カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先日、城山公園の「憩いの森カフェ」で休憩した時に、頼んだカフェラテのカップが素敵で気に入った家内が、マスターにお聞きすると茅野市在住の陶芸家の作品とか。こちらのカフェではギャラリーも兼ねているのですが、その方の作品は無かったので、ネットで調べてみると茅野市の八ヶ岳の麓に陶芸作品などのギャラリーを兼ねた古民家カフェがあり、紹介記事の写真の中に似た様な器が写っていたので、行ってみることにしました。
家内は、次女の横浜に行っていない時は、ほぼ毎週お義母さんの世話に茅野の実家には行っているのですが、その時だとなかなか時間が取れないからと、その八ヶ岳山麓の古民家カフェでのランチと併せて、街に下って諏訪の角上魚類にも寄って買い物をして来ることを条件に、茅野まで一緒に出掛けることにしました。

 その古民家カフェは茅野市湖東(「こひがし」と読みますが、諏訪湖畔ではなく八ヶ岳山麓に拡がるエリアで、国宝土偶“仮面のヴィーナス”が出土した「中ッ原遺跡」も同地区内)にある「陶仙房」という店名。
昭和初期の趣ある農家を改装し、陶器やガラス、漆器、木工など、地元作家の作品を展示しているギャラリーカフェです。陶芸教室なども併設されていて、県外からも訪れるという人気のカフェだそうですが、カフェは金土日しか営業していないとのこと。
初めてなので、ナビに住所をセットして行ったのですが、大体のイメージでは尖石考古館の上の方という認識で、ナビを頼りに車を進めます。
四駆の軽のナビが検索しにくいので家内にナビゲーターを任せ、その案内で走って行くと、何だかだんだん一年前に亡くなった父方の叔父の家の方に近付いて行きます(住所は確かに湖東なのですが)。
曲がるべき道を通り越して、少し走ってUターンして引き返してきたのですが、その途中に間違いなく叔父の家・・・。
 「おいおい、ここ叔父の家だってば!」
すると家内曰く、
 「そう云えば、この前叔母さんが家のすぐ近くカフェがあって、最近凄く人気みたいだから、一度来てみたら!って言ってた・・・」
そうと知った“After”は、まるで“何ということでしょう!?”でした。

