カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
松本市から1事業につき最大20万円が交付される、令和8年度の「松本市地域チャレンジ応援事業補助金」に、昨年に続き今年も我々源智の井戸の清掃ボランティアとして第2年次の申請をさせていただき、無事認可頂いて6月下旬に我々の団体の銀行口座に入金していただきました。
我々は、町会ではなく、「市内に活動拠点を持つ市民活動団体による、新たな地域活力を生み出す事業」を対象とした「一般チャレンジの部」で申請したものです。
単に井戸清掃と言っても、井戸内の砂利を攪拌する道具(レーキやジョレンを流用)や剥がした藻をすくう道具(金網のザル)、また井戸から流れ出る水路の藻やアオミドロ清掃用のデッキブラシ(2年前に引退された地元町会の有志の皆さんがこれまで何年も使ってこられて、もう毛が抜けたモノまで使っていました)、更にメンバーのアイデアで昨年購入して予想以上に効果的だった、攪拌して藻の混じった水を強力に吸い上げるポンプの2台目(昨年は発電機も購入しましたが、この発電機一台で2つのポンプを稼働可能)。更には、万が一に備えての(清掃中に重い井桁の木枠を運ぶ際や、敷地内の水路の石組みにつまずいて転んだりした場合などのケガに備えて)メンバー全員の年間損害保険代なども合わせて申請させていただきました。
町会事業であれば町会費から出せますが、我々の様なボランティアにはそうした資金はありませんので、まさか飽くまで善意でボランティア活動に参加いただいているメンバーにこんな費用まで負担していただく訳にはいきません。そうかといって、責任者や役員で負担するには余りに高額(昨年は総額19万円でした)。
ですので、こうして市で我々の様なボランティア活動にまで対象を広げて頂き、申請内容如何にしても補助金を交付頂けるのは本当にありがたい限りなのです。但し、この補助金はボランティアメンバーの親睦会や慰労会の費用には1円たりとも使えませんので念のため申し添えておきます(昨年もメンバーの親睦のための飲み会や朝会を実施しましたが、差し入れは別として全て参加者からの会費で対応しました)。
今回の補助金では、昨年効果が実証出来たので効率化アップのために2台目のポンプ(発電機は容量的に1台でポンプ2台使用可能)を購入(ホースや井戸内に沈め固定するカゴや、ホース、接続用金具も必要です)。また何年も使い古して毛の抜けたデッキブラシなども廃棄分を補充することが出来ました。
そうした中、今回試験的に購入したモノがありました。それは・・・スダレです。
塩素消毒されている上水道水とは違って、井戸の水は山に降った雨や雪が解けて地中に沁み込んだ水が、年月を掛けて地下の砂礫層の自然のフィルターで濾過されて、伏流水となって地上に湧き出して来た水(湧水)です。
その湧水に含まれる同位体などを調べることに拠って、“平成の名水百選”に選ばれている「まつもと城下町湧水群」の湧水や井戸は、全て松本盆地の東側に聳える筑摩山地(三才山、美ヶ原、鉢伏山など)が涵養域だと判明しており、その水が複合扇状地の松本市の中心市街地の女鳥羽川を挟んだエリアで湧き出したり、掘った井戸で汲み上げられたりしているのです(毎年2回市で検査しており、湧水群の各井戸の水は飲料水として適していることが確認されています)。
しかし、塩素消毒された上水道と異なり、自然の浄化フィルターである砂礫帯などの地層でキレイに濾過された水ですので、井戸内に太陽光が当たると光合成により藻が発生します。
源智の井戸は、江戸時代に“当国一の名水”と書かれた「善光寺道名所図会」の挿絵に沿い復元された八角形の井桁で、松本市の特別史跡に指定されています。そのため、井戸内には玉砂利が30㎝程の厚さで敷き詰められており、その石に発生した藻が付着してしまうのです。
そのため、毎週の清掃ではレーキやジョレン、デッキブラシといった器具を使って井戸内の砂利をメンバーが交替しながら何十分も攪拌し、石に付着している藻をこそげ落とすのですが、どうしても陽光が強くなる夏場は藻の発生も旺盛になってしまいます。そのため、もし2週間や3週間も掃除をしなければ、井戸内は藻の発生で緑色に染まった様に見えてしまうかもしれません。
昔は藻を金網のザルですくうだけだったので、中には取り切れず井戸内に藻が残ってしまっていたため、掃除直後の水は藻の青臭さの様な異臭や味がして、それが流れ出る数時間後までは飲めたものではなかったのですが、昨年からメンバーの皆さんが一生懸命攪拌して剥がしてくれた藻を電動ポンプで水と一緒に一気に吸い上げますし、しかもその作業を3度も繰り返して、砂利がむき出しになる位まで水を吸い上げていますので、清掃作業直後であっても青臭さは全く無く、井筒内に湧き出した湧水を清掃作業直後からすぐに飲むことが出来ます。
しかし、そうした藻の発生を何とか抑制することは出来ないものか・・・?
ネットで調べると(井戸に関係する部分のみ抜き出します)、
『藻の発生を抑えるための最も効果的な方法は、「日光を遮る(遮光)」、「こまめに清掃・水換えを行う」。藻は光と水中の養分(窒素やリン)をエサにして繁殖するため、これらを取り除くことが基本。その方法としては、
・光量の調整:直射日光を避ける
・専用アイテム: 抑制剤(添加剤やフィルター用マットなど)や殺菌灯の導入
も効果的
・遮光の徹底:養液タンクや栽培パネルの使っていない穴から光が入ると
藻が爆発的に増えるため、アルミホイルや黒いフタで完全に遮光
・カバーやフタの設置:散水槽などにカバーを取り付け、直射日光を遮断 』
などの方法が挙がってきました。
一番有効的なのは、おそらく遮光シートで(太陽光が入らぬ様に遮光率90%以上の真っ黒な網の様な遮光シートで)井戸そのものを覆う方法だと思います。しかし、江戸時代の様子を復元した八角形の井桁内部に、コンコンとキレイな水が湧き出ている様子が松本市の指定文化財としても相応しい景観でもあるので、黒い遮光シートで覆って湧き出ている水が見えなくするのは、文化財としては論外です。
また、仮にUVカットの透明なアクリル板の様な板で覆っても、水は見えても光合成の要因となるのは紫外線だけではないので効果が半減してしまいます(空気中の埃や秋の落ち葉などが入らないという効果はありますが)。
また飲料水である以上、溶剤の様な何らかの物質を湧水に加えることは安全面からも絶対に許されません。因みに、松本の上水道の水源にもなっている源地の水源地の湧水は、他の湧水や井戸と比べて水路の藻の発生が少ないのですが、これは湧水ではなく塩素消毒後の水道水を流しているからなのだそうです。しかし、そうした塩素消毒後では湧水の味が変わってしまいます。

