カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ワンコとの散歩で松本城から向かったのが、昨年オープンした築120年の古民家を改装したという「町家カフェ 茶noma」(ちゃのま)です。
ネットで縁側の席はワンコOKという記事を見つけ、日本で一番“Dog Friendly”だと個人的に感じる軽井沢と違って、残念ながら我が松本ではなかなかペットOKという店が少ないことから、初めて行ってみることにしました。当初奥さまは「小昼堂」のテラス席を希望されたのですが、今回は新しいペットOKの店を開拓してみることにしました。
余談ながら、インバウンドを別とすれば、少子高齢化社会の我が国で、これからの観光産業における国内需要を喚起する要諦は、“ペットと老人”を如何に遇するかだと思っています(ですので、是非ワンコOKの店を増やしてください!)。

 さて、この町家カフェ「茶noma」は、その名の通り築120年以上の歴史ある町屋で、1時間1人500円(ワンドリンク付き)で利用できるカフェスペースとして昨年4月にオープン。
明治26年築の建物内には、職人技の建具や明治、大正、昭和の貴重な調度品や昔の家具調ステレオといったレトロな家電などが幾つも置かれていて、また京都の庭匠が造ったという手入れの行き届いた奥庭、それに面した縁側や茶の間で、毎日ご主人が汲んで来られる「鯛萬の井戸」の湧水で淹れたコーヒーや抹茶などを飲みながら休憩することが出来ます。
東京でTV番組制作会社を独立後経営していたという松本出身の70歳のご主人が、それまでこの家で一緒に暮らしていた弟さんが亡くなられ、御年92歳のお母上が一人きりになられたことからご実家に戻られて、“城下町のお休み処”としてこの古民家を活かそうとされたのだとか。ご主人に「宜しければ」と誘われて、家の中を案内頂きました。
女鳥羽川の南、江戸時代の商人街に在る“蔵の街”中町同様に、三の丸に当たる武家屋敷だったこの辺り(大名町~小柳町)も明治期に大火で焼け、そのためこの家も耐火用に土壁が分厚い蔵の構造を町家に取り入れた“蔵町家”という建築様式が用いられている由。「壊すのは簡単でも、建てるのはもう無理」と大工さんに言われ、何とか建物をそのまま活かすことを考えた結果の“町家カフェ”なのだそうです。
GW中のこの日は、東京で息子さんと暮らされているという、如何にも“都会風”(≒ナント形容すれば良いのか分かりませんが、どう見ても田舎の方には見えなかった)で“松本らしからぬ”奥さまもおられ、連休中は旦那さま独りでのワンオペは大変なので手伝いに来られたのだとか。
麻布台のマンションに居た長女が昨年二月に渡米するまでは、毎月上京しては“ニセ港区女子”を気取っていた家内と、東京暮らしと松本暮らしの話で盛り上がっておられました。
因みにペットは奥庭の縁側ではなく、玄関脇の縁側でのみ同伴が可能とのことで、少々狭くてペットとノンビリとはいきませんでしたので、我々はドッグカートのキャビンを外して前庭の平らな縁石の上に載せて対面する形でドリンクを戴きました。
改装に手伝いに来られた方がワンコ連れで、その時にいつもここで休憩して貰っていたので、そのままオープン後もここがワンコ連れの定席になったのだとか。ネット記事で見た時は、てっきり奥庭に面した縁側席がワンコOKで、そこでならゆったりくつろげそうだと思ったので、チョッピリ残念でした。でも、奥さまやご主人と、東京や松本のことなど、昔話も含めて話が弾んで、昔、祖母が家に来た人を誰でも家に上げてお茶と漬物でもてなしていた様に、何だかご近所のお宅に伺って「お茶でも飲んで行きましょっ!」的にまったり過ごすことが出来ました。
惜しむらくは、ご主人一人では今は止むを得ませんが、市販の茶菓子ではなく、出来ればいつか奥さまの手作りのスイーツが食べられる様になるともっと良いだろうと思います。
 さて、GW中の別の日ですが、また城山へのウォーキングへ前日行ったことから、今回のこの日はワンコと一緒にドッグカートで深志神社と四柱神社にお参りして子供や孫たちのことをお願いしてから、松本城公園で少しワンコを散歩をさせることにしました。元気なワンコなら家から松本城公園まで散歩で歩いていけるのですが、コユキもクルミも小型犬で、保護される前の繁殖犬時代の悪徳ブリーダーのせいで体に障害を抱えており、長い距離を歩かせるのは心配なので、ドッグカートで乗って目的地まで向かいます。
そう云えば、昔会社員時代に電車で諏訪に通っていた時に、休日前急に飲みに行った時は、月決めで借りていた駅裏の駐車場に車を停めたままだったので、翌日の土曜日早朝にチロルとナナと一緒に、お散歩がてら自宅の沢村から松本駅まで3㎞しっかり歩いて、帰路は車でワンコも一緒に帰ってきたのですが、ワンコたちはいつもの散歩コースとは異なる駅までの道を嬉々として歩いてくれたのを懐かしく思い出します。
閑話休題。この日の天神さまの深志神社は混んではいなかったのですが、中町から縄手通りに向かうと、通り一杯の人の波で、老舗のタイ焼き屋さんやベーカリーのスヰトにも順番待ちの行列。しかも、お目当ての四柱神社も初詣の時以来の参拝客のお詣りの列が出来ていて、ワンコも一緒なので並んでのお詣りは諦めて、今回は遠くからお参りをしてお城へ向かいました。
しかしこちらも凄い人出で、天守閣への入場は3時間待ちとのこと・・・。
(現在松本城では電子チケットが導入されていて、それだと希望する日時で入場可能ですので、GWなど混雑する時は事前にそちらを購入するのがおススメです。しかも松本城も入場料が値上げされたのですが、電子チケットには旧開智学校との国宝二つの共通入場券もあって、そちらだと値上げ前と値段が然程変わらないのでお得です)
やはりGW中は松本市内もどこへ行っても混んでいるので、「小昼堂」のワンコOKのテラスでの休憩も断念して家に戻ることにしました。

