カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 金時山登山からの帰路、金時山から無事下山したお礼を兼ねて、久し振りに仙石原の長安寺に立ち寄ってお参りをして行くことにしました。
参拝目的からすると、本来は坂田公時(金時)を祀る公時神社(金時神社)の方が相応しいのかもしれませんが、私たちは長安寺の佇まいを気に入っているので、観光も兼ねてこちらのお寺さんに参拝です。長安寺へはNYへ渡航する前に長女と来て以来ですので、3年振りでしょうか。

 御殿場と小田原方面を結ぶ国道138号線の仙石原交差点近くにある長安寺は、正式名称を「龍虎山長安寺」と称し、ご本尊は釈迦如来の曹洞宗のお寺さんです。創建は古く、南北朝時代の1356年で元々は大涌谷近くにお堂があったのが、江戸時代になって現在の仙石原に移転建立されたのだそうです。
交通量の多い国道から少し入っただけですが、皆さん仙石原に来ても立ち寄らずに通過してしまうのか、いつ来ても箱根の喧騒から離れて、山間に抱かれる様に静かに佇んでおられます。
以前8年前に箱根に最初に来た頃、湿生花苑近くのご夫婦で営まれている和風レストランで、女将さんから「イイ処だから、一度行ってみなさい!」と薦められたのが切っ掛けで訪れたのが最初で、その時は10月末でしたので既に紅葉が始まっていました(上2枚がその時の写真)。京都も同様ですが、モミジは秋の紅葉も勿論素晴らしいですが、初夏の青モミジもなかなか素敵です。
 このお寺の良さは、何と言ってもその青モミジの林と“当国花の寺”として色様々な山野草にも彩られ(今回はヒメシャガがちょうど花の時期を迎えていました)、その山間に色んなお姿をされて五百羅漢さんがあちらこちらにユーモラスな表情で静かに鎮座されておられることです(上の写真が淡い紫色の花がヒメシャガです)。
こちらの羅漢さんは、昭和54年(1979年、私が社会人になった年でもあります)に寺を継いだ和尚さんが竹林を切り開き、その地形を活かして木々や花を植え、そして1985(昭和60)年からお釈迦さまの弟子である五百羅漢の建立を始められて、檀家さんや個人の方の寄付等でこれまで約300体近くが創られて置かれており、現在も建立が続けられているのだそうです。
ですので、この景観が作られたのは決して古くはないのですが、京都のお寺にも似た古刹然とした佇まいに惹かれ、箱根に来る度、何度も訪れています。
驚くのは、檀家さんが多いのか(お寺の奥にキチンと整備された広い墓地が拡がっています)、これが京都だったら最低でも500円位の拝観料を“取る”のが当たり前の筈なのに、拝観料が無料なこと。しかも日夜“極楽浄土”への道を説いているお寺さんが多い筈の京都では、嘗て市が財源確保のために「古都税」として寺社の拝観料への課税を試みて寺社側が強く反発し、拝観停止などの強硬措置で対抗して大騒ぎになったことさえあるというのに・・・。ですので、余計有難く感じられて、本堂だけでなく他のお堂にもお賽銭を自然とお納めしないといけなく感じます。
そうして、時々しか拝観者に会わず、静かで凛とした空気を漂わせた境内をゆっくりと心ゆくまで歩かせていただくと、不思議と心からゆったりと穏やかな気持ちにさせられて・・・、思わず、
  「ありがとうごいざいました」                    -合掌

 箱根滞在3日目。
朝起きたら、この日は窓から見える大涌谷方面には青空が拡がっていました。これなら金時山の山頂からの富士山の雄姿も期待出来るかもしれません。
そこで、早目にワンコたちの朝食と散歩を済ませ、自分たちも朝食を取って出発です。
奥さまが毎月横浜の次女の所に“家政婦”に行っていて、「体力に自信が無い」と登れなかった昨年。今年も4月になってから、登山のトレーニングを兼ねて漸く城山までウォーキングで数回歩いただけなので、今回も「はこね金太郎ライン」の「金時見晴パーキング」まで車で行って、そこから矢倉沢峠を経て登るという金時山登山ルートの中での最短コースにしました。
見晴らしパーキングからは、登山口の標高が初回の時に登った公時(金時)神社コースより160mほど高く、最短で手軽に登ることが可能なルートです。コースガイドに依れば、標高差360mで、仙石原の登山口からの標高差550mのコースに比べて30分以上短い、標準コースタイムで登りが1時間05分 で下りは50分とのこと。
二年振りの金時山登山ですが、以前「女性のための登山教室」に2年間参加していた奥さまは最初の頃に初級コースとして登っており今回で7回目、私が6回目になります。

