カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 南紀白浜から熊野本宮大社まで車で走り、朝8:50に到着。
この日歩く熊野古道中辺路の発心門王子へのバスの出発時間9:20まで30分近く時間がありましたので、先に本宮大社にお参りを済ませておくことにしました。

 全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山の中でも最も古く、参詣のための道である熊野古道の中で一番多くの人々が辿った中辺路で、苦労して歩いて来て最初に辿り着く熊野三山がこの熊野本宮大社。その縁起は、創建二千年とも伝わる熊野信仰の中心となる神社です。
大鳥居をくぐり、158段という石段を上ります。石段の両脇には無数の幟と大きな杉並木が続き、厳かな雰囲気がその歴史を感じさせています。
神門をくぐると檜皮葺の立派な社殿(本殿)が姿を現します。四つの社殿があり、向かって左から二つの社殿が夫須美大神(イザナミノミコト)・速玉大神(イザナギノミコト)の両神。中央の社殿が主神の家津美御子大神(スサノオノミコト)。そして右手に天照大神が祀られていて、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として古来多くの信仰を集めてきました。
説明に従い、その四つの社殿に順番に娘たちの分も含めて祈願し参拝を済ませ、また石段を下って発心門王子へ行くために本宮前のバス停に向かいました。
 朝本宮大社からバスで移動して、歩き始めた発心門王子から7㎞の中辺路を二時間半掛けて歩いて来ると、ゴールの本宮大社には本殿の裏手から境内に入ります。
因みに拝殿横に八咫烏の像がありましたが、熊野三山においてこの八咫烏は神使とされており、八咫烏は熊野大神に仕える存在として信仰されていて、熊野のシンボルとされているのだそうです。
私たちは朝の内に御本殿の四社には既にお参りしてありましたが、本殿右隣の満山社にはまだお参りして無かったのでここで参拝し、158段の石段を下って、本殿から旧社地の大斎原まで国道を渡り徒歩10分程の距離を歩き、日本一という大鳥居をくぐって、嘗ての熊野本宮大社があった大斎原へ向かうことにしました。
熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲に嘗ては本宮大社が在り、当時は能舞台などもあって現在の8倍もの規模を誇っていましたが、明治22年の大洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟が明治24年(1891)に現在地に移築・遷座され、それが今日お参りして来た今の本宮大社であり、元々社殿が在った場所が「大斎原」として、洪水で流されて移設再建されなかった中四社、下四社、境内摂末社の神々が今でもこの地で祀られています。
その大斎原への参道には、中辺路の展望台から見えた高さ34mの日本一大きいという八咫烏を付けた大鳥居が聳えていて(因みに平安神宮の大鳥居は24mで、第3位だそうです)、またこの大斎原こそが、中辺路を歩いて来た参拝者が初めて本宮の姿を目で見て確認し、感動して平伏し拝んだというあの伏拝王子から見える中洲でもあります。
その日本一の大鳥居をくぐり、参道を歩いて来て、創建以来ホンのつい最近とも云える明治まで二千年近く社殿が在ったという場所に立つと、現在の本宮大社の“現物”の本殿とはまた違った、目には見えぬとも確かに神秘的で何だか不思議な感覚に包まれるのを感じます。それを“パワースポット”と呼ぶには余りに単純過ぎる気がしますが、しかしこれこそが、もしかすると今なお多くの人々が“何も無い”様な古道を歩いて求める、否、歩いてこそ求め得る“モノ”なのかもしれないと感じられ、そんな感慨に包まれながら暫しその場に佇んでいました。そしてある意味この不思議な感慨こそが、念願だった熊野古道を歩いて良かったと本当に思えた瞬間でもありました。
帰りに熊野川の河原に行くと、広いこの河原を三途の川に見立てて浄土への思いを込めたのか、沢山の石積みがありました。
そこから来る時に立ち寄れなかった産田社にも立ち寄ってお詣り。これで熊野本宮管内の全ての社に参拝をすることが出来ました。
 さて、時間は午後1時。ここで昼食にします。
本宮の前に何軒か食堂があり、スープカレーのカフェにも惹かれたのですが、ここはやっぱり和食でしょ!と、手打ちうどんのお店に行くと順番待ちの行列で諦め(ただ、看板には蕎麦は4割と謳ってありましたが、むしろ貴重だった小麦を多くすることが当時のもてなしだった戸隠蕎麦の7割はともかく、6割になると蕎麦というよりむしろうどん“ぽく”なるので、もし4割の蕎麦なら手打ちうどんを選ぶべきでしょう)、他の喫茶店へ。
そこはカレーやナポリタンといった定番の洋食に加え、生姜焼きやから揚げなどの定食類もありましたが、「うどんとめはり寿司のセット」(確か1050円だったか)というメニューがあったので、せっかくここまで来たので二人共郷土料理の「めはり寿司」の入ったこのセットにしました。
因みに「めはり寿司」とは、塩漬けにした高菜の葉でご飯を巻いたオニギリで、古くからこの熊野の山間部で食べられていたという郷土食。その昔、山から材木を熊野川に沿って出す、筏師(いかだし)のお弁当として広まったと伝えられ、熊野を代表する料理だそうです。隣県の奈良の柿の葉寿司同様に、発酵した高菜にも殺菌作用もあるのでしょうか。
また「めはり寿司」という名称は、「目張り寿司」とも書かれ、これには大きく口を開けて食べることに伴って、自然と目も見開く表情に由来するという説や、大きな握り飯を崩れないように高菜で「目張り」し、完全に包み込むことに由来するという説、更には熊野水軍の見張り番が食べていたから「見張り寿司」が「めはり寿司」となった・・・という説も存在しているのだとか。
和歌山県を代表する郷土食として人気で、新宮や那智勝浦など県内のJR駅での駅弁や南紀白浜空港の空弁としても売られているそうです。
またうどんに関しては、奥さまはこれで十分とのことでしたが、つゆがスープとしては出汁が効いてとても美味しいのですが、うどんと一緒に食べると私メには些か薄味過ぎました。京都のうどんだってもう少し塩味があるけどなぁ・・・と独りぶつぶつ。
一方、めはり寿司は、ご飯は酢飯ではないと思いますが、野沢菜漬け同様に、包んだ高菜は塩漬けも発行が進むと酸っぱくなる様で、少し酸味が感じられ、素朴で美味しかったです。
 余談ですが、古道で一緒になったオーストラリア人のご主人が来られ、店員さんの女性と話して何かもめている様でしたので助け船に行くと、歩き終えてビールが飲みたかったそうなのですが、聞くとこの店にはアルコールは無いとのことで、その旨伝えると納得して他の店を探しに行かれました。