 まさに五月晴れと言えるようなGW中の快晴の一日。
“風薫る”という言葉が相応しい朝、コユキとクルミをドッグカートに載せて、散歩がてら松本城公園へ歩いて行ってみました。

 現在、松本城では幾つかの工事が行われています。
一つは今年の1月から始まった、松本城公園内の旧博物館の解体工事です。工事は今年の10月末までの予定で、 工事に伴い南側入口土橋の通路が狭くなっていて、「本来の登場ルートである、太鼓門から入城しましょう」という呼び掛けが行われています。これは、嘗ては大名町から松本城を結ぶ現在の土橋はなく、本来のお城の正門である東側の市役所側にある太鼓門から黒門へ至り、本丸へ入城するのが登城ルートだったからです。
この旧市立博物館は「日本民俗資料館」とも言っていて、国の史跡である松本城内では新たな建設が出来ないことから、昨年秋に大名町に新たに建設移転され、古い建物が解体されているのです。
元々この場所には城主の私邸の古山地御殿(こさんじごてん)がありました。
松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられていて、その一つが古山池御殿です。そして、博物館が建てられた後も、館内には井戸が残されていたのですが、これが「ててまがりの井戸」。
「ててまがり」とはカタツムリのことで、嘗ては外縁部が、でんでん虫の殻のように見えたことからその名が付いたのだそうです。
古山池御殿は城内で最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっていました。明治になって廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に旧制松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、この井戸はその時代も現役として活用されていたそうです。
因みに火事で焼けた本丸御殿の跡地は、明治時代には松本中学のグランドになっていて、昼休みにはヤンチャな学生が天守閣の屋根に登り、鯱鉾(しゃちほこ)の様に逆立ちすることもあったとか・・・。
 また、昨年の11月から今年の12月まで、内堀南西部の浚渫(堀の中の堆積物を取り除くための作業)が行われています。
説明書きのパネルに依ると、
『松本城のお堀の浚渫のため、松本城公園内で作業を実施しています。
・11月18日(月曜日)から令和7年12月末までの間、北西トイレの南側に浚渫した土を脱水するための設備が設置されます。
・11月25日(月曜日)から令和7年12月末までの間、内堀の南西部に操船管理室が設置されます。また、操船管理室周辺で浚渫台船の組み立て作業等を行います。
・令和6年12月中旬から令和7年12月末までの間、内堀南西部の浚渫を行います。』
とのこと。

