カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 家を建てて25年でしょうか。
建築時から1階のリビングと2階の寝室にエアコンが付けてあります。2階は暑いので、最近では猛暑の日の夜、寝る前に30分から1時間ほど付けて涼しくしてから寝るようになりましたが、1階は風通しが良いので、今までエアコンは全く使ったことがありませんでした。ところが、ナナが病気になり、コユキが昨年来たこともあり、特にコユキは少なくともブリーダーのところにいた時はエアコンが効いて温度だけは快適だった筈ですので、我が家にきて初めて猛暑を体験することになります。
従って、ナナとコユキのために猛暑の日はエアコンを使おうと思ったのですが、全く使ってもいないエアコンが何と壊れていて冷風にならずに全く冷えません。因みに、我が家の1階のリビングのエアコンは天井埋め込み式のビルトインタイプ。
通常の壁掛け式のエアコンの方が種類も多く、埋め込み式よりも安いのですが、新たに壁に穴を開けないといけませんし、今の壊れたエアコンはそのまま放置することになります。我が家の1階は、薪ストーブを設置してあることもあって、ダイニングキッチンからリビングまでワンフロアで2階まで吹き抜けになっていますので、1階だけ用としても20畳以上の大型のエアコンが必要ですし、効率なども踏まえて当時の設計士さんがビルトインタイプを選択してくれた筈です。

 ところがそのエアコンは三洋製(因みに、2階の壁掛けタイプのエアコンは信州だからということは関係なく三菱「霧ヶ峰」)。ご存じの通り、三洋電機は既に無くパナソニックに統合されています。一応、取り扱い説明書にあったカスタマーサービスの電話番号に電話すると、調べていただいて代替可能なパナソニック製品と松本のパナのサービス拠点を紹介してくれました。そこで、交換工事と修理可能化も含め一度サービスの方に来てチェックをしていただきました。
すると、室外機が壊れていて、25年前だと交換部品もなく修理不能とのこと。交換する場合、昔の室外機はフロンガスが使われているため、廃棄するためにはフロンガスを抜く工事が別途必要とのこと。「殆ど使って無かったのですが・・・」と言うと、むしろ使わなかったことの方が問題で故障の原因になったのかもしれないとのこと。確かに建築時に一緒に入れた2階のエアコンは猛暑の日の2階は居られない程暑くなるので、寝る前に1時間程使う時があるのですが、同じ25年経った今でも全く問題無く使えています。
また、リビングが吹き抜けで且つ広いので壁掛けと2台入れた方が冷房効率が上がるかを伺ったところ、2台は無駄で、冷気を循環させるためにはサーキュレーターを入れれば十分とのアドバイスをいただきました。そういえば、長女がNYのマンションでもサーキュレーターを使っていて冷房効果大でお薦めと言っていたのを思い出しました。

 しかし、元々天井埋め込み式のエアコンはオフィスや店舗などの業務用が主で、家庭用は種類が限られます。代替可能な機種を伺うと、やはり40~60万円とのこと。サービス部門では販売をしておらず、量販経由で販売された製品の修理などのサービスとのことから、購入する場合は量販店経由になります。
そこで、幾つか当たったのですが、壁掛け式に比べると機種そのものも限られる中で、選んだのは価格が一番安かったダイキン製でした。結局、室外機交換等の入れ替え工事も全て含めて40万円弱になりました。高い買い物にはなりましたが、ワンコたちのことを考えると止むを得ません。
工事は古いエアコンを外し、大きさも違う(昔のタイプは正方形で今は長方形が多いとのこと)ので天井の穴を新しい機種に合わせる工事をして新しい機種に入れ替えるなど、朝から始まった工事は夕方近くまでのほぼ一日掛かりで無事終了しました。
 今年は長雨の梅雨が続いていて、まだエアコンが活躍することはありませんが、今年も梅雨明け後は猛暑の夏が予想されているようです。とりあえずは、ワンコたちのために猛暑対策は準備万端・・・です。
但し、暫くは外食も控え、我々人間様の食費(勿論アルコールも)を削ることとしました(トホホ・・・)。

 今回の西伊豆行きでのNAVIが示したルートは、松本からは途中御殿場から沼津を経由してのルートでした。
そこでせっかく沼津を通るので、前回行った小田原漁港が大変印象深かったことも手伝い、今回往路復路の途中で沼津港(漁港)に寄ってみることにしました。沼津港を紹介するWEBマガジンに拠ると、
『駿河湾は日本で一番深い湾だ。その水深はおよそ2800メートル。湾の深度第三位の富山湾(最深部900メートル)と比べて1900メートル、二位の相模湾(最深部1500メートル)と比べても1300メートルほど深いことになる。一般的に深海と呼ばれるのは水深200メートルより深いところなので、この三つの湾がどれ程深いかがわかるだろう。そしてお気づきだろうか。駿河湾、相模湾、富山湾と深度1,2,3位のこれらの湾はどれも好漁場で有名な湾なのだ。特に駿河湾には、アジ、サバ、イワシ、カツオ、タチウオ、桜海老、キンメダイ、ムツ、ヒラメ、ボタン海老、伊勢海老、貝類などおよそ1000~1200種の魚介類が生息しているといわれ、日本近海で食用として捕獲される2800種ともいわれる魚介類のほぼ半数近くがいることになる。
沼津はその駿河湾の奥部、静岡県は伊豆半島の付け根にある人口20万人ほどの町。古くから東海道の宿場町として栄えてきた。その沼津にある沼津漁港は年間の水揚げ量3万4000トンと全国でも有数の水揚げ量を誇る港だ。栄養豊富な駿河湾の海水に育まれたサバ・アジ・イワシ・カツオ・マグロをはじめ多い時には350種類もの魚介類が水揚げされる。その水揚げの多さに比例して、干物の生産量も全国一を誇る。』
とのこと。特に、アジの干物も全国トップだそうですし、真アジの養殖も日本一とか。従って、アジを食べるなら沼津!でしょうか。

