カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回は富山経由で北陸道に乗ったので、以前奥様が和倉温泉へのバスツアーに同じルートで行った時に、やはりランチで寄った店だという地元富山の回転寿司「番や」でランチにすることにしました。
「番や」は富山IC手前の国道41号線沿いにある結構大きな店舗で、駐車場も広くて大きな看板が目立つのですぐに分かりました。少なくとも、国道41号線で富山県に入ってからICに乗るまでのルート上に回転寿司はこの「番や」だけで、他にはありませんでした。

 松本のお寿司屋さんで最近行っているのは、握りのネタの豊富さで、富山に本拠を置く「氷見きときと寿司」です。富山湾は“天然の生けす”と呼ばれる程の日本でも有数の漁場なので、富山のお寿司は地場の回転寿司でも美味しいとの評判です。海無し県の信州からわざわざ食べに行く程ですので、どこで食べても美味しいのかもしれません。次女は結婚前の航空会社に勤務していた時に、社員割引で同じアライアンスグループの航空会社であれば国内便も安く乗れるので、同僚とわざわざ富山空港へ飛んで空港内のお寿司屋さんでお寿司だけを食べて帰って来たこともあったとか(次女が成田空港勤務の時に何度か行った「江戸ッ子寿司」が、銚子のイワシの美味しさに感動した身としては個人的には番人気だったのですが)。
県外まで進出している同じ北陸の所謂“グルメ系”回転寿司では、「氷見きときと寿司」の他にも、次女の住む横浜での「金沢まいもん寿司」もあり、「根室花まる」など北海道のグルメ系回転寿司同様に都会でも人気店になっています。
この「番や」は「きときと寿司」の様に県外には進出しておらず、今回私メは初めて入った富山の寿司店でしたが、とにかく驚いたのはランチ限定メニューのコスパの高さでした。

 ランチメニューの中から我々が選んだのは、「番やランチ」11貫(860円)と「満腹ランチ」15貫(1000円)。勿論ネタはそれぞれの値段に見合ったネタを使っているにしても、少なくとも海無し県の人間にとっては、いくらランチでのサービスメニューだとしても、そのコスパの良さは信じられませんでした。しかもセルフとはいえ味噌汁も無料。もし地元にあったら、限定20食というワンコインの「びっくりランチ」を食べに毎日通ってもてもイイ位です。確かに、カッパ巻きや握りにゲソや卵も使われてはいるものの、8貫と細牧1本で驚きの500円!
しかもただの“安かろう”の店ではなくて、場所柄我々の様な観光客での一ゲンさんも多いのでしょう、迷っているとカウンター越しに板さんがすぐに声を掛けて教えてくれて、店全体が気持ちの良い応対ぶりでした。
注文した860円の「番やランチ」の11貫には、まぐろ、白身、ネギトロ、アジの他に、北陸らしい甘エビやかんぱちも。また1000円の「満腹ランチ」15貫には、更に穴子やブリ、さす(地元ではカジキのこと)などが加わります。
他に何皿か個別にお好みの握りを注文したのですが、(昼で飲めないこともあって)二人で3000円足らず。この満足感でこの値段!実に感動モノでした。
 因みに、山中温泉からの帰路も、この「番や」でランチを食べるために、富山経由にしました。
今回は、「満腹ランチ」を一つだけ注文し、他は好みで握りを個別に注文。
中トロ、ノドグロ、ヒラメ、エンガワ、イワシ、炙りでもノドグロ、ホタテ、イワシなどなど・・・・。すると、やはり(昼なのでアルコールは飲んでいませんが)一人4千円弱になりましたので、好みだとやはりそれなりの値段になります。でもネタも大きくて、氷見湾の地元で食べる“きときと”(新鮮)な地魚に感激します。お腹も心も満腹になって、
 「どうもご馳走さまでした!!」

 いつになるか分かりませんが、もし次回また金沢方面へ行くとしたら、例え疲れてもカーブだらけの山道をずっと走って、富山で地元の“きときと”なお寿司を食べてから行くか?それとも高山経由で早めに東海北陸道に乗って、オートクルーズで高速道をずっと走って行くか?・・・。フム、何とも悩ましい・・・。
それにしても、さすがは“天然の生けす”と称され、日本海の800種の内500種が取れるという富山湾です。何とも羨ましい、富山の地場の回転寿司の美味しさでした。

