カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
以前沢村の一戸建てに住んでいた時は、城山山系に遮られて全く見えなかった、松本平で云うところの“西山”北アルプス。家のベランダから毎日眺めていたのは(スモーカー時代の夜明けの一服で)、東雲街道の“東山”の三才山(戸谷峰)、美ヶ原、鉢伏へと連なる筑摩山系でした。ですので、学生時代、松本に帰省して来たことを実感するのは、塩尻駅を過ぎてから車窓から見える北アルプスではなく、専ら美ヶ原や三才山だったのです。
それは、松本平からは北アのシンボル常念を筆頭とする峰々の絶景は勿論なのですが、もし雲が山に掛かっていたとしても、時として天使のラダー(階段)であったり、雨上がりの“幸せの予感”のダブルレインボー(二重の虹)であったり、また北アルプスを背景に松本空港に離発着するFDAのジェットの機影であったり・・・。
そんな日々の中で、なかなか見ることが難しいのが、バラ色に染まった夕映えを背景に、屏風の様に黒々と聳える北アルプスの峰々です。
そんな夕景を目にすると、本当に松本に住んで良かったと幸福感に包まれるのですが、でもそうした夕映えの北アルプスに出会えるのは本当に稀。
少なくとも、毎日見ている訳ではありませんが、記憶に残るそんな絶景の夕映えの北アルプスは、今までたった一度だけ。それは学生時代の夏休みに帰省した折に、父がビアガーデンに行こうと誘ってくれて、今はもう無い松本城入口の第一会館の屋上のビアガーデンで見た涙が出る程素晴らしかった夕映えに染まる北アルプスでした。
松本地方でも同様に台風10号の影響で、何日か続いていた雨が上がった8月31日のこの日、たまたま夕方見た北アルプス。雲に隠れて全ての峰々が見えた訳では無いのですが、西の空を染めた茜色の夕焼けのそれはキレイだったこと。暫し見惚れて眺めていたほどでした。
写真では、実際のその感動を伝えきれないとは思いますが、そんな今シーズン一番だった夕映えの北アルプスの情景を、信州松本からお裾分けします。
好きで時々視ている、土曜日の夕方6時からのTV朝日の「人生の楽園」。
8月17日に放送されたのは、長野県生坂村に移住して開業したというパン屋さんでした。その中で紹介されていたのが、生坂村の道の駅「いくさかの郷」で、その道の駅で販売されていたのが「灰焼きおやき」でした。
『「おやき」は、小麦粉と蕎麦粉を水または湯で溶いて練り、薄くのばした皮に餡や野菜など旬のものを包み焼いたもので、信州を代表する郷土料理。地域によっては「やきもち」とも呼ばれる。上水内郡西山地域が発祥といわれており、その歴史は古く、小川村の縄文遺跡からは雑穀の粉を練って焼いた跡が発見されている。山間部は急峻な地形が多く、寒冷な気候のため米の栽培に適さないところが多い。こうした山間地では小麦や蕎麦が多く栽培され、1日1回はその粉を使った食事をつくって食べたといわれ、米の代わりとして先人の食を支えた。一方、豪雪地帯である栄村は小麦の栽培が適さず、米粉を原料とした「あんぼ」というおやきがつくられている。
昔はどこの家にも囲炉裏があり、西山地域では「ほうろく」とよばれる鉄製の鍋で表面を焼いて囲炉裏の灰の中でおやきを蒸し焼きにして、周りに付いた灰を落として食べていた。このおやきを「灰焼きおやき」といい、以前は主流だった。それが里から町へと伝わり、「蒸す」「焼く」「焼いて蒸す」「蒸して焼く」など、様々な調理法が生まれた。包む具材は、なす、きのこ、かぼちゃ、切干大根などを味噌や醤油で味付けし、それを単体もしくは複数混ぜたものなど様々な種類がある。身近にあるものや季節の具材を入れて楽しんだ。』
そうした「おやき」の中で、その原型とも云える「灰焼きおやき」は、長野県の中でも、上記の様に北信の上水内郡西山地方や中信の北安曇地方に根付く伝統的なおやきでした。練った小麦粉生地に具を入れ、表面を焼いてから囲炉裏の灰の中で蒸し焼きにすることで、表面は焦げ目がついてパリパリに、中身はしっかりとした噛みごたえになるのが特徴です。そばと並んでお米があまり取れない信州ならではの郷土食で、栄養や薬にもなる(?)と云われて、そのまま灰を落とさずに食べるのが昔ながらのスタイルでした。
