カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
以前ご紹介した様に、一緒に「源智の井戸」の清掃ボランティア“源智の井戸を守り隊”に参加頂いている方から、これまで「鯛萬の井戸」の清掃を続けて来た地元町会の有志三人での活動が、やはりメンバーの皆さんの高齢化に伴って継続するのが段々困難になって来ており、片や「源智の井戸」が同様に困難になった地元町会での維持管理を、行政と連携して活動のエリアを拡げ、井戸利用者などまで広くボランティアを募って清掃活動が始まったと知り、その「源智の井戸」のノウハウを「鯛萬の井戸」の今後の活動の参考にするために参加していると伺ったことから、逆に個人的には「鯛萬の井戸」の状況を参考にすべく、初めて現地を訪ねてみることにしました。

そこで私たちは、松本市が整備してきた公共井戸に焦点を絞り、どうすれば水場を「憩いの場」にすることができるのか、その政策的なヒントを提示することを目指した。
そのために、私たちは公共井戸のなかでも際立った存在感を放っていた「源智(げんち)の井戸」、「槻井泉(つきいずみ)神社の湧水」、「鯛萬(たいまん)の井戸」の3つの井戸に焦点をあてて調査を行うことにしたのである。
夏の5日間の調査の結果、大きな課題が見つかったのは「源智の井戸」である。存続の岐路に立っているといっても過言ではない状況下にあり、その政策的対応の方向性を示すことにした。
その一方で、「槻井泉神社の湧水」と「鯛萬の井戸」は、地域の「憩いの場」として機能しており、松本市の目指す成功事例と位置づけた。そこで、なぜ「憩いの場」になっているのかを明らかにすることにした。(以下略)』


そんな“優等生” だった筈の「鯛萬の井戸」の現状が心配になり、「源智の井戸」に関わる者として決してヒトゴトではないことから、“三現主義”ではありませんが、「鯛萬の井戸」を初めて実際に見に行くことにしたものです。

松本城下では、お城やその周辺の武家地、そして善光寺街道筋である町人の街である当時「親町」と呼ばれた3町(本町・中町・東町)を「表」とすれば、「枝町」としての現在のこのエリアの上横田町と下横田町を、親町の「表」に対して「裏」と捉えることが出来ます。。
このエリアは、その江戸時代には多くの茶屋等が軒を連ね、明治に入っても藩財政の窮乏を補うため、この東町と横町に限り売女渡世免許が認められ、明治10年には遊郭設置の場所としてこの横田耕地が選ばれるなどして、昭和34年の売春禁止法が施行されるまで栄え、また芸者を抱える料理営業店も集積していました。そして、明治期以降養蚕業を中心に栄えた“商都”松本の盛り場として、その後も平成初期まで賑やかな状況が続いたエリアでもありました。
そんなエリアに在った松本の老舗の割烹料亭が「鯛萬」であり、その「鯛萬」が大正11年に掘って使用していた井戸が料亭移転後も地元で大切に守られ、平成15年に市の「街なみ環境整備事業」により周辺が井戸公園として整備されました。その後、地元の有志3名の方が井戸の清掃を毎週続けられて維持管理されています。
当時のレポートに依ると、「どうして外部の掃除ボランティアに頼んで、掃除する人数を増やさないのか?」という問い掛けに対し、『外部ボランティアは普段から井⼾の近くにいることが難しく、利⽤者が井⼾を利⽤する様⼦を⽇常的に⾒ることができないので、現管理者の価値観を完全に理解することが難しい』とのことで、その時点では地元有志だけでの維持管理を標榜していた様なのです。
確かにその通りで、以前私も書いたのですが、「源智の井戸」の清掃ボランティア発足にあたって、個人的に会議の中で力説しお願いしたのが、
『少子高齢化とドーナツ化現象で市の中心街の人口が減っており、人手の無くなってしまった地元町会は清掃活動そのものからは“卒業”しても、その代わりに、日頃の井戸の様子は地元に住んでいないと把握できないため、町会長はじめ地元の方々に出来るだけお願いして、日頃気の付いたことを市の担当課等へその都度連絡いただく』ということでした。
そして、そのことをキチンと取り決めとして議事録に残し、地元町会と確認させていただいた様に、そうした地元の方々に依る日頃の見守りが絶対に必要不可欠なのです。
しかし地元に拘るが余り、それによって担い手が減り後継者が集まらず、もし大切な井戸が寂れてしまってはそれこそ本末転倒であり、外部の手を借りながら、如何に地元がしっかりと目配りや気配りをしていくかが今後への鍵だと思うのです。


