カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 残暑お見舞い申し上げます。
信州もご多分に漏れず、猛暑日が結構ありますが、内陸のため湿気が少なく、また猛暑日であっても朝晩は21~23℃位なので、窓を全開にしていると入って来る風が寒くて、明け方に目が覚めて窓を閉める程です。まだまだ暑い日が続いてはいますが、立秋を過ぎたせいか、その頃からは朝20℃を下回る日も出て来ました。 そんな信州松本の、2025夏の風景です。


 先ずは信州松本のシンボル松本城。朱塗りの埋橋が塗り直され、モノトーンの天守との対比が映えます(7月4日撮影)
 土用丑の日の鰻です。今年は長女が送って来てくれた鰻を自宅で戴きました(7月19日)
 7月24・25日の深志神社の例大祭“天神祭り”。氏子の各町会の16台の舞台が曳かれ、街中を練り歩きます(中町の舞台。7月24日撮影)
 松本は基本的に月遅れで節句を祝います。旧暦でないと、例えば雛祭りでは4月でないと桃の花が咲きませんし、6月にならないと柏餅に使う柏の葉も大きくなっていません。
ただ現在では保育園などは、全国に合わせて行うところもある様で、従って場合によっては2ヶ月近く飾り付けを楽しむことが出来ます。
旧暦で8月7日に行われる七夕祭。松本では七月に入ると、松本七夕人形が街のあちこちに飾られています。これは江戸時代から伝わる風習で、松本では短冊を付けた笹竹の他に、子供たちの健やかな成長を祈るために男女一対の七夕人形も一緒に軒下に吊るされます。この松本七夕人形は、全国でも唯一松本だけの伝統行事として300年間も受け継がれていて、今では街中の各商店などに飾られて松本の夏を彩っています(7月24日撮影)。
 夏と云えば、真っ赤な夕映えに生える黒い屏風の様な北アルプスの峰々。千変万化で刻々とその表情を変え、二度と同じ景色を見ることはありません。大自然が“日本の屋根”に描く、“真夏のプロジェクターマッピング”とでも云ったら良いでしょうか。自然の織り成す“芸術作品”に、暫しうっとりとする瞬間です。(同じく7月24日撮影)。
 続いて、これまた夏の風物詩の花火です。日本最大の3万発を打ち上げる夏の諏訪湖の花火には比べるべくもありませんが、松本では8月9日に薄川で筑摩の花火大会が行われ、3000発の花火が松本の夜空を彩りました。我が家でもマンションのベランダから、ビル越しに花火が眺められます。ちょうど帰省して来てくれていた次女と孫たちと一緒に、夏の風物詩を楽しみました。もう少し孫たちが大きくなったら(音が怖くなくなったら)、湖畔で諏訪の花火を皆で楽しめたらと思います(8月9日撮影)。

 お盆。ご先祖様の霊をお迎えするための“お棚”を作ります。そこに仏壇から位牌などを移動して、またご先祖様をお墓から乗せてお連れする精霊馬を作って飾りますが、キュウリの馬とナスの牛です。これは、ご先祖様を迎えるにあたって、「少しでも早く家に帰って来られる」様にお迎えは馬に乗って、そして帰る時には牛に乗って「ゆっくりとお帰りください」という気持ちを表すと云われています。私の子供の頃までは、先祖の霊をお墓にお送りする際に、この馬と牛も近所の川に“精霊流し”の様に流してお送りしたのですが、今は環境上の問題もあり川に流すことはせず、自宅で処分しています。
旧盆となる8月13日の迎え盆。松本地方では白樺の樹皮を剥いで乾かしたカンバ(「樺」、白樺の意)で、迎え火をお墓と家の玄関先でも焚いて霊をお迎えします。カンバの灯りで、お墓から家までの道筋をご先祖様に示すと云われています(送り火の場合は逆に玄関→お墓の順番で焚きます。防火上、ペットボトルに水を用意して、火が消えてからちゃんと水も掛けます)。
因みに、カンバはこの時期になると地元のホームセンターやスーパー等で普通に売られています。松本地域以外にもカンバを焚くエリアが長野県内では北信地方にもあるようですが、少なくとも諏訪地域ではそうした風習は無いようです。家内の実家でもカンバは焚きませんし、婿に入った父方の茅野に住む伯父の家でも、亡き叔父はわざわざ松本からカンバを買って来て、お盆には松本流にカンバを焚いていたそうですが、茅野出身の叔母はカンバは知らなかったそうです。
 8月16日の送り盆。カンバを焚いて送り火をして、ご先祖様をまたお墓にお連れして、今年もお盆が静かに過ぎて行きました。

