カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 久しぶりに「きときと寿司」松本店へ行きました。
「きときと寿司」は北陸富山・氷見が本店のグルメ系回転寿司で、松本店はその唯一長野県内出店の直営店です。
以前は上田とか長野にもあったそうですが、そこは松本の様な直営店ではなくフランチャイズ店だったらしく、その後契約更新で揉めて契約が破棄され、数年前にフランチャイズから外された由。
お寿司だと、我が家では昔は地元の王滝総本店へ行っていたのですが、その後寿司ネタが極端に減ってしまい、せっかくの寿司カウンターに座っても頼むネタが少なく無意味になったので行くのを止めました。
松本にも“グルメ系”を名乗る所は他にもあるのですが、東京などで行った緑寿司の「活」や「金沢まいもん寿司」に比べてしまうと、どうしてもネタの種類が少なかったり鮮度が見劣りしたりするので、行ったことはありません。

 以前、長女が帰省して来た時に、
 「コンサル時代の上司が今スシローグループの社長をしているので、食べに行ってあげて!」
と頼まれて以来、お寿司を食べたくなると、スシローに良く行っていたのですが、所謂“グルメ系”には及ばずとも、嘗ての100円均一の回転ずしチェーンの中では相対的には出色だと評価していました。ただ残念ながら光り物がイマイチで、特にコハダは失格。それに、センターキッチン方式で運ばれてくるのか、だし巻き玉子は残念ながらちょっと食べる気がしない・・・。そこで、
 「たまには・・・美味しい光り物が食べたぁーい!」
ということで、「きときと寿司」に食べに行った次第。そう云えば、以前長女も帰省した時に、スシローではなく「きときと寿司」で一緒に食べた時に、
 「ナルホド。確かに光り物好きなら、こっちに食べに来るのは良く分かる!」
と「きときと寿司」を評価していましたっけ・・・。
 因みに、長女は婿殿が休みを取って年に数回NYから日本に来ると、彼らは殆ど毎日寿司を食べに行くのだとか。勿論、回転寿司ではなく、お任せで“?万円”するような高級店も含めて、いずれも都内の有名店ばかりの様ですが、それでも、その何倍もするNYの寿司店に比べれば格安なのだとか・・・。
ですので、円安のためにインバウンドで日本に外国人観光客が殺到するのが(逆に日本人がハワイ観光で、ロコモコ一つの現地価格を円換算して悲鳴を上げるのも)良く分かります。
 
 さて、「きときと寿司」松本店も週末には行列になることもある人気店ですが、平日の夕方なので結構空いていました。こちらもコロナ禍以降、更に若者のYouTubeへの回転寿司チェーンで撮影した「不適切動画」投稿の影響もあってか、ここ何年かは一切レーンにはお皿は回っておらず、全てタブレットから注文するのみになっています。


先ずは光り物3種、そしてマグロ三種も。ただこの日はイワシの入荷が無かったとか・・・。これでは、お目当てのイワシの炙りも食べられず残念!そのため、この日の光り物三種は手前から〆サバ、アジ、コハダでした。
更にこの日の白身三種はヒラメとタイ、そして地元の富山で「フクラギ」と呼ぶブリの幼魚ハマチも。漢字では“福来木”と書き、縁起が良いとされるのだとか。
他にも、中落ち軍艦や個人的に大好きな生ゲソも。以前金沢の近江市場の中のお寿司屋さんで食べた生ゲソが絶品で、未だ忘れられず・・・。ノドグロよりも感激しましたっけ。

我々としては、キトキト寿司もですが、北陸の食材を食べることで少しでも応援出来ればと思いますし、ここで出来ることはそのくらいですから・・・。ということで、日本酒のアテに富山の名物“白えび”の天ぷらといつものだし巻玉子も注文して、お酒も北陸(福井ですが)の黒龍にしました。
 この3月に北陸新幹線が敦賀まで開通して雪が消えたら、ワンコOKの宿を探して、以前行ったことがある輪島や和倉温泉など能登はまだ無理かもしれませんが、どこか北陸を旅行出来たらと思います。

