カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年も一年間、本ブログ「三代目の雑記帳」をご愛読賜り、誠にありがとうございました。

 果樹園のH/P開設と共に始めたこのブログも丸7年が過ぎました。年々アクセス数も増え、4年前には年間15万件を数えましたが、ネタ切れと隔日での掲載に疲れ、以降二日おきのペースでの掲載とさせていただいた3年前には減ったものの、それでも12万件とほぼ毎月1万件というアクセスをいただきました。そして昨年からまた増え始めて13万件を超え、今年は過去最高の17万3千件を超えるアクセスをいただきました。
このページを借りて、謹んで御礼申し上げます。ありがとうございました。     

 私事ですが、今年のトピックスは、先ず3月に3年後の本格的収穫に向けて、リンゴの新ワイ化のふじ160本の移植を完了させたことでしょうか。
そしてプライベートでは、週末だけですが、奥様の朝のウォーキングに付き合いだした結果、秋に二人で栂池と入笠山への本格的なトレッキングデビュー。そして、週末のアルプス公園のみならず、街中への早朝ウォーキング。そこでモーニングセット目当ての老舗の喫茶店巡りや「源智の井戸」の美味しさを知り、我が家のドリップコーヒーの味も劇的に変わったことなど、松本の魅力再発見の年でもありました。そして、相変わらずのハーモニーメイトとしてのクラシックコンサート通いや、今年初めて知った松本落語会。
今後への楽しみが増えました。

 当然ながら、反省すべきも多々ありますが、年の節目にあたり、「ヨーシ、来年は頑張るゾー!」とまた心のギヤを入れ替えるべく、新たな年を迎えたいと思います。こうして、心の切り替えを出来るのが、きっと人間の(ずるくも)良いところだと思います。

 来る2016年「も」、或いは「こそ」、皆さまにおかれましてもどうぞ良い年でありますように。
                        カネヤマ果樹園一同+ナナ

 12月19日の夜。松本ザ・ハーモニーホール(以下略称“音文”)。
小曽根真さんのピアノトリオにエリック宮城(ミヤシロ)さんのトランペットをフィーチャーしたスペシャルバンドで、音文主催コンサートとして“Xmas Jazz Night”が開かれ、勇んで聴きに行きました。
 小曽根さんは昨年6月にも師匠ゲイリー・バートンとのグラミー賞受賞デュオでのコンサートが音文であったのですが、会社の重要会議の日と重なり断念。
今回は、ここ数年(年を重ねった結果)聴き始めたJazzの中でも、好きなピアノトリオにハワイ出身日系三世のエリック宮城さんのトランペットがフィーチャーされた、信州ではなかなか聞けないであろうJazzライブです。
小曽根さんとエリックさんはTVで演奏を聴いたことがありますが、小曽根さんはクラシック音楽も演奏されていますし、また所謂ハイノート・ヒッターと呼ばれるエリックさんの超絶技巧には唖然とした記憶があります。お二人共Jazzの名門ボストンのバークリー出身(後述のベースの中村さんも)で、若い頃から本場米国で活躍された世界的ジャズミュージシャンの面々。

 この日のチケットは完売とか。客層もですが、ホールも天井にも照明が当てられていて、いつものクラシックの演奏会とは少し雰囲気が異なります。
客席後方から小曽根さんがスポットを浴びながらにこやかに登場。早速、ピアノトリオでのセッションで開演、二曲目からエリックさんが登場。最初は、クラシックのコンサートとは違う(クラシックギターでは使われますが)電気的に増幅された音に些か戸惑いつつも(普段演奏されるライブハウスとは異なる天井高ホールの容積故、ベースはともかく、ピアノは無くてもイイ様な・・・?)、直ぐに違和感も無くなります。
それにしても、さすが世界の“ハイノート・ヒッター”。生で聴くエリックさんのトランペットの、高音の何と優しく暖かな音色なのでしょうか。溜息が零れます。
エリックさんは、若い頃米国の有名バンドに入り、そのツアーで60数日間連続で演奏し、途中唇が切れたこともあるのだとか(それでも、演奏方法を敬愛するボビー・シュー?さんからアドバイスを受けて、演奏を続けたのだそうです)。トリオを組む中村健吾さん(Bs)も高橋信之介さん(Ds)も巧い(小曽根さんの説明に依ると、特にホールでのドラムス演奏は、そのバランスがとても難しいのだとか。「信之介はパーフェクトです!」との紹介)。
皆さんのアドリブソロにホレボレします。皆さん、小曽根さん率いる15名のビッグ・バンド“No Name Horses”のメンバーとか。
ジャズの良いところは、クラシックの様に息を潜めて聴かずとも、ソロの後で起こる拍手など、リラックスして聴けること。自然と体もスウィングして行きます。それと、ジャズプレイヤーの人たちって、総じて皆さん優しくて紳士の様な気がします。
 途中休憩を挟んで、小曽根さんとエリックさんの曲を中心に、マイルス・デイビスの曲などを含め、前後半で9曲を演奏。Jazzは素人ゆえ、スタンダードな曲しか知りませんので、初めて聴く曲ばかりでした。
スタンディング・オベーションの拍手に応えて、最後に、今宵銘打たれたクリスマス・コンサートに相応しく、カーテンコールに応えて、アンコールとして客席の合唱もリクエストされての“Silent Night”。途中で、エリックさんが客席に降りられて、通路を一周しながら耳元での演奏をプレゼントしてくれました。何とも心温まる“ハートフル(Heartfelt?)”な夜でした。
 「こんなJazzが松本で聴けるなんて、夢みたいだよね。ウン、良かった!」
(えっ、チック・コリアも聴きに来ようかな!って?・・・)

