カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 長女がアメリカに帰国する前に、横浜の次女の所に一泊して姪っ子たちに挨拶して行くのに付き添って、奥さまも10日程そのまま定例の“家政婦”での家事手伝いに一緒に行って、終わってから家内の帰るのに合わせて、今度は次女と孫たちが家内と一緒に松本へやって来ました。
婿殿が勤める病院で二度とも出産したため、“里帰り出産”をしなかった次女は、昨年秋に(母の一周忌法要に合わせて)長期で初めて松本に子供と一緒に帰省して来て我が家に滞在し、その間、自分の家とは違って(家内が手伝いに行っている間も少なくとも婿殿の世話は自分でするので)、実家だと全てを親に任せて自分は「何もしなくて良い」快感に“味を占めた”のか、今回は短くて4日間程でしたが、婿殿の出張に合わせて、孫たちは親に任せて自身の育児疲れを癒しに(?)松本へ帰省して来ました。

 前回来た時に娘が事前にネットでチェックして行きたがっていた、“子供連れに優しい”松本のレストランが、前回はちょうどその時に改装中で長期休業していたため、今回の帰省中に“満を持して”事前に予約して、イオンモールでの買い物がてら、ランチに行ってみることにしました。
そのレストランはイオンモール松本の近く、日の出町に在る「ごはんカフェ 和み」という一軒家を改装したカフェレストランで、一階部分が店舗になっています。
ランチの後、イオンモールで買い物予定だったので(アンパンマンなどのキャラクターカートに乗るのが第一目的でしたが・・・)、先にイオンモールに車を停めてから、11時半の予約に合わせて道を挟んだ「和み」に向かいました。
この日は平日でしたが、春休みのためか子供さん連れなどが多く、屋根下の一階部分は既に満車。立駐も混んでいたので、結局屋上へ駐車しました。
先に歩いて11時半に予約したレストランへ向かいました。店舗は4人掛けテーブルが4卓とカウンター、キッズスペース、奥に個室が二部屋。改装前とレイアウトは殆ど同じ(様に思えます)。因みに、畳敷きだった小上がりフロアは改装後カーペット敷きにリニューアルされた由。そして予約の際に子どもの月齢を伝えると、その子に合わせて布団やチェアを用意してくれるのだそうです。
そしてこの個室とキッズスペースには木製のオモチャと絵本などが置かれていて、お母さんたちは子供たちがオモチャで遊んでいるのを見ながらゆっくりご飯が食べられます。
また年齢(月齢)ごとに分けてキッズメニューが数種類ずつ用意されているのもお母さん方にとっては有難いでしょうし、しかも大人向けもですが、素材なども地元産に拘り、体に優しい化学調味料は一切使わない料理が揃っています。そして、最初に運ばれて来たのが水ではなく白湯。そんなところにも気配りが感じられました。
我々は奥の個室を予約してあり、入ると置かれていたキッチンセットなどのオモチャに孫たちは大喜びで、早速夢中で遊びます。


 先ずはメニューを見て、子供たちの食べるモノから注文です。
キッズメニューは7ヶ月以上、9ヶ月以上、11ヶ月以上と細かく月齢で分けたキッズボウルメニューとパンケーキがあり、その中から娘はカボチャのポタージュ、昆布だしと大豆ミートのおうどん、芋もちボール、にんじんのパンケーキをオーダー。キッズメニューを先に運んでもらって、孫たちに先に食べて貰いました。子供たちがお腹が一杯になってまたオモチャで遊んでいる間に、今度は大人たちが食事です。
我々が選んだのは、娘はネギトロアボガド丼は早くも売り切れとのことで、和風タコライス丼(1180円)、家内がメイン3種の中から豆腐ハンバーグを選んでの十六雑穀米と3種のお惣菜プレートレート(1300円)、そして私メが山賊焼き定食(1180円)をチョイスしました。
正直、こちらはキッズメインの様な気がして、大人のメニューには然程期待していなかったのですが、それが「とんだ失礼!をば」・・・でした。
信州の地鶏福味鶏を使用したという山賊焼きは、地元の山賊焼き専門店に負けぬ程美味しかったですし、どのメニューにも新鮮な地元野菜が豊富に使われたサラダが添えられ、また今月のお惣菜という小鉢の人参ラペが実に爽やかで美味でした。山賊焼き含め、三人で少しずつ味見にシェアしましたが、どれも美味しくてコスパ的にも満足でした。

 以前ご紹介した山形村のそば処「木鶏」もそうですが、こちらのオーナーご夫妻も子育て中で小さなお子さんがおられる経験からなのでしょう。木製のオモチャや本だけではなく、そこかしこに小さな子供連れの若いお母さん方への、「安心してお子さんと一緒にゆっくり食べて行ってください」という暖かな配慮が感じられました。この日もそうでしたが、子供連れのお母さん方に大人気というのも大いに納得出来ました。
中には「小さな子供お断り」という店も結構多い中で、自分たちが今そういう環境であるからこそ感ずることではあるのですが、少子化対策を声高に叫ぶのなら、松本にもこういう子連れに優しい( 更にはペット向けも同様の環境なので、軽井沢の様な Dog Friendlyな)お店がもっともっと増えれば良いのに・・・とつくづく思いました。

