カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
松本市が今年「東アジア文化都市2026」の日本での開催都市に選ばれ、この5月を皮切りに12月までの半年間に様々なイベントが開催されることになりました。
この「東アジア文化都市」は、日中韓文化大臣会合での合意に基づき、日中韓3か国において、文化芸術による発展を目指す都市を選定し、その都市において、現代の芸術文化や伝統文化、また多彩な生活文化に関連する様々な文化芸術イベント等を実施する国家プロジェクトで、日本では文化庁が統括しています。
あまり浸透しているとは言えませんが、初回は2014年。日本が横浜市、中国が泉州市、韓国が光州広域市を開催都市に開かれました。今回松本市は、前回2025年の開催都市である鎌倉市からバトンを受け継いでの開催なのだそうです。
5月17日に市内の中心市街地で開幕イベントが開かれました。
本町通りから大名町通りが歩行者天国になり、 日中韓や東アジアをイメージした出店、ライブパフォーマンスやステージパフォーマンス、祭舞台の展示が行われたのですが、その舞台を曳行する際の人数(曳き手)が足りないとのことから、我々の「源智の井戸」の清掃ボランティアにも応援要請があり、有志で参加しました。
当日は、早朝6時からそれぞれの舞台庫から出して所定の場所まで舞台を移動し、日中は街中に展示します。そして午後3時にまた展示場所から舞台庫まで戻すのです。
この舞台というのはお祭りの山車のことで、松本市の祭舞台は、主に松本城下町の鎮守である深志神社の祭礼などで曳き回される伝統的な山車です。江戸時代から各町会毎に受け継がれ、豪華な彫刻や松本平独自の形式を持つ18基が「松本市重要有形民俗文化財」に指定されています。
この内、16基が天神祭りの深志神社の舞台。氏子は商人の町であった女鳥羽川の南側の町会。残る2基は女鳥羽川の北側の東町2丁目と六九町だけで、それぞれ岡宮と四柱神社の舞台なのだそうです。
当日はこの内8基が駅前広場など4ヶ所に展示されました。

六九町舞台は建造が明治30年(1897)と伝えられ、江戸時代には六九町には舞台は無かったのだそうです。
というのも、深志神社の天神祭りは女鳥羽川の南側の商人町のお祭りであり、女鳥羽川の北側は大名町に代表される様に基本的に武家町で、「六九」という珍しい町名はこのエリアが桝形の隣ということで、武家屋敷と細長い厩があって、6×9=54頭の馬が飼われていて、その54頭の馬を飼育する「六九厩」がおかれたことが町名の名前の由来と言われているのだそうです。
今回参加したことで、六九町会の長老の方々からそんな初めて聞く様なお話を伺うことが出来ました。
私の子供の頃の六九と云えば、嘗ては松本市の中心的な商店街として栄えていた通りで、昭和の頃は「松本の街で買い物」といえば、この六九のアーケードの商店街と隣接する老舗デパートの井上百貨店が定番でした。それが、井上が松本駅前に移転したのを契機に六九商店街から賑わいが消え、2001年(平成13年)にはその象徴だったアーケードも撤去されました。
しかし、今では新しく若者向けのファッション系の店舗も増えているそうですが通いの方が多く、それが応援要請の理由でもあるのですが、この町会も空洞化で住人は減っているのだとか。
因みに、六九町の舞台は、やや小ぶりながら、端正で典型的な深志舞台の姿をしていて、明治になってから女鳥羽川の北側の地に創建された四柱神社の神道祭りに合わせて、伝統的な手法で飛騨の匠により造営された舞台だそうです。


朝6時。集合場所である今町の六九舞台庫へ。
町会の方々が倉庫を開けて舞台を覆ってあったシートを外すなど、運び出す準備をされてから、舵棒を舞台に差し込んで金串で固定して引き出し、我々曳き手は全員六九町会の法被を着て、舵棒と舞台本体を押す形で曳行を開始します。
今町から西堀通りを通って、曳行先の市立博物館前まで。朝6時とはいえ、車の通行もあり先に行かせて安全を確認しながら、且つ道路脇の街頭に当たらぬ様に気を付けながら慎重に押して行きます。
(下の写真の中で、黄色い枠で囲んでいるのが舵棒です)

