カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
我が家は今年新盆でした。
先日の第1920話でご紹介した「おせがき(御施餓鬼)法要」は、浄土真宗を除く仏教宗派では一般的な様ですし、地域性は余り無いと思われます。
信州松本地方のお盆は月遅れでの旧盆で、8月の13日が迎え盆、16日が送り盆です。
因みに信州では節句は全て旧暦で行われます(信州では、4月にならないと桃の花が咲きませんし、6月にならないと柏の葉が大きくならないので、陰暦での実施には本来合理性があります)ので、8月7日の七夕が過ぎると(但し、最近では長野県内でも幼稚園などでは七夕を7月7日に実施する方が多いかもしれませんが)、すぐにお盆になります。
昔、「信州の年寄りは必ず天ぷらそばを注文する」とこのブログで書いたことがありますが、信州では(特に戦前・戦中派のお年寄りたちは)天ぷらが大のご馳走なのです。
以前の県庁所在地での比較調査で、小麦粉の消費量が“粉物文化”の大阪などの関西を抑えて(うどんはうどん玉で別)長野県が全国一位だったのですが、これは天ぷらがその理由だと云われていて、これまた消費量全国一番の野菜を日頃の煮物や味噌汁や漬物で食べるだけでなく、これらを天ぷらにすることでご馳走になるからなのだというのがその理由でした(第137話参照)
ですので、その天ぷらをお盆にご先祖さまにもご馳走としてお供えするのです。ナスやカボチャ、サツマイモなどの他に、きっと珍しいのはお饅頭の天ぷらでしょう。但し、これは全県ではなく、長野県でも中南信エリア(中部と南部)が主流の様です。この時期になると、スーパーにはお盆の「天ぷらまんじゅう」としてのお供え用に、お団子を一回り大きくした位の“小振り”のお饅頭がパックで売られています。
そして、ご先祖様を乗せてお連れする精霊馬を作って飾りますが、キュウリの馬とナスの牛です。これは、ご先祖様を迎えるにあたって、「少しでも早く家に帰って来られる」様にお迎えは馬に乗って、そして帰る時には牛に乗って「ゆっくりとお帰りください」という気持ちを表すと云われています。どうやらこれは東日本の風習(西日本は舟形の精霊流しとか)の様です。我が家では昔からトウモロコシのヒゲを馬の尾っぽに見立て、茹でたそうめん一本を背中に掛けて手綱に見立てます。
昔はお盆が終わると、精霊流しの様にこの精霊馬も近くの川に流してご先祖様の霊を天国に返したのですが、環境保護で現在はそれも出来ず、自宅で処分するしかありません。
お盆のお棚には、先述の塔婆とお供え以外に、お寺(当家は浄土宗です)から戴いて来た新盆用と例年同様の先祖供養との2本の塔婆と、五色(左から紫、白、赤、黄、緑の順)の短冊の様な「ご如来」とひらひらした五色の飾りの「真幡」を竹の棒に通して生米の入ったコップに立てて飾り、仏壇からお盆の間だけ全部のお位牌をお棚に移っていただき、祖父の代の時に先々代のご住職に書いて頂いたという「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掛け、家紋の入った灯篭を組み立て、最後に産直市場から盆花を買って来て両脇の花瓶に活けて、先述したお供えと精霊馬を飾って、これにてお迎えの準備完了です。
そして、春(秋はお盆から間が無いので)とお盆の年二回、草刈などのお墓掃除に行って来てから、迎え盆になると松本地域独特らしい白樺の樹皮を剥いで乾かしたカンバ(「樺」、白樺の意)での迎え火をお墓と家の玄関先でも焚いて霊をお迎えします。カンバの灯りで、お墓から家までの道筋をご先祖様に示すと云われています(送り火の場合は逆に玄関→お墓の順番で焚きます。防火上、ペットボトルに水を用意して、火が消えてからちゃんと水も掛けます)。
