カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 源智の井戸の清掃ボランティア「源智の井戸を守り隊」の事務局をしていただいている、松本市の第二地区地域づくりセンターの課長さんや職員の皆さんが企画した「井戸巡り講座」が開かれ、参加人員に余裕があるとのことからお誘い頂き、「源智の井戸を守り隊」のメンバーの中で希望された皆さんと一緒に参加しました。
講座は女鳥羽川の南側と北側の湧水を巡るコースの2回に分けて行われました。講師は街づくりを始め松本の街の歴史にも詳しい、地元松本出身の都市計画家倉沢聡さんです。

 一回目は女鳥羽川の南側に在る湧水や井戸を巡るコースで、中町の蔵シック会館の前にある「蔵の井戸」、そして藤森病院の「亀の泉」、続いて江戸時代の農民一揆「加助騒動」の農民救済に奔走した松本藩士鈴木伊織に因む「伊織霊水」、そして日の出町の「薬祖水」と「日の出の井戸」、それから松本の上水道の水源の一つでもある「源池水源地」と巡って、最後に我々の「源智の井戸」というルートです。
 最初は、中町の昔の酒蔵を移築した建物「蔵シック会館」の前に在る「蔵の井戸」(硬度85。以下松本市が発表したH28 データより)で、市の「水めぐりの井戸整備事業」で平成19(2007)年度事業で設置されました。昔懐かしい青い手押しポンプも併設されていて、隣のカフェではこの水を使ってコーヒーを淹れています。
続いて藤森病院の裏手、飯田町に在る「亀の泉」(民間の井戸のため硬度データ無し)。新病院建設にあたり、深井戸を掘る許可を得て採掘された病院の井戸ですが、毎分750ℓという豊富な湧水量で、「地域貢献」も考慮して市民にも開放されています。井戸の名前は藤森病院の初代院長・藤森亀太郎氏に因んでとのこと。因みに、こちらも市の「水巡りの井戸整備事業による助成金」で整備された井戸で、中町の人気ラーメン店「 麵州竹中」のスープは、この「亀の泉」の湧水で野菜などを煮出しているとか。
そして以前もご紹介した様に、この井戸の横を流れる蛇川では、病院施設のフェンスで囲まれているため安全と分かるのか、水草の中を何匹もの大きなニジマスが悠々と泳いでいるのを見ることが出来ます。
続いて、江戸時代の「嘉助騒動」と呼ばれる農民一揆の農民たちの助命救済に奔走した、松本藩士鈴木伊織の墓所に隣接する「伊織霊水」(硬度104)。
そしてイオンモールへ至る日の出町の二つの井戸、信州薬祖神社の境内にある「薬祖水」の井戸(民間の井戸採掘業者のデータで硬度83)と勤福会館の敷地内に在る「日の出の井戸」(硬度77)。「薬祖水」は近年になって一度枯れてしまったのを掘り直し、自噴する“薬の神様”の井戸がまた復活したと地元紙で報じられました。
そして、江戸時代から現在まで利用されている松本市の上水道の水源の一つである「源地の水源地」(硬度131)。平成21年の市の「水めぐりの井戸整備事業」で井戸が整備されて、毎分150リットルが湧出されています。因みに講師に依ると流れているこの水は湧水ではなく、殺菌濾過済みの水道水のため水路に藻が繁殖しないのだとか。知りませんでした。そして、最後が我々の「源智の井戸」(H28 データでは硬度142)です。
源池の地名にもなっている「源池の水源地」から、ここを水源とする榛の木川や民家からの湧水を集めて流れる蛇川の流れを辿る様に「源智の井戸」まで歩いて行ったのですが、印象的だったのは、途中あちこちに湧水や井戸が在って、中には空き地にも湧水が自然に湧き出していて湿地の様になっている場所もあったり、駐車場内にも自噴している井戸があったりと、この辺り一帯は本当に湧水が豊富であることが分かりました。
 二回目の井戸巡りは、今度は女鳥羽川の北側の湧水を巡ります。前話で紹介した様に、藪崎先生の分析された「涵養域」の説明に依ると、前回歩いた女鳥羽川の南側の湧水は筑摩山地の比較的標高が低いエリアに降った雨水で、今回の目千葉側の北側エリアの湧水は比較的標高が高いエリアに降った雨水が滞留しています。
今回の最初は辰巳の御庭の井戸からスタートし、そして今や松本の市街地に残る一の造り酒屋となった、善哉酒造の女鳥羽の泉。続いて槻井泉神社の湧水から鯛萬の井戸、最後に東門の井戸というコースです。
 最初は、「辰巳の御庭の井戸」(硬度87)です。ここは松本藩二十二代藩主戸田光庸(みつつね)の隠居所であったと云われる「辰巳御殿」の跡地で、ここも市の「街なみ環境整備事業」の平成6(1994)年度事業で、井戸と湧水が水路を流れる小さな公園として整備されました。
ここから、マサムラ本店方面へ東に向かう道は勾配が緩やかに上って行く坂になっているのですが、これは松本城の総掘りを埋め立てて土を盛った地形の跡で、土を盛ったことから「上土」(あげつち)という町名の由来になったのだとか。