塩屋小路からは車で入ることも出来そうですが、「鯛萬小路」を歩いて行った方が風情があります。
もし時間があれば、近くに松本市内で今も唯一残る酒蔵、善哉酒造の仕込み水にも使われている名水「女鳥羽の泉」もあるので、そこまで足を延ばしてみるのも良いかもしれません。

先述のレポートの中で、「鯛萬の井戸」が市民の“憩いの場”であるのに対し、「源智の井戸」は「殺伐とした」単なる“水汲み場”になっているとの指摘は、市の中心街に在り、人通りが多い高砂通は城下町特有の狭い一方通行のため、井戸の脇に遠慮してギリギリに一台しか車を停める場所しかない「源智の井戸」と、片や路地の奥の広々とした公園の中に佇み、井戸を目当てに来る人しかいない「鯛萬の井戸」との、その置かれた環境の違いが大きいのだと個人的には感じました。
「鯛萬の井戸」は、御影石の石造りの水槽に囲まれた井戸の縁の真ん中からこんこんと水が湧き出していて、二段になったその水槽の周りもまた御影石の石畳で覆われています。「源智の井戸」の木製の井桁と比べると、遥かに磨いて藻を落とし易く感じます。

東屋の梁には何本もの柄杓や、その柄杓で水をすくって口の細いペットボトルに入れる時用のジョウゴがやはり幾つも吊り下げられていて、水を汲みに来る利用者の便宜を図っています。
お水を頂いてみると、雑味の無いとても柔らかな水でした。ただ、10年来使わせて貰っている「源智の井戸」の水に比べると、両者の硬度の違いではなく、「源智の井戸」の水は甘い気がするのです。飽くまで私個人の嗜好ではありますが、“甘露”と呼んでも良い程に甘く感じる「源智の井戸」の水の方が個人的には美味しく感じます。

もしかすると、公園が市の管理であれば、定期的に業者に依る草刈り等がされているのかもしれず、今回はその直前で、雑草が伸び放題の時期の井戸にたまたま来てしまっただけなのかもしれません。
しかし、後日「源智の井戸」清掃ボランティアに参加いただいている方にお聞きしてみると、公園の管理も含め全て地元町会に委ねられているとのことで、市の公園緑地課が草刈りをすることは無いのだそうです。

「源智の井戸」清掃ボランティア全体として市内の他の井戸と連携し、清掃のお手伝いするのはスタートしたばかりで些か時期尚早ではありますが、私個人としてなら別に構わないので、井戸清掃ではなく出来ることからお手伝い出来ればと思った次第です。
以前、「源智の井戸」清掃ボランティアのその後の状況をご紹介させていただいた(第2013話)中で、
『複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会もドーナツ化現象と少子高齢化で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、行政としても全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって、やがて全体に水平展開されていくことが絶対に必要になると思います。』
と書いたのですが、早くもその危惧が現実に的中していたのです。

余談ながら、日頃事務局を務めていただいている市の課長さんと飲み会進行での余興のアイデアを練る中で、自分たちの関わっている「源智の井戸」をしっかりと知るべく、“利き酒”ならぬ“利き水”を実施することにして、「まつもと城下町湧水群」で唯一の硬水である「源智の井戸」と、他に湧水群の中から、これも人気の「鯛萬の井戸」と“加助騒動”縁の「伊織霊水」、そして松本市の水道水の4種類を用意して貰い、課長さん以外は答えを知らず、私も含めて参加者全員で試した結果、唯一私が全問正解で、しかも「源智の井戸」の正解者は私のみ。名前だけの隊長とはいえ“面目躍如”となって、皆さんからは「さすが!」と評価いただいたのですが、本人としては「源智の井戸」をこの10年来コーヒーのドリップ用に利用させて頂いてきた者として、一応の面目が立って、取り敢えずホッと胸を撫で下ろした次第です。いずれにしても、「源智の井戸」の清掃活動を機に、自分たちが住む街の素晴らしい水資源に感心を持って貰えたら、清掃活動の副次的効果としてこんな嬉しいことはありません。
因みに、松本の水道水は、市のHPに依ると、2014年のモンドセレクションで、松本市水道原水のペットボトル「信州松本の水」が食品、飲料などの品質を審査する国際的な品評機関「モンドセレクション2014」のビール・飲料水・ソフトドリンク部門で金賞を受賞しているので、水道水としては大変美味しい水なのです。この「信州松本の水」は、松本の地下水源のうち、最も多く水道水として使われている「島内第1水源地」の地下水を採水し、非加熱除菌したものだそうです。
さて、当日は仕事や用事等で来れない方もあり、半分くらいの出席だったのですが、簡単に清掃ボランティアに参加した思いを自己紹介を兼ねてお話しいただいた中で、お一人が
「私は“下心”があって、参加させて貰っています。」
と切り出されたのです。
いきなり何かと思ったら、その方の仰るには、「源智の井戸」と同じく「まつもと城下町湧水群」の中の人気の井戸、「鯛萬の井戸」を毎週掃除をされておられる有志三名(たった3名です!)の内のお一人なのだとか。

