カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 全国のお城は、“白鷺城”と呼ばれる姫路城に代表される白漆喰で塗られた白いお城と、別名“烏城”の岡山城や熊本城の様に、漆喰保護が目的の下見板張を黒く塗った豊臣系に多いとされる黒いお城に分かれますが、その“黒いお城”の中で、唯一松本城だけが築城当時から今でも黒漆が塗られているお城で、しかも毎年秋に塗り直されているのだそうです。

今年も9月になって、その工事が始まりました。松本城管理事務所の説明に依ると、
『松本城では、天守の塗装部分の塗り替え工事を実施します。
この工事は、松本城の保全を目的として、漆の塗装と乾燥に適したこの時期に毎年実施しています。昭和41年から毎年実施しているものです。
工事期間中は、月見櫓への入場制限や外壁への足場の設置、塗装部分を保護するために天守の一部を白いシートで覆う期間もございますので、あらかじめご了承ください。
工事内容:松本城天守下見板・月見櫓欄干の漆部分の塗り替え 』
 何年か前、“城郭ライター”萩原さちこ女史の松本城に関する講演会で、「松本の皆さんは誇りに思うべきです」と強調されていたのが、この黒漆でした。そして「是非知っていてください」と更に強調していたのが、漆塗りを長年善意で支えて来られた地元の漆職人の方のエピソードでした。
以下、萩原さんの書かれた文章から、その関係する箇所を拝借させていただくと、
『地元の漆職人の碇屋公章さん。昭和の解体修理の際、先代の碇屋儀一さんが請負ったものの、材料費を考えれば儲けはなく、どちらかというと善意での参画だったようです。
儀一さんはひとりですべての壁面を塗り直した後、なんとその後の約10年間は自腹で修復をしていたそう。前述のように、漆は1年も経てば傷みが目立ちはじめます。日々傷みを増し汚れていく松本城天守群の姿を、儀一さんは職人として放っておけなかったようです。
全国唯一の漆黒の天守は、職人の心意気と誇りによって伝統となり、日本の宝となった歴史があります。』
その碇屋公章さんという漆職人さんが営まれているのが、市内の天神に在る「碇屋漆器店」。因みに「いかりや」と読みます。
 信州の凍てつく冬に向けて、今年も9月から10月末に掛けて、先ず月見櫓が白いシートで覆われ、赤い欄干の漆塗りに始まり五層六階の大天守や乾小天守まで、複合連結式天守閣の松本城全体の黒漆の塗り替え工事がスタートしました。
そして松本平にアルプス颪(おろし)が吹き始める11月には、まさに文字通り漆黒の輝きを増した松本城が今年も見られる筈です。

 シンガポール・チャンギ空港への出店を記念してとのことで、ファミレスの「ロイヤルホスト」で、7月から2ヶ月間の夏季限定で実施されていた“シンガポール料理フェア”。
近所の渚のショッピングモールに在るスーパーマーケット、ツルヤに買い物行く度に“ロイホ”の前を通るので、実施していることは前から知ってはいたのですが、東京のシンガポール料理の専門店ならいざ知らず、全国チェーンのファミレスでは本格的な再現は無理だろうと、その実施内容を些か訝しく感じていて、これまで食べに行ったことはありませんでした。

でも限定期間が間も無く終了ということを知り、ここ松本でせっかくシンガポール料理が食べられるのなら、例えそれがシンガポール“的”料理であってもイイからと、ダメ元で食べに行ってみることにしました。
事前にH/Pでメニューをチェックすると、シンガポールの屋台街“ホーカーセンター”をイメージしたという定食のセットメニューは、チキンライス、ラクサ、フィッシュヘッドカレー風のシーフードカレーをそれぞれメインにした3種類だけで、他には現地シンガポールのローカルフードの定番であるバクテーを始め、フィッシュボールヌードルやチャークイティヤオも、またホッケンミーも無く、“シンガポール料理フェア” と呼ぶには些か寂しい内容ではあるのですが、でも「シンガポール政府観光局とシンガポール航空の協力」とキャッチコピーで銘打ってあったので、それだったら或る程度は期待出来るかもしれないと思いました。何しろ、この松本でシンガポール料理が食べられるのですから!
