カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 戸隠神社中社の門前、大鳥居のすぐ前に店を構える戸隠蕎麦の「うずら家」。常に行列が絶えないという、蕎麦処戸隠だけに留まらず、県内でも屈指の超人気店です。
昨年8月末に来た時は、奥社参拝の後、中社への参拝途中で良く調べずに寄ったこともあり、2時間待ちの行列と言われてすごすごと諦めた店。
前回「どこでもイイから」と代わりに入った店が、イマイチ(サン!)だったこともあって、今回のお礼参りでは「何としても、一度は食べてみよう!」ということになりました。
そのため、休憩無しのノンストップで信濃町IC(長野市街通過の渋滞回避)から奥社を素通りして、先に中社へ下って確認すると、まだ11時(10時半開店とか)でしたが、既に30分待ちとのこと(店から奥へ150mほど行った先に、第3まである駐車場も、最後の一台分を残して満車)。店頭の受付表に名前を記載してから、その間を利用して先に中社へお参りをしてきました(お店の方も、都度呼び出すので、時間を有効に使って先にお参りして来るようにと薦めてくれますし、仮に戻れずに順番が飛んだ場合は、時々そうしたお客さんの有無を確認されていました)。

 待っている間にも、観光客(殆どは県外車)中心に次から次へとお客さんが来られ、我々の順番間近の頃には1時間待ちとのこと。この中社周辺には、さすが本場戸隠らしく、幾つもの蕎麦店(或いは蕎麦を出す宿坊)があるようですが、どうやら行列になっているのは「うずら家」のみ(差し詰め、成田の鰻の「川豊」みたいなもんでしょうか)。イヤハヤ大したものです。

 40分程待って案内されて入店し、一階椅子席へ(厨房がある一階よりも、座敷の2階席の方が広いようです)。ざるの大盛り(1050円)を二つ注文したら、同じ量を大きなざる一枚に盛る「権現盛り」(1950円)の方が、お得とのこと。
すぐさま、そば茶とお茶請けの漬物(この日は白菜の切り漬け)が供され、また薬味の生山葵の芋が卸し金と一緒に運ばれてきました。
木曽の「時香忘」も同様ですが、こちらの芋の大きさは倍くらいあり、奥様の友人のアドバイスに沿って、今回も茎に近い部分までしっかりとすり卸しました(先端部分に比べ辛みは落ちるが、茎に近い部分の方がワサビの香が強いそうです)。
 運ばれてきた、大盛り二人分となる権現盛り。
ネマガリダケ(千島笹)の竹細工で編んだ大きな円形のザルに、戸隠流で一口ずつ束に巻かれて盛られています(「ぼっち盛り」と呼ぶ戸隠独特の盛り方とか)。ただ、ざるの編み目が粗く、水が垂れるのでお皿に乗せてあります。例えば義弟の蕎麦店「丸周」で使っている「みすず細工」のざるは、もっと細かく編んであり、一滴も水が零れないのだとか。折角の地元の伝統工芸ですから、PRも兼ねてもっと目の細かいざるを使えば良いのにと思います。
そばつゆは、信州にしては濃い目で、寝かせた返しに節の出汁の効いた江戸前風。肝心の蕎麦は二八の細打ち麺。而してその味は・・・?。
「どんなに美味しいのだろう!?」という、我々の期待値が高過ぎたのかもしれませんが、極めて普通。勿論、それぞれ味の好みがありますので、人によって感じ方は違うと思いますが、それにしても、これ程までして並んでも食べたい理由が、少なくとも私たちは見つけられませんでした(石臼引きした新そばを、いくら冷凍保存していても風味は落ちるでしょうし)。
量も、一人前の大盛りとしては決して多くはなく、その後更に大盛りを一枚追加しました。
 次から次へと来られるお客様を明るくてきぱきとさばく、店頭の店番の方の手際は見事。そして、店内を忙しくもきびきびと動き回る、年配の方を含めた店員の方々の応対も笑顔一杯で愛想も良く、また忙しくてもいい加減にならずに丁寧で、実に感心させられます。評判店に相応しい、気持ちの良いサービス振りでした。
しかし、それが理由でこうまで繁盛するとも思えず、まして肝心の蕎麦の味は、「丸周さんの方が美味しいよネ!」という家内の囁き評価は身内ゆえ横に置いても、個人的には、二八であれば「井川城」(粗挽き)の方が遥かに上。
また、久しく行っていませんが、同じように観光客の行列店である「安曇野 翁」も味は上ですが、接客は「うずら家」の方が客本意でしょう(翁では、客の着席数を増やすために、途中二度も席を移動させられました)。
しかし、天下に名だたる戸隠蕎麦ってこんなレベルなのでしょうか。家内は、昔入った「戸隠そば打ち体験道場」の食堂で食べた蕎麦の方が、遥かに美味しかったと言います(その時は、蕎麦好きの次女も高評価でした)。
ただ「うずら家」は、蕎麦の量は些か少な目ですが、値段は良心的で、ざる一枚850円(だったか?)、大盛り1050円は安い方だと思います(季節柄で皆さん注文されていた、山菜天婦羅の盛り合わせも量が多く、コスパは良さそうでした。信州では、お年寄り中心に「蕎麦には天婦羅が付き物」という人が多いのですが、我々は天ぷらには全く興味なし)。
 初めての来訪では、県内トップクラスというネット評価でのランキングも含め、残念ながらついぞその評判の理由は分かりませんでした。