 朝7時半過ぎに見晴らしパーキングに到着。既に10数台駐車していました。我々も身支度など準備をして、午前7時35分に登山開始。二年振りの登山ですし、あまりトレーニングもしていないので、今回はコースタイム度外視でゆっくり登ることにしました。

見晴らしパーキングから矢倉沢峠までは緩やかな登りで、背丈を超える程もある「箱根竹」(アズマネザサの一種とのこと)と呼ばれる笹原の中の登山度を進み、5分程で到着です。仙石原からはここまで30分程歩いて標高差も150m程は登って来ないといけないのですが、見晴らしパーキングからのルートでは実質ここからが本格的な登山開始です。

10分程登ると笹原を抜け、木々の中を進みます。やがて振り返ると背後に大涌谷が見え、噴煙が立ち上っているのが確認出来、ここが外輪山だということを認識します。
急坂を上って木のトンネルの尾根沿いの緩やかな道を過ぎて、公時(金時)神社からの登山道との分岐で一休みです。
そこからは、昔は猪鼻嶽とも呼ばれたという金時山のゴツゴツした溶岩が剥き出した岩場の多い急登が始まります。以前は2ヶ所ほど鎖場もあったのですが、この金時山の登山道は全体に非常にきちんと整備されていて、その鎖場も数年前に細かな階段が設けられて鎖は撤去されました。ただ金時山の登山道は、全体に階段が非情に多いので、その分逆にきつく感じられるかもしれません。

