カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 日本三大そばに数えられる“戸隠流そば”。
後で知ったところでは、戸隠そばは本来外五の七三が基本なのだとか。元々、蕎麦しか採れない痩せた土地での宿坊の“もてなし料理”として、そば粉よりもむしろ当時は貴重だった小麦粉を混ぜて、喉越しを良くしたことがその由来とか。
また、事前にある程度の量をゆでて置いて、供す際に水にくぐらせ、そのまま水を切らずに束ねてぼっち盛りにして、ざるに盛るのが基本であり、そのため七三でないと、キレイにぼっち盛りにはならない(束ねられない)のだそうです。
従って、某蕎麦屋のご主人の説明に由れば、昔の江戸っ子風に喉越しを最良とする人には良いが、そばの香りを尊ぶ人には、七三だと物足りないだろうとのこと。

 どちらかと言えば十割がもてはやされる最近の風潮なので、戸隠のそば屋さんが今も全て七三かどうか分りませんが、少なくとも戸隠の有名店を幾つか調べても、不思議と繋ぎの割合に全く触れられていませんでした(唯一、“戸隠流”との看板を掲げる京都北白川のそば屋さん一軒のみで、そこは実際外五との記載。計算上は繋ぎ割合33%)し、戸隠随一の繁盛店「うずら屋」(第866話参照)で食べた時の“違和感”は、私たち好み(私メは二八、奥さまは十割)とは違ったため、評判ほど美味しくないと感じたのですが、七三がその理由(喉越しよりも、蕎麦の香りと腰重視で、少なくとも七三は私たちの好みではない)だったようです。
これで、漸く合点がいきました(但し、昔、長野市で地元の人に薦められて行った、地下にある某有名店。量は確かに多かったが、六四なのか、はたまた五五なのか、まるで蕎麦の色をしたウドンとしか思えず、最後まで食べられませんでしたが、それに比べればはるかにマシです)。

 しかし、今でも全ての戸隠の蕎麦店が戸隠流かどうか分かりませんが、もし七三が本来の伝統的(そばが「もてなし料理」であった当時はちゃんとした理由があった)戸隠流のそばであれば、その旨堂々と記載すれば良いと思います。そして、それをどう感じるか・・・喉越しを第一義とするか或いは蕎麦の香りに重きを置くかは、人それぞれの好みなのですから(少なくとも、食べログ的には「美味しかった!」という絶賛する評価ばかりですし、我々が訪問した時も周りのお客さんは同様で、皆さん満足されていましたから)。

 作家浅田次郎著作の時代小説「一路」(中公文庫)。
前回「壬生義士伝」(第971話)を取り上げましたが、その前に読んでいた「地下鉄に乗って」や「日輪の遺産」等には今一つ感心(感激)せず、氏の著作を避けていたのが、過日、新聞の時代小説ジャンルで推薦されていた「壬生義士伝」を涙ながらに読んで、自身の評価が一変しました。

 今回は、NHKのBS時代劇「一路」に惹かれた(特に、渡辺大さん演じる蒔坂左京大夫。世間で「ウツケ」と評されている殿様が実に味がある)のと、その主演小野寺一路役を演じた若手俳優永山絢斗さんが、同じくNHK総合TVの人気番組「鶴瓶の家族に乾杯」で、中山道の「下諏訪宿」を訪ねる番組も放送されたことで更に興味を持ちました。ここで、TVドラマ化に併せてか、早くも原作(ハードカヴァーでの初版は2013年とか)が文庫化されたこともあって、上下巻の大作でしたが、原作も読んでみることにしたものです。

 兎角、先に原作を読んでいると、ややもすると放送時間からスケールダウンされたり、また自身のイメージと(配役等が)違っていたりすることも多い映像化作品(例えば「澪付くし料理帖」)は普段見ないのですが、高田郁著「銀二貫」や今回の「一路」は先に映像を見て原作に興味が出たので、むしろ映像との違いをふまえつつ、じっくりと読めました(映像作品そのものでも、NHKのBS時代劇は「銀二貫」など秀作が多い様に思います)。
実際、TVでの諏訪藩のお姫様や和田峠での災難が、原作の中では加賀前田藩のお姫様行列や木曽福島手前の難所与川越えだったりもしますし、TVでは盛り込めなかったエピソードも多々あったりもしますが、それは先ほどの指摘上止むを得ない(放送回数という時間的制約や、予算の都合・・・例えば、参勤交代の途中にある諏訪高島藩と大行列でお姫様が江戸屋敷に向かう途中の加賀百万石の前田藩)と思いますので、然程その違いを気にせずに読み進みました。ただ、深谷宿での葱のエピソード(出色です!)は是非やって欲しかった・・・。

