カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 栗で全国的に有名となった、北信濃の小布施町。小布施堂、桜井甘精堂、竹風堂、栗庵風味堂など、栗菓子で知られる老舗が軒を連ねます。

中でも小布施堂には、この時期だけの新栗を使った季節限定のスイーツとして、TVなどで取り上げられて大人気の行列スイーツがあるのだそうです。奥さまが親友(毎年料理用の新栗を買いに茅野から出掛けるのだとか)から聞いたとかで、どうしても食べてみたいとの仰せ。

 そのお菓子。小布施堂の本店のみで売られる、「朱雀」という名のモンブランにも似た和菓子で、一個千円とか。しかも、それは持ち帰りも取り寄せも出来ず、その場で食すのみとのこと。新栗の時期の9月下旬から10月下旬までの僅か一ヶ月間だけの季節限定で、且つ一日数百個限定のため、それを求めて早朝から行列が出来るのだとか。何だか、聞いただけで(それを目指すとなると)溜息が出そうです。      
 週末も結構色々用事があり、「楽しみは来年に取っておけば・・・!?」という優しいアドバイスにも聴く耳持たずで、「絶対に行くぅ~っ!」とのことから、結局最終日の前日、10月19日の土曜日に行くことと相成りました。予測されうる結論だったとは言え、溜息しかでません(結果論ですが、翌日は終日雨だったので、この日で正解でした)。

