カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 カラマツの林を抜けると石畳の坂道があり、つづら折りの急勾配の藪原側の峠道がいよいよ始まります。

靴(しかもトレッキングシューズ)を履いている我々現代人ならいざ知らず、江戸時代の旅人は草鞋(わらじ)履きですので、さぞ山道は大変だったでしょう。雨が降った後のぬかるんだ道は尚更です。復元された石畳の道も濡れていると滑り易く、却って歩き辛さを感じます。途中熊除けの鐘が何ヶ所かにあるので、お借りした鈴だけではなく鐘も鳴らしながら歩を進めます。
途中、道から少し上部に広場の様な平らな処があり、ここが丸山公園で、昔織田勢(木曽氏)と武田勢の古戦場跡とか。中山道を歩いた松尾芭蕉(「更科紀行」と「野ざらし紀行」の二回)の句碑や石仏が立ち並んでいます。

  『 ひばりより 上にやすろう 峠かな 』 芭蕉
       (清水横の説明版:英泉画「三十六藪原 鳥居峠硯清水」)
ここで初めて眺望が開け、今登って来た藪原宿を眼下に望むことが出来ました。更に登って行くと、平家討伐の旗揚げをした木曽義仲が、峠の頂上で“霊峰”御嶽へ奉納する戦勝祈願を書かせる為に硯の水に用いたという義仲硯水があり、その先に御嶽神社があります。ここに峠名の由来となった鳥居がありますが、これは木曽義元が松本の小笠原氏と戦う際に御嶽に戦勝祈願をして勝利したお礼に建てたものだそうです。勿論、今の鳥居は往時のモノではなく何代目かの鳥居でしょう。そこを過ぎると平坦な道となり、道沿いに太い栃の木が何本も群生していて、その一本に子宝伝承の「子産みのトチ」の木もありました。

  『 木曽の栃 うき世の人の 土産かな 』 芭蕉
そう云えば、滋賀の大津で討ち死にした義仲の墓のある義仲寺に、その義仲を慕った芭蕉の庵と、自身の遺言による芭蕉の墓もありましたが、義仲に縁の木曽路を歩きながら芭蕉も彼を偲んだことでしょう。
ここでトンネル以前に峠を越えていた旧国道などと交わり、そこを過ぎた先に「峰の茶屋」という休憩所がります。さすがに今は無人で茶屋ではありませんが、キレイに磨かれた板張りの立派な小屋で、トイレと水場もあり、さすがに飲むのは控えて手と顔を洗わせてもらいましたが、手が切れる程に冷たくて生き返る様でした。
茶屋で休んだ江戸時代の旅人同様に、我々もここでエネルギー補給に行動食を取りながら暫し休憩。
この辺りが1197mという鳥居峠の中山道の頂上で、ここからが奈良井宿に向けての下り坂になります。
 今まで登って来た藪原側と比べると、奈良井側はかなり細く、旧街道が当時のまま保存整備されている訳では無いにしても、これでは参勤交代や皇女和宮の行列が通ったとは思えない程荒れ果てていて、また奈良井側は沢が幾つも有り、昨年の8月豪雨の影響もあってか、沢筋に架かる橋や木道が結構痛んでいて、藪原側の中山道に比べてその整備状態は余り良くありませんでした。
途中、石碑だけでしたが一里塚跡を過ぎて、「中の茶屋」という落書きだらけの荒れ果てた掘っ立て小屋があり、ここは「葬り沢」と呼ばれ、武田勝頼が織田勢の地元木曽義昌のゲリラ戦に敗れた武田家滅亡の始まりとなった戦いで、武田勢の戦死者500人が沢に葬り去られたことから名付けられたという薄暗くて不気味な場所もあり、夜道はさぞ怖くて歩けなかっただろうと思いました。
道も案内板も良く整備されていた藪原宿からの峠道でしたが、その標識一つとっても新しくて見やすかった藪原側に比べ、奈良井側のそれは古ぼけて字も剥げ掛かっていて、所々判読不能な有様。合併せずに単独での存続を選んだ木祖村と、片や平成の合併で塩尻市に合併した旧楢川村(贄川・平沢、奈良井)。隅々まで目が届く(観光資源も藪原宿とスキー場くらいの)木祖村と、大きくなったが故に(奈良井宿そのものは観光的には人気ですが)外れの細かな処に目が届かなくなった自治体との差でしょうか?・・・。峠を挟んでの余りの差を感じて、峠道を下りながらそんなことを考えていました。
 コロナ禍前で、まだインバウンドの外国人観光客もたくさん歩いていた同じ中山道“木曽11宿”最後の馬籠から妻籠への馬籠峠(第1439・1440話)に対し、今回の鳥居峠は最初から最後まで我々以外に僅か3人とすれ違っただけ。
奈良井宿が近付くにつれ、漸く道も整備され、昔も行き交う旅人を見送ったであろう石仏や藪原同様に復元した石畳の道も現れ、いよいよ峠道も終盤です。
舗装された車道からまた旧中山道の細い道を通り、宿の外れにある鎮神社近くで鳥居峠の峠道は終わり、奈良井宿へ入ります。
人気の無かった峠道とは打って変わって、人気の奈良井宿は7月の三連休最終日を楽しむ観光客で、“奈良井千軒”と云われた往時の賑わいを取り戻したようでした。
 ここまで出発してから2時間10分。奈良井駅がJR東海の駅で最高地点の934mとのことなので、藪原からだと中山道の鳥居峠は標高差240m程だと思いますが、藪原駅から6・4㎞の行程をほぼコースタイム通りの2時間半、宿の途中にある観光案内所で忘れずに藪原宿でお借りした「熊除け鈴」を返却(保証料の2000円を受け取り)してから、奈良井駅近くの朝車を停めた駐車場に到着しました。ちょうど昼時でしたので宿場のお蕎麦屋さんで昼食にしましたが、値段も味も観光客相手で感心しませんでした(昔、馬籠のレストランでで出された乾ソバでのざる蕎麦よりはまだマシか・・・)が、更に酷かったのは、壁に掛かっていた俳画の額。
そこには「そばはまだ 花でもてなす 山家かな  ばせを」とありますが、これって本来は、
  『 蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな 』 芭蕉
の筈。そして、その前書きに「弟子の斗従という人が伊賀上野の山家という地籍にあった芭蕉の住まいに、山路を歩いて訪ねて来た折の句」(新蕎麦にはまだ早いので、せめて山路に咲くソバの花で客人をもてなそうという趣旨)とされていますので、この俳画を描いた人が「山路」を地名の「山家」と勘違いしたのでしょう。しかし、そうと知らずに飾るのも、プロの蕎麦屋としては何とも恥ずかしくまた情けない(これじゃあ、「所詮観光客相手の蕎麦屋か」と思われても仕方が無いか・・・)。
 今回の峠歩きは、やはり登山に比べると遥かに楽でした。もし旅行に初めて来て古を偲びながら峠を歩いて宿場を観光するなら良いと思いますが、残念ながら途中の眺望も良くないので、弥次さん喜多さんや水戸黄門さまご一行同様に「中山道屈指の難所を歩いた」という以外は然程満足感や達成感は無く、多分トレッキング気分で再度歩くことは無かろうと思いました。