カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 最近の車に装着されている、アダプティブ・クルーズ・コントロール(ACC)。
日本語では「定速走行・車間距離制御装置」と呼ばれる安全運転支援システムで、予め設定した車速内でクルマが自動的に加減速して、先行車との適切な車間距離を維持しながら追従走行し、ドライバーの運転負荷を軽減する仕組みです。最近では、軽自動車でも装着されている車もあります。
中には、「オートクルーズで走り続けると居眠り運転を誘発して危険」。さらに、「アクセルペダルを踏む必要がなくなるため、右足をダッシュボードの上に上げて運転するなど、危険回避行動が遅れて却って事故を誘発する危険性がある」との指摘もされているのだそうです。
確かに、発信停止を繰り返す様な信号が多い市街地や、狭くカーブの多い一般道ではACCは不要かもしれません。それに、自動車に限らず色々な事故や故障のニュースでプログラムのバグが原因という報道もあると、電脳社会においてはコンピュータを過信するリスク(ハードもソフトも元を作るのは人間)もあって、万が一を考えてしまいがちです。そのため、私メも全く使ったことはありませんでしたし、自分の運転の方が(精神的に)安心なので使おうとも思いませんでした。

 一方、我が家のデジタル担当の奥様(長女はスマートスピーカーを盛んに勧めていますが、そこまで先進的ではありません)は、むしろACC推奨派。実際、カーディーラーの担当者も、
 「女性で(その年齢で)、そこまで熟知して使いこなしている人はいません!」
と驚く程で、定期的に実家のお義母さんを面倒見に行く時は、松本から諏訪ICまでとはいえ高速道を走るので積極的にACCを使う様で、その便利さを絶賛しています。そのため、近間の県内とはいえ、高速を走る際に一切使おうとしない私メに対し、
 「使えばいいのに・・・。絶対に便利だから!」
 「でもなぁ・・・。何か不安じゃん!」
という会話の繰り返し・・・。

 しかし、今回の伊勢は遠いこともあって、家内にセットの仕方を聞きながら、高速道路で初めて本格的にACCを使ってみました。結果は・・・、
 「イヤ、これ便利!スッゴイなぁ」
何が一番イイかって、何より右足が疲れないことです。例えば、日帰り登山に車を運転して行って、帰り道の運転で右足のふくらはぎが疲労のためにツルことがあります。また、足の前側である「前脛骨筋(ぜんけいこつきん)」という、足首を曲げる(足先が上に移動する)方向に力がかかる際に使われる筋肉もツルこともあります。
歩いて足を使った登山後だけではなく、長距離を運転することで、足首を曲げる方向に常に緊張させている状態でアクセルペダルをコントロールしているために、同様にツルことがあるのです。
若い時に家族を成田空港まで送って行って、日帰りで往復(600㎞)した際の独りでの帰路。諏訪ICを過ぎた時に急に手が震えてきて、慌てて諏訪湖SAで手の震えが止まるまで30分以上休憩を取った記憶があります。それ以降、個人的に一日の運転は400㎞を一応の目途として来ました。
今回は400㎞近い距離でしたし、若い時とは体力も違うので、足の疲労を考えて、高速道路に入ってから初めてACCを使ってみることにしたのです。車の流れを乱さぬよう、制限速度+10㎞に設定し走行しました。
前の車が減速すると自動的にこちらの車も車間距離を保つために自動的に減速します。その後、例えば前の車がICを降りたりSAに入ったりしていなくなると、自動的に設定した速度まで加速します。勿論、その間全くブレーキもアクセルもペダルを踏むことはありません。さすがに、右足をダッシュボードに載せることはありませんが、右足を使わない、筋肉を緊張させないことが、長距離の運転時に本当にどれほど楽かを実感しました。足の疲労度が全く違うのです。
 「イヤ、こりゃホントに楽だワ!!」
そういえば、以前高速バスで新宿に行った時にたまたま左側の最前列に座ったことがありましたが、その際に運転手の方が頻繁にACCを使っていたのを思い出しました。これなら一日二往復くらい、プロのドライバーなら走れるかもしれない(安全を踏まえての実際の運行体制は知りませんが)と感じた次第です。
従って、今までは「ちょっと遠い」と躊躇していた遠距離の観光地へも、ACCを使えば車で行けるかもしれません。過信は厳に禁物ですが、何となく、ACCが中高年のドライブでの活動範囲を拡げてくれる様な気がしました。

 思えば、若い頃は「車は絶対マニュアル車!」とオートマチックを馬鹿にしていましたが、今やAT車だけの免許証も存在しますし、オートマの便利さを体感してからはマニュアル車を選ぶことは無くなりました。
ACCもそれと同じなのかもしれません。
 「こりゃ、使わな損、ソン!」