 先日の日曜日の早朝。ナナの散歩から帰って来ると、奥さまが、
「やることを(自分は)前日にしっかり終わらせたから、どこかお薦めのウォーキングコース無い?」
と、チョッピリ(場合によっては車で)遠出してのウォーキングをご所望。

 この日は生憎の曇り空で山は望めず、歩くとしたら町並みの素敵な場所・・・と考えても、まさか奈良井宿は遠過ぎるので、「岡田宿は?」と伺うも、反応は今一つ。「では、喫茶店のモーニングは?」と聞くと、乗って来ました。
「でも、こんな早くからやっている喫茶店て、まだ他にもあるの?」
時間は朝の7時半。確かに、これまで市中の「まるも」、「花月」と「アベ」は訪問済み。それがあるんですね(自分も行ったことは無いのですが)、我が家からの徒歩範囲に。
・・・ということで、母の朝食の準備を済ませてから、出発。行先は、北松本(白板)。喫茶店の名前が出て来ませんが、場所は分っています。

 北松本へ行く道路は、北松本駅の線路の下をガードで潜るのですが、いつも車で通過するので、脇に歩道があるとは思わずに結構遠回りをしてしまいました。
通称「こまくさ道路」の大手1丁目の信号から、国道19号線の白板(松島橋)に至る一つ手前(東側)の信号を左折(南進)してすぐの小さなビルの1階に、その喫茶店はあります。純喫茶「ピーナッツ」。
週末も朝7時から営業。決して古い喫茶店ではなく、数年前にオープンした筈。昔は食堂だったかなぁ・・・?小さなお店です。

 それにしても、今時“純喫茶”とは・・・。“カフェ”の方が、若い人は来易い(呼び込み易い)だろうに。しかも名前が「ピーナッツ」とは?・・・と訝りつつドアを開けます。
中は、10席に満たないL字のカウンター席と、入口に2人掛けと4人掛けのテーブル席。カウンター背後の壁一面の本棚には、マンガ本(コミック)がビッシリ。そして、日経やスポーツ紙を含めて新聞が5・6紙。
「あぁ、昔懐かしい喫茶店だ・・・。」
これなら、“純喫茶”と名乗っても決して違和感はありません。
 こちらのモーニングサービスは、営業開始の朝7時から10時半まで、どのドリンクにも半トーストとミニサラダ、ゆで卵がサービスされます(個人的には、ゆで卵がセットで付く或いは付けられるのが、モーニングセットの大事なポイント!・・・だと勝手に決め付けています。それに、ミニサラダのドレッシングも、単純な市販品ではなく、ちゃんと一手間加えた自家製の様で、個人的には高印象)。名古屋風の小倉餡や一枚のトーストへも追加オーダー可能です。私はコーヒー(440円)。奥さまは、歩いて来て暑いからとミックスジュース(500円)。
 カウンターには、皆さん常連さんなのでしょう、4・5人程。オーナーは、何と?うら若き女性。お独りで切り盛りされているようです。
皆さんお独りで、コーヒーを飲んだりモーニングセットを食べたりしながら、静かに新聞やコミックを読んでおられます。
 「誰々、もう来た?」
 「今日はまだ来てないけど・・・」
せいぜい、常連さんと女性のマスター(ミストレス?)との、そんな会話程度。ゆったりとした時間が静かに流れて行きます。店内のインテリアや置かれた雑貨も含めて、確かにここは昭和の“純喫茶”。初めてなのに、どこか懐かしさが漂っていました。昼には、“らしく”オムライスやナポリタン、カレーなどの軽食もあるようです。

 奥さまは、「もうちょっと、愛想が良くてもイイのに・・・」と厳しめの評価です。
うーん、そうかもしれませんが、常連さんになればまた違うでしょうし・・・。少なくとも、中年の男独りなら、十分満足な空間がそこにありました。
(・・・ということで、独りの時にまた来まーす!)

