カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 六本木の国立新美術館でビュールレ展を観賞しての帰り。教えていただいた「美術館通り」をまた地下鉄六本木へ戻ります。ちょうど昼時の月曜日でしたので、ランチに向かう会社勤めやOLの方々で一杯だったことから、
 「どうする?この辺は良く分からないから、乗り替えの浜松町か蒲田まで戻ってから食べる?」
 「お腹空いた!そこまでもう我慢出来ない。」
と、“欠食婦人”の仰せ。そのため仕方なく、道すがら、
 「ここは?」
 「うーん、イマイチかなぁ・・・」
を繰り返しつつ、目に入ったのがアジアン風の小さなお店。確認すると、どうやらタイ料理店の様です。
 「じゃあ、ここにしよう!」
看板にあったランチメニューの中から、私メは東南アジアのぶっかけ飯が食べたくてのガパオライスセット1080円をチョイス。家内はセンレック・ナームというタイのアッサリ汁麺900円とやらを選択。ランチのセットメニューには小鉢が付いていて、ガパオライスにはとトムヤムクン・スープと生春巻きが、汁麺には春巻きが付いていました。
ランチメニューでは、他にもタイ風チキンライスのカオマンガイやパッタイ、また鶏肉のグリーンカレーやトムヤムクンヌードルなど、どれもお馴染のメニューがありました。
 シンガポールで慣れ親しんだ懐かしい東南アジア風に右手にスプーン左手にフォークを持ち、フォークの背でスプーンにライスと具を載せて食べます。
そのガパオライスの辛い事、辛い事。髪の毛の中まで汗が流れる様な感じで汗だくで食べましたが、辛くて実に美味。変に日本風にせずに現地に近い味付けで、今まで食べたガパオライスの中では一番美味しく感じました。勿論ライスもタイ米です。ただスープのトムヤムクンは塩気が強過ぎて、途中で飲むのを止めてしまいました。トムヤムクンは、新宿ルミネ地下のカオサンの方がお美味しいと思います。
奥さまの頼んだ汁麺は甘めの鶏ガラスープで、付け合わせの生春巻きも甘めの味付け。一方ガパオライスのセットの生春巻きは、ガパオの味付けに合わせてか、かなり辛めの味付けでした。
店内は7席程のカウンターと、奥にもテーブルがありましたが4卓程度で、かなり狭い店舗です。店内の装飾もタイ風のデコレーションで、シェフとスタッフも皆さんもタイ人の方々でしたので、味付けだけではなく雰囲気も現地にいる様な感じでした。
後で調べてみると、その店はタイ料理の「クルン・サイアム六本木店」でした。吉祥寺や自由が丘など首都圏に“タイの食卓 クルン・サイアム”として7店舗ほど展開しているようです。家内も満足したらしく、タイ料理も好きな次女と糀谷からだと近い大井町店に行って見るとのことでした。

 翌日の東京での最終日。持ち帰る冬物を車に積んで、昼頃東京を発つ予定です。
早朝のウォーキングがてら、東口に比べ馴染の薄い西口方面を散策して見ることにしました。前回も松本のイオンモールに出店したインド料理の「フルバリ」の場所を確認することが出来ましたが、今回は、この日のランチに来ようかと、以前「石ちゃんの通りの達人」で紹介されたチーズフォンデュ・ピザが美味しそうだったイタリア料理のお店を探してみましたが結局見つからず、どうやら閉店してしまった様です。若いご夫婦が経営されていた様でしたが、ランチとしては2000円近い高額だったためか、“石ちゃん効果”は無かったのでしょうか?。都会の入れ替わりは激しいですね。