 成田での3年間の経験が評価され、この6月から念願の正社員として羽田勤務になった次女。
“超氷河期”とまで揶揄された卒業時に、せっかく正社員で内定していた運輸会社を辞退して、これまで航空会社で頑張ってきました。
その間、辞めたいと思う時も何度かあったようですが、一度辞意を伝えた時には上司や同僚の方の励ましやサポートもあり、何とか辞めずに頑張ってきたことが今回の評価に繋がったようです(本人曰く「奇跡ダ!」とか)。

 親としては、陰ながら祈ることしか出来ず、3年間お世話になった成田山新勝寺や、地元はもとより県内外の神社仏閣にも(さすがに忌中明けまでは神社への参拝は出来ませんでしたが)機会があれば参拝し、次女の希望が叶うようにとお祈りをしてきました。

 ここで、そのご報告も兼ねてのお礼参りで、引っ越しの際の成田山と、県内では既に上田別所の北向観音(善光寺と対。一方だけでは“片参り”)と同下之郷の生島足島神社にはお参りを済ませたので、今回は残りの戸隠神社と善光寺にお礼の参拝に行くことにしました。

 昼食の都合で、先に戸隠神社中社に参拝し、昼食後に奥社へ。
パワースポットとしても人気となった樹齢400年の杉並木を通る2㎞の参道(杉並木からは結構な上り坂)を歩き、私たちも“気”をいただいてから、奥社と、隣接する九頭竜社へもお参り。
その後下って、200段を超える階段(駐車場の下からだと275段とか)を昇って(昔女性の信仰を集めたことから、階段を迂回する“女坂”もありました)、10年振りとなる宝光社(その時は、この階段でめげて、他の社へは足を延ばさず)にもお参り。今回もしっかりと(奥さまは、途中休み休みで喘ぎながらも、何とか)階段を昇り切っての参拝です。
「ちょっとぉ、ここ縁結びの神様って書いてあるけど、イイ訳?」
「気にしない、気にしない。虫も寄って来ないようじゃ、困るでしょ!」
「ふ~む、ナルホド・・・。」
(ま、それを言い出せば、奥社は天の岩戸をこじ開けた力持ちの神様ですし)
 それから、今度は飯綱高原を通って長野市街地へ下ります。昔と比べて、長野からのアクセスの道も随分良くなりました(でも良く考えると、前回来たのは10年前です。もしかしたら当時のナビのデータが古過ぎて、98年の大会で、ボブスレーやリュージュの会場にもなった筈の飯縄高原へのオリンピック道路を単に表示しなかっただけかも・・・?)。
 老若男女を集める善光寺の境内には、観光客の方々に交じって結婚式と思しき方々(最初着飾った子供たちを見て一瞬七五三かと思いましたが、6月ですので、どうやら仏前結婚?)も。長野は仏都と称される通り、市民の生活に善光寺が溶け込んでいるのが分かります(地元の方々は、親しみを込めて「善光寺さん」と呼んでいます)。
以前願掛けに来た際に購入し、ここで漸く両目の入った一対の姫だるまを先ず社務所の古札回収の窓口に返却し、本堂へお礼のお参りをして、仏都を後にしました。