続いて松本の市街地に唯一残る酒蔵「善哉酒造」の前に在る「女鳥羽の泉」(前話の藪崎先生が2024に発表された論文中のデータで、硬度87)です。造り酒屋の仕込み水として自社で掘られたこの井戸で、この「女鳥羽の泉」で作る「善哉酒造」の地酒と甘酒はとても美味しいと評判の酒蔵で、お店には試飲をされる観光客の方々がおられ、我々にも評判の甘酒を全員にふるまって戴きました。女将さんのお話では、最近の息子さんへの代替わりで、地産地消として酒米、糀、水など酒造りの全てを地元産に拘って造ることになったのだとか。松本の街中に残る唯一の酒蔵として是非頑張って欲しいと思いますし、応援したいと思いました。しかも今回初めて巡った井戸の中で、個人的に一番美味しく“甘く”感じたのもこの女鳥羽の泉であり、これまで居酒屋などで信州の酒蔵の地酒で選んでいたのは専ら松本島立の「大信州」ばかりでしたが、その点からもこの女鳥羽の泉を仕込み水に使う善哉酒造のお酒(自分はどんな銘柄であっても、吟醸酒ではなく純米酒が好みですが)を今度は飲んでみたくなりました。
続いて向かったのは、市の文化財指定を受けている槻井泉神社と「槻井泉神社の湧水」(硬度99)です。こちらは松本の湧水群の中で「源智の井戸」と共に二つだけ、市の文化財課の管轄となっている井戸です。この湧水も古代以来のもので、この辺りの地域の地名でもある「清水」もこの湧水に由来します。そのため江戸時代のこの地域には、この豊富な湧水を利用した染色や製紙の生業も起こったとのこと。また今は廃業してしまったのですが、老舗の豆腐屋さんも嘗てこの近くで店を構えていました。また、この槻井泉神社の境内には、そんな地域の歴史を見て来たであろう、市の天然記念物に指定されている樹齢300年とも云われる大ケヤキがありました。
続いて既に紹介させていただいた「鯛萬の井戸」(硬度76)から、最後に回ったのが、こちらも市の「水めぐりの井戸整備事業」で掘られた「東門の井戸」(硬度79)。東門というのは、お城の東の馬出しがあった場所に当たります。
今回二度に亘り市内の湧水や井戸を巡ってみて、松本がブラタモリでも紹介された松本城のお堀の水に始まって、築城の頃からこれらの湧水を活かした城下町作りがされ、その町をあちこち巡ってきた何本もの湧水の水路が、榛の木川や蛇川だけではなく、最後全て女鳥羽川にそれぞれ注いでいることが分かりました。
 そして今回一番印象深かったのが、上土の辺りから女鳥羽の泉近くまで、女鳥羽川の川縁に降りて、その河川敷をずっと歩いて行ったこと。途中、湧水が湧き出していたり、湧水が注ぎ込んでいたりする水場には、野生のクレソンや場所によってはミントなどのハーブが群生していました。それこそ湧水があるからこそなのだろうと感じた次第です(但し、場所によっては必ずしも決して清潔とは言えない様な、流れずに水溜まりの様な淀んだ箇所も中にはありましたので、肝炎ウィルスのリスクもあることから、一般的にはいくら清流に生えるクレソンとはいえ、決して摘んだりして食べない方が良いとのことでした)。
松本の街中を流れる女鳥羽川では、一般的に清流に生息するウグイやカジカガエルの生息も確認されていて、夏になるとホタルが飛び交うのも見られます。但し、残念ながら場所によっては町会の対応がままならないのか、アレチウリなどの外来植物やススキ類が蔓延っていて、川縁を歩けない箇所も見受けられました。
しかし人口20万規模の都市の市街地で、こうした清流が流れている都市はそうそう無いだろうと思うのです。ですので、出来れば京都の鴨川の様に河岸を整備して、市民が憩い観光客が散策出来るようになれば、“水清き湧水の街”松本の象徴にもなり得るだろうと感じた次第です。

 源智の井戸清掃の仲間の方から教えて頂き、あがたの森で開かれている市民講座「サロンあがたの森」へ参加して来ました。
11月8日の第229回で今回のテーマは「多様性に富む松本市街地の井戸水-松本盆地の地下水の水質について-」で、講師は総合地球環境学研究所の上級研究員の藪崎志穂さん。
女史は筑波大大学院卒の地球環境科学専攻で理学博士。筑波大、福島大を経て現在に至るまで、溶存成分や同位体などの化学分析を利用して、地表水や地中水の水質、地下水流動の解明に関する研究を行っておられ、「平成の名水百選」選定を機に、各研究者が分担して選ばれた各地の“名水”を調査した時に、女史はたまたま「まつもと城下町湧水群」を担当することになり、その松本の湧水の多様性に魅せられて、その2008年以降今日に至るまで定期的に松本に足を運ばれて、各地の井戸の水を採取分析し、その水質の研究を継続されて行っておられる方です。