最後、眼の前に林の中にぽっかりと空いた円形の空間が現れると、そこがいよいよ箱根外輪山の最高峰、1212m金時山の山頂です。
  「今日は果たして、どうか・・・??」
 全体的には空は快晴だったこの日、残念ながら山頂の下部分に少しだけ雲が掛かっていてスッキリとはいかなかったのですが、一昨日は雲に隠れて裾野しか見えなかった富士山の雄姿を、この日は金時山の山頂からしっかりと拝むことが出来ました。
乙女峠や足柄峠からの登山ルートとは異なり、箱根からの公時(金時)神社や仙石原からの登山ルートでは、この山頂に来るまで富士の姿は金時山の向こうに隠れているため一度も見ることが出来ません。ですので、登り切って初めて「今日はどうだろうか?」と、ドキドキしながらその日の富士の姿を初めて確かめることが出来るのです。
やはり、雲が多そうだった昨日ではなく、今日にして正解だったのでしょう。山頂には茶屋の女将さんと常連と思しき登山者の方々が談笑されていて、
  「お疲れさま!」と声を掛けていただき、その旨お伝えすると、
  「あらっ、昨日も見えてたわヨ!」
とのことではありましたが・・・(ま、イイか。自分たちの中では今日で正解だったということで・・・)。
ただ、北アルプスもそうですが、特に夏山は朝の出来るだけ早い方が雲が掛からない筈なので、もっと早く登って来た方が良かったのかもしれません。
昨年も箱根には来たものの、トレーニング不足で美ヶ原も含め昨年はどこも登れなかったので、今回の金時山が二年振りの登山でした。そのためゆっくり登って来たつもりですが、8時40分に到着。ほぼヤマケイのコースタイムと同じ1時間05分で登って来ることが出来ました(しっかりと整備された金時山の登山道ですが、標識のコースタイムだけは余程の健脚者向けなのか早過ぎます。例えば分岐から頂上まで20分との表示ですが、実際は30分掛かります)。
山頂で富士山を見ながら、平らな岩に腰を下ろして暫し休憩。そして行動食と水分補給をして、写真を撮って娘たちにLINEで送りました。
その間20分程でしたが、頂上を目指して次々と登って来られます。ただこの日は平日なので、それ程多くは無いように感じます。
 帰ろうとすると、ハイヒールなどではなくちゃんと登山の格好をしてポールも持って、欧米系の白人のまだ若い母娘のお二人が登って来られ、眼の前の富士山の姿を見つけて跳び上がって喜んでおられました。
今回、ポーラ美術館もですし、仙石原界隈も、ワンコたちとドライブがてら行った芦ノ湖も、今まで以上にインバウンドの箱根への観光客が増えた様に感じましたが、金時山も例外では無い様で、段々国際的になって来たのかも・・・。
帰路は、早朝よりも登って来る人数が増えた様に感じます。多分、小田急等で首都圏から朝金時山を目指して来た登山客が、箱根湯本を経由してちょうど登って来られるタイミングなのでしょう。すれ違い出来そうな場所を見つけて、お互いが譲り合います。こうした登山の時だけでなく、下界の道路などでも同じ様になれば、もっとこの世の中は穏やかになるのだろうに・・・などと、お礼の声を聴きながらふと考えてしまいます。
帰路、目の前に明神ヶ岳への登山道が笹原の中をずっと上の方に伸びているのが見えましたが、金時山に比べ、そちらには人の姿は一人も見えませんでした。
途中、登山道脇に少し花も咲いていましたが、以前来た時の貴重なコイワザクラやタチツボスミレ、サラサドウダンやボケ、ヤマザクラなどが咲いていた4月頃に比べると、5月中旬の金時山は春の花の時期はもう過ぎた様で、今回は道端の花は少なめでした。
見晴らしパーキングの登山口には、帰路もコースタイム通りの50分で無事到着しました。
 今回の金時山は、春になってウォーキングを兼ねてのトレーニングも数回足らずでの二年振りの登山でしたので、特に家内は登れるか不安だった様ですが、脚も全く問題無く登って来ることが出来て安心した様です。
  「今年は、美ヶ原くらいはまた登りたいね!」
二年振りの金時山では富士山の雄姿も見え、金太郎のご利益か、お陰さまで登山へのチョッピリの自信と意欲も金時山から頂けた様で、達成感と満足感を得られた今回の山旅でした。

 今年も毎年恒例の箱根に行って来ました。
例年ですと箱根が桜の時期を迎える4月中旬前後なのですが、今年は孫たちが4月初旬に春休みを利用して松本に来て、最後は軽井沢のドッグヴィラにも行っていたので、今回は5月中旬、且つ滞在もいつもより短めの3泊4日での箱根行となりました。
行きはいつも通り、中央道で大槻から富士吉田を経由して、東富士五湖道路を経て御殿場から箱根へ登ります。所要時間は3時間ですが、途中ワンコたちの休憩とランチタイムを含めて、ゆっくり走って4時間の行程です。
 途中双葉SAでワンコたちのトイレとオヤツタイムの休憩をして、乙女峠の「FUJIMI CAFE」で今回もランチにしたのですが、残念ながらこの日の富士山は雲の中で、その雄姿を見ることが出来ませんでした。
そして、いつもの「相原精肉店」と「箱根のJAコープ」で食料品の買い出しをしてから、仙石原のいつものドッグヴィラにチェックイン。
この日はどこも出ずに、温泉にゆっくり入って相原精肉店で買ったお惣菜で夕食を済ませ、この日の松本から箱根までの運転で多少疲れたこともありますが、翌日に備えて早目に就寝しました。