それが、蕎麦以外に食の目玉が乏しかった信州で、近年次第に観光資源としての価値が高まるにつれて、「おやき」を常食する食文化の無かった地域までも含めて長野県全域の名物として広まったのです。
我が家でも、中学まで育った江戸時代から続く茅葺の家には大きな囲炉裏があって、そこで祖母が灰で焼いたお焼き「灰ころがし」を作ってくれて、これがお小昼の定番でした。周りに付いた灰をパンパンと手で叩いて落として食べるのですが、灰で焼くのでパリパリと焦げて香ばしく、炭と同様に「灰は薬だ」と云われて、幼心に気にもせずに食べていた気がします。
しかし、最近全国的にも有名になった信州の郷土食「おやき」ですが、本来はその名の通り「お焼き」なのに、最近では蒸したモノの方が主流で、長野市の善光寺界隈や松本の街中で売っている「おやき」も具は野沢菜やナス味噌など昔ながらですが、これでは「お焼き」ではなく“お蒸し“で、云わば「蒸かし饅頭」です。我が家でも“お小昼”には蒸かしたお饅頭もありましたが、その蒸かしたお饅頭の具は自家製の小豆を煮て作った餡子や砂糖味噌で、春を過ぎて酸っぱくなった野沢菜を甘辛く炒めたり、これまた定番のナスの味噌炒めは専らお焼きの方の具材でした。
因みに「さかた」は蒸した後、鉄板で焼いていますが、これも昔ながらのお焼きではありません。また長野市に隣接する上水内郡小川村の「縄文お焼き」は蒸した後に囲炉裏で焼いてはいるのですが、灰の中に“くべる”のではなく、囲炉裏に掛けた鉄鍋で焼いているので、こちらも残念ながら“灰ころがし”ではありません。
背景には近代化で囲炉裏そのものが無くなったことが大きいのですが、どうしてもあの昔懐かしいお祖母ちゃんの“灰ころがし”が無性に食べくなるのですが、本来の昔懐かしい「灰ころがし」のお焼きを作っている店は殆どありませんでした。そうした中で、生坂村にお祖母ちゃんが昔ながらの“灰ころがし”のお焼きを「灰焼きお焼き」として売っている店があると聞いていたのですが、高齢故か、不定期でいつやっているか(勿論HPなどネット発信も無く)分からず、ずっと行くのを躊躇っていました。
それが冒頭にご紹介したTVの全国放送の中で、主人公で長野県の東筑摩郡生坂村に移住して開業したパン屋さんが製品を並べて貰っている生坂村の道の駅「いくさかの郷」が出て来て、その中でちらっと紹介されたていたのが併設の食堂で販売されている昔懐かしい“灰ころがし”の「灰焼きおやき」だったのです。
そこで先日、安曇野市の旧明科町の北に位置する、生坂村の道の駅「いくさかの郷」へ行ってきました。明科を過ぎて、犀川沿いに国道19号線を長野方面へ北上して、松本からは30分程で到着。
因みにこの生坂村は松本から北に流れて行く犀川の川幅が狭くなって山清路と呼ばれる渓谷となって両側が山に囲まれている場所で、“昔々”母の犀(龍)の背に乗って体当たりして山を崩し、昔大きな湖だった安曇の水を流して肥沃な平を生み出したという、龍の子太郎のモチーフの一つとされる「泉小太郎伝説」の地でもあります。
数年前から生坂の道の駅「いくさかの郷」に併設された地元のオバサンたちが営む食堂の一角に設けられた直売所で「灰焼きおやき」が毎日製造販売されています。
それが「かあさん家」という食堂(こちらはソバではなく、「灰焼きお焼き」と同じ、地粉で打ったうどんが名物の由)を兼ねた直売所で、一日250個限定で「灰焼きおやき」が地元の農家のオバサンたちの手作りで、実際高温の灰の中に“くべて”焼かれて製造販売されていました。
この日は日曜日だったので、整理券を配っていて一人3個限定。10時の販売開始前に1時間分の100個近くが売り切れていました。1時間ごとに焼き上げて販売している様ですが、早い時は一日250個が昼頃には売り切れとか。
他のお焼きの3倍近くありそうな、ソフトボール程の大きさで320円。焼いたので焦げて固いところもあり、またサカタよりも皮が厚いので(少なくとも記憶上では、我が家のお祖母ちゃんの作った灰ころがしの方が皮が薄くてパリッと焼けて香ばしくて遥かに美味しかった様な・・・)、むしろサカタの方が食べ易い感じですが、家内は美味しいと満足していました(大きいので一つでお腹一杯になります)。