ただ、それに依る効果が科学的にデータで実証されている訳ではないのですが、一般的にスダレの遮光率は素材や編みの細かさによって異なり、天然素材(竹・ヨシなど)は 遮光率は約70%〜85%で、適度な隙間があるため風通しが良く自然な日陰を作る・・・とのことでした。
ですので、ある程度スダレで遮光することで、光合成を抑制する効果が期待出来るのではないかと思われます。今風のサンシェードもありますが、江戸時代からの井戸には似つかわしくありません。
そのため、ホームセンターを何軒か“はしご”して昔ながらのスダレを探してみました。中には巻き上げ式で割り竹(太い竹を割って1.0~1.5㎝幅に削った竹の素材)のスダレ(税込3500円)があったのですが、逆に向こう側が余り透けておらずに目隠しされてしまうのです。また、良くあるヨシズは天然の葦で作られていますが、葦は中が空洞なので強風などで折れ易いので耐久性という点では弱い気がしました。
色々回って実際に現物を見てみて結局選んだのは、「源智の井戸」は500年守られて来た市の文化財の井戸で東屋に囲われているので、“焼き竹”の地味なこげ茶色をした平安朝風?な竹ひごのスダレにしました。

因みに巻き上げ機は自分で取り付けましたが、紐が絡まない様にさえ気を付ければ、取り付けるのは思ったよりも簡単でした。現地での取り付けに際し、フックのネジ穴を東屋の柱に空けるのには、以前DIY用に購入しマンションに移ってからはなかなか出番の無かった電動ドリルが活躍してくれました。
実際に掛けてみると、何となく(飽くまで個人的にはですが)平安朝風な雅な風情も感じられて、思ったよりも悪くありません。ボランティのアメンバーやご近所の方からも想像以上に高評価でした。しかし、中には水を汲むには邪魔だという声もあるかもしれませし、邪険に扱う人もいるやもしれません。
そこで、スダレを掛けた目的を印刷し(インクが水性で雨が掛かると滲んでしまうので)事務局に頼んで公民館でラミネート加工をして貼って貰いました。


