カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回の京都旅行はノンビリ旅でガツガツと観光地巡りをする予定も無く、またコユキが一緒なので彼女独りにしては可哀想ですから、夜はなるべくホテルでコユキと一緒に過ごすために、お惣菜やお弁当を買って来て夕食にしました(ナナがいれば、二匹仲良く一緒にお留守番出来るのですが・・・)。
そのため、先ずは久しぶりの駅弁を新幹線の中で食べた(列車旅はイイですね、ビールも飲めるし!)のを手始めに、ランチを外で食べることにしました。
その内、一度は私メのリクエストで前話の「冨美家」へ。そして、二度目は家内の希望で、私メがグルメガイドから推薦したリストの中から彼女が選んだ「出町ろろろ」というおばんざい弁当の店でした。そして、三度目は各々別々に食べることになりました。

 さて、その「出町ろろろ」です。
念のため前日電話をしてみると、希望した12時は既に一杯とのことで、11時半なら可の由。そこで少し早いのですが空いていた11時半にお願いして、当日はちょっと早めに岡崎から歩いて向かいました。
“町ぶら”を兼ねて、二条通で鴨川を渡り河原町を上がって行きます。
丸太町から荒神口を越えて、広小路から寺町通を上がって最初に梨木神社へ立ち寄り、本当は次に蘆山寺を拝観してから向かおうかと思ったのですが、拝観時間が読めないので蘆山寺は食べた後にまた来ることにして、その後少し戻って御苑内を歩いて今出川へ。
河原町今出川の二筋手前から上がれば目指す「出町ろろろ」の筈ですが、まだ時間があったので、出町柳まで行って「出町枡形商店街」を歩いてみることにしました。
京都や東京にはこうした地元に密着した商店街がまだ残っていますが、松本はアーケード街だった「六九商店街」もアーケードが取り払われ、今やシャッター通りですし、「伊勢町商店街」再開発で道が広くなったのは良いとして、江戸時代から続く「高見書店」や「レコードのナカガワ」など高校時代や独身時代頻繁に訪れていた往時の商店街の面影はなく、また街の核だった「松本パルコ」も残念ながら撤退が決まっています。

 「出町枡形商店街」は観光地化した「錦市場」に比べると、本当に地元密着。用品店や八百屋さんに交じって、“学生の街”京都らしく(立命館の広小路学舎は無くなりましたが、まだ同志社がこの地で頑張っていますし、少し歩けば京大もあります)、お金が無ければ皿洗いで食べた分の弁済OKという昔ながらの餃子屋さんや、古書店、そして古い町の映画館などなどなど・・・。
 そんな出町商店街の映画館の角を下ると、すぐにお目当ての小さなおばんざい屋さん「出町ろろろ」があり、10分前に到着すると先客が観光で来られた女性客がお一人。その後、11時半の開店時間には10人弱が並び、開店と同時にカウンター3席を残して全て埋まりました。どうやら全席予約済みの様です。店内はコの字型のカウンターが7席、テーブル席が6席でしょうか、小さなお店で、厨房は見えませんがどうやらご夫婦お二人で切り盛りされている様です。






昼のメニューはおばんざい弁当(税込1400円)と事前予約が必要なおばんざいのミニ懐石(同2400円)の二つのみ。
我々はおばんざい弁当。生ビールもお願いしました。京都らしいお番茶(炒り茶)が美味しいです。
盛り付け担当のご主人がせわしなく動かれ、10人分程の弁当も懐石も同じ一段目のおばんざいのを次々とお膳に盛り付けをされています。
 一段目は四角のお膳に形の異なる八つの小鉢が並べられ、それぞれ味付けの異なる全て大原産という京野菜のおばんざいで、少し時間をおいて出されたお弁当の二段目は、土鍋ご飯とお味噌汁の他に、季節のかき揚げと出汁巻とろろあんかけ。
おばんざいは一鉢の量が少なく、また値段故に高級食材でもなく、大原の無農薬野菜ばかりだそうですが、出汁を含めて調理と味付けが実に色々工夫されているのが一品毎に実感出来ます。
例えばこの日の献立の解説にある①の畑菜は削り節粉を使ったお浸しですし、⑥の水菜の七味絹掛けは潰した豆腐に七味の隠し味が効いていますし、⑦のゴマ豆腐の磯辺揚げも食べてビックリ。そして個人的に一番美味しくてお代わりしたかったのは、最後⑧の九条ネギの煮干し煮でした。まさに、「美味しゅうございました!」と言うのがピッタリな感じで、実にお見事でした!
 そして、二段目の冬のかき揚げはホタテが使われていてこれもまた美味。また出汁巻き玉子も上に薄めの餡が掛けられ、更に載せられたそぼろ昆布もアクセントを効かせていて、これだけで何杯もご飯が食べられそうです。
そのご飯も土鍋で炊かれ、勿論女性の皆さんも含めて皆さんがお代わりをされていましたが、おこげも必ず装られていて、ご飯茶碗に盛られた量は少ないのですが、ご飯のお米が粒立ちしていて自然と少しずつじっくりと噛みしめる様に食べるので、口の中で教科書通りにでんぷんがブドウ糖に変化してとても甘く感じて美味しかったです。
 「あぁ、これなら1400円はむしろ安いくらいで、実にコスパがイイ!」
というのがまさに実感でした。
家内も大いに満足のご様子で、良かった、良かった!
 因みに、最後まで店名の由来は分かりませんでしたが、「ろろろ」は席数が少ないので、満席になってからも評判を知った方が、海外からの観光客も含め、次々と来店されるのですが、昼は一巡だけで終わりなのか、全員断られていました。
また、こちらのお店の支払いは現金清算のみ。京都にはそんな個人商店が多いので、注意が必要です。

