カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 11月、霜月の名の通り、秋から冬へと里山の風景も変わって行きます。

 月初めはまだ秋本番と云う感じで、我が家の芝生ガーデンの2本のハナミズキの紅葉した葉が風に散って芝生の上に赤い絨毯を作っていました。隣家に舞って行かない様に早めに拾わないといけないので奥さまはヤキモキしていましたが、それはそれで、そのままにしておきたいような秋の風情が漂っていました。
 また、11月中旬にもなって“花が消えた晩秋の里山に、ひと際鮮やかに“花を咲かせている”のがオレンジ色に熟した柿です。
早朝ウォーキングで見掛けた見事な“柿の花”。今は、富有柿もスーパーの店頭に並び、美味しい甘柿が信州でも買えるようになったので、庭先に植えられた甘柿にはだれも見向きもしなくなり収穫されずにずっと木になったまま。何もない冬の間の鳥のエサですが、熟し過ぎて茶色になるまでは、オレンジの花の様で、花の無い晩秋を彩ってくれています。

 11月18日は雨模様で、それも寒気が流れ込み、松本も氷雨の様に冷たい雨が降りました。明けて翌19日は、東山もつい1500mくらいまで白く雪化粧をしていて、いよいよ里にも冬将軍が迫って来たようです。
早朝ウォーキングで、久し振りにアルプス公園へ行って見ると、北アルプスは殆ど雪雲の中でしたが、真っ白な常念のテッペンが少しだけ雲の中から顔を出していました。そして南側は鍋冠が白く雪化粧して見ることが出来ました。
寒くなって、ウォーキングも犬の散歩も誰もいないアルプス公園です。そんな公園で、コブシの木にネコヤナギの様な冬芽が一杯に付けていました。きっと、暖かくして花芽を守りながら春を待っているのでしょう。

 それぞれの、冬に向かう晩秋の里山の風景です。

 10月末、信州の里山は秋も深まり、欅などの広葉樹の紅葉が次第にその色を増しています。紅葉の名所も良いですが、こうした田舎の里山の秋の風情もなかなか味わいがあります。また、民家の雑木林風の庭の紅葉も見事です。

 台風の後、冷たい雨が上がった25日の午後、初冠雪の常念が里から望めたという記事がタウンペーパーに載っていました。
我々も翌26日の早朝ウォーキングでいつものウォーターフィールド方面に行った際、常念を始めとする北アルプスの峰々の初冠雪で、白く帽子を被った頂を城山山系越しに臨むことが出来ました。
 里は秋の風情ですが、山からは初雪の便りが届いて既に冬。
信州は、何だか足早に季節の歩みを進めているようです。11月は霜月ですが、10月の31日松本地方では初霜が降り、翌11月1日、そして今日と三日連続で霜が降りました。里にも冬はもうすぐそこまで来ているようです。

  “蔵の町”松本中町の蔵造りの老舗の“カレーの店”「デリー」。その「デリー」が、惜しまれつつ閉店してしまったそうです。

 先日の夜、久し振りに中町を歩いてみると、その建物と「デリー」の看板はそのまま残っていて、同じく建物に掲げられた「テナント募集」の看板が寂しく目に映りました。この蔵造りの建物は白壁ではなく、戦時中の空襲対策のままか、黒く塗られた壁の蔵が“蔵の町”では重厚で却って新鮮に映ります。「デリー」は昭和45年創業という40年以上の歴史の、当時松本では珍しかったカレーの専門店でした。
 シンガポールで生まれて初めてインド料理(注)の奥深さ(他にはベトナム料理)に触れてしまい、所謂カレーライスは家庭でしか食べなくなりました(家庭でのインド料理は無理。カレーライスは家庭毎の味でイイ)ので、帰国後は「デリー」に行くことも無かったのですが、日本的で懐かしい昭和のカレーだと思いました。そう云えば、トンカツとカレーの「たくま」も同じ頃閉店してしまったとか。
その老舗の店も最近遂に閉店してしまい、“昭和も遠くなりにけり”?でしょうか。
 でも、CoCo壱番屋の様なチェーン店だけではなく、神田の名店の暖簾分けだという「キッチン南海」もまだ頑張っています。日の出町にあり、目の前に「イオンモール松本」が開店して日の出町も人通りが増えたので今まで以上に繁盛するかもしれませんね。
【注記】
インド料理は、基本的に北インド料理と南インド料理に分類され、窯(タンドール)で焼くナンが主食なのは北インド。米作地帯故ご飯が主体なのが南インドとされます。従って、タンドーリチキンやサモサも北インド料理になります。
南に比べ、北インド料理の方が繊細な感じがして、シンガポールでも名店(高級の意味ではない)とされていたのは北インド料理でした。どちらも各種スパイスを調合したグアムマサラでの味付けが主体。因みに良く知られた様に「インドにはカレーという料理は存在しない」。
インドに出張した時も、毎昼毎晩と現地スタッフが現地のジャンルの異なる“有名店”に連れて行ってくれましたが、正直シンガポールのインド料理の方が美味しいと感じました(飽くまで個人の感想です)。
東京では北/南を表記したインド料理店がちゃんとありますが、松本では純粋なインド料理店は少なく(看板にあっても、シェフがネパール人だったり)、日本人向けにアレンジされていたり、また良く見かけるネパール料理やスリランカ料理も隣国であるインドの影響を受けていますが(スリランカは地理的に南インド)、純粋なインド料理とは大分違う様に思います。