 勿論システムへの過信はいけませんし、どんなに先進的なシステムでもFail Safeが重要にもなりますが、本当に技術の進歩は凄いですね。
その意味で、特に信州の様な田舎での買い物弱者を助け(スピードの出ないカートで良いので)、高齢者による誤発信や踏み間違えによる悲惨な事故を避けるためにも、自動運転の実現に期待します。出来得れば、遅くとも自分自身が“モミジマーク”になる頃には完全な自動運転になっていると有難いですね。そうすれば、高齢者も車で遠出することが可能になるかもしれません。若者に出来るだけ迷惑を掛けない、アクティブなシニアが増えるかもしれません。

 伊勢志摩サミットで有名になった賢島。我々はその舞台となったホテルに滞在する訳ではなく、今回もワンコと一緒の倹約節約旅行です。
しかし調べてみると、賢島そのものには意外と観光スポットはありません。せいぜい、水族館の「志摩マリンランド」とスペイン風観光遊覧船での英虞湾クルーズくらいでしょうか。クルーズではワンコたちが可哀そうですが、水族館はワンコ連れOKとのこと(ただし抱っこかバギーで)。そこで、水族館に行ってみることにしました。
 水族館「志摩マリンランド」の入場料は1500円/人と決してお安くはありませんが、ワンコ連れで観光出来るスポットは限られているので仕方ありません。
この水族館はマンボウの飼育で有名なのだとか。入るとすぐにペンギンの檻があって、水槽で泳いだり日向ぼっこをしていたり。ワンコたちも目の前で動くペンギンには興味津々。水族館に入ると回遊式の巨大水槽が目の前にあり、ブリや鯛、サメなど2000匹を超えるという魚たちが泳ぎ回っています。外敵が居なくて餌付けもされて快適な世界のためか、岩陰に佇むクエ(アラ)は勿論、回遊しているどの魚も今までの認識より一回り以上大きくて、まつでレンズで拡大されているのではと思う程。途中、海女さんによる餌付けもあり、お子さんたちも喜んで見ていました。
館内には、サンゴ礁の水槽にはクマノミなどの熱帯魚が泳ぎ、幻想的なクラゲの水槽やアマゾンなどの淡水魚の水槽もありました。目玉のマンボウは確かにデカイ。ノンビリと優雅に泳いでいて、世の中の喧騒など我関せずの風情でしょうか。いつ以来なのか、久し振りの水族館ですが、それなりに楽しめました。ドッグバギーだと、館内にはスロープもあるのですが、回遊式水槽をぐるっと一周楽しめる2階フロアへは階段のみでした。

 賢島自体には他に観光スポットも無いので、次に向かったのは志摩半島南部の志摩市阿児町にある横山展望台です。こちらもワンコ連れOKとのこと。
駐車場もある横山ビジターセンターから、更に展望台へは車で行けますが、数百メートルの道はすれ違い出来ない狭さで、途中退避コーナーでお互い待つ必要があります。ただ、40台程も停められる駐車場は結構混んでいました。そこから展望台はすぐ。階段もありますが、ドッグバギーやカートだとアプローチの距離は長くなりますが、九折の木製のスロープもあってウッドデッキの在るテラスまで行くことが出来ます。但し、カフェスペースはワンコ不可でした。
天空カフェテラスと名付けられたウッドデッキからは、リアス式海岸の英虞湾が一望できます。確かに見事な絶景が眼前に拡がります。
横山展望台からさらに先にも遊歩道が設けられていて、他にも展望スポットがあるそうですが、バギーで行けるかどうか分からなかったのと、横山展望台が一番眺望が良さそうなので、ここで引き返しました。
 昼時間も過ぎていたので、そこから向かったのは「志摩地中海村」。「志摩スペイン村」の方が有名ですが、同じ志摩市内でも賢島からだと離れているのと、ディズニーランドの様なテーマパークで、パスポートも高額で一日滞在しないと無駄な様です。
「志摩地中海村」は、英虞湾のリアス式海岸に面した場所に建てられた地中海の白い街並みを模して建てられたリゾートホテルですが、宿泊者以外にも一般に開放されています。入場料500円/人、しかワンコ連れOKではあるのですがナント犬も500円/匹。
  「えっ、犬も入場料払うの?」
と一瞬呆気にとられますが、これには工夫があって、入場料と同額がクーポンで戻ってきて(従って、我々だと人間2名とワンコ2匹で、2000円分)、村内で金券と同様に使うことが出来るのです。来た人には施設内でお金を使い切ってもらう工夫で、ナルホド!と納得。
我々は、ワンコOKのカフェ「Amigo」で昼食。テラス席もあるのですが狭かったので、パティオにしてもらいました。ピザとパスタも本格派。ドリンクも含めて2000円のクーポンが使えるので、何となく得した気分にさせてくれるのは上手い仕組みだと感心しきり。
この日は暑いくらいだったので、スペイン風なのかエーゲ海のギリシャ風か分かりませんが、確かに地中海っぽい雰囲気でした。
ベンチに座って海を眺めながら少しノンビリしてから、ホテルに戻りました。
今回の賢島周辺観光で一番良かったのは横山展望台でしょうか。
 この日は快晴だったので、夕食前に夕日の名所という賢島大橋に行ってみることにしました。英虞湾に沈む夕日を橋の上から見られる絶景のスポットなのだとか。日の入り時刻を確認し行ってみると、我々だけではなく何組かの人たちが夕日を見に来ておられました。この日の夕焼けは、写真で見た程は赤く染まることは無かったのですが、海に沈んでいくロマンチックな(・・・山国の人間は余計そう感じるのかもしれませんが・・・)夕日を眺めることが出来ました。
ホテルに戻り、せっかくなので夕食に賢島に行こうかと思ってチェックしたのですが、ホテル内の高級レストランを除き、海鮮などの島内のレストランはどこも夕方で営業終了。結局滞在中に賢島では食べることは出来ませんでした。
 ワンコたちも一日連れられて、お疲れ様!休憩の都度、おやつもらえるから良かったかもしれませんが・・・。