(*下の写真は、東京のシンガポール料理店の「海南鶏飯」、基本の3種類のソースが添えられた“正統派”のチキンライスです)
 1994年の帰任後、6年半に亘ったシンガポール駐在中、住んでいた近くのニュートンサーカスを始め現地のホーカーセンターで親しんだローカルフード(チキンライスを始め、どれもこれも僅か数ドルで食べられるのです)が無性に懐かしくて、都内の大学に進学していた娘たちから東京にシンガポール料理店があるらしいと聞いていて、家内と上京した時に初めて食べた水道橋の「海南鶏飯食堂」本店が、今から15年前の2009年。
それまでの帰任後の15年間、どうしても食べたくて見様見真似で自宅でチキンライスを作っていました(第1344話参照ください)。
新鮮な鶏肉を、臭みを取るべく生姜や長葱と一緒に煮て、その煮汁でタイ米を炊けば完成です。タイ米は、現地出身の方が調理している本格的なタイ料理店が松本にも数軒あり、その内の一軒が併設している食材店でジャスミン米が買えました。
好みでコリアンダー(シャンツァイ、パクチー)を刻んで、煮汁のスープに散らします。パクチーは、現地でカンコンと呼ぶ空心菜同様に、日本でも地元のスーパーで買える様になっていました。そう云えば家内がパクチーが大好きで、新鮮なパクチーを求めて、日本人は余り行かないローカルマーケットに買いに何度も行かされましたっけ・・・。シンガポール風チキンライスには、キュウリ(日本のキュウリの3倍は長くて、大味な現地のキュウリですが)も不可欠。タレはお好みで、チリソースとすりおろした生姜を混ぜて。チリソースは松本でも購入出来ましたが、ダークソイソースだけは東京の、例えば紀ノ国屋や明治屋で探しても見つかりませんでした。
その当時は「チキンライス」とネット検索しても、オムライスの中身に使う様な所謂ケチャップライスしかヒットせず、今で云う“シンガポール料理”などというジャンルはこの世にまだ存在しなかったのです(蛇足ですが、現地にも勿論“シンガポールフード”というジャンルはなく、言うならば“ローカルフード”ということでしょう)。
その後、初めて日本で食べたこの「海南鶏飯食堂」を知ったのも、チキンライスでもシンガポール料理でもなく、モノは試しと「海南鶏飯」と入力検索して偶然見つけた店でした(因みに英語が公用語のシンガポールでは、英語を使わない場合の中国系同士は別として、中国語の「海南鶏飯」とはあまり使わず、英語でも丁寧に Hainanese Chicken Rice と言うよりも単純にChicken Rice と使う方が多かったと思います。むしろ、そう聞いてケチャップライスを連想する人はシンガポールでは皆無だったかも・・・)。2010年には既に都内で複数店舗展開をするなどして、次第にケチャップライスではなく、シンガポールの「海南鶏飯」という意味でのチキンライスが東京では徐々に浸透していきました。
そして、その後上京した時に何度か食べに行ったのが、現地で新しく人気No.1 になったという田町の「威南記海南鶏飯(ウィーナムキー ハイナンチーハン)」。因みに、個人的に「威南記」で食べるのは、現地No.1というチキンライスではなく、ここでしか食べられないローストチキンヌードルが懐かしいまさに現地のホーカーセンターの屋台の懐かしい味で、私メはここではこれ一択。
また、10年程前に次女が見つけて連れて行ってくれた、東京の恵比寿のシンガポール料理店「新東記」で食べた時に、初めてチキンライス用のダークソイソースが販売されているのを家内が見つけて購入したのですが、これも正に現地で食べたあの味でした。しかし、その後もこのダークソイソースだけは今でもなかなか東京でも入手出来ずにいます。
シンガポール料理店では、他にも麻布台の長女のマンション近くに在った「オリエンタルカフェ&レストラン」には、チキンライスだけではなくてちゃんとホッケンミーもありました。
