カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 母のショートステイ期間中に合わせて、お届けモノの荷物を運びがてら、車で娘の所に上京しました生憎、都会に近付くにつれての雨。慎重に運転しながら、ゆっくり走って談合坂で昼食がてら休憩し、ここで“都会に慣れた”談合坂で奥さまに運転を交代。幸い平日故に首都高も然程の渋滞も無く、予定通りに羽田ランプで高速を降りて、最初に娘の住むマンションへ荷物を届けてからいつも通り大鳥居のホテルへ。

 その後、この日も雨模様だったため、今度こそ!と思っていた蒲田の“羽餃子”を諦めて、この日はカンターには出ないとのことで娘の働く様子は見らないとのことでしたが、濡れずに夕刻の羽田空港へ。
江戸小路は「朝顔市」風の夏の装い。何だか、ここに来た方が“日本の夏景色”が感じられます。
蒲田の餃子をあきらめたためか、今回は中華で飲茶を何品かと私メは餡かけ焼きそばと奥様は中華風冷麺。上品な味で美味しゅうございました。
 翌日、娘のお休みだったので日帰りで初めて房総へドライブです。娘の住む大田区からはアクアラインへのアクセスもすぐで便利(結構産業道路からの進入路がナビを使っても分かり辛かったのですが・・・)。途中、海ボタルで休憩。結構混んでいました(平日でも夏休み期間でしたので)。
房総では、昼食で鯵のタタキ定食を。値段は決してお安くはありませんが、やはりこの鮮度は海辺ならでは。プッリプリで弾力があり、臭みなど全く無し。残念ながら鰯のなめろうやサンガ焼きまでは食べられませんでしたが、イイですね、どんなに輸送時間が短縮されたとしても、果物や野菜も産直が美味しいのと同様に魚はやっぱり海辺には敵いませんね。
 翌日は、用事のある奥さまと別れ、頼まれたお土産を購入するために東京駅に。その後で、ステーションギャラリーで開催されていた「幻の画家 不染鉄展」を見ようと思ったのですが、思っていた以上に購入に手間取り閲覧時間が無くなってしまったため、諦めて地下街でのランチに変更です。八重洲地下街には残念ながら北は無く、「エリックサウス」という南インド料理店があります。そこで、好みのカレーを2種類選ぶランチミールスにして、バターチキンとマトンを選択。南なので、ナンではなく、パパドゥとターメリックライスで頂きます。久し振りの本格的なインド料理で満足でした。
 その後で表参道で奥さまと合流し、一緒に糀谷に行ってから松本へ向かいました。

 最終日は、娘と車でサービスアパートに行って、残った荷物の荷ほどきをして荷物の整理です。大体片付いたところで、娘の運転でTown & Country Village のTrader Joe’sに行って食料品の買い出しです。夕飯は(外食続きだったので)、この日は娘が料理してくれるとのこと。帰路、広大な大学敷地内にある湖に立ち寄り。雨季にはもっと水を湛え、乾季には水が消えるのだとか。格好の散歩コースなのだそうで、一度来てみたかったのだそうです。

娘の手料理での夕飯は、ご飯とサラダ、メインに新鮮なサーモンのレモン風味の蒸し焼き。ビールとワインで慰労と激励の乾杯。
奥さまからは、「アンタらは、ホント飲兵衛なんやから!」とのお小言も・・・。(関西弁で記載した方が、実際よりも柔らかく感じますので・・・)
娘の手料理もとても美味しかったのですが、大きな切れ目でしたがサーモンが二切れで$12とか。やはり、アメリカは(特にパロアルトは?)物価が高い様です。
 翌朝、娘にホテルへ迎えに来てもらって、サンノゼ国際空港から帰国。
30年位前に来た時に、赴任者が今度日本からの直行便が就航するので便利になると喜んでいたのを思い出します。国内線で利用した当時の空港は如何にも田舎の空港でしたが、広さは変わらないかもしれませんが、ターミナルも新設され見違えるほどスマートになっていました。
娘は、通関するまでずっと見送ってくれました。
 「うん、体には気を付けて元気で頑張れヨーッ!」
1週間もすれば婿殿がLAに赴任して来ます。それぞれ難関を突破してのお互いの念願だったMBA留学とはいえ、夫婦としては一年半も離ればなれだっただけに、米国に拠点も出来るので焦らずにじっくりと就活に取り組めば良いと思います。他の多くの留学生の様な組織からの派遣ではないのですから、自分で自分の未来に投資した分は少なくとも回収出来るように・・・。