 これで、一応全て(除く金毘羅さま。いずれまた二人で機会を見つけて・・・。家内は、次に上京した時に、明治神宮へも参拝するとか・・・)ご報告を兼ねたお礼の参拝は無事終了しました。

 前回(第854話)たくさんのクレソンをいただいた家内のご友人から、今度はワラビと山蕗をたくさんいただきました。
この方、家内よりもご高齢ながら大変なアウトドア派だそうで、スポーツは勿論(今はゴルフよりもテニスに夢中とか)、ご自分で運転して山に行かれて採って来られたのだとか。お子様方は既に独立されているので、お一人では食べ切れないからと分けて頂いたそうですが、何でも、前回頂いたワラビを、家内が生まれて初めての灰汁抜きに失敗して柔らかくし過ぎたのを知って、再度チャレンジすべくわざわざまた山まで採りに行かれて、丁寧に灰汁抜きの方法まで伝授いただいた上に、ご自身で灰汁抜きされたものと一緒に分けて頂いたのだとか。有り難いことです。

 そのご指導いただいた甲斐もあって、今回は見事な出来栄え。クチャクチャと柔らか過ぎた前回とは雲泥の差で、しゃきしゃき感があります。居酒屋も含め、今まで食べた中で、お世辞抜きでベスト!味付けは、ポン酢よりもシンプルに醤油で。素材が引き立ちます。マヨネーズも思いの外美味。たくさんあったので、山菜おこわまで作られました。
 一方の山蕗。こちらは、良く土産物でも売っている様に、キャラブキがお薦めで、作り置きで一年間くらいは持つとのこと。早速、クックパッドなのか、ネットで調べて初挑戦。「ちょっと濃すぎたかも・・・」とのことでしたが、保存食としては味付けが濃い目の方が日持ちしますし、これまた初挑戦とは思えぬ中々の出来栄えで、酒の肴として冷酒に合う逸品になりました。
箸が進んで、一年間も持ちそうもありませんが・・・。

 夏休みなどで、ファミリー向けの「三大交響曲を聴く!」と題した名曲コンサートなので演奏されるのは、「未完成」、「運命」、そして「新世界」というのが定番でしょうか。「未完成」が2楽章なので、演奏会構成としても収まりが良いというのも、その理由かもしれません。
ただ、青二才が“通”ぶって「今更・・・!」と嘯(うそぶ)いて意外と聴かないのも、こうした超有名曲なのかもしれません。
斯く云う私メもその一人でした。カップリングで入っていたのを除けば、学生時代に買ったLPや社会人になってからのCDの中には、こうした“名曲”はありませんでした(例えばドヴォルザークでは、7番と8番、それに所謂“ドヴォコン”はあっても、9番はナシ)。
 嘗ての名盤・名演が高音質のSHM-CDで構成されているのが魅力で、今回購読を決めた小学館の「クラシックプレミアム」全50巻(第830話参照)。その中には、作曲家の代表曲として、こうした入門編的な超有名曲も当然収められています(今回は、「運命」と「未完成」がクライバー、「新世界」がケルテスだったのも個人的には興味を惹かれました)。
これまで、シューベルトで歌曲やピアノ曲は聴いても、「未完成」始め交響曲は正直あまり聴いてきませんでした。
今回作曲家毎に分けられたシリーズの中で、シューベルトの一回目の配本(第10巻)で、「未完成」と一緒に「ザ・グレイト」と呼ばれる交響曲第9番(本シリーズではピアノ譜だけの7番をカウントせず、8番との表記ですが、やっぱり未完成が8番、グレイトは9番の方が馴染みがあります)を、初めてちゃんと(それこそ正対して)聴きました。
すると、これまで全く聴いたことがなかった訳ではなく、第一楽章から終楽章まで、記憶の片隅にある、どこかで(多分昔FMで)聴いたことのあるメロディーが次々に流れて来ます。「そうか、このメロディーはグレイトだったんだ・・・」と、最後までしっかりと聴いての感想。
 「これ、イイじゃん!」       