因みに、カンバはこの時期になるとホームセンターやスーパー等で普通に売っていますので、松本地域以外にもカンバを焚くエリアが長野県内にはあるかもしれません。しかし、少なくとも諏訪地域ではそうした風習は無いようです。家内の実家でもカンバは焚きませんし、婿に入った父方の茅野に住む伯父の家でも、亡き叔父はわざわざ松本からカンバを買って来て、お盆には松本流にカンバを焚いていたそうですが、茅野出身の叔母はカンバは知らなかったそうです。
昔は家から歩いてお墓に行ったので、お墓で迎え火を焚いてから、祖母に「ご先祖様をウチまで背中に負ぶってお連れするだでナ」と云われ、本当に背負う様に背中に手を組んで家まで歩いて帰ったものですが、今は車なので、そうした気持ちだけで勘弁してもらいます。
そして13日にはお寺さんが家に来られ、新盆と先祖供養の回向のお経をあげていただき、期間中に親戚からの新盆のお詣りに来られた対応をして、16日に今度は家の玄関先とお墓で送り火のカンバを焚いて、これでお盆が終わります。
送り盆の8月16日、京都では「五山の送り火」ですが、松本ではカンバの小さな“送り火”を焚いて、ご先祖様をお送りしながら今年の“ゆく夏”を偲びます。
こうして、何とか無事に我が家の新盆を終えることが出来ました。
我が家は浄土宗ですが、7月になると菩提寺からお盆の「おせがき法要」の塔婆申し込みの案内が来て、8月になって申し込んでいた先祖供養の塔婆などを受け取りに毎年お寺に伺います。
因みに、この「おせがき」というのは、仏教で死者の霊魂に食べ物や飲み物などを施して供養する法会(儀式)のことを「施餓鬼(せがき)」と云うのだそうで、その施餓鬼の目的は、飢えや渇きに苦しんでいる死者の霊魂を救済することであり、その施餓鬼には多大な功徳があるともされているので、ご先祖様へ功徳を振り向けること(「回向(えこう)」)で、追善供養にもなるとされているのだそうです。そのため、多くのお寺ではお盆の時期に盆法要と合わせて施餓鬼法要を実施しているとのこと。
今年我が家は新盆になるので、新盆と併せて先祖供養の二本塔婆を申し込み、先日お寺に受け取りに伺って来ました。
「これ見てください!さっき見つけたんです。」
指差す方を見ると、本堂前の古木のかつらの木の枝に、セミの抜け殻が“数珠繋ぎ”になっているではありませんか。抜け殻一つなら別に珍しくもありませんが、確かに同じ場所に7つも連続しているのはこれまで見たことはありません。
「ナルホド、数珠つなぎというのは流石にお寺さんらしいですね!」
皆兄弟なのか、7年経ってこの真夏の同じ日に土の中から出て来て、同じ枝に登り7匹一斉に脱皮して飛び立っていったのでしょうか。
お寺の庭の“数珠繋ぎ”のセミの抜け殻。お盆に向けて、これもお寺さんの何か功徳なのかもしれない・・・と思い、何だかチョッピリ幸せな気持ちでお寺を後にしました。
6月30日。この日の早朝、家内がまた横浜の次女の所へサポートに出掛けて行きました。
暫くはまたコユキと私メだけの生活です。いつもは家内にべったりのコユキも、この二人しかいない状況を理解すると彼女なりの諦めもつくのか、コユキなりのツンデレ気味ではあるのですが、ゴロニャンならぬゴロワンとすり寄ってきます。但し、大好きな家内が戻って来ると、それまでの恩義(何宿何飯かの義理・・・)など即忘れてしっかり元に戻るのですが・・・。
さて、そんなコユキに独りでお留守番を頼んで、この日の午後私メは一人でお出掛けです。
この日マチネでの松本室内合奏団の第63回定期演奏会を聴きに、ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール、略して音文)に行って来ました。
