カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 本日、9月24日を以って、禁煙して丸一年が経ちました。
この間、飲み会の席を含めて1本も(貰いタバコでも)吸っていませんし、特に吸いたいと思うこともありませんので、多分このまま吸わなくとも大丈夫。禁煙出来たのだと思います。しかし、今まで、吸いたくて)夢に見るというほどでもありませんでしたが、別にタバコの煙が嫌いになったのではないので、もし吸おうと思えば今でも恐らく美味しく感じてしまうかもしれません。その意味では、貰いタバコもしないに越したことは無かろうと思っています。
 幸い、禁煙後、口寂しくて常時飴をなめたりだとか、味が変って食べ物が美味しく感る様になったということも無く(元々美味しいモノは美味しかったので)、体重変化は全くありませんでした(期待した血圧が禁煙しても下がらなかったのが、唯一の誤算でしたが・・・)。

 禁煙しての一番の変化。それは、タバコに関しての情報や情勢から極端に疎くなったことでしょうか。もう半年前にもなるのかもしれませんが、上京した折、原宿駅の近くで行列の人だかりの店舗があり、何かと思って覗くと『アイコス』なる表示がされ「本日分は終了しました」との案内。家内と、
 「おい、アイコスってナンずらか?」
 「さぁ、聞いたこと無いけど・・・」
 「ナンか、イカガワシそうな店だなぁ・・・?」
後で知ったのは(義弟から教えてもらって)、フィリップモリスから発売され、煙が出ないとして大ヒットした加熱式タバコで、当時全国的に品薄状態で、東京にオープンした直販ショップだった由。その後、対抗しての類似品がJTなどからもはんばいされたようですが、そうした情報には全く疎くなっていて、せいぜい実家に行った時に義弟から教えてもらうか日経に掲載された記事から知る程度。変われば変わるのモノだと我ながら呆れている次第です。

 そして、もう一つの変化。それは、科学的に測定した訳ではありませんが、禁煙して一年経って、喫煙していた頃に比べて、トレッキングや速歩などの運動をしてもすぐに息切れがしなくなったように感じています。禁煙効果としては、肉体的には多分これが一番大きなことなのだろうと思います。そして、何より健康面でも・・・。

 スーパーのレジ等で渡される買い物を入れるポリ袋が石油化学燃料から作られていることから、燃やすと環境破壊に繋がる、或いは買い物客が商品を入れるマイバッグを持って行けばポリ袋が不要となり、環境保護にも繋がり、環境に優しく“エコ”である。そのため、マイバッグを持参した客を優遇する、或いはポリ袋を有料化する・・・云々。環境問題として取り上げられたりした結果、松本でも、有料化(2円)したスーパーがあったり、またマイバッグを持参するお客さんも目新しくなくなりました。

 一方、我が家では食料品買い出し時には、基本的に常時レジ袋を要求しています。それは・・・面倒くさいから?タダだから?・・・決してそうではありません。
我が家には、台所の生ごみ、可燃ごみ、プラごみ専用の各々のゴミ箱やダッシュボックスがありますし、台所以外にも、リビングや母の部屋2階のファミリーコーナーや寝室、トイレ等、大きさは異なれど大小幾つかのゴミ箱があり、週2階の可燃ごみや週一回のプラスチックごみ回収時に、市の指定するゴミ袋に入れて回収場所にゴミ出しをしています。
最近、我が家周辺でも。特に可燃ごみの収集日には生ゴミを狙ったカラスが襲来し、ゴミ袋を突いて穴を開け、生ゴミが収集所に散乱するといったケースも決して珍しくなく、黄色い網を掛けたりもしていますが、悪賢いカラスとの知恵比べといった感も無きにしも非ず・・・といった状況です。そして、場所によっては道路にまで散乱した生ごみをその地区の住民の方々が放ったらかし・・・といった光景を目にすることも決して珍しくありません。

 こうしたカラスの襲来を避けるためにも、ゴミ回収袋から生ゴミが目立たなくする、或いは二重化することで穴を開けにくくするために、レジ袋に一旦生ゴミを入れてしっかりと口を縛り回収袋に入れる方が効果がある様に思います。また、これは勝手な内部事情ですが、レジ袋のまま集めた方が細かなゴミが散らからずに回収し易いといった効果も(我が家では)あります。
そして、そのためにわざわざポリ袋を購入することなく、食品購入時に商品を入れるために配布されるレジ袋は大助かりで、大いに重宝しています。
そうしたことを期待してレジ袋を頂戴し、重宝させていただいているのですが、これも“悪”?環境に優しくない?エコでは無い?批判されて然るべき行動なのでしょうか??ネ!?