(以下、話題が本題から離れて支離滅裂的にアチコチ飛んでいますが、どうかご容赦ください)

 家内は、信州の中ではちょっと異質な唯我独尊的独立独歩の(奈良時代の律令制度下で一時期、諏訪だけが“諏訪国”として信濃国から独立していました。また「諏訪では4人歩いていると、内3人は地元の社長さん」と、嘗て諏訪地域で製造業隆盛の頃はそう揶揄されていた)“諏訪人”ですが、その“諏訪人”故かどうかは分かりませんが、元々は信州人らしい“蕎麦派”ではなく、どちらかと云えば“うどん派”だったのではないかと思います。
勿論、結婚後は私メに感化されてか今では蕎麦も大好きですが、次女が結婚前の羽田空港勤務だった時は、娘と二人で良く「つるとんたん」で食べたり、また京都に旅行で来た時は、友人と或いは一人でも必ずと言って良い程、この岡崎で大人気の行列店「山元製麺」で“ごぼ天うどん”を食べているそうです。私も一度一緒に食べましたが、並んででもまた食べようとは然程思いませんでした。
というのも、京都の“おうどん”は本来もっと柔らかな(ある意味コシの無い)うどんですし、それに、むしろ京都で食べるべきは、“蕎麦好き信州人”がそれまでの「蕎麦はざる一択!」の信念を覆して食べた「にしん蕎麦」と思うのです。
但し、学生時代に初めてその「にしんそば」を食べたのは、元祖の老舗「松葉家」ではなく、蕎麦ぼうろで有名な丸太町の「河道屋」だったと思いますが・・・。

 そう云えば、会社員になってから仕事で或るジャーナリストの方と話していて、その方も無類の“蕎麦好き”とかで、取材が終わってから地元の蕎麦屋のおススメを聞かれた時に、その方の仰るには、
 「私は取材等で全国各地に行くと、例えば信州の様な蕎麦処では必ずざるやもりで蕎麦そのものを楽しむのですが、そうでない土地では、汁蕎麦をその土地特有の具を蕎麦と一緒に楽しむことにしてるんですよ。」
その意味で、私が生まれて初めてそうした“汁蕎麦”を楽しんだのが、京都の「にしんそば」だったのです。

    (写真は、10年程前に嵐山で食べた茶そばの「にしんそば」です)
と同様に、うどんは我が家では「おざざ」と呼ぶ冷や麦の様なやや細めのうどんを祖母が打ち、それを色んな根菜や油揚げなどと一緒に、いろりに吊るした大きな鉄鍋で煮込んだ、味噌味の“鍋焼き”風うどんが定番でした。従って、うどんは自分の家で食べるべきモノだと思っていたので、外の食堂等で食べたことは一度もありませんでした。
ですので、県外に出て“うどん屋”さんが(蕎麦屋と同じ様に)街中に在るのが、最初は不思議でなりませんでした。
といっても、長野県内にも群馬の「水沢うどん」同様に、降水量が少なく昔稲作が難しかった地域では、坂城町の辛味大根の汁で食べるおしぼりうどんや、大町の「おざんざ」という祖母の「おざざ」に似た細めのうどんが有名な場所もありますし、社会人になってからですが、諏訪の社宅に住んでいた時に家内が初めて連れて行ってくれて食べた、早くから諏訪が武田領になっていたせいかどうかは分かりませんが、長野県内では唯一諏訪にも支店がある山梨の名店「小作」のほうとうが美味しくて、とりわけ味が味噌ベースで具がカボチャやニンジン、大根といった根菜が多かったのが、何だか祖母の作る煮込みうどんを思い出して懐かしく、その後も時々食べに行きました。
       (写真は、以前山中湖畔の「小作」で食べたほうとうです)
そして、そのうどんを生まれて初めて自宅ではない“食堂で食べた”のが、汁蕎麦が“にしんそば”だったのと同様に、うどんも京都の「冨美家」だったのです。
(要するに、大学に入るまで一人で“外食”をしたことが無かっただけかもしれませんが・・・。子供の頃の記憶では、家族で“町の食堂”で食べるのは、決まってざるそばか当時“支那そば”と呼ばれていた醤油味のラーメンでした)

