カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 リビングルームの大画面TVは、Sonyの有機ELブラビアです。
早めの終活と断捨離で、2年前に一戸建てからこちらのマンションに引っ越した際に、あらゆるものを断捨離の一環でダウンサイズしたのですが、その中で反対に唯一大きく、或いはグレードアップしたのが冷蔵庫とTVでした。
(そう云えば、コロナ禍で東京から戻り松本でリモートワークをしていた長女のリクエストで、洗濯機も乾燥機能付きのドラム式にグレードアップしていました・・・ん?これって、昔で云うところの“三種の神器”⁇)

 子供たちが巣立って以降は母を含めて年寄り3人だけだからと、10年ちょっと前に買い替えた冷蔵庫は、それまでより小さめの480リットルにしたのですが、これが失敗でした。食料品の買い出しは週一のまとめ買いでしたし、冷凍可能なモノは一度に多目に作って冷凍保存するので、冷凍庫が小さいとすぐに一杯になってしまうのです。
そこで引っ越しにあたって冷蔵庫だけは550リットルと今までより大きめのサイズにして、また家内のリクエストで、野菜室は冷凍室よりも開ける頻度が高いので、野菜室が一番下ではなく取り出し易い真ん中にあるタイプにしたのですが、これが大正解でした(因みに、選んだ冷蔵庫には一番下の大きな冷凍庫とは別に、独立した別の小さな冷凍室と製氷室が野菜室の上に並んでいるので、夏に使う氷や使う頻度が高い冷凍モノはこちらに収納可能です)。

