カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回の京都旅行はノンビリ旅でガツガツと観光地巡りをする予定も無く、またコユキが一緒なので彼女独りにしては可哀想ですから、夜はなるべくホテルでコユキと一緒に過ごすために、お惣菜やお弁当を買って来て夕食にしました(ナナがいれば、二匹仲良く一緒にお留守番出来るのですが・・・)。
そのため、先ずは久しぶりの駅弁を新幹線の中で食べた(列車旅はイイですね、ビールも飲めるし!)のを手始めに、ランチを外で食べることにしました。
その内、一度は私メのリクエストで前話の「冨美家」へ。そして、二度目は家内の希望で、私メがグルメガイドから推薦したリストの中から彼女が選んだ「出町ろろろ」というおばんざい弁当の店でした。そして、三度目は各々別々に食べることになりました。

 さて、その「出町ろろろ」です。
念のため前日電話をしてみると、希望した12時は既に一杯とのことで、11時半なら可の由。そこで少し早いのですが空いていた11時半にお願いして、当日はちょっと早めに岡崎から歩いて向かいました。
“町ぶら”を兼ねて、二条通で鴨川を渡り河原町を上がって行きます。
丸太町から荒神口を越えて、広小路から寺町通を上がって最初に梨木神社へ立ち寄り、本当は次に蘆山寺を拝観してから向かおうかと思ったのですが、拝観時間が読めないので蘆山寺は食べた後にまた来ることにして、その後少し戻って御苑内を歩いて今出川へ。
河原町今出川の二筋手前から上がれば目指す「出町ろろろ」の筈ですが、まだ時間があったので、出町柳まで行って「出町枡形商店街」を歩いてみることにしました。
京都や東京にはこうした地元に密着した商店街がまだ残っていますが、松本はアーケード街だった「六九商店街」もアーケードが取り払われ、今やシャッター通りですし、「伊勢町商店街」再開発で道が広くなったのは良いとして、江戸時代から続く「高見書店」や「レコードのナカガワ」など高校時代や独身時代頻繁に訪れていた往時の商店街の面影はなく、また街の核だった「松本パルコ」も残念ながら撤退が決まっています。

 「出町枡形商店街」は観光地化した「錦市場」に比べると、本当に地元密着。用品店や八百屋さんに交じって、“学生の街”京都らしく(立命館の広小路学舎は無くなりましたが、まだ同志社がこの地で頑張っていますし、少し歩けば京大もあります)、お金が無ければ皿洗いで食べた分の弁済OKという昔ながらの餃子屋さんや、古書店、そして古い町の映画館などなどなど・・・。
 そんな出町商店街の映画館の角を下ると、すぐにお目当ての小さなおばんざい屋さん「出町ろろろ」があり、10分前に到着すると先客が観光で来られた女性客がお一人。その後、11時半の開店時間には10人弱が並び、開店と同時にカウンター3席を残して全て埋まりました。どうやら全席予約済みの様です。店内はコの字型のカウンターが7席、テーブル席が6席でしょうか、小さなお店で、厨房は見えませんがどうやらご夫婦お二人で切り盛りされている様です。






