カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
5泊6日での、初めての南紀白浜の旅。
泊りの最後の日は、せっかくですので地元の新鮮なお寿司を食べることにしました。
グルメサイトでもっと高評価の店もあったのですが、近くて歩いて行けることから選んだのは、日本書紀にも登場し、道後、有馬と共に日本三大古湯に数えられるという白浜温泉の中でも一番古い源泉「行幸源泉」(みゆきげんせん)のすぐ横にある「ホテルシーモア」内の「すし八咫(やた)」です。
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ここ南紀白浜も温泉地としてはご多分に漏れず、古くなった旅館が目立つ中で、ここシーモアは数年前に全館リニューアルしたらしく、館内もキレイで家族連れ中心に人気で宿泊は結構混んでいる様でした。
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せっかくなので、案内では夕食も二部制とのことから、事前に予約して最初の17:30の部をお願いしてあります。
家内がホテルの土産物ショップを見たいというので早目に行って、時間になってホテル玄関とは別の海鮮料理店の玄関から入店し、名前を伝えて席に案内頂きましたが、我々が一番乗りでした。
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・おまかせの握り 本日の鮮魚10貫
・小鉢
・蒸し物(この日は茶わん蒸しでした)
・鮑踊りステーキ
・あら汁
・水物
とのこと。
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何でも春の白浜は、釣ってから四五時間数時間しか経過していないカツオ、「もちガツオ」のシーズンとのこと、「もちガツオ」とは、釣ってから約4~5時間以内のモノ」で、「身に脂肪分が少ないため弾力があり、餅のような食感から、もちガツオ」と呼ばれるのだとか。しかし、新鮮なだけではダメで、身にこの弾力がなければもちガツオではないので、見ただけでは判別出来ず、漁業や飲食店の関係者も身を切ってみないとわからないのだそうです。
勿論、初めて食べたのですが、今まで食べたカツオ(たたきとか)の概念が変わりました。本当にべちゃっとしておらず、歯応えというか弾力がある。最初食べた時は、思わず「えっ、これってカツオですか!?」
いつもは生臭いとカツオは食べない家内も、これは美味しいと絶賛でした。
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この日とりわけ感動したのは、「鮑踊りステーキ」。陶板焼きの器に蓋をして蒸し焼きにするのですが、アワビ自体も勿論ですが、特に肝ってこんなに美味しいんだ!と感激する程でした。生臭さも泥臭さも全くしないのです。オドロキでした。 (写真の奥に写っているのがアワビです)
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しかも、白浜の海を一望するカウンターで、握りたての寿司をいただける何とも贅沢な時間でした。
また、このシーモアには、ホテル内にある焼き立てパンのお店「TETTI BAKERY&CAFE(テッティー・ベーカリー・アンド・カフェ)」があって、滞在先の近くにはカフェが無かったので、何度かお世話になりました。もし晴れていれば、買ったパンとドリンクを店内のイートインだけではなく、オーシャンビューのソファー席や、屋外の海の見える広いテラスで食べることも出来ますし、広い足湯やインフィニティ・プールもあって泊まりも楽しそうでした。因みに、店名は南紀地方の方言で「とても」とか「すごく」を表す「てち」を店名にしたそうです。ホテルのロビーフロアの1階にあります。
