カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 二日目も娘たちは昼夜共友人たちとの卒業祝いのパーティーがあるとのことで、我々はサンフランシスコ観光に行くことにしました。今回唯一の一日観光です。
 サンノゼからは、ホテル前を走るライトレールからカルトレイン(Caltrain)とバート(BART:Bay Area Rapid Transit)を乗り継いで向かいました。サンフランシスコに近付くと、急に霧が発生し気温も下がって来たようです。さすが霧の街。

 先ずは定番の“サンフランシスコ名物”のケーブルカーに乗って、観光スポットのフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)へ向かいます。
Market Streetのケーブルカーのターミナルには8時頃到着したのですが、既に長蛇の列。フィッシャーマンズ・ワーフの朝食が10時半オープンとのことから、ちょうどターミナル横にあった懐かしのバーガーキング(シンガポールではマックよりも人気でした。特にシンガポールでケチャップ代わりだったチリソースは、マックより美味でした)で朝食を済ませてから列へ。まるでディズニーランドのアトラクション待ちです。その間、車両の方向転換などの“見世物”もあり、チップ目当ての路上演奏などもあって行列も飽きさせません。ナンバーは「風に吹かれて」や「悲しみのジェットプレイン」など・・・。
 「あぁ、ここはアメリカや・・・!」
他のお客さんに倣って、私メも1ドル札をチップで渡します。
 3台ほど待って、フィッシャーマンズ・ワーフへ向かう車両に乗り込みます。途中の停留場では、降りる人数も踏まえ、何人乗ってもイイ!と運転手が待っている人たちに声を掛けます。
ダウンタウンの中心から名物の急坂を上って、今度は急坂を下りチャイナタウンの一角を通過しながら、海が見えると終点のフィッシャーマンズ・ワーフです。
こちらは、カニなどのシーフードやサワーブレッドに入ったクラムチャウダーが有名ですが、ランチには娘がSingaporeanの親友から教えてもらったというチャイナタウンの飲茶のレストランへ行く予定だったので、その前にフィッシャーマンズ・ワーフで霧に浮かぶ金門橋やアルカポネが収監されて脱獄不可能と言われた“監獄島”アルカトラズ島を眺めながらハーバーを散策し、お土産用のクラムチャウダーの缶詰を買うためにBoudin Bakery & Caféの売店へ。こちらの店がサワードブレッドの中をくり抜いてクラムチャウダーを中に入れたのが名物の始まりとか。赤い缶が目印です(写真のクラムチャウダーは前回母娘で来た時のもので、Boudinとは別の長女推奨店)。
その後、ゆっくりと歩いてチャイナタウンへの坂を登り、飲茶でランチを堪能し、腹ごなしに歩いて、色とりどりの野菜や果物などが並んだ八百屋さんなどの活気あるチャイナタウンを歩き、コイトタワーの聳えるテレグラフヒルの横を通過して、今度はお土産用のリンツ(Lindt)のLINDORチョコレート専門店を探して歩いてダウンタウンへ戻りました。
 それにしても、婿殿の運転中のナビもそうでしたが(娘は英語案内のまま)、家内のスマホもAT&TのSIMカードにしたので、Googleマップでの日本語案内でルート検索もされて実に便利。そう言えば、Google本社もシリコンバレーのMountain viewに本社を構えていますし、シリコンバレーではテスラが当たり前のように走っていましたし、滞在中にCEOの行動が批判を集めていたUBERもここシリコンバレーから。そうした光と影はあるにせよ、Startupsと呼ばれるベンチャーの起業家たちの活気を感じます。
 さて、お土産用にチョコレートを購入し、同じく他のお土産を購入すべく市内のTrader Joe’sへ。このTrader Joe’sもスタンフォードの卒業生が創業した店なのだとか。フム、観光に来たのかお土産を買いに来たのか分かりませんが、“名物”のケーブルカーにも乗り、Fisherman’s Wharfにも行ったし、坂も上り下りしてサンフランシスコの街歩きもしたし・・。
車が無いと、意外と行くところが限られます。東海岸のメトロやMOMA、或いはボストンの様な、世界から集めた名品の美術館も西海岸には無さそうです。夜までいればサンフランシスコ交響楽団のコンサートもあったのですが、些か歩き疲れたので、また電車を乗り継いで、明るい内にサンノゼに戻ることにしました。

