カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 家内が次女の所に手伝いに行って一人の時、無類の(多分)麺好き人間の私メとしては、チャンスとばかり外出して好きな醤油ラーメンや信州そば、或いは「たけしや」の焼きそばでも食べに行けば良いのですが、何となく一人で外出するのも億劫で、面倒臭くて(信州弁では「ずくが無い」と言います)、「しょうがない、自分で作るかぁ・・・」と独り言を呟きながら、ランチ用に自分で作っても結構美味しくて満足している麺類、それは冷やし中華と焼きそばです(と、今回も些か前置きが長くなりました)。

自宅で冷やし中華と焼きそばを食べる時に使っているのは、どちらも“マルちゃん”でお馴染みの「東洋水産」のロングセラー商品、所謂冷やし中華の「冷やし生ラーメン」と「マルちゃん焼きそば」です。
どちらも3食入りで、近くのスーパーマーケットでは値上げ後の最近は250円前後で販売されています。

 東洋水産の商品紹介に依ると、冷やし生ラーメンは1966年(昭和41年)、焼きそばが1975年(昭和50年)の発売とのことですので、どちらも“超”ロングセラー商品と言えます。
同社のH/Pに依ると、この東洋水産の「冷やし生ラーメン」は東日本(北海道、東北、甲信越、関東、静岡、中京、北陸)で販売されているとのこと。
因みに、西日本(近畿、中国、四国、九州、沖縄)向けには「冷し中華」という名称で、同じ3人前 の生麺が2013年から販売されていました。また、北海道限定で、「北の味わい 黒酢入り醤油だれ冷しラーメン」という2人前の生麺が2022年から販売されているようです。
ネット記事にあった東洋水産のコメントに拠ると、「冷し中華」という名称は1970年代頃から一般的に使われる様になったのに対して、「冷し生ラーメン」は1966年の発売だったため、当初「冷やしラーメン」という名称で販売が開始され、その後1976年(昭和51年)に「冷し生ラーメン」と改名されたとのこと。
山形を中心とする東北地方には、暑い夏に普通のラーメンを冷たくして食べる「冷やしラーメン」が存在していて、次第に全国にも広まってきたことから、それとの混同を避ける意味もあったのでしょう。しかし、北海道限定では「冷やしラーメン」が定着している様ですし、逆に西日本は10年前から「冷やし中華」として統一されているようです(但し、関西では一般的な「冷麺」という呼称は使われてはいません)。
 「冷やし中華」のポイントは飽くまでスープ。個人的にはラーメンは醤油派故、冷やし中華もゴマダレでは無く、醤油ダレ一本ですが、東洋水産のこれが甘味と酸味のバランスが個人的に一番好み。しかも、マルちゃんの冷やし中華には振り掛けとして海苔、イリゴマ、フリーズドライの紅ショウガなどが小袋で入っているのが有難い。
具は、外で食べても、キュウリやハム、錦糸玉子にトマトと、自宅でも十分作れるレベルですので、スープ(醤油ダレ)さえ確保出来れば、わざわざ外で食べなくても十分自宅で満足出来る冷やし中華が作れます。
もっと酸味が強いスープが好みであれば、瀬戸内レモンだれという酸味を増して更に極細麺を使った商品も販売されています。
 一方の「マルちゃん焼そば」。これも豚バラ肉やキャベツさえ用意すれば、自宅でも十分美味しい焼きそばが作れます。好みにより、青海苔やカツオ節粉、紅ショウガを振り掛ければ更にお店の味に近付きます。
東洋水産の「焼きそば」に関して、ネット検索で見つけた東洋水産への取材記事に拠ると、1975年(昭和50年)の発売開始以来50年近くもの間、驚くべきことにこれまでに一度もテレビCMをしていないのだそうです。
焼きそばは当時外食で食べるもので、家庭用のチルド麺を提供するところは殆ど無かったのだそうです。
「マルちゃん焼そば」が発売された1975年(昭和50年)当時は経済成長時代で、大都市でも町中にうどんやそばの生麺を作って販売する中小の製麺所がたくさん存在していて、業務用は勿論、家庭用の麺もこれらの製麺所が担っていたのだそうです。
「マルちゃん焼きそば」は蒸し麺だったので、町中の製麺所とは直接競合しないのだそうですが、全国の中小の製麺所との共存共栄を望んだ結果、“敢えて派手なコマーシャルはしない”と決めたのだそうです。
それまでは町の食堂や、それこそ定番の夏祭りの屋台など外食で食べるモノだった焼きそばを家庭でも十分美味しく食べることが可能にしたのは、CMなどしなくても日本中で食べられる様に広まった、この「マルちゃん焼きそば」のお陰と言っても決して過言では無いと思います。
個人的には、付属の粉末ソースに更にお多福ソースを加味して、味を少し濃い目に炒めて楽しんでいます。
今では他にも焼きそば商品はたくさんあり、家庭で作れる焼きそばの選択肢は随分増えました(個人的には太麺が好み)が、初めて家庭で楽しめる焼きそばを提供し、いまだにロングセラーを続ける「マルちゃん焼きそば」の“家食”への功績は大だと思います。
【追記】
併せて、第1178話の「カップヌードル讃歌-カップ焼きそば」も是非参照ください。