白浜滞在中近くに喫茶店が無かったこともあり、気に入った家内が3度訪れたそのカフェだけではなく、娘たちや孫たちへのお土産も、両方事前に見比べた上で、もっと大きな土産物コーナーのある「とれとれ市場」ではなくこちらのホテルのショップで購入しましたが、スタッフの皆さんも大変親切で接客もとても良かったそうです。
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『大化の改新を成功させた中臣鎌足と後の天智天皇である中大兄皇子は、孝徳天皇を即位させました。その子である有間皇子にも皇位継承の可能性も多分にあったのですが、蘇我赤兄に謀反をそそのかされたことで運命の歯車が狂います。逆に赤兄らによって邸を包囲され、囚われの身となってしまいました。中大兄皇子の裁きを受けるために紀伊国・牟婁の湯に行幸中の斉明天皇のもとへ護送される途中、有間皇子が詠んだ1首が藤白坂の入口に歌碑として残されています。「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(家にいれば器に盛るご飯を、こういう旅だから椎の葉に盛ることだ)。
有間皇子はその後、牟婁の湯へ到着し中大兄皇子の厳しい尋問を受け飛鳥へと送還されます。そして、その途中藤白坂で絞首され、19歳の若い命は絶たれてしまうのです。』
従弟の中大兄皇子が滞在していたこの行幸の芝の地に在った行宮に有間皇子を護送させ、この地で中大兄皇子の尋問を受け、その後和歌山県海南市の藤白坂という場所で処刑されたのだとか。道後、有馬と共に三古湯の一つとされる白浜温泉(牟婁の湯)。その歴史の古さを実感することが出来ました。
因みに、その悲劇の有間皇子はその前年、療養のためと称して牟婁(白浜)へ行き、帰京後、その地の素晴らしさを伯母である斉明天皇に報告。そして斉明天皇はこの年、中大兄皇子を伴い、牟婁を訪れていました。
有間皇子は悲劇の主人公ですが、白浜にとってはこの地に行宮を建てた斉明天皇と共に温泉を世に知らせた恩人でもあり、白良浜の近くに「有間皇子之碑」が立っていて、毎年6月にそこで献湯祭が行われているのだそうです。
蛇足ながら、松本にも天武天皇の行宮が置かれていました。松本は古代「束間」(ツカマ。後の筑摩)と呼ばれていて、白浜温泉(牟婁の湯)同様、日本書紀にも登場する束間の湯(今の美ヶ原温泉或いは浅間温泉とも)を気に入っていた天武天皇の行宮が置かれ、天武天皇は束間への遷都まで計画し、調査させたのだそうです(崩御により中止)。
初めての南紀白浜旅行。メインの目的は長年の夢だった熊野古道を歩くことでしたが、たまたま行ったのが5月だったので運良く「もちガツオ」を生まれて初めて食べることが出来ましたし、また新鮮なアワビの肝の美味しさも初めて知りました。そうした新鮮な海の幸も堪能した今回の旅行でした。来るまでは南紀白浜と聞くと、何となくパンダのアドベンチャーワールドと温泉・・・というだけのイメージだったのですが、実際に現地を訪れてみて、熊野古道とはまた別に、遥か万葉の頃より都との関連が在り、歴史の舞台ともなった場所だということを知った、初めての南紀白浜への旅でした。
“海無し県”の山国信州から海辺の町に来ると、お魚のその新鮮さには感動するばかりです。
初日、ホテルへのチェックインする前に、西日本最大級という海鮮市場の南紀白浜「とれとれ市場」に立ち寄り。「とれとれ横丁」には各種海鮮丼などがあるのですが、こちらは持ち帰りが不可なので、鮮魚コーナーでその日のホテルでの夕食用に、鯛、マグロなどの船盛とヒラメなど好みの刺身を購入。
どれも新鮮で美味しかったのですが、特に鯛(種類は不明)がプリプリで本当に美味しかった!(因みにつまみ用に揚げ物も買ったのですが、こちらは小田原には敵いませんでした)
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滞在中は、刺身のテイクアウトだけではなく、フードコートの「とれとれ横丁」でランチに海鮮丼も食べましたし、さすがに毎日刺身では飽きるので、二度、一度は気分転換にBBQ用食材店から熊野牛や野菜などを買って帰って、ホテルの部屋はキッチン付きなので焼き肉にしました。また一度はピザをテイクアウトして(マルゲリータと、白浜故にシーフードも)夕食にしました。
