カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 横浜の次女の所に“家政婦”に行っていた奥さまが、2月末の三連休明けに戻られて来るので、JR松本駅に迎えに行きました。
すると、改札を出てお城口とアルプス口を東西に繋ぐ自由通路に、大きなゴジラ像が置かれていて、観光客の方々がスマホで写真を撮っていました。

 このゴジラ像は、昨年松本市庄内地区の住民有志でつくる「庄内盛々会」の方々が手作りした高さ3.5メートルのゴジラ像で、昨年5ヶ月を掛けて作成され、10月から庄内地区の公民館に展示されていたものだそうです。
松本出身の山崎貴監督による映画「ゴジラ-1.0」が2024年に米国アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した快挙を祝って、松本出身の山崎貴監督への敬意を込めて、庄内地区の有志の方々が段ボールやベニヤ板、新聞紙で作った粘土を使って作製したとのこと。
 その製作費用は「松本市地域チャレンジ応援事業補助金」を活用したそうですが、これは『持続可能な活力ある地域社会の実現に向けて、地域の自主的・自発的な地域づくり活動を支援するため』に今年度から松本市が3年間限定で制定した補助金制度で、町内会の『町会の課題解決や活性化を図る新規の取組みであって、他町会の参考となるような先進性が認められる事業』や、地域の住民団体などに依る『地域コミュニティの醸成や地域の魅力向上等を通じて、地域に新たな活力を生み出すことを目的とする事業』がその応募対象になっていて、1事業につき20万円を上限に募集され、結果両方合わせて、40事業が採択されました。
因みに、我々「源智の井戸」の清掃ボランティアである「源智の井戸を守り隊」もお陰さまでその審査を通り、清掃の際に井戸の水を吸い出す水中ポンプと発電機、更にボランティアの皆さんの万が一に備えての障害保険を付保するための年間保険料などを補助していただくことが出来ました。
庄内地区の有志の皆さんは「地域の子供達と高校生、大人が主に廃材を利用して協同製作することによって、環境問題の意識を高め、地域の世代間の絆を深める」ことを目的に、このゴジラ像の制作事業を申請し採択されて、補助金交付を受けたものです。
 そのゴジラ像は、庄内公民館での展示を経てJR松本駅の自由通路に搬入組み立てされて、2月21日に松本駅長と松本市長等も出席されて除幕式があり、一般にお披露目中とのこと。
これまでの何作もの映画の中でゴジラが破壊してきた有名な建物は、国会議事堂や東京タワーなど首都圏だけに留まらず、大阪城や名古屋城も壊しているのですが、これをきっかけに、もしかすると山崎監督が「ゴジラ-2.0」(?)のまたメガホンを取って、今度は松本城を壊すのかも・・・などと、松本に現れたゴジラを見ながら想像してしまいました。

