カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 リビングルームの大画面TVは、Sonyの有機ELブラビアです。
早めの終活と断捨離で、2年前に一戸建てからこちらのマンションに引っ越した際に、あらゆるものを断捨離の一環でダウンサイズしたのですが、その中で反対に唯一大きく、或いはグレードアップしたのが冷蔵庫とTVでした。
(そう云えば、コロナ禍で東京から戻り松本でリモートワークをしていた長女のリクエストで、洗濯機も乾燥機能付きのドラム式にグレードアップしていました・・・ん?これって、昔で云うところの“三種の神器”⁇)

 子供たちが巣立って以降は母を含めて年寄り3人だけだからと、10年ちょっと前に買い替えた冷蔵庫は、それまでより小さめの480リットルにしたのですが、これが失敗でした。食料品の買い出しは週一のまとめ買いでしたし、冷凍可能なモノは一度に多目に作って冷凍保存するので、冷凍庫が小さいとすぐに一杯になってしまうのです。
そこで引っ越しにあたって冷蔵庫だけは550リットルと今までより大きめのサイズにして、また家内のリクエストで、野菜室は冷凍室よりも開ける頻度が高いので、野菜室が一番下ではなく取り出し易い真ん中にあるタイプにしたのですが、これが大正解でした(因みに、選んだ冷蔵庫には一番下の大きな冷凍庫とは別に、独立した別の小さな冷凍室と製氷室が野菜室の上に並んでいるので、夏に使う氷や使う頻度が高い冷凍モノはこちらに収納可能です)。