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こちらは「とれとれ市場」に比べれば遥かに小規模ですが、南紀白浜にある地元の漁師さんたちが運営しているという施設で、目の前に広がる白浜の湯崎漁港で水揚げされた魚が並び、早いモノだと水揚げから5分以内に店頭に並ぶこともあるのだそうです。
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イートインのコーナーはテーブルが幾つか並んでいるだけの質素な感じですが、丼は10種類くらいあって、地元の料理さんたちが調理もしてくれている様です。我々は夕食用に、私は上海鮮丼(税込1580円)、家内はシラス丼(1460円)を注文し持ち帰りました。
刺身、しらす、ご飯とそれぞれ別々にしっかりトレイに盛って二重にラップしてくれてあり、シラス丼はしらすと玉子焼きに付け合わせの野菜は別のトレイに分けてくれてあるなど、無骨ながら親切丁寧な感じがしました。
個人的は、観光客相手の「とれとれ市場」よりもこちらの「フィッシャーマンズワーフ」の方が素朴で、海無し県的喩えで恐縮ながら、信州の農家の産直売場の“海版”の様な感じで、むしろ親近感を感じました。値段は「とれとれ市場」のイートインと同じ位かもしれませんが、量は1.5倍くらい多いのではないでしょうか。正直食べ切れませんでした。そして、こちらもどのネタもプリップリで新鮮そのもの。いやぁ、ホント旨い!
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(確かに、松本に帰ってから開けてみたら、二人で優に二日分はありました)
今回の5泊6日での南紀白浜の旅。そして、その実質最終日となる5月30日。
この日は、二日目となる熊野古道中辺路の内、大門坂から那智大社を目指して歩きます。
個人的には、中辺路の起点となる滝尻王子から熊野本宮大社まで38㎞の中辺路を二日間共歩くつもりでいたのですが、奥さまは大門坂から歩いて那智大社にお詣りして、熊野三山の内二つを参拝しつつ那智の滝も是非見たいとのこと。
そこで調べてみると、南紀白浜から那智大社までは90㎞ちょっと。片側一車線の紀勢自動車道を走るのですが、途中すさみから串本町を過ぎた辺りまではまだ高速が繋がっておらず、海岸線沿いに串本町などを経由しながら国道42号線を走ります。所要時間はほぼ2時間。結構なロングドライブですが、せっかく来た念願の熊野古道ですので、奥さまの希望に沿って那智大社へ行ってみることにしました。
二時間の所要時間をふまえ、朝7時にホテルを出発です。南紀白浜空港横のスカイロードから紀勢自動車道に入り、一車線とはいえ交通量は少なく順調にすさみまで。ここで自動車道を降りて、今度は国道42号に入ります。
ここからは、殆どは紀伊半島南岸の海沿いを走る道。国道とは言っても狭い片側一車線のカーブが続く曲りくねった道ですが、“山の民信州人”は海が見えるだけで「わぁーっ!」とテンションが上がるので、然程苦にはなりませんでした。途中、串本では名勝「橋杭岩」を通るので、帰りに立ち寄ることにしました。串本を過ぎて暫くすると那智勝浦ICまで再度自動車道に入り、“鯨の町”太地は経由しません。
終点の那智勝浦ICで降りて、那智川に沿って県道を進むと右手に広い駐車場が在り、ここが優に100台近くは停められそうな無料の大門坂駐車場です。
8:50到着。ほぼ2時間掛かりました。
事前に調べていた奥さまに依れば、那智大社周辺にも那智山観光センター駐車場があるそうですが、台数も少なく有料なのでこちらに停めて歩き、この日のゴールの那智の滝からバスで戻るのがベターとのこと。駐車している台数は、平日のせいかそれ程多くありません。