昼のメニューはおばんざい弁当(税込1400円)と事前予約が必要なおばんざいのミニ懐石(同2400円)の二つのみ。
我々はおばんざい弁当。生ビールもお願いしました。京都らしいお番茶(炒り茶)が美味しいです。
盛り付け担当のご主人がせわしなく動かれ、10人分程の弁当も懐石も同じ一段目のおばんざいのを次々とお膳に盛り付けをされています。
 一段目は四角のお膳に形の異なる八つの小鉢が並べられ、それぞれ味付けの異なる全て大原産という京野菜のおばんざいで、少し時間をおいて出されたお弁当の二段目は、土鍋ご飯とお味噌汁の他に、季節のかき揚げと出汁巻とろろあんかけ。
おばんざいは一鉢の量が少なく、また値段故に高級食材でもなく、大原の無農薬野菜ばかりだそうですが、出汁を含めて調理と味付けが実に色々工夫されているのが一品毎に実感出来ます。
例えばこの日の献立の解説にある①の畑菜は削り節粉を使ったお浸しですし、⑥の水菜の七味絹掛けは潰した豆腐に七味の隠し味が効いていますし、⑦のゴマ豆腐の磯辺揚げも食べてビックリ。そして個人的に一番美味しくてお代わりしたかったのは、最後⑧の九条ネギの煮干し煮でした。まさに、「美味しゅうございました!」と言うのがピッタリな感じで、実にお見事でした!
 そして、二段目の冬のかき揚げはホタテが使われていてこれもまた美味。また出汁巻き玉子も上に薄めの餡が掛けられ、更に載せられたそぼろ昆布もアクセントを効かせていて、これだけで何杯もご飯が食べられそうです。
そのご飯も土鍋で炊かれ、勿論女性の皆さんも含めて皆さんがお代わりをされていましたが、おこげも必ず装られていて、ご飯茶碗に盛られた量は少ないのですが、ご飯のお米が粒立ちしていて自然と少しずつじっくりと噛みしめる様に食べるので、口の中で教科書通りにでんぷんがブドウ糖に変化してとても甘く感じて美味しかったです。
 「あぁ、これなら1400円はむしろ安いくらいで、実にコスパがイイ!」
というのがまさに実感でした。
家内も大いに満足のご様子で、良かった、良かった!
 因みに、最後まで店名の由来は分かりませんでしたが、「ろろろ」は席数が少ないので、満席になってからも評判を知った方が、海外からの観光客も含め、次々と来店されるのですが、昼は一巡だけで終わりなのか、全員断られていました。
また、こちらのお店の支払いは現金清算のみ。京都にはそんな個人商店が多いので、注意が必要です。

(以下、話題が本題から離れて支離滅裂的にアチコチ飛んでいますが、どうかご容赦ください)

 家内は、信州の中ではちょっと異質な唯我独尊的独立独歩の(奈良時代の律令制度下で一時期、諏訪だけが“諏訪国”として信濃国から独立していました。また「諏訪では4人歩いていると、内3人は地元の社長さん」と、嘗て諏訪地域で製造業隆盛の頃はそう揶揄されていた)“諏訪人”ですが、その“諏訪人”故かどうかは分かりませんが、元々は信州人らしい“蕎麦派”ではなく、どちらかと云えば“うどん派”だったのではないかと思います。
勿論、結婚後は私メに感化されてか今では蕎麦も大好きですが、次女が結婚前の羽田空港勤務だった時は、娘と二人で良く「つるとんたん」で食べたり、また京都に旅行で来た時は、友人と或いは一人でも必ずと言って良い程、この岡崎で大人気の行列店「山元製麺」で“ごぼ天うどん”を食べているそうです。私も一度一緒に食べましたが、並んででもまた食べようとは然程思いませんでした。
というのも、京都の“おうどん”は本来もっと柔らかな(ある意味コシの無い)うどんですし、それに、むしろ京都で食べるべきは、“蕎麦好き信州人”がそれまでの「蕎麦はざる一択!」の信念を覆して食べた「にしん蕎麦」と思うのです。
但し、学生時代に初めてその「にしんそば」を食べたのは、元祖の老舗「松葉家」ではなく、蕎麦ぼうろで有名な丸太町の「河道屋」だったと思いますが・・・。

 そう云えば、会社員になってから仕事で或るジャーナリストの方と話していて、その方も無類の“蕎麦好き”とかで、取材が終わってから地元の蕎麦屋のおススメを聞かれた時に、その方の仰るには、
 「私は取材等で全国各地に行くと、例えば信州の様な蕎麦処では必ずざるやもりで蕎麦そのものを楽しむのですが、そうでない土地では、汁蕎麦をその土地特有の具を蕎麦と一緒に楽しむことにしてるんですよ。」
その意味で、私が生まれて初めてそうした“汁蕎麦”を楽しんだのが、京都の「にしんそば」だったのです。