スダレを掛けた日の夜から翌日に掛けて、梅雨の雨足が結構強かったので翌日井戸の近くに住むメンバーの方が心配して朝早く見に行ってくれたそうで、東屋の屋根のお陰で濡れてもおらず全く心配なかったとの報告がメールでありました。
ところが翌々日、今度は事務局から別のメンバーが朝見たら西側のスダレの巻き上げ機が壊れて動かないとの報告がありました。
そこで、早速見に行ってみると確かに巻き上げ機が動きません。外して色々試してみましたが直せず、結局諦めてまたホームセンターへ行って新たに巻き上げ機を購入して付け替えました。
おそらく、水汲みに来た方が乱暴に扱ったのでしょう。巻き上げ機も安価でプラスチック製故決して頑丈なモノでもありませんので、壊れ易いのも否めません。しかし、井戸に水を汲みに来た方にとっては、今までは全くして来なかったスダレをいちいち巻き上げて水を汲み、汲み終わったらまた元に戻すなどという作業は余計なことで、やはりスダレなど邪魔な存在でしかないのでしょう。藻が発生しようが、自分が水を汲めさえすればそれで良いという人だって、もしかすると残念ながらいるのかもしれません。
そこで、ラミネート加工の「お願い」に操作方法と扱い方を油性マジックで手書きで書き足しました。
するとそれから二日後、今度はストッパーの爪の部分が壊れてしまいました。内部のツメがギアに噛み合って任意の高さでロックされる仕組みなのですが、頻繁に使ったためか或いは乱暴に動かしたせいか分かりませんが、プラスチック製なので耐久性も弱く、頻繁の稼働には耐えられなかったのかもしれません。5年前の大学のゼミの調査では朝から夕方までに200人を超える利用者があったという人気の井戸ですので、金属製などのもっと頑丈なモノがあれば良いのですが、ネットで探してもプラスチック製のモノしか見当たりませんでした。
そのため、最初の動かなくなっていた巻き上げ機の紐を一度外して、見本をみながら一から入れ直して、再度動くように修理して直したのですが、また頻繁に動かすと壊れる可能があるので、申し訳ないのですが、スダレを少し巻き上げて水を汲めるようにして、その高さで固定することにしました。また西側には水口が無いので、西側のスダレは一番下まで下げて固定することにして、お詫び方々その旨をお知らせするメッセージを記入しました。


ただスダレ自体も決してそんなに丈夫ではないので、天気予報を見て事前に巻き上げて置くにしても、台風や暴風雨などの強風にはもしかすると耐えられないかもしれません。
中には高価なサンシェードの様に脚で固定する丈夫そうなタイプもありますが、果たして江戸時代から親しまれてきた文化財の井戸に馴染むかどうか・・・?。
今回のスダレはあくまで遮光に依る夏場の藻の発生を抑えるための光合成抑制が目的で、今年の補助金を使わせていただいて実験的に試しているので、スダレの効果も検証しながらもう少し様子を見守りたいと思っています。
【追記】
7月1日にスダレを取り付けてからちょうど1ヶ月経った、8月1日の井戸清掃。
いつもの様に井桁の木枠を外してレーキ等で井筒内の玉砂利を攪拌して、先ずは金網のザルで浮いてきた藻をすくいます。

「これって、スダレの効果でしょ!?かなり遮光が効いてる!いつもの様に藻が全然浮いて来ないもの・・・!」
どうやら、スダレの遮光に依る光合成抑制効果は予想以上にありそうです。
市からの補助金を活用して、試験的に今回初めて取り付けてみたスダレですが、これなら恒常的にスダレを掛けておいても良さそうです。あとはもう少し丈夫で耐久性のあるスダレ用の巻き上げ機があればですが・・・。
「平成の名水百選」の“まつもと城下町湧水群”の一つ、「鯛萬の井戸」の清掃を20年以上たった3人でずっと続けて来られた方が、やはりメンバーの高齢化で今後の継続への不安を感じられ、その対応策検討の参考にと、「源智の井戸」のボランティア清掃にも最初からメンバーの一員として参加いただいています。そこでそのお返しにと、我々「源智の井戸」の清掃ボランティアも、毎月一回ですが「鯛萬の井戸」清掃のお手伝いに昨年末から有志で参加しています。

『 閉店のお知らせ 三月末をもって閉店しました。長い間誠に有難うございました。 木曽屋 』
以前イオンからの車での帰りに店の前を通ったら、昼時間だったのに一台も車が停まっておらず臨時休業なのかと訝しく思ったのですが、まさか3月末で閉店していたとは・・・。 (以下掲載した写真は木曽屋の紹介頁からお借りしました)