 翌日、本来は我々としての今年の登山シーズン解禁で、恒例の金時山に二年振りに登るつもりでいたのですが、朝起きた感じでは晴れの天気予報よりも実際は雲が多目。そこで、登山は翌日に回すことにして、この日は滞在中のもう一つの目的だったポーラ美術館へ午前中行くことにしました。
「箱根の自然と美術の共生」をコンセプトに、樹齢300年を超えるというブナやヒメシャラなどの国立公園箱根の“森の中の美術館”。まさに森と一体化したかのように緑の中に佇むポーラ美術館は、建築そのものも一つの作品の様に感じられ、都会にある美術館とはまた違って、何度訪れても毎回訪れる度に確かにそのコンセプト通りに癒される気がするのです。
 そのポーラ美術館の今回の企画展は、『Spring わきあがる鼓動』。その解説をお借りすると、
『春、生命が再生する時間。テクノロジーが社会を覆い尽くす現代において、私たちは身近な自然の驚異や足元に広がる土地の記憶、そして人間の内なる根源的な力を見つめ直し、いっそう鋭敏に感じ取ろうとしています。本展覧会「SPRING(スプリング)わきあがる鼓動」は、アートにおける飛躍する力に光をあて、人間やこの世界の奥底から春の芽吹きのようにわきあがる鼓動を宿し、私たちの存在と感性をゆさぶる絵画、彫刻、工芸、インスタレーション作品を紹介します。
ポーラ美術館は、古くから人々の心身を癒し、感性を研ぎ澄ます場として旅人を惹きつけてきた箱根にあります。本展覧会では、この地に培われた風土と記憶を出発点に、過去と未来、ここから彼方へとつながる想像の旅へ皆様を誘います。静かに、あるいは力強くわきあがる作品の響きと共鳴し、時空を超えて豊かに躍動する創造の鼓動をご体感ください。 』
とのこと。
(下の写真は、企画展のプロローグ作品 大巻伸嗣「iminal Air Space-Time」:空間その全体を作品とみなすinstallation)
 企画展の最初は、「この地の風土」として、箱根を描いた浮世絵からスタートでした。
その中で個人的に気になったこと。
それは、あの有名な歌川広重の東海道五十三次の「箱根湖水図」と、歌川国貞の通称「美人東海道」と呼ばれる「東海道五十三次之内 箱根之図」の箱根の山の形と色使いが全く同じだったことでした。
展示にはそれについての解説が無かったので、後日調べてみました。ネットでの検索結果をそのまま記載します。
『初代歌川広重の風景画「東海道五十三次 箱根湖水図」と、歌川国貞(三代豊国)が描いた「美人東海道」などの作品で色使いや背景が一致するのは、国貞が広重の風景画を背景画としてそのまま借用(パロディ化や引用)して描いたためです。具体的な関係性は以下の通りです。
背景のオマージュ:役者絵や美人画の大家であった国貞は、広重の風景画が大ヒットした際、自身の美人画の揃物「美人東海道」などにおいて、広重の「箱根 湖水図」の奇抜な山並みや構図を背景として流用しました。
色使いの共有:広重の木版画特有のモザイク状にデフォルメされた山や、色鮮やかな多色刷り(錦絵)の色彩が、国貞の作品の背景としても同じ版元(版木)または同じ配色を元にして摺られたため、共通の色使いが見られます。』
歌川派の三代目を継承した国貞と当代きっての売れっ子絵師だった広重は、弟弟子の国芳と共に歌川派の三大絵師と呼ばれる兄弟弟子で共作もしており、この二つの絵も最初から意図的に描かれたものだったのです。
         (杉本博司「富士図屏風 大観山」6双写真屏風)
 今回の『箱根をはじめとした東海道の風景から触発された表現を、江戸時代から現代に至るまで横断的に紹介』した企画展。作品毎の解説無しに印象に残った作品の幾つかです(参考までに今回の展示されていた作品は、ピカソとレオナール・フジタ以外は全て撮影OKでした)。
   (クロード・モネ「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」と「睡蓮の池」
           (ヴィンセント・ファン・ゴッホ「アザミの花」)
(ポール・シニャック「オーセールの橋」とアンリ・ルソー「エデンの園のエヴァ」)
(手前に置かれているのが小川待子「結晶と記憶:5つの山」 と
奥の壁に掛けられているのがパット・ステア「Waterfalls of Ancient Ghosts」)
(下の写真が企画展のエピローグとしての作品 名和晃平「PixCell-Deer」)