 昨年8月に横浜に暮らす次女に二人目が生まれ、婿殿の勤める総合病院で出産した方が何かっても安心なことから、一人目同様に松本への里帰り出産では無く、退院後も横浜のアパートで生活しています。
そのため退院直後だけではなく、その後も独りで二人見るのは大変だということから、婿殿からの依頼もあって、家内が孫の世話と家事の手伝いに毎月10日間から2週間ほど横浜に行っています。

 ということで、その間私メはコユキと一緒にずっとお留守番生活・・・です。
料理は嫌いではないので、自炊も別に苦になりませんし、それがイヤになれば外食でもテイクアウトでもすれば良いし、あとは掃除洗濯も別に機械がしてくれるので(特に洗濯は、しようと思えば乾燥までそのまま自動でしてくれます)、特段困ることはありません。
唯一、個人的に面倒臭いと感ずるのは入浴後の浴槽の掃除なのですが、これも(一人では水が勿体無いので)使わなければ良いので、近くの日帰り温泉で済ませています(却って高上りかもしれませんが、たった一人の場合、浴槽とシャワーに使う水道料とお湯を沸かすガス代って、日帰り温泉と比べてどうなんでしょうか・・・???)。

 些か前置きが長くなりました。
家内が不在でも食事を取らないといけません。ただ、食材が冷蔵庫に何も無くて、本当はスーパーに買い出しに行かないといけないのですが、何となく面倒臭くてついつい行きそびれてしまいました。
買い置きのパスタや頂いた乾麺もあるのですが、お昼に麺類を作って食べたので食指が動きません。
 「うーん、どうしよう・・・???」
ビール飲んで寝ちゃおうかとも思ったのですが、お腹が空いて眠れそうにありません。
冷蔵庫を見ると野菜室にキャベツがありました。そこで仕方なく作ったのが・・・キャベツ焼き???謂わば、具材がキャベツだけのお好み焼き・・・です。

キャベツの千切りに小麦粉と、タマゴを掻き混ぜて(場合によって水で濃さを調整して)フライパンで焼いて、常備しているオタフクのお好み焼きソース、マヨに、これまた常備している削りぶし粉(魚粉)と青海苔を振り掛ければ出来上がり。
食材が無いので、豚肉もイカもベビーホタテも動物性タンパクは何も入っていませんが、食感と味はお好み焼き。二枚焼いて、ビールをお供に完食し、少なくともお腹は満たされました。
侘しいと云えばそうかもしれませんが、まぁ、こんな日が一日くらいあってもイイでしょう。
 「ヨシ!明日はちゃんとスーパーに買い出しに行こっ!と・・・」

