カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 奥さまが何を思ったか、急にミシュランシェフ監修という冷凍の宅配弁当を申し込んだとのこと。それは14食セットで通常一食当たり760円位なのが、TVショッピング等でも良く見る様な、初回限定特典で一食ワンコインの500円とのこと(次回の注文からは、注文するセット数に依り一食650円~850円の由)。
横浜の次女の家に孫の世話と家事手伝いで、恒例の“家政婦”に行っている間に決めたらしいのですが、もしかするとその一因は、“鬼の居ぬ間”を謳歌しつつも、10日も過ぎると食事を作るのが段々億劫になって来て、LINEのメールやビデオ通話が来た時に、
  「今日はもう面倒臭いから、HottoMottoの弁当にした!」
とか、時々愚痴っていたのが少々マズかったのかもしれません。

 一年前から、NZの鳥インフルの影響で原材料が輸入禁止となり、それまで定期的に購入していたドッグフードが販売停止になってしまい、それに代わるウェットフードに選んだのが、犬・猫向けの生肉専門店の生肉ミンチのドッグフードで、ご先祖様が本来肉食動物だった犬の食性に合わせて作られたという「HUGBOXブレンド」のホースとチキンで、これが毎回4㎏ずつ冷凍で届くのです。従って、氷をノコギリで切るのと同じ様に、カチカチだったのが半解凍手前の少し柔らかくなった段階で、包丁で切り易い位の凍っている状態のまま、一袋1㎏を一食分の50gずつ包丁で切って小分けして、ケースに入れ替えて冷凍庫にまた戻して、食べるまで保管しています。
ことほど左様に、人間のみならずワンコたち用にも冷凍食品が増えている昨今、大型冷蔵庫の大小二つの冷凍室は常に満杯。
  「○日に冷凍でお弁当が14食届くから、冷凍室を空けなくっちゃ!」
と、横浜から戻り、それまで“たまの贅沢用”にと大事に冷凍保存してあった、娘夫婦が送ってくれた治作の水炊きセットやしゃぶしゃぶ用の高級和牛とか、他にもキノコや野菜の冷凍保存してある食材を消費すること暫し・・・。しかし、14食分の冷凍宅配弁当を収めるスペースは確保出来なかった模様・・・。
  「ヨシ!冷凍庫を買おう ! !」
些か短絡的の様な気もしないでもありませんが、冷蔵庫を補完するために小型の冷凍庫を購入するとのこと。
 因みに我が家の冷蔵庫は、娘たちが大学進学で巣立った後で、家を建てた時から使っていた大型冷蔵庫の寿命が来た時に、それまでより小さめの480ℓにダウンサイズしたのですが、これが失敗でした。というのも、例え年寄り家族3人だけであっても、食料品を週一で買い溜めするのであれば、それなりの容量は必要という当時の反省を踏まえ、終活でのマンションへの引っ越しを機に、今度は年寄り夫婦二人だけなので他の大型家電や家具類をダウンサイズして買い替えた中で、冷蔵庫だけは550ℓへと逆にむしろサイズアップしました。
出来れば、キッチンのその冷蔵庫スペースの脇の隙間に二台目の冷凍庫が入れば万々歳なのですが、残念ながらそこは25㎝しかスペースが無く、見た中ではスリムサイズでも最低35㎝はあるので無理。そうなるとキッチンには置けるスペースが無く、リビングダイニング横の長女の部屋か、私メの“男の隠れ家”兼物置部屋しかありません。
長女はせいぜい年に一回しか帰国しませんが、そうかといって彼女の部屋を勝手に使うのも申し訳ないので、結局物置部屋に置くことにして、探した場所は北側の通路よりの畳半畳分程の少し引っ込んだスペースで、和箪笥の前。箪笥の引き出しを開けるスペースを確保するには側面の壁まで最低40cmは必要なので、そうすると残りのスペースは壁まで38㎝。ですので、幅が35~36㎝のスリム型であれば設置可能。通路側の窓は床面からの高さが70㎝。ですので、余り背の高いタイプですと窓を塞いでしまい、タダでさえ北側で暗く、更に既に窓の1/3は和箪笥で塞いでいるので、余計室内に光が入らなくなってしまいます。
そこで、思い立ったその日に“善は急げ!”とばかり(或いは気が変わらぬ内に?)、市内の家電量販店2店舗と量販には置いていないニトリの計3店舗を回って見てみることにしました。ヤマダ、Ks‘、ニトリと一度に三軒回った中で、一番品揃えが多かったのがケーズデンキでした。
冷凍庫といっても種類も結構豊富で、家庭用の前面開閉の扉タイプ(上開きタイプもあり)で、一番容量が小さなモノは60ℓから大きなモノでは200ℓ位まで。価格も店頭で2万円~8万円と結構幅がありました。
メーカーもパナソニック、三菱といった大手家電メーカーから、他の国内メーカーではアイリスオーヤマ、そして日本メーカーの白物家電部門を買収したアクアやハイアールといった中国メーカー。他には、店頭にはありませんでしたが(ニトリでは冷凍庫は店頭には置いておらず、カタログさえもありませんでした。聞くと「1モデルしかないので、ネットで確認してください」とのこと)、通販で購入可能な、国内の第二勢力ともいえる山善やニトリといったファブレスメーカーや、聞いたことも無い中国ブランドなどなど。