この「鯛萬の井戸」は水温13.2℃という湧水群の中でも一番の冷たい水で、平成の「街なみ環境整備事業」により周辺を井戸公園として整備され、維持管理は他の井戸同様にその地元の町会などに委ねられています。

因みに、割烹料亭「鯛萬」は戦前にフレンチレストランとなり、蔦の絡まるアルザス風の洋館は今でも松本を代表する老舗として人気のフレンチレストランです。
そして、その名を遺す「鯛萬の井戸」は町会の有志の皆さんに依り維持管理されているのですが、やはり「源智の井戸」同様にメンバーの方々の高齢化が進み、その活動が段々厳しくなってきており、先行する「源智の井戸」のボランティアの様子を探って、採り入れられるモノがあれば参考にすべく、ご自身が「源智の井戸」の清掃ボランティアに参加されたのだそうです。
「もし“市長への手紙”がそんなに有効だったのなら、私たちも投書しようかと考えているんです!」

この4月にスタートした「源智の井戸」の清掃ボランティアもまだ緒に就いたばかりなのですが、早くも水平展開が必要な状況になりつつあるのです。
しかし、我々「源智の井戸」の清掃ボランティアもスタートしたばかりなので、まだそこまでの余裕はありませんが、いずれそうした事態になるだろう事は十分予想出来ていただけに、何か手助けになることが無いか、協力し得ることはないか、それこそ金は無くても“知恵”と“ズク”を出して、お互いが連携していけたらと考えさせられた次第です。

懇親会はいつもの清掃の時の半分程の出席数でしたので、9月の「源智の井戸」のボランティア清掃の際、こちらからお願いしてその“下心”をこの日集まった皆さんにも改めてお話しいただきました。
また今回は、「市長への手紙」をふまえて、最初に私にご連絡をいただいた市の地域づくりを統括される部局の局長さんにもお越しいただいており、一緒に清掃活動にも参加していただき最後に一言挨拶も頂いたのですが、その場で「鯛萬の井戸」の窮状も併せて行政サイドにも認識頂けたので良かったと感じています(フム、先ずは仕掛け成功!)。
予定が変わり、婿殿が松本には来られずに、迎えを兼ねて最後の軽井沢で合流となったことから、彼が行きたいとのことで当初予定していた「白馬岩岳マウンテンリゾート」は次の機会に回して、今回孫たちを連れて行ったのは、塩尻峠の山麓に在る農業公園「チロルの森」です。
チロルの森のH/P等から拝借すると、
『「信州塩尻農業公園チロルの森」は、ワールドインテックが運営する、欧州オーストリア・チロル地方をモチーフとした、標高1,000mにある総合テーマパークです。
ヨーロッパの牧歌的な景観や農業体験などを楽しむことが出来、主な特徴はラベンダー畑や牧舎があって、乗馬や動物とのふれあいなど自然に溶け込んだ施設となっています。
また、本場の製造を元に作った自家製のビールや濃厚なアイスクリーム、ジューシーなソーセージが楽しめます。また、石窯で焼いた本格的なピザやパン。豊富なメニューのレストラン、体験教室など、「見て・触れて・食べて」五感で楽しめる施設です。
しかし来場者の減少と新型コロナウイルス感染症の影響で2020年11月29日に一度閉園しましたが、2025年4月26日に再開園しました。』
再開については、
『長野県塩尻市にある「チロルの森」が、2025年4月26日(土)より営業を再開いたします。本施設は、2020年11月に新型コロナウイルス禍の影響を受け、閉園を余儀なくされました。しかし、多くの皆様から寄せられた温かい支援と期待の声に後押しされ、昨夏にはトライアル営業を実施し、一ヶ月間に約25,000人の来園者を迎えることができました。この結果を踏まえ、4年半ぶりの営業再開を決定いたしました。』

