カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 特別休暇が今月末で失効してしまうので、母のショートステイに合わせてお休みを頂き、11月中旬、ナナも一緒に軽井沢へ一泊で行って来ました。
元々は、どこか東南アジアでも行こうかと話していたのですが、先立つモノが無く(らしい・・・)、また法事が重なったりしたこともあり、近間に一泊でのプチ旅行と相成りました。
 初日は、軽井沢のアウトレットへ。週末でちょうどバーゲン期間に入ったこともあり混んでいました。それにしても、中国系のツアー客の多いこと。彼等の凄いパワーを目の当たりにして、報道されている“爆買い”を実感しました。
奥さまは、気兼ねすることなく独りでじっくりと半日掛けて品定めの上、念願のグッズを買うことが出来て満足なご様子。私メは、その間ナナと一緒に芝生の上を散歩したり、無料のドッグランで遊んだりして時間を潰し、予約してあったアウトレット内のペットホテルにナナを預けて、奥さまと合流。我々もホテルへ向かいます。
この日の宿泊先は信濃追分。中山道六十九次の20番目の宿場であり、北国街道との分岐点の追分宿として栄えた地です。「小諸馬子唄」に代表される馬子衆の歌う馬子唄が「追分節」として各地に広まり、「江差追分」を始めとする「追分節」の発祥の地でもあります。

 翌朝、ウォーキングを兼ねてその追分宿を散策し、一度訪れたかった「堀辰雄文学記念館」へ。宿場は、木曽の奈良井や妻籠のような町並は残っておらず、往時を偲ばせるのは、分岐点に立つ「分去れの碑」と本陣の裏門を移築したという記念館への正門くらいでしょうか。宿場町としては、この周辺であれば、東御市の海野宿(北国街道)や長和村の和田宿(中山道)の方が当時の面影が残されています。
 これまで、追分に泊まっても来たことが無かった「堀辰雄文学記念館」。
広い敷地の中に、旧堀辰雄邸と書庫、管理棟を兼ねた展示室と常設展示棟が建てられています。まだ新しい住宅風の常設展示棟は、それもその筈。2010年に96歳で亡くなられたという多恵夫人が、辰雄の没後に建てて夏を過ごした家とか。
堀辰雄は、師である室生犀星に連れられて、大正12年、19歳で初めて軽井沢を訪れ、大正14年には滞在中に芥川龍之介らとドライブで追分を訪れて静かなこの地が気に入り、昭和19年には追分に定住。26年に浅間山を望むこの場所に新築移転し、28年に49歳で亡くなったのだそうです。そして、終焉の地であるこの場所に平成5年(1993年)に記念館が開館したのだとか。そして、昭和9年に書かれた「美しい村」は軽井沢そのもの。
 個人的には、堀辰雄で真っ先に浮かぶのは「風立ちぬ」。
辰雄自身も結核を患った昭和6年に、富士見町の高原療養所(現富士見高原病院)に入院していたことがあり、昭和9年に婚約した矢野綾子も辰雄の紹介で高原療養所に入院し、翌年死去します。その思い出を基に書かれたのが「風立ちぬ」。フランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩を辰雄自身が訳したという「風立ちぬ、いざ生きめやも」。
昭和13年に多恵夫人と結婚。辰雄の死後、自身も文筆活動を行なったという多恵夫人。病弱な辰雄との生活は、殆ど看護と看病の毎日だったと云います。直筆の原稿や書簡以外にも、辰雄の着た白いセーターやマフラー、愛用の品なども館内に展示されていましたが、セーターなど虫食いの穴も無く、没後40年近くも良く保存されていたと感心しました。「風立ちぬ」の「黄色い麦わら帽子」から連想されるのは、婚約者だった「矢野綾子」かもしれませんが、影になり、ずっと辰雄を支えて来たのは加藤多恵その人だったことを知りました。
辰雄が悩みながらも「いざ生きめやも」と記した想いを、彼女がずっとこの場所を離れずに守り続けて、その辰雄の分まで、96歳の長寿を全う出来たのが救いでしょうか。
 それにしても、師と仰ぐ犀星や龍之介(堀辰雄の東京帝大の卒論は「芥川龍之介論」。直筆の論文が展示)に始まり、王朝文学の教えを請うた折口信夫、辰雄を兄と慕い続けたという立原道造や、後年、辰雄と交流した福永武彦、そして川端康成(増上寺で営まれた辰雄の告別式の葬儀委員長。岸田今日子が故人の詩を朗読)等。まるで、近代の日本文学史の一端を垣間見るようで、文化人に愛された軽井沢を知ることが出来ました。因みに、旧邸宅の日当たりの良い居間には、高峰三枝子から贈られたという藤の椅子がそのまま置かれていました。

 学生時代の“文学少女”に戻った様な家内を含めて、感激で胸一杯になりながら見学した「堀辰雄文学記念館」。
「想像以上に良かった、ネ!」
その間、私たち以外に見学者は1名だけ。軽井沢から少し離れていることもありますが、勿体ない。ここは、アウトレット以外の軽井沢の魅力を知ることが出来る、本当に素敵な場所でした。

 入館に際して、記念館のスタッフの方々が三人で軽井沢の見学コースを一生懸命説明してくださり、
「近くの有料には停めずに、少し離れますがここに無料駐車場もありますから」と、地図にマーカーで印までつけて頂きました。
そして、「もう一つ行けば元が取れますから」と勧められて購入した町営施設の共通入場券。この記念館だけでなく、地元を本当に愛していることが伺えて微笑ましく感じました。
見学を終えて、先程のスタッフの方がアプローチの落ち葉を掃除されていたので、
「ありがとうございました、凄く良かったです。感激しました!」
とお礼を言うと、嬉しそうに、
「どうぞ、お気を付けて。良い旅を!」
俗な“おもてなし”とは違う、郷土愛と言えば良いのか、清々しい気持ちで追分を後にしました。
 その後教えていただいた地図を頼りに、紅葉で有名な雲場池(残念ながら紅葉は終わっていました)を散策してから、重要文化財の旧三笠ホテルへ。
受付で共通入場券を出すと、受付の方がビックリされて「あっ、ありがとうございます!」と満面の笑み。
「そうか、共通券で来る人はあまり居ないんだ。」
でも、ここでも故郷を愛する気持ちが知れて、ちょっぴり感動しました。