カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 昨年の夏以降は家内が毎月二週間近く次女の所に手伝いに行っていたり、また長女の所に遊びに?行ったりすることもあって、特に寒い冬の間は一人では億劫で、忌明けの新年になっての初詣と厄除け参りくらいしかウォーキングを兼ねて歩くことが無かったのですが、4月になったら先ず箱根の金時山からまた登山を始めようということもあり、3月末からトレーニングを兼ねて、渚から城山公園、そこから城山トレイルのコースでアルプス公園まで、片道3㎞ちょっと、標高差200mのコースをまた歩き始めました。

 我々のウォーキングは、3月30日に初日は城山まで。2回目は4月1日にアルプス公園まで歩いてみました。
マンションの在る渚からですと、白板まではほぼ平坦で、城山々系の突先になる宮淵から急な坂が続きます。
途中丸ノ内中学を経て城山公園へ。同じマンションにとてもしっかりした女の子がいるのですが、マンションから小学校は歩いて500m足らずの田川小ですぐ近くだったのが、4月からは中学生でこの丸ノ内中学へ入学するとのこと。中学までは片道2㎞くらいですが、毎日この急坂を上るのは大変だなぁと思います。でも絶対丈夫になる筈なので、成長期の子供たちの体には良いことかもしれません。いずれにしてもガンバレ!・・・です。

 城山公園も松本市内の桜の名所で、当初は31日の開花予想だったので既に園内はたくさんの提灯が張られ、交通整理も行われていて準備万端ですが、蕾はまだまだ固いまま。代わって、梅が満開で、オオイヌノフグリが青い絨毯の様に咲いていました。そして日当たりの良い道端には菜の花も。この日松本も21℃予想と暖かく、桜の開花はまだで北アの峰々はまだ冬景色ですが、あちこちに“小さな春”が見つかり、この日の陽気と相俟って信州でも里では春の息吹が感じられました。
城山トレイルでのアルプス公園は、残念ながら黄砂の影響か霞んで北アルプスの峰々は全く見えず。桜より先に辛夷(コブシ)の花がほころびかけていました。
帰路も同じ道を下り、城山公園へ。公園脇に在るカフェ「憩いの森」に立ち寄って、大きなカップに入ったたっぷりの自家焙煎珈琲で一服。暖かかったので、気持ちの良い外のテラスで公園を眺めながら戴きました。テーブルにはお皿に入ったヒマワリの種が置かれていて、近くにヤマガラ?と思しき野鳥が来ていました。人が居ない時に、有難く頂戴しているのでしょう。庭にはたくさんの殻が落ちていました。
 春のお彼岸過ぎにまた寒さがぶり返して、桜の開花も当初の予想から遅れていて、松本は当初31日がお城のお堀の桜の開花予想日だったのですが2日にずれ、さらに遅れて実際に開花宣言が出たのは7日と、過去一番早かったという昨年よりも14日遅れだったとのこと。でも開花時期としては、例年並みなのだそうです。そして、この17日まで「夜桜会」としてお城のお堀の桜がライトアップされ、松本城本丸庭園が無料開放されています。

 信州も漸く“春本番”を迎えました。

 年末年始に長女の婿殿がNYから来日した時は連泊での予約が今年は取れず、恒例の全員集合する新年会での滞在を諦めた、美ヶ原温泉の料理旅館“鄙の宿”「金宇館」。
また、次女一家は秋からの亡き母の葬儀と忌明けの法事で何回か松本に帰省していたので、今年の年始には帰らず、この2月末に夫婦の骨休みを兼ね、孫たちを連れて一家で帰省して来ました。
我が家にも勿論泊ったのですが、一日だけ(彼らがノンビリ過ごせるように、その間孫の相手はジジババが担当するため)、我々も家で“おもてなし”を何もしなくて良いので、皆で一緒に「金宇館」にも泊ることにしました。

