カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ブリーダーから不要とされて廃棄された推定8歳前後のマルチーズのコユキが、保健所から埼玉の保護団体に引き取られたのが昨年の4月12日。7月末に我が家に正式譲渡となり、推定8歳とのことから、保護団体に引き取られた引き取り日の8年前の2011年4月12日を誕生日として市役所に登録。

ブリーダーから切られた声帯が腫れて息道を圧迫していたために、トライアル中に過呼吸で呼吸困難になって酸素室に入ったり、その結果手術をしていただいたりと色々心配事はあったのですが、お陰さまでこの4月12日で無事一年が過ぎて9歳の(推定ですが)誕生日を迎えることができました。
 そして先住犬のナナ。昨年5月に所謂心臓の増幅弁閉鎖不全症で肺水腫となり、ナナも酸素室に入り入院。その後、薬は勿論エサも殆ど食べなくなり、色々試したのですが痩せるばかり・・・。掛かり付けの獣医の先生からは「覚悟した方が良いかもしれない」とも言われ、「どうせダメならば・・・」と、食べられるドッグフードや大好きだったおやつに戻した結果、次第に食欲が戻り、少しずつですが食べる(おやつに隠した薬も一緒に)量が増えていきました。
 その間にコユキを引き取ったのですが、すぐにナナのところにすり寄っていくコユキにも良い意味で触発されたのか、動きも食欲も次第に増えていきました。その結果、先生も「こんなこともあるんだなぁ!」と驚く程に回復(先生曰く、普段の生活が出来るように、病気に体を順応させた)し、コユキが来る前とでは見違えるようにナナも元気になってくれました。
そのナナは、この4月16日で満13才。病気になった時は、この13歳の誕生日どころか、年越しも危ぶんだことが今では信じられません。
 保護犬のコユキが我が家に来たのは、幾つもの色んな偶然が重なった結果なのかもしれませんが、ナナとコユキ。二匹を見ていると、こうなることが“偶然の必然”だったような気がします。

 ナナ、コユキ、誕生日おめでとう!頑張って、長生きしようね♪
【追記】
老衰で“虹の橋”を渡れるように、最後まで面倒を見る。
どの飼い主の方であっても、例え一時の気まぐれで買い始めたにせよ、犬を飼うとその時に決めた以上は、最後まで看取ってあげることが飼い主としての最低限の義務だと思います。そして、どんなに可愛がった飼い主であっても、忠犬ハチ公ではありませんが、絶対に飼い主が犬を残して先に逝ってはいけない・・・と思います。飼い主を待ちわびる“忠犬”、それは決して美談ではありません。犬にとって残酷でしかないのですから・・・。ハチ公も死後解剖された時に、胃の中に焼き鳥の串が3~4本見つかったのだとか。飼い主だった上野博士を批判するつもりは毛頭ありませんが、飼い主に先立たれたハチ公の悲哀を感じざるを得ません。彼は、決して後世“忠犬”などと呼ばれて銅像になりたかった訳では無く、平凡な飼犬のままで、“虹の橋”を渡る最後まで上野先生に可愛がってもらいたかっただけなのだと思います。そして、それこそが全ての愛犬たちの本望だと信じます。

 前回ご紹介したモズのモッくん。
実際の姿は見ておらず、薪割理の際に薪の中から出てきた芋虫を並べておくと、無くなっていることがあったので、多分モズが現れて食べているのだろうと思っていたのですが、先日とうとう姿を見せてくれました。

 3月7日の土曜日。翌日が雨かみぞれ予報だったので、晴れ予報だった土曜日に一週間分の薪を用意しておくことにしました。
いつもの様に太めの薪を半分に割っていると、いつもの様に芋虫が何匹か出て来ました。そこでまたいつもの様に近くの排水溝のコンクリートの蓋の上に芋虫を並べておきました。
割った薪を竹蓑に入れてその場を少し離れると、背中が黒でお腹が橙色をした小鳥がさっと近くの木の枝に飛んで来ました。間違いありません、モズ(百舌鳥)です。
漸く姿を現してくれました。しかし、薪割の最中も警戒することもなく、近くの枝に留まって薪割が終わるのを待っていた10年程前の最初のモッくんとは違って、警戒して人間がいなくなってもすぐには舞い降りては来ません。もし、人間の姿をちょっとでも認めるとパッと飛び立ってしまいます。
そこで見ているのを諦めて薪を運んでから戻ると、その間にモッくんが安心して食べたようで、芋虫はキレイに全部無くなっていました。
二度三度繰り返していると、少しは安心したのか、10m程離れて見ていると、枝から舞い降りて啄む様になりました。
 一代目のモッくん程は未だ慣れてはくれていませんが、多少は安心してエサを食べられると分かってくれたのでしょう。
また一週間後の再会を(勝手に)約束して、三代目のモッくんに暫しのサヨナラを・・・。
 「また、来週来るからね !♪」
【注記】
遠目のため写真がボケていますが、黄色の枠内がモッくんでピンクの枠内に芋虫が並んでいます。

