カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 婿殿が横浜から来るので、今回も事前に個室での料理を予約してあった、松本市中町の“季節の郷土料理の蔵”「草菴」。
季節のコース料理も、事前に「7,150円コース(税込) / 9品」を次のコース内容で予約してあり、
  ・先付 / 2品
  ・前菜 / 季節の前菜盛合せ
  ・お椀
  ・お造り / 旬魚のお造り
  ・焼物肉
  ・焼物魚
  ・蕎麦
  ・デザート
この内、値段は当然アップするのですが、婿殿と娘の好物でもあるので、信州らしくお造りを馬刺しに、また〆の蕎麦をお椀からざる蕎麦に今回も変更して貰ってありますので、コースとしては概ね8000円位になったでしょうか。

 やはり昨年10月末にも伺ったのですが(第1942話)、その時に後継者問題から事業継承のために銀行の仲介もあって、「草菴」が王滝グループ傘下に入ったと知りましたが、従業員の皆さんもそのままで、依然と比べて料理内容も殆ど変わっていなかったので、これからも県外からのお客さんを信州らしい郷土料理でおもてなしする店として、お連れするのに安心したことを覚えています。

 その後、もう一度機会があって予約したのですが、その時は急に婿殿が仕事で来られなくなったた、め恐縮ながらキャンセルをさせて戴きました。
実は今回も婿殿が病院勤めのため致し方ないのですが、予定が変わり松本には来られなくなり、最後二泊三日で予定している軽井沢へ迎えを兼ねての合流となってしましました。しかし前回も直前でキャンセルしていたこともあり、今回はキャンセルせずに一名減でそのまま伺うこととした次第です。

 この日事前にお願いした懐石コースも、基本はいつもと同じ内容です。これまでの“草菴らしさ”を残しながらも、王滝グループ傘下になったことで、仕入れの効率化などに依って当然内容が変わることはあり得ましょう。ただ以前の「草菴」のH/Pは良い意味でもっと“泥臭く”て、ご主人や従業員の男性が山に入って旬の春の山菜や秋のキノコを採っている場面や、その山菜やキノコの写真も掲載されていた様に記憶しているのですが、新しくリニューアルされた「草菴」のH/Pは、もっとオシャレに洗練されていて、夜のコース数も選択肢が増えた様な気がします。

 時間通りに着いて、一階フロアへの中町からではなく、小池町側の二階席用の入り口から靴を脱いで入店。子供が這い回ってもイイ様な、お願いしたいつもの畳敷きで椅子席の個室です。
先に子供たち向けに、玉子焼きとモロコシのかき揚げ、そしてトマト好きの彼等なのでトマトのお浸しをオーダー。子供たちも美味しそうに食べてくれました。

 この日の季節の料理の懐石コースは、先付が二品で、先ずトマト豆腐など。続いて、夏らしく稚鮎の唐揚げとトウモロコシのかき揚げ。稚鮎の苦みがナントも言えません。
八寸的な季節の前菜盛り合わせが、ミョウガの握り寿司、枝豆の真薯、ニジマスの唐揚げなど。続いてのお椀は、松本では珍しいのですが、これまた夏らしく鱧吸いでした。
そしてお造りが変更いただいた馬刺しです(何だか気のせいか、以前より切り方が薄く、また量も少し減った様な気がしますが、果たして・・・?なお、写真の馬刺しは半分食べた後です)
そして焼物として、先ずは信州牛のイチボ。柔らかくて塩とワサビが合います。
そして焼物の魚がヤマメの塩焼きとナスの味噌田楽に焼き蕎麦がき。こちらも信州味噌で頂きます。
最後は〆のざる蕎麦。王滝傘下には小木曽製粉所という自社の製粉工場があり、以前より蕎麦が細くなった気がしましたが、市内の蕎麦専門の有名店にも劣らぬ美味しいお蕎麦でした。因みに最後のデザートは桃のジェラートだったか?梨だったか?で、奥さまへ。以上がこの日の9品の懐石コースでした。
  「草菴」のキャッチフレーズが“季節の郷土料理の蔵” で、松本の人気の観光スポット“蔵の街”中町に在って、信州らしい内容の季節の旬の食材を活かした郷土料理の店ですので、地元民としては、松本に来られた県外からのお客様をお連れして、おもてなしするのにおススメのお店だと思います。