 「金宇館」は僅か8室の小さな料理旅館ですが、子供が泊まれるのはその中でも二階の「湯ノ原」一部屋だけ。そのため、その部屋が取れないと次女一家は泊まれないので、数ヶ月前から予定して婿殿の勤務と年休設定に合わせて「湯ノ原」を予約してありました。
我々も勿論2名一泊二食で「湯ノ原」の隣のいつもの部屋「千手」を確保してありますが、コユキが居ますので、今回も実際は家内のみが泊まって、私メは夕食後家に帰ってコユキと一緒に寝て、朝食前に旅館に戻ることにしてあります。
 午後3時のチェックインに合わせて「金宇館」に向かいます。
すると、旅館では何やら工事がされていて、別館の改装工事とのことで、工事中は3部屋分の別館は使えないので、本館の僅か5部屋のみでの営業でした。それなら予約が取り辛かった理由も納得です。
今回の改装工事は、今までの別館3部屋を一室に纏め、2階建てに2洋室1和室の寝室、そしてリビング部分と今までは無かった別館専用の内風呂を設け、更に別館だけは食事も部屋食にして、これまで要望があっても受け入れ出来なかったグループも受け入れ可能にするとのこと。因みに各寝室は2名ずつ最大8名で、それより少なくても、例えば家族での一棟貸しも可能にするので、別館では子供の宿泊も改装後はOKにするそうです。
ですので、例えば今回我が家は大人4人ですが、別館なら多少孫たちがドシバタ騒ごうが。或いはエンエン泣こうが気兼ねなく過ごせるので、多少高くてもその方が安心出来るかもしれません。今秋にはオープン予定だそうですので次回の滞在が楽しみです。

 さて、今回の「金宇館」滞在も、楽しみは温泉と朝夕の食事です。
今回は、本館5部屋の他のお客さんは3組で皆さん二人連れで、1階のダイニングでの食事。今回我々は別に2階のダイニングでしたので、これまた他のお客さんの迷惑にならず安心です。
 金宇館での一番の楽しみ、先ずは夕食での懐石コースです(聞いても、最近はちゃんと覚えられないので、お聞きした内容を皆に呆れられながらその場でメモしましたが、もし違っていたらスイマセン)
先ず茶わん蒸しからスタートです。チーズを絡ませて揚げたというフキノトウが添えられ、早春の苦みがチーズのコクと一緒に楽しむ初体験の味でした。
続いて長芋のすりつぶしの落とし揚げ。中にこれまた春のセリと季節のズワイガニが混ぜられていて、卸しポン酢で。揚げられたセリの根に載せられていましたが、これも美味でした。
次は季節の八寸。
上段から、花ワサビのおひたし、京ニンジンと柑橘しらぬいのマリネ、独活と菜の花の昆布〆めにとろろ昆布が載せられています。そして、横にワカサギの南蛮漬け。
下段は右から自家製カラスミを挟んで揚げた海苔巻きのお餅と、これまた自家製の干し柿とマスカルポーネとくクルミ和え。どれも美味しくて、工夫の一手間とそのアイデアに唸らされます。
椀物は、お馴染みのグリンピースのすり流しに素揚げした菊芋チップスを添えて、手前に和辛子を一筋流し入れて。
お造りは、これまた毎度おなじみの馬刺しです。薬味の千切りのミョウガとニンニク味噌が効いています。
続いて、焼き物が、サクラマスと新玉ネギの摺卸しソース。すりゴマを振り掛けた。芽キャベツのグリルを添えて。サクラマスには素揚げ下白髪ネギが載せられていました。

