カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
6月22日。久しぶりにキッセイ文化ホール(松本県文)の自主企画で、四半期毎に開催されている、二ツ目の噺家さんお二人による落語会「~明日は真打~まつぶん新人寄席」に行って来ました。
第27回の今回は、落語協会で来秋の真打昇進が決まったという入船亭遊京さんと、諏訪出身という長野県人の古今亭雛菊さんの二人会です。
師匠である古今亭菊之丞さんのお弟子さんである雛菊さんは、コロナ禍でどの定席も閉鎖されていた時に、奥さまのNHK藤井彩子アナウンサーの進言で始めたという師匠のYouTubeチャンネルにも前座の「まめ菊」の頃から登場していて、師匠に習ったばかりだという「元犬」や「天失気」だったかネタ卸しをしていたのを見て、地元出身の噺家さんでもあり、その天性の明るさが本当に噺家向きでしたのでいつか生で聴いてみたいと思っていました。
昨年東京の長女の所に行っていた時に、雛菊さんが上野鈴本演芸場での高座に交代で登場していたのですが、聴きに行けそうだった日に登場せず、残念ながら定席でも聴けてはいませんでした。それがここ松本で聴けると知り、その雛菊さん目当てでチケットを事前に購入していました。
この「まつぶん新人寄席」は、ありがたいことにシルバーと学生は割引料金が設定されていて、ナント500円のワンコイン(通常でも1000円と非常に安価ですが)聴くことが出来ます。
チケットを買った時は、開場設定はいつもの会議室だったと思いますが、この日行くと会場が中ホールに変更されていました。地元出身ということもあるのか、ご親戚など応援団含めどうやらいつも以上にお客さんが集まった様です。
この日のそれぞれの出し物は、
入船亭遊京 「新聞記事」
古今亭雛菊 「井戸の茶わん」
(仲入り)
古今亭雛菊 「黄金(きん)の大黒」
入船亭遊京 「鰻の幇間」
というネタでした。
「新聞記事」と「黄金(きん)の大黒」は初めて聴くネタです。
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特にトリで掛けた「鰻の幇間」は、いわゆる幇間噺で何度かYouTubeやCDで古今亭志ん朝などの高座を聴いています。生で聴くのは初めてでしたが、こちらも良かったです。ただ欲を言えば、最後の方で八つ当たりで女中に怒って文句を言うくだりは、ケンカして江戸っ子が啖呵を切る大工調べとかと同様に、名人志ん朝や小痴楽師匠の様に江戸っ子口調のテンポが良ければもっと良かったと思います。但し、そのお二人は正真正銘の江戸っ子ですが、遊京さんは愛媛松山のご出身とのことでした。
片や、この日のお目当ての古今亭雛菊さん。彼女は二ツ目になってまだ3年目。
諏訪市出身の雛菊さんですが、枕で最初に「私、諏訪出身ですが、諏訪を嫌いな方いますか?私は松本大好きです!」と語り出したのですが、長野県人、信州人と一括りにせず、諏訪、松本としっかり分けるのが、「あぁ、如何にもこの人も信州人だなぁ・・・」と思わず笑ってしまいました。
因みに、「♪松本伊那佐久善光寺・・・」ではありませんが、それぞれ信濃は盆地毎に小藩が林立していたため、どちらかというと合同団結することなく小藩のまま独立独歩の気風の強かった中で、廃藩置県により今では「長野県」と全体を称すると確かに“信州人”ですが、唯一それとは別に“諏訪人”とも呼ぶのは今でも諏訪だけです。
さて、雛菊さんはまだ二ツ目3年では止むを得ないと思いますが、枕は正直面白くないので工夫が必要でしょう。しかも、枕とネタでは口調が(そのネタをさらってもらったお師匠さんの影響か)変わってしまいます。
この日の一席目、仲入り前で掛けたのは古典落語の名作「井戸の茶わん」、大ネタです。その意気やヨシ!ちゃんと自分のモノにされていました。この古典落語の名作「井戸の茶碗」は、どちらかというと人情噺で人気のネタです。個人的には、柳家さん喬師匠の「井戸の茶碗」が暖かくてホンワカしていて、一番好きでしょうか。弟子の柳家喬太朗師匠になると、これが「歌う井戸の茶碗」となって爆笑ネタに変わるのですが、しかしさすがにじんわりと聴かせるところではちゃんと正統派の師匠譲りです。
雛菊さんも聞かせどころはしっかり抑えているので、くすぐるところはもう一工夫でしょうか。
