カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
好きで時々視ている、土曜日の夕方6時からのTV朝日の「人生の楽園」。
8月17日に放送されたのは、長野県生坂村に移住して開業したというパン屋さんでした。その中で紹介されていたのが、生坂村の道の駅「いくさかの郷」で、その道の駅で販売されていたのが「灰焼きおやき」でした。
『「おやき」は、小麦粉と蕎麦粉を水または湯で溶いて練り、薄くのばした皮に餡や野菜など旬のものを包み焼いたもので、信州を代表する郷土料理。地域によっては「やきもち」とも呼ばれる。上水内郡西山地域が発祥といわれており、その歴史は古く、小川村の縄文遺跡からは雑穀の粉を練って焼いた跡が発見されている。山間部は急峻な地形が多く、寒冷な気候のため米の栽培に適さないところが多い。こうした山間地では小麦や蕎麦が多く栽培され、1日1回はその粉を使った食事をつくって食べたといわれ、米の代わりとして先人の食を支えた。一方、豪雪地帯である栄村は小麦の栽培が適さず、米粉を原料とした「あんぼ」というおやきがつくられている。
昔はどこの家にも囲炉裏があり、西山地域では「ほうろく」とよばれる鉄製の鍋で表面を焼いて囲炉裏の灰の中でおやきを蒸し焼きにして、周りに付いた灰を落として食べていた。このおやきを「灰焼きおやき」といい、以前は主流だった。それが里から町へと伝わり、「蒸す」「焼く」「焼いて蒸す」「蒸して焼く」など、様々な調理法が生まれた。包む具材は、なす、きのこ、かぼちゃ、切干大根などを味噌や醤油で味付けし、それを単体もしくは複数混ぜたものなど様々な種類がある。身近にあるものや季節の具材を入れて楽しんだ。』
そうした「おやき」の中で、その原型とも云える「灰焼きおやき」は、長野県の中でも、上記の様に北信の上水内郡西山地方や中信の北安曇地方に根付く伝統的なおやきでした。練った小麦粉生地に具を入れ、表面を焼いてから囲炉裏の灰の中で蒸し焼きにすることで、表面は焦げ目がついてパリパリに、中身はしっかりとした噛みごたえになるのが特徴です。そばと並んでお米があまり取れない信州ならではの郷土食で、栄養や薬にもなる(?)と云われて、そのまま灰を落とさずに食べるのが昔ながらのスタイルでした。
それが、蕎麦以外に食の目玉が乏しかった信州で、近年次第に観光資源としての価値が高まるにつれて、「おやき」を常食する食文化の無かった地域までも含めて長野県全域の名物として広まったのです。
我が家でも、中学まで育った江戸時代から続く茅葺の家には大きな囲炉裏があって、そこで祖母が灰で焼いたお焼き「灰ころがし」を作ってくれて、これがお小昼の定番でした。周りに付いた灰をパンパンと手で叩いて落として食べるのですが、灰で焼くのでパリパリと焦げて香ばしく、炭と同様に「灰は薬だ」と云われて、幼心に気にもせずに食べていた気がします。
しかし、最近全国的にも有名になった信州の郷土食「おやき」ですが、本来はその名の通り「お焼き」なのに、最近では蒸したモノの方が主流で、長野市の善光寺界隈や松本の街中で売っている「おやき」も具は野沢菜やナス味噌など昔ながらですが、これでは「お焼き」ではなく“お蒸し“で、云わば「蒸かし饅頭」です。我が家でも“お小昼”には蒸かしたお饅頭もありましたが、その蒸かしたお饅頭の具は自家製の小豆を煮て作った餡子や砂糖味噌で、春を過ぎて酸っぱくなった野沢菜を甘辛く炒めたり、これまた定番のナスの味噌炒めは専らお焼きの方の具材でした。
因みに「さかた」は蒸した後、鉄板で焼いていますが、これも昔ながらのお焼きではありません。また長野市に隣接する上水内郡小川村の「縄文お焼き」は蒸した後に囲炉裏で焼いてはいるのですが、灰の中に“くべる”のではなく、囲炉裏に掛けた鉄鍋で焼いているので、こちらも残念ながら“灰ころがし”ではありません。