 奥さまが毎月横浜の次女の所の手伝いに今月行く前に、せっかく慣れつつある体が忘れない様にまた山に登っておきたいとの仰せ。そこで、本当は花が咲く頃に登ろうと思っていた美ヶ原へ、今回もまた三城からの百曲がりコースで登ることにしました。
そこは“山の民 信州人”である地元民の特権として、天気予報を見ながら快晴の日を選んでの山行です。

 リタイア後、クラツーの「女性のための登山教室」に2年間通った家内に付き合って始めた登山。まさに典型的な今流行りの“中高年登山”ですが、“日本の屋根”に暮らす“山の民 信州人”としての最大のメリットでもありましょう。
その中で地元の山故に、2018年に登り始めてから今回が7回目となる美ヶ原。コロナ禍の2021年を除けば、足慣らしも兼ねて毎年必ず美ヶ原へ登っているのですが、最初の頃に美ヶ原でお会いした県の環境レンジャーの方からの、4つほどある美ヶ原の登山ルートの中では百曲がりコースが一番変化があるのでおススメというアドバイスに従い、毎回三城からの百曲がりコースで登っています。そして、このコースは美しの塔に刻まれている「美ヶ原溶岩台地」や『高原詩抄』に収められている私も大好きな「松本の春の朝」などを詠んだ、信州ゆかりの“山の詩人”尾崎喜八が登ったコースでもあります。
美ヶ原へはビーナスライン等を使えば車で上まで行けてしまいますが、美ヶ原自体もれっきとした「日本百名山」の一峰です。その名の通り2000m級の広い台状の高原ですが、山頂は2034mの王ヶ頭。ただ頂上付近にはホテルとテレビ塔が林立しており、王ヶ頭で登頂記念の確認をすることを除けば、むしろ2008mの王ヶ鼻からの方が北アルプスから八ヶ岳までぐるっと270度(!?)、まさに圧巻の眺望を楽しめます(浅間山は王ヶ頭周辺からの方が見易い)。しかも、日本百名山の実に1/3の名峰たちが望めるという絶景の“アルプスの展望台”でもあります。(下の写真は、三城いこいの森の駐車場から仰ぎ見た、美ヶ原山頂の王ヶ頭です)

 5月11日、快晴の中、早目にコユキの朝の散歩を済ませてから、7時に家を出発。市街からは三城まで40分程度でしょうか。市街から既にここまで800m登って来ていることになります。
三城「いこいの広場」の登山者用無料駐車場には既に10台近く車が停まっていて、我々も有料トイレなど準備を済ませ、7時55分に登山開始です。ここが標高1450mとのことですので、山頂までは標高差約600m弱の山旅です。登山口から「塩くれ場」まで3.5㎞という表示。
三城のオートキャンプ場を経て、林の中を沢沿の道を進み30分で広小場到着。途中、道が無くなって石がゴロゴロ河原の様になっていたり、木が倒れて道を塞いでいたりと、台風の大雨で流されたのか、以前に比べて道が荒れていて歩き辛い個所もありました。

