カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 国道20号線塩尻峠の岡谷側にある焼き肉店「縁結び」。塩尻側には同じく」「東山食堂」と、峠を挟んで焼き肉の名店が相対しています。
「縁結び」は、上諏訪出身の奥さまの昔からのお馴染の店でもあり、30年程前に上諏訪の社宅に住んでいた時に、時々諏訪から食べにも行っていましたが、松本に移ってからは高速道路を使うことが多くなり、国道で塩嶺峠を越えることもなくなると、その国道沿いの店にも行くことが全く無くなりました。

 先日(第1198話)の実家の義父の納骨の後の宴席が「縁結び」とのことで、てっきり茅野に出来た支店(茅野店)だとばかり思っていました。ところが、義弟が予約してくれてあったのは塩嶺峠の「縁結び」岡谷店(本店)でした。
松本まで帰るこちらのことを慮って、わざわざ茅野から塩嶺峠まで30分程走っての訪問でした。しかも、コースの宴席料理を事前に予約してくれてありました。
塩尻側からだと、峠を登り切って下り始めてすぐの諏訪湖側(左側)に店舗があり、丁度昼時でしたが、県外車も含め結構駐車していました。今でも繁盛している様で何よりです。私達は諏訪に住んでいた時以来、実に30年振りです。店内は改装されて、何だか随分キレイになった様な気がします(昔はもっと油っぽくて、且つ煙っていた気がしますが・・・?)。
既に配膳されていたコースメインの肉の“船盛り”。和牛やイベリコ豚、福美鶏と云ったプレミアムなブランド肉が山盛り一杯で、一人ずつ席に置かれていました。
 昔懐かしい縁結び独特の肉を焼く鉄板の中央には、独特の野菜の塩茹で用の容器と縁には焼いた肉から出る余分な油受けも。この焼き肉用の縁結び独特の鉄板も昔通りで変わっておらず、本当に懐かしい限り。謂わば縁結びのトレードマークです。それを、「縁結び」特製のタレに浸けていただきます。このタレ・・・30年振りの懐かしの味です。
 焼き肉だけでも十分なのに、始まると小鉢や麺類、ちらし寿司風の海鮮丼(海鮮ビビンバとのこと)、更に〆のデザートと次から次へと運ばれて来ます。昔は無かったであろう蕎麦は手打ちで二八の本格派。イヤハヤ畏れ入りました。更に回海鮮丼、最後にデザートと続き、到底食べ切れません。聞けば、これで一人3千数百円なのだとか。飲み放題を付けると、一人五千円丁度だそうです。この圧倒的なコスパ。団体客にはマイクロでの送迎もありますが、峠の上の方にあるため、立地上のハンディを補うための量的サービスなのかもしれませんが、それにしても驚きとも云える圧倒的なコスパの良さでした。
少々街中からは外れますが、峠の中腹から岡谷の夜景を見ながらの焼き肉での宴席も、特に若い人たちの多いグループであれば絶対にお薦めです。
30年振りの、本当に久し振りの訪問でしたが、接客も良く、
 「これは、なかなか大したものだ!」
と感心至極でありました。娘たちが帰省してきたら、また来ようと思います。ごちそうさま!でした。
(豪華な和牛などの盛り合わせも感動モノではありますが、個人的には、昔ながらの「縁結び」のジンギスカンにも郷愁をそそられます)

 春の遅い信州松本でも桜開花が宣言されて1週間が経った4月15日の土曜日。『梓川・桜ウォーク2017』が翌16日と二日間開催されました。
当初16日の梓川周辺の桜スポットを巡る「桜コース」28kmを申し込んでいたのですが、生憎奥さまが実家に行く用事が出来たため、前日15日の清流梓川の河畔を歩く「梓川コース」21kmに変更してもらいました。上高地から流れ下る、この梓川河畔のコースは「新日本歩く道紀行100選 水辺の道」認定コースなのだとか。
 それぞれの体力に合わせてコースを選ぶのですが、15日は9kmと21kmで、16日は8km、13km、28kmという設定です。因みに、参加費は事前申し込みで1000円(二日間だと1500円で、高校生以下無料)。
帰路のことも考え、十分な駐車場が確保されていると事前に確認出来たので、車で集合場所の松本市波田体育館へ向かいました。