 さて、本題の「冨美家」は、私の学生時代には四条寄りの河原町通りの西側に(確か)お婆さんが一人で営む小さな甘味処が在り、そこにはぜんざいといった甘味の他にもうどん類があって、一般で云う力うどんの様に小さな角餅が二つ入った鍋焼きうどんの「冨美家鍋」が名物で、特に冬は温まるので何度か友人と食べたことがありました。はっきりとは覚えていませんが、貧乏学生でも食べることが出来たコスパの良い品だったと思います。

 何年か前、京都に来た時に懐かしく河原町を歩いたのですが、その「冨美家」の四条河原町店も、そしてボールの様なガラス容器に入った色んな種類の「冷麺」(例えばフルーツ冷麺など)が美味しかった「春陽堂」が、確か3階か4階だったかにテナントで入っていた「味ビル」も姿を消していて見つけることは出来ませんでした。
余談ですが、他にも年を取って聴くようになったJAZZで、伝説のジャズ喫茶だった「シアンクレール」も無くなっていて、学生時代に一度も行かなかったことを後悔した記憶があります。一方、学生時代にお世話になった「出町輸入食品」は、当時の何倍にも店舗が大きくなっていてビックリしました。(レジに置いてあった「冨美家」の通販のパンフ。「♪ まるたけえびすにおしおいけ・・・」京都の東西の通りはこうして覚えるんよ!と地元の同期の子が教えてくれたわらべ歌が懐かしくて、思わず頂いてしまいました)
 そこで今回、知恩院と八坂神社へお詣りした後、四条通を歩いて錦市場にある「冨美家」へ行ってみることにしました。
最初は錦市場の西端に近いところにある「冨美家錦店」を目指しながら、ぶらぶらと新京極から錦市場を歩いて行ったのですが、外国人観光客を中心に、それなりに賑わっていました。
コロナ禍前のオーバーツーリズム問題以降、錦市場は食べ歩き禁止になったので、イートインスペース的に店内で多くの外国人観光客が“立ち食い”されて混んでいるお店もありましたが、錦市場はごった返して歩けないという程ではありませんでした。
そうした今風のお店以外に、八百屋さんや乾物屋さん、漬物屋さん、惣菜店といった昔ながらの“京のお台所”的なお店もあり、お店巡りを楽しみながら「冨美家錦店」に到着すると、ナント定休日の貼紙が・・・。
但し、近くの本店の方はやっているとのこと。どうやら、お互い重ならぬ様に交替で定休日が設定されている由。「錦店」の方が昔ながらの風情がありそうだったのですが、止むを得ません。そこで、錦からは直ぐ近く、堺町筋をホンノ少し上がった所に在る「冨美家本店」へ行ってみると、この日は「錦店」を目指したお客さんもこちらに来るためか満席で、店頭には三組程の先客が列を作っていました。
待つこと暫し、細長い町屋を改装したらしい店内はカウンター席とテーブル席があり、幸いテーブル席に案内され、二人共九条ネギ増しましで「冨美家鍋」を注文。併せて家内は湯葉もトッピング。
昔は観光客など殆どおらず地元のお客さんばかりだったと記憶していますが、我々も含め、観光で来られたらしいガイドブック片手の一人旅の女性客もおられ、中でも驚いたのは中国と韓国と思しき外国人観光客のグループが二組。しかも食べているのは中華そば。誰一人「冨美家鍋」を食べておられる人は見受けられない様でした。そのため、お節介ながら、
 「ラーメンを食べるんだったら、冨美家じゃなくて、新福菜館か第一旭に行けばイイのに!」
と、またまた大きなお世話・・・。
 そうこうする内、運ばれて来た「冨美家鍋」。スタッフの方が、熱いので気を付けてくださいと配膳の度に必ず言い添えて行かれます。お客さんの中には、ぐつぐつと煮えたぎった土鍋から直接食べるのは熱すぎるのか、“お上品”に取り皿をお願いする若い女性も。イヤ、猫舌の身としては良く分かります・・・。
その45年ぶりくらいの「冨美家鍋」。具は海老天ぷらと分厚い干しシイタケ、ハンペンにお麩、焼いた角餅が二切れ。そして真ん中に生卵が落とされ、刻んだ九条ネギは増しましで・・・。イヤ、懐かしい!
と、猫舌の我が身には熱過ぎて、家内の様にすぐには食べられず、じっと眺め観察すること暫し・・・。そして漸くレンゲでスープを最初に一口。
 「えっ!?・・・こんなに甘かったっけ・・・」
勿論、京都らしくお出汁は効いていて、具の海老天や干しシイタケにもそのお出汁がしっかり染みていて美味しいのですが、スープが記憶に無い程砂糖甘いのです。家内は、「天ぷらの衣が厚過ぎ!」と文句を言っていましたが、これは衣にお出汁をしっかりと染み込ませるために、敢えて厚めの衣にしているのでは?と弁明したのですが、それにしてもスープが甘い・・・。
信州でも、汁蕎麦のツユは江戸に比べれば甘口かもしれませんが、ここまで甘くはないし、むしろ本来の関西は関東のそばやうどんの丼の底が見えない程真っ黒でつゆは“塩辛い”と敬遠するくらい、出汁が効いた薄めのつゆの筈なのですが・・・?まぁ、これが「冨美家」の味と言ってしまえばそれまでですが・・・。
 これは恐らく、信州でそばつゆ(ざるそばだけじなくて、温蕎麦も食べるので)に慣れ過ぎたせいかもしれませんが(外食だけではなく、家でも蕎麦を食べる時は専ら創味のつゆ一択です)、ここまで甘いつゆはちょっとがっかりで、残念ながら私メの好みではありませんでした。
もしかすると、実際の味よりも、単に“思い出は美し過ぎて”・・・だけだったのかもしれませんが・・・。
でもそんな味よりも懐かしさが勝って、今回その“懐かしさ”は十分満足して“完食”出来たので、これでもう来なくてイイかもしれません。
そして、45年ぶりに食べた「冨美家鍋」に十分満足して「冨美家」を後にすることが出来ました。そこで、レジでお店の方に、
 「学生時代以来45年ぶりで来ました。とても懐かしかったです。ご馳走さまでした!」

