カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 師走の都大路を走る高校駅伝に始まり、新春の箱根、そして京都と広島での都道府県対抗を以って(私個人として興味関心のある)駅伝シーズンが終了しました。

 全国高校駅伝の女子は、公立高校ながら全国の強豪私立に伍して昨年一昨年と2年連続準優勝だった長野東が今回は9位と、残念ながら4年連続入賞はならず。男子も、佐久長聖が自校の持つ高校最高記録まで10秒と迫る好記録ながら、留学生を擁するチームには敵わずの3位。しかし、それぞれ県内出身選手だけ、或いは日本人選手だけでの走りは見事でした。
県下に実業団チームを持たない長野県ですが、こうした長野東と佐久長聖の頑張りが、卒業したOG・OBが大学或いは実業団に進んで活躍し、その結果がシーズン最後の都道府県対抗駅伝の長野県チームの活躍に結びついています。
長野県は昔から市町村や地区対抗の駅伝が盛んで、その中から育った伊藤国光や中山竹通などのマラソン日本代表選手も嘗てはいましたが、実業団チームの無い長野県が駅伝で強くなったのは、指導者が連携して長期的な視点で小中学生の頃から地域の陸上クラブなどで育て、その中から才能のありそうな子供たちが優秀な指導者のいる、男子は佐久長聖、女子は公立高校ですが長野東に進学して継続して育成強化されて来た結果だと言えます。

 駅伝シーズンの掉尾を飾る、新春の全国都道府県対抗駅伝。
女子は京都で行われる高校駅伝の男子と同じコース、男子は広島の平和公園から安芸の宮島口への往復コースです。
 12日の女子は、長野県チームは昨年の6位に続き二年連続入賞で目標のメダル獲得には僅かに届かなかったものの、記録も順位も過去最高の4位でした。全国でも強豪となった長野東のOGが大学や実業団に進み、一般区間でも力のあるランナーが増えた結果、都道府県対抗でも優勝争いの常連となった男子だけではなく、以前は17番のゼッケンナンバー前後の順位だった長野県の女子チームも最近では男子同様に上位を狙える力を付けてきました。
今年は1区6位でスタートし、途中で一時はトップに立つ力走。しかし、今期の高校生が少し弱くその後順位を下げましたが、8区の中学生と最終9区の一般が共に区間2位という好走で、最終区で国内トップ選手の東京チームの新谷選手には抜かれたものの、アンカーのダイハツ所属の細田選手が食らいつき区間2位の力走を見せて、僅か2秒差の4位でのフィニッシュ。目標のメダルには惜しくも届かなかったものの、見事な走りでした。
大学生も含め一般の区間も充実してきましたし、今回走った中学生は二人ともまだ2年生。長野東の高校生がまた力を付ければ、念願の3位以内もそう遠いことではないと期待を持たせてくれた今回のレースでした。

 19日の男子。“駅伝王国長野”と云われる通り、これまで全国最多の7回の優勝を誇り、今回も中高生に全国トップクラスの選手を揃えていたので、3年振りとなるV奪回が期待されました。しかし直前になって、5000m13分台の主力高校生2名が故障で交代し、チーム目標を5年連続の入賞に変更と報道されていましたし、マスコミの事前予想でも長野県は優勝候補には挙げられていませんでした。
しかし、いざースが始まってみると、1区の高校生区間も交代となった2年生の越選手が10位とはいえトップと7秒差で力走し、2区の中学生区間は全国中学校駅伝でも区間新で走った小田切選手が区間3位の好走。
一時3区の一般区間で15位と順位を下げたものの、その後代役で出場した高校生二人(木村選手は女鳥羽中出身!)がそれぞれ区間2位・4位と見事な走りで3位まで順位を押し上げ、6区の中学生区間で今季3000m全国ランキング2位(県中学記録更新)の吉岡選手が圧巻の区間新記録で遂に1位浮上。
最後は、2年連続アンカーとなる中谷選手(早大2年)が、中継時点での8秒差をむしろ17秒差まで拡げて、区間賞の相澤選手(福島、東洋大)から僅か8秒差の区間2位で力走し、3位から逆転優勝を狙った優勝候補埼玉のアンカーの設楽選手にも勝って、見事1位で3年振りとなる8度目の優勝を飾りました。