そして、因みに今回私が一番見たかったのは、その企画展ではなく常設展で展示されていた、以前記念切手の図案にもなった岡田三郎助の「あやめの衣」でした。



(他に、村山槐多「湖水と女」とピエール・オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」)

 それにしても今回もポーラ美術館で感じたのは、美術展を見た後で散策した、昨年は雨で歩けなかった美術館の周囲に拡がる広大なヒメシャラの森の野外彫刻の遊歩道を含め、この地に美術館建設を決意した創業者(二代目だそうですが)の、正にノブレスオブリージとでも言えるその精神が今もしっかりと息づいているポーラ美術館と、以前見終わって正直“反吐を履きそうだった”程に嫌悪感を禁じ得なかった成金趣味の岡田美術館との、同じ箱根の地に在りながら、或る意味好対照とも言えるその精神性の違いについてでした。
どう作品を見る者に伝えるかと趣向を凝らしたポーラ美術館と、片や金に任せて収集した作品をこれ見よがし的にただ“見せてやる”的な展示で、作品の背景などに関する詳しい説明も無く鑑賞順路の掲示もいい加減だった岡田美術館。唯一評価出来るとしたら、海外に渡った日本美術を買い戻したことでしょうか(記載に疑義を感じられた方は、その内容について第1386話を参照ください)。
今回の展示作品でピカソとレオナール・フジタ以外は全ての作品が撮影OKだったポーラ美術館と、片や入館時に受付で携帯やカメラなど一切持ち込み禁止でロッカーに預けさせられ、更に空港の様なX線のセキュリティーチェックを受けて初めて入館が許された岡田美術館。その姿勢の差もまた然りなのですが・・・。

 娘が以前京都滞在中に地元の食通の友人に連れて行ってもらって以来、京都に来ると必ず行くという地元の食通の方々に評判の割烹と共に、今回娘が我々を連れて行ってくれたのが、同じく「瓢亭別館」の朝粥でした。
奥さまは昔娘に連れて行って貰い、また次女が二人目の孫が生まれる前に皆で一緒に京都へ来た時も、私が孫を見ている間に、彼女のリクエストで「朝粥」を母娘三人で食べに行ってもいるのですが、お粥は多分に男性よりも女性に受けが良いのだろうと思い、私はこれまで一度も食べに行ったことはありませんでした。
今回も正直二の足を踏んだのですが、娘が予約サイトを通じて予約してあり、既に決済済みで人数を減らすなどの変更は不可とのこと。そこで止む無く、予約通りに皆で行くことになりました。 