  以上、今年見つけた“信州松本 夏の風景”でした。

 30年以上続いた地元町会の有志の方々に依る「源智の井戸を守る会」が高齢化に伴いメンバーが減り、遂に86歳の会長お一人になったのを見るに見かねて、近くにお住まいで井戸縁の83歳の女性が手伝われる様になり、その「お年寄り二人だけに任せてはおけない」と、60代の町会役員の方お二人も参加されて「井戸と花の会」を作り、昨年7月から井戸の清掃活動を引き継がれました。

しかし中心市街地のドーナツ化による住民の減少と高齢化で、今後ずっと続けていくことは無理なことから、年度末の今年の3月一杯で会は解散し、「源智の井戸」は市の文化財であり、そのため今後の管理を市に委ねる旨を市に申し入れたのです。
そうした地元町会の窮状が昨年8月末の地元紙「市民タイムズ」で報道され、10年来ただで水を頂いてきた身としてはいたたまれず、地元町会以外の初めてのメンバーとして参加して分かったことは、地元町会の皆さんはこれまで市の担当課とは何度も交渉したり申し入れをしたりする中で、これまでは「予算が無い」の一点張りで何も進展が無く、皆さんはもう疲れて諦めにも近かったため、そこでダメ元で皆さんに迷惑が掛からぬ様に、飽くまで私個人として「市長への手紙」に窮状を訴える投書を送ったのです。
 するとそれを市長ご自身が読まれ、これまでの担当課では進展が無かったという投書の内容から、担当課ではない別の「地域づくり課」と井戸の在る地区担当の「第2地区地域づくりセンター」の課長さんに直接指示をされ、町会長さんと清掃をしてきた我々メンバーとの数度の話し合いの結果、第2地区の地域づくりセンターが事務局となってボランティア募集が開始され、責任を感じた地区の町会長連合会の有志の方々も含め、20人程が清掃ボランティアとしてメンバー登録をされました。
地元町会はここで清掃活動から卒業とのことで、町会長さんだけが相談役として残り、当初のメンバーの皆さんは一旦手を引かれることとなったため、唯一残った清掃メンバーであった私メがそれまでのメンバーの皆さんからの意志を引き継いで、新たなボランティア組織である「源智の井戸を守り隊」の代表者として隊長を引き受けることになりました。
また肝心の井戸清掃は、今年度から市の担当課の予算申請が通り、少なくとも年度内は業者に依る月二回の清掃が開始されたことから、ボランティアは先ず月一回の清掃からスタートしました。
すると10数人が集まった第一回目の清掃の際、“三人寄れば文殊の知恵”ではありませんが、人数が多ければ色々なイデアが出るものだと感心したのは、防災備品として災害用に自費で購入したというポンプを台車に載せて運んで来てくださった第二地区の役員の方がおられ、ジョレンやデッキブラシで擦って浮かせた藻を金網ですくうのと並行して、藻の混ざった汚れた湧水を一気に汲み出し、湧き出て来る新鮮な湧水に入れ替えたのです。併せて、その排水する水を勢い良く水路に流すことで、水路用のブラシで擦った汚れを一気に流すことにも繋がりました。
こうして“文明の利器”と人数も増えた結果、これまでは有志5人での清掃活動では今までなかなか手が回らなかった、井戸周辺の水路までデッキブラシで擦って掃除することが出来たので、見違え得る様にキレイになりました。
こうして月一回のボランティアに依る「源智の井戸」の清掃ボランティアを行う中で、ボランティア募集も併行して実施しました。
すると、スタートした当初は地元第2地区の町会長さんは各町会のある意味長老さんですし、有志の方々も私の様なリアタイア組の方が多かったのですが、次第に若い方も参加してくれる様になったのです。
更に話を聞かれた地元高校が地域貢献活動の一環ということで、生徒さん達が井戸からの水路を月一回清掃してくれることになりました。
また市の方でも「地域チャレンジ応援事業補助金」を今年度新設し、地区町会だけでなく我々の様なボランティア組織も対象とすることが可能とのことで、ボランティア組織である我々の「源智の井戸を守り隊」も申請したところ、審査の結果20万円程の補助金を頂くことが出来、ずっと善意に甘えているだけではいけないので、ボランティアとしても発電機とポンプを購入し、ホースは消防法上使用期限が切れてしまっているという新品のホース(消防の消火活動以外への使用は全く問題無し)を発注先の業者から無償で戴くことが出来ましたし、また清掃活動中の万が一のケガに備えてボランティア保険にも登録メンバー全員を登録することが出来ました。
ボランティア募集スタートに際し、当初地域づくりセンターの課長さんとは、
 「“巧遅拙速に如かず”で、ボランティア活動をどうしていけば良いかは、周りからゴチャゴチャ言われても良いので、走りながら考えましょう!」
とスタートしたのですが、我々の予想以上に順調に発展拡大してきています。
 他にも色々進展がありました。
購入したポンプと発電機を試運転するために井戸に役員数人で集まった際、井桁上部の木枠を外すことが出来るということが分かったのです。大人4人で80㎏程もある八角形の木枠を外すと、これまでの用に木枠に邪魔されずに、ジョレンやブラシで井戸の中の隅々まで攪拌して藻を浮かせ、ポンプで吸い上げることが出来ます。
