カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 7月2日、松本ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)でのマチネで、服部百音のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行ってきました。
服部百音嬢は曾祖父が服部良一、祖父が服部克久、お父上は服部隆之、お母様もヴァイオリニストという音楽一家に生まれ、幼少期から数々の国外コンクールでの受賞歴がある天才ヴァイオリニスト。しかし、お父上は彼女の留学費用を工面するために、今の様に売れっ子作曲家となる前はお給料の前借をして彼女を支えたと云います。決して、服部家という音楽一家の七光りだけで恵まれて育ったお嬢さまではありません。
彼女の演奏は、「題名のない音楽会」などで聴いたこともありましたが、本格的に聴いたのはYouTubeでパーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響公演のチャイコンのソリストとして登場したコンサートを聴いたのが初めてでしょうか。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、LPやCDの“音だけ”ならこれまでも名演と云われた色んな演奏を何度も聴いていますが、映像と音で聴いたチャイコンでこれ程までに圧倒された演奏は初めてでした。
彼女の凄まじい迄の気迫と超絶技巧。それがいくら天才少女とはいえ、演奏当時うら若きまだ21歳という、見るからにか弱い女性の細腕から奏でられているというのが、聴いていて(視ていて)信じられない程に圧倒されたのです。
その彼女が松本の音文でリサイタルをすると知り、ハーモニーメイトの先行販売でチケットを購入した次第。
 当日のプログラムは、前半に、C. A. de ベリオ「バレエの情景 Op. 100」、C. フランク「ヴァイオリン・ソナタ イ長調 FWV 8」、休憩を挟んで、後半に、M. de ファリャ「歌劇『はかなき人生』第2幕 より スペイン舞曲 第1番」、I. ストラヴィンスキー「バレエ音楽『妖精の口づけ』より ディヴェルティメント」、そして最後にM. ラヴェル「ツィガーヌ」という構成。
どちらかというと、管弦楽中心で、器楽演奏もピアノは小菅優さんやメジューエワさんが好きなので何度か生で聴いていますが、ヴァイオリンは音文でのヒラリー・ハーンとイザベル・ファウストのリサイタルを聴いたことがあるだけ。しかもその時はバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タ」がメインだったので、どちらもピアノ伴奏無し。今回は、これまでも何度も頼んでいるという三又瑛子女史がピアノ伴奏で、フランクの有名なソナタ(と言っても聞いたことがあるのは第4楽章のみですが)と管弦楽作品でもあるラヴェル「ツィガーヌ」以外は全く馴染みのない曲ばかり。
パンフレットに記載された彼女からのメッセージに由ると、
『今回の演目は、レッスンに来てくれた子供たちの年齢的に、“分かり易くて”楽しめるものとも考えましたが・・・(中略)そんな配慮は愚の骨頂と思い、正直に私の思う素晴らしく美しく魅力ある曲たちを演奏することに決めました。』
とのこと。とはいえ、前日、オーディションで選抜された子供たちとのマスタークラスが行われていて、この日の会場にも才能教育の本拠地らしく小さな子供たちがたくさん来ていましたので、そうしたこともこの日のプログラム選曲の背景に(潜在的には)あったのかもしれません。

 2021年のN響との定期での共演は、海外からのソリスト入国が難しかったコロナ禍だった3年前で、彼女の21歳の時。24歳になった今も、桐朋学園のディプロマ在学中という謂わばまだ大学院に在学している“女子大生”です。超絶技巧はそのままに、折れそうなくらい華奢な姿からは想像出来ない様な時に激しさもあり、また彼女のメイク故か、妖艶さすら漂わせての演奏は、例えばフランクのヴァイオリンソナタの有名なあの甘く美しいメロディーの第4楽章の旋律など、特別に貸与されているという名器グァルネリもあってか、とりわけ高音の透明感が実に印象的でした。
アンコールは、管弦楽作品としても有名なプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から行進曲。
カーテンコールも簡単に、この時ばかりは若い女性らしく最後舞台袖から顔だけ出して、お茶目にバイバイをしながら手を振られてこの日のコンサートを終えられました。