 TVは、特に後半から原作とはかけ離れ、何だか「水戸黄門」風の安っぽい時代劇になってしまったので些かガッカリしていますが、原作はもっと破天荒なエンタメ作品に仕上げっていて、ホロリとさせる場面がある一方で、特に下巻ではお殿様の行状に唖然とするやら感心するやら。まさに、花道で飛び六方を踏むが如き八面六臂の名優振りに、「イヨッ!お殿様!?」と掛け声を飛ばしたくなります。
そして脇役もイイ。

 「壬生義士伝」では、背景に戊辰戦争を巡る史実があり、それを曲げられぬ故、その世の理不尽に儀を以って不器用に立ち向かう人々の姿に感動しましたが、「一路」は架空の藩の架空の物語故、いつも最後にこんなに巧く行く筈がない、或いは、いつもこんな風に正義が勝つとは限らない、という理不尽を現実には見聞きしているからこそ、こういう一途、“一所懸命さ”の結果としての正義が、小説の世界だったらあってもイイじゃないかと、爽快感を読者に与えてくれるのでしょうね、きっと。そして読後に、そうは言っても、もうちょっと頑張ってみようか・・・と、彼らの“一所懸命さ”から勇気を与えてもらった様な気もします。

これまで何度かご紹介してきた、“信州の鎌倉”塩田平の古刹「前山寺」。
前回(第963話)、少し遅めの桜を愛でながら伺った時には、梅紫蘇巻(赤紫蘇で巻いた砂糖で漬けた梅)市販分が既に在庫切れで、梅雨時に漬けてから食べ頃になるのは8月過ぎとのことでしたので、秋のお彼岸前に、お電話で事前にお願いして取りに伺ってきました。

 お寺のご住職の奥さまお手製の絶品「くるみおはぎ」に、箸休めの向付として香の物と一緒に出される、梅紫蘇巻。これもお寺で漬けられ、おはぎは持ち帰り出来ませんが、こちらは箱詰めで市販(一箱600円)されているので、買って帰ることが可能です。
初めて家内を連れて来た時に、もち米を潰したおはぎも砂糖で漬けたカリカリの梅も、亡き祖母の味と同じと大層懐かしがって気に入り、その後は亡き父の法事の時に何十箱とお願いしましたが、大変好評だったので、お彼岸も近いことですし、日持ちもしますので、家内のご友人にもまた配りたいとのことから、今回も20箱近くをお願いすることにしました。
 シルバーウィーク直前で、これから紅葉の盛りを迎える“信州の鎌倉”。お寺さんのご都合で、昼休みに外出して受け取りに伺って来ました。
掃き清められた境内には参拝客の姿は無く、ひっそりとしています。重文の三重塔(“未完成の完成塔”と呼ばれます)の周りのモミジも銀杏も、少し色付き始めたところ。
庫裏に伺って、お願いしてあった梅漬けを購入。くるみおはぎも、昼時でしたが、どうやら年配のご婦人方が一組来られている程度でした。でも、シルバーウィーク(注)には観光の方々で、いつもは静かな境内も賑わうことでしょう。
別所からは、少し離れていますが、無言館(見ているのが辛くなりますが)やデッサン館も隣接しているので、心の静寂を求めて訪れてみては如何でしょうか。
【注記】
良いネーミングですよね。5月のゴールデンウィークとの対比で、しかも敬老の日が入りますので。但し、祝日が少なく、秋分の日が動く可能性があるので、その年のカレンダー設定次第で、今年の様に必ず土日を含めた大型連休になるとは限りませんが。

 春のセンバツに繋がる、秋の高校野球地方大会(早実の清宮選手が、地区大会で二打席連続HRを打って、一回戦から全国ニュースになりました)。
長野県内4地区予選、県大会、秋の北信越へと大会が続いて行きます。
この北信越5県で競う大会で、例年2校が春の選抜大会へ出場していることから、北信越で決勝(昨年は敦賀気比と松商。気比が北陸勢初となる選抜優勝)に進めば、春の甲子園出場の可能性が非常に高くなります(各地方大会の優勝校で争う、秋の明治神宮大会優勝校の地区に自動的に+1枠が追加。また他に、選考基準が良く分らぬ“21世紀枠”とかいうのもあります:注)
(以下、耳障りとは存じますが、こんなことはあまり無いのでお許しを!)