 さて今回の主題であるリビングルームのTV。画面の大きさそのものは55インチで以前と同じですが(65インチだと、狭いマンションでは視聴距離が十分に取れず、むしろ部屋のサイズに比べ大き過ぎます)、昔のモデルに比べれば勿論液晶TVも4K液晶など画素数増に伴い映像表現は随分進化していますし、また画面も遥かに薄くなっています。しかしTV売場で実物を見比べると(各社とも売り場では目立つように、実際家庭で見るよりもかなり明るさを強調した家電売り場用の映像表現に変えているので注意が必要ですが)、例えば同じブランド内での有機ELと4K液晶との比較であれば(同じ宣伝用の映像を使っていることが多いので比較し易い)、やはり同じ4Kでもバックライトの液晶と自発光の有機ELではその映像表現の差(但し、その差が分かる高画質の映像作品であればですが)は歴然でしたので、結局4K液晶ではなく最新の有機ELにしました。
中でも購当時Sonyのそれは、TV画面自体が振動するサラウンドの平面スピーカーが用いられていて、その臨場感が特徴。しかも前後左右に加え、高さ方向の音表現も可能にする最新の立体音響技術Dolby Atmos(ドルビーアトモス)にも対応。従来、立体音響を楽しむにはリアスピーカーなどを設置するか、またDolby Atmosなどの最新の立体音響技術が盛り込まれたサウンドバーを追加する必要がありますが、このブラビアでは、「Sony独自の最新の音声処理システムにより、テレビ本体のスピーカーだけで立体音響が体感出来る」というのが謳い文句でしたので、今流行りのサウンドバーを追加しなくても、TVだけで30Wあり音量的にも十分と感じた次第。
因みに、マンションの様な集合住宅では階下への低音の影響を危惧し、床置きのサブウーファーの使用は諦めたというケースが多いのです。従って、流行りのサウンドバーもサブウーファーが独立していない、オールインワンタイプのサウンドバーを選ばざるを得ません。
片や、既にご紹介した様に、寝室のパナソニックのビエラは、各社の4K液晶モデルの中では当時最小サイズだった42インチの液晶TV(現在4Kの最小モデルは43インチで、42インチは生産終了予定の古いこのモデルだけだった)ですが、購入した時からTV側の音響は今一つということは分かっていたので、入門機にも拘らず最新のサラウンド技術Dolby Atmosを搭載し、本体内にデュアルサブウーファーを内蔵しているので低音も豊かで音質的にも高評価の(当時から現在でもベストバイモデルの)DENON のサウンドバー DHT‐217を追加して、音響的にも満足いく環境で視聴しています。
そこで、リビングルームでは2年近くブラビア本体の平面スピーカーだけで視聴して来たのですが、一般のドラマやスポーツ中継などの映像は全く問題無いものの、YouTubeなどで音楽プログラムを視聴するとなると、やはり低音不足が気になってきました。
 「うーん、もうちょっと低音を効かせたいなぁ・・・」
そうかといって、サラウンド音響で30Wのブラビアの平面スピーカーも捨てがたい。そこでブラビア自身の音響を活かして、そこに低音だけを追加し強化することにしました。
そのためにはサブウーファーをだけを追加しても良いのですが、TVから(アンプを介さないと)直接は接続出来ません。また幅1m近い様な大型のサウンドバーはTV台の置き場所もですが、視覚的にも邪魔。そこで2段になっているTV台の上の段に置ける様なコンパクトなタイプを選ぶことにしました。因みに上の段の幅は60㎝です(因みに、上述のDENONのサウンドバーDHT-217は長さ89㎝です)。
探してみると、サウンド的にも合格(≒満足出来そうなスペック)で且つサイズもそれに適合するコンパクトタイプのサウンドバーは僅か2モデル(聞いたことも無い無名ブランドの製品は除きます)で、YMAHAとJBL。長さがそれぞれ60cmと61.4cm。見た感じYMAHAは長さがピッタリなのですが、高さが1cm程厚くて、しかも全体が何だかボテっとした感じでデザイン的には私の好みではありません。但し、スピーカー2基だけのJBLに比べ、YMAHAはサブウーファー機能のスピーカーが追加されています。いずれにしても、どちらも日米の老舗の音響ブランドですのでサウンド的には安心です(というより、米国ハーマンのJBLは、嘗ての“怪物スピーカー”パラゴンに代表されるハイエンド・オーディオメーカーとしてオーディオマニア憧れのブランドでした)。
そのため選択肢としてはどちらでも構わなかったのですが、ところがたまたまAmazonのプライムデー期間中に、そのJBLのサラウンドバーが対象商品に含まれているのを発見!しかも、通常2万円弱が、11,000円ちょっとで購入可能とのこと。そこで奥さまに頼んで(≒懇願して)、最新のJBL「BAR 2.0 All-in-One MK2」を買ってもらいました。このJBLのサウンドバー2.0 はサブウーファーレスながらも、昔から定評あるJBLサウンドの豊かな低音というレビュー評価で、しかもDolby Atmosではありませんが、JBL独自のサラウンド音響技術を搭載してDolby Digitalに対応しています。因みにYMAHAの当該モデルもDolby Atmosではなく、独自のサラウンド技術とのこと。どちらも実売2万円以下のモデルですので、スペック的にそこまで要求するのは無理でしょう。(Dolby Atmosを搭載するには、開発した米国企業のドルビー研究所にライセンス料を支払わなくてはいけません)。
 数日後、Amazonから送られてきました(注記:梱包箱の写真を撮っていなかったので、H/Pから写真を拝借しましたが、MK2の前の初期モデルの箱です)。
ところが、到着後さっそく接続してみると、私が当然とあると思っていた機能がSonyブラビアには無かったのです。