ヘドロが堪り水深も浅くなってしまい、内堀浄化は永年の課題だったのですが、国宝ということもあって工事方法については色々試行した結果、現在の方法が決定されて漸く工事の運びになり、先ずはこのエリアを皮切りに、内堀の浚渫工事が順次進められて行きます。
ブラタモリで紹介された様に、松本城の堀の水は湧水が使われていて、水そのものはキレイなだけに、一日も早く透き通ったお堀が蘇って欲しいものです。
 そして内堀の北西の角に在る埋橋。朱塗りの八ツ橋型の橋はモノトーンの城とのコントラストが美しい撮影スポットです。しかし老朽化が進み、平成23(2011)年の県中部地震(松本地震)以降、通行止めになっています。
松本城は天守閣は国宝ですが、この赤い埋橋は昭和30(1955)年の天守解体復元工事に伴って、当時の議会の提案によって観光用に建設された橋で、文化財として整備される対象ではないのですが、松本城を訪れる観光客にとっては、撮影スポットとして人気がある場所です。特に雪の日は真っ白な雪景色の中に佇む黒いお城に赤い橋が良く映えます。
しかし、江戸時代当時にはなかったもので文化財的価値が無いとのことから、建て替えは認められないのですが、市が文化庁と数回にわたって協議を重ねてきた結果、「橋の建て替えは極めて困難だが、既存の橋脚を用いた修理であれば可能」ということで、今回修理が行われています。但し、完成しても昔の様にこの橋から城内(埋門)への入退出は出来ません。
 また、現在松本城では先述の通り懸案だった内堀の浚渫工事が進められていますが、嘗ての松本城の堀は、本丸に近い方から内堀、外堀、総堀の三重になっており、現在残っている堀の面積の約4倍の広さがありました。しかし、明治維新を迎えると、堀は徐々に埋め立てられ宅地として利用され、南・西外堀も大正8年から昭和初年にかけ埋め立てられたとされています。
市ではその外堀跡を嘗ての水堀に復元させるため、絵図資料や発掘調査等をもとに、水をたたえた堀の実現に向けて、調査・研究を進めてきました。そして、長年宅地などになっていた外堀跡を10年程前から買収を進め、昨年秋に全ての用地を取得出来る目途がつき、併行して移転と発掘作業が進められてきました。
南側では既に発掘調査も終わり埋め戻されて空き地になっていますが、発掘を担当した文化財課が所属する市の教育委員会のテントだけが在りました。国の史跡なので、復元工事もそう簡単ではないと思いますが、因みに松本城のお堀の水はお城周辺で湧き出す湧水が使われているのですが、今後復活する外堀を満たすのにも十分な湧水量なのだそうです。その「平成の名水百選」にも選ばれている松本城下の湧水を湛えた外堀が復活するのが今から楽しみです。
(内堀浚渫工事の図と外堀の完成予想図は市の資料からお借りしました。また掲載の写真は当日だけでなく、これまで何日間かで撮影したモノです)

 風薫る五月。GWに入って、信州も爽やかな季節になりました。
“毎日が日曜日”の年金生活者にとっては、本来はカレンダーなど関係無いのですが、そうした世間の風潮につられて「さて、何処へ行こうか?」などと、こちらまでが何となく騒めき浮き立つ様な、そんなそわそわする季節です。
今まででさえ平日の街中で歩いているのは外国人観光客だけだった程に、インバウンドが目立っていた松本でしたが、GWのこの時期は更に輪を掛けて信州の観光地や街中はどこも混んでいるでしょうから、わざわざGWに合わせて人混みの中に出掛けて行く必要も無いのですが、年寄りも“世捨て人”で引き籠って世の中から取り残されない様に、多少は世間の風に当たるべくGW中に外出してみました。
とは言っても、車で行くと混んでいるので、我々の登山シーズン解禁でGW明けにでも登ろうと思っている霧訪山かいつもの美ヶ原への、先ずはトレーニングを兼ねての足慣らしとして、家から城山公園を経由してアルプス公園まで歩いてみることにしました。