 伊豆半島から北上してきた狩野川が、駿河湾に注ぐ河口に位置する沼津港。
フェリーなどの発着する港と魚介類が水揚げされる漁港の二つの港に分かれていて、魚市場周辺には新鮮な海鮮をウリにする食事処や干物などの海産物の販売店など100軒以上が軒を連ねています。余りに広すぎて、一度だけでは廻り切れません。
屋根付きの立駐に車を停めてから、先ずは小田原漁港を倣って市場食堂へ行ったのですが、平日だったためか、或いはコロナ禍対応か、残念ながら休業中とのこと。そこで、今回お薦めの店など下調べをしていなかったこともあり、またワンコたちを車で待たせていたこともあって、食堂街を歩きながら最初に目についた海鮮丼のお店に入ってみました。そこは最近開店したばかりの様でしたが、晴れていれば道路に面したテラス席でペット連れでもOKとのこと。また、ソフトドリンクと味噌汁がサービスでお替り自由。二人ともシラス丼にマグロや地魚、カニなどを選んでトッピングしたのですが、どれも新鮮で美味しかったですし、値段もリーズナブルだったと思います。
後で分かったのは、我々が歩いた道路は脇道で場内のメイン道路ではなかったこと。そこでメイン通路に回り、大きな海産物店で海苔を購入。干物等は帰路にも立ち寄って購入することにしました。
 帰路、信州への帰路お土産購入も兼ねて再訪問しました。この日も生憎の雨模様。やはり平日だったのですが、結構混んでいました。
今回も立駐に車を停めて、先ずは海産物店「サスヨ」に行ってお土産を購入。自家製のキンメの開きや、沼津ですのでアジの干物、活ハマグリなどなど。店の方は随分親切で、例えばアジの干物の値段の違い、ホンビノス(本場アメリカのクラムチャウダーの食材)とハマグリの違い、お薦めの調理法など教えてくれました。保冷バッグも持って行ったのですが、購入したのが大量になったので、店の方が氷を詰めた発泡スチロールに全部入れてくれ、このままで半日は大丈夫とのこと。しかも昼食後戻るまで預かっていただきました。前回往路で立ち寄った時に、次回購入時に有効な5%割引券をいただいていたので、お陰様で随分お得な買い物が出来ました。
食事は漁師寿司という看板を掲げた「武田丸」へ。せっかくなので地魚のお寿司を注文。アジフライも一品で追加。生シラスや桜エビなどのネタもあって地元感満載。寿司としてのレベルは普通でしたが、シャリが大きかったこともあり全部を食べ切れませんでした。
 お腹一杯になって、干物などのお土産も積んで一路山国信州へ。
 「イイなぁ~、海辺は・・・。」
沼津港は規模では小田原漁港の4倍はあるでしょうか。店舗数も多く、種類も豊富なので観光的には沼津港はお薦めです。でも信州からのアクセスはちょっと大変。一方御殿場から箱根はすぐなので、お魚目当てだけであれば、箱根に滞在して小田原漁港へ行くのがお薦めでしょうか。

 前回の小田原漁港で食べた、そして買った魚の美味しさに、山国の人間は本当に驚き感動したのです。
 「あぁ、海の近くは本当にイイなぁ、羨ましいなぁ・・・。」
幸い、松本は本州のヘソで、大体4~6時間くらいで、北陸や伊豆などの海辺の街へ行くことが出来ます。何となくイメージ的には、海無し県の信州から海へ行く場合は、降った雨が流れ下る先が分かれる分水嶺と同じで、塩嶺峠から北側(松本辺りから北)は日本海の新潟から北陸の日本海へ、南側(諏訪から南)は伊豆半島などの太平洋へ・・・という気がします。
しかし、ワンコ連れOKという宿泊先は北陸方面は意外と少なく、むしろ伊豆半島の方が充実しています。
そこで、7月上旬の今回は同じ伊豆でも今まで行ったことが無い西伊豆に行ってみることにしました。中京圏や関西からだと分かりませんが、これまで伊豆というと専ら東側ばかり。海水浴(そういえばシンガポール赴任後はバリやタイのビーチリゾートばかりだったので、国内では赴任前に行ったのが唯一でした)での下田から、観光でも伊東や河津、伊豆高原。昔、会社の先輩が松崎だったか漁師民宿での魚料理を絶賛していましたが、堂ヶ島や土肥などの西伊豆は交通の便がわるそうなので一度も行ったことがありませんでした。 
調べてみると、西伊豆へは前回箱根へのルートと同じ御殿場まで行って、そこから沼津経由で伊豆縦貫道を経由して行くルートの様です。箱根よりは時間が掛かりますが、4時間程度で思ったよりも(時間距離は)近いことが分かりました。そこでネットで調べた結果、ペットホテルの在った土肥に行ってみることにしました。松本から概ね240㎞、4時間弱の行程です。
東伊豆には無い西伊豆観光の目玉は、新鮮な駿河湾(片や相模湾)の魚介類を別とすれば、何といっても夕日と駿河湾越しに臨む富士山でしょうか。しかしこの梅雨の時期ですので、こればかりは天候次第・・・。