 ホテルのチェックアウトが11時でしたので、そこで、この日の早昼に選んだのは、同じく別のTV番組で紹介されていた「とんかつ檍(あおき)」。
ホテルからもすぐ近くにあり、日曜日の昼頃行列が出来ていたので確認すると、その店がとんかつの「檍」でした。以前TVでその美味しさを絶賛されていて、家庭でもトンカツを美味しく調理するコツを「檍」のご主人が取材を受けて説明されていました。たまたま視ていたのですが、そのお店の場所が蒲田だったことから、今度行ったら食べてみようと家内と話していました。
その日は火曜日で11時開店とのことでしたが、平日でも行列必至とのことから、先にチェックアウトを済ませて10時半に行ってみました。すると既に待っておられるお客さんもいましたが、我々は2番目。店内はカウンターのみの10席とのことでしたので、開店の一巡目で食べることが出来ます。
待つこと30分。11時の開店時間には20人程の行列になりました。分かったことは、「檍」は日月定休日とのこと。従って日曜日に見た行列は、「とんかつ檍」ではなく、隣のかつカレー専門の姉妹店「いっぺこっぺ」の行列だったのです。この日、かつカレーの方は開店時に4人程でしたので、平日はかつカレーはそれ程待たずに食べられるのかもしれません。
大門にも支店があるそうでご主人はこの日大門店の方に行かれている由。「檍」で使っている豚肉は、林SPFポーク(無菌豚ではないが、特定の病原体が排除されて育てられた豚)という肉を使っていて、サクサクでジューシーな絶品のトンカツだそうです。
開店前に女将さんが一巡目の客に事前にオーダーを確認し、着席すると即座に提供されて来る仕組み。客の回転を良くするためでもあるでしょうが、席に着くとすぐに食べられるので客にとっても実に有り難い。私メは平日の昼限定というロースかつランチ1000円。家内はヒレかつ定食1500円を注文。他のメニューでは、上ロースが1500円、特上ロースが2000円とのこと。
 定食には豚汁とお新香がつきます。トンカツや千切りキャベツ用のソースも用意されていますが、「檍」ではテーブルに用意されている岩塩や海水塩など7種類もの塩の中から選んだ塩でトンカツを食べるのがお薦めだとか。その後で、ソースでまた味を変えて食べるのも良し。
本当に衣がサクサクで肉も柔らか。特にヒレは箸で切れるほど。それにしても塩で食べれば当然かもしれませんが、ソースで食べても、とんかつが全然油っこくなく実にアッサリしていること。肉厚で大きくて結構なボリュームですが、全くもたれません。女性でもトンカツはペロリと(ご飯の量を事前に聞いてくれるので、少なめにして)完食の美味しさでした。
因みに、隣のかつカレーもトンカツとカレーとは分かれて(上にカレーが掛からずに)出てくるそうなので、もし「檍」が定休日の時は隣の「いっぺこっぺ」で「檍」と同じトンカツを食べることが出来るそうです。
今度はかつカレーを試してみようかな・・・。

 季節の定期便として次女の衣替えの衣服を車で運んだ日は、ちょうど日曜日。空港への出勤前に、一緒に昼食を食べたいという娘のリクエストは、いつものJR蒲田にある「活 美登利寿司」です。
平日でも行列店ですが、この日は日曜日。でも少し遅めの待ち合わせ時間だったためか、思いの外早く30分程で席に着くことが出来ました。母娘は好物の炙りホタテに始まり、ヒラメや中トロなどなど。私は炙りエンガワやヒラメに始まり、大好きなイワシやコハダ、炙りトロ鯖、などのトロイワシなどの光物・・・。
「お昼なんだから、あんまり飲み過ぎないでよね!!」
という警告と、出掛けの朝のトマトジュース一杯でお昼を楽しみにSAでも食事を取らずに運転して来た故の空腹も手伝い、飲み物は生ビールだけで我慢して、その分いつもにも増して食べたので、奥さま曰く今までの最高枚数!達成とのこと。しかしながら・・・、
「フム、やっぱりお酒を飲まないと安いわよね!!」
「はぁ、相すみません・・・。痛み入ります!」

 我々的には、1月に行った札幌での「根室花まる」よりも「活」の方が好みです。因みに次女の言うには、グルメ系回転寿司店では双方東京にも出店している「根室花まる」や同じく札幌の人気店「トリトン」よりも、旅行で行った金沢での「まいもん寿司」(東京でも上野や丸の内などに出店済みとのこと)がイチオシだそうです。その店ではありませんが、以前冬の金沢に行った時に近江町市場で食べたお寿司屋さんは美味しかったなぁ・・・。また行きたいですね金沢に、今度は北陸新幹線で。