中入り後、雛菊さんの二席目は「黄金(きん)の大黒」。初めて聴くネタですが、いわゆる長屋噺で、長屋の花見の続きの様な内容で、長屋の店子全員に家主から呼び出しが掛かるのですが、春に「長屋の花見」で懲りている連中。年の暮れでの呼び出しに、今度こそは店賃の催促と思って戦線恐々。どのくらい店賃を溜めているかをお互い教えるくだりは、「長屋の花見」と殆ど同じ内容でした。
因みに、仲入り前の雛菊さんの高座で枕と大ネタで押してしまい、最後の遊京さんトリの一席の始まる時には既に4時を過ぎていて、遊京さん曰く、
「もう既に予定の閉演時刻を過ぎてしまいましたが、このまま続けても宜しいでしょうか?」
もしかすると雛菊さんが故郷の信州に凱旋して、その意気込みからの勇み足だったのかもしれませんが、仮にそうだったとしても定席の寄席ではありませんので、勿論皆さん拍手で応援ですが、二ツ目としてその意気や良し!
雛菊さんは、例えどんなに稽古しても、定評ある歌舞伎の女形の様な菊之丞師匠には色気では到底敵いませんし、その路線は失礼ながら絶対に無理だと思います。しかし、とても明るくて持って生まれた愛嬌があるので、与太郎噺なんかにはむしろピッタリだと思います。というのも、師匠のYouTubeチャンネルでネタ卸しで演じた「転失気」の珍念さんがピッタリでとても良かったからです。しかも師匠方にも大変可愛がってもらっている由。
ですので、一生懸命稽古をして、人気の上方落語の桂二葉さんに対抗して是非江戸落語で頑張って欲しいと思いますし、そしてその期待は大だと思っています。先ずはNHK新人落語大賞目指して、ガンバレ!
奥さまが毎月横浜の次女の所の手伝いに今月行く前に、せっかく慣れつつある体が忘れない様にまた山に登っておきたいとの仰せ。そこで、本当は花が咲く頃に登ろうと思っていた美ヶ原へ、今回もまた三城からの百曲がりコースで登ることにしました。
そこは“山の民 信州人”である地元民の特権として、天気予報を見ながら快晴の日を選んでの山行です。
リタイア後、クラツーの「女性のための登山教室」に2年間通った家内に付き合って始めた登山。まさに典型的な今流行りの“中高年登山”ですが、“日本の屋根”に暮らす“山の民 信州人”としての最大のメリットでもありましょう。
その中で地元の山故に、2018年に登り始めてから今回が7回目となる美ヶ原。コロナ禍の2021年を除けば、足慣らしも兼ねて毎年必ず美ヶ原へ登っているのですが、最初の頃に美ヶ原でお会いした県の環境レンジャーの方からの、4つほどある美ヶ原の登山ルートの中では百曲がりコースが一番変化があるのでおススメというアドバイスに従い、毎回三城からの百曲がりコースで登っています。そして、このコースは美しの塔に刻まれている「美ヶ原溶岩台地」や『高原詩抄』に収められている私も大好きな「松本の春の朝」などを詠んだ、信州ゆかりの“山の詩人”尾崎喜八が登ったコースでもあります。
美ヶ原へはビーナスライン等を使えば車で上まで行けてしまいますが、美ヶ原自体もれっきとした「日本百名山」の一峰です。その名の通り2000m級の広い台状の高原ですが、山頂は2034mの王ヶ頭。ただ頂上付近にはホテルとテレビ塔が林立しており、王ヶ頭で登頂記念の確認をすることを除けば、むしろ2008mの王ヶ鼻からの方が北アルプスから八ヶ岳までぐるっと270度(!?)、まさに圧巻の眺望を楽しめます(浅間山は王ヶ頭周辺からの方が見易い)。しかも、日本百名山の実に1/3の名峰たちが望めるという絶景の“アルプスの展望台”でもあります。(下の写真は、三城いこいの森の駐車場から仰ぎ見た、美ヶ原山頂の王ヶ頭です)
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三城「いこいの広場」の登山者用無料駐車場には既に10台近く車が停まっていて、我々も有料トイレなど準備を済ませ、7時55分に登山開始です。ここが標高1450mとのことですので、山頂までは標高差約600m弱の山旅です。登山口から「塩くれ場」まで3.5㎞という表示。
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広小場の東屋で休息し、暑くなりそうでしたので長袖を脱いで半袖になり、登山再開。ここから百曲がりの本格的な山登りが始まります。