最新のサウンドバーはTVとの接続はHDMIのARC接続(TV側のリモコンでTVとサウンドバー双方が連動してON-OFFやボリューム調整が可能)が殆どで、SonyもJBLも問題ありません。しかもJBLにはHDMIケーブルが付属されているので、新たに購入しなくてもサウンドバーが届けばすぐに接続可能です。
しかし、例えば寝室のパナのビエラと違って、(Sonyの他の機種は知りませんが、多分)ブラビアの平面スピーカーを搭載しているモデルはTVとサウンドバーを同時に使うことが出来ず、どちらか一方を選択しないといけません。つまり、サウンドバーを使う時はせっかくのサラウンド効果のあるTVの平面スピーカーは鳴らないのです。逆にTV側の平面スピーカーの音響を使用する時は、サウンドバーが接続されていてもサウンドバーから音を出すことが出来ないのです。
ただ後で分かったのは、ソニー自身のサウンドバーの指定機種との接続なら、センタースピーカーとしてテレビからも同時に音が出せて、「定位感が向上し、より臨場感のある体験が可能」と謳っているのです(それにしても、Sonyだけっていうのはちょっとヒドイよなぁ・・・!)。
最初何がいけないのか分からず(しかもSonyにはトリセツが付属しておらず、ネット上でダウンロードしないといけません)、トリセツを見ても(当方の見方が悪いのか)なぜ両方から音が出ないのかは直ぐには分からないのです(サウンドバーの接続方法などは記載されているのですが)。
そこで、Sonyの対象機種名と一緒に症状や使用上の要望(双方同時に鳴らしたい・・・云々)を入力検索して、漸くネット上でそれに該当する、既に同じ問題を体験済みの第三者の方のアドバイスと、それを手掛かりしてトリセツ上の記述も見つけることが出来ました。
その結果の結論・・・HDMI接続ではTVとサウンドバー双方を同時に鳴らすことは出来ないが、別売りの光デジタルケーブルを接続すると両方から音を出すことが出来る。但し、その場合に(HDMIのARC接続の様に)TVのリモコン一つで双方を使えるかどうかは不明(=トリセツには記述されていない)。
余談ながら、他の製品も含めてなのですが、Sonyのお客様相談室機能は全く以て本当に不親切‼‼・・・。電話は平日の昼間に何時間待っても全く繋がらないし、ではメールで回答を得ようとすると、これも非常に複雑で使い辛い(すぐに送信出来ない)。しかもたまたま家電量販で(別製品ですが)同じ話題に触れた時に、量販のスタッフの方曰く、
 「いや、お客様だけでなく、ソニーさんは我々量販からのコンタクトでさえ非常にし辛いんですよ。殆ど繋がらないです・・・。」
もはや、Sonyはメーカーなどではなく、最早エンターテイメント制作のソフト会社なのでしょうか?(アフターサービスなぞ関係無しの、制作する映画や歌が一発当たればそれで良し・・・で、売りっぱなし、作りっぱなし・・・。実際のグループの利益も、ハードよりもソフトで稼いでいる筈ですので・・・)
 さて、光デジタルケーブルを量販店から買って来て接続した結果、漸くTVとサウンドバー双方から音が出て来ました(ある意味、無駄な出費なのですが・・・)。しかしSonyの平面スピーカーの音源上(スピーカーがTV画面上のどこにあるのか、サウンドバーとの距離で)、ドラマやニュースなどで、人が発声する場合、平面TVからの音声とサウンドバーからの音声が二重に重なって聞こえてしまうのです。そのため聴いていて何だか不自然で気持ちが悪いのです(例えば、ニュースを読んでいるアナウンサーが同時に二人いる感じ)。
これが寝室のパナのビエラだとTV側のスピーカーの性能が(せいぜいTV下部に配置された左右のステレオ単音源で)低いせいか、逆にサウンドバーと同時に使っても気にならない。むしろどちらか単体で鳴らすよりも、双方同時に鳴らした方が相乗効果で増幅して、より厚く立体的に聞こえるのです。
従って、Sonyの様にTV側のスピーカーの性能が高いと(??)、サウンドバーとの併用はむしろ逆効果で“痛し痒し”なのかもしれません。
でも技術的に、自社のサウンドバーで双方を活かす術(すべ)があるなら、Sonyのサウンドバー自体に何か特殊な独自技術が施されている訳では無い筈なので、他社のそれも活用できる筈。どう考えても、素人目には他社製品排除としか思えないのですが・・・(如何???)。
しかし、これが音楽の場合は、クラシックでもJazzでもポップスでも、オケや合奏でなくソロシンガーであっても、ミュージックシーンになるとこれが全く気にならない。むしろ追加されたサウンドバーの音響効果が増幅されて音に立体的な厚みが出ます。特にさすがはJBLで、両側に楕円形スピーカーが僅か2基だけの筈(サブウーファー無し)ですが、80W(40W×2)と十分なボリュームでしっかりと低音も出ていますし、独自というサラウンド効果(Dolby Atmosではありません)で確かに立体的に聞こえてきます。
そこで、音楽を聴く時だけ、従ってTVの番組よりも、むしろYouTubeやYouTubeミュージックの音楽プログラム、例えばライブ録画された国内外のクラシックコンサートやJazzやポップス、クラシックなどのプログラムなどを視聴する時は、サウンドバー側のリモコンでONしてサウンドバーとTVの双方から音を出して視聴しています。もし、OFF後に、また音楽番組を視聴する場合はそのままTV側のリモコンで消せば(JBLはスリープ機能があるので)、次にTVリモコンでONをする時もサウンドバーも同時にONになるので便利です。
そのため、好きな音楽番組をリビングで視聴する時は、JBLのサウンドバーも追加して、低音の厚みを増したサラウンド環境で音楽を楽しんでいます。 
 それにしても、当然と思っていた機能が、ブランドによっては使えない(というより他社製品排除)というのを今回知って、些か“天下の”Sonyブランドに幻滅を感じるのを正直禁じえませんでした。
 「こんなのは技術的であろう筈がなく、むしろマーケティング上の対応であるとしたら、エンジニアの盛田さんはともかく、あの井深さんは泣いているだろうに・・・」