 「ドラフトで有望な選手を指名しても、金に任せてFAの有力選手を集めるために、若手選手の出場機会が減って結局大成しない・・・云々。」
 「せっかく素質があるのに、巨人ではすぐに結果を出さないと目をつむってでも継続して使うことが出来ないので、結局若手選手が育たない・・・云々。」
これまでも良く云われたことですが、最近では巨人で活躍出来ずにトレードされ、その後移籍先で活躍している日ハムの大田泰示選手やロッテの沢村祐一投手がその証明として、冒頭の批判論の象徴の様に云われています。果たしてそうなのでしょうか?

 確かに、大田泰司はその素質の高さと自前の大砲への期待もあって、毎年期待されて試合に出ても結果を残せず、その折角の体格を活かせないまま、時には窮屈で前かがみのクラウチングスタイルの様なバッティングフォームになってしまい、素人が見ても打てそうもない気がしたものです。
 「一体、誰がこんなフォームにさせたんだ!?」
類稀な身体能力を持て余す大田に、当時ラグビー日本代表のHCだったエディさんが、アスリートとしてのその素質にほれ込んで本気でラグビーへの転向を口説いたりしたことすらありました。
それが、日ハムへトレードされた途端にレギュラーの座をつかみ、毎年20本近いホームランと3割近い打率を残す活躍。
また、“格差トレード”と今年話題になった沢村も同様。新人賞獲得などの活躍も当初はあったものの、ここ数年は四球連発で打たれて自滅の繰り返しだったのが、移籍後は連続三振でゼロ更新。セットアッパーから、最近ではクローザーを任される活躍を見せています。
その結果が、「やはり・・・」とか「それみたことか・・・」と、冒頭の批判に繋がりました。果たしてそうなのでしょうか?

 思うに、彼等二人は真面目過ぎ。結果が出ないと内に籠って落ち込むタイプ。結果が出ずに焦ると、更に悪循環で余計焦りに繋がる・・・の繰り返し。
自分で自分を追い込んでしまう。結果、自滅・・・。
では他球団では何が違ったのか。それは、一挙手一投足まで注目されてマスコミの目に始終さらされている球団と、そんなプレッシャーから解放されて、少し失敗しても批判されることも無く、然程気にせずにノビノビと好きな野球に打ち込める環境。
一番の原因は、能力を活かせずに周囲の期待の大きさに押しつぶされてしまった本人たちの心の弱さではなかったのでしょうか。

 では、高卒2年目から活躍している坂本勇人と同じく高卒4年目で不動の4番を務めるに至った岡本和真。彼らは同じ球団で何が違ったのでしょうか?
高校時代に結構(かなり?)ヤンチャだったという坂本と、天然キャラ気味で先輩からのイジラレ役で良い意味で鈍感な岡本和真。些少のことには動じない、そんな大らかさと明るさが彼らを大成させたのではないでしょうか。
勿論、球団の指導力や育成力などの環境要因もあるとは思いますが、それを活かせるかどうかは本人次第。伸びるかどうか、活躍出来るかどうかは飽くまで本人の責任でしょう。
仮に、もし日ハムに育成力や指導力があるとしたら、では斎藤佑樹や清宮幸太郎は一体どうしたのでしょうか?

 斎藤雅樹の投球時の腰回転からサイドスローの方が向いていると見抜いた藤田監督や、イチローの振り子打法を矯正させずに一軍へ抜擢した仰木監督といった名伯楽の様な指導者や、その時に置かれた環境に恵まれることも重要ですが、本人の素質だけではなく持って生まれた性格もそれ以上に重要な要素だと思います。
必ずしも、指名が競合するドラフト1位が活躍するとは限らないこの世界。下位指名や、例え育成指名であっても、数年後に球界を代表するような“名選手”の卵が指名されているかもしれません。
来る10月26日は、今年のプロ野球ドラフト会議。今年も、そんな“ベースボール・ドリーム”誕生に期待しています。

 NHKの朝ドラ「エール」。
10月12日からの第18週は「戦場の歌」と題して、主人公が慰問団の一員でミャンマーに行き、「インパール作戦」真っただ中の前線で再開する恩師の戦死する場面と、死を覚悟する恩師から託された手紙を遺族に届ける場面。そして、もう一人の主人公である妻の豊橋の実家の空襲の場面を経て、終戦を迎えたところまでが描かれました。