 さて、今回の旅先でのグルメ。11月の北陸といえばカニ、かに、蟹でしょうか。松葉ガニ、越前ガニ、加能ガニ・・・呼び名は違えど、いずれもズワイガニ。
以前鳥取で本場の松葉ガニをフルコースで頂いたこともありますが、山陰や北陸など、本場の地元で食べても高くて高くて、決して庶民の味ではありません。お土産に鳥取の観光客用の蟹売り場で一杯1万円以上の松葉ガニを買おうかどうしようかと迷っていた時に、たまたま店舗棟の裏のトイレに行ったらベンツばかりが停まっていて興覚めしてしまい、蟹を買うのが何だかバカバカしくなって結局買わずに帰ったことがありました。

 以前、金沢の人に聞いたら、客呼びの時や贈答で贈る以外は、地元の人たちもズワイガニは高いので買わないとのこと。家庭での冬の楽しみは、香箱ガニと呼ぶズワイガニの雌。地方によってはセイコガニとも呼ばれていますが、オスに比べて一回りも二回りも小さいので、上海ガニ同様、身より内子と呼ぶ蟹味噌と外子と呼ばれる卵を楽しんだり、或いは蟹汁にする様に出汁を楽んだりするカニなのだとか。しかし小ぶりの分ズワイガニよりもむしろ味は濃厚で、一杯優に1万円はする雄に対し、小ぶりの雌は千円ちょっと。香箱ガニで外子と呼ばれる卵を楽しめるのも、勿論雌だからこそ。そのため、香箱ガニが冬の北陸の云わば家庭の味なのだそうです。