今回はセカンド冷凍庫なので、そう大きなサイズは必要ありませんし、何しろ設置スペースが限られていて、候補になるのは幅35㎝位のスリムタイプしかありません。そこで調べてみた結果、アイリスオーヤマの80ℓ、山善の70ℓのスリムタイプで35.6㎝。ニトリは1モデルのみの60ℓですが、残念ながら幅が48㎝。価格はアイリスオーヤマが店頭で税別5万円弱(消費税10%ですが、あんしんパスポートで5%値引きあり)、山善が通販で4万円強、ニトリも同2万5千円弱。
意外だったのは、アイリスオーヤマは大手家電をリタイアした技術者を採用し、機能を絞った製品展開で低価格をウリにしているという印象でしたが、店頭で見るそれは、パナや三菱と比べても同価格で決して安くありません。容量は候補モデルの中では80ℓと一番大きかったのですが、高さが997mmなので、窓が30㎝潰れてしまいます。
山善は同じ幅で高さは867mmと、容量も70ℓと10ℓ少なくはなりますが、その分高さも13㎝低くなります。
ニトリは容量も60ℓと一番小さいのに、幅は48㎝と広過ぎますし、何よりも自動霜取り機能が付いておらず、大昔の冷蔵庫の霜取りの大変さを考えると、価格は安いのですが主婦目線からは論外とのこと。
因みにスリムタイプの冷凍庫ですが、実際設置する際には、山善は横2㎝で背後5㎝、アイリスオーヤマは横3㎝で背後5㎝のスペースを確保する必要があります。従って幅35.6㎝ではあっても、実際の設置には山善が幅40㎝、アイリスオーヤマは幅42㎝のスペースが最低必要ということになります。
そこで奥さまの結論は、山善の小型スリム冷凍庫の中の70ℓの自動霜取り機能付きの、YF-SFU70というモデルのブラックタイプでした。ケーズデンキでも店頭には無かったので、ネット通販サイトから購入。但し宅配は玄関先までなので、設置は自分自身で行う必要があります。
 冷凍の宅配弁当14食セットが届く同じ日、午前中指定で冷凍庫を届けて貰って、荷解きをしてトリセツに従って設置し稼働させ、その後届いた冷凍弁当を無事収納することが出来ました。
それにしても、いくらコストが安いにしても、どうしてこういう家電製品は緩衝材に発泡スチロールを未だに使い続けているのだろうと毎回思います。他の、或いは小型家電などの様に、段ボールや紙素材でのモールド成型材を使えないのだろうかといつも感じてしまいます。この発泡スチロールをプラごみとして廃棄するのには、そのままでは大き過ぎて廃棄出来ないので、プラごみ用の袋に入る位に(或いは指定する長さの範囲内に)切断する必要があるのですが、その際に細かく割れた発泡スチロールの粒が静電気で手から離れなくて、捨てるのに本当に難儀します。これがもし道端や街角に捨てられて、戸外で粒状にまで細かく分解してしまうと、それこそ最終的に海洋汚染にまで繋がるのではないかと心配になります。何年か前のバカな環境大臣がレジ袋を有料化しましたが、分解しにくいポリ袋よりも、むしろ発泡スチロールを各業界で使用禁止にした方が、個人の環境意識向上(も確かに大事なので、その啓発活動自体は否定しませんが)に訴えるポリ袋よりも余程環境保護には効果があるのではないか!?・・・と思います。是非環境問題として、家電メーカーや事務機器など発泡スチロールを梱包用に使用している業界は真剣に向き合って貰いたい!・・・と心底感じています。
 閑話休題・・・。
さて、購入して初めて分かったのですが、この山善のモデルの残念だった点は、冷蔵庫などと違って、冷凍庫のドアを開けても庫内に明かりが点かないこと。従って、夜は室内の明かりを点けないと中が見えず、中の冷凍食品を探して取り出すことが出来ません。省エネのためかどうか分かりませんが、扉を開けた時くらい点灯させても良いのに・・・と感じた次第(但し大型冷蔵庫も、野菜室や冷凍室は、引き出しても個々に明かりは付きませんが)。
早速奥さまは冷蔵庫の冷凍室からも移した冷凍食品でセカンド冷凍庫を一杯にして、冷蔵庫の冷凍室に余裕を持たせ、これからは例えば冷凍保存がおススメのキノコ類や可能な野菜類、そして何より孫たちの大好きなブルーベリーやトウモロコシなどを来年の旬の時期などに買って、孫たちのために冷凍保存しておくのだそうです。
  「フーン、ナルホド。宅配弁当のためじゃなかったんだ・・・」