因みに、総合地球環境学研究所というのは、京都の北区にある国立の地球環境問題を研究する研究所だそうです。

 松本盆地は南北に長い地形で、糸魚川静岡構造線により二分され、西側の標高3000m級の飛騨山脈と東側の800~2000m程の筑摩山地に挟まれ、それらの山地から流れる複数の河川によって運搬堆積された砂礫層によって形成され、この良好な帯水層に、盆地の地下には豊富な地下水が貯留されています。その結果、他地域と比べると非常に多様性に富む松本市街地の地下水に着目されて、定期的に足を運んでは各地の被圧地下水(深度の深い、深井戸)を採取分析し、17年間に亘って調査研究を行っておられます。

 その検査の目的は、水の性質と水の動き、そして水の年齢(滞留時間)を知ることで、その結果、この水がどこから来たか、その水の特徴を推測することが可能になります。
そのために女史が調べられている測定項目は次の通りです(以下の掲載資料は当日の配布資料より)。
この内、EC(電気伝導率)が高ければ、溶存成分が多いことが分かるので、次にその成分を調べるために化学分析を行うのだそうです。
また、放射性同位体である3H(トリチウム)や安定同位体は自然界に存在していて雨に含まれているので、その溶存成分量が多いと、地中に滞留していた時間が長く掛かっていることになるため、その水の年齢(滞留時間)が分かるのだとか。
こうして分析された項目は、その相関性を見るのに、一般的に「シュティフダイアグラム(ヘキサダイアグラム)」が用いられます。  
この六角形のヘキサダイアグラム(シュティフは考案者)が、グラフ化された各項目の相関を知るのに、一目で認識し易いとされているそうです。
 これまで、17年間に亘り女史が調べて来た結果、言えることは、概要として、日本の平均降水量は1600mmとされる中で、松本(旧松本観測候所で標高610m)は1065mmです。しかし、標高が高い程降水量は多くなるため、松本に近い山岳地帯の観測地点では、標高1500mの上高地で降水量が2700mmである様に、山地は地下水の涵養域になっています。しかし、その涵養域はNa+Ca2+などの溶存成分では把握出来ないため、安定同位体であるSrなどで分析し、その結果から涵養域を把握していきます。
その結果言えることは、松本盆地は糸魚川静岡構造線で二分されていて、飛騨山脈以西の古生代にまで遡る古い地層と、比較的新しい東側の筑摩山地の地層に分かれ、そこから複数の河川によって運ばれ堆積した複合扇状地を形成しており、上記の分析結果(水質と安定同位体)により、大町、安曇野の地下水は飛騨山脈の北アルプスが涵養地、松本市街地の地下水は美ヶ原高原などの筑摩山地がその涵養地と推測されるとのこと。
因みに、同位体比は、PC上で検索した内容より引用すると、
『標高が高くなると、同位体比は低くなる「高度効果」が見られます。これは、水蒸気が上昇して雲になるときに、水蒸気中の軽い同位体(例えば16O)が残りやすく、重い同位体(例えば18O)が先に雨や雪となって降ってしまうためです。標高が高い場所ほど、このような「軽い」水が残った降水が供給されるため、同位体比が低くなる傾向があります。』  
以上の結果から、松本の地下水の水質について分かって来たことは、
・松本の地下水は井戸深度により異なる、複数の地下水流動系(女鳥羽川系、薄川系)が存在すると思われる。そのため、距離が近くても井戸深度により水質が大きく異なる場合がある。
・内容的には、比較的溶存成分が多く、水質組成が多様でCa-HCO3-型が多くみられること。また、Ca-Cl型(カルシウムと塩化物)が多いこと。
その中で、北馬場柳の井戸(深度80m)は特異で、イオン濃度とマンガンが高いことから、局地的に有機物層(植物?)が堆積している可能性が考えられること。また、地蔵清水は(Na+Mg)HCO3型で、これは全国的にも珍しい(理由不明)
・一方、酸素、水素安定同位体比での松本の地下水の涵養標高をみると、涵養域である筑摩山地の女鳥羽川の北側は涵養標高(雨の降った場所)が高く、南側は涵養標高が低いことが分かる。
・なお、鋭敏な舌を持つ人は、一般的にNaが多いと塩味を感じ、Ca-Clが多いと甘味を感じる。

      【松本市街地の地下水の水質組成図(2009年3月の調査)】
 
          【トリリニアダイアグラム(2009年3月の調査)】
         *多くの地点を分類するのに便利
 (*赤いドットでの区分けと吹き出しは講師の説明を元にした筆者の記入)
また、これまでの17年間で見る水質の長期変動(2008年~2023年)で言えることとしては、
・北門大井戸と北馬場柳の井戸を例にとると、水質が比較的一定であることから、これは松本市の行政や地域住民による長年の河川や井戸の清掃活動などに依り、水質が維持管理されてきた成果だと思われる