(ん・・・?そう云えば、一年前にも学生時代以来で食べた熊野神社近くの「らんたんラーメン」でも、全く同じ様な挨拶をしていた気がする・・・)

 二日目の京都です。
この日、朝時々雪が舞っていて、比叡山の山頂部分は薄っすらと白くなっていました。信州に負けないくらい寒くて、如何にも冬の京都らしく底冷えがする寒い一日でした。
そう云えば学生時代、洛中の街中は前夜雨でも、大原など北山の奥から出て来ただろう車の屋根には、朝雪が載っていたことがありました。
それにしても、金閣寺だけじゃなくて、「年暮る」の様に京の街には何故か雪が良く似合います。

 さて、忌明けとはいえ一年間は喪中の身故、今までは遠慮していた神社やお寺さんですが、既に松の内も小正月も明けたので、ここ京都で参拝させていただくことにしました。

京都へ来たのが一年ぶりですので、最初に同じ岡崎に在る岡崎神社へ行って、昨年8月の次女の無事の第二子出産のご報告とお礼詣りです。
その上で、先ずは我が家菩提寺の浄土宗総本山である知恩院へ行って、昨秋亡くなった母のご報告とお参りをさせていただきました。最初の石段を上って国宝の巨大な三門を潜り、男坂と呼ばれる急こう配の階段を更に上って広大な境内へ。家内ではありませんが、いつまでこの急な石段を上ってお参り出来るでしょうか?・・・(因みに、男坂を避けての参拝用には、回り道での緩やかな段差の女坂や、三門下から御影堂前の売店横までマイクロバスでの無料シャトルもちゃんとあるのですが)。
ちょうど御影堂(国宝)では地元の檀家さんが一周忌の法要を営まれていましたので、「南無阿弥陀仏」とお念仏を一緒に10回唱えさせていただきました。
そう云えば、進学で京都に行く時、亡き祖父が、
  「我が家の総本山は知恩院だで、機会があったらお参りしてくれや」
と言っていました。
その祖父も、引き継いだ父も、檀家を代表して菩提寺主催する浄土宗総本山知恩院参拝のツアーに参加していました。
ちょうど阿弥陀堂横の庭では、寒桜が花を咲かせていました。底冷えの京都に咲く冬の桜にほっこりと・・・。
  “ 冬来たりなば 春遠からじ ”
 続いて、円山公園を抜けて、京都の氏神様である八坂神社に初詣です。
観光客ばかりでなく、小正月が明けてもまだ地元の方々もお詣りに来られるのか、本殿の三本の鈴緒の前には結構な行列が出来ていました。順番を待ち、真ん中の鈴緒で鈴を鳴らしてから我が家と娘たちの新年の多幸を祈ってお詣りし、併せて次女の代参で厄除けのお札を頂くことにしました。
 参拝してから、“銀ブラ”ならぬ“祇園ブラ”ではありませんが、四条通を八坂から河原町まで歩いてみることにしました。途中、出来れば長女がお土産で買って来てくれた「原了郭」の黒七味を買おうと思ったのですが、どうやら四条通に面している筈の店に気が付かず通り過ぎてしまった様です。
そこで、四条河原町まで来たので、今回は私メのリクエストで、ランチには錦市場で冨美家鍋を食べることにしました。

 昨年、夏に次女が二人目を里帰りせずに横浜で出産して、その後家内が毎月横浜に手伝いに行ったり、そして秋には母の葬儀があったりしたため、当初予定していた旅行は、那須も京都も軽井沢も全て諦めざるを得ませんでした。まだ喪中ではあるのですが、11月末で忌明けとなり、松の内も過ぎて寒中見舞いも済ませて一応落ち着いたこともあり、せっかく楽しみにしていた旅行など全てキャンセルせざるを得なかった罪滅ぼしもあって、ここで一年ぶりに冬の京都へ行くことにしました。
コロナ禍明けでインバウンドも戻り夏や秋は大変な混雑だった様ですが、インバウンドには関係無いとしても、国内の旅行需要は閑散期となる冬ですので、京都も秋程は混雑していないでしょう。
ナナが居ればですが、コユキだけになり、娘たちの所に行く時にはコユキも一緒にあずさで移動していますし、また冬の京都は途中日本海からの季節風の吹き溜まりとなる関ヶ原の降雪も心配なことから、車ではなく電車で行くことにしました。車だと、途中ワンコのための休憩を入れて5時間近く掛かりますが、電車だと名古屋からの新幹線効果で3時間、東京へ行くよりも乗車時間が短くて済みます。
ただ、私メも男性は65歳以上から適用となるJRの「大人の休日俱楽部」に入会しているので、新幹線は「のぞみ」ではなく割引対象となる「ひかり」に乗車しますが、名古屋京都間は全ての駅に止まっても、途中岐阜羽島と米原の二駅しかありません。

 松本から名古屋へは、長野始発の特急「しなの」です。篠ノ井線はJR東日本ですが、中央西線はJR東海となるため塩尻駅で乗務員が交替します。
しなのは振り子電車ですが、デビュー後30年も経った経年劣化で、全てE353 系の新型車両に置き換わった「あずさ」に比べて、Free Wi Fiもコンセントも無く、さすがに古さが目立つようになりました。そのため、JR東海も新型車両を開発し、2026年から試験走行を始め29年には新型の385系を投入すると昨夏に発表されました。
木曽路はカーブが多いので、速度を余り落とさずにカーブを走行出来るように新型も現383系同様に振り子電車だそうです。

 掲載した写真は帰路ですが、JR高山本線と紀勢本線の発着駅である名古屋駅の在来線ホームには、2022年に投入されたJR東海の気動車H85系の新型特急で高山本線の特急「ひだ」と紀勢本線の特急「南紀」が並んで停車していました。早く「しなの」の新型も見たいものです。
 名古屋駅で新大阪止まりの「ひかり」に乗り換え、無事京都に到着。さすがに名古屋から新大阪行に乗車する人は少なく、車両がガラガラ。ワンコ連れだと、多少遅くてもその方が有難い気がします。
京都駅からは市バスだと混むので、地下鉄でいつものドッグヴィラの在る岡崎のホテルへ向かい、予定通り15時過ぎにチェックインをすることが出来ました。

