カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 大塚家具新宿店で家具を購入し、サポートいただいたスタッフの方に見送られて店を出たのが午後1時。「お腹空いたね」とランチへ。行ったのは、新宿駅南口からすぐ、「新宿サザンテラス」にある「ティム・ホー・ワン(添好運)」。ミシュラン一つ星を獲得した香港の飲茶専門店の由。
店が在ったのは、確か以前は一時期話題となった「クリスピードーナッツ」が在った建物。
平日の1時過ぎでしたが、順番待ちの行列。ただ週末はこんなものではないらしく、確かに10分ほど待って案内され座ることが出来ました。「ティム・ホー・ワン」は日比谷にも店が在って、そちらに家内と長女は行ったことがあるとのこと。

 シンガポールでも良く行った飲茶、というか、現地ではDim Sum(点心)と言っていました。当時の一番人気は、グッドウッドパークホテルの広東料理店だった様な気がします(今のホテル内のレストランでは無い様な・・・?)。シンガポールは世界中の様々な「食」が楽しめる場所ではあるのですが、中華料理は何と言っても香港の有名店の出店というのが売りでした。今でもあるかどうか分かりませんが、当時はレイガーデンが一番人気で、他にはクリスタルジェイドや福臨門、シャンパレスといった、ホテル内の中華料理店が有名でした。
 待っている間に、写真付きのメニュー表とオーダー表を渡され、席に着く前に決めることが出来ます。
選んだのは、海老の蒸餃子、シュウマイ、ベイクドチャーシューバオ、大根餅、海老の湯葉春巻き、ナスの海老団子揚げ、季節の温菜の7品です。
こちらの点心はどれも味付けがされているので、何も付けないでそのままお召し上がりくださいとのこと。ただ個人的には、シンガポール風に醤油とグリーンチリ(青唐の酢漬け)が欲しいところですが・・・。
蒸餃子やシュウマイ、湯葉包、大根餅など点心の定番メニューは、どれも懐かしい本場の味です。チャーシューバオは、日本的な肉まんと違って甘味を抑え八角が効かせてあり、本場の味付け。そして個人的に一番美味しかったのは、季節の温菜として出されたベビー・カイランのオイスター炒めでした。ブロッコリーの新芽の様なカイラン(芥藍菜)はチリ・カンコン(空心菜のチリソース炒め)と共に、懐かしいシンガポールの味です。
そう云えば、帰任後、シンガポール料理が懐かしくて、漸く東京で見つけたシンガポール料理店(第173話の「海南鶏飯」店参照)で、「チリカンコン」と話していたら、店長さんが「シンガポールにいらしたんですか?」と聞かれたこともありました。
「ティム・ホー・ワン」のカイランも、炒め加減と味付けが絶妙でとても美味しかったです。「季節の・・・」とあるので、季節毎に旬の野菜を選んでいるのでしょう。カイランは未だ地元では見たことがありませんが、豆芽(トウミャオ)は日本でも一般的になりましたし、空心菜も時々並んでいるので、カイランもその内日本でもポピュラーになるかもしれません。
余談ですが、他のテーブルへの配膳で一瞬懐かしい匂いが漂ったのはタイ米の香。多分、こちらの店では粥などにちゃんとインディカ米を使っているのでしょう。
 最後に、テーブルに在った季節限定という「魚肉譲豆腐」(豆腐と魚のすり身団子乗せ)を追加オーダー。これまた懐かしのフィッシュボールを連想したのですが、豆腐が使われているので予想以上にフワフワで上品な味でした。
これでお腹も一杯になり満足、満足。一人3000円ちょっとだったそうですので、まずまずリーズナブルと言えるのではないでしょうか。
 「イイなぁ~、東京は!何でもあるんだものね・・・。」
今回は日帰り故無理ですが、またシンガポール料理が無性に食べたくなりました。

