カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 9月上旬の京都観光。夏の終わりから初秋というこの時期だと、例えばたくさんの風鈴や風車などで納涼の飾り付けがされているというモミジで有名な東福寺や、その塔頭寺院で昭和になっての作庭ですが枯山水の庭園で知られる光明院、もしくは岡崎周辺ではまだハスの花が咲いているかもしれない平安神宮(因みに風鈴も飾られた様ですが、8月一杯で終了していました)の神苑(こちらは入園料が必要です)など、事前にチェックした中でこの時期であればここへという寺社仏閣もあったのですが、結局今回の京都行で唯一拝観したのは金閣寺でした。

 「鹿苑寺金閣」。京都への修学旅行やインバウンドの外国人観光客の皆さんが必ず訪れるであろう、京都観光での定番中の定番。京都での学生時代、高校時代の友人が京都へ遊びに来た時に訪ねた様な気もするのですが、それにしても俗っぽすぎて今回が45年振りの金閣寺ですし、家内に至ってはまさに半世紀前の修学旅行以来とか。
ではなぜ金閣寺か?今回は、これまで娘たちの京都の寺社仏閣のお守りやお札をお返ししながらのお礼参りを兼ねて参拝してきた中で、清水寺や八坂神社、下賀茂神社などは家内が既にお礼参りを済ませているのですが、唯一金閣寺だけがまだだったのです。

 岡崎からは、丸太町通りから西大路を上がって直接金閣寺道まで乗り換えずに行ける市バスの路線があったので、それに乗り向かいました。
バスを降りると、金閣寺道の両側は往く人、帰る人の波が続いています。そしてその殆どが学生さんで、修学旅行の皆さんです。今でも金閣寺は、銀閣寺に平安神宮や清水寺と並んで京都での修学旅行のメッカなのでしょう。
受付で拝観料を払い、以前頂いたお守りの供養のことを伺うと、境内にも返却する箱があるそうですが、「宜しければ、こちらでお預かりします。」とのことで、有難くこれまでのお礼を添えてお返しし、供養のお願いをさせていただきました。

 境内はそれこそ、学生服とセーラー服で溢れていました。でも昔と違うのは、娘たちの頃にはもうそうなっていた様ですが、大型バスで移動してバスガイドさんを先頭にクラス毎の集団でぞろぞろ行動するのではなく、何人かずつでのグループ毎に計画を練って行動している点。しかも安全を考えてか、各グループに付き添いの先生やボランティアの方か大人が必ず付き添っています。中には、まとまって観光バスで来て、拝観時にグループ毎で行動する学校もある様です。我々が伺った午前の時間帯は、どうやら高校生ではなく中学生の一団が多かったように思います。それにしても、昨年までのコロナ禍の2年間は修学旅行を諦めざるを得なかった子供たちが殆どでしょうから、本来に近い形で京都に修学旅行で来られているこの子供たちは本当に良かったと思います。
 40年振りの金閣の鹿苑寺。臨済宗相国寺派。「そうか、禅宗のお寺だったんだ・・・」と改めて認識。鎌倉時代から室町時代に掛けて隆盛を振るった禅宗の、鎌倉と共にその中心である京都五山。
しかし金閣寺は元々義満の別荘であったとしても、あまりに豪華すぎて禅宗のイメージは湧いてこないのかもしれません。その意味では、慈照寺銀閣の方が、ワビサビ的には禅宗としては好ましいように感じます。三島由紀夫が描いた、美し過ぎるが故に「焼かねばならぬ」とした若い学僧の気持ちも、何だか分からないでもありません。
40年振りに来て庭園を一周しながら、昭和62年に金箔が張り替えられたという眩いばかりの舎利殿を眺めてみると、溜息が漏れる程に確かに美しい・・・。
やはり金閣は、臨済宗の鹿苑寺としてではなく、室町時代足利氏華やかなりし頃の北山文化の象徴として観た方が良いのだろうと思います。
 また久し振りの金閣寺を拝観して感じたのは、確か銀閣寺は銀閣と呼ばれる観音殿以外の、書院や東求堂などの慈照寺の建物も拝観できたと思いますが(これまた40年以上も行っていませんので不確かですが)、金閣寺は庭園を順路に沿って一周して拝観終了で、ゆっくり写真を撮りながら巡っても30分も掛かりません。その意味では、予めコースが決まっていて、例えば団体行動で時間通りに移動し到着しなければならない昼食場所等を考えると、修学旅行などの集団での観光には、京都では平安神宮(神苑には入らず拝観料不要の本殿参拝のみ)と共に相応しいのだろうと、久し振りの金閣寺を修学旅行生に混じって拝観しながら感じた次第・・・。