松本室内合奏団(英語表記も室内管弦楽団のChamber orchestraではなく Matsumoto Chamber Ensemble)は2管編成の地元のアマオケですが、8年前に一度同じく音文での定演を(その時はプログラムのエルガーのチェロ協奏曲を生で聴きたくて)聴きに来て、その時のチェロ独奏には正直些かがっかりしたのですが、いくら“楽都”松本がスズキメソードの本部とはいえ(夏休みになると、小さなバイオリンのケースを提げた世界各国の子供たちが駅前通りを歩いています)、その後のメインの“ブライチ”でのアマチュア離れしたオケの巧さに正直驚いていました(第1108話)。
そして昨年も、演奏会で取り上げられることの少ない同じくブラームスのハイドン・バリエーションを生で聴きたくて、チケットを購入していたのですが、その時はまだ東京に居た長女の所に行く用事が急に出来てしまい、チケットは妹にあげて自分は残念ながら聴けませんでした。
今回は、SKFにも参加している京都市交響楽団(京響)主席の山本裕康氏が指揮振りで、ハイドンのチェロ協奏曲と彼の指揮でのメインがシューベルトの「グレイト」というプログラム。2月のN響の松本公演以来の久しぶりのコンサートですが、両曲とも楽しみにしていました。
1曲目のハイドンのチェロ協奏曲第2番ニ長調。生で聴くのは初めてです。ハイドンらしい優雅な旋律。今回のチェロ独奏は京響のチェロ主席を務める山本裕康氏。SKFにも参加されており、松本でもお馴染みです。前回がっかりしたエルガーの時とは違い、さすがでした。なお、今回は指揮がメインなのか、独奏者のアンコール曲の演奏はありませんでした。
休憩を挟んで、後半にメインのシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」。昔は9番もしくは発表順で7番とされてきましたが、今回は8番となっています。
これは、シューベルトは生涯に計6曲の交響曲を発表したのですが、シューベルトが死去して10年後の1838年、作曲家のシューマンがシューベルトの「新しい」ハ長調の楽譜を初めて発見し、彼の依頼を受けたメンデルスゾーンが手兵のゲヴァントハウス管で初演しました。そして、この曲はシューベルトの第7番の交響曲と呼ばれるようになり、後年になって楽譜出版社により先に発表されていた規模の小さい第6番の同じハ短調の交響曲と区別するために、「大」ハ長調という意味で「グレイト(The Great))」と名付けられました。
しかしその後、1865年になってシューベルトのもう一つの2つの楽章だけが完成された交響曲が見つかり、「未完成」と名付けられます。書かれた順番からすると、ハ長調の交響曲より先だったのですが、既に「第7番」はあったため、「第8番」の交響曲「未完成」と呼ばれるようになりました。従って、昔小学校の頃?だったか、音楽の授業での習った「未完成」は、個人的にはどうしても8番というイメージが拭えないのですが・・・。
しかし、作曲順で云えば「未完成」の方が早いことから、グレイトの方は7番とする場合も注釈付きで9番と併記されたり、或いは「未完成」の飽くまで後ということを強調する場合は敢えて9番とも呼ばれたりしていました。
しかし最近では本来の完成順で呼ぶ方が主流となっており、有名な「未完成」が7番、この「グレイト」を8番とする方が多い様で、今回のプログラムもそれに倣い8番と表記されていました。
第一楽章、冒頭のホルンのパートソロから始まります。管楽器の中で一番難しいとされるホルンですが、なかなかお見事。
そして、第二楽章冒頭で主旋律をソロで奏でるオーボエ。ハイドンのコンチェルトの時から感じていたのですが、オーボエが活躍するこのグレイトでは柔らかで滑らかな音色のオーボエの旨さが際立っていました。パンフレットのメンバー表では、プロの助っ人であろう賛助会員は今回1stVn、Cl、Tbにそれぞれ1名ずつでしたので、ホルンもオーボエも皆さんオリジナルメンバーでアマチュアなのでしょうけれど、練習の成果とはいえ本当に素晴らしい演奏でした。