 何日も実家に居ると、松本での孫たちの“遊び”の材料が次第に“枯渇”して来ます。
都会であれば、動物園や水族館、キッズランドなど、そうした小さな子供たちが喜ぶ施設が幾つも有るのでしょうけれど、田舎ではなかなかそうはいきません。

以前松本に来た時に、娘がアルプス公園を始めとし、芳川公園や庄内公園など、松本市の公共公園は子供向けの遊具が充実していることに感心していましたが、雨の日や前日夕立ちがあった日などは、遊具が濡れていて使えないし、逆に昨今の様な猛暑の日は、遊具が火傷をする位に熱過ぎて使えないので、残念ながらそうした公園にも行くことが出来ません。
 そんなの時にお助けになるのが、先ずはショッピングモールです。
孫たちの一番人気は、イオンモール松本のキャラクターカートで、特に二人共アンパンマンが大好きで乗りたがりますが、週末などは子供たちのためにパパママたちが競って“早い者勝ち”での奪い合いになります。娘に依ると、
  「無料で乗れるなんて信じられない!有料にして貰ってもイイくらい・・・」
とのこと。
滞在中、私は用事があって行けなかったのですが、幼児連れのママさんに優しい「和み」でのランチを今回も個室で予約して、その前後にイオンモールの「キッズリパブリック」で買い物をするために、終末よりも混まない平日に家内と出掛けて行き、しっかりとアンパンマンのカートを確保して二人共乗れた様です。
 また、食料品買い出しはスーパーマーケット「ツルヤ」の中南信地区進出1号店でもある「渚ライフサイト」内の「ツルヤなぎさ店」が、ナント1年4ヶ月も掛けて7月から改装休業中(歳を取っても歩いて行けるからと今のマンションに決めたのに、まだ運転が出来る我々は良いとして、そうした事情を抱えたお年寄りは「その間は他店へどうぞ」と云われても、では実際にどうすれば良いのか、余りに“ユーザー・アンフレンドリー”な対応と云わざるを得ません)のため、結果代わりに選んだのが、松本市内の本店を閉めた井上百貨店が運営する、松本市郊外山形村のショッピングモール「アイシティー21」です。今までは殆ど利用したことは無かったのですが、市街から郊外へ向かう道路は混んでいないので、渚からは15分足らずで行くことが出来ます。そして、こちらにも「ツルヤ」が敷地内に別棟で入っています。
たまたま行った日は夏休みということもあって、アイシティーの一階モールの中央ステージで日替わりのイベントがされていて、この日は子供向けの音楽ステージが無料で40分間実施されていました。
ステージ前には椅子席も用意されていて、今回は昼前後の2公演でしたが、出演は大阪市東淀川区に拠点を置く「スキップ楽団」とのこと。
こちらの楽団は1977年に結成された、幼稚園や保育所の遊戯室、高齢者施設のロビーや食堂等、小規模スペースを会場とする公演など幅広い活動をしている音楽集団とのことで、この日はメインボーカル兼アイリッシュハープの女性、3代目リーダーというヴァイオリン、他にキーボード、ドラムスの各々ボーカルも兼ねる男性3人の計4人編成。
ステージは、アイルランド民謡の「ダニーボーイ」や童謡「雨降りお月さん」、そしてジブリのトトロから「さんぽ」などなど。
皆さん音楽の専門教育を受けられたプロミュージシャンの様で、わざとふざけては子供たちを沸かせながらも演奏はしっかりしていますし、女性ボーカルも澄んだソプラノで上手でした。子供たちも手拍子をしながら喜んでステージも大いに盛り上がっていました。
今や音楽大学を出ても、演奏人口の多いピアノやヴァイオリンなどは、著名な国際コンクール優勝の肩書か、或いは技量は“そこそこ”でも余程の美形でなければプロ演奏家として売れることはありますまい。ですので、こうした形で毎日音楽を生業に出来るのは、例え王道ではないとしても、音楽家人生としては或る意味幸せではないだろうかと、へそ曲がりの斜視的な見方かもしれませんが、手拍子をしながらそう感じて私も聴き入っていました。
最後は、音階毎に並べられた大小のフライパンを希望して前に出て来た子供たちに叩かせながら、一緒に「さんぽ」を合同演奏。いつもは次女に似て引っ込み思案の上の孫も、この日は自分から「行きたい!」と云ったそうで、下の孫も一緒に娘がサポートしながらしっかりとパーカーッションに参加していました。
 さて、また別の日のこと。
上の子が電車好きということもあって、“時間潰し”のイベント代わりに二度、マンションからすぐのアルピコ交通(旧松本電鉄)の上高地線の渚駅から二駅の松本駅まで電車で往復しました。
松本と上高地への入り口となる新島々までの上高地線は現在二両連結で、京王電鉄の3000系車両が引退し、現在は東武鉄道20000系車両3編成で運行されています(内1編成が、アルピコ社内の女性社員が描いた上高地線のキャラクター「渕東(えんどう)なぎさ」がCFなどに依って描かれた、2代目なぎさトレインです。因みに渕東も渚も上高地線の駅名)。