 仮にブルーボトルコーヒーを新しいカフェの代表格とすれば、片や昔ながらの昭和レトロの喫茶店という意味では、京都には古き良き喫茶店がたくさんあります。
多分それは、伝統をしっかりと守りながら一方では新しもの好きの京都人にとって・・・という意味で、大正ロマンの頃から町衆の旦那さんが近所の“純喫茶”で朝その日の新聞を読みながらコーヒーを飲んだり、戦後はお金の無い大学生が100円玉数個を持って名曲喫茶やジャズ喫茶に入り浸ったり・・・といった喫茶店文化がこの街には良く似合ったからではないでしょうか。

 個人的には、40数年前の京都での学生時代、時々行ったのは出町柳に在った名曲喫茶でした。下宿のジャズ好きの先輩からジャズの良さをいくら説かれても(曰く、「クラシックは誰が弾いても同じメロディーだが、ジャズはアドリブが命。即興性こそ、そのミュージシャンのCreativityであり、個性である云々・・・」)、当時はまだジャズが理解出来ずにクラシックばかりを聞いていました。年を取ってからスタンダードから始め、漸くジャズも聞くようになりました。
それ故に、学生時代に名前は知りながら一度も入ったことの無かった河原町の荒神口のジャズ喫茶「シアンクレール」。女性の顔を描いたマッチだけは、何故か記憶に残っています。当時のどの喫茶店もタバコの煙が当たり前で、もしかすると特にジャズ喫茶の店内は紫煙に煙っていたのかもしれません。その京都のジャズ喫茶の代表格が「シアンクレール」であり、高野悦子著「二十歳の原点」にも登場する、或る意味伝説のジャズ喫茶なのですが、前回京都に来て下賀茂神社に参拝した帰りだったか、懐かしくて河原町を丸太町まで歩いた時に、当時ブルマンブレンドのコーヒー豆が格安で買えた「出町輸入食品」はあった(随分店舗が大きくなっていました)のですが、立命館の広小路学舎が既に無いのは当然としても、外観が赤レンガ造りだった記憶のある荒神口の「シアンクレール」もその時は見つけられませんでした。そこで今回もし行けたらと思って調べてみると、残念ながら90年代には既に閉店してしまったとのことでした。(下は偶然日経9月5日文化欄に掲載の「二十歳の原点」に関する記事)