 落語にはその季節季節に相応しい噺、いわゆる季節ネタがあります。例えば春なら花見、夏なら花火とか怪談、秋なら秋刀魚でしょうか。そして冬なら雪や正月だったり・・・。
そうした中で、12月の師走に相応しいのは、14日が討ち入りだった忠臣蔵ネタや、噺の中に除夜の鐘が登場する「芝浜」や「文七元結」。特にこの二つの人情噺は、人気の高い大ネタとして、例えば東京の定席の一つ、上野鈴本演芸場では12月に一週間ずつ、日ごと噺家が替わりながら「芝浜」と「文七元結」が大トリとして掛けられています。
因みに昨年末の鈴本では、『年の瀬に芝浜を聴く会』として12月中席で、大好きな柳家さん喬師匠や、他にも春風亭一之輔、そのお師匠でもある春風亭正朝といった各師匠。そして『暮れに鈴本で聴く 文七元結』と銘打った下席では、柳家喬太郎、古今亭菊之丞、柳家三三といった人気の芸達者な各師匠が登場するとのこと(東京に居れば・・・と、羨ましい限りです)。
本来であれば、どのネタを話すかは、高座に上がって客席の様子を見てから決める・・・というのが原則なのですが、この時だけは最初から、トリでどの噺家がこのネタを演じると事前にアナウンスがされているのです。従って、落語ファンにとっては「待ってました!」ともいうべき日でもあります。
本当に、一度で良いので、さん喬師匠の「芝浜」や「文七元結」を生で聴いてみたいと思っています。
 その師走、12月の「松本落語会」の第563回例会は、二代目桂小文治師匠が来演とのこと。プロフィールを拝見すると、十八番の中に「芝浜」とあり、家内も横浜の次女の所に手助けに家政婦に行っていて留守でしたので、もしかすればと期待して聴きに行くことにしました。
「松本落語会」は東京から噺家を招いて毎月例会を開催しており、昨年50周年を迎えたという、地方の落語界では屈指の歴史を誇ります。私メも落語に嵌まってから何回か聴きに行っていますが、こんな地方で、しかも常設の寄席がある訳でも無いのに、50年も続いているというのは正直信じられません。しかも、松本は夜の落語会だと、噺家の皆さんは宿泊してもらわざるを得ず、その分余計に費用が嵩むので、いくらチケットに反映するとしても、噺家の方々も翌日まで二日間拘束される訳ですから、そのスケジュール調整を含め招く側としても大変な筈です。これが長野市の北野文芸座なら、新幹線があるので夜終ってからでも東京へ戻れるのですから、売れっ子の噺家呼ぶのは無理だと思えるのですが、500回記念の例会(何故か501回でしたが)には、柳家さん喬師匠と柳家権太楼師匠が“二人会”として来られたのですから、そこは50年という歴史の「松本落語会」を重鎮の各師匠方も重んじられているのだと思えるのです。

 閑話休題。
さて、12月の例会は、コロナ禍以前に戻って、12月14日に源智の井戸の横に在る瑞松寺で行われました。ただ、マスク着用はまだ継続されています。会場は畳の部屋ですが、60人程の椅子席です。
今回は、「桂小文治独演会」と銘打って、噺家さんだけではなく、珍しくお囃子のお師匠さんも参加されるのですが、それもその筈で桂小文治師匠の奥様で落語芸術協会のお囃子方の第一人者、筆頭である古田尚美師匠とのこと。そして、小文治師匠のお弟子さんで、前座の桂しゅう治さんも同行。
 今回はお囃子さんも同行されているので、趣向を凝らして先ずは鳴り物の紹介。例えば、夏の出し物である幽霊が登場する時の三味線や太鼓など。また、一番太鼓や、終了後の追い出し太鼓など。更には、文楽、志ん生といった昭和の大名人や現役落語家の出囃子の紹介もありました。
さて落語では、最初に前座桂しゅう治さんの「浮世床」から。この噺は「湯屋番」の様な滑稽噺で、例えば「寿限無」などに代表される様な前座噺の短編ではありませんが、大学の落研出身らしくメリハリも効いて達者に演じておられました(注:掲載の写真は小文治師匠のH/Pからお借りしました)。
余談ですが、この前座さんで感心したこと。それは落語ではなく、出囃子の太鼓。現役の落語家であれば、前座修行の寄席で何度もやっているでしょうから出来るのは当然としても、前座は本来ネタ増やしで、噺だって色々覚えなくてはいけないでしょうに、文楽や、志ん生、志ん朝といった今は亡き昭和の名人の方々の出囃子までちゃんと叩いていたのには感心しました。
続いて小文治師匠。ちょうど12月例会のこの日が12月14日で「忠臣蔵討ち入り」だったこともあり、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に引っ掛けて芝居噺である「七段目」が演じられました。芝居の場面では勿論三味線が入ります。そして仲入りです。



