カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 奥さまが、「何となくカツカレーが食べたーい!」との仰せ。
これまでも家で日本的なカレーを作った際は、時々スーパーの総菜売り場のロースカツを買って来てカツカレーにして食べていましたが、今回はどこか外の食堂で食べたいとのこと。
個人的に、日本人の“国民食”とも云われるカレーは、味噌汁や漬物、煮物(の味付け)などと同様に家庭料理の代表格で、ポークでもチキンでもビーフでもなく(例えそれがちくわであったとしても)、ましてや旨い不味いでも辛い甘いでも、はたまた濃い薄いでもない、それぞれがその家庭の味。従って、カレーをどこかの食堂など「外食で食べる」という選択肢はこれまで私にはありませんでした(仮に、もし何も選ぶモノが無い食堂があったとしたら、その時には一番無難なカレーを選ぶかもしれませんが・・・)。
片やシンガポールで大好物だった(北)インド料理は、そうしたある意味“日本式”のカレーとは全くの別物。ですので、カレーでは無く飽くまで“インドカリー”なのです(本来は具材やスパイスの違いにより、○○マサラ・・・云々で、〇〇カリーとも言わないのでしょうが、シンガポールでもメニュー表に英語で書かれた○○マサラという名称を見ても聞いても分からないので、フロアスタッフのインド人のおじさんに、プロウン、マトン、ベジタブルなどその日食べたい具材と辛さを伝え、後は全部お任せで注文していました。出張したバンガロールやムンバイでも毎日インド料理を食べましたが、シンガポールのその馴染み店の方が遥かに美味しかったです。あぁ、今は無き「モティ・マハール」。決して高級店ではなかったのですが、本当に旨かった!しかも安くて、自腹で接待しなくてはいけない時は、シンガポールではコスパの良いインド料理かベトナム料理が選択肢でしたので、出張者も時々連れて行きましたが、極端に言うと場末の店風だったので、半分は感激し半分は「こんな店に連れてきて!」と怒っていました。確かに赴任者も含め、日本人客はあまりおらず客層は欧米人が殆どでした)。

 閑話休題。そこで、松本市内の飲食店を調べてみた結果(勿論、松本にもココ壱番屋といったカレーチェーン店もあるのですが)、“町の食堂”や“町の洋食屋さん”が「カツカレー」の対象となる感じの中で、我々が選んだのは日の出町のイオンモールの対面にある「キッチン南海」でした。
この「キッチン南海」は、有名な東京神田神保町(じんぼうちょう)の本店で2年間修業したというマスターが地元に戻り、暖簾分けをしてもらう形で昭和50年(1975年)に創業したカレーとトンカツの専門店です。
昭和50年というと、私メの高校卒業年ですので、高校時代に私が食べたカレー店の今は無き「たくま」や「デリー」といった松本のカレー専門店よりも新しく、私はこれまで名前は聞いていても食べに行ったことはありませんでした。
こちらのマスターは神田の本店の親族ということで、都内中心に数ある暖簾分けのお店の中で関東圏以外では唯一のお店だそうで、お店を彩る緑色は神保町・本店の創業者が当時のプロ野球球団「南海ホークス」のファンであったことに由来するのだとか。因みに神田神保町の本店は1966年に創業し、2020年6月に店舗の老朽化により惜しまれつつ閉店。しかし、20年以上本店で料理長を務めた方が二年前に本店のあった場所から数分歩いた所に「キッチン南海 神保町店」を再開し、現在も切り盛りされているそうです。そして、この料理長さんはナント松本市のご出身だそうですので、余程「キッチン南海」は松本市に縁があるんですね。
「キッチン南海 松本」は、L字型に配置されたカウンターに7席と4人がけのテーブルが5卓あり、すべての座席を合わせると27席。オープンキッチンでご主人が黙々と調理をされ、片やホールでは元気の良い女将さんがテキパキと動き回っていらっしゃいます。驚くべきは、女将さんの記憶力の素晴らしさ。注文票は無く、20数人分のオーダーを一切メモも取らず、客に「〇〇でしたっけ?」などと確認することも無く、ご自身の記憶力だけで配膳と精算をされています。逆に“ボケる”暇も無いくらい忙しいのでしょう。それにしても拍手を送りたくなる程で、「お見事!」の一言に尽きます。