集落の狭い道を少し上って行くと、看板があり到着。広い空き地の様な駐車場に車を停め、畑脇の木道の様なアプローチの小道を歩いて、古民家へ向かうと、「陶仙房」の看板が入口に在りました。
玄関を開けると、土間の様なスペースがギャラリーになっていて、陶器などが並べられていました。
店内は古材を活かしたウッディーな雰囲気。幾つか古いテーブルが置かれて、既に何組もお客さんがおられます。窓側の二人用の席に案内いただきました。
先に、お昼のランチメニューの中から「里山の四季のおにぎりプレート」と「陶仙房の石窯パンプレート」(各1100円)と飲み物(ランチと一緒だと、△50円引きとか)を注文して、待つ間、ギャラリーの展示品を見させていただきました。残念ながら、城山のカフェのカフェラテ用に使っていたカップはここに展示されている作品では無いようです。
 こちらのランチは、陶仙房の畑で採れた野菜や地元農家の安心安全な有機野菜、食材等が使われているそうで、両方試せばと思い頼んだ、家内のおにぎりプレートと私メのパンプレート。
サーブされた時に、スタッフの方が料理と食材の説明をしてくれました。
「陶仙房の石窯パンプレート 陶仙房の石窯パン2種とキッシュ、地野菜のプレート」は、石窯で焼いたという自家製パンと、そのパンに付けるのは何とほうずきジャム。そして野菜が入ったキッシュと蓼科千年豆腐という地元の豆腐の厚揚げに素揚げ野菜。汁物にポタージュスープ。そしてデザートにリンゴゼリーも付いています。
一方、「里山の四季のおにぎりプレート」は、地元産の米と黒米のおにぎりと季節の地野菜、千年豆腐の和のプレートで、梅漬けを混ぜた地元産のお米と古代米のおにぎり。玉子焼きにかぼちゃの煮物と小豆。千年豆腐の厚揚げと自家製の凍み大根の炊き合わせ。同じく素揚げ野菜、そして蕗、葉ワサビなど旬の野菜の煮物やおひたし。お味噌汁。同じくデザートにリンゴゼリー。
タマゴは使ってはいますが肉や魚類は一切使っておらず、ベジタリアン向けの料理とでも言えそうなヘルシーランチです。
家内から古代米のおにぎりを半分貰いましたが、上に載せられた蕗味噌が良いアクセントで美味しかったです。また、野菜のお浸しの中にあったのがカンゾウとのことで、最初に説明ただいた時に驚いて、思わず聞いてしまいました。
 「えっ、カンゾウって野山にあるヤブカンゾウですか?」
 「はい、庭のその辺りに出ています。新芽が食べられるんです。」
と、窓から見える庭や畑を指して教えてくれましたが、全く知りませんでした。ヤブカンゾウ(或いはノカンゾウ)は野山や畑や道路の脇など、それこそどこにでもある雑草で、夏頃、ユリに似たオレンジ色の花を咲かせます。お浸しは、何となく“匂いの無いニラ”とでも言えそうなシャキシャキした食感で、家内は美味しいと言っていました。それにしても、誰にも見向きもされないあの道端のヤブカンゾウとは・・・。一つ勉強になりました。
まぁ、ハーブが日本でブームになる前に、フランスで“春告げ草”として人気のハーブの種を取り寄せて植えたら、日本でもそこら中に生えている西洋タンポポだったという逸話を、ハーブ研究家の女性の方が書かれたエッセイで昔読んだことがありますが、うーん、そんなものかもしれませんね。
(「陶仙房」に向かうアプローチ脇のヤブカンゾウの群生。ここのを採ったのではないと思いますが、それこそそこら中に普通に生えています)
また、家内に寄れば、茅野市の凍み大根が以前TVで取り上げられていたそうですが、もしかしたらこの「陶仙房」だったのかもしれないとのこと。
昔はどこの農家でも厳冬期に春からの農作業での“お小昼”用に凍り餅を作っていましたが、この凍み大根は我が家では見たことがありませんでしたが、茅野では一般的だったようで、こちらも野菜が無い時の保存食なのでしょう。大根は凍らせることで細胞が破壊され、煮ると生よりも味が滲み易くなります。いずれも、茅野が全国的に知られる寒天の産地の様に、冬の寒さを活かして江戸の昔から伝えられてきた、云わば“フリーズドライ”食品です。凍み大根は、いずれも自家製というほうずきジャムなどと一緒に店内でも販売されていました。
「陶仙房」のランチプレートはどちらも見た目以上のボリュームで、結構お腹が一杯になりましたが、県外からの方々も含めどうやら「おにぎりプレート」の方が人気の様でした。
食後のドリンクに選んだのは、私が陶仙房石窯焙煎というオーガニック豆 の浅煎りコーヒー、家内がアッサムティー(ポット)で、暫しのんびりした時間を過ごすことが出来ました。

 それにしても、蓼科がいくら人気の別荘地とはいえ、街中からは結構離れたこんな田舎の集落の中に、県外からも訪れるという人気のカフェが在る、しかも叔父の家とは目と鼻の先だったなんて・・・大いに驚いた“発見”でした。
今度、叔父のお墓にお線香をあげがてら、また「陶仙房」に来ようと思います。

 車社会の到来に伴う郊外大型店の増加、更に近年の少子高齢化などにより、各地で市街地の空洞化やさびれた“シャッター通り”商店顔の増加、そして地方デパートの閉店などが問題になっていますが、遂に松本もヒトゴトではなくなりました。

 ある意味“商都松本”の顔でもあった、松本パルコが2025年2月末で閉店、イトーヨーカドー南松本店が同年1月で閉店。どちらも全国的な不採算店舗整理の中での一環なのですが、他にも明治初期からの呉服店がルーツで、地元の老舗デパートだった井上百貨店本店が店舗の老朽化などを理由に、来年3月末で営業を終了し、井上が運営する郊外の山形村に在るショッピングモール内のデパートエリアへ統合することになりました。
 井上は、私が子供の頃は西堀に在ったのですが、駅周辺が市街地の中心になって行くことに伴い、1979年に駅近の現在の場所に新築移転し、その後全国各地で地場の百貨店が大資本のデパートや総合スーパーの進出で相次いで閉店に追い込まれる中、長野県内でも長野市と諏訪市にあった丸光百貨店が、それぞれ2000年と2011年に経営や名称変更などの紆余曲折を経ながら無くなっている中(長野市ではまだ「ながの東急」が頑張っています)、井上は途中地銀の支援も受けながら頑張っては来たのですが、45年経ったビルの老朽化で配管などは部品も無く交換もままならないことから、自身の運営する郊外のショッピングモールへの統合移転をするとのこと。