この日は夏休み期間中の平日で、従業員の方と思しき車を除くと、約2000台収容という広大な駐車場に、開園時間での来園は僅か10台足らず・・・。





このエリアには林の中にツリーハウスなどもあって、おとぎの国の様な雰囲気です。


しかし、この日は平日とはいえ、午前中の入園はせいぜい50人程(どんなに多く見積もっても3桁には届かず)ではないでしょうか。勿論、一度閉園しているので、施設やアトラクションの充実にはお金を掛けられず、当面は現状のモノを維持管理していく他はないかもしれません。しかし、信州の高原風の広大な森の中で雰囲気もイイし、都会から来れば避暑地感覚でも楽しめる。なのに、こんなに空いていてはナントも勿体無い。
例えば、入場料は無料ですが、週末になると親子連れで駐車場は満車になるアルプス公園に在るようなドリームコースターか、長い滑り台のロングスライダーなど様々な子供向けの遊具や、或いは安全な子供向けの最近はやりのボルタリングもイイ。園内の林の大きな木々を活かしたブランコやジャングルジムの様な遊具でもイイ。いずれにしても広大な敷地と傾斜を活かすべきだと思います。そして、白馬岩岳ではありませんが、チエとズクで何とか子供たちが喜ぶ様な、是非目玉となる様なアクティビティーを創造して欲しいと思います。例えば、上手く傾斜を活かして“日本一長い”ロングスライダーを設置出来れば、それだけで目玉として“日本一”を売り込めます。