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直ぐに板状節理で平べったく割れた鉄平石が道をガレ場の様に覆っていて、歩き辛いことといったらありません。また浮石の様になっていて、乗ると滑る場合もあるので注意が必要です。
そんな登りの途中、至る所にタチツボスミレに始まり、黄色いキジムシロや初めて見るミヤマエンレイソウ(シロバナエンレイソウ)などの花が迎えてくれました。
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園地から王ヶ頭まで2.2㎞と表示されていますので、その先王ヶ鼻までは園地からは3.5㎞位でしょうか。
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途中烏帽子岩などのスポットで写真を撮ったり休憩したりする人たちもおられ、皆さんそれぞれに絶景を楽しんでいますが、我々はそのまま王ヶ頭からは砂利道を歩いて王ヶ鼻へ。
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快晴の日を選んで来たこともあって、左から八ヶ岳、富士山、そして甲斐駒、北岳、間ノ岳、仙丈の南アルプス。そして木曽駒の中央アルプスから御嶽、乗鞍、更に穂高連峰から槍、常念、鹿島槍から五竜、白馬連峰へと山並みが続きます。“アルプスの展望台”に相応しい眺望が、眼下の松本平を飛び越えた先に拡がっていました。余談ですが、伊那谷では木曽駒ではなく単に駒ケ岳か西駒と呼び、甲斐駒は東駒となります。昔仕事で飯田に伺った折に、木曽駒と言ったら地元の方にやんわりと訂正されてしまいました。
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途中、私たちより年配ですが、ベテランと思しき“地下足袋”の登山者が“跳ぶ”様に追い抜いて行かれました。暫くして女性の方も・・・。
無事広小場に着くと、先程時間差で追い抜いて行かれた年配の方々が東屋で登山用バーナーとコッヘルで調理して昼食を摂られていました。上は強風でバーナーが使えそうもなかったので、風の無い広小場まで下山して昼食にしたとのこと。我々同様に地元松本在住のご夫婦だそうで何度も美ヶ原へ登られているのだとか。広小場から茶臼山経由でのルートもあるのですが、お聞きすると、そちらは台風でかなり登山道が流されたり荒れてしまったので止めた方が良いとのことでした。我々も東屋のベンチをお借りして、脱いだ上着をリュックに仕舞いお礼を言って先に歩を進めます。
ここからは沢沿いのなだらかな下り坂がオートキャンプ場まで続きます。新緑の中、沢の水音が涼しげで心地良く、広小場の近くの説明版にもあったガマズミ科のカンボクのアジサイに似た白い花が印象的でした。
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美ヶ原の高原では上着を羽織らないと半袖では寒く感じる程風が強かったものの、今回は快晴の日を選んで来たこともありますが、7回の中では今までで一番の絶景でした。
“アルプスの展望台” の名の通り、素晴らしい眺望を堪能した美ヶ原への山旅でした。
シーズン初となった、前回の4月11日箱根の金時山登山。昨夏から家内が二人目の孫が生まれた次女の所に毎月2週間近く家事手伝いに行っているため、以前に比べると二人共殆どウォーキングをしていなかったのですが、シーズン最初の金時山で、「思いの外ちゃんと歩けた!」と気を良くした家内が、次女の所に5月中旬から手伝いに行く前に「またどこかに登りたい!」との仰せ。
そこで、毎年の三城牧場から百曲がりコースでの美ヶ原登山はもう少し後(花の咲く頃)に取っておくことにして、その前に二度目となる塩尻の霧訪山(1305m)に登ることにしました。この霧訪山は長野県山岳総合センターが以前実施した“信州の里山選挙”で1位になったこともあるという、人気の山です。以前、会社の同僚から登るのを薦められた山でもありました。
天気予報を見ながら晴れ予報の日を選んだ結果、GW明けは暫く曇りや雨マークの日があって余り良くないことから、GW中の5月4日に登ることにしました。人気の山故に多少混むかもしれませんが、頂上からの景色を優先に考えると止むを得ません。
