カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
5月中旬、信州もさすがにもう遅霜の心配も無さそうなので、園芸店に行って野菜苗を買って来て、今年もマンションのベランダで夏野菜のプランター栽培に挑戦中です。

「これなら、野菜を買った方が安くない!?」
そんな奥さまからの皮肉にもめげずに、昨年も再挑戦。
昔は果樹園の脇の畑で家庭菜園を楽しんで、妹や姪の家にもお裾分けする程たくさん収穫出来たのですが、そんなつもりで安易にベランダのプランターで栽培したのがそもそもの間違い・・・。
昔、集落の“オジサンやオバサン”から、我が家の果樹園や畑の土壌は、「リンゴ園の土が本当にイイだで」と羨ましがって褒められるくらいで、その分雑草も蔓延るのが凄かったのですが、一度も追肥せずとも毎年夏野菜が収穫出来たそんな畑と、プランターでは土の養分と水持ちが全く違うのです。
当然プランターの土には野菜用の培養土を使っているのですが、そこで昨年は野菜用の肥料を追肥として定期的に施肥することで、初めてキュウリもナスも収穫出来ました。でもその数は“多少”で、まだ満足する程(=買って来るよりもお得!)では全くありませんでした。
因みに、今年は田んぼ近くの5年間貸していた畑が契約更新されずに返却されてしまったのですが、そこは日当たりが余り良くなく、祖父や父の代に果樹(桃)を植えても満足する様な出来では無かった様で、最後はネギを植えていたくらいの畑でした。
因みにその横の田んぼは、今まで通りJA関係の団体が更新して使ってくれていますし、他の田んぼも父の頃から借りて頂いている個人の方がそのまま借り続けて頂いていて、今年も既に田植えを終わられています。
しかしその返却された畑については、断捨離と終活に伴いトラクターや耕運機といった農機具も軽トラも全て処分してしまったため、返却された畑を耕す手だてがありません。
その畑を借りて頂いた方は5年間エゴマを栽培されていたので、一度耕さないとそのままではすぐには使えません。仮にトラクターや耕運機をレンタルしても運ぶ術がありません。
お隣の塩尻市には依頼を受けて田んぼや畑をトラクターで耕してくれる法人(NPO?)があるのですが、受託する範囲は塩尻市内だけ。松本市内は無理で、JAには残念乍らそうしたサービスはありません。
因みに、その畑の横には大門沢川が流れていて、上流に家畜場は無いので、水利の無い山の畑とは違って使おうと思えば水はあり、そこで来年に向けて誰かに頼むなり畑を耕す方策を考えることにして、一旦今年は今まで通りにベランダでのプランター栽培を継続することにしました。

そこで、先ずはプランターの土をリサイクルして活性化すべく、ホームセンターで再生材を買って来て培養土に混ぜ、数日間はそのまま置いて馴染ませます。





我が家はマンションの高層階で、プランターを置くのは南向きのベランダなので日当たりは良好ですが、城山山系に遮られていた沢村と違い、ここ渚は風の通り道で結構強い風が吹く日があります。そのため誘引が遅れ、伸びたキュウリの主枝が風で折れてしまったことがありました。そこで、早目にキュウリとミニトマト、ナスは支柱を立てて誘引をしました。


また間引きして植え替えた大葉と種で蒔いたルッコラも順調に育っています。最近、ナスの花が幾つも咲きました。そしてミニトマトが漸く赤く色づき始めました。




次女のお義母様がコロナの後遺症で体調がすぐれず、昨年秋から半年間延び延びになっていた、一歳になった下の孫の一升餅と上の孫の三歳の七五三のお祝い。
お義母さまはまだ“全快”とまでは言えない様ですが、“だましだまし”でも外出されたり出来るまでに回復されたとのことから、ここで次女たちの横浜の自宅で半年遅れのお祝いをすることになりました。
但し時季外れですので、神社での七五三の参拝は無理なので、全員で近くの神社にお参りして孫たちの成長をお祈りして、七五三の記念写真は、写真館の予約の都合上6月に家族だけで撮影することにして、当日のお祝いの席は、上の孫の一升餅の時の様に外の割烹ではなく、お祝いの料理を取り寄せて自宅でお祝いをしたいとのこと。
こちらからすれば“イイどこじゃない!”、延び延びになってもご実家のご両親も顔を揃えられて、皆で無事に孫たちのお祝いの席が持てるのが何よりですから・・・。
因みに、本当なら昨年11月にする筈だった七五三のお祝いが先に延びると聞いて、まだ在庫のある内にと、江戸時代から続く松本の老舗の飴屋さん「新ばし飴」の新橋屋商店(謙信が信玄に送った塩が、“塩の道”千国街道を通って松本に1月11日に着いたことに由来する、毎年1月に行われる松本の伝統行事「あめ市」の福飴で有名。松本にはこの「新橋屋商店」の他に、創業350年という「山屋」と、またこれも江戸時代創業の「飯田飴店」という老舗飴店もあるのですが、我が家では毎年父が新橋の店まで行って、必ず「新ばし飴」の福飴を買って来ていました)へ昨年末に伺って、お祝いと写真撮影のために七五三の千歳飴だけは先に購入し、お店のご主人の「冷蔵庫に入れて置けば、春までは大丈夫ですよ!」とのアドバイス通りに保存してありました。