 『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場』
ソニー創業者井深大氏が書いた東京通信工業の設立趣意書、そんな対応をしている(させられている?)今のSonyのエンジニアの人たちはもう一回読んでみればイイ・・・。
問うて曰く、江田島の“五省”で云う「至誠に悖るなかりしか・・・」。

 11月19日。4年前に縁あってコユキを我が家にお世話してくださった、埼玉のワンコ保護団体の“里親会”が狭山市のドッグランで開かれたので信州から参加して来ました。
コユキを世話してくださった保護団体は色々事情があって解散されたのですが、コユキの“仮ママ”さんと、同じ保護団体で一緒に活動されていたもう一人の“仮ママ”さんのお二人は、別の埼玉の保護団体さんに加入されて活動を再会されるようになっていて、今回はその団体さんの里親さんたちと、コユキ同様そのボランティアさんにお世話いただいた里親さんの皆さんが合同で参加されました。因みに新しく加入された団体は、これまで里親会は実施されておらず、以前の団体の“仮ママ”さんお二人が主体となって初めて開催されたとのことでした。

 今回はコロナ禍もあって、3年ぶりの開催になります。前回はナナも一緒に参加しましたが、今年はコユキだけでの参加です。
埼玉が拠点の保護団体ですので、殆どの里親さん方は首都圏在住のご家族で、遠方からは今回も我が家だけかもしれませんが、コユキの時も何組か申し込みがあった中で、わざわざ家庭訪問にも来ていただいて、縁あって遠方である松本の我が家を選んでくださいました。家内は長女の所にサポートに行っていて、東京から直接の参加なので、そのため今回は私メがコユキと一緒に松本から車で参加します。
 予定より20分ほど遅れて朝7時半前に出て、途中談合坂SAに立ち寄り、こちらにはドッグランがあるのでここでオシッコ休憩。
オヤツも食べて水も飲んで、八王子から圏央道へ。東名と合流する蛯名などで慢性的に渋滞する圏央道ですが、横浜の次女の所へ行く時とは逆コースなので、上越道方面へ向かう方の圏央道はそれ程でもありません。
予定通り、10時半に狭山市のドッグランに到着。所沢からバスで来る家内を待って、受付をし、コユキの“仮ママ”さんであるボランティアさんに挨拶をして、参加されていた里親さん方とワンコ談義で談笑です。この日集まられたのは60人程か、老若男女、殆どは初対面の里親さんですが、そこは同じ里親同士でお互いのワンコ談義に花が咲きます。
コユキは上京している家内とは一週間ぶりなので、家内から離れず、また歩かないので(ナナもでしたが、コユキも歩かないので、我が家のワンコたちにはドッグランは“無用の長物”です)、ずっと家内に抱っこされたまま・・・。
集まった“元”保護犬の中には数匹シーズーも居て、事情を説明して触らせて貰ったりもしましたが、どうしてもナナを思い出してしまい涙が溢れて堪りませんでした。

 最近はNHKなどでも保護犬や保護猫の譲渡呼び掛けの番組や芸能人の方々が保護犬や保護猫を引き取って暮らしている様子が放送されるなどして、世間の皆さんにも保護活動への理解や、そうした保護犬や保護猫を迎え入れる家庭も増えてきたように思いますが、それでも我が国には欧米とは異なり当たり前の様にペットショップがあり、中には設け主義のペット業者や、多頭飼で崩壊する(繁殖犬を捨てる)ブリーダーなどもいますし、ファッション感覚や流行でペットを飼って、結局飼い切れずに飼育放棄する無責任な飼主もいて、こうした保護犬や保護猫が後を絶ちません。
幸いにも、長野県など保健所に保護された犬の殺処分ゼロを継続している自治体も増えつつあるのですが、猫についてはまだまだという自治体が多く、地域猫活動のボランティアの方々に頼らざるを得ない状況にあります。
ペット用のオムツやジャーキーなど、ペットショップを併設しているホームセンターに買いに行くと、ジャックラッセルの購入を考えておられるお子さん連れのご家族に、
 「この犬種は、それ程散歩させなくても大丈夫です。飼い易い犬ですヨ!」 
と、ジャックラッセルの性格や飼う時の留意事項とは真逆の説明をスタッフがしているのが聞こえて来て、“売らんかな!”が見え見えで驚いたことがありました。そうしたことがイヤで、「可哀想で、見るに堪えないから」と家内はペットコーナーの近くには絶対に近付きません。