広小場の東屋で休息し、暑くなりそうでしたので長袖を脱いで半袖になり、登山再開。ここから百曲がりの本格的な山登りが始まります。






直ぐに板状節理で平べったく割れた鉄平石が道をガレ場の様に覆っていて、歩き辛いことといったらありません。また浮石の様になっていて、乗ると滑る場合もあるので注意が必要です。
そんな登りの途中、至る所にタチツボスミレに始まり、黄色いキジムシロや初めて見るミヤマエンレイソウ(シロバナエンレイソウ)などの花が迎えてくれました。
「百曲がり」の48回曲がるという九十九折を登りながら次第に標高を上げて行くと、今度はオオヤマザクラの花やカラマツの芽吹きも見られ、里はともかく山はまだ春の装いです。
次第に木々の高さが低くなり、空が段々大きくなってきました。パイプからチョロチョロと水が出ている水場と思しき所過ぎれば、「百曲がり園地」までもう少しです。因みに、水は冷たくて清らかに見えますが、美ヶ原には牛も放牧されるので、地中でいくら濾過されていても飲料水にはしない方が良いと思います。
やがて登山道の周りが低木くらいになると、草原の先に崖がそそり立っているのが見え、そこが「百曲がり園地」で、「塩くれ場」と「アルプス展望コース」の分岐点。一応登山道の登りはここまでなので、ここで一休み。ゆっくりと歩いて来たので、駐車場から1時間40分弱で到着しました。この日、木々の無い台状の高原は強風で寒いくらいに感じます。そこでまた長袖を着ましたが、いくら下界が暑くとも山の天気を過信せず、ウィンドブレーカーとかを常備すべきと反省しました。
 この園地からは「塩くれ場」経由で観光スポットの「美しの塔」や、平坦な砂利の車道を歩いて美ヶ原の頂上である王ヶ頭まで行くことも出来ますが、トレイル気分が味わえる「アルプス展望コース」を歩いて王ヶ鼻へ行くことにしました。王ヶ頭へは既に“登頂”していますし、眺望の良い王ヶ鼻へ直行します。因みに、この時はまだ美ヶ原では牛の放牧は行われておらず、一週間後から始まるとのことでした。
園地から王ヶ頭まで2.2㎞と表示されていますので、その先王ヶ鼻までは園地からは3.5㎞位でしょうか。
この「アルプス展望コース」は、尾崎喜八が“溶岩台地”と呼んだ台状の美ヶ原高原の西側の端を地形に沿って行くので多少のアップダウンはありますが、南から中央、そして北アルプスまで日本の屋根をその「アルプス展望コース」の名称通り一望出来る気持ちの良いトレッキングコースで、美ヶ原では一番のおススメ!です。例え、登山ではなく車で来ても、このコースを楽しむべきです(ハイヒールにスカートではなく、それなりに歩ける格好で)。
途中烏帽子岩などのスポットで写真を撮ったり休憩したりする人たちもおられ、皆さんそれぞれに絶景を楽しんでいますが、我々はそのまま王ヶ頭からは砂利道を歩いて王ヶ鼻へ。
王ヶ鼻には20人近い登山者の方々が思い思いに岩に腰掛けて、ここからの絶景を楽しんでおられました。
快晴の日を選んで来たこともあって、左から八ヶ岳、富士山、そして甲斐駒、北岳、間ノ岳、仙丈の南アルプス。そして木曽駒の中央アルプスから御嶽、乗鞍、更に穂高連峰から槍、常念、鹿島槍から五竜、白馬連峰へと山並みが続きます。“アルプスの展望台”に相応しい眺望が、眼下の松本平を飛び越えた先に拡がっていました。余談ですが、伊那谷では木曽駒ではなく単に駒ケ岳か西駒と呼び、甲斐駒は東駒となります。昔仕事で飯田に伺った折に、木曽駒と言ったら地元の方にやんわりと訂正されてしまいました。
 そんな眼前の絶景をおかずに昼食代わりのオニギリを食べ、十二分に景色を楽しんでから、二人共途中王ヶ頭ホテルでのトイレ休憩は不要とのことだったので、帰りも王ヶ頭には寄らずに、そのまま同じ展望ルート経由で戻ることにしました。
二人共、百曲がり園地でトレッキングポールも準備して、帰路も百曲がりコースを下ります。鉄平石のガレ場は歩き辛いので、登りよりもより慎重に歩を進めます。
途中、私たちより年配ですが、ベテランと思しき“地下足袋”の登山者が“跳ぶ”様に追い抜いて行かれました。暫くして女性の方も・・・。
無事広小場に着くと、先程時間差で追い抜いて行かれた年配の方々が東屋で登山用バーナーとコッヘルで調理して昼食を摂られていました。上は強風でバーナーが使えそうもなかったので、風の無い広小場まで下山して昼食にしたとのこと。我々同様に地元松本在住のご夫婦だそうで何度も美ヶ原へ登られているのだとか。広小場から茶臼山経由でのルートもあるのですが、お聞きすると、そちらは台風でかなり登山道が流されたり荒れてしまったので止めた方が良いとのことでした。我々も東屋のベンチをお借りして、脱いだ上着をリュックに仕舞いお礼を言って先に歩を進めます。
ここからは沢沿いのなだらかな下り坂がオートキャンプ場まで続きます。新緑の中、沢の水音が涼しげで心地良く、広小場の近くの説明版にもあったガマズミ科のカンボクのアジサイに似た白い花が印象的でした。
三城のいこいの森の登山者用駐車場に到着。下りは75分、ほぼ標準のコースタイムでした。
美ヶ原の高原では上着を羽織らないと半袖では寒く感じる程風が強かったものの、今回は快晴の日を選んで来たこともありますが、7回の中では今までで一番の絶景でした。
“アルプスの展望台” の名の通り、素晴らしい眺望を堪能した美ヶ原への山旅でした。

