カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 最近、渋いチェロの曲に少々嵌っています。
バッハの無伴奏組曲(チェリストにとってのバイブルと云われ、我が愛聴盤はマイスキー。地震被害で大ホール改修中に僅か200席に満たない小ホールでの二夜連続で、ギアン・ケラスの全曲演奏を聴けたのが良き想い出)をその頂点に、チェロの器楽曲は結構多いのですが(例えば、あのショパンが最後に書いた曲はピアノ独奏曲ではなくチェロソナタでした)、協奏曲はピアノやヴァイオリンに比べて数が極端に少ない気がします。
チェロ協奏曲と言われて思い浮かぶのは、古くはハイドン、そして“ドボコン”という愛称で呼ばれるドヴォルザーク、さらにはシューマン・・・。次がなかなか挙がりません。
ドヴォルザークの才能を見出したとされるブラームスが、“ドボコン”の譜面を見て「人間が(チェロで)こんな協奏曲を書き得ることに、なぜ(自分は)今まで気が付かなかったのだろう!」と感嘆したというのは、チェロ協奏曲の代表格である“ドボコン”を語る上で有名なエピソードですが、ハイドンもチェロ協奏曲を書いているのに、その後のモーツァルトやベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーもチェロの協奏曲を書いていません(この二人のBBは、三重、二重協奏曲でチェロをソロ楽器として使っていますが)。どうしてなのでしょうか・・・。通常、合奏で低音部を受け持つため、Vn.やPf.に比べ独奏楽器としては華やかさに欠けると当時は思われたのでしょうか?(でも、ハイドンは作曲しているしなぁ・・・?)。

 市立中央図書館のCDコーナーで探して見つかったVc.協奏曲は、上記以外ではボッケリーニ(バッロクかと思っていたらハイドンと同時代で、彼自身がチェロの名手だったとか。“ボッケリーニのメヌエット”は誰でも一度は聞いたことがある筈)と、近代になってのエルガー、ディーリアスとサン=サーンスのみ(プロコフィエフやショスタコーヴィチは見当たらず)。
CDを聴いて、「そういえば・・・」と思い当たったのは、生の「巨人」の聞き納めで行った、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響定期で演奏されたコンチェルトがエルガーでした(第941話参照)。その記憶を辿ると、さすがにアリサ・ワイラースタインのVc.独奏は抒情性も力強さもあったのですが、席の場所も悪かったのか、小振りの2管編成のオケはNHKホールの音響の悪さもあってあまり音が飛んで来ず、然程印象に残っていなかったようです。サン=サーンスも素晴らしい曲(何となくブラームスを彷彿させる)でしたが、演奏時間20分とあっては、ソリストを招聘し演奏会で取り上げられる可能性は(首席の方が弾けばともかく)少ないでしょう。
借りたCDで聴くエルガーのVc.協奏曲。シンプルながら哀愁を帯びた第一主題の旋律が印象的です。そして何より、このCDが夭逝した天才ジャクリーヌ・デュ・プレとバルビローリ指揮(エルガー自身の指揮によりLSOで初演した際に、バルビローリはチェロパートの一員だったとか・・・凄い!)での名演だったこともあります。そして、エルガーのこのコンチェルトに再び光を当てたのはデュ・プレその人(デビュー版)でもあり、その後の彼女の名刺代わり(英語でもSignature Pieceと言うのだとか)の曲になったのだそうです。彼女には亡くなる前に、当時の夫君バレンボイムとの録音による名演もあるのだとか。サン=サーンスはヨー・ヨー・マの演奏。因みにデュ・プレの愛器は、死後彼に引き継がれたとか・・・。そして、デュ・プレの死後滅多に振らなかったエルガーのこの曲の指揮をバレンボイムが引き受けたのが、先述のアリサ・ワイラースタインのデビュー盤だったとか・・・。凄いなぁ。