 主人公の実在のモデルが、作曲家として戦時中は多くの軍歌などを実際に手掛けていたことから、戦時中のエピソードを描くことは必然だったとはいえ、場合によってはナレーションだけで済ませ、前線での悲惨な戦闘場面を描くことは避けられたかもしれません。しかも朝ドラは放送されるのは、ある意味一日が始まる“朝げ”の時間か、心と体を一休みさせる“ひるげ”の時間帯なのですから、むしろ避けて当然という意見もあっただろうと思います。もしかすると、軍歌そのものも流すことにさえ批判もあるかもしれません。
しかし、戦争賛美かどうかの批判の前に、戦争後それまで白かったモノが突然黒になり、或いはタブー視されて触れることすら忌み嫌われることの不条理。
時間が無いとはいえ、小学校から高校まで、古代は学んでも、近代は殆ど教えられた記憶が無い。憲法9条がなぜ生まれたのか、その背景や、現状との課題や是非を議論した記憶が無い・・・etc. 
事実は事実としてきちんと認識議論し、その上で反省すべきは反省することの重要さを、我々は敢えて避けて来たのではないか?
海外に赴任をすると、自分の国に愛着を持って自国を愛することは至極当然だと感じる様になります。
それまで、飛行機に乗れば洋食をオーダーしていた人も、赴任すれば和食を頼むことが当たり前と感じる様になります。そして、日本にいる時は飲まなかった味噌汁が無性に飲みたくなるのです。

 自分の国を愛することに、右も左も無い。

 軍の横暴さ。慰問団の一員である火野葦平のモデルを通して、「前線は地獄だ。兵隊を大事にしない日本軍に勝ち目はない」と言い捨てさせている様に、精神論だけで戦ったインパール作戦・・・。
そして、その結果が太平洋戦争で2百数十万ともいえる戦死者を数え、しかもその6割は餓死だったという残酷さ。

 コロナ禍により、2か月以上にも及ぶ中断に見舞われたり、主人公が実際に作曲したとはいえ、朝から軍歌が流れたり、悲惨な戦闘場面が挿入されるなど朝ドラとしては異例ともいえる展開。ある意味主人公の幸せを描いたタイトルバックも主題歌も無かった一週間・・・。
それにしても、硬軟取り混ぜて演じる窪田正孝と二階堂ふみの演技力、また更には脇を固める薬師丸ひろ子や堀内敬子等の迫真の演技。
 「みんな、上手いなぁ!」
最後に、空襲で焦土と化した焼け野原で、薬師丸ひろ子の歌った讃美歌(注)。それまで描かれてきた戦争の悲惨さ、残酷さ、やるせなさなど全てがないまぜになった虚無感の中で、ノン・ビブラートの澄み切った彼女の声質が実に相応しく、それはまるで“廃墟の鳩”の如き一筋の光の様で、何とも心洗われた気がしました。
【注記】
クリスチャンの友人から教えてもらった内容によると、讃美歌496番「うるわしの白百合」。原題は“Beautiful Lilies, white as the snow”だそうです。
そして、特に米国において、“白百合”は「イースター・リリー」として復活祭(イースター:イエスが十字架につけられたあと3日目に蘇ったことを祝うお祭り)を象徴する花とのこと。
『讃美歌496番です。アメリカで生まれた賛美歌でありながら、ほとんど日本でしか歌われないものです。
1954年に編纂されたプロテスタントの賛美歌集で、原曲の大半が英語のもので、19世紀アメリカの影響を強く受けています。1997年にその後継として「讃美歌21」が登場してからは、この「讃美歌」を使っている教会もだんだんと少なくなってきています。』
『年配のクリスチャンには大変人気のある歌ですが、残念ながら現在礼拝で使われる讃美歌21に入っていないので、「知る人ぞ知る」になってきているようです。』
とのことでした。

 神社の参拝時間は、基本的に「日の出から日の入り」だとか。
そこで翌朝、まだ空いているであろう朝の内に伊勢神宮へのお参りを済ませるべく、8時に賢島のホテルを出発して26㎞程離れた伊勢神宮へ向かいました。ワンコたちはホテルでお留守番です(伊勢神宮には、参拝の間ペットを預かっていただける所もあるようですが、狭いゲージではワンコたちも不安でしょうから)。

 伊勢への県道32号線は、上り下り共九折のカーブの続く山道なのですが、出発した時間が悪くちょうど通勤時間帯。志摩からは伊勢に通勤する人が多いのか、毎日通勤していて道も慣れてもいるのでしょうけれど、それにしても皆さん先を急ぐのか制限速度など関係なしでかなり飛ばし気味。
上り道では広い路肩に車を停めて先を譲りましたが(ハザードで感謝していく車もおられます)、伊勢市側の下り道は狭くて退避する場所が殆ど見当たらず、止む無くそのまま下って行きます。しかし、当方が走っていると、あおり気味に後ろにピタッとくっつかれてしまいましたが、これがうら若き女性ドライバー。昔なら、若い頃の様に下りのカーブ辺りでヒール&トウで急ブレーキランプを踏んで後続車にウォーニングをするところですが、まぁ、イイか・・・。こちらも迷惑を掛けぬ様に制限速度以上で走行してはいるんですけどね、慣れない道ですので減速しなくても良い所で減速したり、加速すべき場所でしなかったり・・・なのかもしれませんが、志摩から伊勢へは初走行故悪しからず・・・です。
伊勢市街に入ると道路が片道2車線になり、後ろにいた女性ドライバーは勿論、殆どの後続車が追い抜いていきました。ヤレヤレ・・・。

