カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 テラス席を含め、信州でワンコ連れが楽しめるカフェやレストランは本当に少ないというのが実感です。ましてや、室内までOKというレストランは殆どありません。長野県内だと“ドッグフレンドリーを目指す”と観光協会が宣言している軽井沢くらいでしょうか。“ドッグフレンドリー”として定評ある那須高原や伊豆高原に比べると、軽井沢以外は残念ながらどこも見劣りがします。
松本周辺では豊科にドッグカフェがあって、室内もワンコOKなのですが、食べ物がイマイチなのが残念。新橋の奈良井川沿いのカフェもオーナーが犬好きなのでしょう。場合によってはテラス席以外の室内もワンコOKで、提供されるキッシュやパスタなどの食事も本格的。ただ、犬を乗せるには椅子が不安定でワンコが可哀そうなのが残念。
安曇野にも、テラス席はOKという所が幾つかありますが、雨の日は無理だったり、狭くてくつろげなかったり。なかなか「これは!」という所は無いのが実情です。

 そんな中で、今年穂高の大王わさび農場近くに今年オープンしたのがそば&カフェ「Sanpo」。自家栽培したソバを提供しているのだそうですが、カフェとある様に、ソバだけではなくカフェメニューも楽しめるのが特徴です。
ソバも二八ですがしっかりと腰があり、十割より二八の方が個人的には好きなのですが、蕎麦屋としても十分満足出来るレベル。
この店の嬉しいのはL字に両辺ワンコOKの席があり、しかもテラスではなく室内で、片方が椅子席、片方はソファ席。両方とも小さいですが、人工芝のドッグランに面していて、部屋から直接出入り出来ます。人間様だけのテーブル席もあるのですが、ワンコOKの部屋には双方とも入り口は別で、直接出入り出来ます。ワンコにもちゃんと専用の水を持ってきてくれます。
勿論、犬嫌いの人もいますので、どこでもOKという訳にはいきませんし、“人間様”の食事処ですから、犬が一緒では清潔かどうか気にするお客さんもおられましょう。ですので、こうしたドッグフレンドリーの店が増えてくれるのは本当にありがたい限りです。
我々も同様ですが、少しでも長く続いてもらえるように、機会があれば出来るだけ出掛けたいと思うワンコ連れは多かろうと思います。ですので、
 「ごちそうさまでした。また来ます!」

 お盆明けの17日。前回のリベンジ(第1572話参照)で、“阿寺ブルー”の木曽郡大桑村の阿寺渓谷に出掛けました。
8月中は車規制がされていて、最上部のキャンプ場を予約してある車だけがキャンプ場まで行くことが出来ますが、一般の車は阿寺渓谷入り口周辺の駐車場に車を停め、有料のシャトルバスで渓谷中間部の駐車場まで行くか、或いはキャンプ場まで片道6㎞の渓谷沿いを歩くかしかありません。
我々は、前回土砂降りのために100m足らずで終わった散策のリベンジのためのウォーキング故、今回は6㎞を歩くことにしました。帰りは、体力次第で、駐車場のバス乗り場までは歩くしかありませんが、最後はシャトルバスに乗っても良し・・・。