全員で神社への参拝と自宅へ届けたいただいた老舗料亭の仕出し弁当でのお祝いの会食が終わり、ワンコたちが待っているので、夕刻までには松本へ着ける様に午後2時に先に“おいとま”させていただきました。
帰る際、奥さまから「これ、松本に持って帰ってね!」と渡された大きな袋。
その中には湯河原のご実家から毎年戴くお土産の新茶などと一緒に、何やら大きな木枠が入っています。
聞けば、これは次女たちが使っていた多面体フォトフレームで、これまで孫たちの写真を入れて壁に掛けて飾っていたそうなのですが、吊り紐が解(ほど)けて床に落ちてしまい、その衝撃で木枠が3ヶ所壊れてしまったのだそうです。
このフォトフレームは写真を入れる表面カバーがガラスで、幸い今回ガラスが割れることは無かったのですが、仮にもし修復出来ても、孫たちがこれからますます活発になって行く中で、今後不注意でもし落下した場合に、ガラスだと万が一割れたりして危険なので、代わりのフォトフレームを既に購入済みなのだそうです。
従って、このフォトフレームは廃棄するとのことですが、仮に廃棄するにして、もし処分場に持ち込まなくてはいけない場合も、車の無い彼等よりも車ですぐに行ける松本の方が良いだろうと、今回私メが持ち帰ることに。
「直して使えればイイけど、もしダメなら捨ててね!」
ということで、家内の指示でこの日松本まで電車で持ち帰ることになったのでした。

持ち帰って翌日チェックしてみると、四角形の木枠の接続部分が落下の衝撃で接着が剥がれてしまっているのが3ヶ所と1ヶ所のフレームにヒビが入っていましたが、折れたりするような深い傷ではありませんでした。また厚さ3~4㎜のガラス10枚は、一枚もヒビ割れとかの損傷や傷はありませんでした。
従って、木枠を接着して直せば十分再活用が可能です。
ただこのはがきサイズのガラス、因みに全10枚を測ってみると、合計で600グラム。フレーム全体で900グラム程でしたので、2/3はこのガラスの重さ・・・です。
もし壁に掛けるのなら軽い方が良いし、4月には松本でも震度4の地震がありましたが、万が一落下してもガラスでない方が安全です。
通常考えられるのは、良く写真立てに使われているプラスチックの透明なアクリル板でしょうか。ネットでフォトフレームを検索してみると、殆どがこのアクリル製か若しくは他の硬質樹脂製で、写真のカバー面にガラスを使っているモノは見当たりませんでした。
そこで、市内のホームセンターや文房具店(松本だと「事務キチ」があります)や100均ショップを調べてみました。
H/Pでは分からかったので電話で聞いてみると、ホームセンターにはアクリル板はサイズも厚さも色々あるそうですが、松本の事務キチには無さそうでした。またネット記事に依ると100均ショップにもありそうですが、松本に有るかどうかは実際ショップに行ってみないと分かりません。
そこで、翌々日、ホームセンターとダイソー、セリアの3店舗に回ってみました。アクリル板はホームセンターに3mm、5mmなど、またサイズも色々揃っていました。問題はカットするのに専用のアクリルカッターと金属定規が必要とのこと。
一方、100均ショップを見てみると、DIYコーナーには硬質プラスチック製の乳白色のポリ塩化ビニルのパネルがあったのですが、残念ながら透明なモノは無し。ところが、セリアの文房具コーナーに透明な硬質プラスチック製のポリ塩化ビニルのA4判の下敷きがありました。思わす「これだ!」ということで、3枚購入。