 さて今回の主題であるリビングルームのTV。画面の大きさそのものは55インチで以前と同じですが(65インチだと、狭いマンションでは視聴距離が十分に取れず、むしろ部屋のサイズに比べ大き過ぎます)、昔のモデルに比べれば勿論液晶TVも4K液晶など画素数増に伴い映像表現は随分進化していますし、また画面も遥かに薄くなっています。しかしTV売場で実物を見比べると(各社とも売り場では目立つように、実際家庭で見るよりもかなり明るさを強調した家電売り場用の映像表現に変えているので注意が必要ですが)、例えば同じブランド内での有機ELと4K液晶との比較であれば(同じ宣伝用の映像を使っていることが多いので比較し易い)、やはり同じ4Kでもバックライトの液晶と自発光の有機ELではその映像表現の差(但し、その差が分かる高画質の映像作品であればですが)は歴然でしたので、結局4K液晶ではなく最新の有機ELにしました。
中でも購当時Sonyのそれは、TV画面自体が振動するサラウンドの平面スピーカーが用いられていて、その臨場感が特徴。しかも前後左右に加え、高さ方向の音表現も可能にする最新の立体音響技術Dolby Atmos(ドルビーアトモス)にも対応。従来、立体音響を楽しむにはリアスピーカーなどを設置するか、またDolby Atmosなどの最新の立体音響技術が盛り込まれたサウンドバーを追加する必要がありますが、このブラビアでは、「Sony独自の最新の音声処理システムにより、テレビ本体のスピーカーだけで立体音響が体感出来る」というのが謳い文句でしたので、今流行りのサウンドバーを追加しなくても、TVだけで30Wあり音量的にも十分と感じた次第。
因みに、マンションの様な集合住宅では階下への低音の影響を危惧し、床置きのサブウーファーの使用は諦めたというケースが多いのです。従って、流行りのサウンドバーもサブウーファーが独立していない、オールインワンタイプのサウンドバーを選ばざるを得ません。
片や、既にご紹介した様に、寝室のパナソニックのビエラは、各社の4K液晶モデルの中では当時最小サイズだった42インチの液晶TV(現在4Kの最小モデルは43インチで、42インチは生産終了予定の古いこのモデルだけだった)ですが、購入した時からTV側の音響は今一つということは分かっていたので、入門機にも拘らず最新のサラウンド技術Dolby Atmosを搭載し、本体内にデュアルサブウーファーを内蔵しているので低音も豊かで音質的にも高評価の(当時から現在でもベストバイモデルの)DENON のサウンドバー DHT‐217を追加して、音響的にも満足いく環境で視聴しています。
そこで、リビングルームでは2年近くブラビア本体の平面スピーカーだけで視聴して来たのですが、一般のドラマやスポーツ中継などの映像は全く問題無いものの、YouTubeなどで音楽プログラムを視聴するとなると、やはり低音不足が気になってきました。
 「うーん、もうちょっと低音を効かせたいなぁ・・・」
そうかといって、サラウンド音響で30Wのブラビアの平面スピーカーも捨てがたい。そこでブラビア自身の音響を活かして、そこに低音だけを追加し強化することにしました。
そのためにはサブウーファーをだけを追加しても良いのですが、TVから(アンプを介さないと)直接は接続出来ません。また幅1m近い様な大型のサウンドバーはTV台の置き場所もですが、視覚的にも邪魔。そこで2段になっているTV台の上の段に置ける様なコンパクトなタイプを選ぶことにしました。因みに上の段の幅は60㎝です(因みに、上述のDENONのサウンドバーDHT-217は長さ89㎝です)。
探してみると、サウンド的にも合格(≒満足出来そうなスペック)で且つサイズもそれに適合するコンパクトタイプのサウンドバーは僅か2モデル(聞いたことも無い無名ブランドの製品は除きます)で、YMAHAとJBL。長さがそれぞれ60cmと61.4cm。見た感じYMAHAは長さがピッタリなのですが、高さが1cm程厚くて、しかも全体が何だかボテっとした感じでデザイン的には私の好みではありません。但し、スピーカー2基だけのJBLに比べ、YMAHAはサブウーファー機能のスピーカーが追加されています。いずれにしても、どちらも日米の老舗の音響ブランドですのでサウンド的には安心です(というより、米国ハーマンのJBLは、嘗ての“怪物スピーカー”パラゴンに代表されるハイエンド・オーディオメーカーとしてオーディオマニア憧れのブランドでした)。
そのため選択肢としてはどちらでも構わなかったのですが、ところがたまたまAmazonのプライムデー期間中に、そのJBLのサラウンドバーが対象商品に含まれているのを発見!しかも、通常2万円弱が、11,000円ちょっとで購入可能とのこと。そこで奥さまに頼んで(≒懇願して)、最新のJBL「BAR 2.0 All-in-One MK2」を買ってもらいました。このJBLのサウンドバー2.0 はサブウーファーレスながらも、昔から定評あるJBLサウンドの豊かな低音というレビュー評価で、しかもDolby Atmosではありませんが、JBL独自のサラウンド音響技術を搭載してDolby Digitalに対応しています。因みにYMAHAの当該モデルもDolby Atmosではなく、独自のサラウンド技術とのこと。どちらも実売2万円以下のモデルですので、スペック的にそこまで要求するのは無理でしょう。(Dolby Atmosを搭載するには、開発した米国企業のドルビー研究所にライセンス料を支払わなくてはいけません)。
 数日後、Amazonから送られてきました(注記:梱包箱の写真を撮っていなかったので、H/Pから写真を拝借しましたが、MK2の前の初期モデルの箱です)。
ところが、到着後さっそく接続してみると、私が当然とあると思っていた機能がSonyブラビアには無かったのです。