背景には近代化で囲炉裏そのものが無くなったことが大きいのですが、どうしてもあの昔懐かしいお祖母ちゃんの“灰ころがし”が無性に食べくなるのですが、本来の昔懐かしい「灰ころがし」のお焼きを作っている店は殆どありませんでした。そうした中で、生坂村にお祖母ちゃんが昔ながらの“灰ころがし”のお焼きを「灰焼きお焼き」として売っている店があると聞いていたのですが、高齢故か、不定期でいつやっているか(勿論HPなどネット発信も無く)分からず、ずっと行くのを躊躇っていました。
それが冒頭にご紹介したTVの全国放送の中で、主人公で長野県の東筑摩郡生坂村に移住して開業したパン屋さんが製品を並べて貰っている生坂村の道の駅「いくさかの郷」が出て来て、その中でちらっと紹介されたていたのが併設の食堂で販売されている昔懐かしい“灰ころがし”の「灰焼きおやき」だったのです。
そこで先日、安曇野市の旧明科町の北に位置する、生坂村の道の駅「いくさかの郷」へ行ってきました。明科を過ぎて、犀川沿いに国道19号線を長野方面へ北上して、松本からは30分程で到着。
因みにこの生坂村は松本から北に流れて行く犀川の川幅が狭くなって山清路と呼ばれる渓谷となって両側が山に囲まれている場所で、“昔々”母の犀(龍)の背に乗って体当たりして山を崩し、昔大きな湖だった安曇の水を流して肥沃な平を生み出したという、龍の子太郎のモチーフの一つとされる「泉小太郎伝説」の地でもあります。
数年前から生坂の道の駅「いくさかの郷」に併設された地元のオバサンたちが営む食堂の一角に設けられた直売所で「灰焼きおやき」が毎日製造販売されています。
それが「かあさん家」という食堂(こちらはソバではなく、「灰焼きお焼き」と同じ、地粉で打ったうどんが名物の由)を兼ねた直売所で、一日250個限定で「灰焼きおやき」が地元の農家のオバサンたちの手作りで、実際高温の灰の中に“くべて”焼かれて製造販売されていました。
この日は日曜日だったので、整理券を配っていて一人3個限定。10時の販売開始前に1時間分の100個近くが売り切れていました。1時間ごとに焼き上げて販売している様ですが、早い時は一日250個が昼頃には売り切れとか。
他のお焼きの3倍近くありそうな、ソフトボール程の大きさで320円。焼いたので焦げて固いところもあり、またサカタよりも皮が厚いので(少なくとも記憶上では、我が家のお祖母ちゃんの作った灰ころがしの方が皮が薄くてパリッと焼けて香ばしくて遥かに美味しかった様な・・・)、むしろサカタの方が食べ易い感じですが、家内は美味しいと満足していました(大きいので一つでお腹一杯になります)。
でも客観的なそんな印象よりも、何だか子供の頃の思い出が一緒に蘇って来るような懐かしい味。初めての方も、本来の昔ながらの“灰ころがし”の「お焼き」ですので、“一見の価値”ならぬ“一食の価値”は大いにあるかもしれません。
次女一家がアパートから戸建てに引っ越すこととなり、病院勤務と2人の育児に追われ忙しい次女夫婦のサポートに、7月上旬コユキも連れて車で横浜に向かいました。
既に家内は南紀白浜から戻ってすぐ、6月下旬から先に行って荷造りなど引っ越し準備を手伝っており、私メは飽くまで“力仕事”と、不要な家具や家電製品などの粗大ゴミの地区での収集予約が間に合わなかったため、レンタルした軽トラでの横浜市の処理場へ自分たちで運ばねばならず、次女夫婦は二人共ペーパードライバー故に軽トラドライバー兼運搬係です。