 
 30数年前のアメリカ西海岸への出張時に、パロアルトの赴任者が車での通り掛かりに「ここがシリコンバレーで有名なスタンフォード大学だよ」と教えてくれた時の記憶は、ヤシの並木道からのフーバータワーを望む景色だったか・・・。それがパロアルト駅から続くその名もPalm Street。当時は想像だにしませんでしたが、まさかそこに(娘のお陰で)自分が立ったとは・・・感慨深いモノがありました。機会を与えてくれた娘に感謝です。
 日本以上の格差社会であるアメリカ。サンノゼやサンフランシスコでは、ホームレスの人たちをたくさん見掛けました。決して老人だけではなく、若い人もいましたし、金髪の若い女性すらいました。行き交う人は視界から消すのか、誰一人として見向きもしませんでした。
片や、パロアルトでは一切ホームレスの人を見掛けませんでした。パロアルトは全米一物価も高いのだそうです。要するに金持ちしか住めず、結果として治安も良いのか、大学の敷地内では朝など普通にジョギングをしている人たちもたくさんいて、何だか別世界の様でした。
 モータリゼーション発祥の国アメリカ。石油危機、環境問題で、燃費の悪い大型車は敬遠され、小型車が主流となりました。
日本と比べ意外だったのは、現地では(西海岸のホンの一部エリアに居ただけですが)ドイツ車が少なく、テスラの様な電気自動車を別にすると、アメ車と日本車が多く目に付きました。確かにスバルやマツダも見掛けます。それに続いてドイツ車(カーメルではドイツ車を多く見掛けました)や韓国車でしょうか。大型のピックアップトラックも日本メーカー(トヨタのタコマやニッサンのタイタンなど)も含めてたくさん走っています。シボレーやフォードなど、アメリカのメーカーの車も想像以上に小型でデザインの良い車が多いのに驚きました。見ているだけでは性能は分かりませんが、見た目は日本車と変わりません。日本市場から撤退したメーカーもありますが、もっと上手く宣伝すれば売れるのではないか(価格は不明ですが)と思えるような魅力的な車を多く街中で見掛けました。日本という特殊な市場のせいではなく(縮小して魅力が無くなったのなら別ですが)、メーカー側の努力不足の様に感じます。

 また知的階級だけなのかもしれませんが、専門店だけでなく、Trader Joe’sの様な高級スーパーを見ても、オーガニック食材が並び、サラダも何十種類と売られていて、昔に比べファーストフード一辺倒では無く、健康志向が高まっている様に感じました。それは、シリコンバレーで意外と多くの人が利用していた列車通勤や自転車通勤にも繋がっているのかもしれません。
滞在中CEOが批判もされてもいましたが、UBERが当たり前の様に使われ、テスラが普通に走っている社会。内向きになるのか、短期的な当面の方向性に心配はありますが、少なくともこの国が建国以来持っているであろう活気を感じずにはいられませんでした。

 それにしても、全てが桁外れのスケールでした。そして、こういう場面に遭遇するといつも感じるんですよね、こんな国と戦って勝てる訳が無かろう・・・と。

 午前中にサービスアパートへの引っ越しを済ませ、我々がシャトルバスでパロアルトのショッピングモールTown & Country VillageにあるTrader Joe’sで買ってきたサンドイッチとサラダで簡単にランチを食べてから、明日の早朝帰国する婿殿の最終日なので、皆で半日観光へ。

 元々皆でヨセミテに行こうかと検討したのですが、日帰りでは無理なことが分かり、来月から婿殿のLA赴任が決まっているので、またいつか来れば良いと今回は断念。ワインで有名なナパバレーは、奥さまがもう二度とここで車の運転はしたくないとの仰せで、二人しか飲めないのでは運転する人が可哀想と、これも諦め。
そこで、娘の推奨する通常カーメルと呼ばれるモントレー半島の小さな街、Camel-by-the-Seaへ行くことになりました。パロアルトから高速で南に2時間弱のドライブだそうです。
 往路は婿殿の運転。慣れたもので、来月からのLA赴任も問題ありません。
乾季なのか、枯れた草原と松なのか緑の木々が対照的な丘陵地帯を走り、時々牧場や広大な野菜畑や果樹園が拡がっています。米国は機械化された大規模農業というイメージでしたが、それは小麦やトウモロコシなどの穀倉地帯のことなのか、種類までは分かりませんでしたが、ここ西海岸の野菜畑などは思いの外日本の農業に似て労働集約的で、丁寧に栽培されているように感じました。ちょうど旬なのか、日本で云うアメリカンチェリーの観光農園の看板も見受けられました。