 どうして、日本ではペットショップが許されるのでしょう?どうして欧米の様に禁止されないのでしょう?
 こうした集まりに参加しているワンコたちは、中には認知症になってしまったワンコや全く視力が無いワンコもいるのですが、どの里親さんも愛情を注いで最後まで世話をしているので、或る意味幸せなワンコたちなのかもしれません。
コユキもブリーダーから不要になって捨てられた推定8年間ただ子犬を生ませるだけだった繁殖用の“道具”で、埼玉県の保健所から引き取られた保護団体のボランティアの“仮ママ”さんから生まれて初めて愛情を注いでいただき、記号や番号ではなくおそらく初めて名付けて頂いたであろう「こゆき」という名を、縁あって埼玉から遠い松本の我が家に来てくれてからもそのまま引き継がせて貰いました。
幸い先住犬のナナが全く気にせず、4年間は二匹で一緒にくっ付いて眠る日々でしたが、今年の3月にナナが虹の橋を渡ってからは、今まで以上に家内に甘える様になり、寝る時も家内と一緒です。
コユキは繁殖犬時代に吠えてもうるさくない様に声帯を切られているため、気道が次第に腫れて呼吸が苦しくなってしまうため、我が家に来てからの二度の手術を含め、東京の専門医で三度手術をしていただいています。ですので、ペットショップで“健康”なワンコを“買う”方が余程安かったかもしれません。でも、我々が何かを我慢してでも(例えばワンコ連れで行ける所しか旅行には行けません)、ケージの狭い世界の中で愛情を知らずに虐待されて来たであろう年数を、せめて取り戻せるくらいはコユキを可愛がってあげたいと思うのです。

 そして我々だけでなく、保護犬を迎えた誰もが、そんな気持ちをそれぞれが抱いてワンコたちに愛情を注いでおられる里親の皆さんです。そんな皆さんを見ていると、まさに“同志”。犬を飼うなら保護犬を!という同じ“志”を持つ仲間という気がしてきます。
もし「保護犬ならタダで安いだろう」と思う方がいたら、絶対に止めた方がイイ!どの保護団体もそうだと思いますが、保護した犬は避妊手術やマイクロチップを体内に埋め込む手術をしています。保護犬を引き取って飼うためには、それに要した費用を負担する必要がありますし、我が家のコユキの様に、保護されるまでの状況、例えば多頭飼いやブリーダーの劣悪な飼育環境などで、保護された段階で健康上の問題を抱えた犬も決して少なくありません。そうしたことを理解した上で、最後まで飼うという覚悟が必要です。集まった中には保護された時には既に視力を失っていたワンコや、元気で飛び回っているワンコの中には「今まで何回も手術をして、コイツはもう何十針も縫ってるんです」と笑って話される飼主さんもおられましたが、ここに集った飼主である里親の皆さんは、皆覚悟を以て、そうしたワンコたちを最後看取るまで世話することを誓って、敢えて保護犬を引き取った飼主さんなのです。そんな里親の一人として、是非そうした“同志”が一人でも多く日本中に増えていくことを願わずにはいません。

 この日、そんな思いをまた新たにした“里親会”でした。

 喪中故年賀を自粛していた正月ですが、街中の松飾りも取れて昨日で“松の内”も明けましたので、ここに謹んで寒中お見舞い申し上げます。

 昨年の本ブログへのアクセスは、3年前にコロナ禍で皆さんホームワークや家に居ることが多かったための37万件、そして一昨年も35万件と増加した件数には届きませんが、これはむしろコロナ禍からいつもの日常活動が戻ってきたことの証左でしょう。
その昨年は10月に母が亡くなったため、忌中の49日間ブログ掲載を休止したこともあって一ヶ月以上も休止したにもかかわらず、それでもコロナ禍以前を上回る28万件近いアクセスをいただきました。誠にありがとうございました。

 本年もどうぞ宜しくお願い致します。

(掲載した写真は、写真だと少し分かり辛いかもしれませんが、昨年11月28日に雪雲が掛かった西山方面に現れた、“虹と雪のバラード”ならぬ、雪雲に反射する“ダブルレインボー”です。昔から幸運のサインと云われるそうですので、どうぞ皆さまにとっても良い年でありますように!
それと、今年2024年の初日の出です。
マンションの部屋から初日の出が見れることを昨年知り、生まれて初めて外出せずに、家のベランダから初日の出を望むことが出来ました。)