 さて、わが母校の松本深志高校。休みの日に、校庭のグランドで練習している野球部を見掛けると、車の中から「頑張れヨー!甲子園が待ってるゾー!」と毎年叫んで来ました・・・(生きている間に、一度は甲子園で応援したい!)。
助手席の奥さまは、口にこそ出しませんが「アホか」と思っているのが、アリアリと見て取れます(フム、女子高OBには分んネェだろうなぁ・・・)。
(・・・と、そんな前置きはどうでも良いのですが・・・)

 この秋の中信地区大会で、深志が、準決勝で松本第一(コールド勝ちでゼロ封)、決勝で松商を(延長で逆転サヨナラ勝ち)破って、ナ、ナ、ナント、中信一位で県大会へ駒を進めたのです(これだけで、地元ではニュースになります)。しかも、夏の前哨戦として春にも地方大会が開催されているので、1988年以来55季振りの中信大会一位とか。アッパレ!です。

 私メが入学した当時は、結構強くて県のベスト4くらいまで進出したこともありましたが、その後は殆ど地区予選や県大会での“出ると負け”状態が続きました。
ところが、娘が3年生の時に、夏の県大会で準決勝に進出。終業式は構内放送、一日6時間の授業を各コマ5分で済ませ、全校で長野市まで応援に行ったのだとか。もし決勝に行ったら、会社を休んでも絶対に応援に行くつもりが、エース金子千尋投手を擁する長野商業にノーヒットノーランで敗退。その後、また“冬の時代”が続いていました。
しかし、永久凍土も融かすかのような、今回のこの快挙。

 「深志ィ、ぐぁんばれー!甲子園は近いぞー!」
と、(県大会が始まる前の)今の内に騒いでおかないと・・・。
(一回戦はシードされ、本日初戦を迎えます)
【追記】
世間では(地元でも?)、甲子園とは全く無縁と思われているであろう松本深志高校野球部ですが、県内での野球部発足は最も古く、明治29年(1896年)の創部。夏は、旧制中学最後の年(翌年から、学制改革による新制高校)である昭和22年(1947年)に、一度だけ松本中学で甲子園に出場(確か、静岡勢との信静大会に圧勝しての出場と、その時に在学生だった、担任の先生から耳にタコが出来る程何度も聞かされましたっけ。でも羨ましかったナ・・・。但し、前評判高く臨んだ本大会では、選手たちがお腹をこわして敢え無く初戦敗退とか)しています。なお、春は出場無し。因みに、その時のエースが、テレビマンユニオン創立メンバーで、「オーケストラがやって来た」などをプロデュースした故萩元晴彦さん(これも良く聞かされました)で、後年(一時期ですが)、確か野球部の押し掛けコーチをしていたという記憶が・・・?
客観的に見れば、来シーズンも、(この冬の間、地道に走り込んでスタミナを付ければ)好投手草海君を要する上田西の優位は動かない(全国でも上位に行ける)とは思いますが、対抗馬は投手陣が整備されれば佐久長聖でしょうか・・・(ここ数年、長聖や上田西といった東信勢の上位が続いています。松商、東海大三もガンバレ!)。
【注記】
一応各県の秋の地方大会ベスト8以上の中から、各県の高野連が選び、地方推薦を経て選考委員会で決定。僻地枠なのか、文武両道枠なのか、はたまた品行方正枠なのか、・・・?(いっそ無くしても良いのでは)。
もし、万、万が一、深志が県大会で頑張ってベスト8まで勝ち上がり、来春推薦でもされたら・・・「こんな良い制度は失くすな!」って声を大にして言うかもしれませんが・・・。