昨秋の「松本城ウォーク」(第1154&1155話)は650人程の参加でしたが、今回の初日の梓川コースは400人とのこと。しかも三割の方々は県外からのご参加とか。凄いですね。桜のシーズンで、上高地から流れ下る“清流”梓川の好イメージなのでしょうか?・・・。ゴールデン君や柴、トイプーも飼い主さんと一緒に参加のご様子。皆さんも21kmの様です(大丈夫かなぁ?・・・)。この日の早朝は風こそ強かったものの天気は晴れていたのが、9時のスタート時には、あろうことかにわか雨の様相。
 「オイオイ、マジかよ~!?」
 我々は、出発地点から少し離れていたので、ちょうど列の真ん中辺りでのスタートとなりました。
10ヶ所のチェックポイントを回る「松本城ウォーク」と違い、梓川ウォークの途中でのチェックポイントは1ヶ所のみ。しかも地図を頼りにコースを探すのではなく、梓川河畔の両岸を歩くという分かり易いコースであるためか、要所には係員の方々やコース案内の矢印が掲示されています。
おそらく(パンフレット写真の様に)本来であれば、河畔の桜も咲いて、天気さえ良ければ残雪の北アルプスを眺めながらの絶好のウォーキングコースである筈。しかしあろうことか、この日は生憎途中から時折雨風混じりの悪天候。そのため、ロゲイニングでもないのに皆さん只ひたすら歩くのみ。しかも途中のチェックポイントも一つだけなので、極端に云えば“八甲田山死の彷徨”的に、とにかくゴールを目指します。
途中、松本平の枝垂れ桜で有名な安養寺もチラホラ咲き始めたところ(殆どの方々は立ち寄らずにそのまま歩かれて行きます)。また、倭橋辺りの“北アルプスと桜の絶景ポイント”も、冷たい雨に煙って前山すら見えず、河畔の桜も咲いてもおらずに殆ど蕾のまま。
梓水園でのチャックポイントでスタンプを押印してもらい、幸い張られていたテントの下で雨を除けてお弁当を食べてトイレ休憩もそこそこに、(暖も無い寒い中では)長居は無用(家内ではありませんが、隣の屋根付きのBBQスペースで何やら集まっていた若者グループのBBQの火が、何とも暖かそうで羨ましく感じられました)。
とにかく、見るべきビューポイントも無ければひたすらゴールを目指して歩くしかありません。コース途中で、唯一工場団地で咲いていた(普段なら珍しくも無いであろう)2本のヒガンザクラを皆さん記念写真としてカメラに収めていました。
最後の折り返し点の八景山(やけやま)付近(上高地線の新島々駅近く)では、水芭蕉が咲いていたり、珍しい沈下橋を渡ったりという興味深いポイントもあったのですが、とにかく氷雨の中(きっと北アルプスの山頂は吹雪だろうと予想しつつ)ひたすらゴールを目指しました。
 全長21km。休憩時間も含め、9時にスタートして13時半にゴール。弘法山や林城址に登った松本城ウォークに比べ、距離は3㎞程長いものの、梓川の両岸を歩くだけでしたので(殆どが舗装されていない堤防上の砂利道であることを除けば)大変歩き易いコースです。
二日目の波田から梓川や三郷エリアの桜の名所を巡るという最長23㎞のコースは、途中室山へ登るアップダウンがあるので、結構大変かもしれません。しかしこの日の悪天候では、梓川河畔の平坦なコースも只々長く感じられたのみ・・・。その21kmを歩き切って、スタート地点の波田体育館へ到着。 「ゴ~~ル!」
・・・と、先にスタートしたゴールデン君が、雨に濡れて伏せていました。(“ゴール”でん君もちゃんと“ゴール”したんだね、お疲れ様・・・などと洒落も言う気力なし・・・しかも、ゴールしたら晴れて来たんジャン!)
 トホホ・・・漢字で書けば正に“徒歩々”な“感じ”でありました・・・!?
奥さまは、いたく残念がって、(本来であれば、パンフに写っている写真の様に、桜が咲いて絶景の北アルプスが望めるであろう)来年も同じコースを再チャレンジ(≒リベンジ?)されるそうです(トホホのホ・・・!?)。