海老真薯。揚げナスと白髪独活。掛けられた餡に柚子胡椒が実に上手く効いていました。
最後は、これまたお馴染みの柔らかな信州牛のイチボ。味は付いているのですが、お好みで塩か山椒を混ぜたネギミソでとのこと。菜の花のソテーとゆり根の素揚げが添えられていました。
そして〆には蕎麦好きの次女と婿殿のために、ご主人手打ちの二八蕎麦を事前にお願いしました。
デザートは自家製アイス(何味かは聞き漏らしました)と黒豆の蜜煮とのこと(お腹が一杯で、“別腹”という奥さまに譲ったので、食べていません)。それに丸山珈琲も。この日も満足の夕食でした。惜しむらくは、泊まらずに独り帰るので、お酒が全然飲めなかったこと。あぁ、日本酒と一緒だったら・・・と思わせる一品の数々・・・、残念でした。
 翌朝の朝食。
お馴染みの、お膳に並べられたおばんざい風お小鉢が6品。最初に茶わん蒸しとお味噌汁が添えられて。この日の具はセリと油揚げでした。そして安曇野さんコシヒカリのご飯が、人数分木のお櫃に入れられて。
今回のお膳の小鉢は、厚揚げとレンコンの炊き合わせ、身欠きにしん、とろろ芋、独活のキンピラ、インゲンの胡麻和え、自家製お新香。
ご飯が美味しくて、結果また食べ過ぎてしまいました。最後にデザートで果物と丸山珈琲。今回も、ご馳走さまでした!
 次回いつになるか分かりませんが、長女たちがNYから帰省出来たら、次女一家も一緒に、別館を一棟貸しで全員で気兼ね無く泊れると嬉しいですね。

 以前ご紹介した通り、寝室ではPanasonicの4K液晶TVの42インチVIERAとDENONのサウンドバーDHT-217で、見たい番組が家内とは異なる時などのTV放送や、或いは視たい放送が無い時はYouTubeやTVerなどのネット番組を楽しんでいるのですが、唯一の問題は寝っ転がって長時間見ていると、首が疲れる(痛くなる)こと。
それを解消するには、仰向けで寝た時に正対する天井に画面を映すのが一番自然。とすれば、天井投影可能なプロジェクターがおススメ・・・です。
もし予算さえあれば本当は、立方体の据え置き型で、縦置きにすればそのまま天井にも投影可能で、明るさ(輝度)も十分な2000ルーメン(lm)のレーザー光源で昼間の明るい部屋でも視聴可能な、EPSONのDreamio EF-100BATVが手軽且つ高能率でホームプロジェクターとしては最適なのですが、最低でも10万円と(TVがあるのに更にプロジェクターが欲しいなどとは言えず)ちょっと手が出ません。
最近は1万円くらいからの安いモバイルプロジェクターも色々出ているのですが、僅か数百ルーメンの明るさでは部屋を暗くしないと視聴出来ませんし、解像度もせめてHDでないと画質が劣り、一応“映る”程度になってしまいます。
(プロジェクターの明るさの単位はルーメンで表示され、主な測定方法として、米国のANSI規格とISO/IEC規格があり、ルーメンが一般的に光源そのものの明るさを計測するのに対し、ANSIルーメンは投影面の明るさを計測するという測定方法の違いによるものです)
それに、そうしたプロジェクターは殆どがDLP方式なので、EPSONに代表される液晶方式(3LCD)に比べ、人によっては虹色がチラつく現象“カラーブレイキング(レインボーノイズ)”が気になるケースもあり得ます。
しかし設置場所の問題や専用のスクリーンを壁に取り付けるのではなく、飽くまで仰向けに寝ている時にだけ天井のクロス(幸い我が家は白い壁紙を選んだので)に投影するのであれば、ライトを暗くしても良いし、そうであればそこまでの高機能は必要ありません。

 ・・・などとウダウダ考えていたら、長女がNYへの渡米に際し、向こうでは使わないからと色々置いていってくれた中に、AnkerのNebula CapsuleⅡというモバイルプロジェクターがありました(Ankerよりも上位機種のプロジェクターを婿殿がTV代わりに使っているので、NYでは不要とのこと)。


このAnkerのNebula CapsuleⅡは数年前に発売された人気のモバイルプロジェクターです。DLP方式ではあるのですが、光源に長寿命のLEDを用い、解像度は1280×720画素のHD。但し、明るさは200ANSIルーメンしかないので、暗い部屋でないと無理。でもAndroid TVが搭載されており、8Wのスピーカーも内臓なので、Wi‐Fiに繋ぐだけでYouTubeやTVerが見られます(最近発表された最新型は、光源がレーザーになり輝度も300ANSIルーメンにアップして、画質もフルHDになったそうです)。
因みに、AnkerはGoogle本社のエンジニアが独立して設立した、スマートフォンなどのモバイル機器を製造する中国企業です。