でも客観的なそんな印象よりも、何だか子供の頃の思い出が一緒に蘇って来るような懐かしい味。初めての方も、本来の昔ながらの“灰ころがし”の「お焼き」ですので、“一見の価値”ならぬ“一食の価値”は大いにあるかもしれません。
前回ご紹介させて頂いた様に、PCのオーディオ面強化として購入したPC用のアクティブスピーカー Creative Pebble V2。
僅か3000円足らずでの音質強化や、その使い勝手には非常に満足していますが、前回も記載した様に、唯一の個人的不満は「スピーカーグリルが無いこと」・・・でした。
終活に向けて実家と家を処分して、僅か100㎡の4LDKの狭いマンションへ引っ越すにあたり、設置面積が広くスペース効率の悪い長岡式の傑作バックロードホーンスピーカー「D-101スワンa」は泣く泣く手放してしまったのですが、シンガポール赴任時に自作したこのD-101スワンは、オリジナルではスピーカーグリルが無く、生まれてすぐ帯同した次女がよちよち歩くようになった時に、きっと音の出る部分が不思議だったのでしょう、スプーンで叩いてスピーカーユニットのコーン紙が凹んでしまいました。そのため、その後帰国した折、秋葉原で交換用にオリジナルのFOSTEXの10㎝フルレンジスピーカーユニットFE106Σとそれに適合するスピーカーグリルを購入し、その後マンションへの引っ越し時に手放すまでの25年間、我が家のメインスピーカーとしてずっとリビングに鎮座していました。
また、自作ではなく購入したスピーカー、40年以上も経った現在でもメインのKENWOODの前身時代のTORIO LS-202や、サブシステムのKEFのトールボーイCoda‐9もそれぞれ木枠をサランネットで覆ったスピーカーグリルが付いています。
こうしたスピーカーグリルは、スピーカーを保護して音質を維持するために使用される部材。 スピーカーユニットの音が出る部分を覆うことで、埃などからスピーカーユニットを保護することが出来き、結果としてスピーカー寿命を延ばすことができます。
一方、スピーカーグリルを外すメリットは、一般的には音質(特に高音域)がクリアになる、見た目がスマートになると云われています。
スピーカーのネットを通さずに直接スピーカーの音が耳に届くため、スピーカーグリルを装着している時よりも音がクリアに聞こえると云いますが、これは見た目も含めて、人の好み次第で好き嫌いが分かれます。しかも果たしてそれ程鋭敏な耳を持っているのかどうか・・・。少なくとも私自身は長女の様な絶対音感も持ち合わせていませんので、個人的にはスピーカーグリルがあった方が良いと思っており、先述の自分で取り付けた自作のスワンを始め、市販のスピーカーもスピーカーグリルを装着したまま音楽を聴いてきました。
むしろ私が一番気になるのは埃。長年外したままだと、特にスピーカーユニットのコーン紙などの振動板にハウスダストが溜まって経年劣化が進んでしまい、やがて音質面にも影響が出てしまいます。
スピーカーユニットの大きさに合わせてスピーカーグリルが色々市販されているのですが、これらは皆D-101スワンの時に秋葉原で購入したモノと同様に、自作するスピーカーの部材はシナ合板や集積材などの木製ですので、スピーカーグリルの丸い金属のフレーム枠に穴が開いていて、自作スピーカーの板材に木ねじで留めるタイプ。従って木製ではないCreative Pebbleには使えません。
色々探してみると、我が家のスピーカーもそうですが、純正の木枠のスピーカーグリルが経年劣化で穴が開いたり破れたりした場合などの修理用に、メッシュ状のサランネットも売られています。修理用にこれを購入して、スピーカーグリルの木枠に合わせてカットして自分で張り替えるのですが、云わばサッシの網戸修理と同じです。
ただスピーカーグリル用のサランネットはサイズが汎用で大きいので、
スピーカーユニットのドライバーが僅か2インチのCreative Pebbleには大き過ぎて無駄です。そこで代わりになるモノを探していたら・・・ありました!