 年末に松本市のH/Pにある「市長への手紙」コーナーへ私がメールさせていただいた、「源智の井戸」の清掃活動についての窮状を訴える投書。
それを市長がご自分で直接読まれ、「現状と課題を整理する様に」とご自身で呼ばれて指示されたのが、井戸本来の担当課ではなく、「地域づくり課」の課長さんと「源智の井戸」のある町会のエリアを担当する「第二地区 地域づくりセンター」のセンター長さんでした。
因みに、「地域づくり課」は松本市の地域づくりの推進と市内35ヶ所の各「地域づくりセンター」を総括する組織であり、その統括下で、各地域の課題の把握・集約・解決に向けた支援と地区関係団体の育成、支援、相談対応をする中で、市と地区関係団体等との連絡調整など各地域の実情に応じた具体的な活動を実際に行うのが、市内35ヶ所に設置されているという「地域づくりセンター」です。

 正月休み開け早々に課長さんから私に直接電話でご連絡を頂き、私と会って実際の状況を直接確認したいとのことでしたので、その数日後にちょうど井戸清掃が予定されていたことから、私にヒアリングされるよりも、ずっと活動をされて来た地元町会の方々に話を聞かれた方が良いのでその旨申し上げ、私が地元有志の方々とを仲介調整した結果、1月中旬の朝7時からの清掃活動を実際ご覧頂いて、その後、「源智の井戸」の在る地元町会の町会長さん、そして清掃活動に毎回参加されてきた86歳の代表者を始めとする地元有志4名の方々と、部外者ではあるのですがボランティアで参加している私も町会役員の方からの依頼もあって、清掃後の話し合いに一緒に同席参加させて頂くことになりました。
そして、その後も井戸の担当課の方々も含めて三回程会議を重ねた結果、市側と地元町会の皆さんとの間で以下の三つの内容が確認、合意されたのです。
 先ずは、市側の来年度予算が通りそうなので、4月以降は専門の業者に委託して月2回「源智の井戸」の清掃業務を実施する。
一方で、松本市も少子高齢化とドーナツ化現象で市の中心街の人口が減っており、人手の無くなってしまった地元町会は清掃活動から“卒業”し、その代わりに日頃の井戸の様子は地元に住んでいないと把握できないため、町会長はじめ地元の方々に出来るだけお願いして、気の付いたことを市の担当課へその都度連絡いただく。
また、月2回の清掃だけでは特に藻の繁殖し易い夏場はカバーしきれない可能性もあるため、清掃活動のボランティアを募集して、業者清掃と並行して4月以降も継続的に月一回定期的にボランティアに依る清掃活動を実施する。
 以上のことが、市、地元町会間で合意され、早速地域づくりセンターが中心となって、ボランティアの募集活動をスタートしました。
市のH/Pでの告知、「源智の井戸」周辺にも募集のチラシを貼って、二次元コードや電話でのボランティア参加の申し込みを開始した結果、責任を感じた地域づくりセンター傘下の各町会長連合会の有志の方々も含め、私の様な「源智の井戸」で水を汲みに来ている利用者など、合わせて20人近い申し込みがあり、私も参加しているこれまでの有志での3月に行う2回の清掃活動に、今回実際申し込まれたボランティアの皆さんにも実地見学と試しに清掃活動にも参加して貰って、引継ぎを兼ねて、今後の清掃活動への理解と参考にしていただきました。
そして、その様子は地元紙やタウンペーパーにもニュースとしても取り上げていただいたので、今後に向けて少なからぬPRにもなりました。
 30数年間も自主的に「源智の井戸」の清掃を続けて来られたという有志の会のお仲間が高齢化で次第に抜けて、遂に86歳の会長さんたった一人になってしまったのを見るに見かねて、去年の5月から手伝うようになった井戸のすぐ近くにお住いの高齢のご婦人。そして「高齢のお二人だけに任せてはおけない」と、有志で昨夏7月から参加された地元町会の役員のお二人。更に、その窮状を伝える地元紙の記事を9月に見て、長年タダで水を頂いてきた利用者としては居たたまれずに直ぐに市役所にメールしたのですが、その後3ヶ月も経って会長さんを紹介され、連絡を取って12月の清掃から加わった私メ。合わせて5名の「井戸と花の会」。
その清掃活動を通して、これまでの「源智の井戸」の維持管理に関する経緯経過について、朝7時から地元町会の有志の皆さんと一緒に掃除をしながら、色々とお話しを伺って一番驚いたのは、部外者の私などは「井戸は地元町会の宝の筈」と勝手に決めつけていたのですが、確かに“歴史ある文化財”としての存在自体は“町の誇り”かもしれませんが、井戸周辺の殆どのお宅にはそれぞれご自分の井戸があって、この「源智の井戸」の水は利用したことも無いし飲んだことも無い・・・という、10年来わざわざ車でドリップ用の水を隔週で汲みに来ている私にとっては、或る意味“衝撃的”な事実でした。