 以前にも書いたと思いますが、以前住んでいた沢村は城山山系に遮られているので、北アルプスの峰々を見ることは出来ませんでした。
松本に生まれて60年、終活で渚のマンションに引っ越して、人生で初めて常念を始めとする松本平からの北アの峰々を朝に夕に眺めることが出来る様になり、季節ごとに、或いは日々、そして一日の中でも朝昼夕と刻々と変わりゆく北アルプスの様子を都度眺めては、信州松本に生まれ、そして信州松本に暮らす喜びを感じています。

 春夏秋冬、季節が移り行く北アルプスの情景は、それぞれの季節ごとにまたそれぞれの美しさがあります。
残雪の映える春、夕映えを背景にして黒い屏風の様に聳える峰々の夏、秋晴れの真っ青な空を背景にくっきりと映える北アの峰々、そして雪化粧の白き峰々を赤く染める真冬のモルゲンロート・・・。

 その四季折々の中で、夕映えが美しいのはやはり夏でしょう。
黒い屏風の様な北アルプスの峰と、その背後に拡がるバラ色の夕焼け。その赤と黒の対比が、刻一刻とその色と表情を少しずつ変えながら、二度と同じ夕景の無い唯一無二の、まさに“一期一会”とも云える景観です。
今年も、5月を過ぎると残雪が消えて、山麓にも木々が芽吹き、それまでの遠目で黒っぽかった山肌に青味が加わった夏山の装いになると、キレイな夕焼けが見られる様になります。
そして夏至をピークに太陽が高くなるに従って、日の出と日の入りの地点が段々北上していくのに伴い、松本平からは“西山”と呼ばれる北アルプスに沈む夕日が、冬は乗鞍岳よりも南の鉢盛山近くまで下がっていたのが、段々と北上して常念岳辺りまで上がって行きます。それに伴い、沈む夕日の真っ赤に染まるエリアも夏が近づくに従って、乗鞍から常念の方へと少しずつ移っていき、そしてそこをピークに、また冬至に向けて少しずつ南下していくのです(この途中、松本平では里山辺の薄川に架かる金華橋付近で、槍ヶ岳に沈む夕日“ダイヤモンド槍”を見ることが出来ます)。
今年も、7月から秋口の10月に掛けて、何度か美しい夕焼けを見ることが出来ました。