 伊豆縦貫道から信州を走っている様な国道136号線経由で土肥へ。
西伊豆の土肥温泉は海辺に面した、思ったより小さな温泉街。梅雨時期で海水浴にもまだ早いせいか、海辺にも街中にも殆ど人が居ません。ここの観光スポットは江戸時代に栄えた徳川幕府直轄の土肥金山。
また周辺には、富士山と共に“日本一”とも称される夕日の絶景を望む堂ヶ島をはじめ、黄金崎、恋人岬といった風光明媚な西伊豆の海岸線が続いています。しかし、生憎滞在中はずっと雨。それにしても、いくら梅雨とはいえ、こんなに雨が降る梅雨なんてこれまでにあったでしょうか。
そのため、滞在中観光で出歩くことも無く(金山にも興味関心が沸かず)、殆どホテルでワンコと過ごしました。雨が止んだ少しの時間はワンコの散歩と、更に止んでいる時間が長ければ海辺の散策。従って、せっかくの西伊豆滞在でしたが、“日本一”の夕日も富士山も一度も見ることはありませんでした。
滞在したホテルは犬連れOKでしたので滞在客は皆さん犬連れの方ばかり。梅雨の時期でもあり、一般の観光客の方は殆ど見掛けませんでした。
今回のホテルはキッチン設備が無かったので、部屋食は無理。ホテルの食堂では鍋のコース料理だけでしたので余り食指も動かず、結局土肥の街中の食堂で食べることにしました。
土肥は小さな温泉街で、カフェどころか昔ながらの喫茶店も近くには無く、イタリアンの様なカジュアルなレストランも見当たらず。基本的には料理旅館で、滞在するホテルや温泉旅館で食べるのが前提の様でした。しかし、数は少なくとも数件は割烹や小料理店の様なお店があり、そこはさすがに海浜の街らしく、新鮮な魚介類をウリにしていて、山国から来た我々にとってはそれだけで十分です。
 今回食べたのは、全てホテルから徒歩範囲のお店でした。
ただ週末を避けて平日の滞在だったため、定休日だった店も多く、なかなか希望する店ではなく、その日開いている店に行かざるを得ませんでした。
その上で行ったのは、それぞれ磯料理を看板に掲げていた「松の家」と「しま長」。ランチでは無休で営業しているという台湾料理の「龍華」でした。
「松の家」では「上ちらし重箱」と「アジフライ定食」、「しま長」では
「ちらし丼」と「ミックスフライ定食」を選択しました。
しかし滞在中の西伊豆は連日の雨と強風でしたので、多分漁に出られなかったのでしょう。特に最終日の「しま長」では、頼んでも出来ないというメニューが多く、結局店の手持ちの材料で出来るメニューを聞いた中から頼むしかありませんでした。しかも地魚ではなく、サーモンなども使われ、またフライ用のアジが足りないのか、アジフライ定食は出来ずにミックスフライで、冷凍モノと思われるエビなども使われていましたが止むを得ません。
その意味で、一番感心したのは台湾料理店でした。家内は刀削麺を頼んだのですが、私は750円のランチ定食でメインの一品とラーメンの種類を指定するスタイルで、私はニラレバと醤油ラーメンをチョイス。それがそれぞれ普通のボリュームで更にご飯や小皿が加わっていて、結局食べきれませんでした。
味は普通で、ラー油を効かせたニラレバは辛くて美味。一方ラーメンは極々平凡で特徴無し。しかし、このボリュームでこの値段なら都会にあれば行列店になるでしょう。
 それにしても、土肥のレストランで感じたのはお店の方の不愛想でぶっきらぼうな態度。出来れば地魚の種類を聞きたかったのですが(一度聞いたら如何にも面倒臭げな態度に閉口し)、それも憚れる雰囲気。中国の方が経営していた台湾料理店はともかく、他の店はもう少しお客さんに対して愛想が良くてもイイのになぁ・・・と感じた次第です。閉鎖的と云われる信州人が偉そうなことは言えませんが、しかし店の接客はここまで酷くは無い様な気がします。
それと家内のオーダーしたちらし寿司が、せっかく地魚などのネタは新鮮なのに、酢飯がどちらも甘過ぎて且つベチャベチャだったのが残念でした。そのため家内は食べられずに、私メの定食用の白米のご飯で食べていました。勿体無いなぁ、鮮度は良いのに・・・とこちらも感じた次第です。

