カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 前回のプロ野球の話題を今回も続けさせていただいて・・・。
と、常に結果を求められる組織体の長として、マネジメントの成果とは何ぞや?
それは、好景気や不景気という個人や組織には無関係なその時の世間情勢に起因することもあれば、成長期や衰退期というその組織自体の置かれた状況に起因することもあり、一概にその時の数字という結果だけでは単純に判断出来ないにしても、利益を残すことが命題とされる組織体であれば、その時に残した結果そのものが経営評価のベースとならざるを得ないのではないでしょうか。

 そんな意味合いで、コロナ禍 に揺れる今年2020年の変則的なプロ野球を見た時に、飽くまで個人的な印象ではありますが、常勝軍団だった以前と様変わりして下位に低迷する広島と、二年目で首を傾げる程活気の無い中日の両球団は、その低迷する原因の100%をリーダーである監督に起因せざるを得ないと感じています。何故か、それは報道されるコメントが、曰く、
 「誰々は分かっていない。」
 「時間やチャンスを上げたのに、どうしてそうするのか、私には理解できない・・・云々。」
マスコミを通じて聞くコメントがまるで評論家的で、敗因の原因が全て選手のせいで、色々してあげたの(選手が)分かってくれない、出来ない、何でそうするのか分からない・・・だからです。
勿論、色々期待した駒がその通りの働きをしてくれなかったということもありましょう。しかし、じゃあ、働きをしてくれるように「十分な(トレーニング)期間を与えたなら、その間に最高指導者として、選手が気付くような指導を果たしてしたのかどうか・・・?
 「これじゃあ、マスコミ報道を通じて指摘された選手はヤル気が無くなっていくだろうなぁ・・・」
と思わざるを得ません。
一方、球団史上最多勝利数を更新した巨人の原監督。その数字、結果が全ての勝負の世界において、果たして最優秀の名将なのか・・・?
責任者だって時に愚痴をこぼしたい時もあります。自分が現場で出来ない以上、演ずる駒のパフォーマンスに因ることは当たり前のことです。だからこそ、組織内のミーティングで色々責任追及と改善策を話し合うとして、対外的には、
 「分析すれば色々敗因はありますが、結果はリーダーたる全て自分の責任です。選手は良くやってくれました。」
とだけ、言えば良いのではないでしょうか。

そういう意味で、先述のリーダーに感ずるのは、(そんな当たり前のことを理解した上で)、まるで(将たる自身の責任へのコメント無しの)まるでTVの実況中継に呼ばれた評論家のコメントそのもの・・・。
これじゃあ、名指しされた選手だけでなく、他のチームメンバーでさえも、やる気を削がれるだろうことは想像に難くありません。
 「だったら、アンタ、自分でやってみなよ!」

 或る程度実力があって強いチームを長い間任されていれば、勝ち星はおのずと付いてくる。歴代最多勝利数の監督は、長らく南海ホークスを率いた名将鶴岡監督であり、二位は常勝巨人軍を追われ、新興の野武士軍団を率いて時盟主に挑んだ三原監督です。しかし、結果としての実績で云えば、V9を達成した川上哲治を超えたとは言えません。
その意味で、果たして勝ち星で歴代一位となった原監督は、川上監督をも凌駕したと云えるのでしょうか。これまで、リーグ優勝こそ計8回ですが日本一は3度です。