 そこで今回は、今年マンションのベランダから撮り貯めた写真の中から、名付けて“北アの夕焼け八景”。一つとして同じ情景の無い、松本平から望む常念岳を中心とする北アルプスの夕映えをご覧ください。
そして最後の写真は、10月24日に撮影した秋晴れの北アルプスですが、森林限界以下から麓までの山肌は、冒頭の新緑で青味がかっていた5月の頃と比べると、何となく秋の色付いた紅っぽい色が混ざっている様な気がするのですが・・・。
(掲載した写真は、最初の5月8日の残雪の北アルプスを筆頭にして、順番に7月18日、21日、23日、24日。段を変えて同じ7月24日、続いて9月6日、10月8日の「天使の梯子」(Angel's ladder)、10月12日。いずれもマンションの我が家のベランダから見た北アルプスの夕景です)

【追記】

そして、美ヶ原も頂上部分は少し白かった11月3日。2000m辺りまで雪が降りてきている様でした。ただ、この日北アルプスの上の方は一日中雲が掛かっていて、里にも少し俄か雨が降ったのですが、明けて4日の朝。雲が取れた北アルプスは、乗鞍やそして常念も真っ白く雪化粧をしていました。いよいよ山は冬の装いです。

  “猛暑”と云われ、35℃を超える気温も当たり前の様に感じた今年の日本列島。長期予報でも10月も暑いと予想されていたのですが、秋分の日辺りからここ信州松本もめっきり涼しくなって、その名の通り真っ赤な彼岸花を黄色く色付いた田んぼの畦道に今年もちゃんと見掛けるようになりました。昔からの“暑さ寒さも彼岸まで”という格言も猛暑の今年はどうかと思いましたが、そんな今年もさすがという感じで、季節はちゃんと巡ってしっかりと秋めいてきました。
“秋の行楽シーズン”ではありますが、必ずしも行楽地に行かずとも、身近でも秋の気配を感じられる様になりました。そんな街角で、そして里山で、見つけた身近な“小さな秋”です。

 最初に、清掃と水汲みに行っている市内の「源智の井戸」。
春は枝垂桜で彩られる井戸は、秋にはピンク色の萩の花が井戸端を飾ります(9月16日撮影)。
久し振りに歩いた城山遊歩道。アルプス公園手前、鳥居山の東屋で少し休憩です。眼下に見下ろす松本平には刈り入れを待つ黄色の田んぼが一面に拡がり、実りの秋を迎えています。そして手前には出始めた秋の訪れを告げるススキの穂が(9月24日撮影)。
新米の価格高騰もあって、茶碗に付いた米粒に「一年間しっかりと手を掛けなきゃお米は採れねえだで、一粒だって無駄にしちゃいけんヨ!」と良く叱られた祖母の口癖ではありませんが、減反減反でまるで悪者の様に言われてきた田んぼの稲穂に、本当に何十年振りかで暖かな視線が注がれた今年の実りの秋だったのではないでしょうか。
そして数日後にまた遊歩道を歩いてみると、たった数日の間に黄色の田んぼが減って茶色く変わっていて、松本平では大分稲刈りが進んでいることが分かりました。ススキはこの二日後に仲秋の名月を迎えましたので、さしづめ“今が盛り”でしょうか(10月4日、同じ場所で)。
 家の近くのお宅の金木犀。秋になって金木犀が咲いていることに気が付くのは、先ずは目では無く鼻からでしょう。どこからともなくあの芳香が風に乗って来て、初めて金木犀の花が咲いたことに気が付きます。
最近は松本でも時々金木犀を見掛けますが、子供の頃は松本で金木犀を見たことはありませんでした。ですので、人生で初めて金木犀というものを認識したのは、トイレの芳香剤の匂いだったのです。
高校を卒業して、初めて信州を離れ京都の大学に進学し、キャンパス内の部室棟に行く通路の途中に大きな金木犀があって、秋になって“あの芳香剤の香り”を嗅いで、初めて臭覚ではなく視覚でも金木犀を認識したのでした(9月30日撮影)。
そして、先日もご紹介した秋の代名詞、新栗の小布施の「栗の小径」で見掛けた、今にも零れ落ちそうな栗の実です(9月30日撮影)。
 そして、最後は紅葉です。信州の紅葉の名所、、北アルプスの三段紅葉や北八の白駒池の紅葉ではなく、また街中の松本城でもなく、朝のワンコの散歩道で拾った柿の葉です。
柿の葉の色付きは結構面白くて、赤い葉や黄色い葉もあり、そして緑色が蛇の目の斑点の様に残った葉っぱが多くて、一枚として同じ色や模様の無い柿の木の紅葉と黄葉です(10月8日撮影)。
先日の日経の記事で、『三重大の42年間の観測の結果、夏が3週間長くなり、冬の期間が変わらなかった結果、その分春と秋が短くなっている』との報道が在りました。我々の肌感覚もそれに近い様な気がしますので、それが科学的にも裏付けられたということでしょうか。そんな短い秋で、松本は先週から最高気温が20℃を下回り、最低が一桁という毎日が続いています。
いよいよ秋も深まり、冬の足音が少ずつ近づいて来ているのかもしれません。
(ワンコの散歩コースの赤く色付いた蔦の葉です。10月19日撮影)
 そして、おまけです。松本では久し振りに朝からまとまった雨が降った10月26日。どうやら山では雪だった所もあったようで、北アルプスが白馬方面までくっきり望めた29日。乗鞍岳とそして大町の餓鬼岳か爺ヶ岳辺りから北の峰々が白くなっていて、今シーズンの初冠雪だった様です。一足早く山はもう、秋から冬へ駆け足で・・・。
(10月29日撮影)