購入したポンプを初めて使った8月の清掃活動では、木枠の他にも分かったことがありました。今回も善意でお持ちいただいたポンプと購入したポンプの合わせて2台で、掃除後に浮いた藻を一緒に吸い上げたのですが、吸い上げる水の量が合計で毎分280ℓ、井戸の湧水量は毎分200ℓ。そのため井戸の水位がかなり下がった結果、湧水が泡を立ててブクブクと湧き出しているポイントを初めて目で見ることが出来ました。因みに、一度井戸が枯れてしまい、昭和63年(1988年)に深さ50mまで井戸を掘り下げた結果また水が湧き出したのですが、その湧水量は毎分500ℓで井戸の容量には多過ぎたので、そのため井戸横の地下にバルブを設けて、現在の毎分200ℓに調整しているのだと知りました。
また、この6月くらいから湧水量が増えて来たのですが、これは河川が夏渇水期となり、田川など毎年干上がるのですが、「源智の井戸」はむしろ冬が湧水量が減って、夏になると増えるのだとか。実際に6月頃からポンプでくみ上げても、水位が春頃に比べ以前程下がらなかったのはそれが理由でした。
考えるに、冬場は薄川や女鳥羽川などの水源となる2000m級の筑摩山系に降る雪はそのまま積もり融けることは無いのですが、春の雪解けで川や地中にも沁み込んで地下水となって、やがて夏頃に湧水として湧き出してくるからではないでしょうか。
清掃活動に関わることで、「源智の井戸」についてそれまで知らなかったことが新たに見えてきました。
 また、今回の8月の清掃活動には、20代前半の本当に若い皆さんが4名、「ボランティア松本市」で検索して行き着いたからと初めて参加してくれました(内お一人は受験生とかで、むしろ勉強に専念して貰う様にボランティア継続はお断りしました。もしUターンして来られたら、また参加してください)。
また松本市内で民家を改装して、外国人向けのゲストハウスを始められたという県外からの移住者のうら若き女性(お父様が昔松本に転勤で来られていて、自宅と松本を行き来する内に松本を気に入られたとか)が、それまで清掃に参加されていた地元町会の役員の方に偶然「この辺に自販機はありませんか」と聞いて「源智の井戸」を紹介され、飲んで美味しかったのとボランティア募集の貼紙を見て、今回仕事仲間を誘って4人でこれまた初参加してくれました。
今後のボランティア活動の継続は決して順風満帆ではないかもしれませんが、我々の様な“年寄り”だけでは何十年も続けることは不可能なので、こうした若い皆さんが参加してくださったことが何よりの喜びでした。
そして今回のハイライトは、ボランティア募集のきっかけになった「市長への手紙」を読んだ臥雲義尚松本市長ご自身が、地域づくりセンター長の経過報告を受けて自ら参加いただいたことです。しかも単なる視察ではなく、皆さんと一緒に清掃活動も1時間以上しっかりと最後までやってくださったことです。
終了後に臥雲市長にボランティアの皆さんに挨拶いただいた中で、
 「少子高齢化社会で、我が松本市も例外ではなく、これまで町会単位で行って来た色々な活動を実施するのが段々難しくなって来ている中で、町会単位ではなく、今後はその枠を超えた市民の皆さんに依るボランティアで推進していくことが次第に必要になって来ます。その意味で、この皆さんの源智の井戸のボランティア活動が、そうした今後の松本の是非モデルケースになって頂ける様に、是非頑張っていただきたいと思います。」
との激励もいただきました。
 市長の仰る通りだと思うのです。
“平成の名水百選”に選ばれた「まつもと城下町湧水群」に限っても、例えば「源智の井戸」と同じく市の文化財課が管轄する「槻井泉神社の湧水」と、湧水群の中でこちらも人気の「鯛萬の井戸」。
「槻井泉神社の湧水」では、地元町会に依る利用と管理をしています。また「鯛萬の井戸」は元々松本の有名な割烹料亭「鯛萬」が掘った井戸ですが、料亭が移転した後も井戸はそのまま残り、その後小さな公園として整備されて多くの人に利用される井戸となっています。この「鯛萬の井戸」では、町会は直接関与せず地元有志の3人の管理者の方が清掃をされておられますが、どちらの井戸も活動されている方々は高齢の皆さんです。
また他の湧水群に指定されている湧水や井戸は、いずれも地元町会が管理することを条件に市と協定を結んでいるそうですが、他の井戸は例えばポンプに依る汲み上げ式だったりして、大きな木枠で囲われて中に玉砂利が入っている「源智の井戸」と比べると掃除が容易ですし、日光が差し込んで光合成で藻が発生することも無いので藻の除去もそれ程必要が無いはいえ、管理する以上はゴミ拾いや草取りなども含めて井戸の清掃活動自体は必要であり、複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会も少子高齢化とドーナツ減少で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって水平展開されていくことが必要だと思います。
その意味で、市長に認識も頂き若い人たちが参加してくれたことが、今後ずっと決して順風満帆に進む訳ではないかもしれませんし、ボランティア第一号としては些か大袈裟な物言いではありますが、未来への継続の“光”になってくれた様に感じた次第です。