それこそ、網戸修理用の補修シールです。これならDIY用のホームセンターだけでなく、100均ショップにも売っています。
Creative Pebbleの2インチのユニットのコーン(振動板)部分をカバーするには最低でも直径6㎝の円形サイズが必要なので、中に90×90サイズの3枚組の補修シールがあり、これを購入することにしました。
また調べて行く中で、ネット情報の中に同じく100均ショップで売られているメッシュケースを切ってスピーカーグリルとして代用したという記事があり、併せてこれも探して、白黒、大小色んな種類やサイズがあった中で、一番網目の細かかった黒のA4サイズを購入し、どちらか合う方で自作してみることにしました。
網戸補修シールは色がグレー、メッシュケースは黒。Creative Pebble V2はブラックを購入したので、色的には黒いメッシュケースの方が合いそうです。
そこで先ずメッシュケースをバラシて、円形の型紙に合わせてハサミで丸く裁断します。
ロゴやボリュームのツマミが隠れてしまわぬ様に楕円形に切り取り、裏面に両面テープ(後で外す場合もふまえ、ポスターなどに使う剝がせるタイプを使用)を出来るだけ細く切って、メッシュシート楕円の形に添って外周に貼り付けて、シールを剥がしてスピーカーに貼り付けて完成です。
因みに、面積上はA4サイズなら12枚取れそうですが、取り敢えず交換用の予備も含めて今回は半分の6枚分を切り取りました。
自宅に工具が揃っている訳では無く、ハサミ(子供たちが学校の家庭科で使った?手芸用バサミ)一つでの素人の手作業ですので(器用/不器用の個人差はありますが)、その出来栄えは決してキレイとは言えませんし、見栄えもあまり良くないかもしれませんが、少なくともスピーカーグリルとしての目的は一応果たせそうです。それに、経費は100均での購入価格が僅か220円で済みましたし、また誰に見せる訳でもありません・・・。
ですので、見た目はともかく目的は飽くまで実用性ということで、「まっ、イイかぁ!?」と自分自身にExcuseしておくことにします。
我が家は今年新盆でした。
先日の第1920話でご紹介した「おせがき(御施餓鬼)法要」は、浄土真宗を除く仏教宗派では一般的な様ですし、地域性は余り無いと思われます。
信州松本地方のお盆は月遅れでの旧盆で、8月の13日が迎え盆、16日が送り盆です。
因みに信州では節句は全て旧暦で行われます(信州では、4月にならないと桃の花が咲きませんし、6月にならないと柏の葉が大きくならないので、陰暦での実施には本来合理性があります)ので、8月7日の七夕が過ぎると(但し、最近では長野県内でも幼稚園などでは七夕を7月7日に実施する方が多いかもしれませんが)、すぐにお盆になります。
昔、「信州の年寄りは必ず天ぷらそばを注文する」とこのブログで書いたことがありますが、信州では(特に戦前・戦中派のお年寄りたちは)天ぷらが大のご馳走なのです。
以前の県庁所在地での比較調査で、小麦粉の消費量が“粉物文化”の大阪などの関西を抑えて(うどんはうどん玉で別)長野県が全国一位だったのですが、これは天ぷらがその理由だと云われていて、これまた消費量全国一番の野菜を日頃の煮物や味噌汁や漬物で食べるだけでなく、これらを天ぷらにすることでご馳走になるからなのだというのがその理由でした(第137話参照)
ですので、その天ぷらをお盆にご先祖さまにもご馳走としてお供えするのです。ナスやカボチャ、サツマイモなどの他に、きっと珍しいのはお饅頭の天ぷらでしょう。但し、これは全県ではなく、長野県でも中南信エリア(中部と南部)が主流の様です。この時期になると、スーパーにはお盆の「天ぷらまんじゅう」としてのお供え用に、お団子を一回り大きくした位の“小振り”のお饅頭がパックで売られています。
