カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 テニスのグランドスラム、4大大会のUSオープンで大阪なおみ選手が“女王”S・ウィリアムズ選手を破っての初優勝。日本人初優勝として、以前から話題になっていた天真爛漫なインタビューでの受け答えと併せて、連日マスコミ報道がされています。曰く、日本人初、日本人の誇り、日本人らしさ、日本人の謙虚さ、・・・云々。
 確かに素晴らしい快挙です。180㎝という恵まれた体格から繰り出される時速200kmという男子選手並みの高速サーブを武器に、プロデビューから僅か5年足らずでのグランドスラム制覇。
しかし乍ら、今回世界中で称賛された彼女のパフォーマンスや愛らしい立ち振る舞いが、まるで日本人だからこそ・・・と、その理由背景を全て日本であること、日本人であることにマスコミが無理やり結び付けているは全く以っておかしいのではないか・・・と感じざるを得ません。
日本人としては誇らしいし、喜ばしい限りです。でもそれを殊更“日本”であることに結び付けることには違和感を禁じ得ませんでした。
確かに日本でご両親が出会ったからこそ姉妹が生まれた。そして、彼女のDNAには間違いなく日本人である母方の血が混じっていることは間違いありません。しかしツアーでの初優勝の時だったか、インタビューアーが彼女の生い立ちに触れて「日本とアメリカの双方の文化の影響を受けているのでは?」と質問された時に、ハイチ系アメリカ人である父親からのハイチの“血”も大事である旨の彼女の回答を聞き、思わず“アッパレ!その通り”と感心させられました。しかもユーモア溢れたインタビューでの彼女の英語での自然なやり取りを聞くにつけ、最近は海外で活躍する日本人がインタビューに英語で受け答えしているのを見聞きするのも決して珍しくはありませんが、やはり国内の英語教育だけではこうは行くまいと感じざるを得ませんでした。
確かに彼女が二重国籍を持ち、しかもこれまでの“人生の大半”(移住した3歳から二十歳の今まで)を過ごしている米国も選べるのに、登録国として日本を選んでくれていることに嬉しさは感じますが、だからといって彼女のパフォーマンスの理由を日本に結び付けるのはお門違いでしょう。
例えば、アメリカ西海岸で生ま育った女子フィギアの長洲未来選手。幼い頃から頭角を現し、結果米国代表としてオリンピックにも出場。彼女のご両親はロスで寿司屋を営まれていて、お二人共日本人です。当時、浅田真央選手以下が凌ぎを削っていた選手層の厚い日本ではなく、三番手以内に確実に入っていた米国代表を権利として選んだとしても、それは日頃努力している娘をずっと見守り支援して来たご両親からすれば当然のこと。果たして、それを非難出来るのでしょうか。
大阪選手も、米国よりも日本で登録した方がテニス選手としてのチャンスが拡がると思っただけなのかもしれません。

 国際化、グローバル化の進展もあって、国際結婚も珍しくなくなり、ハーフやクォーターという“血”だけではなく、暮らしていることで日本という国籍を選ぶアスリートも少なくありません。しかも、彼等が身長やバネといった部分での日本人の弱点を補う身体的能力を持ち、我慢や持続力といった日本文化や日本人の持つ身体的・精神的な良さと結合することで、更にパフォーマンスを向上させているのかもしれません。
そんな時代に、成果だけを何でも日本にこじつけるのは、本来移民国家であり彼等のFrontier Spiritこそが国家形成発展の原動力であった筈なのに、その歴史を忘れて自国第一主義を唱えるアホ大統領と何ら変わりません。
“純血主義”なぞ、鎖国主義の時代遅れ。古来、極東の日本列島は縄文・弥生という色々な“血”の流入や中国や朝鮮半島経由での先進的な技術や知識の導入と融合で、“混血”的な良さを取り入れて発展して来たのではないか?むしろ古代日本の方が余程先進的だったのではないか?
大阪なおみ選手の快挙と、それを殊更“日本”に関係付ける採り上げ方に、発想を飛躍してそんなことまでも考えさせられた今回のマスコミ報道でした。

 今月中旬からのパンパシ・オープンに“凱旋帰国”した彼女。
どうか、滞在中に思う存分トンカツやカツ丼、それと抹茶アイスが食べられますように・・・。