何より、ここにはそうした「チエとズク」の要素となる明るい材料が、広大な森の中に幾つも潜んでいる様に感じるのです。是非頑張ってください!
【追記】
入園者が少なくコストを掛けられないのは理解できますが、園内を色々探しても閉まっていたりしているレストランや施設もあって、結局この日のランチは園内では取るのを諦めて車で戻り、松本IC近くのベーカリーレストラン「COCORADE」で食べました。その分も「チロルの森」は収入減となってしまっているのです。これも実に勿体無い!
8月、久し振りに映画を見に行きました。それは2021年7月4日から9月12日までTBS系「日曜劇場」で放送されたテレビドラマ「TOKYO MER」。
放送終了後多くの反響が寄せられた結果、2023年4月に続編となる劇場版第1作目が公開されたのですが、今年その劇場版第2作がこの8月1日から全国公開されています。
予告編的に簡単にその劇場版の二作を紹介させていただくと、
『2023年4月に公開された劇場版一作目では、横浜のシンボル・ランドマークタワーを舞台として、爆発事故により193名が閉じ込められるという大災害に立ち向かう姿が描かれた。
映画ならではの壮大なスケール感と、仲間同士の熱い絆に、多くの観客が胸を熱くし、興行収入は45.3億円という大ヒットを記録。続編を求める声が多くあがっていた。』
そして、予告編に書かれている内容ですので、決してネタバレにはならないと思いますが、今公開されている劇場版第二作「TOKYO MER南海ミッション」は、
『TOKYO MERの活躍が高く評価され、全国主要都市に新たなMERが誕生するなか、沖縄・鹿児島では離島地域に対応できるMERの誘致活動が活発化する。指導スタッフとしてTOKYO MERのチーフドクター・喜多見と看護師の夏梅が派遣され、オペ室搭載の中型車両を乗せたフェリーで離島での事故や災害に対応する「南海 MER」の試験運用が始まるが、半年が過ぎても緊急出動要請はなく、廃止寸前に追い込まれていた。
そんなある日、鹿児島県の諏訪之瀬島で火山が噴火し、ついに大規模医療事案への出動が決まる。島では想像をはるかに超える惨状が広がっており、噴煙のためヘリコプターによる救助はできず、海上自衛隊や海上保安庁の到着も数十分後だという。噴石が飛び交い溶岩が迫るなか、南海MERは島に取り残された79人の命を救うべく高難度のミッションに挑む。』
という内容です。
この予告編に書かれている内容の範囲でネタバレにはならぬ様に、既に視聴した者としての感想を書かせていただくと、今までのTVシリーズと第1作目の劇場版も、最後の最後には「今回も・・・死者ゼロです!」が、同じTBSだからと云えるのかどうか分かりませんが、「水戸黄門」の「この印籠が目に入らぬか!?」的な決めゼリフと分かって安心はしていても、最後の最後まで見る者にハラハラと緊張感を与えるスリリングな展開で、「あぁ、もうダメか・・・」と一旦は思わせながら、最後の最後になって「えぇーっ!?そう来たか・・・!」という唖然とする様な解決策を(都度色んなネタを駆使しながら)見せてくれるのです。その意味で、監督や、出演者や、カメラワークや、特に今回はVFXが非情に良く出来ていて、本物の火山が噴火している様な臨場感があります。
そうした中で、個人的に今回一番良く出来ていると思ったのは脚本(黒岩勉)でした。
最後の最後まで、視ている方をハラハラドキドキさせながら、そのミッションがクリアされる度にホッとすると、しかしまだそれでは終わらせないで、更に次から次へと新たに困難なミッションが現れるという、様々なエピソードがストーリーとして描かれて行って、最後の最後まで飽きさせません。
そして、その最後は“水戸黄門”的で分かっている筈なのに、 「えぇー、じゃぁ一体どうやって解決するんだろう!?」と思わせてくれるのです。
例えば、視初めて最初、また途中でも・・・、
「南海NERって、一体何?」
「今回はスケールダウン?」
「TOKYO MERの他のメンバーは出ないの?」
・・・等々、南海MERの位置付けや背景等は映画の冒頭で理解出来るのですが、途中視ながらも色々疑問も浮かぶ中で・・・、でも、今回もいつもの赤塚東京都知事と白金官房長官との“女の確執”もちゃんと挿入されていて、まさか自衛隊のC‐2輸送機まで最後に登場させるとは・・・。
最後にネタバレ的ですが何卒ご容赦いただき、個人的に一番良かったシーンを紹介させていただくと・・・、
定員オーバーの全島民を載せ全速前進で島から脱出した南海 MERが燃料が尽きた時、漁船で持って来た予備タンクにあるだけの燃料を補給し、重症者を助けるために、病院のある島までその限られた燃料で船が行き着くようにと、船への負担を減らすべく、ケガ人や子供と老人を残して、女子中学生まで含めてまだ動ける男女の島民が皆救命胴衣を着て、喜多見チーフの制止を振り切って次々と海に飛び込むシーン・・・でした。
東日本や能登などの被災地を抱えるこの国では、事の大小こそあれ、きっとこうした住民らの行動が自然に行われている筈です。
実際に、2014年11月に白馬村を中心に発生した最大震度6弱の長野県北部地震(神城断層地震)で、多くの建物が倒壊しながら、住民同士の助け合いで建物の下敷きになった人を救出し、正しく「死者ゼロ!」を達成したという事例があり、「白馬の奇跡」と呼ばれています。
最後見終わって「いやぁ、良く考えたなぁ・・・」と、それこそ練りに練られた素晴らしい脚本だと心底感心した次第です。TV作品同様、今回も脚本を書かれた黒岩勉氏に一番の拍手を送ります。
以上、脚本の重要性を改めて再認識させられた中で、片や翻って思い出されるのは、それとは全く真逆の作品のことでした。
それは3年前に視た、水谷豊監督・脚本・主演作品「太陽とボレロ」。
この作品はご本人主演の人気シリーズを放映するTVでの前宣伝も大きく、しかも地元松本が舞台となったので、(地元民としては)楽しみにしていた映画だっただけに、その意味でそれ以上に個人的には過去一番ガッカリした作品でした。
それは映画を視ていて、あのクライマックスに向かってのワクワク感が全く湧いてこないのです。見終わった後、暫し溜息しか出なかったのです。
その理由は、映像(カメラワーク)はともかく、脚本が酷過ぎたからでした。
細切れのちっぽけなエピソードをパッチワークの様に継ぎ接ぎしただけで、他の見応えの在る作品の様な(例えあり得ないと思っても)二重三重に張り巡らされた複雑なストーリー展開の工夫も、またはムム、そう来たか!という様な唸らされる捻りも、思わず吹き出す様なウィットも無く、途中からはそうした興味も全く消え失せ、後はストーリー展開とは全く関係無く、映画に出て来る(地元ロケ故に)場所や街角がどこかという興味のみ・・・。
「出演者全員に吹き替えではなく、実際に自身でボレロの楽器演奏をするように求め」たという“厳しい監督”であるならば、自身には更に厳しく、もっと真剣に視る者をあっと言わせるような脚本を練り上げて欲しかったと残念でなりませんでした(最後は・・・期待して視たこちらがバカだったと思って諦めるしかありませんでした・・・)。
そんな映画もこれまでにはあった中で、今回の映画「TOKYO MER南海ミッション」は、練りに練られた(他にも、勿論洋画邦画問わず、そうした秀作はたくさんありますが)本当に視る価値のある作品でした。
余談ですが、最後の最後のエンドロールで、実際に各地の離島などで医療活動を行っている医療従事者の方々が皆笑顔で次々に登場していたのが、フィクションである本作品を実際に“現場”“現物”を感じさせて“現実”に近付ける意味でも実に良かったと感じながら、視終わってからも暫し余韻に浸っていました。
30年以上続いた地元町会の有志の方々に依る「源智の井戸を守る会」が高齢化に伴いメンバーが減り、遂に86歳の会長お一人になったのを見るに見かねて、近くにお住まいで井戸縁の83歳の女性が手伝われる様になり、その「お年寄り二人だけに任せてはおけない」と、60代の町会役員の方お二人も参加されて「井戸と花の会」を作り、昨年7月から井戸の清掃活動を引き継がれました。
そうした地元町会の窮状が昨年8月末の地元紙「市民タイムズ」で報道され、10年来ただで水を頂いてきた身としてはいたたまれず、地元町会以外の初めてのメンバーとして参加して分かったことは、地元町会の皆さんはこれまで市の担当課とは何度も交渉したり申し入れをしたりする中で、これまでは「予算が無い」の一点張りで何も進展が無く、皆さんはもう疲れて諦めにも近かったため、そこでダメ元で皆さんに迷惑が掛からぬ様に、飽くまで私個人として「市長への手紙」に窮状を訴える投書を送ったのです。