 我が家の渚のマンションから宮淵までの約2㎞は平坦というか奈良井川の流れに沿ってやや下っていて、宮淵から城山公園までの1㎞ちょっとは一気の急坂で、城山公園まで100m程登ります。
城山公園の奥には見事な藤棚があるのですが、その先の駐車場の一番奥に遊歩道への入り口があって、そこから今度は我々が“城山トレイル”と呼んでいる城山々系の鳥居山を経由する尾根沿いに、アルプス公園まで更に100m程を登る1㎞程の「城山遊歩道」を歩いて行きます。簡単そうに見えて、それでも往復で約10㎞、標高差200mという結構歩き甲斐のあるコースです。
 この季節になると、城山公園からの尾根沿いの“城山トレイル”は、コナラやブナの芽吹きの柔らかな緑が瑞々しくて、そんな気持ちの良い林間コースを登って行きます。まだ葉が繁っていないので、途中木々の間から残雪の北アルプスを眺めながら鳥居山の東屋に到着して、ここでいつもの小休憩。
この東屋直下に拡がる草が刈り取られた斜面では、その由来は戦国時代の信濃守護小笠原氏の家臣だった地元島内の犬飼氏まで遡るという、五穀豊穣を願う伝統行事である「鳥居火」が行われていて、毎年4月14日に松明の火を手にした地元島内地区の氏子たちに依って、京都の五山の送り火の様にこの斜面に大きな鳥居が描かれます。
そ鳥居山から見下ろす島内地区では、田起こしが終わってもう水が張られた田んぼが所々に見られる様になっていました。
やがて安曇野まで続く一面の水鏡の様になって、常念を始めとする北アの峰々を水面に映し出すのも間も無くでしょう。
 桜の時期を過ぎたアルプス公園は、ソメイヨシノが終わって今度は八重桜が満開で、GWに入って家族連れで一杯でした。
帰路も城山遊歩道を戻り、城山公園の「憩いの森カフェ」で一休み。桜の賑わいも終わった城山公園は、家族連れで賑わうアルプス公園の喧騒とは対照的に家族連れも殆どおらず、鳥のさえずりがしっかり聞こえる程の静けさが印象的で、鮮やかな緑に包まれて自家焙煎のコーヒーをゆったりと味わうことが出来ました。

【追記】
 この日、城山遊歩道沿いに見つけた春の山野草と、ゴールのアルプス公園の八重桜です。
「雑草という名の草は無い」・・これは、こよなく植物を愛し、心血を注いで研究に没頭した牧野富太郎博士の言葉です。この言葉の通りに、気を付けて良く見ると、道端の“雑草”の中にも時々ハッとする様なキレイな花を見つけることがあります。
 この日道端で見つけたのは、直径2㎜程の小さな勿忘草の様な青い花が可愛いキュウリグサ(葉を揉むとキュウリの匂いがすることからの命名とか)。片や食虫植物のウツボカズラの様な、ちょっと不思議で不気味なムラサキマムシグサ。そしてピンク色の花が可憐なイカリソウと緑の中に真っ赤な花弁が鮮やかなボケの花。
最後に、この日のゴールのアルプス公園の薄緑色の八重桜の御衣黄とピンクの艶やかな八重桜です。
因みに、ムラサキマムシグサですが、サトイモ科の有毒植物だそうで、触らない方が良い様です。
筒状の大きな花びらのように見えるのは仏炎苞(ぶつえんほう)といって、芽やつぼみを包む葉が変化したもので、その中に本当の花があるのだとか。紫色の仏炎苞にあるまだら模様がマムシを思わせ、かま首を持ち上げているようにも見えることから「紫蝮草(ムラサキマムシグサ)」という名前が付いたのだそうです。

6年前でしたが、10月に奥蓼科の横谷峡を散策した時に、オモト(万年青)の実のような、直立する小さなパイナップルのような形状をした緑や真っ赤に熟した実の付いた植物を見つけたことがあったのですが、これが「マムシグサ」の実でした。今回見た花は、秋になると実が熟してこんな風になるのだそうです。
6年前に見た不思議な秋の実が、今回花を見つけて初めてその記憶と繋がりました。