 奥さまが封切りになった映画を見たいというので、イオンシネマへ。
リタイアしてから結構映画を視ています。勿論暇な年金生活者故ということもありますが、シルバー割引があるからというのも大いに助かりますし、しかも空いている平日に視られるというのも誠にありがたい。
途中、前回の朝のウォーキングで寄れなかった天神さま(深志神社)へお参りして行きたいというので、ウォーキングを兼ねて歩いて行くことにしました。多分、家からイオンモールまでは2.5㎞くらいでしょうか。この日事前に予約した上映が初回で終了時刻がちょうど昼時でしたので、イオンモールでランチを食べてから帰ることにしました。
選んだのは私のチョイスですが、珍しく家内がOKしてくれたインド料理の「フルバリ」です。
以前、次女が羽田空港勤務で糀谷に住んでいた時に何度か羽根つき餃子などを食べに蒲田には行ったのですが、JRの蒲田駅の南口から歩いてすぐの所に「フルバリ」の本店があったので、イオンモール松本に出店すると知って、いつか来てみたいと思っていました。
ただ家内が、昔松本に在ったインド料理店(既に閉店)で食べて油が当たったのか具合が悪くなったことがあり、それ以降インド料理には拒否反応だったのですが、松本の「Doon食堂 インド山」で食べてからは、その拒否反応も治まり、また食べられるようになりました。そのためGW前後の東京滞在中も神谷町のインド料理へも行ったのですが、今回も「フルバリ」でのランチにOKとのこと。

 イオンモールには食堂街の他にフードコートもあり、そこにあって何度か食べに行ったリンガーハットが閉店。南松本のイオンに入っていた店舗も閉店した由・・・。残念ながら、松本で気軽に長崎ちゃんぽんが食べられる店が無くなってしまいました。
因みに、長野県の中南信を中心に展開している「テンホウ」にも、ちゃんぽん風の「テンホウ麺」があるのですが、クリーミーなスープではあるものの、長崎ちゃんぽんとは似て非なる味。一方で、テンホウの「皿うどん」は結構本場の味に近く、ちゃんとウスターソースも一緒に持って来てくれるので、リンガーハットで無くても皿うどんはテンホウで十分“許せる”のですが、長崎ちゃんぽんはちょっと違うなぁ・・・。但しテンホウ麺は、店側もあくまで“ちゃんぽん風”と説明していますので責めることは出来ませんが・・・。
・・・と、些か前置きが回りくどかったのですが、リンガーハットが無くなって長崎ちゃんぽんが食べられなくなってしまったので、今回はフードコートでは無く「フルバリでもイイよ!」となった次第です。
イオンモール松本が開店して既に5年以上経つ筈ですが、漸く「フルバリ」で食べることが出来ました。

 ランチメニューの中から、カレーが二種類選べるレディースセットとフルバリセットをオーダー。それぞれミニサラダとドリンクが付いていて、ナンかライス(但し日本米)を選べ、さらに後者はサイドメニューとしてチキンティカとシークカバブ(インドのソーセージ)が付いています。
カレーは、家内はバターチキンとサグチキン(ほうれん草とチキンのカレー)、私メはチキンとシーフードを選びました。
ナンは大きくて美味しい。チキンティカは神谷町の「ラージャ」で食べたタンドーリチキンのソースの方が好み。肝心のカレーはどれも砂糖甘い様に感じます。
 「うーん、これ甘過ぎる。ちょっと違うなぁ・・・。」
家内ではありませんが、これならスーパーに並んでいるS&Bの「噂の名店」シリーズのレトルトカレーの神田の北インド料理店「マンダラ」のバターチキン、また無印良品のレトルトカレーの中で、「プラウンマサラ」を始めとするインドカレーの幾つかの方がむしろ美味しい気がしました。
ですので、北インドの家庭料理であれば松本には「インド山」がありますが、カレーの種類も限られますし家庭料理にはタンドール釜は無いので、ナンやタンドーリチキンは諦めて、もし松本でインド料理を食べるのであれば、プラウンマサラ、バターチキンや他の種類のカレーや市販のナンも含めて、松本でも買えるレトルトカレーで十分だと感じた次第。