 覚悟の上の終活と断捨離で一戸建ての自宅を手放し、“終の棲家”として2021年末に現在の我が家であるマンションに移って来たのですが(その辺りの経緯経過は、2022年の1701話から1720話辺りをご覧ください)、分かっていたとはいえ、マンション暮らしの中で個人的に寂しいのは庭が無いこと、家庭菜園が無いこと・・・です。
日々少しずつ変わって行く庭の芝生や木々を見る癒し効果と、そして家庭菜園で朝収穫した夏野菜の瑞々しさと大量栽培でないからこその味の濃さ・・・。そんな、“生きとし生けるもの”と一緒に暮らすことの、人間としての小さな、でも大切な日々の安らぎ・・・。
些か大袈裟に聞こえるかもしれませんが、そんな気持ちになる程、身近にある“グリーン”に触れる、そして“土いじり”をして触わることの安心感。
そういう意味で、昨今のTVでタレントを起用しての家庭菜園やベランダ野菜栽培などの番組がNHKで放送されているのも、或る意味現代社会に生きる人間に必要なニーズの一つなのかもしれません。
荒れ地にならない様に、亡き父の代からJAにお願いして耕作していただいている田畑以外にも、我が家にも何もしていない山の畑もあるのですが、水利が無いので野菜栽培には不向きなのです。
そこで、一昨年ベランダでのプランター栽培で野菜を育ててみたのですが、夏の時期など毎日の水遣りが出来ずに数日間家を空けて水をあげないと、水分を土中に保持出来ない浅いプランターでは(喩え30㎝であっても)それだけで野菜は枯れてしまう、或いは枯れずともちゃんと結実してくれないのです。ですので、例えば家を空けて4泊5日で旅行に行くなどは、もしプランターで夏野菜を育てたいのであれば諦めるしかないのです。

 些か前置きが長くなりました。
マンションに暮らすというそんな状況下で、そうは言っても・・・と、もう少し緑に触れたいと思い始めたこと。
その前に、マンションの我が家に在る“植物”は、今までもご紹介したシンビジウムと、前の家の庭から鉢に移植して持ってきたクリスマスローズ。これらは、いずれも家内が長年丹精込めて世話をしてきたものですが、それぞれシンビジウムが3鉢とクリスマスローズが2鉢。それと同様に前の家から持ってきたのが、もう10数年にもなる観葉植物の、ハワイで“幸福の木”とも呼ばれる「ドラセナ・マッサンゲアナ」。これは、確か家内へのバースデイプレゼントに購入した筈。新しい葉が出ると茎も伸びて随分成長したので、一度園芸店に頼んで大きめの鉢に移し替えて貰っています。
一般家庭では、どうしても冬場は室温が下がるので、今は少しまだ黄色くなっている葉もありますが、夏になるとそれらの葉も皆緑色に回復します。やはり南国生まれの観葉植物は、夏場の方が元気が良い様です。
そしてもう一鉢。上述の寂しさを少し解消すべく、マンションへ引っ越した際に購入したのが、同じドラセナの仲間で、細長く先端が尖った葉が特徴の涼しげでオシャレな「ドラセナ・コンシンネ」の高さ150㎝以上もある大きな鉢。このコンシンネには、その葉の色に寄って幾つか種類がある中で、緑と白のストラップの葉が特徴の「ホワイトホリー」という涼し気で爽やかな印象のする品種にしました。松本市内の観葉植物専門店で、2万円近くしましたが、色々探した中で二人共気に入って購入した鉢です。