 サンノゼのホテルに荷物を預け、パロアルトへ向かいます。
先ずはスタンフォード大学へ。杉並区に匹敵する33.3km²という全米でも屈指と云われる広大な敷地を持つ私立大学です。パロアルト(El Palo Alto)はスペイン語で「背の高い木」という意味で、この地の目印だった大きなアメリカ杉(Red wood)を指すのだそうです。大学のロゴも赤いSの字をバックに緑のRed woodが描かれています。

 大陸横断鉄道の一部でもあるセントラル・パシフィック鉄道の創立者で、当時カリフォルニア州知事だったL Stanfordが15歳で急逝した一人息子を悼み、その記念に「カリフォルニアの子供は皆我が子」として夫妻で1891年に設立した私立大学。そのため正式名称は“Leland Stanford Junior University”なのだそうです。この地で誕生したHPやサンマイクロ(のSUNは Stanford Univ. Networkの略とか)を始め、地理的にも歴史的にも、名実ともにシリコンバレーの中心となる大学です。広大な敷地の殆どは、当時夫妻の持っていた馬を育てる牧場だったのだそうです。
校訓は「Die Luft der Freiheit weht(独語で自由の風が吹く)」(英語で、The wind of freedom blows)だそうですが、なかなかイイですね。
 先ずは娘の寮へ。スタンフォードのビジネススクールであるGSB(Graduates School of Business 経営大学院)は、2年制のMBAと実務経験の長い人向けの集中制フルタイムでの1年制MSXの2コースがあり、娘はMSXに属していて、それぞれコース毎に寮が完備され、遠隔地からの学生は基本的に寮生活。中には子供連れの学生もいることから、家族向けの寮もあるのだとか。4階建ての寮の娘の部屋はシャワールームと洗面所が独立したワンルームで、キッチンは隣室の寮生と共同。それだけの学費を払っていると言えばそれまでですが、寮内にはジムも完備されていて、寮生はいつでも無料で使うことが出来るのだそうです(廊下に置かれたコーヒーサーバーも無料でした)。寮からGSBへは道を一本挟んですぐ。GSB内にはカフェ(ビールやワインも飲めるそうです。奥さまのイチオシはポピーシ-ドケーキとか)や学食も整備されています。
 広大なキャンバスは自然が活かされ、まるで公園の様です。自然林の様な林も残されていて、野生のリスやピーターラビットに似たウサギも生息しているのだとか。実際、リスは至る所で見掛けましたが、今回はウサギには会えませんでした。
パロアルトの駅からは大学まで歩いて25分程度。平日は、構内は元より、駅からも大学構内へ大学のバス(Free Shuttle)が頻繁に運行されていて、大学構内だけではなく、スーパーやレストランなどの在るショッピングモールへもアクセスしていて、誰でも無料で乗車することが出来るのでとても便利です。
大学にはビジターセンターもあり、無料のキャンパスツァーも行われていますが、3度目の奥さまに付いて見どころを回ります(ツアーで英語で説明されても所詮分かりませんし・・・)。
 構内は南欧の様な赤いレンガのイメージで統一されたコロニアル風の建物が続きます。周囲を取り囲む木々や芝生の緑と、建物の赤の対比が鮮やかです。そして、空は正に“カリフォルニアの青い空”(Albert Hammondでしたっけ、古いな・・・)。
先ずは大学の美術館(Cantor Arts Center)へ。ロダンの「考える人」を始めとする彫刻群や絵画などを多数収蔵していて、入場無料でしかも撮影可(フラッシュ不可)。
次に、広大な芝生の前庭(The Oval)を抜けてMain Quodと呼ばれる中庭を通り、教会(Memorial Church)へ。こちらは創立者であるLelandが亡くなった時に、妻Janeが寄進した教会だそうです。色鮮やかなステンドグラスを通して差し込む光だけの静謐な世界に、荘厳な雰囲気が漂います。背後には立派なパイプオルガンも設置されていました。
大学のランドマークは高さ87mのフーバータワー(Hoover Tower)。卒業生である第31代フーバー大統領を称え、創立50周年記念として1941年に建設されたそうです。娘の大学のIDがあれば無料でしたが、既に失効していた卒業後に行ったため入場料は$4でした。14階の展望台からは絶景の360度。眼下の大学全景のみならず、シリコンバレーや遠くサンフランシスコ湾までが遠望出来ます。
30数年前の出張時に、パロアルトの赴任者が車での通り掛かりに「ここがシリコンバレーで有名なスタンフォード大学だよ」と教えてくれた時の記憶は、ヤシの並木道からのフーバータワーを望む景色だったか・・・。それがパロアルト駅から続くその名もPalm Street。当時は想像だにしませんでしたが、まさか今そこに(娘のお陰で)自分が立っているとは・・・。
 娘に頼まれて、全員が卒業式にレンタルで着用した黒いガウンを返却するためにブックストアへ。角帽は記念で、返却不要とのこと。ついでにブックストアへ。出版物もありますが、文房具やPCは元よりスタンフォードのマークやロゴが入ったありとあらゆるグッズ(帽子、Tシャツ、スタジャン、マグカップなどなど・・・しかも、キッズ用から親用まで・・・)が並んでいました。ブランド戦略、恐るべし・・・。
 米国の有力大学はどこもスポーツにも力を入れていますが、スタンフォードも同様。構内には、立派なフットボールスタジアムや陸上競技場、テニスコートなどは元よりゴルフ場まで完備されていて、トム・ワトソンは卒業生。タイ・ガーウッズもここで腕を磨き、中退してプロになったのだとか。
 サンノゼやサンフランシスコではホームレスの人たちをたくさん見掛けますが、ここパロアルトでは一切見掛けませんでした。一方、パロアルトは全米一物価も高いのだとか。要するに金持ちしか住めず、結果として治安も良いのか、大学の敷地内では朝など普通にジョギングをしている人たちがたくさんいて、何だか別世界の様でした。