 入り口から1㎞ちょっと歩くと、大正期から昭和40年まで活躍したという旧森林鉄道の鉄橋が現れます。そして雨が降ると現れるという雨現の滝ですが、大雨だった梅雨の影響か、この日も細くはなっていましたがまだ水が落ちていました。2㎞程の所に、狐ヶ淵と狸ヶ淵があり、河原まで下りられます。ここでエメラルドグリーンの“阿寺ブルー”を実感。
そして、昔猟犬も断崖に進むことが出来ず引き返したという犬帰りの淵を過ぎて、シャトルバスの乗降場所となる中間点の駐車場へ。真夏の規制期間以外ならここまで車で来ることが出来ますが、但し途中の渓谷美は(道が狭く道端に駐車不能なので)自分の足で歩かないと実感出来ません。
駐車場脇の東屋に山の清流を引いてきた水舟(丸太をくり抜いて流水を貯める)があり、その水で顔や手を洗って汗を流しましたが、冷たくて生き返りました(松本の湧水に掲示されている様な水質検査の表示が無かったので、飲むことは諦めました)。
ここから上流のキャンプ場まで更に3㎞です。駐車場脇から1.3㎞という遊歩道があったので、その吊り橋を渡り歩いてみました。林の中を歩き、アップダウンがあってちょっとした登山気分でしたが、渓谷美などの景色は見られないのでイマイチ。そこからまた車道に戻り歩いて行くと、熊ヶ淵、牛ヶ淵があり、ここで今回初めてイワナか数匹の魚影が見えました。
そこから間もなくキャンプ場に到着。入り口で検温をしてから入場します。
お盆を過ぎていますが、この日も予約で満杯とのこと。途中の淵などでもそうでしたが、ここでもキャンプに来た家族連れや若者が水着やライフジャケットを着て水遊びをしていました。キャンプ場には水道やトイレ、売店などの設備もあるので、然程お金を掛けずに、涼を求めて自然の中で夏を楽しむのも都会の人たちには良いかもしれません。ここには信州の名水にも選ばれているという“美顔水”という湧き水があり、勿論飲めるそうなので、持って行った水筒やペットボトルの中身と入れ替えて飲んでみましたが、天然のミネラルウォーターは冷たくてとても美味でした。
 前回のバスハイクで頂いた阿寺渓谷のフィールドガイドというパンフレットによると、渓谷入り口からキャンプ場までは6.3㎞で徒歩2時間。遊歩道はプラス1時間とのことですが、我々は2時間半で到着しました。帰りにシャトルバスに乗るにしても、駐車場までの3㎞は歩くしかありませんし、帰りは下りですので結局そのまま全行程歩いて渓谷入り口まで戻りました。
途中、六段の滝の辺りでも水遊びに興ずる人たちが。この六段の滝の河原に行くには遊歩道の途中から川に下るしかありませんが、遊歩道からは滝は見えませんでした。
途中、バスに乗ってきたのか、歩いている人もちらほら。でも歩いている人は極端に少なく、阿寺渓谷はウォーキングよりもキャンプや渓谷での水遊びに(車で)来る人たちの方が圧倒的に多いようです。ただ、キャンプは無理ですが、水遊びだけならむしろ渓谷入り口の阿寺川が木曽川に注ぎこむ河口の方が河原も広く、特に小さな子供たちがいる家族連れにとっては、むしろ安全に楽しめる気がしました。
我々は水遊びではなく、エメラルドグリーンの渓谷美を歩いて楽しむことが目的。往復12㎞は結構疲れましたが、存分に“阿寺ブルー”を堪能しました。
 帰路、昼食を兼ねて、バスハイクの時に教えてもらった地元で人気という食堂に寄って五平餅を食べてから帰りました。
【注記】
掲載した写真の中で、阿寺川の水の色はフォトソフトで一切加工していません。“阿寺ブルー”オリジナルの色です。

 今年のお盆は、コロナ禍もあって誰も帰省して来ません。そこで、お盆のど真ん中だった8月15日(コロナ禍で、なんだかいつもと違った終戦記念日でしたが)に、せめて近間にドライブに行くことにしました。
梅雨明け後は一転して正に酷暑ともいうべき猛暑の日々。あろうことか、“爽やか信州”であるべき松本で、この日38.1℃を記録したのです。40数年前の京都での学生時代に、真夏の京都で生まれて初めて38度台の暑さを二日連続で体験したことがありますが、まさかこの信州松本で自分の体温を超える気温を体験するとは思いもよりませんでした(記録上は昭和17年に38.5℃を観測していて、史上2番目の暑さだったとのこと)。そこで、本当はナナとコユキも一緒に連れて行きたかったところですが、炎天下での散歩を避けるべくワンコたちは涼しい部屋でお留守番。我々だけで出掛けることにしました。
そういえば、昔軽井沢の喫茶店(今風に言えばカフェでしょうか)のママさんが、真夏の炎天下で焼け付いたアスファルトの上を犬連れで歩かせて平気で散歩している観光客の連中の気が知れないと怒りまくっておられましたが、でもその通り。真夏の焼けたアスファルトを歩かされると、ワンコたちは肉球を火傷してしまいます。犬連れをファッションとして真夏の旧軽を連れ歩かれるワンコたちにしてみれば受難でしかありません。また、アスファルトからの熱の反射を大人よりまともに受ける小さな子供たちもまた然り・・・です。