 今回滞在する山中温泉のドッグヴィラはキッチン付きなので、海無し県から行った身としては、鍋や刺身で楽しめるような鮮魚、出来ればその地方でしか食べられないような地魚を買おうと思っていました。
北陸道で山中温泉へ行くまでに、途中漁港などに立ち寄らずに北陸道から直行する予定でしたので、山中温泉へは金沢方面からは手前の片山津ICからの方が早いのかもしれませんが、加賀ICのすぐ近くに海産物センターがあるとのことから、加賀ICで降りて寄っていくことにしました。
そこは地元の水産店が営業している海産物センターでしたが、ICから300mと降りてすぐ。佃煮や干物などのお土産用の海産物以外は、残念ながら鮮魚は無く、蟹のみ。お店の人に話を伺うと、出汁を取るならと香箱ガニを勧められ、しかも一般に並んでいる茹でたモノではなく、生が一番とのこと。そこで、2杯生の香箱ガニを選んでいただきました。そこは蟹専門の船元が営む水産業者の直売所だそうで、結構大きめの香箱ガニ一杯が1,200円。普通なら(他店では)1500円とのことでしたが、後で近江市場に並んでいた茹でた香箱ガニを見ると、生でそのサイズなら実際に納得の値段と大きさでした。先ずは、生のまま水から茹でるのが肝心とのことでした。茹で方の他にも、剥き方、食べ方など色々と教えていただきました。
 そこで山中温泉の地場のスーパーに行って、白菜や、キノコなど鍋材料を購入し、早速カニ鍋にしてみました。ポン酢で頂いた後、最後に〆は卵でとじて定番のカニ雑炊です。
先ずは、教えていただいた通りに裏返して外子の部分を外し、甲羅を向きます。足はズワイに比べれば細いのですが、ハサミを入れて身を取り出します。
奥さまも、香箱ガニは外子がとりわけ美味しいと気に入ったご様子。いつもは面倒臭がって蟹の足を余り喜ばない家内も、残した足も全部剥いてあげたら喜んで残さず食べていました。個人的には、むしろカニ雑炊の方が美味でした。カニだけですが確かに良い出汁が出ています。勿論、雑炊前の白菜や春菊、春雨もポン酢で美味しくいただきました。
野菜や調味料を含めても二人で3000円足らずの香箱ガニのカニ鍋。家庭で楽しむなら十分過ぎる程の満足感。コスパも含め、こんな冬の味覚を普通に楽しめる北陸山陰の方々は(大雪の対応は実に大変で、屏風の様な北アルプスが北陸に湿った雪を降らせ、お陰で山向こうの松本地方の私たちは雪に苦しまずに暮らしていけるのですが、海無し県の我々信州人から見て)何とも羨ましい限りでした。
 さてカニについて飽くまで個人的な感想で恐縮ですが、今まで食べたカニ料理で私メが一番美味しいと思ったのは、シンガポールのブラックペッパークラブでした。シンガポール名物のチリクラブよりも、カニそのものを楽しむのなら絶対にお薦め。当時定番で良く行ったチャンギ空港近くのシーフードセンターでは、チリクラブは食べ辛い(手が汚れる)こともあり、身の方はゲストの方に任せて我々現地赴任者は専らパン(揚げパン)にソースを付けて食べていました。
市内には勿論高級店もありましたが、ブラックペッパークラブは家のすぐ近くにあったニュートンサーカスのホーカーセンターと呼ばれる屋台街の中の中華料理の安い屋台(味は一級品で、馴染み客になれば良心的)から他の幾つかのメニューと一緒にテイクアウトして来て(屋台街は屋外で、蚊が多いので)、いつも家で食べていました。
東南アジア地方で食べられているカニは、現地ではマッドクラブと呼ばれていましたが、日本でいうガザミ(ワタリガニ)の一種で大型のノコギリガザミだそうです。甲羅だけで優に掌大はありそうな大きなカニでした。ズワイガニ等に比べると大味とのことで、そのため東南アジアではチリソースや黒コショウでスパイシーな味付けがされる様ですが、食べ応えがありました。一方、蟹味噌は淡水蟹である上海ガニ(モクズガニの一種)が一番かもしれません。あの半熟卵の様なねっとりした濃厚さは、他の蟹味噌とはちょっと違う様な気がします。
ただ、チリクラブや上海ガニがどんなに美味しくても、日本でしか楽しめない“蟹料理”は何と言ってもカニの甲羅酒ではないでしょうか。その甲羅酒もズワイガニではなく、小さめの甲羅の香箱ガニを使う筈。そういう意味でも、香箱ガニは庶民の蟹として親しまれているのかもしれません。
因みに、鳥取で地元の方に甲羅酒よりお薦めと教えてもらったのは、蟹の甲羅か焼きガニに使った足か、焦げる程に炙った殻を砕いてフグのひれ酒風に飲む方法。甲羅酒よりも香ばしくて美味しかったのを覚えています。(個人的には、フグのひれ酒よりもイワナの骨酒の方がお薦めですが、その時一度しか飲んでいないので、骨酒との比較は分かりません)。

 山中温泉から金沢へは50㎞ちょっとで、国道か高速を使ってもどちらも1時間程。知らないと、金沢は加賀温泉郷のすぐ近くかと思ったのですが、実際には意外と遠いのです。もし金沢観光が主目的なら、周遊コースではあるのでしょうが、加賀温泉郷泊はちょっと違うかなと思いました(特急電車では40分足らずではありますが・・・。そういう意味では、和倉温泉は金沢からは更に遠いかも)。
しかし、当初から金沢には行くことに決めていたので、車で向かいました。
車のNAVIが示したのは高速ではなく、下道の国道8号線を行くルートでしたが、途中バイパスは信号機も無く白山市辺りまでは殆ど高速状態。しかし市街地に入ると、さすがに交通量も多くなり信号に引っかかることも暫し(因みに帰路は、国道が市街地で混んでいたのか、NAVIの選択したルートは高速道路利用でした)。