どの店にも当然個性があり、シンガポール時代に家族全員が好きだった現地の人気店だったオーチャードのマンダリンホテルの「チャターボックス」のチキンライスとは味が多少違っても、十分びシンガポールを思い出させてくれた懐かしい味でした。
因みに、日本帰国後10年振りに初めて日本でチキンライスが食べられた時の水道橋の「海南鶏飯食堂」の食器は、シンガポールのその「チャターボックス」から払い下げて貰った食器だったのです(余談ながら、次女の航空会社勤務時代ですが、ファミリーチケットで次女と家内が二人でシンガポールに旅行した際、チャターボックスにも食べに行ったら、ホテルはヒルトンに変わり値段も二倍にアップし、当時の料理長も独立していて、昔のあのチキンライスの味ではなくなっていた由)。
そして“シンガポールの料理”という意味で、“シンガポール料理”というジャンルもタイ料理やベトナム料理などと同様に、今では我が国ではアジアのエスニック料理の一つのジャンルとしてどうやら定着しつつある様です。
 長女が渡米したので上京する機会が減ってしまいましたが、今回地元松本で食べた「ロイホ」のシンガポールフード。
我々のオーダーは、二人共やっぱり海南鶏飯(チキンライス)セット(税抜き2680円で、チキンスープと海老のサテー付き)にしました。家内はパロアルトでの思い出の懐かしいケールサラダを追加、そして私メは松本で飲めるのは望外のタイガービールもオーダー(シンガポールのモルト100%ビールです。他には同じ会社のラガービールのアンカービールが現地での定番でした)。
さて、肝心の海南鶏飯(チキンライス)は、チキンが柔らかで十二分に合格点でした。ただ、付け合わせのソースが、チリソースが小皿ではなくチキンの横に少し添えられていただけで、小皿の生姜ソースはまだ良いとして、ダークソイソースはただ“焦げ臭い”だけで、現地のそれとは全くの別物。またチキンを生姜などで煮た煮汁でのチキンスープは、塩味が勝ち過ぎ。そして何よりいただかなかったのは、タイ米です。残念ながらセントラルキッチン方式での調理済みの冷凍品なのか、香りも無くパサパサで、これでは本来のタイ米の美味しさが伝わりません。今では日本でも買えるジャスミン米などの本来のタイ米は味も香りもあって本当に美味しくて、ナシゴレンなどのヤキメシ類や東南アジア特有の“ぶっかけ飯”には、モチモチした日本米よりむしろタイ米の方が遥かに適しています。
セットに添えられていたサテーは、現地でも食べたことが無かった海老が二本。
シンガポール駐在当時、国会議事堂や国立博物館、ビクトリアホールなどが立ち並んでいた官庁街のシティーホールの、広い芝生の広場にあったのが通称“サテークラブ”で、ここにはサテーを焼く屋台が立ち並んでいました。
本来のサテーはマレー風の焼き鳥で、ピーナッツソースを絡めて食べるのが定番。モスリムでは豚肉は御法度なので、チキン、ビーフ、マトンの串焼きで、中には(カレーパウダーをまぶして焼いた)カレー味もあった様に記憶しています。
サテーは日本の焼き鳥よりも小振りで、10本くらいをまとまってオーダーしていました。日本の焼き鳥に慣れた舌にはピーナッツソースは甘いので、時にはシンプルに塩味で食べたくなったものです。でも、慣れるとその独特の味と香ばしさがとても美味しくて、今でも懐かしく感じます。今の現地の状況は分かりませんが、少なくとも当時海老のサテーは一度も食べたことがありませんでした。
しかし今回初めてサテーで食べる海老は香ばしくて、海老そのものも甘くて美味しい!そしてピーナツソースも現地の味に近く、サテーも十分合格点でした。
 たとえ夏の間のたった二ヶ月間の季節限定だったとはいえ、東京ならともかく、この田舎の信州松本でも食べることが出来た“シンガポール料理”の海南鶏飯のチキンライス。