 前日の大雨が上がって快晴となった5月29日、南紀白浜4日目。今回の旅行の目的でもある、念願の熊野古道を歩くことにしました。

 “熊野古道”というのは「熊野三山」と呼ばれる「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の3つの大社へと繋がる参詣道のことを指し、2004年に“世界遺産”に登録されています。
そして、熊野古道には「中辺路」、「伊勢路」、「小辺路」、「紀伊路」、「大辺路」という5つの古道が存在し、その幾つもあるこの熊野詣の参詣道の中で最も多く使われた道が、田辺から紀伊山地に入り熊野本宮大社・熊野速玉(はやたま)大社を通って熊野那智大社に至るルートの「中辺路」(なかへち)です。
紀伊水道に面する田辺から始まり、先ず熊野本宮大社へと向かうこのルート。京の都を出て、淀川を船で下って難波の天満橋辺りで上陸し、今度は海沿いに陸路で紀伊田辺に入り、そこから山中を分け入って行くこの中辺路は、熊野詣が盛んになった平安時代には、後鳥羽天皇や上皇に同行した藤原定家、そして和泉式部も歩んだルートと云われています。
他の古道の伊勢路(いせじ)は、伊勢神宮から熊野三山それぞれの大社へと向かうルート。そして、小辺路(こへち)は、高野山と熊野本宮大社をつなぐ、およそ70kmの参詣道。また紀伊路(きいじ)は、京都の城南宮を起点に大阪府堺市や紀伊田辺を経由して熊野三山へと繋がるルート。そして大辺路(おおへち)は、田辺を海沿いに南下する那智勝浦町経由のルートです。
その中で、世界遺産となった今でも熊野古道の中で一番人気があるのが、平安時代から最も多く使われた“巡礼の道”であり、田辺から熊野本宮大社を経由して行く、今回歩く「中辺路」なのです。
その起点となる田辺市の西側の滝尻王子から熊野本宮大社までがメインの38㎞で、通しで歩く場合は途中の民宿に泊まりながら二泊三日で踏破するのが一般的行程とか。我々の様なワンコ連れは泊まれないので、南紀白浜からの日帰りで、ルートを選びながら二日間中辺路の熊野古道を歩くことにしました。
 その場合の候補となるコースは3つ。
一つが、中辺路の起点となる滝尻王子から高原熊野神社までの約4㎞、2時間半程のコース。熊野三山の聖域の始まりである滝尻王子から見晴らしの良い高原まで急坂を上って行くルートとのこと。正に中辺路のスタートです。
二つ目は、熊野古道のシンボル的存在「牛馬童子」の像を途中で見る、牛馬童子口から近露(ちかつゆ)王子に向かうコースで、1.5㎞、1時間の初心者向けコースの由。因みに、その牛と馬にまたがる僧服の石像は、花山法皇の熊野詣の旅姿であるとも云われ、高さ50cmと小さくてかわいい人気の石像なのだそうです(熊野の険しき道は牛に乗り、平坦な道は馬で行けという教えとか。但し作られたのは明治期の由)。