 大人の我々からするとたった二駅、僅か片道4分の乗車時間なのですが、彼等幼い孫たちからすると立派な“大冒険”なのでしょう。
踏切がカンカン鳴って電車が近付いて来る時から嬉しそうにはしゃいでいて、ドアが開いて乗車し、たった4分間の沿線の様子を窓越しに靴を脱いで座席に正座して眺めながら、終点の松本駅では八王子から乗って来た特急あずさが多い時は4編成も停車していたりと、乗り物好きな子供たちは電車での行き帰りをとても喜んで乗っていました。
 以上、ひと時の田舎暮らしの中で孫たちが見つけた、身近なエンターテイメントと小さな大冒険でした。

 残暑お見舞い申し上げます。
信州もご多分に漏れず、猛暑日が結構ありますが、内陸のため湿気が少なく、また猛暑日であっても朝晩は21~23℃位なので、窓を全開にしていると入って来る風が寒くて、明け方に目が覚めて窓を閉める程です。まだまだ暑い日が続いてはいますが、立秋を過ぎたせいか、その頃からは朝20℃を下回る日も出て来ました。 そんな信州松本の、2025夏の風景です。


 先ずは信州松本のシンボル松本城。朱塗りの埋橋が塗り直され、モノトーンの天守との対比が映えます(7月4日撮影)
 土用丑の日の鰻です。今年は長女が送って来てくれた鰻を自宅で戴きました(7月19日)
 7月24・25日の深志神社の例大祭“天神祭り”。氏子の各町会の16台の舞台が曳かれ、街中を練り歩きます(中町の舞台。7月24日撮影)
 松本は基本的に月遅れで節句を祝います。旧暦でないと、例えば雛祭りでは4月でないと桃の花が咲きませんし、6月にならないと柏餅に使う柏の葉も大きくなっていません。
ただ現在では保育園などは、全国に合わせて行うところもある様で、従って場合によっては2ヶ月近く飾り付けを楽しむことが出来ます。
旧暦で8月7日に行われる七夕祭。松本では七月に入ると、松本七夕人形が街のあちこちに飾られています。これは江戸時代から伝わる風習で、松本では短冊を付けた笹竹の他に、子供たちの健やかな成長を祈るために男女一対の七夕人形も一緒に軒下に吊るされます。この松本七夕人形は、全国でも唯一松本だけの伝統行事として300年間も受け継がれていて、今では街中の各商店などに飾られて松本の夏を彩っています(7月24日撮影)。
 夏と云えば、真っ赤な夕映えに映える黒い屏風の様な北アルプスの峰々。千変万化で刻々とその表情を変え、二度と同じ景色を見ることはありません。大自然が“日本の屋根”に描く、“真夏のプロジェクターマッピング”とでも云ったら良いでしょうか。自然の織り成す“芸術作品”に、暫しうっとりとする瞬間です。(同じく7月24日撮影)。
 続いて、これまた夏の風物詩の花火です。日本最大の3万発を打ち上げる夏の諏訪湖の花火には比べるべくもありませんが、松本では8月9日に薄川で筑摩の花火大会が行われ、3000発の花火が松本の夜空を彩りました。我が家でもマンションのベランダから、ビル越しに花火が眺められます。ちょうど帰省して来てくれていた次女と孫たちと一緒に、夏の風物詩を楽しみました。もう少し孫たちが大きくなったら(音が怖くなくなったら)、湖畔で諏訪の花火を皆で楽しめたらと思います(8月9日撮影)。