 台風21号が過ぎ去った10月23日の朝。
松本も土曜日から降り続いた雨と夜半から明け方まで吹き荒れた暴風雨で、リンゴが落ちたり木が倒れたりと長野県内でも爪痕を残して行きました。松本でも明け方20mの強風が吹いたそうですが、近くの美須々にある護国神社ではその風で老朽化も手伝ってか境内の鳥居が倒れ、またあがたの森横の蚕糸公園では大きなヒマラヤスギが根こそぎ倒れたとの報道もありました。

 朝5時過ぎまで吹いた風も治まり、ナナの散歩の後で、奥さまとウォーキングでいつもの大門沢ウォーターフィールド(松本市陸上競技練習場)へ。途中、借り入れが終わった田が水浸し。風もですが、雨も結構降りました。実家横を流れる西大門沢川も水嵩を増して濁流が流れています。一方、ウォーターフィールド横を流れるのは東大門沢川。どちらも小さな川ですが、岡田地区から松本の市街地を流れて奈良井川に注ぐ一級河川です。途中でいくつもの用水路などが注ぎ込むこともあり、過去(記憶にあるのは30年位前だったか)には市街地で溢れたこともあります。そのため、そうした水害を避けることを目的に、遊水地として設けられたのが大門沢ウォーターフィールドで、その容量は3万㎥とのこと。普段は、総合体育館と県の文化会館が建設するために転用された県営陸上競技場の代わりに、このエリアの陸上競技練習場として松本市が400m6コースのトラックを周囲に設けてくれてあり、学生たちが良く陸上競技の練習で利用しています。

 ウォーターフィールド横を流れる東大門沢川も勢い良く濁流となって水が流れています。速歩で4周する奥さまのタイムをスマホのストップウォッチで計るべく事前にセットアップし、ウォーターフィールドに到着。するといつもと様子が違います。それは・・・、
何とトラックの内側が一面の池になっているではありませんか!こうして見ると、結構大きな“溜め池”です。川からは、勢い良くフィールド内部に水が流れ込んでいました。
「凄いなぁ・・・」
唖然として、暫し池を眺めていました。
家内は2年程、私メはこの1年毎日の様に来ていますが、池が出現したのを見るのは初めてです。3万㎥の容量一杯かどうかは分かりませんが、これが全て下流に流れて下って行けば相当な量ですので、水害防止という本来目的を今まさに果たしているのでしょう。万が一と云うのは確かに万に一つなのかもしれませんが、こうして見ていると確かに防災上のリスク回避というのは大切な事なのだと実感した次第。

 現役の噺家さんの高座をTVやCDで聴く中で、是非一度生で聴きたいと思っていたのが、柳家さん喬師匠と柳家権太楼師匠のお二人。
故柳家小さん(五代目)を師匠或いは大師匠に仰ぐ柳家一門。同門で年も近い事もあり、東京では毎年8月に二人会が行われている落語協会の大看板です。
 1973年から続いていると云う「松本落語会」。地方の落語会の草分け的存在として一二を争う程の歴史があり、落語界では有名な存在とか。2年前の「二ツ目の会」に気になっていた柳亭小痴楽さんが来られたので、私メも一度聴きに行きました。そして9月例会に記念の第500回の落語会が開かれ、この10月例会は次代1000回へ向けての再スタートとして「500回突破記念」と銘打たれた第501回の落語会で、ナント「さん喬&権太楼二人会」。これは絶対外してはなりますまい。この松本に居ながらにして、お二人の高座を聴くことが出来るのですから(5年前の落語会40周年の時もお二人は来演されていまいた)。そのため、会場もいつもの瑞松寺(落語会の時は、骨の髄から笑う“髄笑寺”と表されます)では無く、松本中央公民会(Mウィング)の6階ホールでした。