 今回も、せっかくですので先ずは外宮の豊受大神宮から参拝です。外宮に予定通り9時前に到着。駐車場にはまだ数台停まっているのみでした。
この外宮は、衣食住の恵みを与えるという豊受大御神が祀られていて、1500年前に雄略天皇が夢での天照大神のお告げに従って丹波から移っていただいた神様で、神々に奉る食物を戦時中も含め古来一日も絶やさず、今でも朝夕二回作られているのだそうです。
外宮では左側通行で、手水で清めてからお参りです。
伊勢神宮は、唯一神明造りと呼ばれる弥生時代の高床式倉庫に似た独特の建物で、20年毎に行われる式年遷宮が前回は7年前に行われています。5年前にお参りした時は、まだ真新しく感じられた桧の柱がすでに落ち着いた雰囲気を漂わせています。
 続いて、6㎞離れている内宮(皇大神宮)へ。
時間も早かったので、こちらもまだ駐車場はどこも空いていて、宇治橋やおかげ横丁に一番近い手前の駐車場に停めることが出来ました。しかしコロナ禍か、一番手前の大型バス専用の駐車場などはガラガラでした。
内宮は、崇神天皇が夢に現れた天照大御神のお告げによりご神体である八咫鏡を皇居の外に移すように命じられ、倭姫命に命じて場所を探させ、幾つか場所(元伊勢)を移しながら、最終的に崇神天皇の時代の2000年前にこの伊勢の地の五十鈴川の畔に宮を建てられたのが始まりとされています。全国約8万社に及ぶ神社の頂点(本宗)であり、正式名称は単に「神宮」(神宮と言えば伊勢神宮を指す)とのこと。
こちらは右側通行。一礼して鳥居を潜り、五十鈴川に架かる宇治橋を渡って神域に入ります。先に手水舎で清めてはいましたが、前回はツアーでの団体行動でしたが今回は我々だけですので、折角なので古式に倣い五十鈴川の河原の御手洗場(みたらしば)に下りて改めて手を清めました。市街地を流れる川とは思えない、さすがは神域を流れる清流です。
石畳が敷き詰められた御手洗場の川底は結構深く、澄んだ流れの中に小魚がたくさん泳いでいるのが見えました。広大な神宮の森が水がめとなって清流を守っているのでしょう。参道の周りにも全てがご神木とも云えそうな大木が茂り、森そのものが神々しさを漂わせており、正に“神が宿る”。この地には確かに神様がおわすという気がします。
伊勢神宮は外宮、内宮とも(本宮は)基本的に「私幣禁断」とされ、お賽銭箱がありません。しかし、白い布が敷かれていて、気持ちとして供えることは出来ます。そこで今回はお供えをさせていただき、別宮を含め境内のお社にしっかりと参拝し、子供たち中心に家族の安寧とコロナ禍退散も併せて十分にお参りをさせていただきました。
 しっかりと参拝してから、娘たちに頼まれたお守りを参集殿で購入し、その後おかげ横丁へ。先ずは、通りの奥に在るお目当ての「赤福」へ。前回は順番待ちの行列でしたが、今回はすぐに案内され、赤福二つとほうじ茶(220円)で休憩(勿論、赤福3個は奥様がお食べになりました)。そういえば、学生時代に帰省する時は、京都駅で必ず赤福を買って帰ったものでした。イヤ、懐かしい。それにしても、このおかげ横丁は、嘗ての伊勢詣での賑わいを取り戻そうと「赤福」が自腹を切って、江戸から明治にかけて賑わっていた頃の街並みを再現したものだとか。赤福も色々ありましたが、さすがです。
それから、ランチに前回長女と来て立ち寄ったという伊勢うどんの「岡田屋」へ。前回食べたツアーの団体向けの店では既に配膳されていて、手こね寿司とのセットランチは余り感心しなかったのですが、今回は納得。
伊勢うどんは、伊勢詣での遠路からの参拝客を待たせずに消化の良いうどんをということで、事前に茹でておくためにもちっとして太くコシの無いうどんを濃いたまり醤油のタレで頂くのが特徴とのことですが、少しとろみのある辛目で真っ黒なタレに絡めて食べる独特なスタイル。勢いよく啜るとタレが服に飛んだりするので、注意が必要です。メニューにはカレーうどんや鍋焼きうどんなどもありましたが、先ずはシンプルにと「伊勢うどん」(500円)。結構辛目でカツオ出汁の効いたタレなので、月見風の玉子入りの方が良かったかもしれません。
“腹八分目”で、女性や年寄りには十分な量でしたが、伊勢うどんは汁気(つゆ)が無く具材も花かつおと刻みネギだけでシンプルなので、他のお客さんも注文されていましたが、物足りない場合は大盛り(二玉?)もあるようです。しっかりお参りしてお腹も満たしたので、ワンコたちも待っていることですし、早めにホテルに戻ることにしました。
 駐車場に向かうと、既に駐車場は満車で順番待ちの車が長い列を作っていて、「神社は、日の出からお参り可能だから」という家内の言葉で、朝早めに来て大正解でした。
それにしても、同じ伊勢神宮の外宮と内宮で、駐車場は外宮が無料なのに対し内宮は有料。参拝者数に違いがあるとはいえ、同じ神様(お祀りしている神様は勿論違いますが)なのに変だなぁ・・・。
一応、内宮駐車場も一時間は無料とのことですが、別宮など境内の他のお宮にもしっかりとお参りしたりお守りを買ったりすれば、元々広い境内ですので一時間でも足りないくらいですし、参拝後におかげ横丁に行って休憩したりすれば尚更一時間では無理。いずれにしても平日でも駐車場は満車でしたので、両宮にお参りするならば、伊勢神宮へは早めに来た方が無難でしょう。