問題はガラス板が151mm×101mmなのですが、A4サイズの下敷きは297mm×210mm、厚さは0,68mm。297では少し足りないのですが、210は十分。厚みも0.7mmでも下敷きですのでグニャグニャしておらず、しっかりしているのでガラス板の代役として十分使えそうです。
子供も使う文具の下敷きなので安全のためでしょう、四隅の角はRが付いて丸くなっています。
297mm×210mm のA4から148.5×101サイズで4枚取れるので、上下4mmずつカットしてRを取って直角にします。
0.68mmの硬質プラスチックのポリ塩化ビニル製ですが、カッターナイフで4回程少し力を入れて線を引くと、ほぼ切り取ることが出来ました。同様にA4判3枚から合計10枚を切り取ります。
木枠の外れた部分は、接着面に木工用ボンドを塗って接着。はみ出た接着剤をふき取り、しっかり硬化するまで注意書き通りに12時間待ってから、はがきサイズの写真は無いので、取り敢えず手許にあった孫たちのL版の写真を10枚木枠に入れ、写真のカバーとしてガラスの代わりにカットした先述の塩化ビニルを木枠に嵌め込みます。




「フム・・・、なかなかイイんじゃない!?」
ということで、場合によっては捨てられる運命だった木製の多面体フォトフレームですが、DIYで何とか修復なって、これにて完成!
(因みに、奥さまが相応しい写真を選んでフォトショップに注文し、ちゃんとはがきサイズで印刷してもらって入れ替えるとのこと・・・です)
奥さまが毎月10日間から2週間程度、定例で横浜の次女の所に“家政婦”に行かれて不在。
独り身だと何を食べようか迷い、時には「作るのが面倒臭い!」というような日もあります。そんな時に個人的に重宝しているのが、外食だと近くのテンホウや持ち帰り弁当のHotto Mottoです(但し、テンホウはメニューが少なく、個人的にテイクアウトで選べるのは皿うどんとソースカツ丼の二択しかありませんので、Hotto Mottoはメニューが豊富で助かります)。
我が家周辺にはあまり飲食店が無く、そうは言っても周辺に飲食店が集まる松本駅だって徒歩で8分程度なのですが、一人だと何だか億劫で、良く井之頭五郎さんは(仕事帰りとはいえ)独りで食べに行けるものだと感心してしまいます。それに一人だと徒歩範囲でなければ車で行くと飲めないので、(下戸の五郎さんはともかくとして)飲兵衛の人間は余計億劫になってしまうのかもしれません。そこで、
「だったら、買って来て家で飲んだ方がイイヤ・・・」
と勢いテイクアウトになってしまうのが必定(ワンコがいるので、ノンビリ留守には出来ないということもありますが)。

そんな状況の中で久し振りに選んだのが、松本B級グルメの代表格、松本市民のソウルフードと言っても過言では無い(と言っているのは私だけかもしれませんが、自分自身はそう信じて疑わない)焼きそばの「たけしや」です。但し“松本B級グルメ”と言っても、他の“町おこし”的にその地域で幾つもの店が共同で手掛けるその土地独特のメニューや料理、例えば松本だと“山賊焼き”とか上田の“美味だれ焼き鳥”などでしょうが、この焼きそばは「たけしや」でしか食べられない独特の焼きそばなので、本来の“B級グルメ”とは少し違うのかもしれません。
昭和30年(1955年)創業という「たけしや」。生まれたのは私メの一年先輩ということになりますが、70年近くもこの「焼きそば」一本で勝負して来た「たけしや」です。

その後、寿にも「たけしや南店」が出来、産直野菜などの「あるぷす市場」とかにも持ち帰りで出品されているので何回か買ったことがあるのですが、何となく西堀の本店の味とはちょっと違う気がします。

持ち帰りでは、女将さんが七味を振り掛けるかどうか聞いてくれますし、紅ショウガはお弁当用の紙製パックに入れてくれてあります。
「たけしや」の焼きそばは、基本はキャベツのみで他の具材は入っておらず、他に豚肉やイカ、野菜もモヤシやニラ入りの焼きそばがあり、目玉焼きやオムライスの様な薄焼きたまごを別にトッピングすることも出来ます。また持ち帰りでは、並(500g)、小(400g)、大(650g)、特(1000g)と麺の量が分かれています。

ま、いくら久し振りで「たけしや」好きとはいえ、さすがに特大の1㎏はバレー部だった高校時代ならいざ知らず、70近いオッサンには食べ切れる自信がありません。

出来上がり、家まで車で5分足らずとはいえ、まだ熱々です。食べる前に先ずはワンコたちの夕飯を作って食べさせてから今度は自分の番ですが、それでもまだ十分熱くて、レンジで温める必要はありませんでした。
極太の麺はコシが無くヤワヤワですが、これが「たけしや」らしくてイイんです!そしてソースも油ギトギトではなく、酸味も効いていてむしろアッサリしています。ビールと一緒にあっという間に完食。久しぶりの「たけしや」の焼きそばに満足、満足!
「ウーン、これなら1㎏いけたかなぁ・・・?」
いや、さすがに1㎏は多分無理なので、出来れば800gとかも作ってくれないかなぁ・・・。
いずれにしてもゴチソウサマでした!久し振りで美味しかったです!!
毎朝のワンコの散歩コースの途中に在るお宅。そのお宅の生垣の道端に毎年5月に咲く白い花。それは今まで一度も見たことが無かった花でした。
たまたま昨年の春、タブロイド判の地元の“日刊地域紙”の最終頁にある「四季の花」というコラムに掲載されていて知ったのですが、それは「ホワイトレースフラワー」という名前の花だったのです。それにしても“言いえて妙”で、本当に白いレース編みのコースターや花瓶敷を思わせる様な、そんな花だったのです。