 先ずは街中を歩いて散策し易い様に、兼六園横の駐車場へ車を停めて市内観光へ向かいました。先ずは兼六園へ。Go Toの効果もあるでしょうし、首都圏からの北陸新幹線効果も大きいのでしょうが、人気の兼六園周辺は大変な人出でした。
兼六園のシンボルである徽軫灯籠(ことじとうろう)から唐崎松へ。園内ではちょうど雪のシーズンを迎える準備で、兼六園の冬の風物詩でもある雪吊りの作業が行われていました。北陸地方の湿った雪の重みで枝が折れぬ様に、何百本とある松などの園内の木々殆どに雪吊りを施していく大変な作業です。
その後、ランチを食べに近江市場へ。お寿司は途中の富山で食べていたので、今回は海鮮丼をチョイス。観光の定番コースとはいえ、平日でしたが近江市場は食事や土産物を買う観光客でかなり混んでいました。
食事の後は金沢城へ。前回7年前にツアーで来た時に、金沢城は100年後の国宝指定を目指して復元整備をしているとガイドさんが言っておられましたが、着々と整備が進んでいる模様。国宝指定されるかどうかは別として、観光振興策として、資料が揃っていて本物同様に復元可能で、且つ地元に暮らす市民の方々の賛同(費用負担も含めて)が得られるのであれば、名古屋城同様に地元の宝として復元されていくことは大変良いことだと思います。
加賀藩百万石の前田家の居城故当然とはいえ、広大な金沢城。紅葉だけではなく、ジュウガツザクラ(十月桜)もちょうど咲いていて、冬のサクラは何だか不思議な光景でした。
前回は、ツアーで兼六園や金沢城は勿論、尾山神社、また武家屋敷や東茶屋街も行っていますし、近江市場や箔座も見学しています。今回は出来れば美術館にも行ってみたかったのですが、ワンコも待っているので(往復に時間が掛かることもあり)、今回はこれで戻ることにしました。
 金沢には何度も来て入るのですが、何度来ても、また四季折々のいつ来ても、文化芸術工芸グルメ、それも決して九谷焼や加賀友禅といった古き伝統だけではなく、近代の泉鏡花や室生犀星からOEKや21世紀美術館など現代の文化芸術に至るまで、色々な要素を併せ持ち、それぞれが縦横絡んで錦織りなすが如く様々な古都の顔を見せてくれる、そんな実に魅力的で素敵な街でした。

 山中温泉から永平寺町に至る間に通ったのが坂井市。県境のトンネルが「丸岡・山中温泉」という名の通り、「丸岡」は「福井県坂井市丸岡町」で、あの“現存12天守”の一つである丸岡城の在る場所です。
そこで、渋る奥さまのOKを得て、「丸岡城」へ初めて寄ってみることにしました。永平寺からは16㎞程で20数分との表示で、すぐに到着。松本城などと比べると、意外な程小ぢんまりとしていて、アクセス路も駐車場も狭く、駐車に少し手間取りました。