最新のサウンドバーはTVとの接続はHDMIのARC接続(TV側のリモコンでTVとサウンドバー双方が連動してON-OFFやボリューム調整が可能)が殆どで、SonyもJBLも問題ありません。しかもJBLにはHDMIケーブルが付属されているので、新たに購入しなくてもサウンドバーが届けばすぐに接続可能です。
しかし、例えば寝室のパナのビエラと違って、(Sonyの他の機種は知りませんが、多分)ブラビアの平面スピーカーを搭載しているモデルはTVとサウンドバーを同時に使うことが出来ず、どちらか一方を選択しないといけません。つまり、サウンドバーを使う時はせっかくのサラウンド効果のあるTVの平面スピーカーは鳴らないのです。逆にTV側の平面スピーカーの音響を使用する時は、サウンドバーが接続されていてもサウンドバーから音を出すことが出来ないのです。
ただ後で分かったのは、ソニー自身のサウンドバーの指定機種との接続なら、センタースピーカーとしてテレビからも同時に音が出せて、「定位感が向上し、より臨場感のある体験が可能」と謳っているのです(それにしても、Sonyだけっていうのはちょっとヒドイよなぁ・・・!)。
最初何がいけないのか分からず(しかもSonyにはトリセツが付属しておらず、ネット上でダウンロードしないといけません)、トリセツを見ても(当方の見方が悪いのか)なぜ両方から音が出ないのかは直ぐには分からないのです(サウンドバーの接続方法などは記載されているのですが)。
そこで、Sonyの対象機種名と一緒に症状や使用上の要望(双方同時に鳴らしたい・・・云々)を入力検索して、漸くネット上でそれに該当する、既に同じ問題を体験済みの第三者の方のアドバイスと、それを手掛かりしてトリセツ上の記述も見つけることが出来ました。
その結果の結論・・・HDMI接続ではTVとサウンドバー双方を同時に鳴らすことは出来ないが、別売りの光デジタルケーブルを接続すると両方から音を出すことが出来る。但し、その場合に(HDMIのARC接続の様に)TVのリモコン一つで双方を使えるかどうかは不明(=トリセツには記述されていない)。
余談ながら、他の製品も含めてなのですが、Sonyのお客様相談室機能は全く以て本当に不親切‼‼・・・。電話は平日の昼間に何時間待っても全く繋がらないし、ではメールで回答を得ようとすると、これも非常に複雑で使い辛い(すぐに送信出来ない)。しかもたまたま家電量販で(別製品ですが)同じ話題に触れた時に、量販のスタッフの方曰く、
 「いや、お客様だけでなく、ソニーさんは我々量販からのコンタクトでさえ非常にし辛いんですよ。殆ど繋がらないです・・・。」
もはや、Sonyはメーカーなどではなく、最早エンターテイメント制作のソフト会社なのでしょうか?(アフターサービスなぞ関係無しの、制作する映画や歌が一発当たればそれで良し・・・で、売りっぱなし、作りっぱなし・・・。実際のグループの利益も、ハードよりもソフトで稼いでいる筈ですので・・・)
 さて、光デジタルケーブルを量販店から買って来て接続した結果、漸くTVとサウンドバー双方から音が出て来ました(ある意味、無駄な出費なのですが・・・)。しかしSonyの平面スピーカーの音源上(スピーカーがTV画面上のどこにあるのか、サウンドバーとの距離で)、ドラマやニュースなどで、人が発声する場合、平面TVからの音声とサウンドバーからの音声が二重に重なって聞こえてしまうのです。そのため聴いていて何だか不自然で気持ちが悪いのです(例えば、ニュースを読んでいるアナウンサーが同時に二人いる感じ)。
これが寝室のパナのビエラだとTV側のスピーカーの性能が(せいぜいTV下部に配置された左右のステレオ単音源で)低いせいか、逆にサウンドバーと同時に使っても気にならない。むしろどちらか単体で鳴らすよりも、双方同時に鳴らした方が相乗効果で増幅して、より厚く立体的に聞こえるのです。
従って、Sonyの様にTV側のスピーカーの性能が高いと(??)、サウンドバーとの併用はむしろ逆効果で“痛し痒し”なのかもしれません。
でも技術的に、自社のサウンドバーで双方を活かす術(すべ)があるなら、Sonyのサウンドバー自体に何か特殊な独自技術が施されている訳では無い筈なので、他社のそれも活用できる筈。どう考えても、素人目には他社製品排除としか思えないのですが・・・(如何???)。
しかし、これが音楽の場合は、クラシックでもJazzでもポップスでも、オケや合奏でなくソロシンガーであっても、ミュージックシーンになるとこれが全く気にならない。むしろ追加されたサウンドバーの音響効果が増幅されて音に立体的な厚みが出ます。特にさすがはJBLで、両側に楕円形スピーカーが僅か2基だけの筈(サブウーファー無し)ですが、80W(40W×2)と十分なボリュームでしっかりと低音も出ていますし、独自というサラウンド効果(Dolby Atmosではありません)で確かに立体的に聞こえてきます。
そこで、音楽を聴く時だけ、従ってTVの番組よりも、むしろYouTubeやYouTubeミュージックの音楽プログラム、例えばライブ録画された国内外のクラシックコンサートやJazzやポップス、クラシックなどのプログラムなどを視聴する時は、サウンドバー側のリモコンでONしてサウンドバーとTVの双方から音を出して視聴しています。もし、OFF後に、また音楽番組を視聴する場合はそのままTV側のリモコンで消せば(JBLはスリープ機能があるので)、次にTVリモコンでONをする時もサウンドバーも同時にONになるので便利です。
そのため、好きな音楽番組をリビングで視聴する時は、JBLのサウンドバーも追加して、低音の厚みを増したサラウンド環境で音楽を楽しんでいます。 
 それにしても、当然と思っていた機能が、ブランドによっては使えない(というより他社製品排除)というのを今回知って、些か“天下の”Sonyブランドに幻滅を感じるのを正直禁じえませんでした。
 「こんなのは技術的であろう筈がなく、むしろマーケティング上の対応であるとしたら、エンジニアの盛田さんはともかく、あの井深さんは泣いているだろうに・・・」