今回歩く、大門坂を通って熊野那智大社・那智の滝へ至るコースは、田辺から本宮大社を経て速玉大社を回り、熊野三山最後の那智大社へ至る中辺路の最後の部分。約2.5kmと距離的にも歩きやすく、那智勝浦からのバスのアクセスも良いこともあり、熊野古道の入門に最適なコースとして人気のコースなのだとか。しかも大門坂からの古道は、中辺路の中でも特に石畳が美しく残されているのだそうです。
観光バスもこの駐車場で団体を降ろし、ここから皆さん歩く様で、無料の竹の杖がたくさん用意されていました。
コース案内によると、距離は那智の滝往復まで2.7㎞で、歩行時間だけなら約1時間、散策時間を含めて2時間半~3時間とのこと。
我々も駐車場でトイレを済ませ、このコースのマップは事前に用意して来なかったことから観光センターで係員の方からマップをもらい、ちょうど9時に出発。200m程歩いて大門坂入口からこの日の熊野古道ウォーク開始です。
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それにしても、この地の滝の様な自然崇拝から異郷の地から受け入れた仏まで含め、古来八百万の神を受け入れて来た、「神様仏様」と本来は受容性の高いこの国で、“虎の威”を借りての権威付けのためとはいえ、薩長の明治政府の取った天下の愚策、廃仏毀釈を想います。そして、それに松本藩主が踊らされ、国内でも有数と云われる“嵐”の吹き荒れた信州松本の地のことを・・・。
有難く撮っていただき、お礼に彼女等も撮影してあげましたが、二人の会話からタイから来られたらしく、彼女たちは逆に滝からこちらに上がって来られたようで、
「下に降りて行くと、Ground Levelから滝の写真が撮れますよ!」
と教えてくれました。「えーと、タイ語でアリガトウって何だったっけ?テレマカシはマレー語だし・・・」と直ぐには思い出せず、結局英語で返します(コップンカーだっけ・・・?)。
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この石の階段が今までで一番キツかった気がしました。というのも一段一段の段差がかなりあるので、とにかく急なのです。右側通行で、幸い真ん中と両側にも真鍮の手摺があるので、特にご女性は転ばぬように掴まって歩いた方が良いでしょう。
それにしても、この那智の滝への石段は133段あるのだそうですが、那智の滝も高さ133m。メートル法が日本に導入されたのは明治になってからですが、階段は明治期以前から存在していた筈。これは全くの偶然なのか、何か意味があるのか・・・?
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当然ですが、帰りは133段の石段を今度は上り、滝前のバス停から大門坂駐車場へバスに乗って11時に戻りました。出発してからちょうど2時間。まだランチには早いので、途中か白浜まで戻ってから食べることにして、早速車で出発します。
串本町に入り、橋杭岩の道の駅に寄って少し観光してみました。
「橋杭岩」(国の名勝で天然記念物)。地下から上昇してきたマグマが堆積岩の中で冷え固まった、大小40もの流紋岩の岩がその名の通り橋の杭の様に並んだ850mにも及ぶ“岩脈”。手前の海食台に転がる岩は津波石(津波の際に運ばれたもの)で、江戸時代の巨大地震だった宝永地震によるものという調査結果が出されたとのこと。
串本といえば、「♪ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船」と歌われる串本節が有名ですが、現在は串本と紀伊大島とは「くしもと大橋」で繋がっていて、巡航船は廃止されている由。その大橋と繋がっている串本の半島の先端が“台風銀座”の潮岬ですが、今回は橋杭岩だけでそこには寄らずに直帰しました。
帰路も2時間程で白浜まで戻り、この日の夕食は寿司懐石を予約してあることから、ホテルシーモアのカフェでパンとコーヒーで遅めの昼食です。
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松本に帰って来てから旅行中の溜まった新聞を見ながら、何かまるで神様に導かれた様なその偶然に驚いたのでした。
前回計画しながら断念した熊野古道。