 閑話休題。さて、松本市と上田を結ぶ国道254号線にある2500mの三才山トンネル。鉄道や高速道路は大きく迂回していることから、群馬県と長野県中部とを結ぶ大動脈でもあります。
定年までの4年間、上田への通勤路として毎日利用しましたが、例えば群馬県に工場の在るスバルの新車を運ぶトラックが頻繁に走っていましたので、信州中部や飛騨でも人気のスバルの車は、全てこの道路を経て運ばれているのかもしれません。
1976年に開通したその三才山トンネルが、今年の9月1日に漸く無料化されることになりました。

 今回特に目的もなく、結果行ったところは上田市の柳町。江戸時代の北国街道の宿場町の名残が残る街並みで知られていますが、上田に勤務していた時にも来たことが無く、一度来たいと思っていました。
松本同様に上田も猛暑でしたので、炎天下ではなく上田の中心街である海野町の屋根付き駐車場に車を停めて、先ずは駐車場の対面にあった海野町のレストランで昼食です。そこは“町の洋食屋さん”という雰囲気の「ビストロ椎菜」。お盆でも客は我々だけでした。店イチオシというローストポーク丼をオーダー。初めてローストポークを食べたのですが、奥様が、
「これなら、ウチの低温調理器でも作れそう」
レストランのレジで柳町の場所を聞くと、親切に地図まで書いて教えてくださいました。“おもてなし”に感謝です。
 柳町までは、歩いて10分程だったでしょうか。しかし、この暑さ!アスファルトからのうだるような熱気で、気持ちが悪くなりそうです。「こんな猛暑の中を(観光で)歩くものじゃない!」と理解できたのが、この日一番の収穫でしょうか・・・。
さて、柳町は名前の通り柳が植えられていて確かに風情がありましたが、“江戸情緒”という意味では奈良井や妻籠の方が良いかもしれませんし、観光的には意外と客商売の店舗数が少なくて、むしろ松本の中町の方が色々な店が並んでいて街歩きが楽しめる気がしました。
途中、発芽そばの「おお西」の本店がありましたが、若い頃、上田の会社から頼まれて制度説明に上司と一緒に諏訪からお邪魔した時に、社長さんに昼食に連れて来ていただいた店だったことを思い出しました。
 「そうか、あの時の蕎麦屋さんはここだったんだ・・・。」
もっちりした発芽そば以外に十割蕎麦もあり、国宝の八角三重塔で有名な別所の安楽寺の上にも支店があって、以前母方の叔母にせがまれて念願だったという無言館の見学後、支店に食べに行ったことがありました。今回は昼食直後でお腹も一杯のため、残念ながら食べられず・・・。
せっかく柳町に来たので、この街に相応しい、江戸時代から続く創業350年という酒蔵に寄ってお酒を買うことにしました。近年では女性(社長)杜氏で人気の、「亀齢」で知られる岡崎酒造です。
酒造米や醸造の違いにより、幾つか種類が並んでいましたが、個人的にはフルーティーな吟醸酒よりもすっきりとしてキレのある純米酒が好きなので、地元長野県の酒米の一つである「ひとごこち」を使った亀齢の純米を自分へのお土産に購入しました。
 余りの暑さに上田城には回らず、車に戻って帰路の途中にある塩田平へ向かいます。来る時に、先に生島足島神社に寄ってお参りを済ませてありますが、帰りは家内が行ってみたいという、塩田の古安曽にある発芽コーヒーの店に寄ってみることにしました。
その店は塩田から前山寺を経て別所方面へ抜ける道沿いで、古安曽神社のすぐ近くにありました。それは「カフェ・スプラウト」という名前の喫茶店。
世界初(特許取得済み)という「発芽コーヒー」の販売と喫茶の店(塩田にあるイミーという会社の直販・喫茶部門)で4年前にオープンしたそうですが、お店の説明文をそのまま借りると、
『発芽珈琲とは、生豆を発芽させて焙煎した今までにない世界初の新しいタイプのコーヒーです。
発芽された豆は従来のものより栄養成分が高くなります。特に女性に嬉しいアンチエイジングや糖尿病や動脈硬化などの予防も期待できるナイアシンが3倍も増えるのです。
また発芽をすることで“えぐみ”がとれ口当たりがまろやかなでコクのある、飲みやすい珈琲に生まれ変わります。』
とのこと。
その日は、当月のブランド「コロンビア」とイミーブレンドの二種類のコーヒーとデザートや食事類が提供されていて、私メはモカが飲めなかったのでコロンビア、奥様はモカパフェをオーダー。
発芽コーヒーは確かにまろやかですが、コクは余りなく、ストレートがお薦め。ミルクを入れるとむしろ物足りない気がしました。因みに、二杯目のお替りが+200円ととても良心的でした。
テラス席もあったので、涼しくなる秋になったら、今度はワンコたちと一緒にまた訪れたいと思います。