 我が家も同様ですが、昔はお中元やお歳暮、また冠婚葬祭などでの“お使い物”の贈答品は必ず井上で頼むなど、松本市民にとって井上の包装紙がクオリティーの証であり、ある意味信頼のシンボルでもありました。
勿論、車社会に伴う郊外店の隆盛、大型資本の購買力や情報化社会でのオンラインショッピングの便利さといった時代の荒波には、いくら地方の一店舗が努力しても抗えない面もあったことは事実でしょう。しかし、果たしてそれだけなのでしょうか。自身の経営、体質に問題は無かったのでしょうか?その結果、ある意味今回の閉店は必然では無かったのでしょうか?

 過去、ブログに記載した内容ですが、これらは直接名指しをしていませんが全て「井上」に関するものでした。敢えて関係部分のみを抜粋して再掲します。
【その一】
『(前略)事前に見た地元のローカルデパートとは大違い・・・でした。但し、私が感じた一番の違いは、都会と田舎という規模からしての品揃えといったハードの差ではなく、むしろソフトの差・・・でした。
というのは、都会の老舗デパートの呉服売り場では、とっくに本来の定年を過ぎた様なベテランのスタッフの方を何人か揃えていて、お客さんにアドバイスをする、或いは客の質問にも昔と今の違いを踏まえてちゃんと答えられる・・・。まさに“亀の甲より年の劫”で、その豊富な知識の量が田舎のデパートとは全然違うのです。
しかし、昔は地方のデパートにだって絶対にそうした地元の特色ある“しきたり”や独特の慣習を良く知ったベテランスタッフがいた筈なのです。そしてそれこそが、品物の品質だけではない、老舗への信頼だった筈。
いくら市場としてのニーズとデマンドの差とはいえ、人件費削減か、高いベテランスタッフを切って安い若手に切り替える・・・。そうした有能な人材を簡単に切ってきたからこそ、いくら売り場を今でも確保していても真の客のニーズを捉え切れず、本来なら、そして昔なら、いとも簡単につかんでいただろう地元のニーズを逃がしてしまって、オンラインや首都圏のデパートに取られてしまっている・・・そんな身から出たサビの“いたちごっこ”の繰り返しなのではないでしょうか・・・。
もしそれがコストに見合って利益に繋がっているなら、別に何の後悔もする必要はないのですが、地元で購入するつもりで、「筥迫(はこせこ)」を探して聞いても「えっ?」と絶句したきり何も答えられなかった田舎の“老舗”デパートの若い店員さんと、「あっ、それは・・・」とすぐに答えてくれ、しかも最近のお宮参りと七五三の状況をふまえてアドバイスをしてくれた都会のデパートの“お婆ちゃん”スタッフとの差に、そんな感想を持った次第です。
 昔、本ブログに “町の電気屋さん”の生き残り策としての、大手家電量販への対抗策は、サザエさんに登場する“三河屋”の三平さんの御用聞き、それは例えば老夫婦世帯の切れた蛍光灯の交換作業とか、そういった町の小さなニーズを如何に取り込むかだと書いた記憶があるのですが、衰退する田舎の老舗デパートも、もしかするとそうした地元の町の小さなニーズを取りこぼして、全てを時代の“せい”にしてきたツケで、それは“身から出たサビ”、或る意味時代変化についていけなかった“自業自得”なのかもしれない・・・と新宿の老舗デパートで家内の買い物に付き合いながら感じた次第。』(第1863話より)
【その二】
『(前略)事前にローカルデパートのデパ地下へ。買い物はメインの付け合わせにするサラダだけなのですぐに済みますが、路上駐車はいけないだろうと、買い物をすれば指定駐車場は無料になるので、デパート横の駐車場へ停めてデパ地下へ。するとあろうことか、総菜コーナーのサラダは全て売り切れで全然無し・・・って、まだ夕食前の夕方5時ですよ!(都会なら、これから仕事帰りの若いお母さん方やOLの皆さんが来られて、色々今晩のお総菜を買って帰る時間でしょうが!!)
「えっ!?」と絶句して、止む無く何も買えずに戻ったのですが、今度は駐車場代が僅か5分足らずで300円・・・(これにも絶句)。
 「あぁ、こんなんじゃ自分で自分の首を絞めてる様なモンだよナァ~、田舎のデパートは・・・」
と、これまた絶句!(経営者は果たしてこういう実態を分かっているのでしょうか?)』(第1734話より)
以上が以前書いた内容の抜粋でした。