・一方、山間部の湧水には2018年から変化が見られるが、これは融雪剤(塩カル)散布の影響ではないかと推測される
ということだそうです。
そして、今後の水質管理に向けて重要なこととして、女史が挙げられたのは、
・地下水の涵養域としての、山地部の自然環境を保全することが重要 
日本の一部では、近年増え過ぎた鹿の食害により、檜林の樹皮が悉く食べられて、樹勢が衰え枯れてしまったエリア(滋賀県)や、樹木草本が食べ尽くされて消失し、その結果裸地となって土砂崩れが起こってしまった場所(長崎県)もある
・そのためにも地下水の涵養域を推定し、水源地を保全していくことが重要
・近年の温暖化に伴う環境変化で、これまでのシトシトと降 る様な梅雨から、最近はゲリラ豪雨などが多発する様になってきているが、シトシト降る雨は地下に徐々に浸透していくのに対し、一気に降るゲリラ豪雨では地下に浸透せずに地表を一気に流れ下ってしまうことから、長期的に見て地下水の水量低下などの地下水の流動系への影響が懸念される
ということでした。
 その他として、松本の地下水についてのまとめに代えて、女史が強調されたのは、全国の上水道の75%近くがダムや河川から取水された水であって、湧水を使用しているのは僅か19.1%に過ぎない中で、松本は奈良井ダムの水と島内や源池の湧水がブレンドされた上水であり、また市内にも幾つもの湧水や井戸が在る非常に水に恵まれた街。しかも井戸に寄ってもその水質が異なるのも、非常に特徴的である・・・ということでした。
また、市街地だけでなく一歩郊外に出れば、自然に恵まれて山歩きを楽しみながら、美味しい水にも巡り合えるので、そんな湧水も楽しんでくださいとして、松本の近郊で一例として挙げられたのが、私も昔飲んだことがありますが、安曇野市堀金の烏川沿いにある「延命水」と、塩尻市上西条神社境内の「強清水」で、この湧水はその名の通り、石灰岩質の地層から湧き出る硬水なのだそうです。
 たまたま松本のウォーキングで汲んだ「源智の井戸」の水で淹れたドリップ珈琲が劇的に美味しくなったことから、以来10年以上も水を頂いてきた「源智の井戸」の維持管理のための清掃活動に、市民ボランティアとして一年前から関わることになって、“平成の名水百選”の「まつもと城下町湧水群」にも一層の関心が湧き、こうして松本の水の重要性と多様性を更に深く知ることが出来た、有意義な「サロンあがたの森」の講演会でした。

 この日、昼過ぎから「あがたの森」で開催されるイベントに参加する予定があったので、その前に久しぶりに松本駅のアルプス口にある「谷椿」に、昼にのみ提供されているラーメンを食べに立ち寄りました。
 現在は松本駅の西側も再開発ですっかり整備され、東西自由通路がある新しい駅舎になって西口も「アルプス口」に変わりましたが、シンガポールから帰任後、西口に月決めの駐車場を借りて諏訪まで電車で通勤していた当時は、松本の正面玄関である東口(現在の「お城口」)に比べると、西口は片や如何にも田舎風の木造駅舎で、裏口だった西口と呼ばれた頃から、この「谷椿」だけは今も昭和然とした佇まいの当時のままで、時が停まった様に何も変わっていません。
そんな昭和レトロな店内同様に、ラーメンも昔懐かしい“これぞ、ザ・中華そば”とでも云うべき、あっさりした鶏ガラベースの醤油スープに、チャーシューが一枚とメンマにナルトと刻みネギ、そしてモチモチした多加水の中細のちぢれ麺という王道派の醤油ラーメンです。洒落た“無化調”などとは一切無縁。しかもレンゲも付いて来ないので、スープは丼から直接啜らなくてはいけませんが、これでイイ!と思わず唸りたくなります。

今風のラーメンは、家系や二郎系、或いは進化系といったジャンル分けから、スープも“ばりこて”とか、煮干しだ、鯛だ、甘エビだ、はたまた貝だ・・・などと、最近は色々目新しさを競い合っているようですが、自分は例え古臭いと言われても、これぞ“中華そば”と云われる様な飽くまで鶏ガラベースの醤油ラーメンが断然好み。
だからこそ、時代に取り残された様な昭和然とした店内で、これまた“絶滅危惧種”の様な懐かしい醤油ラーメンを食べる、そんな 至福の“一杯の醤油ラーメン”をしみじみと味わうのです。
このラーメン、色んな工夫を凝らす今時のラーメンに比べると、むしろ進化しないことが逆にそんなラーメンを或る意味小馬鹿にしているかの様な、シンプル過ぎるラーメンかもしれません。そんな昔ながらのこのラーメンは、時代に取り残されて昨今の物価高の中でも値上げするのを忘れたかの様で、一杯450円也。大盛りでも600円です(数年前と比べると、それでも50円アップにはなっているのですが・・・)。
 この「谷椿」は、本来はホルモン中心の焼き肉屋さん。
