カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 何度も取り上げた、我が(独り酒の)バイブル「ニッポン居酒屋放浪記」(第505話他)の著者、太田和彦さん(我が家の本棚にもある、氏の「居酒屋百名山」をバイブルに全国の居酒屋を巡る愛好家も多いそうです)。
本職はグラフィックデザイナーでありながら、居酒屋好きが嵩じて、いつしか「居酒屋評論家」(吉田類氏よりずっと前から)。そして、松本出身にして高校の(大)先輩。TVでは、BS11で毎週水曜日に「ぶらり旅~いい酒・いい肴」が放送中です。

 多分その番組のために取材されたであろう内容を中心に、最近著作としても出版されました。従って、TVとそんなに内容は違わないだろうとは思いつつ、TV同様(第776話)に「松本」や、そして「木曽」(父上が北京で教員をされ、引き上げ後、郷里の長野県で教員生活を再開されて県内各地を異動されたため、小学5年生から中1まで木曽に移り住んだとのこと)も掲載されていたので、思わず購入してしまいました。
書名は「ニッポンぶらり旅 アゴの竹輪とドイツビール」(集英社文庫)。掲載された「鳥取」編の中の小見出しが書名に使われています。

 「松本」編は、木曽同様に他の街よりも多い7つの短編が掲載されていて、著者の育った地への“思い入れの深さ”が感じられます(本作に収められた各編は、「あとがき」に拠れば、「サンデー毎日」連載執筆のため、大震災後に「こんな時に、旅なぞしていてイイのか」と自問しながら書かれたモノだそうです。最初は、遠出する気になれず、自宅から近い横浜へ。そして、国の安寧を願い、日本人の“心のふるさと”、「国のまほろば」奈良へ。更に、自身の安寧を求めるかのように、育った故郷を訪ねます)。
「松本」編では、TV番組の中でも言っていて「ナルホド」と頷かされた件(くだり)も文中に収められていました。曰く、
「松本城は町の真ん中の平城で・・・全景が目の高さで見え・・・市民は朝に夕に城を見て帰り、ライトアップされた夜の水鏡に映る逆向きの城影は誰もが足を止める。・・・城が記念物としてではなく、日々の心のより所になっている意味では松本城は今も現役だ。」(電車で通勤していた時は、まさにそうでした)。
として、「もし、松本にお城と山が無ければ、何ともつまらない街になっていただろう」と、私も本ブログの最初の頃に書いた記憶があるのですが、その理由が平城にあるということを再認識させてくれました(山城或いは平山城の方がカッコイイと、これまでは羨ましく思っていましたが)。

 「私は理屈っぽく偏狂な信州人を嫌って東京に出て、既に四十年が過ぎた。知らぬ間に故郷松本は、町並み美しく、芸術を愛するすばらしい町になっていた」。
勿論、個人的には異論もあります。例えば、氏曰く、
「松本は珍しく町再開発のみごとな成功例だ。・・・古い看板建築商店などはそのまま残し、町並みのアクセントと昭和の記憶の継承になっている懐深い整備だ。」
取り残されたが故の結果論であって、ちょっと褒め過ぎのような気もします。
また、「文化都市としてのソフトもまことに充実した」として、SKF(今年からOMF)と「平成中村座」を挙げ、その件で串田和美さん(まつもと市民芸術館々長)の言葉を引用し、
「音楽も演劇もどんなに優秀なものを作ってもそれだけでは成り立たない。松本の観客はほんとうにいい。」
果たしてそう(≒褒められたことに、市民はもろ手を挙げて喜んで良い?)でしょうか。中でもOMFは曲がり角を迎えているような気がします。ボランティア組織解散・再編の一件だけではなく、例えばマエストロ・オザワが振らかった時のオペラは、かのメト主席のファビオ・ルイージが昨年も振ったのに、客席には空きが目立ったとか(私は当初からSKFよりハーモニーホールの音文派・・・そんな一派があるとは思えませんが、個人的に・・・なので、ミシェル・ベロフのオール・ドビュッシーでの復活リサイタル以外は行ったことはありません。でも、ルイージの振った今年のオーケストラAプロは、マーラーの5番でしたので、聴きたかった気もしますね)。お祭り騒ぎの単なるミーハーでなく、これで果たして“音楽文化都市”と言えるのでしょうか?

 確かに、自分が生まれ育ったこの松本は(主観的に)本当に良い街だと思います。勿論大好きです。でも、名実共に、そして外で暮らす松本出身の人たちにもそれを誇りに思ってもらえる街に(肩肘張らずに、肩書きの無い市民一人一人が、自分の範囲で出来ること、或いは成すべきことを)していかないといけませんね。
 TV放送にはなく、本に掲載されていた中で嬉しかったのは、太田さんが母校を訪ねる件(くだり)。ちょうど7月下旬(震災の年2011年)の文化祭「とんぼ祭」にわざわざ合わせての訪問だったようで、期間4日間全て通ったのだとか・・・。
「イイなぁ・・・」。太田さんの“若いやつら”への視線の暖かさに、共感と涙を禁じ得ませんでした。
「この年代は誰もそうだと思うが、自分がぐんぐん成長していることが毎日わかった。“深志の三年間”という言葉に同窓生は共通の思いがある。」
音楽部の公演も聴いてくれたのだとか。フォーレの「ラシーヌの雅歌(ラシーヌ頌)」。オケは「新世界」とか。軽音やバンドの演奏に酔い、「全く凄いやつらだ」。太田さんの所属した美術部「アカシア会」の展示にも顔を出します。
昼間知り合った新聞部員に「もう、取材なんかやめろ、君もあの泥の輪に入れ」と、彼の背中を押して最後のファイアーストームに送り出します。
(後日、“押してくれたこと”への感謝と決意の手紙が彼から届いたとか)

 そして「松本」編の最後は、次のように締め括られていました。
「大震災後の虚無感を埋めようとやってきた故郷で私は自分の“根”を確認した。そして、その根も失わされた人々を思った」。
【追記】
父上が教頭先生として赴任されていたという神坂中学。それを主とした「木曽」編も実にイイ。その地を訪れ、旧神坂村の、村を二分し、時の県政や政府をも巻き込んだという1958年の越県合併・分村(その47年後の2005年、長野県旧山口村は越県合併で岐阜県中津川市に編入され、半世紀を経て二分された地がまた一つになったのだそうです)という未曽有の混乱の渦中で過ごした子供時代の思い出の地を訪ねる中で、残された記念写真の中に、「子供たちには関係ない」と教育継続に奔走された亡き父上の姿や自筆の額を発見し、感慨に耽る太田さん。他の編と違い、「木曽」には酒の文章はあまり出て来ません。でも、本当に味わい深い。読みながら、きっと涙ながらに書かれているに違いない・・・そんな感じのする文章でした。
そして、評論家でもある川本三郎さん(著書「いまも君をおもう」始め、私の好きなエッセイストでもあります)が、「きれいに酒を飲む」と題して文庫本の解説を書かれていました。
先ず、「太田さんの旅は、出かけてゆく旅というより、帰ってゆく旅だ。」と断じられ、「(故郷松本や木曽のこと、亡き父のことを書いた)このあたりは、同世代として、涙なくしては読めない。分りすぎるほど分る。」
そして、エッセイ全体を評し、「そうした思い出と共に飲むから、太田さんの酒は、静かで、きれいなのだ」と書かれていましたが、全く以って同感。
そして、何より川本さんの解説自体が、素晴らしい一篇のエッセイでした。

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