 少し前のことになりますが、いつもの園芸店にお願いしている庭の衣替えに合わせて、奥様が今回はご自分で寄せ植えの鉢を作られました。

 先ず、零れ種で増え過ぎたというクリスマスローズを鋤いて、更に10数株は鉢に植え替え、お友達や実家に分けて上げました。暖冬予想らしく、もう花を開いたり、蕾を付けている株もあったとか。
 葉物が伸び過ぎたという寄せ植えの鉢は、いつもの園芸店に行って、耐寒性等の植栽選びのアドバイスを受けながら購入し、ご自分で植え替えをされました(素人にしてはマズマズでしょうか。ご自身は大満足のご様子)。
 シンビジウムも、今年は二つの鉢に幾つも花芽が出ていると嬉しそう。鉢によっては、8本ほど花芽が付いているとか(多過ぎないかと心配して、家内が園芸店の方に相談しましたが、そのまま咲かせても大丈夫とのこと)。
今年は暖冬ですが、霜にやられないようにと、11月末には玄関の中に避難させました(大分花芽が大きくなりました)。
 冬から春向けの花壇の植え替えは、定番のビオラやプリムラ、そしてハボタンなど耐寒性の植栽と、チューリップなど春咲きの球根を組み合わせ、今回も階段状の花壇毎に、黄・橙色系、白、赤系、青・紫系と、いつもと同様に段毎に色を統一して植えていただきました。ビオラも、今では八重咲きなど品種も増えていますし、ハボタンでは寄せ植えに向くような随分小振りの品種も出ています。
こちらは、春先の芝焼きに向けて、最後の芝刈りを短めに刈り込んで作業終了。我が家の庭は、一足先に春を迎える準備が出来ました。

 小学館から毎月2回発刊されてきた、全50巻のクラシックプレミアム。
魅力は高音質のSHM-CDで、発売当時話題となった往年の“ベスト盤”中心に構成され、中には私の学生時代には既に定評のあった嘗ての名盤も含まれていることでした(第830話)。そして、この11月末を以って2年間に及んだ全50巻の配本が終了しました。

 「嘗て」の中には、1960年代前半という半世紀以上も前の古い録音も含まれているのですが、これが驚くほどの高音質で蘇りました。
例えば、43歳の若さで夭逝してしまった、イシュトヴァン・ケルテスの出世盤となったVPOとの「新世界」。これは54年前の1961年の録音。若きケルテスが名門VPOと対峙した、情熱溢れんばかりの熱演で、当時から名演と評判の高かった録音です(その後もVPOとの良好な信頼関係を築きながら、ケルテスの突然の事故死で未完となったブラームスの交響曲全集に収録するハイドン・バリエーションの終曲パッサカリアを、VPOが氏の追悼のために指揮者無しで録音したのは有名なエピソード)。驚くべきは、例えばティンパニーの超ド級の迫力。(それなりの大音量で聴いていたこともありますが)度胆を抜かれました。個人的には、超優秀録音(普通のCDです)だと思っている2008年のオザワ&SKOの「巨人」のライブ録音の、特に第4楽章でのティンパニーにも匹敵するほどでした。このVPOとの「新世界」の評判により、ケルテスは後年首席指揮者となったLSOとも全曲録音します(その7番と8番「イギリス」のLP、そしてVPOとのモツ・レクのCDが手許にありました)。
 そして、ベルリオーズの「幻想交響曲」を初演するなど、歴史あるパリ音楽院管弦楽団を発展的に解消し、政府肝いりで1967年に創設されたパリ管弦楽団の初代主席指揮者に招かれたミュンシュ(これまで、歴代唯一のフランス人指揮者)の「幻想」。今でもベスト盤に挙がるほどの歴史的名盤です(ミュンシュは就任の翌年68年に急逝。残念ながら、本シリーズには含まれていませんが、BSOを指揮してのサン=サーンスの交響曲3番「オルガン付き」は、LPとCD両方持っていますが、今でもベスト盤だと思います)。なお、自身が持っている「幻想」のLPは、よりフランス的なマルティノン指揮のフランス国立放送管(現フランス国立管)盤でした。
この「幻想」も、管楽器を初めとするオケ自体の旨さと新生パリ管としての意欲も手伝ってか、天才ベルリオーズが描いた、この曲の持つ天使と悪魔のような“豪華絢爛的狂気さ”(変な表現ですが)を描き切った名手ミュンシュの演奏自体の凄さに加え、1967年という、やはり50年近く前の録音とは思えぬ程の音の良さでした。
 勿論、当時の録音エンジニアと機材の優秀さもあるとは思いますが、50年以上も前の音とは到底思えず、“ Super High Material ”(SHM)と呼ぶのに相応しい音質の良さを思い知らされた気がしました。
時代遺産としての演奏そのものは(例えSPやモノラルであっても)色褪せぬとも、今回の“マスター音源に限りなく近い”というSHM-CD化により音質が飛躍的に向上し、改めて輝きを得て現代に蘇ったようで、ハイエンドでもない古い装置(当時の中級機で構成したオーディオ装置と自作スピーカー「スワン」)で聴いているオーディオファンとしても大いに満足出来ました。
 シリーズの中には、他にも、同じくパリ管の前身時代のパリ音楽院管を指揮したクリュイタンスのラベル作品や、ランパル&ラスキーヌの「Fl.とハープのための協奏曲」(パイヤール)など、今でも名演として必ず名前が挙がるような往年の名盤が含まれていて、勿論、LPやCDで既に手許にあるものも幾つもあったのですが、それはそれ。音の良さは比べるべくもありませんでした。また、小学生の音楽の授業で必ず聴くような、あまりに有名過ぎて買わなかった曲(例えば「アルルの女」とか「ペール・ギュント」。器楽の名曲の小品集とか)も今回のシリーズの中に入っていたのも、今後も個別には多分買わないでしょうから、入門編としての“名曲コンサート”的にも全巻購入にして良かったのではいかと思います。
そして、個人的に一番の収穫は、これまで“聴かず嫌い”だったであろう、シューベルト「ザ・グレイト」(晩年のベーム指揮SKDのライブ録音。第863話)の素晴らしさを知ったことでしょうか(一度生で聴きたいと思います)。
 その間、CDジャケットが余りに貧弱なので、捨ててしまうカラー印刷の外箱をジャケットサイズに切ってCDジャケットにしたり、最適なCDボックスが見つからなかったので、板材をカットして自作したり(第919話)と、ただ聴くだけではなく、それ以外でも結構楽しむことが出来ました。
 私にとっては、初めて購入した分冊百科でしたので、定期便で届くモノがなくなりチョッピリ寂しくなりました。
(また何か、オーダーしようかな・・・うーん、志ん朝か談志の名演集とか・・・?)