 個人的に、今までで(と言っても巨人で云えば川上監督以降ですが)一番好きな監督は藤田元司さんでした。
球界のスーパースターであったONがそれぞれ監督として結果を残せず、ある意味解任されて、世間からも批判を浴びたその解任劇に対する最大の逆風の中で引き受けた(引き受けざるを得なかった)リーダーの座。
皆が慕ったスター監督が解任された後の後任監督であり、その上でスター監督以上の結果を残しても当然として世間から評価されないであろうことが分かっているのに、結果として引き受けた後任監督の座でした。
勿論、そこには愛する古巣の苦境を知り、自分が汚れ役に徹してでも返すべき恩とOBとしての責任を感じていたのかもしれませんが、誰がどう考えても貧乏クジでしかなかったろうと思います。
そして、それはその後第一次の原監督の後を継いだ堀内監督も、就任した当時置かれた情勢は藤田さんと似たような環境だったと思うのです。しかし、手腕として残した結果は残念ながら歴然としています。
確か、心臓に持病を抱え、常にニトロを持ちながらの監督業だったと記憶しています。紳士然とした佇まいの中に、現役時代“瞬間湯沸かし器”と言われたという熱さと頑固さも隠していました。
しかも、在任中斎藤をサイドスローに転向させて大エースに育て上げて、桑田、槇原との三本柱を確立し来るべき第二次長嶋政権に続く盤石の守りの土台を作り、また自らドラフトで引き当てた原を我慢して使い続けて4番に育て上げたのも藤田監督でした。勝つことと育てることの難しさ。
その意味では当時入団2年目の坂本を抜擢して最高のショートストップには育てましたが、プレッシャーに勝てなかった本人の気持ちの弱さが原因だとしても、大田泰示を我慢して使い続けられなかった原監督に対し、岡本を若き4番として育て、吉川をセカンドに抜擢し一本立ちするまで使い続けた高橋由伸政権はチームとしての戦績はともかく藤田政権を彷彿させます。また、采配そのもには時々疑問符を付けられているDeNAのラミレス監督ですが、ジャパンの4番まで務めた筒香の抜けた後の4番にドラフト9位入団だった佐野選手を抜擢した結果、現在首位打者を独走しており、その慧眼に驚いています。

 個人的には、藤田さんは球団史の中でもっと評価されて良い名監督だったと思います。

 プロ入り2年目となる巨人の直江大輔投手。松商学園高校からドラフト3位指名で入団。お父上も3季連続で甲子園に出場した松商のエースでした(写真を見ると、フォームが親子そっくりです)。生まれは長野市ですが、父親の背中を追って同じ松商に入学。2年時の夏の甲子園大会に出場して先発していますが、3年時は連戦が続く中、次の強豪校との対戦に向けてエース直江を温存し、軟投派投手を打てずに結果敗戦。結局エースとしては甲子園で投げることは出来ませんでしたが、手足が長くゆったりとした如何にも投手らしいピッチャーで、その将来性を評価されて巨人に3位で指名(3名指名した高校生投手ではトップ指名)。一年目はプロとしての体作り優先で3軍暮らし。2年目の今年の春キャンプで注目されましたが、その後は慎重になりすぎての四球連発に、阿部二軍監督に叱咤激励されたり試合後の“鬼ノック”で指導されて“シゴキ”(パワハラ)ではないかと話題にされたり・・・。
しかし、連戦が続く夏の苦しい一軍の台所事情の中、原監督から「二軍で誰か投げっぷりのイイ投手を」という推薦依頼に、阿部二軍監督が推薦したのが直前の二軍戦で漸く1勝を挙げたばかりの直江投手でした。
原監督も春のキャンプで54番の背番号から“槇原2世”と直江の将来性を高く評価をしていたこともありますが、たった1勝しかしていなかった直江を推薦した阿部二軍監督にも本当に驚かされました。しかし、
 「イヤ、いくら何でもまだちょっと早いでしょ!?確かに将来性は高くても、あと5キロくらい体重を増やしてスタミナが付けば、球速も150㎞を超える筈・・・だけど、まだプロの体じゃない・・・。」
と、素人評論家的には思っていました。ましてや、阿部二軍監督が「もっと前面に闘志を出せ!」とヤキモキした様に、淡々とした投げっぷりで威圧感は無いし、顔も今風の醤油顔?で優しいし・・・云々。

 心配した初登板から3戦。一回りまでは抑えられても、二回り目になると相手もプロ。しかも、スタミナ切れか球が浮きだして高めに抜けたりして、結果四球連発。しかし、球速表示以上に直球はスピンが効いて切れがあり、横のスライダーと縦のカーブ(今は縦のスライダー)、フォークの曲がりも大きく制球もイイ・・・。
残念ながら、味方がリードしていても勝利投手の権利が得られる5回を投げ切れず、自らの四球で降板・・・。なかなか一軍での1勝が遠い。
しかし、頑張る直江を何としても援護しようとする野手やベンチの様子が感じられますし、降板する直江へのファンの拍手も暖かい・・・。
個人的には、4点もリードしているんだから、あと2点取られるまでまだ投げさせても良いのでは?とか、せめてマウンドに投手コーチが行って間を置いて投げさせてみても良いのでは?・・・と勝手に思ってしまいますが、非情にもいきなりの投手交代・・・。きっと、将来性に期待するからこそ「自分の力で文句つけようの無い勝ち投手になれ!」ということなのでしょう。

