もう少し工夫すれば何とか実施するための方法(例えば、従来の松本城公園だけではなく、あがたの森公園や中町通りをホコ天にしての分散開催。もしくは今年だけ広大なアルプス公園や県下最大という都市公園の信州スカイパークでの臨時開催。またチケットの事前予約などに拠る人数制限等々)はあったようにも思うのですが、長野県民は或る意味“クソ真面目”過ぎるのか、県内では他にも大きなイベントが中止になりました。
例えば、7年に一度の御柱も基本的に地元の氏子のみでしたし、温暖化で最近では殆ど見られない御神渡りに比べ、毎年必ず実施され、打ち上げのその数が実に3万発という諏訪湖の花火大会は諏訪にとって(特に観光業にとって)最大の観光イベントの筈なのですが、片や大曲や長岡の花火大会などはちゃんと実施したのに、諏訪はあっさりと早々に中止を決めてしまいました。代わって行われた毎晩10分間500発の打ち上げなど、今までも7月末から新作花火までの期間中毎年実施していたことです。まるで、コロナ禍での実施に色々苦労するくらいなら(嘗て“東洋のスイス”と呼ばれて精密工業が盛んでしたが、その拠点がある自治体は法人からの事業税で潤うので何もしなくても良かった過去があり、複線化には地域の説得が大変だからと何も努力せず、結果いまだ諏訪だけが単線のままの中央東線と同様です。そのクセ、上諏訪駅に特急が停車しないと文句だけは言う諏訪市長:是非、第1413話を参照ください。諏訪には会社員時代大変お世話になっただけに頑張って盛り上がって欲しいのに、ホント情けなくて考える度に涙が出ます)むしろやらない方が楽と判断したとしか傍から見ていて思えないのです。ホント、勿体無い・・・。
話が横道に逸れてしまいました。閑話休題で、この時期楽しみな“新そば”。例えば、地元では蕎麦の栽培で知られる旧奈川村(とうじそば発祥の地)は、地元の新そば祭りが終わらないと、奈川産の新蕎麦は出荷しないのだとか。そのため産地によって、或いは店によって、新そばが食べられるタイミングが異なるのです。目印は店舗に掲げられる“新そば”と書かれた幟や「新そば始めました」というポスターです。


開店の11時を少し過ぎていたせいか、ちょうど一巡目が食べ終わる頃で、小上がりではなく、山の絶景が拡がる窓側の席に待つことなく案内いただきました。お聞きすると、北海道と茨城の常陸産は新そばに変わったそうですが、まだ地元の安曇野産の新そばは入荷していないとのこと(その時々で、各地の蕎麦粉をブレンドして使っているそうです)。そのためか、二八のざるは(特に二八好みの私メにとっては)相変わらずの美味しさでしたが、確かに新そばとしては香りがイマイチでした。


お目当ての蕎麦店には12時20分頃到着したのですが、ナント「受付終了」の文字・・・。店主のお婆さんが、
「朝から頑張って打ったんだけど、もう足りなくなってしまって、せっかく来てもらっただに、ホント申し訳ないネェ・・・」
と、こちらが恐縮する程。残念でしたが止むを得ません。駐車場には、地元ナンバーに混じって県外車がビッシリでした。昔の美麻は、地元ではそば処と知られていても、ここまで凄くはなかったのですが、余りの人気ぶりにビックリでした。
そこで、「安曇野翁」に拠ると地元産の新そばは未だとのことでしたが、せっかくですので帰路は有明の山麓線を走って、もし“新そば”の幟が出ている店があったら寄って帰ることにしました。グルメ検索的には有名店もある様ですが、電話してみるとそちらも売り切れの由。そこで走りながら目に付いた蕎麦店に入ることにしましたが、水曜日のためか、昔来たことがある「天満沢」を始め結構定休日の店が多く、結局入ったのは「富士尾山荘」という、山麓線沿いの温泉宿を兼ねている店で、暖簾に「元祖そば」とありましたが有明山麓では結構古くからの食堂民宿の様でした。
時間が1時半頃だったせいか、広い店内は我々だけ。温泉宿併設のせいか、蕎麦だけではなく丼物など他にも色々メニューがありました。
我々はそば一択なので、私メはざるの大盛りで奥様は中盛りにしました。品書きなどに拠ると、蕎麦は九一とのことでしたが、さすがに「翁」に比べると味やのど越しはともかく、こちらの店には「新そば」の幟は出ていたのですが、やはり蕎麦の香りはしません。
「うーん、新そばってこんなに香りがしないのかなぁ・・・?」