 飼い主に忠実と云われる柴犬などの和犬や、総じて人懐っこいとされる洋犬など、それぞれ犬種毎に特徴があることは否定しませんが、同じ犬種であっても個々の犬によって少しずつ性格が異なります。それは、必ずしもその犬種のせいだけとは断定できない個々の性格や癖であり、それは我々人間と同様に、それぞれの犬の持つ個性だろうと思います。

 以前、家を建てて初めて飼った今は亡きチロルと二代目のナナのそれぞれの癖を、題して“ナナ癖”とご紹介した(第939話)のですが、新たに家族になったコユキには犬種のマルチーズとしての特徴に加えて、コユキ個人(個犬?)としての癖があります。

 それは、大好きな家内が朝起きたのを察知すると、二階から降りて来るのを今か今かと階段下まで行って待っていて、階段を下る音がするとやおら立ち上がってけんけんして歓迎しています。しかもそれが、長い時は20秒くらいも続くのです。
そして、もう一つの癖は、ウンチをする時にまるでフィギアスケートのスピンの様に、それこそ何十回もその場でクルクル回転してからポジションが決まると漸くウンチをするのです。
室内のオムツでオシッコをする時は、ナナもオムツの上で何度か回転してからオシッコをしていますが、散歩中はウンチも含めて回ることはありません。
散歩ではコユキは大好きな家内と必ず一緒に行くのですが、その時家内はコユキが回転することでリードが縒(よ)れてしまうのを避けるために、手許でコユキの開店に合わせて(同調させて)一緒にリードをぐるぐると回転させています。
或る意味“微笑ましさ”を感じないではないのですが、その癖はもしかするとブリーダーに捨てられるまでの8年間(推定ですが)、ただ繁殖させるための“ビジネスツール”として狭いケージに閉じ込められていて、自由に動くことが出来ず、ましてや戸外に散歩に出ることなど無く、結果としてその狭い自分の行動範囲の中で出来た唯一の“動き”がその“回転運動”=スピンだけだったのかもしれません。
しかもコユキは、散歩中に他の犬が普通にする様なマーキングを、これまで一度としてすることがありません。散歩をさせてもらうことも無く、捨てられるまでの8年間、ずっとケージの中に閉じ込められていたのであればそれもむべなる哉・・・と思わざるをえません。
その意味では、むしろこれまで歩んで来たコユキの“犬生”から止むを得ず身についてしまった習性や癖かも知れず、例えクルクルと何十回と回転しても、それは微笑ましさよりも却って不憫さを感じてしまうのです。
 小型犬の寿命は大体15年と云われています。犬種の平均寿命で云うと、コユキのマルチーズは、ナナのシーズーとほぼ同様の13才だそうです。正確には分かりませんが、コユキが推定8歳であるとすると、仮に彼女の寿命が仮に15年だったとしても、クルクルと回転をするコユキを見るにつけ、“三つ子の魂”ではありませんが、彼女の過ごして来たこれまでの“犬生”の半分を思わずにはいられません。
これまでの彼女の“犬生”と少なくとも残りの同じ8年以上をこれから頑張って過ごしていく中で、これまでの様に怯えて神経質にならずにお腹を見せて寝られる様な、安心安寧の生活の中で、これからのコユキが好きな様に、そしてしたい様に、これまでの生活から身に着いた癖や習慣が少しずつ、そして一日も早く変わっていくことを願っています。
 “ハイ、コユキ!りらっくすぅ~♪”