 君はまだ若い。正直、素人目にもまだ一軍レベルではない気がします。今後、ずっと長くプロでやるのであれば、目先の1勝ではなく、1点でもあれば完封出来るような投手になって欲しい。しっかりとローテーションピッチャーとして来シーズンは定着出来る様に、もう少しプロとしての基礎体力を付けるべく下で頑張った方が良いと思います。しかも、当時担当スカウトとして直江の素質を高く評価し、監督に上位指名を進言した木佐貫スカウトが、現在は投手コーチとして二軍にいるのですから・・・。
一軍での実戦経験を含め、一歩一歩着実にステップアップしているのは間違いないと思います。だからこそ、将来のために目先の1勝なんかに拘るな!文句の付けようのない勝利を目指せ!と呼び掛けたくなります。
それにしても、2年目でプロとしての勝負がついたわけではありませんが、その意味では同じ高卒2年目の戸郷は凄い!としか言いようがありません。しかもドラフト6位指名ですから・・・。
 「直江も負けるな! 初勝利目指してガンバレ!!」

 どうでも良い様な話題で恐縮ですが、いつも行くスーパーで安く売っていた鯛のアラ。
頭やカマはなく、三枚に卸した身のお腹の部分だけが8枚(本?)くらい。
早速奥さまに頼んで煮付けてもらったのですが、当然乍ら、小骨が多すぎて食べ辛い。
 「これじゃ、お義母さんは絶対無理だね・・・」
確かに健常者ですら難しい。最近では、小骨までピンセットで抜き取った魚が売られているようですが、本来のお年寄り向けだけではなく、骨があって敬遠されがちな子供向けに主婦が購入するというのも分からなくはない。しかも、ご飯と一緒に飲み込めば何とかなりそうなサンマならともかく(不漁で庶民からは遠ざかり、今や高級魚・・・)、鯛の様に堅く鋭い骨ならそれも納得です。
 「やっぱり、“安物買い”だったかなぁ・・・」
と反省です。

 とはいっても、せっかく煮てもらったので、食べなくては勿体無い・・・。
そこで、止む無く、手でしごき乍ら一本一本小骨を取って身だけにし、更に少し濃い目に煮詰めながら「そぼろ」にすることにしました。

6本ほど身があり、手で細かくしごきながら小骨を探したら、アラ一つに小骨が6本程度ずつ、全部で40本くらいありました。イヤハヤ・・・。
ほぐしただけでも良いのですが、少し、しょうが汁を絞り、醤油とみりんを足して煮付けより濃い目に味付けをし、木のへらで焦がさぬ様にして汁気が無くなるまで優しく掻き混ぜて細かくしながら煮詰めていきます。
そういえば、子供の頃食べた記憶の在る、ピンク色をして砂糖甘かった「でんぶ」も材料は鯛の筈。今回は、どちらかというとそぼろに近い佃煮です。
          (冷凍してあった里芋を煮っころがしに)
買った様にはいきませんが、一応それっぽくなりました。ご飯に振りかけたり、オニギリの芯にしたり。そんな使い方は出来そうです。食材を無駄にせずにすみました。

 コロナ禍で、特に夜の会食機会が激減しており、飲食業界はどこのレストランも大変だろうと推察します。
そんなこともあって、例えば会食は無理ならテイクアウトなど、特に贔屓にしているお店はコロナ禍で閉店することの無いように、いずれコロナ禍が過ぎて元の日常に戻れる日まで、自分たちの支援など例え微々たるものでも出来るだけサポート出来ればと思っています。

 そんな中で感じたことがありました。
郊外にありながら、特にコスパの良いランチが評判で奥様族に人気のイタリアン。週末などはカウンター含めテーブル席と合わせて20席ほどの店内はいつも満席状態ですし、駐車スペースを見つけるのに苦労するほどです。時には外で順番待ちも。これまで、娘たちが帰省して来た時などを中心に我々も何回かランチに伺っています。
こちらのランチの特徴は、各種のパスタやピザをメインにして、+350円でワンプレートのサラダとスープ、ブルスケッタのセットとドリンク、+550円で更にデザートとしてドルチェ盛り合わせが付けられること。また、季節毎に内容を変えた季節のパスタセットも別に用意されています。