我々は、イオンシネマで朝一からの映画「Dr.コトー診療所」を見た後、11時40過ぎに入店。もう食べ終わった方がおられたようで、ちょうど空いたテーブルを片付けていただいて、すぐに座ることが出来ました。その後も続々とお客さんが来られ、了承を得ての相席になるテーブルもあるなど常に満席状態で、人気の程が伺えます。
 キッチン南海は勿論カレーが有名なのですが、カレー以外にもトンカツやビフカツ、エビフライ、更には生姜焼きといった定食類もあり、“町の洋食屋さん”といった感じで、実際“たまには・・・”といった感じで、カレー以外の定食を注文される常連さんと思しきお客さんもおられます。
しかし我々は、私メが王道のカツカレー(850円)で奥さまはロースカツカレー(1100円)を選択。有難いことにカツカレーにもサービスで豚汁が付いて来ます。
カツカレーに載っているトンカツは、普通の数センチ巾での縦だけではなく横半分にもカットされていて、一切れが一口大で実に食べ易い。カツカレーのトンカツは薄めのトンカツなのですが、これが驚く程柔らかい。お互いにシェアしましたが、ロースカツは普通のカツの3倍以上の厚さ。カレー皿に長野県産のコシヒカリのご飯と千切りキャベツにカツが載せられてカレーが掛けられているのですが、カレーの量がたっぷり。福神漬けも添えられていて、足りなければテーブルに瓶に入った福神漬けが置かれていますし(ラッキョウ漬けは残念ながらカウンターにしかありませんでした)、カツ用に必要なら辛子の小瓶も置いてあります。
カレーのご飯が想像以上に多かったのですが、たっぷりのカレーのおかげで最後のワンスプーンまでしっかりカレーと一緒に食べることが出来ました。家内は全部ご飯を食べきれず、「最初からご飯を小盛にして貰えば無駄にならずに良かったのに」と反省しきり。
カレーの味は、ターメリックかガラムマサラか、個人的には何かのスパイスが足りない感じがしましたが、これは普段家庭のカレーが昔からジャワカレーとバーモントカレー(若しくはディナーカレー)のブレンドなので、その“標準的な味”に慣れ過ぎているのかもしれません。ただ、神保町のカレーはかなり黒っぽかった筈ですが、松本はそれとも違う感じでした。
サービスの豚汁は、豚肉が入ったお味噌汁といった感じで、野菜が実に具沢山。家内ではありませんが、これだけでお腹が一杯になりそうです。
 久しぶりに外食で食べたカツカレー。美味しくて十分に満足ではありましたが、やっぱりカレーは自分の舌の記憶が強過ぎるのか、日本的なカレーとは違う料理であるインドカリーは別として、結局慣れ親しんだ自分の家庭の味が一番なのだろうと感じた次第です。

 せっかくの全国旅行支援なので・・・ということで、11月末に、大混雑の京都を避けて“国のまほろば”奈良へ行くという長女に付いて行ってきました。そして、これまた「せっかくなので・・・」というお義母さんの希望で、12月に入ってから家内が一緒に二泊予定で松本の旅館「翔峰」へ。
義母は足が弱くなってしまったので、遠出は無理。そこで近間の美ヶ原温泉にしたのですが、この「翔峰」はアルピコ(旧松本電鉄)系列の宿泊施設で、オランダ人女性が女将さんに抜擢されて、全国的にも話題にもなりました。一泊二食付きですので、昼食はついていません。そこで、お昼に旅行支援キャンパーンの一環で戴ける観光クーポンを使って、お蕎麦が食べたいとのこと。しかも、せっかくなので旅館内や里山辺(美ヶ原温泉)ではなく、どこか松本市内の蕎麦店でとの希望の由。
