カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 前話に続いて落語の話題で“一席”お付き合いください。
大好きだった、噺家修行を描いた尾瀬あきら氏の傑作コミック「どうらく息子」。その主人公が初めて口座で触れる落語が「時そば」でした。その口座の後で、たまたま知り合った前座が、二人で立ち寄った立ち食い蕎麦屋で、彼に師匠の「時そば」を説明します。そばを食べる“マネ”ではなくて「芸」と云い、その芸の奥深さを解説する件で、
「・・・まず割りばしを口で割る。はしでソバをたぐる時、ちょっとドンブリが揺れた・・・。いかにもソバがたっぷり入っている感じ・・・。ソバを口に入れる時、はしを口の中までしっかりと入れる。舌を上手にまわし・・・ズッ、ズッズズー・・・っと。」そして、
「寒い夜にぽつんと行燈。熱いソバと立ち上る湯気。師匠の「時そば」はいつも絵が浮かぶ。」と説明を締め括ります。
 良く知られた、古典落語の「時そば」。
因みに、蕎麦を扱った落語には他には大食い清兵衛さんが登場する「そば清」という噺もあって、「どうらく息子」でも若い噺家たちを応援する蕎麦屋の屋号がそれに引っ掛けて「そば清」でした。
そうした蕎麦を題材にした落語での或る意味“見せ場”が、手繰った蕎麦を啜る音。
聴いている客が、如何にも本物の蕎麦を啜っている様に感じないといけない。先の言葉を借りれば、行燈に二八と書かれた蕎麦屋の屋台と立ち上る湯気が目に浮かばないといけない。「どうらく息子」で落語の監修をしていた、柳家三三師匠の「そばを啜る音」についての説明に依れば、
『どんなコツがあるのかというと……口の形や舌の長さが影響するのか、実は人それぞれに方法が違う。共通点は開けた口を舌でふさぎ、せまいすき間から息を吸う』のだそうです。
また別の専門家の「時そば」の解説に拠ると、「時そば」の一番の見せ場は、「そばを食べる場面において麺を勢い良くすする音を実際と同じように表現すること」であり、しかも「そばをすする音とうどんをすする音には、確実に差異があるともされる。それをリアルに表現するのが当然で、何より落語の醍醐味」なのだとか。
 その一番の名人とされたのが、人間国宝でもあった五代目柳家小さん。小さん師匠の「時そば」は、あまりに美味しそうに食べる真似をするので客席から拍手が起こるほどで、師匠の「時そば」の後は、寄席近くのそば屋に向かう客が大勢いたという伝説が残っているそうです。
更に、『・・・小さん師匠が凄いのは、持ちネタの中に「うどん屋」というネタがあって、こっちでは最後の方で客が鍋焼きうどんを食べるシーンがあるんですが、「時そば」と続けて聞いてみると、啜る音が麺の細いそばと太いうどんでは音が違うんです。』とのこと。ナルホド、凄いなぁ・・・。
実際に小さん師匠の「時そば」を聞いてみると、確かに湯気が上がっている様な、何とも暖かそうな(卓袱)ソバの丼が目に浮かびます。「うどん屋」と聞き比べてみると、素人には麺を啜る音の違いは正直分かりませんでしたが、ナルホド、「鍋焼き」だといううどんの方が、蕎麦よりも食べるのに(汁が)熱いのが伝わってきます。
 蕎麦を啜る音は、小さん、小三治、さん喬と続く、柳家一門は皆同じ音に聞こえます。ただ、個人的には、どちらかと言うと、ソバと汁を一緒に啜る音の様に感じます(卓袱蕎麦なので、汁があって良いのですが、些か汁が多過ぎ)。そして小さん師匠の何とも言えないペーソスは、最後の弟子であるさん喬師匠に受け継がれている様な気がします。私メが一番好きな噺家である柳家さん喬師匠の弟子の喬太郎師匠の様に、枕ではハチャメチャのコロッケソバで客席を爆笑させながら、本題に入ればちゃんと古典落語の「時そば」の世界が現れて来る・・・さすがです。同じ柳家一門で、現役の人間国宝でもある小三治師匠の「時そば」は、ペーソスではなくむしろ江戸っ子の気風の良さではないでしょうか。
 その気風の良さでは、古今亭志ん朝師匠も同様。音源が残っていて、今でも聴くことが出来るだけで落語ファンとしては有難いのかもしれませんが、もし早逝されなかったら、一体どんな大名人になっていたかと何とも惜しまれてなりません。
その志ん朝師匠の「時そば」。個人的には、志ん朝師匠の啜る蕎麦の音が、汁気の無いざるそば的かもしれませんが、一番それらしい。本当にそばを啜っている音だと感じた次第です。まさに名人芸!

 さてと、ここらで私メも蕎麦でも食べに行くとしますか・・・。