そして、ご先祖様を乗せてお連れする精霊馬を作って飾りますが、キュウリの馬とナスの牛です。これは、ご先祖様を迎えるにあたって、「少しでも早く家に帰って来られる」様にお迎えは馬に乗って、そして帰る時には牛に乗って「ゆっくりとお帰りください」という気持ちを表すと云われています。どうやらこれは東日本の風習(西日本は舟形の精霊流しとか)の様です。我が家では昔からトウモロコシのヒゲを馬の尾っぽに見立て、茹でたそうめん一本を背中に掛けて手綱に見立てます。
昔はお盆が終わると、精霊流しの様にこの精霊馬も近くの川に流してご先祖様の霊を天国に返したのですが、環境保護で現在はそれも出来ず、自宅で処分するしかありません。
お盆のお棚には、先述の塔婆とお供え以外に、お寺(当家は浄土宗です)から戴いて来た新盆用と例年同様の先祖供養との2本の塔婆と、五色(左から紫、白、赤、黄、緑の順)の短冊の様な「ご如来」とひらひらした五色の飾りの「真幡」を竹の棒に通して生米の入ったコップに立てて飾り、仏壇からお盆の間だけ全部のお位牌をお棚に移っていただき、祖父の代の時に先々代のご住職に書いて頂いたという「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掛け、家紋の入った灯篭を組み立て、最後に産直市場から盆花を買って来て両脇の花瓶に活けて、先述したお供えと精霊馬を飾って、これにてお迎えの準備完了です。
そして、春(秋はお盆から間が無いので)とお盆の年二回、草刈などのお墓掃除に行って来てから、迎え盆になると松本地域独特らしい白樺の樹皮を剥いで乾かしたカンバ(「樺」、白樺の意)での迎え火をお墓と家の玄関先でも焚いて霊をお迎えします。カンバの灯りで、お墓から家までの道筋をご先祖様に示すと云われています(送り火の場合は逆に玄関→お墓の順番で焚きます。防火上、ペットボトルに水を用意して、火が消えてからちゃんと水も掛けます)。
因みに、カンバはこの時期になるとホームセンターやスーパー等で普通に売っていますので、松本地域以外にもカンバを焚くエリアが長野県内にはあるかもしれません。しかし、少なくとも諏訪地域ではそうした風習は無いようです。家内の実家でもカンバは焚きませんし、婿に入った父方の茅野に住む伯父の家でも、亡き叔父はわざわざ松本からカンバを買って来て、お盆には松本流にカンバを焚いていたそうですが、茅野出身の叔母はカンバは知らなかったそうです。
昔は家から歩いてお墓に行ったので、お墓で迎え火を焚いてから、祖母に「ご先祖様をウチまで背中に負ぶってお連れするだでナ」と云われ、本当に背負う様に背中に手を組んで家まで歩いて帰ったものですが、今は車なので、そうした気持ちだけで勘弁してもらいます。
そして13日にはお寺さんが家に来られ、新盆と先祖供養の回向のお経をあげていただき、期間中に親戚からの新盆のお詣りに来られた対応をして、16日に今度は家の玄関先とお墓で送り火のカンバを焚いて、これでお盆が終わります。
送り盆の8月16日、京都では「五山の送り火」ですが、松本ではカンバの小さな“送り火”を焚いて、ご先祖様をお送りしながら今年の“ゆく夏”を偲びます。
こうして、何とか無事に我が家の新盆を終えることが出来ました。
マンションのベランダでの、夏野菜のプランター栽培。
一番の課題は旅行など不在時の水やりです。特にマンションのベランダは、屋根があるので雨が掛からず、自然水での給水は全く期待出来ません。一日二日ならともかく、五週間近く不在するとなると、この給水問題が一番の課題になります。そのため、昨年長女がまだ東京に居た時には、長期出張や休暇中に婿さんと会うための渡米時などで留守番が一週間以上になることから、二人目が生まれたばかりの次女の支援で家内が横浜に行っている時に時期が重なると、私メが長女の留守中は柴犬のマイの世話に行かねばならず、そのためプランターでの野菜栽培は断念しました。