 今回は4泊五日での京都滞在スタートです。久しぶりですが、京都は殆ど観光では廻っているので、今回はガツガツせずにノンビリする予定です。

 リビングルームの大画面TVは、Sonyの有機ELブラビアです。
早めの終活と断捨離で、2年前に一戸建てからこちらのマンションに引っ越した際に、あらゆるものを断捨離の一環でダウンサイズしたのですが、その中で反対に唯一大きく、或いはグレードアップしたのが冷蔵庫とTVでした。
(そう云えば、コロナ禍で東京から戻り松本でリモートワークをしていた長女のリクエストで、洗濯機も乾燥機能付きのドラム式にグレードアップしていました・・・ん?これって、昔で云うところの“三種の神器”⁇)

 子供たちが巣立って以降は母を含めて年寄り3人だけだからと、10年ちょっと前に買い替えた冷蔵庫は、それまでより小さめの480リットルにしたのですが、これが失敗でした。食料品の買い出しは週一のまとめ買いでしたし、冷凍可能なモノは一度に多目に作って冷凍保存するので、冷凍庫が小さいとすぐに一杯になってしまうのです。
そこで引っ越しにあたって冷蔵庫だけは550リットルと今までより大きめのサイズにして、また家内のリクエストで、野菜室は冷凍室よりも開ける頻度が高いので、野菜室が一番下ではなく取り出し易い真ん中にあるタイプにしたのですが、これが大正解でした(因みに、選んだ冷蔵庫には一番下の大きな冷凍庫とは別に、独立した別の小さな冷凍室と製氷室が野菜室の上に並んでいるので、夏に使う氷や使う頻度が高い冷凍モノはこちらに収納可能です)。