引っ越しそのものは勿論専門の引っ越し業者にお願いしてあり、アパートへのアクセス道路が狭く大型車両が駐車して作業が出来ないことから、中型トラックで二度に分けて搬送。残った廃棄物などの処理と新居での片付けなどの作業を、我々も一緒に一週間ちょっと掛かって無事終わらせることが出来、最後は庭木の剪定と手入れを済ませ、残って育児と家事のサポートを継続する家内を残して、先にコユキと松本へ戻って来ました。
この横浜での一週間ちょっとの滞在中にランチで何度かお世話になったのが、新居の近くに在った「バーガーキング」でした(因みに、近くにはバーガーキングだけではなくて、マックもモスも、はたまたサブウェイもフレッシュネスバーガーの店舗も在ったのですが)。
昔、家族で赴任して6年半暮らしたシンガポールで、住んでいたコンドミニアムの近くにはマックもバーガーキングも、そして赴任中に日本から進出して来て、現地でも行列が出来る程人気になったモスの第一号店もありましたが、家族でテイクアウト(シンガポールではイギリス英語のTake away を使うのが一般的)したのは専らバーガーキングでした。子供たちが通っていた英国式スクールのママ友と子供たちに人気だったのも、マックよりもやはりバーガーキングが人気だった様です。理由は単純で、マックよりもバーガーキングの方が美味しいから。それにオニオンリングがあるから。また個人的には、シンガポールではハンバーガーショップなどではオーダーすると必ず無料で付いてくるのが当たり前で、お願いすると更に何個か追加して貰えた個袋のチリソースですが(帰任してハンバーガーショップのどこにも無いのにガッカリし、家では常備しているユウキのスイートチリソースを必ず使っています)、バーガーキングのチリソースが断然美味しくて、片やマックはガーリックが効きすぎていて好みでは無かったのもその理由でした(そう云えば、長女がコンサル勤務時代、シンガポールの日系企業コンサルに3ヶ月間長期出張した際に、バーガーキングのチリソースの小袋を帰国時のお土産にたくさん貰って持ち帰ってもらって、松本でマックのハンバーガーなどをテイクアウトした時に大事に使ったことを思い出しました)。
但し、マックの店舗の中には子供用に遊具などが置かれたプレイルームを備えた店が在り、そこでマックの商品を注文する前提で、子供たちの誕生日会などに無料での貸切が可能でデコレーションもしてくれるので、子供たちもシンガポール時代に友達のバースデーパーティーではバーガーキングではなくマックに何度もお世話になった様です。
さて、前置きが長くなりました。
新居での作業中、子供たちをあやすために気分転換に外出した次女が、ランチのテイクアウトで、「モスかバーガーキングか、どっちがイイ?」と言うので、松本には無いので迷わずにバーガーキングを希望したのですが、家内はモスの方が・・・とのこと。その選択は行った様子で娘の判断に任せることにしました。
暫くすると娘から電話があり、バーガーキングは何を買えば分からないからモスでもイイかとのこと。その時家内が二階で作業していたのをこれ幸いと、30年以上経った今のメニューなぞ私メも分かる筈もありませんが、シンガポールでの記憶を頼りに、
「バーガーキングだったら、確かWhopper Jr.とかがある筈だから、それとオニオンリングとポテトとか、後は任せる!!」
と家内の意向は無視して、バーガーキング一択でお願いしました。
間も無く娘たちが戻り、久し振りに食べたWhopper Jr. 。実に30年振り?でしょうか、
「あぁ、これバーガーキングの味!シンガポールで食べてたのと同じだ・・・」
懐かしい味でした。そしてこれまた懐かしのオニオンリング。
そして、娘が「これも味見してみて!」と一口食べさせてくれた、彼女と孫のために買って来たというハンバーガー。これが旨いのナンノ!