しかし今年は、長女が幸いNY本社の空きポスト採用に合格してマイも一緒に連れて日本支社からの転勤が出来たので、昨年の様な長期間の東京滞在が不要になることから、南紀白浜旅行から戻った6月末に少し遅めの夏野菜のプランター栽培を開始しました。
ところが、私も次女の戸建てへの引っ越し作業を手伝うことになり、最低でも一週間は不在になることに・・・。
「え~っ!水やりどうしよう?・・??・・・???」
そこで、ネットで留守中の水やりについて検索して色々調べてみました。
先ず選んだのが、100均ショップで売っている「とんがりキャップ」(2個入で税込110円)で、中でも一番評判が良さそうなセリアのモノを購入してみました。
ところが、1ℓのペットボトルだと2~3時間足らずで水が無くなってしまうのです。これでは2ℓに換えても一日と持ちません。説明書きには、『給水量が多い場合は、2ヶ所ある穴のうち1ヶ所をふさいでください。』とあり、念のため、上の穴と下の穴、両方を塞いで試してみたのですが、それだと逆に殆ど水が出ない(土の粒子の大きさにも影響を受けるのかもしれませんが)。かなり斜めに倒すと出て来るケースもありましたが、かなり微妙な調整が必要で、結局穴を塞いでの調整は(少なくとも私は)上手くいきませんでした。
そこで止む無く諦めて、ネットで別の情報を検索した結果見つけたのが、『水やり楽だぞぅ』(株式会社アーランド)という4本入りで800円程度の製品でした。
これは、白いスポンジの太い紐状の様なモノで、ポイントは、その白い棒状が化学繊維ではなく天然素材の綿。その綿の毛細管現象(細い管状物体の内側の液体が管の中を上昇する現象)で自然にペットボトルの水を吸い上げ植木鉢の土に給水していくのです。
説明に依れば、『下に置いたペットボトルから水をくみ上げてくれます。ご家庭の使い終わったペットボトルを再利用して植物に自動給水。毎日の植物への水やりが楽になり、お出かけの際にも安心です。』とのこと。
地元のホームセンターではどこも売っていなかったので、止む無くAmazonで購入。4本入りセットが760円ちょっとで、2セット(計8本)を購入しました。
試しにやってみると、24時間経って2ℓのペットボトルの1/5位減っていました。当然給水時間はペットボトルの大きさに比例するので、2ℓのペットボトルを3つのプランターに合わせて、大きな2つのプランターには各3本、小さな一つのプランターには2本の、合計8本用意して対応することにしました。これで、計算上一週間近くは給水が出来る筈です。
因みにペットボトルの水を全部給水させるには、土の面とペットボトルの高さがポイントとのことなので、発泡スチロールのブロックを購入して自分でカットして高さ10㎝程の置台にしました。
7月上旬に、次女たちの引っ越しの手伝いで、私はちょうど一週間家を不在にしたのですが、8日目の昼過ぎに戻ってみると、2ℓのペットボトルはどれもみな空っぽになっていて水は全て給水し終わっていました。
綿棒はどれもまだ湿り気を残していましたので、空になってから然程時間が経っていないのが分かりました。そして、勿論プランターの土も乾いておらずしっとりと湿っていて、野菜苗は葉っぱも萎れておらずキュウリもミニトマトも、ナスも皆元気でした!
これなら、もし仮にもっと長期に不在になる場合は、2ℓのペットボトルより容量の大きなバケツとかを用意すれば、比例的に不在日数分をカバー出来る筈です。
なおネット記事に拠れば、麻紐などの天然素材を使って自作することも可能な様ですが、素材の違いと太さに依る給水量との調整には試行錯誤での時間と工夫が必要でしょう。
今回の一週間不在での、留守中の水やり。
この株式会社アーランド製の『水やり楽だぞぅ』、大正解でした。