 






  「松本落語会」の例会では、仲入りの休憩中に、その日の演者の噺家さんのサイン入り色紙が抽選で配られるのですが、ナント初めて当たって色紙を頂きました。
仲入り後は、この日の例会のトリは残念ながら、「芝浜」ではなく、途中鳴り物が入ることもあり、また冒頭年末の仕事納めのための大掃除が題材になっていることもあってか、「御神酒徳利」でした。
小文治師匠を聴くのは初めてで、師匠プロフィールの十八番の中にあって期待していた「芝浜」は残念ながらこの日は聴けませんでしたが、なかなかの芸達者な師匠で、また今回お囃子方の奥さまが同行されたので、寄席の鳴り物の知識を拡げることが出来ましたし、また地方寄席恒例の録音ではなく、定席の寄席同様に生のお囃子で上がられる高座の雰囲気を楽しむことも出来た、久し振りの瑞松寺での「松本落語会」でした。

 些か古い話で恐縮ながら、昨秋のこと。
家内が次女の所に家政婦に行って不在。一人では特にやることも無いのですが、
 「ちったぁ、体も動かさんとイケネずら・・・」
と、いつものルートを独りでウォーキングに行ってみることにしました。

 ウォーキングの後、家の近くの日帰り温泉で汗を流すべく、風呂道具を車に乗せて日帰り温泉「瑞祥」のある渚ライフサイトに車を停め、そこから宮淵の急坂を上っていつもの城山公園へ。そこから下って塩釜神社から松本城公園を経由して、四柱神社と“天神さま”の深志神社にお参りし、駅経由で渚ライフサイトに戻るコースです。ライフサイトからだと7㎞位でしょうか。
北アルプスはこの日は雲の中で全く姿が見えませんでしたので、“城山トレイル”でアルプス公園まで足を延ばすのは止めました。その代わりに、城山を下った処に在る正麟寺の墓地の、川島家の墓地に眠る川島芳子のお墓を見学し、お参りもして来ました。

“東洋のマタハリ”と呼ばれた清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女にして、信州松本藩出身で粛親王の顧問だった“大陸浪人”川島浪速の養女となり、戦争に翻弄され数奇な運命をたどった川島芳子こと愛新覺羅顯㺭(あいしんかくらけんし)。
松本高等女学校(現松本蟻ヶ崎高校)に聴講生として通学していて、毎日自宅から馬に乗って通学したそうですが、実際母が同時期に松本高女に通っていて(かの草間彌生女史も同級生)、実際馬に乗って通学する姿を見ていたそうです。
正麟寺の墓地に立ち寄ってから、次女の所に孫たちの世話に行っている奥さまに変わり、塩釜神社、四柱神社、深志神社(天神さま)に代参でお参りしました。
 途中、開智学校から松本城公園を経由して行くのですが、快晴の青空の下、ちょうど菊花展が黒門手前の広場にテントを張って行われていました。コロナ禍前は、本丸庭園内で実施されていた筈ですが、この方がたくさんの人に見てもらえるので良いかもしれません。

お城は、もしかすると日本人観光客より多いかもと思える程、インバウンドの外国人観光客の方々がたくさんおられ、街中を歩いてもなぜか松本は(高山と共通ルートで観光する人も多いためか)欧米人の皆さんが目立ちます。
以前、家内と“サムライ・トレイル”馬籠妻籠間や藪原から鳥居峠を越えて奈良井宿までの中山道を歩いた時も、ドイツからの老夫婦のカップルやオーストラリアからのトレッキングのグループの皆さんなどと一緒になりましたが、松本城もそうした“サムライ”人気の一つなのかもしれません。