2年前に初めて霧訪山へ登った時は、辰野町との境にある小野神社裏の一番短い北小野から登る「かっとりコース」だったのですが、これがいきなり257段の階段があるなど思った以上に急登の連続で、家内は美ヶ原の百曲がりよりもきつかったとのこと。その時に頂上に居合わせた方々から、「距離は長くなるけど、その分こっちの方が楽ですよ!」と教えて頂いた別ルートが、今回登ることにした、塩尻の下西条の「山ノ神自然園」を経由して登る「下西条本コース(山ノ神自然園コース)」です。
最も距離の短い北小野からの「かっとりコース」が1時間10分(山頂までの距離1.6㎞)だったのに対し、下西条からは1時間45分(距離2.6㎞)が標準タイムで、標高差はかっとりコースの430mに対し今回は515mとのこと。標高差はこちらの方がありますが、距離が長くなる分、かっとりコースよりも急登部分が少ないのだそうです。霧訪山は1305mという“山国信州”の中では低い里山ですが、標高差500mで結構な急登部分もあるので、手軽に登山気分が味わえますし、山頂からの360°の眺望が人気の山。
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すると駐車場には自然園を管理されている地元の方も係でおられ、「霧訪山に登るだかい?」と、マップも載った立派なガイドブックをいただきました。事前に塩尻市の観光協会のH/Pからプリントアウトして持って行ったモノと全く一緒。イラストでの登山ルートが描かれたオリジナルのガイドを有難く頂戴し、コースやこの時期に見られる花についても教えていただき、お礼に心ばかりですが登山道整備の協力金をお納めさせていただきました。
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すると、神社のすぐ近くに何とカモシカが身動きせずにじっとこっちを見ているではありませんか!それ程大きくないので、まだ子供のカモシカなのかもしれません。
カモシカを見るのはこれが三度目です。一度はシンガポールから帰国して、山を知らない子供たちに山の景色を見せてあげようと、上高地のコテージに一泊して小梨平まで歩いた時に、梓川沿いの遊歩道横の崖の上からじっと我々を見下ろしていました。そして二度目は三才山峠。定年前の上田の子会社への通勤時、トンネル手前の旧道脇に佇んでいました。そして今回・・・。
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そんなサプライズもあって、普通なら15分くらいだと思いますが、ここまで20分掛かって「たまらずの池」の先の登山口に到着。8:40に登山開始です。
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「え~っ!?もう12回以上曲がったんだけど・・・」
「今日は数えてない。美ヶ原の百曲がりは確か四十八だったけど・・・」
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登山道の途中、道端のタチツボスミレや咲き始めたピンク色のミツバツツジ、そして初めて見た小さな尖った花弁が印象的なチゴユリ(多分)、まだつぼみの赤いヤマツツジなどが目を楽しませてくれました。
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登山口からは1時間35分、自然園からは1時間55分。カモシカを見ていたり、途中登山道脇の花の写真を撮りながらだったこともありますが、ゆっくり歩いて来たので、標準の1時間45分のコースタイムよりも10分余計に掛かりました。
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そこから林道を歩いて自然園へ戻ります。すると、途中の雄床山神社の大岩「磐座」の上に、またカモシカがいるではありませんか。岩の上に凛々しく立つカモシカは神々しい程で、本当に“山の神”の化身なのかもしれません。感動モノでした。
個人的には、歩きながら登山道脇に咲く色々な花を見ながら登れる、今回の下西条の山ノ神自然園から登るコースの方が楽しく感じました。一方、登山としての足慣らしには、小野からの「かっとりコース」の方が急登の連続で良いかもしれません。家内はもう「かっとりコース」はイイそうですが・・・。
但し今回のコースも、「前回よりもナルイ」という私メの事前情報は間違いで、結構きつかった由。