 レース後は、予想を覆して全国最多8回目の優勝を飾った長野チームに対して「さすが!」という声が溢れましたが、下馬評が低かったにも拘らず“駅伝長野”の底力を感じさせる見事なレースでした。また同じように戦前の評価が然程高くなかった兵庫の2位も「さすが!」でした。
余談ですが、ゴール地点で優勝の感激に沸く長野県チームの輪の中に、長野が初優勝した時(2004年第9回大会)のアンカーとしてゴールテープを切った帯刀さん(当時富士通所属。現上田西高陸上部監督で、今回の県男子チームのコーチ)がおられ、懐かしく感じました。
この大会では留学生は走れませんので、今年は失速しましたが学法石川の福島県や西脇工や須磨学園などを擁する伝統の兵庫県、そして佐久長聖の長野県などがやはりこの大会になると毎年上位を占めています。
長野チームでは、今回力走した中学生諸君も佐久長聖へ進むでしょうし、1区の越選手や故障で走れなかった伊藤選手もまだ2年生ですので、来シーズンの佐久長聖も期待出来そうです。そして二年連続となるアンカーとして、昨年優勝した福島の相澤選手に置いて行かれたリベンジを果たした中谷選手も、3年生となる来シーズンは早稲田のエースとして一皮剥けた更なる飛躍が予想されます。

 高見澤監督も中谷選手も、優勝後のインタビューで台風災害にあった地元長野へ勇気と希望を少しでも与えたかったという想いをそれぞれ口にしていましたが、良い意味で予想を裏切られ、長野県民に勇気を与え、最後に“One Nagano”でスカッと締めてくれた今期の駅伝シーズンでした。
ムフ、やったネ!!

 江戸時代の名奉行大岡越前守忠相。徳川吉宗の享保の改革を町奉行、寺社奉行として補佐した実在の人物ですが、在任中に町火消の創設や目安箱設置などの民衆に寄り添った政策を実施して江戸庶民に人気があり、名奉行として、その後創作されたフィクション「大岡政談」により、講談や時代劇等で現在に至るまで大衆の人気を得ています。
その「大岡政談」は古典落語にも取り入れられ、中でもサゲにまで“大岡越前”が使われている「三方一両損」が大岡裁きの落語の演目として知られています。また「大工調べ」も南町奉行所に訴え出ていますので、越前が登場しない場合もありますが(昨年真打に昇進した柳亭小痴楽師匠で、以前生落語を聞いた時は大岡越前の名前は出なかったような気がしますが)、どうやら大岡裁きの落語の一つの様です。

 TV時代劇の「大岡越前」と云えば、亡き加藤剛が代表格でしょうか。その後NHKのBSでリメイクされ、主演は東山紀之。以前の源義経以来、時代劇にも適役と感心していましたが、この大岡越前もはまり役で既にシーズン5を数えます。

 今回も、年明けから第5部が全7話で開始される様で、今回は父忠高を演じた津川雅彦さんが亡くなられてしまい(同じNHK で数年前に演じられた「銀二貫」での井川屋主人和助役は、高田郁原作のイメージピッタリの好演でした)、ドラマでもそうなっているのは寂しい限りですが、他は同じ配役の由。
1月10日に放送された、第5部第一話の「頑固くらべ茶碗騒動」。この話のベースになっているのは、古典落語の名作「井戸の茶碗」。しかし、この落語は以前二ツ目入船亭小辰さんで聞いていますが、頑固者同士の人情噺であっても奉行所は登場せず、「大岡裁き」ではありません。
落語では、登場人物は頑固者同士の浪人千代田卜斎と細川藩藩士の若侍の高木佐久左衛門、その間に立つのが「正直清兵衛」と呼ばれるくず屋の清兵衛で、茶碗を最初買い上げるのが細川藩士の若侍で、最後にそれが高麗茶碗の名品「井戸の茶碗」と見抜き300両で買い上げるのは若侍の藩主である細川候です。一方、今回の「大岡越前」では、最初に買い上げるのは忠相の母妙。もし津川が生きていれば、父忠高だったかも知れませんね。そして、名品と見抜くのは時の将軍吉宗公という設定です。勿論一件落着は大岡裁きで、というストーリー。