そこで、この「井戸と花の会」メンバーでの清掃活動が最後になる3月。その日の朝6時半に家を出る前に、「源智の井戸」の水で淹れたコーヒーを保温水筒に詰め、一緒に紙コップも持参して、掃除の後にこれまでの清掃活動の労いへの乾杯代わりに皆さんに飲んでいただきました。すると、口々に・・・、
 「へぇ~、初めて飲みましたけど、本当にコーヒー美味しい!」
 「そうでしょう?そうなんですヨ!」
皆さん「源智の井戸」の水で淹れたコーヒーの美味しさに、一様に驚かれていました。
そんな「源智の井戸」の水を“使いもしないし、飲んだことすら無い”という地元の方々が、井戸自体の清掃だけでなく、時に観光客などが水を汲んで飲んだペットボトルや食べたゴミなどを捨てて行くのを片付けるなど、井戸の周りもキレイにして、ずっとこの井戸を守って来られたのです。
しかも、この「源智の井戸」だけが「まつもと城下町湧水群」の中で唯一の硬水なのですが、筑摩山系から流れ出る幾つもの河川により形成された複合扇状地である松本盆地で、この辺りに自噴して来る湧水は地下に様々な水脈があるらしく、湧水群や各家庭の井戸のどれ一つとっても水質や味が異なるのだとか。
松本市内で地下水や温泉開発を手掛ける地元企業「サクセン」という会社のH/Pに依ると、
『昭和63年、サクセンにて(松本市からの委託を受けて)この井戸の復元工事に携わり、古くから名水として利用されてきたその理由には周辺とは違う水質にあることがわかりました。源智の井戸の湧出量は毎分約200リットル、水温はサクセン計測実績から平均15.5度の自噴井戸です。水質硬度は113mg/Lです。(硬度=水質を表すひとつの指標で、水に含まれているカルシウムとマグネシウムの総量のこと)源智の井戸の水は軟水の多い日本では珍しく、硬水系の天然水と言えます。』
(注記:市の保健所に委託し、毎年調査して開示されているデータとは数値は異なります)
会長さんなど地元の長老さん方のお話に依ると、一度井戸が枯れてしまい、市指定の文化財だったこともあって、市に陳情して昭和63年(1988年)に井戸の採掘作業をして貰い、従来よりもかなり深く、地下50mまで掘り下げたのが現在の「源智の井戸」なのだそうです。
同じエリアであっても掘る場所によっても水脈は異なるでしょうし、深さによっても当たる水脈も異なる筈。ですので、「源智の井戸」のすぐ隣の瑞松寺や道路を挟んだ眼科医院にも井戸があって水を汲むことが出来るそうですが、そんなに近くても「源智の井戸」とはまた味が違うのだそうです。
 複合扇状地に位置する松本市には、「源智の井戸」を始めとする平成の名水百選に選ばれた「まつもと城下町湧水群」の湧水や井戸が20数か所あるのですが、その全てが市中の狭いエリアに集中しているため、市から維持管理を委ねられている地元町会(注記:例えば湧水群の中には、「源智の井戸」の様な戦国時代からの古い井戸や湧水ばかりではなく、中心市街地再開発に伴い、地元町会が維持管理することを条件に平成の「水めぐりの井戸整備事業」で市が採掘した西堀公園内の「西堀の井戸」などもあります)は、少子高齢化の中で、遅かれ早かれ「源智の井戸」と同じ状況に陥ることは必定だと思うのです。
               (西堀公園の「西堀の井戸」)
その時に「源智の井戸」だけを市が清掃業者に業務委託するということは、今は可能であっても、将来的に20数か所全てを業務委託で対応することは予算的にも市政として無理であり、少子化とそれに伴う人口減少を前提にそうした将来展望をふまえると、もし予算化が無理なら“金を出さずに知恵を出す”ことで、地元の方々も含めて利用者など市民に依るボランティアでの清掃活動を水平展開していくことが必ず必要となる筈なのです。
そのためにも、市側は今回の「源智の井戸」の清掃ボランティアの募集や運営をモデルケースとして、例えば掃除用具の購入一つとっても、湧水群の維持管理に関して今後発生するであろう大小様々な課題や問題に対処していくことが、ひいては松本市の観光資源でもある「まつもと城下町湧水群」を、本当の“市民の宝”として市民自らの手で守っていくことに繋がることと確信しています。
勿論、一朝一夕で達成出来る訳では無く時間が掛かるでしょうけれど、そうなるためにも、10年来、そして今後も隔週で美味しい「源智の井戸」の水を我が家のドリップ用に戴いている利用者の一人として、少なくとも体が動ける間は私自身もボランティアの一員として今後も引き続き「源智の井戸」の清掃活動に参加させていただくことにしました。