  「瓢亭」は江戸時代に南禅寺参道の腰掛茶屋として暖簾を揚げたのが始まりで、400年以上の歴史を持つという京都でも屈指の老舗料亭であり、ミシュランの3つ星を15年以上も連続維持している、日本を代表する京料理・茶懐石の名店です。
以前NHKのBSだったと思いましたが、正月準備をする京都の老舗の様子を取り上げた番組で、伝統的な正月用の各種料理の出汁を取る様子で紹介されていたのがこの「瓢亭」でした。それ程に、今やユネスコの無形文化遺産にも認定された「和食」の京料理を代表する料亭の筆頭格でもあります。
場所は蹴上の無鄰菴のお隣。住所は南禅寺草川町で、「瓢亭」の店名の横には今でも創業の由来を示すように「南禅寺畔」と付記されています。土塀に囲まれたお屋敷の中に本店と別館があり、朝粥は別館で供されます。ただ本店でも真夏の二ヶ月間だけ、別館とは少し内容を変えて(値段も上がり、アユの塩焼きなどが加わり)食べることが出来るのだそうです。
 朝9時。入口前の道には打ち水がされていて、店のシンボルの瓢箪が染め抜かれた茶色の暖簾をくぐって、良く手入れされて静けさ漂う前庭の石畳を通って玄関へ。仲居さんに案内されて、囲むように中庭を挟んで二部屋ある食事処の部屋の予約席へ向かいます。本館は一室毎の畳の個室とのことですが、別館は6卓程の大小のテーブル席で腰掛けて座る様になっています。
奥さまに依れば、以前来た時は二回共外国人観光客も含め満席だったそうですが、今回は窓越しに見える別の部屋に一組、そしてこちらの部屋には我々だけの二組(途中でもう一組来られ、朝粥は三交替で一時間の時間制とのことですが時間内に3組だけで、インバウンド半減の影響なのか家内も大層驚いていました。そう云えば今回の滞在中、京都の天ぷらの名店という「圓堂」岡崎店の横を夕食時に歩いていた時に、こちらも一組しかお客さんがおられず家内が驚いていましたが、一時期とは様変わりとのこと)。
 着物を着た年配の仲居さんが、最初に梅干しと昆布が数枚入った一口の梅湯を持って来てくれ、最初食べる前に先ずはサッパリと口の中を整えるということなのでしょう。
ところで、学生時代の京都で一番しっくり感じられたのは、例えば芸妓さんや舞妓さんは生粋の京女ではない方が多いので、むしろ旅行者に道を聞かれた時などに着物を見事に着こなされた地元の老婦人の話される京都弁でしたが、こちらの年配の仲居さんの京言葉も実にしっくりと馴染んで聞こえ、今京都にいることを耳でも実感しました。
因みに、この時間帯に接客を担当されていた仲居さんは三人で、内一人はマレーシアかインドネシア出身と思しき若い女性。その所作や言葉使いはさすが老舗でしっかりと指導と躾がされていて、他店のヘタな日本の若いコよりも余程キチンとして見事でしたが、何年後かの海外出店のための準備ならともかく、もし人手不足が瓢亭の様なこんな老舗にまで及んでいるのだとすれば、元人事担当者の性とはいえ、何だか考えさせられてしまいました。
 閑話休題。さて、続いてお茶が香ばしいほうじ茶に代わるといよいよ食事になって、最初に八寸と瓢亭らしい瓢箪型に重ねられた3段のひさごの器がお膳に載って運ばれてきます(因みに“ひさご”とは瓢箪のこと)。
八寸は取肴と半熟具合が絶妙なその名も“瓢亭玉子”が美しく盛り付けられ、瓢箪の形をしたひさごの三つ重ね鉢には、和え物、蒸し物、炊き合わせなどが月替わりであしらわれていて、食材や月毎にメニューが替わるそうです。
江戸の茶店の頃から出しているという、名物の瓢亭玉子。今ではラーメンでも珍しくはない黄味がトロっとした半熟卵なのですが、薄っすら醤油ベースの出汁が利いているのがさすがです。
(以下写真を見ながら思い出しているのですが、もし記憶が違っていたらご容赦ください)
八寸には京らしい押しずしと、これまた名物という“ぶどう豆”。見事な大粒で、最高級の丹波の黒豆なのでしょうけれど、全く皺が寄らずに炊いたばかりのようにふっくらとしているのに驚きます。絵札の形をした伊達巻には今年の干支の馬の焼き印が押され、他にも子持ち昆布など正月らしい品が並んでいます。
 そして三つ重ねの鉢。和え物と蒸し物、そして京野菜中心の炊き合わせ。特に印象的だったのは二段目の蒸し物です。魚の種類が分からない・・・鯛にしてはホロホロしているし、まさか鱈・・・?お聞きすると甘鯛とのこと。京都で云う“ぐじ”。おそらく少し天日に干して身が凝縮している感じです。そこに大根おろしと、キツクなく薄っすらと酢を効かせたもずく酢が添えられ、薄味の餡の汁が掛けられています。妙な言い方ですが、「薄味なのにしっかり味がする」・・・。