【追記】
元日に起きた能登半島地震。松本は震度4、しかも震源地から離れた長野県中部地方ですが、何故か北陸地方を除き唯一3レベルの長周期振動が記録されるなど、松本も結構長く横揺れが続きました。それにしても、正月元日から大地震に見舞われるなんて・・・。しかも奇跡的に旅客機からは全員が脱出出来たとはいえ、羽田空港で飛行機事故まで起こるとは・・・。
しかし今年は辰年。地の底からでも、昇竜の如く後は昇るだけ!・・・そう信じて頑張るしかありません。
石川県を始め、北陸の被災された皆さま、謹んでお見舞い申し上げます。負けるな!ガンバレ北陸!
【追記その2】
第438話『私たちの時代』-2007年能登半島地震を経て、乗り越えて行った人たち・・・。
当時、2007年に起きた能登半島地震に向き合った門前の若者や地元の人たちのことを記録した、フジTVのドキュメンタリーを視聴して、東日本大震災の後で敢えて掲載した記事です。宜しかったら438を検索してみてください。今度も少しでも参考になれば・・・。

 元々10月22日に予定されていた、横浜に住む次女の二人目となる孫娘のお宮参り。
しかし先述の様に、急な母の葬儀で我が家は忌中となったので、一旦、おめでたい席への出席を遠慮すべくお断りさせていただいたのですが、先方のご実家のご両親から、
 「そう仰らずに・・・。当方は気にしませんので、せっかくの孫のおめでたい儀式ですから、もし何なら落ち着かれるまで先に延ばしても構いませんので是非お越しください。」
との本当に有難いお言葉。(実際、お電話をいただく前に、もう婿殿には延期するように指示されていたと後で伺いました)
こちらが信州の田舎ゆえに些か古臭くて時代遅れだと云われればそれまでですが、しかし本来ならそうしたおめでたい席への参加など忌み嫌われても致し方ない筈・・・です。
しかし延ばそうにも、11月に入ると七五三シーズンで、フォトスタジオの予約が一杯で取れない由。そうかといって、12月になると今度は寒くて、神社へお参りに行くのも幼子たちには可哀想です。
そのため、一旦キャンセルした元通りのスケジュールならば予約可能ということで、結局当初の予定通りの10月22日の日曜日に急遽執り行うことになりました。
 そのため、家内は葬儀後に変更して貰っていたお義母さんとの温泉旅行明けの翌日から、私メは葬儀の後の市役所と金融機関への必要手続きを済ませた後の、同じく20日にワンコも一緒に上京して長女のマンションに泊めてもらい、22日に下の娘たちが暮らす横浜の都筑区でのお宮参りと写真撮影、その後での会食に出掛けました。
前回と違い、今回は終了後に松本には帰らず、東京の長女の所に泊めてもらうので、スケジュール的には楽。とはいえ、前話の“疾風怒濤”に引き続いてのスケジュールでしたので、おめでたいイベントとはいえ、慌ただしさはそのままずっと引き継がれてきた印象でした。

 今回も前回同様に、娘たちの暮らす都筑区の近くの神社、杉山神社(こちらは武蔵国の三ノ宮とのことですが、なぜか鶴見川周辺にだけ存在し、その名前の由来さえはっきりしないのだそうですが、横浜市内だけでも30数社もあるのだとか)へお参りです。お宮参りの祝着は、家内が大切に保管していた昔子供たちが松本で着たお宮参りと七五三の時の衣装です。今回も孫たちに使ってもらい、我々からすれば感慨ひとしお。その後、予約していたフォトスタジオでの記念の写真撮影と食事会へ。
 前回も感じたことですが、特に印象的だったのは、フォトスタジオの若い女性スタッフの方々のプロの技・・・。
赤ちゃんが寝てしまったり或いは上の子の機嫌が悪かったり、もしくは転んで泣いてしまったりした時も、ちゃんと目を開かせ、笑わせてその瞬間をカメラに収めていくのです。
昔とは異なり、いくら連射可能なデジタルカメラとはいえ、少なくとも微笑む瞬間が無ければそれを収めることは不可能なのですから、子宮の中で聞こえる音に近いというビニール袋のカサカサする音、またフォトスタジオのTVCMではありませんが、音やぬいぐるみなどの小道具を駆使して、孫たちの注意を惹いて笑わせたりしてシャッターチャンスを見事に切り取っていきます。
 「いやぁさすが、プロだわ・・・」
と感心しきり。事実、その結果、数日後に完成した届いたスライドショーは、まさに感動モノ!の出来上がり・・・でした。
 それにしても、一度は本来我が家の忌中で諦めたにも拘らず、お陰様で我々も参加することが叶い、ご実家のご両親には感謝してもしきれない一生に一度しかない孫娘のお宮参りでした。