 そして、この4月5日。今回の募集で集まったボランティアに依る、第一回目の「源智の井戸」清掃が行われたのです。朝7時に10数人集まっていただき、手分けして清掃作業を進めます。中には防災備品として災害用に購入したというポンプを台車に載せて運んで来てくださった第二地区の役員の方がおられ、ジョレンやブラシで擦って浮かせた藻を金網ですくうのと並行して、藻の混ざった汚れた湧水を一気に汲み出し、湧き出て来る新鮮な湧水に入れ替えたのですが、“三人寄れば文殊の知恵”ではありませんが、人数が多ければ色々なイデアが出るものだと感心しました。また、これまでは有志5人での清掃活動でしたが、10数人もいれば今までは手が回らなかった井戸周辺の水路までデッキブラシで擦って掃除することが出来たので、見違え得る様にキレイになりました。
今回のボランティアは「先ずはやってみよう!」で、多少“走りながら考える”的なスタートではあったのですが、そこは“巧遅は拙速に如かず”で、考えることも重要ですが先ずは“Do=行動すること”の大切さを改めて感じた次第です。
市の担当課の方に依ると、業者の選定も決まり、エクステリア専門業者が4月から月二回清掃に入ることが決まったとのこと。従って、我々ボランティアと合わせて概ね10日毎に計月3回の井戸清掃が行われることになりました。
 今回、地元紙の報じた記事をきっかけに、地元町会の有志の方々と知り合う中で、例えば備品の掃除用具のたった一つの購入でさえ、これまで市の担当課との折衝に長年苦労されて来られたが故に、今後の市側の対応についても地元の皆さんは「何を言ってもダメせ・・・」と非常に懐疑的でした。
しかし、そうした苦労を直接知らぬが故に、「どうせ“ダメ元”でも・・・」と私の投じた市長への一通の投書メールだったのですが、結果として“瓢箪から駒”で、それが一つの小さな切っ掛けとなって、松本市民の宝でもある「源智の井戸」が市民自らの手に依って今後の維持管理に繋がっていくのであれば、たまたまその一石を投じた人間としてこんなに嬉しいことはありません。
そして願わくば、10年後、20年後、私たちが動けなくなっても、次世代の人たちにこの「源智の井戸」の清掃ボランティア活動がしっかりと引き継がれていかれんことを・・・。

 長女が松本滞在中に、久世福と無印でNYのお友達へのお土産とNYで使う日用品を買いたいとのことで、パルコは2月末で閉店してしまったため、大混雑する週末を避け、多少はまだマシな平日にイオンモールに出掛けました。
 ちょうど昼時だったので、買い物が終わってからそれぞれが好きなモノを選べるフードコートでランチを食べてから帰ることにしました。
イオンモールにはフードコート以外にも専門飲食店街もあるのですが、フードコートには色んな店もあるのでそれぞれ自分の食べたいモノが選べますし、時間が無い時などはセルフでささっと食事を済ませられます。また座席数が1000席と兎に角広いので、何より小さなお子さん連れにとっては、少し離れた席に座って子供たちが多少騒ごうが泣こうが周りに余り気兼ねせずに食べさせることが出来ます。ですから特に子育て中のヤングファミリーの皆さんには、市内では数少ない子供連れで安心して外食が出来る人気のエリアです。
こちらのフードコートで食べる時には良く利用していた(松本で長崎チャンポンは他では食べられないので)リンガーハットは残念ながら撤退してしまいましたが、10数店舗ある中から母娘は「小木曽製粉」のお蕎麦にするとのこと。しかし私メはせっかくの機会ですので、「凌駕IDEA」でラーメンを食べることにしました。こんなことでも無いと、独り以外の時にラーメンなど食べることが出来ませんから・・・。
(写真はH/Pからお借りしました)。

 この「凌駕IDEA」は、煮干醤油ラーメンを看板にニボジローなど、松本市を中心に長野県内に多店舗を展開する地元で人気の凌駕グループのメインブランドで、イオンモールのフードコートにも出店しています。
数組行列でしたが、ラーメンなら早かろうと思ったのですが、ワンオペではなく(但し、調理とトッピングは若い女性スタッフ一人で切り盛りされています)4人程スタッフがいるのに、結構時間が掛かりました。
選んだのは、イオンモール店限定という「松本ブラック」(800円)。大盛り無料とのことで、有難く大盛りでお願いしました。呼び出しベルを渡されて順番を待ちます。4~5番目だったかと思いますが、思いの外時間が掛かり、途中で家内が心配して座っている席を知らせながら見に来ました。
計った訳ではありませんが、サーブされるまでに10分以上掛かった様に感じました。
 さて、こちらの「松本ブラック」。その名の通り、黒いスープ、刻みネギ、チャーシュー、メンマ、最初から振り掛けられている粗挽き胡椒。カウンターにもブラックペッパーが置かれていたので、“追いコショウ”で更に追加して振り掛けました。
スープを先ず一口啜ると、凌駕らしくいきなり煮干し風味が感じられます。黒い色程スープは濃くはありません。麺はスープに良く絡む中細麺の縮れ麺。
 「ウ~ン・・・」
個人的には、やはり煮干しは好みではない様です。やはり鶏と豚のスッキリしたガラスープの方が好きだなぁ・・・。