 そこで有難く使わせていただくことにして、早速ベッド脇に設置してみました。ベッドの頭の“ヘッドボード”と呼ばれる部分は、棚ではなく、丸みのある厚いボード(板材)なので、ここに三脚の脚を背に差し込んで固定し、その上で、更に天井が真上になるようにレンズを向けて本体を回して固定します。
 
Nebula CapsuleⅡは一応最大100インチまで投影可能で、床面からであれば100インチが可能かもしれませんが、我が家の寝室の場合ベッドサイドからだと天井までは1.6m位なので、画面サイズはせいぜい60~80インチでしょか。家内と違う番組を見る時など、通常はTVを視ているのですが、プロジェクターでは最後夜寝る前に、ベッドに寝っ転がって(照明を落として、薄暗くして)視るだけなので十分でしょう。
設置上、通常とは画面を反転して投影させる必要があり、マニュアルに沿って設定。ピントは自動で併せてくれますが(手動補正も可能です)、CapsuleⅡは台形補正は垂直のみで左右は出来ませんので、出来るだけ真上に投影する必要があります。

内蔵スピーカーは8Wですが、枕元で聴くには充分なボリュームです。また、そのままではTV放送は見れませんが、CapsuleⅡにはAndroid TVが搭載されているので、プロジェクターでは寝る前にTVerやYouTubeを視聴しています。
寝る前で暗くしているせいもありますが、投影する720pのHDの画面は予想以上に鮮明で、スクリーンではなく天井の白いクロスの壁紙に投射していますが、専用スクリーンに比べればあるであろう壁紙の凹凸も全く気になりません。勿論、上位機種になればなる程、その満足感は高まるでしょうが、オーディオと同じで、個人的には十分満足です。長女のお陰で、更に充実したAVライフ?になりました。
 因みに、寝る前に寝室のライトを“常夜灯”レベルに落として投影していると、家内はプロジェクターの画面が明る過ぎて疲れるとのことでしたが、残念ながらNebula CapsuleⅡには画面の輝度調整機能はありません。ですので、投影距離を長くして画面上の照度を多少下げるしかないかもしれません。
しかし、他に方法が無いか一応調べてみると、CapsuleⅡは色温度が標準・暖色・寒色の三段階から選択可能なのですが、チェックしてみると娘は暖色に設定してあったので、標準モードに設定し直します。
ここで云う暖色とは赤みがかった色で、寒色は青みがかった色のこと。因みに、光の色は温度が上がっていくにつれ「赤→黄→白→青白」へと色が変化していきますが、人間の感覚的な温度(人間の視覚的には暖色系の方が暖かく=温度が高く感じる)と色のイメージ(暖色・寒色)とは逆で、 赤みを帯びているほど色温度は低く、青みを帯びているほど色温度は高くなります。
また、今回の引っ越しに際し付属の純正充電器を廃棄してしまったのか見当たらず、そのため電源コードを常時繋いでいるのですが、充電の場合は電池残量が少なくなってくると画像モード(自動、標準、バッテリーの3モード)が自動的にバッテリーモードに切り替わり、輝度を下げるとのこと。そのため、手動で常時バッテリーモードを選択することにしました。
以上の結果、奥様からも「これなら眩し過ぎなくて、見易くなった!」と合格点を頂くことが出来ました。ヤレヤレ・・・。

 2月4日の日曜日、婿殿の住むNYへ向けて、羽田空港11:30発のANAで長女とマイが飛び立って行きました。

 生憎この日、東京は朝から冷たい雨模様の中、朝8時に予約したタクシーで羽田空港へ。
今回の出国に伴ない、マイは事前に予約して羽田空港で動物検疫を受け、問題無く証明書も発行されていますが、この日の出国検査にどのくらい時間が掛かるか読めないからと早めに空港へ向かいました。日曜日の朝ということもあって首都高は渋滞も無くスムーズで、20分足らずで国際線ターミナルに到着しました。思えば、4年前まで次女が羽田に勤務して糀谷に住んでいた時は、何度も来た道です。