今回、見知らぬ方から背中を押される形で、車で行った南紀白浜。念願の熊野古道の中辺路の中から、ホンの一部ですが、発心門からの熊野本宮と大門坂からの那智大社を歩き、熊野三山の内、本宮大社と那智大社の二社にお詣りすることが出来ました。
今回一部とはいえ熊野古道を歩きながら感じたのは、欧米を中心とした外国人の多さでした。しかも一日目の発心門からの道は、むしろ日本人より遥かに多いくらいでした。
その背景には、日経新聞記事の記載に依れば、本宮町の学校でALTだったカナダ人男性の力が大きいと云います。その赴任中に熊野古道を踏破し、地域の文化歴史をちゃんと理解した上で、この地の魅力を英語で発信し続けたのだそうです。そうした地道な努力が今に繋がっているのだそうです。
“道”として二番目の世界遺産登録となった熊野古道。一番目はスペインの「サンティアゴ巡礼道」だとか。
熊野古道はそこと交流協定を結んで共通の巡礼手帳を作り、スタンプを押しながら両方を踏破すると、「達成者」としての証明書がもらえ、この3月末時点で6千人が登録されているのだとか。
もしかすると、本宮へ下る「ちょこっと展望台」で道を教えてくれたスペイン人のカップルも、その両方を踏破すべく熊野古道を歩いていたのかもしれない・・・。戻ってから、日経の熊野古道の記事を読みながら、そんな感慨にふけっていました。
熊野出身の作家、中上健次は生前、『近代から取り残され一番遅れた熊野は、本当は一等強いメッセージを世界に向かって発信できる場所だ。』と語っていたそうです。
何かを求め、否、邪心を払いただ無心で大社を目指し古の道を歩いている多くの人々を見ると、もしかすると氏は生前既に今の熊野古道の在り様を看破していたのかもしれません。
古代の“巡礼の道”は、今や人種の違いや洋の東西を問わず、現代人にとっての“浄化の道”なのか・・・。
南紀白浜は確かに遠かったけれど、車で来られることが分かりました。そして、そんな思いを感じながら半ば諦めていた熊野古道を歩いて、熊野三山の内の二社に参拝することも出来ましたし、想像していた以上に感動した熊野古道でした。今回歩いたのはそのホンの一部。でも、そのホンの一部でも十二分にその素晴らしさに触れることが出来たのです。そして、まだ新宮の速玉大社も残っていますし、中辺路では牛馬童子にも是非会いたい・・・。
またいつか、必ず残りの熊野古道を歩きに訪れたいと思います。
二日間で僅か10㎞。“歩いた”とも言えない様な初めての熊野古道でしたが、何となくその魅力の理由を知ることが出来た、そんな幸せな熊野古道の旅でした。
南紀白浜から熊野本宮大社まで車で走り、朝8:50に到着。
この日歩く熊野古道中辺路の発心門王子へのバスの出発時間9:20まで30分近く時間がありましたので、先に本宮大社にお参りを済ませておくことにしました。
説明に従い、その四つの社殿に順番に娘たちの分も含めて祈願し参拝を済ませ、また石段を下って発心門王子へ行くために本宮前のバス停に向かいました。
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因みに拝殿横に八咫烏の像がありましたが、熊野三山においてこの八咫烏は神使とされており、八咫烏は熊野大神に仕える存在として信仰されていて、熊野のシンボルとされているのだそうです。
私たちは朝の内に御本殿の四社には既にお参りしてありましたが、本殿右隣の満山社にはまだお参りして無かったのでここで参拝し、158段の石段を下って、本殿から旧社地の大斎原まで国道を渡り徒歩10分程の距離を歩き、日本一という大鳥居をくぐって、嘗ての熊野本宮大社があった大斎原へ向かうことにしました。
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その大斎原への参道には、中辺路の展望台から見えた高さ34mの日本一大きいという八咫烏を付けた大鳥居が聳えていて(因みに平安神宮の大鳥居は24mで、第3位だそうです)、またこの大斎原こそが、中辺路を歩いて来た参拝者が初めて本宮の姿を目で見て確認し、感動して平伏し拝んだというあの伏拝王子から見える中洲でもあります。