とはいえ、天気にも恵まれたこともありますが、山頂からの期待通りの絶景と、そしてサプライズの“山の神”との遭遇もあったりと、二人共大いに楽しめて、下山後も心地良い疲労感に包まれた、そんな二度目の霧訪山登山でした。
それにしても、この霧訪山。前回のかっとりコースは両小野中学の子供たちが、そして山ノ神自然園は地元下西条の有志の方々が、それぞれ“おらが山”や地元の自然を愛してしっかりと整備し大切にされていることを実感し、感激しました。その恩恵に浸ることが出来て、本当に有難く感じました。
(余談ながら、そうした恩恵を実感すれば、インバウンドであれ、観光地でのゴミは捨てずに自身できちんと持ち帰れる筈なのに・・・)
そして、次回はカタクリの満開の頃、もしくはミツバツツジが咲き乱れる頃に、今回と同じ下西条コースでまた霧訪山に登ってみたいと思います。
地元の係の方はもう帰られた様で、駐車場には誰もおられませんでしたが、
「ありがとうございました!」
お礼を言って、自然園を後にしました。
今年のゴールデンウィーク。会社によっては10連休での大型連休になるところもある中、海外旅行は為替差で高上りになることから、むしろ国内組の大型連休での“安近短”需要が中心で、一方円安効果での海外からのインバウンドも加わって、国内の観光地はどこも大混雑が予想されるとか・・・。
しかし、“毎日が日曜日”の年金生活者としては連休云々は関係無いので、むしろそんな混雑する中にわざわざ出掛ける必要もなく、またGW前半は家内が次女の所に手伝いに行っていて留守だったこともあって、GWはどこにも出掛けずに、まるで“世捨て人”の様に“じっと我慢の年寄り”でありました。
因みにこのGW10日間の松本周辺観光地の込み具合は、地元紙の報道に依れば、松本城への来場者数は45000人で、ピークだった5月4日は天守閣見学の待ち時間が1時間50分だったそうです。但し、これでもコロナ禍前の数にはまだ戻っていないとか・・・。
また、安曇野市の「国営アルプスあづみの公園」堀金・穂高地区(別の大町・松川地区と二ヶ所に分かれています)の入園者数も、チューリップが満開だったことも手伝って54000人だったとのこと。
因みに、この「国営アルプスあづみの公園」は、地元出身だった塩島大氏(後に衆議院議員)が建設省公園緑地課長の時に考案したものです。建設省令では長野県は関東地方と合わせて国営公園は1つと定められており、同エリアでは先に茨木県の「国営ひたち海浜公園」の整備が進む中、大蔵省は計画に難色を示したのですが、当時の竹下登自民党幹事長により、国営公園の配置基準が緩やかになった1990年に安曇野地区の事業が開始され、塩島さんが急逝した後は地盤を引き継いだ村井仁衆議院議員(後に長野県知事)が事業を推し進めたという経緯経過もあって、春のネモフィラや秋のコキアで全国的に有名となった「国営ひたち海浜公園」には知名度では敵わないかもしれません。今ではそんな設立経過を知る人も少なくなっていると思いますが、地元にゆかりのそんな国営公園でもあります。
また上高地では、槍穂高への登山者ばかりでなく、インバウンドでの外国人観光客も目立ち、河童橋周辺は身動きも出来ぬほどの大混雑だったそうです。
その北アルプスや八ヶ岳などへの登山では、長野県内でのGW中の山の遭難は26件と多く、過去10年で最多だったとか。確かに中高年登山者の遭難が多かったのですが、中には蝶ヶ岳で無謀にもアイゼンやピッケルなど冬山装備を持たずに入山して行動不能となった大学生2名が救助されるなど、まるで山を舐めているとしか思えない様なケースもありました。そして、毎日の様にそうした遭難者を病院に運ぶ青い県警ヘリが上空を飛んでいました。
幸いこのGWの間は良い天候に恵まれ、晴れの日が続いたことから、先述の松本城のみならず、日本全国の観光地への人出に繋がったのでしょう。
我が家では、前半は30日まで家内が横浜の次女の所に行っていて不在でしたので、唯一27日の父方の伯父の一周忌の法事に一人で茅野に出掛けただけでした。でも快晴の中、朝からマンションから見る、残雪の常念や乗鞍の北アルプスは本当に惚れ惚れする程美しく、眺めていても見飽きることがありません。観光地に行かずとも、自分の部屋から北アの絶景を眺められる幸せをしみじみと噛みしめていました。以前の一戸建てでは、北アの峰々は城山山系に遮られて全く見ることが出来なかったことも、ここに移って2年半ですが、毎日見ても未だ新鮮が消えず、全く見飽きることなど無い理由なのかもしれません。また、例えば真っ白な雪山が少しずつ山肌を現わしていく様子など、空や雲の様子も含めて日々刻刻変化し、一度として同じ風景ではないこともその理由なのかもしれません。