 お盆。ご先祖様の霊をお迎えするための“お棚”を作ります。そこに仏壇から位牌などを移動して、またご先祖様をお墓から乗せてお連れする精霊馬を作って飾りますが、キュウリの馬とナスの牛です。これは、ご先祖様を迎えるにあたって、「少しでも早く家に帰って来られる」様にお迎えは馬に乗って、そして帰る時には牛に乗って「ゆっくりとお帰りください」という気持ちを表すと云われています。私の子供の頃までは、先祖の霊をお墓にお送りする際に、この馬と牛も近所の川に“精霊流し”の様に流してお送りしたのですが、今は環境上の問題もあり川に流すことはせず、自宅で処分しています。
旧盆となる8月13日の迎え盆。松本地方では白樺の樹皮を剥いで乾かしたカンバ(「樺」、白樺の意)で、迎え火をお墓と家の玄関先でも焚いて霊をお迎えします。カンバの灯りで、お墓から家までの道筋をご先祖様に示すと云われています(送り火の場合は逆に玄関→お墓の順番で焚きます。防火上、ペットボトルに水を用意して、火が消えてからちゃんと水も掛けます)。
因みに、カンバはこの時期になると地元のホームセンターやスーパー等で普通に売られています。松本地域以外にもカンバを焚くエリアが長野県内では北信地方にもあるようですが、少なくとも諏訪地域ではそうした風習は無いようです。家内の実家でもカンバは焚きませんし、婿に入った父方の茅野に住む伯父の家でも、亡き叔父はわざわざ松本からカンバを買って来て、お盆には松本流にカンバを焚いていたそうですが、茅野出身の叔母はカンバは知らなかったそうです。
 8月16日の送り盆。カンバを焚いて送り火をして、ご先祖様をまたお墓にお連れして、今年もお盆が静かに過ぎて行きました。

  以上、今年見つけた“信州松本 夏の風景”でした。

 30年以上続いた地元町会の有志の方々に依る「源智の井戸を守る会」が高齢化に伴いメンバーが減り、遂に86歳の会長お一人になったのを見るに見かねて、近くにお住まいで井戸縁の83歳の女性が手伝われる様になり、その「お年寄り二人だけに任せてはおけない」と、60代の町会役員の方お二人も参加されて「井戸と花の会」を作り、昨年7月から井戸の清掃活動を引き継がれました。