 奥さまのお仕事の関係先から、「“上高地レディース・トレッキングツアー”の参加募集のお知らせ」とか。
「ねぇ、これ行ってみたい!」
「えっ、“レディース”って書いてあるけど・・・?」
何でも、ご夫婦での参加もOKで、参加費は一人7000円だそうです。
松本から日帰りでの往復バスのチャーターで、ネイチャーガイド付きの3時間程のトレッキングの後で、上高地五千尺ホテル(パルコ1階の、ケーキがイチオシのイタリアン「ファイブホルン」の経営母体)でのセットランチ付とか。
個人だと、往復の交通費だけで(通年マイカー規制のため、島々線からバス乗換で)かなりの金額(確か、松本からは往復一万円近い筈。4人グループなら、松本駅からタクシー往復の方がお薦め)ですので、リーズナブルだと思います(個人で行く場合と比べれば、料金半額程度でしょうか)。
夏山シーズンを過ぎた9月で紅葉シーズン前なら、混雑(河童橋は順番待ちとか)も些か緩和されているかもしれません。が、歩くのが(大!)嫌いな奥さまとは思えぬお誘いに、
「はぁ、行ってみますか・・・。でも女性ばっかりだったらイヤだからネ!」
翌日、早速申し込まれた奥さま曰く、もう既に三組はご夫婦での参加の由。どうせなら徳沢辺りまで行きたいところですが、バスターミナルから明神池を折り返すコース。“レディース”と云うからには(しかも中高年の方々中心)、それ程無理な行程にはしないのでしょう。ネイチャーガイド付きで、ゆっくりと、上高地の自然鑑賞/観察をしながらの散策でしょうか。

 シンガポールから帰任して、山を知らない(小学生だった)子供たちを連れて、最初の夏休みに上高地のコテージを借りて一泊し、徳沢まで(私も含めて、全員初心者では蝶ヶ岳は無理なので)トレッキングをしました(必ずしも好評とは言えず)が、途中崖の上に立つカモシカにも遭遇しましたっけ(興奮したのは私一人で、子供たちは然程の感激も無し)。良き思い出・・・です。

 「このトレッキングコースならアップダウンは無いから」と私が言うのに、奥さまは毎朝一人で蟻ヶ崎台方面への急坂を上って、ウォーキングの練習を重ねられました(ナナの散歩では練習にならぬとの仰せ)。
ところが、あろうことか、今年は停滞する秋雨前線の影響に加え、何と台風の最接近の日と重なり、元々「雨天決行」ではあったのですが、中高年ばかりのツアーでの万が一を心配してか(賢明な判断だったと思います)、敢え無く中止になりました。
「誰だ、行いの悪い奴は?・・・えっ、オレかよ!?」

 せっかく、“山ガール”(山姥?)風に用具も揃え、毎朝登坂練習もしてきたことでもあり、罪滅ぼしで(ナンデやねん?)、月末のシルバーウィークにでも、どこか初心者向けのトレッキングコースに行ってみようかと思います。
こういう時に、在信州は有難い。“海こそ無けれ”、本格的な登山だけではなく、トレッキングやハウキング向けのコースが県内あちこちに。さて、どこへ行こうかな・・・。
【追記】
我が家はトレッキングが中止になっただけでしたが、鬼怒川を始め、北関東から東北に掛けて、台風に因る大雨で被害に逢われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。

 今年の異常な暑さで、我が家の冷蔵庫の製氷機の氷が時々在庫切れ(単に容器に水を足さないだけ)になるほど、頻繁に氷を使いました。専ら、アイスコーヒーでしたが、農作業の休憩時は単純に水が一番美味しく感じます。

 きっと、このままではやりきれない!と思ったのか、或いはお友達に愚痴(例えば、「氷を作るのが間に合わない」とか)でも言ったのでしょう。お友達に薦められたからと、奥さまが「これ、使ってみて」と買って来たのが「マジックタンブラー」なる、マレーシアのピューターの様なコップでした。
何でも、真空二重構造とかで、材質は多分ステンレス(因みに、ピューターは錫です)だと思いますが、容量はちょうど缶ビール(350ml)が一本分入るくらいなので、400ccでしょうか(追記)。