松本が“楽都”と呼ばれるのはSKOが松本に来る前からであり、むしろスズキメソードの本拠地であることが本来はその理由ですが、メンバーの中にはメソードの先生方も弦楽パートにおられる様で、生徒さんと思しきお子さん方がたくさんお母さん方と一緒に聞きに来られていました。ですので、弦が玄人はだしなのは当然としても、管楽器群の演奏にも拍手でした。
このシューベルトの「グレイト」は、ベーム指揮SKドレスデン盤のCDを持っているのですが、以前生で一度聴きたくて選んだのが、信州からではマチネでしか日帰りが無理なので、8年前のインバル指揮都響の東京芸術劇場の大ホールで週末に行われているマチネシリーズでした。その時の都響は倍管でしたが、今回は楽譜通りでオリジナルの2管編成。ですので、作曲された当時は室内管での演奏が本来であり、音響の良いこの700席というどこで聴いてもまるでS席の贅沢な音文ホールには相応しい演目なのかもしれません。
昔、懇意にさせていただいたマエストロ曰く、
『演奏会に向けた練習時間が長く取れ、全員が真摯に集中した時のアマオケの演奏は、ややもするとビジネスライクで無味乾燥的になりかねないプロオケの演奏をも時として凌ぐ。』
昔、マエストロに対して「えっ、アマオケを振られるんですか?」と怪訝/不遜な態度で失礼な質問をした私に、尊敬するマエストロから諭すように穏やかに言われて自分の無知を猛省したことがあるのですが、この日の演奏を聴きながら今回もその言葉を思い出していました。
勿論、それを引き出すのはオーケストラビルダーとしての指揮者の力量だとしても、この日の山本裕康指揮松本室内合奏団の演奏にも大拍手です。
この日はカーテンコールだけでアンコール演奏はありませんでしたが、例え地方都市でも“楽都・松本”の実力に十分納得し、大いに満足出来た演奏会でした。ブラァボ!
6月22日。久しぶりにキッセイ文化ホール(松本県文)の自主企画で、四半期毎に開催されている、二ツ目の噺家さんお二人による落語会「~明日は真打~まつぶん新人寄席」に行って来ました。
第27回の今回は、落語協会で来秋の真打昇進が決まったという入船亭遊京さんと、諏訪出身という長野県人の古今亭雛菊さんの二人会です。
師匠である古今亭菊之丞さんのお弟子さんである雛菊さんは、コロナ禍でどの定席も閉鎖されていた時に、奥さまのNHK藤井彩子アナウンサーの進言で始めたという師匠のYouTubeチャンネルにも前座の「まめ菊」の頃から登場していて、師匠に習ったばかりだという「元犬」や「天失気」だったかネタ卸しをしていたのを見て、地元出身の噺家さんでもあり、その天性の明るさが本当に噺家向きでしたのでいつか生で聴いてみたいと思っていました。
昨年東京の長女の所に行っていた時に、雛菊さんが上野鈴本演芸場での高座に交代で登場していたのですが、聴きに行けそうだった日に登場せず、残念ながら定席でも聴けてはいませんでした。それがここ松本で聴けると知り、その雛菊さん目当てでチケットを事前に購入していました。
この「まつぶん新人寄席」は、ありがたいことにシルバーと学生は割引料金が設定されていて、ナント500円のワンコイン(通常でも1000円と非常に安価ですが)聴くことが出来ます。
チケットを買った時は、開場設定はいつもの会議室だったと思いますが、この日行くと会場が中ホールに変更されていました。地元出身ということもあるのか、ご親戚など応援団含めどうやらいつも以上にお客さんが集まった様です。
この日のそれぞれの出し物は、
入船亭遊京 「新聞記事」
古今亭雛菊 「井戸の茶わん」
(仲入り)
古今亭雛菊 「黄金(きん)の大黒」
入船亭遊京 「鰻の幇間」
というネタでした。
「新聞記事」と「黄金(きん)の大黒」は初めて聴くネタです。