    (写真は、10年程前に嵐山で食べた茶そばの「にしんそば」です)
と同様に、うどんは我が家では「おざざ」と呼ぶ冷や麦の様なやや細めのうどんを祖母が打ち、それを色んな根菜や油揚げなどと一緒に、いろりに吊るした大きな鉄鍋で煮込んだ、味噌味の“鍋焼き”風うどんが定番でした。従って、うどんは自分の家で食べるべきモノだと思っていたので、外の食堂等で食べたことは一度もありませんでした。
ですので、県外に出て“うどん屋”さんが(蕎麦屋と同じ様に)街中に在るのが、最初は不思議でなりませんでした。
といっても、長野県内にも群馬の「水沢うどん」同様に、降水量が少なく昔稲作が難しかった地域では、坂城町の辛味大根の汁で食べるおしぼりうどんや、大町の「おざんざ」という祖母の「おざざ」に似た細めのうどんが有名な場所もありますし、社会人になってからですが、諏訪の社宅に住んでいた時に家内が初めて連れて行ってくれて食べた、早くから諏訪が武田領になっていたせいかどうかは分かりませんが、長野県内では唯一諏訪にも支店がある山梨の名店「小作」のほうとうが美味しくて、とりわけ味が味噌ベースで具がカボチャやニンジン、大根といった根菜が多かったのが、何だか祖母の作る煮込みうどんを思い出して懐かしく、その後も時々食べに行きました。
       (写真は、以前山中湖畔の「小作」で食べたほうとうです)
そして、そのうどんを生まれて初めて自宅ではない“食堂で食べた”のが、汁蕎麦が“にしんそば”だったのと同様に、うどんも京都の「冨美家」だったのです。
(要するに、大学に入るまで一人で“外食”をしたことが無かっただけかもしれませんが・・・。子供の頃の記憶では、家族で“町の食堂”で食べるのは、決まってざるそばか当時“支那そば”と呼ばれていた醤油味のラーメンでした)

 さて、本題の「冨美家」は、私の学生時代には四条寄りの河原町通りの西側に(確か)お婆さんが一人で営む小さな甘味処が在り、そこにはぜんざいといった甘味の他にもうどん類があって、一般で云う力うどんの様に小さな角餅が二つ入った鍋焼きうどんの「冨美家鍋」が名物で、特に冬は温まるので何度か友人と食べたことがありました。はっきりとは覚えていませんが、貧乏学生でも食べることが出来たコスパの良い品だったと思います。