(写真は古道のパンフレットからお借りしました。牛馬童子の隣は修験道の開祖である“役行者”行基像)
そして3つ目が、発心門王子から熊野本宮大社に至る、中辺路のクライマックスとも云える7km、3時間のコース。因みに、発心門王子は、五体王子の1つで、ここから先が熊野本宮大社の神域とされています。
それぞれのコースへは先ず白浜からJR紀伊田辺駅に行って、そこから路線バスで向かうのですが、本数はせいぜい1時間に一本あるかどうか。また、例えば3つ目のコースの発心門口までは紀伊田辺駅からはバスを途中乗り継いで2時間半位掛かりそうです。でも熊野古道を歩くなら、何としても本宮大社までは行きたい・・・。また家内は、今回出来れば那智大社と那智の滝にも是非行ってみたいとのこと。そうすると、二日間の内、それぞれの大社を一日ずつ回る前提で各一日を割り充てるしかありません。
 そこで、色々調べて検討した結果、バスではなく車で移動することにして、一日目に発心門王子から熊野本宮大社まで。二日目にこれまた熊野古道の中では有名な大門坂から那智大社を経て那智の滝までのコースを歩くことにして、車はそれぞれ本宮大社と大門坂の無料駐車場に停め、スタート地点と各大社との間を路線バスで移動することにしました。
因みに、熊野古道の名を世界に広めることに貢献したという「田辺市熊野ツーリズムビューロー」のH/Pから、各ルートの詳細なウォークマップをダウンロードすることが出来て本当に便利です。我々も事前にプリントアウトして、道中携帯し常に参照しました。
 一日目の5月29日。前日の大雨も上がり、朝から快晴です。古道の山道は昨日の雨でぬかるんでいるでしょうが、止むを得ません。南紀白浜から熊野本宮大社までは、NAVI上で60㎞、1時間半の表示。朝7時半に出発しました。
国道311号線を走り、途中から富田川に沿って次第に山道になりますが、ホテルのフロントで前日、「途中かなりの山道ですが・・・」と言われましたが、“信州人”故山道には慣れています。カーブの続く山道に入ると、交通量も多くはありません。途中、中辺路の文字が現れると熊野古道に来たことを実感します。峠を越えて川の流れが変わり、やがて本宮町に入って今度は熊野川に沿って走ると間も無く熊野本宮大社が見え、1時間10分程で9時前に到着しました。まだ早かったので、10台程しかない鳥居脇の無料駐車場に停めることが出来ましたが、もし一杯の場合は少し離れた熊野川の河川敷の広い駐車スペースに停められるのだそうです。
発心門王子行のバス(交通系ICカードは使えません)までに30分程あったので、時間の有効活用で先に本宮大社にお参りをしてから、「世界遺産熊野本宮館」前のバス停から発心門王子までは、古道を歩けば2時間以上の道のりも、バスでは僅か20分程でした。驚いたことに、乗車した10数人は我々以外の全員が外国人!。しかも欧米人が殆どなのです。以前の中山道馬籠宿から妻籠宿への“Samurai Road”もそうでしたが、こうした日本の古の道に惹かれるのは、今や外国の人たちの方が多いのでしょうか。
そして、我々も含めその乗車していた全員が終点となる発心門王子最寄りのバス停で降りて発心門王子に立ち寄った上で、全員が熊野古道を歩きます。また別の10人程の中国人の団体は貸し切りバスで来ていて、荷物はバスに積んで身軽になって、同様に全員で発心門から歩く様でした。