 11月末の週末。
父の三回忌を無事済ませたので、ホッとして、翌朝久し振りに家内と市街への早朝ウォーキングへ。

 いつも通りに、お城を通って、この日の行先は“天神さま”こと深志神社です。お城では、今回は裏手から二の丸跡を横切って城内へ。余り入ったことの無い、二の丸御殿の場所(天守閣を含む本丸庭園以外は、松本城公園として一般開放されています)から仰ぎ見る天守閣も堂々たるものです(むしろ、こちらが正面?なお、明治維新後に筑摩県庁舎としても使われ、政争が原因での放火だと当時風評で云われ、明治9年に焼失した二の丸御殿跡は、発掘調査に基づいて建物跡が分るようになっています。将来、熊本城の様に再建されると良いのですが、先ずは西堀の復活工事が優先)。
それから、緑町から女鳥羽川を渡り、駅前通りを横切って、市民芸術館の裏手(どちらが表か分りませんが)に隣接する深志神社へ向かいます。
地元では、親しみを込めて“天神さま”と呼ばれている深志神社は、南北朝時代に北野天満宮から勧請された菅原道真公を祀る神社ですので、地域一帯の“受験の神様”です。我々もお願いがあって今回お参りをしました。

 知りませんでしたが、境内の由緒書きに拠れば、元々のルーツは信濃国守護だった小笠原氏が、1339年に戦勝御礼として戦の神様でもある“諏訪明神”建御名方命(タケミナカタ)を祀った神社(宮村大明神)で、その後1402年に天満宮を勧請して併設(宮村両社とも呼ばれていた)。以降産土神(うぶすなかみ)として歴代城主から、お城と城下の鎮護の神社として庇護を受けて来たのだそうです。そして、天保12年に京都吉田家の認可を受け、正式に「深志神社」という現在の名称になったのだとか。余談ですが、松本が舞台となった「白線流し」のロケ地でもあります。
てっきり“天神さま”とばかり思っていましたが、祭神として建御名方命も祀られていることを初めて知りました。でも、やはり市民にとって、ここは“天神さま”。受験シーズンに向け、境内にはたくさんの合格祈願の絵馬が掛けられていました。“受験戦争”という意味では、学問の神様と戦の神様双方の加護があれば無敵かもしれませんね。七五三のシーズンは終わりましたが、この日もお宮参りのご一家が来られていました。そう言えば、我が家の娘たちもお宮参りはここ、天神さまでした。
 「どうぞ、ご加護がありますように・・・」
 その後、今回は家の片付け等があるので喫茶店には寄らず、「源智の井戸」で一本だけペットボトルに水を汲み、上土通りから外堀沿いの片端、そして新町を越えて御徒町へ入り、途中、私設の「康花美術館」(一度来ようと思っています)や下級藩士“御徒衆”の武家屋敷である市文化財「高橋家住宅」の前を通って、大門沢川に沿って坂を上り沢村を通って我が家へ。往復約二時間で、9km近くは歩いたのではないでしょうか。
 小笠原氏の支城があった今の場所に城を築き、城下町の基礎を整備したのは甲州から信濃に攻め入った武田信玄です。お得意の土木工事で女鳥羽川の流れを変え、城下の外堀の役目を果たさせたとか。その女鳥羽川を挟んで、北側が武家地、南側が町人地に分れていたそうです(天神さまは南にあるため、城下南半分の商人町の総氏神様)。
大手○丁目とか深志○丁目などと今の住所を言われてもどこか分りませんが、旧町名の方が今でもピンと来ます。
中心街の「大名町」や「本町」に始まり、上述の「御徒町」は元より、他にも「鷹匠町」や「博労町」など、往時の城下が偲ばれる旧町名が、石の標識にその由来と共に刻まれています。因みに天神がある界隈は「飯田町」。小笠原氏が、身を寄せていた分家の飯田から戻る際に、職人を連れて来て住まわせたことから名付けられたそうです。
城下町故、一方通行や狭い道が多く、車では走り辛いのですが、歩いてみると、例えば新しい方向からの眺め(景色)だとか、普段は気が付かなかった、或いは車では見落としていたような“街の顔”とか、結構色々な“発見”がありました。