 長女がアメリカに帰国する前に、横浜の次女の所に一泊して姪っ子たちに挨拶して行くのに付き添って、奥さまも10日程そのまま定例の“家政婦”での家事手伝いに一緒に行って、終わってから家内の帰るのに合わせて、今度は次女と孫たちが家内と一緒に松本へやって来ました。
婿殿が勤める病院で二度とも出産したため、“里帰り出産”をしなかった次女は、昨年秋に(母の一周忌法要に合わせて)長期で初めて松本に子供と一緒に帰省して来て我が家に滞在し、その間、自分の家とは違って(家内が手伝いに行っている間も少なくとも婿殿の世話は自分でするので)、実家だと全てを親に任せて自分は「何もしなくて良い」快感に“味を占めた”のか、今回は短くて4日間程でしたが、婿殿の出張に合わせて、孫たちは親に任せて自身の育児疲れを癒しに(?)松本へ帰省して来ました。

 前回来た時に娘が事前にネットでチェックして行きたがっていた、“子供連れに優しい”松本のレストランが、前回はちょうどその時に改装中で長期休業していたため、今回の帰省中に“満を持して”事前に予約して、イオンモールでの買い物がてら、ランチに行ってみることにしました。
そのレストランはイオンモール松本の近く、日の出町に在る「ごはんカフェ 和み」という一軒家を改装したカフェレストランで、一階部分が店舗になっています。
ランチの後、イオンモールで買い物予定だったので(アンパンマンなどのキャラクターカートに乗るのが第一目的でしたが・・・)、先にイオンモールに車を停めてから、11時半の予約に合わせて道を挟んだ「和み」に向かいました。
この日は平日でしたが、春休みのためか子供さん連れなどが多く、屋根下の一階部分は既に満車。立駐も混んでいたので、結局屋上へ駐車しました。
先に歩いて11時半に予約したレストランへ向かいました。店舗は4人掛けテーブルが4卓とカウンター、キッズスペース、奥に個室が二部屋。改装前とレイアウトは殆ど同じ(様に思えます)。因みに、畳敷きだった小上がりフロアは改装後カーペット敷きにリニューアルされた由。そして予約の際に子どもの月齢を伝えると、その子に合わせて布団やチェアを用意してくれるのだそうです。
そしてこの個室とキッズスペースには木製のオモチャと絵本などが置かれていて、お母さんたちは子供たちがオモチャで遊んでいるのを見ながらゆっくりご飯が食べられます。
また年齢(月齢)ごとに分けてキッズメニューが数種類ずつ用意されているのもお母さん方にとっては有難いでしょうし、しかも大人向けもですが、素材なども地元産に拘り、体に優しい化学調味料は一切使わない料理が揃っています。そして、最初に運ばれて来たのが水ではなく白湯。そんなところにも気配りが感じられました。
我々は奥の個室を予約してあり、入ると置かれていたキッチンセットなどのオモチャに孫たちは大喜びで、早速夢中で遊びます。


 先ずはメニューを見て、子供たちの食べるモノから注文です。
キッズメニューは7ヶ月以上、9ヶ月以上、11ヶ月以上と細かく月齢で分けたキッズボウルメニューとパンケーキがあり、その中から娘はカボチャのポタージュ、昆布だしと大豆ミートのおうどん、芋もちボール、にんじんのパンケーキをオーダー。キッズメニューを先に運んでもらって、孫たちに先に食べて貰いました。子供たちがお腹が一杯になってまたオモチャで遊んでいる間に、今度は大人たちが食事です。
我々が選んだのは、娘はネギトロアボガド丼は早くも売り切れとのことで、和風タコライス丼(1180円)、家内がメイン3種の中から豆腐ハンバーグを選んでの十六雑穀米と3種のお惣菜プレートレート(1300円)、そして私メが山賊焼き定食(1180円)をチョイスしました。
正直、こちらはキッズメインの様な気がして、大人のメニューには然程期待していなかったのですが、それが「とんだ失礼!をば」・・・でした。
信州の地鶏福味鶏を使用したという山賊焼きは、地元の山賊焼き専門店に負けぬ程美味しかったですし、どのメニューにも新鮮な地元野菜が豊富に使われたサラダが添えられ、また今月のお惣菜という小鉢の人参ラペが実に爽やかで美味でした。山賊焼き含め、三人で少しずつ味見にシェアしましたが、どれも美味しくてコスパ的にも満足でした。