 そのため、私メもお昼だけ一緒にお相伴に与(あずか)ることになりました。市内であれば義弟の営むお蕎麦屋さんがあるのですが、母や叔母がまさしくそうなのですが、麺類を除く小麦粉消費全国一という長野県の特に戦前生まれの信州人が希望する様に「蕎麦には必ず天婦羅が付かないとダメ!」なのです。長野県は山国で油分が摂り難かったことが背景の様ですが(第137話参照)、山国で魚介類は無くても、野菜でもキノコでも何でも天婦羅にさえすれば立派な“お御馳走”(信州弁では“おごっそ”と言います)なのです。従って、蕎麦には天麩羅がマストなので、天婦羅の無い義弟の店を始め、そうした蕎麦店は除外。そこで、ネット検索をして、メニューに天婦羅や天ざるがありそうな店を検出し、その中から選んだのは、市街地で近いということもあって、本町通の「そば切りみよ田」。前回、長野駅ビル内の「そば処みよた」(第1775話)は長野市に本社のある日穀製粉の直営店で、松本店も日穀製粉が南松本に工場があることから、以前は同じく直営店だったのですが、その後王滝グループが経営権を取得して名前はそのままで経営している店。パルコ近くに支店も出すなどして、今では観光客の方々に人気の行列店になり、昔より質を落とした(つなぎを増やした)長野の「みよた」より蕎麦の質は遥かに上だと思います。
お酒の肴向けの一品もあって、昼だけ営業の蕎麦屋が多い(昼だけで十分経営可能ということなのでしょう)中では貴重な店で、手打ちそばに加えて県外からの方々が喜びそうな馬刺しや塩イカ(本来とはちょっとレシピが違うのですが)といった郷土食もあります。更には、奈川名物のとうじそば(投汁蕎麦)も松本で食べられる数少ない蕎麦店でもあります。

 さて、開店時間を少し過ぎていたこともあって、着いた時は平日とはいえ既に順番待ち。さすがに人気店です。幸い外に順番待ち用の椅子が出ていたので、足の悪い義母には救い。
20分ちょっと待って入店。我々は二巡目ということですが、蕎麦は他の食事に比べて回転が速いのが(特に熱くないザルなら一層)助かります。せっかちで気の短い江戸っ子に好まれたというのもむべなる哉・・・です。
 注文は、お義母さんが案の定で天婦羅そば、家内が鴨つけそば、私メがさるの大盛り。天婦羅は冷たい天ざると温かい汁蕎麦(かけ)とお皿に別盛りの天婦羅の二種類がありました(別に汁蕎麦に載せた掻き揚げそばもあり)。
小木曽製粉を始め、自社で製粉工場を持つ王滝グループの蕎麦は、御岳の裾野の文字通り王滝村の開田高原を始めとする地元産の蕎麦粉の筈で、二八のそばは細打ちでコシがあり、結構私の好みでしたが、やはり新そばの香りは無く、また更科ではなく田舎風の蕎麦であっても、新そばの時期はやや緑がかって見える筈なのに、今年の新そばは何処で食べても香りもですが色も新そばらしい感じが全くありません。
もしかすると、自分の記憶違いか、或いは個人の(加齢に伴う?)味覚の衰えか、はたまたその年々の栽培環境の違いか、更には温暖化の影響か・・・理由、原因は定かではありませんが、今年の新そば巡りは残念ながらここで諦め、終了することにします。

 前話でご報告した通り、昔からの信州の“そば処”である美麻新行地区。
昔の記憶では、松本から旧美麻村に行くには、白馬方面へのスキーでいつも通る国道148号線の木崎湖畔の海ノ口から入って行く道しか知らなかったのですが、NAVIの指示に従って、長野冬季五輪でメイン会場の長野市とスキーとジャンプ会場となった白馬村とのアクセス改善のために改善整備された所謂“オリンピック道路”の一つ県道31号線を使って、大町市街地の山岳博物館近くを過ぎて北大町から県道にアクセスすればすぐでした。
 「あっ、美麻ってこんなに近かったんだ・・・!」。
この道沿いに、NHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地の「中山高原」があります。春は黄色い菜の花、夏は真っ白な蕎麦の花が高原の丘陵一面に咲きドラマの中でも紹介されて有名になり、ロケで使われた水車小屋だったかのセットも残されていて、一躍人気の観光地となりました。