 先日、久し振りに(多分一年振り?)伺いました。平日だったのですが、カウンター以外は8割方埋まっていて相変わらずの人気の様です。平日のランチタイムということもあって、殆どが奥様族か女性客。
私は和風、家内は季節のパスタをチョイスし、それぞれ+350円、+550でセットメニューにしました。
程なく運ばれて来た最初のワンプレート。以前のブルスケッタは刻んだトマトなどもっとたくさん具材が載っていた様な気がするのですが、今回は申し訳程度。トマトクリームのスープも同様です(注)。

パスタは相変わらず麺のボリュームは十分なのですが、私メのは高いメニューを選んでいないせいか、味付けは何となくスーパーで売っているレトルトの出来合いのソースの様な感じで塩味がキツ過ぎる。以前はもう少しマシだった様な気がします。はっきり言って美味しくない。
そして、最後の奥様のドルチェの盛り合わせ。フルーツとバニラアイス、ケーキが2種類。家内曰く、
 「このケーキ、自家製じゃなくて、何となく業務用に売られている冷凍のケーキの様な気がする。前はこんなんじゃ無かったのに・・・。全然美味しくない。」
 店内に貼ってあったチラシによれば、松本市の郊外に姉妹店を2店舗オープンしたとのこと。コロナ禍の影響か、或いはもしかすると手を拡げ過ぎたのか、そのためかどうか分かりませんが以前に比べて随分味が落ちた気がしました。舌の記憶が確かではありませんが、残念ながらコストパフォーマンスとして一番大事な質が落ちた気がします。女性スタッフの接客は悪くないだけに残念です(ただ以前は数人いたスタッフも別の店に回ったのか、今回は一名だけでした)。娘たちが帰省の度に来るような、我が家の女性陣のお気に入りのレストランだったのに残念です。

 「これじゃあ・・・、もう来ることは無い・・・かな?」

 人気店でこの日も相変わらず繁盛はしていたのですが、本当に“食い物”商売は難しい・・・。
【注記】
写真は、今回と4年前に訪れた時のワンプレートとの比較です。

 持病の潰瘍性大腸炎の悪化により、辞任を余儀なくされた安倍首相。大叔父の佐藤首相を抜いて、史上最長となる7年8ヶ月の長期政権であり、コロナ対応の真っただ中での辞任はさぞ無念だっただろうと思います。
実績については功罪半ば・・・でしょうか。経済、外交面の得点と、モリカケ問題やアベノマスクなど、夫人をはじめとするヘボな取り巻き連中による混乱での失点・・・。

 どの組織もそうですが、リーダーの決定事項を具体的に推進するのは組織であり、その全てをリーダーが決定することなどありえないし、それでは組織といえません。従って、例えばどのマスクを選ぶかなど、首相ではなく秘書官や担当する省庁が実働部隊として推進していった筈。しかし、何かあればその責任が最終決定者であるリーダーに及ぶのも当然。その意味で、実行部隊である秘書官や省庁などの官僚がヘボ過ぎた・・・。とまぁ、安倍政権の評価云々は別として、違和感を覚えたのが8月28日夕刻からLIVEでTV中継がされた安倍首相の辞任会見でした。

 どんな組織でも、万人に愛されるリーダーなどいません。例えば、会社の長でも、採算の取れない事業をやめたり、時にはリストラを余儀なくされたりする時もある。そうした時に、対象となる人間は反対も非難もするでしょう。しかし、泣いて馬謖を切らざるを得ない場合もある。
ましてや一国の長です。個々の政策に対して国民全員が支持するなどありえません。民主主義の世の中ですので、嫌なら選挙で選ばなければ良いだけ・・・。
そうした意味において、8年近くも宰相を続けて来たということは党内のパワーゲームの結果という人もいるかもしれませんが、その党に政権を委ねてきたのは選挙の結果なのですから、最終的な結果として国民の過半数(民主主義においては)が認めてきたことに他なりません。