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目的は、松本城公園の北西側の、埋の橋近くに在る満開を迎えた筈の藤棚を見ることでした。
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内堀に沿って人ごみの中を本丸入口の黒門の方へ歩いて行きます。すると門の外へもずっと天守閣登城への長蛇の列で、「最後尾」の幟を持った係の方が立っておられ、待ち時間90分とのこと。さすがにGWで混雑していました。インバウンドの方も目立ちます。
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(右側の写真はGW中ではありませんが、来年閉店する「松本パルコ」の公園通り側前で。パルコで買い物中の家内をコユキと一緒に待って)
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大正時代からの洋食レストラン「おきな堂」も行列で40分待ちとか。松本で一番早く咲くその翁堂前の藤棚はもう終わっていました。そば処「野麦」にも観光客の方々(我々地元客は並んでまでは行きませんので)が20人以上の列。伊勢町でも、「そば切り みよ田」も信州味噌ラーメンの「麺匠 佐蔵」もこれまた行列です。そして、公園通りでは普段は行列など見たこともない蕎麦屋さんにも列が出来ていて、いやはやGWでレストランを探すのも大変だと実感した次第・・・。
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「例えば真っ白な雪山が少しずつ山肌を現わしていく様子など、空や雲の様子も含めて日々刻刻変化し」と上述した峰々の変化。この最後の写真は、冒頭に掲載したGW前半の4月28日の様子と比べても、常念や乗鞍の雪が次第に融けて黒い山肌が少しずつ大きくなってきている、昨日5月14日の様子です。
車社会の到来に伴う郊外大型店の増加、更に近年の少子高齢化などにより、各地で市街地の空洞化やさびれた“シャッター通り”商店顔の増加、そして地方デパートの閉店などが問題になっていますが、遂に松本もヒトゴトではなくなりました。
ある意味“商都松本”の顔でもあった、松本パルコが2025年2月末で閉店、イトーヨーカドー南松本店が同年1月で閉店。どちらも全国的な不採算店舗整理の中での一環なのですが、他にも明治初期からの呉服店がルーツで、地元の老舗デパートだった井上百貨店本店が店舗の老朽化などを理由に、来年3月末で営業を終了し、井上が運営する郊外の山形村に在るショッピングモール内のデパートエリアへ統合することになりました。
井上は、私が子供の頃は西堀に在ったのですが、駅周辺が市街地の中心になって行くことに伴い、1979年に駅近の現在の場所に新築移転し、その後全国各地で地場の百貨店が大資本のデパートや総合スーパーの進出で相次いで閉店に追い込まれる中、長野県内でも長野市と諏訪市にあった丸光百貨店が、それぞれ2000年と2011年に経営や名称変更などの紆余曲折を経ながら無くなっている中(長野市ではまだ「ながの東急」が頑張っています)、井上は途中地銀の支援も受けながら頑張っては来たのですが、45年経ったビルの老朽化で配管などは部品も無く交換もままならないことから、自身の運営する郊外のショッピングモールへの統合移転をするとのこと。
我が家も同様ですが、昔はお中元やお歳暮、また冠婚葬祭などでの“お使い物”の贈答品は必ず井上で頼むなど、松本市民にとって井上の包装紙がクオリティーの証であり、ある意味信頼のシンボルでもありました。
勿論、車社会に伴う郊外店の隆盛、大型資本の購買力や情報化社会でのオンラインショッピングの便利さといった時代の荒波には、いくら地方の一店舗が努力しても抗えない面もあったことは事実でしょう。しかし、果たしてそれだけなのでしょうか。自身の経営、体質に問題は無かったのでしょうか?その結果、ある意味今回の閉店は必然では無かったのでしょうか?