 奥さまが飛騨家具を見たいとの仰せ。現物を見ないと、ネットのカタログでは分からないとのこと。そこで、11月末に日帰りで飛騨高山に行ってきました。

 安房トンネルが開いた今は、峠を上り下りした昔に比べれば遥かに楽になりました。昔は冬場の安房越えなど考えられなかったのですが、トンネル開通後は、安房トンネルを経由して松本から中央道で首都圏に向かう飛騨ナンバーの車を通年で見掛ける様になりました。
とはいえ、北アルプス(と言うより、ここはむしろ飛騨山脈でしょうか)越えの山岳路ですし、しかも数日前に松本は平地でもみぞれ気味の天気で、山は勿論降雪。真っ白くなって、一気に冬山の様相です。しかしFFの普通車は12月上旬にタイヤ交換する予定で、まだノーマル。たまたま軽のスタッドレスがそろそろ寿命で新品に買い替え時期で、購入先からは新品タイヤは200㎞前後走らないと表面のカバーしている膜が剥がれないので効きが弱いため、むしろ混む12月ではなく11月に履き替えておいた方が良い旨のアドバイスがあり、中旬にスタッドレスに替えてありました。そのため、今回は四駆とはいえ軽自動車での飛騨高山行となりました。

 沢渡を過ぎると山肌に雪が目立ち始めました。中の湯から先の上高地は冬季閉鎖中。ここから高山方面へ左折。更に勾配が急になると所々道路にも圧雪が。やはりスタッドレスで正解でした。5㎞近い安房トンネルを抜けると道路は更にずっと圧雪状態になり、長野県側よりも勾配とカーブは多少緩やかになるものの、先頭車両がノーマルなのか、ゆっくりゆっくり30㎞以下の低速で後について下って行きました。

 最初の目的地は、高山ではなく飛騨市にある家具屋さん。その後、高山市内にある一番大きなメーカーのショールームと隣接するアウトレット店舗も見学し、実物を見て奥さまのイメージも大分固まった由。
今回は観光ではありませんし、高山市内は何度か観光で廻っているので、今回は途中どこかで昼食を食べてからそのまま松本へ戻ることにしました。

 飛騨高山といえば、高山ラーメンが有名。市内に幾つも有名店がある様ですが駐車場が無いので、松本への国道158号線沿いの駐車場のある郊外店に立ち寄ることにして走ると、土産物店に食堂が併設されたドライブインの様な店舗があったのでそちらへ。『麺屋 惣市』とありましたが、どうやら「惣市」という会社の経営するドライブインの中のラーメン屋さんのようでした。
高山ラーメンと言えば醤油ですので、私メは中華そばの大盛り(800円)を。メニュー紹介では『伝統ある飛騨の醤油を主役にした無化調中華そば。飛騨の醤油をベースに5種類の醤油をブレンドし、魚介出汁と合わせることで華やかな芳酵のスープに仕上がっています。』とのこと。
奥さまは珍しく、「味噌ラーメン」(880円)をチョイス。同様に『高山市丹生川町の「にゅうかわ糀味噌研究会」が地元の食材だけで作った高級味噌「乗鞍こうじ味噌」を使用した味噌らーめん』とのこと。
中華そばは高山ラーメンらしい細打ちのちぢれ麺で、スープは煮干しが効いていましたが割とあっさり。飛び抜けてというよりは、極々普通の醤油ラーメンです。ただチャーシューが些か薄過ぎるのではないかなぁ・・・。
一方の味噌ラーメンはかなり甘めのスープでした。
国道に戻ると、すぐ横に「板蔵ラーメン」と書いたもっと大きなドライブインの様なラーメン専門店がありました。もしかすると、こちらの方が良かったかもしれませんが、後の祭り・・・。
あまりラーメンを好まぬ奥さま曰く、何年か分のラーメンを食べた気がするとのこと。ま、たまにはイイでしょう。
腹ごしらえも済んだので、ワンコたちの待つ松本へノンストップで帰ることにしました。

 余談ですが、今回高山を往復してみて気になったのは、松本と飛騨地方を結ぶ予定の中部縦貫道。安房トンネルは先行して開通し、その便利さを享受しているのですが、全体の工事はまだまだこれから。特に長野県側は漸く波田付近で工事が始まったばかりですが、岐阜県側ではあちこちで中部縦貫道の工事が行われているのが目に付きました。一体この差はどこから来るのでしょうか。政治力か、或いは特に長野県側の急峻な地形の北アルプスを貫く工事の難しさか・・・。山を挟んでの進捗差を目の当たりにして、些か考えさせられました。

 松本市の郊外、神田に在る“信州松本の洋食屋さん”というキャッチフレーズの「ベル・リヴィエール」。お店のH/Pの紹介をそのままお借りすると、
『フランス語で“美しい川”という意味の当店「ベル・リヴィエール」は、平成3(1991)年4月28日(日曜日)松本市筑摩の薄川沿いにて創業開店しこのたび創業年の節目を迎えました。』
とのこと。