 最近、新聞などで時々目にする耳慣れない言葉、“オノマトペ”。
一体ナンジャラホイ?と気になって調べてみると、日本語では「擬声語」とか。だったら、そう言ってくれれば分かり易いのに、と思うのですが、所謂「ワンワン、ニャーニャー」といった動物の鳴き声や、「しくしく」とか「ズキズキ」、或いは「しとしと」「しんしん」といった状態を表す言葉のことだとか。
語源は古代ギリシア語で、英語では“onomatopoeia”という単語があるにも拘らず、カタカナで最近目にする「オノマトペ」は“onomatopée”という綴りのフランス語なのだそうです。

 特に最近注目されているのは、医療現場で、患者さんの痛みをより正確に把握するのに、このオノマトペが有効なのだとか。通信回線を使った遠隔医療の発達などがその背景にはあるようですが、ナルホドと思い至ったのは、シンガポール赴任時で、一番厄介だったのはお医者さんとの会話。子供を病院に連れて行って診てもらう時に、具合を正確に伝え切れないもどかしさを痛感しました。ですので、在住の外国人の方がますます増えていく中で、医療現場で症状を表すのに、そうした擬声語が、出来れば将来的に世界共通に標準語とされれば便利だろうと思います。

 この“オノマトペ”。医療現場のみならず、チビリチビリ、フワフワなど、料理の状態や美味しさなどを表現するのにも随分有効だと思います。その意味で、料理界での“オノマトペ”の達人は、何といっても以前日経新聞に連載されていた『食うあれば楽あり』でお馴染みだった醗酵学者の小泉武夫先生ではないでしょうか。ジュルジュル、ぴゅるぴゅるなど、正に小泉流“オノマトペ・ワールド”全開といった趣でした。

 7月8日、全8回を以って終了したNHK総合で放送された「みをつくし料理帖」。
以前のTV朝日系列に比べ、主役の黒木華嬢を始めとする配役と、番組の最後の「献立帖」として劇中の澪が近代的なキッチンで毎回レシピ紹介をするのも含めて、高田郁の原作に忠実で原作の雰囲気を実に良く醸し出していたと思います。澪やご寮さんの大阪弁も心地良く響きます。だからこそ、であれば余計、最後に“雲外蒼天”を果たす全12巻を、1話45分足らずの僅か8回に収めるというのは土台無理。愛読者にとっては、尻切れトンボの消化不良で、如何にも中途半端。却って欲求不満が鬱積するばかり・・・でありました。
“下がり眉”の黒木華は、実に良く主人公「澪」の雰囲気を出していたし、当初どうかな?と思った「小松原」も悪くは無かったし、水害の中で屋台の親父から排除される澪を助ける時、そして澪のレシピを盗んだ登龍楼の料理人を叱り飛ばす時・・・「これが、あんさんの料理人としての器量かっ!?」という、ご寮さん「芳」の啖呵も良かった。そして、一途に太夫を支えようとする又治も良く雰囲気が出ていたし、つる家が閉まった後に来る「小松原」に付ける燗酒用の銅製のチロリ(銚釐)も風情があって良かった・・・。
でも、やっぱり欲求不満・・・。一柳も登場しなかったし、「鼈甲珠」も登場しない・・・。一方で、これも鍵となるご禁制の「酪」をオリジナルとは異なるエピソードで登場させていた・・・(繋げることは可能ですが)。
 最終回の最後に、芳と澪が街中で行方知れずの「佐兵衛」を偶然見掛けて追い掛けようとしたのが「文化12年」と表記されていましたが、澪が雲外蒼天を果たして、“三人”で大阪に戻るのが文政元年とすれば、文化から文政に年号が変わるまでに後2年。この残る2年の“間”が、一体何を意味するのか・・・?。
そして、澪が佐兵衛を追い掛けて「ご寮さんと二人、元飯田町のつる家に居ますから!」としっかり伝わったのが、次に続く(何かが起こる)ことを期待させてくれるような、最終回らしからぬ終わり方では・・・?。