 9月末、奥さまのリクエストにお応えして、今年も新栗のモンブランを食べに秋の小布施に行ってみることにしました。
行先は小布施の栗菓子店の一番の老舗、桜井甘精堂の洋菓子産門である「栗の木テラス」です。
 栗で知られる小布施。
室町時代に始まると云われる小布施の栗の歴史は、当時この地方の領主だった荻野常倫が、故郷の丹波から栗を取り寄せて植えたのが始まりと伝えられています。小布施の土壌が栗の栽培に適していたため、江戸時代には既に栗林が拡がっていて、小布施栗は品質が良く美味という評判を取り、毎年秋に将軍家への献上品となってその名を天下に広めたといわれています。そのため、俳人小林一茶が「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」と詠んだ様に、秋に将軍家へ献上されるまでは、庶民は落ちている栗を拾うことさえ許されなかったのだとか・・・。

 そして、この栗を用いて初めて菓子を作ったのが桜井甘精堂の初祖、桜井幾右衛門。桜井甘精堂のH/Pからお借りすると、
『栗を粉にひいて作りあげたのが「栗落雁」。文化5年(1808)のことでした。画期的な「栗落雁」の創製によって、二百年にわたる伝統を誇る栗菓子づくりがスタートしたのです。
江戸で名声を得た小林一茶が、故郷・信州に帰り、小布施で盛んに句会を開き始めた文化五年。この地の桜井幾右衛門は、その年、初めて栗菓子「栗落雁」を創った。これが弊堂の始まりであり、小布施栗菓子の始まりでした。
そして北斎が名画「富嶽三十六景」を世に出し、江戸で活躍していた文政二年(1819年)に、弊堂の初祖・幾右衛門の弟・桜井武右衛門は、他に類を見ない栗だけの「純 栗ようかん」を創製した。
また島崎藤村が小諸で教鞭を取り、小説家としても「千曲川のスケッチ」を書き始めた明治二十五年(1892年)には、五代桜井佐七は、栗と栗あんだけの「純 栗かの子」を創製した。』
この様に、小布施の栗菓子の歴史は桜井甘精堂の歴史と言っても過言ではないでしょう。そして、その桜井甘精堂の洋菓子部門が「栗の木テラス」なのです。