 マイはクレートに入っての移動です。フライト中ゆったり出来る様にと今回のフライト用に別に新たに購入したという、柴には大き過ぎる大型犬用のキャスター付きのクレートとはいえ、チェックインしてから13時間という長旅です。
そのため、先ずは空港に到着してから、国際線ターミナル端の空き地でマイをクレートから出して少し気分転換し、それからチェックインカウンターへ向かいました。
思えば、正月の羽田空港での日航機事故でペット論争があったせいか、今回のNY便は当事者のJALではなく娘がメンバーのANAなのですが、チェックインカウンター、グラハンスタッフ、そしてペットなどの保安検査の空港スタッフの方も、皆さん非常に親切で優しいのです。でも、日系キャリアではペットの荷物扱いそのものは変わりません。
チェックイン後は、温度や気圧等はコントロールされてはいても、カーゴに入れられて真っ暗な中での13時間になります。マイもこれから一体どうなるのか、彼女なりに察知して不安なのでしょう。全く吠えずにじっと大人しくしています。
長女は、JFK空港到着後に一分でも早く出られる様にと、今回自身のマイレージでビジネスクラスにアップグレードし、またチェックインカウンターのスタッフも気を使って下さり、真っ先に出られる様にビジネスクラスで一番ドアに近いシートを用意いただいたとか。
 思いの外早くチェックイン手続きも終了し、「これだったら、マイのためにもう少し遅く来ても良かった・・・」とは“後の祭り”で、そのまま一足お先にマイは検査場へ。
これから13時間、しかも真っ暗な貨物室の中での長旅です。無事を祈るしかありません。今後もし娘たちが帰国して来ても、マイがまた10数時間も真っ暗い中でのフライトで帰国して来るのは可哀想なので、フライトはもうこれが最後にした方が良いでしょう。
また、コユキをおいてNYへ我々が夫婦二人で行くこともあり得ません・・・。今後もし何かあって、長女の手伝いにNYへ行くとすればそれは家内ですので、もしかすると私はもう二度とマイには会えないのかもしれません。
 「元気でな。頑張って行っておいでネ!」
当初リスクも考えて、マイはNYへ行かずに我々が松本で面倒を見ることも考えなかった訳では無いのですが、マイにとっては飼主である長女たちと一緒に暮らすのが一番良いであろうことは疑う余地はありません。
従って、13時間もの間マイ独りでの真っ暗い中で、意味も分からぬ上昇と降下を含めた初めてのフライトは、彼女にとっては恐怖でしかないでしょうけれど、せめて上空では揺れずに安定したフライトを願うしかありません。
 今回のフライトが予約の関係上たまたま日曜日になったので、次女一家も婿殿も含め全員で見送りに来てくれました。横浜の最寄り駅からは、リムジンで乗り換えなしで一本だとか。
4年ちょっと前まで次女が働いていた羽田空港国際線ターミナルですので、勝手知ったる自分の庭・・・でしょうか。孫たちを迎えるために私一人でエレベーター近くで待っていたら、どこから上がって来たのか、もう先に全員合流していました。

出国審査まで、江戸小路のカフェでお茶を飲みながら、出国前のささやかな送別会です。先程はアジア便のフライト時間だったのか、出国審査へ向う保安検査場が長蛇の列だったのですが、NY便は11:30のフライト予定でそれ程混まないかもしれません。それに、ビジネスクラスは優先で保安検査場も別とのことなので、おかげでギリギリまで皆一緒に過ごすことが出来ました。
そうは言っても、今度いつ会えるか分かりませんので寂しさは募りますが、娘のためにはNYで婿殿と一緒に暮らすことが最善なので、黙って見送ってあげるしかありません。娘は何度も振り向きながら、最後は互いに手を振って出国検査へと消えて行きました。
 「・・・あぁ、行っちゃったネ・・・」
誰からともなく、溜め息がこぼれます。
それから、全員で飛行機を見送るために5階の展望ロビーへ向かいます。途中、展望デッキに向かう通路スペースには、羽田空港国際線に就航している航空会社各社の飛行機モデルと空港スタッフの皆さんの写真が展示されていて、次女曰く、
 「勤めていた時、ここに私の写真も飾られてたんだよ!」
とのこと。家内は見たことがあるそうですが、残念ながら私メは見る機会はありませんでした。
そう云えば、勤務していた時に羽田空港国際線の空港全体でのCSアワードとして娘が表彰されたこともあったので、航空会社の代表として載せていただいたのでしょう。本人にとっては良い思い出です。
(4年半前、当時リーダーをしていた次女の羽田空港勤務最終日の様子。スタッフの皆さんに囲まれて)