 毎週休肝日の定番メニューである「古城そば」(松本市熊谷製麺)。
いつも辛味大根を何とか探し薬味にしているのですが、秋になって、漸く坂城町特産のネズミ大根が上田地方に出回り始めました。また甘みの強く色鮮やかな上田みどり大根(地元では単純に「おろし大根」と呼ばれています)も、最近は松本でも東信系のスーパー「ツルヤ」にも時々並んでいることがあるので、オシボリ蕎麦派や大根おろし好きには最適のシーズンです(何のこっちゃ!?)。この時期の我が家では、常時店頭に並んでいる上田のスーパーで(帰宅時に)購入した、ねずみ大根と上田みどり大根を常備しています。
但し、「古城そば」は、如何にも信州そば(ジャブジャブ浸して食べる)風の付属の「そばつゆ」が私には甘過ぎるので、家内が料理用に使う「創味のつゆ」をオシボリ(辛味大根を卸した絞り汁)で3倍に薄めて江戸前風のそばつゆにしています。ただ、気候のせいか、今年のネズミ大根は辛味が少し弱い様な気がしますが果たしてどうなのでしょう?個体差なのかもしれませんが、今のところ、手や口が痺れるような辛いのにまだ当っていませんので。

 先日、ショートステイで母が居なかった日は、古城そば2パックでは量が多いので、3人前の「安曇野道祖神そば」(安曇野麺匠)を久し振りに購入してみました(2パック4人前の古城そばと一袋3人前の道祖神の値段は450円程で殆ど変わりません)。その時点で「古城そば」は未だでしたが、こちらに“新そば”シールが貼ってあったこともありましたので、以前の“酷評”(第340話)以来少しは改善したかどうかという興味もありました(って、このブログ記事を読んでいる訳もありませんが)。

 結果は変わらないどころか、むしろ悪くなっていました(但し、好み、味の嗜好は人それぞれ・・・です)。
以前は、味が落ちたとはいえ、まだ二八系という感じはしたのですが、今回は七三以下に感じます。例えば、生蕎麦を茹でた時に少しプチプチ切れる「古城そば」に比べ、「道祖神そば」は見事に全く切れていません。つなぎの小麦粉が多いのでしょう、味も以前に増して、そば粉よりも小麦粉の風味が優ります。
 「えっ、何これ!?これじゃ、うどんジャン・・・」
(蕎麦は喉越し重視!という方には、逆に良いかもしれませんし、温蕎麦には、古城そばはダマになり易いので、こちらの方が向いているかもしれません。但し、我が家では、温蕎麦の時は、「古城そば」よりも更に安くてダマになりにくいツルヤオリジナルの生そばを使っています)
 「どうしちゃったんだろう?」
以前の「赤だすき製麺」時代の「安曇野道祖神そば」は、下手な蕎麦屋よりもよっぽど(有明に住む先輩から「地元の蕎麦屋でも出している処がある程だから」と薦められたくらいに)美味しかったのですが・・・。
工場で安曇野伏流水を使うとか、自動での製麺時に包丁切り(手切り)に近い食感を出すとか、製造上の工夫は大いに認めるところですが、一番肝心の原材料がこれでは・・・。もし材料費(玄蕎麦)の問題なら、多少値段を上げてでも味は変えない方が良いのに・・・と思います。昔は、本当に感動するほど美味しかっただけに残念です(製造している方々が一番お分かりだとは思います。どうか、頑張ってあの味を復活させてください!)。

 疑問のある方は、是非一度「古城そば」(1パック二人前で250円程度)と両方を食べ比べて、ご自分の舌で判断してみてください。
なお、生蕎麦を茹でた後の「そば湯も美味しく飲める」旨の記載がありますが、酸っぱい匂いがする(これは、家庭でも美味しく茹でるには弱酸性で茹でた方が良いため、水道水のpH調整剤としてリンゴ酸が使われていることが多い)ので、確かに(打粉を含め)そば粉はたっぷり茹で汁に溶けていますが、個人的には(名前からして害は無いようですが)ちょっと飲む気にはなりません。やはり、そば湯まで楽しむためには、蕎麦屋さんまで行かないと・・・。最近では、わざわざそば湯に蕎麦粉を溶いてトロミを付けている蕎麦屋さんも多いですから。

 江戸時代の名所図会で“当国一の名水“と謳われたという「源智の井戸」。
周囲を山に囲まれて、女鳥羽川と薄川の造った複合扇状地である松本の旧市街は伏流水が豊富(逆に、伏流水が湧水として湧き出る標高580m辺りに先人が居を構え、やがて町が形成されたとも言えます)で、市内の「まつもと城下町湧水群」は「平成の名水百選」にも選ばれている謂わば“湧水の街”。その代表格がこの「源智の井戸」で、今でも毎分230リットルの水が湧き出ているそうです。市内の造り酒屋では、この水を使って仕込む酒蔵が幾つもあったとか(廃業や郊外への移転で、今では後述の“女鳥羽の泉”で仕込む「善哉酒造」が残るのみ)。
松本城を築城した石川氏の時に、既にこの井戸を保護する旨(「不浄禁止」)の命令(制札)が出されており、その後の歴代藩主も大切に保護し、市の特別史跡に指定された今でも、地元町会の有志の方々が毎朝(!)清掃を担当されるなどして大切に守られています。