そうした海外からの皆さんに共通しているのは、ちゃんとトレッキング用の靴やリュック、そして殆どの人が両手にトレッキングポールを持つなど、本格的に歩く格好をしていること。このルートは日頃の登山に比べると標高差が余り無いので我々はポールは持ってきませんでしたが、同様に我々もいつもの登山用のスタイルです。
 バス停から反対側に少し歩いた所に発心門王子の祠が在ります。因みに、熊野古道で云う「王子」というのは、熊野の神様の御子神が祀られている処で、往時の参詣者の休憩所でもあり、我々も道行の無事をお願いしお参りをしてから、9:50古道へと歩を進めます。感心するのは、ポイントとなる地点には必ず「熊野古道」と日英両方で書かれた標識が立てられていたり、逆に「この道は古道ではありません」という注意書きがされていたりと、これなら初めてでも迷うことも無いでしょう。本当に良く整備されていて、地元の方々の熊野古道に対する愛情が、歩いているとそこかしこから伝わってきます。
因みに、各王子にはスタンプが置いてあるスタンプ台があって、海外からの皆さんが「巡礼手帳」にスタンプを押しながら次へ向かうのが印象的でしたが、各王子でお参りをするのはどうやら我々だけの様でした(我々は押印はせず)。世界遺産“巡礼の道”めぐりの捉え方は、多少異なる様です。
バス停に戻り「熊野古道」の書かれた案内板に沿って歩いて行きます。因みに、このバス停横に公共のトイレが在り、道程にはトイレが少ないので注意が必要です。
発心門から暫くは集落の中を通る舗装道路を歩き、水呑王子からは古道らしい土の道になります。伏拝の集落に入ると周りの斜面には段々畑の小さな茶畑があり、その向こうに紀伊山地の山並みが拡がっています。
先を行く、我々よりも年配のカップルが声を掛けて来て、私のリュックに付けていた鈴が熊除けかどうか聞いてきました。すると私の回答を聞いて、ご主人が奥さまに、
 「ほら、やっぱりそうだっただろう!」
 「もし熊に会ったら、こうすればイイ!」
と私たちに説明してくれるご主人に、奥さまが、
 「また、いい加減なこと言って・・・」
 「いや、これはバッファローに対峙する時の対応だけど、多分同じ筈・・・」
それをきっかけに話をすると、お二人はオーストラリアからだとか。どうして(日本でもこんな辺鄙な)熊野古道を選んだのか聞くと、
 「いや、だって有名だろ!?“ World Heritage ”なんだから!」
と、当たり前のことを聞くな!と言わんばかりの答え。
伏拝王子には休憩所があり、そこで温泉水で淹れたというコーヒー(200円!)と自家製のドーナツを注文して休憩。すると、そこに先程のオーストラリアからのご夫婦も来られ、熊野古道と染め抜かれた藍染めの手拭を手に取って「これは何?」との質問に、ちょうど登山用の手拭を首に巻いていた家内が使い方を説明すると、「じゃあ記念に買うよ!」とお土産に購入するというので、コーヒー代と合わせての値段を説明。地元のオバサンお二人で休憩所を運営されていて、お客さんは殆ど外国人なのに全く英語を話されないのですが、実に逞しい限りでした。