 以前ご紹介した山形村のそば処「木鶏」もそうですが、こちらのオーナーご夫妻も子育て中で小さなお子さんがおられる経験からなのでしょう。木製のオモチャや本だけではなく、そこかしこに小さな子供連れの若いお母さん方への、「安心してお子さんと一緒にゆっくり食べて行ってください」という暖かな配慮が感じられました。この日もそうでしたが、子供連れのお母さん方に大人気というのも大いに納得出来ました。
中には「小さな子供お断り」という店も結構多い中で、自分たちが今そういう環境であるからこそ感ずることではあるのですが、少子化対策を声高に叫ぶのなら、松本にもこういう子連れに優しい( 更にはペット向けも同様の環境なので、軽井沢の様な Dog Friendlyな)お店がもっともっと増えれば良いのに・・・とつくづく思いました。

 年末に松本市のH/Pにある「市長への手紙」コーナーへ私がメールさせていただいた、「源智の井戸」の清掃活動についての窮状を訴える投書。
それを市長がご自分で直接読まれ、「現状と課題を整理する様に」とご自身で呼ばれて指示されたのが、井戸本来の担当課ではなく、「地域づくり課」の課長さんと「源智の井戸」のある町会のエリアを担当する「第二地区 地域づくりセンター」のセンター長さんでした。
因みに、「地域づくり課」は松本市の地域づくりの推進と市内35ヶ所の各「地域づくりセンター」を総括する組織であり、その統括下で、各地域の課題の把握・集約・解決に向けた支援と地区関係団体の育成、支援、相談対応をする中で、市と地区関係団体等との連絡調整など各地域の実情に応じた具体的な活動を実際に行うのが、市内35ヶ所に設置されているという「地域づくりセンター」です。