5月21日には松本が全国4位となる34℃を記録するなど暑くなってきたので、まだ5月ですが早々と“サマー・タイム”にして朝6時半から、また多少涼しい日は7時くらいから散歩する様にしました。
先日もコユキの散歩を済ませ、7時半頃からクルミの散歩に出掛けました。マンションの敷地内は犬は抱かないといけないルールなので、いつも近くの渚の公民館のところまでは抱いて行ってから散歩をスタートします。
この日、朝の出払いか、近所のご婦人方が集まって早朝から何かお仕事をされていたらしく、ちょうど終わって皆さんが帰るとことでした。
するとシーズーの梅ちゃんの奥様もおられ、
「あらっ、クルミちゃん!久し振りね、元気だった?」
そして、奥様はご一緒されていたおばぁちゃまに、
「ほら、ウチの梅と同じシーズーのクルミちゃん!保護犬なんですって・・・」
どうやらご一緒におられたのはお母様の様です。クルミは臆病で寄って来る他の犬は怖がるのですが、反面人は大好きで、お二人が帰る後を追いかける様に一緒に歩いて行きます。
ホワイトレースフラワーの咲いているお宅まで来て、何となく私の口から自然に出たのが、
「ホワイトレースフラワー、本当にキレイですね。実際に生えているのを見たのはコチラが初めてで、園芸店でも今まで見たことがありませんでした。」
園芸好きのおばぁちゃまの仰るには、以前オープンガーデンを見に行った時に、そのお庭に群生しているのを見て気に入ったのだそうです。そして、そこから暫しおばぁちゃまと花談議になりました。以前戸建てに棲んでいた時に、ゼロから自分で作庭したこと。そして色んなハーブを育てたこと。でも花壇だけは毎年二回、家内がナカツタヤに植生を任せて植えて貰っていたことなどなど・・・。すると、
「もし宜しかったら、切り花でお持ち帰りになりませんか?」
「いえ、道を通る人に見て貰った方が花も喜ぶでしょうから、切ったら勿体無いです。」
でもたくさん咲いているし、零れ種でどんどん増えるんですと仰るので、
「じゃぁ、一輪挿しに飾りますので、一輪だけいただけますか?」
すると、おばぁちゃまはハサミと新聞紙を家から持って来られ、一輪どころか大きな花束になるくらいに50本以上も切って下さって、新聞紙に包んで渡してくださいました。
「水切りすると結構長くもちますからね。必ず水切りしてくださいね!」

そこで同じマンションで、以前母の葬儀の時に、コロナ禍では弔問だけで皆さん帰られてしまうので葬儀出席は親戚のみになるため、たくさん上がった生花は花束にして親戚に出来るだけたくさん持ち帰ってもらったのですが、それでもたくさん余ってしまい、たまたまマンションの駐車場で居合わせた小さな姉妹が花が大好きというマンションの同じフロアの方に経緯を説明し、「母の葬儀で使った花なのですが、もし宜しければ・・・」と持ち帰った花束を貰って戴いたのが縁で(他にもお二人に貰っていただきました)、その後独りの時に親戚の法事等で花を持ち帰らざるを得ない時などは、その花好きの小さな姉妹に花をあげて家で飾ってもらっていました。そこで、今回も半分をお裾分けして喜んでいただきました。

『 【ホワイトレースフラワーのデータ】
花色:白 学名:Ammi majus 別名:ドクセリモドキ 科名:セリ科 分類:秋まき一年草~二年草 原産地:地中海沿岸 大きさ:背丈80~150cm、横幅30~60cm 主な見所:花(5~7月)

