カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 東京滞在中、午前中の多少は涼しい内に少しウォーキングを兼ねて歩いてみました。但し、赤道直下のシンガポールで学んだ、“クソ暑い日の早歩きは禁物!”で、ただ汗が噴き出るだけですのでゆっくり歩きます。それにしても、今年の猛暑は一体どうなっているのでしょうか!?

 この日は麻布台から神谷町へ下り、愛宕神社の下のトンネルをくぐって虎ノ門へ。この隧道は、東京都の東京タワーや芝公園に近い愛宕山を貫いている昭和初期に掘られたトンネルで、正式名称は「愛宕隧道」。この愛宕山の上にはNHK放送博物館や愛宕神社があります。
余談ですが、私が子供の頃って、NHKへのリクエストハガキなどの応募先住所って、現在の渋谷の放送センターではなく、確か日比谷の「内幸町」だった筈です。
あの玉音放送も、阻止しようとする陸軍から守り通したレコード盤を使って、この内幸町に在った旧放送会館から放送された筈。それが出来る以前は愛宕山に送信所を兼ねた建物が在って、それが現在の愛宕山の「NHK放送博物館」なのだそうです。いつか、神社に参拝したら併せて見てみたいと思っています。
因みにこの愛宕隧道は、東京23区内にある唯一の“道路山岳トンネル”(要するに山をくり抜いたトンネル)だと言われているそうです。愛宕神社へ上る参道の86段の石の階段は「出世階段」とも呼ばれ、3代将軍家光の時代の逸話として講談等でもお馴染みです。以前虎ノ門のマンションに長女が済んでいた時に、家内は長女のビジネスの成功を祈願するために何度か愛宕神社へお参りしたそうです。
 「(子供たちのために)お参りして行く?」
 「いや、この暑さに階段上りたくない。今度秋以降に来た時にお参りする!」
と、今回は回避させてもらいました。

 虎ノ門ヒルズは何棟目かの新しいステーションビルが完成し、これに伴い地下鉄虎ノ門の駅も改装されたのだとか。個人的にはあまり関係無いので、「はぁ、左様か・・・」程度の感想しかないのですが・・・。
むしろ個人的に興味を持ったのは、虎ノ門ヒルズの森タワーからオーバル広場に抜けて行く途中、フロアの隅に展示されていた人間大の白い“像”でした。その説明書きに由ると、
『22世紀のトーキョーからタイムマシンに乗ってきました。ネコ型ビジネスロボット、トラのもんです。』
という、どこかで聞いた様なセリフの人形が鎮座しています。これが、虎ノ門ヒルズのキャラクターとして誕生した「トラのもん」なのだそうです。これ、イイなぁ・・・グッズ欲しいなぁ・・・。
 「ネェ、ちょっと何してんのぉ!?もう行くわよ!!」
(えっ、あっ、残念・・・。でも、この遊び心イイなぁ、“座布団一枚!”級だなぁ・・・)

因みに、本家本元のドラえもん・・・。
テレ朝が入る「六本木ヒルズ」のメインエントランス前の玄関口「66プラザ」に、この夏もドラえもんが登場!その名も「ドラえもん広場」とやらで、プラザ名に因んで66体のドラえもんが並んでいました。
ドラえもんと一緒に写真を撮りたかったのですが、若い子や子供たちしかおらず、イイ歳をした年寄りが独りでその中に入って行くのはさすがに恥ずかしく、泣く泣く諦めましたが、未だに心残り(・・・でした・・・)。
 話を戻して、愛宕山方面から来て虎ノ門ヒルズへの階段を上って、新橋側入り口から入った森タワーの2階。大きなガラス窓越しに見えるスッテプガーデンの緑に囲まれて、開放感溢れゆったりした雰囲気のアトリウムと軽井沢のカフェベーカリーのサワムラがあるのですが、その真上の3階に松本の「そば切りみよ田」が出店しています。
こちらの森タワーは、カジュアルな「虎ノ門横丁」のあるビジネスタワーと比べると人も少なく、とても静かで落ち着いた雰囲気です。
以前長女が虎ノ門ヒルズ近くのマンションに住んでいた時に、コロナ禍の影響もあったのかもしれませんが、「みよ田には殆どお客さんが居なかったけど、大丈夫かなぁ?」とヒトゴト乍ら心配していました。そのため気になって覗いてみると、その日は平日ですがほぼ満席で、順番待ちリストにも何組かの記名がありました。
この東京に、しかもヒルズのビジネスタワー側のすぐ横には、道路を挟んで老舗蕎麦屋の「砂場」が店を構える虎ノ門に「みよ田」は出店しています。
その虎ノ門の「砂場」は、秀吉の大坂城建設時に資材の砂置き場に蕎麦屋を開店したことに由来するとされ、家康が天下を統一した際に江戸に下って「大坂屋砂場」を始め、江戸三大蕎麦の一つに数えられているという、その「砂場」本家から明治初期に暖簾分けをした店なのだとか。今の木造の建物は関東大震災も東京大空襲も潜り抜け、虎ノ門ヒルズなど一体の建設での道路拡張工事のため、家の土台毎今の場所に曳家工法により、何メートルか奥に移動しています(下の写真は曳家工事後、2年前の「砂場」です)。
そんな150年も続く老舗蕎麦屋のすぐ近くへ、東京では無名の信州の蕎麦屋の出店だったのですから、おそらく何年も掛かったのかもしれませんが漸くお客さんが定着した様で、こちらもヒトゴト乍ら同郷の人間としては何となくホッとした次第。
松本にも明治10年創業の「弁天」や同じく明治末期創業の「こばやし」という老舗の蕎麦屋さんもあるのですが(私が子供の頃は松本の蕎麦屋はこの二つくらいしかなく、地元での人気を二分していました)、「そば切りみよ田」はそれらに比べて遥かに新しく、2005年に王滝グループが日穀製粉から経営を引き継いだ店なのです(尚、長野市にも「みよ田」がありますが、こちらは今でも日穀製粉が自社のアンテナショップ「そば処みよ田」として経営しています)。
店頭には、松本か豊科か、自社(王滝グループ)の製粉工場(小木曽製粉所)から届けられたと思われる、この日の信州産の蕎麦粉の原産地名がメニュー表にしっかりと記載されていて、何だか「ガンバレ!!」と声を掛けたくなりました。

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