過去、ブログに記載した内容ですが、これらは直接名指しをしていませんが全て「井上」に関するものでした。敢えて関係部分のみを抜粋して再掲します。
【その一】
『(前略)事前に見た地元のローカルデパートとは大違い・・・でした。但し、私が感じた一番の違いは、都会と田舎という規模からしての品揃えといったハードの差ではなく、むしろソフトの差・・・でした。
というのは、都会の老舗デパートの呉服売り場では、とっくに本来の定年を過ぎた様なベテランのスタッフの方を何人か揃えていて、お客さんにアドバイスをする、或いは客の質問にも昔と今の違いを踏まえてちゃんと答えられる・・・。まさに“亀の甲より年の劫”で、その豊富な知識の量が田舎のデパートとは全然違うのです。
しかし、昔は地方のデパートにだって絶対にそうした地元の特色ある“しきたり”や独特の慣習を良く知ったベテランスタッフがいた筈なのです。そしてそれこそが、品物の品質だけではない、老舗への信頼だった筈。
いくら市場としてのニーズとデマンドの差とはいえ、人件費削減か、高いベテランスタッフを切って安い若手に切り替える・・・。そうした有能な人材を簡単に切ってきたからこそ、いくら売り場を今でも確保していても真の客のニーズを捉え切れず、本来なら、そして昔なら、いとも簡単につかんでいただろう地元のニーズを逃がしてしまって、オンラインや首都圏のデパートに取られてしまっている・・・そんな身から出たサビの“いたちごっこ”の繰り返しなのではないでしょうか・・・。
もしそれがコストに見合って利益に繋がっているなら、別に何の後悔もする必要はないのですが、地元で購入するつもりで、「筥迫(はこせこ)」を探して聞いても「えっ?」と絶句したきり何も答えられなかった田舎の“老舗”デパートの若い店員さんと、「あっ、それは・・・」とすぐに答えてくれ、しかも最近のお宮参りと七五三の状況をふまえてアドバイスをしてくれた都会のデパートの“お婆ちゃん”スタッフとの差に、そんな感想を持った次第です。
昔、本ブログに “町の電気屋さん”の生き残り策としての、大手家電量販への対抗策は、サザエさんに登場する“三河屋”の三平さんの御用聞き、それは例えば老夫婦世帯の切れた蛍光灯の交換作業とか、そういった町の小さなニーズを如何に取り込むかだと書いた記憶があるのですが、衰退する田舎の老舗デパートも、もしかするとそうした地元の町の小さなニーズを取りこぼして、全てを時代の“せい”にしてきたツケで、それは“身から出たサビ”、或る意味時代変化についていけなかった“自業自得”なのかもしれない・・・と新宿の老舗デパートで家内の買い物に付き合いながら感じた次第。』(第1863話より)
【その二】
『(前略)事前にローカルデパートのデパ地下へ。買い物はメインの付け合わせにするサラダだけなのですぐに済みますが、路上駐車はいけないだろうと、買い物をすれば指定駐車場は無料になるので、デパート横の駐車場へ停めてデパ地下へ。するとあろうことか、総菜コーナーのサラダは全て売り切れで全然無し・・・って、まだ夕食前の夕方5時ですよ!(都会なら、これから仕事帰りの若いお母さん方やOLの皆さんが来られて、色々今晩のお総菜を買って帰る時間でしょうが!!)