この中山高原は、元々旧大町スキー場だった場所なのだそうです。道理で朝ドラのロケで知るまで、「中山高原」という名前を聞いたことも無かった筈です。その大町スキー場は昭和初期には既にスキー場として開発されたそうで、戦後のスキーブームを受けてこの新行地区の農家はスキー客受け入れの民宿を営んでいて、その民宿のお客さんに提供していた食事が蕎麦だったのだとか。最盛期には実に18軒もの民宿があったそうで、夏は大学生の合宿などで賑わったのだとか。確かに、私も学生時代の合唱団の夏合宿は同じ大北地域である栂池高原の民宿でした。
しかし、スキーブームが去り、また温暖化に因る雪不足で大町スキー場は閉鎖。そのため、新行地区の民宿は廃業せざるを得ず、その内の4軒が宿泊客の食事で蕎麦を振舞っていたことから、蕎麦屋を始めたのだそうです。
元々新行地区は900mという標高の高い地域で、且つ火山灰土の痩せた土地だったために稲作には余り適さず、蕎麦の栽培に適していた土地。そのため、今では“そば処”として知られるこの新行や、同じ中信地域の奈川や唐沢集落などの地域は、どこも嫁入り修行の一つとして、蕎麦打ちは嫁いだお母さんたちの生活のための必須条件でした。そう云えば、松本の人気蕎麦店となった「野麦」。現在は二代目となって、観光客相手の行列店ですが、昔はお婆さんが一人ひっそりと蕎麦を打っていましたが、店名からしてご出身は旧奈川村だったのでしょうか。他にも松本の市街地に「野麦路」という蕎麦屋もあります。因みに、そうした“そば処”程ではありませんが、松本の岡田で生まれ育った私の祖母も、蕎麦は不揃いで短かったとはいえ、自分で黒い“田舎蕎麦”や“おざざ”と呼ぶうどんを打っていました。

 因みに「科野」と呼ばれていた奈良時代、信濃の国は朝廷への税として麻が納められるなど、「信濃布」と呼ばれた麻の産地で、この美麻や麻績という地名はその名残でもあるのですが、会社員時代に美麻出身の部下が職場に居て、平成の合併で美麻村が大町市との合併を選んだ時に、
 「地名だって文化財なんだから、美麻なんていう、それこそ文字通り美しくて歴史ある名前が消えちゃうのは何とも勿体無い!」
と、住む人たちの事情も知らずに憤慨して話したことがあったのですが、当時村会議員をされていたという彼のお父上のお話として、地元でも賛否両論あったのだと聞きました。
勿論、その地に住む方々の住民サービス向上は重要ですし、住民でもない赤の他人が「あぁでもない、こうでもない」と言う必要は全く無いのかもしれません。しかし、以前旧中山道の鳥居峠を歩いた時に、合併せずに自立を選んだ藪原(木祖村)と片や塩尻市と合併した奈良井(漆器の平沢とで旧楢川村)と、鳥居峠を挟んで、旧街道の道そのものだけではなく、標識や休憩所などの整備の余りの差に愕然としたこと(第1353話)を思い出すと、果たして住む人たちにとって一体どちらが良かったのか正直良く分からなくなります。

 さて、前回食べられなかった美麻新行地区の「山品」。お店には平日の水曜日で12時半前に着いたにも拘らず、既にその日打った蕎麦が足りなくなりそうなので受付終了とのことで、全くの徒労に終わりました。
そこで、人間ダメと言われれば余計食べたくなるのが道理で、(奥さまの強い決意もあって)リベンジで翌週また行くことにしました。
恐らく週末は前回以上に混むでしょうから、行ったのは平日で今回は火曜日。「山品」の開店時間の11時に合わせて行くことにしました。
準備に多少手間取り出発するのが少し遅くなってしまい、到着したのは11時20分。既に車は何台も駐車していて、この日も地元ナンバーよりも県外車などの方が多かったのですが、今回は順番待ちの行列も無くすぐに座敷に通されました。
昔はお婆さん一人で切り盛りされていた筈ですが、地元民だけではなく、最近では観光客がわんさか訪れる人気店になったためか、そば打ちは息子さんに任せ、お婆さんだけではなく地元のお母さん方が何人もで接客に当たられていました。注文を取りに来られたお母さんに、