 それにしても、猛暑の炎天下では、登山やトレッキングなどはいざ知らず、観光での街歩きなどはするものではない!・・・ということが良く分かった一日でした。

 コロナ禍により、色々なイベントの中止が余儀なくされています。
スポーツ大会に限らず、例えば合唱や吹奏楽のコンクールなどの文化的行事も“密”を避けられないとのことから開催が中止されています。
個人的に一番心を痛めたのは、殆どの子供たちが一生続ける訳ではない中で、もしかすると競技人生の集大成となったであろうインターハイに始まる高校生たちの大会中止でした。

 それは、前述の合唱や吹奏楽、はたまた書道といったサークル活動の全国大会も同様ですが、スポーツに関して言えば新学期前の春の新人戦、夏のインターハイ、そして最後となる国体というスケジュールになります。インターハイが無くなっても、国体、或いは競技によっては、例えばサッカーの様に新春やバレーの“春高”など、秋以降に行われる大会もあり、まだ“全国への道”が閉ざされた訳ではありませんが、多くの高校生アスリート諸君が目指していたであろうインターハイが無くなったのは、彼等にとって大きな挫折であったろうと推測します。
というのも、我々もそうでしたが、受験を控えた3年生にとってインターハイが引退となる最後の大会だったからです。従って、地区予選、県大会と続くトーナメントで負ければそれで終わり。自身にとってのスポーツ人生の終了を意味します。
全員がトップアスリートとして競技を続けられる訳ではなく、殆どの選手諸君が高校生でその競技人生を終える中で、それがコロナ禍により、捲土重来を期してまた来年ではなく、そのケジメの機会をある意味永遠に奪われたのです。
そうした中で、世論に押されるように、高校野球は全国で都道府県大会が行われ、また中止になった選抜大会出場チームは1試合だけとはいえ、高校野球の聖地“甲子園”で試合をすることが許されました。
高校野球は高体連ではなく、高野連という別組織に属しています。しかし、組織が違うからと言って、同じ高校生スポーツが異なる扱いになって良いのでしょうか。
長野県大会では、2年ぶりに佐久長聖高校が優勝しました。甲子園の無い特別な夏の大会だったこともありますが、例年県内で最多の選手数を抱える佐久長聖は3年生部員が52名とか。今年は特別な大会だったとはいえ、藤原監督は今年の県大会は3年生だけで臨むことを決断し、しかも決勝までに52名全員を試合に出場させたのだそうです。強豪校の佐久長聖故、大学などでまだ競技を続ける選手もいるでしょうが(例えば、長聖出身で東北福祉大の元山飛優選手は学生野球の日本代表ショートで、同じく代表で4番を務めた二塁手の松本第一出身の中央大牧秀悟選手と共に、今年のドラフト上位候補です)、中には高校で野球人選を終える子もいるであろう3年生諸君にとっては、例え甲子園は無くとも“大いなる区切り”になっただろうと思います。

 以前朝日新聞現編集委員をされていた西村欣也さんの書かれた記事(『記者有論』)で、2002年にミスターこと長嶋茂雄さんと一緒に夏の甲子園大会決勝を観戦した時の長嶋さんの言葉(第333話参照)。それは、
『このトーナメントではね、優勝チーム以外の全ての球児にただ一度ずつの敗戦が配られるんです。甲子園の決勝でも、地方大会の一回戦でも、ただ一度の敗戦が、野球の神様から配られているんです。壮大なトーナメントの、大きな意義がそこにあると思うんです。つまずくことで得るものが、若者にはきっとある。』
今年は、夏の甲子園大会が中止となったので、各都道府県大会の優勝校47校以外にただ一度の敗戦が配られたことになります。46校は本来あるべき敗戦を知らずに終えたことにはなるかもしれません。しかし、少なくともその他の高校生諸君には、平等に“つまづき”の機会は与えられた。野球をやっている高校生諸君だけが、競技人生に区切りをつける機会を与えてもらったからです。

 しかし・・・、高校野球だけが“特別”か・・・?