地元町会はここで清掃活動から卒業とのことで、町会長さんだけが相談役として残り、当初のメンバーの皆さんは一旦手を引かれることとなったため、唯一残った清掃メンバーであった私メがそれまでのメンバーの皆さんからの意志を引き継いで、新たなボランティア組織である「源智の井戸を守り隊」の代表者として隊長を引き受けることになりました。
また肝心の井戸清掃は、今年度から市の担当課の予算申請が通り、少なくとも年度内は業者に依る月二回の清掃が開始されたことから、ボランティアは先ず月一回の清掃からスタートしました。

こうして“文明の利器”と人数も増えた結果、これまでは有志5人での清掃活動では今までなかなか手が回らなかった、井戸周辺の水路までデッキブラシで擦って掃除することが出来たので、見違え得る様にキレイになりました。
こうして月一回のボランティアに依る「源智の井戸」の清掃ボランティアを行う中で、ボランティア募集も併行して実施しました。
すると、スタートした当初は地元第2地区の町会長さんは各町会のある意味長老さんですし、有志の方々も私の様なリアタイア組の方が多かったのですが、次第に若い方も参加してくれる様になったのです。
更に話を聞かれた地元高校が地域貢献活動の一環ということで、生徒さん達が井戸からの水路を月一回清掃してくれることになりました。
また市の方でも「地域チャレンジ応援事業補助金」を今年度新設し、地区町会だけでなく我々の様なボランティア組織も対象とすることが可能とのことで、ボランティア組織である我々の「源智の井戸を守り隊」も申請したところ、審査の結果20万円程の補助金を頂くことが出来、ずっと善意に甘えているだけではいけないので、ボランティアとしても発電機とポンプを購入し、ホースは消防法上使用期限が切れてしまっているという新品のホース(消防の消火活動以外への使用は全く問題無し)を発注先の業者から無償で戴くことが出来ましたし、また清掃活動中の万が一のケガに備えてボランティア保険にも登録メンバー全員を登録することが出来ました。
ボランティア募集スタートに際し、当初地域づくりセンターの課長さんとは、
「“巧遅拙速に如かず”で、ボランティア活動をどうしていけば良いかは、周りからゴチャゴチャ言われても良いので、走りながら考えましょう!」
とスタートしたのですが、我々の予想以上に順調に発展拡大してきています。