 昔(半世紀近くも前ですが・・・)、成人式の時、祖父母からのお祝いで初めてのスーツ(当時は背広って言ってました)を購入するため、松本に帰省した折に父に連れられて井上に行って、当時井上の部長さんだったお隣のオジサン(紳士服の担当では無かった筈ですが)に見立てをお願いしたことがありました。当時の主流は三つ揃い(スリーピース)でしたが、何着か選んでもらった中からアドバイスも踏まえて決定しました。その時に、オジサンがお祝いにとブレザーをプレゼントしてくれました。「これが絶対似合うから」とご自分で選んでくれたのは、個人的には正直「ちょっと地味過ぎないかなぁ?・・・」と思った、チェックの柄のこげ茶色のブレザーでした。
その後社会人になって、やがて三つ揃いスーツは流行遅れで着なくなりましたが(年中“夏バテ”気味だったシンガポールでの海外赴任から帰国後、お腹一杯食べられる様になって、結果少々ズボンのウェストがきつくなったこともありますが)、ブレザーはそれこそ冗談では無く、定年まで何の違和感もなく着ることが出来、40年も前のあの時のオジサンの見立てに感心し、また感謝した次第です。
こうしたノウハウを持った信頼出来るベテランのスタッフの方々が、井上にもたくさんおられたのだと思います。
建物の老朽化で代替が効かぬ部品が手配不能になるよりも先に、もしコストカットでベテランを排除するというなら、自らが持っていた本来替わりが効かなかった筈のベテランの、せめてそうしたノウハウをどうして若手に引き継げなかったのか!?

 「筥迫(はこせこ)」という言葉を即座に理解し、お宮参りから七五三までの最近の流行りや傾向まで教えて下さった新宿高島屋の呉服売り場の、恐らく定年をとうに過ぎたであろうベテランの契約スタッフと、問いに対し「えっ?!・・・」と言ったきりで何も言葉が返って来なかった井上の呉服売り場の若いスタッフ。客の出す答えがどちらを選ぶかは必然でしょう。
但し、新宿高島屋に全く在庫が無ければ、それは単なるアドバイスに終わってしまい、地方から上京した一見の客は、もし次に来る機会が無ければAmazonなどのオンラインショッピングに流れてしまうのですが、ちゃんとその時の高島屋には多少なりともストックがあって、その場での実際の売り上げに繋がったのです。
片や、その若手スタッフがもし自身で分からなかったことを反省して、自分で調べて次のノウハウに変えたり、或いは上申してその後の品揃えに反映する(或いは在庫を持たずともカタログを用意して、その場で客の要望を聞いてすぐ発注出来るようにする)などすればともかく、仮にもしその場で“のど元過ぎれば”で何も対応せずに終わっていたとしたら・・・。
そうした日々の売り上げにも記録されない小さなケースの(しかも負の)様な事象が長年積み重なった結果の、今回の「井上」本店の閉店では無かったのでしょうか。
例え物理的な背景に、車社会到来に伴う郊外への大型店進出や大資本の全国展開、そして最近の情報化という時代の荒波に抗えなかった面も勿論あるとしても、むしろそうしたハード面での外的要因以上に、直接的には目に見えないソフト面が内的要因として、自らの対応が招いた必然的結果ではなかったのでしょうか。

 松本は4月7日に開花宣言が出されました(気象庁の松本測候所が2007年に無人化されて以降、測候所内の標本木ではなく、松本城管理事務所の市の職員が代わって観察するお城の内堀のソメイヨシノが開花宣言の基準木として観察対象に変更され、それまでの高台にある沢村の測候所時代より開花日が数日早くなっています)。
春のお彼岸前後の冷え込みの影響で、当初3月30日だった松本城の開花予定が延びたのですが、開花から満開までが長かった東京などとは異なり、開花後の暖かさで松本ではあっという間に満開になってしまいました。
我々は8日から5日間箱根に行っていたのですが、松本城や街中の桜はその間に満開を迎えてしまいました。