 いずれにしても、この中途半端な終わり方は、何としても続編を放送してクリアしてもらわんとなりますまい・・・と、称賛と不満とが“ない交ぜ”の全8回。でも続編を期待したくなる程に、原作の雰囲気を実に良く描写していたドラマ化でした。

 「おうおう、こちとら江戸っ子でぇ。・・・気が短けぇんだい!」
いくら、古典落語に登場する八つぁん、熊さんがせっかちな江戸っ子だとはいえ、ちょいと早過ぎませんかねぇ、尾瀬センセ!と言いたくなった「どうらく息子」が最終回!?
・・・ビッグコミック・オリジナルに2010年から連載されていた、落語家修行の噺家を描いた尾瀬あきら作「どうらく息子」が3月20日発売号を以って終了してしまいました。そして、5月末に最終第18巻を以ってビッグコミックスも完了。雑誌だと“かさ張る”ので、コミックスを生まれて初めて全巻購入しました。

 最終回では、6年前に銅楽師匠の独演会で「文七元結」を聞いて弟子入りを志願した銅ら治が、袖に居る師匠に聞いてもらいながら、その「文七元結」を自身の独演会で演じての最終回。「あや音と所帯持つって言うから言うけどサ、ホントは銅ら治のことが好きだったんだよ」と言いながら出囃子の太鼓を叩き、大ネタに挑む弟弟子を「行っといで!」と励ますように送り出す姐弟子の銅ら美。
 銅楽の「まだまだだな。」に、「はい。」と互いに相槌を打ちながら袖で聞く銅ら美とあや音。「5年したら、また聞いてやるか。」と銅ら治に花向けの言葉を贈る師匠の銅楽。
 最後はお久と文七が結ばれ、「元結屋」を開き大層繁盛したというお馴染の下げの中で、「このお久と文七がやがて夫婦となり、子をもうけ・・・」と授かった新しい命に触れたことに気付き、そっと頬を赤らめる袖のあや音。

 大団円とはいえ、銅ら治が真打に昇進するまで何としても続けて欲しかった!・・・という思いが拭えません。
かくなる上は、5年後に銅ら治が再演する「文七元結」を師匠銅楽が袖で聞く場面から再開して欲しい!

 社会人になって以来40年近く、毎月2回、ずっと購入し続けたビッグコミック・オリジナル。栄枯盛衰、終わりは必ずあるモノと想いつつも、これ程喪失感のある連載終了は初めてです。
お陰で、全く知らなかった古典落語の世界もゼロから勉強し、どっぷりとその深さにハマることが出来ました。そして、その影響で、市の図書館から志ん生、円生、小さんといった嘗ての名人たちのCDを借りて、作中で取り上げられた古典落語を本寸法で聞き、更に時々は松本で開催される寄席で生落語にも触れ、落語の世界の奥深さや面白さを知り、自分の世界が少し拡がった様な気がしました(特に「どうらく息子」で描かれている修行の世界を通じて、柳亭小痴楽さんなどイキの良い二ツ目さんたちに今惹かれています)。
 7年間の連載で、「どうらく息子」で取り上げられた古典落語は、下げ(落ち)だけが取り上げられていた噺(「宿屋の仇討ち」)も含め、ざっと数えて70話。
「寿限無」や「やかん」、「道灌」といった前座噺に始まり、「親子酒」、「狸賽」、「権助魚」、「初天神」といった滑稽話や、「子別れ」、「妾馬」といった人情噺や「天狗裁き」、「鰍沢」といった大根多まで。中でも良かったのは、銅楽師匠の演じた「文七元結」、夢六師匠の「芝浜」、銅ら治の「紺屋高尾」、あや音の「たちきり」・・・どれもみんな良かったなぁ。
 尾瀬あきら氏の、「夏子の酒」以上の傑作だったと確信しています。最初から最後の第168話まで落語監修を続けた柳家三三師匠にも感謝です。
あぁ、淋し・・・(グスン)。

| 1 / 73 | 次へ≫