「えっ!これ何?“肉々しくて”ペッパーも効いてて、美味しい!」
聞けば、新製品のグリルド・ビーフとか・・・。
バーガーキングに拠ると、
『2024年6月28日(金)より、直火焼きの100%ビーフパティを最大限美味しく味わえるシンプルな本格バーガー「グリルド・ビーフバーガー」を新発売いたします。
自慢の直火焼きの100%ビーフパティ2枚に、パルメザンチーズとカマンベールチーズを合わせたホワイトチーズソースで仕上げました。バーガーキング最大の特長である、ジューシーで香ばしい、直火焼きの100%ビーフパティを最大限美味しく味わえるシンプルな本格バーガーです。』
とのこと。
何となく、会社に入って生まれて初めて西海岸に海外出張した時に、米国子会社に行く前に、託された日本からのお土産を渡すために挨拶で立ち寄った兄弟会社のオフィスで、出向赴任していた先輩が「ランチで外に食べに出る時間が無いから」と、オフィス近くに来ていたキッチンカーから買って来てくれて初めて食べた本格的なハンバーガー。粗挽き肉のパティがまるでステーキを食べているかの様で、大袈裟ながら「これがアメリカか!」と感激した記憶があるのですが、何だかそれを思い出しました。
僅か一週間ちょっとの横浜滞在中、娘たちには飽きられながら、私の希望でこのグリルド・ビーフバーガーを私メが自分でテイクアウトして来て皆で三度食べました。しかも日曜日のランチタイムは大混雑で、注文して受け取るまでに優に30分以上も掛かりながら・・・。
コストか或いは食材調達の都合か、このグリルド・ビーフバーガーは残念ながら期間限定商品とのことですが、実に勿体無い!通年で販売すれば多少高くても(単品で790円)絶対に看板商品になれる筈!
今度もし来る機会があった時に、また食べることが出来るかなぁ・・・?それよりも、バーガーキング、松本にも出店してくれないかなぁ!・・・。
(因みに、以前の日本進出時は西武系、その後はJTと組んでのフランチャイズ展開は上手くいかず首都圏のみで撤退し、その後ロッテリア傘下となった既存店舗と、併せて日本での営業権を持つ外資投資会社が設立した日本法人が新規店舗を自社展開しているとのことですが、今度は是非地方にも展開して欲しいものです)
6月3日、長野県民にとってちょっぴり嬉しいニュースがありました。
それは、その日の新聞に入っていた、『お待たせしました ビタミンちくわ 販売再開です!』と書かれたチラシです。
長野県民以外の方々はおそらくピンと来ないであろう「ビタミンちくわ」。
以前、本ブログでもスギヨの「ビタミンちくわ」のことを紹介していたので、その部分をそのまま引用します(第1303話)。
『(前略)昔からスーパーマーケットの練りモノ売り場に普通に並んでいる「スギヨのビタミンちくわ」。昔から「ちくわ」といえば「スギヨのビタミンちくわ」が定番で、全国ブランドとばかり思っていました。
株式会社スギヨは、能登半島の石川県七尾市に本社を置く水産加工の会社。しかも、「ビタミンちくわ」だけではなく、あの“カニカマ”を初めて開発したメーカーなのだそうです。
スギヨのH/Pからそのまま引用させていただくと、
「“ビタミンちくわ”は、昭和27年(1952年)に誕生しました。ビタミンを豊富に含む油ザメの肝油を配合したアイデア商品として、戦後の栄養不足に悩んでいた消費者から圧倒的な支持を受けました。以来、発売から66年のロングセラー商品として長くご愛顧いただいています。ビタミンちくわの売上の7割を占めるのが長野県。なぜスギヨ本社がある石川県ではなく長野県なのか。その理由は、大正時代にさかのぼります。古来、能登のブリは、越中(現・富山県)のブリ街道を通って、飛騨、信州へ送られていました。その歴史にヒントを得て、杉與商店(現・スギヨ)が大正時代、ちくわの穴に食塩を詰めて長野県へ発送したところ、海のない同県にとって、貴重なタンパク源と食塩がセットになった商品として飛ぶように売れ、「ちくわと言えば杉與(すぎよ)」と長野県に広く定着したのです。」とのこと。この冬も鍋物やおでんの時に、この「ビタミンちくわ」には大変お世話になりました。」』