 『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場』
ソニー創業者井深大氏が書いた東京通信工業の設立趣意書、そんな対応をしている(させられている?)今のSonyのエンジニアの人たちはもう一回読んでみればイイ・・・。
問うて曰く、江田島の“五省”で云う「至誠に悖るなかりしか・・・」。

 久しぶりに「きときと寿司」松本店へ行きました。
「きときと寿司」は北陸富山・氷見が本店のグルメ系回転寿司で、松本店はその唯一長野県内出店の直営店です。
以前は上田とか長野にもあったそうですが、そこは松本の様な直営店ではなくフランチャイズ店だったらしく、その後契約更新で揉めて契約が破棄され、数年前にフランチャイズから外された由。
お寿司だと、我が家では昔は地元の王滝総本店へ行っていたのですが、その後寿司ネタが極端に減ってしまい、せっかくの寿司カウンターに座っても頼むネタが少なく無意味になったので行くのを止めました。
松本にも“グルメ系”を名乗る所は他にもあるのですが、東京などで行った緑寿司の「活」や「金沢まいもん寿司」に比べてしまうと、どうしてもネタの種類が少なかったり鮮度が見劣りしたりするので、行ったことはありません。

 以前、長女が帰省して来た時に、
 「コンサル時代の上司が今スシローグループの社長をしているので、食べに行ってあげて!」
と頼まれて以来、お寿司を食べたくなると、スシローに良く行っていたのですが、所謂“グルメ系”には及ばずとも、嘗ての100円均一の回転ずしチェーンの中では相対的には出色だと評価していました。ただ残念ながら光り物がイマイチで、特にコハダは失格。それに、センターキッチン方式で運ばれてくるのか、だし巻き玉子は残念ながらちょっと食べる気がしない・・・。そこで、
 「たまには・・・美味しい光り物が食べたぁーい!」
ということで、「きときと寿司」に食べに行った次第。そう云えば、以前長女も帰省した時に、スシローではなく「きときと寿司」で一緒に食べた時に、
 「ナルホド。確かに光り物好きなら、こっちに食べに来るのは良く分かる!」
と「きときと寿司」を評価していましたっけ・・・。
 因みに、長女は婿殿が休みを取って年に数回NYから日本に来ると、彼らは殆ど毎日寿司を食べに行くのだとか。勿論、回転寿司ではなく、お任せで“?万円”するような高級店も含めて、いずれも都内の有名店ばかりの様ですが、それでも、その何倍もするNYの寿司店に比べれば格安なのだとか・・・。
ですので、円安のためにインバウンドで日本に外国人観光客が殺到するのが(逆に日本人がハワイ観光で、ロコモコ一つの現地価格を円換算して悲鳴を上げるのも)良く分かります。
 
 さて、「きときと寿司」松本店も週末には行列になることもある人気店ですが、平日の夕方なので結構空いていました。こちらもコロナ禍以降、更に若者のYouTubeへの回転寿司チェーンで撮影した「不適切動画」投稿の影響もあってか、ここ何年かは一切レーンにはお皿は回っておらず、全てタブレットから注文するのみになっています。


先ずは光り物3種、そしてマグロ三種も。ただこの日はイワシの入荷が無かったとか・・・。これでは、お目当てのイワシの炙りも食べられず残念!そのため、この日の光り物三種は手前から〆サバ、アジ、コハダでした。
更にこの日の白身三種はヒラメとタイ、そして地元の富山で「フクラギ」と呼ぶブリの幼魚ハマチも。漢字では“福来木”と書き、縁起が良いとされるのだとか。
他にも、中落ち軍艦や個人的に大好きな生ゲソも。以前金沢の近江市場の中のお寿司屋さんで食べた生ゲソが絶品で、未だ忘れられず・・・。ノドグロよりも感激しましたっけ。

我々としては、キトキト寿司もですが、北陸の食材を食べることで少しでも応援出来ればと思いますし、ここで出来ることはそのくらいですから・・・。ということで、日本酒のアテに富山の名物“白えび”の天ぷらといつものだし巻玉子も注文して、お酒も北陸(福井ですが)の黒龍にしました。
 この3月に北陸新幹線が敦賀まで開通して雪が消えたら、ワンコOKの宿を探して、以前行ったことがある輪島や和倉温泉など能登はまだ無理かもしれませんが、どこか北陸を旅行出来たらと思います。

  “師走の都大路を走る”。
12月24日に京都で行われた、恒例の全国高校駅伝。男子は佐久長聖高校、女子は鹿児島の神村学園が優勝しました。
佐久長聖は、1997年兵庫の西脇工業以来26年ぶりとなる、留学生の居ない日本人選手だけのチームで大会記録を更新しての優勝。女子の神村学園は最終区1分20秒という大差を最後のゴール直前で“差し切り”、1秒差での劇的な逆転優勝でした。
特に女子は、1分以上の大差を付けながら、僅か1秒差で逆転を許した仙台育英のアンカー選手がゴール後泣き崩れ、立ち上がることも出来ない程のショックで残酷な程打ちひしがれていたのが印象的でした。
しかし乍ら想うに、では仮に総合成績(タイム)が変わらなかったとして、仙台育英も2区を走った留学生選手の区間賞で首位に立ちましたが、もしお互いこの同一区間にケニア人留学生を使い、そこで神村学園優勝の立役者となったカリバ選手が独走し、その後最終区までに仙台育英が徐々に追い上げても最後追い切れず、結果ゴール前1秒差で負けて同じ2位だったとしたら、果たして仙台育英の受ける印象はどうだったのでしょうか?アンカーの女子選手は勝てなかった悔しさは勿論あるでしょうが、或る程度追い上げたという達成感を果たしてゴール後に感じられたのでしょうか???