 モントレー半島の南側に位置して湾を臨むカーメル。湾が見えると、急に霧が巻いてきて、空も曇って来ました。海岸沿いは気候も変わり易いようです。丘陵地帯から、長い坂を下ってカーメルの街へ入ります。2時間無料と云う路上駐車をしてから街を散策します。
曇天で太陽も隠れていて、外は肌寒いくらいです。そこで、家内が一年前のサンフランシスコで(余りの寒さに)買って来たNORTH FACEのジャンバーをお互い羽織ろうとしたら、この日に合わせたサプライズで、娘がこれを着て欲しいと車のトランクから出して来たのは、それぞれ“STANFORD DAD” と“STANFORD MUM”のロゴが入った真っ赤なスタジャン。留学したため、一年遅れでの我々二人の還暦祝いの“ちゃんちゃんこ”代わりとの由。
 「恥ずかしがらずに、チャンと着てよね!」
との仰せに、二人で有難く着させていただいて街歩きです。
 通常カーメルと呼ばれる小さな街Camel-by-the-Seaは、元々はミッションと呼ばれる伝道所が作られて、カトリックの静養所を目指した街造りがされ、1900年代に入り芸術家や詩人が集まる街になったのだとか。現在でも芸術家が多く住み、そのため街中には多くのギャラリーがあり、またセレブの別荘やリタイアした方々などが住む街なのだとか。クリント・イーストウッドが市長を務めたことでも知られているそうです。
お洒落で可愛らしい街並みが続き、どの家も中世のヨーロッパを模した様な、それこそグリム童話やお伽話に出るような家をわざわざ造っているようです。
サンノゼでも昔の消防署が博物館になっていましたが、たかだか100年足らずのモノでも、歴史の新しい国では大切な“歴史的遺産”にするようです。ある意味、新大陸を求めて故郷の国を捨ててやって来た先祖たちの故郷の中世の街並みを、American Dreamを成し得た人々がその証として再現したかったのでしょうか。でも、テーマパークの様で、統一された実に可愛らしい街並みです。日本で云えば軽井沢や、海岸に近いのでむしろ鎌倉や葉山などの湘南のイメージでしょうか。
 街を下ってカーメルの海岸へ降りてみます。白浜の続く海岸は、SFやLAなど加州で随一の夕日のスポットだそうで、肌寒いのに海水浴に興じる人や、ペットに優しい街として知られるというカーメルは、犬連れの人たちが海岸にたくさんいました。しかし、半世紀以上前の「名犬ラッシー」のイメージと異なり、SFやサンノゼ、パルアルトでも大型犬よりもむしろ小型犬を連れている愛犬家の方が多くいたのには驚きました(ナナはシーズーですが、もしかすると最先端かも・・・。その一方、人気と云う日本犬は今回一匹も遭遇せず)。
どうやら、この日夕日を眺めるのは難しそうなので、我々は早々に海岸を後にして、街歩きに戻ります。
 娘が検索して、婿殿と私メ二人のためにワインのテイスティングへ。一人$15で4杯の異なるワインが試飲出来ます。このモントレーも気温の寒暖差が大きいため、ナパ程ではありませんが幾つかワイナリーがあるのだそうです。ワインのことは良く分かりませんが、ピノ・ノワールやシャルドネが美味でした。
以前日系の会社で秘書をされていたというお店の女性スタッフから、“Oh ! Stanford Parent.”の声に、娘の卒業式に来た旨を伝えると“Congratulations !”。“どうも・・・”でありました。
その後、早めに夕飯を食べて帰ることにしました。娘が検索し、イタリア料理のお店に。最初、他の欧州料理のレストランを予約していたのですが、街歩きの途中で、「ん!?こっちの方が良さそう!」と突如変更。こんな娘に付き合う婿殿も大変ですが、ヒラメキ派とじっくり型、大胆派と慎重型で意外と凸凹で夫婦としてはバランスが取れているのかもしれません。
車をレストラン近くの駐車スペースに移動してのイタリアンは、ビストロ「Little Napoli」。我々が座ると、間もなく満席になりました。どうやら地元の人気店の様で、ガーリックブレッドとアサリの蒸し料理が「大変美味しゅうございました!」。ピザは普通かな。食べ切れませんでした。
 還暦祝いの真っ赤なスタジャンと不思議なカーメルの街。良い記念の旅行になりました。帰路は娘の運転で1時間でサンノゼのホテルに到着(・・・ん!?ちょっと早くネ?)。運転、お疲れさまでした。
大学構内だけなら、自転車さえあれば車は不要。しかし、先輩の方からのアドバイスもあって、企業訪問や友人との人脈づくりには車が不可欠だった様で、留学中の行動範囲を拡げるためにも、帰国する日本人の方から中古の日本車を購入しておいて(その時点では運転免許も無かったのに)とても良かったとのことでした。