 そこで、箱根から戻って、14日に城山公園から“城山トレイル”の遊歩道をアルプス公園まで、朝のウォーキングを兼ねて歩いてみることにしました。
途中、宮淵から始まる急坂の途中に在る丸ノ内中学の校庭の桜は満開で、中には既に散り始めた木もあります。
車道をショートカットする城山公園へ続く桜並木のトンネルを抜けて、城山公園へ。城山公園含め、市内の桜のスポットは桜まつりが開催中で、城山公園も園内は期間中一方通行で係員が誘導していましたが、既に満車。開花後の暖かさで一気に開花が進んだようで、500本という城山公園の桜は満開です。開花三日目の10日から松本城のお堀が17日までライトアップされていますが、この分ではお城の桜はもう散り始めているかもしれません。
城山公園内には屋台も出て、家族連れやグループが思い思いにお花見の場所取りをしています。人が不在でブルーシートが敷かれた場所は、お昼の宴会用なのでしょうか。
この城山公園は、解説によると『江戸時代の天保十四年(1843)に松本城主であった戸田光庸が、犬甘城址に桜や楓数千本を植え、領民に開放したことがきっかけとなり、明治六年(1873)の太政官布告に基づいて、明治八年(1875)に長野県(当時は筑摩県)で初めて公園に指定されました。』
城山公園は、江戸の昔から松本市民の憩いの場でもあります
 さて、我々は桜よりもウォーキングで、勝手に“城山トレイル”と名付けた城山からアルプス公園までの遊歩道を歩きます。
城山公園にある石碑に標高665.7米とあり、途中鳥居山(743m)を経てアルプス公園の最高地点は標高775mとのこと。
車の表示に依ると、渚の我が家のマンションの駐車場は575mでした(市街地は平坦で、お城の横の市役所の標高は592mです)が、渚から宮淵までは平か(奈良井川が流れ下るので)なだらかに多少下っているかで、そこが城山々系の先端部分で、宮淵から丸ノ内中学を経て、城山公園からアルプス公園手前の鳥居山(743m)を経てアルプス公園まで城山々系の尾根沿いの遊歩道はちょっとしたトレッキング気分を味わえます。この城山々系の最高地点が里山である芥子坊主山(標高891m)です。
マンションからは、城山公園までが距離2.5㎞で標高差90m、アルプス公園が3.5㎞で標高差200mということになります。
遊歩道は僅か片道1.1㎞と表示されていますが、トレイルランの練習をされている方や、我々同様ウォーキングをされている方々が結構おられます。

林の中を登って行く遊歩道の脇には、咲き始めた真っ赤なボケやタチツボスミレの群生が見られます。桜の様な華やかしさも、また桜の様に見とれてくれる人も少ないのかもしれませんが、それはそれで彼らも立派な春の風情です。
この城山トレイルの春の楽しみの主役は桜だとして、その後はナラの新緑から夏の林の緑陰、そして秋の紅葉と、途中残雪の北アルプスの峰々も眺めながら、気持ちの良い里山の遊歩道です。眼下に拡がる安曇野の田んぼに水が張られ、水鏡となって残雪の常念を映すのも、もう間も無くでしょうか。
 アルプス公園の手前、遊歩道の終点となる鳥居山に展望台となる東屋があり、そこで残雪の北アルプスを眺めながら小休憩の水分補給。そして車道に出てアルプス公園へ。
市中から車で僅か10分足らずで来られる都市公園でありながら、高台に在って標高も高いので信州の高原気分も味わえ、70haを優に超えるという広大なアルプス公園には昔の県の種畜場時代からの桜も含めて1300本の桜があり、以前は市街地とは1週間以上遅れて咲いたのですが、このところの暖かさで既に木によっては5分咲きから8分咲きでしょうか。東京などは今年の桜は長く楽しめたようですが、信州の桜は今年は短そうです。
広いアルプス公園には桜の他にも、真っ白な辛夷(コブシ)の花が咲き揃い、“北国の春”の訪れを桜よりも先に報せてくれていました。
遊歩道を城山公園まで戻り、公園脇の「憩いの森カフェ」に立ち寄り、気持ちの良いテラス席で、私メは自家焙煎の浅煎り珈琲(深煎りも選べます)、家内はたっぷりのカフェラテで暫し休憩して、また来た道を下って家に戻りました。
 同じ日、庄内のショッピングモールのホームセンターに買い物に行く用事があり、そこの駐車場から弘法山を撮影してみました。頂上に東日本最古の前方後方墳がある弘法山は、古墳発見後地元の方々が整備して山全体に植えた4000本もの桜で、お椀を伏せた様な小山全体が薄いピンク色に染まり、まるでふわっと浮き立つようです。遠目にも古墳の在る頂上にもたくさんの人が居るのが見えました。
 そして3日後の17日。この日が松本城の桜のライトアップの最終日なのですが、午前中コユキも一緒に松本城までウォーキングに行ってみました。コユキはそんなに歩いてくれないので、途中で疲れたらリュックに入ります。
お城には平日なのに、インバウンドの外国人始め、たくさんの観光客が来られていましたが、300本という肝心の松本城の桜は残念ながらもう葉桜でした。
皆さん桜にばかりで余り見向きもされないのですが、大株の紅白のボケの花が色鮮やかでした。