この日は朝から生憎の雨模様ですが、展望デッキには望遠レンズを抱えた人や家族連れや、結構な人出。さすがに世界第3位の混雑度という羽田空港は、頻繁(計算上では40秒毎)に離着陸が繰り返されています。
シンガポール赴任中は元より、会社員時代は帰国後も国内外の出張で頻繁に利用した飛行機も、リタイア後はワンコがいると無理なのでとんとご無沙汰です。
ただ、自身は決して飛行機オタクでもありませんが、飛行機や電車などを見ると少年時代に帰るのか今でもワクワクしますが、今日ばかりは溜め息交じりの“涙雨”です。小降りでしたが朝からの冷たい雨でしたので、子供たちが風邪をひかぬよう、彼らは展望ロビーの中で待機ですが、私は一人搭乗口の109番ゲートの真上でずっとグラハンスタッフの皆さんの準備作業を見守ります。
到着後はマイを真っ先に出してくれるそうなので、搭載されるのは恐らく一番後なのでしょうけれど、あのコンテナの一つの中に、しかも窓も無い真っ暗い中で不安を感じながらマイが居ると思うと胸が痛みますが、無事のフライトを祈るしかありません。
 コンテナが全て積み終わり、乗客がそれぞれのボーディングブリッジから機内に登場し、ファースト・ビジネス側の搭乗ゲートから順番にドアから離れました。
そして、予定時刻の11時半になり、遂にトーイングカーによってプッシュバックされて飛行機がエプロンに向けて動き出し、滑走路へと向かいます。
 「あぁ、行っちゃうな・・・、元気でね。マイも我慢、我慢、頑張れよ~!」
【追記】
そして・・・、
13時間もの長旅の結果、無事NYに到着し、マイの入ったクレートを真っ先に受け取ることが出来たそうです。もし、真っ暗な中で揺れればトラウマになってしまったかもしれませんが、有難いことに途中殆ど揺れず安定したフライトだったとか。本当に良かったです。
真っ暗いコンテナの中、不安でマイはきっと動かずに息を凝らしてじっと我慢していたのでしょう。クレートを受け取って、娘の顔を見た途端安心したのか、すると息もつかずに水を飲み続けたのだそうです。そして、到着ロビーで迎えに来た婿殿がマイを早速クレートから外に出して、気分転換にJFK空港の敷地内を歩いたとか。マイの米国上陸、NYでの第一歩です。
その後マイは随分落ち着いて、新しい“我が家”ですっかりリラックスして眠ったり、時にはNYのドッグカフェに行って現地のワンコたちとじゃれ合ったりしているそうです(お互い何語でコミュニケートしてるんだろう?)。
 「マイ、本当に良かったなぁ・・・。」
時々LINEのTV電話で話したり、送られてくる動画や写真を見ながら、聞こえぬマイに声を掛ける日々。TV電話でスマホから聞こえて来るこちらの呼び掛けに反応して、His master’s voiceのニッパー君ではありませんが、不思議そうに首を傾げるマイに自然と笑いがこぼれます。
NY生活での英語にはまだ完全には慣れていないようですが、新しい地で安心して暮らして長生きして欲しいと思います。