 重要文化財の丸岡城。元々は織田信長が一向一揆への備えとして柴田勝家に命じ、甥の柴田勝豊が築城したと云われ、織田家の城であった犬山城と共に戦国時代の古い様式で建てられており、現存する天守閣の中では最古とPRされてきました。小高い丘の上に建てられた平山城で二層3階の望楼型天守閣。旧法では国宝指定されていたのが、新法では重文指定となったため、地元では国宝再指定を目指して運動がされています。
松江城が5番目の国宝のお城になったのは、築城年が特定された資料が発見されたため。そこで、丸岡城も市の教育委員会の主導により近年学術調査がされました。その結果、
『丸岡城天守学術調査では、天守の柱や梁(はり)など主要部材について、年輪、放射性炭素年代測定、酸素同位体比の3つの年代調査を実施したのですが、その結果、主要な部材はなんと、戦国時代ではなく江戸時代の1620年代後半以降の用材だということが判明。つまり築城は、早くても寛永年間(1624年~1644年)ということになったのです。
当時の城主は本多成重(ほんだなりしげ=日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙」は幼児だった本多成重のこと。父・本多重次が長篠の戦いの陣中から妻に宛てた手紙)。
「丸岡城調査研究委員会」は、丸岡藩が寛永元年(1624年)に立藩したことを契機として、初代藩主である本多成重の時代に整備された可能性が高いと判断したのです。』
と、期待とは逆の結果になってしまいました。
そのため、解説文では、
『丸岡城の築城時期については、従前の、柴田勝豊が築城したとする「1576年(天正4年)説」と、初代丸岡藩主「本多成重」(ほんだなりしげ)が入城後に築城したとする「1613年(慶長18年)以降説」がありました。そして、2019年(平成31年)3月、丸岡城が建てられたのは江戸時代だったことが判明します。
16世紀に松本城(長野県松本市)が建てられていると考えられているため、丸岡城の天守閣は最古ではなくなった可能性があります。最古ではなくても、江戸時代の柱を多く現在まで残していることなど、丸岡城の建造物としての偉大さは変わりません。』
しかし、ズルイのは「最古の天守閣ではなかった」という解説文は、天守閣の最上階まで急な階段(松本城よりも急で、登山の岩場の様に補助の掴まる縄まで用意されている)を上り切らないと書かれてはいないのです。
一階や城址公園には「最古の天守閣」というPRが至る所にあり、最上階まで登って初めて「最古ではなかった」という紹介に出会うのです。
最古であることが国宝指定の要素では無い筈なので、
 「ちゃんとしておいた方がイイんじゃないかい?ちょっとズルくネェ?」と思った次第です。
それにしても、丸岡城の所在は福井県坂井市。ここは江戸時代には福井藩から分かれた丸岡藩であり、そのお城が丸岡城。どうして丸岡市でなく坂井市なのか。信州でも松代藩が長野市になっている様なモンなのでしょうか?何か政治的な背景があったのか、ちょっと不思議な気がしました。
丸岡城は確かに小ぢんまりしたお城ではありますが、珍しい五角形のお堀など魅力的な城跡です。ここ福井県には、他にも“天空の城”越前大野、内陸の郡上八幡など魅力的な城下町が点在しています。
 さて、先述の通り、丸岡城のもう一つのポイントは「一筆啓上」です。それは、有名な『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ』で、家康の家臣、本多重次が陣中から妻に宛てた手紙で、手紙にある「お仙」はやがて初代丸岡藩主となる本多成重とされています。
そこで、丸岡ではそれに因んで1993年から「日本一短い手紙コンクール」が行われています。他のお城とは一味違った文学的活動が、この小ぢんまりした丸岡城に相応しく、最古の天守閣かどうかなどよりも歴史的にも現在的にも遥かに価値があって、実に魅力的な町興しのコンテンツです。微笑ましくも何とも羨ましく感じられました。
 余談ですが、永平寺から丸岡城へ向かう途中、「一乗谷」への行先案内板がありました。
 「そうか、朝倉氏の一乗谷も近いんだ・・・」
山中温泉は石川県ではありますが、福井県に接しているので、ここまで来れば福井県の一乗谷も雲海に浮かぶ越前大野城も車で小一時間(郡上八幡は下呂から1時間足らずで行くことが出来ます)。もし、また来る機会があれば足を延ばしてみても良いかもしれません。個人的には、「兵どもの夢の跡」を訪ねて、いつか必ず一乗谷へも是非行ってみたいと思います。

 調べてみると、山中温泉は石川県でも福井県寄りで、国道364号線のトンネルを抜けるとそこはもう福井県。山中温泉から永平寺までは僅か30㎞足らずで、車で40分程。県内の金沢へ行くよりも時間的にも遥かに近いのです。
永平寺には私メは昔職場旅行で行ったことがあるのですが、奥さまは無いというので、せっかくですから(奥さまは、「のんびりと、湯治に来たんだろうがっ!!」とブー垂れておられましたが、聞こえなかったことにして・・・)永平寺に行ってみることにしました。
 山中温泉から峠道の国道364号線を走り、県境の「丸岡・山中温泉トンネル」を抜けると福井県坂井市。その隣町が永平寺町で、確かに40分掛からずで到着。門前町入り口の町営駐車場に駐車して歩いて行きましたが、それ程混んではおらず、よりお寺に近いバスターミナル横の民間の駐車場でも十分空きがありました。
先ずは土産物店が並ぶ門前町ではなく、永平寺川沿いの参道を歩き、10万坪という七堂伽藍の境内に入って樹齢500年の杉並木を通って通用門へ。
マスク着用は勿論ですが、入り口で検温とアルコール消毒を済ませてから拝観料を払って吉祥閣という研修道場からお寺の中へ入ります。そこで簡単な説明を受けた後、順路に沿って拝観へ。
事前にネットで調べた時に、カートやキャリーバッグに入っていればワンコ連れでの参拝可能とあり、実際に犬連れで参拝された方の紹介記事もあったのですが、伽藍は全て回廊で結ばれているとはいえ上り下りの階段が多いので、結果的には(ワンコの代参ならともかく)お留守番で置いてきて正解だと思いました。