しかし中心市街地のドーナツ化による住民の減少と高齢化で、今後ずっと続けていくことは無理なことから、年度末の今年の3月一杯で会は解散し、「源智の井戸」は市の文化財であり、そのため今後の管理を市に委ねる旨を市に申し入れたのです。
そうした地元町会の窮状が昨年8月末の地元紙「市民タイムズ」で報道され、10年来ただで水を頂いてきた身としてはいたたまれず、地元町会以外の初めてのメンバーとして参加して分かったことは、地元町会の皆さんはこれまで市の担当課とは何度も交渉したり申し入れをしたりする中で、これまでは「予算が無い」の一点張りで何も進展が無く、皆さんはもう疲れて諦めにも近かったため、そこでダメ元で皆さんに迷惑が掛からぬ様に、飽くまで私個人として「市長への手紙」に窮状を訴える投書を送ったのです。
 するとそれを市長ご自身が読まれ、これまでの担当課では進展が無かったという投書の内容から、担当課ではない別の「地域づくり課」と井戸の在る地区担当の「第2地区地域づくりセンター」の課長さんに直接指示をされ、町会長さんと清掃をしてきた我々メンバーとの数度の話し合いの結果、第2地区の地域づくりセンターが事務局となってボランティア募集が開始され、責任を感じた地区の町会長連合会の有志の方々も含め、20人程が清掃ボランティアとしてメンバー登録をされました。
地元町会はここで清掃活動から卒業とのことで、町会長さんだけが相談役として残り、当初のメンバーの皆さんは一旦手を引かれることとなったため、唯一残った清掃メンバーであった私メがそれまでのメンバーの皆さんからの意志を引き継いで、新たなボランティア組織である「源智の井戸を守り隊」の代表者として隊長を引き受けることになりました。
また肝心の井戸清掃は、今年度から市の担当課の予算申請が通り、少なくとも年度内は業者に依る月二回の清掃が開始されたことから、ボランティアは先ず月一回の清掃からスタートしました。
すると10数人が集まった第一回目の清掃の際、“三人寄れば文殊の知恵”ではありませんが、人数が多ければ色々なイデアが出るものだと感心したのは、防災備品として災害用に自費で購入したというポンプを台車に載せて運んで来てくださった第二地区の役員の方がおられ、ジョレンやデッキブラシで擦って浮かせた藻を金網ですくうのと並行して、藻の混ざった汚れた湧水を一気に汲み出し、湧き出て来る新鮮な湧水に入れ替えたのです。併せて、その排水する水を勢い良く水路に流すことで、水路用のブラシで擦った汚れを一気に流すことにも繋がりました。
こうして“文明の利器”と人数も増えた結果、これまでは有志5人での清掃活動では今までなかなか手が回らなかった、井戸周辺の水路までデッキブラシで擦って掃除することが出来たので、見違え得る様にキレイになりました。
こうして月一回のボランティアに依る「源智の井戸」の清掃ボランティアを行う中で、ボランティア募集も併行して実施しました。
すると、スタートした当初は地元第2地区の町会長さんは各町会のある意味長老さんですし、有志の方々も私の様なリアタイア組の方が多かったのですが、次第に若い方も参加してくれる様になったのです。
更に話を聞かれた地元高校が地域貢献活動の一環ということで、生徒さん達が井戸からの水路を月一回清掃してくれることになりました。
また市の方でも「地域チャレンジ応援事業補助金」を今年度新設し、地区町会だけでなく我々の様なボランティア組織も対象とすることが可能とのことで、ボランティア組織である我々の「源智の井戸を守り隊」も申請したところ、審査の結果20万円程の補助金を頂くことが出来、ずっと善意に甘えているだけではいけないので、ボランティアとしても発電機とポンプを購入し、ホースは消防法上使用期限が切れてしまっているという新品のホース(消防の消火活動以外への使用は全く問題無し)を発注先の業者から無償で戴くことが出来ましたし、また清掃活動中の万が一のケガに備えてボランティア保険にも登録メンバー全員を登録することが出来ました。
ボランティア募集スタートに際し、当初地域づくりセンターの課長さんとは、
 「“巧遅拙速に如かず”で、ボランティア活動をどうしていけば良いかは、周りからゴチャゴチャ言われても良いので、走りながら考えましょう!」
とスタートしたのですが、我々の予想以上に順調に発展拡大してきています。
 他にも色々進展がありました。
購入したポンプと発電機を試運転するために井戸に役員数人で集まった際、井桁上部の木枠を外すことが出来るということが分かったのです。大人4人で80㎏程もある八角形の木枠を外すと、これまでの用に木枠に邪魔されずに、ジョレンやブラシで井戸の中の隅々まで攪拌して藻を浮かせ、ポンプで吸い上げることが出来ます。