今回曳行される舞台の中では、六九の舞台は舞台庫の在る今町から市立博物館の在る大名町までですのでせいぜい300m弱。そう長距離の移動ではなく、また小振りの舞台とのことで思ったよりも楽でした。それに前へ進むだけなら、女性だけでも10人弱でも動かすことが出来ます。
市立博物館前に到着し、慎重に歩道から玄関前のスペースに車止めで固定し、町会の方々が提灯やスダレなどの外観の飾り付けをし、全員で記念撮影をして終了しました。反対側の枡形広場には小池町の舞台も到着していて、同じく飾り付けがされていて、小池町の井戸清掃メンバーの方や知り合いの方も何人かおられてお互い労いの挨拶。小池町は深志神社の舞台なので、六九の舞台に比べると一回り大型で、二本の引綱で引っ張って来られ、曳き手の人数も倍の20人以上おられました。



朝とは逆に市立博物館前から今町の舞台庫まで舞台を押して戻ります。早朝と違い、街中の歩行者天国でイベントも行われていることもあって、人出も多く、舞台を曳いて行く西堀通りは、“ホコ天”で通行止めの道路を迂回して来る県外車も含めた車の通行も多くて、時々後ろにずらりと並んだ車列を警備会社のスタッフが交通整理をしながらの運行です。道端の街灯に当たらぬ様、また交差点では力を合わせて舵棒を担いで方向転換をしながら、無事に舞台庫にお納めすることが出来ました。
町会の方々から口々にお礼を言われ、我々はお互いを労って現地解散です。
帰路、伊勢町で飯田町の舞台が“ホコ天”の本町を大きく迂回して戻るところ。そこで飯田町の清掃メンバーから声を掛けられ、今度は飯田町の舞台の曳行を手伝うことに。飯田町の舞台は一回り大型で、引き綱二本を前方で10人程で引っ張りながら、舞台と舵棒をまた10人程が手分けして押しながら、神明町から駅前通り、そして最後は深志神社の参道でもある狭い一方通行の天神通りを両側の家の“ひさし”に当たらぬ様に慎重に進んで、漸く深志神社境内に在る舞台庫まで戻り、中に納めて終了しました。

GWも終わって松本の街中も空いてきたことから、久し振りにアルプス公園まで、出来れば今年は登山(と言っても、霧訪山などの里山や、“百名山”の中でもせいぜい美ヶ原くらいですが)を二年振りにしたいので、トレーニングも兼ねて私たちが勝手に“城山トレイル”と呼んでいる城山遊歩道を歩いてみることにしました。城山公園までは足慣らしを兼ねて、春になって何度か歩いているのですが、その先の遊歩道は今シーズン初めてです。
この城山遊歩道は、標高650mの城山公園から、城山山系の尾根沿いに鳥居山(743m)を経て770mのアルプス公園まで。そして、もし更に歩こうと思えば、このルートではその後もアルプス公園を抜けて、車道を歩くなどして891mの芥子望主山(地元の小学校の遠足先。山頂エリアは公園になっていて、展望台とキャンプ場も在ります)まで続けて歩くことが出来ます。

左の南側から大きな鉢を伏せたような鉢盛山、そして島々谷方面には雪を被った乗鞍が顔を覗かせ、そして大滝山から常念、更に右に目を転じると、鹿島槍などの後立山連峰が白馬まで続いています。
五月晴れの中で“薫る”風を感じられる様な、一年で一番爽やかな季節です。





次はマムシグサでしょうか(5月7日撮影)。仏炎苞という袋のような部分も、今回の様な緑色や以前見た紫色などの種類もあるのだとか。


続いて、白い小さな花で葉がユリの様な感じがしていたので、調べた中ではギンラン?或いはユキザサ?が似ている様な気がしますが、結局分かりませんでした。




そして、シャガ。昔母屋の庭にもありました。中国原産のアヤメ科の多年草で、かなり古くから日本に帰化しているそうですが、アヤメに比べると質素な感じがします。最後に野生のミツバです。勿論食べられますが、ワンコも散歩するコースなので食べるのは避けた方が無難でしょう(以上5月10日撮影)。


【追記】
今年はせめてまた美ヶ原には登りたいからと、毎週の様に“城山トレイル”を自宅の渚から城山公園を経由してアルプス公園まで、標高差190m往復10㎞弱の道のりを毎週トレーニングを兼ねて歩いています。