 6月20日を過ぎて、地元紙に美ヶ原や高ボッチ高原などのレンゲツツジが見頃を迎えた旨の報道がありました。
因みに、レンゲツツジの葉や花、根には有毒成分が含まれているのだそうで、従って、一時期霧ヶ峰などのニッコウキスゲは鹿の食害で減少したため柵を張って保護するなどしましたが、レンゲツツジは有毒のために鹿や放牧されている牛に食べられることもなく植生域を拡げ、その結果(他の草などの植物は牛が食べてくれるので、牛に食べられないレンゲツツジだけが“この世の春”を謳歌して)、昔から牛が放牧されてきた美ヶ原や高ボッチなどの高原にレンゲツツジの群落が誕生したのだそうです。
しかし、三城から百曲がりを行くいつもの登山での王ヶ頭や王ヶ鼻一帯の美ヶ原には、レンゲツツジの株は所々で見られるものの、そうした群落は無く、今まで美ヶ原登山ではレンゲツツジを見たことがありませんでした。
調べてみると、レンゲツツジの群生が見られるのは美鈴湖から美ヶ原への林道沿いの袴越から思い出の丘を経て武石峰、更に自然保護センター辺りとのこと。しかし三城からの登山で武石峰まで歩くのは結構な距離になりますので、そこで今回はいつもの三城からの登山ではなく、車で美鈴湖経由で自然保護センターまで行ってみることにしました。

  車での美ヶ原へのアプローチは幾つかあり、いつもの登山で行く三城経由での(霧ヶ峰からの道に合流する)ビーナスラインと、三才山手前或いは浅間温泉から美鈴湖経由でのルート。
しかし、同じ美ヶ原でもルートにより行先が異なり、前者の高原美術館や山本小屋、高原ホテルのあるビーナスライン沿いのエリアと、後者の自然保護センターの間は繋がっていません(一応砂利道があるものの一般車両の通行は禁止)。
霧ヶ峰からのビーナスラインと美鈴湖経由、反対側の旧武石村(上田市)とをビーナスラインとして繋げる計画もあったそうですが、環境保護の名目で頓挫したまま。従って、美鈴湖経由では(同じ松本市内の)三城方面に下りてくることが出来ません。

 6月末の平日、車で国道254号線の三才山の手前の稲倉辺りから美鈴湖を経由し、急坂とカーブの続く林道を結構長い時間登っていきます。やがて袴越という表示が見えればもうすぐです。途中、初めてのレンゲツツジの群落が道の左側から目に飛び込んで来ました。車数台が道端に停車して群落の中で思い思いに写真を撮っていて、我々も道端に車を停めて撮影。
そこからしばらく走ると、「思い出の丘」との表示があり、こちらの無料駐車場に車を止めてトイレをお借りし(無料です)てから遊歩道へ。
駐車場から400mほど歩くと1935mという思い出の丘。晴れていれば、北アルプスの絶景が見えるそうですが、この日は生憎霧が巻いて周囲は全く見えません。更にそこからアップダウンを繰り返しながら40分程歩いて武石峰(1972m)へ向かいます。思い出の丘から武石峰辺りまでにレンゲツツジの大群落が幾つかあって、少し満開を過ぎた株もありましたが、ちょうど見頃を迎えていて、オレンジよりも深紅に近い花が群生する様はまるで燃え盛る様にさえ感じられます。三城から登ると、この時期幾つかのレンゲツツジの株はあるのですが、こうした群落は無いので、まさかこれ程見事だとは思ってもみませんでした。まさに想像以上の見事さでした。
 武石峰から自然保護センター方面への斜面にもオレンジの絨毯の様な一面のレンゲツツジが続いています。そこで車を停めた思い出の丘の駐車場へ戻り、道路の終点となる自然保護センターまで車で行ってみることにしました(武石峰から遊歩道が通じており、勿論そのまま歩いていくことも出来ます。70分との表示)。
所々道端に車を停めて盛んにレンゲツツジの群落を撮影している人たちがおられましたが、我々は車から愛でながら自然保護センターへ直行。ここには美ヶ原の自然を紹介する展示室の他に売店や食堂があり、トイレも完備(無料です)されています。駐車場には結構な台数の車が停まっていました。また近くの空き地にはそれ以上の台数が駐車。多分、これらは車で直接乗り入れが禁止されている王ヶ頭ホテルのお客さんか従業員の方々の車でしょうか。松本駅や美鈴湖からの送迎バスを除けば、ここがホテルに最も近い駐車場ですが、但しここからはバスの送迎は無いので自らの足で30分との表示。
我々もせっかくですので、砂利道(許可車両のみ通行可)の車道ではなく、トレッキングコースを王ヶ頭まで歩いてみることにしました。
案内図ではこの辺りにもレンゲツツジの群落があるように記載されていましたが、残念ながら見当たりませんでした。
自然保護センターは標高1905mとのことですので、2034mの王ヶ頭までは100mの登りです。軽いアップダウンの「天狗の露地」を経て、後はずっと上りの気持ちの良いコースです。天気が良ければ、浅間山など上田方面が望める筈ですが、この日は雲の中。ルート案内通り30分で王ヶ頭ホテルに到着しましたが、することも無い(ホテルのトイレは有料ですし)のですぐに引き返します。途中、武石峰ですれ違った方々とまたすれ違いました。皆さん、思い出の丘からしっかりと王ヶ頭や王ヶ鼻までトレッキングコースを踏破されるようです。
帰路は下りなので20分足らずで自然保護センターに到着し、無料トイレを使わせていただいてから帰りました。
 いつもの三城からの登山で武石峰まで行くと結構な距離なので、ほぼ一日掛かりになってしまいますので、レンゲツツジを愛でるには車で思い出の丘まで来て、そこから片道1時間半?程のトレッキングコースで美ヶ原山頂の王ヶ頭まで歩いた方が良いかもしれません。いつもの三城からの登山では見ることが出来ない群生するレンゲツツジは想像以上で、まさに一見の価値あり。本当に見事なレンゲツツジの群落でした。
【注記】
掲載した「思い出の丘」の駐車場と頂上の碑の写真は、当初霧だったために霧が晴れた帰路で撮影したものです。