 奥さまが娘たちの手伝いに上京して不在の平日、久し振りに松本市埋橋の通称“国体道路“沿いにある「若松食堂」へ。
看板には「拉麺の店 わかまつ」と表記されています(いつの頃からの看板か分かりませんが、拉麺という漢字が何だかイイですね)。
前回来たのは定年前の上田の子会社勤務だった時で、上田から塩尻の事業所への外出途中にランチで立ち寄ったと記憶していますので、少なくとも7年近く前の筈。「わかまつ」は街中のラーメン屋さんにしては珍しく、すぐ裏手に6台近く停められる結構広い駐車場が在るので、車で来ても助かります。

 7年前と同じ擦りガラスの引き戸の入り口で、如何にも昭和の頃からそのまま何も変わっていない感じの、所謂“町の食堂”といった雰囲気です。もし徒歩だと、松本駅からあがたの森方面まで駅前通りを直進して、手前の秀峰学園を右折してすぐ。駅からは凡そ2㎞近くあるでしょうか。ですので、駅周辺などで飲んでも、〆でラーメンを食べるには少々遠過ぎます。従って、ご近所さんはともかく、一般の人にとってはふらっと入れる店では無く、最初からここ「わかまつ」でラーメンを食べるために来る店です。
入る前から入り口付近の換気扇から噴き出す煙で分かりましたが、店内も煙でもうもう・・・。どうやら出前用なのか、餃子を焼く煙の様です。
「わかまつ」は地元の人気店ですので、行ったのは混雑する昼休みを避けて1時半頃でしたが、カウンターに食べ終わった常連さんが一人だけ。
狭い店内はテーブル2卓とカウンターが5席なのでカウンター席に座ろうとしたら、オジサンが「煙くてワリイね」とテーブル席を勧めてくれました。
 壁に貼られた短冊のメニューには、ラーメン類以外にも、カツ丼、中華丼、焼肉ライス、ソース焼きそば、固焼きそばなどもあるので、正式な店名通り“町の食堂”なのでしょうが、殆どは「ラーメンのわかまつ」として認識されている筈。餃子を焼く煙が店内に立ち込めていましたが、テーブルには2年位前からだそうですが、「餃子始めました」の案内がありました。
その手書きのカラーイラストもですが、併せて壁には松本観光大使も務める山好きの漫画家鈴木ともこさんのイラスト入りのサイン色紙が何枚か・・・。松本在住故、どうやら彼女も「Doon食堂インド山」に加えて「わかまつ」の常連さんになったのでしょうか。
 さて、私メの注文はラーメン大盛り。普通のラーメンが650円で大盛りは+100円。前よりは多少値上げされていますが、それでも他店よりはリーズナブルです。
注文すると“こってり”か“アッサリ”かを聞かれます。こってりは冷め難い様に鶏油をスープの表面に膜の様に張ってくれますが、私メはアッサリでお願いしました。
「わかまつ」のラーメンは、店構え同様に昭和の味。鶏ガラ主体のスープに、チャーシューの煮出したタレを“かえし”で足して、おそらく昆布か野菜の出汁も利いていて・・・。ただ今回感じたのは旨味というか何かが弱く、むしろ和風の出汁に近い感じがしたのですが・・・??
トッピングは、豚バラチャーシューが二枚にメンマ、焼き海苔、刻みネギ。海苔も今風のこれ見よがしな大判ではなく、控えめな名刺判サイズで飽くまで“昭和”の昔風。これに更にナルトが載っていれば、完璧に昭和でしょうか。
個人的に気に入っているのは麵が固茹での中細の縮れ麺。スープが良く絡み、カンスイが効いているのか、別にこってりをお願いしなくても大盛りで食べるのに少々時間が掛かっても、最後まで麺がのびないこと。
そして特筆すべきは、バラチャーシューの美味しさ。ほろほろと口の中で溶けていきます。これならチャーシューメンを食べたくなります。また、テーブルコショウが粗挽きのブラックペッパーなのもイイ。ラーメンには白よりも黒の方が絶対に合うと思います。
昔ながらの「支那そば」風で殆どスープも完食。値段も、ラーメン一杯650円、大盛りが+100円の750円と非常に良心的です。大盛りも軽く平らげて、
 「どうも、ごちそうさまでした!」
 派手さの無いシンプルなラーメンですが、昔子供の頃に連れて行ってもらって食べた、“三丁目の夕日”に出て来る様な懐かしい味。いつまでも変わらずにずっと続いていって欲しい、松本のそんな昭和レトロな“中華そば”。そう云えば、「Always 三丁目の夕日」の山崎貴監督の母校もこの直ぐ近くでしたっけ・・・。