 今のレストランの在る場所は、薄川ではなく、神田の千鹿頭池の道路を挟んだ反対側になりますので、さしずめ今は川ではなく“美しい池”でしょうか。
余談ながら、お店の場所の千鹿頭(チカトウ)というのは不思議な名前ですが、池の背後の小高い丘が千鹿頭山。全体が公園になっていて、横に在る池が千鹿頭池で、かなり大きな灌漑用の溜池です。
千鹿頭山には小学校の時に遠足で来たことがありますが、中腹には千鹿頭神社があって、御柱祭りが行われていることから諏訪大社系列であることが分かります。因みにWikipedia に依ると、地名の由来となった祭神である千鹿頭神は、
『諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)においては洩矢神の御子神、孫神、あるいはその異名とされる。名前は守宅神が鹿狩りをした時に1,000頭の鹿を捕獲したことから由来するといわれている。』
とのこと。洩矢(モレヤ)神というのは、ミシャクジ信仰(第987話参照)との関連も指摘される古代諏訪地方の土着神で、要するに、洩矢神の孫にあたり諏訪大社の大祝(神長官)である守矢家(出雲の神長官である千家氏に次ぐ、日本で3番目に古いと云われる78代に亘る家系。因みに一番古いのは天皇家)の3代目が千鹿頭神とされます。
 10月中旬の土曜日。長野県内も徐々に人通りが戻り始めていることから、週末だったこともあり、念のために予約をしてランチに伺いました。
「ベル・リヴィエール」は、店の玄関付近と、道路を挟んだ対面の千鹿頭神社の鳥居前の駐車場も駐車可能で、両方とも満車に近いくらいに車が停まっていました。週末とはいえ、予想以上の人気店の様です。
建物は、何となくフランスやイタリア、或いはスイスの片田舎に在る様なお洒落なレストランといった雰囲気。
店内は外観からの想像以上に広く、テーブル席やL字型のカウンター席、個室風にスクリーン等で仕切られたスペースなど、優に40席はありそうです。
我々は予約した12時半に着いたのですが、その日の日替わりランチ(800円とのこと)は既に終了の由。この日は平日ではなく土曜日なのですが、ランチの客層はどうやらご婦人方のグループが中心という感じでしょうか。
 我々のオーダーは、ランチメニューの中から、私メは最初からのお目当てだった「チキン生姜焼き」。というのも、それが「チキンクレスト」で人気メニューだったチキンソテーの味を継承しているメニューとのことだからです。そして、二人共同じメニューだと芸が無いので、奥さまは同じソースを使う「ミックスグリル」のそれぞれランチセット(税抜き各1800円)をチョイス。
セットメニューの最初に、オードブルとサラダで、この日はジャガイモのニョッキとのこと。食べ終わると、その食器を下げてから、続いてスープです。
チキンコンソメ味のスープは澄んだコンソメ。家内曰く、サラダのドレッシングもスープもチキンクレスト風の懐かしい味だとか。個人的な記憶では、スープはもう少し色も味も濃かった様な気がしますが、確かにその系統であることは間違い無い気がしました。
そして、メインディッシュと我々のチョイスしたパン。
ソテーは、それぞれ熱々の鉄板のステーキ皿で運ばれて来ます。チキンの生姜焼きは、「チキンクレスト」では確か鶏もも肉一枚だったと思いましたが、こちらは一口大にカットされた鶏もも肉とピーマンとナスが添えられています。家内のミックスグリルは、ポーク、海老、自家製ソーセージで、味付けは同じ生姜焼きソースです。
先ずはチキンから。あぁ、確かにこの味は「チキンクレスト」です。間違いありません。イヤ懐かしい・・・。
食べ終わって、プチデザートとコーヒーの前に、マダムがテーブルクロス上のパンくずを掃除してくださっている時に、思わず、
 「本当に懐かしい、あのチキンクレストの味でした!」
とお伝えすると、奥さまがこれまでの経過を話してくださり、「チキンクレスト」では“雇われ料理長”だったので独立後も遠慮していたが、「ベル・リヴィエール」になって今年で30年も経ったので、「もうイイか」と思ってメニュー紹介に「チキンクレスト」と記載させてもらったとのこと。
 「“雇われ”だったので自由は無かったけど、この店の原点でもある“チキンクレスト時代”が自分たちも懐かしいんですヨ!」
 食後のコーヒーとプチデザートを楽しんでいると、わざわざオーナーシェフ(チーフは二代目の方が継がれていますが、今でも現役で毎日厨房に立たれて調理をされているそうです)が挨拶に来てくださいました。
当時の思い出話に花が咲く中で、家内の舌の記憶通り、コンソメスープも当時のレシピそのままだとのことで、「良く覚えていてくださいました!」と逆に喜んでくださいました。
 シェフを始めお店のスタッフの皆さんにも見送られて店を出ると、対面の千鹿頭神社の鳥居の脇の池の縁に花を付けている植木が目に付きました。行ってみると・・・寒桜・・・でした。
彼岸過ぎの季節外れの暑さも、10月も中旬になって漸く秋めいて来たこの頃。寒桜ですので、秋から冬に掛けての寒い時期に咲くのが当前なのでしょうが、“桜と云えば春”という認識が住み着いている“固い頭”の中で、この時期に見る“季節外れ”の桜が、まるで40年前の若かった時代にタイムスリップした様なこの日の“チキンクレスト”の味の記憶にナントモ相応しく、まるでその戻った時間を表している様に錯覚させてくれて、暫し“懐かしい”味の記憶と共に季節外れの桜を愛でていました。