 「先週の水曜日に来たら、受付終了で食べれなかったんです。今日、漸くいただけます!」
と言うと、
 「あぁ、その日私はお休みを貰ってたんですけど、何だかお客さんが凄かったみたいですね。でも今日は空いてますから、全然大丈夫ですよ!」
「山品」は個人経営のお蕎麦屋さんですが、地元のお母さん方が対応されているのが、何となく富士見町乙事の「おっこと亭」を思い出しました。
 「山品」は昔の民宿の名残が感じられ、茅葺(今はトタン屋根で覆われています)の古民家を使って、ふすまの座敷を何部屋も繋げた畳敷きの座敷に10卓程の座卓が置かれています。昔からの蕎麦処として知られた美麻地区の新行ですので、所狭しと有名人の方々の色紙が記念に飾られていました。
冷たいざるそばだけでなく、暖かい汁蕎麦も、山菜やキノコに月見、はたまたニシンまで何種類もあり、蕎麦以外にも季節柄でキノコやそばがき、そして信州らしいイナゴや蜂の子などの一品もあるようです。
我々は、地粉というもり(蕎麦)の竹で編んだざるでの大盛り(1000円)と家内はせいろの(普通)盛り(800円)、それに一方の名物と言う蕎麦粉の薄焼き(800円)も注文。
湯呑茶碗と小鉢の漬物が運ばれてきて、蕎麦茶は座敷のサーバーからセルフサービスで「ご自由にどうぞ」とのこと。
自家製の漬物は、家内は有明に比べてこちらの方が美味しいとのことでしたが、私は有明の方が好みでしょうか。野沢菜漬けといえば、昔母も連れて行った唐沢集落で、大皿で出してくれたべっこう色の野沢菜漬けは本当に美味でした。
二八という蕎麦は細打ちで、コシもあって美味しいのですが、やはり期待したほどの香りはありません。新そばって昔からこんなモノだったのでしょうか…?(過去の思い出が美しいのと同様で、どうやら自分の過去の記憶が美化しているのかもしれせん)。
うす焼きは、それこそガレットの様なイメージかと思いきや、決して薄くはなく結構な厚み。刻みネギを混ぜた砂糖味噌が、それこそお祖母ちゃんの味で、素朴ではありますが何とも昔懐かしい田舎の味なのです。そこで、二人共思わず、
 「美味しいネ!」
 「うん、旨いなぁ!」
と、念願だった蕎麦よりもむしろこの薄焼きに感激したのでした。そばがきもメニューにはありましたが、蕎麦と共にどうやらこのうす焼きがここ「山品」の名物というのも納得の美味しさでした。
後から来られた5人連れのお年寄りのグループは、きっと顔見知りのご近所の皆さんなのでしょう。「この前は悪かったいね!」などとお婆さんと世間話をしながら、注文で選んだのが全員温かい汁蕎麦でニシンとキノコというのが、美麻地区には多分山を下りないと蕎麦屋以外には他の飲食店が無いのかもしれません。恐らく今まで暑い夏はざる蕎麦ばかりで、冷たい蕎麦はもう食べ飽きたので、(寒くなった秋には)たまには違った温かいメニューも食べたい!という様な感じで、何とも可笑しく感じました。
そばは二八のみでしたが、帰りにお婆さんにお聞きすると。12月に入ったら十割も始めるとのこと。
 「新そばの時期は二八でも十分美味しいでね。雪が降ったらお客さんも空くで、二八の他に十割も始めるで・・・。雪が降ったら、また来てください。」
 池田町から北は北安曇郡です。真冬にスキーに行くと、明科や穂高の南安曇郡から松川や池田の北安曇に入ると、本当に一気に雪の量が多くなります。更に青木湖を過ぎて佐野坂を超えると、まさに雪国になります。
白馬から後立山連峰は既に真っ白。この美麻新行にも雪が舞い降りるとは、きっと間もなくなのでしょう。

 「ごちそうさまでした。十割とうす焼きを食べにまた来ます!」

 信州の秋と云えば“新そば”の季節でもあります。
残念ながら、全国有数な規模で期間中16万人もの人が集まるという人気の「信州・松本そば祭り」は、コロナ禍で今年も中止になりました。
(「松本そば祭り」は、どちらかというと各地の有名店ではなく、全国各地の蕎麦俱楽部といった蕎麦打ちの愛好家の皆さんの出店が殆どなので、我々はこれまで一度も行ったことはありません)