購入したポンプを初めて使った8月の清掃活動では、木枠の他にも分かったことがありました。今回も善意でお持ちいただいたポンプと購入したポンプの合わせて2台で、掃除後に浮いた藻を一緒に吸い上げたのですが、吸い上げる水の量が合計で毎分280ℓ、井戸の湧水量は毎分200ℓ。そのため井戸の水位がかなり下がった結果、湧水が泡を立ててブクブクと湧き出しているポイントを初めて目で見ることが出来ました。因みに、一度井戸が枯れてしまい、昭和63年(1988年)に深さ50mまで井戸を掘り下げた結果また水が湧き出したのですが、その湧水量は毎分500ℓで井戸の容量には多過ぎたので、そのため井戸横の地下にバルブを設けて、現在の毎分200ℓに調整しているのだと知りました。
また、この6月くらいから湧水量が増えて来たのですが、これは河川が夏渇水期となり、田川など毎年干上がるのですが、「源智の井戸」はむしろ冬が湧水量が減って、夏になると増えるのだとか。実際に6月頃からポンプでくみ上げても、水位が春頃に比べ以前程下がらなかったのはそれが理由でした。
考えるに、冬場は薄川や女鳥羽川などの水源となる2000m級の筑摩山系に降る雪はそのまま積もり融けることは無いのですが、春の雪解けで川や地中にも沁み込んで地下水となって、やがて夏頃に湧水として湧き出してくるからではないでしょうか。
清掃活動に関わることで、「源智の井戸」についてそれまで知らなかったことが新たに見えてきました。
 また、今回の8月の清掃活動には、20代前半の本当に若い皆さんが4名、「ボランティア松本市」で検索して行き着いたからと初めて参加してくれました(内お一人は受験生とかで、むしろ勉強に専念して貰う様にボランティア継続はお断りしました。もしUターンして来られたら、また参加してください)。
また松本市内で民家を改装して、外国人向けのゲストハウスを始められたという県外からの移住者のうら若き女性(お父様が昔松本に転勤で来られていて、自宅と松本を行き来する内に松本を気に入られたとか)が、それまで清掃に参加されていた地元町会の役員の方に偶然「この辺に自販機はありませんか」と聞いて「源智の井戸」を紹介され、飲んで美味しかったのとボランティア募集の貼紙を見て、今回仕事仲間を誘って4人でこれまた初参加してくれました。
今後のボランティア活動の継続は決して順風満帆ではないかもしれませんが、我々の様な“年寄り”だけでは何十年も続けることは不可能なので、こうした若い皆さんが参加してくださったことが何よりの喜びでした。
そして今回のハイライトは、ボランティア募集のきっかけになった「市長への手紙」を読んだ臥雲義尚松本市長ご自身が、地域づくりセンター長の経過報告を受けて自ら参加いただいたことです。しかも単なる視察ではなく、皆さんと一緒に清掃活動も1時間以上しっかりと最後までやってくださったことです。
終了後に臥雲市長にボランティアの皆さんに挨拶いただいた中で、
 「少子高齢化社会で、我が松本市も例外ではなく、これまで町会単位で行って来た色々な活動を実施するのが段々難しくなって来ている中で、町会単位ではなく、今後はその枠を超えた市民の皆さんに依るボランティアで推進していくことが次第に必要になって来ます。その意味で、この皆さんの源智の井戸のボランティア活動が、そうした今後の松本の是非モデルケースになって頂ける様に、是非頑張っていただきたいと思います。」
との激励もいただきました。
 市長の仰る通りだと思うのです。
“平成の名水百選”に選ばれた「まつもと城下町湧水群」に限っても、例えば「源智の井戸」と同じく市の文化財課が管轄する「槻井泉神社の湧水」と、湧水群の中でこちらも人気の「鯛萬の井戸」。
「槻井泉神社の湧水」では、地元町会に依る利用と管理をしています。また「鯛萬の井戸」は元々松本の有名な割烹料亭「鯛萬」が掘った井戸ですが、料亭が移転した後も井戸はそのまま残り、その後小さな公園として整備されて多くの人に利用される井戸となっています。この「鯛萬の井戸」では、町会は直接関与せず地元有志の3人の管理者の方が清掃をされておられますが、どちらの井戸も活動されている方々は高齢の皆さんです。
また他の湧水群に指定されている湧水や井戸は、いずれも地元町会が管理することを条件に市と協定を結んでいるそうですが、他の井戸は例えばポンプに依る汲み上げ式だったりして、大きな木枠で囲われて中に玉砂利が入っている「源智の井戸」と比べると掃除が容易ですし、日光が差し込んで光合成で藻が発生することも無いので藻の除去もそれ程必要が無いはいえ、管理する以上はゴミ拾いや草取りなども含めて井戸の清掃活動自体は必要であり、複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会も少子高齢化とドーナツ化現象で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって水平展開されていくことが必要だと思います。
その意味で、市長に認識も頂き若い人たちが参加してくれたことが、今後ずっと決して順風満帆に進む訳ではないかもしれませんし、ボランティア第一号としては些か大袈裟な物言いではありますが、未来への継続の“光”になってくれた様に感じた次第です。