 さて今回の主題であるリビングルームのTV。画面の大きさそのものは55インチで以前と同じですが(65インチだと、狭いマンションでは視聴距離が十分に取れず、むしろ部屋のサイズに比べ大き過ぎます)、昔のモデルに比べれば勿論液晶TVも4K液晶など画素数増に伴い映像表現は随分進化していますし、また画面も遥かに薄くなっています。しかしTV売場で実物を見比べると(各社とも売り場では目立つように、実際家庭で見るよりもかなり明るさを強調した家電売り場用の映像表現に変えているので注意が必要ですが)、例えば同じブランド内での有機ELと4K液晶との比較であれば(同じ宣伝用の映像を使っていることが多いので比較し易い)、やはり同じ4Kでもバックライトの液晶と自発光の有機ELではその映像表現の差(但し、その差が分かる高画質の映像作品であればですが)は歴然でしたので、結局4K液晶ではなく最新の有機ELにしました。
中でも購当時Sonyのそれは、TV画面自体が振動するサラウンドの平面スピーカーが用いられていて、その臨場感が特徴。しかも前後左右に加え、高さ方向の音表現も可能にする最新の立体音響技術Dolby Atmos(ドルビーアトモス)にも対応。従来、立体音響を楽しむにはリアスピーカーなどを設置するか、またDolby Atmosなどの最新の立体音響技術が盛り込まれたサウンドバーを追加する必要がありますが、このブラビアでは、「Sony独自の最新の音声処理システムにより、テレビ本体のスピーカーだけで立体音響が体感出来る」というのが謳い文句でしたので、今流行りのサウンドバーを追加しなくても、TVだけで30Wあり音量的にも十分と感じた次第。
因みに、マンションの様な集合住宅では階下への低音の影響を危惧し、床置きのサブウーファーの使用は諦めたというケースが多いのです。従って、流行りのサウンドバーもサブウーファーが独立していない、オールインワンタイプのサウンドバーを選ばざるを得ません。
片や、既にご紹介した様に、寝室のパナソニックのビエラは、各社の4K液晶モデルの中では当時最小サイズだった42インチの液晶TV(現在4Kの最小モデルは43インチで、42インチは生産終了予定の古いこのモデルだけだった)ですが、購入した時からTV側の音響は今一つということは分かっていたので、入門機にも拘らず最新のサラウンド技術Dolby Atmosを搭載し、本体内にデュアルサブウーファーを内蔵しているので低音も豊かで音質的にも高評価の(当時から現在でもベストバイモデルの)DENON のサウンドバー DHT‐217を追加して、音響的にも満足いく環境で視聴しています。
そこで、リビングルームでは2年近くブラビア本体の平面スピーカーだけで視聴して来たのですが、一般のドラマやスポーツ中継などの映像は全く問題無いものの、YouTubeなどで音楽プログラムを視聴するとなると、やはり低音不足が気になってきました。
 「うーん、もうちょっと低音を効かせたいなぁ・・・」
そうかといって、サラウンド音響で30Wのブラビアの平面スピーカーも捨てがたい。そこでブラビア自身の音響を活かして、そこに低音だけを追加し強化することにしました。
そのためにはサブウーファーをだけを追加しても良いのですが、TVから(アンプを介さないと)直接は接続出来ません。また幅1m近い様な大型のサウンドバーはTV台の置き場所もですが、視覚的にも邪魔。そこで2段になっているTV台の上の段に置ける様なコンパクトなタイプを選ぶことにしました。因みに上の段の幅は60㎝です(因みに、上述のDENONのサウンドバーDHT-217は長さ89㎝です)。
探してみると、サウンド的にも合格(≒満足出来そうなスペック)で且つサイズもそれに適合するコンパクトタイプのサウンドバーは僅か2モデル(聞いたことも無い無名ブランドの製品は除きます)で、YMAHAとJBL。長さがそれぞれ60cmと61.4cm。見た感じYMAHAは長さがピッタリなのですが、高さが1cm程厚くて、しかも全体が何だかボテっとした感じでデザイン的には私の好みではありません。但し、スピーカー2基だけのJBLに比べ、YMAHAはサブウーファー機能のスピーカーが追加されています。いずれにしても、どちらも日米の老舗の音響ブランドですのでサウンド的には安心です(というより、米国ハーマンのJBLは、嘗ての“怪物スピーカー”パラゴンに代表されるハイエンド・オーディオメーカーとしてオーディオマニア憧れのブランドでした)。