 私は、中学から高校までバレーボールをしていました。例え一流アスリートではなくとも、スポーツをやっていた人間の一人として、スポーツ、団体競技の意義は多少は理解しているつもりです。
バレーボールは“春高”が無観客で行われると報道されていますが、大学や実業団でも競技を続けるような選手はともかく、一般の人間は最終学年の3月まで続ける訳もなく、通常は長くても国体まで。また、おそらく進学校はインターハイで3年生は引退するので、実質最後の試合をせずに引退を余儀なくされた子供たちが多かろうと思います。
そうした中で行われた高校野球の夏の県大会や甲子園の交流試合。人気や歴史、また大人たちの世界の思惑はともかく、同じ高校生たちが一生懸命頑張っている色々なスポーツの中で、果たして高校野球だけが特別なのでしょうか?
そんな気持ちもあって、少なくとも甲子園の交流試合は一試合もTV観戦をしませんでした。

 競技によっては、柔道やレスリングの様にある意味“密”状態で接触しなければ成立しえないものもありますが、例えば相手とは“ソーシャルディスタンス”?で距離を保って対面する、テニスやバドミントンの様な競技もあります。
コロナ禍でただでさえ授業時間が足りない中で、お盆も過ぎた今となっては、“時、既に遅し”ではありますが、野球が出来たのであれば、他の競技もせめて県やブロックレベルであっても開催出来なかったかどうか、組織としての一律横並びではなく、競技団体毎に対応が例え異なったとしても、子供たちの競技人生に一つの“区切り”をつけさせてあげられる工夫が何かあっても良かったのではないか・・・そう思えてなりません。

 甲子園の高校野球だけが特別でなくて良い。全ての競技に“甲子園”がある筈です。

 7月27日、事前に申し込んであった城北地区の公民館行事でのバスハイクで、木曽大桑村の阿寺渓谷へ出掛けました。
平日の月曜日ですので、15名限定だった参加者は殆どお年寄り。我々が一番年下の様な感じです。

 木曽川に注ぐ支流の阿寺川の渓谷沿いの遊歩道が、ここ数年“阿寺ブルー”と称される程の人気で、特に夏休み期間中は狭い谷合に車が入り込んですれ違いも出来ないため、夏の期間だけはマイカー規制がされています。
阿寺渓谷の在る木曽谷の南部に位置する大桑村は、上松町と県境の南木曽町に挟まれていて、松本からだと木曽谷を走る国道19を南下して2時間は掛かります。結構遠いので、阿寺渓谷の評判を知りつつも行くのは躊躇していましたので、自分で運転せず、バスに乗っているだけで連れて行ってもらえるのは本当に助かります。
7月末でまだ梅雨も明けておらず、当日も雨予報はずっと変わらないままでしたが、中止連絡も無いので朝8時過ぎの集合場所に向かいました。
当日は30人乗りの市のマイクロバスですが、密を避けて15名の参加人数で、マスク着用の上お互い離れて座ります。マイカーであれば、木曽へは奈良井川の堤防道路から洗馬経由で、国道には“そば切り発祥の地”本山宿で合流するのですが、バス故に白板からずっと国道19号をひた走ります。
出てからすぐに雨が降り始め、木曽路はずっと雨の中でした。時より小降りになって少し安心していると、また土砂降りの繰り返し。いずれにしても、梅雨前線が南にありますので、長野県も南に行くほど本降りになりそうです。
バスは順調に走行し、最後に木曽川を渡り2時間10分程で阿寺渓谷入り口に到着しました。着いて分かったのは、川は「あでら」川ですが、渓谷名は「あてら」渓谷とのこと。土砂降りでしたので川も濁っているのではないかと思ったのですが(事実木曽川は茶色の濁流が渦巻いていましたが)、阿寺川の川底は岩石で土砂が無いために雨の日でも濁らないのだそうです。