 大岡越前では以前放送された中にも「文七元結」がベースとなっていると思われる回もありましたので、結構古典落語が使われていたりして、ネタ元を推測し一人ニタリとほくそ笑んでいます。

 毎年恒例の年末大掃除。
すす払い、窓拭き、床磨き・・・。一年分の垢?を落として、気持ち良く深淵が迎えられるようにと、今年も一生懸命。
勤めていた頃は、年末のカレンダー設定によっての時間的制約がありましたが、リタイア後は時間的には十分過ぎる程に余裕はありますが、逆に余り早く窓拭きをして、その後に雨や雪が降ると(風が強ければ)新年前に汚れてしまいますので、時間よりもむしろ天気予報を気にしての大掃除となります。
今回の年末は30日に雨予報だった(しかも風も強かった)ので、大晦日ギリギリでの外の窓拭きになってしまいました。

 初日に、二階のすす払いの後で掃除機掛けをしてから、拭き掃除、床磨きと内側の窓拭きをして、外側の窓拭きを残して二階は終了。
そして(いつも通りに晩酌後)早めに寝て、深夜に目が覚めて、何となく右手が“ダル、重~”。右手だけが全体に熱っぽく感じます。少し肘が晴れているような気もしたので、一階に降りて湿布薬を張ることにして薬箱などがある棚を探したのですが、良く分からなかったので、悪いと思ったのですが奥さまを起こして聞くことにしました。
そこで理由を説明して、晴れているように感じる右肘を見せたところ、家内が驚いて悲鳴を上げるではありませんか。
 「腫れてるなんてもんじゃないヨ!コブになってる。イヤだ、バイ菌が入って感染でもしてるんじゃないの!?」
自分では良く見えないのですが、どうやらコブの様にぷくっと腫れている様子。しかし、痛みは全く感じませんし、普通に動きますし、力を入れることも全く問題ありません。
 「大丈夫だよ。湿布だけして、朝起きて未だ腫れてたら医者に行くから」
 「もし感染でもしていたらそれまで待ってたらダメだってば!すぐにこれからお医者さんに行こう!」
と、自身が(骨折で)何度か連れて行かれて慣れている家内の“断固たる”勧めに従い、緊急医である相澤病院の救急外来へ行くことになりました。
着いたのが深夜の1時半。
受付と看護師の問診を済ませてから、外科医の先生の診断です。
夜勤なので若い先生でしたが、一目見るなり、
 「あぁ、これはカツエキホウエンですね!」
今迄全く聞いたことが無い単語に、「えっ?、えっ?」、「どんな字を書くんですか?」と何度も聞いてしまいました。
そのため、先生は端末のPCでグーグル検索をしてその画面を見せてくれました。
「カツエキホウエン」は漢字で「滑液包炎」。片や膝、肘などの関節などにあって、クッションの役目をしている「滑液包」に、何らかの刺激によって水が溜まり炎症が起きる症状とのこと。慢性的な刺激(例えば常に頬杖をついているとか)や、直近ではなくても、例えば半年や一年前の打撲でも発症することもあるのだとか。多くは謂わば関節の勤続疲労で、中高年や老人に多い症状とか。
先生の言われるには、痛みが無いのであればそのまま放っておけば自然に治癒するとのこと。整形外科によっては注射で溜まっている水を抜く医師もいるが、そのためにバイ菌が入ってしまうこともあるから、当院はそうした治療は実施していないとのこと。そして、
ぁ 「もし、(見た目で)気持ちが悪くて水を抜きたいのであれば、紹介状を書くことも出来ますが、どうしますか?」
と仰るので、実際全く痛みも無いことから、先生の勧めに従って何もせずにそのままにしておくことにしました。

 実際に痛みも無く、翌日からも大掃除をして無事新年に間に合わせることが出来ました。大掃除後も“滑液包炎”の方は特に痛みも出ず、年も明けての5日。腫れは引いいてきたものの、まだコブのまま・・・。
ま、機械も人間も勤続疲労で色んな所に“ガタ”は出て来るものですが、機械の様に部品を交換する訳にもいきませんので、騙しだまし使うしかないのでしょう。