 解説によると、交響曲作曲家としては生前認知されなかったがために、シューベルトの死後10年も経って、墓参に訪れたシューマン(当時のシューマンは作曲家兼音楽批評家であり、若きブラームスを絶賛し世に出るきっかけを作ったのも彼)が、実兄の保管していた遺品の中から埋もれていたこの交響曲の楽譜を発見し(彼が「天国的な長さ」と評した逸話は有名)、すぐさま当時ゲヴァントハウス管の指揮者を務めていたメンデルスゾーンに依頼して初演されたと云います(シューベルト自身は、ウィーンフィルにこの曲を献呈したが、何故か評価されず、演奏会に取り上げてもらえなかったとか)。
600曲を超えるという“歌曲の王”に相応しく、第一楽章から終楽章まで、次から次へと美しいメロディーが泉のように湧き出て来ます。勿体ないほどに(変奏での繰り返しも無い)印象的な数々の旋律は、「ドヴォルザークのクズ箱を探せば、自分だったら立派な作品が書ける」と評価したブラームスなら、それこそあと何曲かは作れそうなほどの稀代のメロディーメーカーぶりです。因みにグレイトは「偉大な」ではなく、同じ調性の第6番と区別するための「大」ハ長調の意味だそうですが、むしろ文字通りの「偉大さ」を感じさせてくれる、1時間を超える大作でもあります。聴いていると、何となく後年のブルックナーにも繋がる印象を持ちます。
 今回、クライバー&VPOの「未完成」と共に収録されていた「ザ・グレイト」は、1979年のベーム指揮SKドレスデンの演奏会のライブ録音。ベーム晩年84歳での演奏会だそうですが、年齢を全く感じさせない、若々しくキビキビとした好演です。 

 週末の早朝、何気なく付けたTVの旅番組の「お取り寄せ」で紹介された、函館「布目水産」という会社の「社長のいか塩辛」。
些か、人を“おちょくった”ような商品名ですが、ジョークではなく、何でも、松前漬などの水産物加工会社の社長さんが取引先などへの手土産にしていたのが評判を呼び、商品化したものだとか。
これが、実に美味しそうに画面から感じられ、決して大好物という訳ではないのですが、何となく久し振りに塩辛が食べたくなりました。

 奥さまが、次女の引っ越し準備で不在だったこともあり、一人で食料品の買い出しにいつものスーパーマーケットに行った際に、魚介類の加工食品売り場で塩辛を探してみると、何種類かありました。どれにしようかと迷いながら見ていくと、陳列棚の中に・・・カップに入った、その名も「社長のいか塩辛」。製造元も、正しく同じ会社名が記載されていました。「なぁんだ、取り寄せなくても松本でも買えるんだ!」と、ひねくれ者の性で、多少の拍子抜けを感じつつも、喜び勇んで即購入。

 その晩早速酒の肴で食べてみると「う~ん?・・・」。
そこで、今度は白いご飯に載せて食べてみると・・・「ウン、旨い!」。
これ、お酒よりもご飯に合います。お酒(冷酒)だと、多少生臭さが感じられますが、むしろ温かいご飯だと塩甘の何とも言えない旨味が協調されるような感じがします。イカの身も新鮮で柔らかくて甘味があります(もしかしたら、冷酒よりも燗酒の方が合うのかもしれません)。
いつものスーパーでは、250g入りのカップで500円。もっと安いモノもありましたが、この味なら文句なくお買い得でしょうか。
最初見落としましたが、食べる際は少し掻き混ぜてから食べるようにとの指示。そうすると、確かに不思議と旨味が増すような気がします。中々の逸品でした。

 一昨年前まではポット苗で購入し、ハーブガーデンに植えたルッコラ。
その年は良い苗が無くひょろひょろで葉が収穫できず、花芽が出ても放っておいたのが偶然にも幸いし、昨年はその零れ種から発芽。これが思いの外しっかりした株に成長し、何度も収穫することが出来たので、昨年は意図的に花を咲かせて種を収穫し自分で育てることにして、今年4月にプランターに種を撒いて発芽させました。中には完熟していない種もあったのか、最初撒いた半分程度しか発芽しなかったため、再度種を撒き、順次ハーブガーデンに移植しました(プランターの写真で、大きなのが一回目に撒いた種から発芽したルッコラです)。