 何の“前触れ”もなく、2月になって日本経済新聞の1面と最終頁(紙面構成に依って日々異なりますが、大体30面前後)が突然カラー印刷になりました。

 会社勤めをしていた頃ですので、少なくとも10年近く前、東京支店に出張して(前日宿泊した際は)始業前や会議の待ち時間に、東京支店の総務の居室で日経新聞の朝刊でニュースを確認するのですが、その時点で東京版(?)は既にカラー印刷になっていて、特に最終頁は文化欄のコラムではテーマに沿って国内外の絵画が取り上げられることがあり、それもカラー印刷されているので、解説記事を読みながら元々の色からその説明がより理解され易いのは当然のことなのですが、片や自宅に読む日経新聞はずっとモノクロ印刷でしたので、白黒の絵画を見ても(知っている有名な絵であれば、記憶の中の色彩を創造しての理解は出来ますが)初めて見る絵画ではモノクロの絵では色彩の陰影や色使いとかを説明されても、文字から受ける想像の中だけでしか把握することが出来なかったのです。
その時点でも長野県(中信版?)の紙面全てがモノクロでは無く、例えば中の(広告主が費用負担するであろう)企業広告や、土曜日の別刷りのNIKKEI PLUSや日曜日の中刷り頁の「NIKKEI THE STYLE」などは、ずっと以前からカラー印刷でしたので、長野県で(印刷されて)配布される日経新聞はカラー印刷が出来ないということでは無かった筈です。
 日経に限らず全国紙の新聞は、各地の新聞の専売所からエリアの各新聞販売店にトラックなどで配送するのが大変な作業ですので、配布エリアに依って、本社(印刷所がある地点)から遠くなればなる程、早く印刷して送らないと朝の“新聞配達員”の方の配達(折り込み広告を中に挟むなどの作業をした上で)に間に合わなくなります。
そのため、その印刷所からの配送時間に合わせて遠くなればなるほど早く印刷して配送する必要があり、そのため分かり易い例で言えば、遠くなればなるほど、例えばプロ野球のナイター(ナイトゲーム)の結果が途中で終わってしまっていて勝ち負けの結果が分からないということになります。
 会社勤めの頃、社外役人の方との会話の中で、諏訪の本社での朝の会議に出席いただくために前日来てホテルに泊まって頂くのですが、朝来られて、ホテルで配布された日経の記事を読んで所属会社の役員に何か確認や指示するために電話をすると、例えば埼玉の自宅から都内の本社に通う役員だと、自宅に届いた朝の日経にはその記事が載っていないということが時々あったのだとか。
それは長野県(少なくとも中信版)で配布されている日経新聞の方が後刷りの版でその記事が掲載されていたらしく、長野県の中信地区で配布される日経新聞は首都圏で配布されるものと同じ締め切りで印刷されている“一番新しい”版だったのです。
そしてその理由は、日経新聞が印刷を当時は塩尻市に在った信濃毎日新聞の印刷センター(松本印刷センターが今年新設されて移転)に印刷が委託されており、通信衛星等に依り送られてくる首都圏と同じ紙面の最終版での印刷が行われていたからでした(因みに読売新聞や報知新聞などもそこに委託印刷されている由)。
 今回の一面と最終面文化欄のカラー印刷への変更で、これまでの記事の新しさ(少なくともプロ野球のナイトゲームは、子供たちの受験のために取っていた朝日新聞では途中で終わっていて結果は分からなくても、例えどんなに遅く終わっても日経では結果が確認出来た)も含め、都区内と同じカラー刷りでの最新版がここ信州松本でも読める様になりました。
何より一番嬉しいのは、文化欄の絵画がモノクロから多色刷りに変わったので、色使い、その色の陰影や濃淡などに込められた画家の意図や狙いなどの解説記事の内容が実際の映像通りに見ることが出来る様になったことでしょうか。これからはそのコラムを見る楽しみが倍増しました。

 市役所へ衆議院議員選挙の期日前投票に行って来ました。
ウォーキングを兼ねて渚から歩いて行ったのですが、大名町から松本城公園への土橋を渡り、松本城の二の丸から太鼓門を出て、市役所の本庁を抜けて期日前投票所の在る東庁舎に向かいました。