 食べ終わり、京急ではなくJRなので、羽田空港行きのバスで出勤する娘を見送ってから、我々は運転疲れ(食べ疲れ?)も手伝い、早々にホテルにチェックインして部屋で暫し休息です。少し眠ったらしく、夕刻になって「さて、どうすべぇ・・・?」。お昼が少し遅めだったのと些か食べ過ぎたこともあり、奥さまは、
「私は食べなくてもイイけど・・・。何ならコンビニで軽食を買って来て済ませてもイイし・・・」
「えぇーっ!せっかく東京まで来てるんだから、軽くてもイイけど、何か食べようヨッ!!」
と、私メのお上りさん的食い意地により、「では簡単に近間で」という前提でホテルからすぐの「歓迎(ホアンヨン)本店」へ。
蒲田名物“羽根つき餃子”の有名店3店中、妹さんの「歓迎」は前回既に食べていたので、今回は他の元祖お兄様の「你好(ニイハオ )」や弟さんの「金春(コンパル)」に行ってみたかったのですが、両店共京急蒲田方面なので結局至近の「歓迎」で簡単に済ませることにしました。
6時頃には行ったのですが、さすがに日曜日でしたので既に満席で行列。でも結構回転が良く、10分足らずで座ることが出来ました。
 “簡単”といった割には、やはり羽根つき餃子は外せず、水餃子も絶品。前回食べたレバニラも美味しかったし、奥さまは野菜炒めが食べたいとのこと。レバニラは少々塩気が濃過ぎる感じ。前回はライスも頼んだのでちょうど良かったのかもしれません。一方、野菜炒めはシンプルですが旨味が感じられて絶品でした。メニューも豊富で他にも頼みたかったのですが、もう満腹で断念。「ごちそう様でした」。この日もレジには女主人である八木さんが座られていました。
 翌日は国立新美術館へ。じっくりと観賞したので3時間程立ちっ放し。その後、六本木に戻り東京ミッドタウンへ。ウィンドーショッピングをしていると、ここのDEAN&DELUCAで次女が学生時代にアルバイトをしていた由。同じくテナントの「粥茶館 糖朝」のマンゴープリンが大好きらしく、お土産に(奥さまが自分で食べる分も含めて)買って帰ることに。そこで、帰りは泉岳寺で京急直通に乗り替え糀谷で降りてお土産を届けた後、歩いて糀谷から蒲田に戻りました。途中、この日の夜行こうと思っていた「俺のやきとり蒲田店」の場所を確認。するとすぐ近くに「いきなりステーキ」も。松本のイオンモールに県内初出店の「いきなりステーキ」は大行列でしたので未だ行けてはいませんが、東京なら待たずに食べられそう。こちらの蒲田店も、“立ち食い”だけではなく椅子席もあるようです。
一旦ホテルに戻り休憩してから出掛ける頃になると、
 「何となく、夕飯はアッサリの方がイイなぁ・・・?」
 「“俺のやきとり”なら、魚料理とかもあるけど・・・」
 「でもメインは焼き鳥でしょ?」
てなヤキトリならぬ“やりとり”があり、
 「じゃあ、また活でも行く?」
ということで、結局二日続けて「活」に行くことに。
この日は月曜日で早めに行ったこともあって、夕刻でもすぐに座ることが出来ました。今回はしっかり冷酒もいただいて、松本ではなかなか食べられない新鮮なネタのお寿司を二日連続で堪能することが出来ました。
来月次女と奥さまがハワイに行くことから、レジに貼ってあった案内を見て、
 「あっ、ハワイにも活があるんだ!」
と私メが(お留守番ですが)素っ頓狂な声を上げると、フィリピーノかインドネシアンだと思われる、いつも陽気な女性リーダーのGさん(結婚されて日本名です)が、
 「そうなんですよ。是非行って下さい。」
と、ワイキキ店のパンフレットをくださいました。それによると、アラモアナのワイキキ・プリンスホテル内に初の海外出店とのこと。なかなか大したものですね。
 「松本にも・・・ウ~ン、絶対無理だよなぁ・・・」。

 それはともかく、どちらも美味しいので全然構わないのですが、蒲田で当初予定していた新規開拓をすることも無く、結局今回もワンパターンで「活」と「歓迎」中心となりました。

 奥さまの予想が外れ?て、持ち帰る衣服をちゃんと娘が自分で整理して準備してあったために、翌日を二人で“整理整頓清掃”に充てる筈が不要となりました。本当は部屋の清掃くらいはしてあげたかったのですが、杉花粉がピークで、掃除のために外の空気を入れたくないとのこと。言われて見れば「ナルホド、それも然り!」と諦めたため、翌日は終日空き時間となりました。

 さて、どこへ行こう・・・ということで、元々は丸の内の三菱美術館で開催されている「オディロン・ルドン展」に行こうと思ったのですが、紫のデルフィニウムが実に印象的で私の大好きな「長首の花瓶の野の花」は個人蔵の作品のためか今回出展されていないとのことで、だったら興味半減。トウハクの「仁和寺と御室派のみほとけ展」は前日で終了。また、大好きな日本画では、山種で春に相応しく桜を描いた絵画に絞った展示がされていたのですが、今一つ食指は動かず・・・。
そこで、この日は月曜日でしたが開館しているのを事前に確認した上で、大好きな日本画ではなく西洋画ではありますが、六本木の国立新美術館で開催されている「至上の印象派展-ビュールレ・コレクション」を見に行くことにしました。