カーテンのレースのような繊細な姿から切花としてよく使われています。小さな白い花が集まって花序になり、それが花茎の先に10数個つけるのでよく目立ちます。葉は複葉で、株はロゼット状になり花どきにとても長い花茎を伸ばします。場合によっては背丈を超えるほど大きくなることもありますが、水や肥料を控えめにしてセーブしつつ締まった株に育てます。
レースフラワーと呼ばれるものには他にブルーレースフラワーがありますが属が違う別種になります。またホワイトレースと呼ばれるオルレア・グランディフローラとも属が違う別種です。』
そこで、
『 【オルレア ホワイトレースのデータ】
花色:白 学名:Orlaya grandiflora 別名:オルレア・グランディフローラ、オルラヤ 科名:セリ科 分類:多年草(常緑)、秋まき一年草扱い 原産地:ヨーロッパ 大きさ:背丈10~60cm、横幅15~50cm 主な見所:花(4~7月)
【オルレア ホワイトレースの特徴】
白い花が集まってレースのような花序になります。株の大きさにしては花が大きくよく目立ちますが全体的には自然な印象です。葉は切れ込みの多い緑、冬はロゼット状ですが春になると長い花茎を伸ばします。茎は比較的硬めで切花にも使えます。タネからでも比較的楽に育てられます。また、暑さに弱く暖地での夏越しは難しいですが、こぼれダネでよく増えます。郡植させると見事です。』 (左がオルレア・ホワイトレース、右がホワイトレースフラワーです)

それは『日本ではオルレアとして主に流通している園芸品種の“ホワイトレース”のほうが学名より先に有名になったため、ホワイトレースと呼ばれることもあります。 しかし、別の草花であるホワイトレースフラワーと名前も草姿も似ているため混同されることが多く、近年ではオルレアと呼ばれるようになっています。』ということなのでした。

そこで、おばぁちゃまにもネットの園芸図鑑の記載とそれぞれの写真をダウンロードして印刷し、花を頂いた少しばかりのお礼を兼ねてお渡ししました。
でも「オルレア・グランディフローラ」とは言いにくいですし、ホワイトレースの方が言葉としては語感がキレイなのですが、だとすれば混同を避けるためには、せめて「オルレア・ホワイトレース」と呼んだ方が良いのでしょう。

信州の春の野山は山菜シーズンです。
フキノトウに始まり、“山菜の王様”タラの芽、コゴミ、ワラビ、ゼンマイ、コシアブラ、そしてネマガリダケ・・・。
野生という意味では、セリや山ミツバ、野蒜なども山菜に入るかもしれません。
特にこの時期になると、黒姫や妙高、志賀高原など、雪深い山で採れるネマガリダケ(「根曲がり竹」。正式にはチシマザサという笹の一種)が人気ですが、ネマガリダケに限らず山菜採りでは山での遭難や近年ではクマ被害なども毎年ニュースになるので、山に入る際は気を付けないといけません。
山菜を採る楽しみを別とすれば、もし食べるだけだったら地場のスーパーにもタラの芽などハウス栽培された山菜なども並ぶのですが、やはり野生のモノと比べると苦みが無いので美味しく感じられません。
“野趣を味わう”という意味では、苦みだけではなくえぐみ(蘞味)でさえ、時としてその野趣を感じさせてくれるので、山菜はハウス栽培ではなく、やはり野生のモノに軍配が挙がる気がします。
(上の写真は、昔母屋の中庭に父が植えたタラの木と以前頂いたコゴミです)



信州では野蒜とは言わず、方言で「ネンボロ」と呼んでいました。春になるとリンゴ園や田んぼの畦道などに良く生えていたので、母や祖母がぬたにしてくれたり、刻んで醤油をかけて鰹節を散らしてご飯に載せて食べたりしていました。また小さなタマネギの様な球根状の部分(鱗茎)は一緒に刻んでも良いですが、その部分だけを切ってエシャレットの様に味噌を付けて食べると、それだけでも乙な酒の肴にもなります。
個人的には、非常に単純で素朴な刻んだ野蒜のこの“ぶっかけ飯”が大好きで、これだけでご飯が何杯も食べられる気がします。
昔リンゴ園から摘んで来て、キレイに洗ってから刻んで醤油をかけて“ぶっかけ飯”にすると、奥さまや娘たちは「えっ!そんなモノ食べるの?」と少々呆れ顔で、誰一人として食指が動きませんでしたが、個人的にはフキノトウと共に春を感じさせてくれる“旬”の山野草でした。その意味では、もしかすると味と云うよりも“春”そのものを頂いていたのかもしれません。

昨年、花の時期が過ぎていたためだろうと思いますが、半値に値引き販売されていたので買った、ミニ盆栽とも言えそうなボケの小鉢。
一本の木に紅白の花が咲く「東洋錦」という種類。この東洋錦は赤、白、そして白地に赤の絞りと咲き分けするボケの代表品種で、ボケは大正時代にブームが起こり、その時にこの東洋錦など“花ボケ”と呼ばれる様々な品種が生み出されたのだそうです。