 上述のクリスマスローズはべランダに在りますし、花の時期以外は蘭のシンビジウムの3鉢もベランダに置いてあるので、室内に在るグリーンはこの観葉植物の大きな鉢が二つ。これだけでは何となくまだ寂しいので、そこで“ミニグリーン”或いは“ミニ盆栽” とでも呼べそうな小鉢を購入することにしました。
そのために、市内の寿地区に在る産直野菜中心の「アルプス市場」や郊外の大きなホームセンターなどに行った時に、併設されている園芸売り場も覗いて気に入ったモノがあると何鉢か購入しました。

先ず一つはガジュマル。沖縄など亜熱帯から熱帯地方に分布するクワ科イチジク属の常緑高木で、太い幹が特徴的なゴムの木の仲間。観葉植物の中でも、最も人気が高いと言われ、沖縄の逸話では家庭に繁栄をもたらす木として「多幸の木」とか「幸せを呼ぶ木」と称されているのだそうです。
そして次にコーヒーノキとクチナシ。どちらも光沢ある艶やかな葉が印象的です。そしてコーヒーもクチナシもジャスミンに似た香りの白い花を咲かせるのですが、それもその筈で、二つとも同じアカネ科の植物です。
ミニグリーンですので、いつになるか分かりませんし、鉢が小さ過ぎて無理かもしれませんが、もし上手く咲いてくれれば、濃い緑の中の赤い花が印象的なことに由来する“紅一点”のザクロならぬ “白一点”とも呼べそうな、コーヒーとクチナシのいずれも白い花が印象的な筈なのですが・・・。
そしてバキラ。挿し木用か水耕栽培用なのか、10㎝足らずの小さな枝が濡れたスポンジに包んで売られていたので購入し、家にあった小さな鉢とバーミキュライトで鉢植えにして、水がこぼれても構わない様にガラス鉢の中に入れているのですが、新しい葉が幾つも伸びて、3倍近く大きくなりました。(下の写真で右がクチナシ、左がバキラです)
それと、ガジュマルと一緒に買ったのですが、難しくて枯らしてしまったアジアンタム。でも生きている芽もあったので捨てるのが可哀想で、そのまま育てているのですが、果たして大きくなってくれるかどうか・・・?
最後に、観葉植物ではありませんが、たまたま行った時に花の時期が過ぎて半値に値引き販売されていたのでつい買ってしまった、ミニ盆栽とも言えそうなボケの小鉢。一本の木に紅白の花が咲く「東洋錦」という種類だそうです。結構長い間咲いていて、目を楽しませてくれました。
 以上、庭の無いマンションでの“グリーン欠乏症”とでも言えそうな状況への対処法として、購入した“ミニグリーン”の数々。
霧吹きで水分を補給したりと、少しずつでも毎朝世話をするのが多少の気休めにもなっていて、これらのミニ盆栽の様な“小さな”鉢植えが日々の潤いを与えてくれ、間違いなく少なからぬ癒しにもなってくれている気がしています。

