カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 成田での3年間の経験が評価され、この6月から念願の正社員として羽田勤務になった次女。
“超氷河期”とまで揶揄された卒業時に、せっかく正社員で内定していた運輸会社を辞退して、これまで航空会社で頑張ってきました。
その間、辞めたいと思う時も何度かあったようですが、一度辞意を伝えた時には上司や同僚の方の励ましやサポートもあり、何とか辞めずに頑張ってきたことが今回の評価に繋がったようです(本人曰く「奇跡ダ!」とか)。

 親としては、陰ながら祈ることしか出来ず、3年間お世話になった成田山新勝寺や、地元はもとより県内外の神社仏閣にも(さすがに忌中明けまでは神社への参拝は出来ませんでしたが)機会があれば参拝し、次女の希望が叶うようにとお祈りをしてきました。

 ここで、そのご報告も兼ねてのお礼参りで、引っ越しの際の成田山と、県内では既に上田別所の北向観音(善光寺と対。一方だけでは“片参り”)と同下之郷の生島足島神社にはお参りを済ませたので、今回は残りの戸隠神社と善光寺にお礼の参拝に行くことにしました。

 昼食の都合で、先に戸隠神社中社に参拝し、昼食後に奥社へ。
パワースポットとしても人気となった樹齢400年の杉並木を通る2㎞の参道(杉並木からは結構な上り坂)を歩き、私たちも“気”をいただいてから、奥社と、隣接する九頭竜社へもお参り。
その後下って、200段を超える階段(駐車場の下からだと275段とか)を昇って(昔女性の信仰を集めたことから、階段を迂回する“女坂”もありました)、10年振りとなる宝光社(その時は、この階段でめげて、他の社へは足を延ばさず)にもお参り。今回もしっかりと(奥さまは、途中休み休みで喘ぎながらも、何とか)階段を昇り切っての参拝です。
「ちょっとぉ、ここ縁結びの神様って書いてあるけど、イイ訳?」
「気にしない、気にしない。虫も寄って来ないようじゃ、困るでしょ!」
「ふ~む、ナルホド・・・。」
(ま、それを言い出せば、奥社は天の岩戸をこじ開けた力持ちの神様ですし)
 それから、今度は飯綱高原を通って長野市街地へ下ります。昔と比べて、長野からのアクセスの道も随分良くなりました(でも良く考えると、前回来たのは10年前です。もしかしたら当時のナビのデータが古過ぎて、98年の大会で、ボブスレーやリュージュの会場にもなった筈の飯縄高原へのオリンピック道路を単に表示しなかっただけかも・・・?)。
 老若男女を集める善光寺の境内には、観光客の方々に交じって結婚式と思しき方々(最初着飾った子供たちを見て一瞬七五三かと思いましたが、6月ですので、どうやら仏前結婚?)も。長野は仏都と称される通り、市民の生活に善光寺が溶け込んでいるのが分かります(地元の方々は、親しみを込めて「善光寺さん」と呼んでいます)。
以前願掛けに来た際に購入し、ここで漸く両目の入った一対の姫だるまを先ず社務所の古札回収の窓口に返却し、本堂へお礼のお参りをして、仏都を後にしました。

 これで、一応全て(除く金毘羅さま。いずれまた二人で機会を見つけて・・・。家内は、次に上京した時に、明治神宮へも参拝するとか・・・)ご報告を兼ねたお礼の参拝は無事終了しました。