 松本の今年の桜はこれで終わりです。
『 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 』(在原業平)
とは言うものの、また来年・・・。

 今回の箱根行の実質最終日。金時山登山から戻って少し休憩してから、ランチがてら「ガラスの森美術館」へ行ってみることにしました。

ドッグヴィラのホテルが同じ仙石原で近いので、箱根に来ると毎回その前を通るのですが、今まで一度も入ったことは無く、入口付近のクリスタルで装飾された木々が、特に夜はライトアップされてキラキラ光って素敵なので、一度は見たいと思っていました。
 この「箱根ガラスの森美術館」は、日本初のヴェネチアン・グラス専門の美術館で、大涌谷を望む仙石原の敷地内に、庭園と池を中心にして中世のヨーロッパ貴族の別荘をイメージしたという美術館やカフェレストランなどの建物が配置されていて、美術館にはルネサンス時代に作られたワイングラス、大皿、置物などのコレクションを通して、16〜20世紀までのヴェネチアン・グラスの歴史を鑑賞することが出来ます。
また、そうしたコレクションだけでなく、園内には四季の花々と木々や花を模したガラス工芸の作品もあちこちに展示されていて、大涌谷の借景を背景に自然の植栽と人工物のガラス工芸作品が違和感なく調和しているのも面白い。特にこの春の季節を表して、4万粒のクリスタルで創られた400房が咲く藤棚や、箱根町の木という山桜を模したという5万粒のクリスタル山桜と3万8千粒のクリスタル枝垂桜などのガラスのオブジェなどが飾られていて、コレクション以上に箱根の自然のとの共演が目を楽しませてくれます。







 見終わった後のランチは、館内のイタリアン「カフェレストラン・ウカイ」で。
二人共、金時山の金太郎茶屋でお汁粉とキノコ汁に更に行動食も食べたこともあって、それ程お腹も空いていなかったので、簡単に私はボロネーゼ、家内は和栗のモンブランをセットで頂くことにしました。
因みに、レストラン名にもありますが、長女が麻布台のマンションに住んで居た時に、彼女の愛犬マイを連れて良く散歩に行っていた芝公園の横に在る豆腐懐石の「うかい」のパンフレットが館内に置いてあったので不思議に思い調べてみると、経緯経過は分かりませんが、「ガラスの森」はその「うかい」グループが運営する美術館なのだと知りました。恐らく創業者が個人的趣味で集めた骨董を展示するために開いたのでしょうか。
6年前、初めての箱根旅行の時に楽しみにして行った岡田美術館。せっかくの展示作品の学術的説明も不十分で、単に骨董趣味の金持ち老人がその資金力に任せて集めただけの“成金趣味”としか感じられずがっかりしたのですが、当時その時の印象を『日本と東洋の陶磁器は見事でしたが、例えばポーラ美術館の印象派、山種の近代日本画といった様な中心軸がハッキリせず、ただ闇雲にジャンルに関係無く収集された絵画は、収集や展示の時代区分が飛んだりこじ付けだったりして、些か強引な感じがしました。』とブログに書いていました(第1386話参照)。その岡田美術館程では無いにしても、こちらの「ガラスの森美術館」も、大変失礼ながら、何となく“これ見よがし”な印象を禁じ得ないのは、どちらも創業者が本業とは関係無く趣味で集めたからなのでしょうか。
ただ、スワロフスキーの様な装飾品のショップもあって、女性の皆さんには喜ばれるでしょうし、美術館の展示よりむしろ、四季折々の花が咲く庭園とクリスタルのオブジェはおりなす景観と雰囲気は確かにとても素敵なので、ご婦人のグループやカップルなどの若い皆さんはきっと気に入られると思います。個人的は、例え企画展の内容が変わってももうイイかな・・・。残念ながら、ポーラ美術館の様にまた訪れたいという気持ちは湧いてきませんでした。それにレストランも、ポーラ美術館やルネ・ラリック美術館の方が個人的には美味しく感じましたし、ガラスの森とは違って双方とも館内に入らなくても食事だけでの利用も可能ですので・・・。