 先日、朝のウォーキングで「喫茶アベ」に行った時に、松本駅に立ち寄る奥さまと別れて、「源智の井戸」に初めて水を汲みに行きました。
人形店が立ち並ぶため“人形町”とも呼ばれる高砂通り。落語会が開かれる瑞松寺のすぐ横にその井戸はあり、ご近所の方々などが思い思いに水を汲んで行かれます。八角系の井戸で、水の出る口も八つありますが、多い時は順番待ちが出来る程で、市内で一番人気の湧水です。市外の遠方からも、この水を目当てに来られる方もあるとか。
この水が流れ込む路地の近くの水路には、清流を証明するかのように(誰かが植えたのか?)ナント山葵が二株生えていました。
 早朝7時くらいだったので誰もおらず、持参した2リットルのペットボトルは、注ぎ口から勢い良く流れ出る水で、あっという間に一杯になりました。
大事に持ち帰り(2ℓのボトルを下げて3㎞歩くのは結構キツイ)、早速ドリップ。我が家のコーヒー豆はモカですが、飲んだ印象は、スッキリとした味になり、いつもの水道水に比べて雑味が無いこと。松本の水道水は決して不味くはない(むしろ美味しい)と思いますが、
「あっ、水でこんなに違うんだ・・・」と、ちょっとした感動でした。
そう言えば、中町の「蔵しっく館」にも井戸があり、近所の喫茶店の方がドリップ用のポットに井戸水を汲んで行かれていましたが、それも納得。水で結構コーヒーの味が変わります。ある意味、違いが想像以上で、目からウロコの発見でした(水道水の消毒に使うカルキ臭が無いだけでも、美味しく感じるそうです)。
 そこで思い出したのが、以前ご紹介したエッセイストの平松洋子女史の「水の味」(以下、第497話より一部引用)。
『・・・煮る、さらす、浸す、茹でるといった水を中心とした調理法で、微妙な味わいで素材を引き立たせる日本料理は、京都の軟水だからこそ進化した」という件(くだり)でした。その逆で、フランス料理は硬水だからこそソースがミネラルと結合することでしっかりと主張し、切れが出るのだとか。シチューのようにコトコトと煮込む欧州の料理も硬水だからこそ、なのだそうです。また、我国でも関西の軟水と江戸の硬水の違いにより、お米の炊き具合が全く違うのだとか。その結果、硬水で炊くために米が“粒立つ”江戸では、一粒一粒がくっ付かず、空気を含めてフワっとなるからこそ握り寿司が発達し、一方の軟水の関西では米粒が融合し交じり合うことから棒寿司(箱寿司/押寿司)が発達したのだ・・・。』
 では、「源智の井戸」の水質は?と気になって調べてみました。
すると、ちゃんと井戸の掲示板に、市が県薬剤師会に依頼(H27.7.30採水)した、今年度の水質検査の結果報告書が貼ってあり(薬剤師会のHPにも掲載されています)、「源智の井戸」は「硬度140」だそうです(ネット上には「硬度113」と記載した別の記事もあり)。
国ごと、また規格によって必ずしも分類が統一されていないようですが、一般的には硬度100以下が軟水。300以上が硬水。その間を中硬水と呼ぶという基準に従うと、「源智の井戸」は中硬水となります。ところが、すぐ近くにある酒蔵の「女鳥羽の泉」は軟水とのこと(因みに、諏訪地域の酒蔵で使われる霧ケ峰の伏流水も軟水。硬水の代表格は灘。新潟も軟水だそうですが、「天狗舞」は中硬水とか)。
この狭いエリアでも、水源によって水脈が違い、その水質は異なるようです。因みに我が国の生活水の80%は軟水とか。逆に石灰質の地層の欧州(大陸)は硬水。一般的に、硬度は炭酸カルシウム(CaCO3)の濃度で表されますが、旨味はそれだけでは無いようです。一口にミネラルウォーターと言っても、例えば“南アルプスの天然水”は軟水(硬度30)で、エビアンは硬水(硬度304)。昔から飲みなれた軟水の方が、日本では好まれるそうです(お腹にも優しい)。硬度を示すカルシウムとマグネシウム以外に、カリウムとナトリウムもミネラル分とされています。
また、緑茶は軟水の方が旨味が出て、紅茶は硬水の方が香りが立つとか。そして、コーヒーは、同じ豆でも軟水の方がマイルドで、硬水の方が苦味が引き立つとのこと。要するに、硬度を示すCaCO3の数値だけでは水の旨さは表せないということでしょうか。
一般的に言えば、煮物などの和食用には、「源智の井戸」は中硬水で余り向かないということになりますが、果たしてどうなのでしょうか?
要するに、“自分に合った水を、自分の舌で探す”しかないようです。その意味で、「源智の井戸」はミネラル分が豊富で、さすがに当国(信濃)一と言われただけの美味しい水でした。
 名水百選“まつもと城下町湧水群”の中でも、その歴史や湧水量からも「源智の井戸」が一番人気ですが、市内500m圏内という狭いエリアに、他に幾つも水を汲める湧水や井戸があるので(例えば酒蔵の湧水も一般に開放されています)、自分の味覚に合った「水」を探してみるのも面白いかもしれません(市の水質検査の結果、飲料水として薦められない井戸には、その旨の注意書きがあります)。
その後も、専らコーヒーのドリップ用ですが、週末定期的に「源智の井戸」に水をいただきに行っています。