ボケは昨年伸びた枝(二年枝)には花が咲かないそうです。リンゴも二年枝は実が大きくならないので、他の枝に養分が回る様に花を全部取ってしまいますが(摘花)、ボケも同様に三年目以降でないと使えない様です。
因みに、漢字では木瓜と書くボケはリンゴと同じバラ科の植物で、それぞれボケ属、リンゴ属と同じ科でも属が異なります。
品種改良を繰り返したリンゴ程ではないかもしれませんが、バラ科なので病害虫には弱いのかもしれません。でも鉢植えで室内に置いているので、庭植え程は気にする必要はないかもしれませんが・・・。
秋になって葉が落ち、伸びた枝の中で3年目に花を付けさせたい枝以外は剪定で切り戻して、冬の間も土が乾かぬよう定期的に水を遣りながら部屋の中で管理して、早春にまた花が咲くのを楽しみに待っていました。


3月中旬、一輪も花が咲かないまま葉が芽吹き始めました。そして、そのまま葉だけが次々に開いて来て、新しい枝やひこばえ(蘖)も伸びて来たので、他の枝に養分が回る様にとひこばえは切り落としました。

『ボケは適度な寒さで花付きを良くすることが必要です。適度な寒さにさらすことで花付きを良くするのです。ボケは陽樹ですので、なるべく日に当てて夏の間は枝を伸ばし放題にします。そうやって来春の花芽を定着させ、葉が落ちたところで、花芽が表に出るように剪定をして春を待ちます。』
とのこと。
どうやらボケは、冬の間に或る程度の寒さに当たらないと花が咲かないのです。また、我が家の様にずっと室内に置いて置かずに、ちゃんと戸外に鉢を置いていたとしても、もしも花芽が膨らむ前に家の中などに取り込んでしまうと、逆に花が咲かないなどの弊害が出てきてしまうのだそうです。
知りませんでした。どうやら植物も、“温室育ち”ではちゃんと育たない・・・ということなのでしょう。

サクラが開花するという現象には、春の暖かさに反応して花が咲くというために、必ず冬の寒さを過ごさせることが必要です。
サクラは前年の夏頃に翌春に咲く花芽を形成し、休眠状態に入ります。秋から冬にかけて低温(氷点下の様な余り低い温度ではなく、 5℃前後と云われています)に或る一定期間さらされると、休眠状態から覚めます。これを「休眠打破」と呼び、この「休眠打破」の後に春先の気温の上昇に合わせて花芽が発育して開花に至るのですが、それは「休眠打破」以降の期間における気温の積算値が一定の基準を超えると開花すると予測する経験則、「600℃の法則」や「400℃の法則」などが一般的には知られています。
ボケにはそうした経験則的な記述は見当たりませんでしたが、ボケも「冬の寒さ」を経験することが、春を迎えるために必ず必要なのだと知りました。
ですので、今年はしっかりと冬の寒さも経験させて、来年こそはまたキレイな花を見たいと思います。
この日のお目当ては、箱根ではなく小田原です。
箱根から小田原へは道がすいていれば30分ちょっと。箱根湯本を抜けるまでは、正月のTVで視るあの箱根駅伝の山登りと山下りのコースなので、カーブが連続する山道が車で混んでいると、特に道幅が狭い宮ノ下や湯本の温泉街や商店街でもし道端に停車している車などがいたりする場合は、箱根は観光にも重宝する路線バスの本数が非常に多いことも手伝って、すれ違いが出来ずに所々で渋滞が発生して余計時間が掛かってしまうのですが、それでも小一時間足らずで小田原漁港へ行くことが出来した。

相模湾は水深1500mで、アジやシラス、そして伊豆半島の東側の下田や稲取に代表されるキンメダイが有名ですが、このキンメダイは水深200mから800mという深い所に棲むれっきとした深海魚です。
因みに三大深湾の他二つは、伊豆半島を挟んだ反対側の駿河湾と日本海側の富山湾ですが、水深は駿河湾が2500mと一番深いこともあって、沼津や西伊豆では深海に生息するタカアシガニや色々な深海魚が名物というのも納得です。そして“天然のいけす”と呼ばれ、氷見ブリや白エビ、ホタルイカで知られる富山湾は水深1200mとのこと。三大深湾のどの湾も、それぞれに魚の宝庫です。


そのため止む無く他店を探すことにしたのですが、同じビル「小田原水産会館」の一角にある鰺専門店「大原」(アジフライの評判店の由)は大行列で、一時間待ちとのことで諦め。すると同じビルの奥に在った「港のごはんやさん」という食堂(第1726話)が運良く席が空いていたので入店。こちらは朝から営業されていて、早朝のセリが終わった漁港関係者の方々に人気のお店とか。ですので、必ずしも観光客相手ではない食堂の様でした(皆さん海鮮ではなく、カレーとかトンカツとか“普通”の定食を食べていました)が、そこはさすがに漁港の店で、我々が頼んだシラス丼とアジフライのセットも本当に美味しかったのですが、一昨年は二年越しでしたので念願の「やまや」の海鮮どど丼を頂きました。