 宿泊先の蒲田からは、駅から直結の乃木坂よりも乗り替えが便利な六本木で下車。最寄りの出口から地上に出た交差点でスマホのマップを見ながら、
 「さて、どう行けばイイずらか・・・?」
すると、たまたま横に居たご婦人が、
 「国立新美術館でしたら、私も行きますのでご一緒にどうぞ!」
とのお誘いに、有難く連れて行って頂くことにしました。
駅からはショートカットで、細い路地の様な「龍土町美術館通り」を歩いて5分程度でした。丁重にお礼を申し上げ、我々は当日券を購入するために窓口へ向かいます。
 「みなさん日曜日の翌日は閉館と思ってらっしゃるのか、月曜日は人が少なくてお薦めですよ。では、ごゆっくり・・・。」
国立では新しい美術館に相応しく、ガラス張りの近代的な建築で、美術館自体がモダンアートです。確かに月曜日のためか、思いの外空いていました。お陰さまでじっくりゆっくりと観賞することが出来ました。
 スイスのビュールレ・コレクションとは、武器商人として財をなしたドイツ人実業家エミュール・ビュールレが収集した印象派を中心とするコレクションで、2008年に強盗団に襲撃されて4点の絵画を奪われたことから2015年に閉館し、2020年に国立チューリッヒ美術館に寄託されることになっているのだそうです。そのため、その間に27年振りという日本での展示が実現したものです。今回展示される64点の半数が日本初公開で且つ寄託されることから、ビュールレ展としては最後の展示になるだろうとのことで、今回600点という大レコレクションから代表作64点が展示されています。
 今回の展示の目玉は、何と言ってもチラシに使われているルノワールの「可愛いイレーヌ」と、同じく裏面に用いられているセザンヌ「赤いチョッキの少年」でしょうか。
他にも、コロー、クールベに始まり、印象派を代表するマネ、モネ。そして、ドガ、ルノワール、セザンヌ。更にはポスト印象派のゴッホ、ゴーギャンから、20世紀のロートレック、ブラック、ピカソに至るまで大作が並んでいます。
作品は第1章と名付けられた肖像画から第10章まで分けられて、絵画史の流れなどのテーマ毎に展示されていて、お目当てのルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は5番目の部屋。
さすがに、この絵の前は一番の人だかり。皆さん魅入られたようにうっとりと眺めていて、なかなか列が進みませんでしたが、じっと順番を待って、ナントか最前列で観賞することが出来ました。
パリのユダヤ人銀行家の令嬢だったというイレーヌが描かれたのは、ナント8歳の時だったそうです。その後ナチスに没収され、戦後所有権を主張したイレーヌ自身の手元に戻ったのは彼女が74歳の時だったとか。そうした数奇な運命を経て、その後ビュールレが購入することになるのだそうですが、“絵画史上、最強の美少女”というキャッチコピー(しかも、わざわざ美少女にふられた“センター”のルビにニヤリ)も納得の美しさ。透き通るようなブルーの瞳と、薄いブルー系のドレス。そして何より、フェルメールの青同様に、長い金髪を結んだリボンの青が実に印象的でした。しかし、それにしても“死の商人”と“汚れ無き天使の様な少女”の取り合わせ。ある意味人間としての必然なのか、或いは人生の逆説的な皮肉なのか?・・・。
そしてもう一つ。個人的に印象深かった絵が、モネの「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」。オルセーにある、ヒナゲシ畑で日傘をさしている夫人の絵と印象がダブります。今回展示されているこのモネのヒナゲシと「赤いチョッキの少年」が、2008年に強盗団に盗まれた4枚の絵画の内の2点なのだとか。無事に戻って何よりでした。
そして最後第10章と名付けられた部屋には、モネの連作「睡蓮」から縦2m×横4mという「睡蓮の池、緑の反映」が壁画の様に一枚だけ展示室に収められていて、その存在感に圧倒されます。この絵は、モネの死後買い手もつかずアトリエに取り残されていたのをビュールレが購入した作品だそうです。その後何年かして漸くモネの価値が認められ、人気となった睡蓮の連作では、上野の国立西洋美術館にも松方コレクションの睡蓮が収蔵されていますが、その意味でビュールレのコレクターとしての先見性と審美眼を証明しています。この大作は、今回初の海外出展としてスイスの国外で初めて展示されているのだそうで、これだけは今回撮影可能とのこと。皆さん思い思いにカメラに収めていました。
 良い目の保養が出来ました。癒された3時間でした。そう云えば、美術館へ連れて来ていただいたご婦人はプラド展も行かれるのだとか。
 「イイナぁ、都会は・・・」
美術展のハシゴが出来ますものね。実に羨ましい!
では松本に帰ったら、こちらは草間弥生展「ALL ABOUT MY LOVE」を見に行きますか・・・。