 正月休み開け早々に課長さんから私に直接電話でご連絡を頂き、私と会って実際の状況を直接確認したいとのことでしたので、その数日後にちょうど井戸清掃が予定されていたことから、私にヒアリングされるよりも、ずっと活動をされて来た地元町会の方々に話を聞かれた方が良いのでその旨申し上げ、私が地元有志の方々とを仲介調整した結果、1月中旬の朝7時からの清掃活動を実際ご覧頂いて、その後、「源智の井戸」の在る地元町会の町会長さん、そして清掃活動に毎回参加されてきた86歳の代表者を始めとする地元有志4名の方々と、部外者ではあるのですがボランティアで参加している私も町会役員の方からの依頼もあって、清掃後の話し合いに一緒に同席参加させて頂くことになりました。
そして、その後も井戸の担当課の方々も含めて三回程会議を重ねた結果、市側と地元町会の皆さんとの間で以下の三つの内容が確認、合意されたのです。
 先ずは、市側の来年度予算が通りそうなので、4月以降は専門の業者に委託して月2回「源智の井戸」の清掃業務を実施する。
一方で、松本市も少子高齢化とドーナツ化現象で市の中心街の人口が減っており、人手の無くなってしまった地元町会は清掃活動から“卒業”し、その代わりに日頃の井戸の様子は地元に住んでいないと把握できないため、町会長はじめ地元の方々に出来るだけお願いして、気の付いたことを市の担当課へその都度連絡いただく。
また、月2回の清掃だけでは特に藻の繁殖し易い夏場はカバーしきれない可能性もあるため、清掃活動のボランティアを募集して、業者清掃と並行して4月以降も継続的に月一回定期的にボランティアに依る清掃活動を実施する。
 以上のことが、市、地元町会間で合意され、早速地域づくりセンターが中心となって、ボランティアの募集活動をスタートしました。
市のH/Pでの告知、「源智の井戸」周辺にも募集のチラシを貼って、二次元コードや電話でのボランティア参加の申し込みを開始した結果、責任を感じた地域づくりセンター傘下の各町会長連合会の有志の方々も含め、私の様な「源智の井戸」で水を汲みに来ている利用者など、合わせて20人近い申し込みがあり、私も参加しているこれまでの有志での3月に行う2回の清掃活動に、今回実際申し込まれたボランティアの皆さんにも実地見学と試しに清掃活動にも参加して貰って、引継ぎを兼ねて、今後の清掃活動への理解と参考にしていただきました。
そして、その様子は地元紙やタウンペーパーにもニュースとしても取り上げていただいたので、今後に向けて少なからぬPRにもなりました。
 30数年間も自主的に「源智の井戸」の清掃を続けて来られたという有志の会のお仲間が高齢化で次第に抜けて、遂に86歳の会長さんたった一人になってしまったのを見るに見かねて、去年の5月から手伝うようになった井戸のすぐ近くにお住いの高齢のご婦人。そして「高齢のお二人だけに任せてはおけない」と、有志で昨夏7月から参加された地元町会の役員のお二人。更に、その窮状を伝える地元紙の記事を9月に見て、長年タダで水を頂いてきた利用者としては居たたまれずに直ぐに市役所にメールしたのですが、その後3ヶ月も経って会長さんを紹介され、連絡を取って12月の清掃から加わった私メ。合わせて5名の「井戸と花の会」。
その清掃活動を通して、これまでの「源智の井戸」の維持管理に関する経緯経過について、朝7時から地元町会の有志の皆さんと一緒に掃除をしながら、色々とお話しを伺って一番驚いたのは、部外者の私などは「井戸は地元町会の宝の筈」と勝手に決めつけていたのですが、確かに“歴史ある文化財”としての存在自体は“町の誇り”かもしれませんが、井戸周辺の殆どのお宅にはそれぞれご自分の井戸があって、この「源智の井戸」の水は利用したことも無いし飲んだことも無い・・・という、10年来わざわざ車でドリップ用の水を隔週で汲みに来ている私にとっては、或る意味“衝撃的”な事実でした。
そこで、この「井戸と花の会」メンバーでの清掃活動が最後になる3月。その日の朝6時半に家を出る前に、「源智の井戸」の水で淹れたコーヒーを保温水筒に詰め、一緒に紙コップも持参して、掃除の後にこれまでの清掃活動の労いへの乾杯代わりに皆さんに飲んでいただきました。すると、口々に・・・、
 「へぇ~、初めて飲みましたけど、本当にコーヒー美味しい!」
 「そうでしょう?そうなんですヨ!」
皆さん「源智の井戸」の水で淹れたコーヒーの美味しさに、一様に驚かれていました。
そんな「源智の井戸」の水を“使いもしないし、飲んだことすら無い”という地元の方々が、井戸自体の清掃だけでなく、時に観光客などが水を汲んで飲んだペットボトルや食べたゴミなどを捨てて行くのを片付けるなど、井戸の周りもキレイにして、ずっとこの井戸を守って来られたのです。
しかも、この「源智の井戸」だけが「まつもと城下町湧水群」の中で唯一の硬水なのですが、筑摩山系から流れ出る幾つもの河川により形成された複合扇状地である松本盆地で、この辺りに自噴して来る湧水は地下に様々な水脈があるらしく、湧水群や各家庭の井戸のどれ一つとっても水質や味が異なるのだとか。
松本市内で地下水や温泉開発を手掛ける地元企業「サクセン」という会社のH/Pに依ると、
『昭和63年、サクセンにて(松本市からの委託を受けて)この井戸の復元工事に携わり、古くから名水として利用されてきたその理由には周辺とは違う水質にあることがわかりました。源智の井戸の湧出量は毎分約200リットル、水温はサクセン計測実績から平均15.5度の自噴井戸です。水質硬度は113mg/Lです。(硬度=水質を表すひとつの指標で、水に含まれているカルシウムとマグネシウムの総量のこと)源智の井戸の水は軟水の多い日本では珍しく、硬水系の天然水と言えます。』
(注記:市の保健所に委託し、毎年調査して開示されているデータとは数値は異なります)
会長さんなど地元の長老さん方のお話に依ると、一度井戸が枯れてしまい、市指定の文化財だったこともあって、市に陳情して昭和63年(1988年)に井戸の採掘作業をして貰い、従来よりもかなり深く、地下50mまで掘り下げたのが現在の「源智の井戸」なのだそうです。
同じエリアであっても掘る場所によっても水脈は異なるでしょうし、深さによっても当たる水脈も異なる筈。ですので、「源智の井戸」のすぐ隣の瑞松寺や道路を挟んだ眼科医院にも井戸があって水を汲むことが出来るそうですが、そんなに近くても「源智の井戸」とはまた味が違うのだそうです。
 複合扇状地に位置する松本市には、「源智の井戸」を始めとする平成の名水百選に選ばれた「まつもと城下町湧水群」の湧水や井戸が20数か所あるのですが、その全てが市中の狭いエリアに集中しているため、市から維持管理を委ねられている地元町会(注記:例えば湧水群の中には、「源智の井戸」の様な戦国時代からの古い井戸や湧水ばかりではなく、中心市街地再開発に伴い、地元町会が維持管理することを条件に平成の「水めぐりの井戸整備事業」で市が採掘した西堀公園内の「西堀の井戸」などもあります)は、少子高齢化の中で、遅かれ早かれ「源智の井戸」と同じ状況に陥ることは必定だと思うのです。
               (西堀公園の「西堀の井戸」)
その時に「源智の井戸」だけを市が清掃業者に業務委託するということは、今は可能であっても、将来的に20数か所全てを業務委託で対応することは予算的にも市政として無理であり、少子化とそれに伴う人口減少を前提にそうした将来展望をふまえると、もし予算化が無理なら“金を出さずに知恵を出す”ことで、地元の方々も含めて利用者など市民に依るボランティアでの清掃活動を水平展開していくことが必ず必要となる筈なのです。
そのためにも、市側は今回の「源智の井戸」の清掃ボランティアの募集や運営をモデルケースとして、例えば掃除用具の購入一つとっても、湧水群の維持管理に関して今後発生するであろう大小様々な課題や問題に対処していくことが、ひいては松本市の観光資源でもある「まつもと城下町湧水群」を、本当の“市民の宝”として市民自らの手で守っていくことに繋がることと確信しています。
勿論、一朝一夕で達成出来る訳では無く時間が掛かるでしょうけれど、そうなるためにも、10年来、そして今後も隔週で美味しい「源智の井戸」の水を我が家のドリップ用に戴いている利用者の一人として、少なくとも体が動ける間は私自身もボランティアの一員として今後も引き続き「源智の井戸」の清掃活動に参加させていただくことにしました。