 6月17日に行われる長女の経営大学院卒業式出席のため、アメリカ西海岸に一週間程行って来ました。
米国本土にはこれまで5~6回来ていますが、会社員時代の米国出張以来ですので多分15年振りくらい。しかも、今回のシリコンバレーとサンフランシスコとなると恐らく30年振り?・・・見当もつきません。因みに、奥さまは1年前の留学時の生活セットアップ、次女との観光を兼ねての訪問と併せて、今回で3度目です。従って、搭乗手続きに始まり出国から米国入国まで、慣れた家内の指示通りに金魚のフンの如く付き従います。

 今回我々はサンノゼ市内のホテルに滞在するのですが、フライトの都合で成田からサンフランシスコへ。婿殿がほぼ同時刻で先着しており、車で迎えに来た娘に一緒にピックアップしてもらいます。
9.11以降、厳しくなって時間も掛かると聞いていた米国の入国審査と通関も(今回は)呆気ないほどスムーズに終了し、到着ロビーで彼等と無事再会。日本では不要と運転免許を取らず、留学後に現地では必須と免許を取得した娘の運転で、サンノゼのホテルに向かいます。
 大学の在るパロアルト(実際は隣接とのこと)はサンフランシスコからはサンノゼ寄りの途中にあるのですが、我々の荷物を先にホテル預けるため、パルアルトを通り越して先にサンノゼに向かいます。サンフランシスコとサンノゼ間は当然ハイウェイでルート101を1時間程度のドライです。家内は気が気ではない様ですが、追い越し車線も含め流れに合わせた運転で実にスムーズ。もしかすると、日本国内での運転経験が無いので、右ハンドルから左ハンドルへの違和感や先入観が無い分、慣れも早いのかもしれません。或いは、私メの運転に似て、どんなに飛ばしてもDNAの波長が合うのかも・・・。