 事前に予約してあり、この日は二人共同じウエスティンホテルに泊まります。

 米国SF到着が、現地時間で朝の10時頃。到着前の機内で軽食が出たので、パロアルトに行ってから皆でブランチです。それにしても、国際線に乗ったのは5年振りくらいでしたが、機内食の質が落ちましたね。
 連れて行ってもらったのは、市内にあるオーガニックのサラダ専門店「Pluto’s」。パロアルトは大学の街から発展した高級住宅街。緑豊かで、庭もきちんと手入れされた瀟洒な住宅が立ち並んでいます。そのため、健康志向な人も多いのだとか。そこには何十種類という有機栽培の野菜が大きなサラダバーの様な容器に入っていて、何種類かの希望を伝えると、その野菜を組み合わせて大きなサラダボウルの様な器に盛り、指定したドレッシングで和えてくれます。勿論、オーダーは全て娘にお任せです。

 日本人にとっては、食事の量も2倍以上のアメリカですが、このサラダも半端ありません。一人に一つずつ4つ注文してくれたのですが、結局食べきれずに2つは持ち帰り。持ち帰り専用の蓋付きの容器もあり、事前に注文して車で乗り付けて購入していくお客さんも多く、パロアルト独特なのかもしれませんが、ファーストフード全盛だった筈のアメリカでも健康志向の高まりを感じます。
意外だったのは野菜サラダの食材ケール。日本では青汁専用のイメージで、「まずい!」というCM効果かあまり食指は動きませんが、ここアメリカでは普通にサラダで食べられているのだとか。但し、日本で見る青汁用のケールではなく、パセリの様なフリルの付いた葉でカーリータイプのケールです。その後、現地の高級食品スーパー(オーガニック野菜を扱うTrader’s Joeなど)でも、二十種類近いサラダコーナーにもしっかりとケールサラダ(家内の朝食用のお気に入りは、ケールとエダマメのサラダで5ドル程。しかも、アルファベットでちゃんとEDAMAMEでした)が並んでいましたので、どうやら米国では一般的な野菜の様でした。
 その日と翌日は、娘たちは友人たちと卒業祝いのパーティーがあるとのことで、食事は自分たちで。滞在したサンノゼのホテル周辺で済ませました。
最初にこれぞアメリカン!と、見つけた「Johnny Rockets」というハンバーガーショップへ。注文したハンバーガーにはポテトかサラダが付くので一つずつオーダー(各$12程度)したのですが、どちらも半端ない大きさ。サラダも優に二人分あり、結局ポテトは食べきれずに残しました。ハンバーガーはシンプルな味付けながら、如何にもアメリカ的味付けで美味しかったです。テーブルに置かれた大きな逆さボトルのHeinzのケチャップも、赤いビニールのベンチシートも60’sの様で如何にもアメリカ的でした。
そう云えば、初めて出張でアメリカに来た時に、オフィスに来る移動販売車で注文してもらったランチのハンバーガーの肉々しくて旨かったこと。また、オレゴン州の色々な地ビールも美味しかったし、エルパソで赴任者に連れて行ってもらったステーキハウスの塩コショウだけで味付けされたTボーンステーキは絶品でした。一方、ロングビーチでランチに行った中華料理店(当時近くにラーメン屋が無く)のザーサイヌードルは、まるで丼がバケツの様で食べ切れませんした。この国のエネルギーを実感します。
 東海岸から、西へ西へと大陸を(アメリカ・インディアンの土地をある意味略奪しながら)横断していった、この国の西部開拓史(TVの影響で、当時西部劇の白人はヒーローで、ジェロニモ酋長は悪役でした。征服した勝者が歴史を作るのは、蝦夷も熊襲もどこも一緒です)を想います。