 途中、松本城公園内にあった旧市立博物館「日本民俗資料館」が大名町の市営大手門駐車場横の場所に新たに「市立博物館」として建設移転されたのに伴い、古い博物館の建物が一年近く掛かって漸く全て解体され、その跡地が更地化されました。
そして、これまで建物が堀の近くまであったため重機が入れず、修理工事が出来なかった外堀南側の崩落した二箇所の石垣(石積み)の復旧工事が現在行われていました。また同時に年度毎に段階的に進められている、長年の懸案だったお堀に溜まったヘドロの浚渫工事も、ちょうど今はこの外堀で実施されていました。
 元々この旧博物館の在った場所は「古山地御殿跡」で、江戸時代まで松本城の小さな御殿が在った場所とされます。松本城の紹介頁に依ると、
『古山地(こさんじ)御殿は、16 世紀後半、松本城の初代城主である石川数正(1592 年没)の私邸として建てられたとされている。建物の名前は、数正が "箇山寺"と名乗っていたことにちなんでいる。
古山地御殿の 跡地は、現在、旧博物館前広場になっている。 古山地御殿は、面積が約 587 平方メートルで、本丸御殿の 4 分の 1、部屋数も 30 室と小規模なものであった。1712 年頃の絵図をもとに、建物の中央に坪庭が設けられている。南側に座敷、北側に台 所などの設備があった。風呂や茶室、タカの飼育室などもあり、古山地御殿は城主のプライベートな憩いの場として作られたことがわかる。』
本丸御殿を火事で焼失した時の藩主戸田氏は、享保12年(1727年)にこの御殿を拡張して新御殿を造ったのですが、この古山地御殿の中には「ててまがりの井戸」という名水があり、昔の博物館(日本民俗資料館)内にはガラスで囲まれたスペースにその井戸が在り保存されていました。“ててまがり”とはカタツムリのことだそうです。
当時の旧博物館時代の紹介記事に依ると、
『松本市立博物館一階の一角のガラス越しに望めるこれは「ててまがりの井戸」。かつては外縁部からが、でんでん虫の殻のように見えたことからその名があるとのこと。松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられました。そのうちの古山池御殿の井戸です。
古山池御殿は一番最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっています。
廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、その時代も現役の井戸として活用されたそうです。』
旧博物館解体後も、この井戸はキチンと保存されているそうです(白いポールで囲われた、2m四方の狭いエリアが井戸とのこと(旧博物館時代の井戸の写真は市の紹介頁からお借りしました)。
 すっかり更地化されて広々とした二の丸エリア。いくら本丸御殿の1/4で30室の小さな御殿とは言っても、現代のイメージからすると相当な広さです。
こうして何も無いエリアが出現してみると、平山城の様な3Dの立体的な上下への広さは感じませんが、平城である松本城の平面的な横の広さを十分に感じることが出来ます。しかも、旧博物館の建物が在った時には見られなかった光景、例えば南側から見る太鼓門やその石垣、そして外堀の東南の角から望む大天守だったりと、こうした今までは見ることの無かった松本城の貴重な景観を、常日頃毎日の様にお城を眺めてきた我々松本市民も初めて見ることが出来ています。
戦時中の空襲で焼け落ちるまで天守や本丸御殿が現存していた名古屋城の様に、しっかりとその裏付けとなる写真等の資料が残っていれば、(100年後の国宝再指定を目指して!?)実物通りに再現出来るのですが、明治初期に筑摩県の県庁舎として使われていて(筑摩県が長野県へ併合される引き金となった、放火とも云われる)火事で焼け落ちてしまった二の丸御殿や、明治になって廃城後に取り壊された古山池御殿は、残念ながらどちらも証拠となる実物を撮影した写真が未だ見つかっておらず、今のところ復元することが出来ません。
 ただ更地化されたことに依り、その代わりに先日の氷彫フェスティバルは昨年までによりも広々としたこのエリアを使って行われましたし、今後もイベント会場として当面は使われるとのこと。
二の丸御殿を含め明治初期の写真が見つかるまでは、そうしたイベントでの活用で、お城を中心に松本の街を大いに盛り上げてくれれば良いと思います。

 待ちに待った、松本エリア初出店となるハンバーガーチェーンの「バーガーキング イオンモール松本店」が、暮れも押し迫った昨年の2025年12月30日(火)に漸くオープンしました。
長野県内では、ここ数年スキーシーズンのみの限定出店してきた栂池スキーリゾートを除くと、昨年の年初と同じく年末にオープンした長野市と上田市に次いで県内3店目の出店ですが、他2店は郊外型店舗なのに対して、松本店はショッピングモール内に新規テナントとしての出店です。
 長野や上田は、以前のローカルニュースで開店後は営業開始前の朝6時から並んだり、大行列だったりという様子が流されましたし、ご多分に漏れず松本店もオープン初日は1時間待ちの行列だったとのこと。
しかも、最初からそこを目的に行く郊外店舗よりも、たまたま店舗の横を歩いていて気が付いて急に思い立って立ち寄るお客さんもいるであろう、ショッピングモール内のテナントの方が集客力は大きい筈・・・。
ですので、そうした混雑ぶりに或る意味“怖気づいて”、「暫くして落ち着いて、行列が無くなってから行けばイイや!」と思い、今まで一度も行ってはいませんでした。
しかもオープンする12月末には、その年末年始に松本へ帰省して来る次女に、いつものバーガーキングのワッパーの私と奥さまの分を、横浜の自宅近くのバーガーキングの店舗からテイクアウトして、わざわざ松本まで“お土産代わり”に横浜から3時間掛けて持って来て貰ってさえいた・・・のです。