 5月下旬、朝のウォーキングの帰路で、城山から下って塩釜神社にお参りし、松本城公園を抜けて四柱神社へ。
途中、開智小学校の横を通って行くのですが、その開智小近くの住宅街にある小さなお店が、子供たちが小中学生の頃に随分お世話になったサンドイッチの店「グルメサンド」です。駐車場が無いため、常に買い求めるお客さんの車が店の前の道路脇に停まっているのですが、その日はお休みなのか車が停まっておらず、また店内にも人の気配も無く、定休日かと思って何となく店のドアを見ると、貼り紙があって「閉店」の文字が・・・。
そこには「長い間おせわになりました」との感謝の言葉が手書きで綴られていました。
確か袋には「プティグルメ」と印刷されていましたので、そちらが正式な店名だと思いますが、我が家ではいつも「グルメサンド」と呼んでいました。
時々ウォーキングで朝店の前を通ると、良く「パスコ」と書かれた食パンを入れる青いケースの空箱が何段にも積み重ねられていました。

 ガラスの扉にも書かれているように、タマゴ、野菜、ハム、ポテサラ、コロッケ、トンカツ、エビカツ、ミックスと色んな種類の手作りサンドイッチが200円台からカツサンドでもせいぜい400円位と、大変リーズナブルな値段で販売されていました。
 シンガポールから帰任して子供たちが通った小学校が、自宅から一番近い信州大学の附属松本小でした。因みに、信州大学の教育学部は長野市に在ります。従って長野市にも本校である附属長野小があるのですが、これは“タコ足大学”の信州大学(旧制高校が松本、また各学部の前身となる旧専門学校が、例えば医学部は松本医専、繊維学部が上田製糸、農学部の県農林学校が伊那谷など県内各地に分散していた)の中でも、教育学部の成り立ちが嘗ての前身となる長野師範学校と長野県松本女子師範学校の二つがあり、最終的に統合されて長野市に学部が置かれたという歴史的経過故の所産です。
元の沢村の我が家は開智小の学区だったのですが、自宅からだと開智小は附属小の倍くらいの距離があり、しかも帰りはずっと上り坂になるので、特に下の娘はまだ一年生だったのですが、小さな子供の足では(しかもシンガポールのインターナショナルスクールではスクールバスでしたので、それまで彼女たちは一度も通学で歩いたことが無かったので)大変かと思い、一番近い附属小に通わせることにしたのです。
反面、附属は小中学校とも給食が無い(市立ではないので市の給食センターからの配食は無く、また自校給食の設備も無かった)ので、小学校から中学卒業までの最長6年間、子供たちはずっとお弁当でした。従って家内はその分さぞ大変だったろうと思います(勿論、高校になってからも給食はありませんでしたが・・・)。
そして、時には作れなかったり、持たせられなかったりする時があると、その時に良くお世話になったのがこの「グルメサンド」だったのです。
パンは市販の食パンでも、中身のお惣菜は全て手作りでしたので、安心して持たせられたのだと思います。しかも美味しくてコスパが良いので、開智や蟻ケ崎といった市内北部の住宅エリアの人気店でした。
 開智の店はテイクアウト専門で、店内にはイートインスペースも無く、ラップで包装されたサンドイッチが並んだショーケースのみ。併せて飲み物が入った販売機もあり、中央図書館利用者などがサンドイッチと一緒に買って、近くの公園や職場でランチに食べる人も多かったろうと思います。ですので、多分お昼過ぎには、朝調理された分が殆ど売り切れる人気店でした。
朧気な記憶では、昔は縄手通りにサンドイッチが食べられるカフェを兼ねた姉妹店が在った様に思いますが、その後開智店のみとなりました。
時には、ホームパーティー用に大皿のサンドイッチのオードブルをお願いしたこともありました(探してみたらありました。同じ様な記載内容でしたが、11年前の第653話も参照ください。因みに冒頭の2枚はその時の写真です)。
 ご夫婦お二人で、長年(少なくとも40年以上?)サンドイッチ作りの調理から販売をされていた筈ですので、恐らく高齢化か或いは後継者問題か、その理由は分かりませんがここで閉店を決断されたのでしょう。
 長い間ご苦労様でした。そして、その節は大変お世話になり、ありがとうございました。とても美味しかったです!

