カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回のコロナ禍報道の中で、個人的に出色だと感じた番組がこれまでに二つありました。

 一つは、NHKスペシャル「新型コロナウイルス感染拡大阻止 最前線からの報告」です。
それは、今回の新型コロナウイルスの感染拡大を阻止するために結成された対策チーム「クラスター対策班」の活動を取材した番組。そのリーダーを務めるのは、東北大学大学院の教授で感染症対策のスペシャリスト押谷仁さん。そして、対策チームの戦略を緻密なデータ分析で支える、北海道大学大学院の西浦博教授。その感染症の流行を数理モデルで予測する第一人者の西浦さんが注目したのは、1人の感染者が何人に感染させるかを示す値「基本再生産数」でした。中国やシンガポールの様に、強制力を以って対応できない我が国において、彼らが中心としたのはクラスター対策でした。
『僕らの大きなチャレンジは、いかにして社会経済活動を維持したまま、この流行を収束の方向に向かわせていくかということ。都市の封鎖、再開。また流行が起きて都市の封鎖ということを繰り返していくと、世界中が経済も社会も破綻します。人の心も確実に破綻します。若者は将来に希望を持てなくなる。次々に若者が憧れていたような企業は倒産していきます。中高年の人たちは安らぐ憩いの場が長期間にわたって失われます。その先に何があるのか。その先はもう闇の中しかないわけです。その状態を作っちゃいけない。』(押谷さん)
押谷さん率いる厚生労働省の対策班。印象的だったのは、時間を惜しむように何日間も自宅に帰らず、食事も会議テーブルでカップヌードルを啜るだけの場面が何度も何度も登場したこと。普段はスポットライトも当たらずに、黒子に徹しているであろう彼らの献身性に感動し、感謝・・・です。
日本の現状をふまえて、感染拡大を少しでも抑えるにはどうしたら良いか?収束させるために、国民にどう呼び掛けたら良いか?そのためのあらゆる方策を検討し議論し、専門家会議に上申し、時には国や都の担当者等にも説明し説得する。クラスター対策、三密、外出自粛8割削減・・・などなど。これらは、対策班の提言を受けて感染対策として実現されたものだそうです。

 そして、もう一つ感銘を受けた番組は、NHKのEテレ特集「パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」でした。
見終わった後、「凄い!」と、身震いする程感動しました。こんな優れた番組が、Eテレだけでの放送とは何とも勿体無い!としか言えません。
その内容は、「ニューヨークの国際政治学者、イアン・ブレマー」「世界的ベストセラー“サピエンス全史”“ホモ・デウス”の著者、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ」「フランスの経済学者・思想家、ジャック・アタリ」へのインタビュー番組でした。
特に印象的だったのは「新型コロナとの戦いを口実に、その国のトップの権限が拡大し“独裁国”になる危機」だという指摘でした。

(写真は、NHKではなく、日経新聞に掲載された各氏の寄稿記事より)
 ハラリ氏曰く、
『全体主義的な体制が台頭する危険性があります。ハンガリーが良い例です。形式的にはハンガリーは民主国家ですがオルバン政権は独裁的ともいえる権力を握りました。それも無期限の独裁的権力です。緊急事態がいつ終わるかはオルバン首相が決めます。ほかの国にも同様の傾向があります。非常に危険です。通常、民主主義は平時には崩壊しません。崩壊するのは決まって緊急事態の時なのです。』
 続いて、アタリ氏は次の様に言います。
『あなたは、歴史を見ると、人類は恐怖を感じる時にのみ大きく進化すると以前おっしゃっていました。私たちは、まさにいま進化するためにこれまでの生き方を見直すべきと思いますか』というインタビュアーからの問いに対して、
『まさしくそう思います。前身するために恐怖や大惨事が必要だというのでもありません。私は破滅的な状況は望みません。むしろ魔法で今すぐにでもパンデミックが終息してほしいです。しかし良き方向に進むためには今の状況をうまく生かすしかありません。利他的な経済や社会、つまり私が「ポジティブな社会」「共感のサービス」と呼ぶ方向に向かうために。しかし人類は未来について考える力がとても乏しく、また忘れっぽくもあります。問題を引き起こしている物事を忘れてしまうことも多いのです。過去の負の遺産を嫌うため、それが取り除かれると、これまで通りの生活に戻ってしまうのです。人類が今、そのような弱さを持たないよう願っています。私たち全員が次の世代の利益を大切にする必要があります。それがカギです。誰もが、親として、消費者として、労働者として、慈善家として、そしてまた一市民として投票を行うときにも、次世代の利益となるよう行動をとることができれば、それが希望となるでしょう。』

 前回のブログに、いみじくも私も書いたのですが、
『強制力・罰則の無い緊急事態宣言をザル法と蔑む識者や報道も目に付きますが、国家総動員法以降の反省で、国家に出来るだけ権力を持たせないことを我々国民が選んだ以上、この国は民度を以って一人ひとりがすべきことをするしかないのだと思います。』
正に“我が意を得たり”でした。
(その自国第一主義の極地としての中華思想に凝り固まった、相変わらずの自分勝手な振舞はともかくとして)中国が世界に先駆けて一早く感染拡大を防止したのは、或る意味共産党の独裁国家であり監視社会であるから。中国の様に、人権を無視し、強制力を持ってしかウイルスを排除できないとすれば、この緊急事態を機に世界は全て独裁国家になるべきなのか?

「今、民主主義が問われている」・・・正にその通りだと思います。
民主主義が保障する「権利と義務」。権利を得るためには応分の義務を果たす必要がある・・・この当たり前のことを、殊更に自分の権利を主張する前に、我々はもう一度その原則に立ち返るべきではないか。もしそれが出来なければ、権利が保障されずに義務だけを強いる状態(社会→国家)になるかもしれないことを歴史が証明しています。そうならないための民度が、今こそ我々一人ひとりに求められているのです。