 色々とお願い事もあって、久し振りに伊勢神宮へお参りに行くことにしました。
伊勢神宮へは、団体のツアーで5年前に一度参拝していますし、我が家で一番信心深い長女の出張帰国の際、京都での業務の帰路に参拝すると誘われて、家内は更にもう一度詣でています。
ツアーの時は出雲と伊勢の両参りというツアーでしたが、今回はワンコも一緒で自分たちだけですので、車で伊勢を往復。せっかくですので、今回は未だ行ったことの無い賢島のドッグヴィラに泊まることにしての、“伊勢志摩の旅”。NAVI上は、松本から370㎞、5時間半の行程です。

 途中、ワンコたちと休憩しながらゆっくりと行くことにしました。個人的に、阿智から園原を経て恵那山トンネルを抜けるルートは、中央道の中でも坂や急カーブがあって(更に昔若い頃京都へ行く途中でスピード違反で捕まったことも手伝い)何となく好きではない(≒嫌い)こともあり、前回阿寺渓谷に行った時に殆ど信号の無い木曽路は意外と走り易かったことから、1時間程余計には時間が掛かりますが、今回は木曽路の国道19号を走って中津川から中央道に乗ることにしました。しかも狭い脇道は(今回は軽ではないので)ダメという奥様の意向で、ずっと19号線を走ることにしました。
松本から高速で行っても中津川までは2時間ですが、ゆっくり走っても木曽路経由で中津川ICまで3時間でした。また、それが目的では無いのですが、結果として4000円近く(高速代)が浮いたことになります。
中津川ICから中央道に乗ってNAVIの示したルートは、中央道の小牧JCT経由ではなく、土岐から東海環状を通って伊勢湾岸道路から東名阪自動車道を経由するルートでした。そのためか、平日で大型トラックがたくさん走行していた名古屋港周辺を除けば車の往来も少なく、終点の伊勢道の伊勢西ICまで快適なドライブでした。

 途中、約2時間毎に、恵那峡PAと四日市の御在所SAで休憩です。ワンコたちもトイレ休憩で、特に御在所SAには人工芝ですがドッグランが在って、リードをせずに(人間様も)リラックス出来るので有難い限り。この日は曇っていて暑くなかったので、ワンコたちはおやつと水を飲んでトイレ休憩を済ませた上で、窓を少し開けて車で待っていてもらい、その間に我々は急いでランチタイムです。
フードコートで、家内はスタバから、私メは「宮きしめん」を選択。
昔、関西方面への出張の時には、名古屋駅で「しなの」に乗り継ぐ前に中央線ホームの外れに在った「立ち食いきしめん」を決まって食べたことを思い出します。今回オーダーしたのは、基本の「宮きしめん」。具材は、キツネ風のお揚げとナルトにホウレンソウとシイタケと、駅のホームで食べたきしめんと比べるとちょっと豪華です(値段も倍ですが)。
きしめんは、シンプルに揚げと花かつおに薬味のネギが個人的にはベストでしょうか。立ち食いソバと比べると、少し薄めで出汁の効いたつゆ。イヤ、懐かしい!
 伊勢西ICを降りると伊勢神宮(内宮)はすぐそこでしたが、伊勢神宮へは翌日ゆっくりと参拝することにして、先に賢島のドッグヴィラへ向かいます。
今回選んだ宿泊先の賢島(実際は島の手前の志摩市阿児町ですが)へは26㎞程ですが、伊勢からは殆どが峠道でカーブが多く、まるで信州の山道を走っている様。結局、山国の日本列島はどこに行ってもこうした道が多いのでしょう。
40分程で到着したのですが、NAVIが示した場所にホテルは見当たらず、最後道端に車を停めて歩いて周辺を探したものの分からず、結局ホテルに電話をして場所を確認して何とか辿り着くことが出来ました。入力した住所は合っていたのですが、Google Mapで示された場所が全く別の場所だったのです。
最後はスッタモンダの上、何とか到着し無事にチェックイン。途中休憩したり最後に道に迷ったりしたこともあって、7時間近く掛かりました。
伊勢志摩は思った以上に(精神的に?)遠かった・・・結構なロングドライブでした。
 「あぁ、しんど・・・。」
【注記】
掲載したドッグランの写真は、往路の下り線ではなく、帰路の上り線の御在所SAです。