 中国が香港の民主化運動に対し反抗すべく、国際協定を無視し、香港の頭越しに全人代で決めてしまった「香港国家安全維持法」。これにより、雨傘運動などで揺れた香港で、デモや民主化運動などに参加すれば直ちに逮捕され、場合によっては終身刑に処されるという可能性すらあることから、“民主の女神”等のこれまで民主化をリードしてきた若者などの離脱・脱退が相次いでいます。しかし、彼らを弱虫として批判することなど出来よう筈もありません。どうして国際社会は、特に国際協定を結んだ当事者である英国は断固とした抗議をしないのでしょうか。

 中国は、正しく“中華思想”の国であって、自分だけが正しく自分以外は正しくない、諸外国は皆中国の足元に跪くべき、外交とは中国に対する朝献外交以外はあり得ない・・・としか考えていないのです。

 鄧小平が「白でも黒でもネズミを捕るのが良い猫だ」と、開放政策を推し進め、その結果、14億という(将来的な)世界最大の市場誕生可能性を餌に、国営企業との合弁を条件に外国企業を誘致し先進技術を導入し、やがてその技術を我が物にし、模倣でも何でも気にせず世界最大の自国市場で売り上げを伸ばし、結果として為替交換により、貨幣価値としての経済力を伸ばしてきた・・・。
プライドだけではなく、物理的にもそうした経済力という資本主義経済における“公平なパワー”を武器にして、嘗ては思っても(物理的なパワーが無かったために)口に出来ず行動も出来なかった4千年来の“中華思想”的行動に出たに過ぎません。中国にすれば、漸く少なくとも数百年前、おそらく清国乾隆帝時代までの中国が世界の中心だった(と自負していた)時代に戻っただけなのかもしれません。

 しかし、そうしたプライドを満足させるパワーの源泉は、確かに鄧小平以降の開放経済の政策に拠るところ大にしても、それを下支えした深圳や広州などの経済特区や解放区は、少なくとも香港という自由貿易港があったからであって、香港の存在無くしてはこれまでの中国の経済的発展はあり得なかった筈です。
昔、私がシンガポールに赴任していた同時期に、香港に赴任していた同期の友人がいみじくも言っていたのを思い出します。
 「香港では、大学で習った経済学の教科書通りのことが起こっている。これ程分かりやすい自由な市場は無い。」
変な思想や思惑、人間や国家のシガラミも関係なく、市場が経済の理屈や理論通りにちゃんと動いている・・・。
当時、積極的に海外から誘致した企業が、深圳や広州が安い賃金と豊富な労働力を武器に、“世界の工場”としていかに製品を作ろうが、一日でも一時間でも早く、世界にモノを届けるという自由貿易港としての香港、そしてその流通や生産を支える金融市場としての香港のパワーがもしなかったら、中国は今日の様な“世界の工場”足りえなかったのであって、中国の経済的発展は香港が在ったからに他ならないのです。
確かに、市場としての価値は香港にはありませんが、共産主義国家の中国が恩恵を被ったのは、(しかも、それは宗主国として単に植民地からの恩恵を欲しただけのイギリスが結果としてもたらした)政治的色彩の無い自由主義的な香港の金融市場とそれに裏打ちされたスピーディーな自由貿易港である香港があったからに他ならないのです。

 14億人という世界最大の自国市場を持ち、例えニセモノを売ってもその貨幣を国際金融市場の中でドルに交換できれば世界で通用する価値を持ち得る。そしてその大きさこそが世界でのパワーとなる。今や世界第2位の経済大国となった中国が(経済力のみならず、中華思想に則った民族としてすべてにおいて)優越感と自信を持ったことは間違いありませんが、その源泉は、背景には自由な香港が在ったことを忘れてはならないのです。
自国内市場だけで生きていくのであれば別ですが、貿易による経済立国を目指すのであれば“掌中の珠”とでもいうべき香港の重要性を忘れ、或いは香港など無くても中国は大丈夫だと過信しているとすれば、今後も14億という物理的な市場規模は存続し得ても、世界に発信するという“世界の工場”としての優位性は無くなり、“世界の工場”としての重要性は灰燼に帰する筈です。
そうなった時に、香港を失ったことの重要性に漸く気が付いて後悔しても遅いのです。