 この冬は暖冬ですが、薪ストーブは例年同様に毎晩焚いています。
購入しているナラ材の薪が太くて火持ちは良いのですが、細い方が火を着けた最初の頃は燃え易いため、焚き付けの確保も含めてナタで半分くらいの太さに割って使っています。
一週間毎に薪割をするのですが、薪を割っていると結構木の中から小さな芋虫が現れてきます。
すると、以前にもご紹介した様に、どこからともなく背中が黒くお腹の茶色い小鳥が現れて、木の枝に留まって人間がいなくなるのを待っています。モズです。
10年ほど前でしょうか、初めてモズが現れて薪割の度にその芋主を啄んで食べる様になりました。そのモズは随分人懐っこくて、然程警戒することもなく、すぐ近くの枝に留まってじっと待っていました。そこで“モッくん”と名付けて、モズとの交流が冬の間続きました(第37話参照)。

 春先などにトラクターなどで畑を耕していると、掘り返された土の中に住む虫を探して、耕し終わった後を鳥が歩き回ることがありますので、鳥の習性として、薪割りなどで木の中に住む芋虫が見つかることを知っているのかもしれません。そこで、薪割り最中に木の中から出て来た芋虫をモズ用に並べてあげます。割った薪を運んで、新しく割る薪を積んで戻って来ると、しっかりとモズが芋虫を食べてキレイに無くなっていました。

 その後“モッくん”は居なくなったのですが、また二年程前にモズが現れました。しかし、モズ(百舌鳥)の寿命は2年程度だそうですので、10年程前の最初の“モッくん”ではなく、恐らく全く別のモズだったのでしょう。謂わば“モッくん”2世です。
 そして昨年は全く見掛けなかったのですが、今年、また芋虫を並べて置くと無くなるようになりました、まだモズそのものは見掛けてはいないのですが、また別のモズが現れて食べているのかもしれません。今度は“モッくん”3世なのでしょうか。姿を現してくれるのを楽しみにしています。
【注記】
写真は2年前の“モッくん2世”と(嫌いな方もおられるかもしれませんが・・・スイマセン)木の中から現れた芋虫です。

 今度はそば粉を頂きました。量にして粉で500gありましたので、蕎麦にすれば大盛りで二~三人前位でしょうか。
しかし残念ながら蕎麦打ちの経験は無いので、自分で打って蕎麦にして食べる訳にもいきません。
 「さて、どうしよう?」
素人でも見様見真似でやってみれば、多少は蕎麦らしきモノにはなるかもしれません。我が家でも自家用に昔蕎麦を植えて収穫し、祖母が自宅で蕎麦を打って食べさせてくれたことがありました。十割ですので味は良かったのですが、そこは素人故にぶつぶつ切れた太くて短い真っ黒な田舎蕎麦でした。
まぁそこまで無理しなくても、蕎麦が食べたければちゃんとした蕎麦屋で食べれば良いので、奥さまは蕎麦がきが食べたいとのこと。
以前木曽の時香忘と旧安曇村の稲核にある渡辺で蕎麦がきを食べたことがありますが、時香忘のそれは蚕の繭状に丸めた団子を炙ってあり、(海苔を巻いて)醤油を付けて食べます。渡辺の蕎麦がきは、片手鍋にそば粉を溶いてあり、それをスプーンですくってタレに漬けて食べます。多分、渡辺の方が本来の蕎麦がきであるように思います。
しかし、奥さまの希望は温かい汁に蕎麦の団子を入れて、根菜と一緒に煮て食べたいとのこと。どちらかというと蕎麦がきではなく、そば粉で作ったすいとんでしょうか。

 そこで、鴨の代わりに鶏モモを焼き、ダイコンやニンジン、ゴボウの根菜、湯引きした刻み油揚げを煮て、その汁に熱湯で溶いた蕎麦粉をスプーンで落とし入れ煮立てて完成です。ハスに切ったネギを散らし、好みで七味を掛けていただきます・
我が家のつゆは常備の「創味のつゆ」。信州蕎麦風のそばつゆの様には決して甘過ぎず、絶妙な塩梅です。今回も野菜の甘みと相まって美味しいのですが、むしろゴボウから実に良い出汁が出ている様に思います。
 「旨いなぁ!」
却って、素人が下手な蕎麦を打って食べるよりも、却って蕎麦粉でのすいとんの方が自宅で食べるにはむしろ美味しかった様に思います。
ただ500gというのはかなりの量ですので、全部ではなく、溶いた残りは蕎麦湯にしていただきました。最近の蕎麦屋の中には、蕎麦の茹で湯ではなく、わざわざそば粉を溶いてドロドロとした濃いそば湯として出す店もありますが、これまた同様に濃いそば湯も美味で、蕎麦がきならぬすいとんとそば湯で存分に楽しめた蕎麦粉でありました。

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