 『海洋汚染問題で、死んで打ち上げられた海洋生物を解剖すると、意の中に大量のプラスチックごみが含まれていた。』、『胃に堆積したプラゴミのために死に追いやられた。』・・・云々。
地球上の生物界において全くの新参者である筈のホモサピエンスがその秩序を乱している以上、現代のホモサピエンスである我々新人類が生存している地球という世界に悪影響を及ぼした自らの原因を、自制と反省の元に一つ一つ除去していこうとうする行動は新参者としては当然の行動です。

 そうした意味も踏まえてでありましょうか、7月1日よりスーパーやコンビニなどで買い物をした際のレジ袋(ポリ袋)が有料化されました。
買い物の際にもしこれまでの様にレジ袋を請求すれば、大きさによりますが2円~5円という料金が加算されることとなりました。そのため、有料化以降は買い物の際は自分の袋を持参するというエコバッグが世間常識として浸透しつつあります。
個人的に、それそのものの動きに決して異を唱えるものではありません。

 しかし、世の中で廃棄されている所謂“プラゴミ”の中で、スーパーなどで無料配布されていたレジ袋が一体どれ程の原因となっていたのでしょうか?個人的にも、以前本ブログで書いたことがあります(第1244話を参照ください)。
そうしたレジ袋を製造している企業である「清水化学工業」という会社のH/Pに掲載されたレジ袋有料化に対する内容が、最近話題になりました。
この会社は、ポリ袋製品をはじめとして産業・工業・農業用資材などを製造しているそうです。その内容を紹介した記事を掲載します。
『ポリ袋が海洋ゴミに占める割合が僅か(容積ベースで0.3%、重量ベースで0.4%)であるといったデータを示しながら、海洋汚染の象徴であるかのように非難されていると主張。「レジ袋有料化による海洋プラごみ削減の効果はほぼない」と説明している。
更には、「石油精製時にポリエチレンは必然的にできるのでポリエチレンを使用するほうが資源の無駄がない」し、「ポリ袋は薄いので資源使用量が少量で済む」などとして、エコ商材だと訴える。紙袋と比較しても、3割も少ないエネルギーで製造が可能で、輸送に必要なトラックも7分の1だという。
他にも、買い物に使われたあとはゴミ袋として使われるなどリユース率が高く、ゴミとして焼却しても理論上、発生するのは二酸化炭素と水と熱であり、ダイオキシンなどの有害物質は発生しないという。』

 我が家では、家庭ゴミをゴミステーションに出す際に、生ゴミと可燃ゴミをそれぞれ別のレジ袋で分別した上で、市指定のゴミ袋に入れていました。
理由は、特に生ゴミは二重にしないとカラスが突いて散乱してしまうこと(襲撃防止のために黄色いネットで覆う様にしてから被害は減りましたが)と、生ゴミから汁がでたりして一重だと破れて回収する作業員の方の迷惑になることを防ぐためです。
我が家だけではなく、そうした使い方をされてきたご家庭は多かっただろうと思います。

 個人的に思うに、海洋汚染に繋がるプラゴミとして問題なのは、我が家周辺でもそうなのですが、例えばアイスやスナック菓子の包装やコンビニのレジ袋、或いはペットボトルが良く道路脇に捨てられていること。こうしたプラゴミが、川に落ちればそのまま下流へ流され、最後は海にまで行き着くのかもしれません。海辺の街であればもっとその可能性は高まります。キチンと分別して、焼却されるのであれば良いのではないか?道路脇などに捨てられるプラゴミが一番の問題ではないのか?とすれば、(特に若者への?時にはビールや酎ハイの空き缶まで捨てられていますので若者だけではないかもしれませんが)道徳意識の向上の方がむしろ効果的ではないでしょうか?
また、最近はかなり複雑な折り方がされた紙製(段ボール製)の緩衝材が増えましたが、以前小型家電などの梱包に多く使われていた発泡スチロールは、それこそプラゴミとして捨てる際に、割って小さくしようとすると、細かな破片が飛び散り本当に厄介でした。良く川に浮かんで流れていたりしましたので、ポリ袋よりこうした発泡スチロールの方がゴミとしては問題だろうと思います。