 5月中旬に次女夫婦が松本に来て、美ヶ原温泉の“鄙の宿”「金宇館」に一泊しました。
我が家ではこちらの料理に感動して、昔から亡き父の法事の時も含めて何度か会食で利用させていただいていたのですが、「次の百年に向けて」という三年前の改装後は会食のみでの利用が出来なくなったことから、金宇館も懐石料理を目的に何度か宿泊でも利用させていただいている、地元松本では我が家イチオシの料理旅館です。
長女も「金宇館」のファンで、東京の友人の方と松本への女子旅などで使っています。因みに、その友人もとても気に入ったらしく、その後独りでも何度か泊まりに来ているそうです。
同様に次女夫婦も金宇館を大変気に入っていて、前回はお正月にNYに居る長女の婿殿がコロナ禍明けで久しぶりに来日し、正月休みに帰省してくれた次女夫婦も加わって、我が家の“新年会”を兼ねて全員集合で金宇館に泊まったのですが、この5月の中旬に婿殿の病院勤めの慰労と次女の育児疲れの骨休みに金宇館に泊まりたいとのこと(松本へ来れば、子供をジジババに見てもらえるという計算もありましょうが、“エエどこじゃない”とジジババの望むところ)。
客室が僅か9部屋しか無い金宇館では、小さな子が泊まれる部屋はその内の一部屋だけなので、家内が苦労して予約。何とかその部屋を確保出来たのですが、彼らと夕食を共にするためには泊まるしかないので、併せて我々も一緒に金宇館に宿泊することにしました。

 1歳半を過ぎた孫娘はとにかくじっとしていないので、特急電車での移動は周囲に気を使って却って疲れるだろうからと(家内が上京して東京で落ち合う時などは、混雑を避けるために娘は横浜から新幹線で東京に来て、しかも座席では周囲の迷惑になりそうなグズル時は、ずっとデッキで立って来ることもあるそうです。余談ながら、小さな子連れの若いママさんたちは皆さん大変な思いで子育てをしています)、横浜から八王子までの横浜線の移動は然程混まないので問題ないとのことなので、八王子からは気兼ね無く中央線の特急移動ではなくて車で移動すべくJR八王子駅へ車で送迎することにしました。
有難いことに孫娘が車の中でずっと寝てくれていたので、途中で起こさぬようにノンストップで運転し、チェックインタイムを見計らって3時過ぎに金宇館に到着することが出来ました。
私メは、コユキがマンションに居るので一旦家に戻り、コユキの夕飯を済ませてから再度6時頃に金宇館へ。先にお風呂に入ってから、少し遅らせて7時にお願いした夕食会場へ。前回我が家専用で使わせていただいた二階の個室ダイニングは、今回は残念ながら先約があり、他のお客さんと一緒に一階のメインダイニングで戴きました。

 この日の夕食は、季節柄、この時期の旬の食材である地物産の山菜尽くしで、大変繊細な味付けの懐石料理でした。この日も一品ずつしっかり説明してくれたのですが、今回もウラ覚えにつき、もし間違っていたらご容赦ください。
先ず最初に鰆子(魚卵)と山菜ウドブキ(信州では独活蕗と呼ぶのだそうですが、全国的にはイヌドウナという山菜)のお浸し、稚鮎の唐揚げ。
そして八寸風にタラの芽、こしあぶら、ワラビなど、それぞれ白和えや味噌和え、お浸しなどと味を変えた山菜尽くし。それと稚鮎の甘露煮、ネギを巻いた鴨肉、海老真薯(しんじょ)を挟んで揚げたソラマメ。
椀物はホンビノスかと見紛う程大きなハマグリのお吸い物(千切りの独活が添えられて)。
お造りはシナノユキマス(信濃雪鱒)。焼き物が鰆に新玉ネギの摺りおろしソース、更には揚げた白髪ネギを載せてひき肉を中に詰めて揚げたジャガイモ団子にこしあぶらの餡掛け、信州牛の炊き合わせ、〆に桜エビとこしあぶらの混ぜご飯にお味噌汁。香の物で白菜の浅漬け。デザートは生姜のアイスクリーム。お酒は松本のクラフトビールと大雪渓の純米生原酒。
皆で代わる代わる孫娘の世話をしながらで、なかなか同じタイミングで食べ切ることが難しい我々ですが、次の品のサーブも(当然調理も)どこかで見ているかの様に気を使いながら、一品毎完璧なタイミングで出していただきました。
孫を交替であやしながら、何とか良い子でいてくれて無事に食べ終わることが出来ました。でも、時にはキャッキャと声も出たので、食事が終わって席を立つ時に、まだ食後の談笑をされていた関西から来られたという他のお客さんの高齢者のグループに、娘が「お騒がせしてスイマセンでした」と挨拶をしているのを見て、いつもそうやって周囲に気を使っているんだろうと、彼女に限らず若いお母さん方の大変さを垣間見た思いがしました。