 小田原城址公園から、もう一つの目的である小田原漁港へ向かいました。
駿河湾、富山湾と共に、日本三大深湾といわれる相模湾に面する小田原漁港。そのため豊富な種類の魚が水揚げされています。通常は業者だけですが、定期的に開かれる朝市ではその日水揚げされた新鮮な地魚などが格安で一般市民にも販売されることから、早朝から行列が出来るのだそうです。本当にイイですね、海の近くは・・・。山国からすると羨ましい限りです。
ただ我々は鮮魚を買っても捌けないので、今回のお目当ては海鮮丼などのランチと、部屋食用のお刺身やお土産用の干物などの購入です。
平日でしたので(勿論セリは終了しています)、それほど場内は混んではおらず、ワンコたちのために日陰に駐車することが出来ました。

 せっかくですので、市場食堂へ行ってみることにしました。こちらはセリなどが行われる魚市場の2階にある食堂。朝早くから食堂で働く謂わば魚のプロの方々の胃袋を満たすだけでなく、我々の様な観光客などの一般者も食べることが出来ます。
店内は何となく下町の大衆食堂然とした雰囲気です。平日とはいえ、さすがに昼時間なので既に行列で満席。ソーシャルディスタンスをキープしながら順番を待ちます。しかし、さすがに市場の食堂だけあって回転が速く、すぐに我々の順番になりました。発券機でオーダーをし、チケットを出すと数字が書かれたプラスチックの番号札を渡され、その番号が呼ばれるのを待つ仕組み。飲み物含め全てセルフサービスです。
 家内が市場定食(1800円)、私メは港の昼定食(1550円)。せっかくですのでマグロのお刺身も単品で注文。定食はアジとイカ、マグロのフライと刺身に小鉢、香の物にお味噌汁も付いています。市場定食はこれに更に煮魚な追加されています。値段的には必ずしも安いとは思われませんでしたが、これなら刺身を追加せずとも定食としては十分過ぎる量でした。
魚市場の食堂だけあって、さすがにアジフライもお刺身も新鮮です。特に鮮度抜群のアジは、ふっくらと厚身で甘味さえ感じられて本当に美味。感動モノでした。フライの衣は些か堅かったのはむしろご愛敬・・・。いやぁ、満足、満腹でした。
その後、鮮魚の飲食店や海産物を売る店が両側に軒を連ねる“さかな街道”で食材を物色。選んだのは、中トロの切り落としとヒラメの刺身。そしてワケアリ品というアジの干物。驚くのはその値段。マグロが600円、ヒラメが500円。干物も7枚で500円。干物はもっと欲しかったのですが、冷凍のままで松本まで持って帰れないので諦めるしかありません。
その日の夕食で早速いただいたのですが、決して大げさでもなく、マグロの中トロは今まで食べた中で(お寿司屋さんも含め)一番鮮度が良く、甘くて美味しくて実に感動モノでした。しかもこれがたったの600円で買えるとは・・・いやはや驚きでした。アジの干物も身が厚くて脂も乗っていて旨!
本当にお土産に信州まで持って帰りたいくらいでしたが、あの峠道をまた下るのは・・・と却下。次回来た時のための楽しみに取っておくことにしました。
それにしても、“山の中”でありながら、少し足を延ばせばこんなにも新鮮な魚が食べられる箱根。古くからの観光地としての箱根の魅力がチョッピリ分かった気がしました。

 箱根の様な有名観光地でも、ワンコOKというレストランは存外少ないものです。むしろ軽井沢よりも少ないかもしれませんし、仮にあっても殆どはテラス席のみで、犬連れで室内まで入れるのは、そのレストランにも看板犬がいればですが、余程でないと見つからないのが実態です。しかも、この梅雨の時期だと、昨年の那須もそうでしたが、テラス席は雨に濡れる可能性もあり、そのためワンコ連れは、勢い外食ではなくお弁当や食材を買っての部屋食になりがちです。
幸い、今回のコロナ禍で、観光地も含めて多くの飲食店でテイクアウト対応が可能になっていますので、ワンコ連れとしてはむしろ有難い限り。いずれコロナ禍が過ぎ去っても、ワンコ連れのために室内飲食は無理でもせめてテイクアウトは各観光地でずっとこのまま継続して欲しいものです。

 さて、今回もミニキッチン付きのドッグヴィラなのでワンコたちと一緒に部屋食が中心です。そんな箱根仙石原滞在でのお薦めグルメです。
テイクアウトでは、ネット上のグルメ番付で仙石原では一番のお薦めらしい相原精肉店がイチオシでしょうか。
多少値段は張りますが、和牛のローストビーフが特にお薦め。他にも、自家製ソーセージやチャーシューや唐揚げ、メンチやコロッケなどの自家製のお惣菜もあり、プチ豪華な部屋食にはピッタリです。
前回はローストビーフにミートローフとメンチカツだったか、どれも美味しかった記憶があります。そこで、今回もローストビーフにメンチ、そして唐揚げを調達。そして、すぐ近くにある箱根の別荘族御用達というAコープのスーパーでサラダ用の地場野菜なども調達し、その日の夕飯はホテルでの部屋食にしました。ローストビーフとメンチは今回も美味しかったのですが、唐揚げは残念ながらイマイチでした。