 長年、20年以上も認知症を患っていた母は、ここ3年弱は以前の自宅からは車でホンの数分の所に在る特養にお世話になっていたのですが、コロナ禍故にここ2年間ちょっとは館内感染防止のため面会もままならず、それが少し緩和された以降も、身内とはいえ会えるのは二三ヶ月に一度程度が前提で、一日3組。事前に予約をして、しかも玄関のガラス戸越しに10分間という状況で、家族以外は親戚といえどもなかなか会うことも叶いませんでした。
そんな状況下でも、9月末までは自分でご飯を食べ、また私が面会した折には横浜に住む叔母とも携帯で(姉妹での最後の会話になりました)話しをするなどしていた母ですが、10月に入って食が細り微熱が続くようになり、それからは毎日面会をさせていただく中で、施設のスタッフの方々と今後の介護計画は誤嚥を避けるべく完全流動食に切り替えて行くことなどを確認したのが12日。その日はそれまでの微熱も無くなって平熱に下がり、また時折苦しそうにハァハァと言っていた息も穏やかになったので、「これで少し落ち着いた感じですね」とスタッフの方々と確認し合って家に帰ったその日の深夜、連絡があって、施設の当直されていた看護師の方から「たった今、目を落とされました」とのこと。
 コロナ禍での夜間故にすぐに駆け付けることが出来ず、翌朝医師が確認する8時に来所せよとのこと。
その8時を待って駆け付けると、既に朝6時に医師が来て確認してくださった(従って、そのタイミングが正式な死亡時刻となります)とのことで、既にキレイに体も清めていただいて、そのための和室に寝かせてくださっていました。
昼過ぎに会場となる葬祭ホールが手配してくれた霊柩車で、母が3年間近くお世話になった特養から葬祭会場のホールに向かいました。
デイサービスの頃から数えると20年以上もお世話になっていたこともあり、職員の皆さん15人程が玄関に集まってくださり、男性職員の方も含め皆さん泣きながら見送っていただきながら、長年父とリンゴ栽培に携わった母に相応しく、ちょうど赤く色づいたリンゴにも見送られて会場に向かいました。思えば3年前、我々家族の介護では或る意味限界を迎えていたので、入所して本当に良くしていただいたと感謝の言葉しかありませんでした。

 その13日から、喪主として今度は悲しんでばかりはいられない、まさに疾風怒涛の如き2週間が始まりました。
先ずは菩提寺(当家は浄土宗です)、そして今回の葬儀をお願いするJAの葬祭ホールに連絡し、通夜、火葬、告別式の日程が決まります。基本はお寺のスケジュールが優先され、16日ご午後に告別式、その結果の午前中の出棺火葬、そしてその前日に納棺通夜と、遡りつつ順番に決まって行きます。
マンションが狭く和室も無いことから、葬祭ホールの和室で通夜を行うこととし、コロナ禍以降様変わりとなった葬儀告別式の様式をふまえ、我が家も近親者のみでの葬儀とその前に弔問を受け付ける形で執り行うこととして、その段取りを葬祭ホールの担当者と打ち合わせ。
参列いただく近親者も出来る限り絞ることとして、例えばコロナ禍前の亡父の葬儀の時は同姓の主だった近しい家(集落の数十軒の同姓の中でも最も古いという5軒や、極端に云えば江戸時代から続く、例えば“庚申さま”のメンバーの家々など)と親戚(祖父母の親族関係まで)もかなり広く参列してもらいましたが(その後同姓の中でも幾つか葬儀があって私も参列しましたが、田舎ではみな同様でした)、今回はコロナ禍に鑑み極力絞ることとしました。
その意味では12年前の父の時とは異なり、出席者も数が読み易く、また精進落としの宴席も(コロナ禍以降、田舎では実施は2割くらいとのことから)今回は席を設けず、その代わりに懐石弁当を持ち帰ってもらうこととしたので、前回の様に席の数をどう読むか、また飲み物をどうするかも気にする必要も無く、結果料理を余らせることもないので或る意味安心です。
亡くなった13日から16日の葬儀前日の通夜までが3日間。その間で遺族の泊まり込みが出来るのは(夜間無人になるため)通夜当日の15日のみとのこと。それまでは葬祭ホールの霊安室で保管していただきます(お寺に依る枕経もそこで済ませます)。
 今回、二人目を8月に出産した次女も母の葬儀には参列したいとのこと。しかし婿殿は病院勤務故に簡単には休めないことから、娘一人での移動は無理なので、2歳の孫とまだ生後2ヶ月の孫とを迎えに、前々日家内が横浜までとんぼ返りで迎えに行きました。
通夜当日は、小さい子がいては無理なことから、私一人で泊まり込むことにしました(係員の当直は無く、翌朝のスタッフの出勤まで、夜間のホールに私一人です)。
因みに、布団を敷いた通夜の和室の部屋にはTVもちゃんとありましたし、館内にはキッチンやお風呂もあって、夜間も自由に使えます。そしてそのエリア以外は、セキュリティー上夜間はシャッターで区切られ閉鎖されています。
特養から深夜の電話があった12日も目が冴えてしまい、結局朝までそのまま起きていましたし、翌13日以降も結局余り眠れず、また朝昼殆ど食事も食べませんでした。不思議なことに、気が張っているのか夜も余り眠れず、お腹も然程空かないのです。ただそれでは体がもたないでしょうから、せめて夕食は食べ、そしてお酒の力を借りて少なくとも3時間は眠るようにしましたが・・・。
その通夜当日は、持参したタブレットでYouTubeミュージックを使い弔問中に流す曲の編集をして、それが終わってからはYouTubeで好きなクラシックのコンサートを視たりしていました。それも、なぜか聴いていたのはシベリウスの交響曲ばかり・・・(特にユッカ=ペッカ・サラステ指揮ラハティ交響楽団の、2015年シベリウス・ウィークでの5番は良かった・・・泣けました)。