 数ある京都の古い喫茶店の中で、今回行ったのは二条城近くの押小路通に在る「喫茶マドラグ」でした。ここは私メではなく、奥さまたっての希望。というのも、京都名物の“玉子サンド”の有名店で、事前に予約して当初は長女と一緒に行く筈だったのが、娘はオンラインミーティングが入ってしまい行けなくなったため、予約済みなのでどうしても一緒に行って欲しいとのこと。そこで本来はその時間に一人でラーメン店に行く筈だったのを、泣く泣く諦めて同行することにしました。
ただ「マドラグ」そのものは古くからの店ではなく、元々は同じ場所で半世紀以上営業していた「喫茶セブン」から、今のオーナー夫妻が建物をそのまま引き継ぎ2011年にオープンした店で、2012年に高齢により止む無く閉店した洋食店「コロナ」の店主が「喫茶セブンの味を受け継いでいる方に是非お願いしたい」と、当時御年98歳だったご主人自ら店を訪ね、玉子サンドの作り方を伝授したのだそうです。
 開店時間の11:30前に既に5組ほど並んでいて、予約順に名前を呼ばれ入店。我々が最終組でした。並ばれていた中で、予約の無いお客さんは次に回である1時間後12:30の予約をされて戻って行かれました。
店内は経営を引き継いだ昔の喫茶店の内装を活かした、昭和レトロな雰囲気。お店のスタッフも若くてハキハキしていて親しみ易く、大変気持ちの良い雰囲気です。
皆さんも名物の玉子サンドを事前に予約済みの様で、既に調理された湯気の立った出来立ての玉子サンドが次々と運ばれて行きます。
その名物の玉子サンドは、卵4個と牛乳をたっぷりと使ってふっくら蒸し焼きにしたという、甘くは無い京都らしいだし巻き卵風ですが、驚くべきはその厚さ。この厚さがたった4個の卵で作れるとは信じられません。一人前4切れですが、一切れに4個使ったと云われても信じてしまう程の厚さで、一人では食べきれない程のボリュームです。挟む食パンもしっとりと滑らかで、片側がコクのあるデミグラスソースに、反対側はマスタードソースが塗られていて味の変化が楽しめます。
この厚さを一体どうやって食べるのか?と悩むところですが、各テーブルに食べ方を説明した如何にも昭和レトロな古びたパネルが置いてあり、尖った部分から徐々に食べるか、ナイフで半分に切って食べるのがおススメとか。
ラーメンを諦めての昼食に二人で一人前の玉子サンドだけではと思い、鉄板ナポリタンも追加したのですが、これが(年寄り夫婦にとっては)間違いの元でした。こちらのナポリタンもそのボリュームたるや、普通の店の少なくとも倍以上はあります。しかも、熱い鉄板プレートに卵焼きが敷かれ、その上にアルデンテ気味の細麺がしっかりとケチャップで味付けされていて、間違いなくこれぞナポリタン!という感じ。
これで、玉子サンドが830円、鉄板ナポリタンが940円というのですから、そのコスパもハンパありません。
個人的には、玉子サンドはともかく、自分で頼んだナポリタンは残さぬ様に何とか食べ切ろうと思ったのですが、山になったスパゲッティー(決してパスタではない、これぞ昭和のスパゲッティー!)食べても食べてもなかなか減らず、最後1/3程残したところで遂にギブアップ。若いスタッフに謝ると、持ち帰れるとのことで、同じく残っていた玉子サンドの一切れとナポリタンをそれぞれ容器に入れてもらって持ち帰ることにしました。
名物の玉子サンドを食べきれずか、或いは敢えて記念にか、残して持ち帰るお客さんが多いのか、持ち手の付いた厚紙製の専用の容器が用意されている様で、我々には一切れ用の紙パックに入れてくれました。因みに、ナポリタンはスーパーのお惣菜売り場にある様な、普通のプラ製容器でした。
尚、途中何組かお客さんが来られましたが、玉子サンドの調理に時間が必要なのか1時間毎に予約を入れる様で、12:30が無理な場合は諦めて帰られていきましたので、名物の玉子サンドを食べたい場合は出来るだけ事前予約するのがおススメの様です。もしくは、行って予約した上ですぐ近くの二条城を見学して来るか・・・。
 余談ですが、この喫茶「マドラグ」の近くに、金色の鳥居など黄金色に飾られた「御金神社」があるそうで、我が家に一番縁の無いモノなので、せっかくですからお参りしていくことにしました。
「御金神社」は街中のビルの間に佇む様な小さな神社で、金色の鳥居が目印。鈴緒も金色で、周囲の迷惑にならぬ様に鈴は金色の袋で覆われて音は出ない様になっています。
祭神は、金属の神様である金山毘古命(かなやまひこのみこと)をお祀りしていることから、お金の神様として親しまれるようになり、今では金運アップを願って多くの参拝者が訪れるのだそうです。
境内も狭い小さな神社ですが、この日も6人程お参りに来られていました。元々は個人の屋敷内に在った邸内社として建てられ、祀られていたのが、金属にゆかりのある祭神ということで参拝を願う人々が絶えなかっため、明治16年に現在地に移転して現在の社殿が建立されたのだそうです。その後も金運を願う人が参拝に訪れ、本殿裏のご神木であるイチョウ型の絵馬がたくさん奉納されていました。

 小さい赤ちゃん連れの次女と、ところどころでリモートでのオンラインミーティングが入る長女。そのため今回の京都滞在中は遠くには行けません。
本当はこの時期、納涼の飾り付けがされているという東福寺と、枯山水の庭が素晴らしいという塔頭の光明院へも行きたかったし、そろそろ見頃を迎えるであろう御所の隣の“萩の寺”梨の木神社へも行きたかったのですが、どちらも果たせず。

 その結果、滞在場所が岡崎なので、朝のウォーキングで南禅寺や永観堂、或いは疎水沿いの哲学の道を歩いたり、或いは午後の空き時間に逆方向の粟田神社の横から青蓮院から知恩院を経て、丸山公園から八坂神社まで歩いたり・・・。これまで、そうした東山の岡崎周辺のお寺さんや神様には全て参拝済みです。ただ、途中にある浄土宗の我が家の総本山でもある知恩院へは今回もちゃんとお参りをして、更に京の産土神である八坂神社へも一応ご挨拶がてら参拝させていただきました。
 