特にトリで掛けた「鰻の幇間」は、いわゆる幇間噺で何度かYouTubeやCDで古今亭志ん朝などの高座を聴いています。生で聴くのは初めてでしたが、こちらも良かったです。ただ欲を言えば、最後の方で八つ当たりで女中に怒って文句を言うくだりは、ケンカして江戸っ子が啖呵を切る大工調べとかと同様に、名人志ん朝や小痴楽師匠の様に江戸っ子口調のテンポが良ければもっと良かったと思います。但し、そのお二人は正真正銘の江戸っ子ですが、遊京さんは愛媛松山のご出身とのことでした。
片や、この日のお目当ての古今亭雛菊さん。彼女は二ツ目になってまだ3年目。
諏訪市出身の雛菊さんですが、枕で最初に「私、諏訪出身ですが、諏訪を嫌いな方いますか?私は松本大好きです!」と語り出したのですが、長野県人、信州人と一括りにせず、諏訪、松本としっかり分けるのが、「あぁ、如何にもこの人も信州人だなぁ・・・」と思わず笑ってしまいました。
因みに、「♪松本伊那佐久善光寺・・・」ではありませんが、それぞれ信濃は盆地毎に小藩が林立していたため、どちらかというと合同団結することなく小藩のまま独立独歩の気風の強かった中で、廃藩置県により今では「長野県」と全体を称すると確かに“信州人”ですが、唯一それとは別に“諏訪人”とも呼ぶのは今でも諏訪だけです。
さて、雛菊さんはまだ二ツ目3年では止むを得ないと思いますが、枕は正直面白くないので工夫が必要でしょう。しかも、枕とネタでは口調が(そのネタをさらってもらったお師匠さんの影響か)変わってしまいます。
この日の一席目、仲入り前で掛けたのは古典落語の名作「井戸の茶わん」、大ネタです。その意気やヨシ!ちゃんと自分のモノにされていました。この古典落語の名作「井戸の茶碗」は、どちらかというと人情噺で人気のネタです。個人的には、柳家さん喬師匠の「井戸の茶碗」が暖かくてホンワカしていて、一番好きでしょうか。弟子の柳家喬太朗師匠になると、これが「歌う井戸の茶碗」となって爆笑ネタに変わるのですが、しかしさすがにじんわりと聴かせるところではちゃんと正統派の師匠譲りです。
雛菊さんも聞かせどころはしっかり抑えているので、くすぐるところはもう一工夫でしょうか。
中入り後、雛菊さんの二席目は「黄金(きん)の大黒」。初めて聴くネタですが、いわゆる長屋噺で、長屋の花見の続きの様な内容で、長屋の店子全員に家主から呼び出しが掛かるのですが、春に「長屋の花見」で懲りている連中。年の暮れでの呼び出しに、今度こそは店賃の催促と思って戦線恐々。どのくらい店賃を溜めているかをお互い教えるくだりは、「長屋の花見」と殆ど同じ内容でした。
因みに、仲入り前の雛菊さんの高座で枕と大ネタで押してしまい、最後の遊京さんトリの一席の始まる時には既に4時を過ぎていて、遊京さん曰く、
「もう既に予定の閉演時刻を過ぎてしまいましたが、このまま続けても宜しいでしょうか?」
もしかすると雛菊さんが故郷の信州に凱旋して、その意気込みからの勇み足だったのかもしれませんが、仮にそうだったとしても定席の寄席ではありませんので、勿論皆さん拍手で応援ですが、二ツ目としてその意気や良し!
雛菊さんは、例えどんなに稽古しても、定評ある歌舞伎の女形の様な菊之丞師匠には色気では到底敵いませんし、その路線は失礼ながら絶対に無理だと思います。しかし、とても明るくて持って生まれた愛嬌があるので、与太郎噺なんかにはむしろピッタリだと思います。というのも、師匠のYouTubeチャンネルでネタ卸しで演じた「転失気」の珍念さんがピッタリでとても良かったからです。しかも師匠方にも大変可愛がってもらっている由。
ですので、一生懸命稽古をして、人気の上方落語の桂二葉さんに対抗して是非江戸落語で頑張って欲しいと思いますし、そしてその期待は大だと思っています。先ずはNHK新人落語大賞目指して、ガンバレ!