 そうした中、ゴミの分別用に使うために捨てずにとっておいたスーパーのレジ袋の在庫が底をついてきたので、止む無くホームセンターへポリ袋を購入しに行きました。すると、あろうことか、持ち手のついたポリ袋(今までスーパーのレジで配られていたモノと同じ形状の)がS・M・Lサイズと幾つかあるのですが、全て売り切れで在庫ゼロ・・・。持ち手のない袋は売っていたのですが、それだと特に生ゴミ用には汁などがこぼれぬ様にしっかりと口を縛れた方が良いので、持ち手があった方が重宝します。しかも、別の店舗にも行ってみたのですが、そちらも同様に在庫無しだったのです。
 「結局、皆考えることって同じなんだなぁ・・・」
きっと多くの家で我が家と同じようにレジ袋を使っていて、有料化以降はまとめ買いをして、以前と同じようにポリ袋を使いたいと思っているのです。
しかしそうだとすると、レジからポリ袋を追放しても、その代わりにホームセンターで購入していたらそれこそ本末転倒で、ポリ袋を削減するという目的は一体どうなるのでしょうか?
であるとすれば、一部菓子メーカーが実施しているように、スナック菓子やアイスクリームの包装をプラスチックから紙製に変えた方が(仮に若者が道路脇に捨てて川から海に流れても)、環境的には遥かに効果があるのではないかと思うのですが、如何??

 レジ袋の有料化、本当に効果があるのか、暫くして政府は検証することが必要だと思います。

 今年はコロナ禍で登山も、入山禁止となった富士山をはじめとして、異例の夏でした。個人的には、素人ながら、日帰り登山ばかりではなく、50年振りの山小屋伯で入門者向けではありますが、燕か蝶ヶ岳に登りたかったのですが、それを諦めて今シーズン中に身近な美ヶ原へもう一度、今年は合計3度登る予定です。

 そんな異例のシーズンだからこそ、NHK-BSで時々放送される田中陽希さんの「グレートトラバース3」を毎回楽しみにして視聴しています。
屋久島に始まり、全て自分の足だけで日本全国の300名山を踏破するという企画。海はカヤックで漕いで渡り、後はひたすら歩く・・・。
最近終わった放送では、北アルプスの後立山連峰を縦走して北アルプスの最後に御岳に追悼登山をして、その後恵那山等を経て自宅のあるという神奈川へ一旦戻る途中に諏訪の入笠山へ登ったところで一旦放送が終了しました。
これが、まだ2018年の秋ですから、その後彼はコロナ禍の前に山形まで行き、最近まで酒田で数ヶ月間の間ずっと足止めをされていましたので、実際には2年前の登山の様子が放送されていたことになります。

 1年前の2019年6月末、美ヶ原登山の後で立ち寄った「桧の湯」(第1451話)でご紹介した通り、
『(桧の湯の)入り口にサイン色紙と写真が飾ってあり、見ると「グレートトラバース3」と「田中陽希」のサイン。日付は僅か一ヶ月前の2019年5月20日。
因みに帰宅後調べてみると、百名山の「1」、二百名山の「2」を踏破し、現在陽希さんは「グレートトラバース3」として三百名山を踏破中。その「グレートトラバース3日記」に依れば、5月16日に159座目となる群馬・長野県境の荒船山から佐久を経て、18日に松本からは反対側の旧武石村からの焼山沢ルートから160座目の美ヶ原で山荘に一泊し、翌19日に美ヶ原から鉢伏山を経て20日に下山途中の朝一番でこの「桧の湯」に立ち寄ってから松本城にも登城し、たまたま市中で開催されていたクラフトフェアも覗いた由。
その後24日には162座目となる鉢盛山に登り、ナントその後で「ノースフェイス松本店」主催と言いますから本町の「信毎メディアガーデン」だと思いますが、5月26日には「交流会」が開かれ、多くの山好きが押し掛けたのだとか。それで松本滞在が長かったのですね。全く知りませんでした。
最近は有名になり過ぎて、陽希さんの先回りして待ち構えるファンも多くなったため、登山道の整備された百名山ならいざ知らず三百名山ともなると中には未踏のルートもあろうことから、事故防止のために陽希さんの予定ルートや現在地を公開していないのだそうですが、
 「あぁ、すぐ近くにいたんだなぁ・・・。そうか、百を含めた三百なのだから美ヶ原に寄っても当然なんだ・・・」
と、一ヶ月前のサインを見ながら暫し感慨に囚われていました。
因みに、陽希さんは5月末から八ヶ岳を縦走した後、6月上旬からは南アルプスに向かわれた由』

 今回の放送で印象的だったこと。それは、噴火で58名が犠牲になり、未だ残る5名の方が行方不明のままの御岳山。山頂の王滝村にある剣ヶ峰はいまだ入山禁止のため、摩利支の山頂を以て御嶽登頂。
彼は、岐阜県側の麓で晴れの日を待って御嶽への登山開始。それは、自身前回登山の1ヶ月後に噴火があった由。場合に寄ったら自分も犠牲になっていてもおかしく無かったとして、代わりに犠牲となった未だ帰らぬ方を含め63名の方々の鎮魂のために、入山禁止の山頂剣ヶ峰を望める晴れた日にどうしても登りたかったとのこと。一緒に視ていた家内が思わず、
 「田中陽希さんて・・・優しいね!」
イヤ、山を愛する人(山男だけでなく、最近は山ガールも)は誰もが皆優しいのだと思います・・・。