 何年か前、京都に来た時に懐かしく河原町を歩いたのですが、その「冨美家」の四条河原町店も、そしてボールの様なガラス容器に入った色んな種類の「冷麺」(例えばフルーツ冷麺など)が美味しかった「春陽堂」が、確か3階か4階だったかにテナントで入っていた「味ビル」も姿を消していて見つけることは出来ませんでした。
余談ですが、他にも年を取って聴くようになったJAZZで、伝説のジャズ喫茶だった「シアンクレール」も無くなっていて、学生時代に一度も行かなかったことを後悔した記憶があります。一方、学生時代にお世話になった「出町輸入食品」は、当時の何倍にも店舗が大きくなっていてビックリしました。(レジに置いてあった「冨美家」の通販のパンフ。「♪ まるたけえびすにおしおいけ・・・」京都の東西の通りはこうして覚えるんよ!と地元の同期の子が教えてくれたわらべ歌が懐かしくて、思わず頂いてしまいました)
 そこで今回、知恩院と八坂神社へお詣りした後、四条通を歩いて錦市場にある「冨美家」へ行ってみることにしました。
最初は錦市場の西端に近いところにある「冨美家錦店」を目指しながら、ぶらぶらと新京極から錦市場を歩いて行ったのですが、外国人観光客を中心に、それなりに賑わっていました。
コロナ禍前のオーバーツーリズム問題以降、錦市場は食べ歩き禁止になったので、イートインスペース的に店内で多くの外国人観光客が“立ち食い”されて混んでいるお店もありましたが、錦市場はごった返して歩けないという程ではありませんでした。
そうした今風のお店以外に、八百屋さんや乾物屋さん、漬物屋さん、惣菜店といった昔ながらの“京のお台所”的なお店もあり、お店巡りを楽しみながら「冨美家錦店」に到着すると、ナント定休日の貼紙が・・・。
但し、近くの本店の方はやっているとのこと。どうやら、お互い重ならぬ様に交替で定休日が設定されている由。「錦店」の方が昔ながらの風情がありそうだったのですが、止むを得ません。そこで、錦からは直ぐ近く、堺町筋をホンノ少し上がった所に在る「冨美家本店」へ行ってみると、この日は「錦店」を目指したお客さんもこちらに来るためか満席で、店頭には三組程の先客が列を作っていました。
待つこと暫し、細長い町屋を改装したらしい店内はカウンター席とテーブル席があり、幸いテーブル席に案内され、二人共九条ネギ増しましで「冨美家鍋」を注文。併せて家内は湯葉もトッピング。
昔は観光客など殆どおらず地元のお客さんばかりだったと記憶していますが、我々も含め、観光で来られたらしいガイドブック片手の一人旅の女性客もおられ、中でも驚いたのは中国と韓国と思しき外国人観光客のグループが二組。しかも食べているのは中華そば。誰一人「冨美家鍋」を食べておられる人は見受けられない様でした。そのため、お節介ながら、
 「ラーメンを食べるんだったら、冨美家じゃなくて、新福菜館か第一旭に行けばイイのに!」
と、またまた大きなお世話・・・。
 そうこうする内、運ばれて来た「冨美家鍋」。スタッフの方が、熱いので気を付けてくださいと配膳の度に必ず言い添えて行かれます。お客さんの中には、ぐつぐつと煮えたぎった土鍋から直接食べるのは熱すぎるのか、“お上品”に取り皿をお願いする若い女性も。イヤ、猫舌の身としては良く分かります・・・。
その45年ぶりくらいの「冨美家鍋」。具は海老天ぷらと分厚い干しシイタケ、ハンペンにお麩、焼いた角餅が二切れ。そして真ん中に生卵が落とされ、刻んだ九条ネギは増しましで・・・。イヤ、懐かしい!
と、猫舌の我が身には熱過ぎて、家内の様にすぐには食べられず、じっと眺め観察すること暫し・・・。そして漸くレンゲでスープを最初に一口。
 「えっ!?・・・こんなに甘かったっけ・・・」
勿論、京都らしくお出汁は効いていて、具の海老天や干しシイタケにもそのお出汁がしっかり染みていて美味しいのですが、スープが記憶に無い程砂糖甘いのです。家内は、「天ぷらの衣が厚過ぎ!」と文句を言っていましたが、これは衣にお出汁をしっかりと染み込ませるために、敢えて厚めの衣にしているのでは?と弁明したのですが、それにしてもスープが甘い・・・。
信州でも、汁蕎麦のツユは江戸に比べれば甘口かもしれませんが、ここまで甘くはないし、むしろ本来の関西は関東のそばやうどんの丼の底が見えない程真っ黒でつゆは“塩辛い”と敬遠するくらい、出汁が効いた薄めのつゆの筈なのですが・・・?まぁ、これが「冨美家」の味と言ってしまえばそれまでですが・・・。
 これは恐らく、信州でそばつゆ(ざるそばだけじなくて、温蕎麦も食べるので)に慣れ過ぎたせいかもしれませんが(外食だけではなく、家でも蕎麦を食べる時は専ら創味のつゆ一択です)、ここまで甘いつゆはちょっとがっかりで、残念ながら私メの好みではありませんでした。
もしかすると、実際の味よりも、単に“思い出は美し過ぎて”・・・だけだったのかもしれませんが・・・。
でもそんな味よりも懐かしさが勝って、今回その“懐かしさ”は十分満足して“完食”出来たので、これでもう来なくてイイかもしれません。
そして、45年ぶりに食べた「冨美家鍋」に十分満足して「冨美家」を後にすることが出来ました。そこで、レジでお店の方に、
 「学生時代以来45年ぶりで来ました。とても懐かしかったです。ご馳走さまでした!」