食べることが支援になるのなら・・・と、おでんのシーズンはもう終わりましたが、早速買って簡単にちくわキュウリでおつまみにしましたが、いつもの安定の味でした。
頑張ってください!食べることで長野県から少しでも応援になれば・・・。
5泊6日での、初めての南紀白浜の旅。
泊りの最後の日は、せっかくですので地元の新鮮なお寿司を食べることにしました。
グルメサイトでもっと高評価の店もあったのですが、近くて歩いて行けることから選んだのは、日本書紀にも登場し、道後、有馬と共に日本三大古湯に数えられるという白浜温泉の中でも一番古い源泉「行幸源泉」(みゆきげんせん)のすぐ横にある「ホテルシーモア」内の「すし八咫(やた)」です。
ここ南紀白浜も温泉地としてはご多分に漏れず、古くなった旅館が目立つ中で、ここシーモアは数年前に全館リニューアルしたらしく、館内もキレイで家族連れ中心に人気で宿泊は結構混んでいる様でした。
そしてこのホテルには、ビュッフェレストランの他に宿泊客以外でも利用出来る、「いけす円座」という店の中央に配した大型いけすを眺めるカウンター席とゆったりとした小上がり席で、その日水揚げされた新鮮な魚貝類が楽しめるという100席の海鮮レストランがあり、その海側の一角に別店舗で、僅か16席のカウンター席の「すし八咫」があって、オーシャンビューの窓越しに拡がる白浜の海を眺めながら、目の前で板前さんが握ってくれる寿司を楽しめるのだとか。
せっかくなので、案内では夕食も二部制とのことから、事前に予約して最初の17:30の部をお願いしてあります。
家内がホテルの土産物ショップを見たいというので早目に行って、時間になってホテル玄関とは別の海鮮料理店の玄関から入店し、名前を伝えて席に案内頂きましたが、我々が一番乗りでした。
メニューの中から、三種類の寿司コースの中から真ん中の「桃」(税込3850円)と、一品で金山寺味噌きゅうり(550円)と生ビール、地ビールと地酒をオーダー。目の前で握ってくれる板さんと会話しながら、サーブを待ちます。コース内容は、
・おまかせの握り 本日の鮮魚10貫
・小鉢
・蒸し物(この日は茶わん蒸しでした)
・鮑踊りステーキ
・あら汁
・水物
とのこと。
付け出し風の小鉢(何だったか、クラゲの和え物だった様な…)の後、1貫目にカツオ。これが、今まで食べたことが無いくらいモチモチと歯応えがあり生臭さが無く、新鮮で美味!
何でも春の白浜は、釣ってから四五時間数時間しか経過していないカツオ、「もちガツオ」のシーズンとのこと、「もちガツオ」とは、釣ってから約4~5時間以内のモノ」で、「身に脂肪分が少ないため弾力があり、餅のような食感から、もちガツオ」と呼ばれるのだとか。しかし、新鮮なだけではダメで、身にこの弾力がなければもちガツオではないので、見ただけでは判別出来ず、漁業や飲食店の関係者も身を切ってみないとわからないのだそうです。
勿論、初めて食べたのですが、今まで食べたカツオ(たたきとか)の概念が変わりました。本当にべちゃっとしておらず、歯応えというか弾力がある。最初食べた時は、思わず「えっ、これってカツオですか!?」
いつもは生臭いとカツオは食べない家内も、これは美味しいと絶賛でした。
ここの寿司の握りの特徴は、醤油を付けず、ポン酢のジュレ、卸しポン酢、新タマネギの醤油漬け、泡醤油とか、ネタに合わせて工夫を凝らした調味料がそれぞれのニギリの上に載せられたり、ネタ自体にたまり醤油などのタレが塗られていたりと工夫されていて、自分で醤油を付けることは一度もありませんでした。
目の前にいる板さんとの会話(例えば、今までで一番凄かった大型台風の時は、目の前に見えているホテルシーモアの沖合100mの地点に位置する、高さ18m、水深8mの海中展望塔を大波が乗り越えて来たのだとか・・・。一瞬、「本当ですか?」と思わず聞き返してしまいましたが、ここからすぐの三段壁の“サドンロック”のことを考えると有り得そうな話です)や最初のカツオで感動し、途中まで写真を撮り忘れていて、撮った写真も何なのか覚えておらず、写真のみで恐縮ですが、どれも本当に新鮮で美味しかったです。