松本にも現地出身の方が調理されている美味しいタイ料理のレストランは幾つかあるので、“カオマンガイ”はここ松本でも食べることが出来ますが、同じ中国の海南島からの移民たちが伝えたとはいえ、その後の歴史経過や現地の食文化との融合の中で少しずつ異なった方向を歩んで来ているので使うソースなどが異なり、やはり海南鶏飯とは似て非なるモノ。そのシンガポールのチキンライスである海南鶏飯を松本で食べることが出来、しかもそれが十分現地の味、或いは東京で食べることが出来る味に近かったのは思い掛けない収穫でした。
シンガポール料理店が松本に出来るのは期待薄でしょうから、毎年ではないようですが、また数年後にロイホで“シンガポール料理フェア”が実施されるのを楽しみに待ちたいと思います。そして、出来れば、チャークイティヤオやホッケンミーなど、他のシンガポールのホーカーセンターでポピュラーなローカルフードもメニューに加わらんことを願って・・・。

 下界ではまだまだ猛暑日が続いていた9月初旬、地元紙が報じたところに依れば、今年の夏山期間中(7月1日~8月31日)、長野県内での夏山遭難は昨年より15件多い116件の遭難が発生し、24人多い125人が遭難したそうです。過去10年で件数は2番目に多く、また人数は最多だったとのこと。そしてその約6割が北アルプスでの発生だったそうです。
遭難者全体では、亡くなった人は前年より5人多い15人、行方不明1人、負傷者は6人少ない53人で無事救出されたのが24人多い56人だったとのこと。そして死者15人中11人が北アルプスでの遭難だった由。
遭難の内容は、勿論転落や滑落が一番多くて34件、そして転倒が24件ですが、一方で体力不足や熱中症に起因する疲労遭難も27件だったとのこと。
その遭難者の9割は長野県外居住の方で、そして遭難者の約85%が50歳以上だったそうです。

 毎朝5時半過ぎからコユキの散歩に出かけると、夏休み期間中などは、それこそ毎日の様に、毎朝しかも多い時は二度三度と頭上を県警ヘリの「やまびこ」が、北アルプス方面から爆音を響かせて、ヘリポートのある救急病院の「信大附属病院」や「相澤病院」へ向かって頭上を飛んで行きます。
それを見る度に、「あぁ、また山での遭難者かなぁ・・・」と感じてしまいます。
長野県では、佐久の佐久総合病院と松本の信大附属病院にドクターヘリも常駐して広い県の全域をカバーしていますが、ドクターヘリは救急らしい赤と白の機体で、一方松本空港に常駐している二機の県警ヘリ「やまびこ」は、信州らしい水色の機体なのですぐに区別出来ます。
救助された遭難者を一刻も早く病院へ搬送すべく、もし昼間救助されれば朝一番で飛行することは無いはずなので、夜間飛行が出来ずに朝一番などで北アルプスから飛んで来たヘリは、もしかすると夕刻救助され山小屋で保護されていたか、或いは二次遭難を避けるために夜間救助が出来ず、翌朝一番で活動を再開し救助された遭難者なのかもしれません(写真は9月16日朝7時半、雲が厚く垂れ込める中、北アルプス方面から低空飛行で「相澤病院」に飛来した「やまびこ」の機影です)。
 近年の中高年の登山ブームと、コロナ禍で街中ではなく自然の中なら感染しないだろうという安心感が更に拍車を掛け、またインバウンドでの海外からの登山者も含め、この夏、松本駅にはリュックを背負ったたくさんの観光客で賑わっていました。どこへ登るのだろうという羨ましさと、特に岩場に向かうのであろうリュックにヘルメットを付けている登山者には、どうか無事に下山して、また松本駅舎の古い木彫りの表札に触れられる様にと祈らずにはいられませんでした。