今回も満足の食事が終わり、一泊二食での宿泊料金を勿論払ってはいるのですが、私だけは金宇館には泊まらずに家内に送ってもらってマンションへ戻ります。
ナナが居ればですが、保護犬故に臆病なコユキだけを(車に乗るだけで、一体今度はどこに連れて行かれるのかと、暫くはブルブルと震えが止まらなくなります)暗い夜に独りで留守番させるのは忍びないので、コユキ的には家内の方が遥かに嬉しいのでしょうけれど、まぁ、そこは勘弁してもらって今夜は私メと一緒です。
 翌朝、散歩をしてからコユキにご飯をあげて、月一度の資源ゴミを出してから6時には金宇館へ戻り、せっかくですので食事前にゆっくりと朝風呂へ。
その後、同じ食事処での朝食。他のお客さんは8時からだそうですが、我々はゆっくりと8時半にお願いしました。
朝食は、いつも通りで、安曇野産コシヒカリが木製(木曽のさわらか桧)のお櫃に入れられて。そして、これまた各々個人毎にお膳に載ったオカズが六鉢。
左上から順番に、厚揚げと大根の煮物、身欠き鰊、山形村産の長芋のとろろ汁、ホウレンソウの生姜風味のお浸し、切り干し大根の煮物、香の物でキュウリとカブの糠漬け。お揚げとコゴミのお味噌汁。最後に温かな餡かけ湯葉と食後のデザートに、フルーツでイチゴとメロン。
自分の分は、イチゴが大好きな孫娘へ。すると、イチゴに目が無いという孫用に、ご主人が別にイチゴをサービスしてくださいました。
 他のお客さんは、松本や安曇野の観光に行かれるのか、皆さん10時前にはチェックアウトされましたが、金宇館は11時がチェックアウトタイムなので、あくせく観光せずにノンビリしたい人にもお薦めです。
朝食後、皆はお風呂に入るというので、私は独りチェックアウトまでのんびりと金宇館の“時間”を楽しみます。
この日も、城下工業製Sound Warriorの真空アンプと、天井に吊り下げられたSonihouseというメーカーの多面体の無指向性スピーカーSightからSmooth Jazzが流れるラウンジで、セルフサービスのコーヒーマシンで淹れた丸山珈琲を飲みながら、中庭を眺めつつ暫し休憩です。お風呂場へ向かう廊下に面した坪庭では、エゴノキがちょうど満開。
そして館内のあちこちに置かれた生け花と、ご主人がファンで集められたという沢田英男の小さな木彫りの像。
創業以来経過して来た百年を大事にしながら次の百年を目指して改装したという、金宇館のコンセプトは“時と泊まる”。
館内や客室の投げ活けや什器に至るまで、静かに、時に雄弁に、それぞれの“時”をさり気無く語り掛けてくれているかの様に感じます。
 10時半、ご主人と若女将に見送られて我々もチェックアウト。
お目当ての食事は勿論ですが、娘たちもノンビリ出来た様で、今回の金宇館も大満足でした。本当は連泊出来れば良いのですが、婿殿は仕事があるので止むを得ません。また来れば良いでしょう。
我々は特に予定も無かったのですが、この日は快晴で北アルプスもくっきりと見えていたので、娘夫婦の希望でアルプス公園をノンビリ孫と散策してから帰ることにしました。

 お陰さまで、地元の松本で孫と一緒にノンビリと“プチ旅行”気分を味わうことができました。

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