 先日(4月4日深夜0時過ぎ)、何気なくNHK-BSを見ていたら、昨年11月に放送されたというNHKスペシャルが再放送されていて、引き込まれ最後まで見入ってしまいました。
それは「足元の小宇宙 ~絵本作家と見つける生命のドラマ~」という番組。登場したのは、京都の嵯峨野在住で御年86歳の甲斐信枝さんという現役の絵本作家。この(失礼ながら)お婆ちゃんがスゴイ!のです。何とも唖然とするばかり・・・。

 現役の絵本作家である甲斐さんの“その”凄いところ。
それは、何気ない足元の雑草を、それこそ“地べた”に新聞紙を敷いて腰を下ろし、絵筆をふるいながら一日5時間も6時間も観察し続けること。そして、それが一日だけではなく何日も何日も続くのです。その日々の観察から描き出された絵本。それは彼女の観察結果(例えば、彼女が「舞い舞いしているのよ!」という、タンポポの様なノゲシの綿帽子が風下だけではなく、草の周りを舞うように渦巻いて風に乗って拡がっていく様子。それがNHKのハイスピードカメラの撮影で実際に証明されていくところなど)により、単なる絵本ではなく「科学絵本」と呼ばれるジャンルなのだそうです。
しかも、時に“地べた”に這いつくばって虫眼鏡で観察しながら、その雑草たちを「コイツは、アイツが、この人は・・・」などと、本当に親しげに愛情を持って呼び接しているのです。いつの間にか、視ているこちらがニコニコとして、時々吹き出してしまいました。
そして素敵なモノを見つけると、歩いている見知らぬ人に声を掛け、その“宝モノ”を見せてあげるのです、「だって、こんな素敵なモノ、独りで見てらた勿体ないでしょ!」。
そして何よりも、そんな甲斐さんの姿が実にチャーミング!。子供の頃から家の中での勉強よりも野山に居る方が大好きだったという甲斐さん。そんな汚れを知らない純粋な少女がそのまま大人になった様な感じで、ある意味、そんじょそこらの“うら若き”乙女よりも遥かに可愛らしくて魅力的でした。特に“はにかんだ”様な笑顔が実に可愛い!のです。甲斐“嬢”とでも呼びたくなる程本当に、実にチャーミングな女性なのでした。
【追記】
先日、松本中央図書館で彼女の科学絵本を借りて来ました。
そこには、まさにTVで視たままの“小宇宙”が拡がっていました。
(本の巻末にあった著者紹介から。発刊が1972年でしたので、45年前の甲斐さんです。知的な佇まいで写っておられますので、先日のTVで拝見した86歳の今の方が可愛らしいかも・・・)。
因みに館内の端末で検索をすると、松本市立図書館だけで(分館を含め)30冊以上の蔵書がある筈ですが、本放送の時もそうだったそうですが、今回の再放送でもその後の(お子さんではなく大人の人たちからの)反響が大きいとのことで、私が伺った日も彼女の著作は僅か2冊しか見つかりませんでした。

 一周忌を前に、春めいて雪の消えた3月末に義父の納骨を済ませることが出来ました。義父は長男ではないので、生前に市営墓地を抽選で申込み事前に確保してありました。忙しい義弟に代わり、事前に義母と家内で石材店と打ち合わせてしっかりと墓石も用意されていました。

 茅野市の永明寺山の南斜面に、昭和50年から造成されたという市営の永明寺公園墓地。実家の墓地は第3期造営部分とのことですが、家内の道案内で車で登って行くと、結構な高台で南側に開けた茅野の市街地が望めます。
しかも、お墓に行く途中には、石室跡と思しきスペースに「釜石古墳」、「一本椹(さわら)古墳」という案内板が建てられています。
 「えっ、古墳!?」