 翌日のランチは、サンフランシスコのチャイナタウンで、娘がSingaporeanの親友から教えてもらった(彼女が足で探し出した)飲茶のレストランに家内が是非また行きたいとのこと。何故かサンフランシスコで飲茶(Dim Sum)ですが、特に違和感も無し。娘も我々も6年半のシンガポール生活で、その間シンガポールの水と空気で多少Singaporeanの血が混ざっているのかもしれません。店は「Lai Hong Lounge(荔香小館)」。飲茶は中華料理の中の広東料理ですが、香を香港同様にホンと発音するのは広東語で、北京語では香菜(シャンツァイ)と同じくシャンと発音します。
11時半に付いたのですが、店の外まで行列。しかも次から次へとやってきます。殆ど現地の中国系の方々。一緒に来られた白人の方もチラホラ見掛けましたが、少なくとも日本人は皆無。自分の順番を確認し未だか文句を言っているのか、店側も負けずに言い返しての、ケンカの様な広東語が飛び交います。香港やシンガポールの屋台街(Hawker’s Centre)の喧騒が思い出されて、何だか懐かしい雰囲気です。並んでしまった手前(他に行く所も無く)ずっと待つこと1時間。漸く番号を呼ばれ席に付くことが出来ました。
早速たくさんの飲茶メニューから注文します。香港などで一般的な、店内を回るカートでの販売はありません。我々もシンガポールで何度も飲茶のレストランには行っているので推測出来ますが、漢字と英語表記だけで写真は無いので、日本人観光客には注文は難しいかもしれません。スタッフのサービスは丁寧とは言い難くても、実にテキパキとして迅速です。お馴染みのエビの蒸し餃子に始まり、シュウマイ、小龍包、フィッシュボール、そして娘の親友お薦めという独特のチャーシュウパオ(叉焼包≒肉まん)。どれも米国式かビッグサイズなので注文は控え目にとの、お友達からの事前のアドバイス。
どれもセイロ一籠(或いは一皿)に3個か4個ずつ。蒸し餃子はエビがプリプリで美味!最初に出て来たので、久し振りで嬉しくて写真を撮り忘れてしまいました。小龍包はシンガポールの様にレンゲが無いので些か食べ辛いのですが、スープの味は良し。フィッシュボールは懐かしいシンガポール風ではありませんでしたが、香菜(コリアンダー)が効いて懐かしい味(他の点心は、意外な程香菜は使われていませんでした)。そして、イチオシという叉焼包。メロンパンの様だという形容通りの、蒸しでは無く焼いてある(Baked)独特の叉焼包です。因みに、3個の品は、こちらが二人連れなので、その場でシェア出来るように鋏をいれてくれます。結局食べきれず、残った叉焼包2個は袋をもらって持ち帰ることにしました(そして、この日の夜の奥さまの夕飯になりました)。
 私メは、叉焼包では物足りず、一人ホテル周辺で夕飯を食べることにしました。ハンバーガーショップは既に行ったし、ステーキハウスは見つからず、そうかと言って、ここで寿司はイイかぁ・・・。
結局、珍しいマレーシア料理のレストランがあったので入ってもみることにしました。一人なのでワンプレートの料理と懐かしのタイガービールを注文。東南アジアのローカルフードで定番だった、大好きな“ぶっかけ飯”だと想像したのですが、オカズが4種類くらい乗ってはいましたがグレービーでもなく、可も無く不可も無し・・・。でも、ちゃんとフォークとスプーンの東南アジアスタイルでした。
 GSB卒業式の二日後の朝が退寮日に設定されており(室内を手早く清掃して、娘が一年前にそうだった様に、1週間後くらいには次年度の生徒が入寮して来ます)、朝早くからサービスアパートへの引っ越しを手伝い。お昼もそこそこで、一日中作業。何とか目処が付きそうで、夕刻「何だか、久し振りに日本のお蕎麦が食べたい」と云う娘が、ネットで探してパロアルト郊外の「怒髪天」というヌードルショップへ。ところが、蕎麦ではなくラーメン店。娘と家内はつけ麺。婿殿は豚骨醤油で、私メは親子丼。いずれも何となく大味気味・・・。久し振りの冷や奴が美味でした。でも、東南アジア中心の「味千」を始め、今では海外でも普通に日本式のラーメンが食べられるんですね。昔の赴任者は、日本のラーメンに近い味を探して歩き回ったものですが・・・。他の食事と比べると、量はやや多めですがほぼ日本並みでしたので、残さずに食べる事が出来ました。
 無事退寮とサービスアパートへの引っ越しを済ませ、仕事の為に翌日の朝早く婿殿は帰国して行きました。我々は、サービスアパートで残った荷物の荷ほどきをするために、ホテルから車でパロアルトへ向かいました。途中、パロアルト近くのパンケーキが有名と云う店で朝食です。私がアメリカン、娘がパンケーキ、奥さまがシュリンプサラダ。どれも二人分の量。特にシュリンプの数ときたら・・・。結局家内は全部食べ切れませんでした。
 それにしても、この国の食事の量の凄さ。日本の優に倍はありそうです。しかし、以前のファーストフード全盛だった頃と比べると、今ではサラダ専門店などもあったり(高級)スーパーでもオーガニック野菜が並んでいたりと、それなりに健康にも気を使う人が増えているかもしれませんが、そのサラダも量は日本の倍・・・。本質的には変わっていないのかもしれません。