思うに、もう少し工夫すれば何とか実施するための方法(例えば、従来の松本城公園だけではなく、あがたの森公園や中町通りをホコ天にしての分散開催。もしくは今年だけ広大なアルプス公園や県下最大という都市公園の信州スカイパークでの臨時開催。またチケットの事前予約などに拠る人数制限等々)はあったようにも思うのですが、長野県民は或る意味“クソ真面目”過ぎるのか、県内では他にも大きなイベントが中止になりました。
例えば、7年に一度の御柱も基本的に地元の氏子のみでしたし、温暖化で最近では殆ど見られない御神渡りに比べ、毎年必ず実施され、打ち上げのその数が実に3万発という諏訪湖の花火大会は諏訪にとって(特に観光業にとって)最大の観光イベントの筈なのですが、片や大曲や長岡の花火大会などはちゃんと実施したのに、諏訪はあっさりと早々に中止を決めてしまいました。代わって行われた毎晩10分間500発の打ち上げなど、今までも7月末から新作花火までの期間中毎年実施していたことです。まるで、コロナ禍での実施に色々苦労するくらいなら(嘗て“東洋のスイス”と呼ばれて精密工業が盛んでしたが、その拠点がある自治体は法人からの事業税で潤うので何もしなくても良かった過去があり、複線化には地域の説得が大変だからと何も努力せず、結果いまだ諏訪だけが単線のままの中央東線と同様です。そのクセ、上諏訪駅に特急が停車しないと文句だけは言う諏訪市長:是非、第1413話を参照ください。諏訪には会社員時代大変お世話になっただけに頑張って盛り上がって欲しいのに、ホント情けなくて考える度に涙が出ます)むしろやらない方が楽と判断したとしか傍から見ていて思えないのです。ホント、勿体無い・・・。

 話が横道に逸れてしまいました。閑話休題で、この時期楽しみな“新そば”。例えば、地元では蕎麦の栽培で知られる旧奈川村(とうじそば発祥の地)は、地元の新そば祭りが終わらないと、奈川産の新蕎麦は出荷しないのだとか。そのため産地によって、或いは店によって、新そばが食べられるタイミングが異なるのです。目印は店舗に掲げられる“新そば”と書かれた幟や「新そば始めました」というポスターです。

10月中旬、ウォーキングを兼ねて昼前に市内の何軒かの蕎麦屋を廻ってみました。店内はわかりませんが、店の外に「新そば」の幟が立てられたりやポスターが貼られていたのはチェーン店と二軒だけ。松本市内の蕎麦屋さんでは新そばは未だの様でした。また週末だったこともあり、“新そば”には関係なく人気店はどこも観光客の皆さんで行列。地元民としては並ぶ気がしません。そこで、“新そば”の貼紙があり、蕎麦以外の料理もある割烹料理店が全然混んではいなかったので入店。そちらは地元の契約農家からの塩尻片丘産の新そばとのことだったのですが、新そばとしては香りが全く無くちょっとガッカリでした。
 地元のタブロイド紙に依れば、旧奈川村や山形村の唐沢集落、旧美麻村の新行地区といった地元のそば処は、10月下旬から11月上旬に掛けて“新そばまつり”とのこと。その間は混むでしょうから、そこで“新そば祭り”が既に終わっていた美麻の新行に、11月9日の平日に行ってみました。そこで、せっかくの“ついで”なので、久し振りに途中の池田町の「安曇野翁」に寄ってから行くことにしました。こちらは木曽の「時香忘」(休業中?)と共に、我が家では県外からのお客さんが来られたら観光がてら案内する店です。但し、奈良井宿観光の後の「時香忘」と違って、「翁」は天気が良くて北アルプスが見える時でないと魅力が半減してしまいます。この日は、秋晴れが続いていて遠く白馬方面までクッキリと絶景が拡がっています。これなら観光で来られても、順番を待つ間も飽きずに山を見ていられます。