松本民藝家具に囲まれた店内で、名物の豆腐の味噌田楽や鯉のうま煮(甘煮)、そして〆の手打ちそばなどの信州の郷土料理が食べられるお店でしたので、自分たちだけではあまり行くことはなかったのですが、県外からのお客さんを信州らしい郷土料理でもてなす時には、「しづか」や「草菴」などと共に候補に挙がる店でした。その中では、「木曽屋」はいかにも田舎のお婆ちゃんが作ってくれるような、決して洗練されてはいないかもしれませんが、素朴でホッコリする様な料理が特徴でした。

観光客だったのかもしれませんが、いつもこの前の道を通ると県外車とか車が必ず何台も停まっていたので、決して不況が原因ではないと思うのですが・・・。
ネット記事の中には「田楽に使う豆腐屋が廃業したのが原因」というくだりもありましたが、果たしてどうなのでしょうか?


明治20年(1887年)創業と云いますから、139年という歴史に幕を下ろした「木曽屋」。いずれにしても長い間お疲れさまでした。
【追記】この7月1日から、新たに「喫茶 木曽屋」として民芸喫茶店をオープンしたとのこと。何となく、イメージ的には「ちきりや」と「喫茶まるも」を足して2で割った様なイメージと言ったら良いのでしょうか。
後継者の方の判断なのだと思いますが、きっとご自分の趣味を活かして業態を変えてでも、お祖母さまが始められた店を遺されたということなのでしょう。頑張ってください。
但し「喫茶 木曽屋」では、田楽は勿論、食事類は一切無しとのことです。
以前NYに住む長女が「松本にも美味しそうな焼き鳥屋さんあるヨ!」と言って教えてくれたのが、炭火焼き鳥の「正ざわ」。
こちらは、漫画「美味しんぼ」でも取り上げられたこともあるという銘柄鶏、それは「脂肪分が非常に少なく、味が淡白だか歯ごたえが快く、肉が臭くない、皮が旨い」とされる、南信州は伊那谷の地鶏「ぎたろう軍鶏」を使った焼鳥で人気の店で、知りませんでしたが、これまでに食べログ百名店の「焼き鳥」の部に二年連続で選出されたこともあるのだとか。
年末年始に久しぶりに長女がNYから帰国したので、何とか松本滞在中に娘と一緒に行こうと思ったのですが、生憎予約が一杯で食べに行けずにいました。
その後も機会ある度に「食べに行きたい!」と奥さまを誘うのですが、長女とは東京で何度か焼き鳥のコースを食べに行っているのに、「松本には美味しい処が無い!」の一点張りで、何度誘っても(懇願しても)、「絶対にイヤ!一人で行けば?」と断固拒否・・・(以前上諏訪で気に入っていた焼き鳥屋さんに誘った時に、たまたまレバーが生っぽくて私の薦める焼き鳥はもう金輪際懲りたのだとか・・・因みに長女はその店を気に入ってくれたのですが)。
それに加えて、実はかなり前(10年以上?)に「正ざわ」には一度食べに行ったことがあったのですが、その時に然程好印象ではなかったことも影響している様なのです。
ところが何を思ったか、先日「行ってもイイわよ!」とのこと。そこで、気の変わらぬ内にと早速予約しておきました。

お店は5時半営業開始で、我々は6時に予約したのですが、着くと既に数席を残して既に結構埋まっていて、その空いている席にも「予約席」と札が置かれていました。席数はL字型カウンターが10席ちょっと、半個室のテーブル席が大小4つだったか、全部で30席程度でしょうか。空いていた席も徐々に予約された方々が来られて満席となり、次々と来られる方々は皆さん断られていましたので、店としては最初の一順目の客が終わる頃を見計らって次の予約を入れるでしょうから、客層は地元客中心だと思われますが、この日の様に平日であってもやはり予約した方が無難の様です。
焼き方は大将お一人ですが、焼き鳥以外の料理、飲み物、接客とそれぞれ主な担当ごとに女性スタッフが3人おられ、テキパキと動かれていました(接客と精算を担当されていた方が、おそらく年齢とその接客振りから女将さんではと推察)。