(ん・・・?そう云えば、一年前にも学生時代以来で食べた熊野神社近くの「らんたんラーメン」でも、全く同じ様な挨拶をしていた気がする・・・)

 久しぶりに「きときと寿司」松本店へ行きました。
「きときと寿司」は北陸富山・氷見が本店のグルメ系回転寿司で、松本店はその唯一長野県内出店の直営店です。
以前は上田とか長野にもあったそうですが、そこは松本の様な直営店ではなくフランチャイズ店だったらしく、その後契約更新で揉めて契約が破棄され、数年前にフランチャイズから外された由。
お寿司だと、我が家では昔は地元の王滝総本店へ行っていたのですが、その後寿司ネタが極端に減ってしまい、せっかくの寿司カウンターに座っても頼むネタが少なく無意味になったので行くのを止めました。
松本にも“グルメ系”を名乗る所は他にもあるのですが、東京などで行った緑寿司の「活」や「金沢まいもん寿司」に比べてしまうと、どうしてもネタの種類が少なかったり鮮度が見劣りしたりするので、行ったことはありません。

 以前、長女が帰省して来た時に、
 「コンサル時代の上司が今スシローグループの社長をしているので、食べに行ってあげて!」
と頼まれて以来、お寿司を食べたくなると、スシローに良く行っていたのですが、所謂“グルメ系”には及ばずとも、嘗ての100円均一の回転ずしチェーンの中では相対的には出色だと評価していました。ただ残念ながら光り物がイマイチで、特にコハダは失格。それに、センターキッチン方式で運ばれてくるのか、だし巻き玉子は残念ながらちょっと食べる気がしない・・・。そこで、
 「たまには・・・美味しい光り物が食べたぁーい!」
ということで、「きときと寿司」に食べに行った次第。そう云えば、以前長女も帰省した時に、スシローではなく「きときと寿司」で一緒に食べた時に、
 「ナルホド。確かに光り物好きなら、こっちに食べに来るのは良く分かる!」
と「きときと寿司」を評価していましたっけ・・・。
 因みに、長女は婿殿が休みを取って年に数回NYから日本に来ると、彼らは殆ど毎日寿司を食べに行くのだとか。勿論、回転寿司ではなく、お任せで“?万円”するような高級店も含めて、いずれも都内の有名店ばかりの様ですが、それでも、その何倍もするNYの寿司店に比べれば格安なのだとか・・・。
ですので、円安のためにインバウンドで日本に外国人観光客が殺到するのが(逆に日本人がハワイ観光で、ロコモコ一つの現地価格を円換算して悲鳴を上げるのも)良く分かります。
 
 さて、「きときと寿司」松本店も週末には行列になることもある人気店ですが、平日の夕方なので結構空いていました。こちらもコロナ禍以降、更に若者のYouTubeへの回転寿司チェーンで撮影した「不適切動画」投稿の影響もあってか、ここ何年かは一切レーンにはお皿は回っておらず、全てタブレットから注文するのみになっています。


先ずは光り物3種、そしてマグロ三種も。ただこの日はイワシの入荷が無かったとか・・・。これでは、お目当てのイワシの炙りも食べられず残念!そのため、この日の光り物三種は手前から〆サバ、アジ、コハダでした。
更にこの日の白身三種はヒラメとタイ、そして地元の富山で「フクラギ」と呼ぶブリの幼魚ハマチも。漢字では“福来木”と書き、縁起が良いとされるのだとか。
他にも、中落ち軍艦や個人的に大好きな生ゲソも。以前金沢の近江市場の中のお寿司屋さんで食べた生ゲソが絶品で、未だ忘れられず・・・。ノドグロよりも感激しましたっけ。

我々としては、キトキト寿司もですが、北陸の食材を食べることで少しでも応援出来ればと思いますし、ここで出来ることはそのくらいですから・・・。ということで、日本酒のアテに富山の名物“白えび”の天ぷらといつものだし巻玉子も注文して、お酒も北陸(福井ですが)の黒龍にしました。
 この3月に北陸新幹線が敦賀まで開通して雪が消えたら、ワンコOKの宿を探して、以前行ったことがある輪島や和倉温泉など能登はまだ無理かもしれませんが、どこか北陸を旅行出来たらと思います。