 そこで、オープンからほぼ一ヶ月経った一月末の平日。遅れ馳せ乍ら、遂にバーガーキングの松本店に行ってみることにしました。
イオンモール松本は元々は明治時代から片倉製紙の製糸工場があった場所で、市街地に在りながら広い敷地を持ち、ショッピングモールは3つの建物が渡り廊下などで繋がっていて、飲食店は真ん中の建物「風庭」の1階に個別レストランが入り、3階にも広いフードコートがあって、それぞれ10数店舗ずつが集約されています。ですので、バーガーキングもフードコートのKFCなどと同じ様に、てっきりフードコートにあるものとばかり思っていたのですがそうではなく、またその「風庭」1階の飲食店街でもなくて、バーガーキングの在る場所はイオンモールの一番大きなメインの建物「晴庭」の1階。以前は「ビストロ ヒカリヤ」だった場所を改装して、新規テナントとして入店していました。
ショッピングモールの中核となるイオンスタイルや、目玉テナントの無印良品などが入るメインの建物の「晴庭」は、1階は屋内駐車場で、4階建ての建物的には店舗フロア1階が実質2階になっています。
その店舗フロア1Fにバーガーキングの注文受付のカウンターとイートインの二人掛けのテーブル席が10卓程。そして店内から駐車場フロアに階段を降りたエリアにも、その倍近いイートインスペースが設けられていました。
11時半前に着いたのですが、意外とテーブル席は空いていて、その場で食べずに結構持ち帰りの客さんが多い様です。我々は1階(実質2階)のテーブル席で食べることにしましたが、テーブル間がかなり狭いので、特にお子さん連れの場合はテイクアウトして、1100席近くあって広々しているフードコートで食べた方が、ベビーカーのまま利用できるボックス席もあるので、もしお子さんが騒いでも安心して、店内よりもむしろ落ち着いて食べられるのではないかと感じた次第です。
 この日我々がオーダーしたのは、奥さまがいつものアボガドではなく珍しくマッシュルームワッパーJrと私はワンパターンでスモーキーBBQワッパー(下の写真はH/Pからお借りしました)をそれぞれセットで。更にオニオンリングを追加しましたが、ナゲットは購入せず(スモーキーチキンは美味しいのですが、バーガーキングのナゲットは何となく粉々している感じで、残念ながらナゲットに関してはマックの方が上。特に期間限定だった黒胡椒ガーリックはレギュラー化すべき逸品)。
いやぁ、これまでわざわざ横浜からテイクアウトして貰って来て食べたバーガーキングも、今までは松本では食べることが出来なかったので或る意味貴重で、時間が経っていても美味しく感じていたのですが、出来たてのワッパーに挟んであるオニオンスライスってこんなにシャキシャキしていたのか、そしてレタスもこんなにパリパリしていたんだ・・・と、当たり前なのかもしれませんが再認識。やっぱり後で(しかも場合に依っては翌日)再加熱するよりも、出来立てを食べた方がさすがに美味しく感じました。
 「ヨシ!これならまた平日に食べに来よう!」
場合に依っては私がテイクアウトして、その日の嗜好次第で家内はフードコートで別の品をオーダーして、フードコートで一緒に食べても良いかもしれません。
しかし食べている途中で「そうは言っても」と、私メ用に朝食用のタルタルチキンバーガーと昼食用にはスモーキーBBQワッパーをモバイルオーダーし、それぞれ単品でテイクアウト。しっかり家に持ち帰り、翌日また楽しんだのでありました。でも、それはそれでそれなりに美味しかったので、
 「・・・ん?バーガーキングは二度美味しい⁉・・・」
 今回、オープンから一ヶ月も経っての遅れ馳せではありましたが、バーガーキングが松本にも出店してくれて万々歳!・・・を漸く実感したのでありました。

 婿殿が松本での正月休みを終えて、一足先に横浜に戻る正月三日。
蕎麦好きの婿殿のために、事前に色々ネットで調べて三が日も営業してしる蕎麦屋を探し、漸く見つけて予約してあったのが安曇野の穂高有明地区の人気店「そば処 時遊庵あさかわ」です。
以前、大町方面からの帰りに山麓線を走っていたので寄ろうとしたら、まだ2時前だったのにその日打った蕎麦が既に終了とのことで諦めたことがありました。こちらは蕎麦店が点在している山麓線沿いの有明地区でも人気の行列店です。
その「あさかわ」が正月三が日も営業して且つ予約が出来ると知り、こちらも1ヶ月前に婿殿のために事前に予約をしてありました。