 たまたまチラシで、地元のアマチュアオケ、松本室内合奏団の定期でエルガーが演奏されると知り、もう一度生で聴きたくなりました(東京であればともかく、地方で演奏される機会は稀ですから)。奥さまは留学する長女に同行して最長一ヶ月間の予定で渡米しており、(幸か不幸か?)不在。そこでチケットを購入し、独りで会場のハーモニーホール(以下“音文”)へ出掛けました。
1989年に創立され、今回が第53回定期という松本室内合奏団(以下MCE)。松本交響楽団は以前聞いたことがありますが、MCEは初めて。客席は7割くらいの入りでしょうか。団員のご家族か、小さいお子さんも目立ちます(こんな小さな時から“生音”に触れるのは良いことだと思います)。アマオケですから、勿論金管中心に綻びはありましたが、MCEは弦楽セクション中心に予想以上の水準でした。
この日のプログラムは、先ずディーリアスの小品「春を告げるカッコウ」で開演。ただ、次のお目当てだったエルガーは、楽しみにしていたのですが正直ガッカリ。難曲とはいえ、音が濁り、特に高音部の音程がふらつく。早いパッセージになると遅れ気味で、勢いポルタメント気味になって音とリズムがピタッと嵌らず、音も薄い。このところデュ・プレの名演ばかり聴いていたせいか、期待との落差が些か大き過ぎたかもしれません(ガッカリして帰ろうかとも思いましたが、家に帰ってもどうせ一人だし、ダメモトで後半も聞くことにしました。ところが・・・)。
 休憩を挟んで、後半のブラームス交響曲第1番ハ短調。学生時代に一番好きだったのがブラームス故、どの楽章も聴き馴染んだフレーズですが、印象的なティンパニーの連打に導かれる冒頭から緊張感のある演奏。
もう少し低弦に厚みがあればとも感じましたが、全体としてはアマチュアの室内管とは思えぬ程(正直、想像以上に)、ブラームスらしい聴き応えのある演奏でした。とりわけOb.とFl.の首席の方が吹かれたソロパートは、アマチュアとは思えぬ音の柔らかさ。お見事でした。またコンミスの弾かれたVn.のソロパートも美しい。ホルンなどでは賛助団員の方が巧いのはご愛嬌。
こうして生音で聴くと、金字塔である交響曲のジャンルで尊敬するベートーヴェンの後継足らんとして(同時代のワーグナーは、同じく尊敬するベートーヴェン以上の交響曲は書けないと、生涯交響曲は作曲せず、むしろ当時異端でもあった合唱を入れた9番の延長線上として、合唱と管弦楽を融合させた楽劇創作に向かったと云います)、作曲に20余年を掛けて練りに練ったであろうその構成(第4楽章の主題から連想されるため、“第10番”とも評されますが、彼が挑んだのはむしろ動機を様々に変化させた5番「運命」だったと云います)が本当に良く分ります(その呪縛から解放されたブラームスは、その明るさ故に彼の“田園”とも称される第2番を僅か数ヶ月で書き上げます)。
そして、特筆すべきは、何と言ってもやはりこのホールの器としての素晴らしさでしょう。音文の響きの良さを改めて再認識した次第。この日は全席自由だったので、座ったのが最後部から3列目中央やや右通路側の席だったのですが、身体全体が音で包まれる様で、松本市民の一人として、僅か700席というこんな贅沢なホールが身近にある幸せを感じました。

 『演奏会に向けた練習時間が長く取れ、全員が真摯に集中した時のアマオケの演奏は、ややもするとビジネスライクで無味乾燥的になりかねないプロオケの演奏を、時として凌ぐ』(数年前に「えっ、アマオケを振られるんですか?」と怪訝/不遜な態度の私に、尊敬するマエストロが諭すように穏やかに言われた言葉を思い出し、猛省しながら噛み締めていました)
勿論、それを引き出すのはオーケストラビルダーとしての指揮者の力量だとしても、この日の石毛保彦指揮松本室内合奏団に大拍手です。♪ブラァヴォ!