そのため選択肢としてはどちらでも構わなかったのですが、ところがたまたまAmazonのプライムデー期間中に、そのJBLのサラウンドバーが対象商品に含まれているのを発見!しかも、通常2万円弱が、11,000円ちょっとで購入可能とのこと。そこで奥さまに頼んで(≒懇願して)、最新のJBL「BAR 2.0 All-in-One MK2」を買ってもらいました。このJBLのサウンドバー2.0 はサブウーファーレスながらも、昔から定評あるJBLサウンドの豊かな低音というレビュー評価で、しかもDolby Atmosではありませんが、JBL独自のサラウンド音響技術を搭載してDolby Digitalに対応しています。因みにYMAHAの当該モデルもDolby Atmosではなく、独自のサラウンド技術とのこと。どちらも実売2万円以下のモデルですので、スペック的にそこまで要求するのは無理でしょう。(Dolby Atmosを搭載するには、開発した米国企業のドルビー研究所にライセンス料を支払わなくてはいけません)。
 数日後、Amazonから送られてきました(注記:梱包箱の写真を撮っていなかったので、H/Pから写真を拝借しましたが、MK2の前の初期モデルの箱です)。
ところが、到着後さっそく接続してみると、私が当然とあると思っていた機能がSonyブラビアには無かったのです。
最新のサウンドバーはTVとの接続はHDMIのARC接続(TV側のリモコンでTVとサウンドバー双方が連動してON-OFFやボリューム調整が可能)が殆どで、SonyもJBLも問題ありません。しかもJBLにはHDMIケーブルが付属されているので、新たに購入しなくてもサウンドバーが届けばすぐに接続可能です。
しかし、例えば寝室のパナのビエラと違って、(Sonyの他の機種は知りませんが、多分)ブラビアの平面スピーカーを搭載しているモデルはTVとサウンドバーを同時に使うことが出来ず、どちらか一方を選択しないといけません。つまり、サウンドバーを使う時はせっかくのサラウンド効果のあるTVの平面スピーカーは鳴らないのです。逆にTV側の平面スピーカーの音響を使用する時は、サウンドバーが接続されていてもサウンドバーから音を出すことが出来ないのです。
ただ後で分かったのは、ソニー自身のサウンドバーの指定機種との接続なら、センタースピーカーとしてテレビからも同時に音が出せて、「定位感が向上し、より臨場感のある体験が可能」と謳っているのです(それにしても、Sonyだけっていうのはちょっとヒドイよなぁ・・・!)。
最初何がいけないのか分からず(しかもSonyにはトリセツが付属しておらず、ネット上でダウンロードしないといけません)、トリセツを見ても(当方の見方が悪いのか)なぜ両方から音が出ないのかは直ぐには分からないのです(サウンドバーの接続方法などは記載されているのですが)。
そこで、Sonyの対象機種名と一緒に症状や使用上の要望(双方同時に鳴らしたい・・・云々)を入力検索して、漸くネット上でそれに該当する、既に同じ問題を体験済みの第三者の方のアドバイスと、それを手掛かりしてトリセツ上の記述も見つけることが出来ました。
その結果の結論・・・HDMI接続ではTVとサウンドバー双方を同時に鳴らすことは出来ないが、別売りの光デジタルケーブルを接続すると両方から音を出すことが出来る。但し、その場合に(HDMIのARC接続の様に)TVのリモコン一つで双方を使えるかどうかは不明(=トリセツには記述されていない)。
余談ながら、他の製品も含めてなのですが、Sonyのお客様相談室機能は全く以て本当に不親切‼‼・・・。電話は平日の昼間に何時間待っても全く繋がらないし、ではメールで回答を得ようとすると、これも非常に複雑で使い辛い(すぐに送信出来ない)。しかもたまたま家電量販で(別製品ですが)同じ話題に触れた時に、量販のスタッフの方曰く、