 さて、今回の4泊5日での春の箱根行。
長期予報では“菜種梅雨”とのことで、富士五湖道路でせっかく富士の裾野を走る行き帰り共に小雨混じりで、富士山はすそ野まですっぽりと雲の中。そのため、当初は滞在中のシーズン最初となる金時山登山も難しいかも?と思いながら、車なので“ダメ元”でもと登山支度は持って来ていたのですが、幸い直前になって滞在予定中の晴れマークの日もあって、何とか登ることが出来ましたし、トレーニング目的とは別に、しかも5回目の金時山で二度目の富士山をしっかりと拝むことが出来ましたので大満足!(お陰で、初めて金太郎茶屋も利用しました)。
逆に、雨でも傘をさして行けるからと思っていた小田原漁港のいつもの地魚丼だったのですが、箱根町で150ミリという、しかも横殴りでの土砂降りの大雨で、残念ながら外出は断念せざるを得ませんでした。そのため、楽しみにしていた地魚は食べられませんでしたが、その代わりに、小田原漁港から仕入れているという仙石原の居酒屋で何とかアジフライだけは食べることが出来ました。
滞在中、金時山だけではなく、二度目となるポーラ美術館をゆっくり楽しめましたし、ガラスの森美術館も今回初めて鑑賞することが出来ましたので、まずまずの箱根行でした。
小田原漁港で食べる地魚の「どど丼」は、“また来年のお楽しみ”に取っておくことにします。

 箱根4日目。実質最終日となる4月11日。この日は金時山登山です。
前日の方が天気は良かったのですが、一応この日も晴れではありましたが少し雲が掛かっていました。ですので、金時山の山頂から富士山が見えるかどうか気になる所ではあります。
金時山登山は今回が私は5回目になるのですが、富士山がしっかり見えたのは初回金時(公時)神社からのルートで11月に登った時だけです。因みに、奥さまは2年に亘って参加したクラツーの「女性のための登山教室」の初回がこの金時山だったそうですので、彼女は今回が6回目となるのですが、初回は雨模様だったとのこと。登山教室の初回が金時山ということでお分かりの様に、この山は登山初心者向けの人気の山。また我々の様に、シーズン最初の登山でも手軽に登れる格好の山なのです。
昨年の夏以降、家内が毎月次女の所に家政婦で手伝いに行っていることもあり、二人共日頃殆ど歩いてこなかったので、今回のシーズン初登山も前回同様「はこね金太郎ライン」の「金時見晴パーキング」まで車で行って、そこから矢倉沢峠を経て登る、金時山登山のルートの中での最短コースにしました。
見晴らしパーキングからは、登山口の標高が初回の時に登った金時神社コースより160mほど高く、最短で手軽に登ることが可能なルートです。コースガイドに依れば、標高差360mで、標準コースタイムで登りが1時間05分 で下りは50分とのこと。