 松本から穂高の有明へ行くだけのためにまたアルファードをレンタルするのは無駄なので、「今日はちっちゃい車ダネ・・・」という上の孫のガッカリした感想をジィジとしては「アハハ・・・」と冷たく受け流し、二台に分乗して有明山麓線沿いの店舗を目指して出掛けました。
店は11時半の開店で、我々は12時の予約で行ったのですが、駐車場には既に10数台の車が停められていて、店内にはもう何組もの順番待ちの方々がおられ、名前を書く受付表には30分待ちとの表示がされていました。
我々は小さい子供が居るので、店側が畳の小上がりに二卓に分かれて我々の予約席が用意されてありました。
(注:冒頭の2枚は、婿殿をもてなせる店かどうかチェックのために、11月末に試しに一度伺った際に撮った写真です。時遊庵という名を付けられている通り、店内には土壁の装飾やインテリア、そしてテーブルに置かれたちょっとした小物にも店主のご主人の遊び心が感じられます)
娘たちも婿殿も家内も、皆天ざるをオーダーとのこと。私メは頑なに大ざる(蕎麦の香りの邪魔をする刻み海苔は掛かっていないので、実際には本来の「もり」なのですが)一択。つゆの味が変わるので天ぷらを蕎麦つゆに付けるのは個人的に御法度ですし、仮に天つゆが別にあっても、天ぷらの油で味覚が変わるので、個人的には純粋に蕎麦の味を楽しみたいため、天ざるはあまり好きではありません。蕎麦自体を楽しむのなら、飽くまでもりそば一択です(但し、京都のにしんそばの様に、具材を楽しむ温蕎麦の場合はその限りに非ず)。そして、こちらの名物のそば玉の素揚げは、今回は天ぷらがあるからと一皿だけ頼んで皆でシェアすることにしました(一皿十数個あります)。
満席でもそばを茹でるのはご主人一人だけでしょうから、サーブまでは結構時間が掛かります。入口の受付表には「待ち時間30分以上」とありましたが、おそらく1時間近くは掛かるでしょう。これが夏なら、ご主人が丹精込めて育てたという、数千株というアジサイが咲く広い庭を散策して時間を潰せば良いのでしょうが、冬場はそうもいきません。
 結構時間も掛かって運ばれて来た天ぷらは、ナス、カボチャ、大えび、山菜(何の葉か不明ですがセロリ?)、舞茸、そして珍しい油揚げと蕎麦の素焼き揚げ。
二八のそばは季節の葉が一枝添えられていて、ご主人の遊び心と風情を感じます。私と婿殿は大盛りですが、女性陣の頼んだ並盛りでも結構な量があります。
そば玉の素揚げは、そばがきをもっと粘り気が出るまで練って、団子状にして揚げたもの。外はカリっと中はモチモチしていて、塩を付けて食べるのですが、そば粉の味だけで素朴で美味。
そして、ご主人自らテーブルまで運んで来て下さるサービスのそばの薄焼き。そばがきより水を少なめにして、練って延ばしたガレット状の薄焼きを少し焼いて、蕎麦の実をまぶして塩と味噌を塗った素朴な薄焼きです。
そして、その薄焼きに粉をまぶして揚げた天ぷらと油揚げの天ぷらは珍しい。ただ一度揚げてある油揚げを更に天ぷらにしてまた揚げるのは、天ぷら素材としては面白いものの、些かoily過ぎてもたれてしまい今一つで、我が家のメンバーには不評でした。むしろ揚げ出し豆腐の様に、水気を絞った木綿豆腐を薄く切って天ぷらにした方が良い様に思います。因みに、家内は天ぷらがもたれてしまい、次回からは天ぷらはやめてそばだけにするとの仰せ。
 婿殿はこちらの蕎麦に大満足の様子。勿論お世辞もあるのでしょうけれど、今まで食べた蕎麦の中で一番美味しかったとか。個人的には、最近行けてはいませんが、二八ではのど越しの良い安曇野翁が一番でしょうか。
地元安曇野産と北海道産、茨城産のそば粉をブレンドして打ったという「あさかわ」の玄ソバも二八そばで、こちらの蕎麦ものど越しが良く風味豊かで、今年食べた幾つかの秋の新蕎麦では初めて香りを感じました。
また量も十分で、食べ応えもありました。そして何より、正月三が日に営業していただいていて、県外からのお客さまを信州そばでもてなす場合は大変助かりました。
また婿殿が来たら、一度夏のアジサイの庭も見てみたい気がしますので、安曇野をドライブがてらお邪魔しようと思います。ごちそうさまでした!

| 1 / 100 | 次へ≫