【追記】
LINEで報告したら娘たちからは食べ過ぎと呆れられましたが、二人共さすがにお腹一杯だったので、その日の夕食はスキップしました。
10月下旬、義姪の結婚式で、秋色に染まる軽井沢に行ってきました。
式と披露宴が行われる時間が週末の午後遅めの時間設定だったので、その日は軽井沢に泊まる必要があり、義弟夫婦やお義母さんたちと一緒に、最近TV番組でも紹介されて人気だという結婚式会場の軽井沢のホテルにも泊まれたのですが、そのホテルではワンコ連れは無理なので、我々は結局いつものドッグヴィラに宿泊しました。


“ドッグ・フレンドリー”を掲げる軽井沢町ですので(個人的には、ワンコ連れにとって、県内は勿論、国内でも軽井沢が一番優しい所だと感じています)、アウトレットも半分以上の店はドッグバギー等に入っていれば入店可(抱いていてもOK)ですので、芝生広場も含めてワンコ連れがたくさんおられます。そのため、奥さまが買い物中に芝生広場でワンコと散歩していると、同じシーズーやマルチーズを連れた方々が寄って来られ、お互いのワンコ談議に花が咲きます。ただ、我が家のワンコたちはドッグランに行っても走り回ったり、芝生の上でも歩き回ったりしてくれませんので、おやつを食べた後は結局車に戻ってワンコたちはモッタリと休憩。

ソースカツ丼にはロースとヒレ、またミックスフライや信州蕎麦とソースカツ丼のセットメニューなどもありましたが、本来私はロース派で家内はヒレ派なのですが、先ずここは基本を押さえるべく二人共ロース肉の駒ケ根ソースカツ丼(1590円。因みにヒレは1620円)を注文しました。

「えーっ、こんなに食べられるかなぁ・・・?」
と、山盛りの丼を見た奥さま。確かに一見すると女性が食べ切れるのかと思うのですが、衣に滲み込ませたウスター系のフルーティーなソースは意外と見た目よりもサッパリしていますし、ご飯の上にたっぷりと敷かれた千切りキャベツも丼の厚みを増しているので、見た目程はご飯の量は多くはありません。ロースカツの端の筋の部分は多少固い所も無いではありませんでしたが、真ん中の肉の部分は柔らか。キャベツもさっぱりとアクセントになるので、思いの外もたれる感じはしません。もしソースが足りなければ、練り辛子のパックの小袋と一緒に明治亭オリジナルという特製ソースの瓶もテーブルにも置かれているので、自分で追加して味を調整することも可能です。
見た目の量を心配した家内も多少時間は掛かりましたが、残すことなくちゃんと食べ切ることが出来、
「あぁ、もうお腹一杯!今日は、夕飯はもう要らないよね!?」
ま、そこまでかはともかく、満腹、満腹・・・で、ごちそうさまでした!
食での町おこし的に云うと、松塩地域の山賊焼き同様に、駒ケ根にはソースカツ丼をウリにする店が何軒もありますので、いつか一度食べに“本場”の駒ケ根に行ってみようかと思わせてくれる様な“信州B級グルメ”の逸品でした。
【注記】
ドッグヴィラ周辺の紅葉の木々の中で、葉の重なりがまるで深紅のバラの花弁の様に見えたドウダンツツジ(多分そうだと思うのですが)の植え込みです。