松本に生まれ松本に暮らしながら、終活で戸建てを離れて市街地のマンションに引っ越して、65歳を過ぎて初めて、朝に夕に北アルプスの峰々を毎日眺めて暮らせるようになりました。
勿論それまでも、会社員時代に諏訪に電車で通勤していた時は松本駅の駅舎や電車の車窓から、また松本市内の島内の事業所へ車で通っていた時は、宮淵で通称“常念通り”に合流すると目の前に聳える常念岳を始めとする北アルプスの峰々を眺めながら、季節毎にその景色を変える山容を眺めてきました。
春夏秋冬どの季節をとってもその姿は、例えば白く輝く雪山も、そしてバラ色に染まる夕映えを背に黒い屏風の様に聳える夏の峰々も、どれもその季節季節で素晴らしいのですが、個人的に一番好きなのは初夏の雪解けが進む頃の北アルプスです。
『 山たかく 水清くして 風光る 』(平林荘子)
まさに風薫るこの季節に、真っ白かった峰々の雪解けが段々進んで雪形が現れ、そして田んぼに水が張られる頃になると、芽吹きの木々の柔らかな新緑越しに、水田にその姿を映しながら聳える常念岳や遠く双耳峰の鹿島槍などを眺めることが出来ます。
清々しい風薫る季節と相俟って、一番爽やかに感じられる北アルプスの峰々です。それは松本平から眺める北アルプスの“シンボル”である同じ常念岳一つとっても、背景の空の色や雲一つを含め、細かく見れば毎年その姿を変え、おそらく一つとして同じ情景ではないでしょう。きっと、その日、その時間、そしてその一瞬だけ見ることの出来た常念・・・なのです。
・・・ということで、これまで“風薫る”五月の頃に撮り貯めてあった、常念岳や北アルプスの写真の幾つかです(もしちゃんとした記録であれば、撮影時刻も本来記載するべきかもしれませんが、素人写真ですので月日だけでご勘弁ください)。




そして、アルプス公園の「展望広場」から撮影した常念と松本平越しに臨む鉢盛山方面(2018年5月11日)。





そして同じく今年の常念で、アルプス公園の展望広場付近からと、我が家のマンションから見た直近の常念から燕岳までの山並みです(2026年5月7日と5月18日撮影)。




最後はオマケで、北アルプスでは岐阜県堺のため雪の多い乗鞍岳と、白馬方面で松本からも見える後立山連峰の双耳峰、鹿島槍ヶ岳(2026年5月5日)・・・です。ちょうど双耳の部分が、雪解けでまるで猫耳の様に見えています。
以上、今までスマホで撮り貯めてあった中からですが、“風薫る”五月に松本から望む北アルプス、その中でも松本平から眺める北アルプスのシンボルとも云える常念岳の情景・・・その幾つかでした。
GW中の5月3日。
松本の天気は朝から曇り気味で、前日の快晴とは打って変わって肌寒く、今年のGWは余り天候に恵まれていませんでしたが、毎日が日曜日の我々はGWも関係ありませんし、電車での移動も大変なので次女一家も松本には来ないこともあってどこにも出掛ける予定も無く、混雑する観光地には行かずにじっと家で過ごすのみ・・・。
昔会社で部下だった女性が現在の安曇野市の穂高の出身で、GW中に毎年実家を継いだ弟さんの田植えの手伝いに(お互い会社が休みになることもあって)行かれていたのですが、彼女曰く、
「GWの安曇野は観光客の車で大混雑で、最近ではNAVIのせいでどんな狭い農道にも県外車が入って来てしまうので、地元の農作業の軽トラとかが渋滞に巻き込まれ、家からすぐ近くの田んぼまで行くのに30分以上も掛かることがあるから、もう、ホントに大迷惑!」
と憤慨していましたが、その気持ちは良く分かります。
会社が休みなるGWだからこそ田植えをやるしかない兼業農家の皆さんは大変ですが、そうではない地元民も混雑するGWには観光などせず、出歩かずに家でじっとしているのが一番!です。

城山公園にはさすがにGW中なので、小さな子供さん連れの若いご夫婦が何組も遊具などで遊んでいました。駐車場には県外車も10台程。城山公園は桜の時期も過ぎているので、せっかく松本まで来られたのならアルプス公園に行かれた方が良いと思ったのですが、後で分かったことは、5月3日のこの日は毎年恒例のアルプス公園での「こどもまつり」が開催されていたので、恐らく駐車場が満杯で停められなかったのかもしれません。


しかし蕎麦屋さんは全滅で、ラーメンは奥さまが絶対拒否。お目当ての和食店はこの日はランチ営業無し・・・。
そこで、行列も無く席も空いていそうな店に入ることにしました。