 35台という広い駐車場には既に10台ほど駐車されていて、我々も準備を済ませて朝7時50分から登山開始です。
去年登った時は4月中旬だったのですが、笹原の登山道には真っ赤なボケの花が一杯咲いていたのですが、今年は1週間ほど早いせいか全く咲いていませんでした。
初心者向けとはいえシーズン最初の登山ということもあり、ゆっくりと歩を進めます。一昨日の土砂降りも、昨日の快晴のお陰で、幸いこの日の登山道には殆どぬかるんでいる箇所はありませんでした。
途中、登山道の脇にはタチツボスミレか、薄紫の可憐な姿で迎えてくれました。
 『 山路来て 何やらゆかし すみれ草 』
スミレを見ると、どうしてもこの芭蕉の句を思い出してしまいます。
笹原を抜け、林になると木々の芽吹きは未だの様で、そんな中に時折山桜や馬酔木が咲いているのが見えて心が和みます。途中、振り返ると箱根最高峰という神山の中腹に煙を上げる大涌谷が見えます。登り始めてから30分程で順調に分岐に到着し、そこのベンチで小休憩し水分補給です。
 金時山は初心者向けの人気の山なので、登山道もかなり整備されています。しかし山頂に近付くにつれ、突き出た猪の鼻に似ているとことから名付けられたという「猪鼻岳」という別名の通り、外輪山の溶岩が冷えて固まった岩山らしい本格的な急登が始まります。ですので、金時山は首都圏からアクセスも容易ですし、手軽であってもちょっとした登山気分が味わえるのもその人気の理由でしょう。
数年前は途中にあった鎖も、今はしっかり迂回の階段が横に造られていて鎖場は無くなっています。ただこの結構ルート上には階段が多くて、むしろ逆に疲れる気がします。
途中、昨年来た時は登山道脇の山頂付近の岩場に咲いていて写真を撮っていた方に教えていただいたコイワイザクラは、今年は未だ咲いていませんでした。
 1時間5分で8時55分に1212mの金時山山頂に到着です。ゆっくり来た割にはほぼヤマケイのコースタイムで登って来ました。
今回は、目の前に富士山が全景を見せてくれていて、その雄姿に思わず歓声が上がります。因みに箱根方面からの登山道の途中では一切富士を見ることが出来ず、山頂に来て初めて富士が姿を現すので、見えるかどうかの期待感も手伝って見えた時の感激が倍増します。
前回は全く拝めなかったので、行動食を食べただけで10分足らずで下山しましたが、今回はゆっくりと二度目の富士の全景を眺めながら、せっかくなので、今回初めて金太郎茶屋で家内がお汁粉(800円)、私はシメジ汁(400円)を頂くことにしました。因みに金時山の山小屋のカレーうどんとなめこ汁が名物と書いてあるネット記事がありますが、カレーうどんは山頂に二つある山小屋の内、こちらの神奈川県側の「金太郎茶屋」の金太郎に掛けた「まさカリーうどん」で、一方この日も閉まっていましたが隣の静岡県側の「金時茶屋(金時娘の茶屋)」の方がどうやらなめこ汁の様で、こちらの金太郎茶屋のキノコ汁はシメジ汁でした。
熱々の味噌汁は温まりますし、またお汁粉の糖分が疲れた体には嬉しく感じます。そして、山頂で富士山を見ながら頂く(外のベンチのテーブルに運んでくれます)、このキノコ汁と家内の頼んだ甘いお汁粉(小さな角餅が4つ入っていたとかで、一つ頂きました)は富士の絶景と相俟って、おそらく同じモノを下界で食べた時以上に美味しく感じられました。
 今回は、雪を頂く頂から広く拡がった裾野まで富士の全景をしっかりと拝むことが出来たので、初めて金太郎茶屋を利用したこともあり、30分以上頂上で過ごしました。頂上にはそれぞれのルートから登って来られた10数名の方々が、思い思いにその絶景を楽しんでおられました。中には一人で登って来られたご婦人が携帯電話で、お友達にその景色を報告しながら、次回登山で入笠山へ一緒に行く計画を電話で話しておられ、思わず「!?」。
下りは、前回に比べると思いの外登って来られる人が少なく、道を譲り合う回数も少なかったのか、これまたコースタイム通りの50分で見晴らしパーキングへ下山しました。前回は駐車場が空くのを待っている車がいて、直ぐにスペースを譲りましたが、この日はまだ数台分のスペースが空いていました。そこで、登山口に用意されている、タライの水とブラシで登山靴の泥を落としてから帰路につきました。

 今回の金時山が我々のシーズン初登山で、事前のトレーニングも殆ど無かったので家内は少し心配していましたが、思いの外登れた由。ただ、次回の登山は下山時にストックを使った方が膝には良さそうとのこと。
そこで次回は、家内が次女の所から戻るGW頃に、いつもの三城からの百曲がりコースで美ヶ原(一応百名山です!)へ登ろうかと思っています。
【追記】
写真を見て気が付いたのですが、静岡県側の山頂に在る「天下の秀峰 金時山」という碑が「きんときざん」となっていますが、2年前に登った時は「きんときやま」とルビがふられていました。調べてみると「ざん」或いは「さん」と「やま」のどちらの呼称もあるようです。

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