 次女が孫たちを連れて、お盆を挟んで松本へニ週間近く帰省して来ることになりました。我々ジジババとしては大歓迎なのですが、チビッ子怪獣たちに追い回されるコユキとクルミにとっては“地獄の日々”かもしれません。
それはそれとして、彼らの来る前に家の中をキレイにすべく、“真夏の大掃除”をすることにしました。
 特に気になっているのが窓ガラスです。マンションの各部屋は二重サッシになっていて、ベランダの無い北アルプスを望む西側部分の窓は、小さい子などの転落防止のために“嵌め殺し”になっていますし、尚且つ万が一何かが当たって割れてもガラスの欠片が落下しないようにワイヤーが入っています。また同様に北アルプスが望める西側のベランダへ出られる二ヶ所のドアはガラス戸で、上下にスライド可能で風が入る様になっていて、外側が網戸になっています。
因みにリビングと長女の部屋の南側はベランダですが、その部分は全面サッシで、片面に網戸が付いています。


この南側に面しているサッシの網戸は移動可能なので、動かして窓拭きが可能ですが、問題は西側の部分の嵌め殺しのサッシとベランダへ出るガラス戸のドアです。
嵌め殺しは開かないので外側を吹くことは不可能。従って外側の窓ふきは諦めるしかなく、入居してから3年間、一度もこの窓は拭いたことはありません。
またガラス戸は外側の網戸が外れないので、こちらもこれまで一度も窓を拭いたことがありません。しかし、風混じりの雨が吹き付けることもあり、ガラスに付いた雨跡や黄砂などの埃などの汚れが目立ちます。




かなり汚れが気になるので、これまでも何とかしようとして、ネットで調べて「家のサッシやタイル・網戸洗いに最適」という「ポンプ式加圧スプレー」を購入してみました。これは取り付けるだけで、ペットボトルが便利なスプレーに変身し、ポンピングするだけで簡単に加圧出来、水をジェット噴射することが出来るという商品。PRでは「高所への噴霧や、すき間の汚れ落としに最適です。水の勢いはノズルを左右に回すだけで霧からジェットまで自在に変えられます。」とのことで期待したのですが、どんなに加圧して勢い良く“ジェット水流”を噴出させても、少なくとも網戸の汚れを落とすことは出来ませんでした。ですので、TV通販で視る様な高圧洗浄機でないと無理なのかもしれません。
そこで半ば諦めていたのですが、たまたまワンコたちのために松本でもさすがに猛暑日の日は昼間リビングもエアコンを入れる日が多くなり、そんな時は風が通る様に開けていたサッシやガラス戸を閉めないといけません。その時に何げなくガラス戸に貼ってある注意書きを見たら、「網戸の外し方」とあり、ナント室内側から網戸の取り付けビス一つをプラスドライバーで外すことが出来るとのこと。
一瞬、「えっ!?」と絶句。
気が付かずにしっかり読まなかったこちらが悪いのですが、「ポンプ式加圧スプレー」も不要でしたし、一戸建てでは無いので高圧洗浄機も買ってはいませんが、今までの苦労は一体何だったんだろうと唖然としました。
 そこで、次女たちが来る数日前に、奥さまと一緒に半日掛けて“真夏の大掃除”を実施しました。
私メの担当は家の全部の窓ふきと網戸掃除です。マンションのアルミサッシはUVカットのために特殊塗料が外側のサッシに塗られているので、洗剤使用は御法度。そこで水に濡らした雑巾で埃を拭い、乾いた柔らかい布での乾拭きでその拭き後を拭き取ります。