 ごちそうさまでした!今度は、40年前の“チキンクレスト”ではなく、今の「ベル・リヴィエール」の味を食べに、また来ます。

 先日、たまたま小松プラザの前を家内と車で通った時に、そこに入っていたトンカツの名店「とんこ」がコロナ禍の影響か閉店して別の店が入っているのを見て、そこで何となくお互いに思い出したのが、
 「そういえば昔チキンクレストがあって、良く食べに行ったよネ!美味しかったのになぁ・・・」
ということでした。
「小松プラザ」の運営が小松養鶏場だからこそ、自社で運営する鶏料理メインのレストランに安く鶏肉が提供出来たにせよ、味そのものも甘辛い醬油ベースの味付けのチキンソテーが実に美味しかった記憶があります。
この場所での養鶏業そのものの継続が(鶏糞の悪臭や鶏の鳴き声での騒音が、この文教地区の住宅地では)難しかったからかもしれませんが、直営のレストランはきっと今あっても絶対に繁盛店だった筈なのに実に勿体無い気がします。
 「あんなに美味しかったんだから、もしかしたらどこかでやってるかもしれないネ!?」

 40年ほど前だったか、深志高校の上の道路沿いの桐の信大の付属小中学校近くにあった小松養鶏場(その後移転)。その養鶏場が今でも所有している、「小松プラザ」内のレストラン「チキンクレスト」。他にもテナント(今もある中華の「麗山」やチキンクレストの後に入ったカレーの「メーヤウ」などの人気店も)が全部で5店舗程入っていたのですが、その中の一つが親企業の養鶏事業を活かしたのであろう、恐らく直営店の鶏料理店?(ステーキハウス)が「チキンクレスト」でした。
その看板メニューだったチキンソテーが美味しくて、しかも安くて、今から40年以上も前ですが何度も家内と(結婚前から)通ったものです。その後我々が諏訪に転勤し、更に7年間海外に赴任して帰国したら、いつの間にかそのレストランは無くなっていて、その場所は先述のエスニックカレーの「メーヤウ」桐店に変わっていたのです。
 そんな思い出話に「チキンクレスト」が無性に懐かしくなり、もしかするとどこかに移転しているかもしれないと思い、そこで、まさかネ・・・と然程期待せずに「チキンクレスト」で検索してみたら・・・それが、あったのです。以下、ネットで見つけた記事。
『数日前のランチ、「もしかしてチキンクレストの方ですか??」と、ご年配のご夫婦に問いかけられました。
25年も前に父(当店オーナー)が任されていた桐のステーキハウスです。
 「どちらへ行かれたのかと思っていたのですが・・こちらが美味しいと知人に教えてもらい、今日伺いました!こちらにおられましたか!!」
と嬉しいお言葉を!!
25年以上たつというのに、覚えていて下さる方がいて感謝ばかりです』

