カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 夏休みなどで、ファミリー向けの「三大交響曲を聴く!」と題した名曲コンサートなので演奏されるのは、「未完成」、「運命」、そして「新世界」というのが定番でしょうか。「未完成」が2楽章なので、演奏会構成としても収まりが良いというのも、その理由かもしれません。
ただ、青二才が“通”ぶって「今更・・・!」と嘯(うそぶ)いて意外と聴かないのも、こうした超有名曲なのかもしれません。
斯く云う私メもその一人でした。カップリングで入っていたのを除けば、学生時代に買ったLPや社会人になってからのCDの中には、こうした“名曲”はありませんでした(例えばドヴォルザークでは、7番と8番、それに所謂“ドヴォコン”はあっても、9番はナシ)。
 嘗ての名盤・名演が高音質のSHM-CDで構成されているのが魅力で、今回購読を決めた小学館の「クラシックプレミアム」全50巻(第830話参照)。その中には、作曲家の代表曲として、こうした入門編的な超有名曲も当然収められています(今回は、「運命」と「未完成」がクライバー、「新世界」がケルテスだったのも個人的には興味を惹かれました)。
これまで、シューベルトで歌曲やピアノ曲は聴いても、「未完成」始め交響曲は正直あまり聴いてきませんでした。
今回作曲家毎に分けられたシリーズの中で、シューベルトの一回目の配本(第10巻)で、「未完成」と一緒に「ザ・グレイト」と呼ばれる交響曲第9番(本シリーズではピアノ譜だけの7番をカウントせず、8番との表記ですが、やっぱり未完成が8番、グレイトは9番の方が馴染みがあります)を、初めてちゃんと(それこそ正対して)聴きました。
すると、これまで全く聴いたことがなかった訳ではなく、第一楽章から終楽章まで、記憶の片隅にある、どこかで(多分昔FMで)聴いたことのあるメロディーが次々に流れて来ます。「そうか、このメロディーはグレイトだったんだ・・・」と、最後までしっかりと聴いての感想。
 「これ、イイじゃん!」       

 解説によると、交響曲作曲家としては生前認知されなかったがために、シューベルトの死後10年も経って、墓参に訪れたシューマン(当時のシューマンは作曲家兼音楽批評家であり、若きブラームスを絶賛し世に出るきっかけを作ったのも彼)が、実兄の保管していた遺品の中から埋もれていたこの交響曲の楽譜を発見し(彼が「天国的な長さ」と評した逸話は有名)、すぐさま当時ゲヴァントハウス管の指揮者を務めていたメンデルスゾーンに依頼して初演されたと云います(シューベルト自身は、ウィーンフィルにこの曲を献呈したが、何故か評価されず、演奏会に取り上げてもらえなかったとか)。
600曲を超えるという“歌曲の王”に相応しく、第一楽章から終楽章まで、次から次へと美しいメロディーが泉のように湧き出て来ます。勿体ないほどに(変奏での繰り返しも無い)印象的な数々の旋律は、「ドヴォルザークのクズ箱を探せば、自分だったら立派な作品が書ける」と評価したブラームスなら、それこそあと何曲かは作れそうなほどの稀代のメロディーメーカーぶりです。因みにグレイトは「偉大な」ではなく、同じ調性の第6番と区別するための「大」ハ長調の意味だそうですが、むしろ文字通りの「偉大さ」を感じさせてくれる、1時間を超える大作でもあります。聴いていると、何となく後年のブルックナーにも繋がる印象を持ちます。
 今回、クライバー&VPOの「未完成」と共に収録されていた「ザ・グレイト」は、1979年のベーム指揮SKドレスデンの演奏会のライブ録音。ベーム晩年84歳での演奏会だそうですが、年齢を全く感じさせない、若々しくキビキビとした好演です。 

コメント

コメント追加

タイトル
名前
E-mail
Webサイト
本文
情報保存 する  しない
  • 情報保存をすると次回からお名前等を入力する手間が省けます。
  • E-mailは公開されません - このエントリーの新規コメント通知が必要なら記入します。

トラックバック