 私たちが初めて小布施を訪れたのが2013年で、その時は話題の小布施堂の新栗の和点心「朱雀」を食べるためでした。その後この「朱雀」は更に人気が沸騰し(値段も沸騰して、当時一個千円が今では2千円)、今では一ヶ月間の期間限定で事前予約でしか食べられなくなりました。
私たちは、この「朱雀」は凭れてしまい(一人一個は多過ぎて、多分二人で一個でも充分でした)、それ以降は桜井甘精堂の小振りのモンブランに変更。
さすがにコロナ禍は無理でしたが、ほぼ毎年の様に新栗の時期になると秋の小布施への小旅行を楽しむのがささやかな私たちの恒例となりました。

 10月3日オープンの「イオンモール須坂」が長野東須坂ICのすぐ横に出来上がっていて、隣にはルートインホテルも建っていました。この「イオンモール須坂」は松本店の1.3倍の広さで、県内最大級とのこと。これまでイオンモール松本でも結構目立っていた長野ナンバーの車がこちらに来るようになれば、松本店は今までよりも多少は空くのでしょうか。そうなれば地元民としては有難いことです。
この日は未だオープン前でIC付近に渋滞は無く、ナビの指示はここで高速を降りて須坂市内を走るルートだったので、途中須坂の産直に寄って果物と野菜を購入してから小布施に向かいました。
 桜井甘精堂「栗の木テラス」の駐車場に車を停め、バニラエッセンスの香りが漂う洋菓子工場の脇の小路を通って店舗へ。到着時刻は10時15分で開店時間の10時を既に過ぎていたので、奥さまが順番取りに先に行っていたのですが、店内は10卓くらいですので40席程でしょうか。栗の木テラスは予約が出来ないので、この新栗の季節は平日でも開店前から順番待ちの行列の筈。
ですので一巡目は無理かと思ったのですが、先に来て店舗の前で待っている筈の家内が居ません。すると店の中から出て来て、ナント待たずに座れたとのことでビックリ。それぞれ新栗のモンブラン(600円)と、家内はアールグレイの紅茶(650円)と私はトラジャのコーヒー(700円)をオーダー。こちらの紅茶とコーヒーもそれぞれポットで供され、ちゃんと冷めぬ様にポットカバーも掛けられていて、量も優に3杯分近くあるので非常に良心的。また必ず入店した順番で注文を取り、その順番でサーブしてくれます。
その後次々にお客さんが来られて、すぐに5組程が順番待ちになりましたので、たまたまこの日の我々は単にグッドタイミングだった様で、新栗モンブランの人気も相変わらずの様です。
モンブランは濃厚な栗ペーストがたっぷりと載せられ、タルト生地の上に固めのカスタードクリームを包んだ生クリームが隠れています。
決して大きくはないケーキですが、寄る年波か或いは辛党故か、全部食べ切れず(無理すれば食べられますが、そこまでして食べる気になれず)、半分食べたところで奥さまへ。すると、食べ終わった奥さま曰く、
 「もうお腹一杯だから昼食は要らない!今日のランチは抜くからネ!!」
 「えっ、ウソ!?」
お昼には小布施でお蕎麦でも食べて帰ろうと思っていたのですが、自ら墓穴を掘ったとはいえ、当てが外れてしまいました。
桜井甘精堂の駐車場は、2千円以上で2時間無料。今回は順番待ちで並ぶことも無かったため、食べ終わってもまだ1時間半近く余裕があったことから、せっかく来たので小布施の街を少し散策してみることにしました。
小布施は、江戸時代に豪商髙井鴻山が庇護した晩年の葛飾北斎が小布施に滞在していたこともあって、栗と北斎での町おこしで人気の観光地。
また、長野県内で一番面積の小さな自治体(逆に人口密度は一番高い)ということもあり、街も小さくて歩いて回れるコンパクトさもあってか、取り分け女性グループに人気です。
個人的には、小布施では中島千波館が気に入っているのですが、今回の企画展には余り興味が湧かずパス。北斎館も岩松院も見たことがあるので、特に他に行く所も無し。そこでオープンガーデンを見ながら、栗の小径を少し歩いてから帰ることにしました。
朱雀の小布施堂は相変わらずの大混雑。北斎館に相対する「傘風楼」は小布施堂のイタリアンとカフェで、ここにも朱雀風のモンブランがあります。どちらも枡一市村酒造が手掛けていて、他にも酒蔵を活かした和食店や日本酒のカウンターバー、更には宿泊施設もあるなど、なかなかの商売上手。因みに、髙井鴻山は市村家の12代当主(因みに高井姓はその善行に依り代官から賜ったという、今も上高井郡と下高井郡と名を残す、この一帯の地域名)。
この「傘風楼」の辺りから、栗の木の端材をレンガの様に敷き詰めた「栗の小径」が始まり、途中解放されている民家やお店の手入れが行き届いたオープンガーデン見させていただきながら、最後蒸米を作るための赤レンガの煙突がある酒蔵「松葉屋本店」の中を通り抜けて駐車場に戻りました。コンパクト故、この街歩きも僅か30分足らず。秋の風情を感じながらの栗の小径の小布施の楽しい街歩きでした。
 帰路、“田毎の月”で知られる姨捨SAに立ち寄り、小布施で食べ損ねた蕎麦の代わりにレストランでキツネそばを食べ(一応二八の由)、棚田越しの千曲川が流れる善光寺平を眺めてから、コユキとクルミが待つ松本へ戻りました。