そんな短い自由時間に長女の希望で行ったのが、お寺さんではなく南禅寺参道に在るブルーボトルコーヒーでした。
曰く、『アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランドに本社を構えるコーヒー製造販売企業である。サードウェーブコーヒーの代表格とみなされている。ネスレのグループ企業の一つ。注文を受けてから豆をひき、バリスタの手で一杯ずつドリップして提供するのが特徴。創業者が米紙に語るところによれば「日本のコーヒー文化に大きな影響を受けた」という。店舗では日本製のコーヒードリッパーやケトルなども用いられている。また、もともとコーヒーを冷やして飲む習慣がなかった米国で、「京都/Oji」という名のアイスコーヒーをメニューに加えた』とのこと。
個人的には「だったら、京都のイノダでも六曜社でも、日本の喫茶店に行けばイイのに」と思わなくも無いのですが、それはそれ・・・。それに一度行ってみなくては評価も出来ないし・・・。
私メは当日のブレンドを頼んだのですが、苦みとコクはあって、個人的にはもう少し酸味(モカ風の)があっても良いとは思いましたが、普通に美味しいし香りが強い。その意味では、同じアメリカであればシアトル系のスタバのコーヒーよりは(自分とっては)遥かに美味しい。でも美味しい日本の喫茶店のコーヒーとさして変らない・・・という感じでした。
古い町家をリノベ―とした京都の店舗は、他の東京などに在るブルーボトルコーヒーの店舗と些か雰囲気は異なる様です。確かに、京の街に馴染む様に町家を活かしたこの店内はオシャレ。多少剥がれた土壁や、天井を取り去って、むき出しになった梁。5㎝程の小さなスコーカー9連のスピーカーが天井付近の柱に取り付けられていて、Smooth Jazzか、頭上から静かに音楽のシャワーが降り注いでいたり、また投げ行けされたシンプルなフォルムの花瓶がさりげなくテーブルに置かれていたり・・・とモダンな和洋折衷で、確かに素敵な雰囲気でした。
 ただ個人的には、ブルーボトルコーヒーより、同じく長女が連れて行ってくれた、京都市京セラ美術館の地下一階のカフェ「ENFUSE」の方が気に入りました。
この京都市美術館は、裏側の岡崎通りと正面の平安神宮大鳥居側の通りがオープンで入場出来るので、朝この敷地内の庭園で体操をする方や、ワンコの散歩をされている方がたくさんおられ、我々も滞在中は毎朝ワンコの散歩をさせて頂きました。
以前長女が京都に来た時に、家内と一緒にリニューアルした京都市京セラ美術館を見て、上村松園とか京都画壇の絵画に触れて感激してとても良かったとLINEをくれました。
そこで今回、やはり長女が連れて行ってくれました(京都市美術館は学生時代含め初めてです)。今回展示していたのは特別展「幻想の系譜―西洋版画コレクションと近代京都の洋画」で、些か嗜好が違いました。むしろ、その後のカフェがとても良かったのです。
構造的には地下一階なのですが、外もスロープで掘り下げられていて、窓が大きいので地階とは思えぬ明るい店内。窓に沿って外が見える様に席が並べられているのですが、十分にスペースを取って配置されているので、明るく開放感があります。美術館の外観はそのままに、内部は大幅にリニューアルされているらしく、むしろ近代的にすら感じられ、内と外の新旧でのアンマッチな感じが如何にも京都らしくて好印象。広々として、まったりゆったりと時間が過ごせそう。事実、娘は私がコーヒーを飲み終えて帰った後も、そこで暫く仕事をしていました。見方によってはホテルのロビーの様で無味乾燥という指摘もあるかもしれませんが、個人的にはまた来たいと思わせてくれる、そんな雰囲気のある素敵なカフェでした。

 9月上旬、長女の帰国に合わせて奥様が予約していた3泊での京都行。
今回はドッグヴィラが確保出来たので、ワンコも一緒に車で京都に行くことにしました(というより、そうでもないとワンコを置いて私メも一緒には行けないし、ワンコと一緒に行くのであれば車でしか行けません)。
ナナが病気になる前は、妹に預かって貰って電車で行けたのですが、ナナはともかくコユキは他人には一切懐かないので預けては行けません。また回復したとはいえ、もう15歳の“高齢犬”のナナに余りの長時間のドライブは可哀想です。そういう自分も、昔なら日帰りで往復700㎞を運転して、家族を成田空港に送って来たこともありましたが、今では絶対に無理。