 その日は、まだ暗い4時に起きて、先に犬たちの世話(ケージの掃除や、フロアの掃除機掛け、食事の準備)をしてから奥さまを起こして、散歩。
戻り、用意しておいたエサをあげて、家内はデイサービスに行く母の準備をし、遅くとも8時までには並ばないとせっかく行っても食べられそうも無いことから、予定した6時半には何とか自宅を出発することが出来ました。小布施まで1時間10分程の行程。梓川PAのスマートICから長野道に乗り、途中休憩もせずノンストップで小布施PAのスマートICで降り、数分で小布施市街にある小布施堂本店に無事到着。
本店駐車場は既に満車だったので、奥さまを先に列に並ばせてから、少し離れた店の駐車場に停めて戻ると、7時45分位には本店前に着いたと思いますが、ざっと数えて100番目くらいでしょうか。思いの外少なくてほっとしました。一日限定400個と云いますので、どうやら食べるのは問題無さそうです。列の前後では「今年は少ないわね!これなら10時頃には食べられるんじゃない?」との会話も聞こえて来ます(えっ、毎年ですか・・・?)。することも無い私メは、またぞろ列に居たワンコ(黒柴のコロ)に遊んでもらいました・・・。
予定通り、8時頃から整理券の配布が始まりました。既に200人程の長蛇の列。せっかくだから一人ずつと思いましたが、奥さまは「絶対に、食べられっこ無い!」と言うので、一つを二人でシェアすることに。食べる場所が3ヶ所ある中で、本店裏にある本宅で10時との指示。朝の内の時間指定で、早めに来た甲斐がありました。
 10時までにはまだ時間があったので、車内での休憩ご希望(何でも、並んだだけでお疲れとか・・・)の家内を残し、私メは散策して今日の見学場所の確認へ。すると、道路を遮断して両側にテントが張られ、イベントの準備中。何でも「六斎市」(小布施は江戸時代に千曲川の舟運で栄え、月に六回開かれたことから呼ばれていた「市」に因んだもの)として、地場農産物や、屋台、骨董市や、イベントなどが開催されるのだとか。
 この上高井郡小布施町。人口1万人ちょっとで、面積も併せて、長野県内で一番小さな町で、人口密度は県内2番目だとか。しかし、そんな小さな町に、今や年間120万人もの観光客が訪れます。
小布施といえば栗で有名ですが、一説には室町時代に、この地に城を構えた荻野常倫という武将が、父祖の領地丹波から持って来た栗を植えたのが始まりで、江戸時代には将軍家への献上品にもなっていて、北斎を招いたことでも知られる小布施の豪商高井鴻山と交流のあった小林一茶の、『拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ』の句は、禁制品で庶民が勝手に拾えない時期の栗を皮肉って詠んだのだとか(てっきり、小布施では見向きも去れずに落ちている栗でさえ、大きくて見事なものだ、という小布施栗讃美の句かと・・・)。
しかし、その後明治以降は養蚕の桑栽培や、戦後のりんご栽培等への転換で衰退したのが、近年また「栗」での町おこしで、ここまで有名になったのだそうです。北斎館にせよ、中島千波館にせよ、比較的新しい施設で、他にそれほど名所旧跡がある訳でもないのに、この集客力(例えば、栗の木を石畳風に敷いただけの狭い小路が、今や人気スポットですから)。
個人的には、官民あげての「栗」をメインにした分かり易さ(何をするにも“栗”!)と、小さいからこその街創りの一体感。明確なコンセプトとコンパクトさが魅力だと感じました(残る課題は、数時間で済んでしまう滞在を、宿泊を含めどう伸ばすかでしょうか?)。
 指定時間近くになり、先ずは風情ある小布施堂本宅へ。
「枡一」で知られ、江戸時代からの造り酒屋でもある市村家が経営する酒造会社「市村酒造」、古い酒蔵や土蔵を改装した旅館「枡一客殿」、日本料理「蔵部(クラブ)」なども、小布施堂と同じ系列ですが、なかなか大したものです(地元では賛否両論ありそうなので、某女史話題はオミット。評価のポイントは、“創造的破壊者”か否か、共感はあったか否か、でしょうか)。
本宅は時間指定された方々が、中庭を望む座敷に並んだ座卓に相席で皆さん「朱雀」を食されています(先ずは、写真をご覧ください)。
大き目の茶碗で供されるほうじ茶と共に、スプーンと割り箸も。20cmほどの菓子皿に載せられた15cm近くもありそうなモンブランのような巨大な和菓子。これだけを目当てに全国からお客さんが行列を作るのですから、いやはや凄いですね。
この「朱雀」。蒸した新栗を裏漉しして素麺状に押し出し、ふんわりと芯の栗餡を包んでいます。モンブランの様な部分は何も加えず新栗のみで、栗の味しかしません。この量ですから、恐らく10個以上は使ってあるでしょうか。
個人的には、舌で味わうよりも、むしろ目で味わう見事な芸術品のようにも感じました。確かにこれでは崩れてしまうでしょうから、持ち帰りも送付も無理。こちらで食べるしかなさそうです(それも希少性としての付加価値を生んでいます)。
甘味の無い新栗は、まさに栗そのものの繊細な味。美味しいかどうかは人それぞれ。個人的には、同じ小布施の桜井甘精堂の、これまた季節限定の新栗のモンブランに興味を惹かれます・・・。
しかし、お客さま(殆どが女性。男性は私メ同様に付き添いか、ドライバー役とお見受けしました)は皆さん舐めたように綺麗に残さず完食。見事なものです。
「ふぅ~、終わったぁー!満足ゥー!」
「ちょっとぉ、もっとみんなキレイに食べてるヨ!」
「えっ、そうお?」(と注意した結果の写真です)
 念願だった「朱雀」を食べてから、次話でご紹介する私メのお目当てである「中島千波美術館」へ。小布施ゆかりの「北斎館」などとの共通入場券もありましたが、ここでの北斎に興味は無いので、今回は“千波の桜”だけをじっくりと鑑賞したいと思います。

 美術館鑑賞後、「六斎市」へ。地元農家の直売所で、奥様がいつも頂く知人の方々へのお土産用にと新栗などを購入。栗も大きさにより、5cm程もありそうな4Lサイズまであり、見事なモノです。更に、新婚旅行でのパリを想い出す「焼き栗」も、香ばしい匂いに釣られて買って(1カップ300円)の新栗三昧。加熱直後のためか、「朱雀」よりもむしろ甘味があります。私は、骨董市で農作業用の「前掛け」を1000円で購入(昔は手拭い同様に、造り酒屋などが店の宣伝としてタダで配られたモノ。今や見なくなりましたが、これ丈夫で便利なんです)。
そして、休憩した喫茶店で「近くに老舗のお蕎麦屋さんもありますが、今日だったらそれよりも・・・」と薦められた、農家の皆さんの「辛味大根生産者組合」の屋台での「辛味そば」(今回は温麺)で昼食。一杯300円也。お薦め通りで、蕎麦もなかなか美味しかったです。その後、「栗の木テラス」(桜井甘精堂直営)で、季節限定モンブランをと思いましたが、残念ながら「もう、栗はイイ。一年分食べたぁ!」との仰せ。

 目的の、念願だった「朱雀」と「中島千波館」。何となく、小布施の良さも理解出来た気がするプチ旅でした。