奥さまが毎月横浜の次女の所の手伝いに今月行く前に、せっかく慣れつつある体が忘れない様にまた山に登っておきたいとの仰せ。そこで、本当は花が咲く頃に登ろうと思っていた美ヶ原へ、今回もまた三城からの百曲がりコースで登ることにしました。
そこは“山の民 信州人”である地元民の特権として、天気予報を見ながら快晴の日を選んでの山行です。
リタイア後、クラツーの「女性のための登山教室」に2年間通った家内に付き合って始めた登山。まさに典型的な今流行りの“中高年登山”ですが、“日本の屋根”に暮らす“山の民 信州人”としての最大のメリットでもありましょう。
その中で地元の山故に、2018年に登り始めてから今回が7回目となる美ヶ原。コロナ禍の2021年を除けば、足慣らしも兼ねて毎年必ず美ヶ原へ登っているのですが、最初の頃に美ヶ原でお会いした県の環境レンジャーの方からの、4つほどある美ヶ原の登山ルートの中では百曲がりコースが一番変化があるのでおススメというアドバイスに従い、毎回三城からの百曲がりコースで登っています。そして、このコースは美しの塔に刻まれている「美ヶ原溶岩台地」や『高原詩抄』に収められている私も大好きな「松本の春の朝」などを詠んだ、信州ゆかりの“山の詩人”尾崎喜八が登ったコースでもあります。
美ヶ原へはビーナスライン等を使えば車で上まで行けてしまいますが、美ヶ原自体もれっきとした「日本百名山」の一峰です。その名の通り2000m級の広い台状の高原ですが、山頂は2034mの王ヶ頭。ただ頂上付近にはホテルとテレビ塔が林立しており、王ヶ頭で登頂記念の確認をすることを除けば、むしろ2008mの王ヶ鼻からの方が北アルプスから八ヶ岳までぐるっと270度(!?)、まさに圧巻の眺望を楽しめます(浅間山は王ヶ頭周辺からの方が見易い)。しかも、日本百名山の実に1/3の名峰たちが望めるという絶景の“アルプスの展望台”でもあります。(下の写真は、三城いこいの森の駐車場から仰ぎ見た、美ヶ原山頂の王ヶ頭です)
三城「いこいの広場」の登山者用無料駐車場には既に10台近く車が停まっていて、我々も有料トイレなど準備を済ませ、7時55分に登山開始です。ここが標高1450mとのことですので、山頂までは標高差約600m弱の山旅です。登山口から「塩くれ場」まで3.5㎞という表示。
三城のオートキャンプ場を経て、林の中を沢沿の道を進み30分で広小場到着。途中、道が無くなって石がゴロゴロ河原の様になっていたり、木が倒れて道を塞いでいたりと、台風の大雨で流されたのか、以前に比べて道が荒れていて歩き辛い個所もありました。
広小場の東屋で休息し、暑くなりそうでしたので長袖を脱いで半袖になり、登山再開。ここから百曲がりの本格的な山登りが始まります。
直ぐに板状節理で平べったく割れた鉄平石が道をガレ場の様に覆っていて、歩き辛いことといったらありません。また浮石の様になっていて、乗ると滑る場合もあるので注意が必要です。
そんな登りの途中、至る所にタチツボスミレに始まり、黄色いキジムシロや初めて見るミヤマエンレイソウ(シロバナエンレイソウ)などの花が迎えてくれました。
「百曲がり」の48回曲がるという九十九折を登りながら次第に標高を上げて行くと、今度はオオヤマザクラの花やカラマツの芽吹きも見られ、里はともかく山はまだ春の装いです。
次第に木々の高さが低くなり、空が段々大きくなってきました。パイプからチョロチョロと水が出ている水場と思しき所過ぎれば、「百曲がり園地」までもう少しです。因みに、水は冷たくて清らかに見えますが、美ヶ原には牛も放牧されるので、地中でいくら濾過されていても飲料水にはしない方が良いと思います。
やがて登山道の周りが低木くらいになると、草原の先に崖がそそり立っているのが見え、そこが「百曲がり園地」で、「塩くれ場」と「アルプス展望コース」の分岐点。一応登山道の登りはここまでなので、ここで一休み。ゆっくりと歩いて来たので、駐車場から1時間40分弱で到着しました。この日、木々の無い台状の高原は強風で寒いくらいに感じます。そこでまた長袖を着ましたが、いくら下界が暑くとも山の天気を過信せず、ウィンドブレーカーとかを常備すべきと反省しました。