 サンノゼのホテルに荷物を預け、大学の在るパロアルトへ向かいます。
さて、シリコンバレーの旅がスタートです。

 インドには“○○マサラ”という料理はあっても、カレー(Curry)という料理は無い・・・。
所謂“カレーライス”は英国経由で我が国に明治期にもたらされ、独自の工夫で進化した立派な“日本食”であり、むしろ「お母さんの味」の家庭料理として、レストランではなく各家庭で食べるべきモノだと思っています。少なくともインド料理とは全く別物。

 シンガポール赴任中、北インド料理店に行っても、メニューを見ても正直分からないので、「Chickenでmild」とか、「Prawnのmedium hot」とかオーダーすると、チキンやエビ、マトンや野菜といった食材毎に調合されたスパイスの違いにより数ある“○○マサラ”のメニューの中からインド人のオジサンが(多分日本人の好みに合いそうな)“○○マサラ”を適当?に選んでくれていました。常連になって顔を覚えてもらった以降は、その日に食べたい食材を言うだけで好みの味と辛さの“いつもの○○マサラ”が毎回出てくるようになりました。

 日本では、まして田舎ではそうしたインド料理はなかなか食べられないので、自宅で(北)インド風のカレーをナントか楽しみたい・・・・という前提で、市販のルーを買ってきては試してみました。基本的に、インドですからポークやビーフはあり得ないし、そうかといって新鮮なマトンはなかなか手に入らないので、決まってチキンを選択。ハイナニーズ・チキンライスで有名だったシンガポールの「チャターボックス」のチキンカレーも絶品でしたので、そのイメージです。

 スーパーの店頭で見つかったのが、創健社の「インド風カレー」とS&Bのスパイシー・シリーズの「ケララカレー」(ケララ州は南インドですが、店頭にはそれしかありませんでした)。
 バーモントやゴールデン、ジャワといった定番の“家庭のカレーライス”が中心のルーよりも、レトルトカレーの方が(有名店監修といった商品を含め)今や遥かに種類が豊富。しかし自宅で作るので、煮込むタイプのルーで、レトルトは除外です。
クミンやコリアンダーシード、ガラムマサラといったスパイス類、ココナッツミルク、といった食材は昔よりはるかに豊富に店頭に並んでいますが、複雑なカレーを自分で調合するのは不可能です。もしそうであれば、S&Bの“赤のカレー缶”を使った方がむしろ良いかもしれません(家内曰く、次女が創った赤缶とココナッツミルクだけのチキンカレーが実に美味しかったとか)が、必要な皿数分のカレーを作るには一缶では足りませんので、結果的には結構高価になります。
S&Bのスパイシー・シリーズの「ケララカレー(チキンカレー)」の“手作りカレーセット”と云うだけあって結構本格化。先ず、玉ネギなどを炒めるだけ専用のクミンシードがあり、水を加えた後に煮込み用スパイスとブイヨンを加え、煮込んだ後でカレールー、最後に仕上げ用の辛味スパイスと香りスパイスを加えて更に人に一煮立ちさせて完成と結構手間暇が掛かります。
辛味スパイスを全て入れても味はマイルドで甘みもありました。何となくインド的な風味は感じました。フム、なかなか・・・。
・・・と思った(=個別のスパイスなど本格的で、作る側の満足度を満たし、個人的には高評価だった)のですが、後で二つを食べ比べてみたら、結局それまで時々買って作っていた創健社の「インド風カレー」と殆ど変りませんでした。
オイオイ・・・、だったら工数的に簡単な創健社の「インド風カレー」の方が作るのは楽・・・。
 都会なら、例えば明治屋とか紀ノ国屋、或いは成城石井といったスーパーならもっと色々な選択肢があるのかもしれませんが、田舎ではそれも望めず・・・。