  “清流の城下町”と聞いて、思い浮かべるのは何処でしょうか。
真っ先に思い浮かぶのは、 “郡上踊り”で有名な郡上八幡でしょうか。
正に郡上八幡のキャッチフレーズが“清流と名水の街”で、町割りに沿って家々の軒先を流れる水路は、元々は防火対策のために時の城主が城下纏整備として4年の歳月をかけて築造され、今でも水路が街中に張り巡らされていて、また市内を流れる“清流”吉田川では、地元の子供たちが“度胸試し”に高い橋の欄干から川に飛び込むのが夏の風物詩とか。まだ行ったことが無いのですが、是非一度は訪れてみたい奥美濃の城下町です。

そして郡上八幡と同じ岐阜県では、県立斐太高校が学校前の大八賀川で行う大正時代から続く“白線流し”でも知られる飛騨高山よりも、瀬戸川が水路の様に街中を流れる飛騨古川の方が個人的にはむしろ“水の街”という感じがしました。
また、“清流”ではないかもしれませんが、八幡堀沿いの風情ある街並みを眺めながら船で巡る、琵琶湖の水運を活かして近江商人で栄えた近江八幡。豊臣秀次がその基礎を築いた、こちらも“水”が感じられる城下町でした。
 明治維新後の廃藩置県で、その飛騨地方と松本は当初は同じ筑摩県でした。お互い“日本の屋根”の峰々から流れ出る河川や恵みの湧水を活かしているのは、北アルプスを挟んで背中合わせの松本平と飛騨地方は良く似ているのかもしれません(そんな縁もあって、高山市と松本市は姉妹都市です)。
複合扇状地である松本盆地は、東の筑摩山系から流れ出る女鳥羽川と薄川、そして西の北アルプスからの梓川と高瀬川、南側は木曽川との分水嶺である鳥居峠から北上する奈良井川や鉢盛山に源を発し奈良井川に合流する鎖川などから形成されています。そして、その松本盆地の東の隅に位置する松本の市街地には、街中に女鳥羽川が流れ、薄川や田川、他にも牛伏川、大門沢川など大小幾つもの河川が市街地を流れて複合扇状地を形成しました。
そうした川の伏流水が松本市内で湧水として湧き出し、“まつもと城下町湧水群”として「平成の名水百選」にも選定されていますので、松本も十分に“名水の城下町”だと名乗ることが出来ましょう。
 では、一方“清流”についてはどうでしょうか。
上高地から流れ出る梓川は特急名にも使われるなど、信州を代表する“清流”としてのイメージがしっかりと定着していますが、松本の街中を流れている訳ではありません。
三才山峠に源を発し、市街地を流れて田川と合流して奈良井川に注ぐ女鳥羽川は、全長17㎞という短い川ですが、昔はお城の総堀の外側を直角的にL字型に流れていることから、外堀の更に外側で自然のお堀としての役目も果たしていました(小笠原氏の支城だった深志城を大改修して、松本の城下町の基礎を築いたのは信濃を征服した武田信玄ですが、信玄堤で知られる様に信玄が“治水の名手”だったことから、女鳥羽川を堀として使うために直角に流れを変えたという説がありますが、近年の研究ではそれは史実ではなく、自然の流れをそのまま築城時に活かしたのではないかとのこと)。