 これ、なかなかの優れモノ!・・・で、夏の間とても重宝しました。
普通のコップだと、せいぜい2~3時間もすれば、氷は跡形も無く融けてしまいまいますが、このマジックタンブラーは半日近く経っても、まだ氷が塊で形を留めています。ステンレスを真空の二重構造にしているのがミソの様で、真空により、上部の口を除いて、外気温が遮断されるのでしょう。
その分、外側が冷やされて結露することも無く、常温のままで普通のコップの様に冷たくないので、持った時に逆に違和感があり、何となく不思議な感じがします。
保冷効果があるので、冷えたビールなどはずっと冷たいまま(但し、ぬるくなる前には大概飲み干してしまう)ですし、氷を入れるアイスコーヒーなどは、氷がすぐ融けないので薄くならない、という効果があります。
結果、マジックタンブラー使用後は、冷蔵庫の氷が劇的に減らなくなりました。

 お友達から薦められたそうで、既に世の中では数年前から話題になっていたのかもしれませんが、全く知りませんでした。
値段もそう高くもないようです(千円以下)し、なかなかの優れモノで、これ、確かにお薦めです(特許ではないのか、色んなメーカーから出されているようです。断熱効果の差は分りませんが)。
勿論、保冷温効果があるので、温かいものは、その保温効果により、長時間温かいまま保ちます(タンブラーに入れる温かいモノが想像出来ませんが・・・私は専ら冷酒ですが、冬には熱燗やホットワインなんてイイかも・・・?)。
【追記】
シールが裏面に貼ってありました。それに依ると、
「真空断熱タンブラー」。材質は、ステンレス鋼(外側はサテン仕上げ)で、容量は420ml。製造元は、新潟県にある㈱ホリシンという会社で、中国製と(自社の中国工場)のこと。

 今年の夏は本当に暑かったですね。ここ信州松本でも猛暑日が何日かあり、7月の平均気温は観測史上3番目の暑さだったそうです。
一転、お盆を過ぎると、今年は秋雨前線の影響で急に秋めいてきました。でも、まだ彼岸前。本来ですと、夏と秋がせめぎ合いをしている時期ですので、体調を崩さぬようにしないといけませんね。世間のオフィスでは、まだクールビズ続行中ですし・・・。

 前置きはさておき、今年はさすがに夏バテ気味でした。肉類や油物は、やはり食指が動きません。そこで、重宝したもの。それは冷たい麺類。
もともと麺類好きですが、この夏は、月曜日は古城そば、火曜日は素麺、というローテーションがほぼ3ヶ月近く続きました。
背景に、月曜と火曜が強制休肝日であること(≒飲めぬなら酒の肴は不要)も否定できませんが、それ以上に冷たい麺類くらいしか食べる気がしない・・・。
ただ、個人的に有難いことに、この夏でも近くの食品スーパーに「辛味大根」が売られていたので、それを常備して、その絞り汁で「創味のつゆ」を割ってそばつゆとして使っていました。秋の上田地方特産の辛味大根である「ねずみ大根」には辛さで負けますが、普通の大根(青首)に比べれば十分の辛さがあります。1本200円弱と、値段は秋の「ねずみ大根」の4倍しても、この辛さが食欲増進には欠かせませんでした。

 それと、火曜日の素麺。薬味には、刻みネギだけではなく、卸ショウガやミョウガ。このミョウガ(茗荷)は、元々は中国から渡って来たと云われていますが、中国では専ら漢方薬の材料として使われ、食材として栽培されているのは日本だけなのだとか(多分生で食べるのは日本だけ)。
ミョウガも、ワサビやセリ、またミツバや青ジソ(紫蘇は中国原産)などと同様、我が国特有の“和製ハーブ”と言っても良いかもしれません。こうした独特の香りも、食欲増進(夏バテ対策)に効果があると云われています。
まぁ効能云々はともかく、単純に「食べたくない」、或いは「食べたい」、の結果ではありますが・・・。

 因みに、夏の日曜日の昼食は、これまた決まって冷やし中華でした。しかも、上田に工場のある信越明星食品の2食入りの冷やし中華。これ、松本ではツルヤ(でしか見掛けない)で100円しないのですが、大手のマルちゃんやシマダヤの冷やし中華(3食で200円弱)に比べても味に遜色ありません。パッケージも、コスト故か、業務用の様なシンプルそのものですが、これで良いと思います。なお、奥さまは冷やし中華が好みではないので、母の分と合わせて自分で調理。キュウリを縦にスライスし、重ねて細く刻んでトマトを切ってトッピング。タレは決まってポン酢しょうゆ味(自分用には、和辛子と、時々、京都風?にマヨネーズも)。