注意書きに従ってビスを外し、レールに差し込まれていた網戸を初めて外した二枚のガラス戸。外側のガラス面をガラス用の洗剤を吹き替えて拭くと、目立っていた雨跡や埃などの汚れを初めて拭き取ることが出来て、見違える様にキレイになりました。また初めて外した網戸も、何度も網戸掃除ワイパーを使って、こちらも初めて両面キレイになりました。
 「いやぁ、気分がイイなぁ!」
単に不注意での“身から出たサビ”ではあったのですが、初めて網戸を外してキレイになったガラス戸、すっかりきれいになって、孫たちを迎える準備が整いました。

 松本から白馬岩岳へは、一般道を走って1時間半の行程です。
松本から白馬に行くためには、主に昔は松本から糸魚川へ至る“塩の道”千国街道がベースの国道147&148号線(松本から大町が147、大町から糸魚川は148)しか無かったのですが、この国道147号線は豊科や穂高、大町の市街地を通る生活道路でもあり、信号が多くて車が混むこともあって、現在では“北アルプスパノラマロード”県道306号線を走って、そのまま大町市の郊外を抜け、木崎湖で国道148号線に合流する道を走ることが多くなりました。
この通称“北アルプスパノラマロード”は、1998年長野オリンピックの際に国道147号のバイパスとして高瀬川右岸の道路が整備された、所謂“オリンピック道路”です。
県道306号線は、元々は安曇野の西縁の有明山麓を通過する“県道有明大町線”なのですが、この新設の“北アルプスパノラマロード”も県道306号線とされたため、今では有明山麓線の2路線が同じ306号線になっています。
この高瀬川の堤防沿いを走る県道306号線の方は、国道147号線に比べて遥かに信号が少ないので、松川村(因みに、県内には伊那谷の梨の産地、下伊那郡に松川町もあるので、時々どちらが「村」でどちらが「町」だったか迷うこともありますが、こちらはスズムシや「ちひろ美術館」で知られる北安曇郡の松川村です。余談ですが、冬季はこの松川村に入ると急に雪が多くなり、さすがにここからが北安曇郡なのだと妙に納得します)から大町市に近付くにつれ、次第に眼前に迫って来る爺ヶ岳や餓鬼岳、ニャンコの尖った耳の様な双耳峰が印象的な鹿島槍など、文字通りに北アルプスのパノラマを眺めながら走る気持ちの良いドライブコースです。

 昔の都会からの信州へのスキー客は、志賀高原や野沢温泉は信越線でしたので東京方面からが多く、白馬ヘは中央線で松本経由だったので割と関西方面からが多かった(白馬のスキー場でリフト待ちをしていると、聞こえて来るのは主に関西弁でした)のですが、特にインバウンド効果での海外からのスキー客は、野沢温泉は勿論ですが、白馬方面へも北陸新幹線を長野(野沢温泉は飯山駅も)で降り、オリンピック道路経由の直通バスで来訪する人が殆ど。夏の登山で北アルプス方面を目指したりサムライロードを歩いたりするインバウンドでの外国人観光客以外、中央線での松本経由で白馬へスキーというルートの観光客は最近では殆どいなくなりました。

 昔、子供たちがスキーをやっていた頃も、近間では朝日プライムに始まり、大町白馬方面でもせいぜいファミリー向けの爺ヶ岳や簗場(閉鎖)、泊まりでは八方尾根(名木山や咲花ゲレンデ)でしたので、子供たちが巣立ち年寄りだけでスキーをすることも全く無くなってからは、兎平や栂池へは夏の唐松岳登山や八方池や栂池自然園へのトレッキングで来たことはあっても、この岩岳へは結婚した前後のスキー以来ですので、本当に40年振りで来たかもしれません。
 白馬岩岳マウンテンリゾートへは(スノーフィールドも同様)、昨年12月に38年振りに新設なったという新ゴンドラリフトの山麓駅周辺の、当時和田社長以下経営陣の皆さんが駐車場係をされたという広大な無料駐車場(1000台近くが駐車可)に駐車しました。ゴンドラ近く中心に、平日ですが既に長野県内も夏休みに入っていることもあるのか、300台近く車が停まっていました。地元ナンバー以外に県外車も結構見られます。
“マウンテンバイクの聖地”と云われる入笠山の富士見パノラマを筆頭に、夏のスキー場の集客目的でMTBのコースが幾つも作られており、ここ岩岳も過去には日本最大級のMTBイベントが開催された実績もあるとかで、MTBを積んだ車も何台も見られました。

 事前に神城の国道沿いに在る「白馬道の駅」に立ち寄って、白馬岩岳マウンテンリゾートの前売り券(当日2900円が200円引きの2700円)を買ったのですが、残念ながらワンコチケット(800円)の前売り券は無く、ゴンドラリフトのチケット売り場で購入とのこと。WEBではオンラインチケットが前日まで購入出来るので、この日はそれ程の行列ではありませんでしたが、混雑を避けて事前に(特にワンコ連れの方はオンラインで)チケットを購入した方が良いでしょう。因みに、ゴンドラはケージやリュックに入れずにワンコも一緒に乗ることが出来ます(山頂駅近くに在るスキーリフトに乗る時はワンコをケージに入れる必要があり、乗り場で無料のレンタルが可能とのこと)。