 お宮参りの前日、奥さまはいつもの表参道の美容院へ。
終ってから家内と待ち合わせて、新宿高島屋の呉服売り場で、娘たちの時の七五三の時に紛失したのか、翌日の孫のお宮参りで使うのに足りないグッズを買いに行く予定です。
そこで、待ち合わせまでの空いた時間に、特に他にすることも無いので、ホンじゃまと、一人で新宿の中古CDショップで掘り出し物を探してみることにしました。
そのCD屋さんは「ディスクユニオン」という中古のCDやLPを販売している店で、幾つも店舗がある中で、ここディスクユニオン新宿店はクラシックの専門店です。確か紀伊国屋のすぐ隣のビルの5階くらいだったと記憶していたので「このビルの筈!」と探したのですが、フロア案内にも見当たらず、念のためその界隈を探してもそれらしきショップ案内を見つけることは出来ませんでした。
当てが外れてしまい、「さて、どうしよう・・・?」ということで、紀伊国屋の文庫と新書売り場を少し見たのですが、特にこれはという本も見当たらなかったので、
 「それじゃあ、久し振りにベルクにでも寄ってみますか・・・」

 新宿駅のルミネエスト地下1階。新宿駅東口改札から、地下鉄の丸ノ内線方面へ下る階段手前にある拘りのビア&カフェ「ベルク」。
BERGという店名の読み方からしてもドイツ風な雰囲気で、モーニングから、ランチ、そして夜の居酒屋風に一人飲みまで。雑多な新宿らしい、カオスの様な混沌とした狭い店内なのですが、店内には「ナンパ禁止」の貼紙がある様に、女性一人でも入り易く(きっと飲み易く)、どんなに混んでいても、テーブル席は無理ですが、カウンターの立ち飲み席は間を詰めて場所を開けてくれたり、また終わると長居をせずにさっとどいてくれたりと、それが常連さんの暗黙のルールになっていて、一人でも居心地の良い店です。きっと一人でも、また誰とも話さずとも、ここに来れば“都会の孤独”を感じることなく、「ヨシ、明日からまた頑張ろう!」と無言のエールを貰える様な、そんな店が「ベルク」・・・です(と、私メは東京への出張時にしか行けませんでしたが、勝手にそう思っていました)。
会社員時代、出張帰りにあずさまの発車時刻までに時間がある時は、良くここで時間潰しをしていました。当時は私もまだ喫煙者で、肩身が段々狭くなる中で、喫煙場所を探さなくてもベルクに来れば普通にタバコが吸えましたし、或る意味、田舎からのお上りさんにとっては居心地の良い“新宿のオアシス”でした。
この日もたくさんのお客さんで店内は込み合っています。
長居をするほどの時間は無かったので、生ビールを一杯だけ注文。これが税抜き350円だったか、本当に安いんです。そして、嬉しいことに「松本ビール」という松本ブルワリーの地ビールも今回ラインアップされていました。
久しぶりのベルクの雰囲気を楽しみながら、ビールというより店内の雰囲気を味わいます。それにしても、相変わらずの盛況で何よりでした。これなら、もし何年後かに来ても、きっとまた楽しむことが出来ると思います。
 その後新宿高島屋に向かい、家内の来る前に呉服売り場の場所を確認すべく事前にチェック。
家内が合流し、本来は七五三の和装小物のセットの中で、見当たらない着物の胸元に入れる小さな箱型の小物入れの「筥迫(はこせこ)」を探していたのですが個別には売られておらず、呉服売り場の年配の担当者の方にお聞きしたところ、昨今のお宮参りと七五三の様子を教えていただき、「筥迫」は七五三の和装の着物用に使う小物だそうで、お宮参りなら「むしろこちらの方が必要でしょう」と、勧めていただいた帽子と涎掛けのセットを購入しました。
それにしても、事前に見た地元のローカルデパートとは大違い・・・でした。但し、一番の違いは都会と田舎という規模からしての品揃えといったハードの差ではなく、むしろソフトの差・・・でした。
というのは、都会の老舗デパートの呉服売り場では、とっくに本来の定年を過ぎた様なベテランのスタッフの方を何人か揃えていて、お客さんにアドバイスをする、或いは客の質問にも昔と今の違いを踏まえてちゃんと答えられる・・・。まさに亀の甲より年の劫で、その豊富な知識の量が田舎のデパートとは全然違うのです。
昔は、地方のデパートにだって絶対にそうした地元の特色ある“しきたり”や独特の慣習を良く知ったベテランスタッフがいた筈なのです。そしてそれこそが老舗への信頼だった筈。
いくら市場としてのニーズとデマンドの差とはいえ、人件費削減か、高いベテランスタッフを切って安い若手に切り替える・・・。そうした有能の人材を簡単に切ってきたからこそ、いくら売り場を今でも確保していても真の客のニーズを捉え切れず、本来なら、そして昔なら、いとも簡単につかんでいただろう地元のニーズを逃がしてしまって、オンラインや首都圏のデパートに取られてしまっている・・・そんな身から出たサビの“いたちごっこ”の繰り返しなのではないでしょうか・・・。
もしそれがコストに見合っているなら、別に何の後悔もする必要はないのですが、地元で購入するつもりで、「筥迫(はこせこ)」を探して聞いても「えっ?」と絶句したきり何も答えられなかった田舎の“老舗”デパートの若い店員さんと、「あっ、それは・・・」とすぐに答えてくれ、しかも最近のお宮参りと七五三の状況をふまえてアドバイスをしてくれた“お婆ちゃん”スタッフとの差に、そんな感想を持った次第です。
 昔、本ブログに “町の電気屋さん”の生き残り策としての、大手家電量販への対抗策は、サザエさんに登場する“三河屋”の三平さんの御用聞き、それは例えば老夫婦世帯の切れた蛍光灯の交換作業とか、そういった町の小さなニーズを如何に取り込むかだと書いた記憶があるのですが、衰退する田舎の老舗デパートも、もしかするとそうした地元の町の小さなニーズを取りこぼして、全てを時代の“せい”にしてきたツケで、それは“身から出たサビ”、或る意味時代変化についていけなかった“自業自得”なのかもしれない・・・と新宿の老舗デパートで家内の買い物に付き合いながら感じた次第。