 バスを降りると幸い雨は小降り状態で、これなら歩けそうです。歩き易いようにカッパを着て、念のため傘も持って寺側の渓谷沿いに歩き始めたのですが、少し行くと急に雨脚が強くなり土砂降り状態になりました。そのまま暫くは歩いたのですが、雨脚は全く衰える気配はありませんでした。そのためリーダーである公民館スタッフの判断で、ホンの100m足らず歩いただけで今回は残念ながら散策を諦めてバスに戻ることになりました。
 今回は残念な阿寺渓谷でしたが、松本から2時間足らずで行けることが分かりましたし、次回の参考になる公民館スタッフの方がコピーしてくれた大桑村教育委員会の阿寺渓谷の資料やパンフレットなども頂き、また実際に“阿寺ブルー”と呼ばれる美しいエメラルドグリーンの阿寺川の一端を垣間見られたのは収穫でした。
公民館のスタッフの方は、「出来れば紅葉の時季のリベンジを計画したい」とのことでしたが、お年寄りが多く余り歩きそうもなかったので、その前に自分たちだけで来て、渓谷入り口から上流のキャンプ場まで片道6.3㎞の渓谷を歩くのも良いかもしれません。また、夏のマイカー規制中は中間の駐車場まで有料のシャトルバスが運行されているので、半分や帰路はバスに乗っても良いかもしれません。
 阿寺渓谷の散策が出来ず、予定が随分早まったことから、スタッフの方と市の専属バスの運転手さんが相談して、その後“日本の電力王”福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)に因む、南木曽町に在る重要文化財の桃介橋(橋は残念ながら改修工事中で渡れませんでしたが)を間近に望む天白公園で昼食を取り、帰路は久し振りに上松町の木曽川の名勝「寝覚の床」にも立ち寄り、また道の駅で買い物をしてから松本に戻りました。

 年齢ということもあるかもしれませんが、我々の“晴れの日のご馳走”と云えば、もしかしたら、若い頃はステーキや焼き肉、シンガポールに赴任してからはしゃぶしゃぶだったかもしれませんが、いつの頃からか、肉ではなく専ら寿司になった様な気がします。
昔は、今の様に回転寿司がありませんでしたし、支店まであるような大手チェーンは信州にはありませんので(カッパ寿司は元々長野市で創業ですが)、所謂“大将”がやっている個人経営の寿司屋に行くしかありませんでした。
もしかすると、昔の松本にも高級店があったかもしれませんが、若い頃の記憶では、寿司ネタの中で光物やウニはただ生臭いだけで一度も美味しいと思った記憶が無く、もしカウンターで好きなネタを頼めと言われてもウニや光物は決して注文するネタではありませんでした。
学生の頃だったか、高校近くの寿司屋が移転改装して以降、大将自ら軽トラの保冷車を運転して築地で仕入れて来るとかで美味しいと評判になり、帰省した折か、一度だけ父が連れて行ってくれた記憶があるのですが、光物やウニを食べた記憶はありません。
 そうした中、社会人になって、会社が急拡大し人手不足の中、若手だった私メも担当する仕事を全て任され、発注した業者さんの東京本社に出張する機会があり、初めて有楽町の本社ビルを訪ねました。
当社の担当の方と上司の方と打ち合わせをし、昼時になって、上司の方が近所の寿司屋に連れて行ってくれたのです。おそらく上にぎりだったのでしょう。頼んでくれた寿司のセットメニューの中にウニがあり、まさか残すのも失礼故、意を決して口の中に入れた途端、
 「あっ、ウニってこんなに美味しいんだ・・・!」
それまで食べたウニとは全く違い、生臭い様なニオイは全くせず、濃厚な甘味だけが口の中一杯に拡がったのでした。 