 早速、昨年12月に新設されたゴンドラリフトに乗り込みます。今までのゴンドラは「ノア」という名称でしたが、新しいゴンドラにはまだ名前が付いていませんでした。因みに、八方のゴンドラは「アダム」で栂池が「イブ」です。
10人乗りのゴンドラで、ワンコもそのまま乗車出来ますが、スケルトンで外が透けて見えるので少し怖そうで、特にビビりのクルミは落ち着かない様子。7分で標高1,289mの山頂駅に到着です。
山頂には山頂レストラン「スカイアーク」があり、その前に芝生広場があって、その「IWATAKE GREEN PARK」内には、スノーピークが監修して「展望ピクニックラウンジ」、「プライベートデッキ」、「森のテラス」、「芝生広場」、「ブナの森パーク」の5エリアが新設されている他、ペット企業とも連携して「森の遊歩道&ドッグラン」も設置されているとのこと。
我々も展望の良いスノーピークのテントを使った「プライベートデッキ」の中に入って座り、ワンコたちもおやつを食べて眼下に拡がる白馬の町並みを見ながら暫し休憩です。
この日は平日とはいえ、信州も含め既に夏休みに入っているので、結構家族連れの観光客がたくさん来られていました。ただ、1300mの岩岳山頂なのに30℃を超える様な暑さには参ります。下界よりも涼しいかと思って少し厚めのポロシャツにしたのですが、これが大間違い。汗だくになりました。
因みに後で分かったのですが、「白馬岩岳マウンテンリゾート」のH/Pの夏季シーズン向けの「GREEN SEASON」のサイトに、その日のアクティビティ情報やライブカメラ映像などと共に当日の予想最高気温が表示されているので、訪れる際は参考にされた方が良いでしょう。
 せっかくなので、張り出したテラスから眼前に白馬三山の絶景を望む「マウンテンハーバー」に行ってみることにしました。ブナ林の中の遊歩道を歩いて行くと、陽の遮られるブナの木陰は思った以上に涼しく感じられます。
建物の屋根のひさしが作るテラスの日陰のエリアは満席で、直射日光が当たるエリアしか空席はありません。また張り出したテラスの先端での記念写真撮影は、10人程の行列で順番待ち。
また信州初出店という人気の「THE CITY BAKERY」は、出店直後5時間待ちだったという京都店程ではないにしても、さすがに混んでいます。でもメニューはランチ用のクロワッサンサンドは3種類だけで、後はマフィン、クッキー、ビスケットなどの焼き菓子が中心で、売り場も思ったよりも狭くレジ待ちの行列でした。
そのためここで食べるのは諦めて、外のブナ林の端でパラソルが在るテーブル席で休憩です。そこから見える、目の前に聳える白馬三山に向かって飛び出していく様な話題のブランコ、「ヤッホースウィング」はさすがに人気で、この日も20人程の行列でした(500円で、2分間の時間限定。ちゃんとベルトでしっかりと腰の辺りを固定されるので、子供がブランコから飛び出してしまう危険は無い様です)。
眼前に拡がる絶景、7年前に登った唐松岳や白馬三山はどの峰も頂上部分に雲が掛かっていて、残念乍ら全容を見ることは出来ませんでしたが、2019年に氷河と確認された唐松沢雪渓や、同じく今年1月に杓子沢雪渓と共に氷河と確認された不帰沢雪渓などはしっかりと見ることが出来ました。
(氷河の説明写真は、白馬村のH/Pからお借りしました)
 山頂駅近くのスカイアークにもデリやスープストックなどのレストランも入っているのですが、混んでいるのと室内にはワンコは入れず、屋外のテラス席は暑いので、ワンコたちのことも考えて早々にゴンドラで下に降りることにしました。
そこで岩岳でのランチは諦め、もう10年位も前になるかもしれませんが、昔何度か来たことがあった信濃森上の国道沿いに在るレストランへ。
こちらは白馬では珍しく、ワンコも一緒に室内での食事が可能です。昔はご夫婦二人で賄われていて、ハイシーズンの終末だったのかとても混雑していたと思いましたが、この日は平日だったこともあるのかご主人だけで、客も我々含め2組。ご主人の相変わらずとてもフレンドリーで気持ちの良い応対ですが、残念ながら肝心の食事が以前よりも味が落ちた様な気がしました。
 そこから、家内が帰りに寄りたいと言っていた、青木湖畔のカフェに行くことにしました。
何でも最近ローカルTVで紹介されたとかで、後で分かったのは、こちらも前話の和田さんが代表を務める(株) ズクトチエが運営する施設だったのです。
昨年7月にオープンしたという青木湖畔ギリギリまで張り出したテラス席と店内席を有し、国内有数の透明度を誇る青木湖でのカヤックやSUPなどの湖上アクティビティや、他にもサイクリングの拠点としても機能する大型オールデイ・カフェ「ao LAKESIDE CAFE(アオ・レイクサイド・カフェ)」とのこと。
更にカフェの隣にはサウナ施設もあり、この日も若い人たちがサウナでしっかり“ととのった”後、ちゃんとライフジャケットを着て、冷たい青木湖に飛び込んで気持ち良さそうに楽しんでいました。
こちらのカフェの方も湖畔側のテラス席はワンコOKで、パラソルの付いたテーブル席が幾つも設けられていて、ほぼ満席の混雑ぶりでした。
ランチを済ませて来たので我々はドリンクだけにしたのですが、後からメニューを見て思ったのは、こちらの方がランチメニューが豊富だったので、晴れていればこの青木湖畔のテラスからは、湖越しに鹿島槍や五竜岳が望めるなど景色も良いことから、次回は岩岳山頂でランチを食べない場合は、ファーストチョイスとしてここで食べることにしました。(建物やテラスの写真はH/Pからお借りしました)
 以上駆け足で、この日の“予行演習”は終了しましたが、以前10数年前に来た時は、スキーブーム去った“みそらのペンション村”などは閉店した店舗も多くて、まるで廃墟の様で閑古鳥が鳴いていたのですが、場所や施設によっての“まだら模様”ではあるものの、近年のインバウンド効果ですっかり様変わりして活気のある白馬村を体感することが出来ました。
ただ願わくば、“第2のニセコ”だけにはならんことを!