 高校駅伝大会に初めてケニア人留学生選手を出場させたのは、誰あろうその仙台育英自身でした。
仙台育英高校が大会史上初めてケニア人留学生を2名ずつ出場させて、男女初優勝を飾ったのが1992年。以降、留学生選手の起用に関して後追いでの規制ルールが生まれ、1995年にはチーム1名のみとなり、最初から留学生が独走して圧倒的な差が付いてレースそのものの興味が無くなるとして、2008年からは最長区間である1区での留学生起用が禁止され、更に2024年の大会からは最短の3㎞区間のみでの留学生起用となるとのこと。

 考えてみると、今年の神村学園も、仙台育英も、そして最近の倉敷や嘗ての名門で復活した世羅も、そして少し前の豊川も、全て留学生頼みで勝ってきた(もし関係者に異論があるとすれば、少なくとも留学生起用で“強くなってきた”)高校です。
因みに過去10年での日本人選手だけでの優勝は、男子では佐久長聖の2回だけ。女子は昨年の長野東まで4回です(仙台育英は2021年に一度だけ留学生を使わずに優勝しています)。因みに、長野東は県立高校で且つ全員が県内出身者というのも、いくら“駅伝長野”(但し、どちらかというと都道府県対抗で最多優勝を誇る男子で云われる言葉ですが)とはいえ、本当に凄い快挙だと思います。
因みに、その“駅伝長野”の長野県男子チームは昨年末の佐久長聖の“都大路”優勝の勢いに乗って、今年の2024都道府県対抗駅伝でも二度目となる三連覇を達成し、ぶっちぎりで通算10回目(2位は兵庫県の5回)の全国優勝を飾りました。

 さて、高校駅伝男子で過去最多11回の優勝を誇る嘗ての名門広島世羅は、長い低迷から復活した2006年以降の優勝6回は全て留学生を擁し、同様に8回優勝の仙台育英も全て留学生、最近の倉敷も3回全て留学生がチームの圧倒的切り札として活躍しています。また女子でも優勝5回の仙台育英は4回、また最近はあまり名前を聞きませんが、過去4回優勝の豊川も全てケニア人留学生を擁していました。
その愛知県の豊川高校では、2009年だったか優勝に貢献した留学生選手が失踪し行方不明になったケースなど、中には留学生選手を優勝するための単なる道具としか見ていないと感じられる様な事例さえ散見されたのも事実です。ただ、今年の神村学園はその留学生のカリバ選手がキャプテンで、精神的にも自らチームを引っ張っていましたし、監督始め選手も学校も彼女を“助っ人”としてではなく、ちゃんとチームの“仲間”としてサポートしているのが感じられ、優勝インタビューを見ながら少しは安堵したのを覚えています。

 駅伝に限らず、バスケット、ラグビーやサッカーなどでも勝つために海外から留学生を招聘している高校が多くあります。
中でも、圧倒的走力のケニア人留学生が出場する駅伝や、2mを超えるセネガル人留学生選手がリバウンドを拾いまくるなど、長身選手が圧倒的に有利なバスケットボールではとりわけそれが顕著(嘗ての名門、秋田の県立前能代工業は残念ながらそうしたチームに押され低迷を余儀なくされています)ですし、チーム強化の“即効性”になります(しいては高校の知名度アップによる、最終的に特に私立高校は学園経営というビジネスとしての生徒確保に繋がるのでしょう)。
勿論、ラグビーやバスケットの様に、卒業後も日本に定着し日本代表として活躍する選手もいますし、国際化の流れの中で日本で生まれ育った外国人の親を持つ子供たちが、その身体的能力を活かして日本代表としても活躍するケースが陸上やサッカー、バスケットなど色んな競技で出て来ています。
また留学生の中には、持って生まれた能力を活かし、競技を続けるためには貧しい母国を離れ恵まれた環境を求めて来日する選手もいるでしょうし、そうした力のある留学生選手と競うことで、日本人選手も力を付けるという相乗効果の面も無いことはないでしょう。