 特別休暇中、奥様のご希望で、朝のウォーキングを兼ねて、松本駅前通りにある老舗の喫茶店「珈琲美学アベ」のモーニングセットを食べに行きました。「まるも」、「花月」ときて、最後に「アベ」で、市内の老舗喫茶のモーニング巡りは〆でしょうか。

 「珈琲美学アベ」は、何と言ってもモカパフェが有名ですが、週末含め早朝7時から営業されていて、モーニングでは、パンやサラダ類、卵料理等のメニュー(サイドオーダー)の中から、好みに応じて個別にチョイスするシステム。従って、好きなものを選べますし、卵料理とサラダをセットにした値段も、大体500円~600円程度に収まるという良心的な価格設定です(もう何年も値段を変えてないのではないでしょうか)。
そればかりか、以前職場の松本B級グルメツアーのスタートに、こちらのモカパフェを(女性陣に)食べてもらおうと思い事前にお願いしたら、「アベ」は夕方7時閉店のため上諏訪からの移動ではギリギリの入店になるのに、普段は無口のオーナーですが、我々のために待っていてくださり、更に(皆食べ終わるまで)時間を延長して快く対応いただいたという大変良心的なお店です。
 今回、私は、コーヒー(390円)にフォカッチャ(100円)とポテトサラダ(50円)にゆで卵(50円)をオーダーし、〆て590円也。
奥様は、アメリカンコーヒー(同390円)とシナモントースト(50円)にレタスサラダ(100円)をご注文で、合計540円。
メニューには、ハムエッグやベーコンエッグ、プレーンオムレツやスクランブルエッグ(どれも100円)もあり、日替わりで、或いは気分に応じて選べます。この日も、出勤前の方が4人程モーニングを食べておられました。
“珈琲美学”を謳う肝心のコーヒーは、少し濃い目でマイルドな味わい。何となくドトールの味に似ている気がします(松本に以前2店あったドトールは全て閉店してしまいました)。
個人的には酸味があるコーヒーが好きなので、どちらかというと「まるも」の方が好みですが、これは人それぞれの嗜好次第。松本では、モカパフェだけではなく、「アベ」のコーヒーファンも根強いと思います。

 今年の秋の音楽シーズンを飾る、我がハイライトとも言えるコンサート。
シベリウス生誕150年の“シベリウスイヤー”に相応しく、フィンランドのラハティ交響楽団によるオールシベリウスプロ。しかも、松本のハーモニーホールでのコンサートです。指揮は音楽監督でもあるフィンランドの名匠オッコ・カム。待ちに待ったコンサートでした。
「ドヴォルザークやスメタナならチェコ・フィル!」と云うのと同様に、ラハティ交響楽団は、前々任となるオスモ・ヴァンスカ時代のべシリスウスの交響曲全曲録音で一躍世界にその名前と実力を知らしめ、また前回の来日公演は、音楽誌での年間ベストコンサートに選出されるなど、謂わば“シベリウス・オーケストラ”の代表格です。
今回の“シベリウスイヤー”に合せた(しかも晩秋の)来日公演は、東京では(松本公演の後)3回に分けての交響曲の全曲演奏会も予定されていますが、地方公演は北の大地サッポロ(尾高&札響のシベリウスも日本では定評)とここ松本のみ。東京まで行かなくても、居ながらにして聴けるのですから夢のようです。
松本公演では、フィンランディア、Vn.協奏曲(Vn.ペッテリ・イーヴォネン)、交響曲第2番という人気曲トップ3が並び(個人的には5番が一番好きですが)、シベリウス好きにとっては垂涎のプログラムが組まれました。
華麗さや巧さであれば、昔で言えばカラヤン&BPOなのでしょうが、そこに80年代後半に出されたネーメ・ヤルヴィのBIS盤(但しオケはエーテボリ響)が反響を呼び、その後のベルグウンド&RSO、ヴァンスカ&ラハティ響やサラステ&ヘルシンキPOに引き継がれ、北欧“国民楽派”の代表たるシベリウスの作品では、今や母国フィンランド出身の指揮者によるフィンランドのオケの演奏が定番になった感があります。技巧や華やかさだけではない、北欧的な匂いや空気感のある演奏・・・とでも言えば良いのでしょうか。
元々、カラヤンが好んで取り上げた以外は、シベリウスの人気が高いのは何故か英国と日本(渡邉暁雄さんの功績?或いは自然崇拝の国民性?)だったそうです(従って、昔は英国オケや英国人指揮者の録音しかなかった・・・実際に手許にあるCDの内で、バルビローリ&ハレ管の2番、そしてカラヤン&BPOの5番と7番は、いずれも昔シンガポールで買ったものです。不思議なことにLPは一枚も無く・・・ということは、シベリウスの“渋味”は少なくとも20代では分らなかったのでしょうか)。