料理は八寸と三段重ねのひさごの器だけなのですが、まるでミニ懐石。その料理のどれも薄味なのですが、京料理らしく出汁が良く利いていて、素材の旨みがしっかり感じられます。決して主張し過ぎることなく、驚く程の薄味なのにしっかりと素材と一体となって下支えする、京料理の出汁の凄さと奥深さ・・・。NHKが京料理の出汁の紹介した番組の中で、瓢亭が登場していたのも納得でした。
そしてその奥にはきっと京都の水の力があり、同じく京料理を代表し「和食」のユネスコ無形文化遺産登録に尽力した、こちらもミシュラン3つ星の名店「菊乃井」(ご先祖が北政所の接客や給仕を行う「茶坊主」として仕えていた時代に、茶の湯に用いる「菊水の井」という井戸を大事に守っていたのが店名の由来で、今も同じ東山で高台寺に隣接して本店を構える)の村田氏曰く、「煮る、さらす、浸す、茹でるといった水を中心とした調理法で、微妙な味わいで素材を引き立たせる日本料理は、京都の軟水だからこそ進化した」ということを自分の舌で実感として納得することが出来ました。
でも実際にこうした京料理を食べてみると、それは単なる薄味ではなく、妙な言い方ですが、“しっかりとした薄味”であることに気付かされるのです。お酒でも伏見は“女酒”と云われますが、京都の地下水は千年以上にわたって一定の味と温度を保っているため、他の軟水に比べて硬度が低く、よりまろやかで繊細な味わいが特徴なのだとか。素材の味をより引き出すこの地下水があったからこそ、京都では出汁を重んじる薄味の文化が生まれたのでしょう。
 途中、汁物が運ばれて来て、如何にも京都らしい白味噌仕立てのお汁でした。菜花とお麩が入っているのですが、南禅寺麩とのこと。当方信州ですので白味噌に馴染みが無いと云えばそれまでですが、この汁、まるでポタージュの様に濃厚で滑らかで甘味もあり、味噌汁と云うよりもむしろクリームシチューの様で驚きの一品でした。
 そして最後に名物の朝粥です。今回は「鶉粥」で、冬季限定(12月1日~3月15日)のお粥だそうです。
因みに、朝粥が瓢亭の名物になったのは、何でも明治初期、祇園で夜遊びをした旦那衆が早朝に芸妓を連れ立ち店へ訪れ、店の者を起こし朝食を作ってくれと言われ、その時のあり合わせの食材で粥を出したのが始まりとのこと。
そして冬の季節の鶉粥は、瓢亭のH/Pの紹介をお借りすると、
『寒い季節に体が気軽に温まるものとして13代目が作ったのが、この名物の「鶉がゆ」の始まり。本当はおかゆではなく雑炊なのですが、夏の「朝がゆ」と揃えて、瓢亭では「鶉がゆ」と呼んでいます。炊いたご飯を一度洗ってサラサラにし、鶉のお肉とスープで炊いてせりを散らした、体が芯から温まるひと品』ということで、昔瓢亭には鶉小屋があったのだとか。
この鶉粥は、ご飯を鶉のガラと野菜から取った出汁で炊き、細かく刻んだ鶉の肉を加えた雑炊で、刻んだセリが加えられています。ほんのりセリの香りと、鶏よりも濃厚な鶉の旨味を感じられ、確かに底冷えのする京都の朝には暖まる一品なのでしょう。付け合わせの京漬物のかぶらと瓢亭特製のちりめんじゃこで、途中味変も楽しみながらご飯茶碗に優に二杯、しっかりと残さずに頂きました。因みに、箸よりも茶碗によそうのに使う木べらで食べた方がお粥は食べ易いのでおススメです。
但し家内と娘は、出汁の効いた葛餡を掛けて味変を楽しみながら食べるいつもの白粥の方が、ここ瓢亭でしか味わえない何とも言えずシンプルながら絶品のお粥で、冬の鶉粥よりも好きとのことでした。もしかすると好みが分かれるのかもしれませんが、個人的にも確かにそうかもしれないと感じた次第です。
 瓢亭の朝粥。以前はずっと4500円だったそうですが、昨今での肝心のお米を始めとするあらゆる食材などの諸物価高騰もあって、別館では現在5445円(税サ込み。夏2ヶ月限定の本館の朝粥は7590円だそうです)決してお安くはありません。否、もしかすると日本一高い“お粥”なのかもしれません。しかし一見の価値、イヤ“一食の価値”あり・・・かも。
食べ終わって感じるのは確かな満足感。何だかシンプルなのにその奥深さに「う~ん美味しい・・・」と、その後の言葉が続かず、むしろ垣間見たその奥深さに何だか気圧された様な気さえしたのでした。
  「ナントモ恐れ入りました。さすが、400年続く伝統は伊達じゃない・・・」
但し、次回も食べたくなるかは何とも・・・??(あっ、でも白粥は食べてみたい・・・かな!?それと一度でイイから、本館の個室と庭も是非とも見てみたい気も・・・)