 「おうおう、こちとら江戸っ子でぇ。・・・気が短けぇんだい!」
いくら、古典落語に登場する八つぁん、熊さんがせっかちな江戸っ子だとはいえ、ちょいと早過ぎませんかねぇ、尾瀬センセ!と言いたくなった「どうらく息子」が最終回!?
・・・ビッグコミック・オリジナルに2010年から連載されていた、落語家修行の噺家を描いた尾瀬あきら作「どうらく息子」が3月20日発売号を以って終了してしまいました。そして、5月末に最終第18巻を以ってビッグコミックスも完了。雑誌だと“かさ張る”ので、コミックスを生まれて初めて全巻購入しました。

 最終回では、6年前に銅楽師匠の独演会で「文七元結」を聞いて弟子入りを志願した銅ら治が、袖に居る師匠に聞いてもらいながら、その「文七元結」を自身の独演会で演じての最終回。「あや音と所帯持つって言うから言うけどサ、ホントは銅ら治のことが好きだったんだよ」と言いながら出囃子の太鼓を叩き、大ネタに挑む弟弟子を「行っといで!」と励ますように送り出す姐弟子の銅ら美。
 銅楽の「まだまだだな。」に、「はい。」と互いに相槌を打ちながら袖で聞く銅ら美とあや音。「5年したら、また聞いてやるか。」と銅ら治に花向けの言葉を贈る師匠の銅楽。
 最後はお久と文七が結ばれ、「元結屋」を開き大層繁盛したというお馴染の下げの中で、「このお久と文七がやがて夫婦となり、子をもうけ・・・」と授かった新しい命に触れたことに気付き、そっと頬を赤らめる袖のあや音。

 大団円とはいえ、銅ら治が真打に昇進するまで何としても続けて欲しかった!・・・という思いが拭えません。
かくなる上は、5年後に銅ら治が再演する「文七元結」を師匠銅楽が袖で聞く場面から再開して欲しい!

 社会人になって以来40年近く、毎月2回、ずっと購入し続けたビッグコミック・オリジナル。栄枯盛衰、終わりは必ずあるモノと想いつつも、これ程喪失感のある連載終了は初めてです。
お陰で、全く知らなかった古典落語の世界もゼロから勉強し、どっぷりとその深さにハマることが出来ました。そして、その影響で、市の図書館から志ん生、円生、小さんといった嘗ての名人たちのCDを借りて、作中で取り上げられた古典落語を本寸法で聞き、更に時々は松本で開催される寄席で生落語にも触れ、落語の世界の奥深さや面白さを知り、自分の世界が少し拡がった様な気がしました(特に「どうらく息子」で描かれている修行の世界を通じて、柳亭小痴楽さんなどイキの良い二ツ目さんたちに今惹かれています)。
 7年間の連載で、「どうらく息子」で取り上げられた古典落語は、下げ(落ち)だけが取り上げられていた噺(「宿屋の仇討ち」)も含め、ざっと数えて70話。
「寿限無」や「やかん」、「道灌」といった前座噺に始まり、「親子酒」、「狸賽」、「権助魚」、「初天神」といった滑稽話や、「子別れ」、「妾馬」といった人情噺や「天狗裁き」、「鰍沢」といった大根多まで。中でも良かったのは、銅楽師匠の演じた「文七元結」、夢六師匠の「芝浜」、銅ら治の「紺屋高尾」、あや音の「たちきり」・・・どれもみんな良かったなぁ。
 尾瀬あきら氏の、「夏子の酒」以上の傑作だったと確信しています。最初から最後の第168話まで落語監修を続けた柳家三三師匠にも感謝です。
あぁ、淋し・・・(グスン)。

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