 今年はお盆に次女一家が松本に帰省して来てくれるとのこと。次女からすれば、子供たちをジジババに任せてのそれこそ自身の夏休みで、日頃の育児疲れを癒すための文字通りの“骨休み”なのでしょう。
滞在中に行きたいところを聞くと、婿殿が「白馬岩岳マウンテンリゾート」に行ってみたいとのこと。そこで、事前の情報収集も兼ねて、混むであろう週末を避けて平日に、孫たちが来る時の“予行演習”で、コユキとクルミも一緒に連れて行くことにしました。

  「白馬岩岳マウンテンリゾート」。
H/Pに依ると、『白馬村にある白馬岩岳は、四季を通じた雄大な景色の中で、様々なアクティビティが楽しめるマウンテンリゾートです。
白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)が最も美しく望める絶景スポットをはじめ、トレッキングやマウンテンバイク、ウィンタースポーツなど、特別な時間を過ごせるマウンテンリゾートとして、世界中の旅行者を魅了し続けています。』とのこと。(最後の写真を除き、H/Pから画像をお借りしました)
 昔、会社に入ってから冬になると職場のメンバーで毎週のように皆で乗り合わせて白馬方面へスキーに行ったのですが、数ある白馬のスキー場の中では、コブだらけの兎平や黒菱などを始めとする上級者向きの八方尾根よりも初心者から中級向きだったことから、スキーに一番通ったのがこの白馬岩岳スキー場(現在は「白馬岩岳スノーパーク」)でした。
一時期、スキー人口が減ってどのスキー場も経営が厳しくなったのですが、現在ではその雪質とアクセスの良さから、インバウンドでのスキー客が海外からニセコのみならず白馬や野沢温泉にも大量に押しかける様になり、特に白馬は最新のデータで地価上昇率が日本一とか。
そうした中で、“通年リゾート”として、従来の冬のスキー客だけではなく夏の観光客の呼び込みの先駆けとなったのが、この「白馬岩岳マウンテンリゾート」だったのです。
 そして、その立役者が「白馬岩岳マウンテンリゾート」の前社長和田寛氏。
テレ東の「カンブリア宮殿」で昨年10月に放送された内容から抜粋させていただくと、
『閑散とした“真夏のスキー場”を一大リゾートに変えた男がいる。東大出身、農水省の元キャリア官僚という経歴を持つ、和田寛(ゆたか)48歳。和田によって大変貌を遂げたのは、98年の冬季オリンピックも開催された長野県白馬村。ウィンタースポーツを目当てに国内外から観光客が訪れる屈指のスキーリゾートだが、シーズンが終わると一気に客が減ってしまうのが長年の課題だった。しかし2016年頃から放ってきた数々の仕掛けによって、グリーンシーズンも活性化。ついに"夏"の来訪者数が冬の1.5倍となり、「冬よりも夏に稼ぐ」リゾート地となった。
10ほどある白馬エリアのスキー場の中で、夏でも客が殺到するのが「白馬岩岳マウンテンリゾート」。目玉は、雄大な白馬三山を正面に見据えるテラス、「マウンテンハーバー」。360度大自然に包まれる感覚を味わえるよう設計された展望台は映えスポットとして動画や写真はSNSで拡散され、集客につながっている。またテラス内にはニューヨークに本店を構える人気カフェ「THE CITY BAKERY」が出店。ハイクオリティのパンやコーヒーを、絶景を望みながら楽しめると、若者を中心に人気を呼んでいる。そしてマウンテンハーバーの横で連日大行列を作るのが、アルプスの絶景に飛び出す感覚を味わえるブランコ「ヤッホー!スウィング」だ。2分間で500円と有料だが、年間4万人が体験する超人気アクティビティになっている。このように「絶景」という隠れた資産を見つけ出し、「何か」を組み合わせてオンリーワンの価値を作りだし、客を呼ぶリゾートになったのだ。』