開店の11時を少し過ぎていたせいか、ちょうど一巡目が食べ終わる頃で、小上がりではなく、山の絶景が拡がる窓側の席に待つことなく案内いただきました。お聞きすると、北海道と茨城の常陸産は新そばに変わったそうですが、まだ地元の安曇野産の新そばは入荷していないとのこと(その時々で、各地の蕎麦粉をブレンドして使っているそうです)。そのためか、二八のざるは(特に二八好みの私メにとっては)相変わらずの美味しさでしたが、確かに新そばとしては香りがイマイチでした。
 そこから美麻新行地区に向かいます。平成の合併で大町市となった旧美麻村。“美麻”という文化財の様な歴史的な地名が、この先もずっと消えて終わない様に願います。
お目当ての蕎麦店には12時20分頃到着したのですが、ナント「受付終了」の文字・・・。店主のお婆さんが、
 「朝から頑張って打ったんだけど、もう足りなくなってしまって、せっかく来てもらっただに、ホント申し訳ないネェ・・・」
と、こちらが恐縮する程。残念でしたが止むを得ません。駐車場には、地元ナンバーに混じって県外車がビッシリでした。昔の美麻は、地元ではそば処と知られていても、ここまで凄くはなかったのですが、余りの人気ぶりにビックリでした。
 そこで、「安曇野翁」に拠ると地元産の新そばは未だとのことでしたが、せっかくですので帰路は有明の山麓線を走って、もし“新そば”の幟が出ている店があったら寄って帰ることにしました。グルメ検索的には有名店もある様ですが、電話してみるとそちらも売り切れの由。そこで走りながら目に付いた蕎麦店に入ることにしましたが、水曜日のためか、昔来たことがある「天満沢」を始め結構定休日の店が多く、結局入ったのは「富士尾山荘」という、山麓線沿いの温泉宿を兼ねている店で、暖簾に「元祖そば」とありましたが有明山麓では結構古くからの食堂民宿の様でした。
時間が1時半頃だったせいか、広い店内は我々だけ。温泉宿併設のせいか、蕎麦だけではなく丼物など他にも色々メニューがありました。
我々はそば一択なので、私メはざるの大盛りで奥様は中盛りにしました。品書きなどに拠ると、蕎麦は九一とのことでしたが、さすがに「翁」に比べると味やのど越しはともかく、こちらの店には「新そば」の幟は出ていたのですが、やはり蕎麦の香りはしません。
 「うーん、新そばってこんなに香りがしないのかなぁ・・・?」
でも、付け合わせの小鉢の自家製の野沢菜漬けが美味しかった!新漬けだと思うのですが、塩味だけではなく甘みもあって、我が家のお祖母ちゃんの野沢菜漬けを思い出しました。宿屋も含め、ご家族で切り盛りされているのでしょう。厨房から聞こえて来る女将さんとお嫁さんの会話もほのぼのと微笑ましくて、何だかほっこり・・・ごちそうさまでした!
【追記】
LINEで報告したら娘たちからは食べ過ぎと呆れられましたが、二人共さすがにお腹一杯だったので、その日の夕食はスキップしました。

 10月下旬、義姪の結婚式で、秋色に染まる軽井沢に行ってきました。
式と披露宴が行われる時間が週末の午後遅めの時間設定だったので、その日は軽井沢に泊まる必要があり、義弟夫婦やお義母さんたちと一緒に、最近TV番組でも紹介されて人気だという結婚式会場の軽井沢のホテルにも泊まれたのですが、そのホテルではワンコ連れは無理なので、我々は結局いつものドッグヴィラに宿泊しました。

 我が家のことでは無いので式の詳細を書くことは差し控えますが、二年前の入籍時はコロナ禍で式を挙げられず、今秋になって漸く挙げることが出来た結婚式も、未だコロナが収まらない中での近しい親族と親しい友人だけの小ぢんまりとしたお式ではありましたが、和やかでほのぼのとした良い式でした。長女も軽井沢なら新幹線で東京から1時間足らずなので、日帰りで参加。久し振りに姪とも会えて感激していました。翌日は朝から会議があるからと、夕刻の披露宴終了後、トンボ返りで新幹線に乗って東京へ戻って行きました。
 さて、我々はせっかくの軽井沢ですので、式の翌日に軽井沢のアウトレットに寄ってから帰ることにしました。 滞在中は若いカップルを祝福するかのような秋晴れに恵まれ、浅間山もクッキリ。軽井沢はアウトレット周辺もすっかり紅葉していて目に鮮やか(注)で、プリンスホテルのスキー場には既にスノーマシンで作られた雪が紅葉の山肌とは対照的に白く輝いて見え、日本一早いというスキー場開きを間近に控えているようです。