 我が家のハーブガーデンは一坪程の僅かなスペースですが、ここで食用のハーブを毎年育てています(過去、悪夢のミント類、そしてカモミールやセイジ、ローズマリーにオレガノなど色んな種類のハーブを育てましたが、結局好評だったのは食用ハーブのみ)。
ルッコラやバジルも今ではスーパーで売られていますが、ハウス栽培と比べて地植えで育てたものは味が濃く、美味しさは格別です。ルッコラはゴマ風味が増しますし、特にパセリは、サラダは勿論、スープやパスタに刻んで載せたりして食べないと勿体ないほどの美味しさです。付け合せにしか使えないような、スーパーで買うパセリと同じ種類とは思えません。    
 5月連休にハーブガーデンをマンノウ(万能鍬)で耕し、肥料を撒いておきました。これまでは自然に任せて全く何もしなかったのですが、毎年花壇の植え替えをお願いしている園芸店が、一昨年ハーブガーデンにも施肥をしてくれたようで、その結果、それまで二年目には花芽が伸びて使えず毎年新しく植え替えていたパセリの株が、二年目も元気に茂り、3年目の今年も青々とした葉を茂らせています(花芽が出たら、咲かせぬようにすぐに切り取ります)。また、ネギの仲間の多年草のチャイブ(和名はセイヨウアサツキ。刻んでビシソワーズに散らして、といった用法が代表的ですが、和風でも薬味ネギの代用として十分使えます。また、食用だけではなく、可愛らしいピンクのネギ坊主の花を付けますので、一輪挿し等での鑑賞用にもなります)も、何だか生き生きとしています。
窒素・リン酸・カリの三要素の重要性を、改めて認識した次第です。
 種を撒いた時期が違うので、5月末に最初の種から育った苗を、大きくなった株を先ず移植しました。
また、髭根の伸びたクレソンも、ここで水耕栽培用の砂を敷いたプランターに移植しました。

 塩尻に外出の折、途中の松本で「昔ながらのラーメン」という評判で、今まで何度か前を通って気になっていたラーメン屋さんへ寄ってみました。

 その店は、松本市埋橋の通称“国体道路“沿いにある「若松食堂」。看板には「拉麺の店 わかまつ」と表記されています。
擦りガラスの引き戸の入り口で、如何にも昭和の頃からそのまま変わっていない感じの、所謂“町の食堂”といった店構えです。店の裏手に6台程停められる駐車場がありますので、車でOK。歩きだと、駅から結構な距離(あがたの森方面へ、2㎞近くあるでしょうか)。
12時過ぎに上田を出たので、着いたのが既に1時半近かったのですが、狭い店内はテーブル2卓とカウンター5席で、8名ほどの常連さんと思しき先客の方々が食べていらっしゃいました。
壁に貼られた短冊のメニューから、ラーメン(550円)の大盛り(700円)をお願いしました(麺類以外にも、チャーハンなどの食堂メニューもあり)。
オヤジさん(という雰囲気)から「こってり、あっさり、どっちにする?」と聞かれ、「アッサリ」をチョイス。途中、「麺は固茹ででイイかい?」と確認があり、それでお願いしました。先客の皆さんは食べ終えて出て行かれ、運ばれて来た時は私を含め3名のみ。

 少し濁ったスープは、鶏ガラだけでなく豚骨も一緒に入れているようです。醤油のスープに煮干しと昆布の出汁が良く効いています。中細の縮れ麺にスープが絡み、トッピングは、厚めのチャーシュー2枚にシナチクと焼き海苔に刻みネギ。カンスイが効いた麺も昔風で腰があり、時間が経っても余りのびません。因みに「こってり」をオーダーすると、スープは同じで、ラードが上に載って来るのだとか。その方がスープは冷め難いのでしょうが、好みではありませんので、あっさりで正解でしょうか。
スープはやや塩気が勝っている感じがしましたが、決して「しょっぱい」のではなく、個人的な好みとしてはもう少し(野菜等での)甘味が欲しい感じ
(ほぼ同じレシピ+野菜で採った出汁に背油チャッチャ系が、上諏訪の「麺屋さくら」の屋台ラーメンの筈ですが、もう少し甘味があったような気がします)。でもシンプルで、昔ながらの「支那そば」風で殆どスープも完食。値段も、ラーメン一杯550円と非常に良心的です。
「どうも、ごちそうさまでした!」。