 我々は伏拝(ふしおがみ)王子にお参りして先に歩を進めます。
休憩所から少し階段を上った高台に在る伏拝王子は、嘗ては古道を何日も掛けて歩いて来て、ここで初めて本宮大社の旧社の場所が望めた場所で、その感激に平伏し拝んだことから名付けられたのだそうです。伏拝王子への階段脇には、道中二ヶ所目の清楚なササユリが咲いていて、現代の巡礼の旅人を癒してくれるかの様でした。
高台に在る伏拝王子からは緩やかな下り坂となり、如何にも古道と呼べそうな杉木立の中を道が続いています。
那智大社からの小辺路との合流点には、その名の通り三軒の茶店があったという三軒茶屋跡と、昔は熊野詣の参拝者から通行税を徴収したという九鬼ヶ口関所跡が在り、今は休憩所とトイレが置かれていました。そこからまた少し登り道になり、ここにも昨日の雨の影響でかなりぬかるんで至る所に水溜まりが出来ていて、スニーカーではなく、ちゃんと防水のトレッキングシューズで来て正解でした。
途中石段の古道などを歩いて行くと「ちょっと寄り道展望台」の表示があり、せっかくなので少し回り道をして寄ってみることにしました。
広場の様になっていた場所からは、眼下に本宮大社の大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えます。何人もの外国人の皆さんがベンチで休憩していて、カナダから来たという年配のご夫婦は、昨晩泊まった民宿で今朝持たせてくれたという、オニギリが二つと玉子焼きなどの入った純日本風のランチボックスを美味しいと言って昼食に食べていました。
来た時と違う方向に歩いて行くスペインからのカップルに聞くと、この道で古道にまた合流する筈とのこと。それにしても皆さんしっかりと良く調べてあります。
ここからは本宮大社ももう直ぐです。石畳の道が終わると、集落の中を通り、石の階段を下って祓殿王子を過ぎると、もう大社はすぐそこです。
熊野本宮大社には裏手から入って、発心門王子からの7㎞、無事に本日の熊野古道中辺路のゴールとなりました。12:20、ほぼ行程表通りの2時間半の道行でした。

 松本から520㎞超、初めての南紀白浜。
今回5泊6日での行き帰りの移動日を運転だけに費やしたので、観光等に使えた中4日の内、最初の二日間は予報通りの雨。特に28日は南紀白浜も100㎜の大雨で、終日ホテルから一歩も外には出られませんでしたが、その前日は午後には雨が止んだので、南紀白浜の景勝地、三段壁をワンコも一緒に観光に行くことにしました。

 ホテルで観光案内等のパンフレットをチェックすると、南紀白浜の観光スポットとしては、海岸線の熊野南紀ジオパークにも指定されている「三段壁」、「千畳敷」、「円月島」、そしてパンダで有名な「アドベンチャーワールド」があります。
日本列島最大の半島である紀伊半島は、ユーラシア、太平洋、そしてフィリピンの3つのプレートの沈み込みによって形成された付加体(海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む際に、その境界となる海溝の陸側に付加されて形成される地質構造)と、その付加体の上に溜まった前弧海盆堆積体(付加体が盛り上がってできたお盆のような海底の凹みに陸から流れてきた砂や泥が堆積したもの)、そして約1500年前の火山活動によって形成された火成岩体が隆起と浸食によって削られ、特に紀伊半島南部では独特な自然景観等を作っていて、「熊野南紀ジオパーク」として認定登録されているのですが、この1500万年前の火山の大噴火(因みに阿蘇山のカルデラを最終的に形成した大噴火は9万年前です)は、日本列島の歴史の中でも最大級と云われ、その古代の名残が、串本の「橋杭岩」や「那智の滝」など現在の南紀地方に残されているのです。
そして、先述の南紀白浜の景勝地「三段壁」、「千畳敷」、「円月島」もそのジオパークを構成するジオサイトとして認定されており、ホテルから一番近かった「三段壁」に行ってみることにしました。