夜に来ると、カウンターやテーブルに置かれた古びたガスコンロに載ったジンギスカン鍋は、火を点けると長年使い込まれて沁み込んでいる脂が自然と滲み出て来て、そしてどんと載せられた肉やホルモンの焼ける煙で換気扇の換気が追い付かず、店内はいつももうもうとした煙が充満しています。
そんな焼き肉屋さんらしく、昼の名物は世間の牛丼とは一線を画する“牛めし”(500円)です。夜の焼肉に使った端切れの牛肉がブツ切りにカットされ、タマネギと一緒にすき焼き風に甘辛く煮込まれていて、ご飯の上にゴロゴロと載っています。メニューには書かれていないのですが、常連さんの多くはそのハーフサイズの“半牛”(250円)とラーメンをセットでオーダー。〆て700円也。更に毎日ランチを食べに来られる方には、600円の日替わり定食もあります。
 個人的には、「谷椿」での昼は専らラーメン一択。
昔はチャーシューメンがあったのですが、このところのお昼はご主人の姿が無くおばぁちゃんのお一人で切り盛りされているためか、今はラーメンの並みと大のみ。
店内はL字型のカウンター席が10席程とテーブル席が2つだけ。最初にほうじ茶とサービスでおばぁちゃん自家製の漬物が、ランチや丼だけでなくラーメンにも出してくれます。いつもは白菜が主ですが、この日は珍しくキュウリの浅漬けでした。
ラーメン丼に並々と盛られた、あっさりとした鶏ガラのスープ。先ずはスープを一口といきたいところですが、レンゲが無いので先に少し麺を食べてからにします。
中細の縮れ麺は個人的にはもう少し固ゆでが好みですなのですが、今では珍しい多加水麺で非常にモチモチしています。自家製の豚チャーシューが柔らかくて美味。出来れば、以前メニューにあったチャーシューメンで食べたいくらいです(大を頼むと、確かチャーシューが二枚になる筈です)。
スープはあっさりとした鶏ガラベースの醤油味で少し生姜が効いていて、テーブル胡椒を掛けるとまたピリッと締まる感じがします。
 時代に取り残された様な、この「谷椿」のラーメン。シンプルで全く派手さも無くて、今風のSNS映えも全くしませんが、どこか懐かしくてまた食べたくなる、そんな昭和風の醤油ラーメンです。これでイイ!否、これがイイ!!
 スープも全部しっかり飲み干して、「ご馳走さまでした!」。
飲み干した後のラーメンの丼の刻まれた「谷椿」の店名と、そして一桁「3」の若い数字の局番が、何とも店の昭和の歴史を感じさせてくれました。

 長野県の伊那谷、箕輪町にある“もみじ湖”が、最近紅葉スポットとして秋の紅葉シーズンになると県内外から観光客が殺到し、最盛期にはマイカー規制をする程の人気ぶりという報道がされ、以前から知ってはいたのですが、そんな混雑の中行くのもどうかと思い、今までは一度も行ったこともありませんでした。

            (もみじ湖と箕輪ダム遠景)
 この“もみじ湖”というのは、諏訪湖から伊那谷を流れ下る天竜川水系の沢川に建設された、箕輪ダムのダム湖の別名です。
なぜ“もみじ湖”と呼ばれる様になったのかについて、その経緯をまとめた紹介記事があったので抜粋します。
『平成4年(1992年)、箕輪ダムは一級河川・天竜川水系沢川に建設された。それまで、沢川は何度となく水害をもたらしていたこと、また、当時高速道路ができたことによって大きく発展すると見込まれたことから、防災への備えと水を安定して供給できるように造られた。
けれども箕輪ダムの建設にあたって、その地域に住んでいた人々は移住をしなければならなかった。自分たちの故郷が湖底に沈むことになったとき、この地域で苗木屋を行っていた人が「これから何年も先に人が訪れる名所となるように」という思いを込めて10800本のもみじを町に寄付したという。もみじは町内の人たちが10年かけて植林。その後も世話を続けることによって、30年以上も経った今、全国的にもみじの名所として知られるようになったのである。』
そして、国内旅行情報サイト「じゃらんnet」の「全国のおすすめ紅葉スポットランキング 」で、2020年に全国1位に選ばれて全国的に注目を集め、以来2024年まで5年連続第1位に選ばれ、その間の2023年には5万人近くの人が紅葉を見に訪れるなど、30年前に「これから何年も先に人が訪れる名所となるように」との住民の方が願いを込めて植えられた約1万本のもみじが、実際に30年を経て日本の紅葉を代表する名所になったのです。
 まだまだ有名になるずっと前、お義母さんが儀弟に連れられて、その“もみじ湖”の紅葉を見に行ったことがあり、秋になると今でもその時の紅葉の見事さを思い出して口にするのだとか。儀弟は、地元の土木建設会社の役員を長年やっているので、土木工事で箕輪ダムに行ったことがあって、まだ観光客などが殺到する前に、その美しさを両親に見せに連れて行ってくれたのだそうです。