 社会全体が、もはや“国際化”などという言葉自体が不自然な程ボーダレスな世界になっていますし、例え極東の島国であっても、あらゆる分野においてそうした状況がますます加速していくのは間違いないでしょう・・・。
(先日行われた今年のミスインターナショナルで、ミス日本にウクライナ人女性が選ばれたことに賛否両論がある様ですが、コンクールが「大和民族」であるミス“日本人”を選ぶのではなく、ミス“日本”選出であり、5歳から日本で暮らして日本国籍がある彼女が、周囲も心配したという、出場することで批判されるだろうことを重々承知の上で「日本で育った自分の“日本人”としてのアイデンティティーを確認したかった」という彼女を応援したくなりましたし、こうした“日本人”が間違い無くこれまで以上に“極自然”に増えて行くと思います。)
しかし、そうであれば、迎える側も単なる“助っ人”としてではなく、チームの“仲間”として授業中もほったらかしにせず(何か問題が起きたら即退学処分で帰国させるのではなく)、ちゃんと日本の生活に馴染める様に日本語を含めしっかりとサポートしてあげることが必要でしょう。
そうすれば、中には日本の生活に馴染んで(帰化するかどうか別にして)卒業後も日本に定住する選手ももっと出て来るかもしれません。そうした意味での国際化が、“スポーツにおける真の国際化”に繋がるのではないでしょうか。

 落語にはその季節季節に相応しい噺、いわゆる季節ネタがあります。例えば春なら花見、夏なら花火とか怪談、秋なら秋刀魚でしょうか。そして冬なら雪や正月だったり・・・。
そうした中で、12月の師走に相応しいのは、14日が討ち入りだった忠臣蔵ネタや、噺の中に除夜の鐘が登場する「芝浜」や「文七元結」。特にこの二つの人情噺は、人気の高い大ネタとして、例えば東京の定席の一つ、上野鈴本演芸場では12月に一週間ずつ、日ごと噺家が替わりながら「芝浜」と「文七元結」が大トリとして掛けられています。
因みに昨年末の鈴本では、『年の瀬に芝浜を聴く会』として12月中席で、大好きな柳家さん喬師匠や、他にも春風亭一之輔、そのお師匠でもある春風亭正朝といった各師匠。そして『暮れに鈴本で聴く 文七元結』と銘打った下席では、柳家喬太郎、古今亭菊之丞、柳家三三といった人気の芸達者な各師匠が登場するとのこと(東京に居れば・・・と、羨ましい限りです)。
本来であれば、どのネタを話すかは、高座に上がって客席の様子を見てから決める・・・というのが原則なのですが、この時だけは最初から、トリでどの噺家がこのネタを演じると事前にアナウンスがされているのです。従って、落語ファンにとっては「待ってました!」ともいうべき日でもあります。
本当に、一度で良いので、さん喬師匠の「芝浜」や「文七元結」を生で聴いてみたいと思っています。
 その師走、12月の「松本落語会」の第563回例会は、二代目桂小文治師匠が来演とのこと。プロフィールを拝見すると、十八番の中に「芝浜」とあり、家内も横浜の次女の所に手助けに家政婦に行っていて留守でしたので、もしかすればと期待して聴きに行くことにしました。
「松本落語会」は東京から噺家を招いて毎月例会を開催しており、昨年50周年を迎えたという、地方の落語界では屈指の歴史を誇ります。私メも落語に嵌まってから何回か聴きに行っていますが、こんな地方で、しかも常設の寄席がある訳でも無いのに、50年も続いているというのは正直信じられません。しかも、松本は夜の落語会だと、噺家の皆さんは宿泊してもらわざるを得ず、その分余計に費用が嵩むので、いくらチケットに反映するとしても、噺家の方々も翌日まで二日間拘束される訳ですから、そのスケジュール調整を含め招く側としても大変な筈です。これが長野市の北野文芸座なら、新幹線があるので夜終ってからでも東京へ戻れるのですから、売れっ子の噺家呼ぶのは無理だと思えるのですが、500回記念の例会(何故か501回でしたが)には、柳家さん喬師匠と柳家権太楼師匠が“二人会”として来られたのですから、そこは50年という歴史の「松本落語会」を重鎮の各師匠方も重んじられているのだと思えるのです。