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帰りに熊野川の河原に行くと、広いこの河原を三途の川に見立てて浄土への思いを込めたのか、沢山の石積みがありました。
そこから来る時に立ち寄れなかった産田社にも立ち寄ってお詣り。これで熊野本宮管内の全ての社に参拝をすることが出来ました。
本宮の前に何軒か食堂があり、スープカレーのカフェにも惹かれたのですが、ここはやっぱり和食でしょ!と、手打ちうどんのお店に行くと順番待ちの行列で諦め(ただ、看板には蕎麦は4割と謳ってありましたが、むしろ貴重だった小麦を多くすることが当時のもてなしだった戸隠蕎麦の7割はともかく、6割になると蕎麦というよりむしろうどん“ぽく”なるので、もし4割の蕎麦なら手打ちうどんを選ぶべきでしょう)、他の喫茶店へ。
そこはカレーやナポリタンといった定番の洋食に加え、生姜焼きやから揚げなどの定食類もありましたが、「うどんとめはり寿司のセット」(確か1050円だったか)というメニューがあったので、せっかくここまで来たので二人共郷土料理の「めはり寿司」の入ったこのセットにしました。
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また「めはり寿司」という名称は、「目張り寿司」とも書かれ、これには大きく口を開けて食べることに伴って、自然と目も見開く表情に由来するという説や、大きな握り飯を崩れないように高菜で「目張り」し、完全に包み込むことに由来するという説、更には熊野水軍の見張り番が食べていたから「見張り寿司」が「めはり寿司」となった・・・という説も存在しているのだとか。
和歌山県を代表する郷土食として人気で、新宮や那智勝浦など県内のJR駅での駅弁や南紀白浜空港の空弁としても売られているそうです。
またうどんに関しては、奥さまはこれで十分とのことでしたが、つゆがスープとしては出汁が効いてとても美味しいのですが、うどんと一緒に食べると私メには些か薄味過ぎました。京都のうどんだってもう少し塩味があるけどなぁ・・・と独りぶつぶつ。
一方、めはり寿司は、ご飯は酢飯ではないと思いますが、野沢菜漬け同様に、包んだ高菜は塩漬けも発行が進むと酸っぱくなる様で、少し酸味が感じられ、素朴で美味しかったです。
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前日の大雨が上がって快晴となった5月29日、南紀白浜4日目。今回の旅行の目的でもある、念願の熊野古道を歩くことにしました。
“熊野古道”というのは「熊野三山」と呼ばれる「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の3つの大社へと繋がる参詣道のことを指し、2004年に“世界遺産”に登録されています。
そして、熊野古道には「中辺路」、「伊勢路」、「小辺路」、「紀伊路」、「大辺路」という5つの古道が存在し、その幾つもあるこの熊野詣の参詣道の中で最も多く使われた道が、田辺から紀伊山地に入り熊野本宮大社・熊野速玉(はやたま)大社を通って熊野那智大社に至るルートの「中辺路」(なかへち)です。
紀伊水道に面する田辺から始まり、先ず熊野本宮大社へと向かうこのルート。京の都を出て、淀川を船で下って難波の天満橋辺りで上陸し、今度は海沿いに陸路で紀伊田辺に入り、そこから山中を分け入って行くこの中辺路は、熊野詣が盛んになった平安時代には、後鳥羽天皇や上皇に同行した藤原定家、そして和泉式部も歩んだルートと云われています。
他の古道の伊勢路(いせじ)は、伊勢神宮から熊野三山それぞれの大社へと向かうルート。そして、小辺路(こへち)は、高野山と熊野本宮大社をつなぐ、およそ70kmの参詣道。また紀伊路(きいじ)は、京都の城南宮を起点に大阪府堺市や紀伊田辺を経由して熊野三山へと繋がるルート。そして大辺路(おおへち)は、田辺を海沿いに南下する那智勝浦町経由のルートです。
