カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 6月5日の日曜日。マチネにて、ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。以下音文)で、ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルが開かれました。

 ヒラリー・ハーン。ドイツ系アメリカ人の36歳。10代そこそこでプロデビューし、今やイザベル・ファウストと共に、“ヴァイオリンの女王”ムターの後継と目される、当代最高峰の女流ヴァイオリニストの一人。今回の来日公演は、前日4日から始まり、この日の松本公演を含め全7公演とか。どうやら、全て同じプログラムの様です。
前半に、モーツァルトのVn.ソナタト長調K.379 、バッハの無伴奏ソナタ第3番ハ長調BWV1005。
休憩を挟んだ後半にアントン・ガルシア・アブリルの無伴奏ヴァイオリンのための6つのパルティ―タより、第2曲「無限の広がり」、第3曲「愛」。
アーロン・コープランドのヴァイオリンとピアノのためのソナタ。最後にティナ・デヴィッドソンの「地上の青い曲線」。
 3歳からスズキメソードでヴァイオリンを始めたという彼女。それが、松本を公演の地に選んでくれた理由でしょうか。東京公演の中には、東京文化会館やみなとみらいの大ホールもあり、それと比べ音文は僅か700席というリサイタルには最高の環境で聴ける当代随一のヴァイオリニストだというのに、端には空席が目立ちます。片や、ミーハー的テント村出現というニュースが地元では報じられていますが、
「何だかなぁ、楽都が泣くよなぁ・・・。楽都が聞いて呆れるなぁ・・・」
と、開演前の客席を眺めながらの独り言です(ハーモニーメイトの一人として、こんな状況が続くと、良い演奏家が松本に来てくれなくなるのではいかと、些か心配しています)。

 艶やかなドレスで登場。実際に見る彼女は、華奢で細くて、人形の様な雰囲気。何となく、これまでの音楽誌の写真等から受けるヒラリー・ハーンのイメージは“クール・ビューティー”。音もキレのあるシャープな音色を想像していました。
一般的には第35番として知られるト長調のVn.ソナタ。ずっと彼女の伴奏を務めるというコリー・スマイスの軽やかなタッチに沿うように始まった彼女の演奏は、モーツァルトらしいと云えばそれまでですが、意に反して柔らかく艶やか。明るく伸びやかな音色です。
続くバッハの無伴奏。デビュー盤も無伴奏全曲だった筈。ビブラートを抑え気味での超絶技巧は勿論ですが、重音の豊かさ。しかし、決して冷たくはなく、あの細い体のどこに?と思わせる程に、むしろ艶やかで骨太なバッハでありながら、キレもある。まさに自由自在・・・。
先日亡くなられたアリではありませんが、“蝶の様に舞い蜂の様に刺す”とでも云えそうな程、ぱっと見た目は妖艶さすら感じられますが、彼女の本質は、イザベル・ファウストの高貴な精神性とはまた違う、何か強い意志の様な力強さも感じます。

 知った曲は一つもありませんでしたが、特に良かったのが後半。
前半は暗譜でしたが、後半譜面を見る曲になると、彼女はロイド風の小さなメガネをどこからかさっと取り出し、演奏が終わるとまたさっと仕舞います。メガネを掛けた時の彼女は、知的なキャリアウーマン風(最初の1曲目の時だけ、なぜか空調音が気になりました)。
2曲目の「アパラチアの春」で知られるコープランドのソナタこそ、古典的な形式も見えましたが、それ以外の選曲は、クラシックという枠を超えて、むしろコンテンポラリー的な曲。技巧を駆使して縦横無尽に音が飛び交い、最後の曲は、左手で弦を叩いて出した音から始まる不思議な魅力を持った作品。後半に感じられた、特に彼女の高音の美しさ。
ブラヴォーも飛び交い、割れんばかりの拍手に応え、アンコールに3曲も弾いてくれました。プログラムの最終曲を含め、どれも彼女が全て異なる作曲家(日本人も二人)に委嘱したという「27のアンコール・ピース」という作品に収められ、当時のグラミー賞受賞作品だそうです。
アンコール2曲目の曲は、如何にもアメリカ的でジャズ・ヴァイオリンとでも云えそうな作品。掛け声を掛けたい程に鮮やかです。そして、3曲目。演奏後のロビーに貼られたアンコール曲紹介では「慰撫」と題されていましたが、家内曰く、ヒラリー・ハーンは“Mercy”と紹介したそうで、「如何にも“Mercy”的!」と感動していました。その通りで、持続する高音に不覚にも?涙が零れました。長いボウイングで静かにロングトーンが消えて行きます。弓が降ろされるまでの暫しの静寂を打ち破るように、鳴り止まぬ拍手に、スタンディング・オベーションをする人も何人もおられ、最後に彼女は感謝を表す様に拍手を交わしてお開きになりました。因みに、会社の同僚でお嬢さまが小さい頃からスズキメソードで学ばれたという方(娘さんのレッスンに毎回付き添ったであろう奥さまの弁)によると、長く伸ばす際の彼女のボウイングはスズキメソードの教本通りだったそうです。ふむ、“三つ子の魂”か・・・。
最後に演奏された「27のアンコール・ピース」という作品が大変興味深く、終演後に見ると、CDは全て休憩中に全て完売したとのこと。1階から2階のロビーまで続くサイン会の長蛇の列。お気持ちは良く分ります。
 バッハからコンテンポラリーへ。ある意味時代を越え、ジャンルを超えて、この人は一体どこへ(どこまで)行くのだろう。何を求めているのだろう。
単なる演奏会に留まらず、そんな感慨を抱かせた、不思議な感覚に包まれた(個人的にはとても贅沢な)リサイタルでした。