 閑話休題。
さて、12月の例会は、コロナ禍以前に戻って、12月14日に源智の井戸の横に在る瑞松寺で行われました。ただ、マスク着用はまだ継続されています。会場は畳の部屋ですが、60人程の椅子席です。
今回は、「桂小文治独演会」と銘打って、噺家さんだけではなく、珍しくお囃子のお師匠さんも参加されるのですが、それもその筈で桂小文治師匠の奥様で落語芸術協会のお囃子方の第一人者、筆頭である古田尚美師匠とのこと。そして、小文治師匠のお弟子さんで、前座の桂しゅう治さんも同行。
 今回はお囃子さんも同行されているので、趣向を凝らして先ずは鳴り物の紹介。例えば、夏の出し物である幽霊が登場する時の三味線や太鼓など。また、一番太鼓や、終了後の追い出し太鼓など。更には、文楽、志ん生といった昭和の大名人や現役落語家の出囃子の紹介もありました。
さて落語では、最初に前座桂しゅう治さんの「浮世床」から。この噺は「湯屋番」の様な滑稽噺で、例えば「寿限無」などに代表される様な前座噺の短編ではありませんが、大学の落研出身らしくメリハリも効いて達者に演じておられました(注:掲載の写真は小文治師匠のH/Pからお借りしました)。
余談ですが、この前座さんで感心したこと。それは落語ではなく、出囃子の太鼓。現役の落語家であれば、前座修行の寄席で何度もやっているでしょうから出来るのは当然としても、前座は本来ネタ増やしで、噺だって色々覚えなくてはいけないでしょうに、文楽や、志ん生、志ん朝といった今は亡き昭和の名人の方々の出囃子までちゃんと叩いていたのには感心しました。
続いて小文治師匠。ちょうど12月例会のこの日が12月14日で「忠臣蔵討ち入り」だったこともあり、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に引っ掛けて芝居噺である「七段目」が演じられました。芝居の場面では勿論三味線が入ります。そして仲入りです。



 






  「松本落語会」の例会では、仲入りの休憩中に、その日の演者の噺家さんのサイン入り色紙が抽選で配られるのですが、ナント初めて当たって色紙を頂きました。
仲入り後は、この日の例会のトリは残念ながら、「芝浜」ではなく、途中鳴り物が入ることもあり、また冒頭年末の仕事納めのための大掃除が題材になっていることもあってか、「御神酒徳利」でした。
小文治師匠を聴くのは初めてで、師匠プロフィールの十八番の中にあって期待していた「芝浜」は残念ながらこの日は聴けませんでしたが、なかなかの芸達者な師匠で、また今回お囃子方の奥さまが同行されたので、寄席の鳴り物の知識を拡げることが出来ましたし、また地方寄席恒例の録音ではなく、定席の寄席同様に生のお囃子で上がられる高座の雰囲気を楽しむことも出来た、久し振りの瑞松寺での「松本落語会」でした。

 11月19日。4年前に縁あってコユキを我が家にお世話してくださった、埼玉のワンコ保護団体の“里親会”が狭山市のドッグランで開かれたので信州から参加して来ました。
コユキを世話してくださった保護団体は色々事情があって解散されたのですが、コユキの“仮ママ”さんと、同じ保護団体で一緒に活動されていたもう一人の“仮ママ”さんのお二人は、別の埼玉の保護団体さんに加入されて活動を再会されるようになっていて、今回はその団体さんの里親さんたちと、コユキ同様そのボランティアさんにお世話いただいた里親さんの皆さんが合同で参加されました。因みに新しく加入された団体は、これまで里親会は実施されておらず、以前の団体の“仮ママ”さんお二人が主体となって初めて開催されたとのことでした。

 今回はコロナ禍もあって、3年ぶりの開催になります。前回はナナも一緒に参加しましたが、今年はコユキだけでの参加です。
埼玉が拠点の保護団体ですので、殆どの里親さん方は首都圏在住のご家族で、遠方からは今回も我が家だけかもしれませんが、コユキの時も何組か申し込みがあった中で、わざわざ家庭訪問にも来ていただいて、縁あって遠方である松本の我が家を選んでくださいました。家内は長女の所にサポートに行っていて、東京から直接の参加なので、そのため今回は私メがコユキと一緒に松本から車で参加します。
 予定より20分ほど遅れて朝7時半前に出て、途中談合坂SAに立ち寄り、こちらにはドッグランがあるのでここでオシッコ休憩。
オヤツも食べて水も飲んで、八王子から圏央道へ。東名と合流する蛯名などで慢性的に渋滞する圏央道ですが、横浜の次女の所へ行く時とは逆コースなので、上越道方面へ向かう方の圏央道はそれ程でもありません。
予定通り、10時半に狭山市のドッグランに到着。所沢からバスで来る家内を待って、受付をし、コユキの“仮ママ”さんであるボランティアさんに挨拶をして、参加されていた里親さん方とワンコ談義で談笑です。この日集まられたのは60人程か、老若男女、殆どは初対面の里親さんですが、そこは同じ里親同士でお互いのワンコ談義に花が咲きます。
コユキは上京している家内とは一週間ぶりなので、家内から離れず、また歩かないので(ナナもでしたが、コユキも歩かないので、我が家のワンコたちにはドッグランは“無用の長物”です)、ずっと家内に抱っこされたまま・・・。
集まった“元”保護犬の中には数匹シーズーも居て、事情を説明して触らせて貰ったりもしましたが、どうしてもナナを思い出してしまい涙が溢れて堪りませんでした。