たまたま、先日家内がお義母さんを原村の日帰り温泉に連れて行った時に居合わせた方が松本在住で、朝6時半に松本から“もみじ湖”の紅葉を見に行った帰りに足を延ばして温泉に立ち寄ったとかで、もみじ湖は混んではいたがまだ十分車が停められたことと、色付きが例年より1週間から10日程遅れているそうですが、評判通り紅葉が見事だったことを聞かされて、どうしても「見に行きたい!!」という、奥さまの強い要望にお応えすることにしました。
            (もみじ湖と田無橋遠景)
 行ったのは11月7日金曜日の平日。先にワンコたちの散歩と食事を済ませ、6時半には間に合わず結局7時に家を出ました。箕輪ダムへの道は、途中すれ違いがやっとな位の狭い個所もあるそうなので、軽のハスラーで行くことにしました。
松本から箕輪へのルートは、通常は中央道を伊北ICまで行くのですが、事前のグーグル検索でも、またナビも中央道の岡谷JCTがリニューアル工事で渋滞することから、渋滞を避けるべく手前の塩尻ICで長野道を降り、国道153号線で善知鳥峠(分水嶺です)を越えて行くルートになりました。上伊那郡の辰野町から県道諏訪箕輪線で箕輪ダムへ向かいます。途中、道の狭い個所では係員の方が居て交通量を見ながら通行規制を行ったり、道路工事に良くある臨時の信号機が何ヶ所かに置かれていて、1分半間隔で一方通行にして車両規制を行ったりしていて、道が狭くすれ違い出来ずに車同士がスタックするのを避けていました。
箕輪ダムのダム湖を過ぎると、竹の尾広場と末広下広場に数十台ずつの普通車と末広下には大型の観光バスも停められる駐車場があって、係員の方が3名ずつおられて交通整理をされていて、車をまだ上に行くように指示されていました。その末広下駐車場から町道に入って、“もみじのトンネル”を抜けて更に坂を登った所に末広広場の駐車場があって、こちらは200台駐車可能とのことで車を誘導して順に停めさせていて、我々が到着した8時10分頃はまだまだ余裕がありました。松本からはナビ通りの1時間10分で到着。岡谷JCTの工事が終われば、1時間掛からずに行けるかもしれません。それにしても、この日は平日ですが次々に車がやって来て、驚いたことにその半分以上が県外車です。
駐車場で戴いた「2025年もみじ湖紅葉祭り」パンフに沿って、末広駐車場から先ず散策コースを歩き、下って県道に合流して、マルシェが開催される竹の尾広場と親水公園辺りまで行ってからまた県道を戻り、末広下駐車場まで来て、そこから末広駐車場への町道に入り、最後に「もみじのトンネル」を登って末広駐車場に戻ることにしました。
以下、当日撮った写真をそのルートの順番でご覧ください。少々枚数が多いですが、出来るだけ雰囲気が分かる様に、写真を縮小せずにそのまま掲載することにします。
            (散策コースにて)
            (竹の尾橋から)
            (新田神社にて)
          (県道への合流地点辺りの大きなモミジの木)
            (末広下駐車場)
            (駐車場奥の大きなモミジの木)
            (駐車場横の「もみじのトンネル」)
            (「もみじのトンネル」入り口付近から)
           (「もみじのトンネル」出口付近から下を望む)
 初めて“もみじ湖”を訪れた感想としては、我々が行った翌日から、週末のみ駐車場を有料の事前予約制にして、「紅葉祭り」週末のマイカー規制が行われるのですが、紅葉前の青モミジもあって、まだ少し紅葉のピークには早かった感じでした。でも「もみじのトンネル」では、真っ赤に紅葉したモミジと黄色く黄葉したモミジ、そして緑の青モミジがグラデーションの様に混ざり合い、それはそれで見応えがありました。
ただ、“日本一”というイメージに些か期待感が強過ぎたのか、もっと凄いのかと想像していました。個人的には、京都の東福寺や永観堂などの東山界隈や、叡電のモミジのトンネルなどの方が見応えがある気がします(但し、この“もみじ湖”は未だ知られていないのか、幸いインバウンドらしき騒々しい一団は皆無でしたので、紅葉を愛でながらゆっくり散策出来ましたが・・・)。
でも、ダムで沈んだ人たちが、自分たちの住んでいた集落を未来の紅葉の名所になるように1万本のモミジを植えたという逸話を知ると、目の前のモミジの紅葉がより一層感慨深く感じられる気がします。
そして、こんなに観光客が訪れるのであれば、平日の今日でさえ10人程の係員の方々が交通整理されていて、その人件費は箕輪町が(或いは町の観光協会が)負担しているのでしょうから、駐車場も含め入場無料なのは何とも勿体無い!!!