 パロアルト周辺にも勿論ホテルはあるのですが、シリコンバレーの中心地で且つ大学の卒業式なので、ビジネス客のみならず全米或いは全世界?から卒業式に家族が出席するためか、かなり早い時期からホテルはどこも満杯。娘に言われて奥さまも大分早くから探して、サンノゼのウエスティンに5泊確保することが出来ました。

一日サンフランシスコ観光があるとはいえ、卒業式出席と娘の引っ越しの手伝いが今回の旅のメイン。従って、サンノゼのホテルと大学の在るパロアルトとの間の行き来だけなので、レンタカーも借りずに列車で往復しました。
 モータリゼーション発祥の国であり、どこよりも車社会である筈のアメリカですが、ここ西海岸のベイエリアは(東海岸はNYの地下鉄くらいしか知りませんが)、サンフランシスコ名物のケーブルカーのみならず(同じく市交通局が運営するやMuniメトロと呼ばれる路面電車やトロリーバスもあります。写真は、フィッシャーマンズ・ワーフ付近を走るPCCカ―と呼ばれるレトロな路面電車です)思いの外列車の便が良くて、路線もサンフランシスコとサンノゼを結ぶ通勤用のカルトレイン(Caltorain)とサンフランシスコのダウンタウンと国際空港も結ぶバート(BART:Bay Area Rapid Transit)、サンノゼを中心とする近代的“路面電車”の都市交通機関であるライトレール(VTA:Santa Clara Valley Transportation Authority)がそれぞれ接続しています。そして、アメリカ的なのはライド&レールで、勿論最寄り駅には列車利用者の為の安価な駐車場もありますが、自転車で駅に来てそのまま列車に乗せ、到着駅でまた自転車に乗ってそのままオフィスまで自転車で通う人のために、自転車も駐輪出来るバイクカ―(Bike Car)が設けられていること。確かに車中心の社会ではありますが、大統領のパリ協定離脱宣言はともかく、日本よりも健康と環境を重視していると感じました。
 カルトレインは非電化のため、巨大なディーゼル機関車が牽引しています。客車は全て2階建て車両でアルミ製の如何にもアメリカ的なゴッツイ車両ですが、車内のドアの上に「日本車両製造」のロゴプレートが貼られていました(組立てはGEとの説明)。因みにサンノゼのライトレールは超低床車両で、こちらは近畿車両製だそうです(ホテルのすぐ近くに停留所がありました)。
 今回が三度目の訪問である奥さまは慣れたもので、日本のスイカに当るプリペイド方式の非接触型ICカードであるClipper(3路線とも共通利用可)を二人分購入し、事前に駅で必要金額を入金してあります。乗車駅と降車駅で機械にタッチすると都度課金徴収される仕組みです。コスト削減で駅は無人駅で車内にも車掌さんはおりませんが、もしチェックされた時に正規料金を払わずに無賃乗車などの不正が発見されると、何百ドルと云う罰金が科せられる旨の警告が車内に掲示されていました。
 朝夕の通勤時間帯は想像以上に利用客があり、立っている人もいるほどカルトレインは混んでいますが、その時間帯を外せば殆ど座れます。特に2階席からは日本とはまた違ったアメリカ的な沿線風景を楽しむことが出来ます。
:ただ、カルトレインはデッキが高いので、大きなスーツケースなどの荷物の上げ下ろしは結構大変です。従って、SF国際空港からBARTでカルトレインに接続していますが、女性一人では些か大変かもしれません。しかし、早朝(5時台)からサンフランシスコなど渋滞が発生していますので列車で空港に行った方が時間的には遥かに確実でしょう。仕事のためにSF国際空港から一日早く帰国した婿殿も、空港までは列車で移動して行きました。

 サンフランシスコやシリコンバレーでは、郊外に行かずにダウンタウン滞在が主であるならば、レンタカーで慣れない運転をするよりも気楽な列車利用がお薦めです。

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