 その店は、松本の郊外の神田地籍、千鹿頭山のすぐ近くに在る「ベル・リヴェール」という、フレンチレストランのH/Pに掲載されていたブログ記事だったのです。その店は地元では美味しいと評判の少々高級店で、我々も名前は聞いたことがあり、何年か前の「松本歴史ウォーク」に参加した際の弘法山から林城址に至る途中、千鹿頭山から広沢寺経由で行った道沿いに店舗を発見し、「ベル・リヴィエールってここなんだ!」と初めてその場所を確認していました。
ただそこは自宅からは松本の市街地を挟んだ対角線の反対側の場所故、わざわざそこまで行かずとも他に評判の良いフレンチやビストロが近くの蟻ヶ崎界隈や街中に幾つもあるので、これまで一度も行ったことはありませんでした。

 ブログ記事から推測するに、やはり養鶏場所有の店の雇われシェフとして当時は厨房を任されていて、その後オーナーシェフとして独立し、こちらにご自身の店を開かれたようです。
メニュー内容も値段も当時の「チキンクレスト」とは全く異なりますが、唯一ランチメニューの「チキン生姜焼き」(スープやサラダ、プチデザートやコーヒーなども付いて1800円)は、店のH/Pのメニュー紹介曰く、
 『松本市桐にあった「チキンクレスト」で人気メニューだったチキン生姜焼きの味を今でも継承。50年近く支持され続けている味』
とのこと。
そこで、懐かしさのあまり、後日家内と二人で早速ランチに伺ってみることにしました。

 10月6日のBS11「太田和彦の居酒屋百選」で、久し振りに松本が登場していました。以前、同「ふらり旅」の中で「松本」が取り上げられて以来(第776話参照)だと思ったのですが、今回紹介された店は2017年に太田和彦氏が紹介して以来とのことでしたので、どうやら私メはその回を見逃していたようです。

 高校の大先輩である太田和彦氏は、本来はグラフィックデザイナーですが、趣味が高じ“居酒屋評論家”として、「いい酒、いい人、いい肴」をモットーに良い居酒屋を日本全国探し求め、その著書数知れず。中でも「居酒屋放浪記」全3冊は(飲兵衛としての)我がバイブルですし、同様に「居酒屋百名山」も登山の「日本百名山」同様に、この本を片手に全国の名居酒屋を訪ね歩く飲兵衛も多いとか・・・(羨ましい限り)。
そんな太田和彦氏が最初に故郷松本を取り上げたのが、「居酒屋放浪記」の「立志編」での「塩イカに望郷募り」でした(第505話参照)。
 北陸で長野県専用に加工された塩イカが、信州では街中のスーパーにも家庭の常備食の食材として並んでいます。そのままでは塩辛くてとても食べられたモノではありませんので、塩抜きをしないといけません。食べて多少塩気が感じられるように塩抜きするのがコツ(そのためか、今では「塩抜き済み」と表示された“塩イカ”まで販売されています)で、刻んだキュウリと醤油で和えるだけの素朴な料理(とは言えない程のレシピ)なのですが、昔の(各家庭で行われた)冠婚葬祭には必ず用意された一品です。
子供心には然程美味しいと思った記憶は無いのですが、母の実家で当時大学生だった新宅の叔父が帰省していて、母と叔母から何が食べたいか聞かれ、塩イカと即答していたのが妙に記憶に残っています。そんな叔父や大田和彦氏ではありませんが、自分も大学生になって信州から離れてみると、帰省しないと食べられない郷土食こそ懐かしいと感じる気持ちが理解できるようになりました。
ただ私メは、帰省すると必ず飴色に漬かった祖母の野沢菜漬けを、食事と“お茶”の時に毎度一人で一把全部食べてしまい、祖母が呆れて(胃を)心配するくらいでしたが、塩イカをリクエストしたことは一度も無かった気がします。

 今でも「塩イカ」は松本の居酒屋だけではなく、例えば蕎麦屋の「みよた」でも酒の肴の一品として食べることが出来るのですが、塩イカもキュウリもその切り方が違うんですね、これが!どちらも細切りになっているのですが、本来の塩イカはイカもキュウリも丸く薄切りにしないと・・・。

 番組中に、コロナ禍で飲みに行けないのでリモートで高校の先輩という松本の馴染みの店(家庭料理「あや菜」)の女将さんと若女将と会話した後で、その松本のお店から送ってもらったという塩イカをご自分で調理された太田さん。先程言ったように塩イカを塩抜きし、ちゃんと丸く切って(割いて)、キュウリも丸く薄切りしてから(氏は更に塩もみをして)醤油を掛けて食べていました。
お見事!さすがは正統派の塩イカと感心した次第です。

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