ラーメンで「松本ブラック」と称するのは、同じ松本の駅前通りにある「マルキ商店」にもあって、以前食べたそのマルキ商店の「松本ブラック」(第1717話)は、鶏と豚から摂ったガラスープをベースにした、焦がし醤油の真っ黒なスープで、色程に濃くは無く、勿論十分に塩気はありますが、むしろ塩味よりは甘味を感じました。一杯に盛られた九条ネギという青ネギの下の麺は細めのストレート麺でした。
但し、個人的に“ブラック”のイチオシは、「ブラック」と名乗っている訳では無いのですが、やはり“元祖”京都ラーメンの名店「新福菜館」の黒いスープの中華そばと、その醤油を使った黒いチャーハンでしょうか。
              (東京麻布十番の新福菜館にて)
 因みに、凌駕グループでは複数ブランドを展開する中で、最近松本市内の元町に、豚ベースの京都スタイルのラーメンという、黒醤油のコクと風味が香る「中華そば 焼きめし やま本(ヤマモト)」をオープンしたとのことですので、“京都ラーメン”を代表する新福菜館か第一旭のどちらか寄りかは分かりませんが、もし京都風のラーメンがここ松本で本当に食べられるのなら、行ってみる価値がありそうです。ですので、むしろ私メが食べるべきは「凌駕IDEA」の松本ブラックではなく、同じ凌駕グループの「やま本」の黒中華そばなのかもしれません。

 昨年の2月に渡米してからちょうど一年振り、二月末に長女が久し振りに帰国して来ました。
NY本社のポストに応募し、社内外の志願者の中から見事合格したのですが、社内での移動になるため、東京支社からの“転勤”扱いで昨年2月に日本から渡米して丸一年。米国の会社ということが大きかったのでしょうが、予想以上に早くグリーンカード(米国永住権)が取得出来ました。
申請期間中は海外出国すると申請が無効となるとのことから、中には10年以上も国外に出られなかったという移民の人も多いそうですので、彼女の場合は何よりでした。しかも、夫人は26歳でNYに移民して来たスロヴェニア人ですし、また今回は南アフリカからの移民の実業家である民間人を自身は重用しておきながら、移民政策に否定的な某大統領就任前に取得出来たのはタイミング的には尚更でした。
実際に、昨年まで彼女が東京勤務の時に住んでいた麻布台のマンションに行った時に、偶然近くのコインランドリーで会った米国在住のインド人のITエンジニアは、グリーンカード所得までに10数年掛かったそうで(インドと中国本土からの移民申請には、永住権取得までにかなり時間が掛かるとのこと)、その時は10数年振りの海外旅行に念願だった日本にやって来たと言っていましたから。
その彼女が東京での仕事や友人との久し振りの面会を済ませてから、10日間程でしたが松本にも久し振りに帰省して来てくれました。

 滞在中、久し振りの“母の味”は勿論ですが、その間“親子水入らず”(この場合のオヤコは“母娘”と書きます)で、美ヶ原温泉の我が家イチオシの料理旅館「金宇館」一泊して温泉と懐石コースを堪能したり(私メはコユキとクルミがいて宿泊出来ないので、今回は食事も断念)、他にも松本滞在中に外食を楽しんだり・・・。その間の彼女のリクエストは、お土産と叔父叔母への挨拶がてら「そば処 丸周」での十割蕎麦も含めて、勿論毎日和食オンリーでした。
 その中の彼女のリクエストの一つが、最近の鰻の評判店という松本「うなぎ すっぽん 山勢」でした。
私が少なくとも知っている個人的な“極々狭い”ウナギの世界の中で云うと、例えば東麻布飯倉の「野田岩」や成田山参道の「川豊」、そして長野県内では諏訪の「小林」や松本の「まつ嘉」などといった老舗の鰻の名店に伍して、最近ネットのグルメサイトのジャンル毎の百名店に選出されるなどして富にその評判を高め、今では全国的にも鰻の人気店という評判を得ているのが、ここ松本の「うなぎ すっぽん 山勢」なのだそうです。
以前は松本駅からすぐの新伊勢町に店を構えていて、松本で開業してからまだ10年も経っていない筈ですが、そのグルメサイトの全国“うなぎ百名店”に選出されるなどして評判となり、2年程前に松本市大手の旧善光寺街道沿いの東町通りに面した元呉服店を改装して移転。
我が家でも、松本駅前に在った頃から娘たちの話題に挙がることはあったのですが、これまで一度も食べに行ったことが無く、今回長女のリクエストで初めて行ってみることになりました。
当初はランチに鰻重かと個人的には勝手に思っていたのですが、母娘曰く、「せっかく山勢に行くのならば・・・」と、“キヨミズの舞台”ではありませんが、鰻のコース(15000円+サービス料10%)にするとのこと。
そこで、平日の夕刻に(奥さまが)予約をして出掛けました。