 一国のリーダーとして長らく重責を担って来た首相が退陣する。しかも自身の体調悪化により辞任を余儀なくされた・・・。曰く、
 『体調が万全ではないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはならない』
 『国民の負託に自信をもって応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の職にあり続けるべきではない』
安倍首相の辞任会見を聞きながら、さぞ無念だったろうと感じました。いずれにせよ、お疲れさまでした!くれぐれもご自愛ください。
短命だった一次政権の時とは異なり、史上最長の8年近い在任期間だったとはいえ、同じ病での退陣。例え健康な人であっても、毎日のストレスで神経性胃炎になりそうな程の重責であろうと思います。
しかし、会見後の質疑において、退陣する総理に対していたわりの言葉やねぎらいの言葉も全く発しない記者たち。別に時の政権をヨイショする必要もないし、是々非々で政策論議すればイイし、どこかの新聞の様に何でも反対ではなく、チャンと対案を示した上で大いに批判すれば良い。
ですから、例えどんなに嫌いでもイイし感情のこもらぬ修飾語でも構わないから、少なくとも「お疲れさまでした!」、「ご苦労様でした!」と、冒頭にせめて一言付け足してから質問しても良いのではないか、或いは冒頭に言えなかったのであれば、最後に「お大事に!」でもあってもイイ・・・。それが人として普通の態度、常識ではないか・・・?
因みに、当日20人程の記者の方が質問された中で、「お疲れさまでした」と冒頭付け加えたのは、広島ベースの地方紙、中国新聞の記者たった一人・・・だけでした。

 「ちょっとアンタら、おかしくネェ!?」
 
 そんな違和感を覚えのは、果たしてオカシイことなのでしょうか?もしかすると、こんなことだけで世間は“ネトウヨ”というレッテルを貼ってしまうのでしょうか?でも、何か変だ・・・。

 コロナ禍の中、中止されていたクラシックのコンサートや寄席も、客数を減らし席の間の距離を取るなどの工夫をしながら、都会では徐々に再開する動きが出てきていますが、出演者の長時間移動を余儀なくされる地方都市では残念ながらまだまだです。そのため、CDやYouTubeなどで好きな音源や動画を探して楽しむしかありません。そんな中での楽しみは、新しいイベントが開けないので、これまでの中から過去の名演などが改めて放送されたことでしょうか。
 クラシック好きの中には、同じ曲のレコードやCDを何枚、何十枚と収集して比較試聴しながら、「誰の演奏が良い」、「誰それのここの演奏は良くない」、しかも同じ奏者でも「〇〇年に録音された△〇盤がベストだ」などと論じ、悦に入っているファンがいます。私メは貧乏学生でしたから、同じ曲を集めるよりも、出来るだけたくさんの曲を知りたいと思いましたし、社会人になって多少趣味にお金を掛ける余裕が出来てからも同様でしたので、そうした趣味はありませんでした。しかし、学生の頃から、定期購読していた(しかもシンガポール赴任中も)週刊FM(廃刊後はFMファン)やレコード芸術で、音楽専門家による新盤の批評や名盤特集などを見て、自分に合う演奏を探して、そのレコードやCDを購入するようにしていましたので、同じ曲を何枚も集めるかどうかは金銭的余裕の有無だけの差であって、同じ曲でも比較試聴するという態度はクラシック好きとしては同じです。
リタイア後に時間が出来てからは、市の中央図書館のCDライブラリーやネットのクラシック音楽サイトで同じ曲の異なる録音(今はコロナ禍征服後のコンサート再開を願って専らマーラーの第2番「復活」)を聴いていますので、むしろ同じ穴のムジナなのかもしれません。ファンでない人からすれば、「同じ曲ばかり聴いてどこが面白いのか」と思われるに違いないのですが、同じ曲で同じ楽譜を用いていても、演奏者や識者の意図に拠って、演奏時間にしても、強弱や演奏方法にしても、結果として同じ演奏は無く全て違うのですから、その中で自分の嗜好に合う演奏を探す楽しさ、面白さということに帰結します。

 さて、些か“枕”が長くなりましたが、落語も同様なのではないでしょうか?むしろアドリブが命というジャズの方が落語的、という方もおられるかもしれませんが、ジャズはアレンジによってはまるで別の曲の様に聞こえる場合もあるので、どちらかと云えばクラシックかなぁ・・・と個人的には感ずる次第です。
 そんな落語で、例えば大好きなネタである、人情噺の傑作「芝浜」。
天秤棒で魚の行商をしている勝五郎が大好きな酒に溺れ、20日間も仕事をさぼった挙句、朝早く女房に起こされ、昨日約束したからと嫌々芝の浜に仕入れに行かされます。しかし、増上寺の鐘の音で、一時(いっとき)早く起こされたことを悟った勝五郎が、仕方なく浜に下り海水で顔を洗った時に、波の中に沈んでいた汚い革の財布を見つけ、拾って開けてみるとナント50両(師匠によっては42両)もの大金が入っていて、有頂天になって友達を呼んで来てのドンチャン騒ぎの末に酔って寝てしまった勝五郎。
拾ったお金を奉行所に届けずに使い込むのを心配した女房が、寝て起きた勝五郎に芝の浜で財布を拾ったのは夢だと信じ込ませた結果、改心し、酒を断ってまるで別人のように仕事に打ち込む勝五郎。そして、小さいながらも自分店を持つまでになった三年後の大晦日の夜に・・・というストーリー(そのため、寄席では師走恒例となっている大ネタ)。