 四柱神社の参集殿で定期的に落語会が催されていて、先代から続く昔からの縁で、今でも三代目となる古今亭圓菊師匠が来演されている様なのですが、失礼ながら特に好きな師匠でも無かった(現在の古今亭一門で個人的に聞きたいと思うのは、やはり2代目圓菊師匠の弟子である菊之丞や文菊といった兄弟子の師匠方に分があります)ので、今まで行ったことは無かったのですが、今回の「新春初笑い」と称した1月の例会は、私メの大好きな柳家さん喬師匠が来演し二人会とのこと。
・・・となれば、これは行かねばなりますまい。東京の定席だと、トリを務める主任以外の高座では持ち時間が15分と限られるので、大ネタを本寸法で聴くことは出来ませんが、独演会やこうした地方の落語会ならそうした大ネタを聴くことが出来るのです。
当日聴きに行けるか直前まで予定が分からなかったのですが、毎月2週間ほど手伝いに横浜の次女の所行っている家内が松本に戻っていて、この日留守番をしてくれるというので、思い切って行くことにして、前日四柱神社の社務所に行って前売り券(シニア割引で3000円でした)を購入しました。
 当日、開場に合わせて四柱神社へ。会場は境内の参集殿2階の大講堂です。父は四柱神社の総代でしたので、何度も来ていたでしょうし、その縁で娘たちも高校時代、二年参りの時に巫女さんのアルバイトをさせていただいたので、入ったことがあったと思いますが、私メが参集殿に入るのは初めてです。講堂での定員は120名とのことでしたので、いつもの松本落語会の会場となる瑞松寺の倍でしょうか。
やはり年配の方々中心でしたが、午後2時の開演には9割方椅子席が埋まったでしょうか。

 勧進元である宮司さんの開演前の挨拶があり、2003年から、3代目圓菊襲名前の「菊生」名で、真打昇進後隔月で開催しているという落語会で、宮司さんが圓菊師匠の父・2代目古今亭圓菊師匠と知り合い、同神社で落語会を開くようになったのだそうです。その後、古今亭菊生として3代目が真打ちになったのと、この参集殿が完成したタイミングでまた落語会を再会したとのこと。ですので、結構歴史のある落語会でした。

 さて、四柱神社の宮司さんの挨拶後開演で、先ずは開口一番は前座、林家たたみさんの「庭蟹(洒落番頭)」。
続いて、お目当ての柳家さん喬師匠が登壇すると、「待ってました!」と客席から声が掛かり、いつもの師匠らしく、恒例の「・・・ホントかよ!?・・・と思いますね」と呟いて、早速客先を沸かせます。その後時節の挨拶をされてから、これまたお約束の「では、皆さまごきげんよう!」・・・。そして、今回松本に訪れての感想や長野市出身の小さん師匠との思い出など、独演会や今日の様な「二人会」でしか聞けない、ところどころにくすぐりを入れたエピソードに心和みます。
 「あぁ、生のさん喬師匠は本当にイイなぁ・・・。」
と、定席での主任としての大トリや独演会以外では、なかなか聞けない枕を十二分に楽しみます。
ネタも勿論ですが、声を張り上げるでもなく(声は通るのでちゃんと聞こえるのですが)、この何とも言えぬペーソスというか、ぼそぼそと囁くような枕がさん喬師匠の堪らない魅力です。そして、時々ぼそっと散りばめる“毒舌”的な皮肉もイイ。
そして以前BSだったか、師匠が演芸番組で日本舞踊を踊られたことがあったのですが、話しぶりだけではなく、ちょっとした所作にも気品と色気すら感じられるのも、さん喬師匠が日本舞踊藤間流の名取だからなのでしょう。
「文七元結」や「芝浜」、「唐茄子屋政談」、「福禄寿」といった,
“さん喬噺”とさえ謂われる程の人情噺が評判の師匠であり、それは確かにその通りなのですが、しかし滑稽噺も実にイイんです。例えば師匠の「棒鱈」なんてまさに捧腹絶倒モノです。
TVの演芸番組、またCDなどの録音やYouTubeなども含め、これまで色々聞かせて頂いた噺家さんの中で、私のイチオシ、一番好きな噺家がこの柳家さん喬師匠なのです。
そして個人的には、落語界の次期“人間国宝”は絶対にさん喬師匠しかいないと思っているのですが(既に紫綬褒章を受章されています)、小さん、小三治と同じ柳家一門ばかりが人間国宝では、江戸落語のバランスが崩れるということなのでしょうか・・・。
 さて、この日の最初のネタは、そんな滑稽噺の「ちりとてちん」で、大いに客席を沸かせてくれました。
続いて、この四柱神社の落語界の主役という古今亭圓菊師匠が登場。
前置きで、「今日は古典落語の大御所のさん喬師匠なので」と遠慮されて、釣り仲間という創作落語の旗手、三遊亭圓丈師匠から教えてもらったという新作落語「悲しみは埼玉に向けて」の一席で仲入りです。