 納棺通夜、翌日の出棺火葬、そして一時間弱の弔問受付の後の葬儀告式。
当日は上の子が騒いで走り回ったり下の子は泣いたりするのでは・・・と心配した孫娘たちも、皆が感心する程静か。娘たちや妹や、そして保育士の姪がさすがはプロの技?で代わる代わる交替であやしてくれるなどして、驚くことに2歳の孫娘も娘と一緒にしっかりとお焼香もしてくれて母を送ってくれました。
そして無事全てが終わり、その後マンションに戻って祭壇を作り、仏となる忌明けまでの忌中を過ごします。駆けつけてくれた長女は、仕事の都合で葬儀会場からタクシーで直接松本駅に向かい、そのまま慌ただしく東京へ戻って行きました。
翌日、家内が今度は次女と孫たちをトンボ返りで横浜まで一緒に送って行きました。そして、その翌日からは、母の状態の急変で二度三度とスケジュールを変更してもらっていたお義母さんとの温泉旅行(といっても地元茅野の蓼科温泉ですが、これが年何回かのお義母さんの唯一の楽しみ)へ二泊で出掛けて行きました。
さて、翌日からは一人で市役所と金融機関へ死亡後の必要手続きと、母名義の口座閉鎖の手続きです。母名義の不動産等は認知症が悪化する何年か前に既に妹に生前贈与を済ませており、他に資産はありませんので相続手続きも父の時に比べれば遥かに楽とはいえ、丸二日掛かって市役所(住民票、年金、保険、資産)で必要事項を済ませ、それを以って今度は金融機関での手続きを済ませました。
それから、葬儀で過分に頂いたご厚志への追加の香典返しの返礼と、お寺へのお礼と次の四十九日の忌明け法要(満中陰法要)の打ち合わせ。そして、それに伴う忌明け法要の親戚筋への案内と必要事項の手配などなど・・・、四十九日の忌明けまでは結構対応することがあります。
今回の忌明けは11月末なのですが、忘れずに年賀欠礼の喪中ハガキも作って11月中には送らないといけません。

 亡父の時と比べれば遥かに作業量も少なく、10年以上経っていても父の時に一度経験しているのである程度想定の範囲内とはいえ、家内も不在で一人での対応だったことも手伝い、結構目まぐるしい日々が過ぎて行きました。些か大袈裟に聞こえるかもしれませんが、時が待ってはくれない事柄も含め、昔、世界史で習ったドイツの文学史におけるSturm und Drang、まさに“疾風怒濤”という言葉が脳裏に浮かんで来る様な、私自身にとってはそんな二週間でありました。その嵐の様な二週間が過ぎて少し落ち着くことが出来、漸く一息ついて思わず、
 「あぁ、しんど・・・‼」

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