 このネタは、「芝浜の三木助」と言われた程に三代目桂三木助の十八番だったそうです。図書館のCDに音源があったので聞いてみました。確かに明けてゆく芝の浜の情景描写は見事かもしれませんが、個人的にはもう一つで、余り感動せず。
また、「芝浜」でも評判が高い立川談志。確かに緊迫感と臨場感溢れた語り口で、テンポがイイ。上手いなぁとは思いますが、でも個人的には好みではない。聞いていて落ち着かないし、ほっこりしないのです。
同じく名演の誉れ高い古今亭志ん朝の「芝浜」。最初に腕の良かった勝五郎ではなく熊五郎(魚熊)が、酒のせいで質を落としお得意さんが徐々に離れていく様が描かれる。そして女房の説得で、漸く天秤棒を担いで家を出て行ったかと思うと、芝の浜の様子の説明は全く無くてすぐに息を切らせて家に帰ってくる。その上で、女房に芝の浜であったことを初めて説明するという仕立て。如何にも気っ風の良い江戸っ子らしいベランメェ口調で、スピード感に引き込まれます。
大好きな柳家さん喬師匠の「芝浜」は、改心して仕事に打ち込む勝五郎には子供が出来て、大晦日にその金坊をあやす場面が出てくるなど、如何にもさん喬師匠の人情噺らしい、実にほっこりする話しぶり。特に、お得意のお爺さんから勝五郎の魚で何日か寿命が延びたと感謝され、魚屋になったことを真に喜ぶ様が実にイイ。

 幹となるストーリーは変わらねど、各師匠のそれぞれの工夫が見えて、ストーリーは勿論、「芝浜」で云えば、「また夢になっちゃいけねぇ」という“下げ”は皆同じであっても、どの師匠の「芝浜」を聞いても楽しめて聞く度に新鮮に感じられるのだと思います。
 今年の年末は、果たして生の「芝浜」や「第九」は聞けるのでしょうか?
BCJの様に少人数での演奏可能なメサイアは可能でも、今年の第九は無理かもしれませんね。

 8月24日月曜日。晴れ予報に、今季二度目の美ヶ原登山です。今年こそ、山小屋に泊まって北アルプスの初心者向けの山に登りたかったのですが、コロナ禍で断念。そのため、今年は身近な(といってもれっきとした百名山ですが)美ヶ原に季節の移ろいを感じながら登ることにしました。
今回も、いつもの様に三城牧場いこいの広場の登山者用駐車場に車を停めましたが、何と一台だけ・・・。今回は朝の8時と時間が速かったこともありますが、こんなに空いていたのは初めてです。
トイレを済ませ(有料です)、いつもの様に百曲がりコースの登山口へ。前々日松本平に久し振りの夕立があり、上田では全国ニュースになる程のゲリラ豪雨で1時間に50㎜近い雨と、所によっては雹まで降ったそうですが、どうやら山間のこの地も松本の平地よりも雨が多く降ったようで、登山道が川になったらしく、水が流れてえぐられた様な風が見て取れます。