そこで今回は早めにホテルを出発し、「やまや」に到着したのが11時の営業開始30分前の10:30でした。
店頭に置かれた順番表に名前を記入すると、ナント3番目。先客はお一人様のお客さんだったので我々が3人目と4人目ということで、この日が平日だったということもあるかもしれませんが、これなら有難いことにL字型のカウンターは10席ちょっとですが(全12席だったか?)一巡目で食べることが出来ます。
11時の開店時間になって暖簾が掛けられるとリスト記載順に名前が呼ばれ、右側のカウンター席から順に詰めて着席し、その順番通りにオーダーもしていきます。

最初のお二人は常連さんなのか、煮魚定食やブリ丼を注文されていたので、この日の「どど丼」は我々が最初の注文で、最初の方々の注文の調理が終わってから我々のどど丼用の刺身をそれぞれの柵から一切れずつ切っていくので、提供されるまでにはそれなりに時間が掛かります。でもカウンターなので、一人で刺身を切る大将(まだ若いお嬢さんです)やフライや小鉢汁物を担当する他のスタッフのきびきびした仕事ぶりが眺められるので、待つのも“然程”飽きません(と言うのも、お隣のグループは、待っている間に昼間からビールやサワーを何杯も注文されていて、帰りに奥さまが箱根の山道を運転するのは絶対にイヤだというので、飲めない私メは何とも羨ましくて、「早く“どど丼”来ないかなぁ・・・」)。

どの地魚も新鮮でプリプリで、夫婦共々大好きなヒラメを始めどのネタも本当に新鮮で美味しいのですが、中でも何種類もあった鯛の中の“〇〇ダイ”(“石鯛”だったか“花鯛”だったか・・・聞いても毎度覚えられず)と地物のアジは、それこそプッリプリでコッリコリと本当に新鮮で身が締まっていてまさに絶品!でした。こんなアジが食べられただけで本当に満足です。
それにしても、さすがは“日本三大深海”相模湾の地魚です。その十数種類の地魚の中の奥さまの苦手な光り物はいつも通りに私が頂戴するのですが、この日のアジは実際に臭みも全く無くて本当に美味しかったので、「騙されたと思って食べてみたら!?」と家内にススメると、光り物が苦手な奥さまも、
「あっ、美味しい!これなら食べられる・・・」
と、生まれて初めて美味しく感じたそうです(これまでで、家内が苦手というネタを食べられたのは、今回のアジと以前南紀白浜で食べたモチガツオだけではないでしょうか)。

“海鮮どど丼”のご飯は酢飯で、普通盛りか小盛か事前に聞いてくれるので、この日は二人共普通盛りにしたのですが、さすがに家内は残さず食べるのに必死で、「もう今日は夕ご飯は要らない!」と言う程に満腹になった由。
今回も本当に満足満腹の、念願だった「めし家やまや」の“海鮮どど丼”とアジフライでした。

余談ですが、この発泡スチロールの箱は、帰る前に次女の家様に購入した「相原精肉店」のローストビーフとミートローフを入れて(松本までは、お土産に購入した場合の干物や蒲鉾用にちゃんと大きな保冷バッグを持参して来ています)、松本からクール便で送るのにちょうど良い大きさで役立ちました。