個人的には、それまで美ヶ原や八方池や白駒池からのニュウなどの登山やトレッキングはしていたものの、6年前でしたが、中学校での燕への学校登山以来、初めての2500mの森林限界を超える北アルプス唐松岳への日帰り登山で、熱中症だったのか脱水症の様な状態で立っていられずに、水を飲み塩飴を舐めた結果僅か5分程で嘘の様に回復したのですが、その間、行き交う登山者の方から口々に「大丈夫ですか?」とか「すぐそこに山荘が在りますよ!」と心配され励まされた苦い経験からすると(八方池を過ぎての帰路では今度は家内が木道でコケましたし)、もしかすると一歩間違えれば救助をお願いする様な事態だって有り得たのかもしれないと思うと、今年も体力不足や熱中症に起因する疲労遭難が27件もあったそうですので、自戒を込めて、我々初心者の中高年登山者は、一次救助の役割も担う山小屋のスタッフの方々や山岳救助隊の皆さんに迷惑を掛けぬ様に、くれぐれも用心しないといけないと思うのです。
この前もローカルTVのニュースだったかYouTubeだったか、大学生などの若いグループが八ヶ岳登山で同行者に動けない人が出てしまって救助を要請し、駆けつけた山岳救助隊員から「もっと水を持って来なくちゃだめじゃない!」とか「山を甘く見ちゃダメだから!」と叱責にも似た注意を受けているのを視たのですが、本当にその通りだと感じた次第です。
まるでハイキングの様な軽装で富士山に登る外国人観光客などの様子が報道されましたが、いくら登山は自己責任とはいえ、また富士山の様に例え入山禁止になった山で勝手にゲートを潜り抜けて登った身勝手な登山者であっても、もしも一たび遭難し救助要請があれば各県警の山岳救助隊や一次救助の任を追う山小屋スタッフなどは対応をせざるを得ず、自己責任だけでは決して済まされないのですから・・・。
 本当は、私メもまた中学校以来の燕岳や槍穂高の絶景を眺めに蝶ヶ岳に登りたいのですが、我々は燕や蝶へは日帰り登山は無理で、山小屋泊が必要なのでコユキを家に置いては行けません。
そのため、せいぜい美ヶ原や近くの里山への登山やトレッキングでお茶を濁してはいるのですが、毎日北アルプスを眺める度に、また松本駅でリュックを担いだ登山者を見掛ける度に憧れが募ります。と同時に、皆さんの無事の下山を祈ります。
 9月に入り北アルプスは、燕岳ではもう草紅葉も始まって秋の風情とか・・・。
おそらく北アルプスから遭難者を運んで来たであろう県警の「やまびこ」を見る度に、そんな自戒と共に警鐘を鳴らしたいと感じた夏山シーズンでした。
(注記:掲載した山の写真は2018年の唐松岳登山で撮影したものです)

 車が無いと生活出来ない信州では当たり前なのですが、 “日常生活上” 基本的に車の台数は人数分必要で、最低でも一家に2台。その内1台は冬に備えて4WD が必須で、使用区分的に云うと、1台はどちらかと云うと買い物などの“街乗り”中心の下駄替わり。そしてもう1台は、どちらかというと遠出用でしょうか。
会社勤めを終え、子供たちも巣立ち、断捨離と終活でスーパーマーケットまで歩いて行けるマンションに移った我が家ですので、もうそろそろ1台に集約してしまっても良いのですが、孫たちが来ることもあるので今でも車は2台保有していて、その2台分確保しているマンションの駐車場は縦列駐車。従って、後ろに駐車している車を使う時は、出し入れしないといけなくて、我が家だけではありませんが、その間場合によっては他の方に迷惑を掛けてしまうこともあります。
しかし、下駄替わりばかりの車ばかりを使っていては、時々は他の車も乗らないとバッテリーが上がってしまうこともあります。ある程度走行しないとアイドリングストップが効かないくらいならまだ良いのですが、その結果ドライブレコーダーが録画出来ないと万が一の時に支障があります。そのため、ある程度定期的に2台とも使用する必要があります。
家内が居る時はまだ良いのですが、家内が次女の所に行っていて不在の時は一人で車を出し入れしないといけないので、他の方の迷惑にならぬよう気を使って結構大変です。