お通しに、サラダと少しドレッシングが掛けられた定番の生キャベツ。そして最初に湯葉。














また家内に依ると、せせりがやや生っぽかったとのことですが、私は気になりませんでした(これは個人的嗜好の違いなので止むを得ません)。
都会の様に色々な選択肢があれば兎も角、また「百名店」かどうかのレーティングも個々人の評価に委ねるとして、少なくともこの松本で食べられる焼き鳥としては及第点ではないでしょうか。
今までは絶対拒否の奥さまでしたが、また焼き鳥が食べたくなったら、多少強引に誘って(泣き落として?)でもまた食べに来たいと思います。
「ごちそうさまでした!」
松本市が今年「東アジア文化都市2026」の日本での開催都市に選ばれ、この5月を皮切りに12月までの半年間に様々なイベントが開催されることになりました。
この「東アジア文化都市」は、日中韓文化大臣会合での合意に基づき、日中韓3か国において、文化芸術による発展を目指す都市を選定し、その都市において、現代の芸術文化や伝統文化、また多彩な生活文化に関連する様々な文化芸術イベント等を実施する国家プロジェクトで、日本では文化庁が統括しています。
あまり浸透しているとは言えませんが、初回は2014年。日本が横浜市、中国が泉州市、韓国が光州広域市を開催都市に開かれました。今回松本市は、前回2025年の開催都市である鎌倉市からバトンを受け継いでの開催なのだそうです。
5月17日に市内の中心市街地で開幕イベントが開かれました。
本町通りから大名町通りが歩行者天国になり、 日中韓や東アジアをイメージした出店、ライブパフォーマンスやステージパフォーマンス、祭舞台の展示が行われたのですが、その舞台を曳行する際の人数(曳き手)が足りないとのことから、我々の「源智の井戸」の清掃ボランティアにも応援要請があり、有志で参加しました。
当日は、早朝6時からそれぞれの舞台庫から出して所定の場所まで舞台を移動し、日中は街中に展示します。そして午後3時にまた展示場所から舞台庫まで戻すのです。
この舞台というのはお祭りの山車のことで、松本市の祭舞台は、主に松本城下町の鎮守である深志神社の祭礼などで曳き回される伝統的な山車です。江戸時代から各町会毎に受け継がれ、豪華な彫刻や松本平独自の形式を持つ18基が「松本市重要有形民俗文化財」に指定されています。
この内、16基が天神祭りの深志神社の舞台。氏子は商人の町であった女鳥羽川の南側の町会。残る2基は女鳥羽川の北側の東町2丁目と六九町だけで、それぞれ岡宮と四柱神社の舞台なのだそうです。
当日はこの内8基が駅前広場など4ヶ所に展示されました。

六九町舞台は建造が明治30年(1897)と伝えられ、江戸時代には六九町には舞台は無かったのだそうです。
というのも、深志神社の天神祭りは女鳥羽川の南側の商人町のお祭りであり、女鳥羽川の北側は大名町に代表される様に基本的に武家町で、「六九」という珍しい町名はこのエリアが桝形の隣ということで、武家屋敷と細長い厩があって、6×9=54頭の馬が飼われていて、その54頭の馬を飼育する「六九厩」がおかれたことが町名の名前の由来と言われているのだそうです。
今回参加したことで、六九町会の長老の方々からそんな初めて聞く様なお話を伺うことが出来ました。
私の子供の頃の六九と云えば、嘗ては松本市の中心的な商店街として栄えていた通りで、昭和の頃は「松本の街で買い物」といえば、この六九のアーケードの商店街と隣接する老舗デパートの井上百貨店が定番でした。それが、井上が松本駅前に移転したのを契機に六九商店街から賑わいが消え、2001年(平成13年)にはその象徴だったアーケードも撤去されました。
しかし、今では新しく若者向けのファッション系の店舗も増えているそうですが通いの方が多く、それが応援要請の理由でもあるのですが、この町会も空洞化で住人は減っているのだとか。
因みに、六九町の舞台は、やや小ぶりながら、端正で典型的な深志舞台の姿をしていて、明治になってから女鳥羽川の北側の地に創建された四柱神社の神道祭りに合わせて、伝統的な手法で飛騨の匠により造営された舞台だそうです。


朝6時。集合場所である今町の六九舞台庫へ。
町会の方々が倉庫を開けて舞台を覆ってあったシートを外すなど、運び出す準備をされてから、舵棒を舞台に差し込んで金串で固定して引き出し、我々曳き手は全員六九町会の法被を着て、舵棒と舞台本体を押す形で曳行を開始します。
今町から西堀通りを通って、曳行先の市立博物館前まで。朝6時とはいえ、車の通行もあり先に行かせて安全を確認しながら、且つ道路脇の街頭に当たらぬ様に気を付けながら慎重に押して行きます。
(下の写真の中で、黄色い枠で囲んでいるのが舵棒です)