 仲入り後は、先に圓菊師匠が「やはり古典落語はイイですね」と前置きされて、今度はご自身も古典落語の中から「安兵衛狐」を一席。
そして、この日のトリとしてさん喬師匠が演じられた人情噺は、大ネタ“八五郎出世”の中の「妾馬」でした。
実は、2017年「松本落語501回」に500回記念として柳家権太楼師匠とお二人で来られた何とも贅沢な落語会があったのですが、そこでトリにさん喬師匠が演じられたのが、やはり同じ「妾馬」だったのです。
ですので、せっかくの“さん喬噺”のこの機会に、定評ある人情噺ではあるのですが、同じネタでちょっぴり残念でした。
でも、クラシックの名演は何度聞いても素晴らしい様に、八五郎が妹のとよに言い聞かせる様に語り掛ける場面など、今回の「妾馬」も実に良かった・・・。
新旧の他の噺家でもこの「妾馬」は聞いていますが、生まれた赤ん坊を八五郎が実際に抱いてあやす場面などは師匠が独自に工夫し挿入した場面の様に感じます。分かっていても、途中ホロリとさせられてあっという間にサゲ・・・。
何度聞いてもさん喬師匠の「妾馬」はイイ!
本寸法で滑稽噺と人情噺の二話、“さん喬噺”を楽しませてもらった落語会でした。
【注記】
当日、怒鳴りつけたい程、落語会で不愉快な出来事がありました。
さん喬師匠の高座中、しかも仲入り前後の二話とも、高座中に携帯の呼び出し音が鳴ったのです。しかも信じられない様に、後半のトリの噺の中で、3度も4度も・・・。
前半の時は、開演前にちゃんと注意もあったのにも拘らずでしたので、いくら何でも本人も反省して、仲入りの間に電源を切るかサイレントモードにしたと思ったのですが、あろうことか後半も・・・。
その不逞の輩は80代の御老人。知り合いと思しき隣の男性も小声で注意を促したり、周囲の客も都度睨みつけたりしたのですが、馬耳東風・・・。最後は掛けた相手が何度呼び出しても出ないので諦めたようで、4度くらいで終わった様ですが、それにしても啞然とするばかりでした。
 「いい加減にしろヨっ!」
と、心底怒鳴り付けたくなりました。こんなんじゃ、松本市民の民度が疑われます。
途中、さん喬師匠が酒席での八五郎に「携帯鳴ってるよ!」と噺の中で云わせて、笑いを取りながら気を使って注意までしてくれたのですが・・・。
その老人は、終演後まだ拍手が続く中、そそくさと逃げる様に会場から出て行ってしまったので、誰も注意出来なかったかもしれませんが・・・。
恥ずかしくて、情けなくて・・・こんなんじゃ、もう二度と師匠は松本なんかに来てくれないだろうと思いました。
せっかくの“さん喬噺”を台無しにされ、本当にがっかりして会場を後にしました。
居合わせた客でさえこうなのですから、超売れっ子講談師の神田白山が、先日ある高座での講談途中で観客の携帯電話が鳴ってしまい、このアクシデントに伯山は怒って講談を中断し、10分間近く注意喚起したそうですが、同じ場面に遭遇して、恐らく演者からすれば怒りは客以上だったろうと感じた次第です。

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