この日とりわけ感動したのは、「鮑踊りステーキ」。陶板焼きの器に蓋をして蒸し焼きにするのですが、アワビ自体も勿論ですが、特に肝ってこんなに美味しいんだ!と感激する程でした。生臭さも泥臭さも全くしないのです。オドロキでした。 (写真の奥に写っているのがアワビです)
この「すし八咫」の寿司一貫のニギリは、普通の寿司屋のニギリに比べると、ネタは小ぶりでシャリも少なめ(次女が済んでいた頃、成田に行く度に行った「江戸ッ子寿司」に比べると半分以下、もしかすると1/3位かもしれません)ではあったのですが、この値段でこの内容なら(白浜の他店の状況は分かりませんが)海無県から来た人間としては大いに満足でした。
しかも、白浜の海を一望するカウンターで、握りたての寿司をいただける何とも贅沢な時間でした。
また、このシーモアには、ホテル内にある焼き立てパンのお店「TETTI BAKERY&CAFE(テッティー・ベーカリー・アンド・カフェ)」があって、滞在先の近くにはカフェが無かったので、何度かお世話になりました。もし晴れていれば、買ったパンとドリンクを店内のイートインだけではなく、オーシャンビューのソファー席や、屋外の海の見える広いテラスで食べることも出来ますし、広い足湯やインフィニティ・プールもあって泊まりも楽しそうでした。因みに、店名は南紀地方の方言で「とても」とか「すごく」を表す「てち」を店名にしたそうです。ホテルのロビーフロアの1階にあります。
白浜滞在中近くに喫茶店が無かったこともあり、気に入った家内が3度訪れたそのカフェだけではなく、娘たちや孫たちへのお土産も、両方事前に見比べた上で、もっと大きな土産物コーナーのある「とれとれ市場」ではなくこちらのホテルのショップで購入しましたが、スタッフの皆さんも大変親切で接客もとても良かったそうです。
さて、余談になりますがこのホテルシーモアのすぐ横には「行幸の芝」(みゆきのしば)という石碑が立っていて、さらにその下の道路脇に湯を汲み上げるための鉄塔が4本立っていて湯気が常に噴き出し、近くに行くと硫黄の匂いがします。白浜温泉でも一番古い「行幸源泉」です。
その「行幸の芝」という意味不明の名前に惹かれて行ってみました。解説板に由ると、この記念碑一帯(湯崎、崎の湯付近)の台地は、字名(あざな)「行幸の芝」と呼ばれ、飛鳥時代に斉明天皇が湯治のため滞在された、「行宮跡」があった所なのだそうです。調べてみると、
『大化の改新を成功させた中臣鎌足と後の天智天皇である中大兄皇子は、孝徳天皇を即位させました。その子である有間皇子にも皇位継承の可能性も多分にあったのですが、蘇我赤兄に謀反をそそのかされたことで運命の歯車が狂います。逆に赤兄らによって邸を包囲され、囚われの身となってしまいました。中大兄皇子の裁きを受けるために紀伊国・牟婁の湯に行幸中の斉明天皇のもとへ護送される途中、有間皇子が詠んだ1首が藤白坂の入口に歌碑として残されています。「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(家にいれば器に盛るご飯を、こういう旅だから椎の葉に盛ることだ)。
有間皇子はその後、牟婁の湯へ到着し中大兄皇子の厳しい尋問を受け飛鳥へと送還されます。そして、その途中藤白坂で絞首され、19歳の若い命は絶たれてしまうのです。』
従弟の中大兄皇子が滞在していたこの行幸の芝の地に在った行宮に有間皇子を護送させ、この地で中大兄皇子の尋問を受け、その後和歌山県海南市の藤白坂という場所で処刑されたのだとか。道後、有馬と共に三古湯の一つとされる白浜温泉(牟婁の湯)。その歴史の古さを実感することが出来ました。
因みに、その悲劇の有間皇子はその前年、療養のためと称して牟婁(白浜)へ行き、帰京後、その地の素晴らしさを伯母である斉明天皇に報告。そして斉明天皇はこの年、中大兄皇子を伴い、牟婁を訪れていました。
有間皇子は悲劇の主人公ですが、白浜にとってはこの地に行宮を建てた斉明天皇と共に温泉を世に知らせた恩人でもあり、白良浜の近くに「有間皇子之碑」が立っていて、毎年6月にそこで献湯祭が行われているのだそうです。