今回曳行される舞台の中では、六九の舞台は舞台庫の在る今町から市立博物館の在る大名町までですのでせいぜい300m弱。そう長距離の移動ではなく、また小振りの舞台とのことで思ったよりも楽でした。それに前へ進むだけなら、女性だけでも10人弱でも動かすことが出来ます。
市立博物館前に到着し、慎重に歩道から玄関前のスペースに車止めで固定し、町会の方々が提灯やスダレなどの外観の飾り付けをし、全員で記念撮影をして終了しました。反対側の枡形広場には小池町の舞台も到着していて、同じく飾り付けがされていて、小池町の井戸清掃メンバーの方や知り合いの方も何人かおられてお互い労いの挨拶。小池町は深志神社の舞台なので、六九の舞台に比べると一回り大型で、二本の引綱で引っ張って来られ、曳き手の人数も倍の20人以上おられました。



朝とは逆に市立博物館前から今町の舞台庫まで舞台を押して戻ります。早朝と違い、街中の歩行者天国でイベントも行われていることもあって、人出も多く、舞台を曳いて行く西堀通りは、“ホコ天”で通行止めの道路を迂回して来る県外車も含めた車の通行も多くて、時々後ろにずらりと並んだ車列を警備会社のスタッフが交通整理をしながらの運行です。道端の街灯に当たらぬ様、また交差点では力を合わせて舵棒を担いで方向転換をしながら、無事に舞台庫にお納めすることが出来ました。
町会の方々から口々にお礼を言われ、我々はお互いを労って現地解散です。
帰路、伊勢町で飯田町の舞台が“ホコ天”の本町を大きく迂回して戻るところ。そこで飯田町の清掃メンバーから声を掛けられ、今度は飯田町の舞台の曳行を手伝うことに。飯田町の舞台は一回り大型で、引き綱二本を前方で10人程で引っ張りながら、舞台と舵棒をまた10人程が手分けして押しながら、神明町から駅前通り、そして最後は深志神社の参道でもある狭い一方通行の天神通りを両側の家の“ひさし”に当たらぬ様に慎重に進んで、漸く深志神社境内に在る舞台庫まで戻り、中に納めて終了しました。

GWも終わって松本の街中も空いてきたことから、久し振りにアルプス公園まで、出来れば今年は登山(と言っても、霧訪山などの里山や、“百名山”の中でもせいぜい美ヶ原くらいですが)を二年振りにしたいので、トレーニングも兼ねて私たちが勝手に“城山トレイル”と呼んでいる城山遊歩道を歩いてみることにしました。城山公園までは足慣らしを兼ねて、春になって何度か歩いているのですが、その先の遊歩道は今シーズン初めてです。
この城山遊歩道は、標高650mの城山公園から、城山山系の尾根沿いに鳥居山(743m)を経て770mのアルプス公園まで。そして、もし更に歩こうと思えば、このルートではその後もアルプス公園を抜けて、車道を歩くなどして891mの芥子望主山(地元の小学校の遠足先。山頂エリアは公園になっていて、展望台とキャンプ場も在ります)まで続けて歩くことが出来ます。

左の南側から大きな鉢を伏せたような鉢盛山、そして島々谷方面には雪を被った乗鞍が顔を覗かせ、そして大滝山から常念、更に右に目を転じると、鹿島槍などの後立山連峰が白馬まで続いています。
五月晴れの中で“薫る”風を感じられる様な、一年で一番爽やかな季節です。





次はマムシグサでしょうか(5月7日撮影)。仏炎苞という袋のような部分も、今回の様な緑色や以前見た紫色などの種類もあるのだとか。


続いて、白い小さな花で葉がユリの様な感じがしていたので、調べた中ではギンラン?或いはユキザサ?が似ている様な気がしますが、結局分かりませんでした。




そして、シャガ。昔母屋の庭にもありました。中国原産のアヤメ科の多年草で、かなり古くから日本に帰化しているそうですが、アヤメに比べると質素な感じがします。最後に野生のミツバです。勿論食べられますが、ワンコも散歩するコースなので食べるのは避けた方が無難でしょう(以上5月10日撮影)。


【追記】
今年はせめてまた美ヶ原には登りたいからと、毎週の様に“城山トレイル”を自宅の渚から城山公園を経由してアルプス公園まで、標高差190m往復10㎞弱の道のりを毎週トレーニングを兼ねて歩いています。