 些か、ワンパターンではありましたが、飽くことも無く日は過ぎて、やがて間もなくお彼岸・・・。今年は、ヤレヤレの夏でした。

 何度も取り上げた、我が(独り酒の)バイブル「ニッポン居酒屋放浪記」(第505話他)の著者、太田和彦さん(我が家の本棚にもある、氏の「居酒屋百名山」をバイブルに全国の居酒屋を巡る愛好家も多いそうです)。
本職はグラフィックデザイナーでありながら、居酒屋好きが嵩じて、いつしか「居酒屋評論家」(吉田類氏よりずっと前から)。そして、松本出身にして高校の(大)先輩。TVでは、BS11で毎週水曜日に「ぶらり旅~いい酒・いい肴」が放送中です。

 多分その番組のために取材されたであろう内容を中心に、最近著作としても出版されました。従って、TVとそんなに内容は違わないだろうとは思いつつ、TV同様(第776話)に「松本」や、そして「木曽」(父上が北京で教員をされ、引き上げ後、郷里の長野県で教員生活を再開されて県内各地を異動されたため、小学5年生から中1まで木曽に移り住んだとのこと)も掲載されていたので、思わず購入してしまいました。
書名は「ニッポンぶらり旅 アゴの竹輪とドイツビール」(集英社文庫)。掲載された「鳥取」編の中の小見出しが書名に使われています。

 「松本」編は、木曽同様に他の街よりも多い7つの短編が掲載されていて、著者の育った地への“思い入れの深さ”が感じられます(本作に収められた各編は、「あとがき」に拠れば、「サンデー毎日」連載執筆のため、大震災後に「こんな時に、旅なぞしていてイイのか」と自問しながら書かれたモノだそうです。最初は、遠出する気になれず、自宅から近い横浜へ。そして、国の安寧を願い、日本人の“心のふるさと”、「国のまほろば」奈良へ。更に、自身の安寧を求めるかのように、育った故郷を訪ねます)。
「松本」編では、TV番組の中でも言っていて「ナルホド」と頷かされた件(くだり)も文中に収められていました。曰く、
「松本城は町の真ん中の平城で・・・全景が目の高さで見え・・・市民は朝に夕に城を見て帰り、ライトアップされた夜の水鏡に映る逆向きの城影は誰もが足を止める。・・・城が記念物としてではなく、日々の心のより所になっている意味では松本城は今も現役だ。」(電車で通勤していた時は、まさにそうでした)。
として、「もし、松本にお城と山が無ければ、何ともつまらない街になっていただろう」と、私も本ブログの最初の頃に書いた記憶があるのですが、その理由が平城にあるということを再認識させてくれました(山城或いは平山城の方がカッコイイと、これまでは羨ましく思っていましたが)。

 「私は理屈っぽく偏狂な信州人を嫌って東京に出て、既に四十年が過ぎた。知らぬ間に故郷松本は、町並み美しく、芸術を愛するすばらしい町になっていた」。
勿論、個人的には異論もあります。例えば、氏曰く、
「松本は珍しく町再開発のみごとな成功例だ。・・・古い看板建築商店などはそのまま残し、町並みのアクセントと昭和の記憶の継承になっている懐深い整備だ。」
取り残されたが故の結果論であって、ちょっと褒め過ぎのような気もします。
また、「文化都市としてのソフトもまことに充実した」として、SKF(今年からOMF)と「平成中村座」を挙げ、その件で串田和美さん(まつもと市民芸術館々長)の言葉を引用し、
「音楽も演劇もどんなに優秀なものを作ってもそれだけでは成り立たない。松本の観客はほんとうにいい。」
果たしてそう(≒褒められたことに、市民はもろ手を挙げて喜んで良い?)でしょうか。中でもOMFは曲がり角を迎えているような気がします。ボランティア組織解散・再編の一件だけではなく、例えばマエストロ・オザワが振らかった時のオペラは、かのメト主席のファビオ・ルイージが昨年も振ったのに、客席には空きが目立ったとか(私は当初からSKFよりハーモニーホールの音文派・・・そんな一派があるとは思えませんが、個人的に・・・なので、ミシェル・ベロフのオール・ドビュッシーでの復活リサイタル以外は行ったことはありません。でも、ルイージの振った今年のオーケストラAプロは、マーラーの5番でしたので、聴きたかった気もしますね)。お祭り騒ぎの単なるミーハーでなく、これで果たして“音楽文化都市”と言えるのでしょうか?

