カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 列島を縦断し、各地で大雨の被害をもたらしながら駆け抜けて行った台風18号。嵐山の渡月橋が流されそうに見えるほどに、濁流で荒れ狂うような桂川に驚きつつ、TV画面を眺めていました。でも「休みの日で良かった・・・」。

 明けて9月17日。台風一過で秋晴れの朝。
虫の知らせか、通勤路の三才山トンネルの様子が何となく気になって、早朝PCでライブカメラの映像をチェックしてみると、トンネルの上田側坑口がタダならぬ様子。ネットで道路情報を検索したところ、土砂崩れによる全面通行止めの文字。「えぇー!」(しかし、必要な情報に辿り着くのにかなり時間を要しました。高速道以外の一般道の道路情報は検索し辛く、地方公共団体はもっと工夫が必要です。結局、リンクが貼られていた松本市の公式観光情報ポータルサイトが一番便利でした)
まさか、TV画面だけではなく、自分の足元でも災害が起こっていたとは思いもよりませんでした。確かに松本もかなりの量の雨も降りましたし、昼前は暴風雨圏に入っての横殴りの雨で、多少リンゴも落ちました。しかし、まさか自身に被害の影響が及ぶとは・・・。

 三才山トンネルが松本と上田を結ぶ唯一の幹線道路のようなものですので、大きく迂回するしかありません。下諏訪からの新和田トンネルか、高速で長野道から上信越道経由か。
以前、引退された会社の先輩から、もし三才山トンネルが通れない時は、姨捨SAのスマートICで戸倉上山田に下りた方が、高速で上田まで行くよりも早いからと聞いていたので、いつもより早めに出て、梓川SAのスマートICから高速に乗って行くことにしました。
姨捨は、“田毎の月”で知られた棚田の里。SAから車一台がやっとのような細い坂道を下り、千曲川沿いに県道77号線経由で、結局1時間40分掛かって会社に到着(三才山経由のちょうど倍)。
会社でその話をすると、同じ高速経由でも、麻績ICから修那羅峠を超え青木村経由の方が断然早いと教えられました。難所の青木峠に比べ、峠道も短く道幅も2車線あるので遥かに運転し易いそうです。
そこで、帰りは青木村から修那羅峠を越え、旧坂井村(現在は坂北、本城と共に合併し筑北村)を通り麻績(おみ:注記)ICから長野道で梓川SAへ。真っ暗い中、初めての峠道を運転するのも心配なので、この日は30分ほど早めに上がらせてもらい、ナビをセットしていざ出発。

 青木村からの上田側に多少九十九(つづら)折のヘアピンの連続する急坂部分はあるものの、確かに全線2車線で走り易く、朝の姨捨に比べれば大型トラックも通行する程に遥かに良い道で、麻績ICまで40分程度。梓川のスマートIC経由で自宅まで1時間15分でした。因みに、峠名の由緒有り気な「修那羅」(正しくはショナラだそうです)とは、峠頂上付近の安宮神社に800体もの石仏群があるからのようです。
また青木村では、奈良時代の官道であった東山道沿いに建つ「大法寺入り口」の案内板も国道沿いにあり、いつか見に来ようと思っている国宝三重塔の「見返りの塔」の所在地も確認することが出来ました(もっと山間にあるのかと思っていたら、意外と開けた場所にありそうで、少し国道から入ってみましたが塔の影は見えませんでした)。
ところで、ETC搭載車だけという問題はありますが、最近はスマートICが出来てかなり高速道の乗り降りが便利になりました(長野方面からなら、我が家へは上高地線の渋滞の激しい松本IC経由よりも梓川SAのスマートIC利用の方が渋滞も無く、遥かに便利です。県内では、最近人気の小布施もSAからスマートICでアクセス出来ます)。この日も梓川SAのスマートICで降りて我が家へ向かいました。

 三才山トンネルも今日午後1時に復旧開通予定との発表がありましたので、来週からはいつもの通勤に戻れそうです。ヤレヤレ。
台風18号のとんだ余波ではありましたが、久し振りに快晴の北アルプスを眺めながら、こんな事でもないと普段は絶対に行かない修那羅峠や青木村を通ることが出来て、ちょっぴり歴史に触れた通勤路でした。
【注記】
奈良時代の官道である東山道の麻績宿。麻績(おみ)はその名の通り、麻糸を紡いだことに由来。平成の合併の際、筑北村の合併協議会から直前離脱(但し、その理由の一つは麻績村が主張していた聖高原から採った新町名候補「聖町」の名前が否決されたからとか)。少子高齢化時代で且つ山間地は過疎化が進む中で、合併を否定する者では決してありませんが、地名も歴史的文化財としてみれば、麻績に限らず、御牧(みまき)という地名は、奈良時代に東国4ヶ国に置かれた32ヶ所の勅旨牧(朝廷の官営牧場)の内、半分の16ヶ所の御牧が信濃国にあった事に由来(北御牧村は東御市になり、南御牧村だけが現存)します。また、大町市に合併された旧美麻村(みあさ)など何と美しい地名だろうと思います。そう言えば、青木村も上田市との合併協議会から離脱する道を選びましたが、もし財政的にそれで成り立つのであれば、自立するのも決して悪いことではないと思います。