 そして、この4月5日。今回の募集で集まったボランティアに依る、第一回目の「源智の井戸」清掃が行われたのです。朝7時に10数人集まっていただき、手分けして清掃作業を進めます。中には防災備品として災害用に購入したというポンプを台車に載せて運んで来てくださった第二地区の役員の方がおられ、ジョレンやブラシで擦って浮かせた藻を金網ですくうのと並行して、藻の混ざった汚れた湧水を一気に汲み出し、湧き出て来る新鮮な湧水に入れ替えたのですが、“三人寄れば文殊の知恵”ではありませんが、人数が多ければ色々なイデアが出るものだと感心しました。また、これまでは有志5人での清掃活動でしたが、10数人もいれば今までは手が回らなかった井戸周辺の水路までデッキブラシで擦って掃除することが出来たので、見違え得る様にキレイになりました。
今回のボランティアは「先ずはやってみよう!」で、多少“走りながら考える”的なスタートではあったのですが、そこは“巧遅は拙速に如かず”で、考えることも重要ですが先ずは“Do=行動すること”の大切さを改めて感じた次第です。
市の担当課の方に依ると、業者の選定も決まり、エクステリア専門業者が4月から月二回清掃に入ることが決まったとのこと。従って、我々ボランティアと合わせて概ね10日毎に計月3回の井戸清掃が行われることになりました。
 今回、地元紙の報じた記事をきっかけに、地元町会の有志の方々と知り合う中で、例えば備品の掃除用具のたった一つの購入でさえ、これまで市の担当課との折衝に長年苦労されて来られたが故に、今後の市側の対応についても地元の皆さんは「何を言ってもダメせ・・・」と非常に懐疑的でした。
しかし、そうした苦労を直接知らぬが故に、「どうせ“ダメ元”でも・・・」と私の投じた市長への一通の投書メールだったのですが、結果として“瓢箪から駒”で、それが一つの小さな切っ掛けとなって、松本市民の宝でもある「源智の井戸」が市民自らの手に依って今後の維持管理に繋がっていくのであれば、たまたまその一石を投じた人間としてこんなに嬉しいことはありません。
そして願わくば、10年後、20年後、私たちが動けなくなっても、次世代の人たちにこの「源智の井戸」の清掃ボランティア活動がしっかりと引き継がれていかれんことを・・・。

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