 松本は前日からの“上雪(カミユキ)”(注)がまだ道路の脇に残る中、上土のコインパーキングに車を停め、一筋東側の通りに歩いて向かいました。そこは旧善行寺街道の旧町名で“東町”という界隈で、和食とフレンチ「ヒカリヤ」の斜め対面にその店はありました。
「山勢」の新店舗は京町屋を彷彿させるような建物で、シンプルながら和モダンに改装された店内には、見事な欅の一枚板のカウンター5席と4名掛けの立派な無垢の樺材(カバザクラだそうです)で仕上げた特注のテーブル2卓という、シンプルながらもゆったりとした配置(H/Pからも写真を拝借しました)。
そして、大きなサッシからは中庭が望め、この日は昨日から今朝まで降り続いた今年初めての降雪で、窓越しの中庭は真っ白く一面雪に覆われていました。
カウンターの一枚板と、食卓に使われている厚いカバザクラの板材が目立つのですが、それもその筈。こちらのご主人は、元々美大を卒業した後、松本民芸家具で家具職人を目指したという異色の経歴で、その後都内の有名鰻店で修業を経て、気に入っていた松本で独立したのだとか。
 この日は既に二組の先客がおられ、カウンターに観光で来られた雰囲気のカップル、テーブル席に県外からのご夫婦のお客さんを接待されているらしい地元のご常連と思しき一組がおられ、我々もテーブル席に着いてほぼ同時にコース料理が開始。どうやら皆さん同じコースの様です。

この日の山勢の「うなぎコース」は、
・ボラの刺身
・たたき牛蒡の胡麻和え
・肝焼き
・白焼き
・うざく
・蒲焼
・御飯、鼈のスープ(味噌汁に代えてのサービス)、香の物
 最初のボラの刺身。初めてボラを生で食べましたが、カンパチの様な感じなのですが、それ以上にねっとりしていて初めての食感でした。奥さまは脂っぽい刺身が苦手なので、一切れ試しただけで残りは娘と私が頂きました。それにしても、松本で今ではボラの刺身が食べれるとは、流通も発達したもの・・・。驚きました。
たたき牛蒡の胡麻和えは、少し酢を利かせているのか、味付けも食感も楽しめて大変美味しく感じました。
続いての肝焼きは、肝だけではなく身も串に刺している様です。とにかく口の中で脂が溶ける様に柔らかい。そして肝の苦みが実に美味。
因みに「山勢」では、他のウナギの老舗が拘る様な備長炭での炭火ではなく、常に均一にムラ無く焼けることから、電気コンロを使用しているのだそうです。そのため炭の燻された香りが身に付かないので、味が“キレイ”に仕上がるのだとか。
また、鰻の白焼きも蒲焼も関東風に蒸さずに、ここ松本では珍しく関西風に地焼きするにだそうです。そのため、皮目はパリッしていて香ばしく、蒸していないので身は脂が溢れんばかりにとろっとする由。但し開くのは、関西風に腹ではなく関東風に背から。
次に、その白焼きです。関東の鰻屋さんの中には、白焼きも蒸して焼くところもありますが、「山勢」では白焼きも蒸さずに開いてそのまま焼いているので、確かに想像以上に脂が載っています。皿に盛られた、塩、わさび、レモン、醬油など、お好みの味でとのことですが、個人的には生わさびが一番合う気がしました。ただ余りに脂っぽくて、何だかもたれてしまいそうで、個人的には普通のもう少しあっさりした白焼きの方が、蒲焼とのコントラストでいうと、むしろ好対照でコース的には良いのではと思うのですが、果たして・・・?
次は箸休め的に、うざく。パリッとしたうなぎ、もずく、シャキシャキした千切りのミョウガ。そこに振り掛けられた煎りゴマが良いアクセントで香ばしい。それらの食感の組み合わせが楽しく、合せ酢の塩梅も絶妙でした。
続いて、ご飯とお汁と香の物が出され、メインの地焼きの蒲焼です。
蒲焼とご飯は別々に供されるので、お好みでご飯に載せて鰻丼風にしても食べられますし、ツヤツヤと粒が立ったご飯はお替わり自由とのこと。鰻丼や鰻重の様にタレをご飯にまぶすよりも、鰻そのものがかなり脂っこいので、却って白飯と食べた方がくど過ぎず良いかもしれません。
この日はサービスで、お好みで味噌汁を鼈のスープに代えていただきました。
コースに合わせてのこの日の飲み物は、家内はジャワティー、娘は店お薦めの赤ワイン、私メがビール中瓶と地元塩尻の美鈴々酒造の特別純米「みすず」を冷酒で。
奥さまもですが、食べ終わっての感想は、蒸さずに関西風に地焼きした鰻を初めて頂いたのですが、白焼きもかば焼きも年寄りには些か脂っぽくてもたれてしまいましたので、個人的にはむしろ関東風に蒸して焼いた鰻の方がイイかも・・・と感じた次第。「山勢」の鰻は、若い方々にお任せしたいと思います。
それに、いくらコースとはいえ、一人2万円近く払うなら、松本だったら「まつ嘉」や「観光荘」で特上の鰻重を三回食べた方がイイかな・・・と、“庶民”の年金生活者にとっては「山勢」は少々贅沢過ぎるのでは・・・と思ってしまいました。