 しかし、決して順風満帆で成長した訳ではありません。別の記事ですが、3年前の東洋経済の和田氏へのインタビュー記事を参考にさせていただくと、
『きっかけは2020年。スキー場を営む私たちにとって、思い出したくもないくらいつらい時期でした。
この年は記録的な少雪にコロナ禍が重なり、来場者数が急減してしまいました。売上は前年度の7割程度に落ち込み、過去10年で最も大きな赤字決算。2年連続でこの大赤字が続けば、スキー場としての存続も危ぶまれる状況です。
 緊急事態と判断した私たちは、「大きく落ち込んだ前年度同様の売り上げで、しっかり利益の残る予算」を組むことを決意します。そのためには「やれることは何でもやる」。とにかく生き残りをかけて、徹底的にコスト構造を見直すことにした
「やれることは何でも」の例の1つが、駐車場整理コストの削減でした。当社の財務担当取締役が、こんな「禁断のコメント」を言い出しました。
 「駐車場整理に年間500万円くらい使っているけど、これ、俺らがやればタダじゃない?」
 「駐車場整理が本当に必要になるのは週末だけ。その日は基本的にはデスクワークや会議はないし、なんとかなるんじゃない」
財務担当取締役自らがやると言うのであれば、断れるはずもありません。
結局、土日祝日は仕事が少なくなる私たち経営陣が、必要なタイミングで駐車場整理に入ることとしました。言い出しっぺの財務担当取締役と私(社長)は、ほぼ毎週末、朝から駐車場整理をするようになっています。
さらにはその流れで、駐車場整理が終わるお昼前後からは山頂に上がり、レストランのレジ打ちや皿洗いをすることも日常になってきました。こうすることで、少しでも人件費を抑制しつつ、お客さんにスムーズに食事を提供できるサポートをしています。
いまではリフトやゴンドラの乗車係、バギーツアーの運転手など、手が足りないところならどこでも、経営陣が穴埋めできるようになりました。(中略)
社長をはじめとした経営陣がこうした現場仕事に入ることの功罪は、いろいろあると思います。
もちろん、「会社全体の置かれている状況をしっかり把握し、対策を立て、実行する」「人を育て、適切に配置する」といったことは社長・経営陣しかできない、大事な仕事、本業です。
本業がおろそかになってしまっては元も子もありませんが、自分自身も駐車場やレストランという現場の最前線に立ってみて、単なる固定費削減以上に現場を知ることには大きな意義があったと気づきました。』
 こうした成功を受けて、同じ様に集客に悩む自治体や運営企業からの問い合わせが増えたそうです。以前和田氏へのTV取材だったかで視たのですが、
中には、ずうずうじくも『成功した「岩岳マウンテンパーク」で大人気のブランコのヤッホースウィングを見て、「自分たちも設置したいので、どこへ頼めば良いのか?紹介して欲しい!」とあからさまに聞いて来る輩がいるんです。どうして自分たちで知恵やズクをださないのだろう!?』と、和田さんが憤慨しつつも残念そうに語っていたのを思い出します。
因みに、“ずく”とは信州弁で、「精を出すこと、根気、やる気、熱心さ」などを意味する方言です。怠けることを「ずく無し」と表現することもあります。

 和田氏は2023年10月に(株)岩 岳リゾートの社長を退任。 その後は2022年に設立した、正に“ずく”と知恵を体現するべく、「(株)ズクトチエ」の共同代表に就任して、引き続き白馬の観光振興に取り組んでいるそうです。
和田氏ご自身は東京出身で信州人ではありませんが、正に白馬に惚れて値を下ろした和田氏の成功の鍵とモットーこそが、この「ずく」と「知恵」なのだと理解しました。

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