 お宮参り出席に際して長女のマンションに滞在中、モーニングを兼ねて我々もお気に入りの六本木『VERVE』へ長女が連れて行ってくれました。

 彼女がMBA時代に暮らしたシリコンバレーのパルアルトで、良く通っていたというカフェ。日本に進出し、何店舗か展開している中での六本木店。六本木という場所柄か、半分は日本在住の外国人の皆さん。従って我々は全くの場違いなのですが、確かに自家焙煎のコーヒーは試飲出来るその日のスペシャリティーや夏の水出しコーヒーも含め、結構私好みの酸味の利いた種類があって、意外と好み。しかも、他店の二倍はありそうなコーヒーカップ故、例え一杯800円でもリーズナブルに感じられるのです。しかも、若いスタッフの皆さんがキビキビしていて、解放感ある店内と相俟って実に気持ちがイイんです。
そういう意味で云えば、我々の様な田舎モノに些か似つかわしくないのは十二分に分かっていても、最近日本でも流行りの同じ西海岸発の“Blue bottle coffee ”よりも遥かに好み。コスパの良いコーヒーに比べ、ホットサンドは確かに本当に美味しいのですが、我々年金生活者にとってはちょっと高いかなぁ・・・(でもホントに美味しい!写真・・・食べかけの途中です。スイマセン!)。
しかも、テラス席だけではなく、一階の店内フロアもワンコOKなのが有難い。勿論、ちゃんと静かに出来る、そうしたワンコだけですが・・・。もし時にそれを乱そうものなら、暗黙のルールとして、そうしたワンコのオーナーは皆さん黙って自主的に退散されるのでしょうけれど・・・。
場所柄なのか、客層が良いのがこの店の特徴なのかもしれません。

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