 11月25日。松本は夕刻冷たい雨が降っていしました。
真っ白な雪ならともかく、何だかシベリウスを聴くには、気分的に相応しい天候ではありません。この日のハーモニーホール(“音文”)には外国の方も多く、いつもより華やいだロビーと客席。
恒例で、団員の皆さんが登場される間、客席からは遠来を歓迎する拍手が続き、最後にコンサートミストレスが登場。そして、指揮者オッコ・カムさんが舞台へ。思いの外小柄で、まだ69歳とのことですが、足がお悪いのか、椅子に腰掛けての指揮でした(掲載の氏の写真は、月刊「ぶらぁぼ」11月号の表紙から)。
“第二の国歌”「フィンランディア」で開幕。個人的な(勝手な)期待ほど熱くならずに、感情を抑えた“余裕”の演奏。最初(ウォーミングアップ?)ですからしょうがないか・・・。心なしか、客席からの拍手も同様(出来れば、この日のアンコールで演奏して欲しかった!と思ったのは私だけでしょうか)。
続いてのヴァイオリン協奏曲。独奏はフィンランドの若手、ペッテリ・イーヴォネン。28歳とのことですが、オケの好サポートを受け、時に対峙しながらの見事な演奏でした。やや音質が固く感じられましたが、独奏者にとっては、(素人目にも)技巧的には重音パートが多い大変な難曲だろうと思いますが、音程は見事。作曲者自身による第一楽章冒頭の指示、“極寒の澄み切った北の空を悠然と滑空する鷲のように”については、十分に澄み切った北欧を感じさせながらも、鷲というには少し線が細いか・・・。
Vn.協奏曲では、ねっとりしたメンデルスゾーンは好きではありませんが、シベリウスのこの乾いた感じはイイですね。フィンランドの若手奏者を支える、フィンランドの指揮者とオケ。皆一体となって、“オラがシベリウス”的な心温まる演奏でした。アンコールには、バッハの無伴奏から二曲。最後にやや音が濁った部分もありましたが、こちらも音程は見事。今後、年齢を重ね、それこそ“鷲のような”太さと艶が増せば・・・。
 休憩を挟み、今宵メインの交響曲第2番。
個人的には最も好きな5番に続いて好きな曲。如何にもシベリウスらしい、北の大地を思わせる管楽器の暖かな響きと弦の厚み。大ききな“ゆらぎ”の中に、ロシアの大地から受ける荒涼感とは違う、北欧の清涼感でしょうか。Vn.協奏曲での作曲者自身の指定同様に、澄み切った青空と白樺林が続くような清々しさと共に大らかさを感じます(因みに大好きな5番は、早春の散歩で見た“空を旋回する16羽の白鳥”からのインスピレーションで有名ですが)。
ロシアの圧政に苦しんだフィンランドの人々が、この曲からも勇気をもらったそうですが、シベリウス自身は、この曲の背景としてのそうした政治性を否定していたとか。指揮振りも含め、決して派手さはありませんが、低弦の厚みに支えられた重厚な演奏。それは、厳しい冬から春に向かう様に、第4楽章からは苦痛からの解放を感じ、そこから民衆が勇気を得たというのもむべなるかなと思わせる、圧倒的なスケール感。でも華やか過ぎず、北欧らしい素朴さも持った演奏でした。
最後に、ニ短調の第二主題が反復旋律で悲しみや苦悩を募らせる様にクレシェンドして行き、やがてそこにさっと光が差し込んだかの様に安寧と希望に満ちたニ長調に転じて、第一主題に導かれた金管の奏でる壮大なファンファーレと共に大団円。ブラボー!の声が幾つも掛かり、大きな拍手に包まれて客席にはスタンディングオベーションをする方も(気持ちは良~く分ります。私も立ちたかったのですが、後ろの方が見えなくなるので止めました。実際、サントリーホールでのVPOの時は、立った人を係員が注意していましたので。端や最後列の席でなければ、出来れば慎むべきでしょうね。或いは全て終わって客席が明るくなってから一斉に立つか・・・これが、なかなか難しい)。
熱狂的な拍手に応えて、何度もカーテンコールが繰り返され、その間にアンコールで3曲も演奏してくれました。1曲目の「悲しきワルツ」はお馴染みですが、他2曲は初めて(と思ったら、家にあるCDに交響曲とのカップリングで入っていました)。
最後、団員の皆さんがお辞儀をされて、ずっと続く拍手の中を袖に下がって行かれました。それでもまだ拍手が続きます。いやぁ、良かった!!今宵、この場に居合わせたことに感謝です。こんな素晴らしい演奏会でしたのに、満席にならなかったのは残念でした(実に勿体無い!)。
 翌朝、シベリウスがフィンランドから“冬”を連れて来てくれたのか、暖冬から一転。三才山峠の上は、今年初めての雪景色でした。
「うーん、やっぱり冬はシベリウスだなぁ・・・」(その後もCDを聴いています)。
そして翌日は、北アルプスに今シーズン初めて雪雲が掛かかり、次の日には、中腹まで白く雪化粧した西山(北アルプス)が朝日に輝いていました。冬本番の到来です。
(・・・と思ったら、今朝はまた雨・・・ナンじゃい!?)