その後、次女が成田空港勤務で住んでいた時の成田。そのお陰で成田山にも何度かお参り出来ましたが、駅近の彼女のマンション近くにあった寿司屋「江戸ッ子寿司」で食べた鰯に愕然!
 「えっ、イワシってこんなに美味しいんだ・・・!」
以来光物の美味しさに目覚め、イワシだけではなく、アジやコハダ、〆サバといった光物を中心に注文するようになりました。
その次女も、松本にいた頃はサーモンやイクラ、エビ、サラダ軍艦といった様な所謂“お子ちゃまネタ”しか食べなかったのが、成田に住んで一緒に寿司屋に行くようになったからか、途中からキンメやノドグロなど、それまで一度も食べなかった様なネタを頼むようになりました。これも、私が東京で初めて新鮮なウニの美味しさに目覚めたのと同じだったのかもしれません。そういう意味では同様に、子供の頃、お祭りの時とか亡き父が良く買ってきた松本の老舗「本間」のウナギ。しかし、次女はウナギが嫌いでいつもニジマスの甘露煮でした。それが、成田に住んでからは、友達と食べに行ってからとのことでしたが、
 「ウナギって美味しいね!」
と、成田の名店「川豊」のウナギを食べるのにはビックリ。単なる「食わず嫌い」だけだったのかもしれません。
 また、長女が「梅ヶ丘美登利寿司」渋谷店に連れて行ってくれ、その後次女が羽田空港勤務になって糀谷に住んだことから、近くの蒲田にあった「美登利」の回転寿司「活」で都会の所謂“グルメ系回転寿司”の美味しさを知りました。
「活」は炙りのネタが豊富だった中で、とりわけ炙りの“トロイワシ”は絶品でした。
所謂“大衆魚”で安物のイメージがあるイワシですが、「鰯」と書くように傷み易いことから、新鮮なモノでないとその本当の美味しさは分かりません。銚子から直接届いた新鮮なイワシを成田で食べてその美味しさに感激し、以来どこに行っても、先ずはイワシやアジの光物でその寿司屋のネタと良し悪しを判断することになりました。
 寿司ネタに限らないかもしれませんが、“食わず嫌い”は実に勿体無い。入手出来なければしょうがありませんが、目の前にありながらの“食わず嫌い”は一生の後悔モノだと思います。先ずは食べてみて、その上で好き嫌いを判断しても遅くない。しかし、食べる場合は本当に美味しいモノを食べないと、これ又誤った判断をしてしまうことになりかねません。私にとってのウニがそうでしたし、その後の生ガキもそうでした。しかも、生ガキの美味しさを知ったのはシンガポールだったのです。何となく敬遠するホヤも、もし三陸や青森で食べたら、“海のパイナップル”と云われる本当の美味しさに出会えるのかもしれません。

 どんな苦手な食材も、出来得れば、先ずは産地で旬の本当に新鮮なモノを食べてみる・・・何よりも、結局それが一番大事なのではないでしょうか。
【注記】
寿司ネタの写真は、これまで紹介させていただいた中から選んだ、上から「江戸ッ子寿司」のイワシとコハダ(ヒラメも写ってますが)、続いて「活美登利」の炙りトロイワシ(ポン酢と塩)、〆サバ、アジ。そして最後に「金沢まいもん寿司」の光物三種(イワシ、アジ、コハダ)です。

 今回、実に40年振りに訪れたビーナスラインでしたが、茅野から白樺湖を経由してビーナスラインで霧ヶ峰へと走ってみて、観光地としての茅野と諏訪の余りの落差に愕然としました。
と言うのも、前話にも記した様に、霧ヶ峰から角間新田を経て上諏訪へ下る道沿いにはレストランや喫茶店など観光に来て立ち寄れるような施設や店は皆無で、蓼科や白樺湖へ向かう茅野からのルートとは雲泥の差でした。しかも、道路も狭く急なカーブも多かったので、茅野からの道路の方が広くて走り易かったからです。
 「これでは、茅野駅には全ての特急が停車しても上諏訪を通過してしまう特急が現れても止むを得ない・・・。」
実際に現場に行ってみて、残念ながら確かにそう感じざるを得ませんでした。

 時代の変革期を迎え、今までの様に箱物だけの観光施設を作れば良い訳では決してありませんが、片やこれまで蓼科高原を中心に三井の森の別荘地や東急ハーヴェストなどを誘致するなど観光開発に力を注いで来た茅野市(しかし、その蓼科高原も今や寂れ、観光地としての魅力も地盤沈下していると感じさせますが)と、諏訪湖だけではなく、せっかくの霧ヶ峰(長らくエアコンの名称に使われているように、世間一般に“信州の爽やかな高原”というイメージ大の筈)という観光資源を抱えながら何もして来なかった様にさえ見えてしまう諏訪市・・・。
40年振りに車を走らせてみて、残念ながら特急の停車駅と通過駅の理由や背景が何となく垣間見えた様な気がしました。

 新しい観光の方向性としての、自然と文化との共生、グランピング、with Dogでペットに優しい観光地(長野県内は軽井沢以外どこも落第ですが)・・・。
ミシャクジ信仰が今も息づく縄文王国の八ヶ岳エリアを抱え、更には高齢化に伴う健康志向の中で、例えば湖畔のウォーキングと温泉を活用してのスパなどなど・・・。諏訪には、今後に向けての諏訪広域としての材料やヒントは幾つも有る様に思います。これまでのように、7年に一度しかない御柱と、温暖化で今後はあるかどうも分からない冬の御神渡と、夏の花火だけに頼っていてはいけないのです。
事実、茅野の蓼科湖畔には確かに古臭くて寂れた施設も多いのですが、最近ワーキングオフィスと共にオートキャンプ、コテージ、キャビンとスタイルの違うおしゃれな宿泊施設がオープンしていてビックリしました。クローズしていた地元の温泉旅館を県外資本がリノベーションしたのだそうですが、最近話題のワーケーションも可能な施設です。