少なくとも交通整理する係員の人件費と“もみじ湖”の維持管理費用分を賄う位、ダムで沈んだ人たちのこのモミジに託した想いを知れば、訪れた人たちから平日も入場料か駐車料金を徴収しても決して“バチは当たらない”と感じました。

 先日、「源智の井戸」の清掃ボランティアに参加いただいている方のコーディネートで、松本市の上下水道局に伺う機会があり、毎日私たちがお世話になっている松本市の上水道と下水道について状況をレクチャーいただき、併せて松本の上水道の水源の一つである「島内水源地」と下水道の「宮渕浄水センター」を見学させて頂くことが出来ました。
その両方の現場も含めて上下水道局で説明をお聞きする中で、今回私が一番に感じたことは、専門知識の高い、そして志ある職員の方々の存在と、そして誠に失礼ながら(昔よりも遥かに改善されてきたとはいえ)窓口で感じる“お役所意識”が鼻に付く様な“公務員”ばかりではないことでした。今回それを知って、何だか嬉しく、そして“任せて安心”という意味で非常に頼もしく感じた次第です。
そして、状況面で知り得たことの一番重要な点は、上水道よりも下水道の方に、設備投資と維持管理に関してより多額の資金(下水道使用料+国や県からの公的補助金)が掛かっているという現実でした(因みに、職員の方々の一番の悩みと課題は、下水道事業に関わる技術者の減少と、それに伴う専門の技術者確保と技術の後継者育成とのことでした)。
松本市では市内の小学4年生の社会見学の一環として、宮淵浄化センターの下水処理場を見学して貰って、その状況を子供ながらに認識して貰うことと、そして何より家に帰って台所を預かるお母さん方に、家庭の台所での洗剤や油の使用に関して、多分一番効果的であろう子供さんの口から直接注意喚起して貰うことを目的に、毎年実施しているとのことでした。
 当日、先ずは上下水道局で、専門職員の方から松本市の上水道と下水道の歴史と現状についてレクチャーを受けました。
湧水に恵まれた松本は、江戸時代から木管などを使った簡易水道が城下町へ導水されていましたが、有圧送水・濾過上水・常時給水という近代上水道の歴史は、我が国では明治20年の横浜に始まり、ここ松本は二度の大火に依る防火上の観点からもその必要性が高まって、大正12年から給水がスタート。最初の水道網は市街地の中心部から始まり、私の生まれた岡田の神沢地区も大正15年には他に先駆けて水道が敷かれるなど、徐々に周辺の農村部にまで拡大して、令和5年には創設から100周年を迎えたのだそうです。
松本の上水の水源地は旧松本市が7つ、平成の合併に伴い四賀、梓川、奈川地区を含めると、市内には全部で39ヶ所の水源地と17の浄水場があり、美ヶ原の麓の三城から乗鞍地域まで広域に亘っています。
メインの水源は松本市、塩尻市、山形村に上水を共有する県の奈良井ダムの松塩水道用水で、塩尻の本山にある浄水場を経由して、松本市には協定上一日63000㎥の水道水が供給されています。これが松本市の水道水の80%、旧松本市で云うと90%の水量を賄っていて、残りを旧市内で云うと、島内と源池の水源地の湧水をブレンドして旧市内に配水されているのだそうです。
続いて、下水道の説明を受けました。松本市の下水道は昭和34年に宮渕浄化センター、昭和63年に両島浄化センターが供用開始され、その後の広域合併により旧安曇村の上高地浄化センターを始めとする各エリアの浄化センターを含め、5ヶ所の浄化センターでカバーされており、普及率は97%とのことでした。
そして上下水道両方に関係する喫緊の課題は、埼玉県の道路陥没事故に見られる様に、松本市も同様に配水管や下水道の本管の老朽化とその取り換えなどの改善事業です。これは上下水道に留まらず、高速道や橋脚なども含め、我が国のインフラ全体が今抱えている問題でもありましょう。

   (登録文化財の手前の丸い屋根が集水井、奥の建物が旧喞筒室)
 レクチャー終了後、現場を見せて頂くことになり、職員の方に案内頂いて、島内の第一水源地と宮渕の浄化センターを見学させて頂きました。
この島内第1水源地は、大正12年に設置された松本市の近代水道の創設当初の施設で未だに現役でもありますが、集水井や会所、旧喞筒室などの建物などが国の登録有形文化財に指定されています。そうした古い施設だけではなく最新の自家発電設備もあって、万が一の事態にも備えています。こうした普段はなかなか見られない(中に入れない)施設であり、源智の井戸をきっかけに松本の湧水に多少なりとも関わる者として、今回一番関心のある施設でした。

   (旧喞筒室の外観と、移設保存されている初期の配水管)