 オートキャンプ場に至るまでの間の登山道。“森の主”の様な大木があり、アザミの花にアサギマダラが留まっていました。秋になると台湾に渡って行くのでしょうか。ガンバレ!と、道中の無事を祈るばかりです。
 広小場で小休憩。ここが標高1580mとのことなので、登山口からは標高差80m足らずの緩やかな沢沿いの道だったのですが、ここからは標高差500m弱(美ヶ原山頂の王ヶ頭が2034m)の本格的な登山となる百曲がりです。
樹林帯の中の九折の登山道を進んでいきます。チャンと数えた方がいて、その数48回とか。ただ、途中かなり急な直登が3箇所程あるので、
 「出来れば、あと数回九折を増やしてくれたら良いのになぁ・・・」
と、ブツブツ言いながらハァハァと登ります。
木々が低くなり、空が開けてくると美ヶ原台上までもう少し。途中、普段はチョロチョロと流れている水場があるのですが、この長雨の続いた梅雨のせいか、結構な水が出ていました。手が切れるような冷たい水で、汗を流すべく顔や手を洗いましたが、「チョー気持ちイイ!」。但し、美ヶ原では放牧がされているので、飲むのは避けた方が良いでしょう。
そこから鉄平石が敷き詰められた、ガレ場の様な歩き辛い登山道を登ると登山道終点の百曲がり園地に到着。広小場で10分弱休みましたが、登山口から3㎞程(ここから数百m先の塩くれ場まで3.5㎞の表示)の道を1時間45分で到着しました。ほぼコースタイム通りでしょうか。
前回6月のシーズン開始で登った時(第1556話)は、湿度が高かったせいもあって、二人とも(特に奥様が)バテバテだったのですが、今回はゆっくりしっかりバテルことなく登ることが出来ました。それにしても、コロナの影響か、平日しかも月曜日だったためか、百曲がりコースには一人の登山者もいませんでした。
 園地の岩場にはマツムシソウが可憐な花を咲かせていて、登り切って疲れた体を癒してくれました。ただ、晴れ予報だったこの日、残念ながら周囲の峰々は全て雲の中。山影を全く見ることが出来ません。
山は見えませんが、園地からはアルプス展望コースを王ヶ鼻目指して歩きます。ここで、初めて何組かトレッキングを楽しむ方々とすれ違いました。
薄紫のマツムシソウ以外でも、ピンク色のハクサンフウロ、白いウメバチソウなど色とりどりの秋の花々が高原を彩ります。残念ながら北アルプスの絶景は見えずとも、道の両脇の高原の中を高山植物を愛でながら歩くのも一興です。
            (ハナイカリ)
            (一面のハクサンフウロ)
            (マツムシソウの花畑)
途中、家内がトイレに行きたいとのことで王ヶ頭ホテルの有料トイレに行くために、展望コースから王ヶ頭への200mの直登ルートへ。すると、電気柵で囲われたお花畑が広がっていて、マツムシソウが満開!薄紫の可憐な花があちこちに咲いていました。期待していた北アルプスの絶景の代わりに、マツムシソウの花畑が迎えてくれた感じです。
但し、翌日の地元紙に掲載された美ヶ原の記事で、長梅雨の影響か、今年のマツムシソウは例年の半分くらいの開花なのだそうです。そうすると、例年はもっと見事な花畑が見られるのでしょうか。
 王ヶ頭から王ヶ鼻に向かいます。この日は山どころか、松本市街も雲の中で全く眺望が利きません。多分、今まで来た中で一番眺望は悪かったのではないでしょうか。そのためか、(本来は)絶景の王ヶ鼻には誰もおらず、我々だけで“二人”占め状態。ここで、昼食を済ませ、早々に戻ることにしました。その頃には、ちらほらとトレッキングのグループや親子連れの方々が王ヶ鼻に来られていました。
帰りもアルプス展望ルートを戻ります。すると、途中雷雲ではないとは思いますが、黒い雲からポツポツと雨粒が落ちてきました。下界は晴れ予報でしたが、カッパを着る程では無いにしてもさすがに山の天気は変わりやすい。
今回も帰りは往路と同じ百曲がりコースを下ります。他にも登山道はあるのですが、広小場からマイナスイオンを浴びながらの沢沿いを歩くこのコースが登りも含めて個人的には気に入っています。
 鉄平石のガレ場の様な登山道は下りも歩き辛いので、滑らぬように気を付けて歩を進め、1時間半で三城いこいの広場の駐車場に到着。
蛇足ながら、駐車場脇にアザミの様な大きな草木を発見。登山道の途中にもありましたが、葉はゴボウの様な葉(裏側が銀色)なのですが、花はアザミ風。これがオヤマボクチで、飯山の富倉そばはオヤマボクチの干した葉をソバのつなぎに使うことで知られていますし、また信州の土産物で山菜の「ヤマゴボウの漬物」として売られているのはこのオヤマボクチの根っこなのだそうです。話としては知っていましたが、登山道で見た花の咲いていなかった植物の
 「これ、どう見てもゴボウの葉っぱだよなぁ~??」
の答えが、花が咲いて大きく育ったこの草木をみて、これがオヤマボクチだったのかと初めて実物で知った次第です。
【追記】
車での帰路。三城周辺でも夕立があったらしく、焼けたアスファルトで雨が蒸発して湯気の様に立ち昇っていて、チョッピリ幻想的でした。