お城の大名町入口からも近く、日銀松本支店の斜め対面で、和食の「しづか」の隣。以前、長女が選んでテイクアウトで買いに来たことがありました。
こう見えて松本にもタイ料理のお店は結構あるのですが、老舗の「ケーラン」始め本場のタイ人のシェフが料理をしているので、味はどこも本格派。
ただ、シンガポールでは(内装は高級店ぽく見えても)タイ料理やベトナム料理は庶民的で、中華料理と比べるとおサイフに優しかった記憶があるのですが(日本からの出張者や友人を自腹でもてなす時は、値段のこともありますが、味付けが中華に比べ濃過ぎず油も少なめで優しくて、また生野菜も使われるので日本人向けということもあり、ベトナム料理店に良く行きましたし、タイのスチームボートは日本の鍋料理の様で子供たちも大好きでした)、タイ料理でも色んな選択肢がある東京に比べると、松本のタイ料理店は結構値段が高い気がします。
こちらの店もバンコクの老舗ホテルでタイ料理とベトナム料理のシェフをしていたという、タイ人の女性シェフが7~8年前に開いたタイ料理とベトナム料理の店で、二号店を別の松本市内にも出店している人気店です。
1階は4卓と厨房で、二階にも席がある様ですが、我々は空いていた一階のテーブル席へ。

カオマンガイは、シンガポールの海南鶏飯(チキンライス)のタイバージョンです。
どちらも中国からの移民たちによってもたらされた海南島が起源というチキンライスが、それぞれの中国人コミュニティーの中で現地の調味料などを使って独自に進化したものです。
シンガポールのチキンライスは、ブラックソイソース(黒しょうゆをベースにした甘辛いタレ)、ショウガとレモンのソース、チリソースの3種類のタレを好みで使い分けて食べるのですが、カオマンガイは日本の味噌の様な現地調味料をベースにしたニンニクや生姜、そして香菜(シャンツァイ、タイ語でパクチー)の効いた甘辛いタレの一種類だけ。
鶏の煮汁で炊かれたタイ米が添えられているのは同じです。キュウリのスライスが添えられているのは、これまたシンガポールと一緒です。ゆで卵が付いているのは、現地ではどうか分かりませんが、日本の親子丼の様に“親子”ライスという意味でも掛けているのでしょうか?

カオマンガイのチキンはホロホロととても柔らかく、タレも美味ですが、例えば東京で食べるシンガポール料理の海南鶏飯に比べると(値段は同じ位なのに)チキンの量がかなり少ない気がします(参考までに、下の写真は東京田町「威南記海南鶏飯」のチキンライスとロースト・チキンヌードルです)。


一方の甘目の味付けが特徴のパッタイ。包んである玉子焼きが面白い。シェフのオリジナルの様で、家内も初めてと驚いていました。

GWで混雑してどこも行列だった蕎麦屋のお陰で、久し振りのエスニックの東南アジア飯のタイ料理を、この松本で楽しむことが出来て大いに満足でした。
「ごちそうさまでした!」
桜の咲いた後の楽しみはハナミズキでしょうか。
他にも、ボタンやフジも、桜の散った後で初夏にかけて街に彩をもたらしてくれる花の代表格と言えましょう。
今ではすっかり日本に定着したハナミズキですが、元々は東京から贈られたポトマック河畔の桜の返礼として、1915年にワシントンからハナミズキ(アメリカヤマボウシ)贈られて来たのが最初。以来たった100年ですっかり日本に定着しましたが、その由来を知ると、或る意味桜に代わってハナミズキが街を彩るというのも何となく意味有り気な気がします。
ハナミズキが、明治になって新たに桜の後の春の彩を我が国にもたらした花だとすると、古来この国に似合っていたのは、やはり藤や牡丹なのでしょうか。
牡丹は中国原産で、日本での栽培が盛んになったのは意外と新しく、江戸時代の元禄の頃からだとか。

その藤の花を、松本市でもあちこちで見ることが出来ます。そんな初夏の街中で見かけた藤の花の幾つかです。





開智駐車場近くの松本城公園北西横の藤棚。ここは毎年見事な房の長い藤の花が咲くのですが、今年は剪定でかなり枝を刈り込んだためか、殆ど花がありませんでした(同じく2026年5月3日の撮影。比較するために2年前の2024年5月3日の藤棚です)。