 それにしても、子年を迎えて“大山鳴動ネズミ一匹”。
関節の軟骨や骨のカケラ(小骨片)が遊離して、関節内を自由に動きまわるために痛みが出るケースをネズミ(或いは“関節ネズミ”)と呼ぶことがありますが、今回は同じ関節でもそのネズミではなく、水が溜まっての炎症でした。いずれにしても、大騒ぎで、情けなくもトホホのネズミ年の年明けとなりました。
【追記】
新年早々グロテスクな写真掲載で誠に恐縮ではありますが、いずれにしても中高年のご同輩の皆さま。お互い勤続疲労には気を付けて、くれぐれもご自愛くださいますよう。以上、恥ずかしながらご参考までに。
【追記その2】
日頃の頬杖でもなるという「滑液包炎」。
毎晩奥さまとのチャンネル争いに敗れ、止む無く寝室の壁掛けTVをベッドに横になって頬杖を付いて寝ながら視ている私メ故、家内は今回の炎症はそのせいだと信じて疑わずに断定しているのですが、それって絶対違いますから!だって、TV視ている時の頬杖はいつも左手ですから!
最近は勿論、ここ一年間を遡っても、特に右肘を強打した記憶も全く無いので、従って結局は勤続疲労だろうと思います・・・。

 今年も一年間、本ブログ「三代目の雑記帳」をご愛読賜り、誠にありがとうございました。

 果樹園のH/P開設と共に始めたこのブログも丸11年になりました。
アクセス数も年を追うごとに増えて、8年前に年間15万件を数えました。しかし、ネタ切れと隔日での掲載に疲れ、それまでの隔日から二日おきのペースでの掲載とさせていただいた7年前には一時的に減ったものの、それでも12万件とほぼ毎月1万件というアクセスをいただき、その後は漸増して今年はこれまでの最高だった昨年の29件をまた更新し、33万件を越えるアクセスを頂きました。
このページを借りて謹んで御礼申し上げます。ありがとうございました。

 今年は、地元長野でも大きな台風被害がありました。今までは、どちらかと云えばTV画面を通じての映像としての認識だったものが、長野市の千曲川の被害を目の当たりにして、出るのは溜息と涙だけ・・・。言葉が出ませんでした。
そんな、列島を襲った台風の中で行われたW杯ラグビー。献身性と自己犠牲、そして相手への敬意・・・。幾つかのエピソードを残し、感動が列島を暖かく包んでくれたのが幸いでした。
平成から令和へと時代の節目となった今年。その意味では、今年の漢字は確かに「令」だったかもしれませんが、もし個人的に選ぶとしたら“桜戦士”とここに来ての騒動に皮肉を込めて、今年を代表する漢字として「桜」も捨てがたい様に思いましたが・・・。

 私事では、身内中心の小ぢんまりとした内輪での式ではありましたが、次女がほっこりと暖かくて素敵な“華燭の典”を挙げられたのが、今年の我が家一番の出来事であり、また一番の感激でもありました。
そして、ナナが突然の心臓の病気で一時は最悪のケースも覚悟しなければいけない状態になり、その“ロス”を恐れて迎えた保護犬のコユキ。結果、かかりつけの獣医の先生も驚く程にナナも奇跡的に回復し、またコユキ自身もいろんな方のサポートも頂いて幸いにも“壁”を乗り越えて、我が家の大切な家族の一員になりました。今では、二匹仲良く、くっ付いてほっこりと、時には二匹でハート型になって寝ています。
家内の影響で始めた中年登山。今年登ったのは、百名山でもある那須岳(茶臼岳)と北八の北横岳、そして練習を兼ねてのいつもの美ヶ原でした。
来年は何とか、半世紀ぶりの燕岳か或いは蝶ヶ岳か、槍穂高の絶景を求めてどこか山小屋一泊での北アルプスへの山行に挑戦したいのですが、果たして・・・。
(今年最後の写真は、この冬の写真ではありませんが「雪の松本城」と、ほっこりと二匹でくつろいでいるナナとコユキ“三態”です。最後の写真にハートマークを付けてみました。)
 年の節目にあたり、また今年も色々反省をしつつ、「ヨーシ、来年はもうチョット頑張るゾー!」と、また心のギヤを入れ替えるべく新たな年を迎えたいと思います。こうして、切り替えを出来るのが、きっと人間の(ずるくも)良いところだと思います。
 来る2020年「も」、或いは「こそ」、皆さまにおかれましてもどうぞ良い年をお迎えください。