 3月中旬の日知曜日。季節の定期便で、衣替えの洋服を車に積んで次女の住む東京へ。代わりに冬物を持ち帰ります。母はショートステイ期間中で、ナナは妹に預けて出発です。途中、双葉でトイレ休憩し、石川で首都高に(田舎者の私メよりは)慣れている奥さまと運転交代。
土曜日で無いためか中央道上り線も交通量は少なめで、八王子を過ぎても渋滞は無く、休日のせいか首都高も車が思いの外少な目。合流地点も全く心配なく、ずっとゆっくり走って来たのですが羽田ランプまで実にスムーズ。途中2回休憩しながら、松本から糀谷の次女のマンションまで4時間で到着することが出来ました。しかも途中余計なハプニングで10分ほど時間を取られながら、・・・です。

 それにしても首都高C2中央環状線が開通し、本当に新宿から羽田空港方面が近くなりました。この日の様に渋滞さえ無ければ、僅か20分足らずでアクセス可能。もしかすると公的交通機関でも、50分くらいは最低かかるであろう電車よりもバスタからのリムジンの方が早いかもしれませんね(渋滞が読めませんが)。
ただ久し振りに走ってみて、以前は無かったスピード抑制のための警告であろう凸凹舗装(段差舗装)が所々に施されていました。事故が多いのでしょうか・・・?。

 次女の住む糀谷に無事到着し、松本から運んできた夏物と次女が事前に用意してあった衣装ケースの冬物とコートを積み替えて、季節の定期便は無事終了。その後蒲田に移動して、車をこの日宿泊する蒲田のホテルの駐車場に駐車させてこの日の作業を終了しました。
 「ヤレヤレ、お腹空いた・・・さぁ何食べよ!?」

 昨年、小笠原氏の井川城館跡と林城址(大城)が国指定史跡になっての1周年記念講演会が3月10日に開催され出席して来ました。
市の文化財課が主催して、「城の宝庫!松本の城と歩き方~小笠原氏城跡と松本城の魅力~」と題された講演で、講師は自称“城メグリスト”という城郭ライター・編集者として活躍されている萩原さち子さん。場所はMウィング(松本中央公民館)の6階ホールです。以前中央図書館で案内のチラシがあり、事前受付が必要とのことから電話で申し込んでいました。当日伺うと、300人の定員満席とのこと。市民の“松本好き”或いは昨今の“城ブーム”も手伝ってか、イヤハヤ大したモノです。

講師の城郭ライターの萩原さち子さんは、プロフィールをそのまま紹介させていただくと『小学校2年生でお城に魅了される。大学卒業後、制作会社や広告代理店等の勤務を経て、現在はフリーの城郭ライター・編集者。執筆業を中心に講演や講座、メディアでも活躍。(中略)著作多数。公益財団法人日本城郭協会理事。』とのこと。小学2年生の時に初めて訪れてお城に嵌ったのは松本城だった由。謂わば、“城ガール”の奔りでしょうか。昨年7月から放送されたNHK-Eテレ「趣味どきっ!」の「おとなの歩き旅」の第1・2回に「城下町松本」が取り上げられた際、松本の案内役も務められたとか(確か女優のとよた真帆さん等も出られていて、私メが視たのは「遠山郷」だけでしたが)。
 講演会では、弥生時代のムラの環濠集落の櫓を始まりとする「城」の歴史と、山城、館と詰城、革命児信長以降の織豊時代の天守を持つ城郭へという時代の変遷による城の分類をベースに、本題である信濃守護小笠原氏の城跡の特徴や歴史的価値などをお話しいただきました。萩原さん曰く、同じ市内に、歴史的に明らかに小笠原氏の居城として特定されている中世の館跡としての井川城、戦国時代に至る山城としての林城址(大城と小城)と桐原、山家などの支城群、そして深志城と、城の歴史が全て揃うという歴史的価値は計り知れないとのこと。しかも市民の宝であるばかりでなく、国指定の史跡として国の宝でもあることなど熱く語ってくださいました。
「城を捨てて(=自落)逃げたりして“もののふ”たる武士としては潔くないという評価もありますが、南北朝に始まり、信濃国守護である名門小笠原氏がこの松本を主な舞台として戦国を生き抜いて近世まで家を存続させたというのは、ある意味ドラマチックで凄いことだと評価してイイと思います。」
 また松本城については、これほど市民の生活に溶け込んで愛されているお城はなのではないかとのこと。個人的にも全く同感なのですが、市民が自然と親近感を感ずるその理由は、以前高校の大先輩である“居酒屋評論家”大田和彦氏が(見上げなければいけない平山城ではなく)「松本城が平城であり、いつでも市民が自由にその周囲の公園に毎日の通勤通学時など立ち入ることが出来るが故に、日常的に市民の視線や目線の中に松本城がある」(第776話参照)からだと云われていたのが、全く以っての至言だと思っています。
そして萩原さん曰く、「松本城は日本で最も美しい黒い五重の天守閣だと思いますが、それは唯一松本城だけが毎年九月に黒の本漆で塗り替えられているからです。そして、それを手掛ける碇屋漆器店の碇屋公章さんに以前伺ったお話では、昔漆職人だった先代のお父様が昭和の大修理に参加した際に築城時に本漆が使われていたことが発見され、以降は例え自分で持ち出してでも毎年松本城の漆を塗り替えて維持して来られたからなんです。でも意外と地元でも知らない方がおられるので、是非松本市民の方々には知っていて欲しいと思います。」と強調しておられたのがとても印象的でした。
 松本の、いえ日本の宝でもある松本城と小笠原氏城址群。市の文化財課のお話に由ると、来年2月には林小城も林大城と併せて国史跡に追加指定される予定とのこと。
林城址は子供の頃の遠足や歴史ウォークでも歩いていますが、他にも山家城址、桐原城址、また井深城址など、松本にはたくさんの山城がありますので、地元の宝として機会があったら是非訪ねてみようと思います。
いずれにしても、お城のある街松本に住んでいることに感謝した1時間半でした。