その中で、世界遺産となった今でも熊野古道の中で一番人気があるのが、平安時代から最も多く使われた“巡礼の道”であり、田辺から熊野本宮大社を経由して行く、今回歩く「中辺路」なのです。
その起点となる田辺市の西側の滝尻王子から熊野本宮大社までがメインの38㎞で、通しで歩く場合は途中の民宿に泊まりながら二泊三日で踏破するのが一般的行程とか。我々の様なワンコ連れは泊まれないので、南紀白浜からの日帰りで、ルートを選びながら二日間中辺路の熊野古道を歩くことにしました。
その場合の候補となるコースは3つ。
一つが、中辺路の起点となる滝尻王子から高原熊野神社までの約4㎞、2時間半程のコース。熊野三山の聖域の始まりである滝尻王子から見晴らしの良い高原まで急坂を上って行くルートとのこと。正に中辺路のスタートです。
二つ目は、熊野古道のシンボル的存在「牛馬童子」の像を途中で見る、牛馬童子口から近露(ちかつゆ)王子に向かうコースで、1.5㎞、1時間の初心者向けコースの由。因みに、その牛と馬にまたがる僧服の石像は、花山法皇の熊野詣の旅姿であるとも云われ、高さ50cmと小さくてかわいい人気の石像なのだそうです(熊野の険しき道は牛に乗り、平坦な道は馬で行けという教えとか。但し作られたのは明治期の由)。
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そして3つ目が、発心門王子から熊野本宮大社に至る、中辺路のクライマックスとも云える7km、3時間のコース。因みに、発心門王子は、五体王子の1つで、ここから先が熊野本宮大社の神域とされています。
それぞれのコースへは先ず白浜からJR紀伊田辺駅に行って、そこから路線バスで向かうのですが、本数はせいぜい1時間に一本あるかどうか。また、例えば3つ目のコースの発心門口までは紀伊田辺駅からはバスを途中乗り継いで2時間半位掛かりそうです。でも熊野古道を歩くなら、何としても本宮大社までは行きたい・・・。また家内は、今回出来れば那智大社と那智の滝にも是非行ってみたいとのこと。そうすると、二日間の内、それぞれの大社を一日ずつ回る前提で各一日を割り充てるしかありません。
そこで、色々調べて検討した結果、バスではなく車で移動することにして、一日目に発心門王子から熊野本宮大社まで。二日目にこれまた熊野古道の中では有名な大門坂から那智大社を経て那智の滝までのコースを歩くことにして、車はそれぞれ本宮大社と大門坂の無料駐車場に停め、スタート地点と各大社との間を路線バスで移動することにしました。
因みに、熊野古道の名を世界に広めることに貢献したという「田辺市熊野ツーリズムビューロー」のH/Pから、各ルートの詳細なウォークマップをダウンロードすることが出来て本当に便利です。我々も事前にプリントアウトして、道中携帯し常に参照しました。
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国道311号線を走り、途中から富田川に沿って次第に山道になりますが、ホテルのフロントで前日、「途中かなりの山道ですが・・・」と言われましたが、“信州人”故山道には慣れています。カーブの続く山道に入ると、交通量も多くはありません。途中、中辺路の文字が現れると熊野古道に来たことを実感します。峠を越えて川の流れが変わり、やがて本宮町に入って今度は熊野川に沿って走ると間も無く熊野本宮大社が見え、1時間10分程で9時前に到着しました。まだ早かったので、10台程しかない鳥居脇の無料駐車場に停めることが出来ましたが、もし一杯の場合は少し離れた熊野川の河川敷の広い駐車スペースに停められるのだそうです。
発心門王子行のバス(交通系ICカードは使えません)までに30分程あったので、時間の有効活用で先に本宮大社にお参りをしてから、「世界遺産熊野本宮館」前のバス停から発心門王子までは、古道を歩けば2時間以上の道のりも、バスでは僅か20分程でした。驚いたことに、乗車した10数人は我々以外の全員が外国人!。しかも欧米人が殆どなのです。以前の中山道馬籠宿から妻籠宿への“Samurai Road”もそうでしたが、こうした日本の古の道に惹かれるのは、今や外国の人たちの方が多いのでしょうか。