購入したポンプと発電機を試運転するために井戸に役員数人で集まった際、井桁上部の木枠を外すことが出来るということが分かったのです。大人4人で80㎏程もある八角形の木枠を外すと、これまでの用に木枠に邪魔されずに、ジョレンやブラシで井戸の中の隅々まで攪拌して藻を浮かせ、ポンプで吸い上げることが出来ます。


考えるに、冬場は薄川や女鳥羽川などの水源となる2000m級の筑摩山系に降る雪はそのまま積もり融けることは無いのですが、春の雪解けで川や地中にも沁み込んで地下水となって、やがて夏頃に湧水として湧き出してくるからではないでしょうか。
清掃活動に関わることで、「源智の井戸」についてそれまで知らなかったことが新たに見えてきました。

また松本市内で民家を改装して、外国人向けのゲストハウスを始められたという県外からの移住者のうら若き女性(お父様が昔松本に転勤で来られていて、自宅と松本を行き来する内に松本を気に入られたとか)が、それまで清掃に参加されていた地元町会の役員の方に偶然「この辺に自販機はありませんか」と聞いて「源智の井戸」を紹介され、飲んで美味しかったのとボランティア募集の貼紙を見て、今回仕事仲間を誘って4人でこれまた初参加してくれました。
今後のボランティア活動の継続は決して順風満帆ではないかもしれませんが、我々の様な“年寄り”だけでは何十年も続けることは不可能なので、こうした若い皆さんが参加してくださったことが何よりの喜びでした。
そして今回のハイライトは、ボランティア募集のきっかけになった「市長への手紙」を読んだ臥雲義尚松本市長ご自身が、地域づくりセンター長の経過報告を受けて自ら参加いただいたことです。しかも単なる視察ではなく、皆さんと一緒に清掃活動も1時間以上しっかりと最後までやってくださったことです。
終了後に臥雲市長にボランティアの皆さんに挨拶いただいた中で、
「少子高齢化社会で、我が松本市も例外ではなく、これまで町会単位で行って来た色々な活動を実施するのが段々難しくなって来ている中で、町会単位ではなく、今後はその枠を超えた市民の皆さんに依るボランティアで推進していくことが次第に必要になって来ます。その意味で、この皆さんの源智の井戸のボランティア活動が、そうした今後の松本の是非モデルケースになって頂ける様に、是非頑張っていただきたいと思います。」
との激励もいただきました。

“平成の名水百選”に選ばれた「まつもと城下町湧水群」に限っても、例えば「源智の井戸」と同じく市の文化財課が管轄する「槻井泉神社の湧水」と、湧水群の中でこちらも人気の「鯛萬の井戸」。
「槻井泉神社の湧水」では、地元町会に依る利用と管理をしています。また「鯛萬の井戸」は元々松本の有名な割烹料亭「鯛萬」が掘った井戸ですが、料亭が移転した後も井戸はそのまま残り、その後小さな公園として整備されて多くの人に利用される井戸となっています。この「鯛萬の井戸」では、町会は直接関与せず地元有志の3人の管理者の方が清掃をされておられますが、どちらの井戸も活動されている方々は高齢の皆さんです。
また他の湧水群に指定されている湧水や井戸は、いずれも地元町会が管理することを条件に市と協定を結んでいるそうですが、他の井戸は例えばポンプに依る汲み上げ式だったりして、大きな木枠で囲われて中に玉砂利が入っている「源智の井戸」と比べると掃除が容易ですし、日光が差し込んで光合成で藻が発生することも無いので藻の除去もそれ程必要が無いはいえ、管理する以上はゴミ拾いや草取りなども含めて井戸の清掃活動自体は必要であり、複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会も少子高齢化とドーナツ化現象で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって水平展開されていくことが必要だと思います。
その意味で、市長に認識も頂き若い人たちが参加してくれたことが、今後ずっと決して順風満帆に進む訳ではないかもしれませんし、ボランティア第一号としては些か大袈裟な物言いではありますが、未来への継続の“光”になってくれた様に感じた次第です。