 「山勢」のご主人は、料理人というよりむしろビジネスマンとして“やり手”の様で、中町に全くジャンルの異なる「と亀 」という、餅、おかき、おこわと中華ちまきの持ち帰りの店もオープンさせて話題になっていて、今回娘も寄りたがっていました。しかも、近々NYでも販売を開始するそうで、NYの店舗の場所を確認するなど、ご主人との話で盛り上がっていました。
因みに、娘は東京での外資系コンサル時代も含め、麻布台に住んでいた時にも、すぐ近くの飯倉「野田岩本店」で、会食やプライベートでもそれこそ老舗の有名店の鰻を何度も食べている筈ですが、終ってからの会話の中で、今回のコースの中で一番美味しかったのは・・・?という問いに、娘も私も選んだのが「たたき牛蒡」だったのにはお互い笑ってしまいました。

【注記】
日本海側の影響を受ける大町・白馬や飯山・野沢温泉と云った北信地方と異なり、同じ長野県でも太平洋岸の気候の影響を受ける中南信の松本諏訪地方は、冬型の季節配置が崩れて関東地方に低気圧が発達する春先になる頃に降る「上雪(かみゆき)」と呼ぶ降雪が本来。従って、上雪が降れば、“春の遅い信州”にも春がそこまで近づいている証拠。

 12月から毎月2回参加している、ボランティアでの「源智の井戸」清掃。
清掃活動の内容は、ブラシを使い八角形の木枠で組んだ “井筒”の中と、井筒から流れ出る毎分200リットルの8箇所の水口の両側からブラシを中に突っ込んで磨き、付いている藻を擦って落とします。
また小さな刃の鋤簾(じょれん)で井筒の中の玉砂利をかき回すようにして石に付いた藻を浮かせ、それを柄の付いた金網のザルで丁寧にすくい取ります。更に井戸の木枠の井筒の外側に緑色の水カビが繁殖して木を腐らせてしまうので、金タワシで“こ削ぎ”取ります。同様に水路にも藻や水カビが繁殖しているので、デッキブラシで擦って落としていきます。
更に井戸の周囲の雑草や落ち葉、ゴミなどを拾います。これらをメンバーで手分けして行います。通常の清掃そのものだけなら、落ち葉や雑草の無い冬場は30分から40分位で終了します。


冬は夏に比べて藻の繁殖力が弱いので、月二回。繁殖が盛んになる夏は月に三回清掃をするのと、春の桜の咲く頃や秋の落ち葉の時期は、井戸の中に舞い落ちた花弁や落ち葉をそのまま放置していると腐ってしまうので、清掃の時だけではなく、近所にお住まいの方が気付いた都度浚っているのだそうです。
また。井戸を覆う庵に張り巡らされた注連縄も、吊るした白い紙「紙垂(しで)」が風でちぎれたりするので、ほぼ毎月取り換えています。年末の大掃除の時には、注連縄はお正月に向けて全て新しく張り替えられました。
地元の宝である「源智の井戸」を誇りに感じ、これまでこうした清掃作業を何十年と続けて来られた地元有志の方々が、皆さん高齢化で次々とリタイアし、唯一残った86歳の会長さんを一人のまま放っておけず、見るに見かねて昨年の夏から参加されたという地元町会の有志の方が三人。全員60代以上、会長さんと併せて4人の皆さんを紹介されて、私もお仲間に加えていただきました。
余談ですが、驚いたことにその内のお一人は附属小で次女と同じクラスだった女の子のお母様で、家内とは女子高の先輩後輩ということもあって、附属時代のママ友のお一人だったのです。そして、その方のご主人は逆に私メの高校の先輩で、音楽部の先輩を通じて知り合い、会社員時代に長野市での会議があると、銀行にお勤めで当時長野市内の支店に勤務されていたその先輩と、会議が終わってから待ち合わせて何度か一緒に飲んだこともあり、従ってお互い夫婦同士が知り合いでもありました。
 そんな偶然の再会もありましたが、ご一緒に清掃に参加させていただいて、皆さんからお話を伺う中で、少しずつ松本市内の湧水群の歴史経過とその置かれている現状が見えて来たのです。
それは、私も松本市民の一人でありながら、ただ水を頂いている時は全く知り得なかった内容でした。そんな状況を見るに見かねて、松本市役所のH/Pにある「市長への手紙」欄に状況を知っていただくべく投書してみることにしました。
というのも、以前にもアルプス公園の展望広場からのせっかくの北アルプスの景観が、雑木が伸びて絶景が台無しになっているのを残念に思い、松本市役所の「市長への手紙」に雑木伐採をお願いしたところ、担当課から「予算の関係で2年くらい掛けて対応していくので、少し時間的容赦を頂きたい」との回答があり、実際その一年後位から数年掛けて、それまで景観を損ねていた立ち木の伐採がちゃんと行われたことがあったのです。
そんな提言をメンバーの方に投げ掛けてみたのですが、会長さんは市の担当に毎年頼んでいるがこれまで何も改善がないとのこと。また有志で参加されている町会役員の方も、「(行政の積極的な関与を)頼んでも、これまでは予算が無いの一点張り」とのことで、効果にはかなり懐疑的でした。しかも、掃除用の道具が壊れたので交換すら来るまでに数ヶ月かかったりするので、待ちきれず自腹で購入したこともあったとのこと。どうやら何年にも亘る担当課との折衝や交渉のやり取りで皆さん疲れてしまい、今ではもう諦めにも近い感情をお持ちの様でした。
そこで、どうせ“ダメ元”でも・・・と、年末に「市長への手紙」欄に、飽くまで私個人の名前で投書を送ってみました。以下がその内容です。