「えっ!?」と絶句して、止む無く何も買えずに戻ったのですが、今度は駐車場代が僅か5分足らずで300円・・・(これにも絶句)。
「あぁ、こんなんじゃ自分で自分の首を絞めてる様なモンだよナァ~、田舎のデパートは・・・」
と、これまた絶句!(経営者は果たしてこういう実態を分かっているのでしょうか?)』(第1734話より)
以上が以前書いた内容の抜粋でした。
昔(半世紀近くも前ですが・・・)、成人式の時、祖父母からのお祝いで初めてのスーツ(当時は背広って言ってました)を購入するため、松本に帰省した折に父に連れられて井上に行って、当時井上の部長さんだったお隣のオジサン(紳士服の担当では無かった筈ですが)に見立てをお願いしたことがありました。当時の主流は三つ揃い(スリーピース)でしたが、何着か選んでもらった中からアドバイスも踏まえて決定しました。その時に、オジサンがお祝いにとブレザーをプレゼントしてくれました。「これが絶対似合うから」とご自分で選んでくれたのは、個人的には正直「ちょっと地味過ぎないかなぁ?・・・」と思った、チェックの柄のこげ茶色のブレザーでした。
その後社会人になって、やがて三つ揃いスーツは流行遅れで着なくなりましたが(年中“夏バテ”気味だったシンガポールでの海外赴任から帰国後、お腹一杯食べられる様になって、結果少々ズボンのウェストがきつくなったこともありますが)、ブレザーはそれこそ冗談では無く、定年まで何の違和感もなく着ることが出来、40年も前のあの時のオジサンの見立てに感心し、また感謝した次第です。
こうしたノウハウを持った信頼出来るベテランのスタッフの方々が、井上にもたくさんおられたのだと思います。
建物の老朽化で代替が効かぬ部品が手配不能になるよりも先に、もしコストカットでベテランを排除するというなら、自らが持っていた本来替わりが効かなかった筈のベテランの、せめてそうしたノウハウをどうして若手に引き継げなかったのか!?
「筥迫(はこせこ)」という言葉を即座に理解し、お宮参りから七五三までの最近の流行りや傾向まで教えて下さった新宿高島屋の呉服売り場の、恐らく定年をとうに過ぎたであろうベテランの契約スタッフと、問いに対し「えっ?!・・・」と言ったきりで何も言葉が返って来なかった井上の呉服売り場の若いスタッフ。客の出す答えがどちらを選ぶかは必然でしょう。
但し、新宿高島屋に全く在庫が無ければ、それは単なるアドバイスに終わってしまい、地方から上京した一見の客は、もし次に来る機会が無ければAmazonなどのオンラインショッピングに流れてしまうのですが、ちゃんとその時の高島屋には多少なりともストックがあって、その場での実際の売り上げに繋がったのです。
片や、その若手スタッフがもし自身で分からなかったことを反省して、自分で調べて次のノウハウに変えたり、或いは上申してその後の品揃えに反映する(或いは在庫を持たずともカタログを用意して、その場で客の要望を聞いてすぐ発注出来るようにする)などすればともかく、仮にもしその場で“のど元過ぎれば”で何も対応せずに終わっていたとしたら・・・。
そうした日々の売り上げにも記録されない小さなケースの(しかも負の)様な事象が長年積み重なった結果の、今回の「井上」本店の閉店では無かったのでしょうか。
例え物理的な背景に、車社会到来に伴う郊外への大型店進出や大資本の全国展開、そして最近の情報化という時代の荒波に抗えなかった面も勿論あるとしても、むしろそうしたハード面での外的要因以上に、直接的には目に見えないソフト面が内的要因として、自らの対応が招いた必然的結果ではなかったのでしょうか。