蛇足ながら、松本にも天武天皇の行宮が置かれていました。松本は古代「束間」(ツカマ。後の筑摩)と呼ばれていて、白浜温泉(牟婁の湯)同様、日本書紀にも登場する束間の湯(今の美ヶ原温泉或いは浅間温泉とも)を気に入っていた天武天皇の行宮が置かれ、天武天皇は束間への遷都まで計画し、調査させたのだそうです(崩御により中止)。
初めての南紀白浜旅行。メインの目的は長年の夢だった熊野古道を歩くことでしたが、たまたま行ったのが5月だったので運良く「もちガツオ」を生まれて初めて食べることが出来ましたし、また新鮮なアワビの肝の美味しさも初めて知りました。そうした新鮮な海の幸も堪能した今回の旅行でした。来るまでは南紀白浜と聞くと、何となくパンダのアドベンチャーワールドと温泉・・・というだけのイメージだったのですが、実際に現地を訪れてみて、熊野古道とはまた別に、遥か万葉の頃より都との関連が在り、歴史の舞台ともなった場所だということを知った、初めての南紀白浜への旅でした。
“海無し県”の山国信州から海辺の町に来ると、お魚のその新鮮さには感動するばかりです。
初日、ホテルへのチェックインする前に、西日本最大級という海鮮市場の南紀白浜「とれとれ市場」に立ち寄り。「とれとれ横丁」には各種海鮮丼などがあるのですが、こちらは持ち帰りが不可なので、鮮魚コーナーでその日のホテルでの夕食用に、鯛、マグロなどの船盛とヒラメなど好みの刺身を購入。
どれも新鮮で美味しかったのですが、特に鯛(種類は不明)がプリプリで本当に美味しかった!(因みにつまみ用に揚げ物も買ったのですが、こちらは小田原には敵いませんでした)
滞在中は、刺身のテイクアウトだけではなく、フードコートの「とれとれ横丁」でランチに海鮮丼も食べましたし、さすがに毎日刺身では飽きるので、二度、一度は気分転換にBBQ用食材店から熊野牛や野菜などを買って帰って、ホテルの部屋はキッチン付きなので焼き肉にしました。また一度はピザをテイクアウトして(マルゲリータと、白浜故にシーフードも)夕食にしました。
海鮮では、別の日には「とれとれ市場」より近くて白浜の街中にある「フィッシャーマンズワーフ白浜」で、海鮮丼をテイクアウトしてみました。
こちらは「とれとれ市場」に比べれば遥かに小規模ですが、南紀白浜にある地元の漁師さんたちが運営しているという施設で、目の前に広がる白浜の湯崎漁港で水揚げされた魚が並び、早いモノだと水揚げから5分以内に店頭に並ぶこともあるのだそうです。
一階には海鮮丼のイートインや、刺身や焼き魚や煮魚、干物などの販売コーナーと別フロアにはダイバーズショップも。二階には海鮮レストラン、そして屋上の三階はBBQのフロアとか。
イートインのコーナーはテーブルが幾つか並んでいるだけの質素な感じですが、丼は10種類くらいあって、地元の料理さんたちが調理もしてくれている様です。我々は夕食用に、私は上海鮮丼(税込1580円)、家内はシラス丼(1460円)を注文し持ち帰りました。
刺身、しらす、ご飯とそれぞれ別々にしっかりトレイに盛って二重にラップしてくれてあり、シラス丼はしらすと玉子焼きに付け合わせの野菜は別のトレイに分けてくれてあるなど、無骨ながら親切丁寧な感じがしました。
個人的は、観光客相手の「とれとれ市場」よりもこちらの「フィッシャーマンズワーフ」の方が素朴で、海無し県的喩えで恐縮ながら、信州の農家の産直売場の“海版”の様な感じで、むしろ親近感を感じました。値段は「とれとれ市場」のイートインと同じ位かもしれませんが、量は1.5倍くらい多いのではないでしょうか。正直食べ切れませんでした。そして、こちらもどのネタもプリップリで新鮮そのもの。いやぁ、ホント旨い!
最終日前日にも、お土産(というか、松本の自宅には食材の買い置きが無いので、帰った日の夕食用に)にシラス丼をご飯抜きでとお願いしました。すると、ご飯抜きの値段は無いとかで、従来のシラス丼の値段でしたが「ご飯の代わりに、その分シラスを多目に入れといたからね!」とのこと。
(確かに、松本に帰ってから開けてみたら、二人で優に二日分はありました)