『12月からボランティアで源智の井戸の清掃活動に参加させていただいている者です。これまで善意で活動をされて来た方々が高齢化で続けるのが難しくなり、現在は町会の有志の方が加わって全部で4人で活動をされています。井戸そのものは文化財として市の所有になっており、これまでも何度も市の担当課に申し入れをしておられるそうですが、予算が無い等で全く進展が無く、皆さんもこれ以上善意での活動が無理とのことから、この年度終わりの3月末を以って清掃活動を止めるとのこと。
源智の井戸は戦国時代からの“当国一の銘水”として、また「平成の名水」にも選定されている「まつもと城下町湧水群」の代表格の井戸として、松本市並びに市民の宝でもある筈です。
仮に予算が付いても、それは清掃業者に外部委託するとのことですが、どこまで“おらが宝”として親身になって清掃がされるのでしょうか。しかし、もし予算が無いなら知恵を出して、市が工夫してボランティアを募るなりボランティア団体を組織するなり、そうした工夫をすることがなぜ出来ないのでしょうか。
私は10年以上も、我が家のコーヒーのドリップ用に、源智の井戸の水を月2回程汲みに行ってタダで戴いて来ており、9月頃だったか市民タイムズの窮状を報道する記事を見て市役所の広報課宛にメールをしたのですが、ずっと連絡も無かったので、きっと市や町会等で何らかの改善があったのだろうと勝手に思っていたところ、11月末になって担当課から突然電話をいただき、これまで清掃活動を善意で継続されてこられた代表の方の電話番号を教えられ、連絡をして先述の様にこの12月から清掃活動に加えさせていただきました。
以前は沢村におりましたが、終活で戸建てを売って現在は渚のマンションに引っ越しており、昔は車でないと無理でしたので、せめてお水のお礼にと行った際に祠に僅かばかりのお賽銭を入れるくらいしか出来ませんでしたが、今なら歩いて行くことが出来ますので、少しでも水のお礼になればと参加させていただいた次第です。
しかし、町会の方々も昔から何度お願いしても何も改善されなかったことから、遂にこの3月で善意での活動を止めることになったとのこと。
この松本の、そして市民の“宝”である(城下町湧水群として観光資源でもある筈の)この源智の井戸をどうか守ってください。是非、金が無いと言うだけではなく知恵を出してください。そしてCivil Servantとしての義務を果たしてください。松本市民の一人として、何卒宜しくお願いいたします。
以上、有志の方々の窮状を見るに見かねて、この現状を知っていただきたくメールをさせていただきます。』

 「市長への手紙」をお送りしたのがちょうど市役所が年末年始休暇に入った日だったため、年明け早々に担当課とは別の部署の課長さんからご連絡を頂きました。最初お電話を頂いたようなのですが、私が外出中だったため、その後メールでのやり取りになりました。
私は、どうせ先ずは秘書課が内容を見て担当課に振り分け、その担当課が回答を作って市長に報告がてら回答内容も確認するだけだろうと勝手に思っていました。それでも市長まで課題が届けば、先ずは一歩としての前進になるだろうとも・・・。
するとそうではなく、市長自身で「手紙」の内容を読まれ、担当課でこれまでは対応が進んでいなかったこともあり、市長が直接別の課に連絡をして、先ずは課題と現状を整理する様にご自身で指示をされたとのこと。そのため指示を受けた課長さんが、投書主である私に実際に会って話を聴きたいとのことだったのです。
しかし、私自身は飽くまで部外者であり、これまでの経緯経過を知る地元の方々と会われた方が良いので、数日後にちょうど清掃活動があることから、先ずはその様子を実際にご覧になって、その有志の方々にヒアリングをされたらどうかとお願いをしたところ快諾され、早朝7時からの清掃時間に来られることになったのです。

 予算の紐付けが無いと(しかし、仮にその予算が付いても、それは全て外部の業者任せ)何も始まらないという如何にも“お役所仕事”の体質には、もしお金が無いのならどうして知恵を出さないだろうと思わざるを得ません。
また担当者が課題は認識していながらボトムアップではなかなか事が進まなかったのが、いざトップダウンだと即座に物事が進みだすという現状に、嘗て民間企業にいた人間としては些か疑問を感じないではありません。
しかし乍ら、そうは言っても、「市長への手紙」による市長のトップダウンにより、例え僅か数ミリではあっても、少なくともこれまでは錆び付いていて全く動かなかった歯車が、少しずつではありますが、音を立てて回り始めたのでした。

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