 9月下旬、コユキとクルミをお世話いただいた保護犬団体の里親会が埼玉県のドッグランを貸し切りにして行われ、コユキとクルミを連れて日帰りで参加して来ました。
コユキを世話してくださった西東京にお住いのボランティア(仮ママ)さんのお宅に、昨年の11月末にクルミを引き取りに伺って以降初めての里親会ですので、すっかり我が家に馴染んで暮らしているクルミの様子を仮ママさんに報告し、そして実際の元気な姿をお見せするのが一番の目的でした。

         (我が家に来て4ヶ月頃のクルミ、コユキと一緒に)
クルミは元繁殖犬ですが、以前もご紹介した様に、劣悪な環境から不要犬として救い出された推定6歳のシーズーです。仮ママさんが引き取った時には、カットもされたことが無いのか、伸びた毛が絡まって体中が毛玉の様になっていたため、止む無くバリカンで刈りあげたのだそうです。しかも左の後ろ脚が骨折したまま放っておかれたのか、固まってしまい曲げることが出来ず、足を引きずって歩くしかない状態で、動物病院で診て貰ってももう手術は無理とのことでした。
また、ブリーダーから十分に食事も与えられなかったのか、シーズーの標準体重は4~6kgですが、保護された時には痩せこけていて2kg台だったのです。そして人が怖いのか、仮ママさんのお宅でも食べる時以外はクレートに籠ったままの臆病なワンコでした。
本来シーズーは大人しいので、通常だとすぐに引き取り手が決まる様な人気の犬種だそうですが、クルミは脚が悪いこともあるため、なかなか引き取り手が見つからないだろうとのことから、私たちはナナが虹の橋を渡った時はもう今年で推定14歳になるコユキで最後にしようと家内とはお互い話をしていたのですが、里親宅の家庭訪問も兼ねて、コユキをわざわざ松本まで連れて来ていただいた時に、我が家にシーズーのナナが先住犬で居たこともあって仮ママさんからクルミを勧められ、昨年11月上旬に行われた前回の里親会の時にクルミにも会って、結局我が家の最後のワンコとして引き取ることを決断したのでした(第1963話&1977話参照)。
        (しっぽを振りながら、我が物顔した最近のクルミです)
松本へ来てからも、掛かり付けの動物病院でレントゲンを撮って貰ったのですが、複雑骨折でいったいどうなっているのか専門家でも良く分からないとのこと。しかし、不衛生な環境下に居たための肌荒れ以外、検査結果はすこぶる健康で、他に悪い所は見当たらないとのことでした。仮ママさんが「劣悪な環境でも生き延びて来たワンコですので、存外強い子かもしれませんヨ!」と仰っていた通りだったのかもしれません。
クルミは食欲の塊の様な子で、今では4.8kgとシーズーの標準体重になりました。荒れていた肌も、毎月のトリミングの際の薬浴で、すっかりキレイになりました。不自由な足を気にせず家の中を走り回ったり、推定6歳とまだ若いこともあってオモチャを咥えて遊んだりと、我が家ではヤンチャぶりを発揮しています。
 我が家に来てもう6年、推定14歳で元気に暮らしているコユキと、そして保護されてから1年近く経って、そんな風にすっかり見違えたクルミとを仮ママさんに見せて安心して貰おうと、埼玉のドッグランへは中央道と圏央道を乗り継いで片道3時間掛かるので、開催時間の10時を目指して朝7時に松本を出発しました。