 町営の無料駐車場に停め、歩いて数分の海岸に向かいます。平日でも数十人観光客が来ていましたが、声の大きさもあって中国人の団体客が目立ちます。因みに南紀白浜への観光では、アドベンチャーワールドへ行くか、或いはこうした景勝地を観光するかしか、他に行く所はありません。
その南紀白浜を代表する景勝地である50m程の高さの海岸の岩壁の「三段壁」は、解説に由ると『前弧海盆に堆積した田辺層群上部層の厚い砂岩層がつくる高さ50メートル程の海食崖(波の浸食に拠って作られた崖)です。その下部には海食洞が形成されています。枯木灘弧状岩脈の北部延長に位置し、周辺に鉱山跡がいくつか存在します。洞窟内の砂岩層から鉱床成分がしみ出し、茶褐色に変色している部分があります。また、熊野水軍の伝説が残っています。』とのこと。
 海岸の建物内にあるエレベーターで地底まで36m降りて、「三段壁洞窟」を見ることが出来ます。入場料が1500円/人。ワンコも抱いているかリュックなどに入っていればOKとのことでしたので、コユキもリュックに入って一緒に見学することにしました。
洞窟内はトンネルの様にぐるっと一周200m回ることが出来、途中熊野水軍が船を隠したという伝説の大きな洞窟があり、熊野灘から押し寄せる波がせり上がり岩肌にぶつかって、まるで潮を吹くように白波が弾ける様は迫力があります。
三段壁は知らなくとも、源平合戦の屋島・壇ノ浦の戦いは有名ですが、その源氏側が勝利するきっかけとなったのが、熊野水軍。それまでは平家側に付いていた熊野別当湛増は、実の子である武蔵坊弁慶から源氏方への加勢を要請され、神の意向を占い、その結果に従って源氏に与(くみ)することに決め、この熊野の地から軍船200艘を率いて屋島に向けて船出して、源氏の大勝利に貢献したと言い伝えられているのだそうです。
そんな逸話を知り、白い飛沫を上げる洞窟とその波が砕ける時のドーンという轟音を聞いていると、何だか歴史のロマンを感じざるを得ません。
上に戻り、崖の上の遊歩道を歩いて行くと、海に突き出た崖先の上にチョコンと載った岩を見ることが出来ますが、これが「サドンロック」とか。
2018年9月に平成30年台風第21号が日本を直撃した後、三段壁上に巨大な岩石が出現したことが確認され、この岩石は2021年に名称が一般から募集され、“三段”にも掛けてサドンロック(Sudden Rock)と命名されたのだそうです。本州最南端、台風銀座の潮岬の在る紀伊半島とはいえ、歴史のロマンと共に自然の驚異をも感じさせてくれた三段壁でした。
 翌日は、紀伊半島も大雨。南紀白浜では100㎜の降水量を観測したとかで、未明から夕刻まで終日の雨降りで、この日は一日どこも出ることが出来ませんでした。昔小学生の頃だったか教科書で習った尾鷲を代表に、ただでさえ降水量の多い紀伊半島ではあるのですが、今回の第一の目的だった熊野古道を優先した結果、南紀白浜ではアドベンチャーワールドも、夕日の沈む円月島も結果諦めて他にはどこも観光出来ませんでしたので、この日の三段壁が南紀白浜での結局唯一の観光となりました。