 仙石原で我々が気に入っているのが、箱根ラリック美術館の中にあるカフェ・レストランLYS(リス)です。美術館を見学しないでの飲食だけでの利用も可能で、明るい店内と大きな窓越しに広い芝生とその奥の林を眺めながらのカジュアルフレンチの食事やティータイムは何とも開放的で素敵な雰囲気ですし、スタッフの皆さんの気配りや目配りの行き届いた接客も実に気持ちが良くてゆったりと心和みます。モーニングもあるそうですが、外が見える明るい時間の方が庭の雰囲気も含めて楽しめるかもしれません。
テラス席もあるのですが、ゆったりとした雰囲気が壊れるのか、ペット連れは残念ながら不可。
前回は金時山から下山後のランチでしたが、今回は仙石原のウォーキング後のティータイムでお邪魔しました。家内は紅茶でケーキセット、私メは有機コーヒー。因みに有機コーヒーは600円と少々お高めですが、お替りOKですのでむしろお得かもしれません。
シンボルツリーか、芝生ガーデンの中の大きなカヤの木が見事でした。

 箱根三日目。箱根エリアの中で、ワンコ連れで行けるスポットへ。
調べてみると、例えば芦ノ湖の遊覧船や湖畔の成川美術館、広大なドッグランがあるという芦ノ湖パノラマパーク、ロープウェイ、箱根関所と恩賜公園など幾つか(キャリーバックに入れてという所も含め)犬連れOKというスポットが見つかりました。しかし、前回来た時に登山鉄道に乗り、終点の強羅からケーブルカーとロープウェイで大涌谷と芦ノ湖畔に行って、元箱根までの遊覧船(海賊船)にも乗ってと、ある程度観光で体験済み。それに、ワンコたちが船やロープウェイに乗りたいかも分かりませんし・・・。
そこで、今回は犬連れでのお薦めスポットの中から、箱根強羅公園に行ってみることにしました。
仙石原から強羅へは、昨日の国道138号線で行くルートがメインかもしれませんが、最後くねくねした狭い道路を通るとのこと。そこで、反対側のポーラ美術館前を通る「ひめしゃら林道」と呼ばれる道(県道733号線)を行くことにしました。前回、周遊バスでポーラ美術館に行った時や強羅から仙石原に戻る時もこの道だったように思います。アップダウンやカーブがあったり狭い箇所もあったりしますが、バスが通る道ですので問題ありません。却って国道よりも交通量が少ないのでノンビリ走れます。距離にして5㎞、10分足らずでした。

 登山電車の終点でもあり、ここからはケーブルカーで大涌谷へのロープウェイのある早雲山への中継点でもある強羅。その交通網が示す通り、強羅は急傾斜の斜面にホテルや美術館などの施設が立ち並んでいて、公園はその強羅の中心にあります。
パンフレットによれば、『箱根強羅公園は、100年以上前の大正3年(1914年)に開園したフランス式整型庭園です。噴水池を中心に左右対称に造園された設計は、当時の造園の第一人者・一色七五郎によるもので、大小の岩石を園内いたる所に配置したころから“東洋のロックガーデン”とも呼ばれてきました。』とのこと。また、『140品種、1000株のバラが春と秋に見ごろの迎えるローズガーデン、色鮮やかな南国の花を観賞できるブーゲンビレア館トロピカルムード満点の熱帯植物館・熱帯ハーブ館などがあり、園内はリード着用でワンちゃんと散歩が楽しめる。』そうですが、そのローズガーデンは少し見頃の時期を過ぎてはいましたが確かに見事でした。
園内は急坂とのことでしたので、ドッグバギーは持って行かなかったのですが正解。園内は迂回路も階段が多く、車椅子や赤ちゃん連れのベビーカーも無理でした(実際、パンフにはその旨記載されていました)。
 丸い噴水池とその上部には公園のシンボルツリーと思われる大きなヒマラヤスギ。そして、背後には噴煙が上がる大涌谷が借景となって望めます。そして、公園の最上部のローズガーデンにはガゼボ(パンフレットには音楽堂と記載)があってそこで一休み。逆にここからは、強羅の街の向こうに前回登った金時山など屏風の様な外輪山が見て取れます。
 先に行った家内が、同じくワンコ連れの先客のご夫婦と何やら犬談義。我々よりも少し年配で3匹のワンコ連れのご夫婦。お連れの3匹は、トイプーにパピヨン、そしてマルチーズかと思ったのはマルチーズとポメのミックスとか。しかも、ペットショップで引き取り手がなく売れ残っていたワンコを、最後悩んだ末に購入したのだとか。お互いのワンコたちの身上話に涙、涙・・・。それにしても、犬連れでの行先は限られるようです。私メも後から加わって、お互い犬連れ同士での愛犬の“あるある”エピソードに花が咲きました。箱根だけではなく、軽井沢にも犬連れでちょくちょく行かれる由。もしまたご縁があれば、次は軽井沢での再会を祈念してお別れしました。