 これからもこのまま変わらずに、何も変えずに、すっと守っていって欲しい・・・。今風の流行とは無関係の、そんなラーメンでした。

 成田空港で働いていた次女が、羽田空港の国際線拡大に伴い、この6月から羽田空港勤務となるため、住居も成田から羽田空港近くに引っ越すことになりました。

 大学を卒業してから、これまでの三年間お世話になった成田山新勝寺の表参道は風情もあり、また新鮮で普通の3倍近くはあろうかという大きなネタのお寿司屋さん(初めて入った時に食べた地物のイワシ、それにコハダは旨かった!)や老舗の鰻屋さん(私メだけは、ついぞ機会無し!)などもあって、本当に良い街でしたので、個人的にはチョッピリ残念ですが、奥さまにとっては、羽田の方が松本から行くのにも近くなり好都合(とのことで、上京機会がますます増えそうです)。また長女夫婦が住む五反田にも近くなるので、もし何かあった時にもお互い安心です。
また、娘にとっては大変でしょうが、責任も重くなり、新しい職場の方が大いにやりがいがあるようです。そこで5月末の週末、引っ越しの手伝いに車で成田へ行って、要らないモノを自宅へ運んで来ることになりました。
 「あなたは、日帰りでイイから・・」という優しいお言葉に、
 「日帰りじゃあ、飲めないジャン!」と一泊で行くことにしました。
それに、日帰りでの成田空港往復約700㎞は、昔一度奥さまと娘たちを空港まで送って行ったことがありますが、20年前でも体力の限界ギリギリでしたので、市街で多少短いとはいえ、この年齢では自信がありません。

 そこで、チロルとナナの世話を妹に頼み、土日の一泊で引っ越し作業に向かいました。ナビで成田市内まで凡そ300㎞。犬たちの散歩を済ませてから、朝早めに出たこともあり、談合坂での休憩も含めちょうど4時間で到着。
一日荷造りをして、新居で使う雑貨の買い足しを兼ねて、夜イオンモールに行って、モール内にある地魚がウリという地元の回転寿司へ(表参道のお寿司屋さんでなかったのが残念ですが、時間の有効活用で止むを得ません。地魚も注文してみましたが、松本よりは勿論マシですが、うーん)。荷造りを済ませてみると、ワンルームとは言え、女性のためか結構な量になりました。
翌日、引っ越し業者に荷物を引き渡し、こちらは松本に持って帰る荷物を車に積み込み。業者の運び出しの間を使って、成田山へお参りし、3年間娘がこの街でお世話になったお礼のご挨拶。外国からの観光客の方々も含め、大勢の参拝客でこの日も賑わっていました。
戻って、車への積み込みをしていると、ビルの一階で土産物屋さんを営む大家さんのお婆ちゃんから、「終わったら一息ついてください。」と和菓子をいただきました。そこで、お礼を兼ねて出掛けのご挨拶に、印旛沼名産の“ざっこ(雑魚)”の佃煮等を購入。表参道は、優しさ溢れるイイ街でした。
 成田から、引っ越し先の大田区の糀谷へ。こちらもワンルームですが、羽田空港に近いこともあり、一目でそれと分る空港関係者がたくさん住む街だそうです。
最寄り駅となる京急糀谷の駅周辺には、お土産物屋さんが多かった成田の表参道とはまた違って、昔ながらの八百屋さん、惣菜屋さんや定食屋さんなど、情緒ある下町商店街が軒を連ね、暮らし易い街のように感じられました。
 「うーん、安くて美味しい寿司屋さんはあるのかなぁ・・・?」
落ち着いたら、これからお世話になるご挨拶に氏神様にでもお参りに行こうと思うのですが、ここだと穴守稲荷なんでしょうか、それとも羽田神社?
この日家内は泊まって、翌日も部屋の片づけをするため、夕刻一人で松本へ。道中自身をエンカレッジすべく(気分転換にクリス・ハートを挿みながら)、マーラーの1番とシューベルトの9番(ここではそうしておきます)を大音量で聴きながらのドライブで、無事帰宅。