 さて、前置きが長くなりました。そんな目的で、2台目で少し遠出してのドライブのために選んだのが県道有明大町線、通称“山麓線”です。ここは旧穂高町の北アルプスに沿って、北アルプスの前山で“信濃富士”と呼ばれる有明山の麓を走る県道で、昔“学者村”と云われた別荘地や温泉リゾートホテル、小さな美術館などが点在していて、“安曇野”で今や人気の観光道路です。
今回目的地に選んだのは、有明山神社に隣接するという「そば処 くるまや」。
この穂高有明地区にはたくさんのお蕎麦屋さんが点在していますが、同じ山麓線沿いにある「天満沢」同様に、“気狂いざる”で知られる大盛りのざるそばで有名なお蕎麦屋さんです。
山麓線からは少し奥まった処に在りますが、有明山神社を目指して行けば良いでしょう。因みに有明山神社はその名の通り背後に聳える有明山をご神体としている神社です。この神社は本宮で、有明山の山頂には奥宮の祠が鎮座しているそうです。祭神はそれぞれ異なりますが、奴国発祥の海洋民族安曇族を祖とし、上高地に奥宮が在って明神池でお舟祭りを営む穂高神社の不思議さと対比するように、片やこの有明山神社は修験道の山岳信仰の社であり北アルプスの麓に鎮座するのに相応しい神社でもあります。
 さて、「くるまや」は11時開店とのことですが、我々が11時半頃到着すると、神社と共有という結構広い駐車場には県外車も含め既に10台くらい停まっていて、次から次へとお客さんが訪れていました。
幸い行列は無く、すぐにテーブル席に案内頂きました。店内はテーブル席と畳敷きの小あがりの座卓、そして奥にさらにまたテーブル席とかなりの席数がある様ですが、この日は平日なのにほぼ満席。今では来る途中の山麓線沿いに在った「天満沢」よりも、こちらの方が人気店の様です。
普通の紙のメニュー表もありますが、効率化か、昔ながらの蕎麦店には珍しく、注文は直接各テーブルに置かれたタブレットから。家内はとろろざる、私メはざるの大盛り。馬肉のもつ煮などの一品も美味しそうでしたが、車では飲めないので我慢我慢。因みに我々は、母たちの世代の信州のお年寄りとは異なり、蕎麦を食べる時に天ぷらは頼まず、蕎麦のみで勝負。
メニューは、ざるそばが650円、大盛りが930円、二人前ざるが1300円、三人前の大ざるが1950円、そして五人前の“気狂いざる”が3250円とのこと。なお半ざる(450円)もあったので、小食の女性やちょっと物足りなかった時に後で追加するには有難いかもしれません。
因みに、メニューの表記に依れば、一人前が“生麺”で180gとのことでしたので、茹でれば優に200g超、大盛りだと1.5人前だとして300gはあるかもしれません。ですので二人前でもかなりの量ですし、“気狂いざる”に至っては1㎏超ということでしょうか・・・。
後で後悔したのは、最近は“もりそば”を“ざる”と称する店も多い中で、ちゃんとチェックすると、メニューには「ざる」と「もり」がしっかりと区別されていたこと。海苔は蕎麦の香りを邪魔するので、「あぁ、盛りの方が良かったなぁ・・・」とは後の祭り。
最初に運ばれて来たのは、最近の“有名店”にありがちの僅かばかりの量ではなく、小皿にたっぷり盛られたネギと生ワサビの薬味。
松本市内の蕎麦屋の中には、長ネギの青い部分と芯は捨ててしまい、薬味に使うのは白ネギの外側部分だけを僅か数切れと、お灸のもぐさと見紛うばかりの小指の先っぽ程の生わさびと大根おろしなど、蕎麦の香りの邪魔をする薬味は不要とばかりに変に通ぶる店もありますが、「蕎麦屋はこうでなくっちゃ!」と一人合点(余談ながら、駅前の“立ち食いソバ”の「イイダ屋」は、冷凍麺なのでざるよりもむしろ温蕎麦向けですが、今でも薬味のネギは自由に入れ放題。その意気やヨシ!)。
二人分徳利に入ってきた蕎麦つゆは、信州らしくなく塩辛いのは良しとして、ただ節の香りは弱くて醤油の塩味が勝ち過ぎの様な気がしましたが、ただこれは個人の嗜好次第。
嬉しかったのは、さすがは地元穂高のたっぷりの生わさびで、卸し立てか、非常に香りが強かったこと。