 箱根というと、“天下の嶮”ではありませんが、どちらかといえば山の中を想像してしまいます。しかし、箱根駅伝を見ていると分かる通り、往路の最終区の山登りとなる第5区は小田原から20㎞で芦ノ湖までの1区間ですので、蒲鉾で有名な小田原はすぐ近く。小田原には漁港もあるので、海の幸も豊富の筈です。
また、ネットで調べてみると、小田原観光でペット連れで行けるのは小田原城の小田原城址公園のみとのこと。そこで今回は車で来ていますので、小田原まで観光がてら、ドッグヴィラでの部屋食としての海の幸を求めての買い出しを兼ねて行ってみることにしました。先ずは、小田原城址公園を目指します。

 箱根の仙石原から小田原へは、国道138号線を下り宮ノ下で国道1号線に合流。そして、ここから小田原まではあの箱根駅伝ルートです。方向的には復路第6区の“山下り”ルート。
先ずは、有名な宮ノ下の富士屋ホテル付近で1号線に合流し、そこから宮ノ下の温泉街を下り、“名所”大平台のヘアピンカーブを過ぎて早川沿いに下りながら、旅館や土産物店の軒先が道にお張り出す様な狭い塔ノ沢の温泉街を通過し、バイパスが出来て今は通らなくなった函嶺洞門など、正月のTV画面で良く見た光景の中を走ります。
実際に自分で(車ですが)走ってみると、まるで信州の峠道の様な、想像以上の急な勾配や連続するカーブ。そして、緑に包まれた箱根の“昼なお暗き”峠道の狭さを実感します。やっと下り終えて湯本の商店街を抜け、小田原名物のカマボコ型の屋根をした箱根湯本の駅が見えてくると何だかホッとします。車でさえそうなのですから、きっと“山下り”を走り終えた選手は尚更でしょう。ここまで来れば目指す小田原城は5㎞。ホント近いんですね、小田原は。
尚、湯本へ下る途中、台風19号の被害で寸断された線路の復旧工事が進められていました。7月末には箱根登山鉄道が全線開通するとのこと。漸くいつもの箱根に戻ります。果たして、新年の箱根駅伝は実施出来るのでしょうか?

 箱根駅伝の小田原~芦ノ湖間は20.8㎞ですが、仙石原から小田原城址公園までは18㎞とのこと。小田原が近付くにつれて、道の両側に蒲鉾の看板を掲げた店が増えてきました。今回もどこかでお土産と自宅用に買って帰る予定。
さて、小田原といえば小田原城。白い天守閣は新幹線の車窓からも見えますが、今まで小田原には降りたこともなかったので、今回が初めての訪問です。

 戦国時代の下剋上の代表格ともいえる北条早雲。一回の素浪人から領主に昇りつめた早雲の出世物語は、小学生の頃に歴史モノとして胸躍らせて読んだ記憶がありますが、小田原城はその早雲を祖とする戦国大名の北条氏(後北条氏)の居城。そして“小田原評定”という言葉さえ生まれた3ヶ月間の籠城戦で、豊臣方の大軍の攻撃にも耐えて無血開城した難攻不落の名城として知られます。
なお、現在の三層四階の天守閣は鉄筋コンクリート製で、昭和35年に再建された“復興”天守とのこと。これは難攻不落とされた北条氏の時代の城ではなく、最後は明治まで藩主として10代続いた、家康の腹心でもあった大久保氏時代の城がモデルとか。しかし当時は無かった天守最上階に展望用の高欄が取り付けられ、天守本来の姿を忠実に再現したものではないため、復元ではなく復興天守とされる由。
それもあって、今回はワンコ連れでもありますが、往時のままの松本城を子供のころから見慣れてきた城好きにはコンクリートのお城は余り好きになれないので(そういえば、名古屋城や大阪城も、そして伏見桃山城や岡山城も天守閣には登ったことがありません。ですので、河村市長の名古屋城の木造再建計画には大賛成!因みに、復元天守で今行ってみたいのは伊予大洲城です)、天守閣の中には入らずに立派な外観をしっかりと眺めさせていただきました。
小田原城は、海の近くではありますが、地形を利用した平山城。ドッグバギーを押しながら二ノ丸から本丸へと階段を迂回しながら上っていくと、平山城である“小山”の結構な勾配を認識します。大震災で崩れたという石垣が歴史資料として一部そのままになっていたりします。途中、遊園地がありました。確かに松本城公園にも、昔子供の頃は今の博物館の在る場所に遊園地があったのですが、城好きな人からすると興覚めでも、地元の子供たちにとっては憩いの場なのでしょうね、きっと。
 広大な城址公園には、本丸には松の巨木が何本もあって、また本丸と二ノ丸の間の深い堀にはアジサイや花菖蒲が見頃を迎えていました。
小田原藩は10万石と江戸時代は大藩の扱いではありませんが、戦国大名北条氏を空想するには十分な規模を持つ、そんな壮大な城郭でした。