 確かに、自分が生まれ育ったこの松本は(主観的に)本当に良い街だと思います。勿論大好きです。でも、名実共に、そして外で暮らす松本出身の人たちにもそれを誇りに思ってもらえる街に(肩肘張らずに、肩書きの無い市民一人一人が、自分の範囲で出来ること、或いは成すべきことを)していかないといけませんね。
 TV放送にはなく、本に掲載されていた中で嬉しかったのは、太田さんが母校を訪ねる件(くだり)。ちょうど7月下旬(震災の年2011年)の文化祭「とんぼ祭」にわざわざ合わせての訪問だったようで、期間4日間全て通ったのだとか・・・。
「イイなぁ・・・」。太田さんの“若いやつら”への視線の暖かさに、共感と涙を禁じ得ませんでした。
「この年代は誰もそうだと思うが、自分がぐんぐん成長していることが毎日わかった。“深志の三年間”という言葉に同窓生は共通の思いがある。」
音楽部の公演も聴いてくれたのだとか。フォーレの「ラシーヌの雅歌(ラシーヌ頌)」。オケは「新世界」とか。軽音やバンドの演奏に酔い、「全く凄いやつらだ」。太田さんの所属した美術部「アカシア会」の展示にも顔を出します。
昼間知り合った新聞部員に「もう、取材なんかやめろ、君もあの泥の輪に入れ」と、彼の背中を押して最後のファイアーストームに送り出します。
(後日、“押してくれたこと”への感謝と決意の手紙が彼から届いたとか)

 そして「松本」編の最後は、次のように締め括られていました。
「大震災後の虚無感を埋めようとやってきた故郷で私は自分の“根”を確認した。そして、その根も失わされた人々を思った」。
【追記】
父上が教頭先生として赴任されていたという神坂中学。それを主とした「木曽」編も実にイイ。その地を訪れ、旧神坂村の、村を二分し、時の県政や政府をも巻き込んだという1958年の越県合併・分村(その47年後の2005年、長野県旧山口村は越県合併で岐阜県中津川市に編入され、半世紀を経て二分された地がまた一つになったのだそうです)という未曽有の混乱の渦中で過ごした子供時代の思い出の地を訪ねる中で、残された記念写真の中に、「子供たちには関係ない」と教育継続に奔走された亡き父上の姿や自筆の額を発見し、感慨に耽る太田さん。他の編と違い、「木曽」には酒の文章はあまり出て来ません。でも、本当に味わい深い。読みながら、きっと涙ながらに書かれているに違いない・・・そんな感じのする文章でした。
そして、評論家でもある川本三郎さん(著書「いまも君をおもう」始め、私の好きなエッセイストでもあります)が、「きれいに酒を飲む」と題して文庫本の解説を書かれていました。
先ず、「太田さんの旅は、出かけてゆく旅というより、帰ってゆく旅だ。」と断じられ、「(故郷松本や木曽のこと、亡き父のことを書いた)このあたりは、同世代として、涙なくしては読めない。分りすぎるほど分る。」
そして、エッセイ全体を評し、「そうした思い出と共に飲むから、太田さんの酒は、静かで、きれいなのだ」と書かれていましたが、全く以って同感。
そして、何より川本さんの解説自体が、素晴らしい一篇のエッセイでした。

 18才の天寿を全うし、天に召されて行ったチロル。
毎朝、チロルにも「オハヨウ!」と声を掛けてから、ナナと散歩に出掛けて行きます。
この一年間、時にチロルのちょっとした仕草を思い出して、家内と二人で「あぁ、チロルに逢いたいなぁ・・・」と何度思ったことか・・・。

 そんな思いが通じたのか、目が覚めてからも覚えているだけで、チロルが三度ほど夢の中に出て来てくれました。
時に、何故かラブ並みに大きかったり、ゴールデンの様に毛がふさふさしていたり。でも、毛並み(模様)や顔はチロルのままで、名前を呼ぶと(夢の中では、何故か1㎞も先から)一目散に駆け寄って来て、ジャレて、最後はお決まりの“服従のポーズ”。