                 カネヤマ果樹園一同+ナナ&コユキ💛

 振り返ると8年前。次女が大学を卒業し成田空港にグランドスタッフとして勤務することになって、成田駅に近いワンルームマンションに住むために亜美から頼まれた電化製品を新宿で買って運んで行った日のこと。
セッティングを終えてから、都内で待っている家内と長女に合流するために二人で成田から電車で都内へ向かっていました。最初は空いていた電車も次第に混んできて、やがて席が一杯になり、途中駅で乗られたオジイさんが目の前を通り過ぎて少し離れたところで立っていました。乗客は、誰も気にも留めません。
席を譲ってあげようか、どうしようか、5メートルも離れているし・・・、と私が躊躇していると、座っていた若い女性がすくと立ってオジイさんの所まで歩いて行って何か話して、どうやら席を譲ってあげたのです。オジイさんはお礼を言って座りました。
 「エライなぁ、若いのに・・・。」
最近の都会の若者も捨てたモンじゃないなぁと感心し、立つ勇気の無かった自らを反省しつたのですが、その立つ勇気の無かった私に対し、すくと立った隣の若い勇気ある女性は・・・次女だったのです。
親としてというより、むしろ勇気が無く「立てなかった人間」として反省しつつ、勇気あるその女性に感心した次第です。まさに、吉野弘の詩「夕焼け」を思い出しました。

 そんな“優しい心の持ち主”が、その後羽田空港勤務となって丸5年。
その間、時にカウンターでの責任者としてお客様対応をする中で、クレーム対応で無理を言われて規定上対応出来ずにお客さんからは文句を言われたり、怒られたり感謝されたりと色々なことがあったようです。時には、悔しくて真夜中に家内に泣きながら電話してきたことも何度かありました。
 そして、昨年度末にはこんなことがあったそうです。
航空会社のカウンターの責任者として勤務していた時、到着便の乗客だったカナダ人のご婦人が機内に忘れモノをしたとカウンターに訴えて来られたそうです。

何でもお母様の形見の指輪が入ったポーチを洗面所に置き忘れたとのこと。すぐに探しに行ったところ、既に機内の洗面所は清掃されてポーチは見当たらなかったため、娘は空港の廃棄物収集所に向かい、カタール航空の到着便から集められたゴミ袋を一人で探そうとする次女の真剣さに、収集所のスタッフの皆さんも一緒に探してくださり、やがてそのポーチがゴミ袋の中から見つかって無事お客様の手許にお届けすることが出来たのだそうです。
後日、大変喜ばれたそのお客様より空港宛に感謝のお手紙が届いて会社の知るところとなり、結果昨年度の羽田空港国際線の空港全体でのCSアワードとして娘が表彰されたのだそうです。どんな業績優秀での表彰よりも、最も嬉しく、そして誇らしく感じられた表彰でした。
全く以って“親の贔屓目”かもしれませんが、他に何の取柄もないのかもしれませんが、親バカで誠に恐縮ながら、本当に他人の痛みの分かる優しい子に育ってくれたということだけで満足でした。
 事情があって、5年間住み慣れた蒲田から横浜へ引っ越すことになり、暫くは羽田空港への直行バスで通ったり、帰りは同僚の方に送ってもらったりもしていましたが、やはり通勤が大変なのと、羽田発はどうしても深夜便となってしまうことから、その後で色々対応していると今までも電車やバスが無くなってしまうことも度々。そのため、お世話になった会社を辞めることになりました。
会社からは有難いことに今迄の勤務ぶりを評価いただき、これまでの様な空港勤務ではなく、日本支店での昼間のオフィス業務への転向までオファーしていただいたそうですが、本人はここで区切りとしたいとのこと。
 最後に、会社からだけではなく空港全体からも褒めていただき、職場の上司の方や同僚の皆さんからも惜しまれて、最終勤務の日を迎えることが出来たそうです。
これまで色々な方々にお世話になったことでしょう。助けても頂いたことでしょう。
無事最後まで勤務し、立つ鳥ではありませんが、惜しまれての退職に親としても安堵すると共に、色々辛いこともあった中で、最後まで影日向無く勤め上げたことを、誠に親バカではありますが、心から労いたいと思いました。本当にお疲れさま!

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