 私が子供の頃の信州では、節句のお祝いはどの家でも月遅れで実施するのが当然だった様に思います。今でもお盆は日本全国旧暦の8月が一般的です。七夕はともかく、桃の節句や端午の節句は、少なくとも松本では3月3日にはまだ桃は咲いていませんし、5月5日では柏の葉っぱも餅を包む程の大きさに成長していません。

 しかし近年の情報化社会や人々の移動の広域化に伴い、全国的に統一化、共通化が進み、今では信州でも桃の花の開花や柏の葉の成長とは関係なく新暦で祝うことの方が一般的になったのかもしれません。勿論、流通化社会の到来により、季節の自然の移ろいとは無関係な需要の有無によって、3月には花屋に桃の花が並びますし、5月には柏餅がお菓子屋さんの店頭に並びます。我が家も含めて、今自宅で柏餅を作る家も殆ど皆無でしょうから・・・。

 前置きが長くなりましたが、我が家でも今年のお雛様を2月末から飾りました。そして、ここ松本本来の月遅れの4月3日までは飾っておくつもりです。
昨年、本当に久し振りに七段飾りのお雛様を母屋から運んで並べて飾りましたが、想像以上に飾るのも片付けるのも(更に言えば運ぶのも)大変でしたので、今年は誠に(お雛様には)恐縮ながら、親王飾りだけで許してもらいました。この木目込み人形の親王飾りはシンガポールにも持って行って、赴任中毎年3月3日に赤道直下のシンガポールで飾られていたものです。
南十字星輝くシンガポールで娘たちを見守ってくれていた親王飾り。本来の北斗七星の下で、遠く離れた娘たちをきっとまた見守ってくれていると思います。

 我々、生粋の“松本っ子”が当たり前と思っていても、県外から来られると、驚いたり意外だったりすることも多いようです。そんな話題としてお送りします。題して「信州松本“ぶったまゲーション”」。

 昔からスーパーマーケットの練りモノ売り場に普通に並んでいる「スギヨのビタミンちくわ」。昔から「ちくわ」といえば「スギヨのビタミンちくわ」が定番で、全国ブランドとばかり思っていました。
前回の「辛子いなり」同様に、この「ビタミンちくわ」も「秘密のケンミンSHOW」で紹介されたそうですが、視聴しておらず、長野県独特とも思っておらず、スギヨも紀文と同じ“練りモノ”の大手メーカーだとばかり思っていました。