 もう7年近く前ですが、一度計画して直前になって断念した、世界遺産熊野古道の中辺路を歩く旅。

 その時は去年16才で亡くなったナナを妹に預けて、羽田から飛行機で南紀白浜空港へ飛ぶ予定でしたが(当時次女が勤めていた外資系航空会社のアライアンスの関係で、同じアライアンス・グループの日系航空会社の国内線もファミリーチケットで乗れたので)、記憶が定かではありませんが、確かその頃ナナの具合が一時良くない時期があって、不在中に妹に迷惑を掛けてはいけないので旅行を諦めたのだと思います。
そして、その後保護犬のコユキを二匹目のワンコとして迎え入れて、結果ナナは奇跡的に元気になってくれたのですが、一方のコユキは臆病で他人にはなつかないし、以前の檻に入れられて虐待されていただろうブリーダーを思い出させるのも可哀想で、そのためケージに入るペットホテルには預けられないので、コユキが来てからは念願だった熊野古道へ行くことは、車では遠すぎるからと諦めていました。
勿論、飛行機ではなく電車で大阪から紀勢本線の特急で行くことも可能ですが、電車移動だと途中ワンコが休憩できるポイントも無いので、行くとしたらSAなどの屋外でナナとコユキが休める車で行くしかありません。しかし車だと、松本から南紀白浜へは520㎞以上のロングドライブなのですが、今回はコユキも一緒に電車ではなく、その車で行くことにしました。
と言うのも、昨年軽井沢のドッグヴィラのあるホテルに滞在した時に、居合わせた我々よりも年配の山梨県在住のご夫婦から、車で南紀白浜迄行ってとても良かったことをお聞きして、「車で大丈夫ですよ!」と勧められ(おだてられ?)、(少なくともご夫婦よりは若輩の)我々も車で行くことにした次第です。
昔、ハワイに遊びに行く家族たちを送って、松本から成田往復600㎞を運転した時は最後疲れて本当に大変だったのですが、2年前だったか、松本へ帰省する長女と一緒に車で帰るため、旅行先の京都から彼女の麻布台のマンションまで500㎞弱運転したのですが、ACCを使ったら全然大丈夫だったのです。
今はACCさえあれば、高速道路ならアクセルもブレーキも一切不要。ただハンドルを握っていれば良いので、500㎞を超える様な長距離運転でも脚は然程疲れません。
今回の南紀白浜行はロングドライブになるので5泊としたのですが、疲労をふまえ、初日と最終日は移動のみに充てるだけにして他に予定は入れませんので、道中必要なら何度でも休みながらノンビリ行けば良いし、焦る必要もありません。従って、5泊6日の中で観光に使えるのは中4日間だけになります。
唯一の問題は5月末の天気が雨予報で、しかも台風も発生した由。地元での登山なら天気の良い日を選べば良いのですが、数少ないドッグヴィラの予約を直前になって取り直すのは不可能なので、元々計画した日程で行くしかありません。
行き帰りの日を除くと、中4日中二日間は雨予報。そこで、残り二日間を熊野古道に充てることにします。

 2004年に世界遺産に登録された熊野古道。
熊野古道の中辺路(なかへち)は、田辺市の起点からメインの熊野本宮神社までを通しで歩くと40㎞近くあるので、本来は途中民宿などに二泊くらいしながら踏破するコースなのですが、ワンコ連れだと(泊めてもらえず)無理なので、日帰りで滞在先のドッグヴィラの在る南紀白浜町まで戻らないといけません。そのため全行程歩くのは到底無理で、行程の最初と最後をそれぞれ(帰路はバスも使って)日帰りで二日間歩くつもりです。

 事前のPCの道路検索では、松本から南紀白浜へは5時間半くらいの到達時間でしたので、チェックイン時間に合わせて、余裕を見て8時半に自宅を出発しました。すると、Naviは6時間半の到達予想とのこと。
表示された経路は、中央道から東名を経由して名神、そして京都の手前から京滋バイパスに入り、第二京阪、阪和、紀勢道路へと、宇治から枚方・門真、堺を経て和歌山へ至るルートで、ゴールの南紀白浜まで520㎞ちょっとの表示です。
この日は日曜日だったので、そこそこ混んでいましたが、ルート上には特に渋滞箇所は無く、途中、いつもの名神一宮SAのドッグランで休憩し、初めての大阪府内の運転でしたが無事和歌山県に入ったので、阪和道の紀ノ川SA(和歌山市)で二度目の休憩を取りました。広々として気持ちの良いSAでした。個人的には「紀の川」と聞くと、何となく有吉佐和子が連想されます。因みに紀の川は奈良県内では吉野川と呼ばれていて、和歌山県に入ってから名称が変わります。
この辺りまで来ると、新緑を迎えた山の緑も信州などの山とは色味が違い、信州の里山には無い赤茶系の若葉の木々が所々目立つ様な気がします。そして「有田」という名前が目立つ様になると、山の急な斜面までミカン畑が道路の周りに拡がって来て、名実共に和歌山に来たことを実感させてくれます。
信州や青森の消毒や草刈りで機械が入る平地やなだらかな丘陵地のリンゴ園と違い、所に拠ってはかなりの急斜面に石垣まで組んで段々畑の様にして植えられているミカン畑。限られた平地は田んぼに使うためか、或いはその方がむしろ日当たりが良いのか・・・。ただ(嘗ては)同じ果樹農家のハシクレとして、その一方での剪定や消毒、収穫時などの農作業の過酷さを想います。
 紀伊田辺ICで高速を降り、途中、海鮮マーケットである「とれとれ市場」でこの日の夕食にお刺身等を買って、無事滞在先のホテルに到着することが出来ました。買い物に立ち寄ったこともあり、松本を出て7時間!掛かって4時半過ぎの到着。しかし6時間半のロングドライブは、ACCのお陰で脚はそれ程疲れなかったものの、イヤハヤ南紀白浜は本当に遠かった・・・。
でも夕刻、ホテルの近くから見た紀伊水道に沈む夕日はキレイで、本当に海に来たことを実感しました。