 松本から一緒に行く筈だった長女は、NYからの帰国便での14時間のフライト疲れで、松本には来ずに東京に一泊してそのまま京都へ先行するとのこと。そして次女も一泊では疲れるだけじゃないかと思うのですが、婿殿の病院への当直日に合わせ、孫娘を連れて新幹線で京都へ来たいとのこと。孫娘と一緒に来てくれるのはジジババ的には嬉しい限りとはいえ、まだ歩けぬ子を連れてベビーカーでの移動はさぞや大変だと思うのですが、本人が来たいというのですから、まぁイイか・・・。“されど母は強し”なのでしょうか。

 前回、滋賀県に初めて旅行した時(第1738話)に、草津へは意外と楽に車でも来られると分かったので、その草津に隣接する大津から一山超えれば京都(実際は山科ですが・・・)ですから、これなら京都も車で大丈夫と思った次第。おそらく40年振りくらいでの車移動での京都入りです。
9月に入って名神が集中工事中ということでしたが、NAVIは中央道から名神経由での京都東ICを選択。約340㎞、4時間ちょっとの行程です。今の車はACCが使えるので(高速道路の)長時間ドライブは本当に楽!却って、軽自動車で松本から脇道経由で木曽路をドライブするよりも遥かに疲れません。
 15時からのチェックインタイムに合わせ、且つワンコたちを途中二度ほど休憩させるために余裕をもって出発しました。中央道から小牧JCTで名神へ合流すると、さすがに交通量が増えてきます。
下り線は工事渋滞も無く、ドッグランのある尾張一宮と大津SA(PA)で休憩。名神は古いせいか、ドッグランを併設したSAは少なく、京都までの間では一ヶ所のみ(中央道は駒ケ岳SAのみ。東京方面には双葉と談合坂の二ヶ所にあります)。そのためか、狭いドッグランですが千“犬”万来で、小型犬を二匹ずつ連れたお客さんが我々含め4組と大賑わいです。そのため、先にワンコたちにオヤツと小用、水を飲ませて、人間のランチは車内で済ませることにしました。

その後も順調過ぎて、京都へ行く手前の大津で2時に30分程時間調整です。大津PAはリニューアルされたばかりとかで、どの設備も最新でこれまで寄ったSA(PA)の中では出色の施設でした。屋上テラスからは浜大津の街並み越しに琵琶湖と対岸の草津方面も望め、6月の近江の旅を思い出しました。
 名神を京都東ICで降り、国道1号線を山科から日ノ岡、御陵、蹴上と、昔、国立一期を落ちてから下宿を探しに行ったら洛内はもう埋まっていて、止む無く一年だけ山科に下宿していたのですが、当時一部は路面を走行していたチンチン電車風の京阪電車で京阪三条まで通学していた線路沿いを走ります。当時の電車の窓越しの景色が蘇る様で、
 「いやぁ、懐かしいなぁ!」
インクライン沿いに1号線の坂を下りながら、当時都ホテルだった蹴上のウエスティンホテルの横から南禅寺方面に折れ、蹴上発電所跡の横を疎水に沿って岡崎方面へ。40年振りかの車での“入洛”でした。

 新居からは松本駅は徒歩10分。実際には早歩き気味だと、7~8分で到着します。駅が近くて(車を使わずに歩いて行けるので)便利です。
さて、この日は奥さまが横浜の次女の所にヘルプに行っていておらず、「たまにはラーメンが食べたいなぁ!」(家内はラーメンが好きではありません)ということで、選んだのは松本駅のアルプス口(旧西口)に在る「谷椿」です。
こちらは昔からやっている良心的な焼肉屋さんで、会社員時代に夜は何度か(肉食系の若い連中を連れて)伺ったことがあって、昼は7年前に外出した際に一度だけ食べたことがありました。