 株式会社スギヨは、能登半島の石川県七尾市に本社を置く水産加工の会社。しかも、「ビタミンちくわ」だけではなく、あの“カニカマ”を初めて開発したメーカーなのだそうです。
スギヨのH/Pからそのまま引用させていただくと、
『「ビタミンちくわ」は、昭和27年(1952年)に誕生しました。ビタミンを豊富に含む油ザメの肝油を配合したアイデア商品として、戦後の栄養不足に悩んでいた消費者から圧倒的な支持を受けました。以来、発売から66年のロングセラー商品として長くご愛顧いただいています。ビタミンちくわの売上の7割を占めるのが長野県。なぜスギヨ本社がある石川県ではなく長野県なのか。その理由は、大正時代にさかのぼります。古来、能登のブリは、越中(現・富山県)のブリ街道を通って、飛騨、信州へ送られていました。その歴史にヒントを得て、杉與商店(現・スギヨ)が大正時代、ちくわの穴に食塩を詰めて長野県へ発送したところ、海のない同県にとって、貴重なタンパク源と食塩がセットになった商品として飛ぶように売れ、「ちくわと言えば杉與(すぎよ)」と長野県に広く定着したのです。』
とのこと。この冬も、鍋物やおでんの時に、この「ビタミンちくわ」には大変お世話になりました。

 今では流通や輸送技術も改善され、長野県でも新鮮な魚が食べられるようになりましたが、そう云えば塩イカも腐らない様に塩漬けされたイカで、これも海無し県の信州向けの商品だったとか。方言もそうですが、県外に出て或いは県外の方から指摘されて初めて気付くことも多くあるものですね。

 世間的にはNHK-FMの「古楽の楽しみ」の案内役でお馴染だったでしょうか。音楽学者で日本におけるバッハ研究の権威であり、日本音楽学会の会長も務めておられた礒山雅先生。定期的に愛読させていただいていた先生のブログ「I招聘教授の談話室」が1月末から何故か更新がされずにいたのですが、突然2月22日付けであろうことか、先生の訃報案内が掲載されたのです。何でも、1月27日に大雪で凍結した路面で転倒し、頭を打って入院し、意識不明のまま亡くなられたのだそうです。まだ71歳であり、信じられませんでした。

 磯山雅先生は、地元松本出身(しかも高校音楽部の大先輩)で国立音大(定年で退官された後は)招聘教授として、多方面で活躍されていて、地元松本でもハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)で行われた、2007年に市制100周年を記念して結成された古楽器アンサンブル「松本バッハ祝祭アンサンブル」の演奏会で事前レクチャーなどを担当されることがあり、4年前でしたか“大バッハと過ごす至福の時”と銘打って、「バッハのロ短調ミサ曲~何を聴くか、どう聴くか」と題した磯山雅先生の講演会が開催され、私メも事前勉強のために聞きに行きました。
素人にも分かり易くお話し下さり、また演奏会当日はラテン語の典礼文の訳詞を先生ご自身で担当されました。当時の様子を、本ブログ(第826&827話)で以下の様に記していました。
『(前略)歌唱に沿って投影されたミサの訳詞。行きつ戻りつしながら何度も同じ歌詞が繰り返されますので、曲の進行(スコア)を知らないと大変ですが、都度しっかりと切り替えられていました(掲載した開演前のステージ写真の右の側壁に、縦書きで「バッハ ロ短調ミサ」と投影されているのが見えます)。
後で分ったこと。歌詞投影は急遽決まったたらしく、準備が間に合わずぶっつけ本番となったため、何と訳された磯山先生がホール後方の最上部の小部屋に周囲の反対を押し切って梯子を昇られて、ご自身でPC操作をされていたのだとか。そりゃあ、完璧の筈です。
レクチャーの時に、「私も、演奏会当日は聴きに参ります」とは仰っておられましたが、まさか裏方までされて天井部屋で聴かれていたとは。いやはや何ともご苦労さまでした。』
直接お話しをする機会はありませんでしたが、演奏についてブログを通じてご質問をお送りしたところ、すぐに丁寧にお答えくださいました。
また、毎年旅行社の企画で、先生がコーディネイトされて欧州で聖トーマス教会など古楽に関わる歴史的施設や演奏会などのツァーを引率されてもおられました。いつか一度は参加したいと思っていましたが、叶わぬ夢となってしまいました。

 ブログではお元気そうでしたので、突然の訃報が俄かには信じられませんでした。ましてや松本のご出身で慣れておられた筈なのに、雪道で転ばれたのが原因だったなんて・・・。
昨日行われたご葬儀に松本からでは献花することも叶いませんでしたが、バッハのミサ曲でも演奏されたのでしょうか。謹んでお悔やみを申し上げます。どうぞ、安らかにお眠りください-合掌・・・。