そして、我々も含めその乗車していた全員が終点となる発心門王子最寄りのバス停で降りて発心門王子に立ち寄った上で、全員が熊野古道を歩きます。また別の10人程の中国人の団体は貸し切りバスで来ていて、荷物はバスに積んで身軽になって、同様に全員で発心門から歩く様でした。
そうした海外からの皆さんに共通しているのは、ちゃんとトレッキング用の靴やリュック、そして殆どの人が両手にトレッキングポールを持つなど、本格的に歩く格好をしていること。このルートは日頃の登山に比べると標高差が余り無いので我々はポールは持ってきませんでしたが、同様に我々もいつもの登山用のスタイルです。
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バス停に戻り「熊野古道」の書かれた案内板に沿って歩いて行きます。因みに、このバス停横に公共のトイレが在り、道程にはトイレが少ないので注意が必要です。
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「ほら、やっぱりそうだっただろう!」
「もし熊に会ったら、こうすればイイ!」
と私たちに説明してくれるご主人に、奥さまが、
「また、いい加減なこと言って・・・」
「いや、これはバッファローに対峙する時の対応だけど、多分同じ筈・・・」
それをきっかけに話をすると、お二人はオーストラリアからだとか。どうして(日本でもこんな辺鄙な)熊野古道を選んだのか聞くと、
「いや、だって有名だろ!?“ World Heritage ”なんだから!」
と、当たり前のことを聞くな!と言わんばかりの答え。
伏拝王子には休憩所があり、そこで温泉水で淹れたというコーヒー(200円!)と自家製のドーナツを注文して休憩。すると、そこに先程のオーストラリアからのご夫婦も来られ、熊野古道と染め抜かれた藍染めの手拭を手に取って「これは何?」との質問に、ちょうど登山用の手拭を首に巻いていた家内が使い方を説明すると、「じゃあ記念に買うよ!」とお土産に購入するというので、コーヒー代と合わせての値段を説明。地元のオバサンお二人で休憩所を運営されていて、お客さんは殆ど外国人なのに全く英語を話されないのですが、実に逞しい限りでした。
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我々は伏拝(ふしおがみ)王子にお参りして先に歩を進めます。
休憩所から少し階段を上った高台に在る伏拝王子は、嘗ては古道を何日も掛けて歩いて来て、ここで初めて本宮大社の旧社の場所が望めた場所で、その感激に平伏し拝んだことから名付けられたのだそうです。伏拝王子への階段脇には、道中二ヶ所目の清楚なササユリが咲いていて、現代の巡礼の旅人を癒してくれるかの様でした。
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那智大社からの小辺路との合流点には、その名の通り三軒の茶店があったという三軒茶屋跡と、昔は熊野詣の参拝者から通行税を徴収したという九鬼ヶ口関所跡が在り、今は休憩所とトイレが置かれていました。そこからまた少し登り道になり、ここにも昨日の雨の影響でかなりぬかるんで至る所に水溜まりが出来ていて、スニーカーではなく、ちゃんと防水のトレッキングシューズで来て正解でした。
途中石段の古道などを歩いて行くと「ちょっと寄り道展望台」の表示があり、せっかくなので少し回り道をして寄ってみることにしました。
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ここからは本宮大社ももう直ぐです。石畳の道が終わると、集落の中を通り、石の階段を下って祓殿王子を過ぎると、もう大社はすぐそこです。
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