 夜の「谷椿」は、焼肉やホルモンを格安(一人前の量も半端ない)で提供してくれる昔からの松本の人気店。年配のご夫婦が営む店内は、長年の油が染み込んでいて(年季の入ったジンギス鍋を火に掛けると、自然に脂が滲み出て来ます)お世辞にもキレイとは言えませんが(ちゃんと掃除はされているので清潔です!)、何とも言えない“昭和の雰囲気“が漂う庶民的な店(一見ややディープな雰囲気で、煙と熱気に溢れた店内は少なくとも若いカップルのデート向きの店ではありません)。コロナ禍以前の当時は、夜は常に外に溢れんばかりに満員でしたが、昼はそうでもありません。なぜか入り口の引き戸が二ヶ所にあり、最初はどちらから入れば良いのか戸惑いますが、どちらも入店可(店内が狭いので、混んでいる時はどちらからでも出入り可能となる様にしてある由)。
この日は平日の12時半だったのですが、8席のL字型のカウンターと4人掛けのテーブルが2つの店内に、カウンターに私より年配の方とテーブル席に家族連れの若いご夫婦の二組だけでした。
さすがに今回は7年振りなので少し値上げされていましたが、それでもラーメンが450円。大盛りで600円。日替わりランチが600円という、今でも破格の値段(昼は焼肉メニューはありません)。日替わり定食(この日はポークソテーで、これにご飯と味噌汁、煮物と漬物の小鉢が二皿付きます)はワンコインランチとは言えなくなりましたが(当時は定食が500円、ラーメンは400円でした)、今でもラーメンは450円と500円玉でお釣りが来ます。今回は大盛りを注文しました。それとこちらの名物は、まだ食べたことはありませんが、牛めし。ハーフサイズもあるそうです。チェーン店の牛丼とは別物の、焼肉用の牛肉の切れ端を使った分厚い切り落としを煮込んだ肉丼です。
 駅ビルの改装(東西自由通路増設)に併せて整備された、松本駅の西口となる現在のアルプス口。諏訪へ電車通勤していた時は、駅裏に自腹で月決めの駐車場を借りていて、いつも西口の改札から入場していました。整備前は小さな木造の西口で、道路を挟んですぐ横に民家や薬局などが立ち並んでいて、「谷椿」もその中の一画。駅舎改装後の西口は、ロータリーと駐車場も整備されたので随分南側に移ってしまいましたので、店舗は駅舎からは少し遠くなりました。そういえば大糸線と上高地線のホーム(6番線&7番線ホーム)には「駅蕎麦」店があり、0番線ホームにある駅蕎麦店よりも美味しいという評判でしたが何年か前に閉店してしまいました。
西口の駅前の様相が随分変わっても、この「谷椿」だけは当時のままで何も変わっていません。そんな昭和レトロな店内同様に、ラーメン(この日オーダーしたのは大盛りです)も昔懐かしい“The 中華そば”風のあっさりした鶏ガラベースの醤油スープに、チャーシューが2枚とシナチクにこれまた昔懐かしいナルトと刻みネギ、細いちぢれ麺という王道派のラーメンです。洒落た“無化調”などとは一切無縁。しかもレンゲが付いて来ないので、スープは丼から直接啜らなくてはいけませんが、これでイイ!と思わず唸りたくなります。お茶と一緒にお新香として自家製の白菜漬けが付いて来ますが、浅漬けかと思ったら少し酸味がする程に良く漬っていて私好みの味。何となく、漬物上手と云われていたお祖母ちゃんを思い出しました。
ラーメンは、進化系とか“ばりこて”とか、煮干しだ鯛だ甘エビだ・・・と、最近は色々目新しさを競い合っているようですが、自分は例え古臭いと言われても、これぞ“支那そば”とか“中華そば”或いは嘗ての“東京ラーメン”と云われた様な、飽くまで鶏ガラベースの醤油ラーメンが好み。
だからこそ、こういう昭和風の店内で“絶滅危惧種”の様な懐かしい醤油ラーメンを食べる、そんな“一杯のかけそば”ならぬ“一杯の醤油ラーメン”の幸せをしきじみと味わっています(ただ、もう少し麺が堅めの方が個人的には好みなので、今度来た時は頼んでみようかと・・・)。なお、写真に写っている古びたアルミの鍋蓋は、夜の焼肉用のガスコンロに被せたものですが、これまた何とも言えないレトロな雰囲気を演出しています。
 余談ながら、ご主人はお疲れ気味だったのか、この時はテレビを見ながら奥の部屋で休まれていて、女将さんが調理から片付けとお一人で切り盛りされていましたが、夜の焼肉はご主人が対応されているのかもしれません(ただ、以前夜の焼肉の時は、気さくなご主人が当時はコップ酒片手にお客さんと談笑していましたが・・・?)。どうか、いつまでもお元気で、たとえ時間が掛かっても構わないので、この懐かしい昭和の味を出来るだけ長く続けて欲しいと思いながら店を後にしました。

 「どうも、ごちそうさまでした!美味しかったでーす。」

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