 前々回の「チーズダッカルビ」のついでに、同じく韓国料理の話題です。
我が家からほど近い、桐の追分交差点にあった韓国創作家庭料理「やんちゃ坊」。本ブログでも以前何度か紹介させていただきました(第354話参照)が、信州大学が近い(高校の美須々の方が近いのですが)と云う場所柄、宴会やコンパなどでの信大生や先生方の溜まり場でもあり、信大生の学生アルバイトも多くて活気のある店でした。そして何より、ご主人の李さんの奥さまが作る韓国料理は絶品でした。
我が家から近いこともあって、昔は深志高校の上にあった中華薬膳料理の「チャイナスパイス」か「やんちゃ坊」が家族全員(シンガポールに家族で赴任していてエスニックに慣れていたこともあるのか)大好きで、我が家の外食時の定番でした。そのため、ある意味常連客でもあったので、時折買い物をするご主人の李さんと食品スーパーで出会って、「また食べに行きますね」と挨拶を交わす間柄でした。李さんは食堂経営の傍ら、在日の立場から日韓交流の歴史を紹介したりと地元で積極的に文化活動もされていました。

 その「やんちゃ坊」が1月末で突然閉店してしまいました。
「やんちゃ坊」が閉店するらしいと聞いたのが12月末。家内の知り合いの方からでした。その方は信大の学生さんとも交流があったので、そこからの情報の様でした。何でも、息子さんが横浜におられるので、家族全員横浜に移住されるのだとか。その時点で閉店までに1ヶ月も無く、また何かと慌ただしい年末年始を挟んだこともあって、なかなか食べに行く機会がなく、時折店の前を車で通っても、閉店を知らせる様な張り紙や案内もなど閉店する様な素振りも全く感じられなかったことから、閉店はしないのでは・・・と勝手に決め付けて安心していました。
ところが、やはり一月末で突然閉店。店の前を車で通ってもナンの張り紙も無く、閉じたまま。その内、次に入居するテナントが決まっているのか、改装工事が始まって元の「やんちゃ坊」の仕様はどんどん無くなってしまいました。
「あぁ、本当に閉店しちゃったんだ・・・」
ショックでした。他の韓国料理店の方に謂わせると、“創作料理”であって本当の(伝統的な)韓国料理では無いと批判する方もいましたが、でもどれも本当に美味しくて、他店の倍もありそうなナムルに始まり、海鮮チヂミ、チャプチェ、豚キムチポクム、トッポギ、スンドゥブチゲ・・・毎回の定番メニュー(掲載の写真も第354話より)でした。

以前、娘が新宿で「妻家房」という韓国料理の有名店に連れて行ってくれましたが、確かに美味しかったのですが、ナムルなど量は半分・・・。個人的には、味も含めて「やんちゃ坊」に断然軍配を上げました。
「やんちゃ坊」・・・本当に美味しかったので、都会ではテナント料も高いので価格は上げざるえを得ないかもしれませんが、是非横浜で再開して欲しいと思います。風の噂に聞こえたら、娘の住む糀谷からもすぐなので、また食べに行きたいと思います。

 「この前食べに来たら、“研修旅行のため臨時休業”って張り紙があって・・・」
 「スイマセン。バイトの子たちも連れて、全員で韓国に行って来たものですから・・・」
昨年の秋頃だったか、食べに伺った時のそんな李さんとのやり取りが最後になってしまいました。バイトの信大生ともそんな関係を築きながら、松本にすっかり溶け込んでいたのに本当に残念です。

 「チャイナスパイス」(5年間にまた中国から戻り、東町で3年半ぶりに再開済み)と「やんちゃ坊」。どちらも我が家から近く、しかもどちらも絶品料理であり、時にテイクアウトをお願いするなど、本当に重宝した名店でした。残念なことに両方とも閉店或いは移転と、どちらも遠くなって足が遠のいてしまいました。
あぁ、家から近い名店がどんどん無くなって行きます。あとは“諏訪の誇り”(侮るなかれ!)「テンホウ」くらいしかないかなぁ・・・(グスン)。
【追記】
「やんちゃ坊」が閉店してしまったので、止む無くレシピを調べて作ってみた自家製ナムル。買ってあった豆もやしと寒縮ホウレンソウのおひたし、大根を使って、すりゴマも無かったので擂鉢ですって・・・。ナムル大好きな奥さまの評価は・・・「これなら十分。ウチでもナムルが食べれるジャン!」と高評価をいただきました。ナムルの定番食材でもある干したゼンマイ(ワラビ?)こそありませんが、奥さまは「別に好きじゃないから・・・」とのことでした。チャプチェもインスタント食品でも市販されていますし、チヂミも海鮮はともかくジャガイモなら家庭でも簡単に作れますので、また韓国料理が食べたくなったら、「やんちゃ坊」を偲んで自宅で作ってみようと思います。