この「ミナカ小田原」は、旧小田原宿をイメージしたという「小田原新城下町」からなる商業施設だそうですが、木曽の奈良井宿や妻籠宿の様な文化的価値は全く無いとしても、箱型の近代的なビルを建てるよりも、城下町としての再生化にはむしろ似つかわしくて、観光客の集客効果もある商業施設だと思います。
ですので、現在松本はパルコ撤退や地場のデパートの閉館などに伴い駅周辺の空洞化対策が叫ばれていますが、同じ城下町であるこの小田原の「ミナカ小田原」や3年前に行った彦根で、同様に江戸時代の城下町をイメージしたという白壁と黒格子の町屋風に統一された街並「キャッスルロード」などを見倣って、単純に商業施設を誘致するのではなく、またお金をそれ程掛けずとも、縄手通りの様な江戸時代の長屋風でも良いので、松本城を活かす取り組み、城下町らしさを持った活性化に拠って、松本駅から松本城までの回遊が楽しめる様な“お城を中心とする城下町づくり”の方が好ましいのでないかと感じた次第です。
遂にというべきか、いや、でも89歳であれば「長寿を全うされた」で良いのではないか・・・。
今朝飛び込んで来た突然の訃報に、そんな正反対の想いも交錯したのですが、思えば、20年前に脳梗塞で倒れ、普通の人間なら寝たきりになる程の容態だったのが、担当医師も驚く程の厳しいリハビリを自らに課し、その結果自身の脚で歩けるまでになって、時に球場に足を運びチームに激を送るなどするまで回復されて、この89歳まで生きられたのですから、“天寿を全うされた”と言ってあげても良いのではないでしょうか。
生前の長嶋さんのエピソードは、これから暫く色んな場面で数限りなく語られていくであろう中で、個人的に印象に残っているエピソードを再掲し、偉大なる故人への追悼に代えさせていただきます。
それは15年前、2010/08/20付けのブログ記事『ちょっとイイ話-夏の甲子園に寄せて』でした。
『 夏の甲子園もいよいよ佳境を迎えています。
今年は終戦から65年。偶然にも8月15日終戦記念日の、恒例となった正午過ぎの黙祷のサイレンの時にグラウンドに立っていたのは、沖縄県代表興南高校の沖縄球児たち。本土防衛のために唯一の地上戦の戦場となった沖縄に対し、“大和ンチュー”の一人としては、出来れば、今春の紫紺に続き深紅の優勝旗も是非沖縄に渡らせてあげたいものだと願います。但し、既に沖縄県勢は、下手な同情無用の強豪県になっています。
その甲子園大会開幕直前、8月5日の朝日新聞だったと思います。
時々、スポーツ欄に辛口ながら愛情溢れるコメントを書かれている、朝日新聞現編集委員の西村欣也さんの書かれた記事(「記者有論」)が載っていました。
それは2002年、ミスターこと長嶋茂雄さんと一緒に夏の甲子園大会決勝を観戦した時の長嶋さんの言葉が、今も印象に残るという書き出しでした。
「このトーナメントではね、優勝チーム以外の全ての球児にただ一度ずつの敗戦が配られるんです。甲子園の決勝でも、地方大会の一回戦でも、ただ一度の敗戦が、野球の神様から配られているんです。壮大なトーナメントの、大きな意義がそこにあると思うんです。つまずくことで得るものが、若者にはきっとある。」
そんな長嶋さんの言葉を引用した後、西村さんは最後にこう締め括っています。
「グラウンドにがっくりとひざを折ったあと、立ち上がる少年たち。試合前と試合後のわずか数時間の間に彼等は成長する。スーパースターの誕生や名勝負にではなく、敗者に注目しながら甲子園を観戦するのもいい。」
今年の夏も、挫折から立ち上がり、やがてしっかりと前を向くであろう、
甲子園の48校を含む全国4027校の若き“Good Loser”たちに、心からエールを送ります。』
全くの偶然なのですが、今回この記事を再掲するにあたり、この記事を探したら、記事のナンバーが「333」だったのです。
偉大なる“背番号3”よ、永遠なれ!
ありがとうございました。嘗ての野球少年の一人として謹んで御礼申し上げます。どうぞ安らかにお眠りください。 -合掌
昨年は残念ながら、店舗ビル改装のための長期休業中で購入出来なかった、箱根の別荘族に人気の「相原精肉店」。
今回の箱根行では既に改装なって営業されていたので、行きと帰りと二度買いに行きました。


奥さまに依ると、ローストビーフは種類が以前よりも増えて三種類になっていて、今回は脂の刺しが一杯に入ったモノと赤身のモノとの中間を購入したとのこと(それでも軽くグラム1000円越えです)。そして、「焼き」と「煮込み」の二種類あるミートローフは今回は煮込みを買ってみた由。


先ずはローストビーフ。機械切りで極薄ですが、柔らかくて美味!でも、出来ればもう少し厚い方が、もっと食べた時の満足感がUpする気がします。
そして煮込みミートローフ。記憶にある前回(焼きだったのか?)よりも味が濃くて旨!イヤ、これは美味しい、なかなかの逸品です!
箱根の別荘族だけでなく、遠方からも買いに来られるというのが良く分かります。
因みに、後日ホットプレートで焼いた足柄牛のミニステーキや焼き肉用の牛肉も、臭みも無く柔らかくて美味しかったこと!しかもグラムがナント400円台だった由。

因みに、前回の機械切りが薄かったので「もう少し厚く」と家内がお願いしたら、機械ではなく手切りで厚めに切って頂いたとのこと。グラムの価格は手切りでも変わらないので、その分手間を掛けさせてしまったと奥さまは恐縮しておりました。申し訳ありませんでしたが、おかげさまで次女一家にも大変好評だったことを申し添えます。ありがとうございました。