街中を流れるために、昭和30年代までは台風などでしばしば洪水が発生したようですが、河川改修などに依り現在ではそうしたこともなく、また下水道整備の結果や湧水が流れ込むこともあって、街中を流れる川としては女鳥羽川は想像以上にキレイです。また、昔の様にカジカガエルの住める綺麗な川を取り戻そうと、市民による保全・清掃活動も盛んに行われてきた結果、2019年には念願のカジカガエルの生息が確認され、また中流域の水汲のスポーツ橋付近ではホタルが乱舞していますし、下流の縄手通り付近では放流された鯉が泳いでいるのを見ることが出来ます。そして街中を流れる川には珍しく、ヤマメの棲む上流域だけではなく、下流域の街中でもウグイが棲息しているそうです。
なおホタルは女鳥羽川だけではなく、旧開智学校に隣接する、街中と言っても良い中央図書館脇を流れる大門沢川でも見ることが出来ます。
またマンションの近くの渚地区を流れる全長5㎞という小河川の穴田川。元々は湧水が流れ込むキレイな川だったのが、1960年代になって工場排水や家庭からの雑排水が流れ込み“松本で一番汚い川”と云われたそうですが、下水道整備や流域の企業が参加する「穴田川をきれいにする会」が定期的に清掃活動をするなどして、今では本当にキレイな川になり田川に流れ込んでいます。
 更に松本市街地には、これぞ正真正銘“清流”だと言える川があります。それが「榛の木川」と「蛇川」です。
両方とも川幅が1mにも満たない、用水路の様な小さな川なのですが、“まつもと城下町湧水群”である源池の水源地やその辺りの湧水そのものを水源としていて、途中民家の中に在る湧水も含め、更に幾つもの湧水が流れ込んでいることもあって驚く程キレイな清流なのです。しかも昔誰かが放流したモノだそうですが、所々に外来魚であるニジマスが棲息していて、街中でもその姿を見ることが出来ます。(上二枚の写真は源池の水源地。次は上が榛の木川で下が蛇川です)
“当国一の名水”「源智の井戸」から毎分200リットルの湧水が流れ込む榛の木川は人形町(高砂通)を西に流れていて、所々の道路脇でその清流を見ることが出来ますが、蛇川は殆ど民家の脇を流れており、特に高砂通から北側では暗渠でフタをされてしまっているため、殆ど流れを見ることが出来ません。でも高砂通の北側でも一部、“蔵の街”中町の南側の飯田町に藤森病院の井戸「亀の泉」があり、この辺りを流れる蛇川はしっかりとその流れを見ることが出来ます。特に病院施設のフェンスで囲まれているため安全と分かるのか、水草の中を何匹もの大きなニジマスが悠々と泳いでいるのを見ることが出来ます。

 難しいとは思いますが、何とかその暗渠を撤去して江戸の昔の様な小路に沿って流れる清流が見られる様にして、「源智の井戸」を始めとする「まつもと城下町湧水群」の名水と、その湧水が流れる榛の木川、蛇川の清流を合わせて“まつもと水巡り”として、郡上八幡の様に清流と名水に沿って街歩きが出来る様にすればまた一つ、それぞれ北アルプスを挟んで、飛騨地方の郡上八幡にも負けない“清流と名水のアルプスの城下町”として、信州松本の“街歩き”での観光的魅力が一層高まると思うのですが・・・。

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