 奥さまと娘は、二人がとても気に入っているという、清水五条の高瀬川沿いに在るレバノン料理店に今回はブランチを食べに行くと言うので、私は一人で久しぶりに「新福菜館本店」で朝ラーを楽しむことにしました。

 京都駅から東へ少し行った塩小路高倉の線路を跨ぐオーバーパス、通称“たかばし”。ここに目指す「新福菜館本店」が在ります。10時前に着くと、隣のこれまた人気店で朝6時開店の第一旭本店も、お目当ての「新福菜館本店」にも開店前から並んでいたであろうお客さんは既に一巡したのか、どちらも店の外には行列はありませんでした。
昭和13年(1938年)創業で、所謂“京都ラーメン”のルーツとされる「新福菜館」。因みにお隣のこれまた“京都ラーメン”を代表する「第一旭」は、その15年後の創業とか。どちらも“京都ラーメン”を代表する名店です。
一階の店内はカウンターが一杯で、二階にも客席があるのですが、一階奥のテーブル席へ相席で案内されました。
6年前に来た時は特大の新福そばにしましたが、今回は中華そば(並み950円)と同じく「新福菜館」名物の焼き飯(600円)を注文しました。
以前長女が住んでいた麻布台のマンションに行った時に、京都ではその後食べられなかった新福菜館が麻布十番にもあると聞き、勇んで食べに行きました。その時は中華そばの並に小の焼き飯が付いたセットメニューがあったのですが、この京都の本店のメニューには小の焼き飯は無し。でもあの真っ黒なヤキメシも、ラーメンと共に新福菜館の名物メニューですので外せません。そこで、この歳には少々キツイかもとは思いつつも、ここは止む無く普通のサイズでお願いしました。
 程なく運ばれて来た並サイズの中華そば。鶏ガラベースに豚骨の旨みも合わさった、新福菜館の代名詞の真っ黒なキレのある醤油スープに、どっさり盛られた九条ネギ。その下に 京都の近藤製麺特注という中太のストレート麺と、これまた名物のスライスされた柔らかな豚バラチャーシューがこれでもかと(確か6枚だったか)隠れています。
先ずはスープをレンゲですくって何杯か味わって、今確かに新福菜館にいることを舌でも実感します。
続いて、ラーメンと同じ醤油ダレで味付けて、香ばしく焦げた褐色の焼き飯も登場。
せっかく「新福菜館本店」に来たのですから、中華そばの「小」では物足りないので、中華そばは普通の「並」サイズが必須。しかしせいぜい年に一度しか食べられないのであれば、こちらも逃したくはない焼き飯が、本館は普通サイズしか他に選択肢が無いのでこれまたしょうがない・・・。
ラーメンに続き、焼き飯をスプーンで二度三度・・・。やはりどちらも捨てがたい。ただ、全部食べられるかどうか不安を感じつつ、残しては申し訳ないので頑張って何とか完食出来ましたが、その分、スープを全部飲み干せずに少し残さざるを得なかったのが、少々心残りではありました。
ただこの日いつもよりスープの塩味が濃く感じたことも、もしかするとそれに影響したのかもしれません。しかしそれは、店の味が変わったのではなく、恐らく少々風邪気味だったその日の自身の体調が、この日の自分の味覚に微妙な影響を与えていたのではなかろうかと思います。
いずれにせよ、焼き飯も一粒も残さずに完食して満足満腹になった「新福菜館」の朝ラーでした。
ただ出来れば、減塩などとは決して言いませんので、我々高齢者のためにせめてメニューにヤキメシの「小」も加えて頂けると大変助かります。
ごちそうさまでした。また来ます!

| 1 / 66 | 次へ≫