案内板に拠れば、ここは6~7世紀という古墳時代後期の円墳が50基程固まっている「永明寺山古墳群」の一部なのだとか。そう云えば、この付近の地名「塚原」というのも、この地の古墳群の存在に由来しているのでしょうか。
しかも、造成中の2013年には直径11mという諏訪地域最大級の7世紀の円墳「永明寺山古墳」が発見され、ほぼ未盗掘で鉄製の直刀6本を始めとする300点余りの埋葬品が出土。墓地の上部にその円墳が復元されていました(この古墳発見により墓地造成が遅れたのだとか。縄文と仮面のビーナスの二つの国宝土偶が発見された茅野であれば、市内の遺跡に一体どんな古代の“お宝が”埋まっているやもしれず、それも止むを得ないでありましょう)。
説明書きに依れば、この永明寺山古墳の石室へ至る進入路(羨道)は入口からやや東に曲がっているのが特徴的で、この標高872mの高台から晴れた日に臨める富士山と正対しているだとか。古代から富士山(不死山?)を崇め奉った故ではないかとの説明がありました。
確かに古墳時代もまだ富士山は、科学現象を説明出来ぬ古代人にとって、鎮まれぬ神の怒りとしての畏るべき活火山ではあったのでしょうが、しかし思うに、古代この地に至近の目の前に聳ゆる八ヶ岳の方が、むしろ畏敬の神の如く(八ヶ岳の裾野に住まいし縄文の諏訪の民から脈々と受け継がれた)畏れ崇め奉る存在ではなかったのか・・・と個人的には感じられました(但し、この古墳のある場所からは永明寺山の山肌に遮られて八ヶ岳を望むことは出来ませんし、八ヶ岳の最後の噴火は遥か130万年前とされています)。
 古墳時代前期とされる3世紀の前方後方墳で、東日本最大級の松本市の弘法山古墳。前方後円墳では、東日本最大級の石室を持つという千曲市(更埴)の森将軍塚古墳(4世紀)。それらに比べると、出雲族の関わりが考えられる諏訪(須羽)国は円墳中心であり、ヤマト王朝との関わりは科野(信濃)国よりも遅かったように思われますが、登ると一目瞭然での弘法山同様に、この地一帯を眼下に見下ろして眠るのは、やはりこの地を治めた首領に違いないであろうと納得させられる絶景の場所でありました。
 その意味で、古来この地は、古代ミシャクジ信仰にも繋がる諏訪国の民の子孫の行く末や安寧を願って、この地に関わった人々が眠るのに相応しい場所の様にも感じられ、諏訪の人だった義父を偲びながら暫し眼下に広がる茅野の街を眺めておりました。

 諏訪で同期の飲み会があったので、電車で向かうために久し振りに松本駅のホームへ降りて行くと、新旧の特急あずさが停車しているのが見えました。

現役の一番古い薄紫色のスーパーあずさと普通のあずさ(甲府までの特急かいじも同一車両)。そしてスーパーあずさの後継となる新型のE353系試験車両です。 “テツオタ”(鉄道オタク)ならずとも、いやぁ壮観!です。
 確か昨年「特急あずさ運行開始50周年」のイベントが開催されたと思いましたので、登場は1966年でしょうか。狩人の「あずさ2号」で全国的に知られるようになりましたが、3時間近い乗車は苦痛でしかありません。
長野市の様に北陸新幹線で東京まで1時間!などと決して言いませんので、せめて新宿~松本時間が2時間程度にはなって欲しいのですが、都内の中央線の混雑と、山梨県内のカーブ区間と長野県内の茅野~岡谷間の単線区間が解消されない限り、高速化は夢のまた夢で到底無理。そのため、新型のE353系も高速化ではなく(ある意味諦めて)快適化を目指しているとのこと。
まぁ、しょうがないのでしょうね。
従って、松本諏訪エリアはリニアも関係無く、ある意味高速鉄道網の中では取り残された“陸の孤島”になってしまいそうです。
 そこで、長野県内の中央線でも静岡の大井川鉄道や山口線のやまぐち号や貴婦人号の様にSLでも走らせて、「松本や安曇野には泊まらないと来られません!」とでもしたらどうでしょうか?観光的には不便さをもう坂手に採って、もう“わびさび“の中で生きて行く・・・と開き直ってやるっきゃない!

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