 片や、市長選が二期連続で無投票だった諏訪市。諏訪をどうするのか、もっと活発な政策論議があっても良いのにと思ってしまいます。お世話になった諏訪だからこそ、他人ごとながら・・・、
 「おい、諏訪よ、もっと頑張れ!」

 これでもかと言う程に、毎日雨が降り続いた今年の長梅雨。
そんな梅雨空の中、久しぶりに青空が除いた7月19日の日曜日。家の中だけに居てはカビが生えそうで息が詰まるので、ワンコたちと一緒にドライブへ。
選んだ先は、ニッコウキスゲが見頃を迎えたという霧ヶ峰です。
霧ヶ峰へは、諏訪から登るか、茅野から白樺湖経由のビーナスラインで車山から廻るかですが、上諏訪から行くよりも少し遠回りにはなりますが、せっかくのドライブですので茅野から白樺湖を経由してビーナスラインで車山高原から霧ヶ峰へとドライブすることにしました。

 白樺湖を過ぎて大門峠からビーナスライン(県道40号線)へ入ります。車山や霧ヶ峰を訪れるのは40年振りくらいでしょうか。初めてのスキーで霧ヶ峰に来てから、車山とかにもスキーで何度か来ましたが、子供が生まれてからのスキーは専ら白馬方面となり、こちらに来ることが無くなりました。
ビーナスラインは今では無料化されていますが、そのためか道路の傷みが目立ちます。白樺湖を見下ろす展望駐車場に車を停めてワンコたちのトイレ休憩で一休み。久し振りの青空で眼前に蓼科山の雄姿は拡がりますが、南アルプスなどの山々は残念ながら雲に隠れて望めませんでした。
 暫く走って富士見展望台に駐車。標高1700mとのこと。この辺りの丘陵地にニッコウキスゲの群生があるとのことで、多分100台くらい停められるであろう駐車場は満杯です。しかも県外車が目立ちます。ワンコたちを抱いて遊歩道を登り始めましたが、人が多くてすれ違いにも苦労するほどなので、途中で諦めて写真だけ撮って引き返すことにしました。
更に車を走らせると、テラス席にはワンコも入れる山小屋「コロボックルヒュッテ」も200台の駐車場がある「旅の駅霧ヶ峰ビーナス」もどこも満車。いくら週末とはいえ、このところの感染拡大を受けての自粛ムードもどこへやらで、かなり県外車も入り込んでいるようです。因みに、ここから少し先になる八島湿原だけはペット禁止ですが、この辺りだと遊歩道も広くてワンコ連れでも歩き易そうですし、しかも先程よりもたくさんのニッコウキスゲが咲いていました。しかし駐車場も一杯で順番待ちの様なので、駐車は諦めて松本へ帰ることにしました。
従ってニッコウキスゲだけを見るなら、富士見台よりもこの霧ヶ峰に車を停めて散策した方が良さそうでした。しかし知らないと、やはり最初に見掛けた場所に車を停めてしまいそうです。その意味では、上諏訪から上がって茅野に下った方が、ニッコウキスゲを愛でるドライブルートとしては良いかもしれません。
しかし乍ら、霧ヶ峰から角間新田を経て上諏訪へ下る道沿いにはレストランや喫茶店など観光で立ち寄れるような施設や店は皆無で、蓼科や白樺湖へ向かう茅野からのルートとは雲泥の差でした。しかも、道路も狭く急なカーブも多かったので茅野からの道路の方が広くて走り易い気がしました。
 以前の記憶では、高原の丘陵一面が黄色に染まる程の群落がみられた霧ヶ峰のニッコウキスゲ。鹿に拠る食害で一時は見る影も無くなり、その後電気柵で囲い保護に努めてきた結果、以前ほどではないにしても次第に復活しつつあるように思いました。ゆっくりと走る気持ちの良い緑の草原とニッコウキスゲ。昔の“さわやか信州”ではありませんが、夏の高原の絶好のドライブコースだと思います。