 目が覚めては、「そうか、夢かぁ・・・」と思いつつも、きっと天国でも元気に走り回っているだろうチロルに逢えて、何となくほっとして、そして嬉しくて、起きてからも暫し余韻に浸っている自分がいました。
 「また、夢に出ておいでよネ、チロル!」
今日、9月5日で一周忌を迎えました。

 奥さまが買い物を終えてショップから出て来られたので、「八ヶ岳倶楽部」の駐車場へ行こうとしたら、通路脇の植え込みの山野草に大きな黒いアゲハチョウがとまっていました。
写真を撮ろうと携帯を取り出すと、ヒラヒラと舞って違う場所に。結局撮影することは出来ませんでした。それは、“カラスの濡れ羽色”の様な、真っ黒な大きな羽に青い筋が縦に入ったアゲハチョウ。多分カラスアゲハかミヤマカラスアゲハでしょう。久し振りに大きなアゲハを見た気がします。
奥さまが、
 「あっ、オオムラサキだ!」
 「違うズラ。カラスアゲハだってばヨ!」
図鑑知識だけの文学少女で、外で遊んだことの無い人と、子供の頃、昆虫網を持って野山を駆け回った人間と、一緒にされたくありません。昔は、アルプス公園(子供の頃は県の種畜場で、牧場が拡がっていました)で、ヤマキチョウなどの亜高山帯のチョウも見掛けられたので、夏休みの昆虫採集などで良く走り回ったものです(殆ど人は居ませんでした)。
でも、そんな奥さまですが、ジバチ採りは諏訪での子供の頃に(誰かに付いて行っただけでしょうが)行ったことがあるとか・・・。
 「あら、ハチノコって美味しいわよ」
と、(普段の虫大嫌い人間で、小さなクモが出ただけで「ぎゃー!」という悲鳴を発せられる方が)平然と仰るのですから、“人は見掛けによらぬもの”です。
自慢ではありませんが、私メは甲虫類は好きでも、ふにゃふにゃした軟体動物は好きではないので、子供の頃、カラタチやサンショウの木にアゲハチョウの幼虫が居るのが分っても、またオガクズや切株などの中にカブトムシの幼虫を見つけても、採取して虫かごで育てるという気にはなりませんでした。ましてや、ハチノコなんぞ・・・。
それに、子供の頃、毎日の様に公民館の広場での三角ベース(分る人居ますかね?)に興じても、松本では(少なくとも私の周辺や学校では)ジバチ採りの話題は一度として出たことはありませんでした。亡くなった父や母方の伯父からは、子供の頃(戦前です)に良くジバチ採りをしたと聞いたことがあります(“海無し県”の信州では、昔はイナゴ同様に貴重なタンパク源でした)。
“スガレ追い”を題材にした映画が昔ありましたが、舞台は確か伊那谷だったような・・・。天竜川のザザムシ文化に代表される南信地区ですので、文学少女までがハチノコを身近に感じる諏訪は恐るべし・・・でしょうか。

 そういえば、北杜市(何だか“杜の都”を連想していまい、山梨県らしく感じませんが、意見が纏まらずの苦肉の選択とか)は、八ヶ岳から南アルプスの甲斐駒一帯にまで広がる旧8町村により、平成の大合併で誕生した市。こちらの大泉村やウィスキー醸造所で有名な白州町、神代桜の武川村、小淵沢町などと共に、長坂町も含まれていますが、この長坂は確か「オオムラサキの里」。日本の国蝶であるオオムラサキを、これまで一度だけ自然の中で生息している姿を見たことがあります(場所は失念)が、その美しい青色に感動しました。ですので、しっかりと覚えていますが(因みに、オオムラサキは、アゲハではなくタテハチョウの仲間)、いくらその長坂がすぐ近くとはいえ、
「絶対に、オオムラサキじゃない!ってば」
(証拠写真が無く、掲載したのは蝶が飛び立った後の「八ヶ岳倶楽部」に咲いていた山野草です)

 小淵沢へ下る八ヶ岳高原ラインの道沿いには、白い花が咲くシシウドや赤いワレモコウ、そしてススキも穂を出し始めていて、高原は早くも夏から秋への衣替えのようです。