 会社時代の後輩から誘われて、実に8年ぶりに上諏訪の「雫石」へ呑みに行って来ました。会社員時代に一番世話になった諏訪在住のボスも誘い、既に皆リタイア組の後輩2名と計4人で久々の諏訪での飲み会です。
「雫石」は、諏訪に勤務していた頃、毎晩とは言いませんが、頻繁に飲みに行っていた馴染みの店でした。ほんわかした松本出身のご主人と、釜石出身の東北美人の女将さんが営む和風料理の店。釜石在住の妹さんが送ってくれるという新鮮な魚などの料理も勿論美味しいのですが、居心地が良くて雰囲気がとても素敵な店でした。

 そんな「雫石」は、“大人飲み”にも相応しい店です。
太田和彦流で言わせてもらえれば、「いい酒、いい人、いい肴」が全て揃っているような・・・。もし松本にあったら、例え年金生活者のチョイ飲みででも、週イチで通うんですが・・・。
 チェックしてみたら、9年前に伺った時(第973話)に、太田和彦氏の著書「自選ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)をプレゼントしていた様です。全く忘れていたのですが、
その時のブログにはこう書いていました。
『飲兵衛からの勝手な視点で、これからもずっと「いい酒、いい人、いい肴」を続けて欲しかったので、この日電車に乗る前に松本の丸善で買った太田和彦著「自選ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)を女将さんにプレゼント。前回「細かい文字が読み辛くなった」と言われていたので、三部作はちょっと負担かなと・・・。
因みに「自選」は松本編(三部作の第一巻「立志編」に掲載されている「松本の塩イカに望郷つのり」)からスタートし、東日本と重なる阪神大震災後に訪ねた神戸編「神戸、鯛のきずしに星がふる」(きっと女将さんの故郷釜石への震災後の想いにも繋がると思います)まで16編が収録されています。』
また、東日本大震災後に伺った時、釜石出身の女将さんが話してくれたのが、
『(前略)震災後、釜石の妹さんが「震災で、ずっと(生の)お魚を食べてないんだよぉ!」と嘆くのを聞いて、震災までは釜石のご実家から鮮魚を直送してもらっていた「雫石」の女将さんは、早速この諏訪では鮮度が良いと評判の鮮魚売り場でたくさん購入し、保冷便で釜石に送ったのだそうです。
そうしたら、届いた魚を見た妹さんたちは皆でビックリして、
 「久し振りに、みんなで大笑いしたんだよぉ!」
と電話をされてきたのだそうです。
何でも、送られてきた魚の、特に生のイカの鮮度の悪さに驚いたのだとか。
 「信州じゃあ、こんなイカを生で食べてるんだねー。姉ちゃんもすっかり“山のヒト”になっちゃたんだねーって、みんなで大笑いしたんだよぉ!」
(中略)
 「でもそのお陰で、(震災の後は笑うことも無かったのが)久し振りにみんなで笑えたって喜ばれちゃった・・・。」
(中略)
結局、せっかく女将さんが信州から送った“鮮魚”は、どれも生では食べてもらえずに、煮たり焼いたりされたのだそうです。』(第532話)

 この日、女将さんとご主人が仰るには、
『定年前に飲みに来てくれた時に、「もしかするとこれが最後になるかもしれないから、念のために挨拶しとくからね」って言って、本当にその後来てくれなくて、今日までなっちゃったけど、みんなの定年のお祝いをするために取って置いたんだよ!』
そう言って出してくれたのは、塩尻の醸造所に頼んで、「雫石」のラベルを貼って特別に作って貰ったという塩尻産カベルネ・ソーヴィニヨンの限定赤ワインンの最後の一本・・・でした。
有難く頂戴し、遅れ馳せながらとはいえ、皆で定年のお祝いの乾杯をさせていただきました。
この日の料理は、いつもの釜石から送られて来る新鮮な刺身は勿論ですが、旬の山菜の天ぷらと、これまた「しどけ」と現地で呼ばれる東北地方では定番という少し苦みがあって美味しい山菜のおひたしなどなど・・・。

 ボスの慰労も兼ねて、このメンバーで今後も定期的に「雫石」で集まることにして、次回は秋頃の再会を期して店を後にしました。
 「ご馳走さまでした!また来ます。」

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