 事前にネット予約をしての10月19日は、朝から生憎の雨降りです。
前回初めて知ったのですが、会社の先輩が松本落語会の世話人をされていて、さすがに元技術者らしくH/P等は全て先輩の作成。先輩曰く、お盆に上野鈴本で聴いた二人会も素晴らしかったとのこと。
公民館に出掛けると、会社の別の大先輩方も来られていてご挨拶。さすがに客層は高齢者中心ではありますが、名人お二人の来演とあって大盛況。椅子席と階段状の座席の会場もほぼ埋まって300人近くはおられたと思います。
先ずは、さん喬師匠の一番若いお弟子さんである柳家やなぎさん(2015年に二ツ目昇進とのこと)の「松竹梅」というおめでたい噺で開演。声に張りがあり明るいのがイイ。
続いて、権太楼師匠の六番弟子柳家さん光さん(同じく2013年昇進)が「悋気の独楽」(りんきのこま)。「権助魚」にも似た、お妾さん通いをする旦那さんの噺。「どうらく息子」で銅ら美も演じていましたが、珍しい噺なのか中央図書館のCDライブラリーにも音源は無く、実際に聴くのは初めてでした。さん光さんイイですね。キャンキャンとした声が女将さんやお妾さんなど女性を演じるのに合っています。とぼけた“与太郎振り”(この噺では定吉ですが)もナカナカ。
そして、前半のトリに権太楼師匠が登場。さすがは“寄席の爆笑王”。本題に入る前の枕で歌まで歌ってくれて、そして大いに笑わせてくれます。枕の最後で「そろそろ落語しましょうか、ネ」と沸かせた上で、演題は「不動坊」。音だけでは分かりませんが、笑顔も勿論なのですが師匠の仕草の可愛いこと・・・。大爆笑でした。イヤ、さすがです。クラシック音楽もですが、落語もやっぱり生に限ります!
 仲入り後は500回突破記念の「口上」。
ステージ上に設えられた舞台に、後援する市の教育長、落語会の会場を提供している瑞松寺の前ご住職(東堂)、松本落語会々長、そして権太楼師匠とさん喬師匠が並ばれます。お二人共、この日はお祝い高座故、黒い紋付の羽織袴での正装。司会はさん光さん。些か緊張気味で、冒頭の出席者の紹介でナント「柳家権太。・・・楼」。すかさず、さん喬師匠から「お前の師匠だろっ!」と突っ込みが・・・。権太楼師匠もそれを受けて「・・・、今日で破門にします」。一気に会場が和みました。それから壇上で順番に口上を述べて、最後さん喬師匠の発声で恒例の三本締め。
 一旦緞帳が下ろされ再び幕が開いて、この日のトリに柳家さん喬師匠が登場。
師匠曰く、二ツ目に成り立ての頃、第4回か5回目の「松本落語会」に小さん師匠のお伴で参加したのが松本へ来た最初だったとか。人間国宝だった故柳家小さん最後の直弟子です。そうした思い出話を枕に、「松本にも昔お殿様がおられましたが、お大名は世継ぎを作るのが大変でして・・・」と本題が始まりました。
 「あっ、これはもしかして・・・妾馬!?」
案の定、そのマサカでありました。
 「あぁ、さん喬師匠の妾馬が生で聴けるとは・・・!」
これまで、「妾馬(八五郎出世)」はCD音源では志ん生、圓生、そして志の輔で聴いています。また「まつぶん新人寄席」で二ツ目柳亭市弥さんが演じられたのが生で聴いた唯一です。
さん喬師匠のしっとりとした話芸。柔らかく穏やかで、しみじみとして品格があります。イイナぁ・・・。今一番(生で)聴きたい噺家さんでした。それが目の前で、しかも妾馬(注)を演じてくれています。随所で笑わせながらホノボノと、妹のお鶴の方に向かって何度も諭します。
 「おめでとう、でも驕るんじゃない、みんなに可愛がってもらうように頑張るんだぞ!」
イイナぁ・・・。八五郎の酔っ払い振りがナントも微笑ましい。妹への愛情溢れて諭す言葉も、何だかフウテンの寅さんを見ている様でした。さん喬師匠の妾馬では、他の噺家さんのそれと異なり、生まれたばかりの赤ちゃんも登場させます。笑わせて、やがてホロリとさせられて・・・“さん喬落語”の真骨頂。
少々時間が押していたので、多少端折った部分もあった様に感じましたが、最後に「八五郎出世の一席でした」でお開きに・・・。
 本当に良かったなぁ・・・。落語界の大看板である柳家権太楼、柳家さん喬両師匠の噺を生で、しかもこの松本で聴くことが出来たのですから。
外に出て見ると朝からの雨はまだ上がっていませんでした。そぼ降る小ぬか雨の中、何だか幸せな気分で「秋雨じゃ、濡れて帰ろう・・・」
【注記】
めかうま。大ネタの一つで、「大工調べ」同様に、通常高座に掛かる時は八五郎がお屋敷に呼ばれた場面の前半だけで終わるため、馬は登場しない。お殿様に気に入られ、八五郎が士分に取り立てられる後半に馬が登場。

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