“ドッグ・フレンドリー”を掲げる軽井沢町ですので(個人的には、ワンコ連れにとって、県内は勿論、国内でも軽井沢が一番優しい所だと感じています)、アウトレットも半分以上の店はドッグバギー等に入っていれば入店可(抱いていてもOK)ですので、芝生広場も含めてワンコ連れがたくさんおられます。そのため、奥さまが買い物中に芝生広場でワンコと散歩していると、同じシーズーやマルチーズを連れた方々が寄って来られ、お互いのワンコ談議に花が咲きます。ただ、我が家のワンコたちはドッグランに行っても走り回ったり、芝生の上でも歩き回ったりしてくれませんので、おやつを食べた後は結局車に戻ってワンコたちはモッタリと休憩。
 そこで、我々もその間を使ってランチをすることに。アウトレット内にはたくさんの飲食店があり、フードコートなどワンコOKのテラス席がある店も幾つかあるのですが、ワンコたちは車内でお留守番してくれているので、今回は「味の街」で食べることにしました。この飲食店街には中華や洋食など色々なレストランが軒を連ねていますが、以前食べた中華はイマイチ(第1628話参照)でしたので、今回選んだのは地元長野県の店、ソースカツ丼の「明治亭」です。こちらはソースカツ丼で知られる伊那谷の駒ケ根に本店を構える有名店で、前回(第1775話)の長野駅のMIDORIにも店舗があり、その時蕎麦を選んで後悔したことも手伝ってか、今回は奥さまも珍しくOKとのこと(因みに、我々は11時半頃の入店ですぐ席に座れましたが、この日は月曜日だったのですが、食べ終わって出る頃には順番待ちになっていました)。
ソースカツ丼にはロースとヒレ、またミックスフライや信州蕎麦とソースカツ丼のセットメニューなどもありましたが、本来私はロース派で家内はヒレ派なのですが、先ずここは基本を押さえるべく二人共ロース肉の駒ケ根ソースカツ丼(1590円。因みにヒレは1620円)を注文しました。
待つこと暫し・・・、蓋が閉まらない程に山盛り一杯に盛られた丼が運ばれて来ました。ご飯の上に千切りキャベツが敷き詰められ、その上に特製ソースがしみ込んだトンカツが載っています。しかもちょうどその日から新米に切り替わったとかで、“花を咲かせた”(=素揚げした)稲穂が添えられて秋の風情を演出しています。
 「えーっ、こんなに食べられるかなぁ・・・?」
と、山盛りの丼を見た奥さま。確かに一見すると女性が食べ切れるのかと思うのですが、衣に滲み込ませたウスター系のフルーティーなソースは意外と見た目よりもサッパリしていますし、ご飯の上にたっぷりと敷かれた千切りキャベツも丼の厚みを増しているので、見た目程はご飯の量は多くはありません。ロースカツの端の筋の部分は多少固い所も無いではありませんでしたが、真ん中の肉の部分は柔らか。キャベツもさっぱりとアクセントになるので、思いの外もたれる感じはしません。もしソースが足りなければ、練り辛子のパックの小袋と一緒に明治亭オリジナルという特製ソースの瓶もテーブルにも置かれているので、自分で追加して味を調整することも可能です。
見た目の量を心配した家内も多少時間は掛かりましたが、残すことなくちゃんと食べ切ることが出来、
 「あぁ、もうお腹一杯!今日は、夕飯はもう要らないよね!?」
ま、そこまでかはともかく、満腹、満腹・・・で、ごちそうさまでした!
食での町おこし的に云うと、松塩地域の山賊焼き同様に、駒ケ根にはソースカツ丼をウリにする店が何軒もありますので、いつか一度食べに“本場”の駒ケ根に行ってみようかと思わせてくれる様な“信州B級グルメ”の逸品でした。
【注記】
ドッグヴィラ周辺の紅葉の木々の中で、葉の重なりがまるで深紅のバラの花弁の様に見えたドウダンツツジ(多分そうだと思うのですが)の植え込みです。

| 1 / 89 | 次へ≫