 1244年に宗祖道元禅師により開かれた、曹洞宗大本山の永平寺。
座禅を中心とした修行をするための場所として山奥に建てられた寺であり、今でも二百名近い曹洞宗の修行僧が朝3時半から夜9時まで日夜修行に励む道場そのもの。總持寺と並ぶ曹洞宗の大本山ですが、曹洞宗の「第一道場」とされる修行の場です。従って、素人目にも観光の寺とは趣を異にします。学生時代に親しんだ京都奈良のお寺とは違い(どのお寺もそれぞれの宗派に沿った祈りを捧げる場ではあるのですが)、何だかここは「寺が活きている」気がします(そういう意味では、長野の善光寺もそれに近いのかもしれません)。
そうした禅宗の教えが醸し出すのか、静謐な雰囲気が境内に漂い、境内に入ると自然と背筋を伸ばし、修行の邪魔をせぬ様にと静かに拝観を「させて頂く」という気持ちに自然になるから不思議です。
最初の建物「吉祥閣」から最初に向かうのが「傘松閣」。156畳の大広間と昭和初期に活躍していた日本画家による230枚の花鳥風月の天井画に圧倒されます。
その横の山門は境内最古の建物で、入門する者がその覚悟を問われ、許可された者だけが、正式に入門する時と修行を終えて永平寺を出る時の生涯二度しか通ることが許されない“永平寺の玄関口”なのだとか。
その後、長い階段の回廊を上り、ご本尊を安置する仏殿、最上段にある説法などのお勤めが行われる法堂を廻って、回廊を下って伽藍を一周します。廊下も階段も、毎朝濡れ雑巾で清掃されているのでしょう。キレイに磨かれ、塵一つ落ちていません。そうやって修行されることで、心の中も浄化されていくのでしょう。
永平寺もちょうど紅葉の盛り。山門からは「ゆく年くる年」で除夜の鐘が放送される鐘楼が望めます。回廊を歩きながら、すれ違うお坊さんは皆さん静かにお辞儀をされて行かれますので、自然と我々もお辞儀を返します。そうしたことも含め、座禅をせずとも、拝観する誰もが静かに呼吸を正し、自然と背筋を伸ばして心を静めていく気がします。
加賀、越前と言えば、一揆の嵐が吹き荒れた一向宗の本拠地でもあった筈。770年前に、この山深い里に禅宗である永平寺を招いた越前の人たちに想いを馳せます。
何年か前、NHKの新日本風土記で永平寺が特集されたことがありました。その中で修行に励む若い雲水さんと町の人々の交流が描かれていましたが、770年の時を経て、里の人々の中にも信仰と永平寺への尊敬が普段の生活の中にお寺さんと一体となって息づいていました。
 参拝を終え、門前町で永平寺名物の越前おろしそばをいただきました。そこは老舗というお蕎麦屋さんで、新蕎麦で自慢の二八蕎麦と仰っていたのですが、
 「う~ん、こんなモンかなぁ・・・?」
特に新ソバの香りもなく、二八の喉越しも今一つ。辛味大根も坂城のネズミ大根の方が遥かに辛いし、ぶっかけのつゆも甘すぎて・・・。禅宗らしく、胡麻豆腐も小鉢で添えられていたのですが、二つ食べられた奥さま曰く「普通・・・」とのこと。
 「信州から来て、蕎麦を食べてはアカンかったか・・・?」
もっと評判の高いお蕎麦屋さんが他にあったのかもしれませんが、感動した永平寺に比べ、チョッピリ残念な“名物”でした。

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