 「いや、お客様だけでなく、ソニーさんは我々量販からのコンタクトでさえ非常にし辛いんですよ。殆ど繋がらないです・・・。」
もはや、Sonyはメーカーなどではなく、最早エンターテイメント制作のソフト会社なのでしょうか?(アフターサービスなぞ関係無しの、制作する映画や歌が一発当たればそれで良し・・・で、売りっぱなし、作りっぱなし・・・。実際のグループの利益も、ハードよりもソフトで稼いでいる筈ですので・・・)
 さて、光デジタルケーブルを量販店から買って来て接続した結果、漸くTVとサウンドバー双方から音が出て来ました(ある意味、無駄な出費なのですが・・・)。しかしSonyの平面スピーカーの音源上(スピーカーがTV画面上のどこにあるのか、サウンドバーとの距離で)、ドラマやニュースなどで、人が発声する場合、平面TVからの音声とサウンドバーからの音声が二重に重なって聞こえてしまうのです。そのため聴いていて何だか不自然で気持ちが悪いのです(例えば、ニュースを読んでいるアナウンサーが同時に二人いる感じ)。
これが寝室のパナのビエラだとTV側のスピーカーの性能が(せいぜいTV下部に配置された左右のステレオ単音源で)低いせいか、逆にサウンドバーと同時に使っても気にならない。むしろどちらか単体で鳴らすよりも、双方同時に鳴らした方が相乗効果で増幅して、より厚く立体的に聞こえるのです。
従って、Sonyの様にTV側のスピーカーの性能が高いと(??)、サウンドバーとの併用はむしろ逆効果で“痛し痒し”なのかもしれません。
でも技術的に、自社のサウンドバーで双方を活かす術(すべ)があるなら、Sonyのサウンドバー自体に何か特殊な独自技術が施されている訳では無い筈なので、他社のそれも活用できる筈。どう考えても、素人目には他社製品排除としか思えないのですが・・・(如何???)。
しかし、これが音楽の場合は、クラシックでもJazzでもポップスでも、オケや合奏でなくソロシンガーであっても、ミュージックシーンになるとこれが全く気にならない。むしろ追加されたサウンドバーの音響効果が増幅されて音に立体的な厚みが出ます。特にさすがはJBLで、両側に楕円形スピーカーが僅か2基だけの筈(サブウーファー無し)ですが、80W(40W×2)と十分なボリュームでしっかりと低音も出ていますし、独自というサラウンド効果(Dolby Atmosではありません)で確かに立体的に聞こえてきます。
そこで、音楽を聴く時だけ、従ってTVの番組よりも、むしろYouTubeやYouTubeミュージックの音楽プログラム、例えばライブ録画された国内外のクラシックコンサートやJazzやポップス、クラシックなどのプログラムなどを視聴する時は、サウンドバー側のリモコンでONしてサウンドバーとTVの双方から音を出して視聴しています。もし、OFF後に、また音楽番組を視聴する場合はそのままTV側のリモコンで消せば(JBLはスリープ機能があるので)、次にTVリモコンでONをする時もサウンドバーも同時にONになるので便利です。
そのため、好きな音楽番組をリビングで視聴する時は、JBLのサウンドバーも追加して、低音の厚みを増したサラウンド環境で音楽を楽しんでいます。 
 それにしても、当然と思っていた機能が、ブランドによっては使えない(というより他社製品排除)というのを今回知って、些か“天下の”Sonyブランドに幻滅を感じるのを正直禁じえませんでした。
 「こんなのは技術的であろう筈がなく、むしろマーケティング上の対応であるとしたら、エンジニアの盛田さんはともかく、あの井深さんは泣いているだろうに・・・」

 『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場』
ソニー創業者井深大氏が書いた東京通信工業の設立趣意書、そんな対応をしている(させられている?)今のSonyのエンジニアの人たちはもう一回読んでみればイイ・・・。
問うて曰く、江田島の“五省”で云う「至誠に悖るなかりしか・・・」。

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