 喪中故年賀を自粛していた正月ですが、街中の松飾りも取れて昨日で“松の内”も明けましたので、ここに謹んで寒中お見舞い申し上げます。

 昨年の本ブログへのアクセスは、3年前にコロナ禍で皆さんホームワークや家に居ることが多かったための37万件、そして一昨年も35万件と増加した件数には届きませんが、これはむしろコロナ禍からいつもの日常活動が戻ってきたことの証左でしょう。
その昨年は10月に母が亡くなったため、忌中の49日間ブログ掲載を休止したこともあって一ヶ月以上も休止したにもかかわらず、それでもコロナ禍以前を上回る28万件近いアクセスをいただきました。誠にありがとうございました。

 本年もどうぞ宜しくお願い致します。

(掲載した写真は、写真だと少し分かり辛いかもしれませんが、昨年11月28日に雪雲が掛かった西山方面に現れた、“虹と雪のバラード”ならぬ、雪雲に反射する“ダブルレインボー”です。昔から幸運のサインと云われるそうですので、どうぞ皆さまにとっても良い年でありますように!
それと、今年2024年の初日の出です。
マンションの部屋から初日の出が見れることを昨年知り、生まれて初めて外出せずに、家のベランダから初日の出を望むことが出来ました。)

【追記】
元日に起きた能登半島地震。松本は震度4、しかも震源地から離れた長野県中部地方ですが、何故か北陸地方を除き唯一3レベルの長周期振動が記録されるなど、松本も結構長く横揺れが続きました。それにしても、正月元日から大地震に見舞われるなんて・・・。しかも奇跡的に旅客機からは全員が脱出出来たとはいえ、羽田空港で飛行機事故まで起こるとは・・・。
しかし今年は辰年。地の底からでも、昇竜の如く後は昇るだけ!・・・そう信じて頑張るしかありません。
石川県を始め、北陸の被災された皆さま、謹んでお見舞い申し上げます。負けるな!ガンバレ北陸!
【追記その2】
第438話『私たちの時代』-2007年能登半島地震を経て、乗り越えて行った人たち・・・。
当時、2007年に起きた能登半島地震に向き合った門前の若者や地元の人たちのことを記録した、フジTVのドキュメンタリーを視聴して、東日本大震災の後で敢えて掲載した記事です。宜しかったら438を検索してみてください。今度も少しでも参考になれば・・・。

 恒例の信州松本の夏の音楽祭、セイジ・オザワ松本フェスティバル、略称OMF(旧SKF、サイトウキネン音楽祭から名称変更。オーケストラの名称は、音楽祭の名称変更時に同様に検討されたのですが、メンバーの反対でSKOのサイトウキネン・オーケストラのまま)。