 その後、配送される家具の組み立てのため、二週連続で、今度は日帰りでの糀谷往復。首都高を抜けるので、ほぼ3時間半の行程です。
 「近くなったから、今度は一人で自分の車を運転して行けそう!」
とのことから、談合坂までは私が運転しましたが、そこから糀谷まではトライアルを希望されて、ナビの案内に従って奥さまが一人で運転し、帰路も同じく談合坂まで。こちらはその間、(私メの10年落ちのSUVに比べ、家内の車の最新のナビは非常に分り易く、運転し易いのは十分理解しつつも)左右のドアミラーも見ながら、教習所の指導官さながらに常に前後左右のチェックです。
 「あら、寝ててもイイのにぃ!」
って、眠れる訳がありません。無事談合坂で交代です。
 「あぁ、疲れたぁ~・・・。ブレーキ踏み過ぎて、右足パンパンだーっ!」
 「えっ、それってどういうことォ?!」
って、そういうことですが・・・。
 「あぁ、疲れた。じゃあ、私は寝るねー!」
と、すぐにスヤスヤと寝息を立てておられました。
ハイ、お疲れさまでした。では安全運転で、一路松本へ。

 三才山峠を下って鹿教湯を過ぎ、上田側の西内から荻窪、またトンネルを抜けた平井寺辺りの道路沿いに、何か所もアヤメやアイリスなどが植えられている場所があり、5月中旬くらいから見事な花を咲かせています。

斯く云うものの、「いずれアヤメかカキツバタ・・・」ではありませんが、花菖蒲や、さらにはアイリスも含めて、花の種類は断定出来ません(ネットで調べても、花の違いが良く分りませんが、菖蒲やカキツバタは湿地でないと育たないようですので、畑地や庭にあるのはアヤメかアイリスだと思われます)。
 いずれにせよ、アヤメであろうと、カキツバタであろうと、はたまたジャーマン・アイリスやダッチ・アイリスであろうと、どれも見事な花々の中で、一番惹かれるのは、やや小柄で濃い紫色の花。庭や、時として田畑の脇に群生させて植えられていますが、ひと際鮮やかで見事の一語です。
片やカキツバタで構図こそ違え、尾形光琳の「燕子花図屏風」(国宝。根津美術館蔵)を連想させてくれます。
アヤメも、山間の集落などではずれて咲くので、1ヶ月近く花々を楽しむことが出来ます。気忙しい朝の通勤路でも、心和む瞬間です。
 それにしても、花については(少なくとも通勤路においては)、“花いっぱい運動”発祥の地である松本よりも上田側の方が目を楽しませてくれます。上田の人たちの方が“心豊か”(≒花を育て、愛でるゆとり)なのでしょうか・・・?。

 祥伝社文庫の書き下ろしシリーズである野口卓著「軍鶏侍」第5巻。
それまでに比べ、第4作である「水を出る」が残念ながら今一つだった(第835話参照)のですが、ここで出た第5作となる「ふたたびの園瀬」は、前作同様に短編集ながら、第3作までに感じたこのシリーズの特徴であろう暖かさと読後の爽快感が戻った気がしました。
 設定こそ藤沢周平の「海坂藩」に似て、軍鶏侍は「園瀬藩」となっていますが、故郷庄内地方に置いた「海坂藩」の東北らしい凛とした静謐さとは対照的に、やはり著者の出身地である四国徳島に設定したであろう「園瀬藩」(吉野川水系で、徳島市内を流れる一級河川に園瀬川という名称あり。但し、作中では、藩内を流れる川には花房川という名称が付けられている)は、むしろ瀬戸内の穏やかさが登場人物の暖かさをも感じさせてくれる作品となっています(「海坂藩」を連想しても、第835話で取り上げた葉室鱗の「蜩之記」で感じる既視感とは別世界です。因みにこちらは豊後の羽後藩という設定)。

 そして、「飛翔」(第639話)もそうでしたが、「水を出る」や「ふたたびの園瀬」でも、主人公“軍鶏侍”こと岩倉源太夫始め、下僕の権助や妻みつなどを通じて描かれる、少年や若者の成長する姿を見つめる作者自身の目線が柔らかで、中年オヤジとしては「斯く在りたい」と感じさせてくる作品でもありました。次作にも期待大です。