 最近はNHKなどでも保護犬や保護猫の譲渡呼び掛けの番組や芸能人の方々が保護犬や保護猫を引き取って暮らしている様子が放送されるなどして、世間の皆さんにも保護活動への理解や、そうした保護犬や保護猫を迎え入れる家庭も増えてきたように思いますが、それでも我が国には欧米とは異なり当たり前の様にペットショップがあり、中には設け主義のペット業者や、多頭飼で崩壊する(繁殖犬を捨てる)ブリーダーなどもいますし、ファッション感覚や流行でペットを飼って、結局飼い切れずに飼育放棄する無責任な飼主もいて、こうした保護犬や保護猫が後を絶ちません。
幸いにも、長野県など保健所に保護された犬の殺処分ゼロを継続している自治体も増えつつあるのですが、猫についてはまだまだという自治体が多く、地域猫活動のボランティアの方々に頼らざるを得ない状況にあります。
ペット用のオムツやジャーキーなど、ペットショップを併設しているホームセンターに買いに行くと、ジャックラッセルの購入を考えておられるお子さん連れのご家族に、
 「この犬種は、それ程散歩させなくても大丈夫です。飼い易い犬ですヨ!」 
と、ジャックラッセルの性格や飼う時の留意事項とは真逆の説明をスタッフがしているのが聞こえて来て、“売らんかな!”が見え見えで驚いたことがありました。そうしたことがイヤで、「可哀想で、見るに堪えないから」と家内はペットコーナーの近くには絶対に近付きません。

 どうして、日本ではペットショップが許されるのでしょう?どうして欧米の様に禁止されないのでしょう?
 こうした集まりに参加しているワンコたちは、中には認知症になってしまったワンコや全く視力が無いワンコもいるのですが、どの里親さんも愛情を注いで最後まで世話をしているので、或る意味幸せなワンコたちなのかもしれません。
コユキもブリーダーから不要になって捨てられた推定8年間ただ子犬を生ませるだけだった繁殖用の“道具”で、埼玉県の保健所から引き取られた保護団体のボランティアの“仮ママ”さんから生まれて初めて愛情を注いでいただき、記号や番号ではなくおそらく初めて名付けて頂いたであろう「こゆき」という名を、縁あって埼玉から遠い松本の我が家に来てくれてからもそのまま引き継がせて貰いました。
幸い先住犬のナナが全く気にせず、4年間は二匹で一緒にくっ付いて眠る日々でしたが、今年の3月にナナが虹の橋を渡ってからは、今まで以上に家内に甘える様になり、寝る時も家内と一緒です。
コユキは繁殖犬時代に吠えてもうるさくない様に声帯を切られているため、気道が次第に腫れて呼吸が苦しくなってしまうため、我が家に来てからの二度の手術を含め、東京の専門医で三度手術をしていただいています。ですので、ペットショップで“健康”なワンコを“買う”方が余程安かったかもしれません。でも、我々が何かを我慢してでも(例えばワンコ連れで行ける所しか旅行には行けません)、ケージの狭い世界の中で愛情を知らずに虐待されて来たであろう年数を、せめて取り戻せるくらいはコユキを可愛がってあげたいと思うのです。

 そして我々だけでなく、保護犬を迎えた誰もが、そんな気持ちをそれぞれが抱いてワンコたちに愛情を注いでおられる里親の皆さんです。そんな皆さんを見ていると、まさに“同志”。犬を飼うなら保護犬を!という同じ“志”を持つ仲間という気がしてきます。
もし「保護犬ならタダで安いだろう」と思う方がいたら、絶対に止めた方がイイ!どの保護団体もそうだと思いますが、保護した犬は避妊手術やマイクロチップを体内に埋め込む手術をしています。保護犬を引き取って飼うためには、それに要した費用を負担する必要がありますし、我が家のコユキの様に、保護されるまでの状況、例えば多頭飼いやブリーダーの劣悪な飼育環境などで、保護された段階で健康上の問題を抱えた犬も決して少なくありません。そうしたことを理解した上で、最後まで飼うという覚悟が必要です。集まった中には保護された時には既に視力を失っていたワンコや、元気で飛び回っているワンコの中には「今まで何回も手術をして、コイツはもう何十針も縫ってるんです」と笑って話される飼主さんもおられましたが、ここに集った飼主である里親の皆さんは、皆覚悟を以て、そうしたワンコたちを最後看取るまで世話することを誓って、敢えて保護犬を引き取った飼主さんなのです。そんな里親の一人として、是非そうした“同志”が一人でも多く日本中に増えていくことを願わずにはいません。

 この日、そんな思いをまた新たにした“里親会”でした。

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