横浜の次女の家に行く時に通る八王子からの圏央道は、東名に合流する蛯名JCT付近が慢性的に渋滞しているのですが、八王子JCTから埼玉方面への圏央道は混雑も無くスムーズで、予定より早く着きそうだったので、手前の狭山PAで少し休憩して時間調整。開始時刻の10分前に無事到着しました。
いつもの里親会の会場「ゆりはなドッグラン」は、ウッドチップが敷き詰められた面積700坪という広いドッグランで、この日は保護団体で貸し切りにして里親会が開催されます。
関東一円から集まったワンコたちが優に50匹以上はいたでしょうか。柴などの日本犬やまた雑種の子も居て、この日来ているワンコたちは全て保護犬なのです。中には視力が無い子もいますが、どの子も安住の地を見つけ、里親さんから本当に大切に扱われていることが分かります。
コユキも声帯を切られた元繁殖犬で、不要犬として捨てられて保健所に保護されたワンコですし、クルミも同様。他のワンコたちもきっとそれぞれ色んな事情を抱えたワンコたちでしょう。そうした事情故か、保護犬は犬種に関係無く、皆大人しいのが特徴とか。
この日もラブラドールやハスキーなどの大型犬から、チワワやヨーキーの様な小型犬まで何十匹もいて、どのワンコもドッグラン内ではリードも付けられていませんが、ケンカをしている様なワンコは一匹も居ませんでした。
仮ママさんもクルミをみて、
 「あらっ、すっかり見違えちゃって!」
 「ねっ、ほらあのクルミちゃんヨ!」
と、その見違える程の変わり様にビックリされ、またとても喜んで、保護された時のクルミを知っているらしい他のボランティアさんを呼んでくださいました。
1ヶ月ちょっととはいえ、生まれて以来初めて優しくして貰った仮ママさんのことを、以前のコユキもそうでしたが、クルミも全く覚えていない様子。すると、他の仮ママさんの方が、
 「それでイイんですヨ!覚えていないというのは、それだけ里親さんのお宅に馴染み、そしてなついている証拠なんですから・・・」
と嬉しそうに仰っておられたのが、とても印象的でした。
 集まったワンコたちの中には、物おじせずにドッグランの中をあちこち歩き回ったり、走ったり、じゃれ合ったりする子もいるのに、臆病な我が家のワンコたちはビビリで、片時も私たちから離れません。コユキは家内の膝の上に乗ったままですし、クルミは他のワンコが寄って来ると嫌がって、家でのヤンチャぶりはどこへ行ったのか、私たちの脚の間に入って隠れてしまいます。
ただ、クルミも最初は物珍し気に少し歩いていたのですが、園内に敷き詰められているウッドチップは凸凹していて、左後ろ脚が曲がらないクルミは踏ん張れないので、他のワンコと違ってクルミには歩き辛いのかもしれません。
そのため、お昼時間に仮ママさんにその旨ご挨拶してから、一足お先に失礼させていただくことにしました。
 因みに、来る時に大月付近の中央道下り線で多重衝突事故があって大渋滞していた余波か、或いは長野県内の中央道と長野道で以前二つの大きな事故があって、たまたまこの日に長野県警に依るその実況見分とやらで、長野県内二ヶ所が数時間通行止めになっているためか、帰路にナビが示したルートは、あろうことか関越道から藤岡JCTで上信越道を経由して更埴JCTから長野道という迂回ルートで、3時間半の行程でした。
高速道での走行はずっとACCを使用し、且つ長野県内に入るまでは100㎞制限で、しかも関越道は3車線だったので走り易かったとはいえ、些か疲れた狭山への日帰り往復でした。

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