カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 都道府県対抗となるスポーツ大会の中で長野県選抜や代表校がトップ争いを出来る競技は、ウィンタースポーツを除けば残念ながらそう多くはありません。勿論、個人競技では時々世界のトップクラスの選手が誕生するのはどの県でもあり得ることですが、ことチームスポーツになるとそうはいきません。そこには競技環境であったり、指導者であったり、歴史や伝統といった色々な要素が必要になります。
長野県において、そんな数少ない競技の一つが駅伝です。元々、地区対抗の実に71回を数える長野県縦断駅伝が戦後間もない1952年から戦後復興のため「若者たちの体力と精神力を養う」ことを目的に開催されていて、今では信州における晩秋の風物詩。過去そうした中からマラソンでのオリンピック選手(伊藤国光、中山竹通)も誕生しています。今では中学生からの男女混合で、近隣市町村同士のチームが編成されています。
そうした土壌があったにせよ、駅伝の強豪県として対抗出来るようになったのは、やはり男子チームの佐久長聖高校の存在が大きいと思います。

 都道府県対抗駅伝は1983年に京都で始まった女子駅伝に比べ男子の歴史は新しく、1996年から広島で開催されていますが、長野県チームが初優勝したのは2004年です。この年は佐久長聖のエース上野裕一郎選手が活躍。以降、長野県は3連覇を含め、全国でダントツの9回の優勝を誇ります。続くのは兵庫の5回。これは何を意味しているか?広島は第1回大会優勝のみ。宮城、岡山に至ってはゼロ。何を言いたいのか・・・?
この都道府県対抗駅伝は、日本国籍の無い留学生選手は出場出来ません。従って、日本人選手のみでの実力勝負。しかも全7区中3人を占める高校生区間(残りは中学生2名、大学・社会人2名)が最重要になるため、高校駅伝の“都大路”での強豪校がある都道府県が優勝候補になるのですが、それが留学生に頼った優勝校だと都道府県対抗では全く効力が発揮できないのです。先述の嘗て“神の領域”云々と自画自賛した高校のある県が全く優勝していないのはそうした背景です。一方で兵庫県が強いのは、留学生ランナーが登場した以降様相は一変しましたが、それまでは西脇工業VS報徳学園の熾烈な県代表争いで“兵庫を制する者は全国を制す”とまで言われていたからです。
片や長野が強いのは、確かにゼロから佐久長聖を強豪校に育て上げた両角前監督(茅野市出身。東海大三高卒で現東海大駅伝部監督)と、その指導を引き継いだ教え子の高見澤現監督(木曽郡大桑村出身)の力が大きいのですが、各地の指導者が連携して小学生の頃から素質のある子供たちの発掘や強化に取り組み、そんな子供たちを佐久長聖に送り込んで来たからです。実業団チームの無い長野県ですので、地元の高校出身の大学生や“ふるさと選手”枠の社会人選手しか選べません。勢い、地元選手を育てるしかないのです。
そうした長野県の状況は女子も同様ですが、私立校である佐久長聖の男子に比べ女子は長い間活躍出来ずにいました。それが、公立高校でありながら県立長野東が長野県の高校教員だった玉城前監督(現日体大男子駅伝部監督)の長年に亘る一貫した指導(長野東の前任校である諏訪実も県内の実力校に育てました)で力をつけ、これまた県内から有望な子供たちが公立校ながら長野東に集まるようになり、やがてその卒業生が大学や社会人で活躍するようになって全体としても力が付いて来ました。玉城前監督の後は、長野東が県立高校故に県教員である信州大学OB(大学時代に選手として全国大学駅伝に出場経験があるそうです)の横打監督がその土壌を引き継ぎ、そして遂に昨年暮の都大路で念願の初優勝。長野東は県立の公立高校で選手全員が地元長野県出身の子供たちで、勿論留学生もいません。そんな高校が、全国から有望選手を集め更に留学生もいる私立高に勝っての全国優勝!これを快挙と言わずして何と言えば良いのでしょうか、まさにアッパレ!の一言でした。

 そして年が明け、コロナ禍で3年ぶりの開催となった都道府県対抗駅伝。先ずは15日に都大路で行われた女子駅伝です。
男子の佐久長聖同様にオール長野東で臨む女子(中学生も高校は長野東に進学するでしょうから)は、直前になって1区にエントリーしていた長野東OGで初のオリンピアン萩谷選手(エディオン所属。佐久市出身)が体調不良でか走れず、高校駅伝で最後逆転のゴールテープを切ったエース村岡選手(松本市出身)に交代。しかし、プレッシャーか或いは気負い過ぎか、途中まで先頭グループで頑張っていたのですが、最後は失速。その後もなかなか挽回出来ず、名城大から日本郵政に進んで今回アンカーを任された和田選手(長野市出身)まで選手は皆頑張ったのですが、結局初の表彰台には届かずに11位に終わりました。でもOGが社会人でも活躍するようになったので、女子チームもいずれは優勝争いをする時が来るだろうと確信しています。
 男子は22日に広島での開催。長野県は全国最多の8回の優勝を誇り、前回3年前にも優勝しているので連覇が掛かります。
正月の実業団のニューイヤー駅伝や箱根駅伝から僅か3週間なので、エントリーはしても結局疾走を見合わせる主力選手も多く、結局選手層の厚さがモノを言います。長野は佐久長聖の高校生と、大学生はOBの木村選手(専修大。松本市出身)と伊藤選手(早大。駒ケ根市出身)、社会人でナント立教大の上野監督(佐久市出身)がエントリー。結局木村選手は箱根同様故障で走れず、箱根を走った伊藤選手が3区、“日本一早い駅伝監督”の上野監督がアンカーの布陣。些か不安を感じましたが、伊藤選手もトップとの差を詰め、佐久長聖の3選手が区間新連発の見事な走り。更に6区中学生もガッツ溢れる走りで最終7区までに50秒近い貯金。後は抜かれなくても良いだけなので、最後2位埼玉の選手には詰められたものの、想定内で上野選手も無理をせずに盤石の走り。
最後のゴール2㎞位手前だったでしょうか、先頭を走るアンカーの上野選手に沿道から大きな声で「後ろとは35秒差、気を抜くな!!」と声を掛けたのは、間違いなく東海大の両角速監督でした。言わずもがな、上野選手の佐久長聖時代の恩師で、その後東海大監督に就任するまでは長野県チームの監督を務めていました。今は東海大監督の立場で、各県チームに選ばれて走る自校の選手の応援や高校生のスカウティングも含め、他大学の監督同様に今回のレースを観戦するという事前報道がありましたが、当日現場にいるので沿道での長野県チームの伝令役を引き受けたのか或いは自主的な声掛けだったのかは分かりませんが、現在の立場上長野県チームには直接関わらずとも“オールナガノ”で支えている感じがして何だか胸が熱くなりました。また、ゴールには当時富士通所属で“駅伝長野”初優勝時のアンカーを務めた現上田西の帯刀監督もチームスタッフとして参加されていました。
上野“監督”も最後まで危な気なく、自チームの持つ大会記録を“1秒”更新しての新記録で9回目の優勝。これまたアッパレ!な“駅伝王国長野”の今シーズンの掉尾を飾る見事な優勝でした。

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