島内には二つの水源地があり、この第1水源地は能力27500㎥/日の湧水量に対し、取水量は7497㎥/日とのこと。これは、県の奈良井ダムの上水が契約上松本市に63000㎥/日が毎日供給されて来るので使い切らないといけないために優先され、その差を市内の水源で埋めているためなのだそうです。因みに説明に依ると、この島内水源地の水は、大町や安曇野の湧水と同じ北アルプスからの伏流水で、糸魚川静岡構造線の断層が、島内のすぐ目の前に聳える城山山系にあり、すぐ横を流れる奈良井川の地下には固い岩盤層があって、この層に遮断された伏流水がこの島内地区で豊富な湧水として地上に湧き出しているのだそうです。市内に在る源池の水源地は美ヶ原などの筑摩山系からの伏流水の湧水ですが、ここは北アルプスの水。松本の上水道には、主な奈良井川の水に、北アルプスと筑摩山系の二つの湧水がブレンドされていることを初めて知りました。因みに、この「島内第1水源地」の湧水が非加熱除菌され、松本のおいしい水道水をPRし水道水の利用を促進するため、市の主催行事、会議、イベント、観光宣伝、コンベンション用として提供されていた「信州松本の水」で、「モンドセレクション2014」のビール・飲料水・ソフトドリンク部門で金賞を受賞しています。
 (旧喞筒室内部の現役のポンプと、加圧されて奈良井川を渡り、当時は城山の配水池へ、現在は蟻ヶ崎の配水池に向かう送水管)
ウォーキングで歩く城山には配水地があって、どうしてこんな所にといつも不思議に思っていたのですが、ここ島内水源地から見ると、城山はホンの目と鼻の先。この島内水源地(おそらく標高は580m程)からの送水管が奈良井川を渡って、すぐそこの断層の崖の上の標高650mの城山まで一気にポンプアップして、そこから南側には緩やかに傾斜している市街地に向けて自然に流れ下って行くのは、100年前の大正時代に作られた上水設備として、地形を活かした自然の理であることが良く分かりました。
 続いて訪れた宮渕浄化センター。奈良井川沿いにJR大糸線を挟んで、73,000㎡という敷地に82,200㎥/日の処理能力を持つ二系統の浄化センターが並んでいます。両島にも60,000㎡の敷地に32,850㎥/日を処理可能な浄化センターがあり、この二つの施設で旧松本市全域の下水処理をカバーしています。
ここに集められた下水は、最初沈殿池で水に溶けない汚れを沈めて取り除き、次に反応槽のタンクに送られて微生物によって汚れが食べられ、最終沈殿池でも更に汚れが食べられて集まった微生物も沈められ、見違える程透明でキレイになった水が更に塩素消毒されて、最終的に奈良井川に放流されます。見学の途中で沈殿池の水をすくって、大型のメスシリンダーに入れて見せてくれましたが、数分もすると汚れと微生物が沈んで、澄んだ水と汚れとのキレイな二層にクッキリと分かれたのを見ることが出来ました。
     (奈良井川への放流口)
また、沈殿した汚れは濃縮され汚泥となって、更に脱水されて「脱水ケーキ」と呼ばれるリサイクルされるセメント原料になり、ダンプカーで定期的に処分先のセメント工場に運ばれて行きます。またこの過程で発生する消化ガスは燃料として自家発電用に供され、電気として施設内で使用され、またその排熱は汚泥消化槽の加温用にも用いられているとのことでした。
私たち市民の知らない所で、コストダウンのために様々な工夫がされていることが分かりました。
こうした施設が傾斜を利用して広大な半地下に巨大な空間として拡がっているのです。上水道の設備に比べ、その巨大さに圧倒されました。
自然の恵みである水を取水し、その見た目もキレイな水を更に浄化して生活用水として使い、その結果汚れた水を全て回収して消毒し、最終的に問題の無いレベルにまで浄化させて、また自然界に戻す。
そして地表面の敷地は、下水の浄化センターという施設への周辺地域や周囲の目を和らげる目的もあるのか、一面のラベンダー畑を始め、きちんと手入れがされた様々な植栽が季節を彩っていました。そんな努力さえも伺えた浄化センターでした。
 今回の上下水道の施設見学を通じて感じたこと。
それは、世界中196ヶ国の中で、僅か9ヶ国しかないという水道水を蛇口からそのまま飲める国、日本。世界の平均降水量の1.6倍という、四季と水に恵まれた日本列島。そして、その中でも市街地に豊富に湧き出る湧水に恵まれた街である松本。
そんな清き水に恵まれた地である信州松本に暮らす自分たちに、その水の有難さと大切さを改めて実感としても感じさせて貰えた、そんな有意義な今回の訪問でした。

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