この園地からは「塩くれ場」経由で観光スポットの「美しの塔」や、平坦な砂利の車道を歩いて美ヶ原の頂上である王ヶ頭まで行くことも出来ますが、トレイル気分が味わえる「アルプス展望コース」を歩いて王ヶ鼻へ行くことにしました。王ヶ頭へは既に“登頂”していますし、眺望の良い王ヶ鼻へ直行します。因みに、この時はまだ美ヶ原では牛の放牧は行われておらず、一週間後から始まるとのことでした。
園地から王ヶ頭まで2.2㎞と表示されていますので、その先王ヶ鼻までは園地からは3.5㎞位でしょうか。
この「アルプス展望コース」は、尾崎喜八が“溶岩台地”と呼んだ台状の美ヶ原高原の西側の端を地形に沿って行くので多少のアップダウンはありますが、南から中央、そして北アルプスまで日本の屋根をその「アルプス展望コース」の名称通り一望出来る気持ちの良いトレッキングコースで、美ヶ原では一番のおススメ!です。例え、登山ではなく車で来ても、このコースを楽しむべきです(ハイヒールにスカートではなく、それなりに歩ける格好で)。
途中烏帽子岩などのスポットで写真を撮ったり休憩したりする人たちもおられ、皆さんそれぞれに絶景を楽しんでいますが、我々はそのまま王ヶ頭からは砂利道を歩いて王ヶ鼻へ。
王ヶ鼻には20人近い登山者の方々が思い思いに岩に腰掛けて、ここからの絶景を楽しんでおられました。
快晴の日を選んで来たこともあって、左から八ヶ岳、富士山、そして甲斐駒、北岳、間ノ岳、仙丈の南アルプス。そして木曽駒の中央アルプスから御嶽、乗鞍、更に穂高連峰から槍、常念、鹿島槍から五竜、白馬連峰へと山並みが続きます。“アルプスの展望台”に相応しい眺望が、眼下の松本平を飛び越えた先に拡がっていました。余談ですが、伊那谷では木曽駒ではなく単に駒ケ岳か西駒と呼び、甲斐駒は東駒となります。昔仕事で飯田に伺った折に、木曽駒と言ったら地元の方にやんわりと訂正されてしまいました。
そんな眼前の絶景をおかずに昼食代わりのオニギリを食べ、十二分に景色を楽しんでから、二人共途中王ヶ頭ホテルでのトイレ休憩は不要とのことだったので、帰りも王ヶ頭には寄らずに、そのまま同じ展望ルート経由で戻ることにしました。
二人共、百曲がり園地でトレッキングポールも準備して、帰路も百曲がりコースを下ります。鉄平石のガレ場は歩き辛いので、登りよりもより慎重に歩を進めます。
途中、私たちより年配ですが、ベテランと思しき“地下足袋”の登山者が“跳ぶ”様に追い抜いて行かれました。暫くして女性の方も・・・。
無事広小場に着くと、先程時間差で追い抜いて行かれた年配の方々が東屋で登山用バーナーとコッヘルで調理して昼食を摂られていました。上は強風でバーナーが使えそうもなかったので、風の無い広小場まで下山して昼食にしたとのこと。我々同様に地元松本在住のご夫婦だそうで何度も美ヶ原へ登られているのだとか。広小場から茶臼山経由でのルートもあるのですが、お聞きすると、そちらは台風でかなり登山道が流されたり荒れてしまったので止めた方が良いとのことでした。我々も東屋のベンチをお借りして、脱いだ上着をリュックに仕舞いお礼を言って先に歩を進めます。
ここからは沢沿いのなだらかな下り坂がオートキャンプ場まで続きます。新緑の中、沢の水音が涼しげで心地良く、広小場の近くの説明版にもあったガマズミ科のカンボクのアジサイに似た白い花が印象的でした。
三城のいこいの森の登山者用駐車場に到着。下りは75分、ほぼ標準のコースタイムでした。
美ヶ原の高原では上着を羽織らないと半袖では寒く感じる程風が強かったものの、今回は快晴の日を選んで来たこともありますが、7回の中では今までで一番の絶景でした。
“アルプスの展望台” の名の通り、素晴らしい眺望を堪能した美ヶ原への山旅でした。