さて、肝心の蕎麦はどうやら二八の様ですが、感想はこれまた個人のお好みで評価が分かれるかもしれませんが、新そば前の夏なので蕎麦に香りが無いのは止むを得ないとしても、捏ねる水が多いのか或いは茹で過ぎなのか、余りにコシが無さ過ぎたこと。ですので、大盛りを頼んで時間が経つと、半分位食べた後の残りの麺がのびて、更に麺が柔らかくなってしまいます。
 「うーん、これじゃあなぁ・・・。」
コスパの良いのは大いに認めるとしても、何とも残念でした。案の定、家内曰く、
 「もう、ここは来なくてイイかな・・・。」
惜しいなぁ、これで麺にもう少しコシさえあれば・・・。この店は雰囲気を含めて薬味も良心的ですし、蕎麦湯も蕎麦粉を別に溶いたのかドロドロでしたし、何よりコスパが最高なのですから・・・。

 準備が簡単故に、朝食は何となくパン食にすることが多いのですが、以前は娘たち推奨のAladdinのオーブントースターで厚切り食パンをトーストしていました。ただバターや、ジャムを縫って食べることも勿論ありますが、時には(食パンが些か古くなると)、家内からは「良く、ズクがあるわね!?」と呆れられながら、フレンチトーストにする時もあります(信州弁で、「ずく」は面倒臭がらずに対処すること。面倒臭がり屋は「ずく無し」。ちょっとした対処をする場合は「小ずくがある」とか・・・)。
因みに、我が家にはそれ用かどうか知りませんが、ちゃんとシナモンパウダーも他のスパイス類や調味料に交じって常備されています。
ジャムでは、自分の好みは松本に工場がある「スドージャム」のマーマレードが甘過ぎず、且つ小瓶で無いので終わった後の処分も簡単なので愛用していたのですが(子供の頃の学校給食でも、小袋入りのジャムはスドーでしたので、松本の人間には馴染みがあります)、次女の婿殿のご実家の庭にあるという夏ミカンの皮を使って、家内が横浜滞在中に作る自家製マーマレードが甘過ぎず苦みもあって抜群なので気に入っています。

 さて、そんな中、最近嵌まっているのが、長女が今年の2月に渡米する際に置いて行ったキッチンウェアの中にあったホットサンドメーカーです。
昨年次女が二人目を出産して以降、家内が育児支援や家事手伝いに毎月横浜に出掛けているのですが、その不在中にそれまで仕舞いっ放しだったのを、長女が麻布台に居た時に連れて行ってくれて一度で気に入ってファンになった(多分もう行く機会はありませんが)、飯倉片町の外苑東通りに面した「VERVE COFFEE ROASTERS (ヴァーヴ・コーヒー・ロースターズ六本木)」で食べたホットサンド(一番上の写真です)を思い出して、一度使ってみようと思い、薄切りの食パン(8枚切り)を買って来て試してみました(上の写真は、昨年行った時のVERVEのホットサンドです)。
中の具は、取り敢えずシンプルに目玉焼きを先に作って食パンで挟みます。味付けはシンガポール風にチリソース。両面1分ずつ位でしょうか。ガスコンロがある程度焼けるとピピッと警告音で弱火になるので、ひっくり返して同様に。
味がプロのVerveに適う筈もありませんが、これが意外にイケル!
そこで、ヤマザキの「ランチパック」ではありませんが、近所のスーパーのツルヤの総菜売り場で、中の具材様に、例えばメンチカツやハムカツ、ポテトサラダ、マカロニサラダなどを買って来て、また時には前日の夕食で余った牡蠣フライ、チキンソテー、そして何もない時は目玉焼きなど、ホットサンドの中身の具材を変えながら試しています。
勿論、VERVEの様に美味しく出来る訳ではありませんが、例えトンカツソースやチリソースだけでも、或いはサラダの時には辛子マヨネーズなど、例えシンプルであっても個人的には結構満足しています。
そして、付け合わせとして例えサニーレタスだけであっても、必ず野菜も添えて・・・。では、いただきます!

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