 今年のOMF2023は、映画「スター・ウォーズ」などの作曲で知られる映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズが自身の作曲した曲を振る「オーケストラコンサートB」がプログラム発表時から話題を集め、申し込みが殺到することが予想されたため当初からチケットは抽選で、結果実に14倍の倍率だったそうです。
ET、スパーマンといったハリウッドの映画音楽のみならず、1964東京大会のオリンピック・マーチと共に、個人的に過去のオリンピックの中で音楽作品として最も素晴らしいと思うロサンゼルス・オリンピックのテーマ曲もジョン・ウィリアムズの作品でした。そうした作曲の方が有名ですが、彼はオザワ・セイジが長らくボストン交響楽団(BSO)の音楽監督だった1980年に、BSOがオーケストラのシーズンオフとなる夏の間、ポピュラー音楽やファミリー向けコンサートを演奏する楽団であるボストン・ポップス・オーケストラの常任指揮者として小沢が招聘した人でもあり(95年から桂冠指揮者)、その縁もあって今回或る意味“盟友”であるマエストロ・オザワのために、SKOで自身の作品を振るために齢91歳の彼が実に30年ぶりに来日することになりました。因みに、この機を逃さず?か、ボストン・ポップスも10月に来日し、東京と大阪で公演を実施するとのこと(但し、指揮はジョン・ウィリアムズではなく、現首席指揮者であるキース・ロックハートとのこと)。
さて、ジョン・ウィリアムズは評判になった2020年のライブ盤が発売されているウィーンフィルも自身で指揮しており、またベルリンフィルも演奏会で彼の作品を取り上げるなど、最近は世界の主要オケでも彼の作品がオーケストラのコンサートでも演奏されるようになっています。そうした演奏をYouTubeでも現地での熱狂ぶりを含めて視ることが出来ますし、また彼の作品もスクリーン作品のポピュラー音楽としてだけではなく、クラシックのコンサートで演奏されるオーケストラ作品としても近年評価されてきていることが分かります。
 こうした背景もあってか、初めて“ポピュラー音楽”をサイトウキネン・オーケストラが今年のOMFで演奏することになり、しかもそれを実に30年ぶりに来日してジョン・ウィリアムズ自身が振るということもあって、大いに話題になりました。
そのため、9月2日のOMFだけではなく、創立125周年記念としてドイツグラムフォンのガラ・コンサートの日本公演としても、今回の松本と全く同じメンバー&プログラムで9月5日にサントリーホールでも演奏することになり、こちらもチケットは抽選になったそうです。
 そのOMFでの9月2日の大盛況だったというコンサートが、翌3日に地元向けにスクリーンコンサートとして、昼のまつもと市民芸術館と夜の松本城公園特設会場の二ヶ所で開催され、市民芸術館でのコンサートチケットを妹が運良く入手出来たからと誘ってくれて、一緒に聴きに行って来ました。
『オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム』と銘打って行われた前日のコンサートは、前半がジョン・ウィリアムズ90歳を祝うガラ・コンサートの指揮を任されるなど、氏の信頼も厚いステファン・ドゥネーヴ指揮による日本にゆかりのある2曲。当時の皇太子さまと雅子さまのご成婚を記念して作曲された「雅の鐘」と、盟友セイジとボストン交響楽団の4半世紀にわたる濃密な連携を祝して書かれたという「Tributes! (For Seiji)」で幕開けし、「遥かなる大地へ」組曲と「E.T.」から3曲。
そして、後半が御大ジョン・ウィリアムズ自らの指揮で自作の演奏。
「スーパーマン・マーチ」『ハリー・ポッター』より3曲、そしてこの日のコンマスを務めた豊嶋泰嗣氏のヴァイオリン・ソロでの『シンドラーのリスト』テーマ、そして『スター・ウォーズ』より3曲、そしてアンコールに「ヨーダのテーマ」「レイダース・マーチ」「帝国のマーチ」が演奏されました。
 因みに、前半のドゥネーヴもですが、後半もジョン・ウィリアムズが曲の合間にコメントし、その通訳を務めたのが桐朋出身で現在ニューヨーク・フィルのチェロ奏者の工藤すみれ嬢。前半は事前から予定されていた様で、原稿を介しての通訳でしたが、後半は突然の指名だった様で、氏が途中で遮れずに長く喋ってしまって端折って訳したのはご愛敬。でも事前に分かっていたなら、女史には演奏に専念させてあげるべく事務局から通訳を出せばイイのに・・・と思ってしまったのは私だけでしょうか。
微笑ましくはありましたが、後半はチェロの第2プルトでしたので、そこから指揮台横までいちいち出入りされるのが見ていて気の毒でした。
 さて、演奏は後半、ジョン・ウィリアムズが登場しただけで開場の雰囲気もオーケストラの演奏までもがガラッと変わってしまったのが驚きでした。
しかも、ジョン・ウィリアムズ自身のタクトは前半のドゥネーヴ氏の大振りなタクトに比べ、振るのが楽しくて堪らないとでもいう感じで、そのにこやかな表情と共にホンの少し棒先を動かすだけなのですが、それなのにオケの音色が、演奏の熱気が、全く違って聞こえたのが不思議でした。氏のオーラと言ってしまえばそれまでですが、30年ぶりという映画音楽のカリスマ来日での期待が熱気となって会場全体に満ちて、それが演奏自体を盛り上げたのかもしれません。カリスマのカリスマ足る所以でしょうか。
 演奏終了後ジョン・ウィリアムズの「セイジ!」という呼びかけに応え、マエストロ・オザワも車椅子でステージに登場し、その後も更にアンコールの演奏もあって、会場はスタンディングオベーションで大盛り上がり。
そんな昨日の会場の熱さが、タイムトンネルを越えてまるで同時中継で行われているかの様に、こちらの会場まで前日の熱気が伝わって来たのでした。

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