 ラーメン好きとしては、松本市内でも(「寸八」とか「麺匠佐藤」とかの行列店は避け)「わかまつ」や塩尻市の「国堺」などのラーメン店で、好みの醤油ラーメンを食べるのも楽しみですが、イチイチ車で行くのも面倒臭いし、やっぱり毎回独りで食べるのも何だか寂しい(娘たちは結構ラーメン好きなのですが、家内はラーメンが全然好みではない)ので、時には自宅で自家製のラーメンを作って楽しんでいます。

 ラーメンの食材と云えば、麺、スープ、チャーシュー、メンマ、薬味のネギ。
この内、さすがに麺とスープは自家製、自分で作るというのはちょっと無理なので、出来合いの麺と小袋入りのスープが何種類(ちゃんと味噌、醤油、塩、とんこつなどがあります)かスーパーに売っているのでお好みを買ってきます。またメンマも同様です。



 売られている中には、勿論全国の有名ラーメン店監修という大手食品メーカーの生麺もありますが、値段も高いので、その場合に重宝するのは、個別に売られている(個人的に好みの)細縮れ麺の中華麺と、同様に小袋で売られているラーメンスープ。私の場合は、鶏ガラ系の醤油スープ一択なのですが、それでもサッポロとか比内地鶏とか結構色々あった中で、全て試してみて、甘味と塩味、旨味とコクのバランスが自身の好みに一番近くて気に入ったのが、こちらの二種類のスープ。でもどちらも決して値段の高いスープではありません。
そしてチャーシューもスーパーに売っていますが、数枚しか入っていないのに結構値段が高いので、こちらは自分で作ることにしました。食肉売場にはタコ糸で巻いた国産豚の肩ロース肉の塊が売られているので、これで作ります。
先ずはフライパンで炒めて、周りにこんがりと焼き色を付けてから、レシピを参考に、醤油と砂糖、酒でタレを作り、青ネギ、生姜、ニンニクを隠し味に加えて、一時間ほどコトコト煮詰めて出来上がり。
粗熱を取ってから出来るだけ薄くスライスして、残ったタレに漬けて冷蔵庫で保存します。一週間弱しか保存出来ないので、結構一度にチャーシューメン的に何枚も使うことになり、自宅でのラーメンも結構“豪華“です。
細麺の縮れ麺は、指定時間より短い好みの固茹でにしています(例えば、ツルヤの信越明星製のこの麺は、1分半の茹で時間が標準ですが、1分10秒で)。更に余裕があれば、トッピングにゆで卵を加え、ネギを薬味に添えて粗挽きのブラックペッパーを掛ければ、自家製醤油ラーメンの完成です。
 自宅だと、一杯いくらぐらいでしょうか?労務費と水道光熱費を別とすれば、自宅では合計150円位の材料費だと思いますが、トッピングも含めて結構本格的な醤油ラーメンを楽しむことが出来ます。
こうして、時々、前話の冷やし中華や焼きそば、そしてラーメンも自宅で作って楽しんでいます。

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